2023/03/26

深い河 1996 遠藤 周作 (著) 5つ星のうち4.4 822個の評価

深い河 (講談社文庫) 文庫 – 1996/6/13
遠藤 周作 (著)
5つ星のうち4.4 822個の評価




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愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向かう人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人のふれ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。毎日芸術賞受賞作。
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カスタマーレビュー
5つ星のうち4.4
星5つ中の4.4
822 件のグローバル評価
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上位の肯定的レビュー
すべての肯定的なレビュー

n.

5つ星のうち4.0共感する
2022年5月10日に日本でレビュー済み
様々な宗教の中で一番に信じれるのはキリスト教であると思う。一方日本に古来から受け継がれている神とは何だろうという疑問が払しょくできないでいたが、作者が言わんとしていることに触れて大変共感している。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています

上位の批判的レビュー
すべての批判的なレビュー

Amazonさか49 カスタマー

5つ星のうち1.0残念です
2023年2月20日に日本でレビュー済み
かなりシミがあって読む気持ちになれませんでした。残念です



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822件の合計評価、レビュー付き:141

日本から

n.

5つ星のうち4.0 共感する2022年5月10日に日本でレビュー済み
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様々な宗教の中で一番に信じれるのはキリスト教であると思う。一方日本に古来から受け継がれている神とは何だろうという疑問が払しょくできないでいたが、作者が言わんとしていることに触れて大変共感している。

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磯村 修司

5つ星のうち5.0 遠藤周作、命を懸けた遺言的作品2022年6月20日に日本でレビュー済み
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信仰者としての自己の苦悩、問題意識を複数の登場人物の姿に投影して深く抉り出し、普遍的な神の存在を描きだしている。ヨーロッパ的な信仰理解に対し、アジア人、日本人の一人としての信仰理解について問題提起をしつつ、その理解をインドの旅、ガンジス河とのかかわりの中から再度自己の信仰を振り返った素晴らしい作品である。
 人として、ぜひ読んでおくべき書籍の一つに値すると考える。

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AKO

5つ星のうち4.0 変わらず良いものは良いです2022年3月23日に日本でレビュー済み
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昔から読んでましたが、改めて読んでみると、ハマりました。やはり、良いものは良いですね。

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及川千晶

5つ星のうち4.0 面白い2022年2月20日に日本でレビュー済み
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面白い

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めからポチ

5つ星のうち5.0 出会えて良かったと思う本でした。2022年5月10日に日本でレビュー済み
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テレビの番組でこの本をしりました。本当にこの本に出会えてよかったと思い
ます。けして明るい気持ちにはなりませんが、生きるということを深く考える事を導かれる時間をもらいました。お勧めしたいです。

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セバスちゃん

5つ星のうち4.0 答えは自分の中にしかない2021年12月30日に日本でレビュー済み
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宗教の垣根を超えて、私たちにとって「神」とは何かを問い続けるもの。

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ルールールー

5つ星のうち4.0 結局「善」なのか…2021年11月15日に日本でレビュー済み
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いい小説でした。一気に読みました。色々考えさせられました。描写も美しく、表現に深みもあり、さすがだなと思います。ただ、これはあくまで私の未熟さゆえだと思いますが、結局「善」を押し付けられるようにも感じます。作品中で大津は「悪の中に善があり、善の中に悪がある」と言いますが、美津子に棄てられた後の大津は「善」そのものじゃありませんか。それがキリスト教の教科書的な善からはかけ離れていても。美津子が虚しさの更に奥にあるものを探しても、結局見つめているのはキリストを模範に生きる大津です。この本のモチーフは全てを受け入れる深い河ですが、結局キリスト以外は受け入れられていない気がします。最後の修道女達の「それしか知らない」という言葉にも息苦しさを覚えました。遠藤周作の汎神論的な考え方には共感を覚えますし、堅い二元論的なキリスト教に疑問を抱くことにも共感するのですが、最終的に「全ての人間の苦しみを引き受けたボロボロのキリスト」というイメージには疲れを覚えました。とはいえ、大津はやはり幸せなのだと思います。あの生き方は彼の運命なのでしょう。だから、大津の生き方を引き受けるようなキリストの存在が多くの人々にとって救いになるのは理解できます。あくまで私個人の感想です。



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ぱすと〜る

5つ星のうち5.0 復活とは、転生とは、神とは、たとえば2021年10月15日に日本でレビュー済み
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登場人物のひとり大津は、「日本人の心にあう基督教を考えたいんです」と言いますが、これは、遠藤周作さん自身も同じようなことを言っています。けれども、ふたりは、キリスト教を日本人向けにしたのではなく、むしろ、世界のどんな人間にも通じるものをキリスト教から絞り出したのではないでしょうか。

 「あの樹が言ったの。命は決して消えないって」

 「わたくし……必ず……生まれ変わるから、この世界の何処かに。探して……わたくしを見つけて……約束よ、約束よ」

 「玉ねぎ(神、あるいはイエスのこと=引用者注)はある場所で棄てられたぼくをいつの間にか別の場所で生かしてくれました」

 「玉ねぎは彼らの心のなかに生きつづけました。玉ねぎは死にました。でも弟子たちのなかに転生したのです」

 「玉ねぎは今、あなたの前にいるこのぼくのなかにも生きているんですから」

 「あの方(イエスのこと=引用者注)はエルサレムで刑にあった後、色々な国を放浪しておられるのです。今でさえも。色々な国、ですが。たとえば印度、ベトナム、中国、韓国、台湾」
 
 「少なくとも奥さまは磯部さんのなかに」「確かに転生していらっしゃいます」
 「彼(イエスのこと=引用者注)は他の人間のなかに転生した。二千年ちかい歳月の後も、今の修道女たちのなかに転生し、大津の中に転生した」

 これらの言葉は、新約聖書がイエスの復活と語っていることを、あるいは、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という一節を、さらには、他の宗教が転生と語ることを、どんな宗教の人にも、あるいは、宗教を持たない人にも、伝えようとしているのではないでしょうか。

 神についても、本書ではおなじ試みがなされています。

 「それは人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です」
 「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です」
 「その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。そのなかにわたくしもまじっています」

 インドのその河は、誰をも何をも、すべてを受け入れます。

 「ぼくが神を棄てようとしても……神はぼくを棄てないのです」
 「おいで、私はお前と同じように捨てられた。だから私だけは決して、お前を棄てない、という声を」

 「日本人にとってキリスト教とは何か: 遠藤周作『深い河』から考える」という本で、若松英輔さんが遠藤周作さんを読み解いていますが、ぎゃくに、「深い河」では遠藤さんが若松さんを語っているようにも思えます。「深い河」は小説であり、若松さんの名前は出てきませんし、若松さんの出版活動が始まるずっと前の作品なのですが。

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我駕香

5つ星のうち5.0 20年ぶりの再読2021年12月26日に日本でレビュー済み
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大学時代に、何気なく手にして読んで以来の再読。若い時にはあまり深く読めていなかったが、今は歳を重ねたせいなのか、日本人にとってのキリスト教という観点から感慨深く読めている。

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Amazonさか49 カスタマー

5つ星のうち1.0 残念です2023年2月20日に日本でレビュー済み
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かなりシミがあって読む気持ちになれませんでした。残念です

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good!

5.0 out of 5 stars 宗教観以外も読み応えありReviewed in Japan on December 20, 2021
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ジョンヒックの宗教多元論からの関連で読んだが、宗教観とプロットもさることながら、叙景叙情描写における数々の種類の対比によるコントラストを使った、人間が確たる生の実感を得るとはこう言うことだと言う具体描写が素敵でした。具体的体感と空虚観を時系列と並行時間の両方ならべているのが、リアリティと親近感を感じるところでもありました。

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Waki

5.0 out of 5 stars クリスチャンの著者が「信仰」について深く斬りこんだ小説Reviewed in Japan on December 4, 2021
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それぞれの理由でガンジス川を目指す日本人と、それぞれの立場からの信仰について描かれる小説。
妻に先立たれた人が妻の生まれ変わり追い求め、本当に人を愛したことのない女性がかつて弄んだ敬虔なクリスチャン男性に自分にはない何かがあると探しに、インパール作戦を生き残った元兵士の贖罪に、それぞれが信仰に対する想いを持ちながらインドへと向かう。信仰の功だけでなく罪といったどの時代にも通じる普遍的なテーマが投げかけられる。
この小説はクリスチャンの間では物議を醸したらしいが、著者が決して自身の信仰を妄信せず、多面的に宗教について考えようとする姿勢がわかるため、信仰を持たない人にもお薦めできる。

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5.0 out of 5 stars 考える事がたくさんあります。Reviewed in Japan on November 13, 2021
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ありがとうございました。

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4.0 out of 5 stars 無宗教っていい事?Reviewed in Japan on July 5, 2020
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宗教文学に興味があり沈黙を学生の時に読んで遠藤周作さんが、自分の棺桶に沈黙とこの本を入れてくれと言われた事を知り、読みました。
色々な登場人物の思いがあり、インドとガンジス川に興味を持ちました。
あらためて、神のことを考えさせていただきました。

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にった

3.0 out of 5 stars 古い話Reviewed in Japan on October 26, 2020
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Twitterで話題になっていたから読んだが、結局インドなのか、と思った。
インドのガンジス川にすべての宗教を包含するものを見出すと言う考え方は、
インドに行ったことのない人間にとっては、なんとなく聞き古した結論のように思われた。
遠藤周作の時代には、目新しい発想だったのだろうか。
頭の中に、自分探しの若者やバックパッカーたちのイメージがちらついて、
インドに行けば人生変わるよ! と言うキャッチフレーズも思い浮かぶ。
こういうことを言われると天邪鬼な人間なので、ますますインドから足が遠のく。
インドが舞台の映画は「きっと、うまく行く」「裁き」「スラムドッグ・ミリオネア」あたりしか見たことがないが、裁きと通じる空気感を感じた。合う人は合う、合わない人は合わない。

登場人物の中で美津子には共感できた。空疎な自分を抱えて彷徨う、何かになりきれない自分。ただ結婚観や男女観において全体的に人物設計が古く、令和の時代においては、昭和気質の人々には感情移入するというところまではいかない。そうか、戦争を知らない世代と知っている世代がこんなふうに交錯していたのか、と思う程度である。

塚田が〇〇を食らったという告白も、置かれた状況を思えば容易に予想がつくし、そこまで衝撃的でもない。悔やむべきは、あの時代、戦争軍人に適切なカウンセリングを受ける術がなかったことだ。

遠藤周作は、沈黙、海と毒薬、王妃マリー・アントワネット、悲しみの歌を読んだが、好きな作家である。彼は人の悲しみをとらえるのが上手い。如才なく生きることができない人間の気持ちをよく描いている。またクリスチャンである彼は、近代以降の日本人の運命ー日本人の中に植え付けられたヨーロッパが、決して本物のヨーロッパたり得ないこと、常にその違いに苦しみ続けることーをよく知っている。陰を抱えて生きざるを得ない人間に優しい小説家である。

ただ、古いのだ。鼻につくのだ。大津をからかいたくなる、美津子の気持ちはよく分かる。小説自体がまるで大津のようだ。今どき宗教なんて、カトリックの司祭が小児虐待スキャンダルで権威が揺らいでいる時に、フランスのカトリック教会だなんて。

世界は遠藤周作の時代から比べると狭くなった。だから、前提の異なる話を読んでも、共通するものは見出せないよ、と感じた。

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tokiwai

4.0 out of 5 stars 宗教をテーマにした小説Reviewed in Japan on November 20, 2019
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再読です
一神教と汎神論がテーマでしようか。宗教は人間が作りあげたもので完璧なものではないために宗教論争が発生
していることを作者は示唆しているかと感じさせられました。それがためインドを舞台にしたのではは?

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アンチャン

4.0 out of 5 stars 遠藤周作の集大成と宗教多元主義の解説書としてReviewed in Japan on March 11, 2019
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まず本書を読むなら佐伯彰一氏の後書きと付録の著者経歴から読んで欲しい。
小説の読み方としては非常に邪道であるが、それは本書が日本人とカトリックと言う間に苦しんだ遠藤周作の答えだからである。

遠藤周作の代表作として沈黙がある。
そこで遠藤は登場人物であるキリスト教徒の改宗(迫害)を仕事とする井上筑後守に「神とは困った時に都合よく助けてくれる存在ではない」と言わせている。
キリスト教徒の言う神とはその人の習慣、生き方を守るための指標なのだそうだ。
故に遠藤は日本人でありながら日本人の持つ困った時に助けてくれる神様像に非常に苦しんだ。それは本書の末に書いてある経歴から10歳で無自覚洗礼を受けていた事に起因する。

そうして日本人でありながら日本人的でない思想と苦しみながら生きた遠藤が至った一つの考え方がジョン・ヒックの宗教多元主義である。宗教多元主義についてレビューで書くとスペースが足らないが、掻い摘んで言えば「神様は色々な姿があって、色々な姿でその人の心の中にいる」と言う物である。物語途中にチャームンダーと言うヒンドゥーの女神の一説が出てくるが、正と邪、生と死、愛と憎、という相反する全てを包括したその醜くも必死な姿、それこそが神である、遠藤はそう言いたかったのではないだろうか(チャームンダーがカトリックで言う主であると言う意味ではなく神の多面性の意)

そうした色々な姿を自覚していない5人の人物達が清濁併せ呑むインドに赴き、各自の神の片鱗に触れる物語が深い河である。登場人物達の背景がいずれも遠藤の経歴に関係するので、後書きと付録の著者経歴から読む事により、この人物が持つ苦悩は遠藤がいつ経験した事か、と言う事がわかるであろう。
5人の持つ心の闇に触れながら読み進めて欲しい。

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CosmoLady

5.0 out of 5 stars 何度でも読み返したいReviewed in Japan on January 2, 2021
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日本人にとってのキリスト教、母なるもの、西洋の合理的なものと曖昧な日本の対比に加えて、インドの混沌。キリスト教の神が、仏教やヒンズー教の神と相入れないものではなくて、すべてを包み込む存在であること。— それまでに作者が書いてきたキリスト教についての考えが集約され、昇華している印象。
ラストシーンの後、美津子はどうしたのだろう、どうするだろうと作者は考えていたのだろう。三條は、美津子から聞かなくても、人生のどこかで事の顛末を知ることになるのではないかという予感。それぞれの登場人物の立場に寄り添えば、何度でも読み返して、何度でも違うことを考えるだろうと思う。
第二バチカン公会議からだいぶ経ち、遠藤周作のキリスト教感は、現代の教会ではどれぐらい受け入れられるようになったのだろうか。

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4.0 out of 5 stars 遠藤周作の集大成的作品。Reviewed in Japan on October 6, 2019
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遠藤周作氏の神に対する持論とインドの魅力を知らしめてくれる大作。

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rt

4.0 out of 5 stars 中三国語のテストの問題に使われたのがきっかけReviewed in Japan on January 29, 2018
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中3息子の国語の読解問題(ある高校の過去問)を観ていて、出会ったのがこの深い河。ちょうど美津子がそそのかされて大津を飲み会に誘い泥酔させてしまうというくだり。毎日祈祷する大津に「そんなの棄てなさいよ」と迫る美津子に対し、「ぼくが神を棄てようとしても、、神は僕を棄てないのです」という大津のセリフが強烈に心に残りました、WIKIPEDIAでこの書のことを調べ、美津子が再び旅先で大津に再会する、と知り、物語の行方と遠藤周作の宗教観に興味を持ち、中学生がほんとに理解できるのか?という気持ちでぽちっとオーダーしたわけです。

読み始めると時系列が激しく前後し、登場人物もガンガーを舞台とした複数の人たちのそれぞれのストーリーで別個に進み、なんだ短編集か?と一瞬誤解するほどですが、冒頭、磯辺の妻をガンで亡くしていくところや、木口の壮絶な戦争体験は臨場感をもって読むことができ、十分なつかみがあります。大津と美津子のその後の交流やからみは、恋愛でもなく、精神交流でも知的交流でもないのですが、乾いた関係が展開され、逆に物語としての面白さが大いに増しました。

また、遠藤周作の宗教観が大津に投影され、西洋的排他的唯一神的キリスト教批判的で、キリスト教はもっと寛容的でよろずの神の中にいるべきもの、という考え方が興味深く読み進められます。

なのに著者は大津をこれほどまでに愚直に描いてしまったのが残酷なまでに良いです。フランスでは思想的に疎外され、神父になかなかなれず、大津の宗教観を美津子に書いておくる手紙は彼女の心にまったく響かない文章で、結局はインドに行きつきバラナシでアウトカーストの死体を運ぶところまできてしまう。さいごは旅行客が怒らせたインド人に止めに入ったら逆に自分がボコられて危篤に。でもここで話は終わっているので、死ぬところまで描写していないところに一筋の光が見えます。

ただし、美津子という女性にはリアリティもシンパシーも感じにくい。とりまきの学生からあいつをたぶらかしてみろよ、と言われただけでこの愚直までにどんくさい男を、”神でなくわたくしを取りなさいよ”と初対面で誘惑するものなのか、イケテる女性ならそんなことはしないだろう。そして、人を愛することができず、見合い結婚して離婚、そんな彼女が旅先まで追っかけさせるほど大津に翻弄されてるのか?というところなども実感なし。彼女をここまで行動させるなら、もう少し細かい描写が欲しいところです。(大津に関して言えばあんな人は回りにいないけれども、あれだけ背景的説明があって細かい描写があり、ぶっ飛んだ性格も非常に理解できるのです)。美津子に関しては私が理解できないだけかも、ですが、感情移入ができません。正直、磯辺の妻などの控えめな良妻賢母タイプ以外の女性については、どうも空想的すぎて、遠藤周作という作家の古典的な女性観を垣間見ます。が、最終的にはこの美津子の存在が、物語のファンタスティックな部分を深めていけるんでしょうね。

バラナシとガンガーという舞台の描かれ方が幻想的、おとぎ話的なところを強化しているとも思います。バラナシはそんなに素晴らしいところでも壮絶な場所でもなく、みんながみんな”悲しみを背負ってくる”場所でもないのです。もちろん多くのインド人がいつかこの地に行きたい、いつかこの地で死にたい、というあこがれの聖地には変わりありません。でもインド人にとってはごくごく当たり前の日常が繰り広げられる場所です。訳アリの外国人たちが何かを求めても癒される場所ではないのです。しかし、我々外国人は書物やテレビやネットや映像で、まだ見ぬインド、に過大な期待を抱いてしまいがちです。実際には、ガンガーに訪れて衝撃を受けるのは、まず最初に「肩透かし」ではないでしょうか。ガンガーは、心の深い悲しみを解決し、失ったものを見つけてなんかくれない。それはもちろん、この書を読めばそういうことはわかりますが、表面的にはこちらが気恥ずかしくなるくらい、描かれ方がドラマチックで大げさかなあと思います。

つまり、この書が発行された1993年にはインド本は腐るほどあって、バラナシ、ガンガーに、深い闇をもってやってきた登場人物という背景が、今更ながら、やや陳腐感を出しているんだろうなと思います。違う舞台のほうがよかったのかもと思います。

とはいえ、やはりこの小説の要はやはり美津子と大津であり、汎神的キリスト教観を通じた2人の心の通い合いや成長は、秀逸に描かれた良作であると、ぜひご一読をお勧めします。

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From Japan

hidamari

5.0 out of 5 stars 余韻がいつまでも残る一冊

Reviewed in Japan on May 26, 2020

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生きていれば傷のない人なんていない。

誰しもが必ず どこかで自分と向き合う場面に遭遇するのではないかな。

インドは人の心を鎮め 浄めるような何か大きな力があるんだろうな。生きるって切ない。折に触れて読み返していきたい大切な一冊。

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Midogonpapa

5.0 out of 5 stars インドよりもこの時代の日本人にカルチャーショック。

Reviewed in Japan on May 11, 2020

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たとえば以下のような描写。2020年なら全く問題ないことが、当時は殴られるリスクがあるほど反社会的な行為だったらしい。

「そんな飢えや貧しさをまったく知らないこの若夫婦は、飛行機のなかでも平気で凭れあったり、肩に手をかけ合った。もしビルマのジャングルで彼と悲惨な退却をした戦友たちがここにいたら、きっと撲りつけたろう。」

また以下の描写などには夫婦愛の欠片も感じられない。これが一般論として語られていることに違和感があります。

「結婚生活とは彼にとって、たがいに世話したり面倒をみたりする男女の分業的な助けあいだった。同じ屋根の下で生活を共にして、惚れたはれたなどという気持が急速に消滅してしまえば、あとはお互いがどのように役にたつか、便利かが問題になるのだ。」

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Ms.A

5.0 out of 5 stars ぜひ、手にとってね

Reviewed in Japan on May 8, 2020

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友達の愛読書のため、気になって購入。

言葉は難しいところもありますが、のめり込む魅力あり。これは読むといいです。

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5.0 out of 5 stars 遠藤周作の命

Reviewed in Japan on February 24, 2020

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遠藤周作が命をかけて書いた小説。これ書かなければ、ノーベル賞もらってたかも 笑。 素晴らしい。

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TaHi

5.0 out of 5 stars インドへの憧憬

Reviewed in Japan on March 29, 2020

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高校の時に「決戦の時」を読んで以来の遠藤周作の作品。人それぞれに様々な苦悩があり、その先に何があるのかをガンジス河に求めてインドを目指す。物質的な豊かを超越した人生の意味を小説を通じ考えさせられた。

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hrk

5.0 out of 5 stars 真理を求める気持ち

Reviewed in Japan on October 22, 2019

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久々にかじりついてスラ2読めました!

