2023/04/06

人生の踏絵 遠藤周作, 엔도 슈사쿠의 문학 강의

人生の踏絵 (新潮文庫) | 周作, 遠藤 |本 | 通販 | Amazon


人生の踏絵 (新潮文庫) 文庫 – 2019/7/26
遠藤 周作 (著)
5つ星のうち4.3    46個の評価

사람은 왜 죄를 짓는가? 진정으로 사랑한다는 것은 어떤 것인가――.
문학과 종교, 사랑과 자비, 인생의 깊이를 말한 명강 연록.

더, 인생을 강하게 안아주세요――. 우리 한사람 한사람이 각각의 <답화>를 가지고 살고 있다. 기독교 금교의 시대에 답화에 발을 걸어 누구에게 말할 수 없이 역사 속에 장사된 약한 사람들에게 목소리를 주고 그 존재를 되살린 불후의 명작 '침묵'의 창작 비화를 시작해 해외 소설에서 읽어내는 문학과 종교, 사랑과 자비, 그리고 인생의 기미와 깊이를 종횡으로 말한, 시대를 넘는 명강 연록.

【목차】

인생에도 답화가 있으니까――『침묵』이 생길 때까지

문학과 종교의 골짜기로부터
I 교향악을 울려 주는 것이 종교
II 사람이 미소할 때
III 연민이라는 업
IV 육욕이라는 등산구
V 성녀로서가 아니라
VI 그 무력한 남자

강충과 약충이 만나는 곳――『침묵』에서 『사무라이』에 진짜 「

나」를 요구해 해설

:유키 마코

엔도 주작 (1923-1996)
도쿄 출생. 유년기를 구 만주 대련에서 보내고 고베로 돌아온 후 11세에 가톨릭 세례를 받는다. 경응대학교 불문과 졸업. 프랑스 유학을 거쳐, 1955(쇼와 30)년 「하얀 사람」으로 아쿠타가와상을 수상. 일관되게 일본의 정신풍토와 기독교의 문제를 추구하는 한편, 유머 작품, 역사 소설도 다수 있다. 주요 작품은 '바다와 독약' '침묵' '예수의 생애' '사무라이' '스캔들' 등. 1995(헤이세이 7)년, 문화 훈장 수장. 1996년, 병몰.
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人はなぜ罪を犯すのか。真に愛するとはどういうことか――。
文学と宗教、愛と憐れみ、人生の奥深さを語った名講演録。

もっと、人生を強く抱きしめなさい――。私たち一人ひとりが、それぞれの〈踏絵〉を持って生きている。キリスト教禁教の時代に踏絵に足をかけ、誰に語られることもなく歴史の中へ葬り去られた弱き人々に声を与え、その存在を甦らせた不朽の名作『沈黙』の創作秘話をはじめ、海外小説から読み解く文学と宗教、愛と憐れみ、そして人生の機微と奥深さを縦横に語った、時代を超える名講演録。

【目次】

人生にも踏絵があるのだから――『沈黙』が出来るまで

文学と宗教の谷間から
I 交響楽を鳴らしてくれるのが宗教
II 人が微笑する時
III 憐憫という業
IV 肉欲という登山口
V 聖女としてではなく
VI あの無力な男

強虫と弱虫が出合うところ――『沈黙』から『侍』へ

本当の「私」を求めて

解説:柚木麻子

遠藤周作(1923-1996)
東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。


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228ページ
言語
日本語
出版社
新潮社
発売日
2019/7/26
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出版社より
書影 書影 書影 書影 書影 書影
白い人・黄色い人 海と毒薬 留学 母なるもの 彼の生きかた 砂の城
【新潮文庫】遠藤周作 作品 ナチ拷問に焦点をあて、存在の根源に神を求める意志の必然性を探る「白い人」、神をもたない日本人の精神的悲惨を追う「黄色い人」。〈芥川賞〉 何が彼らをこのような残虐行為に駆りたてたのか?終戦時の大学病院の生体解剖事件を小説化し、日本人の罪悪感を追求した問題作。〈毎日出版文化賞・新潮社文学賞〉 時代を異にして留学した三人の学生が、ヨーロッパ文明の壁に挑みながらも精神的風土の絶対的相違によって挫折してゆく姿を描く。 やさしく許す”母なるもの”を宗教の中に求める日本人の精神の志向と、作者自身の母性への憧憬とを重ねあわせてつづった作品集。 吃るため人とうまく接することが出来ず、人間よりも動物を愛し、日本猿の餌づけに一身を捧げる男の純朴でひたむきな生き方を描く。 過激派集団に入った西も、詐欺漢に身を捧げたトシも真実を求めて生きようとしたのだ。ひたむきに生きた若者たちの青春群像を描く。

 
悲しみの歌 沈黙 イエスの生涯 キリストの誕生 死海のほとり 王国への道―山田長政―
戦犯の過去を持つ開業医、無類のお人好しの外人……大都会新宿で輪舞のようにからみ合う人々を通し人間の弱さと悲しみを見つめる。 殉教を遂げるキリシタン信徒と棄教を迫られるポルトガル司祭。神の存在、背教の心理、東洋と西洋の思想的断絶等を追求した問題作。〈谷崎潤一郎賞〉 青年大工イエスはなぜ十字架上で殺されなければならなかったのか──。あらゆる「イエス伝」をふまえて、その〈生〉の真実を刻む。〈国際ダグ・ハマーショルド賞〉 十字架上で無力に死んだイエスは死後”救い主”と呼ばれ始める……。残された人々の心の痕跡を探り、人間の魂の深奥のドラマを描く。〈読売文学賞〉 信仰につまずき、キリストを棄てようとした男──彼は真実のイエスを求め、死海のほとりにその足跡を追う。愛と信仰の原点を探る。 シャム(タイ)の古都で暗躍した山田長政と、切支丹の冒険家・ペドロ岐部――二人の生き方を通して、日本人とは何かを探る長編。

 
真昼の悪魔 王妃マリー・アントワネット〔上〕 王妃マリー・アントワネット〔下〕 女の一生 一部・キクの場合 女の一生 二部・サチ子の場合
大病院を舞台に続発する奇怪な事件。背徳的な恋愛に身を委ねる美貌の女医。現代人の心の渇きと精神の深い闇を描く医療ミステリー。 苛酷な運命の中で、愛と優雅さを失うまいとする悲劇の王妃。激動のフランス革命を背景に、多彩な人物が織りなす華麗な歴史ロマン。 幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹大弾圧にも屈しない信者たちと、流刑の若者に想いを寄せるキクの短くも清らかな一生を描く。 第二次大戦下の長崎、戦争の嵐は教会の幼友達サチ子と修平の愛を引き裂いていく。修平は特攻出撃。長崎は原爆にみまわれる……。 藩主の命を受け、海を渡った遣欧使節「侍」。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の生を通して人生と信仰の意味を問う。〈野間文芸賞〉

夫婦の一日 満潮の時刻 十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。 人生の踏み絵 影に対して 母をめぐる物語 【単行本】善人たち
たびかさなる不幸で不安に陥った妻の心を癒すために、夫はどう行動したか。生身の人間だけが持ちうる愛の感情をあざやかに描く。 人はなぜ理不尽に傷つけられ苦しみを負わされるのか──。自身の悲痛な病床体験をもとに、『沈黙』と並行して執筆された感動の長編。 大作家が伝授する「相手の心を動かす」手紙の書き方とは。執筆から四十六年後に発見され、世を瞠目させた幻の原稿、待望の文庫化。 もっと、人生を強く抱きしめなさい──。不朽の名作『沈黙』創作秘話をはじめ、文学と宗教、人生の奥深さを縦横に語った名講演録。 両親が別れた時、少年の取った選択は生涯ついてまわった。完成しながらも発表されなかった「影に対して」をはじめ母を描く六編。 戦前の米国で留学生が味わった悲劇を描く「善人たち」、名作を深く語り直す「戯曲 わたしが・棄てた・女」他、話題の新発見戯曲集!

 
内容(「BOOK」データベースより)
もっと、人生を強く抱きしめなさい―。私たち一人ひとりが、それぞれの“踏絵”を持って生きている。キリスト教禁教の時代に踏絵に足をかけ、誰に語られることもなく歴史の中へ葬り去られた弱き人々に声を与え、その存在を甦らせた不朽の名作『沈黙』の創作秘話をはじめ、海外小説から読み解く文学と宗教、愛と憐れみ、そして人生の機微と奥深さを縦横に語った、時代を超える名講演録。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
遠藤/周作
1923‐1996。東京生れ。幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。’95(平成7)年、文化勲章受章。’96年、病没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
出版社 ‏ : ‎ 新潮社; 文庫版 (2019/7/26)
発売日 ‏ : ‎ 2019/7/26
言語 ‏ : ‎ 日本語
文庫 ‏ : ‎ 228ページ

著者について
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遠藤 周作
(1923-1996)東京生れ。

幼年期を旧満州大連で過ごし、神戸に帰国後、11歳でカトリックの洗礼を受ける。慶応大学仏文科卒。フランス留学を経て、1955(昭和30)年「白い人」で芥川賞を受賞。

一貫して日本の精神風土とキリスト教の問題を追究する一方、ユーモア作品、歴史小説も多数ある。主な作品は『海と毒薬』『沈黙』『イエスの生涯』『侍』『スキャンダル』等。1995(平成7)年、文化勲章受章。1996年、病没。

カスタマーレビュー
5つ星のうち4.3
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上位レビュー、対象国: 日本
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Amazon カスタマー井上
5つ星のうち5.0 出会えて良かったです
2022年4月9日に日本でレビュー済み
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遠藤周作先生の作品は、ご縁頂いたものは最後まで読ませて頂いております。 記憶よくない自分ですが、記憶の引出に未整理ですが残ってくれています この作品もそうなる様、願っています。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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魚住良一
5つ星のうち4.0 誰にでも踏み絵を踏む時は来る。
2021年3月20日に日本でレビュー済み
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<沈黙>は読んでも、映画で見ても苦しいが<人生の踏み絵>は読みやすい講演集です。
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渡辺進
5つ星のうち4.0 Thanks.
2020年5月13日に日本でレビュー済み
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Thanks.
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廣瀬寛幸
5つ星のうち3.0 人はいつでも踏絵を目の前にして生きている。
2020年9月19日に日本でレビュー済み
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強者と弱者の視点から、人生の踏絵というものを自分の人生歴からいろいろと再考するきっくけとなりました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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hiroha
5つ星のうち5.0 ユーモア人狐狸庵の本当の一面が見えます
2020年11月11日に日本でレビュー済み
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文化勲章授章に値する文学者だと感心した、人間の真の愛を語られる講演集、 笑って納得した
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宮さん
5つ星のうち5.0 生き方の真理を知る。
2020年4月7日に日本でレビュー済み
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遠藤周作さんらしく、ユーモアを交えて、大切なことを、教えて下さいました。
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大脇康孝
5つ星のうち4.0 人生の踏絵
2017年4月5日に日本でレビュー済み
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”狐狸庵作家”で日常を楽しませてくれ、カトリック教徒として別な視点から「神」を視る。信ぜよ、信ずべからず。襟を正さざるべからず。
「ルーアンの丘」を是非読みたい、再版の望みはないものでしょうか。
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MRNA
5つ星のうち5.0 文学って奥が深いなぁ、と感じさせる
2019年8月10日に日本でレビュー済み
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著者による、キリスト教に関連する文学(著者自身の作品及び海外の作家による作品)についての講演を集めたものである。
著者の作品としては『沈黙』『侍』『スキャンダル』について語られている。著者の作品を理解するのに役立つ。
ここで紹介されている海外の作品についても、ぜひとも読みたくなってくる。
文学って奥が深いなぁ、と感じさせる。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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hijikata
5つ星のうち5.0 人生、投げ出してはいけない
2020年10月14日に日本でレビュー済み
ゴリゴリのキリスト教信者かと何となく敬遠していた遠藤周作ではあったが、今では好きな作家の一人。
助けることは出来ないかもしれないけれど、弱者に寄り添うのが、キリストの真髄だと知り、そこは人の生き方としての理想とも言える美しさを感じた。

本作を遠藤の講演録であるが、ざっくばらんな言葉で、遠藤のキリスト観が述べられている。

「イエスは、当時の社会では最も卑しめられていた娼婦やひどい病気に苦しむ人などと会ってきちんと慰めてあげた。苦しさや悲しさや煩わしさをイエスは背負って、自分の十字架にしてそれを最後まで捨てなかったところが私には非常に感動的なんだ」p26

「人間の中の全ての要素、どんなにいやらしい汚れた部分にも応じて、オーケストラのような音を出してくれる宗教でないと私は満たされない。」p48

「良い事もできず、悪い事もできないような奴には、神様がわからない。」p95

「つまり重たい十字架を人生そのものだと考えるわけです。(略)人生は汚らしいし、目を背けたくなる事もある。しかし、決して放り投げちゃいけない。」p109

「道徳や常識からはみ出してしまうもの、社会からはみ出してしまうものが人間の中にはある。

それはマイナスではなくプラスのものを人間に与えてくれるのではないか」p216

「道徳や社会から否定される自分こそが、神や仏が語りかけよう、助けよう、愛そう、抱きしめようとする対象ではないか」p217

自分は無宗教な人間だが、大きな意味の神、御先祖様、そしてもう1人の自分が、自分を見てどう思うかを基準にしている。

hijikata
별 5개 중 5.0개 인생, 던져서는 안됩니다.
작성일: 2020년 10월 14일 일본
고리고리의 기독교 신자인가 어쩐지 경원하고 있던 엔도 주작이었지만, 지금은 좋아하는 작가의 한 명.

