2016/10/20

武士道 (岩波文庫 青118-1)

 武士道 (岩波文庫 青118-1)

5つ星のうち4.0クリスチャンによる武士道

投稿者asatobon2003年12月15日

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この本を読むときに、よろしければ気にとめて頂きたい点があります。

それは、著者、翻訳者ともにキリスト教徒であると言うことです。

(本の内容については、他の方々が既に充分な書評をかかれております。)

新渡戸稲造はクエーカー派と呼ばれるキリスト教徒です。

クエーカーは「内なる光」という直感的な「良心」を重視し、

「沈黙の礼拝」を行います。日本の座禅ににている礼拝で、

儀式もなく、聖書に元ずく平和主義で知られているグループです。

アメリカ・イギリス両クエーカーの団体は1947年に

ノーベル平和賞を受賞した経験があります。

一方、翻訳者の矢内原忠雄は内村鑑三の流れを汲む「無教会」という

キリスト教の伝道者で、戦後2代目の東京大学総長に選ばれており、

激務にありながら、毎週日曜日は集会で「聖書講義」を行った方です。

第二次大戦中は、非戦論者として知られました。

そのために、東大教授職を追われた方です。

私たちは、この「武士道」を読むに当たり、

なぜこの純日本的とも言われる武士道精神が、

俗に言う「西洋の宗教」であるキリスト教の信者によって書かれたのか、

静かに考えてみることは、意味があることではないでしょうか。

なぜこの本が、非キリスト教徒によって

書かれることがなかったのか、考えることは大事であると思います。

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5つ星のうち5.0武士道はいまだ死せず

投稿者grd22001年9月17日

形式: 文庫

武士道は、日本を表徴する桜の花と同じように、わが国土に固有の花である。

『武士道』第1章はこうした象徴的な一文から始まる。

桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。

薔薇は強い芳香を持ち、優雅に咲く花である。しかし、その美しさの裏側には棘があり、枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着がある。

一方、我々は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出し、その淡い芳香に飽きることがない。

このように、西洋のものが「生の哲学」であるなら、

日本のそれは「死の哲学」であると言っていいであろう。ただしこの「死の哲学」は、「死」を奨励するという種類のものではなくて、むしろ人生をいかに生きるべきかという求道的倫!理的な問題を、万人にとって絶対的な存在である死を出発点として扱おうとする問題意識のことなのである。死というものを身近に感じ、これを受け入れ、日々これに対面することによって死から解放され、むしろ「生きる覚悟」というものが確固としたものとなり得るのである。

これに対して、我々が多く学んできた西洋の「生の哲学」がもたらしたものは利殖と保身と享楽の追及でしかなかった。

このような認識のもとに立つことが出来れば、我々は今一度、「武士道」という精神に学ぶことが大きいであろう。

『武士道』はつまり、

いかに死ぬべきかを問うたものではなく、

いかに生きるべきかという問いに対して

闊達自在な日々の心構えを説いたものだからである。

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5つ星のうち4.0確かに名著でした。

投稿者itgakiVINEメンバー2006年10月29日

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「武士道」は封建社会の遺物であり、現代の生活には馴染まない、そんな先入観を持って読みました。が、書かれている事は、武士道が古から日本人の道徳観念を支えていたという事実であり、その書かれている事は本質的で、現代の生活そして生きていく上での姿勢にも十分参考になるものでした。



筆者も認めているように、かつてでも武士道を誤って認識している輩も多かったらしい。例えば、切腹についても軽軽しく腹を切って済ます(それでも凄いけど)ことで潔さを表しているが、本来はそれは犬死であり、軽軽しく死を扱わないことが本来であること。切腹をするからには、その武士道の精神に則った大儀があるべきことが書かれています。武士道にはそのような側面があることや、解釈に誤解があったこととあわせて論じているので、一層武士道の本質が判りやすくなっている印象でした。



前書きにもありますが、日本人の道徳教育は何によってなされてきたかを、異国の人に説明するために書かれた本です。ですので、外国(主にヨーロッパ)の宗教(=キリスト教)や哲学との比較、引用が多く、改めて納得できる事例も多いです。改めて筆者である新渡戸稲造氏の博学には驚かされました。しかも文章も非常に綺麗!本当に凄い人ですね。



私のように何も知らない人間は、「武士道」と聞くだけで右翼的なイメージを持ってしまいます。そのため、この名著と接する機会を逸してきたことを考えると、その本の本質である「日本人の道徳観念」の方を題名とする方が、現代では読まれる機会が増えるのだろうに、とも感じました。



本当は、そんな世の中への迎合より、「武士道」という観念が広がっていくことを願っていますが…。



とにかく、一度読んでみることをお薦めします。

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5つ星のうち5.0「武士道」をもって「日本人」を世界に説明する書

投稿者青ち2005年1月11日

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菅野覚明『武士道の逆襲』(講談社現代新書)に触発されて読んでみた。

本書には、津田左右吉から上に挙げた菅野に至るまで、「実際の武士のあり方を表現していない」という批判がついて回る。「実際の武士」の「武士道」とはどのようなものか、という問題については菅野に譲るとしよう。ここでは、この本はもともと英語で書かれているということ、言い換えれば西洋人に読まれることを前提として書かれたのだ、という点に注意を喚起しておきたい。

新渡戸は必ずしもこの本で武士道そのものを詳述することを目指したのではない。西洋世界に「日本」をいかに説明するか。しかも非西洋でありながら西洋に通じる普遍性があるということをいかに主張するか。彼の関心はそこにこそあったのである。

したがって、この本から読み取れるのは、武士そのもののあり方ではない。アメリカの地で、1899年の時点で、新渡戸が「西洋に相対する日本」をいかにイメージしていたか、ということである。つまり、この本は「武士の時代」の本ではなく、あくまで「明治=近代」の本なのである。

そうした点を踏まえて読めば、得るところはすこぶる多い。近代日本の自己主張の原型が、そこにはある。

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5つ星のうち3.0翻訳本

投稿者カスタマー2004年2月9日

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「武士道」は自分の精神的なルーツを知る上で、現代の日本人は必ず読んでおくべき書物であると思います。百年前に、これを残してくれた新渡戸稲造に現代日本人は感謝すべきです。二十年近く前に初めて読んだときに、私の根底にあるものを気付かせてもらった一冊で、偉く感動を覚えたものです。

 ただ、これは、あくまで翻訳本なので、訳者を選ぶ必要もあります。この岩波文庫版は翻訳が古すぎて(笑ってしまう程ーごめんなさい)、今の時代の人にはとても読みにくく、理解しにくいと思います。原書で読んだほうがわかりやすいとさえ思いました。

