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2021/02/20

無痛文明論: 現代社会批判, 資本主義, 条件付きの愛, 私の死, 欲望など

無痛文明論: 現代社会批判, 資本主義, 条件付きの愛, 私の死, 欲望など




森岡正博
『無痛文明論』
トランスビュー 2003年10月 全451頁 本体3800円






森岡思想の集大成であり、代表作。快楽を追い求める現代文明は、われわれから、深いよろこびを奪っていく。この悪魔のような文明と、どう戦うのか。

快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明。その流れのなかに、われわれはどうしようもなく飲み込まれ、快と引き替えに「生きる意味」を見失い、死につつ生きる化石の生を送るしかなくなるのではないだろうか・・・。現代文明と人間の欲望をとことんまで突き詰めて描いた超問題作が、2003年10月3日に、とうとうトランスビュー社より刊行されました。1998年より雑誌連載され、このHPでも全文掲載されて、センセーションを巻き起こした原稿を、原形をとどめないほど書き改めて、一冊の本にしました。特に、ラスト2章は、原稿用紙で300枚を超える新たな書き下ろしです。私がいままで書いた本のなかで、もっとも密度が濃く、もっとも賛否両論を呼ぶものとなることでしょう。

出版後、新聞書評などで大きな話題となり、ネットでも賛否両論の意見が続出しています(下記書評一覧参照)。なかでも宮崎哲弥による朝日新聞書評「これは異様な本である。正気と狂気の狭間を擦り抜けるような異様な書法による大冊だ」との評価は話題を呼びました。初版5千部。その後、ちびちびと増刷を続け、2005年秋で8刷り1万3千部。いままで書いた本の中で、最大の反響を呼んでいます。


English translation
 英訳はこちら

韓国語版はこちら 日本版出版社:トランスビュー Tel.03-3664-7333 Fax.03-3664-7335 
HP:http://www.transview.co.jp
メール:info@transview.co.jp 



特報!

「無痛文明論」韓国語版が2005年2月に刊行されました。
>> 韓国語版情報はこちらです



冒頭20頁分をネットで読んでみる


『無痛文明論』の本文サンプルを無料公開しています。

 >> サンプル(PDF) ぜひご覧ください。


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書店でこの本を購入する


都市部の大書店に並んでいます。棚は、「話題書」「哲学・倫理学」「現代思想」などです。

 >> 書店目撃情報はこちら


以下は、『無痛文明論』の詳細情報です


以下のページの構成

1 『無痛文明論』目次と内容サンプル

2 「無痛文明論」関連論文

3 雑誌連載版について

4 読者からの質問に答える

5 書店配備状況

6 日誌

7 講演会情報

8 書評・批評など NEW


 


1 『無痛文明論』目次と内容サンプル

 はじめに  内容サンプル

 第1章 無痛文明とは何か

   内容サンプル(1)冒頭部分  内容サンプル(2)6節  内容サンプル(3)同じく6節

 第2章 無痛文明における愛の条件

   内容サンプル 4節

 第3章 無痛奔流

   内容サンプル 冒頭部分

 第4章 暗闇のなかでの自己解体

   内容サンプル 冒頭部分

 第5章 身体の欲望から生命の欲望へ

   内容サンプル(1) 冒頭部分  内容サンプル(2) 末尾部分

 第6章 自然化するテクノロジーの罠

   内容サンプル 冒頭部分

 第7章 「私の死」と無痛文明

   (註)本章は内容が過激なためウェブでは公開できません

 第8章 自己治癒する無痛文明

   内容サンプル 冒頭部分  内容サンプル(2) 第4節途中
   内容サンプル(3)  第8節

 あとがき


*「内容サンプル」は、本書のほんのさわりの部分です。「身体の欲望」「生命のよろこび」「生命の欲望」「暗闇の中の自己解体」「捕食の思想」「開花の学」「私の死と無痛文明」「自己治癒するシステムとの戦い」などの目玉部分は、ぜひ、刊行されてから書店で手にとってお確かめください。

 

2 「無痛文明論」関連論文

 生命学HPのエッセイ・論文コーナーに数本の関連エッセイがあります。エッセイ「無痛文明論の提唱」が早わかりかもしれない。

 

3 雑誌連載版について

 雑誌『仏教』に連載されていたバージョンを、研究用資料として、kinokopress.comの森岡全集から、刊行する予定です。詳細が決まり次第、ここでお知らせします。雑誌発表当時のリード文や、その当時の全文公開ページは、こちらをご覧ください。

 

4 読者からの質問に答える

 『無痛文明論』についての、みなさんからのご質問に、可能な限りここでお答えします。専用掲示板に質問を書いてくだされば、お答えをここにアップします。よろしく。

 質問1 ・・・「無痛文明」って、ほんとうなの? (Kさんからの質問)
 回答1 ・・・はい。ほんとうです。いまの日本や米国のような社会は、ほんとうに無痛文明のほうに向かって進んでいると思います。本文のサンプルを読んでいただけると分かると思いますが、モノは増えたけどこころが空虚、快感はあるけどよろこびはない、という状態に陥りそうになっている人たち、あるいはすでにそこに陥ったことのある人たちがたくさんいるのではないでしょうか? 私は違うと、自分に向かって断言できる人はどのくらいいますか? これは現代社会全体の問題なのです。じゃあ、そもそも、その「無痛文明」とは何なのか。それをこの本で詳しく書こうとしました。

 質問2 ・・・無痛文明論だから、やっぱり論文なんですか? (Tyuさんからの質問)
 回答2 ・・・うーん、いわゆる「論文」じゃないです。サンプルを見てもお分かりのように、けっこう平易な文章で書かれた哲学書ってところでしょうか。同時に、「文体の実験」もいろいろ行なってますので、途中で唖然とすることもあるかも。論文であって論文でない、文学であって文学でないという感じかもしれないですね。ジャンル分け不能です。

 質問3 ・・・(日本が)無痛文明化しないための社会的要因って言うのはあるんでしょうか? (Tfuさんからの質問)
 回答3 ・・・むずかしいご質問ですね。その要因をずばり言えてしまうと、無痛化と戦えなくなります。ここにひとつの逆説があるのですよ。これについては、出版後にぜひ本書の説明を読んでください。あと、「反無痛化装置」というアイデアも出してますが、これがどこまで力あるものなのか・・・。

 質問4 ・・・無痛文明論の問題意識は豊かな国に住む人固有のものでしかないのでは? (Izmさんからの質問)
 回答4 ・・・ご指摘のように、まず第一には、物質的に豊かな国にすむ人、あるいはそういう境遇にある人が対象となります。しかし、そういう境遇に置かれていない人にとっても、実は、無関係ではないのです。また、無痛化というのは、はるか昔から始まっていたとも考えられます。これらについては、改訂された第1章で詳しく述べましたので、ご覧ください。

 質問5 ・・・無痛文明論は昔に戻れっていう思想でしょうか? それとも先へ進めっていうポストモダンの思想でしょうか? (Totさんからの質問)
 回答5 ・・・無痛文明論は、未来に向かって進めという思想です。(それがポストモダンなのかどうかは議論の余地がありますが・・・)

 質問6 ・・・もしも無痛文明論にいたく共感する政治家がいたとします。その政治家は無痛文明論を活かすような政策を提言できますか? それとも、無痛文明論は政治的ではなくて哲学や宗教の分野だから政策にはなりえませんか? (Totさんからの質問)
 回答6 ・・・できないことはないと思います。「無痛化装置」(第8章)を解体するような政策は可能でしょう。ただし、その政策自体が新たな無痛化装置にならないような仕組みを考えねばなりません。第8章をぜひお読みください。

 質問7 ・・・性愛において、「性別」という条件をつけること(同性/異性しか愛せないということ)も 「条件つきの愛」ということになるのでしょうか?(Gidさんからの質問)
 回答7 ・・・これは難問です。相手の性が変わったときに、愛には変わりないけれど、愛し方が変わったとします。それを「条件付け」と考えるか否かによっても答えは変わってきますね。出版後の論点にしましょう。第2章の「条件付きの愛」の議論は、ずいぶん修正しましたので、出版後にご確認ください。

 質問8 ・・・私は大阪市内の某大学で社会福祉を中心に勉強していますが、well-beingを目指す福祉の思想・実践は、本質的に無痛化の装置となってしまうのでしょうか?もしくは、必ずしも無痛化に抗する営みと相反するものではないのでしょうか?(nabeさんからの質問)
 回答8 ・・・本質的なご質問、ありがとうございます。これは時間をかけて探求しなければならない問題だと思います。原理的に考えれば、その答えは「well-being」とはそもそも何かという点に関わってくるのではないでしょうか。もしそれが、基本的にプラン通りに進む安定したつらさのない状態を意味するのなら、それを目指す社会福祉は無痛化の装置とならざるをえないでしょう。もしそうでないとしたら、違った可能性が開けるかもしれません。

 質問9(Umeさんからの質問:全文はここ)と回答9 
(1)「装置」に気づいたときにその場その場で抗していくのか?・・・基本的にはその通りですが、もっと積極的なことを考えています(第8章参照)。ちなみに『マトリックス』は本文完成後に見ましたが、似たような世界把握がありますね、たしかに。
(2)ディープエコロジーは、無痛化装置を強化するのか?・・・ディープエコロジーの語られ方、流通の仕方によっては強化すると思われます。でも抵抗する可能性もあるはず。
(3)医療を否定することにならないか?・・・上と同じく、それぞれの文脈で、どのようなスタンスをとるのかによると思われます。出生前診断の例が第5章にあります。
(4)正常と異常の新たな線引きの可能性は?・・・これについては、多様性のできるかぎりの真の受容と開拓しかないでしょう。「中心軸」の発見とリンクすると思います。
(5)強い個人になるという宗教的な信仰を必要としないか?・・・「強い個人」とは何なのかを私は疑っています。それは蜃気楼では?また、宗教的ではあっても、信仰ではないというあり方はないのでしょうか?(以上、一般論でしか答えられてません。m(_ _)mなさけないなあ・・)

 

5 書店配備状況

 『無痛文明論』が、どの書店のどこに何冊配備されていた・・・というような情報を、りんごさんが書店配備情報ページで、まとめてくださっています。(なお、「森岡正博の本」コーナーも参照。)


>> 書店配備情報ページ 情報をりんごさんのページや、生命学HP書籍掲示板にお寄せください。匿名OK。

 

6 日誌

6月24日 本ページ公開。無痛文明論の原稿の推敲が終わって、一息状態。でもあとで、また、最初から読みなおそう。池袋の某書店からすでに出版社に問い合わせがあるそうな。編集者と、造本についての打ち合わせ日を決めた。

7月3日 昨日、府立大学の公開講座があった。そこで無痛文明の話題を問題提起。反響あり。そのあと、トランスビュー社長と瀬戸内料理を食べながら打ち合わせ。上下2冊本ではなく、分厚い1冊本にすることにした。値段は3800円くらいか。『生命学に何ができるか』と同じような値段設定になる。学生さんにとっては、高い本になるのが残念だが、仕方ないか。東京と大阪で、無痛文明論の講演会をすることになるかもしれない。そのときは、見に来てください。

7月11日 まだ推敲してます。ほんとうに、完全ということはあり得ないね。「はじめに」と「あとがき」を書き直した。「はじめに」の改訂版全文は上の目次から飛べます。来週に初校が出て、それを書き直したらもう終わりのはずなのだが。それと、誰からも質問がこないので若干さびしいかも(TT)。

7月13日 ようやく質問事項が届きはじめた。

7月26日 初校ゲラが出て、さっそく直しを入れた。編集者に手渡した。あとは再校を待つのみ。もうほとんど変えるところはないだろう。これで、いよいよ、装丁、製本、書店への告知と続いていく。装丁者の作業はすでにはじまっているらしい。どんな装丁になるのだろうか。編集者と一緒に、新宿紀伊国屋書店の営業の人に会ってきた。配備よろしくお願いします!