도울 수는 없을지도 모르지만, 약자에게 다가가는 것이 그리스도의 진수라고 알고, 거기는 사람의 삶의 방법으로서의 이상이라고 할 수 있는 아름다움을 느꼈다

본작을 엔도의 강연록이지만, 엄청난 말로, 엔도의 그리스도관이 말해지고 있다.

“예수께서는 당시 사회에서 가장 비겁하신 창녀나 심한 질병으로 고통받는 사람 등을 만나 제대로 위로해 주셨다

. 끝까지 버리지 않았던 곳이 나에게는 매우 감동적이야.

" p26 채워지지 않는다 . " 을 돌리고 싶어지는 일도 있다. 그러나, 결코 내버려 버리지 말아라 . " 인간에게 주는 것은 아닐까" p216 "도덕이나 사회로부터 부정되는 자신이야말로 하나님이나 불상이 말씀하자, 돕자, 사랑하자, 안아주려는 대상이 아닌가" p217

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araya taro
5つ星のうち5.0 ユーモアを交えた分かり易い講演
2019年8月24日に日本でレビュー済み
作家遠藤周作氏がキリスト文学について語った講演集。ユーモアを交えた分かり易い講演なのですらすらと読み進めることができました。紹介されている小説は遠藤氏の作品以外どれも読んだことがありませんが一度は読んでみたいと思わせるものばかりでした。特にモーリヤックの「テレーズ・デスケルウ」は面白そうでした。
キリスト文学を通じてキリスト教とはどういうものかが提示されていくのですが、遠藤氏自らのイエス・キリスト観、聖書の面白さについて語った部分は大変興味深く読むことができました。本書読了後、昔読んだ「沈黙」を無性にもう一度読みたくなりました。
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スプリング・ラブ
5.0 out of 5 stars 『沈黙』のテーマについて
Reviewed in Japan on August 27, 2019
本書は、不朽の名作『沈黙』の創作秘話「人生にも踏絵があるのだから──『沈黙』が出来るまで──」が収録されている。弱き人々を沈黙の中から呼び起こす。なぜ神は黙っているのか。この二つのことが『沈黙』のテーマである。
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Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars 欲しかった本
Reviewed in Japan on April 16, 2020
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欲しかった本ですが
少し経年で汚れていました。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
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고토란

45
”여우 호안 선생님”, 엔도 주작이 기독교 문학에 대해 말한 강연을 수록한 강연집. 자신의 일부 작품이나 국내외의 다양한 작품을 소개하면서 문학과 종교, 인생의 구제와 깊이를 유머를 섞어 알기 쉽게 말해지고 있다. 소개되고 있는 수많은 작품은 모두 소개 방법이 매우 흥미로웠다. 읽어보고 싶은 작품이 많이 발견됐다. 우선은, 읽지 않은 「루앙의 언덕」, 「사무라이」로부터 읽어 가고 싶다.
2022/04/16
아키무라

14
생전의 강연을 문장으로 읽어도, 재미있을 것 같아 물어보고 싶어졌습니다. 또 엔도 주작을 읽어 보려고, 「침묵」을 읽기 시작했습니다.
2017/04/01
검색으로

9
작가가 죽고 20년이 지나서 이런 '신간서'가 발행된다. 신시오샤가 주최한 엔도 선생님의 강연을 모은 책이지만, 이것이 좀처럼 깊고 무겁다. 「외국문학과 기독교」의 강연을 읽으면, 엔도 선생님이, 소설가로서, 얼마나 깊게 문학을 해독하고 있었는지 알 수 있다. 이 사람은, 이렇게 가득한 것을 생각해 소설을 쓰고 있었다고, 다시 한번, 생각나게 된다.
2017/04/06
jorge70

8
그래, 새로운 세계를 만진 것 같다. 「침묵」을 비롯한 기독교 사상의 진한 소설에 대한 강연회집. 입술을 씹고, 사람은 모두 인생의 답화를 밟고 있다. 거기에 반대하는 것은 훌륭한 일이지만, 그 구니에 의해 길을 밟을 수도 있다. 사소한 일이지만, 설날에 먹는 볶음에 대한 고집은 잘 듣는다. 떡은 원, 국물은 투명, 재료는 닭과 시금치. 해외에 살더라도 일본인은 스며든 습관에서 쉽게 빠져나갈 수 없다. 자신도 눈치채지 못하는 자신이 있다. 소설가는 망설이는 인간. 헤매지 않으면 소설을 쓸 필요가 없다.
2017/05/13
비올라

7
엔도 주작의 강연집. 실제로는 없지만, 텔레비전 등에서 이야기는 듣고 있기 때문에, 어조와 말투를 상상할 수 있어 현장감이 있는 기록집이다. 이야기가 좋다! 읽으면서 웃어 버린다. 기독교와 해외 문학이라는 테마의 강연에서는 저자 번역 『테레즈 데스켈루』를 기독교 구원의 면에서 해설. 좋은 행위에 대해서가 아니라, 악이나 약한 면이야말로 구원의 손은 뻗어나가는 것이다, 라고 하는 독서에는 자극을 받았다. 기독교의 배경이 없는 일본에서, 묘사에 성경을 짜도 깨닫지 못한다는 암캐는 될 정도도 있다. 그레이엄 그린의 작품도 읽어보고 싶다.
2017/04/16

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Gotoran

45
”狐狸庵先生”こと、遠藤周作がキリスト教文学について語った講演を収録した講演集。自身のいくつかの作品や国内外の様々な作品を紹介しながら、文学と宗教、人生の救済と奥深さをユーモアを交えて分かりやすく語られている。紹介されている数々の作品は、どれも紹介の仕方がとても興味深かった。読んでみたいと思わされる作品が多々見つかった。まずは、未読の『ルーアンの丘』、『侍』から読んでゆきたい。
2022/04/16
あきむら

14
生前の講演を文章で読んでも、面白そうで聞いてみたくなりました。また遠藤周作を読んでみようかと、「沈黙」を読み始めました。
2017/04/01
trazom

9
作家が死んで20年たって、こんな「新刊書」が発行される。新潮社が主催した遠藤先生の講演を集めた本だが、これがなかなか、深くて重い。「外国文学とキリスト教」の講演を読むと、遠藤先生が、小説家として、どれほど深く文学を読み解いておられたのかがわかる。この人は、こんなにいっぱいのことを考えて小説を書いていたのだと、改めて、思い知らされる。
2017/04/06
jorge70

8
うん、新しい世界に触れた気がする。「沈黙」をはじめとしたキリスト教思想の濃い小説についての講演会集。唇を噛み、人は皆人生の踏絵を踏んでいる。それに抗うのは立派なことだが、その拘泥により道を踏み外すこともあるだろう。些細なことだが、正月に食べる雑煮へのこだわりはよく聞く。餅は丸、汁は透明、具は鶏とほうれん草。海外に住んでも日本人は染みついた習慣から簡単には抜け出せない。自分にも気づかない自分がいる。小説家は迷いに迷っている人間。迷いがなければ小説を書く必要はない。
2017/05/13
Viola
遠藤周作の講演集。実際にはないが、テレビなどで話は聴いているので、口調や言い回しが想像できて臨場感のある記録集だ。話がうまい!読みながら笑ってしまう。キリスト教と海外文学、というテーマの講演では著者訳『テレーズ・デスケルゥ』をキリスト教の救いの面から解説。良い行いに対してではなく、悪や弱い面にこそ救いの手は差し伸べられるのだ、という読み方には刺激を受けた。キリスト教の背景がない日本で、描写に聖書を織り込んでも気づかれない、という愚痴はなるほどさもありなん。グレアム・グリーンの作品も読んでみたい。
2017/04/16
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감상·리뷰30

알피니아
엔도 씨의 기독교 문학에 관한 강연을 정리한 것. 특히 '문학과 종교의 골짜기에서' 장에서는 작가의 관점에서 문학평론이 전개되어 매우 흥미로웠다. 씨가 계속 생각하고 있었다고 하는 「약충」과 「강충(씨의 조어)」의 문제가 마음에 울리는 것은, 나도 또 약충이기 때문이다. 자비에 빠지는 약충. 하지만 '자유'는 '사랑'이 아니라 '도망'이라고 씨는 말한다. 한층 더 신념을 관철한 「강충」에는 사정은 없을까 묻는다. 자비의 긍정, 혹은 신념의 찬양으로 끝나지 않고, 한층 더 마음의 깊이로 숨어가는 것이 씨의 작품이라고 생각한다. 또 '깊은 강'을 읽고 싶어졌다.
나이스★56
코멘트( 1 )
2022/07/23
알피니아
알피니아
등장한 작품 「테레즈 데스켈루 / 프랑수아 모리야크」 「사건의 핵심 / 그레이엄 그린」 「모이라 / 줄리안 그린」 「좁은 문 / 앙드레 지드」 「시골 사제의 일기 / 베르나노스」 세인트 테레지아 "침묵" "사무라이" "스캔들"

나이스★20
07/23 14:46
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Non-chan 구름을 타고
Non-chan 구름을 타고
p127 지드는 좁은 문에서 기독교와 플라토닉 러브를 풍자하고 비판하기 위해 (가톨릭은 육욕을 부정하지 않는다) 썼다. 소설 기술적으로 능숙하지만 똑똑한 방법. 제롬의 편에서 쓰고 있기 때문에 알리사가 무엇을 생각하고 있는지 독자에게는 확실하지 않다. 소설의 열쇠는 마지막으로 있다. 여동생 줄리엣이 "자 깨어야 돼요" 알리사는 제롬이 준 이미지 때문에 깨끗함과 아름다움을 착용해야 했다. 제롬은 여자의 마음을 간과할 정도로 둔감하고 에고이스트이기도 하다.
나이스★6
코멘트( 0 )
2022/05/12
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고토란
고토란
”여우 호안 선생님”, 엔도 주작이 기독교 문학에 대해 말한 강연을 수록한 강연집. 자신의 일부 작품이나 국내외의 다양한 작품을 소개하면서 문학과 종교, 인생의 구제와 깊이를 유머를 섞어 알기 쉽게 말해지고 있다. 소개되고 있는 수많은 작품은 모두 소개 방법이 매우 흥미로웠다. 읽어보고 싶은 작품이 많이 발견됐다. 우선은, 읽지 않은 「루앙의 언덕」, 「사무라이」로부터 읽어 가고 싶다.
나이스★45
코멘트( 0 )
2022/04/16
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결핵
결핵
스포일러 C 도서관 책. 11월부터 엔도 주작 7권째. '깊은 강'에서 들어와 '텔레즈 데스켈루' 읽었는데, 이 책을 읽고 나서 '텔레즈'에 온 독자들도 많았기 때문에 저도 읽어 보았다. 좋았다. 강연 형식으로 즐겁게 해설해주는 것이 고맙다. 『텔레즈』의 읽는 방법, 나는 「종교감은 없는 소설」이라고 밖에 읽을 수 없었지만. 「심리의 혼돈이었던 곳이야말로, 기독교적 세계」 「인간의 무의식 속에 하나님이 미끄러지는 여지를 보고 있는 점」 「텔레즈는 생온함에서 나와 뜨거운 상태로 한 걸음 내딛은 것이다」 . 「하느님의 은총=구원」이 필요한 사람을 그렸다는 것?
나이스★3
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2022/01/11
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스켄코
스켄코
같은 시대를 살고 싶었다. 엔도 주작에 입신! ! !
나이스★2
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2019/10/22
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ψ 근무초
ψ 근무초
내용 그 자체는 생전에 행해진 강연회의 쓰러뜨리는 것이지만 이것을 읽고 마침내 그리스도인인 필자가 가르침에 저항하는 것처럼 '하나님의 의침묵'을 계속 썼는지, 신앙과는 일생연이 없어 있을 자신이 왜 엔도 주작이라고 하는 작가에게 끌리는지의 대답이 나왔다고 생각한다. 이 책의 열쇠이기도 한 「테레즈 데스켈루」와 「좁은 문」은 모두 읽을 것이다.
나이스★5
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2019/08/27
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푸르푸루
푸르푸루
강연집. 사랑스럽게도 재능과 노력과 인내가 필요하다. 인생도 같다. 괴로워도 버리지 말아라. 그 안에있다. 그것은 의식 아래에 억지로 숨겨져 버리기도 한다.그러나 그것은 긍정적 인 것을 인간에게주는 것이 아닌가? 에 좋지 않은 것도 종교적 윤리로 말하면 다른 사고방식이 있는 것은 아닌가? 네요.
나이스★5
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2019/07/27
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yszk
yszk
엔도씨의 1966(「침묵」발표년)~1986년(「스캔들」발표년)의 강연록. 한 번만 강연을 고교생? 의 무렵 들을 기회가 있었지만, 그 때는 의료의 배려가 테마로, 솔직히 그만큼 인상에 남는 것은 아니었다. 역시 소설가가 자신의 작품이나, 영향을 받은 작품에 대해서 이야기하고 있는 것은 재미있다. 타이틀도 그쪽을 전면에 내 준 것이 좋지만. 이것이라면 인생론 같은 느낌이 ^^;. ・『침묵』이 생길 때까지: 40대 초반에 침묵에 대한 사회의 반응도 말하고 있다.
나이스★24
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2018/11/12
yszk
yszk
후반은 「사무라이」와 「스캔들」의 발표시. 현재 미야기현에 살고 있기 때문에 『사무라이』는 특히 인상이 강하다. 그리고 본인의 「전후 최초의 부처에의 유학생」으로서의 경험도 거듭되고 있다. 그리고 이 강연의 라스트에, 「다음 소설에서는 자신에게 가타가타와 흔들림을 걸어 보고 싶다」라고 말하고 있다. 그 결실의 『스캔들』은 옛날 읽었지만 몰랐던 것 같다. 나이가 들면 지금 다시 읽어 보려고 결의.