死を"隠し事"の様に遠くに置き、宗教の話しを対立を避ける意味合いで日常語らない日本社会...後半はこれと真逆な聖地ヴァラナシを舞台に宗教や生き方、死について剥き出しになって行く感じ...圧巻でした!

この本を読み終えて思ったのはその宗教が既に"答え"を与えてくれていたとしても、従順なだけでなく、中世と違い色々な宗教の成り立ちも学べる現代は疑ったり悩んだりする"過程"...これが一番大事だと思いました!例え"答え"が一緒だったとしても"過程"は十人十色だと思うので...タイトルの"深い河"ですが、昔ヴァラナシで夜に屋上から観たガンガーの不浄の地とされる暗い対岸はまるで深い宇宙の様だと感じた事を思い出しました、静かに深かった。

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味の極み乙女

5.0 out of 5 stars 人間の祈り

Reviewed in Japan on September 18, 2015

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・妻に先立たれた夫が、妻の生まれ変わりを探しに

・戦争で熾烈な体験した老人が、仲間と敵の供養に

・病気になって一命を取り留めた男性が、

 自分が飼っていた鳥が身代わりになって死んだのではと思い込み、

 その鳥が生息してる所へ恩返しの為に、

・人生につまらなさを感じている女性が、なんとなく惹かれ


などなど、様々な境遇をもつ日本人がそれぞれの目的を求めてインド旅行に向かう。


しかし、期待どおりの現実と、日本では目にする事のない人間や、この世界の残酷さを感じながらも、それぞれの問題を自身が見つめる描写が印象的な小説。


特に印象的な場面は、どんな立派な偉人も、

道端で倒れている指の腐った物乞いも亡くなると、

同じように火葬され、その灰がながされる

おせじにも綺麗とはいえないガンジス河で


インドの人達は、沐浴をして祈る姿をみて

人生につまらなさを感じている女性が、ガンジス河に入り祈るシーン。


ガンジス河を人生や、はたまた神様に例え


「その河の流れる向こう側に何があるのかわからないけど

でも過去の多くの過ちを通して、自分が何が欲しかったのか、少しだけわかったようなきがする。」


「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です。」


「その人達を包んで、河が流れている事です。人間の河。人間の深い河の悲しみ。

その中にわたくしもまじっています。」


と、それまで全ての人や、物事に対して冷めていた女性が

しらずしらずに貯めこんでいた「悲しさ」・「虚しさ」・「ストレス」認め

この深い河に身を委ねて、祈るシーン。


人はそれぞれの人生のターンングポイントで、自分を見つめ

自分では他人ではどうする事もできない事に対して

降参して、謙虚になって祈る。


その祈る姿は、欲・恐怖・悩み・ストレスをすべて背負い

自分の弱さをみとめながら、それでも生きている、素直な人間の姿なのだから

一番信じられるのだなと、思った。


この作品を読んで、筆者が伝えたいポイントではないかもしれないが

自分の中では「人間の祈り」がとても印象的に残った。

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packpackman

5.0 out of 5 stars 信仰とは、人生とは、

Reviewed in Japan on September 30, 2017

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いやあ、いいものを読んだ。

小説を本当に久しぶりにほぼ1日で一気に読んだ。


遠藤周作はクリスチャンだというイメージだけで、彼の作品を読むことを敬遠してきたが、信仰とは何か、宗教とは何か、ということにほんとうに真摯に向き合い、それをいくらかでも伝えたくて小説を書いたのだということがよくわかった。


ヒンズー教にも、仏教にも、これだけのリスペクトを込めて小説を書ける、クリスチャンの作家というのはそうはいないのでないか。

かれは、キリストがヨーロッパにうまれ、ヨーロッパを起点にしかキリスト教を考えていけないということに対する違和感だとか、かつて神の名のもとに世界中で虐殺や略奪などの横暴が行われたことをどう受け止めるべきなのかという苦悩だとかにも、真摯に向き合い、それを含めて信仰ということを考え、小説にあらわそうとしてきたのだ。


いや、本当にいいものを読んだ。

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longkeep

1.0 out of 5 stars 注文のクリックが、おかしくなった。知らないうちに、キンドル版に誘導された。ひどい詐欺❣

Reviewed in Japan on October 31, 2021

Verified Purchase

文庫本をクリックしていたが、注文がおかしくなって、キンドル版になった。読んでいない。

文庫本の注文をできないように画策して、キンドル版に誘導しクリックさせた。これは、明らかに詐欺である。ひどい。こんなことがあると、amazonを信用できなくなる。

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orange

5.0 out of 5 stars いい作品でした。

Reviewed in Japan on May 22, 2019

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続きが気になって仕方ないので、短期間で読み終えました。でも、ラストは期待したものとは違って深いため息が出ました。だからいいんでしょうけど。

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일본에서
N.
별 5개 중 4.0개 공감하다
작성일: 2022년 5월 10일 일본
확인된 구매
다양한 종교 중에서 가장 믿을 수 있는 것은 기독교라고 생각한다. 한편 일본에 옛부터 계승되고 있는 하나님이란 무엇일까 하는 의문이 없어지지 않았지만, 작자가 말하고 있는 것에 접해 대단히 공감하고 있다.
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이소무라 슈시
별 5개 중 5.0개 엔도 주작, 목숨을 건 유언적 작품
작성일: 2022년 6월 20일 일본
확인된 구매
신앙자로서의 자기의 고뇌, 문제의식을 복수의 등장 인물의 모습에 투영해 깊게 끌어내 보편적인 신의 존재를 그려내고 있다. 유럽적인 신앙이해에 대해 아시아인, 일본인의 한 사람으로서의 신앙이해에 대해 문제제기를 하면서, 그 이해를 인도의 여행, 갠지스 강과의 관계 속에서 다시 자기의 신앙을 되돌아본 훌륭한 작품 이다.
 사람으로서, 꼭 읽어 두어야 할 서적의 하나에 가치가 있다고 생각한다.
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별 5개 중 4.0개 변함없이 좋은 것은 좋은
작성일: 2022년 3월 23일 일본
확인된 구매
옛날부터 읽었습니다만, 다시 읽어 보면, 빠졌습니다. 역시, 좋은 것은 좋네요.
2명이 도움이 되었다고 합니다.
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오이카와 치아키
별 5개 중 4.0개 재미있는
작성일: 2022년 2월 20일 일본
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재미있는
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메에서 포치
별 5개 중 5.0개 만나서 좋았다고 생각하는 책이었습니다.
작성일: 2022년 5월 10일 일본
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TV 프로그램에서 이 책을 했습니다. 정말 이 책을 만날 수 있어서 좋았다고 생각합니다
. 하고 밝은 기분은 되지 않지만, 살다는 것을 깊게 생각하는 것을 이끌리는 시간을 받았습니다. 추천하고 싶습니다.
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세바스
별 5개 중 4.0개 대답은 자신 안에밖에 없다
작성일: 2021년 12월 30일 일본
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종교의 울타리를 넘어 우리에게 '신'이란 무엇인가를 계속 묻는 것.
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룰루
별 5개 중 4.0개 결국 「선」인가…
작성일: 2021년 11월 15일 일본
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좋은 소설이었습니다. 단번에 읽었습니다. 여러가지 생각하게 되었습니다. 묘사도 아름답고, 표현에 깊이도 있고, 과연이다라고 생각합니다. 다만, 이것은 어디까지나 나의 미숙함 때문이라고 생각합니다만, 결국 「선」을 밀어붙일 수 있는 것도 느낍니다. 작품중에서 오쓰는 「악 속에 선이 있고, 선 안에 악이 있다」라고 말합니다만, 미츠코에게 버려진 후의 오쓰는 「선」그 자체가 아닌가. 그것이 기독교의 교과서적인 선에서 멀리 떨어져 있어도. 미쓰코가 허위의 더 안쪽에 있는 것을 찾아도, 결국 바라보고 있는 것은 그리스도를 모범으로 사는 오쓰입니다. 이 책의 모티브는 모든 것을 받아들이는 깊은 강이지만, 결국 그리스도 이외는 받아들여지지 않는 것 같습니다. 마지막 수녀들의 '그것밖에 모른다'라는 말에도 답답함을 기억했습니다. 엔도 주작의 범신론적인 사고방식에는 공감을 기억하고, 단단한 이원론적인 기독교에 의문을 품는 것에도 공감합니다만, 최종적으로 「모든 인간의 고통을 맡은 너덜너덜한 그리스도」 라고 하는 이미지에는 피로를 기억했습니다. 하지만 오츠는 역시 행복하다고 생각합니다. 그 삶의 방식은 그의 운명입니다. 그러므로 오쓰의 삶을 맡는 그리스도의 존재가 많은 사람들에게 구원이 된다는 것을 이해할 수 있습니다. 어디까지나 개인의 감상입니다.
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파스토~루
별 5개 중 5.0개 부활이란, 환생이란, 신이란, 예를 들면
작성일: 2021년 10월 15일 일본
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등장 인물 중 한 명인 오츠는 「일본인의 마음에 맞는 기독교를 생각하고 싶습니다」라고 말합니다만, 이것은 엔도 주작씨 자신도 같은 것을 말하고 있습니다. 하지만 두 사람은 기독교를 일본인을 대상으로 한 것이 아니라 오히려 세계의 어떤 인간에게도 통하는 것을 기독교에서 짜낸 것은 아닐까요.

 "그 나무가 말했어. 목숨은 결코 사라지지 않는다고." "  내가
 …
양파(하나님, 혹은 예수=인용자 참고)는 어느 곳에서 버려진 나를 어느새 다른 장소에서 살려 주셨습니다.” “양파는 그들의 마음 속에 살았습니다
 . 죽었습니다.그러나 제자들 속에 환생한 것입니다」 「양파는 지금
 , 당신 앞에 있는 이 나 안에도 살고 있으니까」 「그 분(예수의 일=인용자 주)
 은 예루살렘에서 형에 있던 후, 여러 나라를 방랑하고 계시는 것입니다.지금도.여러 나라,입니다.예를 들면 인도, 베트남, 중국, 한국, 대만
  "
 속에」 「확실히 환생하고 계십니다 」나에게 태어났고 오츠에 태어났습니다. "이 말은 신약 성경이 예수님의 부활이라고 말합니다

 . 내가 준 것입니다.”라는 한마디를, 또 다른 종교가 환생이라고 말하는 것을 어떤 종교의 사람에게도 혹은 종교가 없는 사람에게도 전하려고 하는 것은 아닐까요? .

 하나님에 대해서도 이 책에서는 친숙한 시도가 이루어지고 있습니다.

 "그것은 인간 속에 있고, 게다가 인간을 감싸고, 나무를 감싸고, 풀꽃도 감싸는, 그 큰 생명입니다.
 " 기도하고 있는 이 광경입니다」
 「그 사람들을 감싸고, 강이 흐르고 있는 것입니다. 인간의 강. 인간의 깊은 강의 슬픔. 그 속에 나도 섞여 있습니다」 인도의 그 강은,

 누구 아무것도, 모든 것을 받아들입니다.

 「나가 신을 버리려고  해도
 …

일본인에게 있어서 기독교란 무엇인가: 말하는 것처럼 보입니다. 「깊은 강」은 소설이며, 와카마츠씨의 이름은 나오지 않고, 와카마츠씨의 출판 활동이 시작되는 쭉 전의 작품입니다만.
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나는 향을 피운다
별 5개 중 5.0개 20년 만에 재독
작성일: 2021년 12월 26일 일본
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대학 시대에, 아무렇지도 않게 손으로 읽은 이래의 재독. 젊었을 때는 그다지 깊게 읽지 않았지만, 지금은 나이를 쌓은 탓인지 일본인에게 있어서의 기독교라는 관점에서 감개 깊게 읽고 있다.
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아마존 사카 49 고객
별 5개 중 1.0개 죄송합니다
작성일: 2023년 2월 20일 일본
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꽤 기미가 있어 읽는 기분이 되지 않았습니다. 죄송합니다
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좋은!
별 5개 중 5.0개 종교관 이외에도 읽을 수 있음
작성일: 2021년 12월 20일 일본
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존 힉의 종교 다원론의 관련으로 읽었지만, 종교관과 플롯도 물론, 서경 서정 묘사에 있어서의 수많은 종류의 대비에 의한 콘트라스트를 사용한, 인간이 확실한 생의 실감을 얻는다고는 말하는 것이다 라는 구체적인 묘사가 좋았습니다. 구체적인 체감과 공허관을 시계열과 병행 시간의 양쪽으로 하는 것이 리얼리티와 친근감을 느끼는 곳이기도 했습니다.
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몇시
별 5개 중 5.0개 그리스도인의 저자가 "신앙"에 대해 깊이 베어 버린 소설
작성일: 2021년 12월 4일 일본
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각각의 이유로 갠지스 강을 목표로 하는 일본인과, 각각의 입장으로부터의 신앙에 대해 그려지는 소설.
아내 앞서 온 사람이 아내의 환생을 추구하고, 정말로 사람을 사랑한 적이 없는 여성이 한때 망설였던 경건한 그리스도인 남성에게 자신에게는 없는 무언가가 있다고 찾아, 임펄 작전을 살아남은 전 병사 의 속죄에, 각각이 신앙에 대한 마음을 가지면서 인도로 향한다. 신앙의 공뿐만 아니라 죄 같은 어느 시대에도 통하는 보편적인 테마가 던져진다.
이 소설은 그리스도인들 사이에서는 논란을 빚은 것 같지만, 저자가 결코 자신의 신앙을 망신하지 않고 다면적으로 종교에 대해 생각하려고 하는 자세를 알기 때문에 신앙을 갖지 않는 사람에게도 추천할 수 있다.
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별 5개 중 5.0개 생각하는 것이 많이 있습니다.
작성일: 2021년 11월 13일 일본
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고마워요.
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별 5개 중 4.0개 무종교는 좋은 일?
작성일: 2020년 7월 5일 일본
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종교 문학에 흥미가 있어 침묵을 학생 때에 읽고 엔도 주작씨가, 자신의 관에 침묵과 이 책을 넣어 달라고 하는 것을 알고, 읽었습니다.
다양한 등장 인물의 생각이 있어, 인도와 갠지스 강에 흥미를 가졌습니다.
다시 한번 하나님을 생각하셨습니다.
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니트
별 5개 중 3.0개 오래된 이야기
작성일: 2020년 10월 26일 일본
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Twitter에서 화제가 되었기 때문에 읽었지만, 결국 인도일까, 라고 생각했다.
인도의 갠지스 강에 모든 종교를 포함하는 것을 발견한다는 생각은 인도에 가본 적이 없는 인간에게는 어쩐지 듣고 오래된 결론처럼 보였다
.
엔도 주작의 시대에는 새로운 발상이었을까.
머리 속에, 자신을 찾는 젊은이나 백패커들의 이미지가 깜박이고,
인도에 가면 인생 바뀔거야! 라고 하는 캐치프레이즈도 떠오른다.
이런 말을 하면 천기귀신인 인간이므로 점점 인도에서 발이 멀어진다.
인도가 무대의 영화는 '반드시 잘 가겠다', '심판', '슬람독 밀리오네아' 근처밖에 본 적이 없지만 심판과 통하는 공기감을 느꼈다. 맞는 사람은 맞고, 맞지 않는 사람은 맞지 않는다.

등장 인물 속에서 미츠코에게 공감할 수 있었다. 공소한 자신을 안고 방황하는, 무언가가 될 수 없는 자신. 다만 결혼관이나 남녀관에 있어서 전체적으로 인물 설계가 낡고, 영화의 시대에 있어서는, 쇼와 기질의 사람들에게는 감정 이입한다고 하는 곳까지는 가지 않는다. 그런가, 전쟁을 모르는 세대라고 알고 있는 세대가 이런 식으로 교착하고 있었는지, 라고 생각하는 정도이다.

츠카다가 〇〇를 먹었다는 고백도 놓인 상황을 생각하면 쉽게 예상이 나오고, 거기까지 충격적도 아니다. 회개해야 할 것은, 그 시대, 전쟁군인에게 적절한 상담을 받는 방법이 없었던 것이다.

엔도 주작은 침묵, 바다와 독약, 왕비 마리 앙투아네트, 슬픔의 노래를 읽었지만, 좋아하는 작가이다. 그는 사람의 슬픔을 잡는 것이 좋다. 여재 없이 살 수 없는 인간의 기분을 잘 그리고 있다. 또 그리스도인인 그는 근대 이후 일본인의 운명 - 일본인 속에 심어진 유럽이 결코 진짜 유럽이거나 얻지 못하는 것, 항상 그 차이로 고통받는 것을 잘 알고 있다. 그늘을 안고 살 수밖에 없는 인간 친화적인 소설가이다.

단지, 낡은 것이다. 코에 붙는 것이다. 오쓰를 놀리고 싶어지는, 미쓰코의 기분은 잘 알 수 있다. 소설 자체가 마치 오쓰같다. 지금 종교는 가톨릭 사제가 소아 학대 스캔들로 권위가 흔들리고 있을 때 프랑스의 가톨릭 교회다니.

세계는 엔도 주작의 시대부터 비교하면 좁아졌다. 그러니까, 전제가 다른 이야기를 읽어도, 공통되는 것은 찾아낼 수 없어, 라고 느꼈다.
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토키와이
별 5개 중 4.0개 종교를 주제로 한 소설
작성일: 2019년 11월 20일 일본
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재독입니다
일신교와 범신론이 테마로 할까. 종교는 인간이 만들어낸 것으로 완벽한 것이 아니기 때문에 종교 논쟁이 발생하고 있다는 것을 작가는 시사하고 있는지 느끼게 되었다
. 그것 때문에 인도를 무대로 한 것은?
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안찬
별 5개 중 4.0개 엔도 주작의 집대성과 종교 다원주의의 해설서로서
작성일: 2019년 3월 11일 일본
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우선 본서를 읽는다면 사에키 아키라 씨의 후기와 부록의 저자 경력으로부터 읽어 주었으면 한다.
소설의 읽는 방법으로서는 매우 사도이지만, 그것은 본서가 일본인과 카톨릭이라고 하는 사이에 괴로워한 엔도 주작의 대답이기 때문이다.

엔도 주작의 대표작으로서 침묵이 있다.
거기서 엔도는 등장 인물인 기독교도의 개종(박해)을 일로 하는 이노우에 치쿠후수에게 “신과는 곤란했을 때에 편리하게 도와주는 존재가 아니다”라고 말하게 하고 있다.
기독교인이 말하는 하나님이란 그 사람의 습관, 삶의 방식을 지키기 위한 지표라고 한다.
그러므로 엔도는 일본인이면서 일본인이 가지는 곤란했을 때 도와주는 하나님상에 매우 시달렸다. 그것은 본서 말에 쓰여진 경력으로부터 10세에 무자각 세례를 받고 있었던 것에 기인한다.

