2025/07/16

ロシア的人間 井筒 俊彦 + 일어 서평

Amazon  ロシア的人間   井筒 俊彦




ロシア的人間-    新版 (中公文庫 い 25-7) Paperback Bunko – July 21, 2022
by 井筒 俊彦 (Author)
4.3 4.3 out of 5 stars 42 ratings


何が彼らを突き動かすのか
今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た――。千変万化するロシア国家の深奥にあって、多くの人を魅了する魂のロシアとは何か。プーシキンからドストイェフスキー、チェホフにいたる十九世紀の作家たちの精神を辿りつつ、「ロシア的なるもの」の本質に迫る。
〈巻末エッセイ〉江藤 淳〈解説〉佐藤 優

目 次

第一章 永遠のロシア
第二章 ロシアの十字架
第三章 モスコウの夜
第四章 幻影の都
第五章 プーシキン
第六章 レールモントフ
第七章 ゴーゴリ
第八章 ベリンスキー
第九章 チュチェフ
第十章 ゴンチャロフ
第十一章 トゥルゲーネフ
第十二章 トルストイ
第十三章 ドストイェフスキー
第十四章 チェホフ
後 記――新版発刊にさいして
後記
井筒先生の言語学概論 江藤 淳
解説 佐藤優
索引


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Customer reviews
4.4 out of 5 stars


ぱすと〜る


5.0 out of 5 stars 永遠なるものを見るロシア文学Reviewed in Japan on March 11, 2016
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
 もともとは1940年代後半に慶應義塾大学の通信教育部の教科書として印刷されたものという本書には、トルストイ、ドストエフスキー(本著ではドストイェフスキー)、ツルゲーネフ(同じく、トゥルゲーネフ)、チェーホフ(チェホフ)、ゴーゴリー、プーシキンという名前が並んでいますが、表面的知識だけをなぞった文学史ではありません。井筒さんはこれら19世紀ロシアの作家を通底するテーマを見ています。

 ぼくがこの書を知ったのは、批評家・若松英輔さんの「井筒俊彦 叡智の哲学」を通してのことと覚えています。若松さんのほとんどの著作には多くの人びとが出てきます。「霊性の哲学」には、井筒俊彦、鈴木大拙、柳宗悦、吉満義彦、谺雄二、山崎弁栄らが、「生きる哲学」には、須賀敦子、原民喜、堀辰雄、リルケ、神谷美恵子、ブッダ、宮澤賢治、フランクル、そして、ここにも井筒俊彦が登場します。共通するのは「哲学」です。しかし、それは、論理や知識、用語としての哲学史ではなく、「叡智」であり「生きる」なのです。

 NHKテレビテキストの「100分 de 名著 内村鑑三 『代表的日本人』」は若松さんが内村の著書を説き明かしたものですが、その「代表的日本人」には、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮らが出てきます。しかし、この本の主役はこの五人ではなく、彼らを超えた存在、「天」である、と若松さんは述べています。

 同じように、井筒さんの「ロシア的人間」を貫くものも、目に見えないものなのです。若松さんが本著に霊を吹き込まれていることは、つぎの一節からもわかります。

 「(ロシア文学が)私の魂を根底から震撼させ、人生に対する私の見方を変えさせ、実存の深層にひそむ未知の次元を開示して見せた。この意味で、十九世紀のロシア文学の諸作品は、どんな専門的哲学書にもできないような形で、私に生きた哲学、というより哲学を生きるとはどんなことであるかを教えた」(p.318)。

 「実存の深層にひそむ未知の次元」を、さきほどの「天」「彼らを超えた存在」「目に見えないもの」と置き替えても、文意をおおきく損なうことはないでしょう。若松さんの書名の「生きる哲学」は、井筒さんがここで述べている「生きた哲学」「哲学を生きる」に他ならないことでしょう。

 ロシアの詩人たちも「実存の深層にひそむ未知の次元」に触れます。プーシキンは「遠い山巓が空の青さに溶け入るあたり、永遠の光栄が眩しく光り輝く彼方」(p.118)を見、レールモントフは「遥かな星辰のきらめく彼方、地上の彼方なる国」(p.131)にはげしく思いを募らせ、チュチェフは「宇宙の根柢、存在の最深層を直感的に把握」(p.177)した、と井筒さんは熱い筆を進めていきます。

 小説家となれば、トルストイとドストイェフスキーです。彼らの文学は、「人間という宇宙の謎に関してロシアが吐き得た最高の、そして恐らくは最後の、言葉」であり、彼らは「ただひたすらに『人間』を探求した」が、「その人間探求は必ずじかに神の探求につながっていた」(p.229)と井筒さんは説き明かします。

 トルストイには、自然主義、自然体験を通しての「宇宙的生命との直接の接触とでもいうべき一種異常な体験がある」(p.252)と言います。

 ドストイェフスキーも、「忘我奪魂の瞬間に偶然」「永遠の至福」を「垣間見」(p.275)た経験は何度かあるのですが、彼は、それなしでもそこに到達できるのではないかと期待してキリスト教に赴いたと井筒さんは指摘しています。

 その入り口は原罪だと言います。しかし、それは個人の罪ではなく「自分の犯した罪ではなくて、自分の犯さない罪」であり「全人類の、全存在の罪」であり、「あらゆる人間、あらゆるものが、それぞれ自分の罪の負目を担うのでなく、自分以外の、すべての人、すべてのものの罪を一身に負わなければならない」のですが、このことは、「人が自分ひとりの自意識的外殻を踏み破り、自己を突き抜けて宏大な全体的連関の中に踊り出ることにならないだろうか」(p.297)と言うのです。「自我の固いしこりが解け、自我に死にきった彼は、全宇宙とともに広い罪の大海の一滴となって甦る」(p.298)と言うのです。

 原罪を経由していたるこの「甦り」は、「忘我奪魂の瞬間に偶然」に「垣間見」た「永遠の至福」あるいは「実存の深層にひそむ未知の次元」に、さらには、神そのもの、永遠そのものに他ならないのではないでしょうか。

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マカカちゃん


5.0 out of 5 stars ロシア文学の誘いには最適の本だと思います。Reviewed in Japan on July 14, 2012
Format: Paperback Bunko
ロシア語でロシアの古典文学を読むのは、恐らく殆どの日本人には難しいと思います。
ただ、ロシア語を大学で専攻しているような人達には是非ともお薦めしたい一冊です。
原文を読む昔の日本人達がどれだけの才能と知的好奇心の持ち主なのか、そういう事を知ってほしいです。
最近はインチキ臭い翻訳も出回る等、ロシア文学の日本での環境は劣悪になりつつあります。
出来るだけ本物に触れる、その息吹というか若き欲望の力をこの本で感じて欲しいし、
感化されて、原文に触れる人が一人でも多く出て来ればと、そう切に思います。

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梅田


3.0 out of 5 stars 本の受領Reviewed in Japan on October 30, 2020
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
お手配ありがとうございました。
状態も良かったです。
今後もよろしくお願いいたします。
ume



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川島陽一


5.0 out of 5 stars 透徹した歴史観Reviewed in Japan on November 18, 2011
Format: Paperback Bunko
井筒博士のご本を広く読みすすむうちに、常に一貫した歴史観及び哲学観をその根底にお持ちだということに気付かされるのはぼくだけではないだろう。
はたして、この本をお書きの時代背景を察するに、共産主義ソ連に潜む、韃靼(タタールーモンゴル)の先行時代300年、引き続くツァーリの200年、ピョートル、レーニンと、ロシア主義の一貫性に気づかされるのだから、なんともいわくいいがたい思いにさせられる。大東亜のすぐあとも、いまも、変わりはないのである。それを気づいていた知識人はどれほどいたのであろうか。

文学的な評は他の方のレビューお譲りするとして、びくともしない歴史の重みをこの本から感じ取っていただければ幸いだ。この本がなかなか手にはいらない、そして眼に触れられない日本のいま、をも深く考えさせてくれる。

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Inoo Tanaka / 田中猪夫


4.0 out of 5 stars フランス実存主義のルールはロシア文学にある!Reviewed in Japan on May 21, 2022
Format: Paperback Bunko
「ロシアは今日、世界の話題である。誰一人ロシアに無関心でいられない。人類の未来とか、世界の運命とか、人間的幸福の建設とかいう大きな問題を、人はロシアをぬきに考えることはできない。肯定的にせよ、否定的にせよ、誰もがロシアに対して態度を決定することを迫られている。」

 「全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやりだすだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまでに波動して行って、至るところで痙攣を惹き起す。」

 これは、ロシア的人間 ー近代ロシア文学ーの書き出しであるが、まるでウクライナ戦争のことを表したものだと勘違いしてしまいそうだ。

 「ロシアは普通の秤で測れない、ロシアは一種独特な国!」

 と、「謎」が多いロシア。

「ロシア人の魂は、ロシアの自然そのもののように限界を知らず、たとえ知っても、あえてそれを拒否しないではいられない。『一切か、しからずんば無!』というロシア独特の、あの過激主義はこういう魂の産物である。」

 井筒俊彦さんによると、ロシア文学には文学的伝統がない。19世紀の冒頭にプーシキンにより突如出現する。そして、ロシア文学の中心軸は人間にある。人間という存在を暴き出そうとする。天使なのか悪魔なのか、神なのか野獣なのか、人間とは何者か、人間は何の意味も分からずにただそこに投げ出されている存在者にすぎない、という実存主義だという。ロシア文学が後のフランスの実存主義哲学の基礎となったのは、徹底的に人間を中心に考えるところから生まれたのだろう。

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黒羽夏彦


5.0 out of 5 stars 若き井筒俊彦の鮮烈な情熱Reviewed in Japan on February 10, 2010
Format: Paperback Bunko
 戦後間もなく、井筒俊彦が大学でロシア文学を講じた草案がこの『ロシア的人間』のもとになっている。後年の井筒が思索をめぐらした東洋思想や言語哲学の論著は、テーマそのものがはらむ了解困難な性格のゆえに非常に晦渋な印象を持たれやすい。しかし、本書はそうしたしかめっつらしい相貌とは打って変わって、これがあの井筒か、と驚くほどに情熱的に鮮烈な文章が次々と繰り出されてくる。良い意味で若書きだ。同時に、ロシア文学という題材を通して後年の井筒の思索の萌芽も垣間見える。単なるロシア文学史という以前に、井筒の思想を知るとっかかりに格好な入門書とも言えよう。他の方もおっしゃっているが、こんな素敵な本が絶版というのは実にもったいない。

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如是我聞


5.0 out of 5 stars 情熱の書Reviewed in Japan on June 15, 2006
Format: Paperback Bunko
 今は亡き東洋思想の碩学が、若き日々に傾倒したロシア文学を語る情熱の書。

 プーシキンからチェーホフまで、いろいろと読みたくしてくれる。ほとんど名前しか知らなかったベリンスキーや、聞いたこともないチュチェフなどは収穫だった。また、ペテルブルグという都のもつ歴史的な意味あい、何より文学史を通してクッキリと浮かび上がる「ロシア的」なるものの開示が、きわめて示唆に富む。

 著者の井筒俊彦は、イスラーム思想や神秘哲学等に於いて突出した業績を残されている。

 先に『意識と本質』や『イスラーム哲学の原像』などの著作に接していた私としては、本書での、氏のロシア文学に対する理解の深さ、なかんずくその「熱さ」に、新鮮な驚きを覚える。そして、ここに氏の透徹した精神の起源をみる思いがする。

 残念ながら、現在、文庫版は絶版になっているようだ。

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ほそみち


5.0 out of 5 stars ロシア文学評論の隠れた名著Reviewed in Japan on March 8, 2003
Format: Paperback Bunko
東洋哲学・言語哲学の分野では世界的に有名な井筒氏が若かりし頃に担当したロシア文学の講座のために書いたテキストをベースとした「ロシア文学論」。19世紀のロシア文芸の担い手であったプーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ベリンスキー、チュチェフ、ゴンチャロフ、ツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェホフなどを取り上げ、彼らの思想や作品で何を主題にしていたか、それはいかなる時代的・自然環境的背景によるものなのかを読者を引き込むように語ってくれてます。彼らの作品を知る人はもちろん、あまり馴染みのない方もロシア文学へ誘う名著です。

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JOHN JOHN BY THE RUINS


5.0 out of 5 stars 宇宙から見たロシア文学史Reviewed in Japan on February 13, 2022
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
「第一章永遠のロシア」から「第四章幻影の都」までを総論(十九世紀ロシア文学を生んだ歴史、土壌)、「第五章プーシキン」から「第十四章チェホフ」までを各論(作家論)というように読んだ。この総論・各論が相互に参照反芻され、単なるロシア文学史を超えた深みと厚みが感じられた。井筒俊彦二十代?三十代?の頃の著作のようだが、後に古今東西の思想を横断的に論じる宇宙的壮大さがすでに感じられる。といってもわたしはそれほど井筒作品を読んだわけではないですが。チュチェフ、ゴンチャロフなどこんにちあまり馴染みのない作家も俎上にのせられているが、読んでいて退屈しないし、させないところはさすが。作家で最も印象深かったのは「第十一章トゥルゲーネフ」。

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From Japan

Toulouse


5.0 out of 5 stars 貴重な本Reviewed in Japan on April 3, 2025
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
現代ロシアの若者の意識にも通ずるような一般的な考えかはわかりませんが、一定層の年代の方々の考え方の解説としては、説得力を感じました。



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siyu


4.0 out of 5 stars 素晴らしいReviewed in Japan on September 16, 2024
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
素晴らしい

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井川 和紀


5.0 out of 5 stars 広くて深いロシア的人間Reviewed in Japan on February 19, 2024
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
読書・哲学が好きな、40代のサラリーマンです。海外在住です。

私は20年ほど前にドストエフスキーをはじめとしたロシア文学を読み、感銘を受けました。7年前にはロシア旅行をしたり、近年はドストエフスキーの小説を再読したりするなど、ロシアに対する思いは消えることがありません。

本書を読み、ロシア人的であるとはどういうことなのかがわかりましたし、果てしなく広大な大地や雄大な自然、13世紀から300年に及んだ韃靼人による支配、(沼地に、西洋への窓となるサンクトペテルブルクを建設した)ピョートル大帝による急速な近代化(西洋化)などがロシア人の形成に大きな影響を与えたことがよくわかりました。また、それらを肯定的にも受け入れたことは、まさにディオニュソス的であると感じましたし、蓄えられていたエネルギーが19世紀に一気に放出されることによって、文学の分野での花が開いたのだろうということが想像できます。
近代ロシアを代表する作家に関しての記述はどれも興味深く、様々な思想があったことを理解しましたが、やはり何といってもドストエフスキーについての解説が圧巻です。
人間はカオス(ディオニュソス的)に耐えられず、安易にコスモス(アポロン的)を求めてしまいがちであり、それが危険な状態であることに気づいたドストエフスキーは、
「人間は神を見失うと共に自然を失い、そして愛の不能に陥った。」
と捉え、自身の神秘体験によって神の存在は自明であったとしても、神が全人類を救うことを証明するために、あえてカオスとコスモスの中で生き抜いたともいえると思いますし、それはある意味“ロシア的”ともいえる神に対する挑戦であり、最終的には、人類に罪の意識に目覚めることの重要性を示してくれたのだと思います。
(「人間は神を〜。」に関しては、私が東洋人だからでしょうか。「自然に対する感謝を失った結果、神と愛を失った。」と考えます。この点に関しては、今後のテーマになりそうです。)

本書は井筒先生が39歳の時に出版された本であり、後記で、
「自分自身のなまの言葉で、そのままじかにぶちまけたものだ。この意味では、もう二度と書けない作品である。」
と書かれています。
最初から最後まで、本当に熱狂的に書かれたことが伝わってきましたし、私も一気に読んでしまいました。このような体験も“ロシア的“なのかと思います。

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ドジばば


5.0 out of 5 stars こんなに読みやすい井筒俊彦先生の文章って…Reviewed in Japan on January 2, 2023
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「意識の形而上学」をヒイコラ言いながら読んだ私としては感動モノの、情熱あふれる読みやすい本だなあ、…と思ったら、随分お若い時に書かれたものだった。とても親しみを感じた。
ロシアの文人が抱く、黙示的終末的な絶望的世界観と、復活、新世界、救済を希求する思い…両方に揺れ動く過程で引き起こされる悲劇の歴史。それがなぜロシアで起きるのかを、人間味あふれる文体で、一人一人を例にして語ってくれている。

ロシア正教の世界観がロシアの文人それぞれに、どの程度影響していたのかを考えるきっかけにもなった。現代を生きるロシア人にとっても無関係ではないだろう。

でも初めて読む気かしないような感覚もあった。光と闇の部分が一気につながったり、内面に同時存在しているあたりの表現は、どこか「意識の形而上学」に通じるような気がする。天才井筒俊彦の、人間を見つめる眼差しの深さ。

何より、現在に書かれたとしても全く違和感なし。ロシア文学を通じたロシア人の分析として読んで、通用する。佐藤氏の解説に同意。

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Kindle Customer


5.0 out of 5 stars ロシア的心性を深く掘り下げた今も生きている本Reviewed in Japan on October 5, 2022
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プーチンのウクライナ侵攻を受けて改めて読み直したが、1953年に書かれたロシア的人間は今も生きている。ロシアを深く理解するには今でも必須の本。

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M.A.


