2022/12/17
ダライ・ラマ 14 世における. 祈りとモダニティ - 辻 村 優 英
달라이 라마 자연 환경에 대하여(Excerpt from Ancient Wisdom, Modern World: Ethics for the New Millennium)」
もし教育と報道に特別な責任がある分野があるなら、それは我々の自然環境だと私は信じています。この責任とは、正しいか間違っているかという問題ではなく、生き残れるかどうかということに関係しています。自然界は我々の家です。かならずしも畏怖すべきものや神聖なものではありません。単に我々が住む場所です。
そのため、私たちは自然を大切にしなければなりません。これは常識です。しかし、ごく最近に至るまで、人口数や科学技術力が自然に直接影響を与えるような情況にはなりませんでした。別の言い方をすれば、今まで母なる地球は、我々のだらしない生活習慣に耐えてくれましたが、今では、地球はそれを黙って受け入れることができない状態にまで達してしまっています。環境破壊によって起きた諸問題は、私たちの無責任な態度に対する地球からの答えだと考えられます。地球の忍耐力にも限界があるということを私たちに警告しているのです。
現在のチベット以上に、私たちの自然環境に対する関わりかたの失敗を明らかに示している場所はありません。私が育ったチベットは、野生動物の楽園だったと言っても誇張ではありません。20世紀中頃までにチベットを訪れたすべての旅人もこのことに気づいていました。
農作物が育たない僻地を除いては、動物を狩猟することはほとんどありませんでした。実際、野生動物を保護する声明を出すことが政府役人の毎年の慣例であり、「水中や野生の生物を傷つけたり痛めつけたりすることは、身分の上下にかかわらず誰もすべきではない」と述べられていました。例外はネズミとオオカミだけでした。
若い頃、ラサの外を旅する時はいつでも、とても多くの種類の動物を見ることができたことを思い出します。私は4歳の時にラサでダライ・ラマとして正式に即位しましたが、チベット東部にある生まれ故郷タクツェルからラサに向かうチベット横断の3か月の旅の主な思い出は、道中に出会った野生動物たちでした。
おびただしい「キャン」(野生のロバ)や「ドン」(野生のヤク)の群れが大平原を自由に歩きまわっていました。臆病な「ゴワ」(チベットガゼル)、白い唇の「ワ」(シカ)、威厳のある「ツォ」(アンテロープ)の輝く群れも時々見ることができましたし、草原地帯に集まる「チビ」や「ピカ」と呼ばれる小動物にも魅了されたことも覚えています。とても人なつこい動物たちでした。私は鳥を見るのも好きでした。凛々しい「ゴ」(あご髭のあるワシ)が寺院の上を滑空し、山の中で羽を休めていたり、「ナンバル」(雁)の群れを見たり、時には「ウクパ」(長い耳のフクロウ)の鳴き声を夜に聞くこともありました。
ラサですら、自然界から切り離されているような感じはありませんでした。ダライ・ラマの冬の宮殿であるポタラ宮の最上階の私の部屋から、壁の裂け目に巣を作っていた赤いくちばしの「キュンカル」の習性を観察しながら何時間も過ごしました。夏の宮殿であるノルブリンカの裏では、「トゥン・トゥン・アパネス」(黒い首の鶴)のつがいや、湿地帯に住み、私にとっては上品さや優雅さやの典型であるような鳥たちをよく見ました。いうまでもなくチベットの動物たちで最も壮観なのは、普通の農民たちが恐れる熊、山ギツネ、「チャンキ」(オオカミ)、「サジク」(美しいユキヒョウ)、「テシク」(オオヤマネコ)、チベットと中国の国境に生息する優しい顔をした「トムタ」(ジャイアントパンダ)です。
悲しいことに、この豊かな野生動物たちはすでに見ることができません。狩猟も原因の一つですが、主な原因は生息地の生活環境が失われたためで、チベットが占領された後の半世紀の間に、残された動物の生息地は以前のほんの僅かしかなくなってしまいました。私が話したチベット人で、三、四十年ぶりにチベットを訪れたすべての人が例外なく、野生動物がほとんどいなくなってしまったと報告しています。以前は野生動物が家に近寄ってくることがありましたが、今ではどこにも姿を見ることができなくなってしまいました。
同様に問題なのは、チベットの森林破壊です。昔はすべての丘が深い森におおわれていましたが、チベットに戻った人々の報告によれば、今では僧侶の頭のように丸坊主になっています。中国西部のひどい洪水被害の原因の一部が、チベットの森林破壊にあるということを北京政府ですら認めているのです。それにもかかわらず、チベットから東に向かって一日中絶え間なく木材を運びだすトラックの列が続いているそうです。チベットの山がちの地形と厳しい気候を考えると、これは非常に悲劇的な状況です。これは、植林をしたとしても、持続的な手入れと管理が必要であることを意味していますが、残念ながら、そのような政策がとられている形跡はほとんどありません。