그렇게 일본인이면서 일본인적이지 않은 사상과 고생하면서 살아간 엔도가 이른 하나의 사고방식이 존 힉의 종교 다원주의이다. 종교다원주의에 대해 리뷰로 쓰면 공간이 부족하지만, 긁어서 말하자면 “하나님은 여러가지 모습이 있고, 다양한 모습으로 그 사람의 마음속에 있다”고 말하는 것이다. 이야기 도중에 챠문더라고 하는 힌두의 여신의 일설이 나오지만, 정과 악, 삶과 죽음, 사랑과 증오라는 상반되는 모든 것을 포괄한 그 추악하고도 필사적인 모습, 그것이야말로 신이다 , 엔도는 그렇게 말하고 싶었던 것이 아닐까(차문더가 가톨릭으로 말하는 주님이라고 말하는 의미가 아니라 신의 다면성의 뜻

) 아울러 삼키는 인도에 가서, 각자의 신의 편비에 접하는 이야기가 깊은 강이다. 등장 인물들의 배경이 모두 엔도의 경력에 ​​관계되기 때문에, 후기와 부록의 저자 경력으로부터 읽는 것으로, 이 인물이 가지는 고뇌는 엔도가 언제 경험한 것인가, 라고 하는 것을 알 수 있을 것이다.
5명이 가진 마음의 어둠을 만지면서 읽어 나가고 싶다.
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코스모레이디
별 5개 중 5.0개 여러 번 읽고 싶습니다.
작성일: 2021년 1월 2일 일본
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일본인에게 있어서의 기독교, 어머니, 서양의 합리적인 것과 모호한 일본의 대비에 더해, 인도의 혼돈. 기독교의 신이 불교나 힌두교의 신과 상관하지 않는 것이 아니라 모든 것을 감싸는 존재인 것. — 그때까지 작가가 쓴 기독교에 대한 생각이 집약되어 ​​승화하고 있는 인상.
마지막 장면 이후 미츠코는 어떻게 했을까, 어떻게 할 것이라고 작가는 생각하고 있었을 것이다. 미조는 미쓰코로부터 듣지 않아도 인생의 어딘가에서 일의 참말을 아는 것이 아닐까 하는 예감. 각각의 등장 인물의 입장에 다가가면, 몇번이라도 읽어 들여, 몇번이라도 다른 것을 생각할 것이라고 생각한다.
제2 바티칸 공회의로부터 상당히 지나, 엔도 주작의 그리스도교감은, 현대의 교회에서는 어느 정도 받아들여지게 된 것일까.
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별 5개 중 4.0개 엔도 주작의 집대성적 작품.
작성일: 2019년 10월 6일 일본
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엔도 주작 씨의 신에 대한 지론과 인도의 매력을 알려주는 대작.
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RT
별 5개 중 4.0개 중삼국어 테스트 문제에 사용 된 것이 계기입니다.
2018년 1월 29일 일본에서 검토됨
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중3 아들의 국어의 독해 문제(한 고등학교의 과거문)를 보고, 만난 것이 이 깊은 강. 그냥 미츠코가 그렇게 되어 오츠를 마시는 모임에 초대하여 술취하게 한다는 듯하다. 매일 기도하는 오쓰에게 「그런 것 버려라」라고 다가오는 미츠코에 대해, 「나가 신을 버리려고 해도, 하나님은 나를 버리지 않는 것입니다」라고 하는 오쓰의 대사가 강렬하게 마음에 남았습니다 , WIKIPEDIA에서 이 책을 살펴보고, 미쓰코가 다시 여행지에서 오쓰에 재회한다는 것을 알고, 이야기의 행방과 엔도 주작의 종교관에 흥미를 가져 중학생이 정말 이해할 수 있을까? 라는 기분으로 푹 주문한 것입니다.

읽기 시작하면 시계열이 격렬하게 전후하고, 등장 인물도 건가를 무대로 한 여러 사람들의 각각의 스토리로 별개로 진행, 어째서 단편집인가? 라고 일순간 오해할 정도입니다만, 서두, 이소베의 아내를 암으로 죽어 가는 곳이나, 키구치의 장절한 전쟁 체험은 현장감으로 읽을 수 있어 충분한 잡기가 있습니다. 오츠와 미쓰코의 그 후의 교류와 얽힘은 연애도 아니고 정신교류도 지적교류도 아니지만 마른 관계가 전개되어 반대로 이야기로서의 재미가 크게 늘어났습니다.

또한, 엔도 주작의 종교관이 오쓰에 투영되고, 서양적 배타적 유일한 신적 기독교 비판적이며, 기독교는 더 관용적이지 않고 하나님 안에 있어야 할 것, 합니다.

그런데 저자는 오쓰를 이 정도까지 어리석게 그려 버린 것이 잔인할 때까지 좋습니다. 프랑스에서는 사상적으로 소외되어 신부에게 좀처럼 되지 않고, 오쓰의 종교관을 미쓰코에게 써 둔 편지는 그녀의 마음에 전혀 울리지 않는 문장으로, 결국은 인도에 가고 바라나시에서 아웃카스트의 시체를 운반한다 덧붙여 버린다. 사이고는 여행객이 화나게 한 인도인에게 멈추어 들어가면 반대로 자신이 보코되어 위로에. 하지만 여기서 이야기는 끝나고 있기 때문에, 죽는 곳까지 묘사하지 않은 곳에 일근의 빛이 보입니다.

다만, 미쓰코라는 여성에게는 리얼리티도 심파시도 느끼기 어렵다. 토리 마키의 학생으로부터 그 녀석을 놀아 보라,라고 말한 것만으로이 어리석게까지 아무렇지도 않게 남자를, "하나님이 아니라 나를 가져가라"라고 첫 대면으로 유혹하는 것인가, 잘 생기는 여성이라면 그런 하지 않을 것입니다. 그리고, 사람을 사랑할 수 없고, 맞아 결혼해 이혼, 그런 그녀가 여행지까지 쫓아 시킬 정도로 오쓰에 농락되고 있는 것인가? 라는 곳 등도 실감 없음. 그녀를 여기까지 행동한다면 좀 더 세밀한 묘사를 원하는 곳입니다. (오오츠에 관해서 말하면 그런 사람은 주위에 있지 않지만, 그만큼 배경적 설명이 있어 세세한 묘사가 있어, 날아간 성격도 매우 이해할 수 있습니다). 미츠코에 관해서는 내가 이해할 수 없는 것일지도 모르지만, 감정 이입을 할 수 없습니다. 솔직히, 이소나베의 아내 등의 겸손한 양처 현모 타입 이외의 여성에 대해서는, 아무래도 공상적 너무, 엔도 주작이라고 하는 작가의 고전적인 여성관을 엿볼 수 있습니다. 하지만, 최종적으로는 이 미쓰코의 존재가, 이야기의 환상적인 부분을 깊게 해 갈 수 있겠지요.

바라나시와 감가라는 무대를 그리는 방법이 환상적, 동화적인 곳을 강화하고 있다고 생각합니다. 바라나시는 그렇게 멋진 곳도 장절한 장소도 아니고, 모두가 모두 “슬픔을 짊어지는” 장소도 아닙니다. 물론 많은 인도인들이 언젠가 이 땅에 가고 싶은 언젠가 이 땅에서 죽고 싶다는 동경의 성지에는 변함이 없습니다. 하지만 인도인에게는 극히 당연한 일상이 펼쳐지는 장소입니다. 번역 개미의 외국인들이 뭔가를 요구해도 치유되는 곳이 아닙니다. 그러나 우리 외국인은 책이나 텔레비전이나 인터넷이나 영상으로 아직 보지 못한 인도에 과대한 기대를 안고 버리는 경향이 있습니다. 실제로 건가에 와서 충격을 받는 것은 우선 '어깨 워터마크'가 아닐까요? 건가는 마음의 깊은 슬픔을 해결하고 잃어버린 것을 찾아서 어쩔 수 없다. 그것은 물론, 이 책을 읽으면 그러한 것은 알 수 있습니다만, 표면적으로는 이쪽이 기분 어려워질 정도로, 그려지는 방법이 드라마틱하고 과장된 것이라고 생각합니다.

즉, 이 책이 발행된 1993년에는 인도 책은 썩을 정도로 있어, 바라나시, 건가에, 깊은 어둠을 가지고 온 등장 인물이라는 배경이, 지금 역시, 약간 진부감을 내고 있는 것일까라고 생각합니다. 다른 무대 쪽이 좋았을지도 생각합니다.

하지만 역시 이 소설의 요점은 역시 미쓰코와 오쓰이며, 범신적 그리스도 교관을 통한 두 사람의 마음의 교통과 성장은 뛰어난 그려진 양작이라면 꼭 한번 읽고 추천합니다.
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일본에서
hidamari
별 5개 중 5.0개 여운이 언제까지나 남는 한 권
작성일: 2020년 5월 26일 일본
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살아 있으면 상처가 없는 사람은 없다.
누구나 반드시 어딘가에서 자신과 마주하는 장면을 만나는 것은 아닐까.
인도는 사람의 마음을 진정시켜 깨끗하게 하는 무언가 큰 힘이 있을 것이다. 살아야 애절하다. 때때로 만져 읽어 가고 싶은 소중한 한 권.
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미도곤파파
별 5개 중 5.0개 인도보다 이 시대의 일본인에게 문화 쇼크.
작성일: 2020년 5월 11일 일본
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예를 들면 다음과 같은 묘사. 2020년이라면 전혀 문제가 없는 것이 당시에는 때릴 리스크가 있을 만큼 반사회적인 행위였던 것 같다.
“그런 굶주림이나 가난함을 전혀 모르는 이 젊은 부부는 비행기 속에서도 활기차게 늠름하거나 어깨에 손을 걸었다. 만약 버마의 정글에서 그와 비참한 퇴각을 한 전우들이 여기에 그렇다면 확실히 뿌리자.”
또 다음 묘사 등에는 부부 사랑의 조각도 느껴지지 않는다. 이것이 일반론으로 언급되는 것에 위화감이 있습니다.
“결혼생활이란 그에게 있어서 대단히 돌보거나 귀찮은 것을 보는 남녀의 분업적인 도움이었다. 소멸해 버리면, 나머지는 서로가 어떻게 도움이 되는지, 편리한가가 문제가 되는 것이다.」
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Ms.A
별 5개 중 5.0개 꼭 손에
작성일: 2020년 5월 8일 일본
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친구의 사랑 독서 때문에 신경이 쓰여 구입.
말은 어려운 곳도 있지만, 북적거리는 매력 있습니다. 이것은 읽는 것이 좋습니다.
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다케
별 5개 중 5.0개 엔도 주작의 생명
작성일: 2020년 2월 24일 일본
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엔도 주작이 목숨을 걸고 쓴 소설. 이것을 쓰지 않으면 노벨상을 받았을지도 웃음. 훌륭합니다.
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타히
별 5개 중 5.0개 인도에 대한 동경
작성일: 2020년 3월 29일 일본
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고등학교 때 「결전 때」를 읽은 이래의 엔도 주작의 작품. 각 사람에게 다양한 고뇌가 있으며, 그 앞에 무엇이 있는지를 갠지스 강에 찾아 인도를 목표로 한다. 물질적인 풍요를 초월한 인생의 의미를 소설을 통해 생각하게 했다.
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hrk
별 5개 중 5.0개 진리를 추구하는 마음
작성일: 2019년 10월 22일 일본
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오랜만에 갇혀 슬라 2 읽을 수 있었습니다!
죽음을 "숨겨진 일"처럼 멀리 두고 종교의 이야기를 갈등을 피하는 의미로 일상 말하지 않는 일본 사회 ... 가는 느낌 ... 압권이었습니다!
이 책을 끝내고 생각한 것은 그 종교가 이미 "답"을 주었다고 해도, 순종할 뿐만 아니라, 중세와 달리 다양한 종교의 성립도 배울 수 있는 현대는 의심하거나 고민한다" 과정 "...이게 가장 중요하다고 생각했습니다! 비유 "답"이 함께했다고 해도 "과정"은 십인십색이라고 생각하기 때문에 ... 타이틀의 "깊은 강"이지만, 옛날 바라나시에서 밤에 옥상에서 본 감가의 부정의 땅으로되어 어두운 대안은 마치 깊은 우주같다고 느낀 것을 기억했고, 조용히 깊었다.
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맛의 극미 처녀
별 5개 중 5.0개 인간기도
2015년 9월 18일 일본에서 검토됨
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・아내에 앞서 남편이 아내의 환생을 찾아 ・전쟁으로 치열한 체험한 노인이, 동료와 적의
공양  에 가 대신되어 죽은 것 같아, 그 새가 서식하고 있는 곳에 은혜를 위해, ・ 인생 에 어색함을 느끼고 있는 여성이, 어쩐지 끌리는 등 등 다양한 처지를 가진 일본인 각 목적을 찾아 인도 여행으로 향한다. 그러나, 기대대로 현실과 일본에서는 눈에 띄지 않는 인간이나, 이 세계의 잔혹함을 느끼면서도, 각각의 문제를 자신이 바라보는 묘사가 인상적인 소설. 특히 인상적인 장면은, 어떤 훌륭한 위인도, 길가에서 쓰러져 있는 손가락의 썩은 거지도 죽으면, 마찬가지로 화장되고, 그 재가 이어지는 세상에도 깨끗하다고 ​​할 수 없는 갠지스 강 에서 인도 사람들은 목욕을 하고 기도하는 모습을 보고 인생에 어색함을 느끼고 있는 여성이 갠지스 강에 들어가기도하는 장면. 갠지스 강을 인생이나, 또 하나님에게 비유해 “ 그 강이 흐르는 건너편에 무엇이 있는지 몰라도 과거의 많은 실수를 통해, 자신이 무엇을 원했는지, 조금만 알게 된 것 같다 " 믿을 수 있는 것은 각 사람이 각각의 괴로움을 짊어지고 깊은 강에서 기도하는 이 광경입니다. " 인간의 깊은 강의 슬픔 .



























라고, 그때까지 모든 사람이나, 물건에 대해서 차가웠던 여성이 하지 않고 모으고 있던
「슬픔」・「허함」・「스트레스」인정 이 깊은 강에 몸을 맡기고
, 기도하는 장면.

사람은 각각의 인생의 턴구 포인트로, 자신을 바라보고 스스로는
타인으로는 할 수 없는 일에 대해서 강참해, 겸허해져 기도한다
.

그 기도하는 모습은, 욕·공포·고민·스트레스를 모두 짊어지고 자신
의 약점을 바라보면서, 그래도 살아 있는, 솔직한 인간의 모습이니까 제일 믿을 수 있을 것이라고, 생각했다
.

이 작품을 읽고, 필자가 전하고 싶은 포인트는 아닐지도 모르지만 자신 중에서는 '
인간의 기도'가 매우 인상적으로 남았다.
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팩맨
별 5개 중 5.0개 신앙이란 인생이란
2017년 9월 30일 일본에서 검토됨
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아니, 좋은 것을 읽었다.
소설을 정말 오랜만에 거의 하루 만에 단번에 읽었다.

엔도 주작은 그리스도인이라는 이미지만으로 그의 작품을 읽는 것을 경원해 왔지만, 신앙이란 무엇인가, 종교란 무엇인가, 라는 것에 정말로 진지하게 마주하고, 그것을 얼마든지 전하고 싶어서 소설을 썼다는 것을 잘 알았다.

힌두교에도, 불교에도, 이만큼의 리스펙트를 담아 소설을 쓸 수 있는, 그리스도인의 작가라고 하는 것은 그렇게 없는 것일까.
그는 그리스도가 유럽으로 태어나 유럽을 기점으로만 기독교를 생각해 갈 수 없다는 것에 대한 위화감이라든지, 한때 하나님의 이름으로 전 세계에서 학살이나 약탈 등의 횡포가 행해진 것을 어떻게 받아들여야 하는가 하는 고뇌라든지, 진지하게 마주하고, 그것을 포함해 신앙이라는 것을 생각해, 소설에 나타나려고 했던 것이다.

아니, 정말 좋은 것을 읽었다.
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장기 보관
별 5개 중 1.0개 주문 클릭이 재미있었습니다. 모르게 킨들판으로 유도되었다. 끔찍한 사기❣
작성일: 2021년 10월 31일 일본
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문고책을 클릭했지만 주문이 이상해져 킨들판이 되었다. 읽지 않았다.
문고책의 주문을 할 수 없도록 획책해, 킨들판에 유도해 클릭시켰다. 이것은 분명히 사기입니다. 끔찍한. 이런 일이 있으면, 아마존을 신용할 수 없게 된다.
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주황색
별 5개 중 5.0개 좋은 작품이었습니다.
작성일: 2019년 5월 22일 일본
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계속이 신경이 쓰여 어쩔 수 없기 때문에, 단기간에 읽어 마쳤습니다. 하지만 마지막은 기대했던 것과는 달리 깊은 한숨이 나왔습니다. 그러니까 좋겠지만.
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===
빵집
별 5개 중 5.0개 양파
2019년 2월 24일 일본에서 검토됨
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인도 문화의 깊이에 단지 빠졌다.
단번에 읽고 끝난다.
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Amazon 고객
별 5개 중 4.0개 어렵지만 별로없는 책
2015년 12월 22일 일본에서 검토됨
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종교와 삶의 의미를 생각하게 하는 책. 그러나, 도중의 장의 끝 등등 조금 이해할 수 없었기 때문에, 만족할 수 없었다.
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떡볶이
별 5개 중 5.0개 훌륭한 작품 중 하나입니다.
2018년 2월 4일 일본에서 검토됨
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엔도 주작 씨의 소설을 아주 좋아해서 오랜만에 샀습니다.
매우 깊은 내용으로, 읽고 있으면 선명한 영상이 머리 속에 떠 있는 것 같고, 엔도씨의 날카로운 묘사가 살아 있기 때문에, 오랜만에 감동한 소설이었습니다.
잠시 여운이 남아, 점점 다른 엔도씨의 작품을 읽고 싶어졌다.
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케이코
별 5개 중 3.0개 비그리스도인의 공허함
2018년 9월 28일 일본에서 검토됨
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세계에서도, 많은 독자를 가지는 본서입니다만, 논쿠리쨩의 공함이 잘 그려져 있었습니다. 성령으로 채워지고 하나님의 축복에 넘친 신앙자의 모습이 그려져 있지 않은 것이 유감입니다.
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오키나와 후안
별 5개 중 5.0개 읽기 쉽습니다.
작성일: 2022년 9월 5일 일본
친구에게 추천 되었습니다만, 엔도 주작 선생님의 책이라고 생각해, 몸을 담았습니다만, 그런 일은 없고, 읽기 쉽고, 깊고, 흥미로운 책이었습니다. 앞으로 여러 번 읽을 것입니다. 재미있었습니다.
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Amazon 고객
별 5개 중 5.0개 명작입니다.
2018년 1월 14일 일본에서 검토됨
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읽기 시작하면 끌어 당겨 단번에 끝까지 읽어 버립니다. 깊게 마음에 뿌려 오는 명작입니다.
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HIROSIMA의 별
별 5개 중 5.0개 어렵게 쓰는 것이 작가입니까?
2018년 3월 1일에 일본에서 검토됨
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종교를 「매우 보통의 인간의 윤리」라고 이해하고 있는 사람이라도, 작가가 되면 한 줄로 쓸 수는 없습니까.
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지지
별 5개 중 5.0개 인도란?
2017년 8월 22일에 일본에서 검토됨
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모든 것을 감싸고, 내세를 향해 천천히 흐르는 갠지스 강 의 집대성에 틀림없다
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~도
별 5개 중 5.0개 그런 다음 상상해보십시오.
2015년 10월 27일 일본에서 검토됨
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깊네요...

인도 학습으로 읽기 시작했습니다.
그리고 삶의 공부로 읽고 끝났습니다.