5.0 out of 5 stars 19世紀ロシア文学との出会いReviewed in Japan on October 2, 2022
Format: Paperback Bunko
本書は19世紀にロシア文学の黄金時代を築いた10人の作家に焦点を当て、その思想と作風を通してロシア人の人間性を深部から理解しようと試みたものです。今から70年以上も前、著者の井筒俊彦さんがまだ三十代後半の頃に執筆されたものと思われます。三十代後半というと、ちょうどトルストイが『戦争と平和』を執筆していたのと同じ年頃にあたるでしょうか。

本書は最初の概説的な4章に続いて、プーシキンからチェホフまでの10人の詩人や小説家を一章ごとに取り上げて論じているのですが、単なるロシア文学の入門書ではなく、それぞれの作家において著者が最も根幹的だと考えている事柄に直接迫っていくようなスタイルが採られています。生没年や生没地、主要な経歴といった基礎的な伝記的記述がほとんど省略されていますので、十分な文学史の知識のない私の場合は、各章ごとにそこで採り上げられている作家の経歴をWikipediaでまずおさらいしてから読み進む必要がありました。19世紀のロシア文学史に或る程度通じていて、代表的な作品は通読したことがあるような読者が想定されているのだと思います。

私自身は理科系の人間で、仕事の時間の大半を実験室で過ごすような生活を30年来続けていますが、大学受験を控えた頃にドストエフスキーの小説に惹かれ、受験勉強もそこそこに時間を見つけては作品を次々に通読していた時期がありました。しかしその当時の私にとっては、ドストエフスキーの思想は大きすぎてとうてい理解が及ばず、その作品から自分がどのような影響を受けたのか、自分の生き方がどのように変わったのかを具体的に言葉にすることはできませんでした。それから40年近く経って本書に出会い、「ドストイェフスキー」の章を読みながら改めて振り返ってみると、これまで、特に大学を卒業してからキャリアを築き上げていく局面の中で、私が行ったいくつかの重要な決断の背景に、高校時代に読書を通して受けたドストエフスキーからの問いかけに対して無意識に答えようとする動機があったことに、今更ながら思い至らされました。

本書の巻末に付された後記を読むと、著者自身もまた、もちろん私よりもはるかに広くまた深いレベルにおいてですが、やはりごく若い頃にロシア文学との個人的な出会いを体験され、その衝撃の記録として本書を執筆されたことが分かります。本書は、知識として言葉にできるよりも以前の段階で、またはより深いレベルで、個人的にロシア文学と出会ったものの、その影響を十分には意識化しきれないでいるような読者にとって、最良の先導者となってくれます。逆に言えば、単に一般的な知識や教養を求めるだけの読者にとっては、必ずしも苦労して読むほどの意義がない書物であるかも知れません。19世紀ロシア文学との出会いを、知的装備としてでなく、個人的体験として受け止めているかどうかによって、その人にとっての本書の価値が決まる、そのような気がしています。

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北島町の源九郎


3.0 out of 5 stars ディストピアReviewed in Japan on August 23, 2022
Format: Paperback Bunko
この本ほんと面白い。正気と狂気がグルグル廻る。そんな私はもはや、結婚とか、家族とか幸せとか恋愛とかがディストピアなんだな~と思うこの頃。お母さんごめんなさい。
だって突然砂漠にひとりで放り出されるより、海に潜ってた方がいいや。カオスダイバーだね!

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かりた


5.0 out of 5 stars ロシアとはなんなのかReviewed in Japan on September 7, 2022

ロシア、って何なのか。
いま(2022年)、ロシアを動かしているものは何なのか、を知りたくて、この本を図書館で借りました。
結局は『分からなかった』けれども、少し輪郭的なものが朧げながら見えてきたような気がします。(気のせい⁈)

「ロシアは普通の秤で量れない、ロシアは一種独特な国!」(詩人チェチェフのことば)

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もみじ


5.0 out of 5 stars 他にない面白い文学史Reviewed in Japan on August 13, 2022
Format: Paperback Bunko
長いこと絶版だったのでこの度の復刊は嬉しい。本書の特徴は作家の伝記や作品紹介にとどまらず、一連の作品を通じての根本思想、ポエジーを捉えようとしていることだ。その抽出の作業には筆者の主観が多分に入り混じるが、「プーシキン的叙情が高い調和に達するとき、そこには常に一抹の悲愁の翳があり、ほのかな秋の感触がある」やレールモントフを評した「現実否定、永遠の孤独、風吹きすさぶ曠野の自由、それこそ彼の本領だ」といった言葉はよく詩人の特徴を捉えられていると思う。筆者の情熱的な文体も相まって、古いながらもロシア文学の手引き書として面白い一冊。

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榎戸 誠


5.0 out of 5 stars フョードル・ドストエフスキーにとって、根源的なテーマとは何だったのかReviewed in Japan on December 17, 2022
Format: Paperback Bunko
『ロシア的人間(新版)』(井筒俊彦著、中公文庫)の「第13章 ドストイェフスキー」の強烈な迫力に、息が詰まるほど圧倒されました。フョードル・ドストエフスキーの霊が井筒俊彦に乗り移ったかのようです。

井筒のドストエフスキー論を私なりに整理してみました。

●ドストエフスキーは癲癇持ちだった。その発作が起こる直前の数秒間に、この世のものならぬ光景を目にして、法悦に浸るのが常であった。「至高の調和、美、であって、しかも今まで聞いたことも想像したこともないほどの豊かさと正しさと安らぎと、そして祈りの翼に乗って至高の生の総和に還流することができたという陶酔を与えてくれるもの」。

●ドストエフスキーは、この異常な体験を体験したことのない多くの人々と共有することが必要と考えた。「人類全体の宗教的救済ということを窮極の念願とするドストイェフスキーにとっては、神秘家であれ癲癇患者であれ、『永遠の今』の直観を許されたごく少数の特殊な人達だけが救われても、そういう体験を得られない他の数千万の大衆がそのまま後に取り残されるなら、何にもならこないのだ。・・・この体験の唯一の価値は、永遠の秩序、つまり『神の国』の実在を直接に証しするところにある」。

●こうして、ドストエフスキーはキリスト教に向かう。「基督教こそまさにそのような人間の救済を公然と約束しているからである。しかしその約束は本物だろうか。それはたんに好餌をもって人を釣る、言葉だけの空手形ではないだろうか。ドストイェフスキーの弁証法はここから始まる。この弁証法は、抽象的思索的哲学の形をとらずに、肯定的精神と否定的懐疑的精神とが火花を散らして相撃ち相闘う、生きた、生命の活劇となって我々の眼前に展開する。それがドストイェフスキーの文学である。基督教は、はたして全ての人間を救済する力をもっているだろうか」。

●ドストエフスキーは、この問いに答えを出すために、自らの作品の中で、敢えて厳しい実験に挑む。「彼の試みた人間分析は、世界文学にも類例がないほど残虐で冷酷なものだ。彼はその作中人物達――もっとも彼らは全て作者自身の分身であり、結局、作者自身のいろいろに異なる面貌にほかならないのだが――を残酷な精神的拷問にかける。彼は冷然として彼らを犯罪、痴呆、狂気、病苦、の活路をもたぬ袋路に叩き込む。そして、そういう恐ろしい気圧の中で、人々がいかに行動し、何を語るのかをじっと観察する」。

●残酷な精神的拷問にかけられた人間に不思議なことが起こる。「ドストイェフスキー的人間は、ただひたすら未来へ、未来へと突進して行く。だがそのことは、他面、彼らが一度陥ち込んだ自己分裂と罪の中にいよいよ深く沈んで行くことを意味した。ただ、不思議なことに、こうした罪の意識が深くなり、暗黒がいよいよ色濃くなるにつれて、全然思いかけぬところから、一条の神々しい光がさしかけて来るのである。ドストイェフスキー的救済の体験は一種の矛盾的体験である。人はそれを頭で理解することも言葉で説明することもできない。ドストイェフスキーの天才は、この不思議な体験の全過程を、一段一段と描き出すことに成功した。『カラマーゾフの兄弟』のような作品の真に偉大な意義はそこにある。ドストイェフスキーはこの作品において、愛が罪の窮極であるという霊的事実を美しい形象のうちに刻んだ。人が罪の意識に徹し、罪のどん底を窮めつくした時、その深い死の暗黒のうちに、新しい生命の黎光が燦然と輝き出す。そのすがすがしい光景を彼は描いた。罪の自覚が最後の限界線まで達するとき、人が突如として、ひろい豊かな、限りない愛の世界に転成する、あの素晴らしい光景を彼は描いた。原罪意識の窮極において、暗黒は歓喜の光となり、罪の世界がそのまま愛の世界に変貌することを、ドストイェフスキーは自分自身の体験によって知っていた。彼にとっては、宗教的愛とはそのようなものでなければならなかった」。

●例えば、『カラマーゾフの兄弟』のイヴァンの場合を見てみよう。「イヴァンは三人の兄弟のなかで一番宗教から遠いところにいる人間だ。彼は意識的に宗教から背き去ろうとする。彼の理性的な自由のパトスにとっては神という不条理で不思議な存在は大きな重い邪魔者にすぎない。そこで彼は神の宇宙経綸を拒否し、神の支配にあえて反抗しようとする。彼は神への叛逆児である。だがドストイェフスキー的世界においては、神への叛逆は神の信仰への芽ばえであることに注目しなければならない」。

●ドストエフスキーにとって、根源的なテーマとは何だったのか。「罪の秩序から愛の秩序へ。罪の共同体が直ちにそのまま愛の共同体であるような、そういう根源的連帯性の復帰。それこそドストイェフスキー的人間の最高の境地であり、窮極の目標であった。ただそのためにのみ、ただそれをよりよく表現せんがためにのみ、ドストイェフスキーは『文学者』として、あの苦難にみちた一生を生き通した」。

食わず嫌いだった井筒に魅入られてしまった私。




安楽子


5.0 out of 5 stars ロシア人の感情をみごとに探り当てている。去年出版された本だと言われても疑わないほど古さを感じないReviewed in Japan on February 24, 2023
Format: Paperback BunkoVerified Purchase
〇 一言で言えば19世紀ロシア文学案内。でもそれにとどまらず、その歴史と文学からロシア人の精神の根底にある感情と思想を分析している。昭和28年に刊行された本であるにも関わらず、ウクライナに侵攻したロシアの心理まで見事に説明できる。すごい。

〇 著者はロシア人固有の精神を次のように抽出する。
第一に、暗く陰鬱で広大で混沌とした自然に対して精神的ふるさととして深い愛着を持っている、
第二に、タタールに蹂躙され虐待された三百年の刻印は深くいまだに「虐げられた人々」という自己イメージを拭えないでいる、
第三に、したがって虐殺された人間イエスに体感的共感を覚える。虐げられた自分たちの信仰こそが正統でロシア人にはこれをもって世界を救う使命があると感じている。

〇 さらにこれを時代軸に重ねればこうなる:
・ タタール以前のロシア精神は無いに等しかった。
・ タタールの残虐な支配の下で初めてロシア精神(それは虐げられた人々のひねくれた精神)が形成された。
・ タタールを武力で駆逐したモスクワ公国のもとで純ロシア的世界が成立する。住民に対しては残虐乱暴をきわめたが、教会と結託して「世界を救済する」という欺瞞的な夢を与えた。
・ 西への窓口ペテルブルグを建設し世界的普遍性を志したピョートル大帝もメシア主義的世界救済の使命感は引き継いだ。これはのちのロシア革命政権にまで引き継がれる。

〇 本題の19世紀ロシア文学については、それまでは世界の三流だったロシア文学がプーシキンの登場によって一気に世界水準の高みに引き上げられその後チョホフに至るまで次々に巨人を生んだ、と著者は言う。11人の作家について論じるのだが、名講義の連続で思わず惹き込まれる。未読のプーシキンやツルゲーネフの本を思わず注文した。

〇 その11人はこんなふうに描かれている:
・ プーシキン:内には世界に通じる静謐なやさしさを湛え、外には渦巻く激情と熱情を放出する多面性を持つ作家。ロシア文学の源泉と言うべき存在。『オネーギン』
・ レールモントフ:プーシキンが決闘に死んだときその死をひとり悼んだ。激情の詩人だが、その激しさと冷淡さゆえに嫌われ者のまま若くして死んだ。
・ ゴーゴリ:純ロシア的土着文学を書いた。本人も伝統的ロシア人でお人好しの善人。『死せる魂』
・ ベリンスキー:ロシア・インテリゲンツィアの祖先にあたる。無比の文芸批評眼によってその後の作家たちを見出した。
・ チュチェフ:時代の主流が散文に移ってから、世界存在の暗い根源を覗きこむようなその詩が評価されるようになった。
・ ゴンチャロフ:昔からの地主層で精神的にかなり偏った人物。ロシア的無用人『オブローモフ』を創造した一作で歴史に名を残す。
・ トゥルゲーネフ:本人は社会批評をめざしたらしいが、その美点は美しい抒情的文章にある。プーシキンの美と調和の抒情性を承継する者。
・ トルストイ:言わずと知れた巨峰。その本質はひたすら自我のみを追求し続けた「エゴイスト」なのだが、作品に自我のすべてを表現しきれずに終わった。
・ ドストイェフスキー:もう一人の巨人は、癇癪持ちでその発作時に永遠の世界を見た。それゆえどの作品にも人が孤独の現実から永遠の世界を見出す宗教的救済の物語がある。ドストエフスキーを論じる著者の筆は興奮しており感激と傾倒が伺える。
・ チェホフ:プーシキンに似た硬質な叡智の文体をもって、ドストエフスキーのように人間と救済可能性を探る作品を書いた。

