2026/01/18

幸福会ヤマギシ会 - Wikipedia

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幸福会ヤマギシ会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
幸福会ヤマギシ会
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地図
設立1953年昭和28年)
設立者山岸巳代蔵
本部東京都町田市忠生2-29-18
座標北緯35度34分43.6秒 東経139度25分9.8秒座標北緯35度34分43.6秒 東経139度25分9.8秒
ウェブサイトhttp://www.koufukukai.com/
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幸福会ヤマギシ会(こうふくかいヤマギシかい)は、農業牧畜業を基盤とするユートピア[1]をめざす活動体(農事組合法人[2][† 1])。通称は「ヤマギシ会」「ヤマギシ」。

1953年(昭和28年)、山岸巳代蔵の提唱する理念の社会活動実践母体「山岸式養鶏会」として発足、約10日後に「山岸会」に改名[4]1995年(平成7年)に名称を「幸福会ヤマギシ会」と変更[5]所有の概念を全否定し[6]、「無所有一体」の生活を信条としている。1960年代に起こった、いわゆるヒッピー的な共同体原始共産主義)に例えられる場合もある。アーミッシュとは、その意味合いが異なる(アーミッシュはキリスト教家族を重視)。

売上高では農事組合法人のトップに位置している[7]。ヤマギシズム[† 2]社会を実践する場であるヤマギシズム社会実顕地が全国に26か所あり、約1500人が共同生活を営んでいる[9]。また、ブラジルスイス韓国オーストラリアアメリカ合衆国タイなど[10]日本国外にも6箇所[9]の社会実顕地があり、社会実顕地に未参画の会員が5万人ほどいるとされる[11]

1990年代マスメディアで批判的に取り上げられ、人権侵害犯罪[12]が行われていることについて広く知られることになった。構成員はその内情について秘密を貫いている。

活動

特別講習研鑽会(ヤマギシズムの理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「研鑽会」が主)と呼ばれる一週間の合宿形式の講座を受講すると会員となることができる[13][† 3]。会員は「研鑽学校」と呼ばれる2週間の講習を受講することでヤマギシズム社会実顕地に参画(入村[15])する資格を得ることができる[16]。実顕地における生活は私財をひとつ財布に入れ[† 4]共に研鑽生活を営むことが柱となっている。

実顕地の経済は、各実顕地で生産された農産物の販売[† 5]による利益が中心である。1988年(昭和63年)に設立したブラジル実顕地では1991年(平成3年)から開拓が始まった1000haに及ぶオレンジ園があり、秋田県南秋田郡大潟村では水稲栽培、80万羽規模の採卵養鶏など大規模農業にシフトしている。経営形態は、野菜や各種畜産から販売を組み合わせた複合農業であり、農事組合法人の形をとっている[2]

ヤマギシズム社会実顕地では野菜や果物、家畜などが育てられており[19]、農産物加工品を全国販売している[9]。「エコビレッジ」の先駆者として評価されることもある[9]

ジャーナリストの斎藤貴男によると、幸福会ヤマギシ会の年商は豊里実顕地だけで、全盛期には約140億円を数えていた[20]。その実態を見ると、全商品の自家生産を謳いつつ、原料や加工を外部に頼っているケースもある[21]

フリーライターの近藤衛[† 6][23]やジャーナリストの米本和広[24]によると、生産物の販売は、会員が運営する講座や農業体験、体験合宿、さらにヤマギシズム特別講習研鑽会へと人々を勧誘するきっかけともなっている[† 7]

真木悠介(見田宗介東京大学名誉教授は自著『気流の鳴る音―交響するコミューン』 (ちくま学芸文庫)のなかの「紫陽花と餅」という項のなかで、自身が特講に参加、ヤマギシ会について言及している。

目的

幸福会ヤマギシ会は自らの活動目的を「すべての人が幸福である社会」[5]、「全人幸福社会の実顕」とし[26]、そのための行動原理として「無所有・共用・共活」を内容とする理念ヤマギシズムを掲げる[26]

ジャーナリストの米本和広によると、幸福会ヤマギシ会は世界を「<無所有一体>の理想社会に塗り替え、世界中の人を幸福にしたい」という目的を有している[27]近藤衛によると、幸福会ヤマギシ会は「あと200年後には世界中が地上の楽園〈ヤマギシズム社会〉に革命される」と主張している[28]。幸福会ヤマギシ会は、自分たちが起こす世界革命を「急進Z革命」(Zは、人類最後の革命であることを意味する)と称し、その内容を「ヤマギシズムによる……人間の観念に変革をもたらす頭脳革命であり、全人に真の幸福をもたらす」であるとしている[29]

組織

幸福会ヤマギシ会は自らの組織の性質について、「会員それぞれの自発的自由意志により活動している団体」とし、全体を統率する特定の個人あるいは集団の存在を否定している[30]。会内部の組織も会員が自発的に作ったものであり、本部でさえも意志決定機関ではなく連絡機関、補助的な実務機関であるとしている[30]

ジャーナリストの斎藤貴男は、平等の建前をとり「理念だけが前面に出るヤマギシの組織は、きわめて不透明」としつつ、同会が開催する「ヤマギシズム社会博覧会」において掲示されたポスターをもとに、「ヤマギシズム社会実顕地(ヤマギシズム社会文化生活)」、「ヤマギシズム世界実顕試験場」、「ヤマギシズム研鑽学校」が一体となって展開するヤマギシズム社会を世に広めるべく活動するのが「幸福会ヤマギシ会」であり、四者の間には上下関係がなく円のように結ばれていると説明している[31]

米本和広は三重県安芸郡豊里村社会実顕地を訪れた際、ヤマギシズム社会に命令、服従の関係はなく、「研鑽」と呼ばれる話し合い[† 8]によって組織が運営されるという説明を受けた[33]。米本によると、実顕地内には研鑽を行うための様々な組織(研鑽会)が存在する[32]。しかしながら同時に研鑽会には研鑽会の進行について研鑽する「準備研鑽会」が存在し、さらに準備研鑽会の進行について研鑽する研鑽会も存在する。このように研鑽には階層構造があり、それに伴って会員間にも階層・序列が存在する[34]。また、テーマが予め「○○するにはどうすればいいでしょうか」と設定され、「○○できない」と発言すると「あなたの発言は○○するというテーマから外れている」と返されるといった具合に、「テーマそのものが結論」、「命令ではないが実質的には命令と同じ」研鑽が開かれることもある[35]

米本和広によると、各実顕地には役場としての機能を持つ「調正機関」が存在し、それらを統括する「『ヤマギシズム国家』の中央官庁」として「ヤマギシズム生活実顕地調正機関本庁」が豊里村実顕地に置かれている[32]。そして、豊里村実顕地の決定に他の実顕地が従う「中央集権体制」が敷かれている[36]。近藤衛は、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者の証言として、「イズム生活推進研」という意思決定機関が存在すると述べている[37]。米本は元実顕地参画者で医師の松本繁世から、「イズム推進研鑽会がすべてのテーマを出している」という内容の告白を、参画していた当時所属していた幸福会ヤマギシ会医療部の責任者から受けたことがあるという証言を得ている[38]

近藤によると、幸福会ヤマギシ会やその構成員が組織の実情を外部に明かすことはない[39]。さらに会員歴の長いものであっても生活実顕地の組織についてほとんど把握していない[40]。近藤は、幸福会ヤマギシ会の問題は「会の組織自体を検討する機会を与えず、客観的な情報を公開せず、実顕地は常にバラ色の理想社会だと喧伝すること」にあると指摘している[41]

研鑽会

ヤマギシ会では、何らかの意思決定が必要になったとき、みんなが意見を出し合いながら、話し合いを行うが、それを「研鑽会」と呼んでいる。ヤマギシ会では、ものごとのすべてを決めるのは「研鑽」によってである。研鑽とは簡単にいえば、「話し合い」のことを指す。しかし、ヤマギシ会の研鑽には、ヤマギシ会独自の考え方が反映され、研鑽はものごとを決める基本となっている。

宗教学者の島田裕巳は著書『無欲のすすめ』のなかで次のように記述している。 「(ヤマギシ会の)研鑽がただの話し合いと違うのは、真理の存在が前提とされ、研鑽の場に集まった人間たちが個々人の利害を超えて真剣に話し合えば、必ずその真理に行き着くとされている点だった」[42]

富田倫生・著『パソコン創世記』には、研鑽会について次のような記述がある。

「ヤマギシでは、意見が異なったときは、全員の意見が一致するまで徹底して話し合いが続けられる。だが、もしも、研鑽会が単なる話し合いの会であるなら、どこまで議論を続けたところで全員の意思の一致などそうたやすく得られるものではあるまい。会議とも打ち合わせとも呼ばずに研鑽会と呼ぶ――そこには、はなすに「放」の字を当てたと同じ、意思をまとめていく作業に対する検証が込められている。研鑽会では、自分の意見を主張しながら、同時にその意見をも相対化する機能が働いている。ヤマギシの人は、そうした機能を実現するための個人の態度を「零位に立つ」と表現する。自らの意見に無意識にさまざまな偏見や固定観念が入り込んでくる可能性を自覚し、あらゆる前提をいったん棚上げにして自らも調べなおす。そうした、主張しながらそれ自体をも相対化していく「零位に立つ」という態度を取り込むことで、研鑽会は全員の意見の一致の実現をしようとする。行動の規範なり基準を固定化してしまうのではなく、絶えることのない研鑽によって、その時点時点での最良の道を探し求めていこうとする意思を、ヤマギシでは、「無固定・前進」という言葉で表す」[43]

ヤマギシズム特別講習研鑽会

ヤマギシズム特別講習研鑽会特講)とは、幸福会ヤマギシ会管理下の施設で行われる、合宿形式の研鑽会をいう。幸福会ヤマギシ会の説明によると、ヤマギシズム特別講習研鑽会において参加者は、「自分の判断が正しいものと信じて疑わない」態度を科学的に見直し、研鑽態度と呼ばれる、「自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも『本当はどうだろうか』と主体的に検べていこうとする考え方を身につけることを目的とする[44][† 9]。1956年1月に京都府長岡京市の寺院で初めて開催され、後に国内だけでなく日本国外でも開催されるようになった[46]。ちなみに、特講は生涯、ただ一度しか受講できない[47]

幸福会ヤマギシ会は、「決めつける観念、固定する観念」が人と人が仲良く愉快に暮らしていく上での弊害であり、愚行を生み出す原因であると主張し、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することで人間の観念が固定しない状態(真に自由なる観念)へと「急速に大転換」し、「頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換」するとしている[44]。幸福会ヤマギシ会によると、人々が日常生活の中で身につけた常識や信念は「びっくりするほど根拠のない思い込み」であり、ヤマギシズム特別講習研鑽会に参加することでそのことが見えてくるという[44]。近藤衛は、こうした観念を固定しない思考法はヤマギシズム社会実顕地において、参画者の観念を組織の都合に応じて操作するために活用されると指摘している[48]

宗教学者の島田裕巳は、特講について次のように記している。「『特別講習研鑽会』は普通、「特講」と略称されるが、これは、与えられたテーマを考えぬく中から、山岸の考え方・思想、つまりは『ヤマギシズム』を体験的に理解していくイニシエーションの機会であった。『特講』の参加者たちは、一週間のプログラムの中で、山岸が青年の時期から考え続けてきた様々な問題に取り組み、その問題に対する解決の方法を見出していく過程を再体験していくのである。また、『特講』が集団的告白の場として、一種の『集団的沸騰』の状態を呈したため、参加者たちに理想社会実現の運動への熱意をかきたてることともなった」[49]

また、哲学者の鶴見俊輔は、「見いだされた共同性」と題して、次のように特講について述べている。「けんさんを私が受けたのは、20年前のことで、それは今も私の考え方の底にのこっている。西洋渡来の学術語を使わなくとも、私たちの生きてゆくための重大な問題をこのようにして語り合う方法があるのか。そういう発見だった。そのようにしてくりひろげられる対話の中から、コロムブスの卵のように自然に、私たちのよりどころとしている共同性が、見いだされた。その共同性をどのように日常生活に生かすかは、むずかしい問題だが、一度見いだされた共同性から、私たちははなれるわけには行かない」[50]

さらに、元東京医科歯科大教授の渡辺一衛は、「他に類を見ないユニークさ」と題して、特講について次のように述べている。「山岸会の方々とはユートピアの会というサークルをとおして、60年代から交流があったが、私が特講に参加したのは1970年の夏であった。そのときはすぐ又訪れようと思ったのだが、早いもので、もう10年過ぎてしまった。議論は充分盡くせなかったような感じがあるが、なつかしい思い出である。誰でも自由に参加できて、しかもすぐ本質的な議論に入れるという点で、特講は他に類のあまりないユニークで、かつ民主的な形式だと思う。特講の討論のスタイルは、山岸会の中だけでなく、外の世界にももっと広げられて行っていいものと思うが、なかなかそうはゆかないようだ。ともかく貴重な山岸会の財産だと思うのである[50]。」

近藤は1995年(平成7年)7月に、実際に特別講習研鑽会を受講している。近藤によると特別講習研鑽会では進行役が参加者に対し「嫌いなもの」を問い、回答があると「それは嫌いなものですか?」と尋ねる。それに対しいかなる反応があっても進行役はひたすら「それは嫌いなものですか?」と繰り返し、参加者が沈黙すると次第に語気を荒らげて反復する[51]。同様に個々の座布団について「これは同じものですか?」と繰り返し質問するパターン[52]や、「如何なる場合にも腹の立たない人になる」という目標を確認した後、腹が立った経験について語らせ、「で、なんで腹が立つんですか?」と次第に語気を強めつつ繰り返し質問し[53]、延々と、受講者が腹が立たなくなるまで続ける[54]パターン(怒り研鑽)もある。こうした反復は数時間[55]、一昼夜[56]に及ぶ。また斎藤貴男によると、参加者に対し研鑽会終了後も実顕地に留まるよう求め、「残れないのは我欲があるからだ」などと詰め寄る「解放研」と呼ばれるプログラムも存在する[57]

近藤によると、「怒り研鑽」における数時間にわたる反復の中で、怒りを覚えた動機を全面的に否定し、むしろ自分のほうが謝罪したいと涙ながらに語る参加者が現れた。さらに会場内には連鎖反応的に恍惚の表情を浮かべ、「もう腹は立ちません」と語り出す者が現れた。そのような反応に対し、進行役は頷く素振りをみせたという[58]。近藤は「まるで集団催眠にかかったような光景だった」と述懐している[56]。近藤と同じく特別講習研鑽会を受講した経験のある米本和広も、同様に涙を流しながら「もう腹は立ちません。楽になりました」などと語る複数の受講者の姿を目撃したとしている[59]。米本はそうした様を、「神秘的体験、法悦感に通じるような快感に酔いしれているように見えた」と述べている[60]。米本が後に受講者を取材したところ、「怒り研鑽」の最中に観音の幻覚を見、他の受講生の心中が読めるような感覚に襲われたと証言する者、雷鳴が聞こえ、食器が躍る幻覚を見たという者もいた[61]。宗教学者の島田裕巳は「怒り研鑽」を「怒りをなくすための研鑽」であり、「特講の中で一番重要」と位置付けている。島田によると、ヤマギシ会では怒りをなくすことが重要視されており、研鑽を行う上で参加者が腹を立ててしまっては冷静な判断ができないという判断の下で行われている。研鑽の目的は『腹を立てない』ではなく『腹が立たない』心境を作り出すことにある[62]

また、島田裕巳は「怒り研鑽―<私>の場合―」と題した文章を書いている。[63]

特別講習研鑽会を受講した近藤は自身について、問いに対する答えを考える中で「突然、後頭部で『パチン』と風船が割れたような音」がし、「自分の意識が消し飛ぶような」感覚に陥り、「身震いするような恐怖を覚え」、やがて心地よい浮遊感、昂揚感を覚えるようになったと懐している[64]。近藤はこの経験について、「頭の中が真っ白になる。別の世界に誘われて、とてつもない真理を知ったような気分になる」、進行役の「口にすることすべてが真実であるように聞こえてくる」、「脳裏が白くなってからは、どんな発言が出たのか、まわりの様子がどうなったのか、まったく記憶に残っていない。すっぽりと記憶が抜け落ちていた」と分析し、「あの『浮遊感』を体感した受講生ならば、簡単に『ヤマギシズム=真実の世界』と刷り込まれてしまうだろう」と述べている[65]。近藤は、特別講習研鑽会への参加後しばらくは「これは同じものですか?」といった進行役の問いかけが頭から離れず、しばしば気が抜けた状態になったと告白し[14]、ナンセンスな質問の中に「奇妙な『浮遊感』を感じさせる魔法が仕掛けられているようだった」と述べている[66]。後に近藤が他の参加者の経験を調査すると、同様の感覚に襲われた者はごく一部であったが、かつてのヤマギシズム生活実顕地参画者でヤマギシ会に反対する立場をとる者の中にさえ「あの瞬間ほど身体全体が興奮したことは、今まで一度もなかった」と振り返る者がいた[67]

精神科医の斎藤環は米本和広がとりまとめた特別講習研鑽会のレポートを分析し、米本を含む受講者が解離状態に陥って「ある時点から自分の感じ方、知覚、感情など体験のされ方が変わ」り、中には解離性同一性障害を発症したと考えられる者もいると指摘している[68]。斎藤は受講者を対象に行ったヒアリング調査に基づき、記憶の喪失、変性意識体験多幸感、「景色が鮮明に見える」など、受講者が証言する神秘的体験と解離性症状との間に類似点が複数みられるという内容の報告を日本社会精神医学会において行っている[69]。斎藤の見解を聞き、さらにともに特別講習研鑽会に参加した者の中に解離状態が継続している者がいることを察知した米本が参加者に注意を促す手紙を送ったところ、手紙を会員に見せて「指示を仰ぐ」者が一人ならず現れたという[70]。米本は特別講習研鑽会の進行役を担当する会員を取材し、「特講によって人間が変わる素晴らしさを感じますよ。どんな人にも本来変わる力があり、それを種だとすれば、特講は水のようなもので、種に水をかけてやれば成長していく」というコメントを得た[71]。米本は特別講習研鑽会を「心の準備をする間もなく、『なんで腹が立つのか』を執拗に問われ続けるという困難な事態に対し、防御反応が働き、諸感覚の入力スイッチが切り替わって、感じ方が変わってしま」う[72]、「解離状態を招く危険な快感セミナー」と定義[73]した上で、「仕掛ける側にも仕掛けられる側にも特講が『洗脳』であるという意識がまるでない[† 10]」と警告を発している[74]。さらに米本は、地域の会員は様々な形態の「研鑽会」を用意しており、特別講習研鑽会の受講者経験者がそれら研鑽会に参加することで解離状態が継続する可能性があると述べている[75]。幸福会ヤマギシ会は特別講習研鑽会の開催に際し、精神障害にかかったことのある者は受講できないという注意書きを受講者に対し提示する[76]。米本はこの事実と、自身が取材した古参会員の「昔は48時間睡眠なしのぶっ続けで<怒り研>をしていた。その頃はおかしくなる人が大勢いたわ」というコメントから、幸福会ヤマギシ会側は特別講習研鑽会に精神障害を引き起こす危険があることを認識していると指摘している[77]

米本は、特別講習研鑽会の仕組みを以下のように解説している。

  • 嫌いなものを問う研鑽で感情を揺さぶる[78]
  • 「怒り研鑽」で感情神経回路を断ち切る[78]
  • 上記のものをはじめ様々な研鑽を通し「解答なき問いを執拗に繰り返すことによって自我を揺さぶり」つつ、テキストの輪読を並行して行うことで「理想社会のイメージを注入する」[79][† 11]
  • 注入したイメージを絵やビデオの鑑賞によって強化する[82]
  • さらにヤマギシズム社会実顕地の訪問によって、注入したイメージと現実を脳内で統合させる[82]

近藤は特別講習研鑽会について、「打ち上げ花火のようなもの」で、「たったの1週間で消えてしまった夢幻花火が忘れられず、一部の人々は社会活動や研鑽学校に参加していく」のだと分析している[83]。近藤によると、ヤマギシズム生活実顕地への参画のために受講しなければならないセミナー(研鑽学校)で行った研鑽会では、特別講習研鑽会におけるような「忘我恍惚体験」をすることはなかった[83]。近藤と同じく特別講習研鑽会および研鑽学校に参加した武田修一も、研鑽学校について「期待に反してさほど楽しいものではなかった。それは『怒り研』のような劇的な体験をともなうものではなく、淡々とした研鑽の連続だった」と述べている[84]鶴見俊輔は特別講習研鑽会の手法について、ソクラテス老子といった思想家になぞらえると同時に、「中共洗脳にも似て」いるとも述べている[85]本多勝一は「特講」の手法について「山岸会は民衆のレベルでのソクラテスのようなものだ」と絶賛している[86]。一方、小田実は「特講」の手法について疑問を持ち、「どうしても納得しない村人が出た場合はどうするのか?」という質問をしている[引用 1]。小田が抱いた疑問について米本和広は、社会実顕地参画者が「しつこく食い下がれば、まだ『我執』が取れていない人だという烙印を押され」、「最後まで従わなければ、『振り出し寮』の異名を持つ無期研鑽学校に入ることを<提案>される。ここに入れば一人でいつ果てるともない作業と研鑽を繰り返し、無条件で研鑽の結果を<公意>として受けとめる人間になるまで出ることはできない」という証言をヤマギシズム社会実顕地元参画者から得ている[87]

