2026/01/18

ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点【書籍】 | ヤマギシのむらnet

ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点【書籍】 | ヤマギシのむらnet

ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点【書籍】

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ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点【書籍】

Posted by 実顕地広報部 | 2013年 3月 15日 PM 12時 27分 in 書籍









「ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点」
村岡 到さん著

村岡到さんの著作「ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点」が発行されました。
店頭に並ぶのはもう少し先になるとのことですが、全国の書店にて注文・購入することができます。
【実顕地広報部】



ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点

村岡 到  ロゴス 2013.3.15刊行

ISBN978-4-904350-27-0 C0030

46判230頁 1800円+税


村岡さんからのメッセージ

 私は昨年四月まではヤマギシ会についてほとんど知らなかった。ところが、実際に実顕地を何度も訪ねて、ビックリした。そこでは、現在の資本主義日本では考えられない生活を実現していることを知ったからである。

・お金のためではない働き方を実現
・お金を使わない〈無所有〉の生活
・農業を土台とした共同生活を実現
・子どもの創造性を生む〈学育〉
・高齢者の生活・医療を完全に保障

 この五つの特徴を上げることができる。どれも大変な課題である。労働の動機をいかに創造していくかは、ロシア革命いらいの難問であり、〈無所有〉の思想こそ、物欲や領土問題で壁にぶつかっている現実を突破するカギである。農業の重視も自然破壊の進行を止める核心である。ヤマギシ会は現在、日本の農事組合法人のトップに立っている。老蘇さんの笑顔は、高齢化社会の模範的な生き方を示しているし、〈学育〉は教育荒廃を改める筋道である。

 「われ、ひとと共に繁栄せん」を旗印にした山岸巳代蔵の独創的営為は、創始いらい六〇年の今日、改めて注目に値いする、ユートピアの先駆的実践例をなしている。それは、一九世紀の社会主義者ウィリアム・モリスのユートピアにも通底している。一五〇〇人もの人たちが、二六の実顕地を創り、海外六カ国にも拡がっていることは驚異とすら言える。

 ヤマギシ会に関連する研究書を読んでいたら「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろう」という卓抜な比喩が引用されていた。そこで生活している人たちにとっては当たり前のことなので、その意味や意義に気づきにくいが、実はきわめて大きく貴重な経験を、ヤマギシ会は積み重ねている。

 私は、一九六〇年の安保闘争いらい社会主義をめざして活動してきたが、ヤマギシ会が実現している生活は、ユートピアの稀有な実践例だと言える。だから、私はヤマギシ会の理念と実態について明らかにしなければならないと考えた。そして、私は〈友愛〉がきわめて大切な理念であることを教えられた。

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11 個の コメントがあります。(※新着順)

春日山実顕地 杉 豊 / 2013年5月15日


「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―3‏‏    2013/05/12

③の問題: 村岡さんの表現よれば 成長が招いた逆風を乗り越えつつあるが、どのように対応してるのかと質問を呈している。
これに対して私は、村岡さん応えるべく、実顕地に身を置く立場から問題点を次のように再定義した。すなわち『③現時点でマスコミによるパッシング・大量脱退者と裁判・鈴鹿グループに象徴される内部分裂問題・これらの諸問題を、いま乗り越えつつあるように見えるが、どう対応してるのか、と質問を発している。』
この再定義に沿って応えてみたいもちろん一人の実顕地メンバーとして、また一人の私案としてである。 第一に言えることは、今は相異する、意見をことさらに強調するメンバーは、いまの実顕地には、居ないと言うこと、だから 徐々に静かに、楽しみながら、欠落部分を補充し補修する部分を補修しているといえる。しかしこの問題は根が深いと考える。これは、成長がまねいた逆風でなく、成長した土台部分が内包した諸要素が現象化した と言える。 それは成長が始まる時から、成長している時でも、あった問題だと、考える。それは、相互に異なる意見を真に研鑽によって、相互に理解納得して溶け合い、わだかまりを、取り除き真に意見が異なっても、互いに尊重し、他を犯さないことを成し得なかったからではないかと、考えられる。 成長期が始まるときにも、多数の意見とは、違う少数の意見があり、この相異する意見を理解し尊重する気風までには、成っていなかったようだ。 では現状をどう観るかが問われる。 私が目につく、現象を、捉えつつ分析してみたい。したがって、現れた現象の順番が相い前後するかもしれない。
(a) むらネットこれは、実顕地メンバー以外でも見てコメントできる点がいいと、想う。実顕地の現状や実状を実顕地やヤマギシズムに関心ある人たちに公開されている。 そのことが、実顕地内に、新鮮な風を送り、停滞や淀みを、解消する可能性がある。ネットの編集方針が、幅広く情報や意見を集め、掲載しようとするので、話題が豊富で量的に全記事を読むのが、できない日もある。今や 紙の時代ではなく、インターネットの時代といえる。ただ次の段階として、限定読者による理念やヤマギシズムの探求専門のサイトの開設をのぞみたい。
(b) 春日50年史 豊里40年史をそれぞれ、通史として読んでみて、大きな節目を、迎えるときなどに、まことに、理路整然と、その段階での必要な各要素に目を配りながら、課題やテーマを打ち出しながらも、一人残らず、その課題やテーマを、実践したか、どうかとと問うて見ると、私の回答は、そうでは、ないと答えざる、得ない。 課題やテーマを読み解いても、実践段階に、進まない人、だがその人は課題やテーマを無視するわけでないが、理解すらしない人がいる、という事実と言うか、実際と言うか、そのような現象が、発生してると言う問題が存在してる。 この問題を、仕方ないものとか、その人の問題としないで、それこそある運動や企画をやり終えて、運動や企画を、振り返るとき、その立場からの、振り返りも、貴重な視点として、活用したいと、考えます。 とくに、運動や企画が成功したとき、知らず知らずに自らを、天狗に仕立て上げてしまわないように、自分と向き合い、自分を、見直す視点として大事にしたい。 村岡さんが成功したと、言われた時代に、私たちは愚かにも、天狗になってしまったのではないのか、山岸さんの、「観客の拍手喝采にも、不評にも、惑わされない」との戒めの言葉を、知りながらも、その精神や態度を受け入れていない、この肝心要を、腹に落とし切れてない現実に震撼すら私は感じる。 これらの視点を欠くか、軽視してる限り、本質的な姿勢や態度を創らないまま、まるで耐震対策のない、建物を建てる危険性があると感じている。
(c) 現状の実顕地には、新たにどのようにでも、表せる材料が、散乱しているといえる。 日常的には、これらの材料が、すぐ使えるように、整理・整頓し、あとはどう現すのが最適か、を探り試しを、やっておく。状況を観ながら、新しい構想を考える、研鑽会を開く機会を創るなり、手立てを考えておく。 それらの、前提として立ちゆかなくなった、実顕地に対して丁寧に対応し、次なる構想に、活かせるよう取り組むこと。 以上が私の現状認識と対応策です。 「ユートピアの模索」を読んでみての感想をこれで完了します。
返信


