2016/10/10

新渡戸稲造脚注

新渡戸稲造脚注



新渡戸稲造『武士道』について【脚注】
(1) 本論稿は、科学研究費「基礎研究」「価値語の様態とその構造」(研究代表者野崎守英)の第3回共同研究集会(2001・9・28。於自治医科大学)で行われた発表に基づき、これを改稿したものである。佐藤全弘訳『武士道BUSHIDO The Soul of Japan 日本のこころ 日本思想の解明』(2000年教文館)――以下、佐藤2000と略記する――に主として従い、英語原文としては佐藤氏の訳書がこれによった全集版第12巻(1969年教文館)を参照する。
(2) 佐藤2000、26頁注1。
(3) "That way
Over the mountain, which who stands upon
Is apt to doubt if it be indeed a road;
While if he views it from the waste itself,
Up goes the line there, plain from base to brow,
Not vague, mistakable! What's a break or two
Seen from the unbroken deserts either side ?
And then (to bring in fresh philosophy)
What if the breaks themselves should prove at last
The most consummate of contrivances
To train a man's eye, teach him what is faith ?"
Robert Browning,
Bishop Blougram's Apology.
(4) "There are, if I may so say, three powerful spirits, which have, from time to time, moved on the face of the waters, and given a predominant impulse to the moral sentiments and energies of mankind. These are the spirits of liberty, of religion, and of honor."
Hallam,
Europe during the Middle Ages.
(5) "Chivalry is itself the poetry of life."
Schlegel,
Philosophy ol History.
(6) ペンシルベニア州の古都、アメリカ独立宣言の街フィラデルフィアの中心にある市庁舎の塔の上にはこの町の設立者であるWilliam Pennの像が建っている。Williamの父はイギリス海軍の提督であった。その功績に報いるため当時の英国国王Charles IIはQuaker教徒となったWilliamにペンシルベニア州全土を毎年ビーバーの毛皮2枚と発見された金銀鉱の5分の1を王に捧げるという条件で与えた(1681年)といわれている。
(7) Friedrich Schlegelの最後期の著作(1828年、56才の時)であり、そのカトリックへの改宗(1808年)後、メッテルニヒ体制のもとにあったウィーンで行った最晩年の講義(翌1829年死去)にもとづくこの著作に新渡戸がどのような態度で関わっていたのかはわたしには謎である。しかも英訳で400頁を越える浩瀚なこの著作から新渡戸は上記の一行を見事に引き抜いているのである。
(8) おそらく、Hallamの中世史への関心も上述のイギリスの中世復興運動の一端だったのだろうと想像されるが、さしあたり、このHallamの書物を見ていないので、はっきりしたことが言えない。
(9) クラークが種をまいた札幌農学校に共に育ち、クラークの残した「イエスを信ずるものの誓約」に署名し、「福音主義教会の洗礼をうけ、一員となる」というその誓約に従ってメソディスト教会宣教師から共に函館で1878年に受洗した内村と新渡戸という二人の先覚者が、やがて踏む道を異にするとはいえ、渡米後ともにQuakerismの影響をうけ、教職制度を保つ正統の「福音主義教会」から離れていったのは興味深いことである。新渡戸のこの最初のキリスト教との出会いについては宮本信之介「若き新渡戸稲造の信仰」、小泉一郎「新渡戸博士とクェーカー主義」(ともに『新渡戸稲造研究』東京女子大学新渡戸稲造研究会著、春秋社、1969年に所収)、松隈俊子『新渡戸稲造』(みすず書房、1969年)に詳しい。
(10) これはまた戦前の旧制高校における「教養主義」を規定するものでもあっただろう。
(11) この詩は1855年(Browningは43才)にMen and Women という題で発刊された詩集の中に収められており、この詩集はBrowningの詩才を広く認めさせるものになったという。
(12) Cf. MEN AND WOMEN,BY ROBERT BROWNING, WITH INTRODUCTION AND NOTES BY KENJI ISHIDA AND RINSHIRO ISHIKAWA, KENKYUSHA, 1956, pp. 122-3.
(13) 「教育勅語」はこの儒教道徳の綱領を主調として構想されている。ほぼ同時代に成立し、その後の日本の教育システムの基本となったこの「教育勅語」の路線とはまったく無関係に新渡戸が日本の道徳性を構築して見せたのは新渡戸の非凡な点であり、そこに本書のすぐれた点がある。「五倫」「五常」という人倫を形成するなんらか実質的な綱領が「忠孝」という抽象的な国家主義的路線に溶解してしまうところに、儒教道徳の弱点があり、それが大日本帝国の悲劇を導くもととなったとも考えられるが、新渡戸は同時代の人でありながら、この路線からは自由であった。
(14) アリストテレスでは「正義(dikaisyne)論」は「公平(epieikeia)論」を含むものとして展開されている。そこから、「正義(dikaiosyne)」 と「親愛(philia )」が「市民の共同性(politike koinonia )」を作り出すものとなる。そこに「人間性(humanity)」の基盤が構成される。
(15) 神において、「正義」と「慈しみ」は一致するものとなる。
(16) Cf.Thomas Aquinas, Summa Theologiae, I,II. quaestio 55 art. 4 ad quartum.
(17) ここで引用されている『孟子』告子篇の後段(164)で、孟子の説く仁義はこのような身分関係によって説明されている。
(18) この時期の新渡戸の揺れ動く心中をあらわす言動と、新渡戸を取り巻いていた内外の緊迫した情勢については、ジョージ・オシロ『新渡戸稲造 国際主義の開拓者』(中央大学出版部刊、1992年)199―245頁、第8章 晩年 1927―33(昭和2―8)に詳しい。