このことは、我々チベット人が意図的な自然保護活動家であったと言っているのではありません。我々はそうではありませんでした。公害と呼ばれるような発想が単に我々にはなかっただけです。その点ではむしろ我々は甘えていたということを否定できません。少ない人口の人々が、綺麗で乾燥した空気と大量の澄んだ山水がある広い地域に住んでいました。我々チベット人が亡命した際、例えば水を飲むことのできないような小川があるということに気づいて驚いたことなどは、この清潔さに対する無邪気な態度を意味しています。まるで一人っ子のように、我々が何をしても母なる地球は私たちの態度に耐えていたのです。その結果、我々は清潔さや衛生に関する正確な理解を持っていませんでした。人々はよく考えもせずに道で唾を吐いたり鼻をかんだりしていました。これに関しては、ダラムサラにある私の住まいのまわりにある巡礼道を毎日右遶しに来ていたかつての警備員で、カム地方出身のある老人を思い出します。不幸にも彼は気管支炎にひどく苦しんでいました。彼が持っている線香のせいで悪化していました。そのため、曲がり角ごとにひどく咳をして痰を吐くために立ち止るので、彼はお祈りに来たのか、唾を吐くためだけに来たのか、私にはわからないほどでした!
長年の間、亡命地に初めて到着して以来、環境問題に大変関心を持っています。チベット亡命政府は、この壊れやすい地球の住民としての責任感を子供たちに教えることに特に注意しています。そして私も、機会があればいつでも、この課題についてためらうことなく意見を述べるようにしています。特に、環境に影響を与えることで、我々の行動が他者にどのような影響を与えるかを考える必要性をいつも強調しています。これが正しいかどうか判断するのはとても難しいことを認めます。たとえば、森林破壊が、土や地域の降雨に対して最終的にはどのように影響するか、ましてや地球の気候システムにどう連動しているかを確実に言うことはできません。唯一明らかなことは、我々が知っているように、我々人類だけが地球を破壊する力を持っている種族だということです。鳥も、昆虫も、他の哺乳類も、そんな力は持っていません。しかし、我々が地球を破壊する力を持っているなら、守る力も持っているはずです。
重要な点は、自然を破壊しない生産方法を見つけることです。木材や限られた天然資源の使用を減らす方法を見つけなければなりません。私はこの分野の専門家ではありませんし、実行する方法を提案することはできません。私がわかっていることは、必要な決断さえすればそれは可能だということです。たとえば、数年前にストックホルムを訪れたとき、とても長い年月を経て、久しぶりに市内を流れる川に魚が戻ってきたと聞いたことを思いだします。最近までは産業汚染により全く魚がいなかったのです。しかし、この改善は、その地域の工場がすべて閉鎖された結果というわけでは決してありません。同様に、ドイツ訪問でも、公害を発生させないように計画された産業発展を見せてもらいました。ですから明らかに、産業をやめずに自然界の被害を制限するような解決策は確かに存在するのです。
これは、科学技術に頼ることで、我々のすべての問題を克服できると信じているという意味ではありません。もしくは、技術的な解決策が開発されることを期待して、破壊的な行為を続けられる余地があると信じているわけでもありません。また、環境が解決策を必要としているのではなく、変える必要があるのは、環境に対する我々の態度です。温室効果による大規模な災害のような場合、理論上ではあっても、解決策は存在するのかと私は疑問を持っています。もし可能であるとしても、必要とされる規模の解決策を実行することが実現可能なのかを尋ねなければなりません。天然資源に関してどのくらいの経費がかかるのでしょうか。おそらくとても高額であろうと予想しています。それ以外の多くの分野、例えば人道的な飢餓撲滅などでも、それを実行するためには不十分な基金しかないという事実があります。それゆえ、充分な基金を集めことができるかを議論したとしても、そのような資金不足を正当化するのは道徳的に不可能です。一方で、他の地域では食べることさえできないというのに、工業化した国が有害な行為を単に続けるために巨額の資金をばらまくのは正しいことではありません。