ぜひ、現代語訳版で読んでください

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5つ星のうち5.0サムライと美

投稿者ひできVINEメンバー2004年1月10日

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「ザ・ラスト・サムライ」を見た。ひさびさに「武士道」を読みたくなった。ハリウッド映画に日本の美がなんであったか、日本の武士道がなにであったかを、こんなにヴィジュアルにみせつけられるとは思っていなかった。この主演俳優であるトム・クルーズが撮影中にぼろぼろになるまで読んだというのが本書の英語でかかれた原著であるという。

国際連盟で活躍した新渡戸稲造は、本書によって広く世界に知られたという。ブリティッシュコロンビア大学の新渡戸記念公園とライブラリーを訪問したときのことが思い出される。現在にいたるまで新渡戸稲造の記念碑的な施設が十分に維持管理されていることに新渡戸稲造の遺徳の大きさを見た。

そして、今「武士道」がトム・クルーズや渡辺謙の姿を通じて世界の新たな世代にプレゼンテーションされたことに感動を覚える。世界の人々も「ザ・ラスト・サムライ」を見て本書を読みたくなってくれることを祈りたい。

しかし、新渡戸稲造が描いた独特のストイシズムに基づく日本人の美しさはどこへいってしまったのだろう。節制と恥じを基調とし、なにごとも完璧を求めた人の生き方としての美しさ、世代を超えた稲作による山河の美しさ、伝統的な着物や建物の美しさ。もし「ザ・ラスト・サムライ」と本書だけで日本を知った人が現在の日本を見たら、どのような感想をいだくのだろうか。

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5つ星のうち4.0何度も読まないとその本質の理解には至らないかもしれません

投稿者ひつじ日和2015年9月29日

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武士道における重要な考え方を体系的に述べています。

義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・克己・切腹 など。



もともとは英語の本で、海外に向けて書いてあります。

そのためか、海外の思想との比較がありますが、その比較が日本人(特に現代の日本人)には難しいと思いました。

そこがかなり難解に思われるかもしれません。



ただ、日本人の基本的な考え方になっている事は理解できます。

知っておいて損はない知識ではないでしょうか。

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5つ星のうち5.0読むまでこれほど大きな視野で書かれているとは知らなかった

投稿者草雲雀VINEメンバー2006年10月22日

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武士道の本というと、もっと右寄りの偏った論理で進まれていると思いきや完膚なきまでにその誤った予測を否定された。グローバル的な大きな視野、知識、見聞のもと書かれており、通常の(というと語弊があるかも知れないが)人のレベルでは到底及ばない量、質、範囲の事例を使用して武士道を説明している。その事例は日本よりむしろ海外の例に枚挙を厭わない。



かつ、内容は本質をついておりまず一読するに越したことはないと思われる。



批判はそれからで良い。だが、批判するのも著者の知識に及んでからと考えると気が遠くなるが・・・

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5つ星のうち5.0不朽の日本人理解の手引き

投稿者陽気妃2003年11月17日

形式: 文庫

新渡戸稲造がベルギーの高名な法学者を訪問した折に、話が宗教に及び、その博士が容易に忘れられない口調で「宗教なしとは!道徳教育はどうやってほどこすのですか?」と聞いた。それが「武士道」著作の発端である。

 欧米人が理解できるようにと、解説のための事例をかなり広範な欧米の書物から引用しており、新渡戸の博学さに驚かされる。1900年に出版されて以来、多くの言語に翻訳され世界中で読まれ、いまだ日本にはこの「武士道」を超える日本人の気質の解説書が出ていないといわれている。グローバライゼーションの世紀を迎えた今、「日本人とは?」「世界に映る日本とは?」などの命題に参考となる一書。

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武士道 (講談社バイリンガル・ブックス) (英語) ペーパーバック – 1998

武士道 (講談社バイリンガル・ブックス) (英語) ペーパーバック – 1998/6/10
新渡戸 稲造  (著), 須知 徳平 (翻訳)
5つ星のうち 4.5    21件のカスタマーレビュー
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著者からのコメント
FOREWORD [opening pages]

A little over one hundred years ago, Nitobe Inazo (1862-1933), then a thirty-six-year-old scholar visiting the United States, wrote the following in a letter to William Griffis, author of many books on Japan:

"... I have begun a paper on Bushido -- Precepts of Knighthood -- as an essential of Japanese character, in fact, as a key to understand the moral sentiment of her people."

This is the first reference we have of Nitobe's plan to write this book, which appeared in American bookstores early in 1900. A few years later, riding upon the wave of interest generated by the Russo-Japanese War, an enlarged edition of the book became a best-seller and launched Nitobe into the role of publicist for Japan. While serving as a cultural mediator for over three decades, Nitobe also distinguished himself in other diverse fields as an educator, author, and public servant.

Born into a high-ranking samurai family of the Nambu domain in Morioka prefecture, Nitobe entered the Sapporo Agricultural School in 1877, where he came under the influence of Christianity. He formally joined the Society of Friends (Quakers) while studying at Johns Hopkins University in the United States (1884-87), and remained throughout his life a devout member. Nitobe pursued his advanced studies at several universities in Germany (1887-90), where he received his doctorate in agricultural economics; and, before returning to Japan, he married an American Quaker, Mary Elkinton, which strengthened his personal ties to the U.S.

After a teaching stint at his old alma mater, the Sapporo Agricultural School, Nitobe moved to a position as a colonial administrator in Taiwan (1901-03) under General Kodama Gentaro and Goto Shimpei. Through the latter's connection, he was appointed to a professorial post at Kyoto Imperial University; later, he served as headmaster at the prestigious First Higher School (1906-13); and finally as professor of colonial policy at Tokyo Imperial University (1913-19). Nitobe also had many affiliations with other schools, including Tsuda College, Takushoku University, and Tokyo Women's Christian University, where he served as its first president.

In the latter part of his illustrious career, Nitobe worked as an under-secretary general at the League of Nations (1920-26); served as a member of the House of Peers (1926-33); and was the Japanese Chairman of the Institute of Pacific Relations (IPR; 1929-33), an organization created to improve relations among Pacific-rim nations.

Nitobe's experiences as a young man abroad in the 1880s provided him with the inspiration to write Bushido. He writes in his Introduction that the idea first germinated after a visit with the Belgian scholar, M. de Laveleye. The latter had asked how Japanese taught moral education to young people. Unable to answer as he was, the question had lingered in his mind. His wife Mary, too, had frequently asked him thought-provoking questions about Japan. Thus, after many years, it dawned on him that "it was Bushido that breathed the answers into my nostrils."