ヒューマニスト/その人の生き方考え方54/小泉文子

ヒューマニスト/その人の生き方考え方54/小泉文子


(人生の贈りもの)小泉文子(91):1(2013年11月5日朝日新聞)
幼児教育者

■親の望みを詰め込みすぎてはダメ

――幼稚園の入園試験が開かれる季節です。水戸市の少友幼稚園の園長として先駆的な教育をされ、新渡戸稲造らの提案でできた「普連土(ふれんど)学園」(東京都港区、中学高校)の学園長もされました。昨今の幼稚園選びをどう思われますか。

幼児の魅力はすごいものです。精神の柔らかさというか、大人の想像を超えた可能性を、その子その子が持っている。これから芽を出す宝物です。ところが、私が園長を始めた1980年代にはすでに何でも早く教える風潮が広がり、入園前から塾やお稽古にお通いになるご家庭が出てきた。幼稚園も、通園バスに給食、延長保育、課外教育……とお母様の望むものを詰め込む。大人にも子どもにも、静かにじっくりと何かをする姿勢がなさすぎると感じます。

――園長になって一切の号令をやめたそうですね

「前にならえ」「気をつけ」のような号令で動く習慣はすべてやめました。号令をかけなくても、静かな音楽を流し先生がじっと座っていれば、子どもたちも静かに座ります。戦前、戦中を体験した私は、幼いころから号令で動くよう植え付けることに恐怖に近い感じを持ちます。並ぶ順序は自由、列が曲がってもいい。東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で教わったフレーベル教育の倉橋惣三先生は「幼児の中の流れを止めてはならない」と言われてます。幼児期は自由に遊ぶことと、人の話を聞くことが大切なんです。

――名簿もいち早く男女混合にされました。男女同権や女性の社会進出を唱えられてきましたが、働く女性の子は幼稚園への入園は難しいのが現状です。

短くとも3年間、いや就学前まで、働く女性が育児に専念できる環境が必要です。企業や社会がそこを整えなければ、真の男女同権といえません。「預ける」のは教育ではないし、「イクメン」もよろしいですが、母親の愛情は何物にも代え難い。人間は生物です。おっぱいに触れて飲んで、その安心した感覚を土台に、あたたかい家庭の中で育ちます。仕事だけでなく、子育ても、あらゆることに女の人は賢くあってほしい。
女性が子育てをするのは、社会にとってもプラスですよ。子どもによって訓練された女性が、どれほど素晴らしい力を持つか。何より忍耐力がつくし、何事も即時即決で対応せざるを得ないので判断力もつきます。それを女性のキャリアとして認めてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)
     ◇
こいずみ・ふみこ 1922年、東京生まれ。東京女高師卒で高校教師に。婚約者が言論弾圧の「横浜事件」で獄死。アルツハイマーの夫を十余年、在宅看護しつつ、幼稚園長を務める。著書に「幼児はあらゆる種子の萌芽(ほうが)を孕(はら)む」「もうひとつの横浜事件」(いずれも田畑書店)など。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311050189.html?iref=comkiji_redirect
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):2(2013年11月6日朝日新聞)
■戦中獄死した婚約者 50年経て消息を追う

――戦時下最大の言論弾圧「横浜事件」で婚約者の浅石晴世さんが拷問の末に獄死。中央公論や朝日新聞記者ら約60人が逮捕された事件は、その後も再審請求が続きます。なれそめは?