春日山実顕地 杉 豊 / 2013年5月15日


「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―2‏

②杉本利治さんの評価について。
88年に参画した私は、杉本さんが亡くなって、はじめて、その存在と名前を知りました。 側近メンバーだた小野口さんが立て続きに亡くなったので、杉本グループと言われるグループが存在するらしい。 杉本さんの全集に掲載された、文章からは、柔軟なリアリストの姿が浮かびます。また目立たないが、実力のある人だと想像しています。 そんな杉本さんを中心に、たとへ緩やかなグループだとしても、実顕地にとって重要な問題に重大な役割を果たしたようだから、それはもはやグループでなく、杉本体制と名付けものに転化せざるを得ない状況をも生み出したといえるだろうと推測します。 杉本さんが、謙虚であればある程、院政めいた、ものに成ってしまい実顕地メンバー全体からみると、ものごとの最終研鑽が不明瞭になり、預かり知らぬところから、研鑽結果が、伝わってくる実状になってしまう。このことが、研鑽嫌いや研鑽不信を生み出し、片一方で本質を探らないで、現場対応でことたれりの風潮を生み出してしまった。 このような状態を放置する訳にはいかないから、必然的に、統制機能のスイッチをONせざるを、えないことになる。 それは、各種世話係に、管理者的傾向・統制者的傾向を発生させ、その機能を強める力学が働くようなり、研鑽運営から、遠ざかる印象を私は感じた。これらのことが、当時は分からなかったが「ヤマギシを考えるネットワーク」や後の脱退者による裁判などの、根本問題なのではないだろうか? これらの問題の根本解決は、各自の自律的研鑽生活の探求が解決の道筋を切り開いていくと考えます。 村岡さんは、杉本さんの功罪をけして、杉本さんの個人に収れんさせては、ならないと貴重な指摘をしてくださった。 その線に沿って、杉本体制が果たした成果を上げるならば、まず生産物の供給を軌道にのせ、特講受講者・参画者を飛躍的に増やした。 研鑽学校の課程を体系化を一定程度整備した。 食生活・風呂生活(職場時間から生活時間の転換の場と位置づけた) 衣生活は、たんなるおしゃれでなく、ふさわしさを身に付ける場とした。 つまり暮らしの場面のイズム化にある程度成功したといえる。 また大きな観点から見ると実顕地造りに理念先行型と経営先行型と言う路線の異なる方針の違いがあたようだ。 それは、山岸さんが亡くなり、柔和子さんたちが、分かれたあと、これまた詳しい、正確な情報がない中で、言わざるをえないかが、言わしてもらえば、64年か65年ころ、参画者の受け入れ窓口が、試験場窓口と実顕地調正機関(二つとも名称は定かでない)があって、豊里実顕地ができる時期に、その二っが一つになる動きがあり、ある確執を伴いながら事態は進行したようである。それは、杉本さんよりちょつとした年上の人たちから、実顕地運営の主導権を杉本さん達に移すことになった。主導権を失った人たちは、静かに実顕地に留まるか、もしくは、実顕地を去るかの対応になったようだ。 このような流れに対し、事があら立たないよう、杉本さんは、配慮ある、行為・行動に徹したようだ。これらの過程が発展期の前史になった。 したがって、杉本さんの発展期評価と言うと、この前史過程と山岸さん存命中の活動・役割などを加えないと、全面的正確な評価を下せないと考えます。 そうは言って、手を拱(こまね)いて、いられないので、私の試案を公表し、関心ある人との意見交換をしたいと考えます。
返信


春日山実顕地 杉 豊 / 2013年5月15日


「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―1‏

次に村岡さんが疑問と考えてるのは①実顕地メンバーが、山岸さんをどうとらえてるのか②覚如にたとえられる杉本利治さんをどう評価してるのか③現時点でマスコミによるパッシング・大量脱退者と裁判・鈴鹿グループに象徴される内部分裂問題・これらの諸問題を、いま乗り越えつつあるように見えるが、どう対応してるのか、と質問を発している。
①山岸さんを、どうとらえてるか。: 先に手短に私の考えを述べた。
ここでは、私が知り得たかぎりの山岸さん像を述べてみたい。
(a) 山岸さんと実験場
 細かな経緯は分からないが、百万羽科学養鶏のかけ声で参集した人々が実験場として、春日の地で鶏舎や宿舎を立て、養鶏経営と集団生活を始めていた。
たぶん、鶏舎建築・宿舎建設の報告者から経過を聴きながら、重要ポイントだけを、コメントか提案として、出しただろう。 そのときの山岸さんは、情理が一体の話しぶりで、重要であれば、あればこそ、一見は分かりにくい、不親切な態度や言い回しで、表現しただろうと推察します。したがって、ある報告者や問題点を聴きに来た人が、あとあと考えてみると、すごくいいアドバイスだっと、気づかされる意味深長な言い回し、態度であっただろう。 しかも、報告者・質問者の人間性を考慮したものだっただろう。 たから時によったら同じ問題なのに、真逆の応えが出されただろう。 このような、山岸さん、の言い回しや態度を表面的に引き継ぐ人が多かっただろう。そのことが、山岸さんを神話化したりして、山岸さん亡き後、参画した人に誤ったイメイジ与え続けた節がある、と想う。 だから、私はつい、山岸さんの人間性を知りたがって、幻想と実像が入り交じった話を、興味本位に聞かないように注意している。 それよりも、身じかな、仲良し夫婦から一体夫婦のへの取り組みを、取り組むことで、山岸さんに出会えたらいいと、想っている。
(b) 山岸さんと福里柔和子さんの問題
柔和子さんについては、パンフレットと一冊の本しか読んでない、死ぬ間際の最後の本です。 後は、全集と2~3冊の山岸さんと共に活動した人達の本。 これらを資料として、私が、考察したものを、述べてみたい。 柔和子さんに出会った、山岸さんは、一番探していた女の人をやっと探し出したと、想っただろう。 探してた、女の人の条件とは、無我執の男女の愛のを、顕現できる素質を持っている、そして、人生の修羅場を体験している人、それなりに美人である人。 まさに、柔和子さんは、ぴったりの人。 ただ人名鑑定からみたら、本名がカタカナで、字数が少ないのは、人間として、器が小さいことが足枷になるのでわざわざカタカナを漢字に直し、子の一字を足して、行動力を増し、無我執の愛の実践者・顕現者に成れるよう運命の転換・新たな創造的人生と成るための、改名をほどこした。 問題は、無我執の男女の愛を解明し体得して、体現することだった。 現状の男女の交際は、別々に育ち成長し、出会い、惹かれ合い、結婚に至り、結婚生活が二人を、離れさせるエネルギーを産みだし、それぞれが内面的葛藤を体験し、外面的にぶっかりあったりする。 これを、根本的に解決して、愛の機能が、発揮され互いを活かし合う関係、総てを分かち合う関係 あらゆるものと活かし活かされる関係 本来 人は、そのような機能を兼ね備え発揮できるものなのに、現実は本来ある無我執の愛が実現しない状態が続いている。 山岸さんが亡くなる岡山ゆきの、直前に二人は無我執の愛を体得した状態だったようだ。 ただ周囲の人にも、山岸さんと、柔和子さんが愛情問題をめぐって、取り組んでいると、とは聞いても、たとえ取り組みの内容を聞いても、受け取り難い状態だろう。 ただ二人が、激しく・厳しく、真剣に取り組んでることは、分かったろうが、真の結婚に取り組む人だけが、二人の取り組みの内容が理解可能だろう。 真の結婚の取り組みの条件が揃った人から始められる環境は、今の実顕地には、あるといえる。 これこそ、先人達からの、無我執・無所有の贈りものだと想う。 私の場合「わたしの本意・真意を妻のこころ元に伝える」から始めて、います。
返信


村岡到(東京) / 2013年5月1日


「ユートピアの模索」の読者ハガキを本人の了解を得て転載します。

兵庫県 O・J 保育士 51歳
村岡さんが公平中立にヤマギシをとらえようとされていることを感じました。
私は子ども時代からキブツや実篤の村に憧れていたので、ヤマギシを知ってとても驚いたし、すごいと思いました。
知識にしばられずにあらゆることを考えてやってみるという生き方を、50歳になって少しでもやっていきたいと思っています。

ヤマギシの村人さんたちにも力をもらっています。
村岡さん、特講やってみて下さいね。
返信


杉 豊   春日山実顕地 / 2013年4月24日


「ユートピアの模索」の中で、村岡さんの疑問・不思議なこととして、社会を騒がす事件を起こし、そして奇人・変人とも称される人の名前を組織名に使い続けながら、今日までどうして、存続できたのか。との、疑問は新鮮であり参画者の自分にとっては、想いもつかぬ視点だとも想えました。 改めて私なりに村岡さんに応えようと想うと、①何故参画したのか、②参画してなにをしたいのか、③自分にとってヤマギシズムとはなにかとの設問となって自分に問い掛けざるを得なくなりました。 この設問に応えてみようと想う。

①何故参画したのか:20~25才まで労働組合活動に専念したが、挫折した。 それでも、本当の社会、みんなが幸せに暮らせる社会を創りたいとの願いを捨てきれず暗中模索していた。29歳の時、特講を受けた。特講で闘争をせずに、幸福社会が出来る。と知ったとき、やりたい、これなら挫折せずにやれるはずと想った。また、自分の決めつけ拘りを自分で外せばそれだけ自分が自由になり素直なこころで人と話ができる。研鑽になっていく。