8月7日 「無痛文明論」を海外に売り込むためのレジュメが、編集者から送られてきた。A4一枚くらいなのだが、これを英語に翻訳しなくてはならない。この際、いろいろ楽しみながらやってみよう。とりあえず、フランス語と韓国語への翻訳を狙おうかと話している。どうなることやら・・・。

8月12日 上記のレジュメをいちおう英語に翻訳した。ついでに目次も翻訳。「無痛文明論」語が英語になるのを見るのは感慨深い。近々、英語ページにアップしよう。

8月23日 再校に手を入れて、さっそく都内で編集者に手渡した。これで完全に著者の手を離れた。あとは、装丁。9月終わりまでには見本刷りが出来上がる。書店に並ぶのは10月第1週だろう。東京での講演会などの打ち合わせもした。いよいよ、という感じだ。『Transview』誌に無痛文明論エッセイが出た。

8月27日 ネット書店bk1で、『無痛文明論』の予約が始まった。とうとう始動するのだなあという感慨がある。送料無料なのでお得です。ぜひご利用を。bk1は、非常に好意的のようだ。新しい企画も進んでいるので、またお知らせします。

9月2日 池袋での講演会の日程が決定した。リブロ池袋店の提供で、西武池袋コミュニティカレッジで開かれます(下記参照)。有料とのことなので、なにか余興を準備しますね(^^;)。出版と同時だし、華やかな一日になりそうです。リブロ池袋店では「無痛化する現代文明」というフェアを人文コーナーでやるみたいですよ(9/20-10/15)。

9月2日その2 bk1で、「無痛文明論」連続講義という連載が始まりました。9月から10月にかけて、定期的にアップしていきます。本文の一部もお見せする予定です。bk1さん、力を入れてくれてます。みなさんも予約して買ってあげよう。

9月5日 bk1に続いて、アマゾン書店でも先行予約が始まったようだ。ネット書店、がんばっているみたいですね。

9月13日 無痛文明論のチラシが書店に置かれはじめているようだ。いよいよ、書籍の見本が出来上がってくる。この緊迫感は、いいなあ。「無痛文明」という言葉は、けっこうキャッチーなようで、すでにあちこちで引用されたり、利用されたりしている。もし本書が話題になったら、「無痛化する若者たち」とか「無痛社会を生きる」とかいうタイトルの本が将来出てきたりするのかなと思ったりする。(「生命学」は、ここ10年のあいだに、本のタイトルや、大学の講座名にもなってるみたいですよ)。

9月17日 とうとう無痛文明論の見本が出来上がった。写真をアップしましたのでご覧ください。インパクトがあってとてもよい装丁だと思います。これが10月に店頭に並ぶんですね。うれしいなあ。表紙は、微妙に修正されたみたいですね。ずっしりと重いですよ。3800円はリーズナブルかも。気がついたら、bk1の無痛文明論講義・第2回がアップされてます。

9月22日 送られてきた「無痛文明論」見本を、何度もパラパラとめくってみたり、装丁を眺めたりしている。とうとう完成したなあという充実感と、終わっちゃったなあという空白感がともにある。これから、講演やインタビューやらが控えているから、もうひとふんばりしなくては。心はもう次回作に行っているんだが・・・。

9月24日 「無痛文明論」がいつどこの書店に並ぶのか、ネット書店からはいつ送られてくるのかというのは、なかなか予測するのがむずかしい問題らしい。私の新刊は、刊行後の数日間くらい、書店に出てはさっと売り切れてしまうこともあるから、大手書店に行けばかならずあるということにもならんのだ。(発売を首を長くして待っている濃いファンが多いということなので、うれしいことなのだが)。発売直後は、みなさんには、いらいらさせることになるとかもしれませんが、なにとぞ辛抱して探したり、待ったりしてくださいませm(_ _)m。それと、下記の9月27日の講演会は、まだ席がたっぷりあるそうなので(TT)、ぜひどうぞ。

9月30日 小手指の講演会は無事終了。たくさん集まってくださって、ありがとうございました。私としては話が大きくなりすぎたかなという反省がありますが、どうだったんでしょうか・・・。しかし、無痛文明論の話をするのは、精神的にかなり疲れる。池袋の講演会では、また違った話をしようと思ってます。それと池袋リブロ書店、ジュンク堂で先行発売が始まりました。こっそりと見に行ったら、リブロで私の目の前で購入してくださった人を発見。感謝感激です。

10月2日 とうとう書店配本が始まったようだ。大都市で10月3日という情報が入ってきた直後、京都のジュンク堂と丸善で平積みされているのが投稿者によって確認。これから各地の本屋さんに並んでいくのだと思います。みなさんおっしゃいますが、想像よりも、でかいですよこの本は。各地の目撃情報は、書籍掲示板までよろしく。あと、京都の講演会も決定したので、下を↓見てください。

10月9日 都市部の書店に平積みが始まりました。でもまだ並んでない大書店もあるようなので、配備情報をご確認のうえ、見に行ってみてください。ネット書店での購入もお手軽で好評ですよ。高い本なのに、目立つところに平積みしてくれてる本屋さんには、ほんと感謝したいです!

10月10日 朝日・読売は10月12日(日)読書面に広告、日経は10月19日(日)2面に広告、が決定したようです。毎日も来週末か再来週末。池田晶子さんの「14歳からの哲学」と一緒の広告とのことですが、さて、どんなものが出るのか、楽しみですね。

10月24日 発売後、約20日経過。そろそろ、買ってくれた方々も読み終える頃なのか?それとも(私も多くの場合そうであるように)あとでじっくり読もうと思っているのか? 反響もメールや掲示板でいろいろ帰ってくるようになった。ウェブでも、コメントなどが出始めている。いろんな反応があって、楽しい。これから12月にかけて徐々に新聞・雑誌などの書評が出てくることだろう。さて、どういうことになるのかな。もしどこかで書評などを見つけたら、掲示板で教えてください。よろしく。bk1アマゾンでは、書評をいつでも受け付けているようですよ。

11月9日 やっと昨日で一連の無痛文明論講演会シリーズが終わった。来てくださったみなさま、ありがとうございました。どの会も、違った内容でしゃべったから、なかなかしんどかったけど。所沢は全体像、リブロは朗読などもあり、京都はちょっと学術的といった感じ。さて、そろそろ新聞書評が出始めるころではないかと思います。みなさんも、雑誌などで目撃されたら、ぜひ教えてください。よろしく。

11月18日 11月9日、16日と、新聞書評がまとめて出始めました。手応えのある書評ばかりで、とてもうれしいです。これで、声を届けるべき人々に、この本の存在は認知されたのではないでしょうか。肩の荷が降りたような感じがします。書店も引き続き、平積みにしてくれているようで、これまたうれしい。本を出してよかったと思う。

11月26日 新聞書評のおかげもあって、重版が決まりました。刊行後2カ月目で重版なので、良いペースだと思います。12月1日には第2刷りが店頭に並びはじめます。重版が決まって、著者の責任も果たせ、ほっとしてます。雑誌インタビューなども来はじめました。掲載などが決定しましたら、またここや日記などでお知らせします。12月はじめに刊行されるのは、雑誌『人間会議』のエッセイ、『第3文明』のインタビュー、『中央公論』新年号での対談とかです。

12月15日 新聞広告がまた出たようです。上記3雑誌発売になってます。『中央公論』は超好意的、『人間会議』はハンス・ヨナス、リチャード・ローティーと並んで3人の哲学者として紹介されているのには驚き(聞いてなかった)。今後、『SAPIO』にインタビューが載る予定です。あと新聞にエッセイを書く予定なので正月前後に載るかも(これからあせって書きます)。あとNHKテレビ東海ローカルで1月27日・2月3日にちょこっと話す予定。

12月23日 「無痛文明論」の3刷りが書店に並ぶ頃です。3刷りは千部刷ったのですが、カバー下の厚紙の表紙の紙が品切れになっていて、3刷りだけ本体の表紙の色が微妙に違います。3刷りだけの処置らしいので、これは稀覯本になるかもしれませんよ。画像をアップしようと思ったが、スキャナーでは違いが読みとれない。NHKテレビ東海の収録をしてきました。放映は上記の11:05-12:00のあいだのどこかで8分間ずつです。放映地域は、愛知、岐阜、三重らしい。興味ある方は、その地域の知り合いに頼もう。

12月24日 1月に新聞にエッセイが載る予定です。『読売新聞』1月5日夕刊予定、『産経新聞』1月10日夕刊予定、『聖教新聞』1月1日予定。ずれる可能性もあり。

12月29日 「読売新聞」への広告が載るらしいです。名古屋以東は明日30日、 以西はあさって31日とのこと。ということで、みなさんよいお年を!

2月23日 そういえば、「ブッククラブ回」のニューズレターに、私へのインタビューが載りました。よくまとまっています。

 

7 講演会情報

9月27日(土)午後2:00~4:00 東京地方 終了

 森岡正博「無痛化する現代社会と若者たち」(県立所沢西高校PTA主催)

10月5日(日)午後4:00~5:30 東京地方 終了

 森岡正博「〈無痛文明〉を語る」 (リブロ)

11月8日(土)午後4:30~6:30 関西地方 終了

 森岡正博「<無痛文明>を語る・あるいは「無痛文明論」後を語る」(大垣書店)

3月13日(土)午後2:30~5:00 関西大学法学研究所 終了

 森岡正博「「無痛文明」の時代を考える」

講演会をレポートしてくれたページ

・所沢西高校の講演会:Masterみっしぇるさん(9月27日のところ)
・所沢西高校の講演会:本間篤さん(11月11日)
・池袋の講演会:Tatsumi Yusukeさん(10月4日のところ)
・池袋の講演会:天目太郎さん 10月5日
・神戸女学院での非常勤授業:学生相談室さん
・京都の講演会:佐伯良羽 & 石田智秀さん (11月8日のところ)

 