母同士が師範学校の友人でした。母は小学校の先生。父は「ダイナマイト」と呼ばれる怖い高校の地理歴史の教師でしたが、亡くなった時には大勢の教え子が集まり、互いに「僕が一番愛されていた」と自慢し合うような人。上の兄は海軍兵学校、下の兄は横浜正金銀行ですから、左翼的な家庭ではありません。ただ母はロマンチストでしたから、浅石さんのような物静かで真っすぐな青年が気に入ったのではないでしょうか。

――婚約当時は東京女子高等師範学校で生物を学ぶ、元祖「リケジョ(理系女子)」でした

私は幼いころからおしゃべりが苦手で、数学が大好きだったんです。でも数学に進んで頭ばっかりになってはいけない、人間は生物だから生物学を選ぼうと。幼いころ、国内外の名作を集めた「小学生全集」を読むのが好きでしたから、その時の生命への感覚や感動が残っていたのかもしれません。ところが入学してエンドウ豆の根の生長点細胞を見るために、プレパラートを作っている時、突然、こんなことに時間をかけてはいられない、もっと人間の命そのものを考えなくては時間がもったいないと。許す限り読書しました。

――出版された「もうひとつの横浜事件」はラブストーリーで当時の矛盾を訴えています

婚約した半年後に突然、婚約破棄を告げられました。「いよいよ時局が切迫し、僕には君を幸福にすることができなくなった」「どうしても別れなければならない」と手紙に書かれていて。5カ月近くたって、今度は「僕とは何のかかわりもなかったことにしてほしい」と2通目が届いた。「昭和塾」に入ったことは聞いておりましたが、ほかは何も知りませんでしたし、ただふられたと。終戦後になって初めて、朝日新聞の記事で、彼が検挙され、獄中で拷問を受けて、亡くなっていたことを知りました。

――消息をたどり始めたのは1991年ごろからですね

事件の再審請求に対し、最高裁が事実を調べないまま棄却した判決の記事を見て、初めて怒りで体が震えました。おかしいですね。92年に私の本が出るとすぐ公安調査庁か警察かの方が2人、訪ねてきました。「この本書きましたね。これからも書きますか?」と尋ねられたので、「事実のことはすべて書きます」と申し上げました。失恋物語なのに。戦後50年近くたってもこういう時代なのだと驚きました。(聞き手・宮坂麻子)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311060323.html?iref=comkiji_redirect
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):3(2013年11月7日朝日新聞)
■夫の看護 10年たって懐かしむ気に
 
――英文学者で東大でも教えた小泉一郎・学習院大名誉教授と結婚されました。ところが一郎さんがアルツハイマーを発症し、十余年にわたる在宅看護が始まります。話題になった看護日記「ほかに何ができたろう」を読ませて頂きましたが、壮絶ですね
 
お読みになってくたびれませんでした? 夫とは、私が都立三田高校の教師をしていた1947年に、先輩の紹介で結婚しました。娘と息子に恵まれ、私も同じ宗派「クエーカー(キリスト友会)」に入会しました。子育てを終えた80年、一緒にスイス旅行に出かけた時、おかしなうそをつくな、と気付いたんです。行ってもいない場所を何度も訪れたように話して。思えば何年か前からうそが多くなった気もします。帰国後もお友達の家がわからなくなったり心房細動で苦しんだりしてました。

――その翌年、脳梗塞(こうそく)で倒れてしまいました

でもアルツハイマーとは診断されませんでしたが、幻聴、幻覚、失禁……の日々になりました。着替えをしようと言っても聞いてくれません。一番大変だったのは徘徊(はいかい)です。手足も言葉も不自由はありませんから、昼夜を問わず鍵を開けて出て行ってしまう。でも帰れない。止めれば杖を振り回して怒りますし。大の大人が内から開けられない鍵をつけるのは本当に難しかった。施設を訪ねたこともありますが、夜中に窓から出て行くので、3日目には「とてもお預かりできません」と帰されてしまいました。