②参画してなにをしたいのか:参画して、ヤマギシズムを体得して、幸福社会づくりに、邁進したい。実顕地は「真理実践の社会活動体」と想う。

③自分にとってヤマギシズムとはなにか:特講・研鑽学校を通じて、単なる論理では捉えきれない、私を引き付ける魅力がヤマギシズムにはある。

(a)零位 人間の考えが入らないものとされるが、それは何だ? 考えるのは人間だろう、その人間ぬきの考えとは?と考え続けざるを得ない。

(b)真理=愛 と言う表現、おおよそ真理は論理であり、科学的考察によって到達したり、発見されたりするものなのに、情緒的表現である愛と直結しイコールであると言っている。すなわち、この世が、この宇宙が愛によってつくられている。と宣言するかのように表現している。研鑽が冷静・客観を重要視するのに、それから一気に飛躍して愛と言う表現に行き着いている。私になにか大いなる転換とか飛躍をよびかけているように想えてしょうがない。かと言って、盲信しろ狂信しろ、とは言ってない。さらに考え続けたい。

(c)幸福会ヤマギシ会趣旨に「6、物心両面共に、他を侵す必要なき協力社会を指向する。」とあって、私が想い描いた、理想社会・理想的生き方が簡潔に書いてあると感じます。まさに私のユートピアです。 一人一人が各自の課題やテーマに取り組み、日々創意工夫・発見の連続で愉しい毎日を暮らし、ふっと隣の人を見ると、素直な穏やかな目をして、精気に溢れ、言葉を交わせば、これまた話がはずむ、楽しい会話のなかから、グループでの探検旅行や、新しい方法で社会実験の話やら、おもしろい会話がつきない。そう言う人間関係ができてしまう。理想的人間社会がかいまみえる。

(d)ヤマギシは宗教ではない。とのところで「教えるよりも哲学的に、現実的に、真理と方法を探求し合って、行動する、真理実践社会活動体です。」とあって、何事も素直な目で見、新鮮な感覚・考えで、物事に当たっていく。人が共に生きる、喜びに満ちあふれる社会だろうなあと想う。理想社会実現のその過程そのものが愉快で楽しく、人が集うこと自体が喜びを予感させ、楽しいだけの人と人の繋がり。その人の環が広がりに広がり、喜び愉しみの連鎖がとまらない。そんな世界が自然とできてしまう。これが愉しいだけ人生になってしまう。生まれてきてよかった。生きるて、こんなに愉しいことなのかと、改めてしみじみと、想える。よき我が人生よと言いたくもなる。

以上のように、私にとって、ヤマギシズムは理想の人生・理想の生き方として、外にあるヤマギシズムではなく、内側にあると言える。内に芽ばえた、この新しい芽を育てつづけてきました。そうして、実践、実行したい生き方なのです。 山岸さん個人を 尊重はしょうとは思いますが、面識もなく、口をきいたこともなく、推測したり、推察したりすることに時間を割くよりも、例えば、自然との一体を追求して、その見方・考え方を身につけたいです。もしヤマギシが個人を意味する山岸ならば、それはイズムのことではないと想います。

なによりも、一人一人が幸福に生き、その人に連なる人々が幸せになり、社会全体に不幸な人が一人もいない社会になってしまう、そんな運動や活動に没頭できることが嬉しいです。
返信

冨岡修一 / 2020年2月14日


b)真理=愛 と言う表現、おおよそ真理は論理であり、科学的考察によって到達したり、発見されたりするものなのに、情緒的表現である愛と直結しイコールであると言っている。すなわち、この世が、この宇宙が愛によってつくられている。と宣言するかのように表現している。研鑽が冷静・客観を重要視するのに、それから一気に飛躍して愛と言う表現に行き着いている。私になにか大いなる転換とか飛躍をよびかけているように想えてしょうがない。かと言って、盲信しろ狂信しろ、とは言ってない。さらに考え続けたい。
このことについて、私の考察を書きたいと思います。
真理というのは、論理でも何でもないと思います。観察し得るあるがままであり、あるがままのの状態が成るがままに事象が生じることであろうと思います。その状態を私たちはただ見ているわけで、その状態を純粋に経験していればよいのですが、なかなかそうはいきません。思い込みや、ああしないとこうしないと、好き・嫌いといろんな色眼鏡で見てしまします。もっと大変なのは、自身を尊大に見せようとしたり、人の行動を支配しようとしたり、そんな本能的な衝動に近い反射的な行動などを平気でしていることにまずは気づいていないといけません。多分そこら辺に気付くことが出発点になるのだろうと思います。
自然の中で私たちは生きています。有るがままの状態で、成るがままの動きの中で、生命が存続維持されています。私たちが、個として生きていくということは、どうしても意図的に個中心の生き方になって生命を維持してしまいす。個と個がぶつかり合うことで、葛藤が起こりますが、そこで両者があるがままの視点で観ることができれば、お互いがお互いの客観的状況を認識しあえるからです。そうであれば、両者が共存できる素地ができます。そういう条件がそろって、お互いに自分自身を大切にすることが出来て、しかも他者を自分自身と同じように大切にすることができて、真の共存も状態になるように思います。これが西田幾多郎の言う”善”ではないかと思います。構成員のそれぞれが、あるがままをあるがままに観ることができて、自身と同じように他者をも大切にできて初めて幸福な社会になるように思う。最初は、家庭のような小さな世界でいいのではとも思う。欲望や思いや感情や気分に翻弄されないあるがままの真実を見ていける人で、自分を大切にし、そして自分自身をを大切にすると同じように他者を大切にする人が集まって、初めて豊かで幸せな世界ができるのではないと思う次第です。
返信


萩田直子(豊里) / 2013年4月16日


読んでみての感想です。

斜め読みでしたが。
公意行のところ、「こういこう」妙に納得した。いいと思う。
学園のことなど、反対意見もいろいろ取材しているところから村岡さんの人間性を感じました。
杉本さんのことは、村岡さんが感じたような感慨は自分にはないなあ。
もう少しさらりとした感じかな。
返信


むらnet編集部 / 2013年3月30日


村岡到さん宛に届いた渡辺一衛さん(元東京医科歯科大教授)の手紙です。
村岡到さんが発行している『プランB』第42号(6月1日刊)に掲載予定ですが、両人の承諾を得て、村ネットで紹介します。

渡辺一衛さんから村岡到さんへの手紙

貴著『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』いただきました。どうもありがとうございました。
短期間にたくさんの資料を読み通されたエネルギーに感心します。『プランB』の編集など、いろいろ忙しい中で大したものだと思います。
最近のヤマギシ会については、私は何も知らないので、非常に参考になりました。高齢化し、山岸巳代蔵さんを知っている人が少なくなっていくので、規模が小さくなるのはやむをえないと思いますが、とにかく老人たちが安心して暮らせる共同体を実現しているのは大したものですね。
私は一九七〇年の夏に特講に行きましたが、その時に参加者の案内役だったのが北大路さんでした。杉本利治さんについては、影の実力者としてうわさには聞いていましたが、どんな人なのかはまったく知らず、この本の記述で少し分かった気がします。子ども楽園村に熱心だったということですが、ということはただの生産力主義者ではなかったということですね。生産高を上げることだけに偏向したという批判がありましたが。
最近はヤマギシ会の内部の生活の規律が「緩くなった」と「エピローグ 青年たちの声」にありました。これはよいことだと思うのですが、その分、結集力は弱まるでしょうから、難しい問題ですね。いつまでも巳代蔵さんのカリスマ性にばかり頼っていくわけにもいかないでしょうから、新しい形が必要になるでしょう。
いずれにしても、「特講」という面白い討論の形式、子ども楽園村の経験など、この本でも指摘されているように、大切な経験として検討してゆく価値のあるものだと思います。私が親しかった多くの人たちはヤマギシ会への批判派になっているのですが、それも含めていろいろな面で貴重な経験であると思います。一九六〇年代に鶴見俊輔さんらの研究会(ユートピアの会)に出席されていた渡辺熊雄・操夫妻からもダブって献本されましたが、このご夫婦の持っている大らかさは、やはりヤマギシ会らしいものだと感心します。お二人に元気で長生きしてほしいと念じます。
この本によって、またヤマギシ会に興味を持つ人が新しく出てくるといいですね。ありがとうございました。
      二〇一三年三月二二日 渡辺一衛
返信


