2026/09/28

生と死の日本思想-現代の死生観と中世仏教の思想- : 佐々木 馨 2002

Amazon.co.jp: 生と死の日本思想-現代の死生観と中世仏教の思想- : 佐々木 馨: Japanese Books


生と死の日本思想-現代の死生観と中世仏教の思想-
by 佐々木 馨 (Author) Format: Tankobon Hardcover
5.0 5.0 out of 5 stars (1)

「無信仰の信仰」を背景とする、現代日本人の揺れ動く死生観の構造を4つの視点で解析。 それと対比させ、個人の死を初めて真正面から取り上げた、親鸞・道元ら中世新仏教の宗祖たちの、現世を越える死生観を論じる。
===
240 pages

From the Author
「小さな死」と「大きな生」 佐々木馨 ――PR誌「トランスビューNo03」より

 勤務先の附属小学校長を併任して三年目になる。おもな学校行事を除けば、週二回ほどの小学校通いであるが、子供たちの元気な姿を見ると、俗事をすべて忘れられる。まさに、至福の時だ。


 今年の二月下旬の某日、中休みの時間。廊下を歩いていたら、一年生の女の子二人が「校長先生、早く来て、大変だの!」と、半べそをかきながら、私の手を引っぱった。「どうしたの」と聞く間もなく、玄関前の巨大金魚槽の現場に直行。十四、五人の級友が群がり、昨日まで元気だった金魚が「死んでしまった」と大騒ぎしているのだ。騒動を聞きつけた飼育担当の先生も駈けつけ、校内の聖域と伝えられる「いのちの碑」に、その金魚を丁重に葬った。居合わせた級友は、みな神妙に手を合わせた。


 金魚騒動から数日後の放課後、二年生の子供たち六人と同じバスに乗り合わせた。五人の友だちが降りたあと、一人になった女の子が私の隣りに坐るなり「おばあちゃんが十三年も飼っていた犬が、この前、死んだの」と、しょんぼりしながら話しかけてきた。「獣医さんに診てもらったの」と尋ねると、その犬はお腹に石がたまっていたこと、苦しんで死んでしまったことなど、じつに詳しく教えてくれた。おばあちゃんは、今も悲しいと言っていると、思い出したように涙ぐんだ。


 三月は送別の季節である。雛祭りの翌日、PTA主催の「六年生を送る会」があった。六年生の出し物は、合唱組曲「チコタン―ぼくのおよめさん―」であった。魚屋さんの倅の「ボク」がクラスメイトの「チコタン」に初恋をするストーリーである。魚屋はいやだと言ってプロポーズをいったん断られるが、懸命の食い下がりで成功したのも束の間、「チコタン」は不慮の交通事故で急死。「ぼくのチコタン殺したのんだれや?!」「ぼくのおよめさん殺したのんだれや?!」と、やりきれない怒りの合唱の中に、この組曲はクライマックスを迎える。多くのお母さんたちは、そっと目頭をおさえる。つい私も……。


 今学期、最後の校長講話の中で私は、金魚騒動、犬の死、「チコタン」のことを全校生徒に話し、改めて「命の尊さ・大切さ」を訴え、最後に『葉っぱのフレディ』について紹介した。読んだことのある子供は、うなずきながら聞いていた。初めての子も真剣な眼差しで耳を傾けていた。


 実は、大学でも三年前から「生と死の日本仏教」を講じている。意外にも、学生の大半は自分の死を真正面から考えたことがないと、異口同音にいう。それを敢えて避けてきたようだともいう。

 小学生と大学生とでは、「死」の受けとめ方はもちろん違う。しかし、その時期は別として、一個の人間として必ず向き合わなければならない一大事であることに、変わりはない。レオナルド・ダ・ヴィンチは「まず最初に、終わりを考えよ」と教え諭した。


 ペットなどの「小さな死」の体験を無にしないで、これを自らの糧にしながら、自分の夢ある充実した「大きな生」のステップにしてほしいと思う。こんな思いで、私は『生と死の日本思想』の筆を執った。新聞記事やアンケートを通して、現代の揺れ動く死生観を紹介しながら、今後、私たちがいかに自らの生きざまを探るべきかの、ひとつの素材を供したいと考えたのである。 
(ささき かおる/北海道教育大学・日本中世仏教史)

Content (from MARC Database)
「無信仰の信仰」を背景とする、現代日本人の揺れ動く死生観の構造を4つのベクトルで解析し、それと対比させて個人の死を初めて真正面から取り上げた中世新仏教の宗祖たちの、現世を超える死生観を論じる。

生と死の日本思想-現代の死生観と中世仏教の思想-

Product Details
Publisher ‏ : ‎ トランスビュー
Publication date ‏ : ‎ March 20, 2002
Language ‏ : ‎ Japanese
Print length ‏ : ‎ 240 pages