8 書評・批評など

<書評・批評・コメント>

*まったく不完全なリストです。ご存じの情報がありましたら、教えてください。

・ネット 正岡豊さん 2004年12月15日
・ネット おやじ亭さん 2004年10月20日
・ネット enteeさん 2004年9月29日
・ネット Palの独り言さん 2004年7月24日~
・ネット kuriyamakoujiさん 2004年7月19日
・ネット tehanuさん 2004年7月18日
・ネット さん 2004年7月15日
・ネット 若尾裕さん 2004年6月
・ネット 森池豊武さん(高塚門扉) 2004年春
・ネット Palさん 2004年5月4日
・『おおさかの住民と自治』305号 2004年5月
・ネット qssoさん 2004年4月29日
・ネット オカモトさん 2004年4月28日
・ネット 和合亮一さん 2004年4月
・ネット Jackalopeさん 2004年4月11日
・ネット Area46さん 2004年4月11日
・『神戸新聞』4月6日文化欄 2004年4月6日
・ネット おばさん大学院生さん 2004年4月5日・6日
・ネット トウヤさん 2004年3月29日
・ネット きいのさん 2004年3月13日
・ネット 片山恭一さん 2004年3月12日
・ネット 外務省文化交流部長さん 2004年3月9日
・ネット 書斎人ダビドフさん 2004年3月?
・ネット 横岩太平さん 2004年3月?
・ネット 桐田真輔さん 2004年3月6日
・ネット izumiさん 2004年3月3日
・ネット 読売入試必勝講座 2004年3月1日
・ネット 駄弁者さん 2004年2月
・ネット こたへあさん 2004年2月29日
・ネット anhedoniaさん 2004年2月28日
・ネット ??さん 2004年2月27日
・ネット neoappleteaさん 2004年2月26日
・ネット eireneさん 2004年2月25日
・ESBooks エイケイさん 2004年2月23日
・ネット 朝戸臣統さん 2004年2月22日
・ネット 古賀郁さん 2004年2月20日
・ネット Papa's blogさん 2004年2月19日
・ネット 佐々木さん 2004年2月18日
・ネット saroma-sanさん 2004年2月17日
・ネット chaichaiさん 2004年2月17日
・ネット Minさん 2004年2月11日
・ネット dokushaさん 2004年2月9日
・ネット eireneさん 2004年2月7日
・ネット 若林盛亮さん 2004年2月5日
・ネット 鉄朗21さん 2004年2月5日
・ネット ぶんまおさん 2004年2月1日
・ネット 中原紀生さん 2004年1月31日
・ネット Rossete Antiquesさん 2004年1月30日
・ネット 古屋範子さん 2004年1月29日
・ネット 書斎人ダビドフさん 2004年1月29日
・Amazon 匿名さん 2004年1月27日
・ネット 夢幻国住人さん 2004年1月26日
・『サングラハ』73号(p.36-47) 「現代文明の行方-無痛文明論に学ぶ」大野純一さん 2004年1月25日 
・ネット bearvalleyさん 2004年1月25日
・ネット 百合子さん 2004年1月25日
・ネット 松山龍彦さん 2004年1月24日
・ネット equalさん 2004年1月24日
・ネット リバイバル新聞さん 2004年1月18日
・ネット 晴美さん 2004年1月18日
・ネット BENさん 2004年1月17日
・ネット こくぶ育児ネットさん 2004年1月16日
・ネット ブックナビ さん 2004年1月14日
・『毎日新聞』1月12日朝刊 「発信箱」欄 高橋豊さん 2004年1月12日
・『図書新聞』1月17日号 林真理さん 2004年1月10日
・ネット 会田玲二さん 2004年1月9日
・ネット sign225@yahoo.co.jpさん 2004年1月9日
・『週刊読書人』1月16日号 金子務さん 2004年1月7日
・ネット LINAさん 2004年1月5日
・ネット ちろりんさん 2004年1月6日
・Amazon fujikofujioさん 2003年12月31日
・ネット 松山龍彦さん 2003年12月28日の項(1月5日の項も)
・『TOPPOINT』2004年1月号 p.3-6. 2003年12月27日
・『図書新聞』(03年下半期読書アンケート) 古賀徹さん 2003年12月24日
・『SAPIO』1月7日号 書想インタビュー 2003年12月24日
・ネット ほぼ日刊イトイニュースさん 2003年12月21日
・ネット マツモトミネラルさん 2003年12月16日
・『デザインニュース』No.264 祐成保志さん 2003年12月15日頃
・ネット 若田泰さん 2003年12月12日
・ネット McGrawさん 2003年12月6日
・ネット shanahanさん 2003年12月5日
・ネット すくすくママ 2003年12月頃
・『中央公論』1月号対談:無痛文明に負けるな!「身体の欲望」を「生命の欲望」に変えよ(聞き手:重松清さん)
・『第3文明』1月号「新しい自分の創造--「無痛文明」批判序説」 2003年12月
・『人間会議』冬号「無痛文明という悪夢」からの脱出 2003年12月
・ネット さいとうゆうさん 2003年12月5日
・ネット はまごろうさん 2003年12月4日
・ネット 野辺公一さん 2003年11月29日
・『聖教新聞』「生き方の見直し迫る現代文明批判」 硝さん 2003年11月26日
・『産経新聞』「苦痛を避ける文明の先行き」 宇野邦一さん 2003年11月24日
・ネット Maoさん 2003年11月24日
・ネット コマツバラオリカさん 2003年11月21日
・ネット HALさん 2003年11月19日
・Amazon rockrockさん 2003年11月17日
・ネット ホールアース自然学校さん 2003年11月17日(10月12日にも)
・『朝日新聞』「管理とせめぎあう生命の「よろこび」」宮崎哲弥さん 2003年11月16日
・ネット nostalgieさん 2003年11月15日
『Book Club Kai Newsletter』winter2003vol.54 2003年11月12日
・『日経新聞』「現代社会のユニークな解析」村上陽一郎さん 2003年11月9日
・『東京新聞』「〈自己家畜化〉からの脱却」山下悦子さん 2003年11月9日
・『高知新聞』など(共同通信配信)「悔いなく生き切るために」鬼頭秀一さん 2003年11月9日
・ネット 池和芳さん 2003年11月8日?頃
・ネット 芳野香さん 2003年10月27日
・bk1 ソネアキラさん 2003年10月27日
・Amazon エーコさん 2003年10月25日
・bk1 野崎泰伸さん 2003年10月23日
・bk1 おしょうさん 2003年10月22日
・bk1 栗山光司さん 2003年10月20日
・ネット AJI's roomさん 2003年10月16日頃
・bk1 ちゅう子さん 2003年10月15日
・ネット たーぼーさん 2003年10月14日頃
・ネット(言及) フォスカさん 2003年10月13日
・ネット 島田洋輔さん 2003年10月13日
・ネット 佐伯良羽 & 石田智秀さん 2003年10月5日(13日、14日にもあり)
・esbooks まこにゃん店長さん 2003年10月4日  
・ネット 島田裕巳さん 2003年10月1日


<森岡へのインタビュー記事>
Masterみっしぇるさん(10月18日)

情報をお寄せください!(メールor掲示板)


 



 

 



 

質問9の全文

1、最初サンプルを拝見した際に、映画の『マトリックス』が頭をよぎりました。いまや社会全体に網の目のように自己増殖化する資本主義に対して、その自己治癒し自己増殖する<装置>に対して、われわれが抗する手段は既に「仕組まれている」ものである可能性というのを最終章で森岡先生は暗に示しておられましたが、何か簡潔な<解決策>などは存在せず、地道に一つ一つ「脱構築」とでもいうべく(第4章で先生は「解体」とおっしゃっていましたが)、対処していく-その場その場でその<装置>に気がついた際に抗していくことが究極的な答えということでしょうか?
2、第六章の「自然」についてです。U.ベックは'Ecological Politics in an Age of Risk'Cambrifge:Polity Press,1995、において、われわれが「自然」について考える時に、その時点で既に世界には、われわれが想定するような「自然」などほとんど想定していない、ということを技術発展による自然の変容から説いています。そして同様に、森岡先生の著作の第六章における「人為により管理されている自然」というものを否定した際に、ディープエコロジーの思想そのものが根底から否定されるような感を受けましたが、無痛文明を突き動かす<装置>が姿をあらわさず、一方でディープエコロジーはその<装置>を強化しているのでしょうか?もしくは、環境倫理が、この無痛文明論に抗することへの可能性は残されているのでしょうか?
3、「無痛文明」を否定(?)することは、「医療」という発想・思想そのものを否定することになるでしょうか?
4、質問8とも重なる部分だと思いますが、また「無痛文明」が進行すれば、医療の現場に於いて、現在半ば「異常」とみなされているようなクィア(変態)やホモセクシャルなどの子供を産むことが、「事前に」抑圧されてしまうと思うのですが、そのような「正常」と「異常」の線引きを新たに提示する思想の契機などは現在あるのでしょうか?
5、「無痛文明」に対しての<解決策>として、森岡先生は「生命の欲望」への「転轍」という言葉を用いていますが、ニーチェの「超人」のようにわれわれ一人一人がその「身体の欲望」から逃れることが(というよりかも「方向を変えることが」)できるような「強い個人」になることには、ある種宗教的な「信仰」ともいうべきものが必要ではないかという疑問があるのですが、これを合理的に人々に説くことができるでしょうか?

2021/02/19

Amazon.co.jp: 生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想: 森岡 正博: 本

Amazon.co.jp: 生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想: 森岡 正博: 本

生命学をひらく 自分と向きあう「いのち」の思想 (Japanese) Tankobon Softcover – July 10, 2005
by 森岡 正博  (著)
4.1 out of 5 stars    4 ratings
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Tankobon Softcover
¥253 
27 Used from ¥116

脳死臓器移植、出生前診断などをめぐり従来の生命倫理に抗して全く新しく展開してきた、森岡生命学。
その全体像とエッセンスが誰にもよく判る講義集。自分を棚上げにした思想や、旧来の学問の枠組みを打ち破る森岡正博の魅力が全開する、本物の「知の教科書」

Product description
著者からのコメント
とりあえず本書を読んでみて欲しい 森岡正博
「いのち」と「こころ」の問題を、新しい角度から、できるだけわかりやすく語ってみたい。そういう思いから、この本『生命学をひらく』は生まれました。
 
死にゆく人の看護について、親子の愛情について、生まれてくるいのちの選択について、「ひきこもり」について、気持ちよさを求めて突き進んでいく現代社会の姿について、私がいま考えていることを全力で語ってみました。「生命学」とは、それらの問題について、けっして自分自身を棚上げにせずに考えていくやり方のことです。まだ聞き慣れない言葉だと思いますが、このような発想が、これからますます必要になってくるはずです。
 
この本は、ここ一〇年のあいだの講演記録をもとに、編集しなおしたものです。
 
第一章は、名古屋の予備校で、看護師さんをめざす生徒さんたちを前にして、死にゆく人の「いのち」とどう関わるかについてしゃべったものです。これからの福祉社会を担っていく若い人たちに、ぜひ聞いてほしいと思って、語りました。私が読者のみなさんに伝えたいことは、ここに凝縮されています。
 
第二章は、東京の大学で、「条件付きの愛」と「無条件の愛」についてしゃべったときのものです。愛という名のもとに、私たちは大切な人の人生を縛っているのではないか、というようなことを考えてみました。
 
第三章は、大阪の大学で、母親的な愛情からどうやって抜け出せばいいのか、共感はほんとうに可能なのかということについてしゃべったものです。これには、その後、多くの反響がありました。同じような悩みをかかえている人が多いことを痛感しました。
 
第四章は、京都の医師の集まりで、無痛文明について講演したものです。科学技術は我々を幸せにするのかという大問題について考えてみました。
 
第五章は、東京の「ひきこもり」についての会で講演したときの記録です。私自身の体験や、失敗談などを交えながら、人と人のコミュニケーションについて考えてみました。「ひきこもり」とは、無痛化する社会に対する無言の抵抗かもしれないと強く思いました。
 