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roughfractus02
roughfractus02
「ロシア的」という題に個人を一般化する上からの権力操作を感じるのは「西洋的人間」だからだろう。本書は、個人/社会のコスモス的関係にカオス的な自然との関係を接続した上で「ロシア的」と呼ぶ。神である皇帝はロシアの大地と同義であり、大地との存在論的関係こそがロシア文学で哲学を語るれる理由である、と著者はいう。この存在論的普遍性は、善悪の彼岸に立つ流血の政治史、受難への服従の態度、民族的メシアニズムの特異さを生み、カオスとの相克をトルストイに、神秘体験をドストエフスキーに、霊性をプーシキンの人物たちに思考させる。
ナイス★10
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2021/01/26
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Haruka Fukuhara
Haruka Fukuhara
この本は本当に面白いし、この著者でないと書けない内容だと思う。ロシア(もしくは西欧;比較対象として興味深いと思います)に興味があってまだこの本を手に取っていない人はぜひ読んでみてほしい一冊。
ナイス★10
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2017/06/17
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neeyo
neeyo
ドストエフスキー理解の入り口を求めて。ロシアという国が持たざるを得なかったあまりに広く、そして深い精神性を、ロシア文学という輝きに照らして浮かびあがらせる本。
ナイス
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2017/04/16
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funuu
funuu
ロシア人は、ラスコーリニコフの言い草ではないが「無辜なる民の血もシャンペン酒ねように流しつつ」荒れ狂う狂暴な人間に変貌してしまうこともできるのだロシア人は世界各国のキリスト教徒の中でも比肩するもののないほど素朴で敬虔な信者だった。革命の勃発と共に、世界宗教史上に例のない暴虐の限りをつくしてキリストを否定し神を誹殺した。。1950年代に「ソ連」に対しての、これだけの認識をしていた人が日本にいたのには、驚く。現代の世界各国の判断も歴史を知るのが、重要。やはり、日本は江戸時代と、同じかな。サラリーマンは、農民。
ナイス★9
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2015/04/04
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みとん
みとん
「一人一人の個人の方が全世界の運命よりずっと大切だ!」p.168.に衝撃を受けた。ゲルツェンの「現在は未来の犠牲ではない」を思い出す。
ナイス★1
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2013/06/03
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tekesuta
tekesuta
ロシアが体験したロシア魂に象徴される雄大な自然性と西欧の合理的精神との相克を井筒俊彦は19世紀ロシア文学の中に読み取った。その文章がすこぶる面白い。明治時代からからロシア文学に傾倒した知識人たちはこういうことを読み取っていたのかなあと想像した。
ナイス★1
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2012/01/03
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ほーりー
ほーりー
イスラーム学の世界的権威として知られる井筒俊彦が、若い頃に情熱を傾けたロシア文学について語った本。しかし、視点が独創的なのでかえって、「世界史的現象」である19世紀のロシア文学を通して、著者の哲学と歴史観を語っているようにも思えてくる。当然のごとくロシア語を身に付た上で原語で読破したようだ。モンゴルの世界統一の後の300年の支配があって初めて真に民族的な文学があり得たと言ったり(イスラムの独創的な文化はモンゴルの侵入後に生まれたと違う対談で言及)著者にとっては全部繋がってるんだろう。各論も出色。
ナイス★2
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ロングセラーを読む
『ロシア的人間』井筒俊彦著 「怪物」の正体に切り込む
2022/9/4 08:30
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ウクライナ戦争が始まってから半年が過ぎたが、ロシア国内で厭戦(えんせん)機運が高まる気配はそれほどない。戦線は膠着(こうちゃく)し、ウクライナの無辜(むこ)の民が日々犠牲になっていく。何のための戦いなのか。戦争を終わらせる方策はないのか―。


ロシアの人々の思考や精神を読み解く手がかりを求め、手にした一冊が『ロシア的人間』だ。著者の井筒俊彦(1914~93年)は東洋思想と言語哲学を専攻した世界的な学者として知られる。19世紀ロシア文学を通じて、その精神の古層に迫る本書は東西冷戦初期の昭和28年に刊行。その後復刊を繰り返し、今年7月に新版として復刊。根強い人気のロングセラーだ。




「今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た」―。本書の第1章の冒頭部分だけ読めば現在の状況と錯誤しそうで、いきなり引き込まれる。そんな本書は全14章構成で、1~4章は異民族に長らく支配されたロシア人の精神史形成の流れを俯瞰(ふかん)。残りで、19世紀ロシア文学の嚆矢(こうし)と位置づけるプーシキンから掉尾(ちょうび)を飾るチェーホフまでの作家論を展開する。総論と各論を通じて「ロシア的人間」の輪郭がつかめる書きぶりだ。19世紀ロシア文学の特徴についても「一日中太陽の光の射し込まぬ薄暗い部屋の臭いがする」と表現するなど、独自の比喩が随所に盛り込まれ飽きさせない。




井筒の描く「ロシア的人間」とはどんな人なのか。「ロシア人はロシアの自然、ロシアの黒土と血のつながりがある。それがなければ、もうロシア人でも何でもないのだ」と。その上で、西欧的文化への熱望と憎悪・反逆という相反するロシア独特の態度を指摘し、「こういう国では西欧的な文化やヒューマニズムは人々に幸福をもたらすことはできない」と断じる。今回の戦争の底流にあるロシア側と米欧側の〝断絶〟の一端と読めなくもない。




けた外れの呑気(のんき)さ、自由への渇望、激しい怨恨(えんこん)…。指摘される数々のロシア人気質の中で印象的なのが、熱狂的な信仰だ。


「この国では、『父なる皇帝(ツァーリ)』を戴く専制政治や、さもなければ唯物論が、堂々と神の王座にすわることができるのだ。ここではマルクスが、救世主の姿で熱狂的に迎え入れられたのも無理はない」


であるならば、ソ連崩壊後のロシアの人々は今、何を〝信仰〟の対象としているのか。(中公文庫・1210円) (花房壮)


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ライフ

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読書ノート 「ロシア的人間 井筒俊彦著作集3」 井筒俊彦
https://note.com/1_sakazuki/n/n4f94913cdae2

sakazuki
2023年7月9日 22:06
 慶應義塾大学出版局ではなく、中央公論社の著作集。
 付録に付いている江藤淳のエッセイが興味深い。大学における井筒の言語学概論授業の様子を鮮やかに描き出している。

「井筒先生は、ベルが鳴ると同時に白墨を鷲掴みにして教壇に現れた。ノートを持っているわけでもなければ、本を抱えているわけでもない。いつも太いストライプのワイシャツを着て、ネクタイピンで襟元をとめ、突然即興的に話し出すというスタイルの授業である。したがって、雑談もなければ脱線もない。仮に脱線があったとしても、それはどこかで必ず本論につながり、話が元に戻っていくふうであった。
 井筒先生には学生に迎合するなどという気配は皆無であった。それどころか、先生はときどき眼の前に学生がいるという事実を、全く忘れているように見えることさえあった。ただ先生の頭脳があり、思考が回転し、それがそのまま講義になったり黒板の上の文字になったりする。その思考の回転ぶりを、眺めているのが愉しいのであった。ここに頭脳を際限なく駆使して、言語という現象に挑んている人がいるという事実を、毎回確認できるというのが頼もしいのであった」


 「序」の巻頭で、井筒はこのように書く。

 「ロシアは今日、世界のトピック(話題)である。誰一人ロシアに無関心ではいられない。人類の未来とか、世界の運命とか、人間的幸福の建設とかいう大きな問題を、人はロシアをぬきにしては考えることができない」

 著作を記した1953年当時、ロシアは東ヨーロッパの国々を自国の衛星国家とし、共産圏の拡大を進めていた。その時のロシア(ソビエト)の思想と、現在ウクライナ侵攻で起こっている事象には、相似性がある。それは、「ロシア帝国」の復活と構築を、どのような手段を使っても成し遂げたいという、帝国の思想だ。それを検討するためにも、井筒の書は示唆を与えてくれる。
 「簡単に言ってしまえば、ロシア人なるものがあまりにも甚だしい自己矛盾に充満し、四分五裂していて、それを既成の人間像のひとつにはめ込むことができない」のがロシアの本質であり、それは理想的な抽象化から具体的な暴力に移行する。なにか得体のしれない、恐ろしいものがそこではエネルギーを持って生き続けているのである。



 読む。

 「その昔、古代のギリシア人が「カオス」と呼んで恐れたもの、太古の混沌、一切の存在が自己の一番深い奥底に抱いている原初的な根源、人間を動物や植物に、大自然そのものに、母なる大地の直接しっかりと結びつけている自然の靭帯。西ヨーロッパの文化的知性的人間にあっては無残に圧し潰されてほとんど死滅しきっているこの原初的自然性を、ロシア人は常に生き生きと保持しているのだ」

 ロシア的人間の性格をディオニソス的という形容詞で表現してもいいかもしれない。

ロシア人の楽天主義「オブローモフ主義」

「ニチェボー」はロシア語で《ничего》と書き「どうでも構わない」とか「たいしたことじゃない」といったことを意味する言葉。

ロシア文学全体の中心軸は人間である。

ハイデガー「人間のあり方・被投性」

プーシキン、ゴーゴリ、ドフトエフスキー、実存主義的。

一切はプーシキンから始まるのである。

韃靼人の三世紀に渡る支配。「韃靼人の侵入は悲痛な、しかし偉大な、光景」(プーシキン)

ロシア精神は「虐げられた人びと」となったときから始まる。



 「韃靼の苦しみの間、蛮族の圧政化に喘ぎつつ、ロシア人たちが渇望したものは「ロシア人のロシア」ということだった。皇室も教会も、人民も全ロシアあげてプーシキンのいわゆる「ロシア統一」を目指しつつ不屈の努力を続けてきた。遂に念願成就の時が来た。1480年、イヴァン三世の武力は韃靼人を撃破して、民族を屈辱から救出し解放した。「ロシア人のロシア」は実現し、ロシア史上最初の強力な中央集権的統一国家が、典型的な神権政治の形態をとって成立した。この国家を世にモスコウ公国と呼び、その支配の統いた200年間を歴史家はモスコウ時代と呼ぶ。

 しかし支配される人民にとっては、モスコウ時代もまた一種の奴隷時代の継続で、替ったのはいわば主人だけだった。韃靼人の羈絆きはんからは自由になったが、結局人民はそれに代わって、教会と緊密に結託した(というよりは教会完全に呑み込んだ)ツァーリ絶対専制の独裁政治によって圧服されることになった。ツァーリ及び教会は民衆を欺瞞するために、ロシアの世界救済という夢をこれに与えた。民衆は欺瞞に気づかなかった」

第三のローマ…「これほどまでに獰悪な、神を無視した、冒涜的な国はいまだかつて世界のどこにもなかったような」(メレシュコフスキー)恐るべき専制君主国が出現した。

ドストエフスキーはロシア民族メシア主義精神の恐るべき誘惑とその誤謬とを剔抉し暴露してみせる。

モスコウ・ロシアは200年にして滅んだが、その精神は滅びなかった。

このメシア主義的使命感は、20世紀初頭の大革命によって一時挫折したかのごとく見えたが、たちまちその衣装をかえて再登場してきた。いや、実はこの使命感こそロシア革命の根本精神なのだ。ソヴィエト・ロシアは外形を変えたモスコウ主義に他ならない。「第三インターナショナル」が「第三のローマ」の現代的再現であったように、ロシア共産主義はロシアを中心軸とする人類救済のメシア主義である。

ペテルブルグは悲劇の都

「ピュートル一世はロベスピエールとナポレオンとを一つにしたもの(つまり受肉した革命)だ」(プーシキン)

(冷血漢の道をゆく)ピュートル大帝はレーニンの先駆者、18世紀のレーニンであり、彼の決行した暴力的な国政改革は、コミュニズムの暴力革命の原型であった。



 特筆すべき作家たち。トルストイ、ドストエフスキーだけではない。

プーシキン…一九世紀ロシア文学はプーシキンから始まる。ロシアの国民的詩人。「漂白の民」「オネーギン」上流階級からの耐え難い侮蔑と揶揄を浴びせかけられた後、妻の浮気が元で行った決闘により38歳で凶弾に斃れる。

レールモントフ…プーシキンを熱烈に支持。「白帆」超現実的なものへの憧憬・焦燥に駆られた詩人。

ゴーゴリ…作家。プーシキンにネタをもらわないと書けなかった。「検察官」

ベリンスキー…批評家。ロシア的人間の総決算。「真理」に対する燃えるような熱情。よく憎み、よく愛した。無神論者。ひどい肺病で見にくくやせ細り、荒涼たる生活を送り37歳で悲惨な死を遂げる。

チュチェフ…「夜の子供」詩人。詩は形而上的認識の手段。「昼と夜」「沈黙」

ゴンチャロフ…「オブローモフ」しまりのない性格。「無用人」

ツルゲーネフ…プーシキン的な美と調和の詩の直系継承者。社会思想家になれなかった純粋な芸術家。虚無主義者。類稀な詩的感覚。

トルストイ…ロシア文学の峰。「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」人生の後半で転向。過去の自分の作品を批判。鬱蒼たる太古の原始林。82歳で家を飛び出し、10日後、路上の小さな田舎駅で生涯を閉じる。

ドストエフスキー…ロシア文学の峰。「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」癲癇による「永遠調和」の体験。人間実存の孤独。

チェーホフ…19世紀ロシア文学の掉尾。「三人姉妹」一見すると女性的な印象を与える「やさしさ」の裏に、強靭で執拗な魂がある。



 あとがきで井筒はこう述べる。

 「今から思えば、ロシア文学にたいするこの激しい主体的関わりも、結局、私にとって、自己形成上に通過した一時期に過ぎなかった。…だがあの頃は、本当にロシア文学に夢中になっていた。そしてそれが、たしかに私の魂を根底から震撼させ、人生にたいする私の見方を変えさせ、実存の深層にひそむ未知の次元を開示して見せた。この意味で、19世紀のロシア文学の諸作品は、どんな専門的哲学書にもできないような形で、私に生きた哲学を、というより哲学を生きるとはどんなことであるかを教えた。今となってみれば、ただそれだけのことだった。だが、それだけでいいのだ」
 「ロシア独特の、大地に根ざした巨大な「哲学的人間学」は、危機的様相を急速に進める現在の、そして今後の、世界文化的状況の中で、重大な役割を果たすことになるのではなかろうか」



 井筒のいう「重大な役割」を、今現在ロシアは確かに果たそうとしている。それは井筒の意図とは全く逆の、18世紀帝政ロシア、帝国主義への退行回帰として。
 渦巻ばねは、巻かれようとしている。

ロシア的人間-新版 (中公文庫 い 25-7)
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(2023年07月09日 21:34時点 詳しくはこちら)
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「地下室」に宿る「卑屈な心」――井筒俊彦『ロシア的人間』
https://note.com/mystery_tramp/n/nb655d09c0e65
4
Mystery Tramp
2022年3月15日 15:34

「全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやり出すだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起す。今やロシアは世界中の真只中に怪物のような姿をのっそりと現して来た。為体の知れないこの怪物のまわりに無数の人々が、蝟集して騒ぎ立て狂躁している有様は、まるでスタヴローギンをめぐる「悪霊」の世界がそのまま現実となって出現したようだ。この怪物の姿を仰ぎ見ただけで、ただもう訳もなく感激し、熱狂し、昂奮している人々がある。顔をしかめ、憎悪と憤懣に充ちたまなざしをそれに注ぎながら、怒罵し、呪詛を投げかけている人々がある。胡散臭そうにじっとそれを見つめている人々もある。こうなるともう誰も黙ってはいられない。誰も無関心ではいられない。好きでも嫌いでも、全ての人が関心を払わずにはいられないのだ。ロシアをめぐる空気は異常に緊張している。今日、ロシアはまさに文字通り一個の全世界史的「問題」として自己を提起した。みんながこの「問題」を解決しようと焦心する。ロシアの正体を誰もが知りたいと念願する。この怪物は一体何者なのか? 彼は何をしようというのか? どんな新しい言葉を我々に向って吐こうとしているのか?」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

蔵書の整理をしていたら目に入ってきた井筒俊彦の『ロシア的人間』。目下の世界情勢を考えるヒントでもあるかと久しぶりに頁を開いたところ、巻頭に書かれていたのが上に引用した文章。まるで今まさに書かれたような生々しさがある。チュチェフの、

 ロシアは普通の秤では量れない、
 ロシアは一種独特な国!