Bushido, we see in retrospect, owes its existence to an unexpected crisis in Nitobe's life. While at the Sapporo Agricultural School, Nitobe suffered a severe nervous breakdown that left him unable to work. Taking a leave of absence to regain his health -- Nitobe seems to have been a workaholic -- he was finally afforded the leisure to contemplate his subject without distraction, and to put his Bushido ideas into writing. After spending time first in Kamakura, then in Shonan, Nitobe next took his family to the United States, to Monterey in northern California, where he wrote most of the book.

A family friend, Anna Hartshorne, who was travelling with the Nitobes, played an important role in the production of Bushido. When Inazo was no longer able to write, Anna transcribed at his dictation; later, she helped design the jacket for the first edition. Inazo expresses his thanks to her in his Introduction. Mention must be made, too, of another friend, Uchimura Kanzo (1861-1930), who indirectly influenced Nitobe at this time. A few years before Bushido's appearance, Uchimura -- himself a well-known Christian evangelist and author -- had published two English-language books in a similar genre: How I Became a Christian and Japan and the Japanese. These books rank among the earliest attempts by a Japanese to write for a Western audience. Okakura Tenshin (1862-1913) was another contemporary whose books, The Book of Tea and Ideals of the East, enjoyed similar success in the same period.

While the first edition of Bushido enjoyed modest sales in the United States, Nitobe arranged with a Japanese publisher, Shokabo, to print and distribute the book in Japan. This version sold well and went through nine reprints between 1903 and 1909. A few years later, Nitobe switched publishers and had the book contracted to Teibi Publishing Company in Tokyo. He also arranged for selected extracts from Bushido to be reprinted in the Eigaku Shimpo, a magazine for young people studying English. This venture was initiated by Tsuda Umeko and her staff, who had close ties to Nitobe. Sakurai Oson, the editor, appended notes in Japanese to help the novice overcome difficult passages. Sakurai also made the first translation of Bushido into Japanese in 1908.

Nitobe's Japanese translation of Bushido apparently caught the attention of prominent people, including Inoue Tetsujiro, Professor of Ethics at Tokyo Imperial University, who was perturbed that an amateur such as Nitobe would write on the subject. Uemura Masahisa, too, the well-known Christian leader, criticized the book and its attempt to "Christianize" the moral values of the samurai. Some foreigners who wrote about Japan, most notably the Englishman Basil Hall Chamberlain, in his Things Japanese, expressed distaste for Bushido. Chamberlain refers to Nitobe disparagingly as a "nationalistic professor." But despite the criticism, the book sold well....

出版社からのコメント
The Sword, The Soul of the Samurai

[the entire chapter, minus one footnote and the original italics]

Bushido made the sword its emblem of power and prowess. When Mahomet proclaimed that "the sword is the key of Heaven and of Hell," he only echoed a Japanese sentiment. Very early the samurai boy learned to wield it. It was a momentous occasion for him when at the age of five he was apparelled in the paraphernalia of samurai costumes placed upon a go-board[1] and initiated into the rights of the military professions by having thrust into his girdle a real sword instead of the toy dirk with which he had been playing. After this first ceremony of adoptio per arma, he was no more to be seen outside his father's gates without this badge of his status, even though it was usually substituted for everyday wear by a gilded wooden dirk. Not many years pass before he wears constantly the genuine steel, though blunt, and then the sham arms are thrown aside and with enjoyment keener than his newly acquired blades, he marches out to try their edge on wood and stone. When he reaches man's estate, at the age of fifteen, being given independence of action, he can now pride himself upon the possession of arms sharp enough for any work. The very possession of the dangerous instrument imparts to him a feeling and an air of self-respect and responsibility. "He beareth not the sword in vain. What he carries in his belt is a symbol of what he carries in his mind and heart, -- loyalty and honour. The two swords, the longer and the shorter, -- called respectively daito and shoto or katana and wakizashi, -- never leave his side. When at home, they grace the most conspicuous place in the study or parlour; by night they guard his pillow within easy reach of his hand. Constant companions, they are beloved, and proper names of endearment given them. Being venerated, they are well-nigh worshipped. The Father of History has recorded as a curious piece of information that the Scythians sacrificed to an iron scimitar. Many a temple and many a family in Japan hoards a sword as an object of adoration. Even the commonest dirk has due respect paid to it. Any insult to it is tantamount to personal affront. Woe to him who carelessly steps over a weapon lying on the floor!

So precious an object cannot long escape the notice and the skill of artists nor the vanity of its owner, especially in times of peace, when it is worn with no more use than a crosier by a bishop or a sceptre by a King. Sharkskin and finest silk for hilt, silver and gold for guard, lacquer of varied hues for scabbard, robbed the deadliest weapon of half its terror; but these appurtenances are playthings compared with the blade itself

The swordsmith was not a mere artisan but an inspired artist and his workshop a sanctuary. Daily he commenced his craft with prayer and purification, or, as the phrase was, "he committed his soul and spirit into the forging and tempering of the steel." Every swing of the sledge, every plunge into water, every fiction on the grindstone, was a religious act of no slight import. Was it the spirit of the master or of his tutelary god that cast a formidable spell over our sword? Perfect as a work of art, setting at defiance its Toledo and Damascus rivals, there was more than art could impart. Its cold blade, collecting on its surface the moment it is drawn the vapour of the atmosphere; its immaculate texture, flashing light of bluish hue; its matchless edge, upon which histories and possibilities hang; the curve of its back, uniting exquisite grace with utmost strength; -- all these thrill us with mixed feelings of power and beauty, of awe and terror. Harmless were its mission, if it only remained a thing of beauty and joy! But, ever within reach of the hand, it presented no small temptation for abuse. Too often did the blade flash forth from its peaceful sheath. The abuse sometimes went so far as to try the acquired steel on some harmless creature's neck.

The question that concerns us most is, however -- Did Bushido justify the promiscuous use of the weapon? The answer is unequivocally, no! As it laid great stress on its proper use, so did it denounce and abhor its misuse. A dastard or a braggart was he who brandished his weapon on undeserved occasions. A self-possessed man knows the right time to use it, and such times come but rarely. Let us listen to the late Count Katsu, who passed through one of the most turbulent times of our history, when assassinations, suicides, and other sanguinary practices were the order of the day. Endowed as he once was with almost dictatorial powers, chosen repeatedly as an object of assassination, he never tarnished his sword with blood. In relating some of his reminiscences to a friend he says, in a quaint, plebeian way peculiar to him: "I have a great dislike for killing people and so I haven't killed one single man. I have released those whose heads should have been chopped off. A friend said to me one day, 'You don't kill enough. Don't you eat pepper and egg-plants?' Well, some people are no better! But you see that fellow was slain himself My escape may be due to my dislike of killing. I had the hilt of my sword so tightly fastened to the scabbard that it was hard to draw the blade. I made up my mind that though they cut me, I would not cut. Yes, yes! some people are truly like fleas and mosquitoes and they bite -- but what does their biting amount to? It itches a little, that's all; it won't endanger life." These are the words of one whose Bushido training was tried in the fiery furnace of adversity and triumph. The popular apothegm -- "To be beaten is to conquer," meaning true conquest consists in not opposing a riotous foe; and "The best won victory is that obtained without shedding of blood," and others of similar import -- will show that after all the ultimate ideal of knighthood was peace.