特講がマインドコントロールであり、洗脳であり、危険であるとする主張に対し、特講を受講した杉本厚夫京都教育大学教授(当時、現・関西大学人間健康学部教授)は、既存の固定化された常識から開放され、その常識自体を再考してみるという点において、近代の社会科学に立脚しているとした上で、「ヤマギシズム特別講習研鑽会は、人の観念を外発的に誘導し、固定するマインドコントロールではありません。逆に、マインドコントロールされている自分に気づき、そこから自分を解放する機能を持っているといったほうがいい」と述べている[88]

米本がヤマギシズム社会実顕地の参画者の一人から聞いたところによると、特別講習研鑽会受講者の6%弱がヤマギシズム社会実顕地に参画するという[89]。幸福会ヤマギシ会やその構成員が特別講習研鑽会の内容を外部に明かすことはない[39]。しかし1995年(平成7年)以降、マスコミが特別講習研鑽会の内容について盛んに報道するようになった[90]

ジャーナリストの斎藤貴男は特別講習研鑽会の本質は「どうとでも言える話題を強引に一つの方向に導き、あたかもそれが普遍の真理であるかのように教え込む」ことにあるとし、「緊張と弛緩を巧みに組み合わせた」その手法について自己啓発セミナーマルチ商法感受性訓練との共通性を指摘している[91]

野本三吉による言及もある[92]

ヤマギシズム社会実顕地

ヤマギシズム社会 岡部実顕地(埼玉県深谷市
実顕地内施設(愛和館)の食事風景
実顕地内施設(愛和館)の食事風景

幸福会ヤマギシ会は、「心も物も充ち満ちた真の幸福社会」をヤマギシズム社会と呼び[26]、ヤマギシズム社会を実践する場としてヤマギシズム社会実顕地(通称「ヤマギシの村」)を33箇所(うち26箇所は日本)運営している[10]。幸福会ヤマギシ会によると、ヤマギシズム社会実顕地の中では「一体生活」、「『財布ひとつ』の生活」と称する生活が営まれ、農業・畜産・林業等が行われている[10]。ヤマギシズム社会実顕地内の生活は原始共産制と評されることもある[6][93]村岡到によると、「ヤマギシ会に参加する人は、「ボロと水でタダ働きのできる士は来たれ」という呼びかけに心うたれ、共鳴した人」である[94]

作家の富田倫生によると、ヤマギシズムの考える理想社会の実現方法には2つあり、ひとつは既存の組織、既存の社会のなかでのヤマギシズムを浸透させる方法であるが、もう一つの方法、すなわち既存の社会での生活から離れ、ヤマギシズム社会のモデルをつくり、即座に一体生活を始めようとする方法を実現するための実験を行う場が実顕地であるとしている(富田によると、実顕地には他にヤマギシズムを実際に表すという意味もある)[43]

実顕地へ参画するには、2週間のセミナー(研鑽学校)を受講しなければならず[95]、参画決定後は半年間を「予備寮」と呼ばれる施設で過ごす[96]。実際にヤマギシズム社会実顕地に参画した近藤衛によると予備寮で排除され、社会実顕地を去る参画者もいたという[97]

生活のあり方

ヤマギシズム生活実顕地では貨幣が流通しておらず[98]、実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する[17]。近藤衛は参画に際し、ヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て「物件、有形、無形財、及び権益の一切を、権利書、証書、添付の上、ヤマギシズム生活調整機関に無条件委任致します」と書かれた誓約書に署名捺印を求められ[99]、さらに脱退(参画取り消し)時にはヤマギシズム生活調正機関本庁に宛て、委任した財産について「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」と誓約する内容の脱退届に署名捺印したことを明かしている[100]。近藤によると、参画時の誓約書には「本財」として「身」と「命」[† 12]も含まれている[102]。実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることもない[17][103][† 13]。しかしながら帳簿の上では賃金が支払われていることになるため、実顕地を去った者には財産が残されていないにもかかわらず、帳簿上の収入に基づき税金が請求されることになる[104]。近藤は、一切の私有財産の放棄が過去の自分と決別し、人生を再生させる解放感をもたらすケースがあると指摘している[105]。米山和広は元参画者から、「財産を多く持ち込んだ人は特別待遇されていた」という証言を得ている[106]。幸福会ヤマギシ会は参画者に私有財産をすべて放棄させる一方、相続人の地位は放棄しないよう通達を出している[107][† 14]

鶴見俊輔はこう指摘している。「山岸巳代蔵は所有権を主張していないんだね。かれはまた、一種の問答をつくったんです。『何が正しいのか』『これはだれのものか』。それが山岸会の研鑽になった。そういうことを通して、今は農産物、酪農の産物について良質のものをつくるようになって、外の社会との関係がいいんですね。この中に入ると、所有がないからお金なしで暮らせる」[109]

近藤衛は、自身が生活実顕地の中で生活を送った1999年(平成11年)2月から12月にかけての住人やその生活の実情について、以下のような分析・考察をしている。

  • 非常に勤勉である[110]が、総じて個性がない[111]
  • 人間関係は表面的には淡白である[112][† 15]。「ヤマギシに友人はありません」という標語が存在し、「オトモダチ」という言葉が揶揄に用いられる[113]
  • 労働環境には厳しい面もある[† 16]が経済的な不安とは無縁でいられる[111]
  • 組織の意思決定のプロセスはもちろん、意思決定プロセスへの参加者も明かされない[115]
  • あらゆる任務から半年に一度自動的に解かれる(自動解任)建前がとられているが、実際には「重任」が存在し、権力が固定されることもある[37]
  • 「ごく日常的な些事」を除いて情報が不足しており[116]、住人の関心事もまた些事に限定される[117]。誤解や迷妄が生じやすい環境にあり、「そこに『理想社会』のバラ色のイメージが重なり、実顕地生活を特別視する」[118]
  • 私有財産制の否定と共有は徹底しており、1980年(昭和55年)以降は衣類にまで至っている[119]。実顕地にパンツを持ち込んだ近藤は、「世話係」からどうして共用のパンツを履かないのか問い詰められたという[120]
  • 予定を自分で決めることができない場面が多い。「世話係」との「研鑽」において世話係が結論のみを伝え、それに「ハイ」と従うことが要求される(ハイでやります)[121]。実顕地内には「私意尊重公意行」というスローガンが存在し、これを遵守することが参画の条件となっている[122]。このスローガンは「みんなの考えでやろうとする私の意志」がまず存在し、みんなの考えにはかった結果(公意)を、私の意志として行動」することを意味する。具体的には「研鑽結果である係からの公意を、積極的に自分の意志として、その通りやろうとする」ことを公意行と呼ぶ[123]。幸福会ヤマギシ会は公意行こそが真の自由だと説き[124]、住人の側は「どんな指示でもわだかまりなく実行できる」という意味で「何でもやるのが本当の自由だ」と言い、理由説明のない指示に従うことで「真の自由」を感じる[125]。「事実」と「思い」とを分離する思考がとられ、思いは軽視される[126]。「〈思い〉を断ち切る」という意味で「-を思い切りやる」という言葉が用いられる[127]。ただし、近藤は、1995年以来の組織の衰退を受け、1998年(平成10年)3月以降、「自分がやりたいことをやる自由」が認められる傾向が生まれたとも述べている[128]
  • 懐疑的な部分がある反面、生活実顕地内のルールや「世話係」にはきわめて従順である[129]
  • 実顕地内の事柄を善意に解釈する反面、一般社会に対し強い不信感[† 17][† 18]を抱いており、「善と悪の境界」、共同体を外部社会から隔てる心理的境界がうかがえる[132]
  • 住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する[133]。離婚においては、「世話係」が間に立つ[112]
  • 勤勉な男性には「結婚する〈資格〉」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる[134]。離婚した男性には再婚の機会が少なからずあるが、中年以上の女性は孤独なままである[135]
  • 夫婦関係については夫唱婦随が説かれ[136]、夫は妻をファーストネームで、妻は夫を姓に「さん」をつけて呼ぶ[137]
  • 夫婦が水入らずの生活を送ることはない[138]。その他、集団の中で誰と誰が夫婦なのか判別しにくい[138]、子供は性別・年齢別に集団生活を送る[137]など、血縁・婚姻関係が希薄となる環境が揃っている[137][† 19]。さらにヤマギシズムに従えば一夫一婦制には必ずしも拘束されないことになり、「三位一体の愛情」を実践した者もいる[133]

村岡到は、実顕地の生活について以下のように述べている[139]

  • 食事は1日2食である。「愛和館」という食堂が午前10時30分から21時まであいており、村人は愛和館がオープンしている間の好きな時間にやってきて、食事をする。自室に料理をもち帰って食べてもかまわない。
  • 豊里実顕地には診療所がある。診療所には医師がいるが、彼らはヤマギシ会参画者である。病気になれば近隣の病院に通うが、医療費はヤマギシ会が負担する。
  • 住居は、夫婦一組で6畳1室か2室。家賃はいらないし、世間の常識では考えられないが、ドアにカギ(錠前)がない。

米本和広は、一般公開された豊里村の実顕地を訪れた際に受けた印象について、次のように述べている。

  • 個人の嗜好を満たすものが見当たらない[140]
  • 参画者は、自身に関係しない事柄については「知らないというより関心すらない様子だった」[32]

近藤衛は、住人に割り振られるID番号をもとに1999年(平成11年)までの離村者と離村率を計算している。近藤は発足以降延べ7800名が参画し、500名が参画中に実顕地で死亡したと概算し、1999年(平成11年)時点での参画者が約2150名であることから、離村者を5150名、離村率を約66%と推計した[141]

宗教学者島薗進は新宗教における「隔離型教団」の代表的な例としてオウム真理教エホバの証人統一教会と共に幸福会ヤマギシ会をあげている[142]

老蘇の生活

では、ヤマギシズム社会実顕地での高齢者たちの暮らしぶりはどうだろうか。「ちなみに、ヤマギシ会では高齢者のことを「老蘇」(おいそ)と呼んでいる。『老いてますます蘇る』という意味が込められているのだ」[143]。ヤマギシズム社会実顕地での老蘇の暮らしぶりや生き方を取材して、村岡到・著『ユートピアの模索』で、次のように述べている。「ヤマギシ会は日本が迎えている高齢化社会時代における理想的な〈モデルケース〉とすら言える。日本に存在する自主的な一定の社会集団のなかで、高齢者をこれだけ抱え込んでいる集団は他にはない」[144]

参画者の結婚および出産・中絶

近藤衛によると前述のように、実顕地内には住人同士の結婚を統括する機関(結婚調整機関)が存在する[133]。米本和広が元参画者に取材したところによると、参画者の側から結婚を「提案」したところで「研鑽」・「調正」の結果それが認められることはなく、実顕地内で成立する結婚はすべて担当者からの「提案」による「調正」結婚である[145]。元参画者によると強制ではないが拒絶すると執着があるというレッテルが貼られてしまうという[145]。米本によると担当者がカップルを決める根拠となるのは山岸巳代蔵の著書『世界革命実践の書』であり、同書において山岸は「人種改良」や「悪性遺伝は子孫に不幸を齎す」ことを訴えている。米本は、同書の思想を「優生思想に凝り固まったナチストの科学者が書いたような、障害者全面否定の思想」と批判している[146]

米本の取材に対し担当者は、「提案」される夫婦の組み合わせに対し、「20代前半の女性と30、40歳代の男性というパターンが多い」、「若い女の子の方が優秀な子どもを産む」、「男は何歳でもいい」と回答した[147]。米本によると新規参画者には30、40代の主婦が多いため、結婚の「提案」の対象となる女性はヤマギシズム学園高等部を卒業して2、3年の女性である[148]。米本は、「彼女たちは『我』を主張することを長い間禁じられてきたため、『イヤ』と表現することができなくなっている。……脱走しない限り、女の子たちは中年男性の快楽と『優秀な子』を産む道具と化す」と批判している[148]。米本によると、娘が中年の参画者にあてがわれることを嫌い実顕地を去った参画者もいる[148]。結婚する男性について米本は担当者から、「やはりヤマギシできちんとやれている人がいい」というコメントを得ている[148]。近藤によると前述のように、勤勉な男性には「結婚する〈資格〉」が与えられ、勤勉でないものはいつまでも結婚できずにいる[134]。そして離婚した男性に再婚の機会が少なからずある反面、中年以上の女性は孤独なままである[135]

米本によると担当者の「調正」は出産にも及び、出産の許可が下るとコンドームが支給されなくなる[149]。「研鑽」の結果、担当者が「今回は産まないことにしましょう」と中絶を促すこともあり[149]、高齢の女性については「まず間違いなく中絶ということになる」[149]。中絶手術は参画地外の病院で行われる[149]

豊里ファーム

豊里ファームの店内

ヤマギシ会では、野菜や果物、加工品などを販売する「豊里ファーム」を三重県津市にオープンした。

ヤマギシ会の農業

『農業が創る未来』の著者である村岡到は、ヤマギシ会の農業について次のように記している。「ヤマギシ会は、日本農業全体が衰退しているなかで逆に着実に実績を積み重ねている。(略)ヤマギシ会は、その年間の売上高が農事組合法人のトップに位置する実績を上げている。この事実はメディアでも取りあげられた。情報誌『FACTA』五月号では小さな記事ではあるが、『農事組合法人のトップに躍り出た「ヤマギシ会」」と見出しをつけられ、「年間売上高は約六六億円、約七五〇人(豊里プラス春日山)のメンバーが共同生活している」[150]

また、村岡はヤマギシ会の農業は、農業関連の業界などで早くから注目されていた、として、「大阪農業ジャーナリストの会」や「現代農業」「米穀新聞」、小松作業の「鳥と人」「環境新聞」「FEEDING」「鶏卵肉情報」「養豚情報」「牧場ガイドブック」(家の光協会)、黒田宣代著『「ヤマギシ会」と家族』などでヤマギシ会の農業が紹介されていることを記している[151]

さらに、村岡はこうも述べている。「ヤマギシ会の農業を研究テーマに設定して全面的に明らかにする労作も発表されている。すでに四半世紀前の一九八八年に、農林水産省の職員・足立恭一郎氏は『有機農業』という視角から、ヤマギシ会の営為に着目した。足立氏は、農林省農林水産政策研究所の雑誌『農業総合研究』で、『「産消提携」による農の自立——ヤマギシ会の営みを事例にして』といして、ヤマギシ会の農業の実態を克明に研究し、そこに日本農業の活路を見出していた」[152]。「足立氏は、ヤマギシ会の農業がこの急成長を可能にしたのは要件として、参加者が『修養の思想』(「研鑽の姿勢」)で事に当たっていることを上げ、彼らの労働観に着目し、その独特の『適期作業』の有効性を分析している。その労働観とは『結果を求めて過程を楽しまず、自分のためだけにする労働は貧しい』と語る心境である。『適期作業』とは、『場に収まって、機に動く』と表現されている、労働のやり方である」[153]

沿革

創成期

山岸巳代蔵が提唱する理念を実践するための団体(社会活動実践母体)として、1953年(昭和28年)に発足[5]。同年、山岸式養鶏普及会発足[154][155]。山岸巳代蔵は鶏糞による米の増産と、そのころまだ貴重であった鶏卵の増産を目指す篤農家であった。1956年(昭和31年)には「養鶏の秘匿公開」を謳い文句に第1回の特別講習研鑽会が開かれた[156]。巳代蔵は養鶏技術を伝授することに積極的ではなく、むしろ難解な言葉を使って精神論を説くことに熱心であった。そのため離脱者が多く現れる一方、熱心に耳を傾ける者も現れた[157]。巳代蔵から秘匿技術を明かされたという会員の一人によると、巳代蔵が出し惜しみした技術は驚嘆するような内容ではなかったが、密かに伝授された秘密を共有することで信奉者間の連帯感が強まったという[158]。後に秘匿技術を知る者は「理想社会の真髄を知る者」として会の指導者的立場に立つことになる[159]1956年に第一回特別講習研鑽会が開催され、同年および翌年の特別講習研鑽会への参加者はあわせて4500名を超えたという。創成期のメンバーの生活は、「昼食は全員甘藷」「醤油なし、おかずなし」というほどどん底にあえいだこともあったという。その苦悩ぶりを知る証言が、『Z革命集団・山岸会』のなかに記述されている。

成長期

1959年頃の山岸会の活動

1958年(昭和33年)「百万羽科学工業養鶏」構想が発表され28名が参画する。その3ヵ月後には三重県阿山郡伊賀町にて「ヤマギシズム生活実践場春日山実験地」が発足。

1959年(昭和34年)7月、特別講習研鑽会の受講者を監禁したり、ニセ電話で家族を呼び出して強制的に受講させていたとして幹部12名が監禁・脅迫の疑いで逮捕される(山岸会事件[160][161]後述)。この事件はマスコミによって大きく取り上げられ、会のネガティブなイメージが全国に広まった[162]。しかし一方で事件後、左翼系文化人による「思想の科学」の支持を得る[163]。山岸巳代蔵はもともと、アナキズムマルクス主義に影響されたことのある人物であった[164]

1961年(昭和36年)5月、巳代蔵が他界。会の指導者の地位は杉本利治に引き継がれた[165]。同年「ヤマギシズム中央調整機関」、「ヤマギシズム研鑽学校」が発足。その後1968年(昭和43年)頃より始まった全共闘時代にコミューン運動としてヤマギシが捉えられ、従来の農家出身者に代わり、学生運動経験者などの先鋭的な左翼思想を持った若者が多数加入した。特講を受講した哲学者の鶴見俊輔は、ヤマギシ会にベトナム戦争の脱走アメリカ兵を長い間預かってもらったと語っている。

山岸会事件の影響から会は「冬の時代」を迎えたが、1970年代に「自然食品を生産するコミューン」として再び注目を集めるようになり[166]、自然食ブームに乗って生産物の流通体制を整えていった[167]。以降1990年代まで会の経済規模は拡大を続け[168]、その一方で生産に携わる会員は幹部からの指示を全面的に受け入れ、長時間労働することを余儀なくされていった[169]。同じく1970年代には学生運動に挫折した者[170]や「コミューン志向の学生」[171]が会に参画した。ジャーナリストの斎藤貴男によると、1970年前後には革命運動に挫折した全共闘の学生が「最後のユートピア」を求めて大量に流入したという[163]

1980年代には「心あらば、愛児に楽園を」と謳い、子育てや教育への不安や関心を背景に一部の教育者や子供をもつ者からの支持を得、発展を遂げた[172]。1983年から1990年にかけて10の社会実顕地 が新たに建設され[119]、1984年に子供を除き740名であった社会実顕地への参画者は1995年には2270人にまで増加した[119]。その一方、社会実顕地内では1979年9月に食事や入浴の作法など生活の細部にわたる「生活法」が定められ[173]、さらに1980年代に入り「真実の生き方に酒・タバコは必要ない」として禁酒禁煙が言い渡されるなど、規律が強化されていった[119]。「ハイでやります」「よく聞いてその通りやります」というスローガンが掲げられ、規律に従わない参画者は「何故その通りやらないのだ」と昼夜を問わず「研鑽」の対象となった[174]

退潮・内閉

1980年代以降、ヤマギシ会は社会から好意的にみられ[175]1986年以降[要出典]は百貨店における生産物の販売も始まっている。しかし1994年(平成6年)にヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」[† 20]を結成し、幸福会ヤマギシ会が抱える負の側面を告発すると[176]、会に対する批判や疑惑を取り上げるメディアが続出した[177](なお、「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成前の1991年8月、4000人が参加した「子ども楽園村」の開催中に幼児が送迎バスのなかに放置されたまま死亡する事故が起こり、マスコミによって報道されている[要出典])。1995年以降、同会に対し10件を超える訴訟が提起され、原告側は「被告法人」が「理事・幹部による参画者に対する支配管理」、「監視の常態化」、「日々の研鑽という名目の参画者に対するマインドコントロール」によって「参画者の思考停止状態を維持し、物言わぬ労働ロボットを生産している」と訴えた[178]

さらに、「ヤマギシを考える全国ネットワーク」結成と時を同じくしてオウム真理教が起こした事件の捜査が進展し、幸福会ヤマギシ会を同種の危険なカルト集団として批判する風潮が生まれた[179]1994年(平成6年)に500名いた年末年始の特別講習研鑽会(正月特講)への参加者は、1995年(平成7年)に400名、1996年(平成8年)に130名、1998年(平成10年)に20名と減少を続けた[179]。幸福会ヤマギシ会が生産する農産物の売り上げについても、幹部が減少を認めるに至った[180]

加えて1997年(平成9年)には国税局の税務調査を受け、書類上でのみ支給され実際には支払われず組織内の機関にプールされていた社会実顕地参画者に対する給与[† 21]について贈与にあたると指摘され、200億円の申告漏れを理由におよそ60億円の追徴課税が課された[181]