나이스★6
11/12 16:54
yszk
yszk
추가: 내용의 일부를 아래에서 읽을 수 있습니다. https://www.bookbang.jp/review/article/519923 종교와 문학의 계곡에서 https://www.bookbang.jp/review/article/518689 있는 소설이 완성될 때까지 『침묵』에서 『사무라이』로

나이스
11/14 21:17
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아이 카모
아이 카모
상당히 상냥하게 이야기되고 있네요. 다양한 작품의 배경이나 해외 작품의 읽는 방법을 소개되고 있어 손을 뻗고 싶어졌습니다.
나이스★2
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2018/05/20
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스즈키 타카히로
스즈키 타카히로
엔도 주작 선생님의 강연집. 매우 재미있는 이야기로 흥미로운 이야기를 하고 있어 즐기면서 깊은 것을 알 수 있다. 언급된 다양한 작품도 읽고 싶어졌다. 아가와 선생님의 교우록의 여우호 선생님 여기에 있습니다.
나이스★1
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2017/09/03
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미카
미카
해외의 작품(물론 번역 물건)을 읽을 때, 작자는 당연하지만 일본과는 다른 문화권에서 자라, 거기에서의 상식을 가지고 있다는 것을 머리에 넣는 것이 좋을 것이다. 반면에 그런 격차를 가볍게 극복하고 열중하게 하는 작품도 있다. 본작처럼 해설 받으면 즐겁게 깊어진다.
나이스★8
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2017/07/02
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난독가 지키는 모임 지지!
난독가 지키는 모임 지지!
엔도 주작씨의 강연집입니다. 영화화된 '침묵'과 성욕과 믿음에 대한 이야기. 일본에서 기독교인으로서 사는 것은 역시 문화와 가치관, 사상체계의 차이가 있어 어쩐지 힘들다. 엔도 주작씨는, 「버리지 않는」 일을 결정한 것 같다. 나가사키에서 발판을 보고, 「침묵」으로 연결된 것 같다. 살아있는 이상, 신앙은 없어도 지금까지의 자신의 삶의 방식이나 가치관을 「밟아 그림」으로 해 가지 않을 때는 있습니다. 그리고 성욕과 믿음에 대한 내용. 저도 성에 다감했을 때 그리스도인이 되었기 때문에 자신의 성욕에는 '악과 죄'를 느꼈습니다.
나이스★6
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2017/07/01
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기독교 작가. 그런 장르가 있었다는 것을 몰랐다. 그리스도인이면서 찬양하는 것이 아니라 스케치하도록 그리스도인을 쓴다. 문학이란 무엇인가, 생각한 생각입니다.
나이스★2
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2017/06/08
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jorge70
jorge70
그래, 새로운 세계를 만진 것 같다. 「침묵」을 비롯한 기독교 사상의 진한 소설에 대한 강연회집. 입술을 씹고, 사람은 모두 인생의 답화를 밟고 있다. 거기에 반대하는 것은 훌륭한 일이지만, 그 구니에 의해 길을 밟을 수도 있다. 사소한 일이지만, 설날에 먹는 볶음에 대한 고집은 잘 듣는다. 떡은 원, 국물은 투명, 재료는 닭과 시금치. 해외에 살더라도 일본인은 스며든 습관에서 쉽게 빠져나갈 수 없다. 자신도 눈치채지 못하는 자신이 있다. 소설가는 망설이는 인간. 헤매지 않으면 소설을 쓸 필요가 없다.
나이스★8
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2017/05/13
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비올라
비올라
엔도 주작의 강연집. 실제로는 없지만, 텔레비전 등에서 이야기는 듣고 있으므로, 어조와 말투를 상상할 수 있어 현장감이 있는 기록집이다. 이야기가 좋다! 읽으면서 웃어 버린다. 기독교와 해외 문학이라는 테마의 강연에서는 저자 번역 『테레즈 데스켈루』를 기독교 구원의 면에서 해설. 좋은 행위에 대해서가 아니라, 악이나 약한 면이야말로 구원의 손은 뻗어나가는 것이다, 라고 하는 독서에는 자극을 받았다. 기독교의 배경이 없는 일본에서, 묘사에 성경을 짜도 깨닫지 못한다는 암캐는 될 정도도 있다. 그레이엄 그린의 작품도 읽어보고 싶다.
나이스★7
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2017/04/16
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토시
토시
스포일러 엔도 주작 씨의 강연집. 저서 「침묵」 「사무라이」 「스캔들」 외에 「외국 문학과 기독교」라는 테마에서는 「테레즈 데스켈루」 「사건의 핵심」 「모이라」 「좁은 문」등에 대해 이야기하고 있습니다. “인간의 가장 괴로운 부분, 약한 부분, 아무것도 되지 않는 곳을 통해서, 하나님은 말씀해 온다. 혹은 하나님이 자신의 존재를 증명해 온다”(p119) “약충은 주위를 해치고 싶지 않다”(p162) "사람이 놀라운 일을 할 때, 에고이즘은 반드시 섞일 것입니다. 이것은 인간의 일 같은 것"(p178)이라는 말이 마음에 남았습니다.
나이스★2
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2017/04/14
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이마쇼와 에에@고베 모토마치 커넥트론/마치카도호켄실
이마쇼와 에에@고베 모토마치 커넥트론/마치카도호켄실
밧줄을 밟은 사람밖에 짊어지지 않는 십자가가 있다. 그 무게를 견디고 살아남을 수밖에 없는 사람밖에 할 수 없는 것이 분명 있었을 것이다.
나이스★6
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2017/04/12
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베베쉐리
베베쉐리
나는 사무라이를 읽기 전에 이것을 읽고 싶었다. 나는 그것을 다시 읽어야 한다. 이 책은 그의 연설을 기반으로 하여 흥미롭다.
나이스★2
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2017/04/07
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검색으로
검색으로
작가가 죽고 20년이 지나 이런 '신간서'가 발행된다. 신시오샤가 주최한 엔도 선생님의 강연을 모은 책이지만, 이것이 좀처럼 깊고 무겁다. 「외국문학과 기독교」의 강연을 읽으면, 엔도 선생님이, 소설가로서, 얼마나 깊게 문학을 해독하고 있었는지 알 수 있다. 이 사람은, 이렇게 가득한 것을 생각해 소설을 쓰고 있었다고, 다시 한번, 생각나게 된다.
나이스★9
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2017/04/06
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아키무라
아키무라
생전의 강연을 문장으로 읽어도, 재미있을 것 같아 물어보고 싶어졌습니다. 또 엔도 주작을 읽어 보려고, 「침묵」을 읽기 시작했습니다.
나이스★14
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2017/04/01
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앙 도넛
앙 도넛
엔도 슈작의 책을 몇 년 만에 읽었을 것이다. 곳곳에 보이는 유머, 옛날 읽은 에세이에 가득 박혀 있던 것을 기억했습니다. 수십 년 전에 읽은 작품을 다시 한번 손에 들고 싶었습니다. 분명 오늘과는 다른 나를 만날 수 있는 것 같은 생각이 듭니다. 빨리 책장에 손을 뻗는 내가 있습니다.
나이스★2
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2017/03/13
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쿄코
쿄코
기독교 신자가 아닌 간증으로 발판이 사용되었던 시대, 발판을 밟지 않고 순교한 신자는 후세까지 영웅 취급되어 많은 자료가 남아 있지만 공포의 너무 자신을 지키고 싶어서 넘어 다 신자에 대한 자료는 거의 남아 있지 않은 것 같다. 그런 「약한 사람」을 주인공으로 쓴 소설, 「침묵」의 본인의 강연 내용. 나는 같은 책을 반복해서 읽는다는 행위는 하지 않고, 단지 소비해 주실 수 있을지도 모른다. 자신, 기독교 신자에도 불구하고 하나님의 존재를 묻는 것에 단지 의문밖에 없었지만, 이런 일이었는가. 얼마나 깊다.
나이스★3
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2017/03/08
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카나타
카나타
“그들이 (넘어진 사람)도 인간이기 때문에, 나는 그들에게 목소리를 주고 싶었어요. 그들을 침묵의 재에서 불러내고 싶었습니다. 침묵의 재를 모으고 그들의 음성을 듣고 싶습니다. .그런 의미로 『침묵』이라는 제목을 붙였습니다. 이 책은 연속 강의 녹집 플러스 α의 구성으로, 저자의 전서 후기, 편자의 말은 일절 없음. 말한 것을 작품에 적용해 읽고 싶다. 『침묵』, 나가사키에게 생각을 느끼게 해.
나이스★7
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2017/03/03
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마루
마루
해외 문학 작품을 통해 기독교를 말한다는 테마의 강연 내용을 책으로 한 것. 말향 냄새 같은 미진도 없지만, 깊다. 다른 작품도 읽고 싶어서, 만마와 여우호 선생님의 책에 빠진다(웃음).
나이스★5
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2017/03/02
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그것 이유
그것 이유
영화 '침묵-사일런스-'가 공개 중이라는 것도 있고, 처음에 '침묵'을 집필했을 때의 에피소드가 소개되고 있습니다. 요전날, 세토 내해 방송으로부터, 영화 공개가 화제가 되고 있는 일도 있어, 오카야마·카가와의 숨은 키리시탄에 대한 취재를 받았습니다. 다카야마 우근이 잠복했다고 추측되는 쇼도시마의 각처를 취재 기자에게 안내했습니다. 전승이 남아 있는 2개소의 설명은 잘 편집해, 알기 쉽게 소개해 주었습니다. 이번 우근은 복자에게 열복되었는가, 향후 우근 연고의 땅에 순례에 오는 사람들이 늘어날 것 같습니다.
나이스★4
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2017/02/22
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료이치 이토
료이치 이토
「침묵」, 「사무라이」, 「스캔들」등의 자작과 몇개의 외국 작품을 소재에 인생을 말한다. 엔도 주작은 강연의 명수다!
나이스★5
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2017/02/13
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앙리
앙리
아름다운 것에 매료되는 것은 열정이며 사랑이 아니다. 하나님은 불완전한 것을 돌보아야 한다. 그것을 사랑이라고 한다. 그러니까 이혼은 금지되고 있어 자살도 마찬가지로. 왜냐하면 인생도 또 깨끗한 것만은 아니니까. 그런 삶에서 도망쳐서는 안 되니까. …라는 내용이었다. 정리하면. 다만, 그러한 것을 어떻게 소중히 하면 좋을까, 또 분명히 버리는 것이 좋은 것도 있는 것은 아닐까, 라고 하는 것의 해는 없고 향후의 과제일지도 모른다. 하지만 확실히 하나님께서는 모든 인간을 사랑하길 바랄지도 모른다.
나이스★7
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2017/02/11
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있을까
있을까
『침묵』의 저자인 엔도 주작씨의 생전 강연 등을 정리한 것입니다. 나가사키에서 엔도 씨가 우연히 눈에 띄는 답화, 그 판에는 끈적 끈적한 지족의 형태가 남아 있고, 거기에서 영감을 얻어 「침묵」을 썼다고 합니다. 또 현대에도 밟아야 하는 답화가 있다고 합니다. 생각나게 되면 나도 많은 답화를 밟아 왔습니다. 의식적으로 밟거나 모르는 사이에 밟고 있거나. “죄 속에야 구원의 가능성이 있다”는 한 문장이 마음에 남았습니다.
나이스★103
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2017/02/06
있을까
있을까
히나키치씨, 그럼 『바보씨』는 어떨까요.