という詩を引用しつつ、ロシアはロシア人自身にとっても「謎」であることを強調し、その「謎」の正体を、プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ベリンスキー、チュチェフ、ゴンチャロフ、トゥルゲーネフ、トルストイ、ドストイェフスキー、チェホフといった19世紀ロシア文学を代表する作家たちの世界に分け入りながら若き井筒俊彦は探求していく。

「ロシア人はロシアの自然、ロシアの黒土と血のつながりがある。それがなければ、もうロシア人でも何でもないのだ。西欧的文化に対するロシア人の根強い反逆はそこから来る。文化の必要をひと一倍敏感に感じ、文化を熱望しながら、しかも同時にそれを憎悪しそれに反逆せずにはいられない。この態度はロシア独特のものである。こういう国では西欧的な文化やヒューマニズムは人々に幸福をもたらすことはできない」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

「外から見たロシア人にはどことなく暗い翳りがあり、その印象がどう見ても陰性であるのは恐らくそのためだ。ロシアは暗い。深い恐ろしい底を隠してよどんだ沼のように、それは不気味で陰鬱だ。ドストイェフスキーの『悪霊』を読んで受けるあの暗い印象、魂の深部にまで喰い入って来るあの遣り場のない暗黒は、決してただ『悪霊』という小説だけの暗さではないのである」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

「アンドレ・ジィドやニコライ・ベルジャーイェフが言うように、『地下室の住人』こそドストイェフスキー的文学の出発点をなすものなのだが、こういう意味では、ロシア的人間自体がすでにその本質上、地下室の住人であり、ロシア文学全体が――したがってまたロシアそのものが――一つの巨大な「地下室」と考えられないだろうか。しかしもちろん、この地下室はただ暗くて憂鬱なだけではない。実はこの暗闇の中には、昼の世界が夢にも知らない猛烈な歓喜が、メレシュコフスキーのいわゆる「夜の子供達」だけにわかる暗黒の情熱がどよめき渦巻いているのだ。ガールシンやチェフホに至って絶対的な極限に達するロシア文学のあの特徴ある暗さが、いわばもう取り返しのつかない決定的な様相を帯び出すのは、まず何といってもゴーゴリあたりからだと思うが、一方その同じゴーゴリが、一見すると全くそれと相容れないような凄まじいバッカス的な生の歓喜の代表者であることは、まことに意味深長な事実と言わなければならない」(井筒俊彦『ロシア的人間』)

『ロシア的人間』は最初、弘文堂から昭和28年に出た本だが、もともとはその5年前に慶応大学の通信教育部の教材用に書かれた文章が元なっているということである。昭和23年というと、井筒俊彦34歳のときになるが、その歳で近代ロシア文学の代表的作家の作品を原文でほぼ読破し、専門でもないのにこのレベルのロシア文学論を書いてしまっているのだから、井筒俊彦はつくづく天才である。井筒自身は、この本について次のように回想している。

「大学を卒業したての未熟な若者が、要するに自分だけのために書いた私記であるにすぎない。学問とはどういうものであるべきかもよくわかっていなかった。ただロシア語を学び、始めてロシア文学に触れた感激を、ひたすら文字にしようと夢中になっていた。だがそれだけに、私個人にとっては、実になつかしい青春の日々の記録ではある」(井筒俊彦『ロシア的人間』後記)

その後、日本におけるイスラム研究の大家となる井筒俊彦が、若き日に強烈なロシア文学体験を経ているというのは、案外重要なトピックかもしれない。

「ロシア的人間」の謎を見究めようという若き日の井筒俊彦の試みは、相手が大きすぎるので、さしもの天才といえど成功しているとは言えないと思えないが、ドストイェフスキーの『未成年』から、ソコーリスキー公爵とアルカージーの次の言葉を取り出してきているのは流石の炯眼と感じる。

「ねえ、アルカージー君、私達は、つまり私も貴方もですよ。お互いに共通なロシア的運命ってやつに襲われてしまったわけですよ。貴方もどうしたらいいかわからない、私もどうしたらいいかわからない。ロシア人という奴はね、習慣がちゃんと制定してくれた公定の軌道から飛び出すやいなや、たちまちどうしたらいいかわからなくなっちまうんです。軌道に乗ってる間は何もかもはっきりしている。ところがちょっとでも何か変ったら最後、さあ大変だ、まるで風にもてあそばれる木の葉同様で、どうしたらいいか途方にくれてしまう」(ドストイェフスキー『未成年』)

「我々は韃靼人侵入を経験し、次に二百年の奴隷状態を経験したわけですが、それというのも実は両方とも我々の好みにかなっていたからなんですよ。今や、自由が与えられています。そしてこの自由をもちこたえて行かねばならない。しかし一体我々にそんなことができるでしょうか。自由も奴隷状態のように我々の好みにぴったりとくるでしょうか、そこが問題です」(ドストイェフスキー『未成年』)

「韃靼の軛」以来の奴隷状態のエトスを、ドストエフスキーはロシア民衆の根底にあるものと見ていたようだが、その「卑屈さ(подлое сердце)」が西欧渡来の「自由」と出会ったときに、ロシア人はどう身を処するのか――これが、シベリア流刑以降のドストエフスキー文学を貫く主題になっていると思う。

「なんて卑屈な心なんだろう! あたしの卑屈な心に乾杯!」(Экое ведь подлое сердце! За подлое сердце мое! )」(『カラマーゾフの兄弟』グルーシェンカの台詞)

そしてその主題は、まさに目下のウクライナ危機でも展開されているように思う。なかなか楽観できない状況が続いているが、

「その政治体制ではなく、トルストイやドストエフスキーを生んだロシアの民衆を私は信じる」

というトーマス・マンの言葉に倣って、厳しい弾圧に遭いながらも反戦の声を挙げているロシア民衆を僕も信じたいと思う。

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2022-08-27
厖大な矛盾と不調和の塊であるロシア精神 ―「井筒俊彦『ロシア的人間』より
読游摘録
https://kmomoji1010.hatenablog.com/entry/2022/08/27/150821

 井筒俊彦の『ロシア的人間 新版』(中公文庫)が先月刊行された。単行本初版は弘文堂から一九五三年二月に出版されている。その時期は「スターリン体制と重なり、ロシア社会は外部に対して閉ざされていた。そのような状況で、井筒氏は、文献だけによって極めて精確にロシア人の特徴をとらえることができた」と本書の解説で佐藤優は高く評価している。井筒俊彦が捉えようとしたのは、「時代の流れによって千変万化する現象的なロシアではなくて、そういう現象的千変万化の底にあって、常にかわることなく存続するロシア、「永遠のロシア」」(序)である。その深い洞察には驚かされる。以下、第一章「永遠のロシア」からの摘録である。

 全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやり出すだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起す。えたい今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た。[…]誰も無関心ではいられない。好きでも嫌いでも、全ての人が関心を払わずにはいられないのだ。ロシアをめぐる空気は異常に緊張している。今日、ロシアはまさに文字通り一個の全世界史的「問題」として自己を提起した。みんながこの「問題」を解決しようと焦心する。ロシアの正体を誰もが知りたいと念願する。この怪物は一体何者なのか? 彼は何をしようというのか? どんな新しい言葉を我々に向って吐こうとしているのか?

 しかしここで注意しなければならないのは、ロシア的人間像の示す矛盾撞着がただの矛盾や分裂ではなくて、―つの幹から生長した大枝であり小枝であるにすぎないということである。上層部こそ千々に乱れ錯雑しているが、その根幹はただ―つである。だから当然、この根源がわかるとき、人は初めて現象面におけるロシア人というものが統一的に理解できるのである。「ロシアは普通の秤では量れない」とチュチェフは断言したが、それは全く何の秤もあり得ないということではなくて、かえってある唯一の、独特な秤をもってすれば立派に量れるということを意味する。何よりもまずその特別な秤を手に入れることが問題なのだ。

 ロシア的現象なるものの特徴をなす混沌はことごとく、人間存在の奥底にひそむただ―つの根源から湧き起って来る。ただし、その根源そのものもまた―つの混沌なのだが。その昔、古代のギリシア人が「カオス」と呼んで怖れたもの、太古の混沌、一切の存在が自己の一番深い奥底に抱いている原初的な根源、人間を動物や植物に、大自然そのものに、母なる大地に直接しつかと結び付けている自然の靭帯。西ヨーロッパの文化的知性的人間にあっては無残に圧しつぶされてほとんど死滅し切っているこの原初的自然性を、ロシア人は常にいきいきと保持しているのだ。西ヨーロッパでは、とっくの昔に冷却して死火山になっているものが、ロシアでは今なお囂々と咆哮する活火山脈なのである。

 ロシア人の魂は、ロシアの自然そのもののように限界を知らず、たとえ知っても、あえてそれを拒否しないではいられない。「一切か、しからずんば無!」というロシア独特の、あの過激主義はこういう魂の産物である。そして、行けども行けども際涯を見ぬ南スラヴの草原にウラルおろしが吹きすさんでいるように、ロシア人の魂の中には常に原初の情熱の嵐が吹きすさぶ。大自然のエレメンタールな働きが矛盾に満ちているように、ロシア人の胸には、互いに矛盾する無数の極限的思想や、無数の限界的感情が渦まいている。知性を誇りとする近代の西欧的文化人はその前に立って茫然自失してしまう。一体これはどうしたことだ。どう解釈したらいいのか。

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  つくしん坊
5.0 out of 5 stars 「東洋哲学」に精通した哲学者が観たロシア文学の主役たち
Reviewed in Japan on August 5, 2021
Format: Paperback
井筒俊彦(1914 - 93年)は、イスラーム学者かつ東洋思想研究者であり、慶應義塾大学名誉教授であった。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語等の30以上の言語に精通していた。本書は井筒俊彦が哲学者としての本格的活動を始める前に書かれたもの(1953年)で、終戦直後に慶応義塾大学で行ったロシア文学講座が基になっている。ロシア文学への深い造詣と共感とがうかがえる。この共感は終生のテーマである「東洋哲学」の「共時的構造化」にも繋がっている。

ロシア文学の輝きは19世紀に極まっている。著者は、プーシキン(1799-1837)に始まり、トルストイ(1827-1910)、ドストイェフスキー(1821-1881)、チェホフ(1860-1904)に至る10名の文学者たちを論じている。時代は帝政ロシア末期、舞台は首都ペテルブルグである。

広大な土地を有するロシアは、かつて三百年間韃靼(タタール)人に支配された。著者によれば、この三百年間はロシア民族にとって屈辱と苦悩の受難時代であり、この三百年間にロシア人が「虐げられた人々」として次第に濃厚な黙示録的幻想を抱くようになったという(第二章、第三章)。それはロシアが「最高の真理」を捧持する地上唯一の民族であって、やがてロシアが中心になって世界は救済されるという思想(というより幻想)である。本書のテーマである19世紀ロシア文学の輝きは、この民族的なトラウマなしではありえなかったのである。

以上の著者の解説で、トルストイやドストイェフスキーなどの特徴ある文学の背景を理解することができた。著者はこの後、ほとんどユーラシア大陸を俯瞰するような、東洋哲学の研究に入るのである。本書は、哲学者・井筒俊彦の出発点がロシア文学であった、という点に同氏の東洋哲学の深みを一層痛感させる。
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ほそみち
5.0 out of 5 stars ロシア文学評論の隠れた名著
Reviewed in Japan on March 6, 2003
Format: Paperback
東洋哲学・言語哲学の分野では世界的に有名な井筒氏が若かりし頃に担当したロシア文学の講座のために書いたテキストをベースとした「ロシア文学論」。19世紀のロシア文芸の担い手であったプーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ベリンスキー、チュチェフ、ゴンチャロフ、ツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェホフなどを取り上げ、彼らの思想や作品で何を主題にしていたか、それはいかなる時代的・自然環境的背景によるものなのかを読者を引き込むように語ってくれてます。彼らの作品を知る人はもちろん、あまり馴染みのない方もロシア文学へ誘う名著です。
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【文庫】井筒俊彦『ロシア的人間』は今年一番のグッドワーク

48
読書ときどき愛とカレー
2022年7月25日 00:28
今月の新刊文庫の売り場で、
感激することがありました。

こんな仕事をする文庫編集者が
いるんだあ、と。
なんて志しが高いんだろう?

私が感激した新刊文庫は
『ロシア的人間』
作者は、井筒俊彦。
出版社は中公文庫です。

これは一般論ですが、
文庫の編集部というのは、
文芸雑誌の編集者が歳を経て移る、
ゆったりした働き場所です。
編集者たちは、
どこか忸怩たる思いも
持っているものです。

まあ、それはさておき、
文庫の編集の使命は、
自社の単行本をそのまま
文庫本にするだけではありません。

これまで様々な出版社から
出されていた本の中から、
今こそ読むべき本を探し、見つけ、
新たな装いをして、
現代の私たちに
手に取りやすくすること、
それも文庫編集者の大きな使命と
言えるんですが、
この『ロシア的人間』は
実に波乱万丈な本で、
しかも今こそ読むべき価値がある
貴重な本だよ、という自信が
本から漂っていました。

これを担当した方は
本当に編集者のカガミです。

なにせ、
最初は1953年、弘文堂から出て、
1978年、北洋社、
1989年、中公文庫、
そして、2022年、中公文庫新版、
と、なんと、今回までで
4回も出されてきました。

この『ロシア的人間』が
発売されるのは、
ロシアやソ連が
世界情勢を揺るがし、
注目を集めていた時です。

ところで、そんな貴重な本が
なぜ、何度も復刻されているのか?  
何度も絶版になってきたのか?