渡辺熊雄、操(春日山) / 2013年3月21日


村岡到様

「春よ来い。早く来い」という今頃です。

楽しみにお待ち致しておりました貴著『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』をお贈りくださいましてほんとうにうれしく拝読させて戴いています。

 山岸巳代蔵先生が、特講を受けなくても良い大仕事が出来る人もいる、とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりの村岡さんですね。

 第一章にヤマギシの老蘇達と子ども達、太陽の家の子ら、楽園村のことを書かれておられていることに、村岡様の生き方と人柄を感じました。

 また、私達夫婦のことを「春日山で矍鑠として生活している」とのお言葉、大変恐縮しております。この点も特講を受けておられないが、良い持ち味のお人柄だと思いました。

 私達夫婦は、特講で全人幸福社会づくりに命をかけてやって来ましたが、この道六十年近くになって、若人が育って来ました。おかげで、二人共「生きてるだけで良い」と思っております。

 御著書の「第4章 〈学育〉の挑戦とその弱点」を読みました。前からこの点について大いに研鑽の必要を感じていました。私達は「出発点は実践である」とか、「研鑽のあるところ行きづまりなし」の姿勢でやっていこうと今もしていますが。研鑽不足で後輩(一体の親子兄弟)には申しわけなく思っております。私達夫婦の子供や孫はその中にあっても、現在もヤマギシ会の経営やらその他の仕事にも情熱をもってやっていますから、必ず一人ひとりに合った真実の仕事をしてくれると確信しています。

 これからも宜しく御導きくださいませ。鶴見俊輔様と渡辺一衛様には、この本を昨日郵便で贈呈させて戴きました。ありがとうございました。

 かつて実顕地を出ていった人達にもこの本をお贈りして一緒に全人幸福社会目指してやっていこうと思っております。御力添えありがとうございました。

 機会がありましたら特講にもお出でくださいませ。東日本大震災の人達とも、他の悲しみを自分の悲しみと思い、自分の喜びは他の喜びとなるよう一つから発し、一つになり合っていく村づくりをやらせて戴きます。取急ぎお礼まで。

村岡様の御健康と御発展をお祈り致します。

   三月十六日 午前一〇時   渡辺熊雄、操
返信

実顕地広報部 / 2013年3月24日


渡邊熊雄・操様

村岡さんの「ユートピアの模索」読ませていただきました。
村岡さんが短期間に沢山の資料に目をとおして、この本を書かれたのに感心します。おかげで最近のヤマギシ会の様子を、いくらか分かった気がします
いずれにしても老人達が安心して暮らしておられる様子は嬉しいですね。
私も幸い何とかやっていますが、渡辺さんご夫妻も、今年もお元気で過ごされますよう。どうもありがとうございました。

東京都 渡辺一衛 (メールより)
返信


杉 豊(春日山) / 2013年3月21日


 今回の村岡さんの本は、よくできた本だと想います。
全集をはじめ、おおくの出版物を読み込み、裁判資料までも目をとうしいる。
また実顕地での取材もかさね、リアルなルポルタージュにもなっている。
 私としては、実顕地の現状を俯瞰することが出来たように想います。
特に、学育の到達点と挫折・「実践の書」の批判的検討・巳代蔵氏の限界・成功に幻惑されてなどの項目は、有志による、研鑽会などで、意見を出し合って深めたいと想います。
 村岡さんとは、今後も対話と交流を続けていきたいと思います。
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유토피아의 모색 - 야마기시 회의 도달 점 [서적] |


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유토피아의 모색- 야마기시회의 도달점 【 서적

Posted by 실현지 홍보부 | 2013년 3월 15일 PM 12시 27분 in 서적 도 씨 저 무라오카 도루 씨의 저작 「유토피아의 모색―야마기시회의 도달점」이 발행되었습니다. 매장에 늘어선 것은 좀 더 먼저 된다는 것입니다만, 전국의 서점에서 주문·구입할 수 있습니다. 
【실현지 홍보부】유토피아의 모색――야마기시회의 도달점 무라오카 도 로고스 2013.3.15간행 ISBN978-4-904350-27-0 C0030 46판 230  페이지 

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그런데 실제로 실현지를 몇번이나 찾아 깜짝 놀랐다. 거기에서는, 현재의 자본주의 일본에서는 생각할 수 없는 생활을 실현하고 있는 것을 알았기 때문이다.・돈을 위한 것이 아닌 일하는 방법을 실현・돈을 사용하지 않는 <무소유>의 생활・농업을 토대로 한 공동 생활을  실현 모두 힘든 과제이다. 노동의 동기를 어떻게 창조해 나갈지는 러시아 혁명 정도의 난문이며 <무소유>의 사상이야말로 물욕이나 영토 문제로 벽에 부딪히고 있는 현실을 돌파하는 열쇠이다. 농업의 중시도 자연파괴의 진행을 멈추는 핵심이다. 야마기시회는 현재 일본 농사조합법인의 톱에 서 있다. 노소 씨의 미소는 고령화 사회의 모범적인 삶의 방식을 나타내고 있으며, <학육>은 교육황폐를 바꾸는 근도이다.  「우리, 한 사람과 함께 번영하지 않는다」를 기표로 한 야마기시 아츠시 대장의 독창적 영위는, 창시 정도 60년의 오늘, 다시 한번 주목할 만한, 유토피아의 선구적 실천례를 이루고 있다. 그것은 19세기 사회주의자 윌리엄 모리스의 유토피아에도 통저하고 있다. 1500명의 사람들이 26개의 실제 현지를 만들고 해외 6개국으로도 퍼져 있는 것은 경이라고 할 수 있다.  야마기시회와 관련된 연구서를 읽고 있으면 "심해에 서는 물고기는 아마 끝까지 물이라는 것을 눈치채지 못할 것이다"라는 탁발한 은유가 인용되고 있었다. 거기서 생활하고 있는 사람들에게 있어서는 당연한 일이므로, 그 의미나 의의를 알아차리기 어렵지만, 실은 매우 크고 귀중한 경험을, 야마기시회는 쌓아 올리고 있다.  나는 1960년의 안보투쟁 정도 사회주의를 목표로 활동해 왔지만, 야마기시회가 실현하고 있는 생활은, 유토피아의 드문 실천예라고 말할 수 있다. 그래서 야마기시회의 이념과 실태에 대해 밝혀야 한다고 생각했다. 그리고 나는 <우애>가 매우 중요한 이념임을 가르쳤다. 관련 기사 「무라오카 도씨는 왜, 야마기시의 책을 쓰고 싶은 것인가」「아고라(언론 플랫폼)로 실현지가 소개되고 있습니다」 로고스 제작 전단 관련 기사 ... 11 개의 코멘트가 있습니다. (※신착순) 가스 가 야마미 현지 스기 토요 / 2013년 5월 15일 「유토피아의 모색」을 읽어 보아 Ⅱ- 이에 대해 나는 무라오카씨 응할 수 있도록 실현지에 몸을 두는 입장에서 문제점을 다음과 같이 재정의했다. 즉 '③현시점에서 언론에 의한 패싱·대량 탈퇴자와 재판·스즈카 그룹에 상징되는 내 부분열 문제·이러한 여러 문제를 지금 극복하고 있는 것처럼 보이지만 어떻게 대응하고 있는지 질문을 하고 있다. 』이 재정의에 따라 응해보고 싶은 물론 한 명의 실현지 멤버로서 또 한 명의 사안으로서이다. 첫째로 말할 수 있는 것은, 지금은 다른, 의견을 더욱 강조하는 멤버는, 지금의 실현지에는, 없다고 말하는 것, 그래서 서서히 조용히, 즐기면서, 누락 부분을 보충해 보수하는 부분을 보수하고 있다고 할 수 있다. 그러나 이 문제는 뿌리가 깊다고 생각한다. 이것은 성장이 흉내낸 역풍이 아니라 성장한 토대 부분이 내포한 여러 요소가 현상화했다고 할 수 있다. 그것은 성장이 시작될 때부터, 성장하고 있을 때라도 있던 문제라고 생각한다. 그것은 서로 다른 의견을 진정으로 연루하여 상호 이해 납득하고 융합하고 몸집을 제거하고 진정으로 의견이 다르더라도 서로 존중하고 다른 사람을 저지르지 못하게 되었기 때문이 아닐까 생각된다. 성장기가 시작될 때에도 다수의 의견과는 다른 소수의 의견이 있어, 이 다른 의견을 이해하고 존중하는 기풍까지는 이루어지지 않은 것 같다. 그럼 현상을 어떻게 보는지 묻는다. 내가 눈에 띄는 현상을 포착하면서 분석해보고 싶다. 따라서 나타나는 현상의 순서가 서로 앞뒤로 나타날 수 있습니다. (a) 무라넷 이것은, 실현지 멤버 이외에서도 보고 코멘트할 수 있는 점이 좋다고, 생각한다. 실현지의 현황과 실상을 실현지와 야마기시즘에 관심 있는 사람들에게 공개되고 있다. 이것이 실제 현지 내에 신선한 바람을 보내 정체와 뜸을 해소할 가능성이 있다. 넷의 편집 방침이, 폭넓게 정보나 의견을 모아, 게재하려고 하기 때문에, 화제가 풍부하고 양적으로 전 기사를 읽는 것이, 할 수 없는 날도 있다. 이제 종이 시대가 아니라 인터넷 시대라고 할 수 있다. 단지 다음 단계로서 한정 독자에 의한 이념이나 산양주의 탐구 전문 사이트의 개설을 들여다보고 싶다.










































