――途中からは達観されたような感じを受けました

専門病院では手足をベッドに縛りつけると言われました。考えていることもわからないし、もう好きにさせてあげよう、と思ったんです。当時は園長でしたし大変で、午前と午後は他の方に来て頂き、夜は私が見ました。夜中にすごい数の本を2階から1階へ下ろしたり、本のページをすべて半分に折り曲げて分厚くしたり。戻してもきりがない。いろんな「オイタ(いたずら)」をするんです。深夜徘徊についていくのも疲れている時はやめました。私が留守の時は、息子夫婦に泊まってもらうこともしました。遠慮があるのか息子の時はおとなしかったとか。この前、認知症の夫が線路に入ってひかれ、その妻と長男に、列車が遅れた賠償を命じる判決が出ましたが、裁判官に私の本を読ませておけばよかったと思います。

――出版はレーガン元大統領が同じ病と発表した年。「励まされた」という声も多く届いたとか

夫の退職金を半分もらって離婚しようと思っていたけどやめました、という方もいましたね。お子さんがいじめを受けて統合失調症になった方からも「励まされました」と連絡がありました。どうにもできない病気を看護する家族は本当に追いつめられますから。

――91年10月に他界されます

ああ、解放された。それだけでした。夫がやり残していた翻訳を完訳して本にしたのはそれから10年近く後。ようやく懐かしむ気になれたんです。(聞き手・宮坂麻子)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311070247.html?iref=comkiji_redirect
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):4(2013年11月8日)
■どう生きるか、本には発見がある

――いまも机の上に、何冊もの本がおありですね

東京女子高等師範学校の学生だった時にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読み、How to live? どう生きるかということに目覚めました。ソクラテスのような生き方ならできるかなあ、と。そう思ったのはなぜなのか。先日、「ソクラテスの弁明」を再び読んでみたんです。当時は岩波文庫だったので、今度は違う出版社の二冊を読みました。三冊読むといろんなことが見えてきます。「思いこみを捨てて現実を見る」とか「成り行きに任せて生きる」とか「魂に正直に」とか。「フランクリン自伝」も読んだら、そこにもどう生きたらいいか書いてあった。飽くほど食べてはいけない、沈黙、自他に益なきことを言わぬ……。その最後に「イエスとソクラテスを見習え」とあって、うれしくなりました。本にはいろんな発見があります。時間のある年寄りの特権ですね。

――戦後、水戸市のクエーカー(キリスト友会)会堂で、茨城県東海村の原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の若い方々を交えて、英会話グループをされていた時期があったとか。原発について、どのようにお考えですか

日立製作所などいろんな若い方が集まっていました。原子力研究所ができたころは、私も素晴らしい施設だと友人を案内しましたし、今も原子力の研究自体はいいことだと思います。人への影響や害をきちんと研究し、公表することは大切です。でも、原発を持つのは反対。人間にコントロールできないことは、今回の事故でもチェルノブイリでもはっきりしているわけでしょ。それを閉じこめるのは人間のおごりです。

――幼児教育のお立場からはどうですか

茨城県産は子どもに一切食べさせないという方もいますね。風評被害の広がりは、それはそれで問題ですが、でも子を持つ親として神経質になるのは当然かもしれません。私も大好きな猫がいなくなり、次を飼いたいのですが、もし事故で逃げることになったら連れていけずかわいそうだから、飼えずにいます。放射能に関する公式発表がどこまで本当なのかも、なかなか信用できません。戦争中はみんなだまされましたから。

――子どもを守る責任はやはり親にありますか

もちろんです。家庭は基本的にプライベートなものです。「子ども手当」だなんだと言われ、子育ては国や社会が責任を負ってくれるもの、と勘違いしているのではないでしょうか。人間は社会生活をする動物として、国や社会の維持のために法律を作りました。しかし、戦前の日本のように徴兵制度ができると、いやでも戦うための兵隊にされるのです。愛する家族や隣人のためではなく。戦争経験者が次々亡くなる時代です。ご家庭でよく考えてみてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)=おわり

http://digital.asahi.com/articles/TKY201311080246.html?iref=comkiji_redirect
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ほかに何ができたろう
―アルツハイマー患者の在宅看護日記 
単行本 – 1994/10
小泉 文子  (著)