中身は凄いんですよ。
ただ、作者は世界に通じる
稀有な哲学者、井筒俊彦さんだから。
難解なんです。ちょっと。

私は岩波文庫から出てる
井筒俊彦先生の哲学書は
どれも挫折してきました(笑)。

西洋哲学、東洋哲学、
インド哲学、イスラム哲学、
これら全てを身につけた巨人で、
たしか30カ国語を読み話せた
という碩学です。 
まあ、俗っぽくいえば
知のモンスターでしょう。

司馬遼太郎や佐藤優や江藤淳らが、
敬愛してやまない大哲学者。

ただ、そんな井筒先生にも、
通常の哲学書でなく、
ロシアとは何かを
文学者を題材に書いた
文学的エッセイは
やや読みやすそうで、
今回買いましたが、
すでにもう、
挫折してしまいそうです。 
難解というか、
理解に時間がかかるというか。

この本で初めて、わたしも
井筒先生の著作を通読できる
かもしれません。

それにしても、
この時期に、この井筒先生の
文学的エッセイを出した編集者は
儲けや利益は考えてないでしょう。 
つまりは編集長ともども、
この本は出すことに価値があり、
利益は二の次にしたんでしょう。
そうしたやり取りが
目に浮かびます。

この本の復刻を発案し、
動きに動いた編集者に
こころから敬意を払いたいと
思います。
=====

「ロシア人」は健在なのだ 「ロシア的人間」(井筒俊彦)
2023年 02月 16日

文句なしの青空にポカポカと日差し、きのう半乾きの洗濯物に残った水分が音を立てて蒸発して行くようだ。
ついで今日のシーツとホーフも湯気をあげている、ありがたやありがたや。

「ロシア人」は健在なのだ 「ロシア的人間」(井筒俊彦)_e0016828_11094137.jpg

『天皇の世紀』三巻を読み終えて四巻を申し込んだら「回送中」、図書館に受け取りに行くと、まだ回送中。
ずいぶん(わずか一日だけど)時間がかかるのですね、明日はきますか?
いや、明日もはっきりはしません。
端から端まで回送中、と両手で本の漂う動きを見せてくれる。
世田谷区内のいくつもある図書館のどこかから、今も漂っているのだろうか。

「ロシア人」は健在なのだ 「ロシア的人間」(井筒俊彦)_e0016828_11083961.jpg

つなぎというとなんだけど、自分で買った「ロシア的人間」(井筒俊彦)の第一章「永遠のロシア」を読んだ。
全世界の目が向けられている。全世界が耳をそばだてている。ロシアは一体何をやりだすだろう、一体何を言い出すだろう、と。その一挙手一投足が、その一言半句が、たちまち世界の隅々にまで波動して行って、到る処で痙攣を惹き起こす。今やロシアは世界史の真只中に怪物のような姿をのっそり現して来た。
冒頭の文章は、ロシアのウクライナ侵攻を受けての文章のように思われるが、じつは1953年1月、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、アルバニア、ブルガリア、ルーマニア、中国、北朝鮮に社会主義国が拡張した頃の、ソ連の力・動きに世界中が注目していた頃の文章だ。

井筒は社会主義がどうのこうのとは書かないようだ。
社会主義国を牽引するソ連にいるロシア人たちの、人間について考察する。

外側から見ていると矛盾撞着の瘤節のように見えるロシア人、それはそのロシア人なるものがあまりにも自己矛盾に充満し、四分五裂していて、既成の人間像の一つにはめ込むことができないからだ。
ロシア人が棲息する精神的風土は極限であり精神の限界地帯である。彼は常に極限を想い「遥かなる彼方」を望見する。中庸の徳は彼にとって徳ではない。

中庸の否定は、すなわち文化の否定であり、自然的カオスの肯定でなくてなくてなんだろう。それ故に、ロシアのインテリゲンツィアは、西欧文化を悲劇的にしか受容できなかった。
しかし、ロシア人の示す矛盾撞着は一つの幹から生成した大枝であり小枝であって、この根幹を理解できればロシア人を理解することができる。
その根幹とは、
古代のギリシャ人が「カオス」と呼んで怖れたもの、太古の混沌、一切の存在が自己の一番深い奥底に抱いている原初的(エレメンタール)な根源、人間を動物や植物に、大自然そのものに、母なる大地に直接しっかと結び付けている自然の靭帯、西ヨーロッパの文化的知性的人間にあっては無残に圧しつぶされてほとんど死滅しきっているこの原初的自然性を、ロシア人は常にいきいきと保持しているのだ。
非合理的な自然のカオスを、克服して明るい光と理性の秩序(コスモス)に転じていくことをもって人間の本分とする西ヨーロッパの文化に対するロシア人の根強い反逆はそこに根差す。
文化の必要をひと一倍敏感に感じ、文化を熱望しながら、しかも同時にそれを憎悪しそれに反逆せずにはいられない。
ロシアの自然は限界を知らない。
ロシア人にとって限界は自由の束縛、すなわち悪を意味する。限界があることこそ醜悪(ギリシャ人と正反対に)なのである。
「二二が四」がたとえ真理であろうとも、もしそれが人間を金縛りにするなら真平なのだ。此の自由への非合理的な愛、この自由への熱狂的な情熱はロシア人に特有のものである。ロシアの偉大な思想家たちはいずれも、人間存在の窮極の問題を自由の問題として把握した。
ウクライナの非ナチス化といい、NATOによる包囲を拒否するプーチン、それを大勢において支持しているらしいロシア人とは、そういう存在なのだ、と思うと少し見えてくる。

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러시아인 인간 이통 슌히코
Amazon.co.kr:Customer Reviews: 러시아인 인간 (중공 문고 M 401) 이통 슌히코 Follow 러시아적 인간-신판 (중공 문고 25-7) Paperback Bunko




– July 21, 2022 by 이통 슌히코 (Author) ratings 무엇이 그들을 찔러가는지 지금 러시아는 세계사의 한가운데에 괴물과 같은 모습을 은근히 보여 왔다――. 사람을 매료하는 영혼의 러시아란 무엇인가. <권말 에세이>에토 쥰 <해설> 사토 유우 차서 1장 영원한 러시아 제2 장 러시아의 십자가 제3 장 모스코의 밤 제 4장 환영의 도시 제 5장 푸시킨 제 6 장 툴게 네프 제 12 장 톨스토이 제 13 장 도스토예프스키 제 14 장​ ​M 401) by 이통 슌히코 Translate all reviews to English From Japan 파스토 ~ 루 5.0 out of 5 stars 영원한 것을 본 러시아 문학 Reviewed in Japan on March 11, 2016 Format: Paperback Bunko Verified Purchase 원래는 1940년대 후반에 게이오 대학의 통신 교육부의 교과서로서 인쇄된 것이라고 하는 본서에는, 톨스토이, 도스토예프스키(본저에서는 도스토예프스키), 투르게네프(같아, 투르게네프), 체호프(체 호프), 고고리, 푸시킨이라는 이름이 줄지어 있습니다만, 표면적 지식만을 추적한 문학사는 아닙니다.이통씨는 이 19세기 러시아의 작가를 통저하는 테마를 보고 있습니다  . 지혜의 철학을 통한 것이라고 기억하고 있습니다. 학」에는 이츠키 슌히코, 스즈키 오오츠키, 야나기 무네요시, 요시만 요시히코, 가쓰오지, 야마자키 벤에이 등이, 「사는 철학」에는, 스가 아츠코, 원민희 , 호리 타츠오, 릴케, 카미야 미에코, 부다, 미야자와 겐지, 프랑크르, 그리고, 여기에도 이츠쓰 슌히코가 등장합니다.공통하는 것은 「철학」입니다.  NHK TV 텍스트의 「100 분 de 명저 우치무라 감조」 「대표적 일본인」은 와카마츠씨가 우치무라의 저서를 밝힌 것입니다만, 그 「대표적 일본인」에는, 사이고 다카모리, 우에스기 타카야마, 니노미야 존덕, 나카에토 수, 니치렌 등이 나옵니다. 에타의 존재, 「하늘」인, 와카마츠씨는 말하고 있습니다.  같이, 이통씨의 「러시아적 인간」을 관철하는 것도, 눈에 보이지 않는 것입니다.  “(러시아 문학이) 내 영혼을 근본적으로 떨쳐내고, 인생에 대한 나의 견해를 바꾸게 하고, 실존의 심층에 흩날리는 미지의 차원을 공개해 보여주었다.이 의미에서, 19세기의 로 시아문학의 여러 작품은 어떤 전문적 철학서도 할 수 없는 형태로, 나에게 살아온 철학이라기보다는 철학을 사는 것은 어떤 것인지를 가르쳤다”(p.318).  「실존의 심층에 숨어있는 미지의 차원」을, 얼마 전의 「하늘」 「그들을 넘은 존재」 「눈에 보이지 않는 것」이라고 바꿔도, 문의를 두드려 손상하는 일은 없을 것입니다. 이름의 「살아있는 철학」은, 이통씨가 여기서 말하고 있는 「살아있는 철학」 「철학을 살다」에 다름없을 것입니다  . 푸시킨은 “먼 산이 하늘의 푸른 곳에 녹아들어가는 곳에 영원한 영광이 눈부시게 빛나는 그분”(p.118)을 보고, 레일 몬토프는 “정말의 성상이 반짝이는 그분, 지상의 그 향하는  나라 」(p.131)에 굉장히 생각을 모아, 추체프는 「우주의 뿌리, 존재의 최심층을 직감적으로 파악」(p.177) 한, 이통씨는 뜨거운 붓을 진행해 갑니다. 설가가 되면, 톨스토이와 도스토예프스키입니다. 그들의 문학은, 「인간이라고 하는 우주의 수수께끼에 관하여 러시아가 토해낼 수 있었던 최고의, 그리고 아마도 마지막, 말」이며 그들은 「 단지 오로지 『인간』을 탐구했다」가, 「그 인간 탐구는 반드시 신의 탐구로 연결되어 있었다」(p.229)와 이통씨는 설명합니다  . 자연스럽게 체험을  통한 「우주적 생명과의 직접적인 접촉이라고 할 수 있는 일종의 이상한 체험이 있다」(p.252)라고 말합니다. 복"을 "울타리"(p.275)한 경험은 몇번인가 있습니다만, 그는, 그것 없이도 거기에 도달할 수 있을까 기대해 기독교에 향했다고 이통씨는 지적하고 있습니다.














































































 그 입구는 원죄라고 말합니다. 그러나 그것은 개인의 죄가 아니라 "자신이 저지른 죄가 아니고 자신이 저지르지 않는 죄"이고 "전 인류의 모든 존재의 죄"이며 "모든 인간, 모든 것이 각각 자신의 죄 의 부정을 담당하는 것이 아니라, 자신 이외의, 모든 사람, 모든 것의 죄를 일신에 져야 한다. 에 춤추게 되지 않을까」(p.297)라고 하는 것입니다. 「자아의 굳은 덩어리가 풀리고, 자아에게 죽어 온 그는, 전우주와 함께 넓은 죄의 큰 바다의 한 방울이 되어 되살아난다」(p.298)라고 말하는 것입니다

 . 유유하고 있는 이 '기침'은 '망아탈혼의 순간에 우연'에 '울타리 보고'한 '영원의 행복' 혹은 '실존의 심층에 휘말리는 미지의 차원'에, 게다가 하나님 그 자체, 영원 그 자체에 다름 아닌 것은 아닐까요. 11 people

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마카카 짱

5.0 out of 5 stars
Bunko
러시아어로 러시아의 고전 문학을 읽는 것은
아마 대부분
의 일본인에게는 어렵다고 생각합니다 . 하고 싶습니다.
최근에는 인치키 냄새 번역도 나돌는 등, 러시아 문학의 일본에서의 환경은 열악해지고
있습니다
. 10 people found

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우메다

3.0 out of 5 stars Reviewed in Japan on October 30 , 2020 review to English 카와시마 요이치 5.0 out of 5 stars 투철한 역사관 Reviewed in Japan on November 18, 2011 Format: Paperback Bunko 이통 박사의 책을 널리 읽는 동안 항상 일관된 역사관 및 철학관을 그 근저에 가지고 있다는 것을 깨닫는 것은 나만이 아닐 것이다. 시대 배경을 살펴보면 공산주의 소련에 숨어있는 타타루몽골의 선행 시대 300년, 이어지는 샬리의 200년, 표토르, 레닌과 러시아주의의 일관성을 깨닫게 될까 어쨌든 귀엽고 싶은 생각이 들게 된다 . 양보한다고 해서, 흔들리지 않는 역사의 무게를 이 책에서 느껴 주시면 다행이다. 12 people found this helpful Helpful Report Translate review to English Inoo Tanaka / 다나카 이노오 4.0 out of 5 stars 프랑스 실존주의의 규칙은 러시아 문학에 있다 Reviewed in Japan on May 21, 2022 Format: Paperback Bunko "러시아는 오늘 세계의 화제이다. 누구 한 사람 러시아에 무관심으로 있을 수 없다. 인류의 미래라든지, 세계의 운명이라든가, 인간적 행복의 건설이라고 하는 큰 문제를, 사람은 러시아를 따로 생각할 수 없다. 긍정적으로 하든, 부정적으로 하든, 모두가 러시아에 대해 태도를 결정하는 것을 강요당하고 있다.  “전세계의 눈이 향하고 있다. 전세계가 귀를 곁들이고 있다. 러시아는 도대체 무엇을 낼 것인가, 도대체 무엇을 말할 것이다, 라고  . - 근대 러시아 문학-의 내보내기이지만, 마치 우크라이나 전쟁을 나타내는 것이라고 착각해 버릴 것 같다."러시아는 보통의 칭으로 측정할 수  없는, 러시아는 일종 독특한 나라!"라고  , "수수께끼"가 많은 러시아. 「러시아인의 영혼은, 러시아의 자연 그 자체와 같이 한계를 모르고, 비록 알고도, 굳이 그것을 거부하지 말아야 한다. 『일절인가, 어쩔 수 없다!』라는 러시아 독특한, 그 과격주의는 이런 영혼의 산물이다.」












































 이통 슌히코 씨에 따르면, 러시아 문학에는 문학적 전통이 없다. 사이와는 누구인가, 인간은 아무 의미도 모르고 그냥 거기에 던져지고 있는 존재자에 지나지 않는다, 라고 하는 실존주의라고 한다.

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쿠로바 나츠히코

5.0 out of 5 stars 젊은 이츠키 슌히코의 선명한 열정 Reviewed in Japan on February 10, 2010
Format: Paperback Bunko
 전후 얼마 지나지 않아 이통 슌히코가 대학에서 러시아 문학을 강구한 초안이 이 「러시아적 인간」의 근거가 되고 있다. 는, 테마 그 자체가 풀리는 양해 곤란한 성격 때문에 매우 신비한 인상을 가질 수 있어. 라고 놀라울 정도로 열정적으로 선명한 문장이 잇달아 나온다. 하는 러시아 문학사라고 하는 이전에, 이통의 사상을 아는 확실히 멋진 입문서라고도 말할 수 있을 것이다.

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여시가문

5.0 out of 5 stars 열정서 Reviewed in Japan on June 15, 2006
Format: Paperback Bunko
 지금은 사망 동양 사상의 학학이, 젊은 나날에 경도한 러시아 문학을 말하는 정열의 책

 . 그리고 들은 적도 없는 주체프 등은 수확이었다. 제안이 풍부하다.

 저자의 이통 슌히코는 이슬람 사상이나 신비 철학 등에 돌출한 업적을 남기고 있다

 . 의 러시아 문학에 대한 이해의 깊이, 어쩐지 그 '열'에 신선한 놀라움을 기억한다. 그리고, 여기에 씨의 투철한 정신의 기원을 보는 생각이 든다

 .

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호소미치

5.0 out of 5 stars 러시아 문학 평론의 숨겨진 명저 Reviewed in Japan on March 8, 2003
Format: Paperback Bunko
동양 철학·언어 철학 분야에서는 세계적으로 유명한 이츠키 씨가 젊었을 때 담당한 러시아 문학 강좌를 위해 쓴 텍스트를 베이스로 한 「러시아 문학론」. -네프, 톨스토이, 도스토예프스키, 체호프 등을 거론해, 그들의 사상이나 작품으로 무엇을 주제로 하고 있었는지, 그것은 어떠한 시대적·자연 환경적 배경에 의한 것인지를 독자를 끌어들이도록(듯이) 말해 줍니다.그들의 작품을 아는 사람은 물론, 별로 익숙하지 않은 분도.

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JOHN JOHN

BY THE RUINS 5.0 out of 5 stars 우주에서 본 러시아 문학사 Reviewed in Japan on February 13, 2022
Format: Paperback Bunko Verified Purchase
「제1장 영원의 러시아」로부터 「제4장 환영의 수도」까지를 총론(19세기 러시아 문학을 낳은 역사, 토양), 「제5장 푸쉬킨」으로부터 「제14장 체호프」까지를 각론(작가 논) 라고 읽었다. 이 총론·각론이 상호 참조 반추되어 단순한 러시아 문학사를 넘은 깊이와 두께가 느껴졌다. 나중에 고금 동서의 사상을 횡단적으로 논하는 우주적 장대함이 이미 느껴진다고 해도 저는 이정도 작품을 읽은 것은 아니지만 추체프, 곤차로프 등. 안녕 익숙하지 않은 작가도 俎상에 얽혀 있지만, 읽고 지루하지 않고, 시키지 않는 곳은 과연.