It was a great pity that this high ideal was left exclusively to priests and moralists to preach, while the samurai went on practising and extolling martial traits. In this they went so far as to tinge the ideals of womanhood with Amazonian character. Here we may profitably devote a few paragraphs to the subject of the training and position of woman.

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5つ星のうち5.0未来に向けて
投稿者カスタマー2005年2月20日
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この本は原文と訳文の両方が書かれているのが、素晴らしいと思います。
もともと新渡戸先生はこの本を英文で書かれたので、やはり英文も載っている方が彼の真意により近づけるような気がします。
訳文も平易で読みやすいです。
「武士道」という概念は日本人なら誰でも耳にした事があるのに、誰もはっきりとこうだと説明できない部分があると思います。
それを新渡戸先生は英文で世界に向けて、様々な海外の古典や哲学、宗教・・などと武士道を比較対象しながら、武士道とは如何なるものなのかを本当に事細かく説明しています。
その博学さはとても膨大なもので、びっくりします。
彼は武士道を全て礼賛している訳ではないですし、その長所、短所を述べ、未来の日本に向けて語っているようにも感じます。
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5つ星のうち5.0“生が死より恐ろしい場合に、あえて生きることこそ、真の勇気である”
投稿者荒野の狼ベスト500レビュアー2008年8月6日
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新渡戸稲造の武士道は英文で書かれたものですが、この本では、左側に須知徳平の日本語訳、右側に原文が見開きになっており、比較が容易です。英語は文語が使われているため辞書なしでは読めません。日本語訳は著者が出典を触れていないものも訳注を加えた上で、和歌なら日本語の原文をそのまま載せるなどしており、丁寧な訳です。著者は、武士道は深遠な哲学に欠ける(よりどころとなる経典がない)と繰り返し述べられていますが、孟子・孔子・大学・中庸からの引用がもっとも多く、義・礼の思想をはじめとして、儒教の高い基盤があっての武士道であることがわかります。シェイクスピア、ギリシャ神話、聖書、エマーソン、ニーチェらと対照して、武士道がこれらのいずれにも劣らないレベルにあることが随所に書かれています(キリスト教徒の武士道と一部で言われているのはあたらないと思われます)。しかし、単なる儒教思想の拝借ではなく、それを超えた人の誇りが書かれており、特に、以下の金言は現代人に生きる勇気を与えてくれるものである。“真の武士にとっては、死に急ぎをしたり、死におもねたりすることは、卑怯なことだとされていた”“生が死より恐ろしい場合に、あえて生きることこそ、真の勇気である”“ひとたび心の中で死んだ者には、真田の槍も、為朝の矢も通らないものである。” 贅沢を言えば、文章によっては、さらに詳細な注解があれば理解の助けになると思われます。たとえば、この本では新渡戸は”孟子”の一章の中の一文だけを引用して読者に理解を求めている箇所が随所にあります。せめて、それが”孟子”のどの部分からの引用であるかが注に書かれていれば、さらに深い理解を求める読者には有用な情報であると思われます。
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5つ星のうち4.0読者しだい
投稿者sukurabu2007年3月10日
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国外に生活基盤があるので、非日本人に大和魂や武士道について説明を求められることがよくある。中にはすでに英語で書かれた原著を読んでいて、突っ込んだ質問をする人々もいる。最近特に印象に残った質問は、「日本の侍がどんな倫理感をもってきたか、それが相当高潔なもので、どんなに強く彼等を支えてきたか、ということは分かるが、現在、自分の周りにいる日本人も同じような倫理感を引き継いでいるのか、とてもそうは思えない」というものであった。この著作は1世紀以上前に著わされたもので、その当時と現在では社会情勢にも、読む側の状況にも格段の開きがある。日本語訳されているとは言え、現代の人々にはなじみの薄い記述や、冗長にすぎると思われかねない説明部分もある。しかし、日本がその歴史の中で民族の中に脈々と受け継がれて行くべきものとして確かに培い慈しんで来た、目に見えない価値観、心のよりどころとも言うべき精神は、しっかりと述べられている。日本人でありながら、今さらのように気付かされることも多い。難しいとして表面的に読み、いつしか忘れ去ってしまうか、あるいはその奥に流れる、熱く深いメッセージを感じ取って自分の魂を共鳴させるか、それは読者しだいである。
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5つ星のうち5.0「日本の星」
投稿者アマゾン万次郎2004年3月11日
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最近巷で異文化間コミュニケーション学がもてはやされているが、この著書にその原点あり、と感じた。当時の西洋人にとって、謎だらけの日本を西洋文学や宗教に喩えながら説明した本書は、衝撃的であったに違いない。少々強引に正当化し過ぎている、という感想が聞かれるが、かつて日本にこれほどまで西洋文化と日本文化に精通した人が存在したでしょうか。「ジュネーブの星」と謳われた新渡戸博士は、永遠に「日本の星」として輝き続けることでしょう。雑談だが、5千円札の肖像画が樋口一葉のそれに変わってしまうのも少々寂しい気がする。今こそ、日本外交の手腕が問われている時期ではないだろうか。桜が開花する季節に再度、冒頭部分に目を通し、日本人論に没頭してはいかが?
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5つ星のうち5.0表微たる桜花
投稿者Daiki2014年7月27日
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この本は「日本に宗教はないのは本当か?どうやって、道徳教育をするのか?」と聞かれた新渡戸稲造が、その精神性を説明するために、武士の時代に立ち返って説明を試みたもの。西洋の騎士道の歴史を比較して論じたのは脱帽した。しかも原著は英語。

武士道と言うと、単にストイックなものを意味するようだけれども、少し違う。言葉にするのは難しい。

簡単に言えば、武士は
・仏教の影響を受けていたから、死を前にしても最後は静かに開き直れた。
・神道の影響を受けていたから、主君や祖先に対する忠節が基本にあった。
・儒教の影響をうけていたから、礼節・品性(仁・義・礼・信・智)を重んじた。
・そして命の価値が低い時代だったからこそ、少々濫用&エスカレートした。

圧巻だったのは、切腹を描写した別の書籍からの引用。 ※2つあるが、ここでは1つ。
3兄弟が切腹する事になった(家康を殺そうとしたが、その勇気に情けが向けられ一族切腹)
一番下の弟は8歳だった。弟は作法が分からないから、兄2人が手本を見せる。脇差を腹に刺しながら、