(b) 가스가 50년사 토요사토 40년사를 각각, 통사로서 읽어 보고, 큰 고비를, 맞이할 때 등에, 진짜로, 이로 정연하게, 그 단계에서 필요한 각 요소에 눈을 나누면서, 과제나 테마를 내세우면서도, 혼자 남지 않고, 그 과제나 테마를, 실천했는지, 어떨까라고 묻는다고, 나의 회답은, 과제나 테마를 해독해도, 실천 단계에, 진행되지 않는 사람, 하지만 그 사람은 과제나 테마를 무시하는 것은 아니지만, 이해조차 하지 않는 사람이 있다, 라고 하는 사실이라고 하는지, 실제라고 하는지, 그러한 현상이, 발생하고 있다고 하는 문제가 존재하고 있다. 이 문제를, 어쩔 수 없는 것이라든지, 그 사람의 문제로 하지 않고, 그것이야말로 어떤 운동이나 기획을 끝내고, 운동이나 기획을, 되돌아볼 때, 그 입장으로부터의, 되돌아봐도, 귀중한 시점으로서, 활용하고 싶다고 생각합니다. 특히, 운동이나 기획이 성공했을 때, 모르고 모르게 스스로를, 텐구에 만들어 버리지 않게, 자신과 마주하고, 자신을, 재검토하는 시점으로서 소중히 하고 싶다. 무라오카 씨가 성공했다고 말한 시대에, 우리는 어리석게도, 텐구가 되어 버린 것이 아닌가, 야마기시 씨의, 「관객의 박수 갈채에도, 불평에도, 혹 말하지 않는다”라는 계명의 말을, 알면서도, 그 정신이나 태도를 받아들이지 않는, 이 중요한 요지를, 배에 빠지지 않는 현실에 진심조차 나는 느낀다. 이러한 시점이 부족하거나 경시하고 있는 한, 본질적인 자세나 태도를 만들지 않은 채, 마치 내진 대책이 없는, 건물을 세울 위험성이 있다고 느끼고 있다.
(c) 현재의 실제 현지에는 새롭게 어떤 식으로든 표현할 수 있는 재료가 산란하고 있다고 할 수 있다. 일상적으로는, 이러한 재료가, 곧 사용할 수 있도록(듯이), 정리·정돈하고, 나머지는 어떻게 나타내는 것이 최적인가,를 찾아 시험을, 해 둔다. 상황을 보면서, 새로운 구상을 생각하는, 연루회를 열 기회를 창조해, 수립을 생각해 둔다. 그들의 전제로 서서 없어진 실현지에 대해 정중하게 대응하고 다음 구상에 살릴 수 있도록 노력할 것. 이상이 제 현상 인식과 대응책입니다. 「유토피아의 모색」을 읽어보고의 소감을 이것으로 완료합니다.
답신


가스가야마미 현지 스기 토요 / 2013년 5월 15일


「유토피아의 모색」을 읽어 보고 Ⅱ-2

‏ ②스기모토 이지씨의 평가에 대해.
88년에 참가한 나는, 스기모토씨가 죽어, 처음으로, 그 존재와 이름을 알았습니다. 측근 멤버였던 오노구치씨가 세워 이어져 죽었기 때문에, 스기모토 그룹이라고 불리는 그룹이 존재하는 것 같다. 스기모토씨의 전집에 게재된, 문장에서는, 유연한 리어리스트의 모습이 떠오릅니다. 또 눈에 띄지 않지만, 실력이 있는 사람이라고 상상하고 있습니다. 그런 스기모토씨를 중심으로, 분명히 완만한 그룹이라고 해도, 실현지에 있어서 중요한 문제에 중대한 역할을 완수한 것 같기 때문에, 그것은 더 이상 그룹이 아니고, 스기본체제라고 명명된 것으로 전환하지 않을 수 없는 상황을 낳았다고 할 수 있을 것이라고 추측합니다. 스기모토씨가, 겸허하면 있을수록, 원정한, 무슨이 되어 버려 실현지 멤버 전체로부터 보면, 것마다의 최종 연루가 불명료하게 되어, 예지 모르는 곳으로부터, 연루 결과가, 전해져 오는 실상이 되어 버린다. 이것이, 연루 싫어나 연루 불신을 낳고, 한편 한편으로 본질을 찾아내지 않고, 현장 대응으로 넋의 풍조를 만들어 버렸다. 이러한 상태를 방치할 수는 없기 때문에, 필연적으로, 통제 기능의 스위치를 ON 하지 않으면 안 된다. 그것은 각종 신세계에, 관리자적 경향·통제자적 경향을 발생시켜, 그 기능을 강화하는 역학이 일하게 되어, 연루 운영으로부터, 멀어지는 인상을 나는 느꼈다. 이런 일이 당시는 몰랐지만 '야마기시를 생각하는 네트워크'나 이후의 탈퇴자에 의한 재판 등의 근본 문제가 아닐까? 이러한 문제의 근본 해결은, 각자의 자율적 연루생활의 탐구가 해결의 길을 개척해 나간다고 생각합니다. 무라오카 씨는 스기모토 씨의 공죄를 치고 스기모토 씨의 개인에 맞지 않으면 안 된다고 귀중한 지적을 해 주셨다. 그 선을 따라 삼나무 본체제가 완수한 성과를 올리면 먼저 생산물 공급을 궤도에 올려 특강 수강자·참가자를 비약적으로 늘렸다. 연루학교의 과정을 체계화를 일정 정도 정비했다. 식생활·목욕 생활(직장 시간에서 생활 시간의 전환의 장소로 자리매김했다) 의생활은, 단순한 세련되지 않고, 합당함을 익히는 장소로 했다. 즉 생활의 장면의 이즘화에 어느 정도 성공했다고 할 수 있다. 또 큰 관점에서 보면 실현지 구조에 이념선행형과 경영선행형이라는 노선이 다른 방침의 차이가 있는 것 같다. 그것은, 야마기시 씨가 죽어, 유와코 씨들이, 나뉘어진 뒤, 이것 또 상세한, 정확한 정보가 없는 가운데, 말하지 않을 수 있을지가, 말해 주면, 64년이나 65년 무렵, 참가자의 받아들이기 창구가 시험장 창구와 실현지조정기관(둘 다 명칭은 확실하지 않다)이 있고, 토요사토 실현지가 생기는 시기에 그 둘이 하나가 되는 움직임이 있어 어느 확집을 수반하면서 사태는 진행한 것 같다. 그것은, 스기모토 씨보다 조금 한 연상의 사람들로부터, 실현지 운영의 주도권을 스기모토씨들에게 옮기게 되었다. 주도권을 잃은 사람들은 조용히 실현지에 머물거나 실현지를 떠나는지의 대응이 된 것 같다. 이런 흐름에 대해 일이 나타나지 않도록, 스기모토씨는 배려 있는 행위·행동에 철저한 것 같다. 이러한 과정이 발전기의 전사가 되었다. 따라서, 스기모토씨의 발전기 평가라고 하면, 이 전사 과정과 야마기시씨 존명중의 활동·역할등을 더하지 않으면, 전면적 정확한 평가를 내릴 수 없다고 생각합니다. 그렇게 말하고, 손을 닦아, 있을 수 없기 때문에, 나의 시안을 공표해, 관심 있는 사람과의 의견 교환을 하고 싶다고 생각합니다.
회신