これらすべては、我々の行動の普遍的な方向性を認識する必要性と、これに基づく自制の実践の必要性を指し示しています。この必要性は、人口増加を考える際にはっきりと明示されます。すべての主要な宗教の観点からすると、人口が多いほどよく、いくつかの最近の研究がこれから一世紀の人口崩壊を示唆しているのが正しいとしても、この問題を無視することはできないと今も考えています。僧侶として、これらの問題を論評するのは適切ではないかもしれません。私は、家族計画が重要であると信じています。もちろん、子供を持つべきではないと勧めているのではありません。人の命は貴重な資源であり、やむをえない理由がなければ、結婚した夫婦は子供を持つべきです。責任感なく人生すべてを楽しみたいという理由で子供を持たないという考え方は、とても間違っていると考えています。それと同時に、人口が自然環境に与える影響を考える義務が夫婦にはあります。現代科学技術の影響を考慮すると、これは真実です。
幸いなことに、より多くの人々が、健康的に生活する場を確保する方法として、倫理的自制の重要性に気付き始めています。そのため、最悪の事態は避けられるだろうと私は楽観しています。比較的最近まで、地球に対する人類の行動が与える影響を考える人はほとんどいませんでした。しかし今日では、これが主な関心事である政党まで存在します。さらに、我々が吸う空気、飲む水、数百万の異なる生命形態を維持する森や海、気象システムを支配する気候パターンなどすべてが国境を越えているという事実が、希望の源です。そのことは、どんなに豊かで強い国であろうと、貧しく弱い国であろうと、この問題に関して行動をとるべきだということを意味しています。
個人を考えた場合、自然環境を無視する結果として発生する問題は、我々すべてが貢献できることがあることを強く気付かせてくれます。そして、一人の行動は重要な影響をもたらさなくても、数百万の個人の複合的な行動は確かに影響を与えます。このことは、工業的に発展した国に住むすべての人々が、彼らの生活様式を変えることを真剣に考える時が来ていることを意味しています。再度、これは倫理の問題ではないのです。世界の他の人々が、生活水準を改善するという同じ権利を持っているという事実は、裕福な人々が彼らの生活様式を維持することよりも、いろいろな点で重要です。もし、自然界に取り返しのつかないような暴力 -これがもたらす幸福への負の結果の全て- を引き起こさずにこれを満たすことができるなら、裕福な国は例を示すべきです。かつてないほどに、高い生活水準による地球や人類への負担は、単に大きすぎるのです。
「古代の智慧、現代の世界:新しい世紀の倫理(Excerpt from Ancient Wisdom, Modern World: Ethics for the New Millennium)」(ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャツォ著、Little, Brown and Company (イギリス J999)刊、pp 2 J 3-220)からの抜粋
** 幸福論 | ダライラマ. 本書の原題(英語)は "ETHICS FOR THE NEW MILLENNIUM" (10 chapters)
한역은 밑에
幸福論 単行本 – 2000/5/1
ダライラマ14世テンジン・ギャッツォ (著), & 3 その他
5つ星のうち4.9 11個の評価
285ページ
内容(「BOOK」データベースより)
人を思いやることが、自分の幸せにつながっていることを忘れないでください。この本は宗教書ではありません。ここには、私たちと同じように、悩み、苦しみ、人と幸福を分かちあいたいと願っている、ひとりの人間、ダライ・ラマがいます。しみじみと胸に響く言葉。
- 人はどうしたら幸せになれるのか/
- 魔法でもなく、神秘でもなく/
- まず現実を正しく理解する/
- ほんとうの幸せとは、なんだろう/
- 思いやりという大切な感情/
- 自らを律する強さをもつ/
- 誰もが心にもっている徳を育てる/
- 思いやりは、自分の幸せにつながっている/
- 苦しみが教えてくれるたくさんのこと/
- ものごとを識別する力の大切さ
- 〔ほか〕
出版社 : 角川春樹事務所 (2000/5/1)
発売日 : 2000/5/1
言語 : 日本語
単行本 : 285ページ
5つ星のうち4.9 11個の評価
カスタマーレビュー
5つ星のうち4.9
星5つ中の4.9
11 件のグローバル評価
辻村 曜子
5つ星のうち5.0 生きる上で本当に大切なことを教えくれるバイブルです。