幸福会ヤマギシ会は1998年(平成10年)10月、「村から街へ」をスローガンに、「中高年は20代30代の若者のために、実顕地を出て街で暮らそう」と呼びかけ、40歳以上の参画者を「出精平使」と称し外部社会に送り出す方針を打ち出した[182]。さらに実顕地の中では、「子供が〈学園〉でやれなくなった場合、親は子供と一緒に村を出る」という不文律が布かれ[183]、離村勧告の対象となりうる矯正機関への入所者を増やす[184]など、参画者を増やすよりも減少させる動きを見せるようになった[184]。近藤衛によると、1999年(平成11年)に約2150名だった参画者は、2001年(平成13年)1月には子供を除き1700名にまで減少した[185]。実顕地の閉鎖や統合も進んでいる。こうした動きについて近藤は、集団農場の経営効率化策だと分析[186]するとともに、会が内閉期[† 22]に入ったと指摘している[188]

村岡到『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』によると、外部からの批判を受け幸福会ヤマギシ会は以下のような改善を行ったという[189]

  1. 1998年4月から、学校に通う子どもが朝食を摂れるようになった(それまでは二食)。
  2. 1999年からメンバーに月1万円の小遣いを支給するようになった。
  3. 1999年春からは、「ヤマギシズム学園高等部」に進学した者が通信制高校に入学できるようになり、翌年春からは、全日制高校にも入学できるようになった。
  4. 2000年2月からは「もっと親が子育てに関わった方が良いのではないか」ということになり、夕食は親と一緒にするとか、毎週末には親とともに過ごすようになった。
  5. 飲酒についてもほぼ全面禁酒からほどほどに飲酒する人も増えてきた。
  6. 脱退者への「返金」についても、出資金に応じて生活準備金を用意するようになった。

島田裕巳は、「ヤマギシ会は日本企業の究極形?」と題した文章を書いている[190]

2010年代以降、農業エコ・ヴィレッジの先駆者としての注目を浴びている[要出典]

トラブル・事件

山岸会事件

山岸会事件を報じた毎日新聞(1959年7月5日付)

ヤマギシ会が1958年(昭和33年)に三重県に設立した共同体「山岸式百万羽科学工業養鶏株式会社」が、同県阿山郡伊賀町で百万羽の鶏の飼育を目的に開拓を目指したものの難航する中、構成員の知人らを「ヨウアリ、スグコイ」など真意を隠した内容の電報で呼び寄せ、1959年(昭和34年)7月の特別講習研鑽会に参加させた事件。「家族が監禁されて講習を受けさせられている」といった訴えが数多く寄せられ、7月10日に山岸会幹部9名が三重県警に逮捕された[191][192]。山岸巳代蔵にも逮捕状が出たが行方をくらまし[166]、9か月の逃亡生活を送った末に逮捕された[163]。山岸会は「謎めいた思想集団」、「謎の革命集団」として報道された[165]。「春日山50年のあゆみ」によると山岸会事件が実顕地に与えた影響は甚大で、春日山実顕地の財政は逼迫し、食料や衣料にも事欠き、多くの構成員が出稼ぎに出たという[193]。1961年4月28日、逮捕された14人に禁固1年から10カ月、執行猶予2年の判決が下った[193]

ヤマギシズム学園にまつわる問題

1985年(昭和60年)、ヤマギシ会は同会の広告塔であった元早稲田大学教授・新島淳良の提唱により[194]、子供が24時間の集団生活を送る私塾「ヤマギシズム学園」を設立した[195]。ヤマギシズム学園は幼年部(5歳児が対象)、初等部(小学生が対象)、中等部(中学生が対象)、高等部、大学部からなり、入学できるのは会員の子、または親の少なくとも一人がヤマギシズム特別講習研鑽会を受講した者の子のみである[196]。学園は「人間としての基礎的な一般知識・教養については、義務教育である中学校までにしっかりと学習できていれば十分」という考えに立ち、高等部では進学のために必要な授業を一切行わない[197][† 23]。また、大学部は高等部卒業後、実顕地参画を決めた者のために用意された部門である[199]。ヤマギシズム社会実顕地参画者の子については学費がかからない[199]。幼年部と高等部の生徒は、実顕地の外に出ることが一切できない[200]。初等部と中等部の生徒は義務教育を受けるために実顕地の外に出ることができる[200]が、非会員と遊ぶことや放課後のクラブ活動は禁じられている[201]。生徒は常に集団行動をとることが求められ[200]、米本和広によると6-10人が一つの部屋で過ごし、2人が一つの布団で一緒に寝なければならない[202]。親との面会が許可されるのは2か月に一度だけである[200]。こうした「子供を親元から離して群れに放つ」方式は、ヤマギシ会が一般家庭の子供を対象に行っている学育イベント「子ども楽園村」でも採用されている[203]。元実顕地参画者の松本繁世によると、幸福会ヤマギシ会は無所有の概念を子供にも適用し、「子供も誰のものでもない」と考えている[204]

生徒には「作業」として畑仕事や動物の世話が課せられ、時間は中等部生で週25時間、年1300時間[205]、高等部生で1日16時間[206]に及ぶ。米本和広は、「作業が単なる労働だとすれば、児童労働を禁じた労働基準法にも抵触する」と指摘している[206]。さらに米本によると、生徒は実顕地で採用されている間食・夜食・朝食なしの1日2食という食生活を強いられる[207]

1994年(平成6年)、ヤマギシズム社会実顕地の元参画者が「ヤマギシを考える全国ネットワーク」を結成し、学園での子供に対する暴力問題を告発した[176]。これを受けて日本テレビ系列のニュース番組『NNNきょうの出来事』が問題を追及し、「包丁を突きつけられて脅される」、「風呂に連れていかれ熱湯をかけられる」、「竹刀で20回も殴られる」、「部屋に呼ばれて裸にされて殴られる」という被害者の証言を報道した[176]

ヤマギシズム学園は学園の目的を「<育ち合いの原理に立つ独自の学育方式>によって子どもたちを<完成人間>に成長させること」とし、「<完成人間>に育っていくための<真の子ども像>」として「実学的姿勢」、「タダ働き」、「異性(男らしさ、女らしさ)」、「明るいのが正常」、「楽しいのが本当」、「研鑽態度」、「我執がない」といった項目を掲げている[208]。学園出身の子どもや学園生徒と接した経験のある教師、さらにヤマギシズム学園事務局から聞き取り調査を行った米本和広は、得られた証言に基づき学園の目的を解釈すると「子どもたちから<我執>を取り除き、<研鑽>で決まったことを実行するロボット的な革命戦士[† 24]に育成する」ということになり、そのために拘禁、正座、暴行といった体罰が用いられている[† 25]と指摘[211]し、「学園で行われていることは、社会的に言えば『組織的な児童虐待』以外のなにものでもない」と批判している[212]

前述のように米本によると、実顕地内では「若い女の子の方が優秀な子どもを産む」、「男は勤勉であれば何歳でもいい」という考えのもと、「20代前半の女性と勤勉と認められた30、40歳代の男性」という組み合わせの結婚が担当者からの「提案」に基づいて多く行われる[147](調正結婚[145][149])が、新規参画者には30、40代の主婦が多いため、結婚の「提案」の対象となる女性はヤマギシズム学園高等部を卒業して2、3年の女性である[148]。このことについて米本は、「彼女たちは『我』を主張することを長い間禁じられてきたため、『イヤ』と表現することができなくなっている。……脱走しない限り、女の子たちは中年男性の快楽と『優秀な子』を産む道具と化す」と批判している[148]。優れた子孫を残せる(と予想される)女性が送られる生産部という機密部署も存在し、ここでは子作りを専門に行っている(1人の女性が多数の男性とのセックスに明け暮れることになる)。対象は10代から30代後半までの女性である[213]。この方針は優生思想の実践でもある。

広島弁護士会は広島県三次市のヤマギシズム学園花見山初等部に対して、「憲法や子どもの権利条約で保障された人権が侵害されている」として警告書を提出した。これに対し学校サイドは「子供を預かっている学校が、担任が子供たちを見ているときに、おなかがすいて輪ゴムを食べたりとか、あるいは体が悪くないのに長期に休ませるとか、放課後部活もできない、そういうことを見て、これは子供が普通じゃないんじゃないか」と、広島弁護士会の方に相談し、広島弁護士会も、「平手打ちなどの体罰、あるいは反省させる名目で数時間から数日間も狭い一室に一人で閉じ込めた。また、通学日に朝食を与えず、十八時間も食事をさせなかった、子供の手紙を無断で開封し閲覧した、無断で私物を検査し、取り上げた、家族との交流は月一回に制限され、休日も学園のスケジュールどおりで、テレビ、新聞の視聴、閲覧を制限した」と警告書を出した。同様の事例が過去に岐阜県恵那市武並小学校でもあったと広島弁護士会はしている。岐阜では食事を抜く、雨の中裸で外へ出す、登校させない、会の中での暴力行為がある等が子供たちの様子から感じられて警告書を提出するに至ったとしている。池坊保子はこれらの問題を衆議院予算委員会で取り上げ、両事例において警告書が出されると当事者児童は強制的に三重県へ転校させられた[† 26]と述べている[215]。池坊は、幸福会ヤマギシ会が学校法人設立の要望書を提出した際に行われた子供を対象に行った無記名のアンケートにおいて、8割が暴力を受け、したくない労働をさせられている旨回答したと指摘し、これに対し宮下創平厚生大臣は「大体御指摘のような事実が極めて高い確度で想像される」と回答している[215]。米本和広によると、地域の学校や教育委員会の中には実顕地で歓待を受け、生徒の保護者を親権者ではなくヤマギシズム学園の担当者にすることを認め、親族が学校を経由して生徒に手紙を渡そうとしてもそれをヤマギシズム学園に手渡してしまうなど、幸福会ヤマギシ会と癒着関係にあるものがある[216]

財産返還問題

前述のように、近藤衛によると、ヤマギシズム生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」し、実顕地の中での労働に対し賃金[† 21]が支払われることもない[17][† 13]。しかしながら帳簿の上では賃金が支払われていることになるため、実顕地を去った者には財産が残されていないにもかかわらず、帳簿上の収入に基づき税金が請求されることになる[104]。さらに近藤は、生活実顕地を去る者について、以下のように述べている。

もし彼らが集団農場を去ることになれば、その末路は暗い。持ち込んだ私財は返されない。仮に数千万円を委任しても、脱退時には数十万円が手渡されるのみだ。 ヤマギシ会はバラ色の理想を掲げる一方で、脱退者をほぼ無一文で外部社会へ放り出してきた。彼らは離村者が路頭に迷おうとも、どんな経済的な辛苦が待ち受けようとも、決して私財を返そうとしない。— 中野2004近藤2003、4頁。

1995年(平成7年)以降、ヤマギシズム生活実顕地の元参画者が委任した財産の返還を求める裁判が起こされるようになった[217]。弁護士の松本篤周によると、幸福会ヤマギシ会は入会者に全財産を寄付させた上、退会しても一切返還に応じないという姿勢をとっており、社会問題化している[218]。松本は幸福会ヤマギシ会に入会するにあたっては全財産をヤマギシズムに渡し、退会しても返還されない旨の契約を結ぶ必要があると警告している[218]。米本和広によると、幸福会ヤマギシ会は財産を「無条件委任」させるにあたり、特定の金融機関に個人口座を作らせ、そこに現金や現金化した資産、さらに給与を振り込む手法をとっているが、名義人である元参画者が口座の状況を確認しようとした際に、金融機関が「実質的預金者はヤマギシ会の調正機関である」として要求を拒んだため、返還を求める金額の把握・証明すら困難になったケースが存在する[219]

2004年(平成16年)11月5日、ヤマギシ会の集落を離れた女性が入村時に放棄したとされた財産の返還を求めた裁判において、最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)は二審東京高裁判決を支持し女性側の上告を棄却した。これで女性が請求した一部の1億円の返還を命じてヤマギシ会を敗訴とした東京高裁の判決が確定した。ちなみに、「この女性(原文ではX)が平成元年六月の参画に際し、自宅及びアパートを含む全財産を幸福会ヤマギシ会(原文ではY)に交付したその総額は、二億九一六四万七九九三円となる」[220]

Xは「平成六年一二月に脱退を申し出て、平成七年始めにはYの同意を得て脱退した。脱退時には、Xは3人の子の分として、少なくとも九三〇〇万円の返還を求めたが、Yは長女の分として四〇三〇万円を返還したにとどまった」[221]

そこでXはYに対し、(1)特講・研鑽学校でのマインドコントロールという不法行為により交付した財産相当額の損害賠償、(2)Xの全財産の交付はYへの信託契約・消費寄託契約によるもので、同契約の終了による財産の返還請求、(3)財産の交付の原因となった契約は公序良俗違反・詐欺取消・錯誤で無効として不当利益の返還を請求し」[221]東京地方裁判所に訴えをおこした。東京地裁の一審判決は、「Xのアパート生活の期間中に、Yがこの女性(原文ではX)に支払った生活費などを出資額から控除して、二億四一三四万七九九三円の返還をYに命じた」[222]というものだった。

さらに、Yが控訴した東京高裁の判決は、「脱退時に返還した四〇三〇万円に加えて一億円を返還すべきで、この一億円を返還しない場合は参画契約の不返還特約は公序良俗違反となると判示した」[222]ものだった。「Xは上告受理申立てをしたが、上告棄却された」[222]

東京高裁は、次のように判じている(抜粋)。「本件では被控訴人(Xのこと)の特講・研鑽学校への参加、参画へと続く一連の過程に関与した控訴人(Yのこと)の担当者について、被控訴人が主張する社会的相当性を欠く違法な行為があったと認めることはできず、参画への勧誘等がその目的・手段・結果に照らして違法であるとはいえず、したがって、被控訴人に本件出捐行為をさせたこと自体及びその原因となった本件参画契約自体が公序良俗に違反するということはできないし、本件出捐行為をさせたことにつき控訴人に社会的相当性に欠く行為があったことを前提とする被控訴人の信義則違反の主張も採用することはできない」[223]『本件参画契約のうち被控訴人が控訴人を脱退する場合にいかなる事情があっても被控訴人の出資した財産を「一切」返還しないとする部分(以下「不返還約定」という)は、「一切」返還しないとする点において公序良俗に反するものといわなければならない』[224]

最高裁は、「Xの出えん(出捐)行為は、Xの脱退により、その法律上の原因を欠くに至ったものであり、Xは、Yに対し、出えんした財産につき、不当利得(〈法〉ある人が法律上の原因なしに他人の財産または労務によって利益を受け、その結果として他人に損失を与えること」[225])返還請求権を有する」[226]としたが、「XがYに対して出えんした全財産の返還を請求し得ると解するのは相当ではない。Xの不当利得返還請求権は、Xが出えんした財産の総額、XがYの下で生活していた期間、その間にXがYから受け取った生活費等の利得の総額、Xの年齢、稼働能力等の諸般の事情及び条理に照らし、Xの脱退時点で、Xへの返還を是認するのが合理的、かつ、相当と認められる範囲に限られると解するのが相当である」[226]と判じている。ただし、最高裁は「Xが出えんした財産の返還請求等を一切しない旨の約定があるが、このような約定は、その全財産をYに対して出えん、Yの下を離れて生活するための資力を全く失っているXに対し、事実上、Yからの脱退を断念させ、Yの下での生活を強制するものであり、XのYからの脱退の自由を著しく制限するものであるから、上記の範囲の不当利得返還請求権を制限する部分は、公序良俗に反し、無効というべきである」[226]と判じている。

このような最高裁の判決について、北海道大学教授の藤原正則は、「『無所有共用一体社会』の実現を活動の目的としている団体に加入するに当たり全財産を出えんした者がその後同団体から脱退した場合に合理的かつ相当と認められる範囲で不当利得返還請求を有するとされた事例」[222]と題して、次のように評釈している。

「本件でまずXは、Yの担当者の勧誘行為は不法なマインドコントロールであり、不法行為を構成すると主張しているが、本件でのYの不法行為の肯定は困難であろう」[222]とし、さらに、「XのYへの出捐が信託契約・消費寄託によるという主張も、一審・原審で退けられているとおり、出資明細書の文言「権利主張・返還請求等一切申しません」からは、その認定は不可能であろう」[222]

さらに、「返還義務の範囲の決定の考慮の要素は、(略)Yの下での生活が長期化するほど、精算されるべきXの出捐は消尽していく。これは決して偶然ではなく、全財産を出捐して共有し、他の構成員のためにも出捐財産が使用されるという団体への加入は、婚姻関係に近いと考えることができる。その意味で、判示のYの返還義務の範囲の評価は、本件のY団体の特性を十分に考慮した基準だと考える」[227]とし、さらに、次のようにも述べている。「Xの出捐の返還請求権は不当利得というようり契約上の精算、請求だと考えることもできる」[227]

また、藤原は、出捐を一切返還しないという約定については、次のように述べている。

「やむを得ない事由による組合(ヨットクラブ)の脱退を禁じた規定や、ユニオンショップが公序良俗に違反するという判例を前提とするなら、本件での、Xの出捐を一切返還しない約定は、公序良俗違反と評価されよう。本件では全財産を出捐しており、かつ、返還が拒絶されれば生活基盤が脅かされるという状況にXが陥るとなれば、本件の不返還特約が事実上は脱退を不当に制限しており、公序良俗となるのはむしろ当然である」[228]

なお、この財産返還請求裁判の東京高裁の判決内容等ついては「判例時報」1792号の63頁から73頁に、また、最高裁の判決内容等については「判例時報」1881号の67頁から76頁に、それぞれ詳しい。

ドイツ

1996年(平成8年)、ドイツ連邦政府はすべての州と協力し、パンフレット"ドイツ連邦共和国のいわゆる若いカルトと精神異常グループ"(Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland)を作成し、当時増加傾向にある新宗教団体などをあげた。その中にヤマギシ会が掲載された[229]。 ヤマギシ会は、「ヤマギシ (スピリチュアルと環境の要素を持った日本の新宗教)」 Yamagishi (Japanische Neureligion mit spirituellen und ökologischen Elementen)と紹介された。

幸福会ヤマギシ会とユートピア主義

近藤衛は、アメリカの社会学者ロザベス・カンターが19世紀のアメリカで栄えたユートピア集団(シェイカー、ハーモニー、アマナ、ゾアル、ソウノウヒルなど)の特徴として挙げている「脱会しても拠出した財産を返還しない」、「親子が分離して生活する」、「プライバシーの余地がない」など100の項目のうち、およそ90%が幸福会ヤマギシ会についても当てはまると指摘し、ユートピア集団と多くの類似点がみられると述べている[230]

近藤は、幸福会ヤマギシ会を「歴史的にも類をみない特異なユートピア集団」であり[231]、そのような集団を組織できた要因は創始者である山岸巳代蔵の思想にあったと分析している[232]。山岸は、食糧増産のためにと伝授を求められた独自の養鶏技術を「真の幸福社会建設のため」秘匿し、養鶏よりも精神論を説き、精神論に耳を傾ける者にのみ若干の技術を教えた。技術を会得しようとする者は研鑽会を開き、山岸自身の難解な言葉の中から「真理」を得ようと必死になった。近藤は、「秘密」の存在をほのめかすことで山岸が人心を掌握していったのだと分析し[233]、その後も「秘密の呪縛」が組織を維持する原動力になっていると推察している[234]。さらに近藤によると、山岸の言葉には矛盾が多く、後に幸福会ヤマギシ会は山岸の言葉のうち組織運営に都合のいいものを選んで会員の〈観念〉を操作しようとした[235]

近藤は「ユートピア共同体が成立するには、外部社会とその集団を隔てる『境界』が高く設定されなければならない」とし[236]1998年(平成10年)10月に「村から街へ」をスローガンに40歳以上の参画者を外部社会に送り出す方針を打ち出した[182]ことで幸福会ヤマギシ会と外部社会とを隔てる境界は弱められ、会のユートピア集団としての存立基盤に変動が生じる兆しが出てきたと指摘している[236]

近藤は特別講習研鑽会の中で冒頭部に「宗教に非ず」と書かれたテキストが配布された経験を明かし、「『宗教に非ず』と断ること自体、ヤマギシ会がいかに既存の宗教団体と似ているかを示している」とも述べている[237]。ジャーナリストの斎藤貴男は「その宗教性は否みようもない」としつつ、ヤマギシ会側は宗教を固定観念だと非難し、宗教団体として扱われることに強い反発を示すと指摘している[238]

米本和広は、変性意識状態に陥った山岸巳代蔵が脳内に思い浮かべ、他の人たちと共有したいと願った「現実世界とは異なる『真実の世界』」としてのユートピア社会こそが幸福会ヤマギシ会の本質であると推測し[239]、変性意識状態を他の者にも体験させるために考案されたのがヤマギシズム特別講習研鑽会であり[240]、「『特講』で解離状態になった」ときに脳に浮かんだイメージ上のユートピア社会を、実際にこの世に顕した『村』」がヤマギシズム社会実顕地であるとしている[241]。その上で米本は、幸福会ヤマギシ会を「『イメージ世界』に私たちを引きずり込み、自分たちと同じような脳内回路をもった人間を仕立て上げようとする」集団であると定義する[242]。米本によると、イメージ世界を共有できている者とできていない者とでは物の見え方すら異なる[243]。米本は、「イメージを現実化した村」、「『日本国』のなかにありながら日本とはまったく別の国家内国家」というべき集団が数十年の間発展したことを「驚異」、「正直なところ畏敬の念すら覚える」と述べている[244]