第六章は、東京の生命科学の研究所で、なぜ「生命学」が必要かについてしゃべったものです。これをお読みになれば、どうして私が生命倫理学をやめて、生命学に移ってきたのかがよくわかると思います。
 
第七章は、北陸のお寺で話したときのものです。脳死の人を死んでいると思えない人がいるのはなぜなのか、中絶をどういうふうにとらえればいいのか、などについて考えました。
 
第八章は、東京の大学でしゃべったときのもので、日本の生命倫理の流れを解説しながら、一九七〇年代に女性と障害者たちが訴えてきたことの重要性についてしゃべってみました。「自己否定」から「自己肯定」へ、というそのテーマは、いまなお生命学を貫く大きな主題なのです。
 
最終章では、生命学のこれからの展望について述べてみました。
 以前からよく言われるのですが、私の書いたものはなんだか繰り返しが多くて読みにくいが、私が講演でしゃべったものは、簡潔で、まったく別人のようにわかりやすいとのことです。この本は、その講演をもとにしたものですから、きっと読者のみなさんもリラックスして読んでいただけることでしょう。また、授業や学習会で「いのち」と「こころ」の問題を考えていくときの、テキストブックとしても使えるかもしれません。

 この本で私が語ったテーマについて、もっとくわしく知りたい方は、ぜひ『無痛文明論』(トランスビュー 二〇〇三年)と『生命学に何ができるか』(勁草書房 二〇〇一年)を読んでみてください。この本では触れることのできなかった私の考え方が、述べられています。また、その二冊をすでに読んでおられる方は、そこで語られたテーマを別の角度から切り取ったらどうなるかという視点で、本書をお読みいただけると、また別の楽しみを味わえるのではないかと思います。

内容(「BOOK」データベースより)
いのちって何だ!終末期医療、遺伝子操作からひきこもり、無痛文明論まで、自分を棚上げにすることなく「いのち」の問題を探求する。森岡〈生命学〉の冒険、決定版入門書。
著者について
1958年、高知県生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。研究テーマは、生命学・哲学・科学論。従来の人文学の枠組みを大胆に改変し領域を押し広げ、自らを棚上げすることなく思考を展開した著作は一作ごとに大きな反響を呼んでいる
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森岡/正博
1958年生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得(倫理学)。大阪府立大学人間社会学部教授。研究テーマは、生命学・哲学・科学論。従来の客観的な学問の枠組を超えて、自らを棚上げすることなく果敢かつオリジナルな思索を展開、人文学の領域を大きく押し広げる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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Product Details
Publisher : トランスビュー (July 10, 2005)
Publication date : July 10, 2005
Language : Japanese
Tankobon Softcover : 194 pages
lonesome-cowboy
5.0 out of 5 stars いまここに生きる私を問う
Reviewed in Japan on July 5, 2005
Verified Purchase
「いのち」を巡る問いに正解は存在しない。一人一人が自分の経験を通して、一生考え続け、その瞬間瞬間に自分だけの答えを示してゆくことしかできない。それは決して楽な作業ではない。著者は言う。人はハッピーなときは、あまり学ばない。人は大事なことをずたずたになりながら学ぶんだ、と。今、私はまさに、生や死の問題に思い悩み、自分の存在の意味を模索し続けている状態だ。本書を読み、私は、苦しみに満ちた今の日々を「いのち」の思索に捧げようと決意した。著者の提唱する「生命学」は、私の人生そのものかもしれないとさえ感じた。

「いのち」の思想は他人事ではない。常にそれは自分自身の問題として現れる。更に言えば、他人の「いのち」は語ることができないし、語ってはならない。わからないことはわからないとはっきり言うしかない。そして、そこで開き直ってしまうのではなく、必死になって踏ん張らなければならない。脳死、引きこもり、人工妊娠中絶、フェミニズム、…正直、私はこれらの問題に関して、何が本当に正しいのかよくわからない。だが、そうして「わからない、でも何かがおかしい」とはっきり直観するところから「生命学」はスタートする。それらの問題をどれだけ自分のもとに引き寄せ、自分の言葉で語ることができるか、それが何より重要なのだ。

本書は、著者の講演をまとめたものである。著者の代表作『生命学に何ができるか』『無痛文明論』のエッセンスを取り込みながら、それらの著作においては触れられなかったことにも言及されていて大変興味深い。また、「生命学とは何か?」という素朴な疑問に対しても、著者による現時点での回答がわかりやすく提示されている。
  
本書を読んで私は救われた。と同時にどう生きてゆけばいいのか、ますますわからなくなった。この2つの感情は互いに矛盾している。しかし、そのどちらも私にとっては紛れもない真実なのである。
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小谷野敦
1.0 out of 5 stars 学者失格
Reviewed in Japan on June 16, 2007
 森岡正博は、「条件付きの愛」はいかんと言う。それは元来、出生前診断によって、障害があると分かった胎児を中絶するかどうかという問題であった。そういう具体事例は具体事例にとどめおくべきである。しかし森岡を含むダメ学者は、それを一般化しようとして、果てはそれを男女間の恋愛にまで当てはめる。そして、男女間では相手を選んでいるのだから、条件抜きの愛などありえないだろうと私が批判すると、「始めは条件付きでも、次第に条件抜きになっていくのだ」とわけの分からないことを言う(『無痛文明論』)。本書は講演集だが、どこを見ても中途半端、ただこの手の問題を持ち出して、さあ考えましょう、である。こういうのは「学問」ではない。森岡は即刻学者をやめて、伝道家にでもなるがいいのである。
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Amazonカスタマー
1.0 out of 5 stars レビュー
Reviewed in Japan on August 14, 2017
いのちというものに対する著者の無責任な見解の数々

わたしは呆れ果ててしまうのでした
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無痛文明論: 森岡 正博 [생명학 제창자] 모리오카 마사히로, 무통문명 - 고통 없는 문명

Amazon.co.jp: 無痛文明論: 森岡 正博: 本




森岡 正博
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快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明。その流れのなかに、われわれはどうしようもなく飲み込まれ、快と引き替えに「生きる意味」を見失い、死につつ生きる化石の生を送るしかなくなるのではないだろうか・・・。
現代文明と人間の欲望をとことんまで突き詰めて描いた超問題作!


無痛文明論 (Japanese) Tankobon Hardcover – October 16, 2003
by 森岡 正博 (著)
3.5 out of 5 stars 19 ratings

Product description

内容(「BOOK」データベースより)
一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、愛と性、教育、自然、誕生と死、資本主義などの領域にわたってダイナミックに論じ、現代思想の新たな領域を切り拓いた、森岡“生命学”の代表作。
内容(「MARC」データベースより)
快を求め、苦を避ける現代文明が行き着く先の悪夢-「無痛文明」。一度手に入れたものは決して放すまいとする「身体の欲望」が、回生する「生命のよろこび」を食い尽くす過程を、様々な領域にわたってダイナミックに論じる。


レビュー
現代社会は、いま、「無痛文明」とういう病理にのみ込まれようとしているのではないだろうか。快にまみれた不安のなかで、よろこびを見失った反復の中で、どこまで行っても出口のない迷路の中で、それでもなお人生を悔いなく生き切りたいと心のどこかでおもっている人々に、私はこの本を届けたいと思う。
第一章から第六章までは、一九九八年から二〇〇〇年まで雑誌に掲載されたものを、原型をとどめないくらい書き直したものである。この連載は、思想に関心を持つ人々のあいだで大きな反響を呼んだ。
その後、結論部分に当たる第七章と第八章を、本書のために書き下ろした。第八章において、「無痛文明」の秘密が、最終的に解き明かされる。
現代社会のなかで、真綿に包まれるような漠然とした不安を覚えるとき、われわれは直感的に「無痛文明」の存在を感じ取っているのかもしれない。この本は、読者が一度は感じたことのあるあろうそのような感覚に、言葉を与えようとする試みなのである。(「はじめに」より) --本書「はじめに」より
著者について
1958年生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。研究テーマは哲学・生命学・科学論。新しい総合的な人間学である「生命学」を提唱し、日本で最も大きな注目を浴びる思想家の一人である。
著書に、脳死問題を独自の視点で論じて世界的な反響を巻き起こした『脳死の人』、新しいジャンルである生命学を提起、発展させた『生命学への招待』『生命学に何ができるか』、インターネット社会の到来とその問題点を世界に先がけて論じた『意識通信』、オウム真理教事件を自己の思想遍歴と重ね合わせて考察した『宗教なき時代を生きるために』など、社会に衝撃を与えた多くの著作がある。
AUTHCOMMENTS: 『無痛文明論』が、とうとう2003年10月にトランスビュー社から刊行される。雑誌の連載をはじめたのが1998年だったから、もう五年間も書き続けてきたことになる。私がいままで書いた本のなかで、これが最高だと思う。期待と不安感で胸がいっぱいだ。
人々の寿命が延び、ものが溢れる社会になったのに、どうして人々は顔を輝かせて生きていないのか。その背景には、物質的な豊かさとひきかえに、われわれから「よろこび」をシステマティックに奪っていく文明の仕組みがあるのではないか。
私は、子どもの暴力や、新宗教に惹かれる人間の心理などを例にとって、「無痛文明」へと呑み込まれてゆく現代人の姿に迫った。その迫り方が、あまりにも常軌を逸していたために、雑誌連載時から大きな反響を呼び、インターネットを巻き込んだ賛否両論の嵐となった。自分でも、ここまで書いていいのだろうかと何度も思い悩むことがあった。連載を終えてから、全体を二度書き直し、長大な二つの章を、さらに書き下ろした。 私は、この本によって、現代思想の可能性を一歩進めることができたと思う。『無痛文明論』は、日本よりも、海外での反響のほうが大きいかもしれない。思索とは、文体をも含めた一個の実験であるということを、この本を書きながら実感した。
「無痛文明」とは、苦しみとつらさのない文明のことである。たとえ苦しみやつらさがあったとしても、そこからどこまでも目をそらしてゆく仕組みが、社会のすみずみにまで張りめぐらされている文明のことである。われわれは、そこで快適さや快楽を得るが、それとひきかえに、「よろこび」を奪われ、自分を内側から破って自己変容する可能性を閉ざされてゆく。その先にあるものは、何か。それは、快楽と眠りに満ちた、生きながらの死の世界だ。すべての人々が表面上はにこにこ笑いながらも、心の奥底では絶望して、かつその絶望からも用意周到に目をそらし続けていくような世界だ。
『無痛文明論』は、この悪夢のような世界をどこまでも描き込んだ。自傷行為にはしる子どもたち、空虚な快楽ゲームにはまる大人たち、管理化される自然環境などの向こう側に、われわれは「無痛文明」の姿を感じ取ることができる。
「無痛化」を引き起こす原動力は、われわれ自身の内部にひそむ「


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森岡/正博
1958年、高知県生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得(倫理学)。現在、大阪府立大学総合科学部教授。研究テーマは、生命学・哲学・科学論。従来の人文学の枠組みを大胆に改変し領域を押し広げ、その著作は一作ごとに大きな反響を呼んでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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Product Details

Publisher : トランスビュー (October 16, 2003)
Publication date : October 16, 2003
Language : Japanese
Tankobon Hardcover : 451 pages
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Customer Reviews:
3.5 out of 5 stars 19 ratings