アルツハイマーの夫との10年にわたる在宅看護日記。「
老いる」ということ、「生命の尊厳」を問いかける。
登録情報
単行本: 298ページ
出版社: 日本看護協会出版会 (1994/10)
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5つ星のうち 3.0認知症家族を持つ娘として…。
投稿者 Amazon カスタマー 投稿日 2015/9/18
形式: 単行本 Amazonで購入
チョッとした欠乏症?物忘れ?初期の時点では認知症と判断できない…そのような異変から克明に日記に綴られ出版され、認知症家族を持ち始めたばかりの私には、勉強にもなりました。認知症を患っている本人にも何かしら意志があるから?行動を起こそうとする…負の予感を先回りして阻止するのも時として逆効果にもなりうる。認知症患者の脳はどうなっていくのか?介護する側として考えさせられた一冊でしたが、徘徊をする御主人の財布に20000円を常に入れておくとか、頻繁に外食するなど…ギリギリの生活をている家庭では不可能…余裕のある家庭だから可能なことだと思いました。著者の奥様の大層な御苦労は汲み取れましたが、自分に置き換えると、どこまで自分は介護が出来るのだろう?と…考えずにはいられません。
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5つ星のうち 3.0なんとも複雑でした。
投稿者 まいまい 投稿日 2013/12/28
形式: 単行本 Amazonで購入
私自身夫を介護中、時代が大分違っているなーと思いつつも、義務感のような気持ちで読みました。作者の気性・性格に何か違和感を感じてしまいましたが、なんとか読み終えました。
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もうひとつの横浜事件―浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』 

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2010/3/16(火) 午後 1:55 裁判・法律 事件
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横浜事件は、様々な青春をたいへん残酷な形で無為にしていった。未来を思ういたって真面目な魂も犠牲にした。
 
 小泉文子は横浜事件で獄死した浅石晴世の婚約者として知られている。
 しかし戦争は、もっと大きな影を落している。長兄は南太平洋で特攻死しているし、小学生の教え子の中には広島に租界したのち消息不明になっている者もいる。

 小泉と浅石の母同士が同級生で、ごく自然に愛し合い婚約した。しかし、浅石は「幸福にすることができなくなった」という手紙によって一方的に7か月間続いた婚約を破棄する。その他の説明は全くされなかった。小泉の慟哭が伝わってくる。その婚約破棄は、本書により細川嘉六が逮捕された翌日だったことがわかる。

 旧版は1992年に刊行され175ページであるが、この17年後に刊行された増補新版は335ページもある。この増ページは、あたかも亡くなった浅石が残したものとも思えるのだ。その奇縁、奇遇は横浜事件に関心がある者を多いに刺激する。

 浅石の旧制高校で親友だったT氏(本書では実名)が同窓会誌で浅石に触れた文章を著しており、それを再審請求弁護団のU弁護士(同)が偶然手にするが、それは自宅近くの図書館の廃棄図書からの発見であった。

 それが契機となり、小泉文子とT氏は会うことになる。小泉はT氏が持参したアルバムで浅石の写真を見たり、親友の思い出話しに浸る。

 またU弁護士が浅石という同姓ということだけで、友人である青森のA弁護士(同)に書簡を送ったところ、浅石の親戚筋にあたることが判明する。元々浅石家は東京空襲で家を焼失し、弟の戦死と兄弟とも未婚で亡くなっているため親戚縁者を探すことは困難と思われていたのである。

 そして、墓所が分かる。そして50年以上の時を経て墓参が実現する。

 他に2000年に浅石と旧制中学で同級であり、浅石の父の教え子でもあったTN氏(同)から手紙が来る。TN氏は大和氏(A弁護士の父)の訃報記事を新聞で偶然目にし「青森、浅石」のキーワードだけでA弁護士に手紙を書き、TN氏はA弁護士から小泉文子の存在を知り、手紙を書いたのだ。

 2003年にはキリスト友会会堂で川田定子の姪のTO(同)にも会う。

 これは奇遇、奇縁なのであろうか…浅石晴世が現代に向けて語りかけているように思えてならない。

田畑書店2009年8月15日刊
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5つ星のうち 5.0喪うことで、見えてくるものがある。
投稿者 紫 麻乃 投稿日 2010/2/15
形式: 単行本
 「横浜事件」は、第二次世界大戦中に起こった言論弾圧事件です。
 詳しくは、ネットで検索してみてください。
 小泉先生の本は、「人を喪(うしな)う」ことの痛切さを教えてくれます。
 小泉先生は、「横浜事件」で婚約者を喪いました。
 そして、この本を書いている最中に、配偶者を喪われています。
 人を喪うことの痛みを通じて、ともすれば歴史の彼方(かなた)に忘れ去られてしまいそうになる事どもを、この世に留めておくことができるのです。
 機会がありましたら、この本を手にとってみてください。
 わたくしにこの本を与えてくださった方に、感謝しております。