他方、島田裕巳は、「ヤマギシ会の実顕地を作りだしたのは日本人であり、そこには個人を集団と融合させることに価値をおく日本的な価値観が生きている」と述べている。[245]

脚注

注釈

  1. ^ 正確には、各地にある「ヤマギシズム社会実顕地」(後述)がそれぞれ農事組合法人として登記されている[3]
  2. ^ ヤマギシズムは「山岸主義」を意味し、山岸巳代蔵が発見したとされる真理・理想を指すが、具体的な内容については不明である[8]
  3. ^ フリーライターの近藤衛は、会員を「特講を受けた後、なんらかの会の活動をする人々」と定義している[14]
  4. ^ 近藤衛によると、生活実顕地の中で暮らす者は私有財産のすべてを幸福会ヤマギシ会に「無条件委任」する。また、実顕地の中での労働に対し賃金が支払われることはない[17]
  5. ^ 一例として、三重県津市にある「豊里ファーム」での販売がある[18]
  6. ^ 1967年生。山岸巳代蔵に関する文献を読んだのをきっかけに幸福会ヤマギシ会に関心を抱き、1995年に特別講習研鑽会を受講。さらに同会の実態を外部者の立場から調査するべく[22]、1999年の春から12月にかけて目的を隠してヤマギシズム社会実顕地に参画した。
  7. ^ 近藤衛は、特別講習研鑽会の受講経緯の「古典的な類型」のひとつは、幸福会ヤマギシ会の謳う「低コストで卵商売ができる養鶏技術に釣られ」、「金もうけが目的でヤマギシ会に近づき、特講を受けると熱烈なユートピアンに変幻」するパターンであるとも述べている[25]
  8. ^ 具体的には、何らかの「提案」があると「研鑽」が行われ、物事が自然と正しい方向へと「調正」されるということに理論上なっている[32]
  9. ^ 近藤衛によると、受講中は着替えや洗面用具を除き、貴重品や身分証明書を含め所持品は幸福会ヤマギシ会側に預ける(ただし、タバコは許される)[45]
  10. ^ 米本は、受講者は「自ら変化した素晴らしい体験」として特講をとらえていると分析している[74]
  11. ^ 米本は、特別講習研鑽会の目標に「感情……等に執着する心を放ち(一応棚上げして)」という一文があることに着目し、「それ以外にはない」はずの答えが進行役に受け入れられないという矛盾に受講者が苦痛を感じ、矛盾から逃れようとすることで脳の状態に変化が生じ、「特講の目標がするりと脳のどこかに入り込」む可能性を指摘している[80]。そして米本は進行役が同じ質問を執拗に繰り返したことについて、「理屈をわからせるために十数時間も延々と同じ質問を発していたのではないはずだ。実際に特講性の脳に変化が訪れ、感情の神経回路が遮断されることを期待して、執拗に同じ問いを繰り返していたとしか考えられない」と推測している[81]
  12. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の身体だって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[101]
  13. a b 近藤は脱退にあたり「世話係」から「自分勝手に働いていたことにし、脱退後に給料を要求しない」よう求められたという(近藤2003、284頁。)。
  14. ^ 米山はこれについて「ヤマギシが目指す社会は『法に縛られぬ社会』、『権利・義務のない社会』である。しかし、この通達では法律に定められた権利は主張し、分割割合分相当の遺産はきちんと相続しろというのだ」と矛盾を指摘している[108]
  15. ^ 近藤衛によると、ある住人が「世話係」に人間関係の希薄さを訴えたところ、「実顕地は他人や関係面(人間関係のこと)を観る場所ではない」と返答されたという[112]
  16. ^ 米本和広によると、参画者の労働時間は年間4000時間弱で、日本における平均の2倍近い長さである[114]
  17. ^ 近藤衛によると、山岸巳代蔵は外部社会を「百鬼夜行の陰惨な、混濁世界」と表現した[130]。近藤自身も生活実顕地で暮らす中で外部の人間の「獣性」について語る参画者を目撃したという[130]
  18. ^ 米本和広によると、豊里村実顕地の最初期のメンバーは外部社会の人間を「外のバイ菌と」表現した[131]
  19. ^ 米本和広は豊里村実顕地において、参画者が「私の子どもだって私のものではない」と発言するのを聞いたとしている[101]
  20. ^ 1993年、元実顕地参画者の松本繁世が雑誌『自然生活』(野草社)に「私の見たヤマギシズム社会の実態」を発表したことをきっかけに、1994年に松本を代表として発足。「ヤマギシズムという思想・運動の批判的な検討、またそのためのヤマギシ会の歴史の検証」などを目的とする。なお1996年には米本和広や学園生の家族によって「ヤマギシ会の子どもを救う会」が結成されている。
  21. a b 建前上、参画者は農事組合法人の被雇用者である(近藤2003、287頁。)。
  22. ^ 宗教学者の島田裕巳は、幸福会ヤマギシ会が発足以降、外部社会と積極的に関わり勢力を拡大しようとする時期と、外部社会との接触を断ち内に閉じこもろうとする時期を繰り返してきたと分析している[187]
  23. ^ この点についてヤマギシズム学園側は、「学園に入れば、何だってできるような力がつく」としているが、米本和広によると現実には中卒の肩書しかもたない学園出身者にとって職業の選択肢は極めて限られている[198]
  24. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、学園設立の目的は「革命の後継者づくり」にあるとコメントした[209]
  25. ^ ヤマギシズム学園事務局は米本の取材に対し、体罰の行使を認める発言をしている[210]
  26. ^ 米本和広は、転校により広島弁護士会の調査対象をなくすことがヤマギシズム学園側の狙いであったと推測している[214]

引用

  1. ^
    小田「たとえばおれみたいな怠け者で酒のみがいて、毎日、毎日、グータラグータラと酒を飲んで何もしなかったらどうするんや」
    村人「べつに困りまへんで。あんたも入れて、みんなで話し合いしますのや。そうすると、あんたもお酒をそないにのまんようになる」
    小田「すると説得されるわけやな」
    村人「説得やおまへん。人を説得すると、必ずカドがたちます。あんたの心に、畜生、うまいこと言いまかされてしもた、という気持ちが残ります。それが、あんた、この世界の争いのもとですで。『説得』とちごうて、わてらのは『納得』です。話し合っているうちに(もちろん、あんたの意見もちゃんときくんでっせ)あんたもフウーンとうなずくようになる。それでっせ、わてらのヤマギシズムの根本は。」— 米本和広、米本1997、45頁。米本1999、50頁。

出典

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参考文献

関連文献

漫画
  • 高田かや『カルト村で生まれました。』 文藝春秋 2016年2月。
  • 高田かや『さよなら、カルト村。』 文藝春秋 2017年1月。
ヤマギシズム出版社編
  • 『天真爛漫──ホンモノを見て育つ』(1980年5月)
  • 『晨の村から 写真構成ヤマギシの村づくり』(撮影・著者:井上和博、1982年2月)
  • 『せりかの楽園村』(絵本)(すずきせりか・著、1982年2月)
  • 『金のいらない仲良い楽しい村』(ヤマギシズム生活六川実顕地編、1986年11月)
  • 『愛児へのおくりもの──ヤマギシズム学園幼年部の一年』(福井正之・著、1987年8月)
  • 『鶏鳴館──ヤマギシの学育について』(北川道雄・著、1988年1月)
  • 『親らしさ子どもらしさ──分類の子育て』(北川道雄・1988年6月)
  • 『増田英昭講演録「病気と病身の分離──ガンを明るく生きて」』(1989年2月)
  • 『ヤマギシズム学園高等部──教えることのない学園』(ヤマギシズム学園高等部編、1989年11月)
  • 『中等部生日記──競争なく自己最高』(堀芳彰、1990年11月)
  • 『子、五歳にして立つ──ヤマギシズム学園幼年部の子どもたち』(松本照美・福井正之・共著、1990年11月)
  • 『ヤマギシズム子ども楽園村──家にないもの学校にないもの』(ヤマギシズム子ども楽園村実行委員会編、1991年11月)
  • 『中等部物語』(吉田精次・著、1992年8月)
  • 『ヤマギシの村のコンピュータ開発──真の情報システムづくりをめざして』(ヤマギシズム情報システム開発所編、1992年11月)
  • 『暮らしで育つ──ヤマギシズム生活歳時記』(川瀬典子・著、1992年11月)
  • 『ヤマギシズム学園の子どもたち──幼年部篇』(井上信子・著、1993年8月)
  • 『ヤマギシズムから教育界へ──「教育革命」の提言』(ヤマギシ会学育部編、1994年1月)
  • 『蝶よ花よといじめない──楽しい子育て親育ち』(福井正之・著、1994年1月)
  • 『ヤマギシズム社会への参面の道──私はなぜこの生き方を選んだか』(ヤマギシ会文化科編、1994年8月)
  • 『森が生まれる』(ヤマギシズム林業部編、1994年11月)
  • 『ほうれんそうは緑の海──ヤマギシズム学園をつくる親たち』(ヤマギシズム学園親の会編、1995年1月)
  • 『宗教を研鑽する』(堀芳彰・杉江優滋・共著、1995年12月)
機関紙誌
  • 「ボロと水」(1971年1月創刊〜1973年5月、5号)
  • 「ヤマギシズム」(1984年7月創刊〜1987年7月、4四号)
  • 「供給所通信・ヤマギシの生産物」(月刊、ヤマギシズム実顕地生産物供給部発行、1974年5月 - 1997年12月)
  • 「新しい風」(ヤマギシズム学園教育文化研究所発行、1997年9月 - 2000年4月、7号)
  • 「ヤマギシズム学園通信」(月刊、ヤマギシズム学園発行)
  • 「けんさん新聞」(月刊、ヤマギシ会本部発行)
  • 「墳(ふん)」(月刊、新島淳良個人編集発行誌)

関連項目

外部リンク




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행복회 야마기시회

출처 : 무료 백과 사전 "Wikipedia (Wikipedia)"
행복회 야마기시회
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지도
설립1953년 (  와 28년)
설립자야마기시 사토시 대장
본부도쿄도 마치 다시 타다오 2-29-18
좌표북위 35도 34분 43.6초 동경 139도 25분 9.8초좌표 : 북위 35도 34분 43.6초 동경 139도 25분 9.8초
웹사이트http://www.koufukukai.com/
템플릿 보기

행복회 야마기시회 (고후쿠카이 야마기시카이)는, 농업 · 목축업 을 기반으로 하는 유토피아 [ 1 ] 를 목표로 하는 활동체( 농사 조합 법인 [ 2 [ †1 ] ). 통칭은 「야마기시회」 「야마기시」.

1953년 (쇼와 28년), 야마기시 사토시 대장 이 제창하는 이념의 사회 활동 실천 모체 「야마기시식 양계회」로서 발족, 약 10일 후에 「야마기시회」로 개명 [ 4 ] , 1995년 (헤세이 7 년 ) 에 명칭을 「행복회 야마기시회」로 변경 . 소유 의 개념을 전부정하고 [ 6 ] , 「무소유 일체」의 생활을 신조로 하고 있다. 1960년대 에 일어난 이른바 히피적인 공동체 ( 원시 공산주의 )에 비유되는 경우도 있다. 아미쉬 는 그 의미가 다르다(아미쉬는 기독교 와 가족 을 중시).

매출액 에서는 농사조합법인의 톱에 위치하고 있다 [ 7 ] . 야마기시즘 [ † 2 ] 사회를 실천하는 장소인 야마기시즘 사회실 현지가 전국에 26개소 있으며, 약 1500명이 공동생활을 운영하고 있다 [ 9 ] . 또 브라질 이나 스위스 · 한국 · 호주 · 미국 · 태국 등 [ 10 ] 일본 국외에도 6개소 [ 9 ] 의 사회실 현지가 있고, 사회실 현지에 미참가 회원이 5만명 정도 있다고 한다 [ 11 ] .

1990년대 에 매스미디어 에서 비판적으로 거론되어 인권침해 나 범죄 [ 12 ] 가 행해지고 있는 것에 대해 널리 알려지게 되었다. 구성원 은 그 내정에 대해 비밀 을 관철하고 있다.

활동

특별 강습 연루회 (야마기시즘의 이념이나 사상을 체험적으로 알기 위해 참가자 전원이 차좌가 되어 하나의 테마를 깊이 논의하는 「연주회」가 주)라고 불리는 일주일의 합숙 형식의 강좌를 수강하면 회원이 될 수 있다 13 ]  3 ] 회원은 「연주학교」라고 불리는 2주간의 강습을 수강함으로써 야마기시즘 사회실현지에 참가(이치무라 [ 15 ] )할 자격을 얻을 수 있다 [ 16 ] . 실현지에 있어서의 생활은 사재를 하나 지갑에 넣어 [ †4 ] 함께 연루 생활을 영위하는 것이 기둥이 되고 있다.

실현지의 경제는 각 실현지에서 생산된 농산물의 판매 [ †5 ] 에 의한 이익이 중심이다. 1988년 (쇼와 63년)에 설립한 브라질 실현지에서는 1991년 (헤세이 3년)부터 개척이 시작된 1000 ha 에 이르는 오렌지 원이 있어, 아키타현 남아키타군 오가타무라 에서는 수벼 재배 , 80만 마리 규모의 채란 양계 등 대규모 농업으로 시프트하고 있다. 경영형태는, 야채나 각종 축산으로부터 판매를 조합한 복합농업이며, 농사조합법인의 형태를 취하고 있다 [ 2 ] .

야마기시즘 사회실 현지에서는 야채나 과일, 가축 등이 키워지고 있으며 [ 19 ] , 농산물 가공품을 전국 판매하고 있다 [ 9 ] . "에코 빌리지"의 선구자로 평가 될 수도있다 [ 9 ] .

저널리스트의 사이토 타카오에 따르면, 행복회 야마기시회의 연상은 토요사토 실현지만으로, 전성기에는 약 140억엔을 세고 있었다 [ 20 ] . 그 실태를 보면, 전상품의 자가생산을 구사하면서, 원료나 가공을 외부에 의지하고 있는 경우도 있다 [ 21 ] .

프리라이터의 콘도 에 [ † 6 [ 23 ] 나 저널리스트의 요네모토 카즈히로 [ 24 ] 에 의하면, 생산물의 판매는 회원이 운영하는 강좌나 농업 체험, 체험 합숙, 한층 더 야마기시즘 특별 강습 연루회 에 사람들 을 권유하는 계기로 되어 있다 [ † ]

마키 유스케( 미다 무스케 ) 도쿄 대학 명예 교수는 자저 '기류가 울리는 소리-교향하는 코뮌'(치쿠마 학예 문고) 중 '수양화와 떡'이라는 속에서 자신이 특강에 참가, 야마기시회에 대해 언급하고 있다.

목적

행복회 야마기시회는 스스로의 활동 목적을 「모든 사람이 행복한 사회」[ 5 ] , 「전인 행복 사회의 실현」으로 하고 [ 26 ] , 그것을 위한 행동 원리로서 「무소유·공용·공활」을 내용으로 하는 이념 야마기시즘 을 내건다 [ 26 ] .

저널리스트의 요네모토 카즈히로 에 의하면, 행복회 야마기시회는 세계를 「<무소유 일체>의 이상 사회로 바꾸어, 전세계의 사람을 행복하게 하고 싶다」라고 하는 목적을 가지고 있다 [ 27 ] . 콘도 에 따르면, 행복회 야마기시회는 “앞으로 200년 후에는 전세계가 지상의 낙원 <야마기시즘 사회>에 혁명된다”고 주장하고 있다 [ 28 ] . 행복회 야마기시회는 자신들이 일으키는 세계혁명을 ' 급진Z혁명 ' (Z는 인류 마지막 혁명임을 의미함)이라 하며 그 내용을 '야마기시즘 에 의한 

조직

행복회 야마기시회는 자신의 조직의 성질에 대해 「회원 각각의 자발적 자유의지에 의해 활동하고 있는 단체」라 하며, 전체를 통솔하는 특정의 개인 혹은 집단의 존재를 부정하고 있다 [ 30 ] . 회의 내부의 조직도 회원이 자발적으로 만든 것이고, 본부조차도 의사결정기관이 아니라 연락기관, 보조적인 실무기관이라고 한다 [ 30 ] .

저널리스트의 사이토 타카오 는 평등의 건전을 취해 「이념만이 전면에 나오는 야마기시의 조직은, 매우 불투명하다」면서, 동회가 개최하는 「야마기시즘 사회 박람회」에서 게시된 포스터를 바탕으로, 「야마기시즘 사회실 현지(야마기시즘 사회 문화생활)」, 「야마기시즘 세계실현시험장」, 「야마기시즘연소학교」가 일체가 되어 전개하는 야마기시즘 사회를 세상에 전파하기 위해 활동하는 것이 「행복회 야마기시회」이며, 4자의 사이에는 상하 관계가 없고 엔처럼 묶여 있다고 설명하고 있다 [ 31 ] .

요네모토 와히로는 미에현 아키군 토요 사토무라 의 사회실 현지 를 방문했을 때, 야마기시즘 사회에 명령, 복종의 관계는 없고, 「연루」라고 불리는 토론 [ † 8 ] 에 의해 조직이 운영된다고 하는 설명을 받았다 [ 33 ] . 미모토에 의하면, 실현지 내에는 연루를 실시하기 위한 다양한 조직(연주회)이 존재한다 [ 32 ] . 그러나 동시에 연루회에는 연루회의 진행에 대해 연마하는 「준비연주회」가 존재하고, 또한 준비연주회의 진행에 대해 연루하는 연주회도 존재한다. 이와 같이 연루에는 계층 구조가 있어, 그에 따라 회원간에도 계층·서열이 존재한다 [ 34 ] . 또, 테마가 미리 「○○하는 것은 어떻게 하면 좋을까」라고 설정되어 「○○할 수 없다」라고 발언하면 「당신의 발언은 ○○한다는 테마로부터 벗어나 있다」라고 돌려주어지는 등의 상태에, 「테마 그 자체가 결론」, 「명령은 아니지만 실질적으로는 명령과 같다」연소가 열릴 수도 있다 [ 35 ]

요네모토 카즈히로에 의하면, 각 실현지에는 동사무소로서의 기능을 가지는 「조정기관」이 존재하고, 그들을 통괄하는 「『야마기시즘 국가』의 중앙관청」으로서 「야마기시즘 생활실현지조정기관 본청」이 토요사토무라실 현지에 놓여 있다 [ 32 ] . 그리고 토요 사토무라 현지의 결정에 다른 실제 현지가 따르는 「중앙 집권 체제」가 깔려있다 [ 36 ] . 콘도 에이는, 야마기시즘 사회실현지의 전 참가자의 증언으로서, 「이즘 생활 추진연」이라고 하는 의사 결정 기관이 존재한다고 말하고 있다 [ 37 ] . 요네모토는 원실 현지 참가자로 의사의 마츠모토 번세로부터, 「이즘 추진 연루회가 모든 테마를 내고 있다」라는 내용의 고백을, 참가하고 있던 당시 소속하고 있던 행복회 야마기시회 의료부의 책임자로부터 받은 적이 있다고 하는 증언을 얻고 있다 [ 38 ] .

콘도에 의하면, 행복회 야마기시회나 그 구성원이 조직의 실정을 외부에 밝히는 것은 없다 [ 39 ] . 게다가 회원력이 긴 것이라도 생활실 현지의 조직에 대해서 거의 파악하고 있지 않다 [ 40 ] . 콘도는 행복회 야마기시회의 문제는 “회 조직 자체를 검토할 기회를 주지 않고, 객관적인 정보를 공개하지 않고, 실현지는 항상 장미색의 이상 사회라고 싸우는 것”에 있다고 지적하고 있다 [ 41 ] .

연루회

야마기시회에서는, 어떠한 의사 결정이 필요하게 되었을 때, 모두가 의견을 나누면서, 토론을 실시하지만, 그것을 「연주회」라고 부르고 있다. 야마기시회에서는, 모든 것의 모든 것을 결정하는 것은 「연주」에 의한다. 연루란 간단하게 말하면, 「논의」를 가리킨다. 그러나, 야마기시회의 연루에는, 야마기시회 독자적인 사고방식이 반영되어, 연루는 물건을 정하는 기본이 되고 있다.

종교학자인 시마다 히토미 는 저서 ' 무욕의 추격 ' 속에서 다음과 같이 기술하고 있다. “(야마기시회의) 연루가 단지 토론과 다른 것은 진리의 존재가 전제로 되어 연루의 장소에 모인 인간들이 개개인의 이해를 넘어 진지하게 토론하면 반드시 그 진리에 다가가는 것으로 여겨지는 점이었다” [ 42 ]

도미타 윤생 ·저 「PC 창세기」에는, 연루회에 대해서 다음과 같은 기술이 있다.