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5.0 out of 5 stars 귀중한 책 Helpful Report Translate review to English siyu 4.0 out of 5 stars 환상적인 Reviewed in Japan on September 16, 2024 Format: Paperback Bunko Verified Purchase 멋진 One person found this helpful Helpful Report Translate review to English 이카와 카즈키 5 . Japan on February 19, 2024 Format: Paperback Bunko Verified Purchase 독서·철학을 좋아하는 , 40대의 샐러리맨입니다. 해외 거주입니다. 저는 20년 정도 전에 도스토예프스키를 비롯한 러시아 문학을 읽고 감명을 받았습니다. 7년 전에는 러시아 여행을 하거나 최근에는 도스토예프스키의 소설을 다시 읽는 등 러시아에 대한 생각은 사라지지 않습니다. 이 책을 읽고 러시아인적이라는 것은 무슨 일인지 알고 있었고, 끝없이 광대한 대지와 장엄한 자연, 13세기부터 300년에 이르는 韃靼人에 의한 지배, (늪지에 , 서양으로의 창이 되는 상트페테르부르크를 건설한) 표토르 대제에 의한 급속한 근대화(서양화) 등이 러시아인의 형성에 큰 영향을 준 것을 잘 알았습니다. 또한 그들을 긍정적으로 받아들인 것은 바로 디오뉴소스적이라고 느꼈으며, 축적된 에너지가 19세기에 단번에 방출됨으로써 문학 분야에서 꽃이 열렸을 것이라고 상상할 수 있습니다. 근대 러시아를 대표하는 작가에 관한 기술은 모두 흥미롭고, 다양한 사상이 있었다는 것을 이해했습니다만, 역시 뭐니뭐니해도 도스토예프스키에 대한 해설이 압권입니다. 인간은 카오스(디오뉴소스적)에 견디지 못하고, 안이하게 코스모스(아폴론적)를 요구해 버리기 쉽고, 그것이 위험한 상태인 것을 깨달은 도스토예프스키는, “사람은 하나님을 잃고 자연을 잃고 사랑의 불능에 빠졌다 . 모스 속에서 살아났다고도 할 수 있다고 생각하고, 그것은 어떤 의미 “러시아적”이라고도 말할 수 있는 하나님에 대한 도전이며, 최종적으로는 인류에게 죄의 의식에 깨어나는 것의 중요성을 보여준 것이라고 생각합니다. (「인간은 하나님을~.」에 관해서는, 제가 동양인이니까요. 「자연에 대한 감사를 잃은 결과, 하나님과 사랑을 잃었다.」라고 생각합니다. 이 점에 관해서는, 향후의 테마가 될 것 같습니다.) 본서는 이통 선생님이 39세 때 출판된 책이며, 후기로, "자신의 나마의 말로, 그대로 가만히 뿌려진 것이다. 이 의미에서는, 다시는 쓸 수 없는 작품이다." 처음부터 끝까지 정말 열광적으로 쓰여진 것이 전해져 왔고, 나도 단번에 읽어 버렸습니다. 이러한 체험도 "러시아적"일까 생각합니다. 16 people found this helpful Helpful Report Translate review to English 도지바바 5.0 out of 5 stars「의식의 형이상학」을 히이코라 말하면서 읽은 나로서는 감동 물건의, 열정 넘치는 읽기 쉬운 책이구나, … 매우 친숙함을 느꼈다. 러시아의 문인이 안고 있는, 묵시적 종말적인 절망적 세계관과 부활, 신세계, 구제를 희구하는 생각… 양쪽에 흔들리는 과정에서 일어나는 비극의 역사. 그것이 왜 러시아에서 일어나는지를 인간 맛 넘치는 문체로, 한사람 한사람을 예로 들어주고 있다. 러시아 정교의 세계관이 러시아의 문인 각각에 어느 정도 영향을 주었는지를 생각하는 계기가 되었다. 현대를 사는 러시아인에게도 무관하지 않을 것이다. 하지만 처음으로 읽을 생각이 들지 않는 감각도 있었다. 빛과 어둠의 부분이 단번에 연결되거나 내면에 동시 존재하고 있는 근처의 표현은, 어딘가 「의식의 형이상학」에 통하는 것 같은 생각이 든다. 천재 이츠키 슌히코의 인간을 바라보는 눈빛의 깊이. 무엇보다, 현재에 쓰여져도 전혀 위화감 없음. 러시아 문학을 통한 러시아인의 분석으로 읽고 통용한다. 사토씨의 해설에 동의. 17 people found this helpful Helpful Report Translate review to English Kindle Customer 5.0 out of 5 stars 러시아의 심성을 깊이 파고 든 지금도 살아 있는 책








































































푸틴의 우크라이나 침공 을 받아 다시 읽었 지만

, 1953년에 쓰여진 러시아적 인간은 지금도 살아 있다. 5.0 out of 5 stars 19세기 러시아 문학과의 만남Reviewed in Japan on October 2, 2022 Format: Paperback Bunko 본서는 19세기에 러시아 문학의 황금 시대를 세운 10명의 작가에 초점을 맞추어, 그 사상과 작풍을 통해 러시아인의 인간성을 심부로부터 이해하려고 시도한 것으로 지금부터 70년 이상이나 전, 저자의 이츠키 슌히코씨가 아직 30대 후반의 무렵에 집필된 것으로 생각됩니다. 하고 있었던 것과 같은 해 무렵에 해당합니까? 본서는 최초의 개설적인 4장에 이어, 푸쉬킨으로부터 체호프까지의 10명의 시인이나 소설가를 1장 마다 거론해 논하고 있습니다만, 단순한 러시아 문학의 입문서가 아니고, 각각의 작가에 있어서 저자가 가장 근간적이라고 생각하고 있다 년이나 생몰지, 주요한 경력 등의 기초적인 전기적 기술이 거의 생략되어 있기 때문에, 충분한 문학사의 지식이 없는 나의 경우는, 각 장마다 거기서 싣고 있는 작가의 경력을 Wikipedia로 먼저 드러내고 나서 읽어 나갈 필요가 있었습니다. 19세기의 러시아 문학사에 어느 정도 통 우나 독자가 상정되고 있다고 생각합니다. 나 자신은 이과계의 인간으로, 일의 대부분을 실험실에서 보내는 생활을 30년 왔습니다만, 대학 수험을 앞둔 시절에 도스토예프스키의 소설에 끌려, 수험 공부도 거기서 시간을 찾아서는 작품을 잇달아 통독하고 있던 시기가 있었습니다.ー의 사상은 지나치게 커서 굉장히 이해가 미치지 않고, 그 작품으로부터 자신이 어떤 영향을 받았는지, 자신의 삶의 방식이 어떻게 바뀌었는지를 구체적으로 말로 할 수 없었습니다. 아를 구축해 나가는 국면 속에서, 내가 실시한 몇개의 중요한 결단의 배경에, 고교 시대에 독서를 통해 받은 도스토예프스키로부터의 질문에 대해 무의식적으로 대답하려고 하는 동기가 있었던 것에, 지금도 과연 끌려갔습니다 . 하지만 역시 어렸을 때 러시아 문학과의 개인적인 만남을 체험받아 그 충격의 기록으로 본서를 집필된 것을 알 수 있습니다. 반대로 말하면 단순히 일반적인 지식이나 교양을 요구하는 독자에게는 반드시 고생하고 읽을 정도의 의의가 없는 책일지도 모릅니다. 19 people found this helpful Helpful Report Translate review to English키타지마마치의 겐쿠로 3.0 out of 5 stars 디스토피아 Reviewed in Japan on August 23, 2022 Format: Paperback Bunkoこの本ほんと面白い。正気と狂気がグルグル廻る。そんな私はもはや、結婚とか、家族とか幸せとか恋愛とかがディストピアなんだな~と思うこの頃。お母さんごめんなさい。だって突然砂漠にひとりで放り出されるより、海に潜ってた方がいいや。カオスダイバーだね!2 people found this helpful Helpful Report Translate review to English 5.0 out of 5 stars 러시아란 무엇인가 Reviewed in Japan on September 7 , 2022 러시아, 라고 무엇인가. 지금(2022년), 러시아를 움직이고 있는 것은 무엇인가,를 알고 싶어서, 이 책을 도서관에서 빌렸습니다 . "러시아는 평범한 칭찬 으로 헤아릴 수 없는, 러시아는 일종 독특한 나라!"(시인 체체프의 말씀) 7 people found this helpful Helpful Report Translate review to English




























































긴 것 절판이었기 때문에 이번 복간은 기쁘다.본서의 특징은 작가의 전기나 작품 소개에 그치지 않고, 일련의 작품을 통한 근본 사상, 포에지를 포착하려고 하고 있는 것이다. 의 슬픔의 날이 있어, 은은한 가을의 감촉이 있다”나 레일 몬토프를 평가한 “현실 부정, 영원의 외로움, 바람 불어 스사부 아오노의 자유, 그야말로 그의 본령이다”라고 하는 말은 잘 시인의 특징을 파악되고 있다고 생각한다.

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토 마코토

5.0 out of 5 stars 료도르 도스토예프스키에게 근원적인 테마란 무엇인가 Reviewed in Japan on December 17, 2022
Format: Paperback Bunko
『러시아적 인간(신판)』(이통 슌히코 저, 중공 문고)의 「제13장 도스토예프스키」의 강렬한 박력에, 숨이 막힐 정도로 압도되었습니다

.

●도스토예프스키는 간질 소유였다. 심지어 지금까지 들은 적도 상상한 적도 없을 정도의 풍요로움과 정확함과 평화와 기도의 날개를 타고 최고의 삶의 합계로 환류할 수 있었다는 도취를 주는 것”.

●도스토예프스키는 이 비정상적인 체험을 체험한 적이 없는 많은 사람들과 공유하는 것이 필요하다고 생각했다. 극히 소수의 특수한 사람들만이 구원받아도 그러한 체험을 얻을 수 없는 다른 수천만의 대중이 그대로 뒤에 남아 있다면 아무것도 안 되는 것이다.

● 이렇게, 도스토예프스키는 기독교로 향한다. “기독교야말로 그러한 인간의 구제를 공연하게 약속하고 있기 때문이다.그러나 그 약속은 진짜일까. 이 변증법은, 추상적 사색적 철학의 형태를 취하지 않고, 긍정적 정신과 부정적 회의적 정신이 불꽃을 흩어져 상격하고 싸우는, 살아 있는, 생명의 활극과 되어 우리의 눈앞에 전개한다. 그것이 도스토예프스키의 문학이다.

●도스토예프스키는, 이 질문에 답을 내기 위해, 자신의 작품 속에서, 감히 엄격한 실험에 도전한다. 몸의 여러가지 면모에 다르지 않지만―를 잔혹한 정신적 고문에 걸린다.

●잔혹한 정신적 고문에 걸린 인간에게 이상한 일이 일어난다. 그들이 한번 빠진 자기분열과 죄 속에 드디어 깊게 가라앉는 것을 의미했다. 어쩌면 전혀 생각하지 않는 곳에서 일조의 신성한 빛이 드러나는 것이다. 일도 말로 설명할 수도 없다. 한 작품의 진정으로 위대한 의의는 그곳에 있다. , 죄의 밑바닥을 어지럽히게 했을 때, 그 깊은 죽음의 암흑 가운데, 새로운 생명의 여광이 찬연히 빛난다 그 그 시원한 광경을 그는 그렸다. 했을 때, 사람이 갑자기, 히로 풍부한, 한없는 사랑의 세계로 전성하는, 그 훌륭한 광경을 그는 그렸다.

●예를 들어, 『칼라마조프의 형제』의 이반의 경우를 보자. 하지만 큰 무거운 방해자에 지나지 않는다. 거기서 그는 하나님의 우주경을 거부하고 하나님의 지배에 감히 반항하려고 한다. 그는 하나님에 대한 반역아이다.

●도스토예프스키에게 있어서, 근원적인 테마란 무엇이었는가. 「죄의 질서로부터 사랑의 질서에. 땅이며, 궁극의 목표였다. 단지 그것을 위해서만, 단지 그것을 잘 표현하지 않기 위해서만, 도스토예프스키는 「문학자」로서, 그 고난에 미친 평생을 살아냈다」

.


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안락자

5.0 out of 5 stars 러시아인의 감정을 벌써 찾아내고 있다 작년 출판된 책
이라고 해도 의심할 정도로 낡음을 느끼지 않는다 한마디로 말하면 19세기 러시아문학안내에서도 거기에 머물지 않고 그 역사와 문학에서 러시아인의 정신의 근저 에 있는 감정과 사상을 분석하고 있다. 저자는 러시아인 고유의 정신을 다음과 같이 추출한다. 첫째, 어둡고 음울하고 광대하고 혼돈된 자연에 대해 정신적 고향으로 깊은 애착을 가지고 있다 . '자신'이라는 자기 이미지를 닦지 않고 있는 셋째, 따라서 학살당한 인간 예수에게 체감적 공감을 느낀다. 〇 또한 이것을 시대축에 겹치면 이렇게 된다.・타타르 이전 의 러시아 정신은 없었다 . 타타르를 무력으로 구축한 모스크바 공국 아래에서 순러시아적 세계가 성립한다 . 서쪽 창구 페테르부르크를 건설해 세계적 보편성 을 뜻한 표토르 대제도 메시아주의적 세계구제의 사명감은 이어졌다. 본제의 19세기 러시아 문학에 대해서는, 그때까지는 세계의 3류였던 러시아 문학이 푸쉬킨의 등장에 의해 단번에 세계 수준의 높이로 끌어올려 그 후 초호프에 이르렀다. 에서 차례차례로 거인을 낳았다고 저자는 말한다. 〇 그 11명은 이런 식으로 그려져 있다 : · 푸쉬킨 : 안에는 세계에 통하는 조용한 부드러움을 빚어 밖에는 소용돌이치는 격정과 열정을 방출하는 다면성을 가진 작가 . 레일 몬토프 : 푸쉬킨이 결투에 죽었을 때 그 죽음을 혼잣말 했다 . 벨린스키 : 러시아 인텔리겐치의 조상에 해당한다 . 곤차로프 : 옛부터 지주층에서 정신적으로 상당히 치우친 인물 . 톨스토이 :말하지 않고 알려진 거봉.그 본질은 오로지 자아만을 추구해 온 「에고이스트」인데, 작품에 자아의 모든 것을 표현하지 못하고 끝났다. 도스토예프스키 : 또 한 명의 거인은 간질로 그 발작시에 영원한 세계를 보았다 . 체호프 : 푸쉬킨 을 닮은 단단한 지혜의 문체 를 가지고 도스토예프스키 처럼 인간 과 구제 가능성을 찾는 작품을 썼다 . '러시아적'이라는 제목으로 개인을 일반화하는 위로부터의 권력조작을 느끼는 것은 '서양적 인간'이기 때문일 것이다. 라고 말할 수 있는 이유라고 저자는 말한다. 을 낳고, 카오스와의 상극을 토르스토이에, 신비 체험을 도스토예프스키에, 영성을 푸쉬킨의 인물들에게 사고시킨다. 2021/01/26 코멘트 하는 Haruka Fukuhara Haruka Fukuhara 이 책은 정말 재미있고 , 이 저자가 아니면 쓸 수 없는 내용이라고 생각한다 . 2017/06/17 코멘트 하는 neeyo neeyo 도스토예프스키 이해 의 입구 를 요구해 .




























