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図書館でいつも借りていましたが、自分の本棚に加えたく購入、お安くそして、状態も良く満足です。
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私は仏教徒ではないが、謙虚で優しく、お茶目で好奇心旺盛なダライ・ラマ(14世)の大ファンである。
本書の原題(英語)は "ETHICS FOR THE NEW MILLENNIUM"。
現代社会のよい側面と悪い側面に触れながら、これからの千年に向けて、普遍的な原則にもとづいた道徳を打ち立てようと訴えている。
目から鱗が落ちるような発見や人生を飛躍させるアイディアが書かれているわけではない。
当たり前のことを、より強く、深く認識するための本であると言えよう。
《魔法でもなく、神秘でもなく》という章に「わたしたち人間は宗教に頼らなくても十分生きていけるのかもしれません。」とある。
彼は異なる文化を持つ人が仏教に興味をもつこと自体は歓迎しているが、宗教は歴史・文化的背景と切り離せないものだから、改宗にはむしろ慎重であるべきとしている。
無宗教、異教徒の方も構えることなく、ぜひダライ・ラマの魅力的な人柄に触れていただきたい。
ダライ・ラマの本を読んだことのない方には、最初の一冊としてお勧めしたい。
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WXRUN-234
5つ星のうち5.0 ダライラマはじめて2018年6月26日に日本でレビュー済み
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電車の中で、吊革につかまって、必死に読んでいた方がいて、どんな本か興味があり、購入しました。宗教色が強いのかと思いましたが、それは感じませんでした。読んでいくと、背筋がすっとなる感じです。
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はち
5つ星のうち4.0 とても大事な教え2004年4月3日に日本でレビュー済み
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とても分かりやすく書かれています。
人はみんな幸せになりたいと望みながら生きているけれど、
でも、多くの人が幸せとは、お金や物であったり、物質的なもので幸せになろうとしている。
この本では、幸せとはその人々の心の中にある、と言っています。
小さい頃、教えらてきた、相手への思いやり、優しさ、誠実さ。
そういった心を自分の中に育てていくことで、人々は確実に幸せを築いていけると。
自分のことばかりに気を取られているのではなく、もっと自分と繋がっている多くの人に目を向けるべきだと、著者は言っています。
ずっと忘れていた基本的なことこそ、実はとても大事なんだと気づか
せてくれる一冊です。
25人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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ぽんぽこりん
5つ星のうち5.0 謙虚さと自信のなさは違う2013年9月26日に日本でレビュー済み
本文の最初から最後まで、大切なことがぎっしり詰まっている本なのですが。
最近改めて読んで印象に残ったところ。
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p142
謙虚さも自分を変えるためには不可欠な要素です。こう言うと、前に自信をもたなければいけないと言ったことと矛盾するように思われるかもしれません。しかし、自分を正しく評価したうえでの自信と、自分を過大評価しているだけのうぬぼれとのあいだには大きな差があるように、ほんものの謙虚さと、ただの自信のなさとのあいだには重要な違いがあります。
まったく違うものなのに、多くの人がこれを混同しています。
今日、謙虚さがしばしば弱さのしるしとみなされているのも、ひとつにはこの混同のせいかもしれません。とくにビジネスや専門職にはその傾向がありますが、実のところ謙虚さは、弱さのしるしどころか、内面の強さの表れです。
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p281
これを頭に浮かべると、わたしはいっそう他人のためになりたい気持ちにかられるのです。