"야마기시에서는 의견이 다를 때는 전원의 의견이 일치할 때까지 철저히 토론을 계속할 수 있다. 치등 그렇게 쉽게 얻을 수 있는 것은 아닐 것이다. 연루회에서는 자신의 의견을 주장하면서 동시에 그 의견도 상대화하는 기능이 작용하고 있다. 야마기시의 사람은, 그러한 기능을 실현하기 위한 개인의 태도를 「영위에 서 있다」라고 표현한다. 스스로의 의견에 무의식적으로 다양한 편견이나 고정관념이 들어올 가능성을 자각하고, 모든 전제를 일단 선반으로 하여 스스로도 다시 조사한다. 그런 주장하면서 그 자체도 상대화해 나가는 '영위에 서다'는 태도를 받아들임으로써 연루회는 전원의 의견 일치를 실현하려고 한다. 행동의 규범이 되어 기준을 고정화해 버리는 것이 아니라, 끊이지 않는 연루에 의해, 그 시점 시점에서의 최선의 길을 찾아내려고 하는 의사를, 야마기시에서는, 「무고정·전진」이라는 말로 나타낸다」[ 43 ]

야마기시즘 특별 강습 연루회

야마기시즘 특별 강습 연루회 ( 특강 )란, 행복회 야마기시회 관리하의 시설에서 행해지는, 합숙 형식의 연루회를 말한다. 행복회 야마기시회의 설명에 의하면, 야마기시즘 특별 강습 연루회에서 참가자는, 「자신의 판단이 올바른 것으로 믿고 의심하지 않는」태도를 과학적으로 재검토해, 연루 태도 라고 부릅니다 된다, 「자신의 생각도 많이 말해, 누구의 말도 잘 듣고, 어디까지나 『진짜는 어떨까』라고 주체적으로 검검해 나가려는 생각을 익히는 것을 목적으로 한다 [ [ 49 [ † 9 ] 1956년 1월에 교토부 나가오카쿄시 의 사원 에서 처음 으로 개최되어 나중에 일본뿐만 아니라 일본 국외에서도 개최되게 되었다 [ 46 ]

행복회 야마기시회는, 「결정 붙이는 관념, 고정하는 관념」이 사람과 사람이 사이 좋고 유쾌하게 살아가는데 있어서의 폐해이며, 어리석음을 낳는 원인이라고 주장해, 야마기시즘 특별 강습 연루회에 참가하는 것으로 인간의 관념이 고정하지 않는 상태 태(진정하게 자유로운 관념)로 「급속히 대전환」하고, 「완고가 겸허한 태도로, 정착의 생각이 정해지지 않는 사고방식에, 둘러싸인 좁은 삶의 방법이, 모두와 함께 번영하지 않는 넓은 마음으로의 풍부한 삶의 방식으로 전환」한다고 하고 있다 [ 44 ] . 행복회 야마기시회에 의하면, 사람들이 일상생활 속에서 익힌 상식과 신념은 「놀랄 정도로 근거가 없는 추억」이며, 야마기시즘 특별 강습 연루회에 참가하는 것으로 그 일이 보인다고 한다 [ 44 ] . 곤도에이는 이러한 관념을 고정하지 않는 사고법은 야마기시즘 사회실현지 에서 참가자의 관념을 조직의 사정에 따라 조작하기 위해 활용된다고 지적하고 있다 [ 48 ] .

종교학자인 시마다 유토는 특강에 대해 다음과 같이 적고 있다. 「『특별 강습 연루회』는 보통 「특강」이라고 약칭되지만, 이것은 주어진 테마를 생각하지 않는 가운데, 야마기시의 사고방식・사상, 즉 「야마기시즘」을 체험적으로 이해해 가는 이니시에이션의 기회였다. 『특강』의 참가자들은 일주일간의 프로그램 속에서 야마기시가 청년 시절부터 계속 생각해 온 다양한 문제에 임해 그 문제에 대한 해결 방법을 찾아나가는 과정을 재체험해 나가는 것이다. 또 '특강'이 집단적 고백의 장으로서 일종의 '집단적 끓이기'의 상태를 나타내었기 때문에 참가자들에게 이상사회실현의 운동에 대한 열의를 쏟아내기도 했다' [ 49 ]

또, 철학자의 츠루미 슌스케 는, 「찾은 공동성」이라고 제목을 붙여, 다음과 같이 특강에 대해 말하고 있다. 「켄씨를 내가 받은 것은 20년 전의 일로, 그것은 지금도 내 생각의 밑에 빠져 있다. 녹아내는 대화 속에서 콜롬부스의 계란 처럼 자연스럽게 우리보다 더 커지는 공동성이 발견됐다. [ 50 ]

게다가 전 도쿄 의과 치과대 교수의 와타나베 카즈에 는 「다른 유례없는 독특함」이라는 제목으로 특강에 대해 다음과 같이 말하고 있다. “야마기시회의 분들과는 유토피아의 모임이라고 하는 서클을 통해, 60년대부터 교류가 있었지만, 내가 특강에 참가한 것은 1970년 의 여름이었다.그 때는 구타 방문하려고 생각했지만, 빠른 것으로, 이제 10년 지나 버렸다. 에 참가할 수 있고, 게다가 바로 본질적인 논의에 넣는다는 점에서, 특강은 그 밖에 별로 없는 독특하고, 또한 민주적인 형식이라고 생각한다 . 50 ] .

콘도는 1995년 (헤세이 7년) 7월에 실제로 특별 강습 연루회를 수강하고 있다. 콘도에 따르면 특별 강습 연루회에서는 진행 역이 참가자에 대해 「싫어하는 것」을 질문해, 응답이 있으면 「그것은 싫은 것입니까?」라고 질문한다. 그에 대해 어떠한 반응이 있어도 진행역은 오로지 “그것은 싫은 것 입니까 ? 마찬가지로 개별 방석 에 대해 “ 이것은 같은 가요 ? 54 ] 패턴 (분노 연루)도있다. 이러한 반복은 몇 시간 [ 55 ] , 밤낮 [ 56 ] 에 이른다. 또 사이토 타카오에 의하면, 참가자에 대해 연루회 종료 후에도 실현지에 머물도록 요구하고, 「남을 수 없는 것은 욕심이 있기 때문이다」등으로 몰려들어가는 「해방연」이라고 불리는 프로그램도 존재한다 [ 57 ] .

콘도에 의하면, 「분노 연루」에 있어서의 몇 시간에 걸친 반복 속에서, 분노를 기억한 동기를 전면적으로 부정해, 오히려 자신이 사과하고 싶다고 눈물면서 말하는 참가자가 나타났다. 게다가 회장 내에는 연쇄 반응적으로 황홀의 표정을 띄우며, "이제 배고프지 않습니다"라고 말하는 자가 나타났다. 이러한 반응에 대해, 진행역은 수줍게 흔들림을 보였다고 한다 [ 58 ] . 콘도는 "마치 집단 최면에 걸린 것 같은 광경이었다"고 술회하고 있다 [ 56 ] . 콘도와 마찬가지로 특별 강습 연루회를 수강한 경험이 있는 요네모토 카즈히로도 마찬가지로 눈물을 흘리면서 “이제 화가 나지 않습니다. 편해졌습니다”등이라고 말하는 복수의 수강자의 모습을 목격했다고 한다 [ 59 ] . 요네모토는 그러한 모습을, 「신비적 체험, 법회감에 통하는 것 같은 쾌감에 취한 것처럼 보였다」라고 말하고 있다 [ 60 ] . 요네모토가 나중에 수강자를 취재했는데, 「분노연루」의 도중에 관음의 환각을 보고, 다른 수강생의 마음속이 읽을 수 있는 감각에 습격당했다고 증언하는 사람, 뇌명이 들려, 식기가 뛰는 환각을 보았다고 하는 사람도 있었다 [ 61 ] . 종교학자인 시마다 히로토미 는 '분노연루'를 '분노를 없애기 위한 연루'로 '특강 가운데 가장 중요하다'고 자리매김하고 있다. 시마다에 의하면, 야마기시회에서는 분노를 없애는 것이 중요시되고 있고, 연루를 실시하는데 있어서 참가자가 화를 내고 버려는 냉정한 판단을 할 수 없다는 판단하에 행해지고 있다. 연루의 목적은 '화가 나지 않는다'가 아니라 '화가 나지 않는' 심경을 만들어내는 것에 있다 [ 62 ] .

또한 시마다 유토 는 "분노 연루-<나>의 경우-"라는 제목의 문장을 썼다. [ 63 ]

특별 강습 연루회를 수강한 콘도는 자신에 대해 질문에 대한 답을 생각하는 가운데 "갑자기 후두부에서 '파친'과 풍선이 깨진 것 같은 소리"가 되어 "자신의 의식이 지워 날 것 같은" 감각에 ​​빠져, "몸 떨리는 공포를 기억", 이윽고 기분 좋은 부유감 , 64 ] . 콘도는 이 경험에 대해 “머리 속이 새하얗게 된다. 다른 세계에 초대되어 엄청난 진리를 알게 된 것 같은 기분이 된다”, 진행역의 “입으로 하는 모든 것이 진실인 것처럼 들려온다”, “뇌리가 하얗게 되고 나서는 어떤 발언이 나온 것 혹은 주위의 모습이 어떻게 된지 전혀 기억에 남아 있지 않다 . 65 ] . 콘도는 특별 강습 연루회에 참가한 후 얼마 동안은 "이것은 같은 것입니까?"라는 진행역의 질문이 머리에서 벗어나지 않고, 종종 마음이 빠진 상태가 되었다고 고백하고 [ 14 , 넌센스한 질문 속에 "기묘한 '부유감'  느끼게 하는 마법 이 담겨 있다 . 나중에 콘도가 다른 참가자의 경험을 조사하자 비슷한 감각에 습격당한 사람은 극히 일부였지만, 예전의 야마기시즘 생활실 현지 참가자로 야마기시회에 반대하는 입장을 취하는 사람 속에서도 “그 순간 정도 신체 전체가 흥분한 것은 지금까지 한 번도 없었다” 고 흔들 었다 .

정신과 의사의 사이토환은 요네모토 카즈히로가 정리한 특별강습연주회의 리포트를 분석하고 미모토를 포함한 수강자가 해리 상태에 빠져 “어느 시점부터 자신의 느낌, 지각, 감정 등 체험을 받는 방법이 바뀌고, 그 중에는 해리성 동일성 장애 를 발병했다고 생각되는 사람도 있다” 고 지적 했다 . 사이토는 수강자를 대상으로 한 히어링 조사에 근거해 기억의 상실, 변성의식 체험 , 다행감 , ‘ 경치가 선명하게 보인다’ 등 수강자가 증언하는 신비적 체험과 해리성 증상 사이에 유사점이 복수 보인다는 내용의 보고를 일본 사회정신의학회에서 실시하고 있다 . 사이토의 견해를 듣고, 더욱이 특별강습연루회에 참가한 자 속에 해리상태가 계속되고 있는 자가 있다는 것을 감지한 미모토가 참가자에게 주의를 촉구하는 편지를 보냈는데, 편지를 회원에게 보여주고 “지시를 부르는” 자가 혼자 없이 나타났다고 한다 [ 70 ] . 요네모토는 특별 강습 연루회의 진행역을 담당하는 회원을 취재해, 「특강에 의해 인간이 바뀌는 훌륭함을 느낍니다. 어떤 사람에게도 원래 바뀌는 힘이 있어, 그것을 씨라고 하면, 특강은 물과 같은 것으로, 씨에 물을 뿌려 주면 성장해 간다」라고 하는 코멘트를 얻었다 [ 7 ] . 요네모토는 특별 강습 연루회를 “마음 준비를 하는 곧, “어째서 화가 났는지”를 집요하게 계속 묻는다는 어려운 사태에 대해 방어 반응이 일하고, 여러 감각의 입력 스위치가 바뀌어, 느낌이 바뀌어 버린다 72 ]  해리 상태를 초래하는 위험한 쾌감 ] 한 뒤 , " 장치 쪽에도 장치할 수 있는 측에도 특강 이 ' 세뇌 ' 라는 의식 이 마치 아니다 [ † 10 ] " 라고 경고 를 발하고 있다 [ 74 ] . 또한 요네모토는 지역 회원들은 다양한 형태의 '연주회'를 준비하고 있으며, 특별강습연주회의 수강자 경험자가 이들 연주회에 참가함으로써 해리상태가 계속될 가능성이 있다고 말하고 있다 [ 75 ] . 행복회 야마기시회는 특별 강습 연루회의 개최시에, 정신장애에 걸린 적이 있는 사람은 수강할 수 없다는 주의서를 수강자에게 제시한다 [ 76 ] . 요네모토는 이 사실과 자신이 취재한 고참회원의 “옛날에는 48 시간 수면 없이 끊임없이 <분노연 > 을 했다 .

요네모토는, 특별 강습 연루회의 구조를 이하와 같이 해설하고 있다.

  • 싫어하는 것을 묻는 연루로 감정을 흔든다 [ 78 ] .
  • '분노연루'로 감정신경회로를 차단한다 [ 78 ] .
  • 위의 것을 비롯한 여러가지 연루를 통해 "해답 없는 질문을 집요하게 반복함으로써 자아를 흔들며"하면서 텍스트의 윤독을 병행하여 실시함으로써 "이상사회의 이미지를 주입한다" [ 79 [ †11 ] .
  • 주입한 이미지를 그림이나 비디오의 감상에 의해 강화한다 [ 82 ] .
  • 또한 야마기시즘 사회실현지의 방문에 의해, 주입한 이미지와 현실을 뇌내에서 통합시킨다 [ 82 ] .

콘도는 특별강습연주회에 대해 '발사 불꽃놀이와 같은 것'에서 '겨우 1주일 만에 사라져 버린 꿈환 불꽃놀이를 잊지 못하고 일부 사람들은 사회활동이나 연루학교에 참가해 나갈 것'이라고 분석하고 있다 [ 83 ] . 콘도에 의하면, 야마기시즘 생활실 현지에의 참가를 위해 수강해야 하는 세미나(연우학교)에서 실시한 연루회에서는, 특별 강습 연루회에서와 같은 「망아 황홀 체험」을 하는 것은 없었다 [ 83 ] . 콘도와 마찬가지로 특별강습 연루회 및 연루학교에 참가한 다케다 슈이치도 연루학교에 대해 "기대에 반해서 그다지 즐거운 것이 아니었다. 그것은 '분노연'과 같은 극적인 체험을 겸하는 것이 아니라 담담한 연루의 연속이었다"고 말했다 [ 84 ] . 쓰루미 슌스케 는 특별 강습 연루회의 수법에 대해 소크라테스 나 노자 와 같은 사상가에 비유하는 것과 동시에 「중공 의 세뇌 와 비슷하다」고도 말하고 있다 [ 85 ] . 혼다 카츠이치 는 「특강」의 수법에 대해 「야마기시회는 민중의 레벨에서의 소크라테스와 같은 것이다」라고 절찬하고 있다 [ 86 ] . 한편, 오다미는「특강」의 수법에 대해 의문을 가지고, 「아무래도 납득하지 않는 마을 사람이 나왔을 경우는 어떻게 하는 것인가?」라고 하는 질문을 하고 있다 [ 인용 1 ] . 오다가 안고 있는 의문에 대해 요네모토 와히로는, 사회실 현지 참가자가 「끈질기게 먹으면, 아직 『아집』이 잡히지 않은 사람이라고 하는 낙인을 밀려 」 제안>된다. 여기에 넣으면 혼자 언제 끝나도 없는 작업과 연루를 반복하고 무조건 연루의 결과를 <공의>로 받아들이는 인간이 될 때까지 나올 수 없다”는 증언을 야마기시즘 사회실 현지원 참가자로부터 얻고 있다 87 ] .

특강이 마인드 컨트롤 이고, 세뇌이며, 위험하다고 하는 주장에 대해, 특강을 수강한 스기모토 아츠오 교토 교육 대학 교수(당시, 현·간사이대학 인간 건강 학부 교수)는, 기존의 고정화된 상식으로부터 개방되어, 그 상식 자체를 재고해 본다고 하는 점에서, 근대의 사회 과학 에 입각하고 있다고 한 뒤, 「야마기시즘 특별 강습 연루회는, 사람의 관념을 외발적으로 유도해, 고정하는 마인드 컨트롤이 아닙니다 . 88 ] .

요네모토가 야마기시즘 사회실 현지의 참가자 중 한 명으로부터 들은 바에 따르면, 특별 강습 연루회 수강자의 6% 미만이 야마기시즘 사회실 현지에 참가한다고 한다 [ 89 ] . 행복회 야마기시회나 그 구성원이 특별 강습 연루회의 내용을 외부에 밝히지 않는다 [ 39 ] . 그러나 1995년 (헤세이 7년) 이후, 언론이 특별 강습 연루회의 내용에 대해 활발히 보도하게 되었다 [ 90 ] .

저널리스트 사이토 타카오는 특별 강습 연루회의 본질은 “어쨌든 말할 수 있는 화제를 강력하게 한 방향으로 이끌어 마치 그것이 보편의 진리인 것처럼 교 에 넣는 것에 있다고 해, 「긴장과 이완을 능숙하게 조합했다」그 수법에 대해 자기 계발 세미나 나 멀티 상법 , 감수성 훈련 과의 공통성을 지적하고 있다 [ 91 ] .

노모토 미요시 에 의한 언급도 있다 [ 92 ] .

야마기시즘 사회실현지

야마기시즘 사회 오카베 실현지(사이타마현 후 카야 시 )
실현지내 시설(아이와칸)의 식사 풍경
실현지내 시설(아이와칸)의 식사 풍경

행복회 야마기시회는, 「마음도 물건도 가득한 진정한 행복 사회」를 야마기시즘 사회라고 부르고 [ 26 ] , 야마기시즘 사회 를 실천하는 장소로서 야마기시즘 사회실 현지 (통칭 「야마기시의 마을」)를 33개소(중 26 개소는 일본 ) 운영하고 있다 . 행복회 야마기시회에 의하면, 야마기시즘 사회실 현지 중에서는 「일체 생활」, 「『지갑 하나』의 생활」이라고 칭하는 생활이 운영되어, 농업·축산·임업 등이 행해지고 있다 [ 10 ] . 야마기시즘 사회실현지내의 생활은 원시공산제로 평가되기도 한다 [ 6 [ 93 ] . 무라오카도에 따르면 , 「야마기시회에 참가하는 사람은, 「버로와 물로 타다 일할 수 있는 사는 와라」라고 하는 호소에 마음을 기울여, 공명한 사람」이다 [ 94 ] .

작가 토미타 윤생 에 의하면, 야마기시즘이 생각하는 이상 사회의 실현 방법에는 2가지 있어, 하나는 기존의 조직, 기존의 사회 중(안)에서의 야마기시즘을 침투시키는 방법이지만, 또 하나의 방법, 즉 기존의 사회에서의 생활인가 멀리, 야마기시즘 사회의 모델을 만들고, 즉각적으로 일체생활을 시작하려고 하는 방법을 실현하기 위한 실험을 실시하는 장소가 실현지라고 하고 있다(도미타에 의하면, 실현지에는 그 밖에 야마기시즘을 실제로 나타낸다는 의미도 있다) [ 43 ] .

실현지에 참가하기 위해서는 2주간의 세미나(연우학교)를 수강하여야 하고 [ 95 ] , 참가결정 후 반년을 '예비기숙사'라 불리는 시설에서 보낸다 [ 96 ] . 실제로 야마기시즘 사회실현지에 참가한 곤도에에 따르면 예비 기숙사에서 배제되어 사회실현지를 떠나는 참가자도 있었다고 한다 [ 97 ] .

삶의 방식

야마기시즘 생활실현지에서는 화폐가 유통되지 않고 [ 98 ] , 실현지 속에서 사는 자는 사유재산 의 모든 것을 행복회 야마기시회에 「무조건 위임」한다 [ 17 ] . 곤도에이는 참가에 즈음하여 야마기시즘 생활조정기관 본청에 앞서 “물건, 유형, 무형재 및 권익의 일체를 권리서, 증서, 첨부 후 야마기시즘생활조정기관에 무조건 위임하겠습니다”라고 적힌 서약서에 서명날인 을 요구 받고 게다가 탈퇴(참가 취소) 시에는 산양시즘 생활조정기관 본청에 앞서 위임한 재산에 대해 “향후 일절 반환 청구나 금전 청구를 하지 않는 것은 물론, 아무런 이의도 제기하지 않습니다”라고 서약하는 내용의 탈퇴 신고에 서명 날인 한 것을 밝혔다 . 콘도에 의하면, 참가시의 서약서에는 「본재」로서 「몸」과 「생명」[ †12 ] 도 포함되어 있다 [ 102 ] . 실현지 속에서의 노동에 대해 임금이 지급되지 않는다 [ 17 [ 103 [ †13 ] . 그러나 장부 위에서는 임금이 지급되고 있기 때문에 실현지를 떠난 자에게는 재산이 남아 있지 않았음에도 불구하고 장부상의 수입에 기초하여 세금이 청구되게 된다 [ 104 ] . 콘도는 일체의 사유재산의 포기가 과거의 자신과 결별하고 인생을 재생시키는 해방감을 가져오는 케이스가 있다고 지적하고 있다 [ 105 ] . 요네야마 카즈히로는 전 참가자로부터, 「재산을 많이 반입한 사람은 특별 대우되고 있었다」라는 증언을 얻고 있다 [ 106 ] . 행복회 야마기시회는 참가자에게 사유재산을 모두 포기시키는 한편, 상속인 의 지위는 포기하지 않도록 통달을 내고 있다 [ 107 [ †14 ] .