러시아인은, 라스코리니코프의 말초는 아니지만 「무순한 백성의 피도 샴페인 술처럼 흘리며」거칠 수 없는 광폭한 인간으로 변모해 버릴 수도 있는 것이다 러시아인은 세계 각국의 기독교인 가운데서도 비견할 수 없을 만큼 소박하고 경건한 신자였다. 1950년대에 「소련」에 대한, 이만큼의 인식을 하고 있던 사람이 일본에 있었는데,
놀라움
.
2015/04/04
코멘트 하는
미토미 돈 「한 사람 한 사람의 개인이 전세계의 운명보다 훨씬 중요하다!」p.168.에 충격을 받았다.겔젠의 「현재는 미래의 희생 이
아니다 」를 생각 한다 tekesuta 러시아가 체험한 러시아 영혼에 상징되는 웅대한 자연성과 서유럽의 합리적 정신과의 상극을 이통 슌히코는 19세기 러시아 문학 속에 읽어 냈다 . 2012/01/03 코멘트 하는 호리 - 호리- 이슬람학의 세계적 권위로서 알려진 이통 슌히코가, 젊은 무렵에 열정을 기울인 러시아 문학에 대해서 말한 책. 자연스럽게 러시아어를 몸에 익힌 다음 원어 로 읽은 것 같다. ========= 롱셀러를 읽는 『러시아적 인간』이츠키 슌히코 저 「괴물」의 정체에 깎는 2022/9/4 08:30 라이프 북 X 포스트 반응 페이스 북 공유 하기 LINE 공유 하기 링크 복사하기 기사 저장 우크라이나 전쟁이 시작된 지 반년이 지났지만 러시아 국내에서 왕전( 엔선) 기운이 높아지는 기색은 그다지 없다. ―― 러시아 사람들의 사고나 정신을 읽는 단서를 찾아, 손에 넣은 한권이 『러시아적 인간』이다. 19세기 러시아 문학을 통해 그 정신의 고층에 육박하는 본서는 동서냉전 초기의 쇼와 28년에 간행. “지금 러시아는 세계사의 진보중에 괴물과 같은 모습을 은근히 현해 왔다”―. 포함되는 그런 본서는 전 14장 구성으로, 1~4장은 이민족에 오랫동안 지배된 러시아인의 정신사 형성의 흐름을 부감(잔감) 나머지, 19세기 러시아문 학의 효야(こうし)로 자리매김하는 푸쉬킨에서 쵸비를 장식하는 체호프까지의 작가론을 전개한다. 잡는 글쓰기다. 19세기 러시아 문학의 특징에 대해서도 "하루 종일 햇빛이 쏟아지지 않는 희미한 방의 냄새가 난다"고 표현하는 등 독자적인 은유가 곳곳 에 포함되어 질리지 않는다.이통 이 그리는 「러시아적 인간」이란 어떤 사람인가. 「러시아인은 러시아의 자연, 러시아의 흑토와 피의 연결이 있다. 서구적인 문화와 휴머니즘은 사람들에게 행복을 가져올 수 없다”고 단절한다. 아무것도 없다 . “이 나라에서는 『아버지 황제(차리)』를 대하는 전제 정치나, 그렇지 않으면 유물론이 당당히 하나님의 왕좌에 빠질 수 있다. 여기서는 마르크스가 구세주 의 모습으로 열광적으로 맞이한 것도 무리는 없다” 라면, 소련 붕괴 후의 러시아의 사람들은 지금, 무엇을 ‘신앙’의 대상으로 하고 있는 것인가(중공 문고·1210엔) (꽃방 장) 장르 : 라이프 책 ===







































































독서 노트 「러시아적 인간 이통 슌히코 저작권 3」
https://note.com/1_sakazuki/n/n4f94913cdae2

10
sakazuki
sakazuki
2023년 7월 9일 22:06
 게이오 기학 대학 출판국이 아니라 중앙 공론사의 저작.
 부록에 붙어 있는 에토 아츠시의 에세이가 흥미롭다.

"이통 선생님은 벨이 울리는 동시에 백묵을 잡아서 교단에 나타났다. 노트를 가지고 있는 것도 아니면 책을 안고 있는 것도 아니다. 언제나 굵은 줄무늬 셔츠를 입고 넥타이 핀으로 칼라 따라서 갑자기 즉흥적으로 말하는 스타일의 수업이다. 따라서 잡담도 없으면 탈선도 없다.
 이통 선생님은 학생들에게 영합하는 등의 기색은 전혀 없었다. 되거나 칠판 위의 문자가 되기도 한다. 그 사고의 회전만을 바라보고 있는 것이 즐거웠던 것이다.


 「서」의 권두로, 이통은 이렇게 쓴다.

 "러시아는 오늘 세계의 주제(화제)이다. 누구 한 사람 러시아에 무관심으로는 있을 수 없다. 인류의 미래라든지, 세계의 운명이라든지, 인간적 행복의 건설이라고 하는 큰 문제를, 사람은 러시아를 누워서는 생각할 수 없다"

 저작을 기록한 1953년 당시 러시아는 동유럽 국가들을 자국의 위성국가로 삼아 공산권 확대를 진행시키고 있었다. 코끼리에는, 유사성이 있다. 그것은, 「러시아 제국」의 부활과 구축을, 어떤 수단을 사용해도 이루고 싶다고 하는, 제국의 사상이다 그것을 그것을 검토하기 위해서도, 이통의 책은 시사를 준다.
 "간단하게 말하면, 러시아인이 되는 것이 너무 심각한 자기 모순에 충만해, 사분오열하고 있어, 그것을 기성의 인간상의 하나에 끼워넣을 수 없다" 가 러시아의 본질이며, 그것은 이상적인 추상화로부터 구체적인 폭력으로 이행한다.



 읽기.

 「그 옛날, 고대 그리스인이 「카오스」라고 불러 두려워한 것, 태고의 혼돈, 일체의 존재가 자기의 제일 깊은 안쪽에 안고 있는 원초적인 근원, 인간을 동물이나 식물에, 대자연 그 자체에, 어머니의 대지의 직접 제대로 연결되어 있는 자연의 인대. 서유럽의 문화적 지성적 인간에 있어서는 무잔에 압박되어 거의 사멸하고 있는 이 원초적 자연성을, 러시아인은 항상 생생하게 유지하고 있는 것이다」

 러시아적 인간의 성격을 디오니소스적이라는 형용사로 표현해도 좋을지도 모른다.

러시아인의 낙천주의 '오브로모프주의'

‘니체보’는 러시아어로 《여자》라고 쓰고 '아무래도 상관없다'라든가 '무슨 일이 아니다'라는 것을 의미하는 말.

러시아 문학 전체의 중심축은 인간이다.

하이데거 「인간의 본연의 방법・피투성」

푸쉬킨, 고고리, 도프트예프스키, 실존주의적.

일체는 푸쉬킨으로 시작되는 것이다.

모란인의 3세기에 걸친 지배. '무인의 침입은 비통하지만 위대한 광경'(푸쉬킨)

러시아 정신은 '학대받은 사람들'이 되었을 때부터 시작된다.



 '모란의 고통 가운데 만족의 압정화에 허덕이면서 러시아인들이 갈망한 것은 '러시아인의 러시아'라는 것이었다. 전 러시아를 올려 푸쉬킨의 이른바 '러시아 통일'을 목표로 하면서 불굴의 노력을 계속해 왔다. 세의 무력은 봉인을 격파하고, 민족을 굴욕으로부터 구출 해방했다. 「러시아인의 러시아」는 실현해, 러시아 사상 최초의 강력한 중앙집권적 통일 국가가, 전형적인 신권 정치의 형태를 취해 성립했다.

 그러나 지배받는 인민에게 있어서는, 모스코 시대도 또 일종의 노예 시대의 계속으로, 바꾼 것은 이른바 주인뿐이었다. 말하기보다는 교회 완전히 삼켜진 짜리 절대 전제의 독재 정치에 의해 압복되게 됐다.

제3의 로마… 「이 정도까지 사악한, 신을 무시한, 모독적인 나라는 아직도 한때 세계의 어디에도 없었던 것 같은」(메레슈코프스키) 무서운 전제 군주국이 출현했다.

도스토예프스키는 러시아 민족 메시아주의 정신의 무서운 유혹과 그 오함을 면도하고 폭로해 보인다.

모스코 러시아는 200년에 멸망했지만 그 정신은 멸망하지 않았다.

이 메시아주의적 사명감은, 20세기 초의 대혁명에 의해 일시 좌절한 것처럼 보였지만, 금방 그 의상을 바꾸어 재등장해 왔다 아니, 실은 이 사명감이야말로 러시아 혁명의 근본 정신인 것이다. 러시아는 외형을 바꾼 모스코주의에 다름없다. '제3인터내셔널'이 '제3의 로마'의 현대적 재현이었던 것처럼 러시아 공산주의는 러시아를 중심축으로 하는 인류구제의 메시아주의이다.

페테르부르크는 비극의 도시

「퓨틀 1세는 로베스피에르와 나폴레옹을 하나로 한 것(즉 수육한 혁명)이다」(푸쉬킨)

(냉혈한의 길을 간다) 퓨틀 대제는 레닌의 선구자, 18세기의 레닌이었고, 그의 결행한 폭력적인 국정 개혁은 커뮤니즘의 폭력 혁명의 원형이었다.



 특필해야 할 작가들.

푸시킨… 19세기 러시아 문학은 푸시킨으로 시작한다. 러시아의 국민 시인. ‘표백의 백성’, ‘오네긴’ 상류계급에서 견딜 수 없는 모멸과 야유를 받게 된 뒤 아내의 바람기가 원래 행한 결투에 의해 38세에 흉탄에 빠진다.

레일 몬토프… 푸시킨을 열렬히 지지. 「백호」초현실적인 것에 대한 동경・초조에 몰린 시인.

고고리… 작가.

벨린스키… 비평가.러시아적 인간의 총결산.「진리」에 대한 불타는 열정.

주체프… '밤의 아이' 시인. 시는 형이상적 인식의 수단. "낮과 밤" "침묵"

곤차로프… “오브로모프” 끝이 없는 성격.

투르게네프… 푸쉬킨적인 아름다움과 조화의 시계의 계승자.사회사상가가 될 수 없었던 순수한 예술가.

톨스토이… 러시아 문학의 미네. 「전쟁과 평화」 「안나 카레니나」 인생의 후반으로 전향.비교.

도스토예프스키…러시아 문학의 미네.

체호프… 19세기 러시아 문학의 리오. ‘3인 자매’ 언뜻 보면 여성적인 인상을 주는 ‘쉬움’ 뒤에 강인하고 집요한 영혼이 있다.



 나중에 이통은 이렇게 말한다.

 “지금부터 생각하면, 러시아 문학에 대한 이 격렬한 주체적 관계도, 결국, 나에게 있어서, 자기 형성상에 통과한 한때에 지나지 않았다. … 하지만 그 무렵은, 정말로 러시아 문학에 열중하고 있었다. 층에 숨어 있는 미지의 차원을 공개해 보였다.
 「러시아 독특한, 대지에 뿌리를 둔 거대한 「철학적 인간학」은, 위기적 양상을 급속히 진행하는 현재의, 그리고 향후의, 세계 문화적 상황 속에서, 중대한 역할을 완수하게 되는 것은 아닐까」



 이통이 말하는 「중대한 역할」을, 지금 현재 러시아는 확실히 완수하고 있다.
 소용돌이 스프링은 감기려고 한다.

러시아 인간-신판 (중공 문고 25-7)
www.amazon.co.jp
1,210엔
(2023년 07월 09일 21:34 시점 자세한 것은 이쪽)
Amazon.co.jp에서 구입한다
==========
「지하실」에 머무는 「비굴한 마음」――이통 슌히코 『러시아적 인간』
https://note.com/mystery_tramp/n/nb655d09c0e65
4
Mystery Tramp
Mystery Tramp
2022년 3월 15일 15:34
“전세계의 눈이 향하고 있다. 전세계가 귀를 곁들이고 있다. 러시아는 도대체 무엇을 낼 것이다, 도대체 무엇을 말할 것이다, 라고. 한 모습을 은근하게 드러냈다. 몸이 알 수 없는 이 괴물의 주위에 무수한 사람들이, 밀집해 떠들썩하게 하는 아줌마는, 마치 스타브로긴을 둘러싼 '악령'의 세계가 그대로 현실이 되어 출현한 것 같고, 이 괴물의 감정 하고 있는 사람들이 있다. 하지만 관심을 기울이지 않고는 있을 수 없다. 러시아를 둘러싼 공기는 이상하게 긴장하고 있다. 그는 무엇을 하려고 하는 것인가?

장서의 정리를 하고 있으면 눈에 들어온 이츠키 슌히코의 『러시아적 인간』.

 러시아는 평범한 칭찬으로는 헤아릴 수 없으며,
 러시아는 일종 독특한 나라!

라는 시를 인용하면서, 러시아는 러시아인 자신에게 있어서도 「수수께끼」임을 강조하고, 그 「수수께끼」의 정체를, 푸쉬킨, 레일 몬토프, 고고리, 벨린스키, 츄체프, 곤차로프, 툴게네프, 톨스토이, 도스토예프스키, 체호프 등 19세기 러시아 문학을 대표하는 작가들의 세계로 나뉘면서 젊은 이통 슌히코는 탐구해 나간다.

“러시아인은 러시아의 자연, 러시아의 흑토와 피의 연결이 있다. 그것이 없으면, 이미 러시아인도 아무것도 아니다. 서구 문화에 대한 러시아인의 뿌리 깊은 반역은 거기에서 온다. 하지만 게다가 동시에 그것을 증오하고 거기에 반역하지 않고는 있을 수 없다. 이 태도는 러시아 독특한 것이다.

"밖에서 본 러시아인에게는 어딘지 모르게 어두운 뿅이 있고, 그 인상이 어떻게 봐도 음성인 것은 아마 그 때문이다. 러시아는 어두운. 예프스키의 '악령'을 읽고 받는 그 어두운 느낌, 영혼의 깊은 부분까지 먹이 들어오는 그 견해가 없는 암흑은 결코 그냥 '악령'이라는 소설만의 어둠이 아니다.'

"안드레 지드와 니콜라이 벨저예프가 말했듯이, '지하실 거주자'야말로 도스토예프스키적 문학의 출발점을 이루는 것이지만, 이러한 의미에서는 러시아적 인간 자체가 이미 그 본질상 지하실 거주자이며 러시아 문학 전체 하지만――따라서 또 러시아 그 자체가――하나의 거대한 ‘지하실’이라고 생각되지 않을까. - 이른바 '밤의 아이들'만 알 수 있는 암흑의 열정이 떠들썩한 소용돌이치고 있는 것이다. 말해도 고고리 근처에서라고 생각하지만, 한편 그 같은 고고리가, 언뜻 보면 전혀 그것과 상용되지 않는 굉장한 박카스적인 삶의 환희의 대표자인 것은, 진정으로 의미심장한 사실이라고 말해야 한다」(이통 슌히코 『러시아적 인간』)

『러시아적 인간』은 최초로 히로후미도에서 쇼와 28년에 나온 책이지만, 원래는 5년 전에 게이오 대학의 통신 교육부의 교재용으로 쓰여진 문장이 근거하고 있다고 하는 것이다. 의 나이로 근대 러시아 문학의 대표적 작가의 작품을 원문으로 거의 독파해, 전문도 아닌데 이 레벨의 러시아 문학론을 써 버리고 있기 때문에, 이통 슌히코는 계속되는 천재이다. 이통 자신은, 이 책에 대해 다음과 같이 회상하고 있다.

“대학을 졸업한 지 얼마 안된 미숙한 젊은이가, 요컨대 자신만을 위해 쓴 사기일 뿐이다. 러시아 문학에 접한 감격을 오로지 글자로 만들려고 열중하고 있었다.

그 후, 일본에서의 이슬람 연구의 대가가 되는 이통 슌히코가, 젊은 날에 강렬한 러시아 문학 체험을 거치고 있다는 것은, 의외 중요한 주제일지도 모른다.