가스가 야마미 현지 스기 토요 / 2013년 5월 15일


「유토피아의 모색」을 읽어 보고 Ⅱ-1

‏ 다음에 무라오카씨가 의문이라고 생각하고 있는 것은 ①실현지 멤버가, 야마기시씨를 어떻게 파악하고 있는지 ②각각에 비유되는 스기모토 이지씨를 어떻게 평가하고 있다 ③현시점에서 언론에 의한 패싱·대량 탈퇴자와 재판·스즈카 그룹에 상징되는 내 부분열 문제·이러한 문제를, 지금 극복하고 있는 것처럼 보이지만, 어떻게 대응하고 있는지,라고 질문을 발하고 있다.
①야마기시 씨를 어떻게 파악하고 있는가. : 먼저 간단하게 내 생각을 말했다.
여기서는 내가 알게 된 한 야마기시 씨상을 말하고 싶다.
(a) 야마기시 씨와 실험장
 섬세한 경위는 모르지만, 백만 마리 과학 양계의 목소리로 참집한 사람들이 실험장으로서, 가스가의 땅에서 닭 건물이나 숙소를 세워, 양계 경영과 집단 생활을 시작하고 있었다.
어쩌면, 닭 건물 건축·숙사 건설의 보고자로부터 경과를 들으면서, 중요한 포인트만을, 코멘트나 제안으로서, 내놓았을 것이다. 그 때의 야마기시씨는, 정리가 일체의 이야기만으로, 중요하다면, 있으면 있으면, 보기는 알기 어려운, 불친절한 태도나 말투로, 표현했을 것이라고 추찰합니다. 따라서, 어느 보고자나 문제점을 듣고 온 사람이, 나중에 생각해 보면, 굉장히 좋은 어드바이스라고, 눈치채는 의미심장한 말투, 태도였을 것이다. 게다가 보고자·질문자의 인간성을 고려한 것이었을 것이다. 그러니까 때로는 같은 문제인데, 정반대의 응답이 나왔을 것이다. 이런 야마기시 씨의 말투와 태도를 표면적으로 이어받는 사람이 많았을 것이다. 그것이 야마기시 씨를 신화화하기도 하고, 야마기시 씨 죽은 후, 참가한 사람에게 잘못된 이미지를 계속 준 절이 있다고 생각한다. 그래서 저는 드디어 야마기시 씨의 인간성을 알고 싶어서 환상과 실상이 섞인 이야기를 흥미 본위에 묻지 않도록 주의하고 있다. 그것보다 익숙한, 사이좋은 부부로부터 도대체 부부로의 대처를, 임하는 것으로, 야마기시씨를 만날 수 있으면 좋다고, 생각하고 있다.
(b) 야마기시씨와 후쿠리 유와코씨의 문제
유와코씨에 대해서는, 팜플렛과 1권의 책 밖에 읽지 않는, 죽을 때의 마지막 책입니다. 후에는, 전집과 2~3권의 야마기시씨와 함께 활동한 사람들의 책. 이것들을 자료로서, 내가, 고찰한 것을, 말하고 싶다. 유와코 씨를 만난, 야마기시 씨는, 가장 찾고 있던 여자의 사람을 겨우 찾아냈다고, 생각했을 것이다. 찾고 있던, 여인의 조건이란, 무아집의 남녀의 사랑을, 현현할 수 있는 소질을 가지고 있다, 그리고, 인생의 수라장을 체험하고 있는 사람, 나름대로 미인인 사람. 확실히, 유와코씨는, 딱 맞는 사람. 단지 인명감정에서 보면, 본명이 가타카나로, 자수가 적은 것은, 인간으로서, 그릇이 작은 것이 발걸음이 되기 때문에 일부러 가타카나를 한자로 고치고, 아이의 한자를 더해, 행동력을 늘려, 무가집의 사랑의 실천자·현현자가 될 수 있도록 운명의 전환·새로운. 문제는 무아집의 남녀의 사랑을 해명하고 체득하고 체현하는 것이었다. 현재의 남녀의 교제는 따로 자라 성장해, 만나, 끌리고, 결혼에 이르고, 결혼 생활이 두 사람을, 떠나게 하는 에너지를 낳고, 각각이 내면적 갈등을 체험해, 외면적으로 푹 빠지기도 한다. 이를 근본적으로 해결하고 사랑의 기능이 발휘되어 서로를 살리는 관계, 모두를 나누는 관계 모든 것과 살려 활용되는 관계 본래인은 그러한 기능을 겸비하여 발휘할 수 있는 것인데 현실은 본래 있는 무아집의 사랑이 실현되지 않는 상태가 이어지고 있다. 야마기시씨가 죽는 오카야마 유키의, 직전에 두 사람은 무아집의 사랑을 체득한 상태였던 것 같다. 다만 주위의 사람에게도, 야마기시 씨와, 유와코씨가 애정 문제를 둘러싸고, 임하고 있다고는, (이)라고는 (듣)묻고도, 비록 대처의 내용을 (들)물어도, 받아들이기 어려운 상태일 것이다. 단지 두 사람이 격렬하고 엄격하고 진지하게 임하는 것은 알았지만 진정한 결혼에 종사하는 사람만이 두 사람의 대처 내용을 이해할 수 있을 것이다. 진정한 결혼 노력의 조건이 갖추어진 사람으로부터 시작되는 환경은, 지금의 실현지에는, 있다고 할 수 있다. 이것이야말로 선인들의 무아집·무소유의 선물이라고 생각한다. 나의 경우 「내 본의·진의를 아내의 마음에 전한다」부터 시작하고 있습니다.
답신


무라오카도(도쿄) / 2013년 5월 1일


「유토피아의 모색」의 독자 엽서를 본인의 양해를 얻어 전재합니다.

효고현 O・J 보육사 51세
무라오카씨가 공평 중립에 야마기시를 파악하려고 하고 있는 것을 느꼈습니다.
저는 어린 시절부터 키부츠와 현실 마을에 동경했기 때문에, 야마기시를 알고 매우 놀랐고, 대단하다고 생각했습니다.
지식에 얽매이지 않고 모든 것을 생각해 보자는 삶의 방식을 50세가 되어 조금이라도 해 나가고 싶습니다.

야마기시의 마을 사람들에게도 힘을 받고 있습니다.
무라오카 씨, 특강 해보세요.
답신


스기 토요 카스가야마미 현지 / 2013년 4월 24일


「유토피아의 모색」 속에서, 무라오카씨의 의문·이상한 것으로서, 사회를 소란시키는 사건을 일으켜, 그리고 기인·변인이라고도 불리는 사람의 이름을 조직명에 계속 사용하면서, 오늘까지 왜, 존속할 수 있었는가. 라고의, 의문은 신선하고 참가자의 자신에게 있어서는, 생각도 못하는 시점이라고도 생각했습니다. 다시 나 나름대로 무라오카 씨에게 응하려고 생각하면, ①왜 참획했는지, ②참가해 무엇을 하고 싶은지, ③자신에게 있어서 야마기시즘이란 무엇인가의 설문이 되어 자신에게 물어볼 수밖에 없었습니다. 이 설문에 응해 보려고 생각한다.