마지막도 좋다고 생각했습니다.
그런 다음 상상해보십시오.
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메콩 사부로
별 5개 중 5.0개 환생 또는 에고의 초월
2015년 8월 13일 일본에서 검토됨
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이 작품의 가장 멋진 부분은 관점의 움직임에 있습니다. 처음에는 삼인칭이면서 일원 시점에서 이야기가 전개되어, 장마다 시점 인물이 바뀌어 간다. 그런데 이야기가 진행됨에 따라, 시점은 인물간을 자유자재로 왕래하게 되어, 독자는 복수의 인간에게 다음부터 다음으로 빙의하고 있는 것 같은 감각을 맛본다.

소설작법의 책에서 자주 말하는 것처럼, 이런 글쓰기는 소설의 상도에서 벗어나 있다. 신인상 레벨에서는 감점 대상이 될 것이다. 「깊은 강」에서 시점의 왕래가 설득력을 가지는 것은, 죽은 자의 의식이 사람으로부터 사람으로 옮겨가는 환생이라는 생각이 배경에 있어, 변칙적인 수법 그 자체가 이 소설의 주제를 표현해 있기 때문이다.

등장 인물 중 한 명이 한탄하듯, "이 증오와 에고이즘 밖에 없는 세상이 바뀔 리가 없다". 이단을 배제하고, 자신들의 견해를 지키기 위해 신랄한 말을 받게 하고, 때로는 육체적 박해에 이르는 종교계의 상황에서 쉽게 바뀌는 것은 아니다. 그러나 환생을 통해 자신이 타자가 되고 타자가 자신이 될 수 있다면 거기에 문제를 극복할 가능성이 생길지도 모른다.

인도에 가서 '깊은 강'을 본 사람들이 에고의 극복을 완수했는지 여부는 끝까지 알 수 없다. 작품을 읽고 끝내고 희망의 위치를 ​​가리키게 되었다는 생각만이 희미하게 가슴에 남아 있다.
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===
감사합니다
별 5개 중 4.0개 충격의 마지막
2012년 12월 4일 일본에서 검토됨
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마지막은 매우 충격적입니다.
속옷이 매우 잘 표현되어 있습니다.
그것이 엔도 주작의 훌륭할지도 모릅니다.
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포치
별 5개 중 4.0개 좋아요
2013년 6월 2일 일본에서 검토됨
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아이가 찢어져 구입했습니다. 원했던 책이었기 때문에 매일 반복해서 읽고 있습니다.
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꽃상
별 5개 중 5.0개 강바닥은 깊고 보이지 않는다.
2014년 8월 18일 일본에서 검토됨
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그리스도인 작가에게는 기독교가 절대적이라는 입장을 취하는 사람이 많다고 느낍니다.
나는 그런 작품에는 위화감을 느끼게 됩니다.
그러나 엔도씨는 언제나 기독교를 객관적인 입장에서 바라보려고 한 작가라고 생각합니다.
이 마지막 작품에서 엔도 씨는 기독교 이외의 종교관도 병기하고 있습니다.
5명의 인생이 병렬되어 있기 때문에, 매우 혼돈하고 복잡하고, 작가가 말하고 싶었던 것은 무엇일지라도 나에게는 잘 알지 못했습니다.
5명은 병렬인 것입니다만, 나는 오쓰를 중심으로 파악했습니다.
기독교 신학생이 된 오쓰는 서구 중심적인 교회에 맞지 않고 인도에서 가난한 자들을 구제해 나가고 곧 불합리한 이유에 의해 박살당해 버립니다.
이것은 예수 그리스도, 혹은 금교 시절의 베드로 기부 신부 등 순교자의 삶과 같은 요소가 있는 것처럼 느꼈습니다.
오쓰의 죽음은 개 죽음처럼 보이지만, 아마 미쓰코의 후속 생활 방식에 영향을 미치는 것은 아닐까요?
나는 기독교에 대해 잘 모르기 때문에 깊은 의미는 잘 모르겠지만, 독자들에 의해 다양한 해석이 가능한 작품이라고 생각합니다.
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포코
별 5개 중 5.0개 엔도 주작의 마지막 메시지
작성일: 2021년 11월 11일 일본
어렸을 때부터 엔도 주작 씨의 에세이를 읽거나, 출연되고 있는 텔레비전을 보고 있던 나였지만, 그다지 익숙하지 않은 기독교의 이야기를 잘 이해할 수 없었습니다.
그래도, 따뜻한 분이구나, 쭉 신경이 쓰이는 분이었습니다.

엔도 씨도 죽고, 젊었던 나도 50이 되어, 인연 있어 TV로 이 책을 알았습니다.

손을 다하고 들고, 단번에 읽었습니다.
마치 지도된 것처럼.

『하나님에 이르는 길은 하나가 아니다. 』

서투르게 사는 등장 인물들.
한사람 한사람이 안고 있는 고통과 슬픔.
그 가운데 각각이 열심히 살고 있다.

어디에도 속하지 않아도 신심 깊게 살 수 있다.
'그날'이 올 때까지 정성껏 살자.

마지막 메시지, 확실히 받았습니다.
고마워요.
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나구라 마미
별 5개 중 5.0개 스포일러가 있습니다. 읽지 않은 분, 조심하십시오
2013년 3월 21일 일본에서 검토됨
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 현대 일본에서는 '종교'라고 하면 바보로 바뀌거나 뭔가 수상한 것으로 경계의 눈으로 볼 수 있는 풍조가 있는 것 같은 느낌이 듭니다. 불행히도 앵무새 진리교 사건이나 9.11 테러, 아프가니스탄 전쟁이 있었기 때문에 그 경향이 강해진 시기가 있었을지도 모릅니다.
 최근 몇 년은, 또 「스피리츄얼」이라고 하는 이름으로, 이전 오컬트라고 불린 것이 가지고 넘어지기도 하고 있습니다만····. 저는 이런 영적 붐도 일괄적으로 부정하지는 않지만, '꿈을 이루는', '소원을 이루는', '살아가는 의미를 찾는다'라는 곳에 너무 중점을 두고 있는 곳이 그다지 좋아하지 않습니다. 전에는 좋아했지만 지금은 다릅니다.
 영적으로 열광하는 것은 주로 젊은 여성이지만, 그렇다면 전통적인 종교에도 좀 더 관심을 돌리면 어떨까라고 생각합니다. 그리고, 무엇교라도, 「신앙을 가진다」라고 하는 것은, 「꿈이나 희망을 가지고 노력하면 어떤 소원이라도 이루어진다」 「무언가 큰 힘에 지켜져, 절대로 나쁜 일이 일어나지 않는다」 「 사는 의미를 알 수 있다”는 것은 물론이다. 「꿈이나 희망을 가지고 노력하겠지만 어지러워도, 아무것도 되지 않는 일도 있다. 네, 아무래도 안 되는 것뿐이다」 「사는 의미 등 누구도 모른다」라는 것을 기억해, 우주를 지배하는 큰 큰 힘 속에 자신을 해방하고 맡겨 살아가는 것이라고 생각합니다.

 '자신은 완전한 무신론자다' '종교인 운세의 영적이라 믿지 않고 싫어한다'는 사람은 내 주위에도 몇 명 있습니다.
 그렇지만, 내가 생각하려면, 「불교」라든가 「기독교」라고 하는 종래의 틀에 얽매이기 때문에, 또, 그것을 돈이나 세속적 권력이나 영향력이나, 과연은 슬프게 폭력에 직결시켜 생각하기 때문에, 거부반응이 나오는 것은 아닌가?
 아미타 여래상의 미소와 제단에 장식 된 십자가, 신사의 조용한 공기, 타로 카드의 신비한 도안과 "사이킥 리더" "스피리츄얼 힐러"가 착용 한 빛나는 파워 스톤 건너편 에 있는 사람의 지혜로는 헤아릴 수 없는 무언가 엄청나게 큰 것. 그에 비해 아득히 오래 전부터 인류가 공통적으로 안아 온 순수한 경외심.
 그런 것을 태어나서 전혀 의식한 적이 없다는 사람이 적다고 생각합니다.
 그래서 이 소설에 나오는 사람들도 인도되게 하고 인도에 모인 것이라고 생각합니다. 병, 죽음, 이별, 애도, 속죄, 허무감, 전쟁의 기억. 한사람 한사람의 굉장한 생각이나 경험, 아무래도 인도에, 갠지스에 가야 했던 이유가, 그다지 신경 쓰지 않은 평이한 문장으로 정중하게 그려져 있어, 강하게 가슴에 다가갔습니다.
 특히 죽음에 처한 사람들을 짊어지고 갠지스의 기슭에 운반하는 오쓰는 작중에서도 예수 그리스도에 준하신대로 하느님에 가까운 역할이라고 생각되었습니다. 나는 지금까지 "아가페"라는 말을 그렇게 깊이 생각하지 않고 사용해 왔습니다 (어쩌면 우리 교회의 목사도 그렇다고 생각합니다). 하지만 최근 독서를 하거나 인터넷상의 '낯선 친구'들과 이야기하고 있는 가운데 그 말을 날마다 의식하지 않을 수 없게 되어 왔습니다.
 또 저는 여신이라는 존재에 옛날부터 마음을 끌어당기므로 힌두의 여신들이 등장하는 장면은 흥미롭게 읽었습니다. 차문더라는 여신은 처음으로 알았습니다. 석존의 설된 이 세상의 고통을 한 몸에 짊어진 것 같은, 그래도 사랑으로 가득 사랑을 계속 주는 추악한 할머니의 모습을 한 여신――내가 모르는 것 뿐일지도 모르지만, 확실히, 이런 존재는 다른 종류를 보지 않는 것 같습니다. 과연, 석존을 낳은 토지 사람들의 인생에 대한 통찰은 깊은 것으로 생각되었다.
 그리고 동화 작가의 누마타. 그와 살아있는 사람들과의 작은 교류에 눈물을 흘렸습니다. 내 집에서도 몇 마리의 고양이를 기르고 있습니다. 작년에 할머니 뒤를 쫓기 위해 한 마리가 타계했습니다.
 물건을 말하지 않는 사람이라는 것은, 왜 그렇게 사랑스럽고, 애틋하고, 건강하고 괴로운 것인가. 당연한 이야기이지만, 무언가를 말하지 않는다는 것은 말이라는 것을 가지지 않는다는 것입니다. 인간은 단어를 사용하여 정말 다양할 수 있습니다. 말이 있기 때문에 인간은 사랑을 표현할 수 있고, 생각이나 생각을 전할 수 있고, 행복해질 수 있습니다.
 하지만 사람을 해치는 것도 말입니다. 사람은 결국 '화가 난다고 말하니' 사람을 원망하고 미워하는 것입니다.
 「그 점, 동물이라고 하는 것은 아무것도 말하지 않기 때문에, 『미운 것 같다』라고 생각하는 일이 없으니까」라고, 고양이의 얼굴을 보면서 잘 생각합니다.
 마지막으로. 이소나베가 죽은 아내의 환생한 상대와 만날 수 있다는 환상적인 전개를 기대하고 있었기 때문에, 인디라 간디와 오쓰의 죽음, 라는 막부는 의외였습니다 (간디 총리가 실제로 암살된 것은 알고 있었습니다. 하지만). 나는 환생을 믿는다. 실제로 그렇게 밖에 생각되지 않는 경험을 하고 있기 때문입니다. 단지 우연의 일치라든지, 바보같은 소녀 취미의 오컬트 사상이라든지 일소에 붙어 버릴 것 같기 때문에, 누구에게도 이야기하고 싶지 않습니다만 (쓴웃음).
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존 존 바이 더 루인스
별 5개 중 4.0개 의외로 밝기도
2011년 10월 13일 일본에서 검토됨
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엔도 주작의 최저년(70세)의 작. 「침묵」이나 「사무라이」등의, 구원이 없는 어둠을 기대해 읽으면 배신당할지도. 주요 등장 인물은 다섯 명. 그 중에서 가장 엔도 자신을 투영하고 있다고 생각되는 것은 리옹의 신학교에서 범신론적인 사상을 비난받고 신부 실격의 낙인을 받은 오츠인데, 그 후 그가 도착한 인도 바 라나시에서의 자신감이 가득한 모습에는, 어떤 종류의 다시 열려 있는 밝기조차 느껴졌다. 이것이 기독교와 일본의 풍토, 신과 일본인의 문제에 대해 평생에 걸쳐 임해온 엔도가 마지막에 도달한 경지라고 생각해도 좋을 것이다. 책을 읽는 순서는 없지만, 이 작품은 몇몇 엔도 작품을 접한 후 읽으면 더욱 감동이 늘어나지 않을까 생각한다.
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오키
별 5개 중 1.0개 바라나시 가서 읽어도 미묘한
작성일: 2018년 5월 12일 일본
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작품으로서는 매우 좋을지도 모르는
그런 여러분과 같이 문학이나 강하지 않기 때문에 그 점의 평가는 할 수 없습니다만, 바라나시에 갈 수 있어, 미리 읽는 것이 좋다! 라고 말하는 것도 아닌
바라나시는 실제로 가서 굉장히 깊은 곳에서, 생각하게 되는 것도 깊게 있지만 소설과 같은 한밤중까지 밖에서 마셨기 때문에 될 수 있는 장소는 아니고 괴로운 거리도 아닌 그 거리에 녹을
있도록 뭐, 도대체가 될 수 있는 이상한 매력의 거리였다는
의미에서 바라나시에 갈거야! 추천하지 않습니다.
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가노엔
별 5개 중 5.0개 사람은 왜 현실을 넘어서는 것을 찾는가?
작성일: 2021년 12월 28일 일본
사람은 왜 현실을 넘은 것을 요구하는 것일까. 이해를 넘은 것을 알고 싶은 것일까. 있을까 없는지도 모르는 것을 확인하고 싶어지는 것일까. 아무래도 흑백을 붙이고 싶다. 그것은 자신도 마찬가지다.

 메인이 되는 등장인물은 각각 슬픔을 안고 인도여행에 참여한다. 슬픔과 고통을 비교할 수는 없다. 각각이다. 자신은 미쓰코라고 느꼈다. 하나님으로부터 오쓰를 빼앗아 보인다는 생각을 가진 미츠코야. 멸시하면서 오쓰를 계속 쫓는 미쓰코. 확인하지 않고는 있을 수 없다. 한사람 한사람의 에피소드가 쓰여진 말 이상의 것을 깊게 느끼게 하는데, 자신은 단연 미쓰코가 신경이 쓰인 것이다.

 갠지스 강이 모든 것을 감싸고 있습니다. 생로병사를. 여기에 따라 죽고 싶다는 사람들. 시체가 떠오르고, 재가 흘러나와, 그 옆에서 생활이 운영된다. 이 강의 존재를 보는 것으로, 불교의 살아있는 뿌리, 인간이 전하고자 한 소중한 것을 느낄 수 있는 것 같은 생각이 들었다.

 저자는 기독교인. 자신은 마무라. 종교라는 관점에서는 똑같이 볼 수 있다. 등장 인물인 오쓰는 기독교인으로 신부가 되기 위해 프랑스에 유학까지 하면서 일본적 범신론을 버리지 못하고 기독교 세계를 나와 인도로. 갠지스 강에 도착하기 전에 힘이 다한 아웃카스트 사람들을 그 자리에 데려가 화장한다.

 자신은 종교는 마지막으로 도착하는 곳은 같다고는 「아니」 없다. 그것은 확인할 수 없기 때문에. 단 하나 생각하는 것은 인간이 '추구'하는 것은 같을지도 모른다. 등장 인물은 각각이 다른 것을 요구하고 있다. 하지만, 그것은 자신이 납득하고 싶은 무엇인가이다. 그렇다고 고개를 끄는 것. 그리고 그것은 니세모노가 아닙니다. 진짜가 아니면 안 되는 것이다. 끄덕이는 진짜를 원한다.

 본인이 의식하지 않더라도 자신을 넘는 것을 요구하는 순간을 보여준다. 자신의 마음도 아프고, 흔들리고, 긴장 속에서 어떤 일인지 자신 속에서 대답이 없는 채 스토리가 진행되고, 소설은 끝난다. 그냥 읽고 있는 자신 앞에서 사라진 느낌이 든다. 그 계속은 종이 위가 아닌 곳에서 아직 계속되고 있다. 자신 속에서 계속되고 있다.
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Amazon 고객
별 5개 중 5.0개 과연.
2015년 7월 19일 일본에서 검토됨
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바라나시의 묵직한 정경이 등장 인물의 정신의 안쪽을 비추도록(듯이), 매우 마음 흔들린다.
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찰폰트
별 5개 중 5.0개 마음을 정화하는 소설
작성일: 2022년 1월 23일 일본
주장이 없는 상실감에 시달리고 있다. 그런 때에 마음을 정화해 주는 소설입니다.

이 소설이 발표된 것은 1996년입니다. 당시 아직 학생이었던 나에게 있어서, 엔도 주작은 그 기독교 신앙에 근거한 이야기가 멀리 있는 것 같아서 먹지 않고 싫어하는 작가였습니다.

거기로부터 20 수년이 지나, 인생의 산과 계곡을 다소는 경험해, 이 소설의 메시지에 공감할 수 있는 연령이 되었습니다. 만남과 이별을 경험할 정도로이 소설은 마음에 울리는 것입니다.

등장 인물들은 모두 도망치고 싶은 현실과 살아움을 각각의 마음에 숨기고 있습니다. 동시에 앞으로 인생에서 뭔가 의미를 찾아내고자 하는 겸손한 희망을 갖고 나름대로의 대답을 찾고 있습니다. 그런 사람들이 인도로의 투어 여행을 통해서 邂逅. 모든 것을 감싸 흘려 떠나는 「어머니 되는」간지스강의 기슭에서 각각의 대답을 찾아내는 것입니다.

인생에 헤매었을 때 차분히 읽고 싶은 소설입니다.
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===

ぬらりひょん吉

3.0 out of 5 stars 美津子は不感症

Reviewed in Japan on April 6, 2022

数多の男に愛されながら何も感じないなら、この際思いきって女に奔ってみてはどうかね?

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テニスおやじ

5.0 out of 5 stars 最後の傑作

Reviewed in Japan on June 6, 2014

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遠藤周作が最後まで追求したテーマが凝縮されています。何度も読み返したくなる作品です。

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hara maria

5.0 out of 5 stars 深い河

Reviewed in Japan on June 1, 2014

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遠藤文学の構成、表現また思想などを称賛いたします。人間の心の奥底に潜む影の部分が特によく描かれています。

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アブラハム

5.0 out of 5 stars 宗教の矛盾、救いとは?

Reviewed in Japan on September 3, 2021

インドのガンジス川であらゆる過去を持つ人々が交差する。好きなタイプな小説と思い手に取ったが、大正解だった。


後悔や懺悔、悲しみを背負った登場人物が救いを求めている中で、ひとり信仰心を持たない美津子が、物語を牽引している。

宗教の混沌とした矛盾そのものが、世界に争いや災いももたらしているわけで、なぜそこから脱げ出さないのかと説得する美津子こそ常識的に考えると正論な訳だけど、やはり人は後悔や懺悔、悲しみを乗り越えるためには、説明のつかない矛盾に満ちた探求や試行錯誤を経なければ救いの境地に辿り着けないということだろう。


たとえそれが救いのない結末であったとしても、それを認め、受け入れるのがガンジス川に象徴されるなにかであろう。

それをひとは神と呼んだり、たまねぎと呼んだり、もしくは愛と呼ぶ人もいるでしょう。


遠藤周作はちょっと重そうで避けて通って来たけど、普遍的なテーマなのかとても現代の心にも馴染み良い素晴らしい作品でした。

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田辺ともみ

5.0 out of 5 stars 人生、輪廻転生いろいろと考えさせられました。

2014년 2월 1일 일본에서 검토됨

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영화의 시사회 이래로, 시기적으로, 자신이 처음으로 인도에 건넜을 때와 같고, 정경 등 잘 알았습니다. 고마워요.

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일반 일본인

별 5개 중 5.0개 앞으로 인도의 바라나시를 여행하는 분, 꼭 추천합니다.

2012년 10월 15일 일본에서 검토됨

확인된 구매

이 작품에 나오는 인도의 바라나시를 여행하게 되어 구입했다.