「러시아적 인간」의 수수께끼를 보고자 하는 젊은 날의 이통 슌히코의 시도는, 상대가 너무 크므로, 사시모노 천재라고 해도 성공하고 있다고는 말할 수 없다고 생각되지 않지만, 도스토예프스키의 「미성년」으로부터, 소코리스키 공작과 알카지의 다음의 말을 꺼내

「이봐, 알카지군, 우리는, 즉 나도 당신도 있어요. 서로 공통된 러시아적 운명이라고 녀석에게 습격당해 버렸습니다. 당신도 어떻게 하면 좋을지 모르겠다, 나도 어떻게 하면 좋을지 모른다. 러시아인이라는 놈은, 습관이 제대로 제정해 준 공정의 궤도로부터 튀어나온다 아니, 금방 어떻게 하면 좋을지 모르겠어요. 궤도를 타고 있는 동안은 아무것도 뚜렷하다.

"우리는 잔인한 침입을 경험하고, 다음에 200년의 노예 상태를 경험한 것입니다만, 그렇다고 하는 것도 실은 양쪽 모두 우리의 취향에 걸렸기 때문입니다. 이제, 자유가 주어지고 있습니다. 그리고 이 자유를 쫓아가서 가야 한다. 그러나 도대체 우리에게 그런 일이 있을까요?

'모란의 가시' 이후의 노예 상태의 에토스를, 도스토예프스키는 러시아 민중의 근저에 있는 것으로 보고 있던 것 같지만, 그 '비굴함 сердце)」이 서구 도래의 「자유」를 만났을 때, 러시아인은 어떻게 몸을 처하는 것인가――이것이, 시베리아 유형 이후의 도스토예프스키 문학을 관철하는 주제가 되고 있다고 생각한다.

"뭐라고 비굴한 마음이겠지! 저의 비굴한 마음에 건배!" За подлае сэрца маё! )」(『칼라마조프의 형제』그루셥카의 대사)

그리고 그 주제는 바로 현재의 우크라이나 위기에서도 전개되고 있는 것처럼 생각한다.

"그 정치 체제가 아니라 톨스토이와 도스토예프스키를 낳은 러시아 민중을 나는 믿는다"

라는 토마스 맨의 말에 따라 엄격한 탄압을 당하면서도 반전의 목소리를 들고 있는 러시아 민중을 나도 믿고 싶다.

==
2022-08-27
막대한 모순과 부조화의 덩어리인 러시아 정신 ― 「이통 슌히코 『러시아적 인간』보다
독서 적록
https://kmomoji1010.hatenablog.com/entry/2022/08/27/150821

 이츠키 슌히코의 『러시아적 인간 신판』(중공문고)이 지난달 간행되었다. 단행본 초판은 홍문당에서 1953년 2월에 출판되고 있다. 그 시기는 “스탈린 체제와 겹쳐 러시아 사회는 외부에 대해 폐쇄되고 있었다. 그런 상황에서 이츠키씨는 문헌만으로 매우 정밀하게 러시아인의 특징을 파악할 수 있었다”고 본서의 해설에서 사토 유우는 높이 평가하고 있다. 이츠쓰 슌히코가 파악하려고 한 것은, 「시대의 흐름에 의해 천변만화하는 현상적인 러시아가 아니고, 그러한 현상적 천변만화의 바닥에 있어, 항상 변함없이 존속하는 러시아, 「영원의 러시아」」(서)이다. 그 깊은 통찰에 놀라게 된다. 이하, 제1장 「영원의 러시아」로부터의 적록이다.

 전세계의 눈이 향하고 있다. 전세계가 귀를 기울이고 있다. , 금세 세계의 구석구석에까지 파동해 가서, 도착하는 곳에서 경련을 유발한다 하고 싶은 지금 러시아는 세계사의 한가운데에 괴물과 같은 모습을 은근하게 나타내 왔다 […]心ではいられない。好きでも嫌いでも、全ての人が関心を払わずにはいられないのだ。ロシアをめぐる空気は異常に緊張している。今日、ロシアはまさに文字通り一個の全世界史的「問題」として自己を提起した。みんながこの「問題」を解決しようと焦心する。ロシアの正体を誰もが知りたいと念願する。この怪物は一体何者なのか? 그가 무엇을 하려고 하는가?

 그러나 여기서 주의해야 하는 것은 러시아적 인간상이 나타내는 모순 착착이 단순한 모순이나 분열이 아니고, - 한 줄기에서 생장한 큰 가지이며 나뭇 가지인 것에 불과하다는 것이다. 러시아인이라고 하는 것이 통일적으로 이해할 수 있는 것이다. 「러시아는 보통의 칭으로는 헤아릴 수 없다」라고 추체프는 단언했지만, 그것은 전혀 아무것도 있을 수 없다고 하는 것이 아니고, 오히려 있는 유일한, 독특한 칭을 가지고 하면 훌륭하게 칭할 수 있다는 것을 의미한다.

 러시아적 현상이 되는 것의 특징을 이루는 혼돈은 일과 같이 인간 존재의 안쪽에 찡그린다. 그 옛날, 고대 그리스인이 '카오스'라고 부르며 두려워한 것, 태고의 혼돈, 일체의 존재가 자기의 가장 깊은 안쪽에 안고 있는 원초적인 근원, 인간을 동물이나 식물에, 대자연 그 자체 에, 어머니의 대지에 직접 끈질기게 묶고 있는 자연의 인대. , 러시아인은 항상 활기차게 유지하고 있는 것이다.

 러시아인의 영혼은, 러시아의 자연 그 자체와 같이 한계를 모르고, 비록 알고도, 굳이 그것을 거부하지 말아야 할 수 없다. 시아 독특한 그 과격주의는 이런 영혼의 산물이다. 안에는 항상 원초의 열정의 폭풍이 날려 버린다. 수의 한계적 감정이 소용돌이 치고 있다.

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  쓰쿠신보
5.0 out of 5 stars 「동양철학」에 정통한 철학자가 본 러시아 문학의 주역들
Reviewed in Japan on August 5, 2021
Format: Paperback
이통 슌히코 (1914 - 93년)은 이슬람학자이자 동양사상연구자이며, 게이오 대학의 명예교수였다. 동을 시작하기 전에 쓰여진 것(1953년)으로, 종전 직후에 게이오 기학 대학에서 실시한 러시아 문학 강좌가 근거하고 있다.

러시아 문학의 빛은 19 세기에 뛰어났다. (1821-1881), 체호프(1860-1904)에 이르는 10명의 문학자들을 논하고 있다.

광대한 땅을 가진 러시아는 한때 300년간 타타르인에게 지배됐다. 장, 제3장) 그것은 러시아가 「최고의 진리」를 바치는 지상 유일한 민족이며, 이윽고 러시아가 중심이 되어 세계는 구제된다고 하는 사상(이라고 하는 것보다 환상)이다.

이상의 저자의 해설로, 톨스토이나 도스토예프스키 등의 특징 있는 문학의 배경을 이해할 수 있었다. 이 같은 동양 철학의 연구에 들어가는 것이다.
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호소미치
5.0 out of 5 stars 러시아 문학 평론의 숨겨진 명저
Reviewed in Japan on March 6, 2003
Format: Paperback
동양 철학·언어 철학 분야에서는 세계적으로 유명한 이츠키 씨가 젊었을 때 담당한 러시아 문학 강좌를 위해 쓴 텍스트를 기반으로 한 '러시아 문학론'. , 톨스토이, 도스토예프스키, 체호프 등을 거론해, 그들의 사상이나 작품으로 무엇을 주제로 하고 있었는지, 그것은 어떠한 시대적·자연 환경적 배경에 의한 것인지를 독자를 끌어들이도록(듯이) 말해 줍니다.그들의 작품을 아는 사람은 물론, 별로 익숙하지 않은 분도 러시아문.
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【문고】이츠키 슌히코 「러시아적 인간」은 올해 제일의 굿워크

48
독서 때때로 사랑과 카레
독서 때때로 사랑과 카레
2022년 7월 25일 00:28
이달의 신간 문고의 매장에서,
감격할 수 있었습니다.

이런 일을하는 문고 편집자가
있어, 아.
얼마나 뜻이 높을까?

내가 감격한 신간문고는
『러시아적 인간』
저자는, 이츠키 슌히코.
출판사는 중공 문고입니다.

이것은 일반론이지만,
문고의 편집부라고 하는 것은,
문예잡지의 편집자가 나이를 넘어,
느긋한 일 장소입니다.
편집자들은
어딘가 망설이는 생각도
가지고있는 것입니다.

글쎄, 그건 그렇고,
문고 편집의 사명은
자사의 단행본을 그대로
문고책으로 하는 것만이 아닙니다.

지금까지 다양한 출판사로부터
발행된 책 중에서
지금이야말로 읽어야 할 책을 찾아 찾아
새로운 옷차림으로,
현대 우리에게
손에 잡기 쉽게,
그것도 문고 편집자의 큰 사명과
말할 수 있지만,
이 '러시아적 인간'은
실로 파란 만장한 책으로,
게다가 지금이야말로 읽을 가치가 있다
귀중한 책이야, 라는 자신감
책에서 떠돌고있었습니다.

이것을 담당 한 사람은
정말 편집자의 카가미입니다.

어쨌든,
처음에는 1953년 히로몬도에서 나와
1978년 호요사,
1989년 중공문고,
그리고 2022년 중공문고 신판,
그리고, 이번까지
4회도 나왔습니다.

이 "러시아적 인간"
출시되는 것은
러시아와 소련
세계 정세를 흔들며,
주목을 받고 있었을 때입니다.

그건 그렇고, 소중한 책
왜 여러 번 복각되는가?  
몇 번이나 절판되어 왔습니까?

내용은 굉장합니다.
다만, 저자는 세계로 통한다
희귀한 철학자, 이츠키 슌히코씨니까.
난해입니다. 잠깐.

나는 이와나미 문고에서 나온다.
이츠키 슌히코 선생님의 철학서는
아무도 좌절해 왔습니다(웃음).

서양 철학, 동양 철학,
인도 철학, 이슬람 철학,
이 모든 것을 익힌 거인으로,
확실히 30개국어를 읽을 수 있었다
라는 귀학입니다. 
글쎄, 좀처럼 말하면
아는 괴물이죠.

시마 요타로와 사토 유우와 에토 아츠시 등
경애하지 않는 대철학자.

다만, 그런 이통 선생님에게도,
일반 철학서가 아니라
러시아란 무엇인가
문학자를 소재에 썼다.
문학적 에세이는
다소 읽기 쉽고,
이번에 샀지만,
이미 이미,
좌절해 버릴 것 같습니다. 
난해라고 할까,
이해에 시간이 걸린다고 할까.

이 책에서 처음으로, 나도
이통 선생님의 저작을 통독할 수 있다
수 있습니다.

그럼에도 불구하고
이 시기에,이 이통 선생님의
문학적 에세이를 낸 편집자는
돈이나 이익은 생각하지 않을 것입니다. 
즉 편집장 모두,
이 책은 내놓을 가치가 있고,
이익은 두 번째로 했겠지요.
그러한 상호 작용
눈에 뜬다.

이 책의 복각을 발안하고,
움직임으로 움직인 편집자에게
마음에서 경의를 지불하고 싶다면
생각합니다.
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「러시아인」은 건재한 것이다 「러시아적 인간」(이츠키 슌히코)
2023년 02월 16일

불평 없는 푸른 하늘에 따끈따끈과 햇볕, 버섯 반 마른 세탁물에 남은 수분이 소리를 내고 증발해 가는 것 같다.
김에 오늘의 시트와 호프도 김을 내고 있는, 고마워 고맙다.

「러시아인」은 건재한 것이다 「러시아적 인간」(이통 슌히코)_e0016828_11094137.jpg

『천황의 세기』 3권을 읽고 끝내고 4권을 신청하면 「회송중」, 도서관에 받으러 가면, 아직 회송중.
상당히 (불과 1 일이지만) 시간이 걸립니다, 내일은 오십니까?
아니, 내일도 분명하지 않습니다.
끝에서 끝까지 회송중, 와 양손으로 책이 감도는 움직임을 보여준다.
세타가야구내의 몇개도 있는 도서관의 어딘가로부터, 지금도 감돌고 있는 것일까.

「러시아인」은 건재한 것이다 「러시아적 인간」(이통 슌히코)_e0016828_11083961.jpg

연결이라고 한다고 하지만, 스스로 샀던 「러시아적 인간」(이통 슌히코)의 제1장 「영원한 러시아」를 읽었다.
전세계의 눈이 향하고 있다. 전세계가 귀를 기울이고 있다. 한마디 절반이 곧바로 세계 구석구석까지 파동해 가서 도착하는 곳에서 경련을 일으킨다.
서두의 문장은, 러시아의 우크라이나 침공을 받고의 문장과 같이 보이지만, 실은 1953년 1월, 폴란드, 동독, 체코슬로바키아, 헝가리, 유고슬라비아, 알바니아, 불가리아, 루마니아, 중국, 북한에 사회주의국이 확장했을 무렵, 소련의 장력

이통은 사회주의가 어떻게 이렇게 쓰지 않는 것 같다.
사회주의국을 견인하는 소련에 있는 러시아인들의 인간에 대해 고찰한다.

바깥쪽에서 보면 모순 착착의 흉절처럼 보이는 러시아인, 그것은 그 러시아인이 되는 것이 너무 자기 모순에 충만해, 4분 5열로 되어, 기성의 인간상의 하나에 끼워넣을 수 없기 때문이다.
러시아인이 서식하는 정신적 풍토는 극한이며 정신의 한계지대이다. 그는 언제나 극한을 추구하고 '아득한 그분'을 바라본다.中庸의 덕은 그에게 덕이 아니다.

중정의 부정은, 즉 문화의 부정이며, 자연적인 혼돈의 긍정이 아니어야 하는 것이다.그러므로, 러시아의 인텔리전치아는, 서구 문화를 비극적으로 밖에 받아들일 수 없었다.
그러나 러시아인이 나타내는 모순 착착은 한 줄기에서 생성된 큰 가지이며 나뭇 가지이며, 이 근간을 이해할 수 있으면 러시아인을 이해할 수 있다.
그 근간이란
고대 그리스인이 「카오스」라고 부르며 무서운 것, 태고의 혼돈, 일체의 존재가 자기의 가장 깊은 안쪽에 안고 있는 원초적(엘레멘탈)인 근원, 인간을 동물이나 식물에, 대자연 그 자체에, 어머니의 대지에 직접 확고하게 연결되어 있는 자연의 인대, 서유럽의 문화적 지성적 인간에 있어서는 무잔으로 압박되어 거의 사멸하고 있는 이 원초적 자연성을, 러시아인은 항상 활기차게 유지하고 있는 것이다.
비합리적인 자연의 혼돈을 극복하고 밝은 빛과 이성의 질서(코스모스)로 옮겨가는 것으로 인간의 본분으로 하는 서유럽 문화에 대한 러시아인의 뿌리깊은 반역은 거기에 뿌리 내린다.
문화의 필요를 한 번 민감하게 느끼고 문화를 열망하면서 동시에 그것을 증오하고 거꾸로 하지 못할 수는 없다.
러시아의 자연은 한계를 모른다.
러시아인에게 있어서 한계는 자유의 속박, 즉 악을 의미한다.
'22가 4'가 비록 진리라도, 만약 그것이 인간을 금박하게 한다면 진평한 것이다.
우크라이나의 비나티스화라고 하고, NATO에 의한 포위를 거부하는 푸틴, 그것을 대세에 있어서 지지하고 있는 것 같은 러시아인이라고는, 그러한 존재인 것이라고 생각하면 조금 보인다.

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