나이스★1
02/07 06:19
히나키치
히나키치
고마워요 m(__)m 읽어요(^^)/

나이스★1
02/07 06:58
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유야
유야
2017년 5권. 엔도 주작의 강연록. 작품을 읽는 것만으로는 몰랐던 저자의 인품(특히 유머)을 잘 알 수 있다. '침묵'은 원작을 읽고 영화도 보러 갔지만 타이틀의 의미는 신자의 고통에 대한 '하나님의 침묵'이라고 거기서 사고가 멈추고 있었다. 이 책에서 또 하나의 의미, 화려한 순교자와는 달리, 오점으로 묻혀버린 '밟는 그림을 밟은 약한 사람들'에 대한 '역사·교회의 침묵'이 말해졌다. 약충에 대한 눈빛, 비참한 자에게야 향하는 사랑. 엔도 주작이 계속한 테마가 게재되고 있는 강연 속에 짙게 비춰져 있었다.
나이스★6
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2017/01/29

엔도 슈사쿠 신의 아이 백색인 신들의 아이 황색인

알라딘: [전자책] 신의 아이 백색인 신들의 아이 황색인


[eBook] 신의 아이 백색인 신들의 아이 황색인 
엔도 슈사쿠 (지은이),이평춘 (옮긴이)
어문학사2015-01-26 
원제 : 白い人·黃色い人



전자책정가  6,600원
종이책 페이지수 : 208쪽

책소개

<침묵>, <깊은 강>, <바다와 독약> 등 종교 소설과 세속 소설의 차이를 무너뜨린 20세기 일본 문학의 거장 엔도 슈샤쿠의 초기작으로, 엔도 슈샤쿠 문학이 본격적으로 형성되기 이전의 작품이라고 할 수 있다. 엔도 슈샤쿠는 <백색인>으로 아쿠타가와상을 수상하며 본격적인 작가 활동을 시작했다.

작가가 유럽과 동양의 종교문화의 차이로부터 겪은 방황, 갈등의 요소를 그대로 투영하고 있는 작품이다. 유일신을 갖는 서양의 백색인이기도 하고, 범신론적 신을 섬기는 동양의 황색인이기도 한 작가의 내면에서는 신과 인간, 인간과 신, 신과 신 등 모든 관계의 대립이 발생하여 얽히는데, 소설은 '신의 아이 백색인, 신들의 아이 황색인'라는 제목을 통해 이를 자연스럽게 시사한다.

프랑스인이면서도 독일 게슈타포의 고문 협력자가 되어 버린 '나'가 과거를 회상하면서 '백색인'의 이야기는 시작된다. 주인공인 나는 프랑스의 평범한 프로테스탄트 가정에서 태어난 못생기고 사팔뜨기인 소년이었다. '나'는 어느 날 우연히 하녀 이본느가 폐병 앓는 늙은 개의 목을 새하얀 허벅지로 짓누르며 학대하는 모습을 목격한 후 악마처럼 다가온 학대의 쾌락을 느끼기 시작한다.

'황색인'은 범신론적 세계관을 갖는 황색인의 세계에 대한 이야기이다. 소설은 '나'가 브로우 신부에게 편지를 쓰는 것으로 서두를 시작한다. 나는 브로우 신부에게 듀랑 신부가 죽기 전에 자신의 일기를 보내달라고 부탁했다는 것을 언급하며, 뒤에 곧 듀랑 신부의 이야기를 나의 이야기와 교차하여 싣는 특별한 구성방식을 선보인다.

===

목차


신의 아이
백색인白い人 7

신들의 아이
황색인色い人 105

역자 후기 200

===

책속에서


P. 52“코냑.”
“안 돼요. 못 마시는 걸요.”
여자가 케이프를 벗자 쇄골이 보기 흉할 만큼 확연히 드러났다. 가슴은 7, 8세의 소녀처럼 납작했다.
“별거 아니니까 잠깐 입을 대봐. 그런데 쟈크에게는 아무 말도 안 했지?”
그녀는 괴로운 듯이 눈썹을 찡그렸다.
“저, 당신을 믿어요.”
“안심해, 걱정할 거 없어.”
술잔이 오고감에 따라 여자의 얼굴은 서서히 붉어지고, 땀으로 엉망이 된 화장이 지워지기 시작하더니 주근깨가 드러났다. 망가진 인형처럼 목도 흔들렸다.
“믿~어~요.” 접기
P. 184-185물론 기미코는 20일 아침의 일을 모른다. 이브가 아담을 악으로 유혹했듯이 내게 작은 소리로 유혹했던 것은 아니다. 단지 그녀는 일본인이 그러하듯 닳아빠진 다다미 위에 앉아 있었을 뿐이다. 그녀의 시선은 얼어붙은 듯 다다미에 머물러 있었다. 그러나 나로서는 그녀가 낮은 목소리로 계속해서 악으로 유혹하는 듯 생각되었다.



저자 및 역자소개

엔도 슈사쿠 (遠藤周作) (지은이)



일본의 대표적인 현대 소설가. 가톨릭 신자인 이모의 집에서 성장하였으며, 열한 살 때 세례를 받았다. 1949년 게이오 대학 불문학과를 졸업한 후 현대 가톨릭 문학을 공부하기 위해 일본 정부가 수여하는 장학금으로 프랑스 리옹 대학에서 프랑스 문학을 공부했다. 결핵으로 인해 2년 반 만에 귀국한 뒤, 본격적인 작가 활동을 시작하였다. 1955년에 발표한 《하얀 사람》(白ぃ人)으로 아쿠타가와상을 수상했고, 《바다와 독약》으로 신쵸샤 문학상과 마이니치 출판 문화상을 수상하고 일본의 대표적 문학가로서 입지를 굳혔다.
엔도는 프랑스 유학에서 돌아온 후, 유럽의 [신의 세계]를 경험한 [나]가 결국 동양의 [신들의 세계]로 돌아올 수밖에 없었다는 자전적 소설 《아덴까지》를 발표했는데, 그 6개월 뒤에 《백색인白い人》을 발표하였고, 또 6개월 뒤에 《황색인黃色い人》을 발표했다. 그리고 백색인으로 1955년 제33회 아쿠타가와상을 수상한다. 《아덴까지》의 작품 의식을 기반으로 한 《신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인)》 역시 엔도가 유럽과 동양의 종교문화의 차이로부터 겪은 방황, 갈등의 요소를 그대로 투영하고 있다. 1966년에 《침묵》(沈默)을 발표하여 다니자키 준이치로상을 수상했다. 1996년 타계하기 전까지 여러 차례 노벨문학상 후보에 올랐으며, 종교소설과 통속소설의 차이를 무너뜨린 20세기 문학의 거장이자 일본의 국민작가로 평가받고 있다. 대표작으로는 《침묵》, 《예수의 생애》,《내가 버린 여자》, 《깊은 강》, 《사해 부근에서》, 《바다와 독약》, 《그리스도의 탄생》 등 다수가 있으며 1996년 9월 29일 서거. 東京 府中市 가톨릭 묘지에 잠들어 있다. 접기

수상 : 1980년 노마문예상, 1979년 요미우리 문학상, 1966년 다니자키 준이치로상, 1955년 아쿠타가와상
최근작 : <나의 예수>,<그리스도의 탄생>,<사무라이> … 총 156종 (모두보기)



이평춘 (옮긴이)


- 와세다대학 대학원 일문학 연구생 수료
- 도쿄가쿠게이(東京學藝) 대학 대학원 일문학 석사
- 도쿄 시라유리여자대학 대학원
<엔도 슈사쿠 문학>으로 문학박사
- 2019년 현재 연세대학교 학부대학 외래교수


번역서 外
- 엔도 슈사쿠『바다와 독약』가톨릭 출판사
- 엔도 슈사쿠『예수의 생애』가톨릭 출판사
- 엔도 슈사쿠『그리스도의 탄생』가톨릭 출판사
- 엔도 슈사쿠『내가 버린 여자』어문학사
- 엔도 슈사쿠『신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인)』어문학사
- 엔도 슈사쿠『엔도슈사쿠 단편선집』어문학사 및 엔도 슈사쿠의 학술논문 다수
- 1986년부터 <영혼과 형식> 현대시 동인회에 참가하며 ‘이평아’라는 필명으로 4권의 동인지 출간 접기

최근작 : <타인의 땅> … 총 9종 (모두보기)

===

출판사 제공 책소개

<침묵>, <깊은 강>, <바다와 독약> 등 종교 소설과 세속 소설의
차이를 무너뜨린 20세기 일본 문학의 거장
엔도 슈샤쿠의 초기작
<제33회 아쿠타가와상(賞) 수상작>

신학생을 고문하는 사디스트 청년의 고뇌……
유년 시절 개화된 악의 희열 속에서도<신>과 무관할 수 없었던
「백색인」,
신부였던 피에르 듀랑의 <신>과 무관한<신들>의 세계가 운명이 되어 버린「황색인」


이 책의 개요

1
엔도 문학은 다신성을 지니고 있는 동양 정신 풍토 안에서의 기독교 토착화 문제 및 인간에게 있어서의 죄와 악의 문제를 심도 있게 다루고 있다는 것이 특징이다.

엔도 문학의 뿌리를 이룬 엔도 슈사쿠의 초기작

종교와 신과 구원의 문제에 관해 고찰한 엔도 슈사쿠는 이미 한국에도 잘 알려져 있는 문학 작가로서, 종교와 인간에 대한 놀라운 통찰로 노벨문학상 후보에 여러 차례 오른 바 있는‘일본 현대문학의 거장’이다. 이번에 번역되어 출간된 <신의 아이(백색인), 신들의 아이(황색인)>(원제 : 백색인 황색인)은 엔도 슈사쿠의 초기작으로, 엔도 문학이 본격적으로 형성되기 이전의 작품이라고 할 수 있다. 엔도는 프랑스 유학에서 돌아온 후, 유럽의 <신의 세계>를 경험한 <나>가 결국 동양의 <신들의 세계>로 돌아올 수밖에 없었다는 자전적 소설 <아덴까지>를 발표했는데, 그 6개월 뒤에 <백색인白い人>을 발표하였고, 또 6개월 뒤에 <황색인 色い人>을 발표했다. 그리고 백색인으로 1955년 제33회 아쿠타가와상을 수상한다. <아덴까지>의 작품 의식을 기반으로 한 <신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인)> 역시 엔도가 유럽과 동양의 종교문화의 차이로부터 겪은 방황, 갈등의 요소를 그대로 투영하고 있다. 유일신을 갖는 서양의 백색인이기도 하고, 범신론적 신을 섬기는 동양의 황색인이기도 한 엔도의 내면에서는 신과 인간, 인간과 신, 신과 신 등 모든 관계의 대립이 발생하여 얽히는데, 소설은 신의 아이(백색인), 신들의 아이(황색인)라는 제목을 통해 이를 자연스럽게 시사한다.
특히 신의 아이(백색인)은 유일신을 섬기는 백색인(서양인)들의 세계관, 유일신의 세계에 순응하지 않는 백색인의 세계관 그리고 이것의 첨예한 갈등을 인간의 악이 극도로 팽창하던 시기인 독일 나치 침공을 배경으로 묘사한다. 인간에게 있는 악의 본성은 신의 세계에서 어떤 의미인가, 더 나아가 그리스도와 유다의 관계에 대해 간접적으로 고찰하고 있어, 행간에 담긴 엔도 슈사쿠 특유의 종교적 사색을 읽을 수 있다.

신의 아이(백색인)

프랑스인이면서도 독일 게슈타포의 고문 협력자가 되어 버린 ‘나’가 과거를 회상하면서 소설의 이야기는 시작된다. 주인공인 나는 프랑스의 평범한 프로테스탄트 가정에서 태어난 못생기고 사팔뜨기인 소년이었다. 엄격한 청교도이신 어머니의 훈육 아래 평범하게 자란 듯하지만 '나'는 어느 날 우연히 하녀 이본느가 폐병 앓는 늙은 개의 목을 새하얀 허벅지로 짓누르며 학대하는 모습을 목격한 후 악마처럼 다가온 학대의 쾌락을 느끼기 시작한다. 이 일은 이후 ‘나’가 행하는 모든 비도덕적 행위의 모티브가 된다. 나의 내면에는 도덕, 종교, 가정 등 인간의 본성과 욕망을 억누르는 것들을 해체시키려는 악의 속삭임이 커지기 시작한다.

(본문 p.25)
나는 그 자신만만한 표정이 매우 싫었다. 이 가톨릭 철학자가 이야기하는 인간의 선과 덕, 인간의 정신적인 진보, 인간의 역사적 성숙이라는 말을 나는 귓가에 들리는 환청처럼 우스꽝스럽게 여기면서 듣고 있었다. 17, 18세인 순진한 학우들은 적어도 이 말들의 진실성과 가치에 대해 의구심을 품지 않았음에도 불구하고, 왜 내게는 그것이 우스꽝스럽게 여겨졌을까?

대학에 들어온 후 만난 쟈크는 이마는 벗어지고, 머리카락은 고추처럼 고불고불한 못생긴 신학생이다. 그리스도에게 믿음을 주지 않는 ‘나’에게 쟈크는 ‘그리스도를 닮음’이란 책을 내밀며 하나님과 같이 십자가를 가슴에 짊어질 것을 권유한다. 하지만 ‘나’는 오히려 그리스도의 배반자 유다를 생각하다가 쟈크와 가까이 지내는 마리 테레즈를 농락하기로 결심한다. 무도회에 가지 않도록 신신당부한 쟈크를 무시한 채 마리 테레즈는 너무나도 쉽게 나에게 부름을 받고 무도회에 나간다.

(본문 p.50)
어쨌든 그 여자는 쟈크에게 작은 비밀을 지니게 된 것이다. 작은 비밀은 다른 거짓말, 다른 비밀을 낳고, 그것은 이 배신의 골짜기를 울리면서 무너져 내릴 것임을 나는 알고 있었다…….