こういうものになれますように、今も、これからもずっと
保護をもたない人の保護役に
道に迷った人の案内役に
海を渡る人の船に
川を渡る人の橋に
危機に瀕している人の避難所に
明かりをもたない人の松明に
逃げ場をもたない人の隠れ家に
そして、困っているすべての人のしもべに
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2000年の発売すぐに買ってから、お守りのように本棚においてある本です。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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Amazon Customer
5つ星のうち5.0 私のバイブル2004年8月14日に日本でレビュー済み
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現在、海外より一時帰国中です。海外に出て様々な刺激を受け、いい意味で自分が変わりました(やってみてほしいです)。
生きている事や、地球、宇宙などに対してとても興味が出て、多くのことを考え感動するようになりました。
残りの人生を生きていく上で、自分の意志が深くなったことにより、とても良かったと深く感じています。
そんな中、ダライ・ラマ14世の「幸福論」に出会いました。
この本には全てが書かれていのです(なんと表現して良いのか..)。
とても大切な事。とても分かりやすい言葉で。
他の本に比べ安くはない本ですが、それ以上の価値があります。
この1ヶ月間、家族を始め周りの友人にも送りました。とても素晴らしい本だから。
2週間後に再留学予定ですが、その時には持っていきます。
(内容についてはレビューを参考にしてくださいね)
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やどかり
5つ星のうち5.0 非宗教的です2008年6月3日に日本でレビュー済み
読む前に「宗教色の強い本なのだろうか?」と少し警戒していましたが、フタを開けると、宗教というよりは倫理、哲学の本だと分かりました。
ダライ・ラマ自身、「非宗教的な観点で書いています。」と言っており、宗教的要素を出すと、人々が間違った捉え方をしてしまうと懸念し、ごくシンプルな普通の言葉を使って道徳を解いています。道徳概念の確立や、精神の律し方、現代の人々の不安を「思いやりの心」を持つことで安定させるなど、様々な幸福への道を解いてくれています。
ダライラマは世界中のあらゆる著名人や学者、医師などと接した上で、宗教の教えと共通する人間の真理を教えてくれています。なので、宗教本というよりは、本当哲学書に近いです。
人々がオカルト宗教などの不安をあおる言葉に惑わされている昨今、ダライラマもそれには気をつけるようにと言っていました。そういう意味では、この本はスピリチュアルも何もない本ですが、その分、心穏やかに安心して読めます。
オススメです。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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いちご
5つ星のうち5.0 失われる道徳や価値観を見直す素晴らしい本2010年12月8日に日本でレビュー済み
この本の大事な点は法王がいつも言われている、宗教があろうがなかろうが善き人間であることという視点で書かれていること。だから万人が読める。核問題、軍縮まで幅広く未来への提言が書かれていた。また宗教への警告まである。その視野の深さに驚く。なにより暖かく慈悲がいっばいだ。倫理道徳が薄れ、迷う時、読んでほしい。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
행복론 | 달라이 라마 14 세 텐진 가조, His Holiness The Dalai Lama, HIS HOLINESS THE DALAI LAMA Amazon
행복 이론 , 별 5개 만점 중 4.9 11개 평가
285페이지
내용(“BOOK”데이터베이스에서)
사람을 배려하는 것이 자신의 행복으로 이어진다는 것을 잊지 마십시오. 이 책은 종교서가 아닙니다. 여기에는 우리와 마찬가지로 고민, 고통, 사람과 행복을 나누고 싶어하는 한 사람, 달라이 라마가 있습니다. 시미지미와 가슴에 울리는 말.