바라나시로 향하는 비행기 안에서 읽기 시작했고, 바라나시 호텔 속에서 바로 등장 인물들이 바라나시를 중심으로 활동하는 장에서 끝까지 읽었다.

엔도 주작이 이 작품을 쓰고 나서 꽤 세월이 경과하고 있지만, 바라나시의 묘사는, 지금의 바라나시와 전혀 변하지 않는다.

자신도 이 소설 속에 있는 것 같은 감각을 즐겼다.

앞으로 인도의 바라나시를 여행하는 분, 꼭 추천합니다.

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코지마

별 5개 중 5.0개 바라나시의 지금과 옛

작성일: 2019년 3월 4일 일본

5명의 등장 인물의 삶이 말해지고, 각각이 뭔가를 찾아 갠지스 강을 방문합니다. 매우 읽기 쉽고 단번에 읽어 버렸습니다.

나는 이 책에 쓰여진 이소베 부부의 부부 관계에 마음을 끌었다. 비슷한 장면이 방문했을 때 내 아내도 비슷한 것을 말해 줄까. . . 지금 이상으로 아내와 대화를 하고 싶었습니다.


저는 이 책이 쓰여지기 전 80년대 학생 시절에 바라나시를 방문했습니다.

당시 화장장을 바라보고 있었는데, 화장장의 관계라고 생각되는 자가 막대기를 휘두르며 “Tourist, get out!”라고 퇴각하였습니다. 그렇게 인간의 마지막 의식은 엄격한 것이었다고 나 자신 인식했다.


그 후 본서를 만나서 나 자신 다른 각도로 갠지스 강을 보고 싶어졌습니다.


지난달 인도 출장이 들어갔기 때문에 현지에서 쉬고 바라나시를 방문했습니다. 일출의 순간은 80년대와 변함없이 엄격한 것이었습니다. 그러나 날이 오르고 관광객이 움직이는 무렵에 화장장을 방문해 보면 화장하고 있는 가까이까지 관광객의 모습이. . . 또, 강변이기 때문에, 관광객을 태운 보트가 복수 모여 화장을 바라보고 있었습니다. 나도 그 혼자였지만, 당시와 모습이 일변하고 있었는데 충격을 받았습니다.


인도에서는 영혼이 빠진 몸은 「물건」이라고 고인을 배송하러 온 인도인으로부터 들었습니다. 화장을 하고 있는 것은 위생적인 ​​이유로 정부의 규제가 있기 때문이라고 합니다. 그러고 보니 지난번 방문했을 때는 수장된 시신이 강을 흐르고 있었던 것을 보았지만 이번에는 보지 못했습니다.


육체의 형태가 없어지는 순간을 많은 관광객에게 배웅하는 것이 현대의 바라나시의 모습일지도 모릅니다. 인도인과 일본인의 사생관의 차이를 다시 한번 느꼈습니다.


이 책은 다시 나를 바라나시로 이끌어 주었습니다. 좋은 책에 싸웠다고 생각합니다.


이번에 바라나시로 촬영한 사진을 붙입니다.

고객 이미지고객 이미지

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지지마이아

별 5개 중 5.0개 깊은 강에 보는 엔도 신학

2011년 12월 19일 일본에서 검토됨

확인된 구매

오사카 타카츠키 가톨릭 교회 아델리노 신부님의 공부회가 계기로 엔도씨의 종교관을 담아 생각할 기회를 얻었습니다.

조금 긴 감상문이 되기 때문에, 이하의 사이트에 게재하겠습니다.


[...]

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토시타 신인

별 5개 중 5.0개 하나님이 왜 버리는지라는 절망과 큰 깊은 강이 모든 것을 감싸 흘러 간다.

2016년 9월 28일 일본에서 검토됨

엔도 주작은 하나님에 대한 헌신을 버리지 않는 사람이었다.

침묵이라는 주제는 하나님에 대한 절망을 나타내고 있었다.

하나님이 왜 버리는지 하는 것이 인상적이었다.

깊은 강 Deep River는 하나님을 양파로 만드는 유머가 살고 있습니다.

하나님에 대한 어리석은 인간의 주제; 오쓰라는 인간은 인품이 살아있다.

인간의 눈앞에 있는 '깊은 강'은 무엇을 거부하려고 하는가?

선악을 찾아내지 못한다. 동양의 가치관. 

신을 믿는 것을 부정. 환생.


건 아내의 예상치 못한 죽음 부부의 일상생활.

인도라는 나라가 가진 신기함; 제도, 「죽음」의 자연스러움.

왜 미쓰코는 ​​어디로 가려고 하는가.

오쓰의 삶과 죽는 방법.


깊은 강에

노란색 복장.

빛이 쏜다.

갠지스 강의 흐름.

부드럽게 씻어.


일본인은, 반성만 하고 있지 않은가?

풍요의 뒤에 무엇이 있는가?

어깨의 힘을 빼고 살아갈 수 있는 진정 달콤한 것

이런 식으로 느긋하게 살아주면 기쁘구나.

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캔두

별 5개 중 4.0개 죽음이란 무엇인가?

작성일: 2020년 8월 26일 일본

갠지스 강에는 말 그대로의 의미로 죽음으로 장소를 찾아 걸어오는 사람들이 있는 것 같다.

삶과 죽음을 분명히 나누어 생각하고 있던 자신으로서는, 그런 생각이 있는 것인가! 라고 생각했다.

갠지스 강에 가보고 싶어졌다.

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===

일본에서

비명

별 5개 중 4.0개 붙기 쉬운 종교관

작성일: 2020년 2월 1일 일본

세계의 어떤 종교라도 무심론자 자신이 종교색의 짙은 책으로 향하면 받아들일 수 없어 좌절하는 것이 대부분인데, 이것은 여행 저널적인 요소도 많고, 또 저자의 전하려고 하지 하는 곳도 매우 알기 쉽고 여유로 독파할 수 있었다.


또 언급하는 종교가 하나가 아닌 것도 인간이 만들어낸 관념인 곳의 ‘신’이라는 존재를 파악하는 방법이라 할지 인식하는 방법이 조금 자신 속에서 클리어되었다.


잠시 시간을 두고 재독을 거듭하는 것이 좋은 작품이라고 생각한다.

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Amazon 고객

별 5개 중 2.0개 내용에 불평 없음. 단지, 리듬감이 나쁜 소설인가.

작성일: 2020년 10월 26일 일본

엔도 주작의 책은 일반적으로 내 피부와 친숙하지 않은 것 같기 때문에, 맞지 않는 주관적인 리뷰일지도 모릅니다.

물론 명작으로, 좋은 소설이라는 전제로 이야기하고, 어디까지나 이런 의견도 있다고 편하게 짊어져 주시면 좋겠습니다.


노래로 말하면, 음정은 있지만 리듬감이 없고 잘 들리지 않는다. 라고 하는 사람은 노래방 등 가는 것으로 보입니다만, 거기에 가까운 인상을 문체로부터 받았습니다. 한마디로 말해 버리면 좋아하는 문체가 아니다. 좀 더 노골에 말하면 서투르다고 느끼고 있습니다만, 「그러면 써 보라」라고 말하면 나의 필력 등 도저히 없기 때문에, 그다지 강하게는 말할 수 없습니다.


종교나 신, 전쟁을 소재에 비교적 무거운 테마를 다루고, 작중에도 중고한 묘사도 산견됩니다만, 아무래도 내용만이 먼저 서 버려, 문학을 맛본다고 하는 몰입감을 나는 얻을 수 없습니다 했다. 엔도 주작의 사고를 노골적으로 읽고 있는 것 같아, 이야기에 들어가기보다는, 「아, 필자는 이런 말을 하고 싶은지, 전하고 싶은 것인가」라는 것이 먼저 와 버립니다.


이야기의 근육도 부딪치는 느낌이 있어, 말하고 싶은 것을 쓰기 위해서 장을 하고 있는 것 같은 인상이 있습니다. 또, 목적이나 복선이 비쳐 보이는 곳이 신경이 쓰입니다. 등장 인물의 움직임 방법이 이로 정연하고 있어, 「헤매다, 고민한다」라고 하는 묘사가 있어도, 그 「헤매다, 고민한다」라고 하는 행위 자체에 고민이 없습니다. 등장 인물은 엔도 주작의 손에 의해, 의도적으로 움직이고 있습니다. 즉, 등장 인물이 전원 엔도 주작으로 보이는 것입니다. 그 때문에, 이야기가 예정 조화로 진행되어 버리고 있습니다. 작가가 여기에서 괴롭히자, 괴롭게 시키자, 눈물을 흘리게 하자, 예를 들어 미시노에게는 자꾸 불만을 말하게 하고, 종교를 마치 이해하지 않는 일반 시민 대표로 시키자 등, 의도가 보여 버려, 나는 감동할 수 없었다. (물론 감동하는 것이 소설의 목적은 아니지만)


일본인은 어떤 종교도 삼키는 국민성이므로 깊은 강에 나오는 사람만큼 종교에 혐오감을 보이지 않는다고 생각합니다. 등장 인물은 아무래도 좋은, 관심이 없다고 말하면서, 종교를 의식하고 있습니다. 결국은 전원 엔도 주작인 이유로, 진짜 일반인이라고 하는 것은, 자신에게 폐가 걸리지 않는다면, 어떤 종교도 마음대로 해 주세요라고 하는 것이 많은 일본인의 본심으로 생각합니다. 미쓰코처럼 신이라고 부르는 것조차 미끄러지기 때문에 양파라고 부르는 혐오감, 그것은 관심의 뒤집음입니다. 즉, 등장 인물은 어딘가에 그런 인간도, 고상한 인간상도 아니고, 바로 엔도 주작의 분신. 작자의 얼굴이 전면에 나오는 논문과 같은 인상을 받는 것입니다.


문체도 표현에도 딱딱함이 있어, 예를 들면 미시마 유키오의 놀라운 표현이나, 무라카미 하루키의 독특한 은유나, 가와바타 야스나리의 관능적인 말 선택 등은 전무하고, 매우 실용적인 것의 말투를 하고 있습니다. 소설풍 논문이라고 하는 것으로, 두근거린 표현이나 묘사는 좋기 때문에 사상이나 내용, 결론을 요구하는 독자에게는 매우 바람직한 작가라고 할 수 있습니다.


오랫동안 졸문을 썼습니다만, 훌륭한 소설에 차이는 없습니다. 종교는 깊고 그것을 믿지 않기 전에 매우 매력적인 인간의 창조물로 생각하기 때문에, 그 주제에 자신의 태어남도 함께 생애 생각을 빼앗아 온 엔도 주작의 사상에는 가치가 있고, 종교 을 아는데 빼놓을 수 없는 일작이 되는 것은 아닐까요.

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따뜻함

별 5개 중 2.0개 체

2009년 8월 14일 일본에서 검토됨

확인된 구매

보자기 펼치고 제대로 견딜 수 없는 (때문에 없다?) 느낌.

엔딩을 향해 정리하는 것이 번거롭게 된 것 같은 갑작스러운 끝에 불만이 남는다.

약간 미츠코만이 마음의 변화를 받아들이지만,

다른 등장 인물의 마음의 변화는 그다지 그려지지 않고,

전편을 통해 움직임이 있는 상황의 묘사에도 붓이 부족해, 소화 불량.

이소베에는 다시 태어나고(의 확증)을 찾아내고 싶었고,

오쓰의 그 후(최기?)도 그려 주었으면 했다.

다룬 테마를 요리할 수 없었던

역량·기력 부족을 드러낸 유감스러운 작품.

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아이지라

별 5개 중 4.0개 각 신

2019년 2월 19일 일본에서 검토됨

읽기 쉬운 작품이었다.

작품을 통해 '신이란 무엇인가' '인간이란 무엇인가'를 생각하게 했다.


다른 신부에게서 이단시되는 오츠의 믿고 있는 기독교는, 나로부터 봐 위화감이 없고 상식적이다. 모든 종교는 같은 신에서 나왔고, 오쓰의 경우에는 우연히 기독교였다. 범신론도 말해져 엔도 주작의 종교관을 알 수 있다. 기독교에는 자세하지 않지만 위화감을 안는 그리스도인은 많을 것이다.


건가를 통해 등장 ​​인물은 삶과 죽음이나 자신 속의 에고를 생각하고 구분한다. 그런 묘사도 읽을 수 있었다. 다시 읽고 싶은 작품이다.

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Amazon 고객

별 5개 중 4.0개 흥미로운

작성일: 2019년 5월 21일 일본

흥미 롭습니다만, 전개를 읽어 버리므로☆4개입니다.

엔도 선생님에게는, 살아가는 의미가 있어 좀 더 깊은 고찰을 해 주었으면 한다고 생각합니다.

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존_카피바라

별 5개 중 5.0개 엔도 씨를 대표하는 명작

작성일: 2020년 3월 2일 일본

엔도씨의 저작은 좋아해서 많이 읽고 있습니다만, 이쪽은 처음 읽는 분에게도 받아들이기 쉬운 내용이 되고 있습니다. 신앙이란, 사랑이란, 모지란 무엇인가를 묻는 내용입니다만, 시대 배경이나 등장 인물도 현대에 가까워 들어가기 쉽기 때문에, 꼭 모든 분에게 읽어 주셨으면 하는 내용입니다.

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반페이유

별 5개 중 2.0개 인도에서 당신도 생각해?

작성일: 2021년 1월 3일 일본

일본인도 인도인도 묘사가 무척. 저자의 패션, 감동, 동기가 느껴지지 않습니다. 일본인은 인도에서 생각하고 싶어지는 민족일까요?

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앞으로

별 5개 중 3.0개 바라나시에 오면 역시 읽어야

작성일: 2019년 8월 13일 일본

20년 만에 문득 인도 여행으로 바라나시를 재방문하게 되어 읽어 보았다.

힌두의 세계를 청정과 부정, 신성과 추잡, 자비와 잔인이 혼재해 공존하고 있다는 것이 잘 표현하고 있다. 아무것도를 삼키는 갠지스 강, 목욕하는 사람, 거품을 세워 몸을 씻는 사람, 세탁하는 사람, 관광 보트에 탑승하는 여행객, 가축이나 여러가지 물건이 섞인 참을 수 없는 냄새 중에서, 각각의 종교를 중시하는 일본 적인 다양성은 엔도 주작이 쓴 무렵도 지금도 변함없는 일본인의 미덕이라고 생각한다.

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엣지 워커

별 5개 중 5.0개 부러진 못과 양파

2014년 5월 15일 일본에서 검토됨

이 책은 93년에 출판된 저자에게는 최저년의 작품입니다.

지금까지의 오시는 방법이 결정화된 것 같은, 조용한 박력을 느끼게 하는 것이었습니다.


이야기에는 인생 도중에 고난을 안은 인물이 연작으로 등장합니다.

그들은 각각 조금씩 관계를 맺고 인도행 투어에서 만나 '대답이 없는 대답'을 찾습니다.

저자는 기독교에 대한 믿음을 갖기 때문이거나 이 책에서 기독교 세계관이 자주 등장합니다.

그러나 강요가 좋지 않고 오히려 기독교가 가지는 모순을 짙게 묘사하면서도, 여전히 그 길을 걸으려고 하는 고뇌 속의 결의를 강하게 삼키는 것이었습니다.


리뷰 제목의 '양파'와 '부러진 못'은 '거룩한 사람'을 묘사한 것으로 본문 중 다음과 같은 모습에는 가슴 쳐졌습니다.

 "죽음에 처한 병인 옆에서 넘어진 자세는 그렇게 꺾어 못처럼 보였다. 환자의 마음의 구부림 상태에 자신을 맞추고 고통을 함께 하려고 했다." "양파가 죽었을 때,

  도망


 쳤다 제자도 양파의 사랑의 의미를 알았습니다.배신당해도 양파는

  제자들을 계속 사랑했습니다.그러므로 그들의

  마음에 양파가 새겨져 잊을 수 없는 존재가 되었습니다. "


 무엇을 위해 빈사인들을 숙박시설로 옮기는 거야 ?

 "


닫았을 때, 만감의 생각이 가슴에 떠났습니다.

묵직하게 낭독해 온 가운데, 본서는 마음에 남은 몇 안되는 책의 하나입니다.

덧붙여 마찬가지로 모순 속에서 신앙의 길을 걸은 거룩한 사람으로서 " 칸디도 신부 의 자전 등도 추천합니다.

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수국

별 5개 중 3.0개 오쓰는 신부가 될 수 있었는가?

2019년 9월 15일 일본에서 검토됨

하나님의 모성적 사랑만을 바탕으로 기독교 성직자가 될 수 있을까. 죽음을 가까이 향한 아웃 카스트의 사람을 갠지스 강까지 옮긴다는 사랑의 행위는 하나님의 부성적 엄격도 받아들인 사람이 아니라면 어쩔 수 없는 것이 아닐까. 신학교에서 배우고 신부까지 된 오쓰가 하나님의 모성적 사랑만을 거점으로 그리스도에 대한 믿음을 계속 온다면, 나는 아무래도 위화감을 느낀다. 한 명의 그리스도 신도의 종교관을 나타낸 소설로 읽으면 좋지만, 이 작품을 기독교 신학이라고 파악해 버리면(그런 사람은 없을지도 모르지만) 오해를 일으킬지도 모른다.

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===


별 5개 중 5.0개 여러 번 읽어 버렸다.

2011년 12월 2일 일본에서 검토됨

씨의 작품은 「예수의 평생」을 우연히 만난 학생 때부터 읽어 왔지만, 이 작품은 씨의 평생의 집대성이다.


씨의 작품에 의해 기독교에도 동경을 품었지만, "Believe in" 라고 말한 심경에는 아무래도 할 수 없는 것을 대변해 주고 있다.


최근에, 오히려 불교 쪽이 science에 가깝다는 것을 알았지만, 서양인의 강한 에고에는 붙어 갈 수 없었던 경험을 기억한다.


20 몇년 전 발표의 '스캔들'은 당시에는 젊고 아무것도 읽을 수 없었지만, 나이가 들면 알 수 있다.


최근 씨의 작품이 서점의 선반에 놓이지 않는 것은 외롭다.


To believe is to select what I think is right and logical


.


이때 처음으로 종교에서 자유롭게 될 수 있었다고 생각했다.

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음유영인

별 5개 중 5.0개 ◆ 하나님은 존재보다는 일하고 사랑이 일하는 덩어리이다

2013년 3월 19일 일본에서 검토됨

이 소설은 헤세이 5년에 출판된 것이지만, 70대에 돌입한 작가의 작풍이라고는 생각되지 않을 정도의 잔잔함, 극히 자연스러운 드라마성을 느끼게 한다.

소설의 구성은, 다양한 고뇌를 짊어진 사람들이, 우연히 같은 투어 여행에 참가하게 되어, 그 각 사람마다 이야기가 전개해 가는 것이다.

그 여행지라고 하는 것도, 인도 불적 순회라고 하기 때문에, 작자의 어떠한 의도를 느끼지 않으면 안 된다.

요점은 오쓰라는 인물. 미쓰코가 학생 시절에 유혹한 가톨릭 신자이다.


이야기는 이렇다.

미션계의 대학에 다니던 미쓰코는 ​​주위에서 괴롭힘을 당하고 진지한 가톨릭 신자이기도 한 남학생 오오츠를 유혹한다.

오쓰는 서투르면서 순수한 사랑을 기울이지만, 미쓰코로 해 보면, 우브인 오쓰를 참아 보고 싶어진 것만으로, 차갑게 질렸다.

그 후, 미츠코는 어울리고 부유한 청년 실업가와 결혼하지만, 그 생활에 아무것도 채워지지는 않았다.

한편 오츠는 미쓰코에서 뻔뻔한 걸레처럼 버려진 뒤 구원을 찾아 프랑스 리옹으로 건너갔다.

거기에 있는 낡은 수도원에서, 수년간, 신학의 공부를 하고 있었던 것이다.

그런데 그 후, 미쓰코가 동창회에서 오쓰의 소문을 우연히 들으면 오츠는 인도에서 수행하고 있다는 것.

그런 일도 있어, 미쓰코는 ​​인도 투어 여행에 참가하는 것이었다.