「弟これを見よ。会得せしか?あまりに深く掻くな、仰向けに倒れるぞ。うつ伏して膝を崩すな」
 ※ 仰向けに倒れる事、また膝を崩す事は美学に反するのです。

もう1人の兄も
「目を剋と開けや(中略)力たわむとも、さらに勇気を出して引き回せや」と説明しながら果てる。
兄二人を見届け、8歳の弟も兄二人にならって果てる。

※言葉になりません。事例から感じるものですね。

この本、「武士道はその表微たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」から始まり
最後は、武士道は100年後には消えるかもしれない。でも雰囲気というか片鱗は日本に残るだろうという締めくくり方をしています。

そう、言語化しにくくても、片鱗は私たちの中にあるのでしょう。
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5つ星のうち1.0和訳のレベルが低い
投稿者カスタマー2004年7月27日
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和訳と原文、両方楽しめると思い購入したが、和訳のレベルが低く、誤訳が多すぎて日本語の意味が通っていない。ちゃんとした訳文の本と原書と2冊買った方がよいと思う。
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5つ星のうち5.0波多野氏のはしがきのレベルの低さに驚愕
投稿者研究者2008年4月15日
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いわずと知れた新渡戸稲造の歴史的名著。原文である英文も格調高く日本語訳も悪くない。ただ、元国連大使の波多野敬雄氏によるはしがきには驚愕を禁じ得ない。この人は果たして本当に武士道を読んだのかと思えるほどの読解力の低さ。また文章の根底には教養の低さも随所に垣間見える。こんな人が日本の国連大使をしていたのかとがっかりした。
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5つ星のうち4.0"Bushido"との出遭い
投稿者学徒の声2013年4月28日
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"Bushido"を始めて手に取ったのは神戸の図書館であった。流麗かつ格調高い文体に目が留まったのである。暫しの間、受験勉強そっちのけで読み耽った。著者は、Inazo Nitobeとある。しかし翻訳者の名が何処を捜しても見当たらない。余程Inazo Nitobeに心酔している人が卑下して自分の名を秘して翻訳したのだろうと想った。それから数年して原文は新渡戸稲造自身が英文で執筆している事がわかった。クラーク博士の札幌農学校の凄さに驚嘆した。また後に奥様が米国人である事を知り、内助の功を悟った。当時の日本男児としては、ジョン・スチュワート・ミルの『自由論』のように自分の奥方の内助の功を序文で語る事は憚られたのであろう。新渡戸の英文は19世紀Victoria朝時代の格調高き文体である。日本語翻訳者にも相当の教養が要求され得る。今風の平べったい文体では駄目である。この対訳本は、それなりに成功している様にも思われる。
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5つ星のうち4.0もともとは英語の本
投稿者後生畏るべし2010年2月13日
形式: ペーパーバック
武士道は、文庫本で全編音読で読みました。武士の心得を得た感じですが、感動的にはあまり感じませんでした。「菊と刀」の方がより、深い感動はありました。武士については、当然古武術ブームでの出会いであり、作法については、この本が原点なのかもしれません。
新渡戸稲造とは何者か?ということで、5,000円札になった人にも関わらず、謎の人でした。北海道大学に入学したかったのですが、北大の代表人物として内村鑑三等とともに名前があがってくる人ででしたが、武士道の作者であることが後でわかり、当時としてはちょっとした感動がありました。
1980年代にははっきり言えば埋もれていた本であり、何かのきっかけで価値が再認識されたように思います。日本の文化とは何かを探るということでその一助にはなると思いますが、宮本武蔵の「五輪書」のような精神論、具体策を論じているのではなく、日本人の文化は武士道からきているというための説明であり、欧米人にとってのキリスト教のようなものだということですが、すべての日本人が武士ではないので、武士出身である、新渡戸氏の一見解として解釈すべきかもしれません。
 この本では英語と日本語訳がページで別れているため、非常に分かりにくい英語(単語が現代となじんでいない、または、ネイティブイングリッシュであるのか)なかなか難儀したものでした。(全部網羅しているのかは少し疑問ですが…)
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5つ星のうち5.0見栄を張って「対訳」を買ってしまいました
投稿者アンクルおさむ2003年9月18日
形式: ペーパーバック
タイトルのごとく見栄を張って「対訳」を買ってしまいましたが、私の読解力では格調高い英文など理解できようはずもありません。
したがって訳文しか読んでいませんが読み終えて久しぶりに感動しました。
久しぶりに本物の本を読んだという充実感がありました。
日本人でありながら日本人を知らない私自身を、あらためて見つめ直す素晴らしい機会を与えてくれました。
元来、私も含め日本人は「舶来」に弱いところがあるようですが、こんな大人物も居たのですね。
日本人を見直してしまいました。
まだ一度しか読んでいません。
これから何度も読み返して私が日本人であることを再認識したいと思っています。
最後に見栄を張って一言。
いつかは英文を読みこなしてやるぞ!
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Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 新渡戸稲造論集 (岩波文庫)

Amazon.co.jp:カスタマーレビュー: 新渡戸稲造論集 (岩波文庫)

2007年6月2日
札幌農学校、東大、ジョンズ・ホプキンス、ドイツ留学で学位取得。フィラデルフィア出身のメリー・エルキントンと結婚。東大・京大の教授を務め、国際連盟事務局次長などを歴任した新渡戸は和魂(漢文の素養も含む)洋才の学識に裏付けられたグローバルな見識の持主だった。ジョンズ・ホプキンス時代に後に大統領になるウッドロー・ウィルソンと親友関係であり、初代学長ギルマンからも知遇を得ている。

新渡戸の教育観を読んでいると、19世紀のアメリカがドイツの高等教育から摂取した大学院教育の中でもアメリカ流の<自由>な様式を好んでいたことが判る。日本はドイツの初等中等教育制度を入れて関係で、詰め込み主義で生徒が考える自由やゆとりがないことを批判的に見るなど、人間本来に与えられた自由を活かし、民主主義を醸成するに重きをおいた見方は、最初の留学地ボルティモアのジョンズ・ホプキンスで身につけたものであろう。

また当時の国際的な欧米諸国の歴史や文学思想にも深く通暁し、ゲーテのファウストは20回以上読んだという碩学である。現代に生きていても世界に通じる見識の持主で、単に「武士道」の著者だけではない。その全体像を把握するには絶好の著作である。新渡戸の全貌を知るには全集を読まざるをえないと考えていた人には格好の論文集。