- 사람은 어떻게 하면 행복할 수 있을까 /
- 마법도 아니고, 신비도 아니고/
- 우선 현실을 올바르게 이해한다 /
- 정말 행복이란 무엇입니까 /
- 배려라는 소중한 감정/
- 스스로를 이끄는 힘을 가진 /
- 모두가 마음에 드는 덕을 키우고
- 배려는 자신의 행복으로 이어진다 /
- 고통이 가르쳐주는 많은 것 /
- 모든 것을 식별하는 힘의 중요성
- [외]
출판사 카도카와 하루키 사무소 ( 2000/5/1 )
고객 리뷰
5 성급 중 4.9
건의 글로벌 평가 2020년 4월 28일에 일본에서 리뷰가 끝난 아마존에서 구입 도서관에서 언제나 빌리고 있었습니다만, 자신의 책장에 더하고 싶은 구입, 싸고, 상태도 좋고 만족합니다. 두 고객이 도움이 되었다고 생각합니다. 유용한 위반 신고
아마존에서 구입
나는 불교도는 아니지만, 겸손하고 상냥하고, 차눈으로 호기심 왕성한 달라이 라마(14세)의 대팬이다.
본서의 원제(영어)는 "ETHICS FOR THE NEW MILLENNIUM".
현대사회의 좋은 측면과 나쁜 측면을 접하면서 앞으로의 천년을 향해 보편적인 원칙에 근거한 도덕을 세우려고 호소하고 있다.
눈으로부터 비늘이 떨어지는 듯한 발견이나 인생을 비약시키는 아이디어가 적혀 있는 것은 아니다.
당연한 일을 보다 강하고 깊게 인식하기 위한 책이라고 할 수 있다.
《마법도 아니고, 신비도 아니고》라는 장에 「우리 인간은 종교에 의지하지 않아도 충분히 살아갈 수 있을지도 모릅니다.」라고 있다.
그는 다른 문화를 가진 사람이 불교에 흥미를 가지는 것 자체는 환영하고 있지만, 종교는 역사·문화적 배경과 분리할 수 없기 때문에 개종에는 오히려 신중해야 한다.
무종교, 이교도도 갖추지 않고, 꼭 달라이 라마의 매력적인 인품을 접해 주셨으면 한다.
달라이 라마의 책을 읽은 적이 없는 분에게는, 최초의 1권으로서 추천하고 싶다.
4명의 고객이 도움이 되었다고 생각합니다
유용한 위반 신고
WXRUN-234 별 5
개 중 5.0 달라이 라마
기차 안에서, 매달려 가죽에 붙잡고, 필사적으로 읽고 있던 분이 있어, 어떤 책인가 흥미가 있어, 구입했습니다. 종교색이 강한 것 같았는데 느끼지 않았다. 읽어 가면, 등근이 푹 빠지는 느낌입니다.
한 고객이 도움이 되었다고 생각합니다
유용한 위반 신고하기 5
성급
중 4.0 매우 중요 함
2013년 9월 26일에 일본에서 리뷰가 끝난
본문의 처음부터 끝까지, 중요한 것이 가득 채워져 있는 책입니다만.
최근 다시 읽고 인상에 남은 곳.