'깊은 강'의 작중에 등장하는 미쓰코와 오쓰의 대화는 흥미롭다. 어떻게든 하나님에 대한 믿음을 중단시키려는 쪽과 필사적으로 하나님에 대한 길을 끊고 구원을 구하는 쪽.

이것은 혹은 엔도 주작 자신의 자문 자답이었을지도 모른다.

고등학교에서 다소의 세계사를 갇힌 분이라면 누구나 알고 있는 것이지만, 기독교가 포교의 이름을 빌려 많은 땅을 빼앗아, 그것이야말로 많은 인명을 빼앗았다는 사실. 하지만 왜 기독교가 없어지지 않을까. 하나님의 존재를 부인하지 않습니까?

그래, 신앙이란 지굴이 아니다. 단지 오로지 믿는 것이니까.

저자는 오쓰의 말을 빌려 다음과 같이 말한다.

「일본인의 마음에 맞는 기독교를 생각하고 싶습니다」

유럽에서는, 유일하게 절대라고 생각되고 있는 신의 존재이지만, 동양인에게는 그 종교관을 받아들이는 것이 어렵다.

오츠의 생각으로 "하나님은 여러 가지 얼굴을 가지고 계신다. 유럽의 교회와 채플뿐만 아니라 유대교도 불교 신도 가운데 힌두교 신자들도 하나님은 있다"고. 이것은 바로 엔도 주작이 인생을 끊고 계속 물어온 종교관일 것이다.

하나님은 존재라기보다는 일하시다고.


때때로 정보의 범람한 세심한 세상에서 나는 비밀로 하나님을 믿고 싶어진다. 왜냐하면 무엇을 믿으면 좋을지 모르고 엄청나게 살아 버리는 나날이기 때문이다.

'깊은 강'은 망설이는 사람에게 부드럽게 일하는 영적인 소설이 될 수 있을지도 모른다.

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가져가다

별 5개 중 5.0개 자비

2015년 11월 16일 일본에서 검토됨

엔도 주작의 작품을 많이 읽어왔다.

프랑스의 리옹은 일년 내내 대부분이 둔한 흐린 하늘이나 비라든지, 기흉이라는 질병은 폐에 구멍이 열리는 질병이거나 엔도 주작의 책에서 아는 것이라고 하면, 슬픈

것이

다수

이다 했다.

엔도 주작은,

그런 살아가는 위에서의 슬픔을 순문학에 담은 작가였다고 느낀다.

그리고 또 하나 엔도는, 오늘 해야 할 일은 오늘 한다는 생각이 아니고, 오늘 할 수

없으면 내일 하면 된다고 하는 삶을 추천한 작가이기도 했다.

그런 엔도 마지막 작품인 깊은 강.

작가 인생을, 당겨서는 자신의 작품 모두를 깨끗이 하기 위해 쓰여진 것 같은,

그런 일을 느끼는 것은 나만이 아니다고 생각한다.

슬픔 위에 희망을 찾았지만 무리를 좋게 하지 않고 엔도는 십자가의

자비를 문자에 담은 작가였다.

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페칸

별 5개 중 4.0개 일본인에게 있어서의 종교란··

작성일: 2018년 5월 3일 일본

대조적인 신이 묘사되어 있는 것이 인상에 남았다. 일본인 유학생인 오쓰가 다니던 리옹의 신학교 신부들이 믿는 절대적인 일신교의 신. 그 오쓰는 자연의 모든 것에 하나님이 머무르고 있다는 범신론적인 신조를 갖고, 그것을 신학교의 교사에게 알려져 신부 실격의 낙인을 밀려 방어된 후, 마지막에는 인도에 흘러들어가, 갠지스 강 기슭에서 가난을 위해 장례식을 받지 못한 사람들의 시체를 화장하고 강에 흘리는 일에 휩싸이고 있다. 그 오쓰가 믿는 신. 둘 다 신이지만 후자에게 압도적인 공감을 기억했다. 그리스도 예수께서 전하신 하나님의 모습은 어느 쪽이었는가. 오쓰의 마지막 모습이 시오카리 고개의 철도원 신부의 모습과 더럽혀 보였다.

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가오 후

별 5개 중 5.0개 목표는 없다. 해도 없고 결론도 주지 않는다.

2018년 7월 8일 일본에서 검토됨

읽어 보았습니다. 끝까지 읽었다고 해서 결코 해피엔드도 아니고, 뭔가를 가르쳐 주는 것도 아니고, 뭔가를 아는 것도 아니다. 삶과 죽음은 무엇입니까? 종교란? 윤회 환생이란.

여러가지 생각하게 하는 일은 많지만, 누구의 인생에도 스토리가 있어, 갠지스 강은 그런 누구도 따뜻하게 받아 주는 곳이다. 깨끗한 하와 거룩한 하와는 별개이다.

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치피코

별 5개 중 5.0개 10년 이상 만의 재독

2017년 8월 20일 일본에서 검토됨

학생 시절에 한 번 읽은 적이 있었지만 거의 내용을 기억하지 못했습니다. 그럼에도 불구하고, 10년 이상 지난 최근이 되어 무성하게 읽고 싶어져(이 작품이 여러가지 곳에서 화제에 올라 평가되고 있는 것나, 깊은 작품이라고 하는 인상이 남아 있었기 때문에), 재독했습니다.

결과, 스토리, 문장에 매료되어 단번에 읽어 버렸습니다.

오랜만에 엔도 주작 씨의 작품을 읽었습니다만, 그가 그리는 인간이 가지는 어쩔 수 없는 "사가"와 같은 것에는 공감시킬 수 있는 곳도 있고, "이런 마음의 세계는 존재하고 있다. 존재하고 있어 좋다.」라고, 왠지 용기 받을 수 있습니다.

인생이라고 하는 것에 대해, 아니라도 생각해 버리는 사람에게, 다가가 격려해 주는 작품과 같이 느꼈습니다.

또 후일, 이 작품의 등장 인물의 대부분에는, 작자 자신이 투영되고 있는 것을 눈치채고, 작자가 인생을 걸어 쓴 작품이구나라고 섬세함이라고 느꼈습니다.

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포치 R

별 5개 중 4.0개 십수년 전에 읽었을 때와는 시점도 감상도 바뀌어 버린 자신을 깨달았다.

2014년 7월 24일 일본에서 검토됨

처음 읽은 것은 이제 십수년 전. 그 무렵에는 왠지 모르게 제일 첫 장에 등장한 이소나베의 시점에서 이 이야기를 읽고 있었다고 생각한다. 아내 앞에 놓인 이소베. 아내의 마을 때의 말에 매달리도록 인도에 온 이소나베. 환생이 있는지에 대해서는 회의적이면서도 환생한 아내를 찾아 찾는 이소나베.


그러나 이번에 오랜만에 다시 읽었을 때 이번에는 미쓰코의 시점에서 이 이야기를 읽고 있었다. 대학생 때, 사람의 기분을 배려하지 않고 자유롭게 살았던 미츠코. 그 무렵 변덕에 대단히 놀고, 초라하게 버린 오쓰라는 남자와, 인생의 고비 마다 관련되는 미쓰코. 알 수 없는 것은 왜 미쓰코가 그렇게 무슨 일을 하는지, 사람의 아픔이나 감정을 이해할 수 없는가 하는 곳이었다. 그녀가 태어나 자란 배경은 쓰여지지 않았다. 그러니까, 무엇이 그녀를 그랬는지 모르겠다.


다만 여기에 나오는 오쓰라는 남자는 사회의 어디에 있든 어느 나라에 가도 거기에 참을 수 없다. 인간관계를 쌓는 능력에 다소 부족하여 그로 고통받고 자신을 감싸주는 느슨한 큰 사랑을 찾아 결국 인도에 도착하고 있다. 그런 관점에서 보면, 미츠코도 또, 「어떤 식으로 태어나 자랐기 때문에 그렇게 되었다」라고 하는 것이 아니라, 태어나, 그러한 기분을 이해하는 능력이 부족하다는 것일지도 모른다.


이소베에 대해서는, 이번에 다시 읽으면, 이전과는 꽤 나 자신이 느끼는 감상이 바뀌어 버렸다.


예전에는 이 이야기의 표면적인 분위기만으로 매료되어 환생을 찾아 여행을 떠나고 있다는 설정에 왠지 몰랐다. 하지만 지금 다시 읽으면, 오랜 세월 동반한 아내는 공기만큼밖에 느끼지 않고, 아내의 생각을 묻는 것도 이해하는 일 없이 편리한 존재라고 생각해 나날을 보내고, 아내에게 여명 선고가 나왔을 때 처음으로 , 그 존재를 잃는 두려워. 그것은 애정이 아니고, 나의 나날의 생활에 있어서 편리한 존재가 없어지는 공포 밖에 없다고, 나에게는 느껴졌다. 만약 이런 식으로 아내를 잃지 않고 더 나이를 먹을 때까지 함께 있었다면, 이소나베는 역시 아내를 공기처럼 취급하고 생각을 묻지 않고 이해하지 않고 날들을 보냈던 것이다 합시다. 그리고 또, 환생을 찾아 인도에 온 것으로, 「아내는 성불해 준다」라고 여행의 동료에게 말하는 이소나베는, 그 사실, 자신이 구원받고 싶어, 자신이 아내의 부재를 납득하고 라고 받아들이는 「상의 일」의 도상에 있다고, 이 나이가 되어 겨우 느낄 수 있었다.


십수년 후에 또 이 이야기를 읽었을 때, 나는 이번에는 누구의 관점에서 어떤 감상을 안을까.

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poporon

별 5개 중 5.0개 사랑이란

2016년 1월 24일 일본에서 검토됨

종교란 무엇인가, 사랑이란 무엇인가에 대해 깊이 생각하게 되었다.


'깊은 강'이 죽음과 재생의 상징인 것처럼 우리 모두가 대자연의 큰 근원에서 태어난 지류의 1개 1개라고 생각한다.

지금 세계에서는 종교에 의한 다양한 싸움이 있고, 하나의 종교 중에서도 다양한 교리의 차이가 있지만, 본질에서 우리는 하나로 연결되어 있어 큰 하나님의 품에 안겨진 존재라고 생각한다면, 모든 인형이 무의미하게 보인다.


요 전날 무장 세력의 습격에서 기독교인을 지키려고 이슬람 남자가 부상했다는 소식을 알았다. 그 후 병원에서 사망했다고 한다.

종교의 차이를 넘어 사랑의 본질은 하나라고 생각한다.

과연 자신에게는 그와 같을 수 있을까.


사랑이란 교리 속에 있는 것이 아니라 행위 속에 머무르는 것이라고 이 책의 등장인물의 생애를 생각해냈다.

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비자크22

별 5개 중 4.0개 무종교 30대 남자의 관점

2014년 3월 26일 일본에서 검토됨

소중한 아내를 병으로 죽은 남자, 신을 믿지 않는 여자, 전쟁의 수라장을 빠져나온 남자… 다양한 인물이 각각의 마음을 가슴에 인도의 갠지스 강으로 향하는 과정을 그린 작품입니다.


작자, 작품 모두 유명하기 때문에 많은 분들이 리뷰와 해설 등을 쓰고 계신다고 생각합니다. 적절하고 정확한 분석은 그러한 분들에게 맡기고 싶습니다. 저로서는, 무종교 30대 남자라고 하는 본서의 독자로서는 약간 소수파라고 생각되는 사람의 입장으로서, 리뷰를 진행하고 싶습니다.


지금은 기존 종교를 믿지 않는다. 승려와 성직자를 존경하는 것이 좀처럼 할 수 없기 때문입니다. 모든 것이 그렇다고는 말하지 않지만, 필요 이상의 부와 욕심을 가지거나, 타인에게의 배려와 행동이 부족한 사람이 적지 않게 느끼고 있습니다. 또, 작가의 키타모리오씨는 「종교는 많은 사람을 구했지만, 그 이상으로 많은 사람을 괴롭혔다」라고 하는 내용의 문장을 쓰고 있습니다. 나도 그렇게 생각합니다. 이 근처의 사정은, 옛부터의 기독교나 이슬람교라고, 최근 수십년 정도의 역사가 얕은 신흥 종교에서도 같은 것이라고 생각합니다. 너무 높은 장례비용, 전쟁에 나선 프로파간다, 성직자의 특권을 악용한 아동학대나 부정축재… 만약 천국이라는 것이 있었다고 해서, 과연 그들은 빨리 거기에 갈 수 있을까요? 과학과 정보기술과 그것을 활용하는 사회제도의 발달로 이러한 속임수와 범죄행위가 꽤 밝혀졌습니다.

그러나 한편으로 나는 하나님의 존재를 믿고 싶다는 생각도 가지고 있습니다. 마더 테레사와 마하트마 간디, 킹 목사와 달라이 라마 14세 등 종교와 깊이 관여하면서 훌륭한 생활 방식을 한 사람들은 많이 있습니다. 나는 대부분의 국가 지도자와 기업 경영자보다 그들에게 심판을 느낀다. 나는 하나님이 존재한다는 것을 증명할 수도 있고 존재하지 않는다는 것을 증명하는 것도 불가능하다고 생각합니다. , 라고 걱정시켜 줍니다.

인간의 지성은 큰 것으로, 과학이라는 강력한 툴을 손에 넣고 나서는 것, 우주에 있는 물건을 손쉽게 분석해, 유효 활용할 수 있도록 일진월 걷고 있습니다. 그래도 우리 인간은 좀처럼 행복할 수 없습니다. 결국, 한 치선은 어둠이며, 과학의 혜택을 모든 사람이 누릴 수 있는 것도 아닙니다. 과학은 강력하지만 결코 만능이 아닙니다. 물론 인간의 지성도. 그렇다면 그 불완전한 부분을 도대체 어떻게 보완하는가. 저는 21세기 현대에도 종교의 역할이 남아 있다고 생각합니다.


전치가 길어졌습니다만, 본서는 그런 나와 같은 경건함에 철할 수 없다, 그러나 하나님을 부정하고 싶지 않은 사람에게 있어, 여러가지 생각하게 해 주는 내용이 되고 있습니다. 기적은 없습니다. 오히려 구원조차 있었는지 여부. 읽은 후 뒷맛은 나빴다. 결국 나는 무엇을 하면 좋을까, 대답은 나오지 않았다. 또, 재미있다고도 말하기 어렵기 때문에, 평가의 별은 하나 줄이기로 했습니다. 나이가 들고 다시 읽을 수 있다면 다른 감상이 될 수 있습니다.

덧붙여 본서에 나오는 힌두교의 여신 「차문더」는 매우 마음에 들었습니다. 그녀는 바로 어머니였습니다. 나는 그렇게 강해질 수 없구나… 라고 생각합니다만.


여담이지만 "빈랜드 사가"라는 만화가 있습니다. 「깊은 강」과 직접적인 관계는 전혀 없고, 작풍으로부터 무엇으로부터 전혀 별물입니다만, 근저에 있는 테마가 비슷하다고 생각합니다. 좋으면 그쪽도 부디.

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독서 공간 히츠지 날씨

별 5개 중 4.0개 천천히 흐르는 강으로 치유

2015년 1월 5일 일본에서 검토됨

여러가지 사건을 짊어져 온 사람들이 해결에 대한 기대를 안고 인도로 향합니다.

바라나시의 중심부를 흐르는 갠지스 강.

거기에는 대답은 없지만 각 사람들의 삶에 영향을 미칩니다.


오츠 씨의 삶의 방법이 가장 훌륭합니다.


또한 갠지스 강을 천천히 바라보고 싶습니다.

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Okakura Kakuzō: A Reintroduction



Okakura Kakuzō: A Reintroduction

Author(s): Noriko Murai and Yukio Lippit


Source: Review of Japanese Culture and Society, Vol. 24,

Beyond Tenshin: Okakura Kakuzo's Multiple Legacies (DECEMBER 2012), pp. 1-14

Published by: University of Hawai'i Press




Okakura Kakuzö: A Reintroduction

Noriko Murai and Yukio Lippit




In 1905, Okakura Kakuzö (1863-1913)' designed a small hexagonal pavilion that overlooks the Pacific Ocean by Izura Bay on his country estate in rural Ibaraki Prefecture and named it Kanrantei (Big Wave Viewing Pavilion). Commonly known as Rokkakudö (Six-Sided Hall), the recently reconstructed Kanrantei, destroyed by the tsunami of March 11, 2011 (see frontispiece to the volume), serves as an architectural analogue for the complexity of Okakura's historical persona and discursive profile. It invokes many of the characteristics associated with this turn-of-the-century transnational intellectual who played such a significant role in the art and cultural patrimony of the Meiji era (1868-1912). While the six-sided Rokkakudö appears deeply rooted in the traditional architectural typologies of East Asia, its classicism is in fact inventive, as it represents a rare building form with no major precedents or obvious points of reference.2 Not only is the symbology of its form obscure, but so are the circumstances surrounding its construction—as part of the sequence of events related to the relocation of the Japan Art Institute (Nihon Bijutsuin) from Yanaka in central Tokyo to the remote fishing village of Izura. It evokes the momentary isolation of this major Meiji-era alternative art institution founded by Okakura, and by extension his renegade reputation and cult-like status among his circle of artist-friends. Furthermore, the Rokkakudö's setting, a rocky outcropping off of the Izura Coast, resonates with Okakura's self-image as an exilic and reclusive figure. The dramatic vantage point it offers onto the Pacific Ocean manifests its creator's own far-reaching vision and an overseas career that witnessed extended sojourns in Boston and Calcutta, as well as shooter stays throughout Europe and China. The Rokkakudö embodies the erudition, antinomianism, and internationalism that so indelibly marked Okakura's own career.

The destruction and subsequent rebuilding of the hexagonal structure also provide

a timely pretext for a reconsideration of Okakura's discursive legacy. This legacy has been conditioned by the prerogatives of specific interpretive communities throughout the twentieth century. Their cumulative effect has been the mythologization of “Okakura Tenshin” as the father of pan-Asianist discourse, and a casting of him as the father of modem Japanese art. The present issue of the Review ofJapanese Culture and Society was conceived from a position of skepticism with regard to such epithets. Its main proposition, as explored through the articles by noted specialists found in this volume, is that a close reading of Okakura's writings and circumstances presents a more subtle and complex historical profile, and raises different types of questions: What are the main thèmes and commitments of Okakura's body of writings? How might thèse writings be understood as unified? How did the radically disparate environments through which Okakura moved inflect his thought? And how did he conceptualize the history of Japanese art at the end of his life, after playing central roles in the government-led surveys of cultural treasures in the 1880s, the founding of the Tokyo School of Fine Arts (Tökyö Bijutsu Gakkö) and the Japan Art Institute, and the amassment of an Asian art collection at the Museum of Fine Arts, Boston? Even though we fall far short of answering thèse questions in full, it is our conviction that a sustained attention to them opens up new and oblique ways of understanding both the historical position of Okakura and the contingencies of the Meiji art world.

In adopting this approach, we have been inspired by the writings of Kinoshita Nagahiro (also a contributor to the present volume), who has disarticulated more than anyone the many myths of Okakura. And in keeping with Kinoshita's practice, whenever referring to Okakura, we have chosen to avoid the common sobriquet “Tenshin” that has come to be associated with a specific way of imagining Okakura, and instead have chosen to call him by his given name, Kakuzö. As Kinoshita reminds us in his essay included in this volume, “Tenshin” was one of the names Okakura occasionally used when signing his personal letters and poems, although he never used this name in public. It was Okakura's close associates at the Japan Art Institute who began calling him “Tenshin” posthumously out of reverence, and the Japanese rediscovery of Okakura as “Okakura Tenshin” in the 1930s was predicated on this essentially hagiographical tradition. There is a need to distinguish Okakura Kakuzö from his much romanticized afterlife as Tenshin. Hence the title of this special issue, “Beyond Tenshin: Okakura Kakuzö's Multiple Legacies.”




In surveying the historiography of Okakura, several moments stand out as especially important in shaping his reception.' The first moment arose in the 1930s, two decades after his passing. It was from the wartime period of the 1930s through 1945 that the Japanese intellectual community rediscovered Okakura and created the influential image of “Tenshin” as the visionary pan-Asianist who asserted, “Asia is one.” It was not until the mid-1930s that the complete works of Okakura, including a full Japanese translation of his English books, were published, appearing under the name “Okakura Tenshin.”’