무도회에서 마리 테레즈를 무자비하게 내팽개치고, 쟈크가 마음속으로부터 깊은 저주를 하도록 만든 후 1년이 지난다. 그 사이 전쟁이 시작되었다. 나는 쟈크와 마리 테레즈가 어떻게 되었는지도 모른다. 그들이 어찌되었든 이제 나와는 상관없었다. 대학에는 두세 번 나갔지만, 옛날 친구는 이미 나를 잊고 있다.
3년이 지난 후 독일 게슈타포의 고문관 통역사로 일하게 된 나는 제6구의 레지스탕트 연락원 역할을 하고 있다가 독일군에게 붙잡힌 가톨릭 신부와 마주치게 된다. 그는 바로 쟈크였다.

(본문 p.63)
내가 새삼스럽게 알게 된 것은 그리스도의 생애가 고문을 받아 완성되었다는 점이다. 이 남자 역시 고문하는 자와 고문당하는 자로 이루어져 있는 세계를 피해 갈 수는 없었던 것이다.

(본문 p.92)
“마리 테레즈라는 여학생이 있습니다. 이 녀석 앞에서 그녀를 심문하는 겁니다.”
이날 밤 나는 또 다시 유다를 이용했다.

신들의 아이(황색인)

범신론적 세계관을 갖는 황색인의 세계에 대한 이야기이다. 소설은 ‘나’가 브로우 신부에게 편지를 쓰는 것으로 서두를 시작한다. 나는 브로우 신부에게 듀랑 신부가 죽기 전에 자신의 일기를 보내달라고 부탁했다는 것을 언급하며, 뒤에 곧 듀랑 신부의 이야기를 나의 이야기와 교차하여 싣는 특별한 구성방식을 선보인다.
무엇보다 신들의 아이(황색인)에서는 백색인임에도 불구하고 황색의 신의 세계에 살게 된 듀랑 신부의 삶을 집중 조명함으로써 신의 아이(백색인)와는 정반대의 세계관을 간접적으로 드러낸다.
듀랑 신부는 교회의 일본인 신도들에게 그리스도의 믿음을 전파하던, 사회적으로 존경받고 착실한 신부였다. 어느 날 수해를 입고 양친과 여동생 등 가족을 모두 잃어버린 기미코를 만난 이후 한순간 인간의 육욕으로 인해 교회로부터 추방당하기에 이른다.
교회의 신도들로부터 가차 없는 모욕을 당하게 된 듀랑 신부는 근근이 브로우 신부로부터 도움을 받으며 삶을 연명한다. 하지만 그리스도를 배반하였다는 죄책감을 견디지 못하고 기미코를 폭행하기도 한다. 기미코는 듀랑 신부는 더 이상 신부가 아님을, 이제 그리스도는 듀랑의 삶에서 희미해져가는 허상에 불과함을 인식시킨다.

(본문 p.166~168)
“어째서 하느님과 교회를 잊지 못하나요? 잊으면 되잖아요. 당신은 교회를 버렸잖아요. 그러면서 왜, 언제까지나 그것에만 매여 있는 거죠? 오히려 ‘나무아미타불’이라고 하기만 하면, 용서해 주는 부처님 쪽이 얼마나 좋은지 몰라요.”
나는 일어나 망연히 기미코의 얼굴을 쳐다보았다. 화가 나서 내뱉은 기미코의 이 말은 돌연 계시처럼 내 마음을 찔렀다.
하느님을 배신하고 교회를 버린 지난 8년간, 나는 악몽처럼 하느님의 벌에 시달렸고, 참을 수 없는 고통을 받아왔다. 나는 자신을 파문한 교회를 미워하고, 그것을 부정하려고 해 보았지만, 한순간도 하느님을 잊을 수는 없었다.
하지만 기미코의 말대로 그 하느님을 잊는다면, 그로부터 해방된다면, 더 이상 벌에 대한 두려움도, 죽음에 대한 공포도 없어진다는 점을 알아차리지 못했던 것이다.
선교한 지 12년, 비로소 오늘 나는 이방인의 (즉 하느님을 모르는 사람들의) 행복을 알았다. 그것이 행복인지 아닌지, 나로서는 단언할 수 없다. 하지만 기미코와 어제 찾아온 치바라는 청년이 지니고 있는 그 동양인 특유의 가늘고 긴, 멍한 눈의 비밀만은 알 듯한 느낌이 든다. 둔한 광택을 띤 그들의 눈은, 죽은 작은 새의 눈을 생각나게 한다. 그 멍한 시선에는 우리 백인이 왠지 기분 나쁘게 느끼는 무감동한 것, 비정한 것이 있는 것이다. 그것은 하느님과 죄에 무감각한 눈이고, 죽음에 대해 무감동한 눈이었다. 기미코가 때때로 외우는, ‘나무아미타불’은 우리가 바치는 기도 같은 것이 아니라 죄의 무감각에 어울리는 주문이다.
오늘부터 나는 구원될지도 모른다. 하지만 그것은 지금껏 내가 자라온 백인들의 방법과는 전혀 상반된 이방인의 방법을 통해서일 것이다. 그 멍하고 생기 없는 눈으로, 서서히 하느님을 잊고 죄를 거듭 지으면, 결국 죽음에 대해서도 죄에 대해서도 무감동해져 갈 것이라는 것을 나는 비로소 깨달았다…….

소설은 마지막에 듀랑 신부가 ‘나’에게 자신의 일기를 맡겨 그간의 일들을 브로우 신부에게 전하고자 했던 진정한 의미는 무엇인지 독자들에게 묻고 있다.

(본문 p.198~199)
당신에게 있어 성탄은, 이 어둠 속에 신神께서 빛을 내려주신 밤이겠지요. 하지만 누런 피부색을 지닌 우리들에게는 어둠도, 빛도, 그 구별이 없습니다. 듀랑 씨는 죽기 전에 그것을 알았던 것입니다. 폭격 직전에 류머티즘을 앓는 다리를 질질 끌며 걸어간 그 노인의 뒷모습이 아직도 눈에 선합니다. 폭격이 그를 죽인 것이 아닙니다. 일기를 내게 맡긴 이상, 그가 자살했을 것이라는 느낌을 떨칠 수가 없습니다. 그가 그 때문에 당신네들의 신神으로부터 심판을 받고 있는지, 아니면 심판도 벌도 없는 황색인의 세계, 지쳐서 눈을 감듯 텅 빈 잠 속으로 빨려 들어갔는지, 나로서는 알 수 없습니다. 하지만 같은 백색인일지라도 듀랑 씨라면 우리는 이해할 수 있을 것 같습니다. 그러나 당신과 같이 새하얀 그 세계만큼 피부색이 누런 우리들과 동떨어진 것은 없습니다. 그것이 이 편지를 쓰게 한 이유가 될지도 모르겠습니다.

2
엔도는 이 두 작품을 같은 시기에 병행하여 썼고, 같은 해에 두 작품을 각각 발표했다(1955년「근대문학」5.6호/ 1955년 11월). 이처럼 이 시기 엔도에게 있어서는 <백색>과 <황색>은 첨예하게 대립되는 색이었고, 사상이었고, 신관神觀이었다. 엔도에게 있어서 <백색>과 <황색>의 이분법적 대립양상이 싹트게 된 동기는 유년 시절에 받은 세례와 대학 졸업 후 떠난 프랑스에서의 유학체험이었다.
동양인인 엔도가, 더욱이 독특한 범신적 종교양식을 갖고 있는 일본인인 엔도가, 프랑스에서 서양문학을 공부하면 할수록 증폭되어가는 <백색인>의 세계와 <황색인>의 세계와의 갈등은, 결국 엔도 문학의 뿌리가 되어갔으며, 이와 같은 이질감과 거리감은 이윽고 <백색>과 <황색>이라는 대립되는 <색>의 문제를 야기했고, 결국 이것을 넘어서 <백색인의 세계가 상징하는 신>과 <황색인의 세계가 상징하는 신>의 문제로 귀결되기에 이르렀다. 그리고 <백색인의 세계가 상징하는 신>은 유일신의 ‘신’으로, <황색인의 세계가 상징하는 신>은 일본의 범신론적인 ‘신들’로 묘사되어갔다. 엔도는 이러한 구조 속에서 신과 신들, 신과 인간, 신들과 인간, 신과 선, 신과 악, 인간과 선, 인간과 악의 문제를 형상화해갔다.
또한 <백색인>과 <황색인>은 인간 내면에 내재되어 있는 악과 선의 대립만을 그린 작품이 아니라, 신이 절대적 가치를 갖는 서구인 <백색인의 세계>에서도 그 신을 믿는 인간과, 그 신을 부정하는 인간이 상호 존재하고 있으며, 이 둘 역시도 항시 대립하고 있음을 그리고 있다. 나아가, 이 작품은 설혹 신을 부정하며 신과 격렬히 투쟁하고 있다하더라도, 그 투쟁을 통해서 이르게 되는 어떤 섭리에 대한 고백성사이기도 하다. 그런 면에서 이 두 작품은 고백의 형식을 취하고 있다. 접기



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신의 전통이 장구한 서양의 세계관과 신이 있든 없든 상관없는 동양의 세계관 사이에서, 작가는 글쓰기를 통해 자신의 고민에 직면한다. 어느 세계든지 신을 믿는 인간과 부정하는 인간이 상호 존재하며 갈등하는데, 신에 관한 문제와 투쟁하는 삶의 과정에서 인간은 결국 어디에 이르게 되는가. 
라파엘 2022-10-24 공감 (29) 댓글 (0)


마이리뷰
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[마이리뷰] 신의 아이 (백색인), 신들의 아이 (황색인) 

15년도 최애 소설이었던 ‘깊은 강’ 앤도 슈사쿠 작품이 VPL에 있길래 신나서 집었는데 쉽게 읽히면서도 그 가닥이 잡히지 않아 끝까지 찜찜하게 읽었다. 제목에서 보이듯 종교에 관한 이야기이고 1부 백색인의 이야기 2부 황색인의 이야기로 프랑스와 일본에서 각각 다른 주인공의 이야기를 하고 있다. 다른 두 줄기가 결국 한 줄기로 만나는 포인트가 있겠지만 캐치하지 못했다. 이건 읽은 것도 안 읽은 것도 아니다. 죄송!

발췌

혼자가 되었다. 유산은 앞으로 10년 동안의 내 생활을 보장하고 있다. 나는 자유다.

중위는 얼굴도 들지 않았다. 나는 채용되었다.
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Cindy.K 2018-08-12 공감(6) 댓글(0)
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엔도 슈사쿠, 이평춘 옮김, 『신의 아이-백색인』/『신들의 아이-황색인』, 어문학사, 2010. 


대단한 책이다. 인간의 본성과 심리에 대해 오랜 시간 고민해온 흔적이 남는 책이다. 그것도 엄청나게 날카로운 시선으로 접근했기에 그만큼 다가오는 무게감이 다르다. 대단히 무겁게 다가오지만, 그 날카로운 시선과 접근에 소름이 끼칠 정도다. 우리가 이야기하기 어려워하는 소재를 다루었기 때문일까? 뱀도 뱀이라면 싫어한다지만, 우리도 우리의 내면에 숨겨있는 잔혹성과 폭력성을 꺼내 이야기하면 왠지 거부감이 생긴다. 아니라고 우겨보기도 하지만, 그런다고 바뀔 본성이 아니지 않는가. 신의 아이와 신들의 아이. 이 두 작품을 읽어보고 엔도 슈사쿠에 대해 큰 인상을 받았는데, 특히 전자인 『신의 아이-백색인』에 대해 무섭지만, 관심과 애착이 갔다.

역자도 이번 작품을 번역을 마친 후에도 제목을 정하기가 어려웠다고 한다. 그래서 원제인 백색인, 황색인에 부제목을 붙인 채로 출간하였다고 한다. 독자에게 이 책을 접근하는 방법을 제시해준 좋은 선택이었다고 생각한다. 

『신의 아이』에는 30년 넘게 신을 믿어왔고, 20년 넘게 종교 문학을 연구해왔지만, 아직도 신과 인간의 관계에 대해 고민해오고 있다는 작가의 고뇌가 고스란히 뭍어 나온다. 

카톨릭 신자이면서 프랑스 유학을 갔던 작가의 이력을 떠올려봤을 때 순간, 이건 자서전이 아닌가? 착각을 했을 정도였다. 

그만큼 직접 경험해보지 않았다면 묘사하기 어려울만큼의 세밀하고 적나라한 감정 묘사와 고뇌의 흔적들이 곳곳에서 나타난다. 

‘예수쟁이들의 연민만큼 나를 상처 입히는 것은 없었다’는 ‘나’의 고백은 ‘작가’ 자신의 고백이 아닌가 곱씹어 봤었다. 
나와 신학생인 자크, 그리고 마리 테레즈. 제2차 세계대전을 배경으로 전혀 인과관계가 없을 것이라고 생각한 몇가지 사건들이 기묘하게 물려나가면서 죄를 낳고, 죄를 낳게 된다. 

성경에 죄의 삯은 사망이  오라는 구절이 떠오르자 이 작품이 비극적으로 끝날 것임을 예감하게 되었다. 인간은 아무리 발버둥쳐도 악의 심연으로 빠져들어갈 수 밖에 없나. 