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nacamici

TOP 500 REVIEWER
4.0 out of 5 stars ある種の奇書。オリジナルの強さ。Reviewed in Japan on July 7, 2020
Verified Purchase
ひょっとしたら10年くらい積読していた本。コロナ自粛生活が長引いたせいだろうか、思わず読んだ。見かけの重厚さに反してさくさく読める。ということはある程度ここに書かれていることへの関心、共感、理解はあるのだと思うが、一方でざらざらとした違和感も感じる本だった。新興宗教の教義って読んだことはないがこういう感じではないのかな。まさに著者自身が「私はこの本で、無痛文明論という名の、宗教の道を通らない宗教哲学を書いているのかもしれない」と述べている。

読みながら、ニーチェ、三島由紀夫、石原莞爾といった名前が思い浮かんだ。こうした人たちは著者が言うところの、無痛奔流と戦う兵士たちである。その戦いのイメージは『ファイト・クラブ』だ。悠々自適の隠居生活を最初から目指すような価値観が無痛文明であり、そのような家畜化された人生を真っ向から否定し、生命の欲望にどこまでも素直に生きていくために絶えず自己解体し、ときに他人を犠牲にしながらもひりひりするような毎日を送ろうではないか、というのが本書の呼びかけである。与えられた欲望を充足させるためだけの予定調和の人生を送れるように、現代の社会は「すべてを予測の大枠の内側に収めるように制御したうえで、しかしその内側には無数のハプニングを仕掛ける」という「二重管理構造」によってコントロールされているという著者の見立てには腑に落ちるところがある。北欧の環境運動に熱心な少女活動家などは飛行機はCO2を出すからヨットで移動するというあたり絵にかいたような二重管理構造の住人である。

この無痛文明論は著者個人の死への恐怖を克服しようとする過程で生まれてきた思想である。それゆえ第7章「私の死」と無痛文明の章は切実で読み応えがあった。「私とは、私を支えるすべてのものを、私の限界ある生を通して、私ではない何かに向かって伝えていく主体」であり、「私の限界を超えて何かを伝えるために、私の限界を生き尽くす」ことが「生ききる」ということだという境地に著者はたどりつく。この部分にはたしかに救いを感じた。

しかしながら、人類が苦労してたどりついたところの「無痛文明」になぜあえて戦いを挑まなくてはならないのか、その説明が不十分というか、かなりの飛躍がある。いきなり「無痛奔流と戦う戦士よ」と呼びかけられても「えっ、私のことですか」と構えてしまう。こういう反応についても著者はあらかじめ予防線を張っており、「本書を閉じてお茶でもすすりながら『いい文章を読んだ』などと悦に入ったり、『面白い哲学者が出てきた』などとただ賞賛している、そんなところまで無痛化の進んだ存在が、読者よ、あなたなのかもしれないのだ」と真上から挑発してくる。

もうひとつ咀嚼できなかったのは「捕食」という概念だ。他者を犠牲にしてでも自分を生ききるという文脈で出てくるが、「みずからの中心軸を生ききるために、捕食する側は能動的に奪い取り、捕食される側は受動的に奪い取られる。捕食の要望は、このとき双方において十全に満たされる」などという話は論理的にも直観的にも受け入れられない。捕食する側は自覚的であれというところはわかる。毎日他の動植物の命を犠牲にせずには生きられないのが人間というかたちの命である。しかしこれは実質的には捕食する側だけを正当化するこじつけではないのか。

他にも突っ込みどころ満載の本だが、二次情報の単なるまとめに終わらないオリジナルな思想の生みだされる過程に立ち会っているような異様な生々しさに興奮を覚えた。コロナというものを世界が経験するなかで無痛文明的なものが目に見えるかたちで立ち上がった。ソーシャルディスタンスやマスク、ロックダウンや次週など、人を隔てる規範や手段がまたたくまに世界中にひろがり、おおむね受け入れられているというこの背景には、無痛文明の浸透があるといっても間違いではないだろう。

問題はここから出たいという意思があるかどうか。無痛文明に至った社会の人はそれに抗う兵士として自ら立ち上がるかもしれないが、そこまで至らない、決意などなくてもひりひりとした死と手をたずさえた毎日を送っている人間、つまり無痛奔流と戦う戦士が目指すところにすでにいる人間は、逆に無痛文明を目指すのかもしれない。

テクノロジーによって管理された自然という「二重管理構造」という見方にはひとまず納得させられるとしても、宇宙的な規模でみればその二重管理構造などほとんど意味がないものであり、わざわざ戦わずとも宇宙あるいは自然のほうがわれわれを処理し、宇宙がただなくなるその日まで続いていくだけのような気もするのだけれどもどうなんだろう。

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sora

4.0 out of 5 stars 20代の僕は「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求めた。そして辿り着いた本が本書『無痛文明論』だった。Reviewed in Japan on May 13, 2020
Verified Purchase
本書において、著者は現代社会が無痛文明へと向かう現状を危惧している。
無痛奔流に飲まれることで、我々は「生命のよろこび」を失い、家畜の如く "死につつ生きる” 人生を歩むことになるのだという。

20代があと数年で終わろうとしている僕は、人生を振り返り、改めて「幸福とは何だろうか?」と疑問を持った。
努力して努力して努力して何かを掴み取ることだろうか。
欲を捨て、現状に満足し、日常に溢れた小さな出来事に喜びを見出すことだろうか。
ネガティブ思考を捨て、ポジティブ思考の癖をつけることだろうか。

しかし、どれもすっきりしない。

中島義道は、著書『不幸論』で「本当の幸福などは存在しない」と断言し、「自らを幸福だと言う人間は真実から目をそむけているだけだ」と言い切った。
哲学者カントは、自分自身に誠実であることを、幸福であることよりはるかに重要なことと見なしたという。
関連して、マコなり社長(真子就有氏)は動画『結婚式は行かなくていい』で、幸福の定義を
「いかに自分の信念を貫いて生きたか、自分の心に嘘をつかなかったか」とした。
なるほど、「自らを幸福だという人間」は無痛奔流に飲み込まれた人間と言え、
「自分の信念を貫く」ことを選んだ人間は、無痛奔流からの脱出を決意した人間と見ることもできるのではないか。

岡本太郎は著書『自分の中に毒を持て』で、
「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」
と言った。
まさに、これは『無痛文明論』で言うところの
「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る、ということではなかろうか。

これらの本を読んで、僕は「生きがい」と「安楽」はトレードオフの関係にあると考えた。
「安楽」を選択すれば「生きがい」を失うという意味で幸福にはなれず、
「生きがい」を選択すれば「安楽」を失うだろうし、その選択はある意味最もつらいことだろう。
生きるとは、自分自身の「不幸のかたち」を選ぶことなのかもしれない。

様々な書籍を読み、「幸福とは何か。生きるとはどういうことか。」を探し求め、さまよい続けた僕にとって、本書『無痛文明論』は、あらゆる書籍に対する統一的な見解を与えてくれた。
とはいえ、著者である森岡正博氏の主張の半分も理解できていない感じがするし、後半部分(6章と8章)はイマイチ掴めず、腑に落ちない点もいくつかある。
もう少し大人になったら読み直してみようと思う。

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ゆうさく

5.0 out of 5 stars 無痛文明で生き抜く術はReviewed in Japan on November 22, 2017
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 壮大で、痛快で、先鋭的な文明批判であるとともに、読んでいる側に内省と大きな気づきを促す本だと思う。451Pと分厚いけど、専門的な記述は特にないので哲学を知らなくても読めます。 
 森岡氏の本でいちばん好きな本を選べと言われたら、私はこれを選ぶかな。
 
 畜産化したシステムの中で快楽を求め、痛みを感じることや、自身のアイデンティティーが崩れた先にある本当のよろこびを感じれなくなった現代の文明と人々・・。常に欲望に付きまとわれる資本主義社会に生きて、悔いなく生きていくためにはどうすればいいのか・・。 
 「われわれに罠を仕掛けてくるものは、われわれひとりひとりのこころと身体の奥底にある、われわれ自身の無痛文明なのである。」(P95)、「文明は物質と社会制度のみでできているのではない。無痛化する現代文明の姿を的確にとらえるためには、物質や社会制度のみではなく、集合的なこころの次元の制度や、それが人間の集団行動に及ぼすダイナミクスについて深い解明を行わなければならない。(P118) 
 こうした調子で書かれる文体にいつしか引き込まれ、夢中になって読んでしまう。 
 
 森岡氏の本は、徹底的に自分自身の体験として突き詰めた上でエッセイのように猛烈に書き綴っているところに特徴がある。生命倫理、ジェンダー、フェミニズム、障害など言及する領域は広く、現代社会を見ていく上で看過できない問題を多く扱っている。 
 いまあげた分野では、人のいのちやスピリチュアリティの本質に関わるにも関わらず、どうも分析的になってしまっている節があるような気がする。 
 森岡氏のような、自分のことを棚に上げずに問題と向き合っていく姿勢は、周囲に否が応でも自分自身の態度を見つめ直させるような影響力を持っていると思う。


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goodmooning

TOP 500 REVIEWER
5.0 out of 5 stars ロマン主義 ~新宝島~Reviewed in Japan on April 24, 2020
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ゼロ地点から思想を練り上げて狼煙をあげていて好感がもてます。家畜化、無痛化の正反対として「魔の山」や「サバイバル登山家」があると感じた。それすらも簡単にファッションになってしまうが…。
後期近代の行きつく所まできたテーマを扱っていて引用も見事で仏教思想にも通じでおります。また無痛文明を創立していて大著でありものぐさ精神分析の読後感にも個人的には似ています。優生学なども担ぎ出されていて議論を奥深いものにしている。無痛文明との戦いは単独者の道で細々としていて険しい。拗らせた厨二病でもありラディカルでアナーキーにも陥る危険もある覚醒、オルタナティブな生き方を促す思想書兼自己啓発書であります。対象年齢は若い程、刺激を貰えて良いと思います。「攻殻機動隊」や「マトリックス」などにも通じる思想で橋渡し存在としてもベターだと感じました。安心毛布に包まっていたいタイプなので行動までに繋がるかはなかなか難しいです。

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Amazon カスタマー

5.0 out of 5 stars まだ読んでいます。Reviewed in Japan on January 2, 2018
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無痛文明、怖いですね。自分、あるいは自分たちの他愛ない不都合のために、
人を殺してもいい、という考え方ですね。しかも殺しても何の負担も
感じない、あるいは感じなくていい、とは恐ろしい。
このような心を隠して生きている現代人はどう思っているのでしょうか。
ただ、私は違う、と言い切る自信はありませんが。

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七海光一

3.0 out of 5 stars 言いたいことは分かるが、なぜか物足りないReviewed in Japan on February 11, 2007
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言いたいことはわかるが、読者の立場から、気になる点を指摘すると:1)抽象的な物言いの反復が非常に多く、表現もやや陳腐で凝縮力が感じられない。この量の半分でよかったのではないか;2)「中心軸を生ききる」「捕食」「生命の欲望」など、これでもかと何度も出てくるが、実際に具体的な象を結ばず、重みがない;3)これを言うのは反則かもしれないが、そこまで言うのなら、では、何故あなたは大学教授などという給料取りをやっているのか、と反問したくなる。これは一種の近代批判なのだろうけれど、「無痛文明」という現象を理論的に徹底的に問い詰める、というスタンスでもよかったのではないか。もっとも、そういうことは他の書物でやっているとは思うけれど。

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kohrinosekai

1.0 out of 5 stars ちょっと独りよがりに思えるReviewed in Japan on December 15, 2014
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人間は文明の家畜までは判る。そこから著者の言う無痛文明論への論理拡張は理解不能。
著者の独りよがりのように思えて、途中で投げ出した。

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무통문명 - 고통 없는 문명   
모리오카 마사히로 (지은이),조성윤,이창익 (옮긴이)모멘토2005-02-25
모리오카 마사히로
양장본420쪽

책소개

새로운 시각에서 자본주의 문명에 대한 문제를 제기하는 책. 지은이가 8년에 걸쳐 집필한 이 책은, 진지하고 아름다운 문체로 현대문명이 도달하는 악몽에 대한 자각과 자성을 촉구하고 있다. 동서양의 현대철학을 망라하여 사랑과 성, 교육, 자연, 탄생과 죽음, 자본주의 등의 영역을 상세하게 논의한다.