中曽根政権時にジョンズ・ホプキンス大学は日本政府から基金の提供を受ける、受取に来た学長以下関係者が岩手の墓前に詣でて謝意を伝えた。同窓生が何時母校に報いてくるか全く予知できない。教育の偉大さである。ジョンズ・ホプキンス大学史には新渡戸の5千円札写真とこの逸話が記されている。生涯の大半を教育者として生きた著者に相応しいエピソードで、その精神を自ら生前に書き残したのが本書である。彼の思想は未だに活きている、教育改革関係者には必読と言いたい。

昨日の日経夕刊のコラムによると本年2012年は新渡戸さん生誕150年の由、これは幸いなる哉。
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ベスト500レビュアー2008年10月5日
この本は、新渡戸稲造の思想を知ることのできるような小論を、それまで全集に未収録だったものも含めまとめたものである。教育論、人生論、デモクラシー論、国際関係論と分かれていて、それぞれ小論が収録されている。

新渡戸稲造は教育者として有名だが、彼の述べる教育論は今日においても傾注すべきことがらが多い。日本人は外国の学問を学ぶ際、文字を頭に入れるだけで、その精神を理解しようとしない、そのくせ大業な書物を読みたがると彼は言う。

リードとスタディは別である。日本人は本を読んでばかりいるが、ただのリーディングは眠っているのと同じである。スタディとは人の本を読むに当たっても、いちいち正しいか、間違っているのか、自分で判断を下していくことである。

誰がこういったとか、ああいったとか言っているうちはまだまだで、自分自身の確信を持てるようになるのが、真の教育の成果だ。

学校とは技術・芸能ではなく理想を養うところであり、社会に出たら、事に当たって、その理想を思い出し考えることが必要だと説く。

教育の目的のひとつとして人格を養うというのがある。何事についても何かを知っている、"something of everthing"、というのが大切だ。つまるところ、教育とは人間の製造である。日本においては、人の判断が金や地位で定まってしまう。そうではなく、人格そのものが判断のもととなるべきである。

新渡戸稲造は国連の事務次長まで勤めた国際派である。そのためもあって、日本人ばなれしたコモンセンスと、バランス感覚を持っている。しかし日本では「武士道」を書いた人、5千円札の肖像になった人ぐらいの評価しかうけてない。

だが、「太平洋の架け橋になる」と豪語したまでの本当の国際派が今ほど待たれる時代はないと思う。新渡戸稲造を見直し、彼に続く国際派がどしどし輩出していって欲しいものである。
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VINEメンバー2007年12月4日
多くの人は、新渡戸稲造というと、名著「武士道」の著者というよりも「5千円札の人物」というイメージが強いのではないだろうか。何故、この人物が、数ある日本近代の偉人の中で、1万円の福沢諭吉(1834-1901)と並んで5千円札の顔として選ばれたのか、この本をしっかりと読んだ瞬間に理解できるはずだ。

この著は、現代の日本人に、狭い視野を捨て、世界史的な視野から日本を見つめ直すことを教えてくれるすばらしい啓蒙の書だ。

私は、この本を読みながら、もしも新渡戸氏のような真の国際人が、あと何人か、政府内部に存在したならば、もしかすると、あの日米開戦は回避できたかもしれない。と、本気で思ってしまった。少しも古さを感じさせない名著だ。
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2009年3月3日
 とにかく、感動した。何遍も読み返したい本である。洞察の深さは言うまでもなく、ユーモアがあり、歯に衣着せぬ表現であり、ガツンと頭を叩かれる感じがした。読んでいて、学生の前で講演する新渡戸氏が何度も映像として現れるようであった。現代の政治家に是非読んでもらいたいが、少なくとも人を指導する立場にある人は必読である。比較しては失礼だとは思うが、昨今、”...の品格”本が数百万部売れるぐらいなら、こちらは、倍、いや、10倍くらい売れてもおかしくない内容である。(悲しいかな、多分難しいと思うが) 時代背景もあるが、国を愛し、憂い、その国のもととなる人への教育に対する新渡戸氏の情熱と息吹を感じる素晴らしい本である。
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2015年9月30日
じゃんけんの法則のくだりに感動しました。私は何に勝てるのかな?何に負けるのかな?
様々なことを感じました。

当時の女学生はこの言葉が直接聞けて羨ましい。しかし私たちも今この言葉を大事にしまっておけるのですから、とても幸せなことですね。
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自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む (知的生きかた文庫)

自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む (知的生きかた文庫)



自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む (知的生きかた文庫)

新渡戸 稲造

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5つ星のうち4.0この洞察力は本物です。

投稿者cooshin2008年2月11日

形式: 文庫

 

  この本は、新渡戸稲造の明治時代の著書『世渡りの道』を現代仮名遣いに統一し、

  わかりやすく再編集されたものです。

  

  新渡戸自身が生前、

  

  「吾輩は専門センス(専門知識)は教えない。コモンセンス(常識)を教える」

  

  と語ったそうだが、まさに本著はその通り。

  人生を生き抜く具体的な知恵が隅々までちりばめられており、

  また「どういうことが常識なのか」という一つの目安の提示がなされていると思います。

  そして専門用語は一切出ず大変読みやすい。

 

  前五千円札の肖像画であった新渡戸がどういう人物であったかを私はこの本ではじめて知ったわけだが、

  教育、政治、農学などさまざまな分野で偉大な足跡を残したこの歴戦の兵の裏打ちのある言葉は確かに説得力が違う。

  この人間観察力、洞察力には率直に恐れ入りました。。

 

  『武士道』も機会があれば読んでみたい。

 

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5つ星のうち5.0稲造(失礼)かっこいい・・

投稿者ロビンベスト500レビュアーVINEメンバー2011年4月8日

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 樋口一葉さんの先代の<五千円札の人>、新渡戸稲造。小さい頃、一万円の福沢諭吉と千円の夏目漱石はとりあえず分かるけど、五千円札のこの眼鏡のおじさんは一体誰なの?とか失礼な事を思っていたのを思い出します。

 新渡戸稲造の著作では『武士道』が最も有名ですが、学校の授業では日本史でも国語でも道徳でも、彼の著作や生涯を習うことはほぼないと思います。稲造(失礼)のカッコいい生き方を日本の若い世代に教えないのは、本当に勿体無い事です。



 本書は、新渡戸の『世渡りの道』という、処世についての書物を現代語訳したものです。

 内容は、全12章から成り、「1章・<ひとりよがりの生き方>をやめる」「2章・苦労が顔に出ない人の<厚み>」「4章・<誠実さ>は二つとない財産」「10章・自分に甘いから<泣き言>が出る」など。