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p142
겸손도 자신을 바꾸는 데 필수적인 요소입니다. 이렇게 말하면, 전에 자신감을 가져야 한다고 말한 것과 모순되는 것처럼 보일지도 모릅니다. 그러나 자신을 정확하게 평가한 뒤의 자신감과 자신을 과대평가하고 있을 만큼의 우울함과의 사이에는 큰 차이가 있듯이, 진짜 겸손함과 단순한 자신감의 사이에는 중요한 차이가 있습니다.
전혀 다른 것인데, 많은 사람들이 이것을 혼동하고 있습니다.
오늘날 겸손이 종종 약점의 표지로 간주되는 것도 하나는이 혼동 때문일 수 있습니다. 특히 비즈니스나 전문직에는 그 경향이 있습니다만, 실로 겸손은, 약함의 징후는커녕, 내면의 힘의 나타납니다.
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p281
이것을 머리에 떠올리면, 저는 한층 더 타인을 위해 되고 싶은 마음에 얽매이게 되는 것입니다.
이런 일이 될 수 있듯이, 지금도 앞으로도 계속
보호를 갖지 않는 사람의 보호역으로
길을 잃은 사람의 안내역에
바다를 건너는 사람의 배에
강을 건너는 사람의 다리에
위기에 처한 하고 있는 사람의 피난소에
불빛을 가지지 않는 사람의 마츠아키에
도망가지 않는 사람의 은신처에
그리고, 곤란하고 있는 모든 사람의 종에게
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2000년의 발매 곧바로 사고 나서, 부적과 같이 책장에 있는 책입니다.
어려운
5성 중 5.0 비종교적 2008년 6월 3일에 일본에서 리뷰
종장을 열면 종교라기보다는 윤리, 철학의 책이라고 알았습니다.
달라이 라마 자신, "비 종교적인 관점에서 쓰고 있습니다."라고 말하고 있으며, 종교적 요소를 내면 사람들이 잘못된 포착 방법을 해 버릴 것이라고 우려하고 매우 간단한 보통의 말을 사용하여 도덕을 풀고 있습니다. 도덕 개념의 확립이나, 정신의 율법, 현대의 사람들의 불안을 「배려의 마음」을 가지는 것으로 안정시키는 등, 다양한 행복에의 길을 풀어 줍니다.
달라이 라마는 전 세계의 모든 저명인과 학자, 의사 등과 접한 후 종교의 가르침과 공통되는 인간의 진리를 가르쳐 줍니다. 그래서 종교책이라기보다는 진정한 철학서에 가깝습니다.
사람들이 오컬트 종교 등의 불안을 부추기는 말에 당황하고 있는 요즘, 달라이 라마도 그것에 조심하라고 말하고 있었습니다. 그런 의미에서, 이 책은 영적도 아무것도 없는 책이지만, 그만큼, 온화하게 안심하고 읽을 수 있습니다.
추천합니다.
위반 신고 하기
이 책의 중요한 점은 교황이 언제나 말하고 있는 종교가 있을지 몰라도 선한 인간이라는 관점에서 쓰여져 있는 것. 그래서 만명이 읽을 수 있다. 핵문제, 군축까지 폭넓게 미래에 대한 제언이 적혀 있었다. 또한 종교에 경고까지 있다. 그 시야의 깊이에 놀란다. 무엇보다 따뜻하고 자비가 가득하다. 윤리도덕이 희미해져 헤매을 때 읽어달라.
5명의 고객이 이것이 도움이 되었다고 생각합니다.