Seibunkaku published a three-volume collected works (Okakura Tenshin zenshü) in 1935-36, and Rikugeisha published a five-volume collected works with the same title in 1939; both sets were edited by Okakura's son Kazuo. The Society to Commemorate the Accomplishments of Okakura Tenshin (Okakura Tenshin Iseki Kenshökai), established in 1942 and led by the Nihonga painter Yokoyama Taikan, also began to publish yet another set of collected works (Tenshin zenshti) in 1944, but Japan's defeat in the war the following year left this project unfinished. As for more accessible publications, Iwanami published a paperback translation of The Book of Tea in 1929, followed by The Awakening of Japan in 1940, and The Ideals of the East in 1943.5 Okakura wrote all of his books in English, which were materially available in Japan, but intellectually accessible only to a limited readership, and therefore it is not an exaggeration to state that Okakura was not well known in Japan as a thinker until his writings became available through these Japanese translations. The re-emergence of Okakura as “Tenshin” was the result of the various efforts of a number of institutions and individuals, including Okakura's family (his son Kazuo and Okakura's younger brother Yoshisaburö, a prominent scholar of English), artists of the Japan Art Institute led by Yokoyama Taikan, the Tokyo School of Fine Arts, and critics such as Yasuda Yojtirö and Kamei Katsuichirö, who were associated with the literary joumal The Japan Romantic School (Nihon Roman-ha; published between 1935 and 1938).6

The literary critic Yasuda Yojiirö in particular played an instrumental role in forging

the mythology of Tenshin as a prophet of Asian spiritual unity. In his 1942 exegesis of “Asia is One (Ajia wa hitotsuda),” Yasuda called Okakura the greatest Meiji thinker and the most exemplary patriot (shishi),7 and cited the nationalist poet Asano Akira in declaring Okakura's writings to be Meiji Japan's greatest “war literature.”” “Asia is One” began to take on a life of its own with “O” capitalized (in symbolic alteration of the non-capitalized “o” in the original). In 1944, “Ajia wa hitotsu” was selected as the aphorism of the day for December 8, the day that marked the beginning of the “Greater East Asia War,” in the propaganda calendar Almanac of National Aphorisms (Kokumin zayii no mei) edited by the Patriotic Association for Japanese Literature (Nihon Bungaku Hökokukai).9 There is little doubt that the name “Tenshin” was invoked to justify Shöwa Japan's war in Asia and the Pacific as the necessary and cumulative destiny of modern Japan.

The 1938 discovery of a short unpublished manuscript that Okakura wrote in English during his first stay in India in 1901-2 also helped to cement his heroic image as a visionary pan-Asian thinker.'0 This manuscript contains heated passages, such as “The glory of Europe is the humiliation of Asia!” and “European imperialism has itself fumished the weapons by which it shall be destroyed.”'1 Okakura wrote it during his intense collaöorative phase with Margaret Noble (aka Sister Nivedita, 1867-1911), whose own agenda of anti-colonial agitation also hovers over Okakura's The Ideals of the East. In 1939, the poet Asano Akira, a former-Communist-turned-ultranationalist who began to

write prolifically on Okakura during wartime, translated and published this manuscript under the title The Awakening ofthe East(Töyö no kakusei). Though this title was Asano's invention, its catchy resonance with Okakura's own titles The Ideals of the East and The Awakening of Japan has made it the standard “title” for this originally untitled piece of writing to this day. As with the phrase “Asia is one,” this text too has been accorded an outsized importance in the inflation of Okakura as a pan-Asian ideologue.

Okakura's wartime reputation has shaped subsequent historiography in Japan in a number of ways. First, it resulted in a powerful cult of personality, one that went well beyond the coterie of Okakura's close associates at the Japan Art Institute who were the first to venerate Okakura as “Tenshin” shortly after his death. This personality cult revolved around the still popular image of Okakura as a tragic hero, whose lofty ideals went unrealized because they went against the prevailing tide of his time.1' This mournful pathos that pervades Yasuda's discussion of Okakura reveals a highly aestheticized fascination with imminent loss, death, and defeat that is also present in Yasuda's other writings. It is significant that Yasuda's characterization of Okakura, rendered in his notoriously opaque, self-indulgent style, is far from the simplistic portrayals that one typically associates with state propaganda. In fact, the very appeal of Yasuda's writings at the height of the Pacific War rested on an ornate literariness that set them apart from the impoverished prose of military-fed propaganda. It is perhaps also for this reason that the critic Takeuchi Yoshimi, in his 1962 essay on Okakura, translated in this volume, observed that “[d]etaching Tenshin from fascism is not too hard, but detaching him from the Japan Romantic School's interpretation is not accomplished as easily as one might expect.” Although the propagandistic appropriation of “Tenshin” during wartime is now well understood as a stain on Okakura's profile, the actual content of the Tenshin myth that so captivated the Japanese intellectual community at the time still awaits careful examination." Only such an analysis will finally enable us to assess how the writings by the Japan Romantic School have mediated our own imagination of Okakura.

Another consequence of the wartime rediscovery of Okakura is that he was reintroduced in Japan more as a pan-Asian ideologue than as an art historian. As Inaga Shigemi points out in his essay in this volume, this discontinuity of Okakura’s intellectual legacy in Japan had been prepared by what he terms the “patricide” of Okakura by subsequent art historians. As a result, the most sustained interpretative tradition on Okakura to this day is constituted by scholars of intellectual history rather than of art, including figures such as Maruyama Masao, Hashikawa Bunzö, Takeuchi Yoshimi, and Matsumoto Ken'ichi more recently. Critiqued from an array of ideological positions, Okakura continues to be regarded as a key figure through which to reflect on the nature of Japan's modernity and the meaning of its geocultural position in Asia." We have chosen to translate Takeuchi’s short yet influential essay “Okakura Tenshin: Civilization Critique from the Standpoint of Asia” (1962) as representative

of this interpretative approach. Takeuchi was a leading postwar thinker on the left, who sought an alternative intellectual tradition for modernity in Asia, most notably in revolutionary China.'5 In this vein, he also argued, and not without controversy, that Japanese pan-Asianism contained a legitimate critique of Eurocentric modernity. Within this larger project, Takeuchi came to position Okakura as an early critic of Eurocentric modernity who believed in the equation of “beauty, spirit, and Asia,” and presented The Ideals of the East as the pinnacle of Okakura's achievement as a thinker (despite his own warning that this text alone does not represent the entirety of Okakura's significance). While this casting of Okakura as a committed critic of Western-style modernisation prefigures similar re-castings of Okakura from a post-colonial perspective, Takeuchi’s interpretation is unable to offer a convincing discussion of Okakura's career in the Meiji cultural bureaucracy or his later curatorial work in Boston, as neither supports the image of Okakura as a strict opponent of Western-style modernity inside or outside Japan.

The second significant moment in the historiography of Okakura can be situated in the 1990s, a moment that is still proximate to us. In the 1990s, the Japanese scholarly community became engaged in a self-reflective critique of its own history as institution, prompted by the widespread sentiment that a particular phase of modernity had ended. This awareness was reinforced by the end of the long Shöwa era (1926-89) and the bursting of the so-called bubble economy. In this postmodern climate, the invented nature of Japan as nation state (kokumin kokka) came to the fore. Art historians such as Kitazawa Noriaki and Satö Döshin published seminal works that investigated the discourse of bijutsu (fine art) as a constitutive element in the production and maintenance of national identity in modem Japan. If Japanese artists have been engaged in the institutional critique of art since the 1960s, it was not until the 1990s that the community of art historians and museum curators began to pursue a similar critique of their own system. In this new line of inquiry, Okakura was positioned as a key figure who conceived the very idea of “Japanese art” as we know it today. In the 1990s Okakura also began to receive serious scholarly attention by Japan specialists outside Japan as an early architect of Japanese cultural nationalism.'6

This recent wave of scholarly literature has benefitted from the sustained archival

research and documentation that culminated in the two multi-volume publication projects of Okakura's collected writings in both Japanese (1979-1980; nine volumes) and English (1984; three volumes) by Heibonsha. Thèse Heibonsha publications represent a substantial upgrade from the last publication project of a similar magnitude that took place during the wartime. And yet, the impetus to compile thèse resources was rooted in the personality cult of Okakura. In the mid-1960s, the Nihonga painter Yasuda Yukihiko, then a doyen of the Nihonga establishment as chairman of the Japan Art Institute and a representative of the last generation to know Okakura in person, expressed the desire to produce an authoritative monograph on Okakura to commemorate the centennial of his

birth, which led to the publication of his collected writings. As Satö Döshin has observed, in the 1960s, as Japan prepared to observe the centennial of the Meiji Restoration, there was a widespread effort to preserve primary materials and documentary accounts of Meiji Japan.'7 Around this time the art of the Meiji period also began to be integrated into the scholarly field of Japanese art history. The critical re-assessment of Okakura's legacy, together with the compilation of related primary materials, was an integral part of this discursive process of transforming Meiji into history.

The site of Izura, already mentioned at the beginning of our introduction, has played an important role in this postwar afterlife of Okakura, in mediating the tradition of the “Tenshin” personality cult that intensified during the wartime and the more recent reevaluation of Okakura as a historical figure of academic interest. The movement to preserve the Izura property epitomized the wartime worship of Tenshin catalyzed by figures such as Yokoyama Taikan. After the war, in 1955, the estate was entrusted to Ibaraki University by Taikan, and in 1963 a memorial museum was established with a collection of artworks donated by families of Okakura's close associates at the Japan Art Institute as well as by living members of the Institute. In 1971, the Izura estate was renamed the Izura Institute of Arts and Culture (Izura Bijutsu Bunka Kenkyûjo), and the Institute's annual publication Izura Collection of Essays (Izura ronsö) has provided a forum to promote scholarship on Okakura. The memorial museum, rehoused in a new building designed by Naitö Hiroshi, was reopened as the Tenshin Memorial Museum in 1997. In this way, Izura serves the double role of a center for Okakura studies and a local tourist attraction that ensures the popularity of Okakura as a cultural icon.

Another notable aspect of Okakura's reassessment since the 1990s is his reevaluation as one of the first transnational intellectuals from Asia who mediated the cultures of East and West (or, perhaps more accurately, as someone who proposed an influential self- definition of “the East” through a strategic alignment and distanciation from the equally putative “West”). This approach has been informed by Orientalism and postcolonial studies. Historians of modem Indian art and culture have investigated the significance of Okakura in the discursive making of “Indianness” in the early twentieth century, for example, while scholars in North America have paid renewed attention to the influential role Okakura played in the American imagination of the East. In contrast to the more “traditional” pan-Asianist reading of Okakura, Okakura’s vision of the East in this recent body of literature is assessed less in terms of its political impact, nor does it seek to place Okakura into a genealogy of pan-Asianism. Instead, this recent literature seeks to consider, perhaps for the first time, the transnational meaning of Okakura's career and thought on art. As representative of this approach, we have selected to translate the article by Inaga Shigemi titled “Okakura Kakuzö and India: The Trajectory of Modem National Consciousness and Pan-Asian Ideology Across Borders” (2004). Inaga positions Okakura’s interpretation of Asian art within the complex international debate that preoccupied Indian, British, and Japanese art historians around the turn of the twentieth

century. Inaga's interest in Okakura resonates with the broader intellectual concern of the art history community worldwide today to re-examine its own history and practice from a more global perspective, and to explore possibilities of a history of art that does not simply reify the geocultural binarism of the West and the rest.

This cursory review of the reception of Okakura shows that his legacy has been defined in ways that, in hindsight, clearly served the needs of specific communities of thinkers and institutions. The present volume consciously positions itself vis-ñ-vis this commentarial history and its various lacunae. Accordingly, what the essays gathered here contribute is an intensively local approach to a number of micro-contexts surrounding Okakura’s doings and writings, in the process reconceiving the raw material from which to assess his career. Two examples suffice to introduce this manner of approach, centering around Okakura's two most famous texts, The Ideals of the East (1903) and The Book of Tea (1906).

The latter text has been hailed as a highly influential and, for its time, definitive summa of Japanese aesthetics and its relationship to the tea ceremony, as formulated by Okakura for Western audiences. A closer look at the context in which The Book of Tea was authored, however, offers a more fine-grained assessment of the audiences presupposed by Okakura for his exposition of “Teaism.” As Allen Hockley discusses in his contribution to this issue, at the turn of the century Japanese tea culture was poorly understood and chanoyu the subject of much misinformation. These mischaracterizations appear to have conditioned, at least to some extent, the agenda of The Book of Tea. Noriko Murai’s essay included here argues for the importance of reading The Book of Tea against the context of Okakura's highly performative role of a Japanese aesthete to Boston high society. His interactions with members of the Isabella Stewart Gardner circle as a chanoyu master proved to have been a particularly effective medium for the introduction of Japanese aesthetic ideas to these prominent cultural figures in Boston.

As the historiographical survey above makes clear, The Ideals of the East, celebrated (or vilified) for its opening line, “Asia is one,” has generally been understood as an early and forceful articulation of pan-Asianism. As Kinoshita notes in his essay here, however, Okakura only used the phrase “Asia is one” (with “one” uncapitalized in the original) for the opening of The Ideals of the East, he never repeats it, or any similar phrase, in any of his other published writings." Indeed, it is difficult to discern elsewhere in the text or in Okakura's other major writings an explicitly political expression of pan- Asianism associated with this expression, let alone the expansive Japanese ultranational- ism often assumed from it under the banner of Asian solidarity. There is no doubt that the intellectual and artistic empathy Okakura experienced in India left a lasting impact on his conception of Asia. He was also among the first intellectuals in Asia to voice a critique of modern Eurocentrism by turning its cultural logic against itself and by proposing an alternative geo-cultural heritage, however inventive.1’ At the same time, this opening line has been allowed to play an outsized role as an epigraph for Okakura's legacy.

Rather, it is more important to assess The Ideals of the East within the context of Okakura's transformative travels and evolving networks at the turn of the century. Most important among thèse was his relationship with Margaret Noble, otherwise known as Sister Nivedita. As John Rosenfield explores in his essay for this volume, Okakura's text was authored through close partnership with Nivedita, and was the result of a momentary confluence of historical trends circa 1900, including the emergence of interfaith dialogue, the popularity of Swami Vivekänanda and the therapeutic aestheticism of “Eastem spirituality” in Boston high society, Okakura's promotion of the Japan Art Institute artists, and the Indian independence movement. Furthermore, as Inaga argues in “Okakura Kakuzö and India,” The Ideals of the East was in dialogue with an emerging discourse on “Eastern art history” during the first decade of the twentieth century. Positioning the authorship of The Ideals of the East within this complex calculus of historical phenomena is more meaningful than understanding it as the static reflection of its author's purportedly strident pan-Asianism. Indeed, Okakura did not pursue pan-Asianism as an anti-colonial political ideology beyond the brief Indian moment of 1902, and there is some reason to believe that Okakura distanced himself from the book in later years, as reflected in his refusal to sign off on a Japanese translation of Ideals.

Embedding Okakura within more fine-grained analyses of turn-of-the-century developments in Japanese artistic culture can yield dividends well beyond the monographic. As Victoria Weston demonstrates in her contribution to the present issue, Okakura's aspirations for the work of the Japan Art Institute painters come into higher relief when the critique sessions in which he engaged with painter-colleagues and published in the journal Nihon bi jutsu (Japanese Art) are read closely. There it becomes apparent that the commonly employed term mörötai, now a standard way of designating the “hazy paintings” of the early years of the Japan Art Institute, is far less revealing than the term risöga or “ideal painting” for understanding the artistic agendas of this ambitious circle of Nihonga artists and critics. By the same token, Alice Tseng’s contribution on the ever-evolving discursive profile of the term kenchiku (architecture) and its cognates parallels the fast-paced metabolism of the Meiji art world in which Okakura was formed and served as a key arbiter. Chelsea Foxwell's essay on antiquarian culture in mid Meiji, meanwhile, provides a crucial context for what she terms “Okakura's Hegelianism,” in which his study of antiquities and views on contemporary artistic production were conceptualized within a continuum whose seamlessness has been obscured over time.

The present issue on Okakura also introduces a substantial body of Okakura's Japanese writings on art in English translation for the first time.20 It includes English translations of three pieces of writing that Okakura published in Japanese in the late nineteenth century, when he actively shaped Meiji art policies through his double appointment as the headmaster of Japan's newly established national academy of fine arts and the director of the fine arts section of the national museum. Okakura was an

influential public voice during his time and wrote on a wide range of subjects from art education to art policies, art history, and contemporary art. While our selection does not cover all of thèse areas or the breadth of Okakura's ever-evolving thoughts on art, each of the three texts translated here marks an important moment in Okakura's career and provides a sense of his multifaceted interests.

The first piece, “Reading ‘Calligraphy Is Not Art”’ (1882), is well known as instigating one of the first public debates on art, one that animated Meiji journalism. It also marked Okakura's journalistic debut at the age of 19 as a young civil servant in the Ministry of Education. It was written in critical response to an argument presented by the oil painter Koyama Shötarö (1857-1916), who questioned the “fine art” (bijutsu) status of calligraphy according to Western-inflected artistic criteria. In seeking to refute Koyama's case and provoke a public debate, which ultimately never occurred as Koyama did not respond, Okakura drew not only on the rich cultural heritage of East Asia but also on modem European aesthetic criteria, especially the definition of the aesthetic as disinterested and non-useful. This approach echoes the one employed by Okakura's mentor Fenollosa, who had delivered his seminal lecture “The True Meaning of the Fine Arts” (Bijutsu shinsetsu) to the Ryiichikai (Dragon Pond Society) just a few months earlier.

It is also notable that Koyama stood at the unfavorable end of this debate from the beginning. By his own admission, Koyama's refutation of the fine art status of calligraphy represented a minority position in the early 1880s, especially if the idea of “fine art” were to be equated with a sense of high cultural achievement of a given civilization. The privileged position accorded to calligraphy as exemplar of high culture was never abandoned during Meiji, as witnessed by the popularity of the literati tradition even among the newcomer elite. It further disadvantaged Koyama's position that the value of Western-style painting for Meiji culture was temporarily being questioned around this time; the year 1882 witnessed the closing of Japan's first national art school, the College of Engineering Art School (Köbu Bijutsu Gakkö) that exclusively taught Western media, as well as the rejection of oil painting for the First Domestic Competitive Painting Exhibition (Naikoku Kaiga Kyöshinkai). Okakura seemed aware that general public sentiment was against Koyama's position, and was careful not to appear as a member of an “old” conventional bandwagon looking to crush Koyama's “new,” Westernizing position. Thus he begins by declaring that “it is of course not my wish to assume the responsibility of speaking in defense of commonly held fallacies.” Okakura's critique of Koyama's argument focuses on the fact that his analysis is not “enlightened” enough to take account of more universal and a priori criteria for aesthetic judgment. Okakura claims that a good part of Koyama's argument can be reduced to the simple observation that calligraphy is neither painting nor sculpture. This, Okakura argues, does not constitute a worthy aesthetic critique.

The second translated text included here is the inaugural address to the art magazine Kokka (Flowers of the Nation) that Okakura launched in October 1889 with the journalist

Takahashi Kenzo. The journal title alone suggests the role Okakura envisioned art to play in national life. This address was not attributed to a specific individual, but all surrounding circumstances as well as the writing itself point to Okakura's authorship. Kokka began as a deluxe magazine that specialized in art and was the first of its kind in Japan. It remains in publication to this day as a leading academic journal of East Asian art history. The publication of Kokka added yet another dimension to Okakura's already commanding web of influence in the Meiji art world, this time by initiating a public forum to promote a more scholarly understanding of Japanese art. In this inaugural issue, Okakura himself contributed an essay on the Edo-period painter Maruyama fikyo. By 1889, having ousted his opponents in the Ministry of Education such as Koyama, Okakura had risen to a position of bureaucratic prominence as the person in charge of the newly established Tokyo School of Fine Arts. In this year he was furthermore appointed the director of the fine arts section of the museum in Ueno, which was renamed the Imperial Museum. Throughout the Kokka inaugural address, the sense of national pride that Okakura exhorts the public to embrace resonates with a heightened awareness that Meiji Japan had finally become a mature state following the promulgation of the Imperial Constitution earlier in the same year.