현대 자본주의 산업사회가 가는 길을 <무통문명>이라고 표현하며 신체의 욕망, 소유의 욕망의 결과인 무통문명과 대비되는 것으로 생명의 기쁨을 이야기한다. 

자본주의 문명이 신체의 욕망에 기초한 무통문명이 되고 있다고 지적하면서, 생명의 기쁨을 깨닫기 위해서는 고통을 견디며 생명을 소중히 여겨야 한다고 강조한다.


목차
제1장 고통 없는 문명이란 무엇인가
고통 없는 문명 / 스스로를 가축으로 만드는 사람들 / 신체의 욕망 / ‘생명의 기쁨’이란 무엇인가 / ‘무통문명’으로의 진화 / 무통문명 속의 인간 / 무통문명론 말하기

제2장 무통문명에서의 사랑의 조건
‘생명의 품질관리학’ 등장 / 선택적 중절과 조건부 사랑 / ‘조건 없는 사랑’이란 무엇인가 / 무통문명에서의 사랑 / 섹스와 자해행위 / 무통문명의 두 가지 전략

제3장 무통격류(無痛激流)
큰 소용돌이 속에서 / 칼은 누구를 향해 내미는 것일까 / 무통문명의 여러 가지 공격 형태 / ‘신체의 욕망’과 ‘생명력’의 싸움 / 자승자박의 세 가지 차원 / 적은 어디에 있나

제4장 암흑 속에서의 자기해체
나로부터 / 사회차원의 자승자박의 해체 / 공범관계적 지배를 풀어 헤친다 / 아이덴티티와 중심축 / 나 자신의 경우 / ‘만남’의 의미 / 끝없는 과정으로서의 사랑 / 절대 고독이라는 것

제5장 신체의 욕망에서 생명의 욕망으로
‘신체의 욕망’과 ‘생명의 욕망’ / 괴로움을 헤쳐 나가는 것 / 에로스적인 교제를 위하여 / 영토 확장에 대항하여 / 포식(捕食)의 연쇄 / 예를 들어 출생 전 진단을 생각하다 / 신체, 생명, 지혜의 삼원론 / 무통문명을 완전히 해체하기 위하여

제6장 자연화하는 기술의 함정
이중관리구조 / 경관 몰입(landscape immersion) / ‘거룩한 장소’로의 침입 / 자연의 배후를 파헤치다 / 무통문명에서 ‘자연’의 의미 / 붕괴 전략

제7장 ‘나의 죽음’과 무통문명
나의 사색 / 죽음의 공포 / ‘나의 죽음’이 무서운 것은 무엇 때문일까 / 사건으로서의 ‘나의 죽음’ / 관념으로서의 ‘나의 죽음’ / 중심축 통로

제8장 스스로 치료하는 무통문명
자본주의와 무통격류 / 욕망을 다시 생각한다 / 개화(開花)의 지혜 / 포식(捕食)의 사상과 우주회귀의 지(知) / 중심축 회로망 / 무통화 장치 / 무통화 장치의 해체 / 스스로 치유하는 시스템 / 스스로 치유하는 시스템과의 싸움과 그 운명 / 페너트레이터(penetrator)
====
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책속에서

인간이 자신을 가축화(家畜化)하는 내용은 다음과 같다.
===============
  1. 첫 번째, 좁은 우리에 갇혀 빛과 온도가 인공적으로 조절되고, 먹고 자는 것만이 생활의 전부인 가축처럼 인간은 자신이 살아갈 공간인 도시를 대부분 인공적인 환경으로 만든다.
  2. 두 번째, 스스로 먹이를 찾지 않아도 되는 가축처럼 식품이 자동공급된다. 거의 모든 사람들은 먹을 것을 자연에서가 아니라 슈퍼마켓에서 얻는다. 돈이 있는 한 자동공급에 가깝다.
  3. 세 번째, 자연의 위협에서 멀어진다. 인간은 하천과 태풍을 관리하고, 농작물의 대량생산과 비축으로 식품을 안정적으로 공급하는 데 성공한다.
  4. 네 번째, 가축을 번식시키고 관리하는 것처럼 인간은 인공수정, 체외수정, 불임수술 등에 의해 생식에 개입한다.
  5. 다섯 번째, 야생 늑대가 개가 된 것처럼 19세기 말의 ‘우생학’ 이래 ‘불량한 인간’을 낳지 않기 위한 정책이나 입법으로 인간은 일관되게 품종개량을 해왔다. 장애아를 낳지 않으려고 선택적 중절이나 유전자 진단 등을 해 생식기술을 발전시킨다.
  6. 여섯 번째, 멧돼지가 주둥이가 짧아지고 긴 이빨이 퇴화해 돼지가 된 것처럼 인간도 신체의 형태가 변화한다. 곱슬머리의 출현, 추간판뼈 수ㆍ사지뼈 수의 변화, 피부색소의 증감 등이 일어난다.
  7. 일곱 번째, 가축은 죽음이 조절되어 인간에게 가장 유리한 시점에서 죽을 수 있도록 통제된다. 인간의 ‘예기치 않은 죽음’은 철저히 배제된다. 존엄사 안락사 등 ‘죽음의 자기 결정권’도 이 흐름 위에 있다.
  8. 여덟 번째, 가축은 인간에게 ‘자발적인 속박’의 태도를 취한다. 인간은 먹을 것과 안정, 쾌적함을 공급해 주는 사회 시스템과 자발적인 속박관계를 맺는다. - 본문 중에서  접기
==
추천글
진정한 고통 없이 진정한 기쁨은 없다 - 장석주 (시인, 소설가, 문학평론가) 
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저자 및 역자소개
모리오카 마사히로 (森岡 正博) (지은이) 

신간알림 신청
1958년생. 현재 와세다 대학 교수. 생명학 제창자이자 철학자다

《남자도 모르는 남성에 대하여》는 저자가 자신의 섹슈얼리티에 관해 솔직하게 털어놓은 책이다. 특히 불감증의 원인을 파고들었다. 남성의 성적 욕망 뒤에 가려진 여성 착취의 문제도 지적한다. 남성 중심 사회에서 남성성은 공론화되기 어렵다. 저자는 이 책이 그 계기가 되길 바란다. 그것이 여성 혐오를 비롯한 적대적인 관계를 풀 한 방법일 수 있기 때문이다.

지은 책으로 《무통문명》 《생명학을 연다》 《초식계 남자의 연애학》 《생명학으로 무엇을 할 수 있는가》 《종교 없는 시대를 살아가기 위하여》 등이 있다.
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최근작 : <남자도 모르는 남성에 대하여>,<무통문명> … 총 16종 (모두보기)


조성윤 (옮긴이) 
서울에서 태어나 서울 사람으로 살다가 1982년 제주대학교 사회학과 교수로 부임하면서부터 제주 사람이 되었다. 공부하고 싶은 것, 연구해야 할 것들이 많아 오랫동안 논문 발표에 열중했으나 최근에는 자신의 연구를 여러 사람과 공유하기 위해 공부한 것들을 책으로 출판하자고 마음을 먹었다. 논문으로 「임오군란의 사회적 성격」, 「조선후기 서울 주민의 신분구조와 변동」이 있으며, 저서로 <제주지역 민간신앙의 구조와 변용>(공저), <일제 말기 제주도 일본군 연구>(엮음), <빼앗긴 시대 빼앗긴 시절: 제주도 민중들의 이야기>(공저)가 있다. 2014년 현재 ‘오키나와 전쟁의 기억’, ‘남양군도’, ‘일본 신종교의 평화운동’ 등의 연구를 진행하고 있다. 접기
최근작 : <1964년, 어느 종교 이야기>,<남양 섬에서 살다>,<남양군도> … 총 13종 (모두보기)


이창익 (옮긴이) 
1984년 제주대학교 일어일문학과를 졸업했다. 1990년 일본 도카이대학에서 문학연구과 박사과정을 수료했다. 현재 제주대학교 일어일문학과 교수이다. 역서로는 <오키나와에서 배운다 1,2>가 있다.
최근작 : <제주와 오키나와>,<오키나와와 평화> … 총 4종 (모두보기)
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“생명의 기쁨을 어디에서 찾을 것인가?” 새창으로 보기

‘고통 없는 문명’이라하는 ‘무통문명’은 무엇인가?

이 책의 지은이 모리오카 마사히로는 도쿄대학 대학원 인문과학연구과 윤리학박사. 현재 오사카 부립대학 종합과학부 교수로 재직 중이라고 한다. 생명학, 철학, 과학론 등으로 인문학의 연구 틀을 넓히고 새로운 인간학인 ‘생명학’을 제창하여 일본에서 가장 주목받는 사상가중 한 사람이라고 알려져 있다.


저자는 책머리에 다음과 같은 질문을 던지고 있다.

지금 우리의 현대사회는 ‘무통문명’이라는 병리(病理)에 삼켜지고 있는 것은 아닐까?

덧붙여서..‘끝없는 쾌락속의 불안, 기쁨을 잃은 반복, 출구 없는 미로 속임에도 불구하고 인생을 후회 없이 살고 싶다고 생각하는 분들에게 이 책을 드리고 싶다.’ 라고 적고 있다.


지은이가 ‘무통문명(無痛文明)’이라는 말을 처음 떠올리게 된 것은, 어떤 간호사의 이야기를 들었을 때라고 한다. 종합병원 중환자실에 근무하는 그 간호사는 의식이 또렷하진 않지만, 죽은 것도 아닌 그저 ‘편안하게 잠자는’ 상태의 환자를 돌보면서 이런 생각이 들었다고 한다. “결국 현대문명이 만들어내고 있는 것은 이와 같은 인간의 모습이 아닐까.”

지은이는 다시 질문한다. 현대문명이란 중환자실에서 편안하게 잠자는 인간을 대량으로 만들어 내는 것은 아닐까. 활기차게 일하고 즐겁게 노는 것처럼 보여도 실제로는 단지 편안하게 잠자는 인간들을 도시라는 이름의 중환자실 속에서 조직적으로 만들어내는 것은 아닐까. 그렇다면 도대체 누가 그와 같은 함정을 만든 것일까. 왜 문명은 이러한 방향으로 나아간 것일까.