폭력과 괴롭힘, 고문과 죽음. 괴롭히는 사람은 어느 순간 어떠한 죄의식도 없이 일종의 정욕적인 희열까지 느끼게 되고 매질을 끝냈을 때는 마치 육욕의 희열이 돌연 사라졌을 때와 같이 허무함마저 느끼는 장면을 보며 왠지 모를 부끄러움과 섬뜩함을 느꼈다.

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cansosh 2010-05-17 공감(3) 댓글(0)
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존재와 실존 

첫 시작부터가 심상치 않은 책이었다. 문체나 이야기를 풀어나가는 서술역시 매끄럽다. 군더더기도 없지만 문장상의 장식도 매우 절제되어 있다. 기교가 눈에 보이기는 하지만, 아름답다... 아름답다.... 하는 느낌을 준다. 도대체 이런 책을 수십년 전에 처녀작으로 썻다는 것이 정말 대단하다. 이 책 한권만으로도 대문호의 반열에 올라도 손색이 없다. 작품의 깊이로 보아도, 문장의 흠잡을데 없는 맛으로 보아도...

그의 맛깔나는 문장도 문장이지만, 그의 책이 가지는 매력의 백미는 그가 요즘은 좀처럼 찾아보기 힘든 존재론적 탐구를 진지하게 하고 있는 책이라는 점이다. 흔히들 그를 기독교 문학의 대가라고들 평한다고 한다. 사실 그는 기독교 문학의 중요한 한 분파를 이루는 의 선과악, 원죄, 인간과 신의 관계같은 주제들을 보기드물게 진지하게 다루고 있다. 재미 한국인 문인인 김은국도 그와 비슷한 부류에 속한다고 할 수 있을 것 같다.

그러나 그의 책을 꼭 종교적인 색채로만 읽을 필요는 없을 듯하다. 지금은 서양에서 기독교가 많이 쇠태하는듯 하지만, 그가 활동하던 시절의 서양에는 기독교인들이 지금보다 훨씬 많았고, 기독교적인 주제가 광범위하가 문학의 대상으로 다루어지고 있었다. 그의 문학은 또한 그의 학창시절 뜨겁게 유행하던 실존적인 색채가 물씬 풍기고 있다. 요즘 실존이란 단어를 사용하는 사람은 찾아보기 힘들다. 그러나 실존주의라는 인류의 지적유산이 사라진 것은 아니다.

그의 작품을 대하면서 우리가 생소하지 않은 감동을 느끼는 이유도 바로, 그가 다루는 문제가 시대를 초월한 인류의 공통의 문제점이기 때문이다. 백색인과 황색인에서 동과 서에 따른 차이점이 부각되긴 하지만, 그 차이는 공통점에 비하면 경미한 편이라고 하는 것이 낫지 않을까 생각된다. 그의 책을 읽으면서 인간이라는 존재에 기대어 않은 삶의 의미라는 자못 심각한 주제와 진지하게 씨름할 수 있다면 그것으로 멋진 독서가 되지 않을까... 아무튼 나는 그랬었다.



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푸른하늘 2010-05-05 공감(2) 댓글(0)



    
<신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인)> - 엔도 슈사쿠 


 과거도 그렇고 현재도 그렇지만 나라마다 믿는 종교의 종류와 그 수는 모두 다르다. 그리고 종교적인 문제에 대해 민감한 것은 사실이기도 하다. 자신이 믿는 믿음이라는 존재가 ‘신’이라는 것이기 때문이다. 무엇보다 자신을 믿는 것이 가장 좋겠지만, 세상을 살아가다 보면 자신 외에 또 다른 무엇에 의지하고 싶어한다. 그게 바로 종교가 아닐까 하는 생각이 든다. 나 역시 내가 감당할 수 없는 일이 생겼을 때 잠시나마 마음을 다스리기 위해서 종교를 찾기도 하는 것처럼 말이다.

 신과 인간 그리고 종교의 관계는 아직도 풀리지 않는 것이라는 생각이 든다. 인간과 신에 대해 고찰이라고나 할까? 다소 무겁기도 하지만 종교라는 문제에 있어서 어렵다는 생각마저 느끼기도 했다. 「신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인)」이라는 제목의 책을 읽게 되었다. 처음에는 제목 때문에 이 책이 궁금하기도 했지만, 책을 펼치는 순간 종교적인 문제라는 것을 알게 되었다. 그리고 제목에서 언급하는 ‘신의 아이(백색인)’는 프랑스인이지만 어릴 때 충격적인 것을 목격한 뒤로 자신도 그 행동을 하게 된다. 이 부분은 나에게도 다소 충격적이었다. 그리고 ‘신들의 아이(황색인)’는 범신론적이며 책에서 등장하는 ‘듀랑’신부는 모두에게 존경받는 인물이었다. 그러던 중 ‘기미코’를 만나게 되고 성욕을 이기지 못하고 일을 저지르고 만다. 그 사건을 계기로 그리스도에서 쫓게 나게 되고 신부의 자리까지 박탈당하게 된다. 이 두 이야기는 각각 다르게 전개된다. 하지만, 두 물줄기가 하나의 강이나 호수에서 만나는 것처럼 이 이야기도 한 곳으로 만나게 된다. 각각 다른 종료를 믿고 있고 다른 사건으로 자신이 믿는 종교에 대한 문제나 내면적인 요소를 다루고 있었기 때문이다.

 종교 문제를 둘러싸고 전개되는 사건이나 그에 대한 결과를 통해서 종교 문제의식에 대해서 다시 한 번 생각을 해보게 된다. 그리고 동양과 서양의 종교문제나 그 방식에 대해서 모두 다르고 차이가 있기 때문에 그 차이점은 크다고 생각한다. 하지만, 결과적으로 종교를 믿고 안 믿고가 아닌 각각의 세계관에 대한 인식이나 가치와 생각에 대해서 말하고자 하는 것 같았다. 생각보다 다소 무게감이 있고 가벼운 주제는 아니었던 것 같다. 그리고 풀어가는 전개 방식도 각각 다른 이야기로 시작하여 하나의 덩어리로 모이는 느낌이 들었다. 종교와 인간 그리고 종교와 신에 대한 문제는 아직 풀리지 않고 계속해서 연구해야 한다는 생각이 든다. 철학적인 요소도 있었고 신의 아이와 신들의 아이에 대한 대립으로 갈등도 생겨나지만, 그것을 자연스럽게 풀어나가고 있었던 것 같다. 작가 ‘엔도 슈사쿠’의 작품을 처음 접했던 터였지만 종교와 신, 인간에 대해서 생각을 하게 해주었던 책이었다.


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Luv 2010-05-19 공감(2) 댓글(0)
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신의 아이(백색인) 신들의 아이(황색인) 

종교 소설과 세속 소설의 차이를 무너뜨린 20세기 일본 문학의 거장 엔도 슈샤쿠의 초기작 이라고 하는데 나는 아직 엔도 슈샤쿠의 작품을 접해 못한 상태에서 이 책을 처음으로 접했다,
엔도 슈샤쿠는 종교와 인간에 대한 놀라운 통찰로 노벨문학상 후보에 여러 차례 오른 바 있는‘일본 현대문학의 거장’이라고 하니 이번 기회에 읽게 되어서 다행이라는 생각이 들었다,
그러나 종교적인 책도 많이 읽어본 경험이 없었기에 이 책은 나에게 그렇게 쉬운 책도 아니며 페이지수는 작은 책이지만 쉽게 넘어가는 그런 책도 아니였다,

신의 아이(백색인)과 신들의 아이(황색인)이 책의 배경은 세계2차 세계 대전 당시이다,,
신의 아이(백색인)은 독일군의 통역 사무관을 모집한다는 광고를 보고 나치에 치원해서 나치의 고문자의 일원이 된 '나'가 자신의 이야기를 과거를 회상하면서 서술을 한 이야기이다,
나는 못생긴 아이였고 못생겼을 뿐아니라 태어날때부터 사팔뜨기였다,그래서 부모님들로부터 완전하게 사랑받지도 못했고, 아버지는 방탕한 생활,자신의 쾌락밖에 모르는 사람이였으며,어머니는 그런 남편의 영향으로 어린아이인 나에게 엄격한 금욕주의를 강요해서 아이로써 누려야 할 기쁨과 자유를 금하고 책도 읽지 못하고 하면서 철저하게 청교적인 삶을 강요했는데 이런 어머니에 대한 반항으로 오히려 '나'의 육욕은 학대의 코락을 동반하여 눈을 뜨게 된다.
하녀 이본느가 늙은 개에게 가하는 학대와 고문,고통의 광경을 엿보던 12세의 소년 '나'는 생에 결정적인 흔적을 남겼다,
단순히 여성에 대하서만 자신의 가학본능을 느꼈던 것이 아니라, 모든 인간,모든 인류를 괴롭히고 싶다는 욕망을 느끼기 시작하게 된것이다,
훗날 고문자의 일원이 되어서 피고문자들의 신음소리, 비명,절규소리에 무언가 꺼림직한 정욕적인 유희를 느끼기도 하고 또 대학때 신학도 친구인 쟈크가 레지스탕트 연락책 활동을 한 죄로 잡혀왔을때 그를 고문하고 신의존재를 부인하도록 만들려고 고문을 한다
여기서 우리는 유일신을 섬기는 백색인(서양인)들의 세계관에서 유일신의 세계를 순응해서 살아가는 쟈크와,,유일신을 거부하고 신의존재를 거부하는 '나'의 모습을 통해 인간 내면에 내재되어 있는 악과 선의 대립도 볼수 있었고, 신을 부정하며 신과 격렬히 투쟁하고 있는 '나'의 모습도 보면서 인간이 악으로 극도로 치닫아 있는 모습도 볼수 있어서 씁쓸했다.



신들의 아이(황색인)도 역시 세계2차 대전속의 혼란한 일본의 모습속에서 성당신자인 치바(나)가 사제에게 편지형식으로 이야기를 하고 있기도 하고 또는 듀랑신부의 일기를 옮겨 놓기도 했다,
치바는 성당신자이지만은 그리스도의 가르침과는 다르게 살아간다. 징용과 노동에 끌려가지 않기 위해서 일주일에 두번 병원에서 자원봉사를 하지만 죽어가는 생명들에게 연민이 전혀 없다. 그리고 어떤 죄의식도 양심의 가책도 느끼지 않으면서 어린시절의 친구 사이키의 약혼녀와 몇년간 계속 불륜의 관계를 맺어오고 있다.
그리고 여기서 듀랑신부,,블란서 사제였던 듀랑신부, 사제는 평생 독신으로 살아가야 하건만, 선교지인 일본에서 일본여인을 범해서 교회에서도 추방당하고 매일매일 지옥의 나락으로 떨어질 자기 자신을 보며 괴롭고 비참한 하루하루를 보내고 있다.
“어째서 하느님과 교회를 잊지 못하나요 잊으면 되잖아요. 당신은 교회를 버렸잖아요. 그러면서 왜, 언제까지나 그것에만 매여 있는 거죠.
오히려 ‘나무아미타불’이라고 하기만 하면, 용서해 주는 부처님 쪽이 얼마나 좋은지 몰라요.”166
이렇게 괴로움의 나날들속에서도 또 계속 마음속으로 죄를 짓고 또 행동으로도 죄를 짓는 모습이 참으로 씁쓸하고,결국은 인간 내면에 내재되어 있는 악과 선의 대립만을 그린것이 아닐까 한다,
번역자는 이책처럼 번역하기 어려웠던 책도 없었다고 하지만은 책을 읽는 이도 짧은 글이지만은 상당히 무거운 주제와 내용이라서 가벼운 책은 아니라서 마음이 좀 무겁기도 했다,


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복숭아 2010-05-17 공감(1) 댓글(0)
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신의 아이, 신들의 아이 새창으로 보기
신에 대한 문제는 어쩌면 신이 존재하든 하지 않든 불가사의하고 이해할 수 없는 미지의 문제에 대한 해답으로 나왔을지도 모르겠다는 생각이 들어요.
끝없은 인간의 호기심에 대해서 어떠한 답도 찾을 수 없다면 아마 미쳐버리지 않을까 싶기도 해요.
아직도 모든 사람들에게 화두가 되고 있는 것.
인간은 어디에서 왔으며, 어디로 가는 것일까요?
그리고 지구상에 존재하는 생명은 어디에서 온 건인지,
죽음 이후의 세계에 대한 문제.
이런 문제들은 인류의 지식이나 정신으로도 도저히 풀 수 없는 문제가 아닐까요?
하지만 여러 사람들이 그 해답을 찾고자 노력하고 또 누군가는 해답을 구했을지도 모르죠.
만약에 신이 있다면 자연히 이런 문제들에 대한 해답은 풀릴 것 같아요.
그러나 이런 문제가 풀리기는 하지만 또 다른 문제를 낳을 수 있는 여지가 남아있죠.
신이라는 존재를 어떻게 설명할 것인가에 대한 문제죠.
이 책에서는 백색인과 황색인으로 나뉘어 각각의 신과 신들의 문제에 대해서 이야기 하고 있어요.
신일 수도 있고 어쩌면 신들일 수도 있고,
물론 이것은 신이 존재한다는 과정에서 신성과 인성을 어떻게 구별할 것인가의 문제이기도 하고 말이죠.
사실 직접 눈으로 보이는 것이 아니기 때문에 수많은 의문이 생기게 되고 여기에 믿음이라는 또 하나의 가정이 발생하고 끝없는 문제와 이에 대한 해답을 찾기 위한 구도 또 문제, 해답 찾기를 반복하는 게 어쩌면 우리 인류의 삶이 아닐까 싶기도 해요.
만약에 신이 있다면 왜 서로 다른 모습으로 섬기어지는지 또 세계가 왜 신의 뜻대로 사랑으로 가득차지 않는지, 왜 인간에게 죄가 있어야 하는지, 선과 악의 문제 등등.
종교에 대한 문제는 신에 대한 이야기이기도 하지만 어떻게 보면 우리 인간 자신의 이야기이자 문제가 아닐까 싶어요.
조금은 무거운 주제에 대한 탐구이기에 신과 인간에 대해서 많은 생각을 하게 되요.
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호야루 2010-05-17 공감(1) 댓글(0)
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신의 아이 (백색인), 신들의 아이 (황색인) - 엔도 슈사쿠 새창으로 보기