In “Concerning the Institutions of Art Education” (1897), the third text translated here, Okakura develops his proposition of a grand vision for national art policy, in this case the improvement of art education at the level of secondary and higher institutions of learning. These opinions are the result of a more experienced and learned Okakura, someone who had now served as a top art official for several years. His active involvement with the Japanese exhibit at the 1893 Chicago World's Fair as well as the planning for the 1900 Paris Universal Exposition also inflect his concern for the competitiveness of Japanese manufacture in overseas markets. Although Okakura is often seen as Tokyo- centric and primarily interested in the fine art category of painting, this text reflects his sustained concern for the preservation and promotion of traditional craftsmanship and other region-specific manufacturing industries throughout Japan. What strikes the reader, above all, is the wide gap that continues to exist between Okakura's ambitious vision of national art administration, already detected in his Kokka address, and the actual state of national art policies at the end of the nineteenth century. Okakura proposes that the government open another national fine arts academy in Kyoto, for example, along with several technical art schools throughout the nation, each specializing in region-specific craft media such as textiles or ceramics. He also proposes to build about a dozen local museums that display regional craft heritage in order to promote local manufacturing industry. Such far-reaching ideas, however, may have compromised Okakura's standing in the Meiji bureaucracy. It is not difficult to imagine how such excessive demands on state resources may not have endeared him to government officials. Indeed, such views may have contributed to Okakura's forced resignation from both the art school and the museum a year later in 1898, an ouster often explained as directly triggered by a personal

scandal but more broadly contextualized in terms of the ascendency of Western-style painting led by the Paris-trained oil painter Kuroda Seiki.




Is there an aggregate image of Okakura and Meiji artistic culture that results from these scholarly essays and translated texts? Two preliminary responses are all that we dare offer at this point. The first is the idea of a site-specific Okakura. Even though his range of activities spanned the globe and was predicated upon vital relationships with numer- ous overseas collaborators, Okakura's discursive acts have been, for the most part, im- precisely mapped onto the rapidly evolving cartography of global power relations and emerging nation-states of the modem era. Embedding Okakura in each of his discrete micro-contexts goes beyond mere biographical excavation in its exploration of the ways his thought is tied to international networks of individuals, the exploratory agendas of new types of art institutions, and the unpredictable dynamics of contact zones. While such formulations may appear to contradict the self-contained points of inquiry implied by “site-specificity,” in fact the widely scattered coordinates of Okakura's most significant achievements each represent a momentary convergence of peoples, experiences, historical trends, and local circumstances specific to that place and time, whether it be his inaugural art history lectures at the Tokyo School of Fine Arts in 1890, his residency in Calcutta in early 1902, or his final three lectures on East Asian art at the Museum of Fine Arts, Boston, in 1911.

In a related vein, site-specificity also sends a warning that ideas do not travel or transfer from one site to another seamlessly or with transparency. It reminds us that any movement across time and space, by definition, involves rewriting and interpretation. Thus, the site-specific significance of Okakura writing “Asia is one” in Calcutta for a book to be published out of London is not the same as rendering it in Japanese as “Ajia wa hitotsunari” in 1939. Contemplating the distance between “Asia is one” and “Ajia wa hitotsunari” is enough to remind us of the complexity that accompanies acts of cultural translation. And yet, reassessing Okakura as a transnational intellectual requires us to take up such interpretative challenges.

The second tentative image of Okakura that might be yielded in toto from the

inquiries of the present issue is that of an incomplete Okakura. In the final analysis, it may be next to impossible to assign an overarching unity, ideological, philosophical, or otherwise, to a body of writings and lectures that were responding so powerfully to their immediate circumstances. Their author was one of a select group of Japanese intellectuals from his era who could travel widely and engage robustly with the English-language sphere. Thus it is unsurprising that the trajectory of his thinking develops unpredictably as he moves through the disparate environments of his student days at Tokyo University, the newly established Ministry of Education, the meetings of the Kangakai (Painting Appreciation Society) in Tokyo during the 1880s, the directorships (and subsequent resignations therefrom) of the Tokyo School of Fine Arts and the Fine Art section of the

Imperial Museum, his establishment of the Japan Art Institute, his travels in China and India, and his five stays in Boston between 1904— when he took up his work with the Museum of Fine Arts—and his death in 1913. Although there were signs, as Kinoshita Nagahiro discusses, that Okakura was attempting to synthesize his views on the history of Japanese art in his final years, he died before he could realize any systematic exposition thereof. In positing Okakura's thought as incomplete, however, we are by no means implying that there is no value to its systematic and holistic study, that it does not offer a powerful set of ideas and perspectives on the nature and history of Japanese art. Nor do we wish to attribute that incompletion to the often-projected personality of Okakura as a charismatic yet contradictory mind. Rather, it is simply that these ideas and perspectives are too geoculturally diverse and contextually ever-changing to be subject to totalizing rubrics and false unities. What they offer instead are a series of erudite and densely conditioned points of contact with the fast-paced metabolism of the Meiji and globalizing art world from around 1880 to 1910. Okakura's heterogeneous set of achievements, legacies that do not add up to a cohesive, unified whole, are ultimately symptomatic of modernity itself as an asynchronous pulse that is unevenly distributed and experienced from one site, language, and culture to another. In championing this disposition, we hope to inch closer to a meaningful recovery of a historically ensconced and yet dynamically

dispersed, real-time Okakura, before his mythologization, before Tenshin.

====

Notes

1.

1862 is often given as the year of Okakura’s birth, but this is not accurate. The record shows that he was born on the twenty-sixth day of the twelfth month of the second year of the Bunkyii reign. This date in the old lunar calendar corresponds to February 14, 1863 in the Gregorian calendar that the govemment adopted at the end of the fifth year of the Meiji period. This detail yet again points to the transitional nature of the time into which Okakura was born. See Kinoshita Nagahiro, Okakura Tenshin. mono ni kanzureba tsui ni ware nashi (Okak ura Tenshin: In Meditating on the Object, Finally There is No 1) (Kyoto: Minerva Shob0, 2005), 8-12.

2.

Only a handful of hexagonal structures have survived in Japan. There is a hexagonal hall in Tokyo, at Sensöji






in Asakusa, of which Okakura might have been aware. This relative rarity of hexagonal structures is in contrast to the octagonal hall, an architectural form associated with the Chinese imperium, which can be found in Japan as earl y as the Y umedono Hall at HÒry íiji (earl y eighth century). Many famous octagonal haIIs survive in Japan from later eras. Kumada Yumiko has proposed that Okakura's hexagonal hall was intended to serve at once as a Buddhist hall, a Chinese viewing pavilion, and a tearoom. See Kumada, “Rokkakudó no keifu to Tenshin” (The Genealogy of the Six- Sided Hall and Tenshin), in Okakura Tenshin to Izura (Okakura Tenshin and Izura), eds. Morita Yoshiyuki and Koizumi Shin’ya (Tokyo: Chíió Kfiron, 1998), 150-77.




For critical overviews of Okakura’s reception, see Kinoshita Nagahiro,






“‘Okakura Tenshin’ shinwa to ‘Ajia wa h itotsu’ ron no keisei” (The Formation of the ‘Okakura Tenshin’ Myth and the ‘Asia is one’ Theory), in Ta ya ishiki.- musâ to gen jitsu no aida ?887- 952 (Oriental Con- sciousness between Reverie and Reality 1887-1953), ed. Inaga Shi- gemi (Kyoto: Minerva Shobö, 2012), 23-45; and Satö Döshin, “Tenshin kenkyii no genjö to igi” (The Present Status and Significance of Tenshin Scholarship), in Watariumu Bi jutsu- kan no Okakura Tenshin Kenk yiikai (Society for Research on Okakura Tenshin at the Watari Museum of Contemporary Art), ed. Watariumu Bijutsukan, (Tokyo: Yiibun Shoin, 2005), 42-67.

4.

The Japan Art Institute published Okakura's collected writings (Tenshin ze nsh ii [The Complete Works of Tenshin]) and a select translation












12 REviEw or jA PAnr sr curiu Rr •riD soc iETx oscsucsa aola



Noriko Murai and Yukio Lippit


of his English writings (Tenshin sensei öbun chosho shö yaku [Select Translations of Teacher Tenshin's English Writings]) in 1922, but these volumes were prepared as private editions, not for sale.

5.

It is noteworthy that, while effec- tively all publications in Japan that appeared around this time and have appeared since have modified the author's name to “Okakura Tenshin,” these I wanami paperback editions, translated by Muraoka Hiroshi, have retained “Okakura Kakuzõ” as the author's name.

6.

For scholarship in English on the Japan Romantic School, see Kevin Nlichael Doak, Dreams of Difference: The Japan Romantic School and the Crisis of Modernity (Berkeley, Los Angeles, and London: University of California Press, 1994).

7.

Yasuda Yojürõ, “Okakura Tenshin (Asia is One 'Ajia wa hitotsuda’),” in Nihon gorok u (Collection of Japanese Aphorisms, 1942), reprinted in Yasuda Yojcrõ zenshïi (Collected Writings of Yasuda Yojürõ), vol. 17 (Tokyo: Kõdansha, 1987), 176.

8.

Ibid.

89.

The ultranationalist pœt and critic Asa no Akira provided the com- mentary.

10.

Okakura’s grandson Koshirõ dis- covered this manuscript in 1938. The first Japanese translation of this text was published later the same year under the title Rebuilding of the Ideals (Risõ no saiken), edited by Okakura Kazuo and Koshirõ.

11.

Okakura Kakuzo, “The Awakening of the East,” in Okakura Kukuzo, Collected English lVriiings (Tokyo: Heibonsha, 1984), I : 136, 159.



12.

For example, the literary critic Ka wak ami Tetsutarõ ( 1902-80), who served as the moderator for the famous 1942 sy mposium on overcoming modernity, portrayed Okakura as one of the emblematic modem Japanese “outsiders” in Ni/ion no autosaidä (Outsiders in Japan) (Tokyo: Chiiõ Kõronsha, 1959), 143-77.

13.

On the Japan Romantic School’s interests in Okakura, see Kyunghee Lee, “Yasuda Yojiirõ no Okak ura Tenshin ron: mittsu no kakyõ no sõ” (Yasuda Yojiirö’s Review of Okakura Tenshin: The Phase of Three Bridges), Hikaku bungaku (Comparative Literature), no. 49 (2006): 52-66 ; ide m , “Kame i Katsuic hirõ no Okakura Tenshin ron: ‘saisei ’ to shite no ‘kaigi”’ (Kamei Katsuichirö’s Review of Okakura Tenshin: “Skepticism” as “Revival"), Chöiki bunka kagaku kiyõ (Interdisciplinary Cultural Studies), no. 13 (2008): 91-105; idem, “Asano Akira no Okak ura Tenshin ron: ‘Nihon roman-ha no shiihen-sha’ ni yoru hihyõ” (Asano Akira's Review of Okakura Tenshin: The Critique by a “Peripheral Member of the Japan Romantic School”), Hikaku bungaku kenk yu (Studies in Comparative Literature), no. 92 (November, 2008):

82-103.

14.

For a recent assessment of Okakura in this context, see the discussion and in- clusion of Okakura, in Pan-Asianism: A Documenta ry Histor y, Vo fume J: 1850-1920, ed. Sven Saaler and Christopher W. A. Szpilman (Lan- ham, Boulder, New York, Toronto, Plymouth UK: Rowman & Littlefield Publishers, Inc., 201 I ), 93-111.

15.

On Takeuchi Yoshimi, see Richard F. Calichman, Takeuchi Yoshimi. Dis- placing the West (Ithaca, NY: Cornell



University East Asia Program, 2004). 16.

See F. G. Note helfer, “On Ideal- ism and Realism in the Thought of Okakura Tenshin,” Journal of Japa- nese Studies 17, no. 2 (1990): 309-55; Stefan Tanaka, “Imaging History: Inscribing Belief in the Nation,” The Journal o/Asian Studies, vol. 53, no. 1 (Feb. 1994): 24-44.

17.

Satö Döshin, “Tenshin kenkyú no genjÔ to igi,” 44. Satõ also attributes the increase in Okakura-related events and publications in the 1960s and the 1970s to the sequence of commemo- rative occasions related to Okakura and the Japan Art Institute that took place during this period, such as the centennial of Okakura's birth in 1962. 18.

It is significant that it was Nivedita, not Okakura, who declared Asia to be “One,” with a capitalized “O,” at the end of her introduction to The Ideals of the East with the following statement: “Asia, the Great Mother, is for ever One.” Nivedita, introduction to Kakuzo Okakura, The Ideals of the East with Special Reference to the Art of Japon (London: John Murray, 1905). xxii. At the end of the handwritten manuscript that Okakura penned while in India (generally known today as The Awakenin8 •fthe

East), Nivedita again wrote, “Asia is

One.” This is crossed out and Okakura instead wrote, “We are one”; see Okakura Tenshin, Okakura Tenshin zenshïi, vol.1 (Tokyo: Heibonsha, 1980), 482. These instances suggest that Okakura’s interest in soliciting political unity among Asians was inspired largely by Nivedita and her Be n gali associates, but their relationship soured while Okakura was in India and he did not appear to becomminedłothiscausebeyondhis Indian sojourn and especially after his failed attempt to organize a parliament of Asian religions to take place in



Japan in 1903. See Noriko Murai, Tenshin and Fenollosa,” in A I-History “Authoring the East: Okakura Kakuzö of Modern Japanese Aesthetics, and the Representations of East Asian ed. Michael Marra (Honolul u: Art in the Early Twentieth Century” University of Hawaii Press, 2001), (Ph.D. diss., Harvard University. 43-53; Michele Marra, “Hegelian 2003), 72-73, 91-92. Reversal: Okakura Kakuzö,” in

19. Modern Japanese Aesthetics : A On this issue, see Karatani Köjin, Reader (Honolulu: University of “Japan as Art Museum: Okakura Hawaii Press, 1999), 65-71.




20.

As far as we know. the only other English translation of Okakura’s Japanese writings is “A Lecture to the Painting Appreciation Society [Kangakai]” ( 1 879), included in Michele Marra, Modern Japanese Aesthetics, 71-78.

2023/03/25

숙흥야매 - 나무위키

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숙흥야매
최근 수정 시각: 2022-01-15

분류 고사성어

한자어: 夙興夜寐
간자체 : 夙兴夜寐
한자 훈음: 일찍 숙 · 일어날 흥 · 밤 야 · 잠잘 매
영어: working early and late

1. 겉 뜻2. 속 뜻3. 출전4. 유래

1. 겉 뜻[편집]
아침에 일찍 일어나고 밤에는 늦게 잔다.

2. 속 뜻[편집]
책임을 다하기 위해 애쓰고 노력하는 모습을 비유하는 말

3. 출전[편집]
사마천 사기, 수서 수문제, 시경, 명심보감, 사자소학, 이황의 성학십도

4. 유래[편집]
1. 詩經 衛風 氓(시경 위풍 맹) 편에,

三歲爲婦 (삼세위부) : 삼 년 동안 그이의 부인이 되어
靡室勞矣 (미실로의) : 방에서 쉬임없이 고생하였네.
夙興夜寐 (숙흥야매) : 새벽에 일어나 밤늦게 잠들며
靡有朝矣 (미유조의) : 아침이 있는 줄도 몰랐네.
言旣遂矣 (언기수의) : 혼인의 언약이 이루어지자마자
至于暴矣 (지우포의) : 남편은 갑자기 난폭하게 나를 대했지.
兄弟不知 (형제부지) : 형제들도 이를 알지 못하고
咥其笑矣 (희기소의) : 나를 보면 그저 허허 웃기만 하네.
靜言思之 (정언사지) : 가만히 앉아 돌이켜 생각해 보니
窮者悼矣 (궁자도의) : 나 자신만 가여워지는구나.

2. 詩經 小雅 小宛(시경 소아 소완) 편에,

題彼脊令 (제피척령) : 날아가는 할미새를 보니
載飛載鳴 (재비재명) : 날면서 울어 대네.
我日斯邁 (아일사매) : 나는 나날이 힘을 쓰고
而月斯征 (이월사정) : 달을 따라 노력하여.
夙興夜寐 (숙흥야매) : 새벽에 일어나 밤늦게 잠이 들며
無添爾所生(무첨이소생) : 낳아주신 부모님 욕되게 말아야지.

3. 明心寶鑑 存心(명심보감 존심) 편에,

夙興夜寐 所思忠孝者 人不知天必知之(숙흥야매 소사충효자 인부지 천필지지)
(아침에 일어나 밤늦게까지 충효를 다하는 자는 사람이 알아주지 않아도 하늘이 반드시 알아줄 것이다.)

4. 사기 전한 효문제

"상(효문제)는 아침 일찍 일어나서 나랏일을 돌보고 밤 늦게되어야 겨우 잤다."

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숙흥야매잠주해 (夙興夜寐箴註解)



숙흥야매잠 권수
유교
문헌
조선전기 학자 노수신이 송나라 진백의 「숙흥야매잠」을 분장하고 해석하여 1568년에 간행한 주석서.
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접기/펼치기정의
조선전기 학자 노수신이 송나라 진백의 「숙흥야매잠」을 분장하고 해석하여 1568년에 간행한 주석서.

접기/펼치기편찬/발간 경위


이 책은 『노소재시강록(盧穌齋侍講錄)』과 함께 저자가 진도에서 유배 생활을 하는 동안 지은 것이다. 책을 처음 완성한 것은 1554년(명종 9)경으로 그 초본을 이황(李滉)과 김인후(金麟厚)에게 보내 질정을 청하였고, 1560년에 다시 이황에게 편지를 보내 의견 교환을 통해 부분적인 수정을 거쳐 완성한 것이다.

그 뒤 1568년(선조 1) 저자가 충청도 관찰사로 있으면서 선조에게 상소문과 함께 올렸던 것을 왕명에 의해 교서관에서 간행하였다. 이후 간행본은 없어지고 필사본으로 전해지던 것을 1634년(인조 12) 승려인 두섬(杜暹)이 사재로 옥천암(玉泉庵)에서 중간하였다. 다시 1746년(영조 22) 왕명에 의해 황경원(黃景源)이 쓴 영조의 어제 서문과 이황의 『성학십도(聖學十圖)』 가운데 제10도인 「숙흥야매잠도」를 첨부하여 세 번째로 간행하였다.
접기/펼치기서지적 사항


1책. 목판본. 규장각 도서 등에 있다.

접기/펼치기내용


[‘숙흥야매’라는 말은 『시경』 소아(小雅) 소완편(小宛篇)의 구절에서 따온 것으로, 
진백의 잠(箴)은 그 구절을 인용해 

아침에 닭이 울어 일어날 때부터 저녁 잠자리에 들 때까지 
부지런히 힘써야 할 일과 마음가짐을 기술하고 있는 것이다. 

진백의 이 잠은 성리학에 있어서 <내적인 인간 수양>을 염두에 두고 이룩된 것이다.]

이에 대해 저자는 심학(心學)의 입장에서 전체 26구절을 8장으로 나누고, 각 장마다 먼저 훈고(訓詁)를 곁들인 주석을 달고, 다시 그 장의 주요한 의미를 해설하고 있다. 
저자는 이 잠을 일관하는 요체를 ‘한결같음(一)’으로 파악하고, 
주돈이(周敦頤)의 『통서』 성가학장(聖可學章)의 일(一)과 같은 의미로 이해하였다.

이 저술보다 약간 뒤에 이루어진 이황의 주저인 『성학십도』의 「숙흥야매잠도」는 이 책과 약간 차이점을 보이고 있지만, 이 책의 영향을 받고 있는 것으로 보인다. 뒤에 장복추(張福樞)가 이 두 책을 참조해 『숙흥야매잠집』을 저술하였다.


접기/펼치기의의와 평가


조선조 성리학의 발달 과정과 특색을 드러내는 저술이다.

접기/펼치기참고문헌


『퇴계전서(退溪全書)』
『하서집(河西集)』

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