지은이는 인간들이 문명을 끌고 온 것은 욕망 때문이었다고 한다. 욕망 중에서도 ‘신체의 욕망’이다. 이를 다섯 가지 측면에서 나누어 생각한다.

1) 쾌락을 찾고 고통을 피한다.

2) 현상유지와 안정을 추구한다.

3) 틈새가 보이면 확대 증식한다.

4) 타인을 희생양으로 삼는다.

5) 인생, 생명, 자연을 관리한다.

인간은 신체의 욕망에 따라 움직이고, 욕망을 꽃피우기 위한 장치를 만들어냈다. 그 때 인간은 바깥세계와 인간 자신을 조절하기 위해 ‘콘트롤(Control 이성’을 사용했다. 콘트롤 이성이란 미리 예상된 틀 속에 일들의 운행방식을 담아두는 지혜와 기술을 생산하는 능력이다. 인간은 자연환경과 인간자신을 관리하기 위한 이성을 지니고 있었으며, 그 이성을 신체의 욕망을 만족시키기 위해 사용했던 것이다. 막스 호르크하이머는 “인간 안팎의 자연을 인간이 지배하기 위한 도구”로서의 ‘이성’의 역할을 지적하고, 이것을 ‘도구적 이성’이라고 불렀다.


무통문명을 설명하기 위해서 지은이는 ‘생명의 기쁨’을 설명하고 있다. 공감이 가는 부분이다. “나는 어떤 조직에서 일을 하므로 안정된 생활을 유지하고 있다. 이 안정을 잃어버리고 싶지 않기 때문에 지금 일을 그만둘 수 없다. 지금의 일이 가져다주는 수입과 안정을 지키고 싶은 것은 ‘신체의 욕망’이다. 그런데 일을 계속하면서 발생하는 여러 모순이 자신의 안팎에서 축적되면, 나는 점차 어찌할 수 없는 불안이나 초조함에 직면하게 된다. 그것을 얼버무리기 위해 일의 양을 늘리거나, 술에 빠지거나, 혼외정사를 하거나, 자해행위를 반복한다. 일시적으로 괴로움이 사라져도 또 엄습한다. 일이 가져다주는 수입과 안정을 확보한 채, 거기서 비롯되는 괴로움을 얼버무리기 위한 선택을 끊임없이 준비하는 것이 고통 없는 문명이다.


여기에서 저자는 생명의 기쁨은 내가 얻으려 한다고 얻을 수 있는 것은 아니라고 하는데, 나는 그 기쁨의 정의와 범위를 어디에다 두느냐에 따라 다르다는 생각을 갖고 있다.

예를 들면 ‘잘산다는 것’이 꼭 평수 넓은 아파트에 고급 외제 승용차, 온갖 가전 신제품등은 물론 소위 호화로운 삶이 행복의 정의로까지 간다면 ‘살다 가는 삶’ 이외에 무엇이 남겠는가? 그래도 이 땅에 살다갔으면 무언가 향내 나는 흔적이라도 남기고 떠나 가야하지 않겠는가? 즉, 생명의 기쁨에 대한 정의조차도 내가 어떻게 설정하느냐에 따라 달라질 수 있다. 내가 얻고자하면 얻을 수 있다고 나는 생각한다.


한편 무통문명론에서의 ‘고통(痛)’과 ‘무통화’라는 단어가 정확하게 무엇을 가리키는지 짚어본다. “‘고통’에는 육체와 정신의 아픔이 다 들어있다. 많은 글에서 ‘고통’이란 단어는 그런 의미에서 사용된다. 한 인간에게 무엇이 아픔과 고통이 되는가는 다른 사람이 외부에서 정의할 수 없다. 무엇이 아프고 괴로운지를 결정하는 권한을 갖는 사람은 아픔과 고통을 겪는 당사자뿐이다.(...) ‘무통화’에는 두 가지가 있다. 하나는 확실히 비판해야 하는 무통화다. 그것은 예방적 무통화와 눈가림구조를 이용하여 고통에서 계속 도망치는 무통화다. 나는 그런 무통화와 싸우는 것을 의무라고 생각한다.”


저자가 주장하는 ‘무통문명’하에서의 인간적인 소통은 어떤 양상을 띠게 될까?

“무통문명에서는 현재 자신의 쾌적한 틀을 유지하는 일이 가장 중요하고, 서로 그것을 깨뜨리지 않으면서 다른 사람과 관계를 맺으려한다. 그러므로 만약 서로의 조건이 맞지 않을 때는 부분적으로 관계를 조정한다. 물론 각자의 쾌적한 틀은 손대지 않아야 한다. 그래도 안될 경우는 상대방과의 관계를 청산한다. 지금의 쾌적한 틀을 깨뜨리지 않으려고 조심하면서 기분 좋은 자극만을 골라 서로 제공하려는 사랑의 관계. 이에 반해서 지은이는 ‘조건 없는 사랑’을 그 해법으로 제시하고 있다. 이를 무통문명에선 가능하면 존재하지 않기를 바라는 정념(情念)이라고 이름 붙인다. 이 정념이야말로 무통문명 하에서 지금의 쾌적한 틀을 일격에 부수어 버릴지도 모를 파괴력을 지닌 것이기 때문이라고 한다.


해결책은 무엇일까?

“무통문명과의 싸움. 그것은 ‘신체의 욕망’과 싸우는 일이다. 신체의 욕망은 우리들에게 삶의 활력을 불어넣는 것이다. 따라서 무통문명과의 싸움은 우리들 내부에 존재하는 ‘신체의 욕망’을 없애는 것을 목표로 하는 것이 아니라 신체의 욕망에서 출발하여 사회의 무통문명을 추진하는 연쇄(連鎖)를 도중에서 단절시키는 것만을 목표로 해야 한다. (......)내가 변하지 않으면 세상은 변하지 않는다. 그러나 내 내면이 바뀌는 것만으로는 세상은 꿈쩍도 하지 않는다. 세상을 바꾸기 위해서는 나의 외부에 존재하는 ‘무통화 장치’의 해제가 필요하다.

무통화장치란 나의 외부와 내부에 존재하며, 우리들의 신체의 욕망을 계속해서 ‘무통격류’로 끌어들이는 ‘장치’이다. 이것을 ‘장치’라고 부르는 것은 외부의 영향으로 간단히 파괴되지 않는 안정성을 갖추고 있기 때문이고, 스스로 내부에 인간을 끌어들임으로써 자동적으로 움직이기 시작하기 때문이다.”

完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」: 森岡正博: 本

Amazon.co.jp: 完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」: 森岡正博: 本


完全版 宗教なき時代を生きるために―オウム事件と「生きる意味」 (Japanese) Tankobon Softcover – April 12, 2019
by 森岡正博  (著)

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Tankobon Softcover

¥1,484 

衝撃の初版から24年。オウム事件や尾崎豊の死は何だったのか。生きる意味を問うたロングセラーの名著に、書下しを増補した完全版。「この完全版の刊行によって、事件当時のことを知らない読者の方々にも、あらためて本書を手に取っていただけるようになった。きっと新たな発見があるはずである。オウム真理教事件とは何だったのか、この時代を生きなければならない私たちとは何者なのかという問いが、ふたたび生々しく立ち上がってくることだろう。また、世界的な「テロリズム」の流れの中にオウム真理教を位置づけて考えることも可能である。神の名の下に無差別殺人をしている彼らの出発点にも、きっと「生きる意味」の探求があったに違いないからだ。今日、宗教テロリズムとひとくくりにされている彼らの行動を内側から理解するためのヒントとして、本書を読むこともできるのではないか。(中略)初版の「あとがき」で述べたように、本書は私の「生命学」シリーズの第一巻となった。生命学とは、対象を研究するときに、研究している自分自身をけっして棚に上げない知の方法のことである。研究対象に自分自身もまた巻き込まれていること、自分自身も何かの意味で当事者であることから目を背けず、その当事者性それ自体を研究の対象にしていくことである。そして自分が実際はどうであったのかを自分自身に向けて語ってみるという告白方法が用いられる。そして読者に向かって、あなたはどうだったのかを自分自身に向かって問うてほしいと呼びかける。節度ある距離を保ったうえで行なわれるこのようなコミュニケーションを、新たな学の方法として提唱したのが生命学である。本書では、ぎこちないやり方であるものの、その方法を実際に試してみたのだった。」本書「二〇一九年のあとがき」より
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Product description
著者について
1958年,高知県生まれ。東京大学文学部卒。東京大学助手,国際日 本文化研究センター助手,大阪府立大学教授を経て,現在,早稲田大学人間科学部教授。博士(人間科学)。早稲田大学では現代哲学,生命倫理学,研究倫理などを教えている。著書に『増補決定版脳死の人』(法藏館)『無痛文明論』(トランスビュー)『感じない男』(ちくま新書)『まんが哲学入門』(講談社現代新書)などがある。
Product Details
Publisher : 法蔵館; 完全 edition (April 12, 2019)
Publication date : April 12, 2019
Language : Japanese
Tankobon Softcover : 256 pages
ISBN-10 : 4831857068
ISBN-13 : 978-4831857064
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NOAK
5.0 out of 5 stars 自分にスカを引かせた世間への報復
Reviewed in Japan on July 23, 2020
Verified Purchase
個人的な話から入って恐縮だが、私は高校は偏差値70の進学校だった。だが、勉強
がパターン暗記に偏っていて、それを辛いと教師に告げたら「習慣にしろ」と云われた。
ここで3年、青春を犠牲にすれば、将来、社会的地位(スクールカーストの延長のような
モノだ!)は手に入るかもしれないが、本当に今の感受性の最も鋭い時代に、自分の
本当にやりたい哲学や詩文学などの読書や恋愛をせずにマトモな、嫉妬からリア充を
逆差別するような世間の大人とは違う存在になれるのだろうかと思惟した。習慣にしろ
というのは思考停止しろと云っているようにしか思えなかった。入り口の段階で非精神的
な暗記作業を強いてくる社会の―大人の云う「上の」ステップに、輝かしい未来がある
とは思えなかった。そこで、私は勉強するのをやめた。

それから大人になって、社会的地位など当然ないが、哲学や詩文学に耽溺したり、燃える
ような恋愛に興じたときのトランス状態の非日常は、10代にしか生きられない数少ない
「正解ルート」であり、当時勉強していればよかったと思うどころか、あそこで努力と
いう美名の下でなされるゴリ押しの勉強をしていたら、俺はスカを引いていたな、と今
からだと分かる。

オウムの信者というのは、そのスカを引いてしまったエリートの集まりなのだと本書を
読んで分かった。

勉強して褒められて、その先に輝かしい未来があると、皮肉にも私などより学力があった
せいで彼らは錯覚してしまった。世間の人たちは、人を評価するとき必ず、認めて「やる」
といった、受け手本位の評価しかせず、彼らが内心嫉妬と畏れで一杯の、突出した天才は
頑なに評価しない。スカを引いたエリート達は、本当は勉強が出来る程度のことでは人
から本当に凄いという評価はされないことに気付くことなく、大学より先へ行ってしまった。

そこで彼らは世間の人を「自分をハメた」と憎悪しなかっただろうか?