쓰루미 슌스케는 이렇게 지적하고 있다. 「야마기시 아츠시는 소유권을 주장하고 있지 않네. 카레는 또, 일종의 질문답을 만들었습니다. 「무엇이 맞는가」 「이것은 누구의 것인가」. 을 통해, 지금은 농산물, 낙농의 산물에 대해 양질의 것을 만들게 되어, 밖의 사회와의 관계가 좋네요. 이 안에 들어가면, 소유가 없기 때문에 돈 없이 살 수 있다」[ 109 ]

곤도에이는 자신이 생활실 현지 속에서 생활을 보낸 1999년 (헤세이 11년) 2월부터 12월에 걸친 거주자나 그 생활의 실정에 대해 다음과 같은 분석·고찰을 하고 있다.

  • 매우 근면한 [ 110 ] 이 일반적으로 개성이 없다 [ 111 ] .
  • 인간 관계 는 표면적으로는 희미하다 [ 112 [ † 15 ] . 「야마기시에 친구는 없습니다」라는 표어가 존재하고, 「오토모다치」라는 말이 야유에 사용된다 [ 113 ] .
  • 노동환경에는 엄격한 면도 있다 [ †16 ] 가 경제적인 불안과는 무연으로 있을 수 있다 [ 111 ] .
  • 조직의 의사결정 과정은 물론 의사결정 과정에 참가자도 밝혀지지 않는다 [ 115 ] .
  • 모든 임무에서 반년에 한 번 자동으로 풀리는(자동 해임) 건전이 취해지고 있지만, 실제로는 「중임」이 존재하고, 권력이 고정될 수도 있다 [ 37 ] .
  • "매우 일상적인 사고"를 제외하고 정보가 부족하고 [ 116 ] , 거주자의 관심사도 사사로 한정된다 [ 117 ] . 오해나 미망이 생기기 쉬운 환경에 있어, 「거기에 『이상사회』의 장미빛의 이미지가 겹쳐, 실현지 생활을 특별시한다」[ 118 ] .
  • 사유재산제의 부정과 공유는 철저하고 있어, 1980년 (쇼와 55년) 이후는 의류에까지 이르고 있다 [ 119 ] . 실현지에 팬츠를 반입한 콘도는 '돌보는 사람'으로부터 왜 공용 팬츠를 신지 않는지 묻혔다고 한다 [ 120 ] .
  • 예정을 스스로 결정할 수 없는 장면이 많다. '보호원'과의 '연루'에서 돌보기계가 결론만을 전하고, 거기에 '하이'라고 따르는 것이 요구된다(하이로 하겠습니다) [ 121 ] . 실현지 내에는 「사의존중공의행」이라는 슬로건이 존재하고, 이것을 준수하는 것이 참가의 조건이 되고 있다 [ 122 ] . 이 슬로건은 '모두의 생각으로 하려고 하는 나의 의지'가 먼저 존재하고, 모두의 생각에 걸린 결과(공의)를, 내 의지로서 행동'하는 것을 의미한다. 구체적으로는 「연루결과인 계로부터의 공의를 적극적으로 자신의 의지로서 그대로 하려고 한다」는 것을 공의행이라고 부른다 [ 123 ] . 행복회 야마기시회는 공의행이야말로 진정한 자유라고 말하고 [ 124 ] , 거주자의 측은 “어떤 지시라도 엄청나게 실행할 수 있다”는 의미에서 “아무것도 하는 것이 진정한 자유다”고 말하고, 이유 설명이 없는 지시에 따르는 것으로 “참 자유”를 느낀다 [ 125 ] . "사실"과 "생각"을 분리하는 사고가 취해지고 생각은 경시된다 [ 126 ] . 「<생각>을 끊는다」라는 의미로 「-를 과감히 한다」라는 말이 사용된다 [ 127 ] . 다만 콘도는 1995년 이래 조직의 쇠퇴를 받고 1998년 (헤세이 10년) 3월 이후 ‘자신이 하고 싶은 일을 하는 자유 ’가 인정되는 경향이 태어났다고도 말하고 있다 [ 128 ] .
  • 회의적인 부분이 있는 반면, 생활실 현지내의 룰이나 「돌보호원」에는 매우 순종이다 [ 129 ] .
  • 실현지내의 일을 선의로 해석하는 반면, 일반사회에 대해 강한 불신감 [ †17 [ †18 ] 을 안고 있어 「선과 악의 경계」, 공동체를 외부사회로부터 분리하는 심리적 경계가 엿보인다 [ 132 ] .
  • 거주자끼리의 결혼을 통괄하는 기관(결혼조정기관)이 존재한다 [ 133 ] . 이혼에 있어서는, 「돌보는 사람」이 사이에 서 있다 [ 112 ] .
  • 근면한 남성에게는 “결혼하는 <자격>”이 주어지고, 근면하지 않은 것은 언제까지나 결혼하지 못하고 있다 [ 134 ] . 이혼한 남성에게는 재혼의 기회가 적지 않지만, 중년 이상의 여성은 외로운 채로 있다 [ 135 ] .
  • 부부관계에 대해서는 부창부수가 설설되어 [ 136 ] , 남편은 아내를 퍼스트 네임으로, 아내는 남편을 성에 「씨」를 붙여 부른다 [ 137 ] .
  • 부부가 물에 들어가지 않는 삶을 살 수 없다 [ 138 ] . 그 외, 집단 중 누구와 누가 부부인지 판별하기 어려운 [ 138 ] , 아이는 성별·연령별로 집단생활을 보낸다 [ 137 ] 등 혈연·혼인관계가 희박해지는 환경이 갖추어져 있다 [ 137 [ †19 ] . 게다가 야마기시즘을 따르면 일부일부제 에는 반드시 구속되지 않게 되어 '삼위일체의 애정'을 실천한 자도 있다 [ 133 ] .

무라오카도는 실제 현지 생활에 대해 다음과 같이 말하고 있다 [ 139 ]

  • 식사는 하루 2식이다. '아이와칸'이라는 식당이 오전 10시 30분부터 21시까지 맞고 있어, 마을 사람들은 아이와칸이 오픈하는 동안 좋아하는 시간에 와서 식사를 한다. 자기 방에 요리를 가지고 돌아가서 먹어도 상관없다.
  • 토요사토 현지에는 진료소가 있다. 진료소에는 의사가 있지만, 그들은 야마기시회 참가자이다. 병이 되면 인근 병원에 다니지만 의료비는 야마기시회가 부담한다.
  • 주거는, 부부 한쌍으로 6 다다미 1실이나 2실. 집세는 필요없고, 세상의 상식으로는 생각할 수 없지만, 문에 열쇠(자물쇠)가 없다.

요네모토 카즈히로는, 일반 공개된 토요사토무라의 실제 현지를 방문했을 때 받은 인상에 대해, 다음과 같이 말하고 있다.

  • 개인의 선호를 충족시키는 것이 발견되지 않는다 [ 140 ] .
  • 참가자는 자신과 관련이 없는 것에 대해서는 「몰라기보다는 관심조차 없는 모습이었다」[ 32 ] .

곤도에이는, 주민에게 할당되는 ID 번호를 바탕으로 1999년 (헤세이 11년)까지의 이촌자와 이촌율을 계산하고 있다. 콘도는 발족 이후 총 7800명이 참가하고, 500명이 참가 중에 실현지에서 사망했다고 개산해, 1999년 (헤세이 11년) 시점에서의 참가자가 약 2150명이기 때문에, 이촌자를 5150명, 이촌율을 약 66%로 추계했다 [ 141 ] .

종교학자 시마토진 은 신종교에 있어서의 「격리형 교단」의 대표적인 예로서 앵무새 진리교 , 여호와의 증인 , 통일교회 와 함께 행복회 야마기시회를 들고 있다 [ 142 ] .

노소의 삶

그럼, 야마기시즘 사회실 현지에서의 고령자들의 생활만은 어떨까. 덧붙여서, 야마기시회에서는 고령자를 「노소」(오이소)라고 부르고 있다. 『늙고 점점 되살아난다』라는 의미가 담겨 있는 것이다」[ 143 ] . 야마기시즘 사회실 현지에서의 노소의 생활상과 생활 방식을 취재해, 무라오카도·저 「유토피아의 모색」으로, 다음과 같이 말하고 있다. "야마기시회는 일본이 맞이하고 있는 고령화 사회 시대에 있어서의 이상적인 <모델 케이스>라고 할 수 있다. 일본에 존재하는 자주적인 일정한 사회 집단 속에서, 고령자를 이만큼 안고 있는 집단은 그 밖에는 없다" [ 144 ]

참가자의 결혼 및 출산·낙태

콘도에 의하면 전술한 바와 같이, 실현지 내에는 주민끼리의 결혼을 통괄하는 기관(결혼 조정 기관)이 존재한다 [ 133 ] . 요네모토 카즈히로가 전 참가자에게 취재한 바에 의하면, 참가자의 측으로부터 결혼을 「제안」한 곳에서 「연루」·「조정」의 결과 그것이 인정되는 것은 아니고, 실현지내에서 성립하는 결혼은 모두 담당자로부터의 「제안」에 의한 「조정」결혼이다 [ 145 ] . 전 참가자에 따르면 강제는 아니지만 거절하면 집착이 있다는 레텔이 붙여 버린다고 한다 [ 145 ] . 요네모토에 의하면 담당자가 커플을 결정하는 근거가 되는 것은 야마기시 사토시 대장의 저서 「세계 혁명 실천의 서」이며, 이 책에 있어서 야마기시는 「인종 개량」이나 「악성 유전은 후손에게 불행을 초래한다」는 것을 호소하고 있다. 요네모토는 동서의 사상을 “ 우생사상 에 굳어진 나치스트 의 과학자가 쓴 것 같은 장애인 전면 부정의 사상”이라고 비판하고 있다 [ 146 ] .

미국 책의 취재에 대해 담당자는, 「제안」되는 부부의 조합에 대해, 「20대 전반의 여성과 30, 40세대의 남성이라고 하는 패턴이 많다」, 「어린 소녀가 우수한 아이를 낳는다」, 「남자는 몇 살이라도 좋다」라고 회답했다 [ 147 ] . 미책에 따르면 신규참가자에게는 30, 40대의 주부가 많기 때문에, 결혼의 「제안」의 대상이 되는 여성은 야마기시즘 학원 고등부를 졸업해 2, 3년의 여성이다 [ 148 ] . 요네모토는 “그녀들은 ‘나’를 주장하는 것을 오랫동안 금지되어 왔기 때문에 ‘이어’로 표현할 수 없게 되어 있다 . 미모토에 의하면, 딸이 중년의 참가자에게 대접되는 것을 싫어하는 실현지를 떠난 참가자도 있다 [ 148 ] . 결혼하는 남성에 대해서 요네모토는 담당자로부터, 「역시 야마기시로 제대로 하고 있는 사람이 좋다」라고 하는 코멘트를 얻고 있다 [ 148 ] . 콘도에 의하면 전술한 바와 같이, 근면한 남성에게는 「결혼하는 <자격>」이 주어져 근면하지 않은 것은 언제까지나 결혼하지 못하고 있다 [ 134 ] . 그리고 이혼한 남성에게 재혼의 기회가 적지 않은 반면, 중년 이상의 여성은 외로운 채로 있다 [ 135 ] .

미모토에 의하면 담당자의 「조정」은 출산에도, 출산의 허가가 내리면 콘돔 이 지급되지 않게 된다 [ 149 ] . 「연루」의 결과, 담당자가 「이번에는 낳지 않겠다고 하자」라고 낙태를 촉구하기도 하고 [ 149 ] , 고령의 여성에 대해서는 「우선 확실히 낙태라는 것이 된다」[ 149 ] . 낙태 수술은 참가지외의 병원에서 실시된다 [ 149 ] .

도요사토 농장

도요사토 팜의 점내

야마기시회에서는, 야채나 과일, 가공품 등을 판매하는 「토요사토 팜」을 미에현 쓰시 에 오픈했다.

야마기시 회의 농업

'농업이 만드는 미래'의 저자인 무라오카 도루는 야마기시회의 농업에 대해 다음과 같이 적고 있다. “야마기시회는 일본 농업 전체가 쇠퇴하고 있는 가운데 반대로 꾸준히 실적을 쌓고 있다. 정보지 「FACTA」5월호에서는 작은 기사이지만, 「농사 조합 법인의 톱에 뛰어난 「야마기시회」」라고 표제를 붙여 「연간 매출은 약 66억엔, 약 750명(토요리 플러스 가스가야마)의 멤버가 공동 생활하고 있다」[ 150 ] .

또, 무라오카는 야마기시회의 농업은, 농업 관련의 업계 등에서 일찍부터 주목받고 있었다. 「FEEDING」「닭고기 정보」 「양돈 정보」 「목장 가이드북」(집의 광협회), 쿠로다 선대 저 「「야마기시회」와 가족」등에서 야마기시회의 농업이 소개되고 있는 것을 기록하고 있다 [ 151 ] .

또한 무라오카는 이렇게 말했다. “야마기시회의 농업을 연구 테마로 설정해 전면적으로 밝히는 노작도 발표되고 있다. 타치씨는, 농림성 농림 수산 정책 연구소의 잡지 「농업 종합 연구」에서, 「「산소 제휴」에 의한 농의 자립——야마기시회의 영업을 사례로 해」라고 해, 야마기시회의 농업의 실태를 극명하게 연구해, 거기에 일본 농업의 활로를 찾아내고 있었다」[ 152 ] . “아다치씨는, 야마기시회의 농업이 이 급성장을 가능하게 한 것은 요건으로서, 참가자가 「수양의 사상」(「연루의 자세」)로 일을 맞고 있는 것을 올려, 그들의 노동관에 주목해, 그 독특한 「적기 작업」의 유효성을 분석하고 있다. 그 노동관이란 '결과를 찾아 과정을 즐기지 않고 자신을 위해서만 하는 노동은 가난하다'고 말하는 심경이다. 『적기작업』이란 『장에 들어가서, 기계로 움직인다』라고 표현되고 있는, 노동의 방법이다」[ 153 ] .

연혁

창성기

야마기시 사토시 대장 이 제창하는 이념을 실천하기 위한 단체(사회 활동 실천 모체)로서, 1953년 (쇼와 28년)에 발족 [ 5 ] . 같은 해 야마기시 식 양계 보급회 발족 [ 154 [ 155 ] . 야마기시 사토시는 닭똥에 의한 쌀의 증산과 그 무렵 아직 귀중했던 닭 계란 의 증산을 목표로 하는 아츠 농가였다. 1956년 (쇼와 31년)에는 ‘양계의 은닉공개’를 구해 불평으로 제1회 특별강습연주회가 열렸다 [ 156 ] .巳代蔵는 양계 기술을 전수하는 것에 적극적이지 않고 오히려 난해한 말을 사용하여 정신론을 설교하는데 열심이었다. 그 때문에 이탈자가 많이 나타나는 한편, 열심히 듣는 자도 나타났다 [ 157 ] .巳代蔵에서 은닉 기술을 밝혔다는 회원 중 한 사람에 따르면, 巳代蔵가 내놓은 아낌없는 기술은 경탄하는 내용은 아니었지만, 비밀리에 전수된 비밀을 공유함으로써 신봉자들 사이의 연대감이 강해졌다고 한다 [ 158 ] . 나중에 은닉 기술을 아는 자는 '이상사회의 진수를 아는 자'로서 회의 지도자적 입장에 서게 된다 [ 159 ] . 1956년 에 제1회 특별강습연주회가 개최되어, 같은 해 및 다음 해 특별강습연주회에 참가자는 아울러 4500명을 넘었다고 한다. 창성기 멤버들의 생활은 ‘점심은 전원 단맛’, ‘간장 없음, 반찬 없음’이라고 할 정도로 바닥에 굳어진 일도 있었다고 한다. 그 고뇌를 아는 증언이 『Z혁명집단・야마기시회』 속에 기술되어 있다.

성장기

1959년경 야마기시회 활동

1958년 (쇼와 33년) 「백만 마리 과학 공업 양계」구상이 발표되어 28명이 참가한다. 그 3개월 후에는 미에현 아야마군 이가 마치 에서 「야마기시즘 생활 실천장 가스가야마 실험지」가 발족.

1959년 (쇼와 34년) 7월, 특별 강습 연루회의 수강자를 감금하거나 니세 전화로 가족을 호출해 강제적으로 수강시키고 있었다고 간부 12명이 감금·협박의 혐의로 체포된다( 야마기시 회 사건 ) [ 160 [ 161 ] ( 후술 ). 이 사건은 언론에 의해 크게 다루어졌으며 모임의 부정적인 이미지가 전국에 퍼졌다 [ 162 ] . 그러나 한편으로 사건 후, 좌익계 문화인에 의한 「사상의 과학」의 지지를 얻는다 [ 163 ] . 야마기시 사토시 대장은 원래 아나키즘 과 마르크스주의 에 영향을 받은 사람이었다 [ 164 ] .

1961년 (쇼와 36년) 5월, 巳代蔵가 타계. 회의 지도자의 지위는 스기모토 이치에 계승되었다 [ 165 ] . 같은 해 「야마기시즘 중앙조정기관」, 「야마기시즘연소학교」가 발족. 그 후 1968년 (쇼와 43년) 무렵부터 시작된 전공투 시대에 코뮌운동으로서 야마기시가 포착되어, 종래의 농가 출신자를 대신해, 학생 운동 경험자 등의 선예적인 좌익 사상을 가진 젊은이가 다수 가입했다. 특강을 수강한 철학자인 츠루미 슌스케 는, 야마기시회에 베트남 전쟁의 탈주 미국병을 오랫동안 맡겼다고 말하고 있다.

야마기시회 사건의 영향으로 회는 '겨울 시대'를 맞이했지만, 1970년대에 '자연식품을 생산하는 코뮌 '으로 다시 주목을 끌게 되고 [ 166 ] , 자연식 붐을 타고 생산물의 유통체제를 정비해 나갔다 [ 167 ] . 이후 1990년대까지 회의 경제규모는 계속 확대되고 [ 168 ] , 한편 생산에 종사하는 회원은 간부로부터의 지시를 전면적으로 받아들여 장시간 노동하는 것을 강요해져 갔다 [ 169 ] . 마찬가지로 1970년대에는 학생운동에 좌절한 자 [ 170 ] 와 '코뮌지향의 학생' [ 171 ] 이 모임에 참가했다. 저널리스트의 사이토 타카오 에 따르면 1970년 전후에는 혁명운동에 좌절한 전공투 의 학생이 '마지막 유토피아'를 찾아 대량으로 유입했다고 한다 [ 163 ] .

1980년대에는 ‘정신이라면 애아에게 낙원을’라고 구분하여 육아나 교육에 대한 불안과 관심을 배경으로 일부 교육자나 아이를 가진 자로부터 지지를 얻어 발전을 이루었다 [ 172 ] . 1983년부터 1990년에 걸쳐 10개의 사회실현지가 새로 건설되어 [ 119 ] , 1984년에 아이를 제외하고 740명이었던 사회실현지에의 참가자는 1995년에는 2270명으로까지 증가했다 [ 119 ] . 한편 사회실 현지 내에서는 1979년 9월에 식사나 입욕의 작법 등 생활의 세부에 걸친 '생활법'이 정해져 [ 173 ] , 게다가 1980년대에 들어가 '진실의 삶에 술 · 담배는 필요 없다'며 금주 금연이 넘겨지는  규율 이 강화되고 있다 .「하이로 하겠습니다」 「잘 듣고 그대로 하겠습니다」라는 슬로건이 내걸려 규율을 따르지 않는 참가자는 「왜 그렇게 하지 않는 것」이라고 주야를 불문하고 「연루」의 대상이 되었다 [ 174 ] .

퇴조·내폐

1980년대 이후, 야마기시회는 사회에서 호의적으로 보이고 [ 175 ] , 1986년 이후 요출전 ] 은 백화점에서의 생산물의 판매도 시작되고 있다. 그러나 1994년 (헤세이 6년)에 야마기시즘 사회실현지의 전 참가자가 「야마기시를 생각하는 전국 네트워크」[ †20 ] 를 결성해, 행복회 야마기시회가 안는 부의 측면을 고발하면 [ 176 , 회 에 대한 비판이나 의혹을 다루는 미디어가 속출했다 (덧붙여 「야마기시를 생각하는 전국 네트워크」결성 전인 1991년 8월, 4000명이 참가한 「아이 낙원촌」의 개최중에 유아가 송영 버스 속에 방치된 채 사망하는 사고가 일어나, 언론에 의해 보도되고 있다 요출전 ] ). 1995년 이후 동회에 대해 10건이 넘는 소송이 제기되어 원고 측은 '피고법인'이 '이사·간부에 의한 참가자에 대한 지배관리', '감시의 상태화', '일상연루라는 명목의 참가자에 대한 마인드 컨트롤'에 의해 ' 참가자의 사고정지상태 를 유지하며 말하지 않는 노동 .