①왜 참가했는지 : 20~25세까지 노동조합 활동에 전념했지만 좌절했다. 그래도 진짜 사회, 모두가 행복하게 살 수 있는 사회를 만들고 싶다는 소원을 버리지 못하고 암중 모색하고 있었다. 29세 때 특강을 받았다. 특강으로 투쟁을 하지 않고, 행복 사회를 할 수 있다. 라고 알았을 때, 하고 싶은, 이것이라면 좌절하지 않고 할 수 있을 것이라고 생각했다. 또, 자신의 결정적 구애를 스스로 빼면 그만큼 자신이 자유롭게 되어 솔직한 마음으로 사람과 이야기를 할 수 있다. 연루가 되어 간다.

②참가하여 무엇을 하고 싶은가 : 참가하여 야마기시즘을 체득하고 행복사회 만들기에 매진하고 싶다. 실현지는 「진리실천의 사회활동체」라고 생각한다.

③자신에게 있어서 야마기시즘이란 무엇인가: 특강·연루학교를 통해서 단순한 논리로는 파악할 수 없는 나를 끌어들이는 매력이 야마기시즘에는 있다.

(a) 영위 인간의 생각이 들어가지 않는 것으로 여겨지지만, 그것은 무엇이다? 생각하는 것은 인간일 것이다, 그 인간 누키의 생각이란?

(b) 진리=사랑이라는 표현, 대략 진리는 논리이며, 과학적 고찰에 의해 도달하거나 발견되는 것인데도, 정서적 표현인 사랑과 직결되어 이콜이라고 말하고 있다. 즉, 이 세상이 이 우주가 사랑에 의해 만들어지고 있다. 라고 선언하는 것처럼 표현하고 있다. 연루가 냉정·객관을 중요시하는데, 그로부터 단번에 비약해 사랑이라는 표현에 다가가고 있다. 나에게 뭔가 큰 전환이라든지 도약을 뒤쫓고 있는 것처럼 생각할 수 없다. 라고 말해, 맹신해라 광신해라, 라고는 말하지 않는다. 더 계속 생각하고 싶다.

(c) 행복회 야마기시회 취지에 「6, 물심 양면 모두, 타를 침범할 필요 없고 협력 사회를 지향한다.」라고 해, 내가 생각하고 그린, 이상 사회·이상적 생활 방식이 간결하게 써 있다고 느낍니다. 바로 내 유토피아입니다. 한사람 한사람이 각자의 과제나 테마에 임해, 날마다 창의 궁리·발견의 연속으로 즐거운 매일을 살고, 문득 옆의 사람을 보면, 솔직한 온화한 눈을 하고, 정기적으로 넘치는 어, 말을 나누면, 이것 또 이야기가 벗어나는, 즐거운 대화 속에서, 그룹에서의 탐험 여행이나, 새로운 방법으로 사회 실험의 이야기나, 재미있는 대화가 붙지 않는다. 그렇게 말하는 인간관계가 생겨버린다. 이상적인 인간사회가 엿보인다.

(d) 야마기시는 종교가 아니다. 그런데 「가르치는 것보다 철학적으로, 현실적으로, 진리와 방법을 서로 탐구하고, 행동하는, 진리 실천 사회 활동체입니다.」라고 하고, 아무 일도 솔직한 눈으로 보고, 신선한 감각·생각으로, 사물에 닿아 간다. 사람이 함께 사는 기쁨으로 넘치는 사회일 것이다고 생각한다. 이상 사회 실현의 그 과정 그 자체가 유쾌하고 즐겁고, 사람이 모이는 것 자체가 기쁨을 예감시켜, 즐거운 만큼의 사람과 사람의 연결. 그 사람의 고리가 퍼지게 퍼져 기쁨의 즐거움의 연쇄가 멈추지 않는다. 그런 세계가 자연스럽게 만들어 버린다. 이것이 즐거운 만큼 인생이 되어 버린다. 태어나서 좋았다. 살아서, 이렇게 즐거운 것일까, 다시 한번 신선함, 생각할 수 있다. 좋은 내 인생이라고 말하고 싶어진다.

이상과 같이, 나에게 있어서, 야마기시즘은 이상적인 인생·이상의 삶의 방법으로서, 밖에 있는 야마기시즘이 아니라, 안쪽에 있다고 말할 수 있다. 안에 새싹이 새는 새싹을 키워 계속해 왔습니다. 그렇게 해서 실천, 실행하고 싶은 삶의 방식입니다. 야마기시 씨 개인을 존중은 생명이라고 생각합니다만, 면식도 없고, 입을 오른 적도 없고, 추측하거나, 추찰하거나 하는 것에 시간을 할애하는 것보다, 예를 들면, 자연과의 일체를 추구해, 그 견해·사고방식을 익히고 싶습니다. 야마기시가 개인을 의미하는 산기슭이라면 이즘이 아니라고 생각합니다.

무엇보다도, 한사람 한사람이 행복하게 살고, 그 사람에게 이어지는 사람들이 행복해지고, 사회 전체에 불행한 사람이 한사람도 없는 사회가 되어 버리는, 그런 운동이나 활동에 몰두할 수 있는 것이 기쁩니다.
답신 토미

오카 슈이치 / 2020년 2월 14일


b) 진리=사랑이라는 표현, 대략 진리는 논리이며, 과학적 고찰에 의해 도달하거나 발견되는 것인데도, 정서적 표현인 사랑과 직결되어 이콜이라고 말하고 있다. 즉, 이 세상이 이 우주가 사랑에 의해 만들어지고 있다. 라고 선언하는 것처럼 표현하고 있다. 연루가 냉정·객관을 중요시하는데, 그로부터 단번에 비약해 사랑이라는 표현에 다가가고 있다. 나에게 뭔가 큰 전환이라든지 도약을 뒤쫓고 있는 것처럼 생각할 수 없다. 라고 말해, 맹신해라 광신해라, 라고는 말하지 않는다. 더 계속 생각하고 싶다.
이것에 대해 내 생각을 쓰고 싶습니다.
진리라는 것은 논리도 아무것도 아니라고 생각합니다. 관찰할 수 있는 있는 그대로이고, 있는 그대로의 상태가 되는 그대로에 사건이 생기는 것이라고 생각합니다. 그 상태를 우리는 단지 보고 있는 것으로, 그 상태를 순수하게 경험하고 있으면 좋지만, 좀처럼 그렇게는 되지 않습니다. 추억이나, 아하지 않으면 이렇게 하지 않으면, 좋아·싫다고 여러가지 색안경으로 봐 버립니다. 좀 더 힘든 것은, 자신을 존대하게 보이려고 하거나, 사람의 행동을 지배하려고 하거나, 그런 본능적인 충동에 가까운 반사적인 행동 등을 평기로 하고 있는 것에 우선은 눈치채지 않으면 안됩니다. 어쩌면 그 근처에 알아차리는 것이 출발점이 될 것이라고 생각합니다.
자연에서 우리는 살아 있습니다. 존재하는 상태에서 이루어지는 상태의 움직임 속에서 생명이 존속 유지되고 있습니다. 우리가 개인으로서 살아간다는 것은 아무래도 의도적으로 개인 중심의 삶의 방식이 되어 생명을 유지해 버린다. 개와 개가 부딪치는 것으로, 갈등이 일어납니다만, 거기서 양자가 있는 그대로의 시점으로 볼 수 있으면, 서로가 서로의 객관적 상황을 인식할 수 있기 때문입니다. 그렇다면 양자가 공존할 수 있는 땅이 생깁니다. 그러한 조건이 갖추어져, 서로 자신을 소중히 할 수 있고, 게다가 타인을 자신과 같이 소중히 할 수 있어, 진정한 공존도 상태가 되도록 생각합니다. 이것이 니시다 기타로가 말하는 "선"이 아닐까 생각합니다. 구성원의 각각이, 있는 그대로를 있는 그대로 볼 수 있어, 자신과 같이 타자도 소중히 할 수 있어 처음으로 행복한 사회가 되는 것 같다. 처음에는 가정과 같은 작은 세계에서 좋은 것이라고 생각한다. 욕망이나 생각이나 감정이나 기분에 농락되지 않는 있는 그대로의 진실을 볼 수 있는 사람으로, 자신을 소중히 하고, 자신을 소중히 하면 똑같이 타인을 소중히 하는 사람이 모여, 처음으로 풍부하고 행복한 세계가 생기는 것이 아니라고 생각하는 몫입니다.
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다 나오코(토요사토) / 2013년 4월 16일


읽어 보는 감상입니다.