サリンをばら撒くという行為は、自分にスカのような人生を引かせた世間への、エリート
達の報復であったように個人的に思えてならない。少なくとも、勉強が出来て社会的な
地位を得て、食うのに困らなければ幸せだという価値観は、彼らのような存在を生み出す
元凶だという意味で決定的に危険であるといえる。世間のどうでもいい大人から認められ
るのでなく、自分なりの人生の成功条件を自分の本当に切実な願望と向き合って早期に
設定し、勉強は疎かになっても、青春期にそれを達成することが、本来的な意味での通過
儀礼の筈だ。

宗教でない精神的な生き方を著者は推奨しているが、それは私も賛成である。ランボー
よろしく山奥を一人で放浪していた時など、これ以上ないトランスの極北に到達していたが、
そういう超自然的な力が降りかかる状態をもってしても<ここではないどこか>へは行け
ない、つまり救済はあり得ないと気付いたからだ。絶対的な答えがない状態で必要なのは、
それを前提とした自分なりの答えだろう。それには冷徹な思考能力が絶対条件だ。信じる
ことでトランス状態を引き出す作用はあるが、原則的に思考停止はすべきでないし、そう
なると宗教より哲学が必要だという結論になる。

あと、自分も数学が好きだったが哲学に関心は移っていったのだが、著者が数学や科学は
実験で再現可能な事象を扱うので、生の一回性の様なモノは扱えないし、人生の真理を
教えてくれるものではないというようなことが書いてあって、腑に落ちた。いい説明だと
思った。
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ちひ
5.0 out of 5 stars 圧倒的に自覚的な無宗教の立場から、それでも宗教について考える本。
Reviewed in Japan on April 30, 2019
 オウム真理教の地下鉄サリン事件(1995年)等を受け、1996年に発行された同名書籍の【完全版】。「完全版のまえがき」と「2019年版のあとがき」が書き下ろし。

 自分の宗教性に無自覚なことを指して言う「無宗教」ではない、圧倒的に自覚的な無宗教の立場から、それでも宗教について考えている本である。

 臓器移植の問題について考えていた時期に、森岡さんの代表作の一つである『脳死の人』に出会い、多大な影響を受けた。その後も、人知れず自分の信に悩んでいた時期に本書の最初の版に出会い、感動し、講演会でサインをいただいた。「僧侶です! 感動しました!」と言うと、困ったような顔をされたのを覚えている。もっとも森岡さんはいつも困ったような顔でほほえまれるようなのだが。

 そして、わたしも信と非信との間に何ものがあるのか、この本のアプローチと同じような方法で、一生懸命に考えていたはずが、……いつの間にか、すっかり信の方に来ている自分がいる。自分でも驚くほどに。

 仏教的あるいは真宗的に言えば、どんな縁で自分がどう変わるのかは本当に誰にもわからない、ということでもあるのだが、それを自分が地でいくとは想像もしていなかった。しかしこれはわたしにとって、まさに森岡さんの提唱する「生命学」の営みでもあったのだと思う。

 信は決して「大きなものにまかれる」ということではない現象だとわたしは思っている。が、そこに疑問というか、解決されていない(され得ない?)何かがあるという指摘を、森岡さんは緩やかにくださっている。

 とにかく、今回の【完全版】とともに、信について、また深く広く、えぐって集めて、考えてみたいと思っている。あまり「無口」にならないように。
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ゆうさく
5.0 out of 5 stars いまでも通じることはある意味で不幸だけれど
Reviewed in Japan on January 22, 2020
 読了しました。森岡さんの主要な著作をだいたい読んでいる自分としては、彼の思想の前提みたいなものを確認したような感じがします。 
 
 興味深かったのは、神秘体験とグルへの帰依は別のものだということ。それを自身の体験から書いていて説得力がありました。 
 神秘体験そのものが一般的に特別なものとして考えられていますから、「この神秘体験は私についていくことで得られるのだよ。」「この先に真理があるのだよ。」と言われたらどんなに知性が強靭な人でも、いや、知性がある人ほどに、逆にすっぽりと飲み込まれてしまうのでしょう。 
 
 そして、尾崎豊の死を、イエス・キリストの死と重ね合わせている後半の論も見事です。彼らは人々の罪を贖って死んでいったのです。単なる知的な分析ではない深い見識に唸らされました。 
 この考え方で行けば、麻原も、教団の内部からの圧力によっておかしくなっていったと考えられるわけで、その構造に問題からも考察しなければいけません。 
 この本では言及されてませんが、ヒトラーの誕生も同じような切り口から考えられると思います。少なくとも社会が生み出したという点では。 
 
 
 改めて森岡さんの、徹底的に自分自身を掘り下げながらものを書いていく真摯さに心を打たれました。なお、わたしがいちばん好きな著作は「無痛文明論」です。 
 生きる意味を求める人たちの哲学が、今後も深化されていくことを願います。
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スターライト
5.0 out of 5 stars 参考になりました
Reviewed in Japan on August 9, 2019
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1995年に出版されたものを新たに「完全版」として2019年4月に再刊したものです。
新たに「完全版へのまえがき」と「2019年のあとがき」が追加されています。完全版へのまえがきにおいて、早稲田大学理工学部を主席で卒業した広瀬健一(元死刑囚)のオウム真理教に入った理由が「生きる意味」だった事を知り、衝撃を受けました。
生きる意味がそれほどに、人によっては生死を分かつほど重要な問いになり得るということを実感しました。
本文としては、著者の若い頃の経験を踏まえながら語っているため、より説得力や読みごたえのある文章でした。
ただ生きる意味の答えとしては…少し物足りなさを感じました。しかし、一つ一つの文章に表れている著者の人としての謙虚さは、よく伝わってきます。
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現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想―: 森岡正博, 戸谷洋志, D・ベネター, T・メッツ, 島薗進, 小泉義之, 加藤秀一, 木澤佐登志, 橋迫瑞穂: 本

現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想―: 森岡正博, 戸谷洋志, D・ベネター, T・メッツ, 島薗進, 小泉義之, 加藤秀一, 木澤佐登志, 橋迫瑞穂: 本



現代思想 2019年11月号 特集=反出生主義を考える ―「生まれてこない方が良かった」という思想― (Japanese) Mook – October 28, 2019
by 森岡正博 (著), 戸谷洋志 (著), D・ベネター (著), & 6 more
4.6 out of 5 stars 34 ratings

238 pages

Publisher : 青土社 (October 28, 2019)
Publication date : October 28, 2019
Language : Japanese
Mook : 238 pages
Customer reviews
4.6 out of 5 stars
34 global ratings

Top reviews from Japan

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丸亀太郎

5.0 out of 5 stars 全てを悟ったReviewed in Japan on November 10, 2019

ミュウツーの気持ちが分かった

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つる

5.0 out of 5 stars まず始めにReviewed in Japan on May 15, 2020
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反出生主義の方は必ず読むべき本です。
まず第一にこの本を読むことをおすすめします。

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aska

3.0 out of 5 stars そういう考え方もあるんだな、と。Reviewed in Japan on January 8, 2020
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半出生主義に全く共感は出来ませんが、勉強のために買いました。
いろんな視点が見えて面白いです。共感は出来ないけど。

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autarkeia

4.0 out of 5 stars 反出生主義を学ぶなら一読すべきReviewed in Japan on November 2, 2020
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反出生主義を学ぼうとする上で、
・日本語で読めて、
・手に入りやすく、
・ある程度の信頼性がおけて、
・体系的な説明が得られるもの、
という観点でいえば、現在ほぼ唯一の情報源がこれだと思います。
特に、ベネターが著したものを日本語に訳した、「考え得るすべての害悪」を読めるのは貴重かと。

星5でなく星4にした理由は、一部の記事に関しては内容が不十分だと感じたためです。
反出生主義に関連する話題(文化・宗教など)を、反出生主義に絡めて論じるのではなく、ただ単に紹介しているだけのものがあったりしました。正直その程度の知識であればその分野の入門書の前半分を読めば足りるので、紙面がもったいないなとすら感じました。

あと、私はまだ読んでないので名前を出すに留めますが、森岡正博先生が今年の10月に『生まれてこないほうが良かったのか? ――生命の哲学へ! 』(筑摩選書)を出しており、こちらでもおそらく(どの程度かは分かりませんが)ベネターにも触れていると思うので、参考になるかもしれません。

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ぽんこつ地獄変

4.0 out of 5 stars 一つのヒントとしてReviewed in Japan on July 20, 2020

ベネターの"Better never to have been"が日本で知れ渡り始めた頃は、正直プロが集う論壇でも反出生主義への警戒心や厭悪がやや前に出すぎた意見が飛び交っており、あまり実のある議論・冷静な意見交換が成されていないように素人目線には映っていました。

本書でも一部の意見は、二番煎じ以降でしかないやや底の浅い批判や明らかにポイントのずれた批判に終始しておりそこは少々残念でした。また、他のレビュアー様が仰っている様に批判的な意見の割合がやや多すぎるきらいがあること、ベネター以外の反出生主義者についての言及が少なめなことなど細かい不満もあります。

しかし、全体的には反出生主義的な考えを抱く方にもそうでもない方にも自分の目線・考え方ついて客観的に見直す契機を与えてくれるような各専門家ならではの多角的でディープな掘り下げが成されたレベルの高い論述が多く、先述した日本の反出生主義界隈への姿勢に対する疑念も少し払拭出来ました。個人的に特に興味をそそられたのは反-出生奨励主義についての主張、そして人類が絶滅する未来を直接目撃するわけではない反出生主義者がどう生きるかについての考察でした。

完全に蛇足ですが、某ポ○モンは何故私を云々言ってる割にガンガンクローン製造に乗り出しているワケで、ちょい本書のテーマとはずれた存在なのかもしれません(笑)ただ、人間以外の意識ある主体を造り出すことの是非はこの本でも研究対象の一つになっています。

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HIGUCHI Kenichi

TOP 1000 REVIEWER
5.0 out of 5 stars この一冊でだいたいわかりますReviewed in Japan on December 8, 2019
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 反出生主義とは意識があり痛みを感じる存在者について「存在することは存在しないことより常に悪く、新たに子孫をつくることはすべきでない」という考え方であり、カジュアルには“生まれて来ない方がよかった”と表現される。これは中二病的な妄言でも欝でもなく、精緻に論理化されていて世界中の“大人”が反論を試みている訳であるが、本号を読めばその流れは十分につかめる。ロボット倫理や仏教に絡んだ話も興味深かった。なお、“生まれて来なければよかった”と“(既に生まれてしまった)人に生きる価値はない”は全く別の話である。

 バランスとしてもっと肯定派が多くても良かった。というのも、反出生主義は反証されるためにあるのではなく正しいかもしれないのだ。我々は生まれて来ない方が良かったが生物学的に存在してしまっているので、生まれて良かったと思えるようにいろいろな観念やものを作り出しているのかもしれない。我々は自分を中からしか見られない。それを「宇宙の視点」でみるとこうなるとベネターが主張するのは超越論的と言えようか。ただカントは神の存在を要請したが、神を持ち出さないならば意味は外部のどこからも与えられない。これを乾いた唯物論と感じるか仏教的な真理と感じるか。

 ただ現代の我々はそういったものを持ち出さずに論理的に考えなければならない。はじめ反出生主義とは分析哲学的遊戯かと予想していたが、そうでもないようだ。

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