ダライ・ラマ 『幸福論』 原題『Ethics for the New Millennium』
ベトナム人信徒たちに薬師如来の許可灌頂授与
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インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州 ダラムサラ
今日、ダライ・ラマ法王は、前回同様、法王公邸でベトナムCEOクラブのメンバー約80人と面会された。ハノイ、ハイフォン、ホーチミン市(サイゴン)、ダナンというベトナムの4都市からも、300人から500人位のグループが新たに開発されたインタラクティブなテレビ会議システムを通じてこの法話と許可灌頂に参加した。
最初に法王は、30分ほどかけて薬師如来灌頂の準備の儀式を行われた。
そして法王は、次のようにお話を始められた。「精神的な兄弟、姉妹のみなさん、 私は今日、ここにいらっしゃるベトナム人のみなさんだけでなく、あなたがたの国で地元の都市に集まっているみなさんともお話をすることができます。物理的に遠いベトナムにおられる方々も、私たちは今このとき、ひとつのグループとして一緒にいます。現代のテクノロジーのおかげで、目の前にいる方たちだけでなく、遠方にいる方たちともお話ができるのは私にとっては初めての経験です」
「私は、いつも、数限りない母なる有情、すなわち、あらゆる生きとし生けるものは皆、幸せを望み、苦しみを求めていないことを強調してお話しています。この宇宙のどこか他の場所にも生物がいるかもしれませんが、私たちに直接関係があるのはこの地球上の生きものたちです。今日、私たちは皆、お互いに依存関係を持って生きています。気候変動、地球温暖化、地震など私たちを悩ませる自然災害に対する取り組みは、私たちすべてに影響を及ぼしています。ですから、私たちはひとつの共同体として行動しなければなりません」
「あなたがたベトナム人は不屈であり、断固たる意志を持っているのですから、今からはベトナムに関することだけなく、世界全体について考える必要があります」
法王は続けて次のように述べられた。「幸せについて話すとき、私たちは喜びの本当の源である心の平和について考えなければなりません。すべての主要な伝統宗教は愛や思いやりを説いているのですから、宗教の名の下に争いや衝突が起こることなど考えられません。21世紀を迎えた今、私たちは過去における過ちを繰り返してはならないのであり、人類には新たな成熟の兆しが感じられると思います。例えば、最近では核兵器を撲滅しようという願いが広まりつつあります」
『般若心経』として一般に知られている、25偈から成る般若経がベトナム語で唱えられた後、法王はこの経典の意味を要約して説明された。釈尊はこの経典の中で「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー」(掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶)という真言を、ご自身の体験から説かれた。この真言は「資糧道に行け 加行道に行け 見道に行け 修道に行け 無学道に到って悟りを成就せよ」という意味であり、悟りに至る五つの修行の道を私たちがどのような順序で進んでいくべきかが説き示されている。続いて、「色即是空 空即是色」(物質的な存在は空であり、空であるがゆえに物質的な存在として成立する)という部分に言及され、法王は毎日「私は空であり、空は私である」とご自分に向かって言い聞かせている、と話された。
法王は次のように述べられた。「量子力学では、観測者がいるからこそ観測対象があり、観測者がいなければ観測対象もないと言われているが、これは唯識派の見解と共通している。従って、仏教徒たちと現代の科学者たちが「観測者とは何であるか?」「意識とは何であるか?」を議論することは双方にとって実りあるものとなるだろう。ナーガールジュナ(龍樹)の著作『根本中論頌』は中国語でも読むことができ、英語でも翻訳が出ている。もし関心があれば、26章、18章、そして24章をこの順に読むと役立つであろう。
法王はベトナム国内のグループからの質問に短く答えられた後、薬師如来の許可灌頂を始められた。儀軌次第の最初に菩提心生起の儀式を行われ、それから弟子たちに菩薩戒を授けられた。
灌頂の儀式の終わりに、ベトナムから4グループの代表が法王に感謝の言葉をお伝えするとともに、法王のご健康とご長寿をお祈りした。
Dalai Lama, Ethics for the new Millennium - Wikipedia [short]
Ancient Wisdom, Modern World
Author 14th Dalai Lama
Language English
Publisher Little, Brown/Abacus Press
Publication date 1999
Media type Print
ISBN 0-349-11443-9