 基本的には新渡戸の人間論・人生論であり、社会的動物である人間として、社会において仲間の人間達と、また不平を漏らしがちであったり、怒りっぽかったりする自分自身とどのように付き合っていくのが良いのかということが、具体例を引きながら分かりやすく論じられています。どんな年齢・立場の人が読んでも学ぶものが多いでしょうが、とりわけ学生や新社会人が読むと、かなり参考になるのではないでしょうか。翻訳も非常にうまく為されていて、若い世代でも読みやすいと思います。

 

 漱石、鑑三、鴎外もそうですが、この時代には知識重視・能力賛美主義に警鐘を鳴らし、本書で新渡戸が言うところの単なる才人−「便利な器」ではなく、知・情・意揃った心の正しい人間を作るための<修養>の重要さを訴える、次代を憂う志篤い文化人が多かったように思われます。

 文化人を含め、器用でソツのないうるさがれない人間であること、またそのような生き方を心がけることがうまい<世渡りの道>であり、順調に昇進し高給を取る人間が成功者、勝利者のように思われることの多い現代日本社会です。お金を沢山稼ぎたいのなら、確かにそれはその人の自由です。しかし、英国の思想家ウォルター・ペーターは、「いつも炎のように燃えていること。宝石のような、この激しい炎をもって、いつも感動にうちふるえて生きていること。これこそが人生における成功である」と定義しました。新渡戸が説くように、ソツのない生き方のもっと向こうにある<本物の人生>を自分自身も泥まみれになって生きる努力をし、またそのように生きる人間の真価を、世の中にもっと叫んでいきたいものです。

 

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5つ星のうち5.0【自己解析の力と世界への客観的認識が秀逸です】

投稿者まるちゃん2009年1月11日

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下手に人に諭そうとする感じは一切なく、

自分の感想や認識をつらつらと綴っています。



現代人が書く自己啓発書というか、人生の指南書と

大きく変わる点はないのですが、

新渡戸稲造氏が描かれている言葉を身近にグッと体感できます。



明治時代に世界を渡り歩いて、第一線で活躍した先人の実感としての

深い言葉を胸に刻むことができました。

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5つ星のうち4.0明治の教え

投稿者I2006年11月25日

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小手先の処世術、人心掌握と称していかにして騙すか



などの処世術本が溢れる中、明治時代の教えだけど



心の持ちようが大切と説くこの本のほうが本当の意味での



処世術だと思います。



でも見習いたくてもなかなかうまくは行きませんが

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5つ星のうち4.0人格を高めたい方に

投稿者宮城 秀樹2013年10月18日

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これから社会に出ていく方から、社会に出て活躍されている方まで読まれる事をお勧めいたします。



考え方は納得できる部分が多く、これからの人生に活かしていきたいと考えてます。

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5つ星のうち5.0自己啓発本の原点なのでは?

投稿者ボサノバ巨匠の隣人VINEメンバー2010年8月20日

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私は『7つの習慣 成功には原則があった!』が大好きなのですが、

この本の原著である『世渡りの道』は、「7つの習慣」に参考にされたのでは?

と疑ってしまうほど、重複してしまう部分が多々ありました。



ただ「7つの習慣」の良さは、7つの原則にまとまっており、

すべてそれらで説明がつくしようになっている点です。

そういったMECE感とコンセプト感は、残念ながら本書にはありません。



つまり、思いついた順に書き上げた、

特定の状況にのみ役立つアドバイス集といった感じです。



コンテンツの素晴らしさと翻訳の素晴らしさもあり、

満点とさせて頂きました。



やはり古典が教えてくれる教訓は不変であり、

現代にも役立つものだと再認識しましたし、

それをこんなにもまあ読みやすく編集して頂いたことは感謝に値します。



ついでに言いますと、

本書の翻訳を務めた竹内均氏の翻訳作品はいずれもお勧めです。

古典の教訓を現代に生かしたいという方にはもってこいだと思います。

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5つ星のうち5.0素晴らしいです。

投稿者しゃらく2015年12月7日

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学びを得るための最良の書のひとつであると断言します。

どの章を読んでも教訓ばかりですから。

もし現在、自分が損をしていると感じているのであれば、それがいかに利益を生み出しているかに気づくことができます。

生き方を模索しているならば、ぜひ一読をお勧めします。

これを読まないのはもったいないです。

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5つ星のうち5.05

投稿者Amazon カスタマー2016年7月22日

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自分への探求心が、芽生える。

一つのことを、追求するという、強い、Messageがある。

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5つ星のうち5.0とても良かったです。

投稿者木原 エルサレム2015年1月28日

形式: 文庫|Amazonで購入

とてもよかったです。

欲しい本だったので、よかったです。

状態もよかったです

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5つ星のうち5.0難しいけど役立つ

投稿者ペチヲ2008年5月19日

形式: 文庫

現代の我々若者にはとても真似できないけど、歴史的な観点で読めば良いんじゃないでしょうか。精神的に不安定だという人は特に、一度心をロンダリングする意味でも読んでみては?

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修養 (タチバナ教養文庫) | 新渡戸 稲造 | 本 | Amazon.co.jp

修養 (タチバナ教養文庫) | 新渡戸 稲造 | 本 | Amazon.co.jp

5つ星のうち5.0迷える時代にこの一冊

投稿者pg2004年4月2日

形式: 新書

新渡戸稲造博士が主に青年に向け語った本。

しかし、難解さはなく非常に読みやすい。

新渡戸博士のあたたかみ、やさしさがにじみ出ている本である。

もしなにか迷うことがあれば、この本を読むとまるで新渡戸博士が

その悩みをうけとめてくれるかのような感を覚えるだろう。

明治の真面目な気風を現しているのもお勧めである。

青年で無くとも、全ての人にとってお勧めの一冊といえる。

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5つ星のうち5.0繊細な感性と巌のごとき強い意志を併せ持つ人格者

投稿者ロビンベスト500レビュアーVINEメンバー2012年8月2日

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 若い頃に母親と死別するなどの苦悩を耐え抜いて「太平洋の橋になりたい」という大きな夢を貫き、初の国連事務次長に就任した岩手出身の思想家・教育家、<昔の五千円札の人>新渡戸稲造さんの修養論です。明治日本人の行動理念を海外に紹介した『武士道』の著者としても非常に有名ですね。



 読んでまず感じるのは、まさに海を渡って国際的な仕事をした人だから、図太い強靭な精神の人なのかなと思いきや、まじめで相当繊細な神経の持ち主であるということ(夏目漱石と似ているけれど、より常識的で生真面目かもしれません。でもバランスがいい方という印象も受けます)、生来ものを深く受け取りまた感じやすいので傷つきやすく、どうしても短気で激情家になってしまう面がある(ちなみに「自分の欠点は短気」と他所で明言されています)のかな・・ということです。人より厳しい倫理観を内臓している人の場合もうっかりすると短気になりやすいように思います。一高の校長を務めたり、女子教育の発展に寄与した教育家である、といわれると成程という感じを受けます。