게다가 ‘야마기시를 생각하는 전국네트워크’ 결성과 시간을 같이 하여 앵무새 진리교가 일으킨 사건 의 수사가 진전되어 행복회 야마기시회를 동종의 위험한 컬트 집단으로 비판하는 풍조가 태어났다 [ 179 ] . 1994년 (헤세이 6년)에 500명이었던 연말 연시의 특별 강습 연루회(정월 특강)에의 참가자는, 1995년 (헤세이 7년)에 400명, 1996년 (헤세이 8년)에 130명, 1998년 ( 헤세이 10년 ) 에 20 명으로 감소 . 행복회 야마기시회가 생산하는 농산물의 매출에 대해서도 간부가 감소를 인정하게 되었다 [ 180 ] .

게다가 1997년 (헤세이 9년)에는 국세국의 세무조사를 받고, 서류상에서만 지급되어 실제로는 지급되지 않고 조직내의 기관에 풀되어 있던 사회실 현지 참가자에 대한 급여 [ †21 ] 에 대해 증여 에 해당한다고 지적 되어 200억엔의 신고 누락을 이유로  60 

행복회 야마기시회는 1998년 (헤세이 10년) 10월, 「마을에서 거리에」를 슬로건에, 「중고년은 20대 30대의 젊은이를 위해서, 실현지를 나와 거리에서 살자」라고 호소해, 40세 이상의 참가자를 「출정 평사」라고 칭해 외부 사회  내보내는 방법 . 게다가 실현지 속에서는 “아이가 <학원>에서 할 수 없게 된 경우 부모는 자녀와 함께 마을을 나온다”는 불문율이 쏟아지고 [ 183 ] , 이촌 권고의 대상이 될 수 있는 교정기관에 입소자를 늘린다 [ 184  참가자 를 늘리는  보다 줄이는 움직임을 보인다 . 콘도에 따르면 1999년 (헤세이 11년)에 약 2150명이었던 참가자는 2001년 (헤세이 13년) 1월에는 아이를 제외하고 1700명으로까지 감소했다 [ 185 ] . 실현지의 폐쇄나 통합도 진행되고 있다. 이러한 움직임에 대해 콘도는 집단 농장의 경영 효율화책이라고 분석 [ 186 ] 하는 것과 동시에, 회가 내폐기 [ †22 ] 에 들어갔다고 지적하고 있다 [ 188 ] .

무라오카도 『유토피아의 모색――야마기시회의 도달점』에 의하면, 외부로부터의 비판을 받아 행복회 야마기시회는 이하와 같은 개선을 실시했다고 한다 [ 189 ] .

  1. 1998년 4월부터, 학교에 다니는 아이가 아침 식사를 먹을 수 있게 되었다(그때까지는 2식).
  2. 1999년부터 멤버에게 월 1만엔의 용돈을 지급하게 되었다.
  3. 1999년 봄부터는, 「야마기시즘학원 고등부」에 진학한 자가 통신제 고등학교에 입학할 수 있게 되어, 다음해 봄부터는, 전일제 고등학교에도 입학할 수 있게 되었다.
  4. 2000년 2월부터는 “더 부모가 육아에 관여하는 편이 좋지 않을까”라는 것이 되어, 저녁 식사는 부모와 함께 하거나 매주말에는 부모와 함께 지내게 되었다.
  5. 음주에 대해서도 거의 전면 금주에서 알맞게 음주하는 사람도 늘어났다.
  6. 탈퇴자에게 '환불'에 대해서도 출자금에 따라 생활준비금을 마련하게 되었다.

시마다 유츠카는, 「야마기시회는 일본 기업의 궁극형?」이라고 제목을 붙인 문장을 쓰고 있다 [ 190 ] .

2010년대 이후, 농업 에코 빌리지의 선구자로서의 주목을 받고 있다 요출전 ] .

트러블・사건

야마기시회 사건

야마기시회 사건을 보도한 매일 신문(1959년 7월 5일자)

야마기시회가 1958년 (쇼와 33년)에 미에현에 설립한 공동체 「야마기시식 백만 마리 과학 공업 양계 주식회사」가, 동현 아야마군 이가 마치 에서 백만 마리의 닭의 사육을 목적으로 개척을 목표로 했지만 난항하는 가운데, 구성원의 지인들을 은폐의 1959년 (쇼와 34년) 7월의 특별 강습 연루회에 참가시킨 사건. 「가족이 감금되어 강습을 받게 되고 있다」라는 호소가 많이 전해져, 7월 10일에 야마기시 회 간부 9명이 미에현경에 체포되었다 [ 191 [ 192 ] . 야마기시 巳代蔵에도 체포장이 나왔지만 행방을 살려 [ 166 ] , 9개월의 도망생활을 보낸 끝에 체포되었다 [ 163 ] . 야마기시회는 「수수께끼의 사상 집단」, 「수수께끼의 혁명 집단」으로서 보도되었다 [ 165 ] . 「가스가산 50년의 아유미」에 의하면 야마기시회 사건이 실현지에 준 영향은 엄청나고, 카스가산실 현지의 재정은 박박해, 식료나 의류에도 부족해, 많은 구성원이 벌어들어 나왔다고 한다 [ 193 ] . 1961년 4월 28일, 체포된 14명에게 금고 1년부터 10개월, 집행유예 2년의 판결이 내려졌다 [ 193 ] .

야마기시즘 학원과 관련된 문제

1985년 (쇼와 60년), 야마기시회는 동회의 광고탑이었던 전 와세다대학 교수· 신지마 아츠라 의 제창에 의해 [ 194 ] , 아이가 24시간의 집단 생활을 보내는 사학원 「야마기시즘 학원」을 설립했다 [ 195 ] . 야마기시즘학원은 유년부(5세아가 대상), 초등부(초등학생이 대상), 중등부(중학생이 대상), 고등부, 대학부로 구성되며, 입학할 수 있는 것은 회원의 자녀, 또는 부모 중 적어도 한 명이 야마기시즘 특별강습연소회를 수강한 자의 자들이다 [ 196 ] . 학원은 “인간으로서의 기초적인 일반지식·교양에 대해서는 의무교육인 중학교까지 제대로 학습할 수 있으면 충분하다”는 생각에 서고, 고등부에서는 진학을 위해 필요한 수업을 일절 하지 않는다 [ 197 [ †23 ] . 또한 대학부는 고등부 졸업 후 실현지 참가를 결정한 자를 위해 준비된 부문이다 [ 199 ] . 야마기시즘 사회실 현지 참가자의 아이에 대해서는 학비가 들지 않는다 [ 199 ] . 유년부와 고등부의 학생은 실현지 밖으로 나갈 수 없다 [ 200 ] . 초등부와 중등부의 학생은 의무교육을 받기 위해 실현지 밖으로 나갈 수 있다 [ 200 ] 이지만, 비회원과 놀거나 방과후 클럽활동은 금지되어 있다 [ 201 ] . 학생들은 항상 집단 행동을 취할 것이 요구되고 [ 200 ] , 요네모토 카즈히로에 따르면 6-10명이 한 방에서 보내고, 두 사람이 하나의 이불에서 함께 자야 한다 [ 202 ] . 부모와의 면회가 허용되는 것은 2개월에 한 번뿐이다 [ 200 ] . 이런 '아이를 부모님으로부터 떼어 무리에 내는' 방식은 야마기시회가 일반 가정의 아이를 대상으로 하고 있는 학육 이벤트 '아이 낙원촌'에서도 채용되고 있다 [ 203 ] . 원실 현지 참가자인 마츠모토 시게요에 의하면, 행복회 야마기시회는 무소유의 개념을 아이에게도 적용해, 「아이도 아무것도 아니다」라고 생각하고 있다 [ 204 ] .

학생들에게는 "작업"으로서 밭일과 동물을 돌보는 것이 부과되며, 시간은 중등부생에서 주 25시간, 연 1300시간 [ 205 ] , 고등부생에서 하루 16시간 [ 206 ] 에 이른다. 요네모토 카즈히로는 “작업이 단순한 노동이라면 아동노동을 금지한 노동 기준법 에도 저촉한다”고 지적 하고 있다 . 게다가 미모토에 따르면, 학생은 실현지에서 채용되고 있는 동안 식·야식·조식 없이 하루 2식이라는 식생활을 강요받는다 [ 207 ] .

1994년 (헤세이 6년), 야마기시즘 사회실현지의 전 참가자가 「야마기시를 생각하는 전국 네트워크」를 결성해, 학원에서의 아이에 대한 폭력 문제를 고발했다 [ 176 ] . 이에 따라 일본 TV 계열의 뉴스 프로그램 ' NNN 오늘의 사건 '이 문제를 추궁해, '칼을 찔려 위협받는다', '목욕탕에 데려가 열탕을 걸 수 있다 ', '대검으로 20회나 때린다', '방에 불려 벌거 벗고 구타 된다 ' 는 피해자

야마기시즘 학원은 학원의 목적을 "<육성의 원리에 서는 독자적인 학육 방식>에 의해 아이들을 <완성 인간>으로 성장시키는 것"이라며, "<완성 인간>으로 성장하기 위한 <진정한 아이 모상>」으로서 「실학적 자세」, 「타다 일」, 「이성(남성, 여자다움)」, 「밝은 것이 정상」, 「즐거운 것이 진짜」, 「연루태도」, 「아집이 없다」라고 하는 항목을 내걸고 있다 [ 208 ] . 학원 출신의 아이나 학원 학생과 접한 경험이 있는 교사, 게다가 야마기시즘 학원 사무국으로부터 듣고 조사를 실시한 요네모토 카즈히로는, 얻은 증언에 근거해 학원의 목적을 해석하면 「아이들로부터 <아집>을 제거해 , ] 에 육성한다”는 것이 되어, 그 때문에 구금, 정좌, 폭행 등의 체벌이 이용되고 있다 [ †25 ] 라고 지적 [ 211 ] 하고, “학원에서 행해지고 있는 것은, 사회적으로 말하면 '조직적인 아동학대' 이외의 아무것도 아니다”라고 비판하고 있다 [ 212 ] .

전술한 바와 같이 미모토에 의하면, 실현지내에서는 「어린 소녀가 우수한 아이를 낳는다」, 「남자는 근면이라면 몇 살이라도 좋다」라고 하는 생각 아래, 「20대 전반의 여성과 근면이라고 인정받은 30, 40세대의 남성」이라고 하는 조합의 결혼이 담당자로부터의 「제안」에 기초 하여 많이 행해진 다 [ 1 149 ] )가 신규참가자에게는 30, 40대의 주부가 많기 때문에 결혼의 '제안'의 대상이 되는 여성은 야마기시즘학원 고등부를 졸업하고 2, 3년의 여성이다 [ 148 ] 이에 대해 요네모토는 "그녀들은 '나'를 주장하는 것을 오랫동안 금지되어 왔기 때문에 '이어'라고 표현할 수 없게 되고 있다.......탈주하지 않는 한, 소녀들은 중년 남성의 쾌락과 '우수한 아이'를 낳는 도구로 한다"고 비판하고 있다 [ 148 ] . 뛰어난 자손을 남길 수 있다고 예상되는 여성이 보내지는 생산부라는 기밀부서도 존재하며, 여기에서는 자식 만들기를 전문으로 하고 있다(한 명의 여성이 다수의 남성과의 섹스에 새롭게 태어나게 된다). 대상은 10대부터 30대 후반까지의 여성이다 [ 213 ] . 이 방침은 우생사상 의 실천이기도 하다.

히로시마 변호사회는 히로시마현 3차시의 야마기시즘 학원 하나미야마 초등부에 대해, 「헌법이나 아이의 권리 조약으로 보장된 인권 이 침해되고 있다」라고 경고서를 제출했다. 이에 대해 학교측은 “아이를 맡고 있는 학교가 담임이 아이들을 보고 있을 때 배가 고프고 고무를 먹거나 혹은 몸이 나쁘지 않은데 장기간 쉬게 한다 라든지, 방과 후부 활동도 할 수 없다, 그런 것을 봐, 이것은 아이가 보통이 아닐까」라고, 히로시마 변호사회 쪽에 상담해, 히로시마 변호사회도, 「편하게 치는 등의 체벌 , 아 루이는 반성시키는 명목으로 몇 시간에서 수일간도 좁은 한 방에 혼자 갇혔다 . 하지만 무단으로 사물을 검사하고 거론한 가족과의 교류는 한 달에 한 번 제한되어 휴일도 학원의 스케줄대로 TV, 신문 시청, 열람을 제한했다고 경고했다. 같은 사례가 과거에 기후현 에나시 의 다케나미 초등학교 이기도 하다고 히로시마 변호사회는 하고 있다. 기후에서는 식사를 빼고, 비 속에서 벗어나 밖으로 내보내거나, 등교시키지 않는, 회 속에서의 폭력 행위가 있는 등이 아이들의 모습에서 느껴져 경고서를 제출하기에 이르렀다고 한다. 이케보호코 는 이러한 문제를 중의원 예산위원회 에서 다루었고, 양 사례에서 경고서가 나오자 당사자 아동은 강제적으로 미에현으로 전교시켰다 [ †26 ] 라고 말하고 있다 [ 215 ] . 이케보는, 행복회 야마기시회가 학교법인 설립의 요구서를 제출했을 때에 행해진 아이를 대상으로 실시한 무기명의 앙케이트에 대해, 8할이 폭력을 받고, 하고 싶지 않은 노동을 시키고 있다고 답했다고 지적해, 이에 대해 미야시타 창평 후생 대신은  대략 어려운 회상이 된다  . 요네모토 카즈히로에 의하면, 지역의 학교나 교육위원회 중에는 실현지에서 환대를 받고, 학생의 보호자를 친권자가 아니라 산소 학원의 담당자로 하는 것을 인정해, 친족이 학교를 경유해 학생에게 편지를 건네려고 해도 그것을 야마기시즘 학원에 건네주는 등, 행복  야마 시 2

재산 반환 문제

전술한 바와 같이, 곤도에에 따르면, 야마기시즘 생활실 현지 속에서 사는 사람은 사유 재산의 모든 것을 행복회 야마기시회에 「무조건 위임」하고, 실현지 속에서의 노동에 대해 임금 [ †21 ] 이 지불되지 않는 [ 17 [ †13 ] . 그러나 장부 위에서는 임금이 지급되고 있기 때문에 실현지를 떠난 자에게는 재산이 남아 있지 않았음에도 불구하고 장부상의 수입에 기초하여 세금이 청구되게 된다 [ 104 ] . 또한 콘도는 생활실 현지를 떠나는 자에 대해 다음과 같이 말하고 있다.

만약 그들이 집단 농장을 떠나게 되면 그 말로는 어둡다. 반입한 사재는 반환되지 않는다. 만약 수천만엔을 위임해도 탈퇴 시에는 수십만엔이 전달될 뿐이다. 야마기시회는 장미색의 이상을 내거는 한편으로, 탈퇴자를 거의 무일문으로 외부 사회에 방출해 왔다. 그들은 이촌자가 노두에 헤매거나 어떤 경제적인 괴로움이 기다려도 결코 사재를 돌려보려고 하지 않는다.-  나카노 2004 , 콘도 2003 , 4 페이지.

1995년 (헤세이 7년) 이후, 야마기시즘 생활실 현지의 전 참가자가 위임한 재산의 반환을 요구하는 재판이 일어나게 되었다 [ 217 ] . 변호사의 마츠모토 아츠시에 의하면, 행복회 야마기시회는 입회자에게 전 재산을 기부시킨 뒤, 탈퇴해도 일절 반환에 응하지 않는다고 하는 자세를 취하고 있어 사회 문제화하고 있다 [ 218 ] . 마츠모토는 행복회 야마기시회에 입회할 때에는 모든 재산을 야마기시즘에 건네주고, 탈퇴해도 반환되지 않는 취지의 계약을 맺을 필요가 있다고 경고하고 있다 [ 218 ] . 요네모토 카즈히로에 의하면, 행복회 야마기시회는 재산을 「무조건 위임」시키는데 있어서, 특정의 금융기관에 개인 계좌를 만들게 해, 거기에 현금이나 현금화한 자산, 한층 더 급여를 송금하는 수법을 취하고 있지만, 명의인이다 전 참가자가 계좌의 상황을 확인하려고 했을 때, 금융기관이 「실질적 예금자는 야마기시회의 조정 기관이다」라고 요구를 거부했기 때문에, 반환을 요구하는 금액의 파악·증명조차 곤란해진 케이스가 존재한다 [ 219 ] .

2004년 (헤세이 16년) 11월 5일, 야마기시회의 취락을 떠난 여성이 입촌시에 포기했다고 여겨진 재산의 반환을 요구한 재판에서, 대법원 제2 소법정( 타키이 시게오 재판장 )은 2심 도쿄 고재 판결을 지지해 여성측의 상고를 기각했다. 이로써 여성이 청구한 일부 1억엔의 반환을 명하고 야마기시회를 패소로 한 도쿄 고재의 판결이 확정되었다. 덧붙여서, “이 여성(원문에서는 X)이 헤세이 원년 6월의 참가에 즈음해, 자택 및 아파트를 포함한 전 재산을 행복회 야마기시회(원문에서는 Y)에 교부한 그 총액은, 2억9164만7993엔이 된다” [ 220 ]

X는 “헤세이 6년 12월에 탈퇴를 신청해, 헤세이 7년 초에는 Y의 동의를 얻어 탈퇴했다. 탈퇴시에는, X는 3명의 아이의 분으로서, 적어도 9300만엔의 반환을 요구했지만, Y는 장녀의 분으로서 4030만엔을 반환한 것에 그쳤다 

거기서 X는 Y에 대해, (1) 특강·연루 학교에서의 마인드 컨트롤 이라고 하는 불법 행위에 의해 교부한 재산 상당액의 손해 배상, (2) X의 전 재산의 교부는 Y에의 신탁 계약·소 비 기탁 계약에 의한 것으로, 동 계약의 종료에 의한 재산의 반환 청구, (3)재산의 교부의 원인이 된 계약은 공서 양속 위반·사기 취소·착오로 무효로서 부당이익의 반환을 청구해” [ 221 ] 도쿄지방법원 에 호소했다. 도쿄지법의 일심판결은 “X의 아파트 생활 기간 중에 Y가 이 여성(원문에서는 X)에 지불한 생활비 등을 출자액에서 공제하고 2억4134만7993엔의 반환을 Y로 명했다” [ 222 ] 라는 것이었다.

게다가 Y가 항소한 도쿄고재의 판결은 “탈퇴시 반환한 4030만엔에 더해 1억엔을 반환해야 하며, 이 1억엔을 반환하지 않을 경우 참가계약의 불반환 특약은 공서양속 위반이 된다고 판시했다” [ 222 ] 것이었다. 「X는 상고 수리 신청을 했지만, 상고 기각되었다」[ 222 ]

도쿄 고재는 다음과 같이 판단하고 있다(발췌). “본건에서는 피항소인(X)의 특강·연소학교에의 참가, 참가로 이어지는 일련의 과정에 관여한 항소인(Y의)의 담당자에 대해서, 피항소인이 주장하는 사회적 상당성이 부족한 불법 행위가 있었다고 인정할 수 없으며, 결과에의 권유 등이 그 목적·수단 그러므로 피항소인에게 본건 출연행위를 시킨 것 자체 및 그 원인이 된 본건참가계약 자체가 공서양속을 위반한다는 것은 불가능하며, 본건 출연행위를 시킨 것에 대해 항소인에게 사회적 상당성이 부족한 행위가 있었음을 전제로 하는 피공소 [ 223 ] '본건 참가계약 중 피항소인이 항소인을 탈퇴하는 경우에 어떠한 사정이 있어도 피항소인의 출자한 재산을 '일절' 반환하지 아니하는 부분(이하 '불반환약정'이라 함)은 '일절' 반환하지 아니한다는 점에서 공서양속에 반하는 것으로 2 '

대법원은 "X의 출연 행위는 X의 탈퇴에 의해 그 법상의 원인이 부족하게 되었으며, X는 Y에 대해 나올 수 없는 재산 에 대해 부당 이득 [ 226 ] 라고 했지만, “X가 Y에 대해 나올 수 없는 모든 재산의 반환을 청구할 수 있다고 풀리는 것은 상당하지 않다. 받은 생활비등의 이득의 총액, X의 연령, 가동 능력 등의 제반의 사정 및 조리에 비추어, X의 탈퇴 시점에서, X에의 반환을 시인하는 것이 합리적, 한편, 상당으로 인정되는 범위에 한정된다고 해석하는 것이 상당하다」[ 226 ] 이라고 판명되었다. 다만, 대법원은 “X가 나올 수 없는 재산의 반환 청구 등을 일절 하지 않는 취지의 약정이 있지만, 이러한 약정은, 그 전 재산을 Y에 대해서 나갈 수 없고, Y의 아래를 떠나 생활하기 위한 자력을 전혀 잃고 있는 X에 대해서, 사실상, Y인가 이들의 탈퇴를 포기하고 Y하에서의 생활을 강제하는 것이고, X의 Y로부터의 탈퇴의 자유를 현저하게 제한하는 것이기 때문에, 상기 범위의 부당이득 반환 청구권을 제한하는 부분은 공서양속에 반하여 무효라고 해야 한다” [ 226 ] 이라고 판명되었다.