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Japan - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries

Japan - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries

Philadelphia Yearly Meeting Japan Committee


The Friends Yearly Meeting in Philadelphia began mission work in Japan in the 1880s, and materials in our collections cover through the 1970s. Philadelphia Quakers supported the creation of a Tokyo Friends Center (largely for visitation), Girls' School, several Monthly Meetings, and eventually the Japan Yearly Meeting. Activities in Japan were first overseen by the Women's Foreign Missionary Association, and many of the early missionaries and teachers were also women. Listings in the individual manuscripts section on the right include papers of those who worked at the Girls' School and Friends Center. The Japan Committee records include correspondence, meeting mintues, reports, statistics, financial records, work applications, and photographs.

Manuscript Materials


Secondary Sources - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries

Secondary Sources - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries



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HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014]: Secondary Sources

Publications about Quaker Missions in Japan

つのぶえ 書名別(に:日本)

キリスト教書専門店
(キリスト教書, 一般書) 
http://www.tsunobue.jp/
古書店つのぶえ
〒653-0842
神戸市長田区水笠通1丁目1-38
TEL(078)766-4700

JR神戸線新長田より北へ400メートル、山陽電鉄西代駅下車すぐにあるのが 古書店つのぶえです。 インターネットWWWホームページでは、キリスト教古書目録の掲載、 他の古書店ホームページ紹介などを積極的に行っております。


つのぶえからのお知らせ (情報は毎週日曜日に更新しております)

●キリスト教書50冊を目録へ追加しました。 (目録追加分)(2016/10/09)。
●メールニュース記載の代引手数料および振込手数料の記載を修正しました(2015/09/13)。
●目録掲載数は11,068冊です(2016/06/26現在)。
ホームページ変更履歴

つのぶえ 書名別(に:日本)



607-49395日本友会の歴史 (宣教七十年後から)編集委員会編キリスト友会日本年会1997¥2000A5,245p (写真8p)


quaker-japan.sakura.ne.jp/book.html

quaker-japan.sakura.ne.jp/book.html



日本年会の出版物書名著者(訳者)発行日定価



クエーカー三百年史 ~その信仰の本質と実践~ハワード・ブリントン(高橋幸子訳)

1988.01.31 (第4刷)1,000



クエーカーの信仰に生きた人々エルフリダ・バイポンド(鞍馬菊枝訳)1976.12.25
(再版2001.06)1,000



クエーカーの宗教哲学ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1985.08.20  1,500



私の信仰小泉一郎1956.11.10  100



基督友会七十年史基督友会日本年会1957.11.05基督友会の実践ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1955.08.0  1500



日本友会の歴史~宣教七十年後から~編集委員1997.11.01  1,000



永遠なる泉を汲みてワイダー・クエーカー、フェロシップ、アメリカフレンズ奉仕団
(石谷行、渡辺昭雄・宣子共訳)1999.07.0  1300


小泉一郎 - Wikipedia

小泉一郎 - Wikipedia



小泉一郎

小泉一郎(こいずみ いちろう、1912年-1991年10月21日)は、英文学者。 茨城県水戸市生まれ。1937年東京帝国大学文学部英文科卒、41年同大学院(旧制)満期修了、副手、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、東京女子大学教授、学習院大学文学部教授。1983年定年退任、名誉教授。

著書[ソースを編集]

  • 『英文の読み方 現代英文についての演習』培風館 1960
  • 『神と人とのあいだ 近代日本文学試論』笠間書院 笠間選書 1975

翻訳[ソースを編集]

  • エリザベス・グレイ・ヴァイニング『皇太子の窓』文芸春秋新社 1953
  • キャスリン・レインブレイク』英文学ハンドブックー「作家と作品」シリーズ 研究社出版 1957
  • エマソン選集 第3 生活について』日本教文社 1961
  • 『エマソン選集 第7 たましいの記録』日本教文社 1961
  • ポオ全集 第1巻』ハンス・プファアルの無類の冒険 約束ごと メッツェンガーシュタイン 東京創元新社 1963
  • 『ポオ全集 第2巻』催眠術の啓示 ミイラとの論争 ヴァルドマアル氏の病症の真相 フォン・ケンペレンと彼の発見 東京創元新社 1963
  • 『世界文学全集 第14 (ポオ,ホーソン)「アッシャー家の崩 大渦の底へ 黒猫」講談社 1969
  • トマス・ケリー『内なる光 信仰の遺言』小泉文子共訳 教文館 1999