 しかし稲造さんが凄いのは(能力の高さや仕事の大きさは別として)<人格>ある人への尊敬心が篤く、より高い人間性・人格を追及しよう、造り上げようという真剣な向上心と探究心、他人に学び周囲の人と共に成長しようという謙虚さ、そして克己心が強いという点だと思いました。



 本書は、非常に具体的な事例を挙げながら、現代にも十分通じる<人間としてうつくしい身の処し方>を身に付けるために新渡戸さんが研究・考案した方法がたくさん書かれています。分厚い本ですが、漢文の風味が残る現代語訳はきりっとしていて小気味良く読めます。興味のある部分から読んでも全く差し支えはないと思うので、「どうしても他人の批判が気になり、神経質になる」とか「他人の暮らしをうらやましく感じる」、「みんなうまくやっているのに、どうして自分だけ失敗して辛い目にあうんだろう」という思いを抱きがちな方は、読んでみていただきたいです。



 

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5つ星のうち4.0明治の教育者の面目躍如

投稿者善次郎2003年11月14日

形式: 新書

人は逆境にある時、如何にあるべきか。

また順境にある時、何に陥りやすいか。

著者自身は、本書を市井の人々の為に平易に語ったと言うが

明治の教養人らしく確固とした人生観に裏打ちされた内容は

根底において恨みや怠りを禁じている。

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5つ星のうち5.0新渡戸稲造の息吹がこめられてる

投稿者塾生2011年2月3日

形式: 新書

(オススメポイント)

・何より読みやすい!文章が現代語訳のため安易。(まるで稲造氏が自分の隣で本の内容を語ってくれてるかの如く)

・修養、立志、職業の選択、逆境の心得、世渡り、貯蓄について…その他様々な内容を17章にわたって稲造氏の息吹を感じれる。



札幌農学教授、東京帝大教授、東京女子大初代学長、他様々な教育の場面で功績を残し、又国際連盟の初代事務次長として国際平和に尽くし、この「修養」をはじめ「武士道」「世渡りの道」「随想録」他、世紀を越えて読み継がれている著者が沢山あり、いわば社会教育家である。

しかし、偉ぶる事もなく、自身の体験、失敗談も踏まえた人間くさい一面が数多く見受けられ、肩の力を抜いて読める。 しかし内容は一世記過ぎた現代でも充分通じる内容で人間の厚みが伺える。

読もうかどうしようか迷っていれば

「是非とも読んで下さい!そして新渡戸稲造氏の息吹を感じて下さい!」 と伝えたい。



最後に本書から抜粋で…



〜もし本書にして、一人にても二人にても、迷う者のために指導者となり、落胆せんとする者に力を添え、泣く者の涙を拭い、不満の者の心をなだめ得るなら、これぞ著者望外の幸いであり、また年齢をも恥をも忘れた甲斐があったと思い、深く読者に感謝する。

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5つ星のうち4.0高い先見の明あり。しかもストロングスタイルだ!

投稿者熱血!青年塾長!2009年5月21日

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新渡戸稲造氏による人生の生き方指南の本です。人生の多岐に渡ったアドバイスを与えて

くれています。

私見です

新渡戸さんは、元々短気だったそうです。また、心の病にも一時的にかかったそうです。

そんな彼が、叩き上げて自分を育て、脂が乗った50代に書いた本がこの本です。なので

非常に説得力があります。ものすごい努力の跡をたっぷり感じる事ができますね。

書いてある事も実に多岐。コヴィー氏のWIN-WIN理論に通じる考え方の提示すら

あり、明治の書物とは思えない先見の明を感じました。

どうしてもダメなら、相手を殴ってしまえ!という件もありますが、努力で叩き上げた彼の

姿と重ねて、猪木さんに負けず劣らずのストロングスタイルの人であるイメージを受けまし

た。お札の人、というイメージしか無かった私はただただ反省です(苦笑)

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5つ星のうち4.0深く考えた

投稿者石黒大理2013年12月28日

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新渡戸稲造が後世に残したいという強い思いを感じました。

現代の我々が迷い思い悩んだ時に読んでみることをお勧めします。

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5つ星のうち5.0満足です。

投稿者ゆみ2014年5月23日

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届くまでに時間がかかりましたが、とても綺麗な本でした。

包装が丁寧すぎて開けずらくて中身をきっちゃいそうでしたので、包装の仕方だけかえてもらいたいです。

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5つ星のうち5.0是非読むべき一冊

投稿者Amazon カスタマー2015年12月24日

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日々の活動を何を行うべきなのか示してくれる人生の指針となる一冊

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5つ星のうち4.0日本人の心

投稿者mickey saku2009年3月15日

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昨今、おおはやりの自己啓発ですが、横文字の自己啓発本に疲れたらこの1冊を。分量も多く、また内容もけっして読みやすくはありませんが、その表現の機微にふれれば、じんわりと正しく生きることの意味が体得できます。逆境をいかに乗り切るかに加え、順境の心得もあわせて説くところ、日本の生活の節目節目の心構えを説くところなど、日本人の原点とでもいえるような、そう「日本人の心」を今一度、読者の問ういている1冊です。

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5つ星のうち5.0教養書

投稿者Amazon カスタマー2015年12月25日

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五千円札の方ですね 以前の 欲しいので購入しました 古い時に書かれたようですが 大変ためになりました 私の愛読書の一冊になりました 内容は

何章かに分かれていますが 解りやすく理解できると思います これからも愛読していこうと思います

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5つ星のうち5.0しのぶ

投稿者Amazon カスタマー2015年10月3日

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男性向けの本に感じるので、すべては読んではいません。



けれど、徳川家康さまの遺言が載っており、

それは大変勉強になりました。

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5つ星のうち3.0修養を読んで

投稿者アマゾン二郎2009年5月12日

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 新渡戸稲造の本をどうしても読みたいという方以外にはおすすめしません。書かれてある内容に真新しさはなく、この本を読もうかなと迷っている方にとってはありふれたごくごく普通のことが書かれてあります。ただ、著者がどのようにして修養をしてきたか興味がある人は読んで損はないです。著者が幼い頃、モンクというあだ名をつけられていたこと、図書館にあるすべての本を読もうと志し眼を悪くしたことなど、小話が多いので著者自身に興味のある方は購入してはどうでしょうか。



 真新しさがない、と書くと語弊があるかもしれません。冒頭から青年の立志について書かれているので、若い方に向けて書いた本なのだろうと思います。多くの本を読んできた方にはすすめませんが、青年はこれを読んでぜひ今後の人生の糧にしてほしいと思います。

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