이런 대법원의 판결에 대해 홋카이도대학 교수의 후지와라 마사노리 는 "『무소유공용일체사회』의 실현을 활동의 목적으로 하고 있는 단체에 가입할 때 전 재산을 낼 수 없는 자가 그 후  단체에서 탈퇴한 경우에 합리적이고 상당하다고 인정되는 범위에서 부당이득 반환 청구를 가진다고 하는 사례 " .

"본건에서 우선 X는 Y의 담당자의 권유행위는 불법적인 마인드 컨트롤 이며, 불법행위를 구성한다고 주장하고 있지만, 본건에서의 Y의 불법행위의 긍정은 곤란할 것이다" [ 222 ] 로 하고, 또한, 「X의 Y에의 출연이 신탁계약・소비 기탁에 의한다는 주장도, 일심・원심에서 물러나고 있는 대로, 출자 명세서의 문언 「권리 주장・반환 청구 등 일절 하지 않습니다」로부터는, 그 인정은 불가능할 것이다」[ 222 ]

게다가 “반환의무범위의 결정 고려의 요소는 (약) Y하에서의 생활이 장기화할수록 정산되어야 할 X의 출연은 소진해 나간다. 을 위해서도 출연재산이 사용된다는 단체 가입은 혼인관계에 가깝다고 생각할 수 있다. [ 227 ] , 그리고 다음과 같이 말했다. "X의 출연의 반환 청구권은 부당 이득이라고 하는 것처럼 계약상의 정산, 청구라고 생각할 수도 있다" [ 227 ]

또, 후지와라는 출연을 일절 반환하지 않는다는 약정에 대해서는 다음과 같이 말하고 있다.

“부득이한 사유에 의한 조합(요트 클럽)의 탈퇴를 금지한 규정이나, 유니온 숍이 공서 양속에 위반한다고 하는 판례를 전제로 한다면, 본건에서의, X의 출연을 일절 반환하지 않는 약정은, 공서 양속 위반이라고 평가되어 우. 본건에서는 전재산을 출연하고 있으며, 반환이 거절되면 생활기반이 위협된다는 상황에 X가 빠지면 ​​본건의 불반환 특약이 사실상 탈퇴를 부당하게 제한하고 있으며 공서양속이 되는 것은 오히려 당연하다” [ 228 ]

덧붙여 이 재산 반환 청구 재판의 도쿄 고재의 판결 내용 등에 대해서는 「판례 시보」1792호의 63페이지로부터 73페이지에, 또, 대법원의 판결 내용 등에 대해서는 「판례 시보」1881호의 67페이지로부터 76페이지에, 각각 상세하다.

독일

1996년 (헤이세이 8년), 독일 연방 정부는 모든 주와 협력해, 팜플렛 "독일 연방 공화국의 이른바 젊은 컬트와 정신 이상 그룹"( Sogenannte Jugendsekten und Psychogruppen in der Bundesrepublik Deutschland )를 작성해, 당시 증가 경향에 있는 신종교 단체 등을 올렸다. 그 중에 야마기시회가 게재되었다 [ 229 ] . 야마기시회는, 「야마기시(스피리츄얼과 환경의 요소를 가진 일본의 신종교 )」 Yamagishi (Japanische Neureligion mit spirituellen und ökologischen Elementen)라고 소개되었다.

행복회 야마기시회와 유토피아주의

콘도 에이는 미국 사회학자 로자베스 칸터 가 19세기 미국에서 번창한 유토피아 집단( 셰이커 , 하모니, 아마나, 조알, 소우노우힐 등)의 특징으로 꼽고 있는 “탈회해도 기여한 재산을 반환 하지 않는다”, “ 부모 와 자식이 분리해 생활한다”, “ 프라이버시 의 여지가 없다” 등 100개의 항목 중, 약 90%가 행복회 야마기시회에 대해서도 적용된다고 지적해, 유토피아 집단과 많은 유사점이 보여진다고 말하고 있다 [ 230 ] .

콘도는 행복회 야마기시회를 「역사적으로도 유례없는 특이한 유토피아 집단」이며 [ 231 ] , 그러한 집단을 조직할 수 있었던 요인은 창시자인 야마기시 사토시 대장 의 사상에 있었다고 분석하고 있다 [ 232 ] . 야마기시는 식량증산을 위해서 전수를 요구받은 독자적인 양계 기술을 '진정한 행복사회 건설을 위해' 은밀하고 양계보다 정신론을 설교하고 정신론에 귀를 기울이는 자에게만 약간의 기술을 가르쳤다. 기술을 회득하고자 하는 자는 연루회를 열고, 야마기시 자신의 난해한 말 속에서 '진리'를 얻으려고 필사적이 되었다. 콘도는 '비밀'의 존재를 칭찬하는 것으로 야마기시가 인심을 장악해 갔다고 분석하고 [ 233 ] , 그 후에도 '비밀의 주문'이 조직을 유지하는 원동력이 되고 있다고 추찰하고 있다 [ 234 ] . 게다가 콘도에 의하면, 야마기시의 말에는 모순이 많아, 후에 행복회 야마기시회는 야마기시의 말 가운데 조직 운영에 편리한 것을 골라 회원의 <관념>을 조작하려고 했다 [ 235 ] .

콘도는 “유토피아 공동체가 성립하기 위해서는 외부사회와 그 집단을 분리하는 '경계'가 높게 설정 되어야 한다  며 [ 236 ] 로 행복회 야마기시회와 외부 사회를 분리하는 경계는 약해지고, 회의 유토피아 집단으로서의 존립 기반에 변동이 생기는 조짐이 나왔다고 지적하고 있다 [ 236 ] .

콘도는 특별강습연주회 가운데 서두부에 '종교에 빠지지 않는다'고 적힌 텍스트가 배포된 경험을 밝히고 ''종교에 빠지지 않는다'고 거절하는 것 자체, 야마기시회가 어떻게 기존 종교단체 와 닮았는지를 보여주고 있다"고도 말하고 있다 [ 237 ] . 저널리스트 사이토 타카오는 "그 종교성은 부정할 수 없다"고 하면서, 야마기시회 측은 종교를 고정관념이라고 비난하고, 종교단체로서 취급되는 것에 강한 반발을 나타낸다고 지적하고 있다 [ 238 ] .

요네모토 카즈히로는, 변성 의식 상태 에 빠진 야마기시 아츠시 대장이 뇌내에 떠오르고, 다른 사람들과 공유하고 싶다고 희망한 「현실 세계와는 다른 「진실의 세계」」로서의 유토피아 사회야말로 행복회 야마기시회의 본질이라고 추측해 [ 239 ] , 변성의식상태를 다른 사람에게도 체험시키기 위해 고안된 것이 야마기시즘특별강습연루회 이며 [ 240 ] , 「『특강』에서 해리상태가 되었다」 때에 뇌에 떠오른 이미지상의 유토피아 사회를, 실제로 이 세상에 드러난 『마을 』1 이 야마기시즘 . 게다가 요네모토는, 행복회 야마기시회를 「『이미지 세계』에 우리를 끌어들여, 자신들과 같은 뇌내 회로를 가진 인간을 만들어내려고 한다」집단이라고 정의한다 [ 242 ] . 미국 책에 의하면, 이미지 세계를 공유할 수 있는 사람과 되어 있지 않은 사람과는 물건의 보이는 방법조차 다르다 [ 243 ] . 요네모토는 ‘이미지를 현실화한 마을’, ‘일본국’ 속에 있으면서 일본과는 전혀 다른 국가내 국가라는 집단이 수십 년 동안 발전한 것을 ‘경이’, ‘솔직히 존경의 마음조차 기억한다’고 말했다 [ 244 ] .

한편, 시마다 유타카는 「야마기시회의 실현지를 만들어낸 것은 일본인 이며, 거기에는 개인을 집단과 융합시키는 것에 가치를 두는 일본적인 가치관이 살아 있다」고 말하고 있다. [ 245 ]

각주

주석

  1. ^ 정확하게는, 각지에 있는 「야마기시즘 사회실현지」( 후술 )가 각각 농사조합법인으로서 등기되고 있다 [ 3 ] .
  2. ^ 야마기시즘은 '야마기시주의'를 의미하며, 야마기시 巳代蔵가 발견했다고 하는 진리·이상을 가리키지만, 구체적인 내용에 대해서는 불명하다 [ 8 ] .
  3. ^ 프리 라이터의 콘도 에이 는 회원을 「특강을 받은 후, 어떤 회의 활동을 하는 사람들」이라고 정의하고 있다 [ 14 ] .
  4.  콘도에 따르면, 생활실 현지 속에서 사는 사람은 사유재산의 모든 것을 행복회 야마기시회에 「무조건 위임」한다. 또한 실제 현지에서 노동에 임금이 지급되지 않는다 [ 17 ] .
  5. ^ 일례로서 미에현 쓰시에 있는 「토요사토 팜」에서의 판매가 있다 [ 18 ]
  6.  1967 학년. 야마기시 사토시 대장에 관한 문헌을 읽은 것을 계기로 행복회 야마기시회에 관심을 갖고, 1995년에 특별 강습 연루회를 수강. 게다가 동회의 실태를 외부자의 입장에서 조사하기 위해 [ 22 ] , 1999년 봄부터 12월에 걸쳐 목적을 숨기고 야마기시즘 사회실 현지에 참여했다.
  7. ^ 콘도 에이는, 특별 강습 연루회의 수강 경위의 「고전적인 유형」의 하나는, 행복회 야마기시회의 캐치 「저비용으로 달걀 장사를 할 수 있는 양계 기술에 잡히고」, 「돈 벌이 목적으로 야마기시회에 가까워져, 특강을 받으면 열렬한 유토피안으로 변신 하다 .
  8. ^ 구체적으로는, 어떠한 「제안」이 있으면 「연루」가 행해져, 일이 자연과 올바른 방향으로 「조정」된다는 것에 이론상으로 되어 있다 [ 32 ] .
  9. ^ 콘도에 따르면, 수강중은 갈아입기나 세면용구를 제외하고, 귀중품이나 신분증명서를 포함한 소지품은 행복회 야마기시회 측에 맡긴다(단, 담배는 허용된다) [ 45 ] .
  10. ^ 요미모토는 수강자는 '스스로 변화한 훌륭한 체험'으로서 특강을 잡고 있다고 분석하고 있다 [ 74 ] .
  11. ^ 요네모토는 특별 강습 연루회의 목표에 「감정… 참을 수 없다는 모순에 수강자가 고통을 느끼고 모순에서 벗어나려고 함으로써 뇌의 상태에 변화가 생겨 '특강의 목표가 하기 위해 뇌의 어딘가에 들어가는' 가능성을 지적하고 있다 . 80 ] . 그리고 요네모토는 진행역이 같은 질문을 집요하게 반복한 것에 대해 "리굴을 알리기 위해 십수 시간이나 늘 같은 질문을 내고 있던 것은 아닐 것이다. 실제로 특강성의 뇌에 변화가 찾아감정의 신경회로가 차단될 것을 기대하고 집요하게 같은 질문을 반복하고 있었다고 추측 한다 .
  12. ^ 요네모토 카즈히로는 토요사토무라 현지에서 참가자가 "내 몸도 내 것이 아니다"라고 발언하는 것을 들었다고 한다 [ 101 ] .
  13. b 콘도는 탈퇴에 있어서 '돌보는 사람'으로부터 '자신 마음대로 일하고 있던 것으로 하고, 탈퇴 후에 급료를 요구하지 않는다'라고 요구되었다고 한다( 콘도 2003 , 284쪽.).
  14. ^ 요네야마는 이에 대해 “야마기시가 목표로 하는 사회는 '법에 묶이지 않는 사회', '권리·의무 없는 사회'이다. 그러나 이 통달에서는 법률에 정해진 권리는 주장하고 분할 비율 분당의 유산은 제대로 상속하겠다는 것"이라고 모순을 지적하고 있다 [ 108 ] .
  15. ^ 콘도에 따르면 한 주인이 '돌보는 사람'에게 인간관계의 희박함을 호소했더니 '실현지는 타인이나 관계면(인간관계)을 보는 곳이 아니다'라고 대답되었다고 한다 [ 112 ] .
  16. ^ 요네모토 카즈히로에 의하면, 참가자의 노동 시간은 연간 4000시간 미만이며, 일본에 있어서의 평균의 2배 가까운 길이이다 [ 114 ] .
  17. ^ 콘도에에 따르면, 야마기시 巳代蔵는 외부 사회를 「백귀 야행의 음란한, 혼탁 세계」라고 표현했다 [ 130 ] . 콘도 자신도 생활실 현지에서 사는 가운데 외부 인간의 '짐승성'에 대해 말하는 참가자를 목격했다고 한다 [ 130 ] .
  18. ^ 요네모토 카즈히로에 의하면, 토요사토무라 현지의 최초기의 멤버는 외부 사회의 인간을 「외의 바이균이라고」 표현했다 [ 131 ] .
  19. ^ 요네모토 카즈히로는 토요사토무라 현지에서 참가자가 “내 아이도 내 것이 아니다”라고 발언하는 것을 들었다고 한다 [ 101 ] .
  20. 1993년 , 원실 현지 참가자인 마츠모토 시게요가 잡지 「자연생활」( 노쿠사사 )에 「내가 본 ​​야마기시즘 사회의 실태」를 발표한 것을 계기로, 1994년 에 마츠모토를 대표로 발족. 「야마기시즘이라고 하는 사상·운동의 비판적인 검토, 또 그것을 위한 야마기시회의 역사의 검증」등을 목적으로 한다. 덧붙여 1996년에는 요네모토 카즈히로와 학원생의 가족에 의해 「야마기시회의 아이를 구하는 모임」이 결성되어 있다.
  21. b 건전상, 참가자는 농사조합법인의 피고용자이다( 콘도 2003 , 287쪽).
  22. ^ 종교학자인 시마다 유토 시는 행복회 야마기시회가 발족 이후 외부사회와 적극적으로 참여해 세력을 확대하려는 시기와 외부사회와의 접촉을 거절하고 닫으려는 시기를 반복해 왔다고 분석하고 있다 [ 187 ] .
  23. ^ 이 점에 대해 야마기시즘 학원 측은, 「학원에 들어가면, 무엇이라도 할 수 있는 힘이 붙는다」라고 하고 있지만, 요네모토 카즈히로에 의하면 현실에는 중졸의 직함 지도할 수 없는 학원 출신자에게 있어서 직업의 선택지는 매우 한정되어 있다 [ 198 ] .
  24. ^ 야마기시즘 학원 사무국은 미본의 취재에 대해, 학원 설립의 목적은 「혁명의 후계자 만들기」에 있다고 코멘트했다 [ 209 ] .
  25. ^ 야마기시즘 학원 사무국은 미국 책의 취재에 대해 체벌의 행사를 인정하는 발언을 하고 있다 [ 210 ] .
  26. ^ 요네모토 카즈히로는 전학에 의해 히로시마 변호사회의 조사 대상을 없애는 것이 야마기시즘 학원 측의 목적이었다고 추측하고 있다 [ 214 ] .

인용

  1. ^
    오다「예를 들면, 너 같은 게으른 사람으로 술만 있고, 매일, 매일, 구타라구타라와 술을 마시고 아무것도 하지 않았다면 어떻게 할까」
    마을사람「둘 다 곤란해져. 너도 넣고, 모두가 토론하겠습니다. 그렇게 하면, 너도 술을 닮지 않게 된다
    "
    치.너의 마음에, 축생, 잘 말해져 버렸다, 라고 하는 기분이 남습니다. 납득」입니다. 대화하고 있는 사이에(당신, 너의 의견도 짱짱세) 너도 후웅과 끄덕이게 된다.- 요네모토 카즈히로, 요네모토 1997 , 45쪽. 쌀 책 1999 , 50 페이지.

출처

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참고문헌

관련 문헌

만화
  • 타카다 카야 「컬트 마을에서 태어났습니다. 』 文藝春秋 2016년 2월.
  • 타카다 카야 「안녕, 컬트 마을. 』 文藝春秋 2017년 1월.
야마기시즘 출판사편
  • 『천진난만──홍모노를 보고 자라다』(1980년 5월)
  • 『토의 마을에서 사진 구성 야마기시의 마을 만들기』(촬영·저자:이노우에 카즈히로, 1982년 2월)
  • 『세리카 낙원촌』(그림책)(스즈키세리카・저, 1982년 2월)
  • 『돈이 필요없는 사이 좋은 즐거운 마을』
  • 『아아에게의 물건──야마기시즘 학원 유년부의 1년』(후쿠이 마사유키・저, 1987년 8월)
  • 『닭나무관──야마기시의 학육에 대해』(키타가와 미치오・저, 1988년 1월)
  • 『친근함 아이들도──분류의 육아』(키타가와 미치오・1988년 6월)
  • “마스다 히데아키 강연록 “병과 병신의 분리──암을 밝게 살아””(1989년 2월)
  • 「야마기시즘 학원 고등부── 가르치지 않는 학원」(야마기시즘 학원 고등부편, 1989년 11월)
  • 『중등부 생일기──경쟁 없이 자기 최고』(호리 요시아키, 1990년 11월)
  • 『아이, 5살이 되어 서 있다──야마기시즘 학원 유년부의 아이들』(마츠모토 테루미·후쿠이 마사유키·공저, 1990년 11월)
  • 「야마기시즘 아이 낙원촌──집에 없는 것 학교에 없는 것」(야마기시즘 아이 낙원촌 실행 위원회편, 1991년 11월)
  • “중등부 이야기”(요시다 세이지·저, 1992년 8월)
  • 「야마기시의 마을의 컴퓨터 개발──진정한 정보 시스템 만들기를 목표로 해」(야마기시즘 정보 시스템 개발소편, 1992년 11월)
  • 『생활으로 자란다──야마기시즘 생활세시기』(카와세 노리코・저, 1992년 11월)
  • 「야마기시즘 학원의 아이들──유년부편」(이노우에 노부코·저, 1993년 8월)
  • 「야마기시즘으로부터 교육계에──「교육혁명」의 제언」(야마기시회 학육부편, 1994년 1월)
  • 『나비야 꽃이라며 괴롭히지 않는다──즐거운 육아 친생활』(후쿠이 마사유키・저, 1994년 1월)
  • 「야마기시즘 사회에의 참면의 길──나는 왜 이 삶의 방법을 선택했는가」(야마기시회 문화과편, 1994년 8월)
  • 「숲이 태어난다」(야마기시즘 임업부편, 1994년 11월)
  • 「시금치는 초록의 바다──야마기시즘 학원을 만드는 부모들」(야마기시즘 학원 부모의 회편, 1995년 1월)
  • 「종교를 연루한다」
기관지 잡지
  • 「보로와 물」(1971년 1월 창간~1973년 5월, 5호)
  • 「야마기시즘」(1984년 7월 창간~1987년 7월, 44호)
  • 「공급소 통신・야마기시의 생산물」(월간, 야마기시즘 실현지 생산물 공급부 발행, 1974년 5월 - 1997년 12월)
  • 「새로운 바람」(야마기시즘 학원 교육 문화 연구소 발행, 1997년 9월~2000년 4월, 7호)
  • 「야마기시즘 학원 통신」(월간, 야마기시즘 학원 발행)
  • 「켄씨 신문」(월간, 야마기시회 본부 발행)
  • 「분」(월간, 니지마 아츠라 개인 편집 발행지)

관련 항목

외부 링크


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Yamagishi movement

From Wikipedia, the free encyclopedia

The Yamagishi movement (alternatively Yamagishi Association) is a network of egalitarian intentional communities which originated in Japan. People in these communities live without money and with minimal personal possessions, but their needs are provided for by the community. There are no bosses or set working hours. Their primary industries are farming and ranching.

History

The movement began in 1956, when Miyozo Yamagishi (1901 – 1961) and a group of his followers pooled their resources. It was based on Miyozo's vision of harmonization between humanity and nature called ittai (“one body” or "unity" in Japanese). He and his followers established the first commune in 1958 in Mie Prefecture.[1]

By 2008, the group had about 1,200 members in Japan.[2]

Worldwide

The group has communities in AustraliaBrazilThailandSouth KoreaSwitzerland and the United States.[3]

Lawsuits and criticism

The movement has been sued by former members seeking to recover their financial assets, which were required to be donated when they joined. The movement has also been criticized by the media in Japan for child welfare issues.[2]

References

  1.  Christensen, Karen; Levinson, David. "Yamagishi Toyosato"Sage Publications.
  2.  John Spiri (January 15, 2008). "Whatever happened to Yamagishi?"The Japan Times.
  3.  R.C.S. Trahair (1999). Utopias and Utopians: an historical dictionary. Greenwood Publishing Group. p. 448yamagishi kai.
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