그러니까 일단 이렇게 이야기하고 시작하자..나~~안 무신론자, 신을 믿지 않는자임.. 가만히 보자...그 신이라는 존재감을 어떻게 해석을 해야되지?..신,,어떤쪽에서는 유일신을 외치면서 나를 제외한 모든 신이란 불리우는 것들은 다 우상숭배이니라..하는 경우도 있고...또 다른곳에서는 인간이 곧 하늘이다~!라고 외쳐대는 곳들도 있다..게다가 어느 나라에서는..건담을 신으로 모시는 경우도 있더라...그 나라는 수많은 신이 존재하는 나라이더라...물론 이 소설의 작가 또한 그나라의 사람이더라...근데 이 소설은 미신과 다신의 의미가 부각된 나라에서 카톨릭적 신앙을 바탕으로 인간의 죄악과 신을 향한 순결한 정신 사이에 방황하는 누군가를 의지하고 믿음을 가질 수 밖에 없는 나약한 인간의 존재라는 가벼움을 소설적 형식을 빌어 신으로의 죄사함(?..이런말 맞나??.)을 보여준다..

 

솔직히 말해서 상당히 짧고 가벼운 분량임에도 불구하고 그 내용면에 있어서는 묵직함이 한 천톤급은 된다..특히나 저변에 깔린 기조가 종교라는 주제와 인간의 나약함과 죄악적 욕망이라는 근원적인 문제일 경우라믄???..하이고!!~~한숨 나온다..그렇다고 종교와 인간의 욕망에 대한 근원적 믿음의 분석적 고찰(?) 뭐 이런 것 같은 박사논문은 아닝께로 독서에 큰 무리는 없다..그냥 소설이다..한 인간의 욕망과 종교적 반항등을 결부시켜 종교의 의미를 부각시키고자 한 작가가 만들어낸 픽션인게쥐...재미는 있다..게다가 밑바닥에 깔린 의미 조차 느낌이 팍온다.. 종교와 관련된 부분에 대해서는 역시나 싶다...하지만 난 종교인이 아니라 공감의 차원까지는 다가서기가 어려웠다... 하기사 난 욕망떵어리니까능... 게다가 야한 생각을 많이 해서 머리가 빨리 긴다...더벅머리를 벗어나질 못한다...난 야한 여자가 좋다...응??..그래서 신이 날 멀리 하신다??..ㅋㅋㅋ..미안..농담이었다..

 

이 작품의 제목은 상당히 길다...신의 아이-백색인, 신들의 아이-황색인이라고 만들어진 이유가 있다...이 작품은 두개의 작품을 하나로 묶었다..물론 작품의 성격상 하나의 주제를 바탕으로 만들어진 이야기다..같은 시기에 같은 목적으로 같은 느낌으로 집필된 작품이지만 역시 엔도 슈사쿠는 백색인이라는 작품으로 아쿠타가와상을 수상한다..그 후 병행된 작품인 황색인을 엮어 하나의 작품으로 선보인거쥐..지금..옛날에는 같이 묶었는지 어떤지는 모르겠다..하여튼 지금은 같이 묶어서 나왔다...내용은 비슷하다...두 작품 모두 수기와 고백적 형식의 일기와 주인공을 바라보는 관찰자의 입장이 섞여서 작품이 진행된다...주인공들은 종교적으로 신과 밀접한 관계에 놓인 인물들이나 그들은 신을 배신한다..물론 불사파의 조필의 부하였다면 "직사"당했을 것이지만 신은 그들은 용서하시는건지, 알면서 외면하시는건지.. 우짠지 내비둔다.ㅋ ..그들은 인간의 욕망에 굴복하고 비겁하게 생명을 연장하는 나약한 인간으로 묘사된다..ㅋ 백색인에서의 쟈크가 그러했고 황색인에서의 듀랑신부가 그러했다.. 줄거리는 여기까지...뭐 딴거 없다..신에게 반항하고 인간임에 욕망에 불타올라 신을 저버리고 죄악의 길로 들어선 인간의 반항(?)과 고백과 그 뭐라 그러지?.갑자기 생각이 안나네?..저 머시냐?..화장실 같은데 들어가서 신부님한테 고백하는거...뭐지??....앗!! 고해...뭐 그런 내용으로 진행되는 작품되시게따..그러니까..어찌합니까~~어떻해야할까요~~뭐 이렁거..아님 말고..ㅋ

 

짧고 굵은 작품.. 이렇게 평하면 어떨까 싶다.. 종교인이 아니라 공감의 차원과는 별개의 느낌에서 순수한 소설적 감성으로만 이야기한다면 나쁘지 않았다...신이라는 존재와 인간은 절대적으로 멀어질 수 없는 관계이기 때문에 더욱더 끌리는 뭔가가 있었다.. 무신론자라는 나의 입장에서 볼때도 굳이 기독교적 가치관을 가지고 있지 않지만 이해가능한 작품으로 인식되어진다.. 하지만 너무 강한 카톨릭적 감성이기 때문에 반감을 가질만한 독자도 있지 않을까 싶다. 물론 그릇이 큰 나같이(??) 종교적 포용력이 무한대이신 분들에게는 그럭저럭 읽을 만한 독서가 되었지 싶고...참고로 띠지에 붙은 종교소설과 세속소설의 차이를 무너뜨린 작품이라는 말에는 뭔가 안맞는듯하다...사실 난 종교소설과 세속소설의 차이를 모르는 사람이라 그런지 몰라도..혹시라도 의미를 아시는 분이 계시다면 좀 알켜 주시라...그 차이가 무었인지..

 

문득 군대에서 이등병때가 생각난다...난 빵 하나를 위해서라면 신을 마주할 수 있다라고..

몇초간 생각해본 적이 있다....뭔 말인쥐 모르겠으나...하여튼 그때는 그랬다..빵이 신보다 강했다....ㅋ
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그리움마다 2010-05-16 공감(1) 댓글(0)
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신의 아이 (백색인), 신들의 아이 (황색인) 새창으로 보기

신의 아이 (백색인),  신들의 아이 (황색인) 

 

    어느날부터인가 살면서 한 가지 종교를 가지고  믿음생활을  하는 것도 좋겠다는 생각을 하다가,  최근에 마음속에 아직 믿음은 많이 부족하지만, 한 가지 종교를 선택해서 다니고 있는 중이다.  이유는 친정 작은어머니가  20대의 젊은 외동딸을 병으로 잃고 힘든 상황이 되었는데,  오랜 믿음생활로  믿음을 갖지 않는 사람들보다  굳건하게 잘 견디는 모습을 보게 되면서 이다.  

   사촌 동생이 유명을 달리 한 것이 벌써 몇 년 전의 일인데,  그때부터 작은어머니를 대할 때마다 가슴속으로는 너무도 안타깝고 힘들게 견디고 계시겠지만,  의외로  당신의 딸이  진정  꼭 쓰임이 필요한 좋은 곳에 갔을 것이라고 긍정하는 마음을 보게 되었다. 그리고 그런 작은어머니의 믿음에 대해서 여러 차례 물을 기회를 갖게 되면서 내 생각도 깊어지게 되었다.   

 
  과연  인간에게 있어서 종교란 무엇인가? 믿음을 갖는 마음은 어떤 것인가? 에 대해 제법 진지하게 오랜 시간 생각을 하게 되었다. 그러면서 한 살씩 나이 들어 갈수록 내가 더 늙고 병이 들거나, 앞으로 힘든 일들이 닥치더라도  믿는 마음이 있으면 조금 더 의지가 되고, 마음을 바로 세울 수 있는 건 아닐까 고민하곤 했다.  딱 내가 종교에 대해, 믿음에 대해  이런 저런 갈등과 변화가 일어나고 있는 시기에   동, 서양의 종교관. 종교를 공부한 사람들이 종교와 멀어지거나,   죄를 지었을 때의 갈등등에 대한 이 책을 읽으면서 내 종교관에 대해서도,  모든  믿음에 대해서도  이런 저런 생각을 해보게된다.  

 
  아직  종교에 대한  지식도, 마음도 거의 없는 상태에서 책을 읽어 나가면서  한 번도 생각해보지 못했던  동, 서양의 종교적 차이에 대해  많은 생각을  하게 되었다.  책을 읽다가 종교적인 부분이 잘 이해가 가지 않아, 작가에 대한 검색을 먼저 해보게 되었는데,   일본인으로 태어나 어릴 때 가토릭 교회에서 세례를 받고,  청년기에 프랑스로 가토릭 대학에 유학을 한  그에 대한 정보들을  알게 되니,  조금씩  저자가  책을 통해  말하고 싶은 것이 무엇인지   일부나마 이해할 수 있었다. 

                '이본느'의 포동 포동한 무릎은 낙인 찍히듯 내 기억 속에 하얗게,   
                                        너무나도 하얗게 남겨졌다.

                        나의 육욕은 학대의 쾌락을 동반하며 눈을 떴다. 

 
   '신의아이 (백색인)'을  읽어가는 동안, 어느 부분은 정말 진지하게, 또 다른 부분은  이해가 잘 되지 않는 부분을  만나면서도  인간과 믿음에 대해, 종교와 악에 대해  생각해보게 되었다.  '신의아이 (백색인)' 에 등장하는  주인공 '나'는 어린 시절부터 어머니로부터  청교도 적인  생활을 하도록  교육받는다.  그러다가 어느날  우연히  하녀 '이본느'의 하얀 허벅지를 보면서 자신 안에  숨어 있었던   쾌락에 대한 감정을 느끼게 된다.  그리고 시간이 흘러   2차대전중 독일군대의 통역관이 되어,  청년기에  알게 된 신학생 '자크'를 고문하는 입장이 된다.  그러면서  그의 연인인 '마리 테레즈'를 고문실 옆방에 데려와 범한다.   연인을 통해 마지막으로 '자크'의 자백을 받아내고자 했지만, 결국 ' 자크'는 혀를 깨물어 자살하고 만다.   주인공 '나'의  행동들을  따라가면서  한 인간의 내부에서 선과 악,  쾌락과 갈등을 함께 느낄 수 있었다.  

 
                       "어째서 하느님과 교회를 잊지 못하나요? 잊으면 되잖아요.

     당신은 교회를 버렸잖아요. 그러면서 왜, 언제까지나  그것에만 매여 있는거죠?"

      '신들의 아이 (황색인)' 의 파문당한 신부 '듀랑'과  조금씩 어려운 상황의  그를  돕는  또 다른 신부인 '브로우',  그리고 일본인 이자 교회에서  자신으로 인해 쫓겨난 '듀랑' 과 함께 살고 있는 '기미코'.의 이야기이다.   '황색인'은 백인으로 일본에서 선교활동을 하다가  한 순간의 실수로 파면당하면서,  함께 사는 황색인 기미코 사이에서의 갈등을 볼 수 있다.  나 '치바'가  '브로우' 신부에게 보내는 편지와  자신을 도와주었던 '브로우' 신부를 위험 속에 빠지게 한 '듀랑' 신부의 일기가  내가 브로우 신부에게 말하는 편지내용과 '듀랑'신부가  나와 브로우 신부, 기미코 사이에서의 갈등등을 적은 일기내용이 번갈아 쓰여져서  서로  다른 백색인과 황색인의 눈으로 보는 종교와 갈등을 보여준다.  서양의 유일신을 믿는 종교관을 가진 '듀랑'과   동양에서 살아온 '기미코'가 가진  기독교를 보는 종교관을 보면서  서양인들의 기독교에 대해 진지하게 생각할 수 있었다.  

              하지만 이제 와서 이 무거운 추를 무엇으로 제거할 수 있겠습니까?