대각선 읽기였지만.
공의행의 곳, 「이런 이렇게」묘하게 납득했다. 좋다고 생각한다.
학원의 일 등, 반대의견도 여러가지 취재하고 있는 곳으로부터 무라오카씨의 인간성을 느꼈습니다.
스기모토씨는, 무라오카씨가 느낀 것 같은 감개는 자신에게는 없구나.
좀 더 산뜻한 느낌일까.
답신


무라 net 편집부 / 2013년 3월 30일


무라오카 도리씨에게 도착한 와타나베 이치에씨(전 도쿄 의과 치과대 교수)의 편지입니다.
무라오카 도우씨가 발행하고 있는 「플랜 B」 제42호(6월 1일간)에 게재 예정입니다만, 양인의 승낙을 얻어, 마을 넷에서 소개합니다.

와타나베 이치에 씨로부터 무라오카 도루씨에게의 편지

귀저 『유토피아의 모색――야마기시회의 도달점』 받았습니다. 정말 고마워요.
단기간에 많은 자료를 읽을 수 있는 에너지에 감탄합니다. 「플랜 B」의 편집 등, 여러가지 바쁜 가운데 큰 것이라고 생각합니다.
최근의 야마기시회에 대해서는, 나는 아무것도 모르기 때문에, 매우 도움이 되었습니다. 고령화하고, 야마기시 토요시로씨를 아는 사람이 적어져 가기 때문에, 규모가 작아지는 것은 부득이하다고 생각합니다만, 어쨌든 노인들이 안심하고 살 수 있는 공동체를 실현하고 있는 것은 대단하네요.
나는 1970년의 여름에 특강에 갔습니다만, 그 때 참가자의 안내역이었던 것이 키타오지씨였습니다. 스기모토 리지씨에 대해서는, 그림자의 실력자로서 소문에는 듣고 있었습니다만, 어떤 사람인가는 전혀 모르고, 이 책의 기술로 조금 알았던 생각이 듭니다. 아이 낙원촌에 열심이었다고 하는 것입니다만, 이라고 하는 것은 단지 생산력주의자가 아니었다고 하는 것이군요. 생산고를 올리는 것만으로 편향했다는 비판이 있었지만.
최근에는 야마기시회의 내부 생활의 규율이 「느슨해졌다」라고 「에필로그 청년들의 목소리」에 있었습니다. 이것은 좋은 일이라고 생각합니다만, 그만큼, 결집력은 약해지기 때문에, 어려운 문제군요. 언제까지나 巳代蔵씨의 카리스마성에 의지해 가는 것에도 가지 않을 것이기 때문에, 새로운 형태가 필요하게 될 것입니다.
어쨌든, 「특강」이라고 하는 재미있는 토론의 형식, 아이 낙원촌의 경험 등, 이 책에서도 지적되고 있는 것처럼, 중요한 경험으로서 검토해 가는 가치가 있는 것이라고 생각합니다. 제가 친했던 많은 사람들은 야마기시회에 대한 비판파가 되고 있습니다만, 그것도 포함해 여러가지 면에서 귀중한 경험이라고 생각합니다. 1960년대에 쓰루미 슌스케씨들의 연구회(유토피아의 모임)에 참석하고 있던 와타나베 쿠마오·조부부로부터도 다브라고 헌본되었습니다만, 이 부부가 가지고 있는 대충은, 역시 야마기시회다운 것이라고 감탄합니다. 두 사람에게 건강하고 오랫동안 살기를 바랍니다.
이 책을 통해 또 야마기시회에 흥미를 가진 사람이 새로 나오면 좋네요. 고마워요. 2013년
      3월 22일 와타나베 이치에 답신 와타나베 쿠마



, 조(가스가야마) / 2013년 3월 21일


무라오카 도모양

“봄여 와라. 빨리 와”라는 지금 무렵입니다.

기대에 기다리고 있었습니다 귀저 『유토피아의 모색――야마기시회의 도달점』을 보내 주셔서 정말 기쁘게 배독시켜 대하고 있습니다.

 야마기시 아츠시 오조 선생님이, 특강을 받지 않아도 좋은 대일을 할 수 있는 사람도 있다,라고 말씀하셨습니다만, 바로 그대로의 무라오카씨군요.

 제1장에 야마기시의 노소들과 아이들, 태양의 집의 아이들, 낙원촌을 쓰고 있는 것에, 무라오카님의 삶과 인품을 느꼈습니다.

 또, 우리 부부를 「카스가산에서 드라이로 생활하고 있다」라는 말, 매우 죄송합니다. 이 점도 특강을 받고 있지 않지만, 좋은 특색의 인품이라고 생각했습니다.

 우리 부부는, 특강으로 전인 행복 사회 만들기에 생명을 걸어 왔습니다만, 이 길 60년 가까이가 되어, 젊은이가 자라 왔습니다. 덕분에 둘이 "살아있는 것만으로 좋다"고 생각합니다.

 저서의 「제4장 〈학육〉의 도전과 그 약점」을 읽었습니다. 전부터 이 점에 대해 많이 연루의 필요를 느꼈습니다. 우리는 "출발점은 실천이다"라든지, "연루가 있는 곳 가서 막힘 없음"의 자세로 해 나가려고 지금도 하고 있습니다만. 연루 부족으로 후배(일체의 부모와 자식 형제)에게는 죄송합니다. 우리 부부의 아이나 손자는 그 안에 있어도, 현재도 야마기시회의 경영이나 그 외의 일에도 열정을 가지고 하고 있기 때문에, 반드시 한사람 한사람에게 맞는 진실의 일을 해 준다고 확신하고 있습니다.

 앞으로도 잘 부탁드립니다. 쓰루미 슌스케님과 와타나베 카즈에님께서는 이 책을 어제 우편으로 증정시켜 주셨습니다. 고마워요.

 한때 실제 현지를 나간 사람들에게도 이 책을 선물하고 함께 전인 행복 사회 목표로 해 나가려고 합니다. 도움을 주셔서 감사합니다.

 기회가 있으시면 특강에도 보내주십시오. 동일본 대지진의 사람들 모두, 다른 슬픔을 자신의 슬픔이라고 생각해, 자신의 기쁨은 다른 기쁨이 되도록 하나로부터 발해, 하나가 되어 맞아 가는 마을 만들기를 하게 해 대합니다. 급한 답례까지.

무라오카님의 건강과 발전을 기원합니다.

   3월 16일 오전 10시 와타나베 쿠마오, 조
답신

실 현지 홍보부 / 2013년 3월 24일


와타나베 쿠마오·조모

무라오카씨의 “유토피아의 모색” 읽어 주셨습니다.
무라오카씨가 단기간에 많은 자료에 눈을 돌려 이 책을 쓰는데 감탄합니다. 덕분에 최근 야마기시회의 모습을 얼마인지 알게 된 것 같습니다.
어쨌든 노인들이 안심하고 살고 계시는 모습은 기쁘네요.
저도 다행히 어떻게든 하고 있습니다만, 와타나베씨 부부도, 올해도 건강하게 보낼 수 있도록. 정말 고마워요.

도쿄도 와타나베 이치에 (메일보다)
답신


스기 토요(카스가야마) / 2013년 3월 21일


 이번 무라오카씨의 책은, 잘 생긴 책이라고 생각합니다.
전집을 비롯해 대개 출판물을 읽고 재판자료까지도 눈길을 끈다.
또한 실제 현지에서의 취재도 부피, 리얼한 르포르타주로도 되어 있다.
 저로서는, 실현지의 현상을 부감할 수 있었던 것처럼 생각합니다.
특히, 학육의 도달점과 좌절·「실천의 서」의 비판적 검토・토시요조씨의 한계・성공에 환혹되어 등의 항목은, 유지에 의한, 연루회 등에서, 의견을 나누어 깊게 하고 싶다고 생각합니다.
 무라오카씨와는, 향후도 대화와 교류를 계속해 가고 싶습니다.
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