参考[ソースを編集]

  • 『神と人とのあいだ』著者紹介 
  • 朝日新聞訃報 

キリスト教 教派 文献リスト

キリスト教 教派 文献リスト



■クエーカー


  • 岩橋武夫『クェーカーの思想と実践』同文舘・1949 ※国会
  • ヴァイニング夫人『ウィリアム・ペン 民主主義の先駆者』高橋たね訳/岩波新書・1950 ※皇太子(現天皇)の家庭教師を勤めたヴァイニング夫人の著
  • ハワード・ブリントン『創造的礼拜』岩橋武夫訳/フレンド・センター・1953
  • *小泉一郎編『私の信仰』基督友会日本年会・1956◇
  • ハワード・H・ブリントン『基督友會の實踐』鞍馬菊枝訳/基督友會日本年會・1955◇
  • ハワード・H・ブリントン『クェーカー三百年史――その信仰の本質と実践』高橋雪子訳/基督友会日本年会・1961◇◆
  • 石橋義彦『あるクエーカーの生涯』精興社・1975
  • エルフリダ・ヴィポイント『クエーカーの信仰に生きた人々』鞍馬菊枝訳/基督友会日本年会・1976◇
  • エスター・B・ローズ記念出版委員会編『一クエーカーの足跡――エスター・B・ローズを偲んで』キリスト友会日本年会・1980 ※LALA物資救援活動の代表者の一人で皇太子(現天皇)の二代目家庭教師を務めたクエーカー女性
  • ハワード・H・ブリントン『クエーカーの宗教哲学』鞍馬菊枝訳/キリスト友会日本年会・1985◇
  • ルファス・M・ジョンズ『真実に生きるジョージ・フォックス物語』佐久間寅之助訳/平井眞美館・1991
  • マーガレット・ホープ・ベイコン『フェミニズムの母たち――アメリカのクエーカー女性の物語』岩田澄江訳/未來社・1993 ※Margaret Hope Bacon, Mothers of Feminism: The Story of Quaker Woman in America, Harper & Row, 1986
  • エリザベス・グレイ・ヴァイニング『皇太子の窓』小泉一郎訳/文藝春秋・1952/1989 ※Elizabeth Gray Vining, Windows for the Crown Prince, 1952
  • 村田邦子『アメリカ教育理念の形成――植民期ペンシルヴェニア・クエーカー研究』亜紀書房・1993 ※筑波大学教育学博士論文。日本語書誌が詳しい◆
  • ルイス・ベンスン『クエーカー信仰の本質――創始者ジョージ・フォックスのメッセージ』小泉文子訳/教文館・1994
  • 山本 通『近代英国実業家たちの世界――資本主義とクエイカー派』同文舘出版・1994 ※英国経済とクエーカー◆
  • トマス・ファーカー『愛の共同体を――クエーカーの家族、ミーティング、フレンズスクールに求められるもの』キリスト友会日本年会・1997◇
  • 西村裕美『小羊の戦い――17世紀クェイカー運動の宗教思想』未來社・1998
  • *『日本友会の歴史――宣教七十年後から』キリスト友会日本年会・1997◇
  • ワイダー・クエーカー・フェロシップおよびアメリカン・フレンズ奉仕団共編『永遠なる泉を汲みて』渡辺昭雄、渡辺宣子共訳/キリスト友会日本年会・1999◇
  • トマス・ケリー『内なる光――信仰の遺言』小泉文子訳/教文館・1999
  • *小泉一郎『友会徒 小泉一郎の残した預言』小泉文子編・2000◇
  • 『友(THE FRIEND)』キリスト友会日本年会機関誌◇◆
  • Friends World Committee for Consultation(フレンズ世界協議委員会 http://www.fwccworld.org/

     自伝
  • ハーバート・V・ニコルソン『やぎのおじさん行状記――キリストの愛の軌跡』湖浜 馨訳/暮しの光社/伝道文書販売センター(発売)・1974 ※Herbert Victor Nicholson, 1892-1983
  • ハーバート・ニコルソン『やぎの大使――悲しむ者みなに慰めを』瀬谷広一訳/木魂社・1990