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랄랄라~ 2010-05-17 공감(1) 댓글(0)
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신의 아이 백색인, 신들의 아이 황색인 - 운명과 구원에 대한 질문 새창으로 보기
엔도 슈사쿠라는 이름, 들어는 보았으나 작품세계에 대해서는 아는 바가 없었다. 이런 저런 이야기들이 있었으나 이 책(혹은 그의 작품 세계 전체?)의 특징을 규정짓는 것은 2년간의 프랑스 유학과 귀국이 아닌가 한다. 유학 후 '신의 세계'를 경험한 '신들의 세계'의 자식인 자신에 대해 쓴 소설이 '아덴까지'라는 작품인데 이 소설을 쓰고 6개월 후에 이 책에 실린 '백색인'을, 그로부터 6개월 후에 '황색인'을 썼다고 한다. 연도는 1955년, 나이는 대략 35세 정도였을 그... 태생적으로 카톨릭 인이었던 그에게도 시대의 특이성과 문명의 이질성은 폭풍처럼 다가왔던 것일까? 이 소설은 그가 느낀 '이물감'을 거침없이 담아낸다. 

제목도 그렇고 책의 구성도 그렇고 작가의 경력으로 봐도 그렇고, 두 편의 소설이 서로 마주보고 대치하는 작품이 아닐까 생각했었다. 어설프게나마 들어본 적이 있는 일신교와 다신교가 가지는 철학적 차이를 떠올려보기도 했고 말이다. 무엇보다 상당히 경건하고 차분한 분위기의 소설이 아닐까 기대했었다. 그러나 왠걸? 이러한 기대들은 하나같이 어긋나버리고 말았다.  

이 소설은 싸늘하게 몰아치는 겨울바람처럼 매섭고 격렬하다. 인물들은 모두 어딘가 일그러져 있으며 스스로의 욕망과 죄책감에 휩쓸린 채로 살아간다. 백색인의 '나'는 자신의 이지러짐을 세계에 관통시키려 드는 인물이다. 그렇기에 자신과 쌍둥이처럼 닮았으면서도 그 사실을 부정하며 신이라는 이름의 세계로 자신의 이지러짐을 채우려하는 신부 자크는 용납할 수 없는 존재였다. 카인이 아벨을 망가뜨리듯, 그는 자크의 유일한 욕망인 마리 테레즈를 이용하여 자크를 파멸시키고 죽음으로 몰아간다. '나'는 자크를 죽임으로써 세계의 무의미를 증명해냈지만 결국 황폐하고 무감동할 뿐... 황색인은 세 인물의 고백이 어우러지지만 가장 중심에 있는 인물은 '듀랑 신부'이다. 선교사로 일본에 와서 오랜 세월 신부로 봉사해왔던 그는 기미코라는 여인과의 만나 '타락'한 뒤, 죽지도, 살지도 않은 상태로 삶을 살아간다. 죄책감에 빠진 이들이 그렇듯 그는 스스로를 점점 더 깊은 수렁에 던져놓고, 마침내 '브로우 신부'를 파멸시킴으로써 자신의 '신'을 버린다. 신이 없기에 황색인은 평온하고 무감할 수 있다고, 그들을 닮는 것이 자신에게 남은 마지막 구원이라고 생각했기 때문에...  

황색인의 경우, 듀랑 신부의 입을 빌어 신이 지배하는 세계와 신들이 지배하는 세계를 대조시키고 있기는 하지만, 사실 이런 점이 그다지 중요하게 부각되지는 않는다. 듀랑 신부는 스스로를 구원하기 위해서 신과 신들의 세계를 충돌시켰을 뿐이다. 하물며 백색인에서의 '나'는 무신론자이고, 대적자 자크 신부의 신앙 역시 신이 지배하는 사회에서 비롯된 전형적인 것이라고 보기는 힘들다. 이들에게 신이 있다면 그건 오히려 '운명'이라는 세계의 무자비함이다. 자크 신부나 브로우 신부는 그것을 숙명이라 읽어냈을 뿐이고, 백색인 '나'나 기미코는 그렇게 보지 않았을 뿐... 차라리 전쟁이라는 욕망의 향연장에서 지치고 패배감을 느낄 수 밖에 없었을 인간상들의 모습, 어쩌면 이 글을 쓸 때 엔도가 느꼈을 무력감이 그 모습에 비추어 보일 따름이다.  

결국 이 한 쌍의 소설은 거울을 마주본 듯 같은 얼굴을 하고 있다. 신과 신들은 구원을 주지 않는다. 인간은 스스로를 구원할 수 없다. 장난처럼 운명에 휩쓸려 살아갈 수밖에 없지만, 지푸라기라도 움켜잡지 않으면 버티지 못하는 것이 인간이다. 그렇기에 신의 끄트머리라도 붙들려고 하는 듀랑 신부든, 무의미를 입에 달고 다니는 백색인의 '나', 황색인의 '치바'든 같은 얼굴을 하고 있는 것이리라.. 이 책은 답하는 이야기라기보다는 질문하는 이야기처럼 보인다. 아직 젊은 시절, 전쟁의 상처가 남아있던 시절에 씌여졌던 작품이어서일까? 두껍지 않은 이 책 안에 작가는 평생에 걸쳐 고민해야할 화두를 던져둔 것이 아닐지... 생을 살아가며 작가가 나름의 답을 찾는지는 다른 작품들을 읽어봐야 알 일이리라. 그 답을 들어보고 싶기도, 듣지 않고 싶기도 하다는 생각을 하며 책을 덮는다.
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구르믈버서난달 2010-05-19 공감(1) 댓글(0)
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피부색만큼이나 확연히 다른 동서양 종교적 세계관의 차이와 갈등 새창으로 보기
이웃 나라 일본은 야오요로즈카미쿠니(八百万神國), 즉 8백만의 뭇 신들의 나라라고 스스로를 자칭한다. 이러한 만신들을 숭배하는 일본의 민족 종교 신도(神道)는 전체 인구의 95 % 이상인 1억 1천만 명이 숭배할 정도로 일본의 국교로서 자리를 잡았고, 우리보다 일찍 개항했음에도 기독교는 1 % 도 채 안 되는 100 만 명 남짓 정도로 겨우 명맥을 유지하고 있다고 한다. 이처럼 기독교가 뿌리 내리지 못한 일본에서 기독교를 주제로 한 “침묵”, “예수의 생애”, “그리스도의 탄생”, “깊은 강”등을 써왔으며, 종교소설과 세속소설의 경계를 무너뜨린 20세기 문학의 거장으로 여러 번 노벨문학상 후보로 거론되었다는 “엔도 슈사쿠”는 특이한 존재라 할 수 있다. 이번에 어문학사(2010년 4월)에서 출간된 “신의 아이 백색인, 신들의 아이 황색인”은 종교와 신, 구원의 문제에 관한 그의 일련의 문학세계를 일컫는 “엔도문학”이 형성되기 이전의 초창기 작품으로 그의 문학 세계의 시발점이 되는 작품이라고 한다. 이전에 그의 작품들을 읽어보지 못했던 나로서는 이 작품이 그의 다른 작품들과 어떠한 경향적 차이가 있는지는 알 수 가 없지만 200여 페이지의 짧은 분량임에도 그가 고민해왔다는 서양과 동양의 종교문화의 차이로부터 겪은 방황, 갈등의 요소들을 어느 정도 엿볼 수는 있었던 그런 책이었다.  


 책은 기독교 유일신앙의 세계인 2차 세계 대전 당시 유럽, 즉 백색인의 세계와 앞에서 말한 동시대의 온갖 만신들의 나라 일본, 즉 황색인의 세계로 나누어진다.  

먼저 백색인의 세계부터 간단하게 요약해보자.

프랑스의 프로테스탄트 가정에서 태어난 못생기고 사팔뜨기 소년인 “나”는 어느 날 우연히 늙은 개의 목을 하얀 허벅지로 짓누르며 학대하는 하녀 이본느의 모습을 보게 되면서 청교도적인 일상에서 일탈하는 그런 쾌락을 느끼게 된다. 대학에서 엄격한 종교적 신념 속에서 생활하는 신학생 “자크”를 만나면서 유일 신앙인 기독교에 대하여 더욱 반발심을 느끼게 되고, 그의 사촌 여동생인 “마리 테레즈”를 그리스도를 배신한 유다로 만들기로 결심하고 그녀를 쟈크가 그렇게 가지 말라고 당부하던 무도회장에 데려간다.  

나의 입가에는 엷은 웃음이 떠올랐다. 자크에게 있어서 유다가 누구인지, 나는 그때 알았던 것이다 (P.47). 어쨌든 그 여자는 쟈크에게 작은 비밀을 지니게 된 것이다. 작은 비밀은 다른 거짓말, 다른 비밀을 낳고, 그것은 이 배신의 골짜기를 울리면서 무너져 내릴 것임을 나는 알고 있었다....(P.50) 

그로부터 3년 후 2차 세계 대전이 터지고 나치가 프랑스를 점령하게 되면서 “나”는 게슈타포 통역사로 일하게 되고 그 곳에서 레지스탕스 연락관으로 일하던 신부 “자크”를 만나게 된다. “나”는 종교적 신념과 정의를 부르짖는 쟈크를 비웃으며 마리 테레즈를 잡아와 고문실 옆방에서 그녀에게 위해를 가해 예수를 배신한 유다처럼 그에게도 배신을 강요하지만 그는 고문과 더럽혀지는 그녀 때문에 괴로워하다가 결국 혀를 깨물어 자살하고 만다.  

백색인의 세계가 기독교적인 세계관 내부에서의 갈등에서 비롯된 악을 이야기한다면 황색인의 세계에서는 운명적으로 다를 수 밖에 없는 세계에서의 구원과 믿음에 대한 정반대의 종교관에 대해서 이야기한다. 8년전 한순간의 욕정에 의해 파문당한 신부 듀랑은 성당의 후배 신부인 브로우 신부의 보살핌으로 근근히 살아간다 . B29가 일본 영토를 직접 폭격하는 전쟁의 막바지 무렵, 듀랑은 자신의 가지고 있는 권총이 발각될까 두려워 브로우 신부의 사제관에 몰래 숨어들어 권총을 숨겨놓고, 거짓 투서를 보내 결국 브로우 신부는 잡혀가게 된다. 그러면서 이 낯선 땅에서의 기독교의 구원과 배신의 의미를 되새기면서 괴로워하게 된다. 

선교한지 12년, 비로소 오늘 나는 이방인의(즉 하느님을 모르는 사람들의) 행복을 알았다. 그것이 행복인지 아닌지, 나로서는 단언할 수 없다. (중략) 그것은 하느님과 죄에 무감각한 눈이고, 죽음에 대해 무감동한 눈이었다.(중략) 오늘부터 나는 구원될지도 모른다. 하지만 그것은 지금껏 내가 자라온 백인들의 방법과는 전혀 상반된 이방인의 방법을 통해서 일 것이다. 그 멍하고 생기 없는 눈으로, 서서히 하느님을 잊고 죄를 거듭 지으면, 결국 죽음에 대해서도 무감동해져 갈 것이라는 것을 나는 비로소 깨달았다.... (P.168)

일본인들은 하느님의 존재와 상관없이 모든 것을 해결하고 있는 것이다. 교회, 죄의 고통, 구원에 대한 갈망, 우리 백인이 인간의 조건이라고 생각했던 모든 것에 대해 무관심하고 무감각하게, 애매모호한 상태로 살 수 있는 것이다. 도대체 어떻게 그럴 수 가 있는지, 이해가 안된다 (중략). 금빛 털이 나 있는 손등은 분명히 백인의 손이었고, 하느님을 믿든지, 미워하든지, 둘 중의 하나를 선택하지 않으면 안 되는 백인종의 손이었다, 나는 황색인이 될 수 없었고, 이 피부색 또한 바꿀 수 가 없었다. -(P.191) 

작가는 동, 서양의 종교적 세계관의 차이를 백색인의 세계와 황색인의 세계로 정의하여 모든 인간 운명의 배후에는 신의 은밀한 섭리가 작용하고 있다고 믿는 기독교적인 세계관과 그 섭리조차도 하나의 운명으로 받아들이는 동양적 - 엄밀하게 말해서는 일본 - 세계관의 차이 때문에 확연히 다를 수 밖에 없다고 이야기하고 있다. 듀랑이 백인들의 방법과는 다른 구원의 방법을 찾았음에도 결국 자신의 피부색을 바꿀 수 없다고 독백하는 부분에서 이미 운명으로 결정되어 결코 좁혀지지도 않고 넘을 수 없는 두 세계의 간극에 대한 작가의 인식을 엿볼 수 가 있었다. 서로 다른 종말과 구원에 대한 인식, 범신론의 세계는 결국 유일신의 세계에 정복당할 수 밖에 없다는 기독교적 세계관에 대해 간격을 좁히기 위한 인위적인 행동에서 비롯된 갈등보다는 서로 다른 차이를 인정하고 평행의 길을 걸어가자는 것이 작가의 생각일지도 모르겠다. 이런 종교 간의 차이와 갈등에 관심을 두고 출발했던 작가의 문학관이 과연 어떤 식으로 전개될지 그의 문학세계에 있어 본격적인 작품들이 더욱 궁금해졌다. 물론 아직 문학의 방향성이 정립되지 않은 초창기의 작품이어서 이 작품을 통해 엔도 슈사쿠 전체를 이야기하기에는 비약이 심하겠지만, 적어도 엔도 슈사쿠 문학 전반을 꿰뚫는 주제라는 종교에 대한 그의 고민을 이해하기 위한 출발점으로서는 이 책이 손색이 없지 않을까 생각해 본다.
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레드미르 2010-05-06 공감(1) 댓글(