2016/10/31

内田樹 - Wikipedia

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内田樹

内田 樹
生誕1950年9月30日(66歳)
日本の旗 日本東京都
公式サイト内田樹の研究室
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内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本哲学研究者コラムニスト思想家倫理学者武道家翻訳家神戸女学院大学名誉教授京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。
東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学位は修士東京都立大学1980年)。合気道七段、居合道三段、杖道三段[1]
専門はフランス現代思想だが[2]、取り上げるテーマはユダヤ人問題から映画論、武道論まで幅広い。

経歴[編集]

東京都大田区下丸子に生まれ育つ(父親は19歳で家を出て満鉄に入社[3]戦時中は政府機関に所属した。[要出典]戦後、サラリーマンを経て会社を経営し、[要出典]日中友好協会の会員になった[4])。
1963年大田区立東調布第三小学校を卒業、1966年大田区立矢口中学校卒業1966年東京都立日比谷高等学校に入学[5]。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた[6]。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数ヶ月後に親に謝罪し家に戻った[7]
1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学教養学部文科III類入学。1975年3月、同大学文学部仏文科を卒業。指導教官は菅野昭正[5][7]
1975年12月、合気道自由が丘道場に入門し多田宏に師事する。1977年1月、平川克美を社長とし内田を取締役として[要出典]翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を設立[5][8]
1977年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程フランス文学専攻)に入学。入学後も会社経営を続けた。修士論文はモーリス・ブランショ、指導教官は足立和浩1980年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程に進学。ブランショと影響関係のある哲学者として、エマニュエル・レヴィナスの名を初めて知る。たまたま手にとった『困難な自由』の最初のテクスト「倫理と精神」を読んで衝撃を受け、「この人についてゆこう」と決心する[5]
1982年4月、東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退。東京都立大学人文学部助手(フランス文学専攻)となる[5]。1985年9月、レヴィナスの訳書『困難な自由』を国文社から刊行。1987年9月、レヴィナスに面会[5]1989年に離婚[9]、娘の内田るんと父子家庭になる[10][11][注 1]
1990年神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授となる[5]。1997年2月、観世流下川宜長に入門、仕舞を習い始める。2001年3月、初めての単著となる『ためらいの倫理学』(冬弓舎)を刊行。2009年、再婚[12]。同年11月、『日本辺境論』(新潮新書)を刊行[注 2]。2010年7月から2012年11月まで[要出典]平松邦夫大阪市長のもとで市長特別顧問を務める[15]
2011年3月、神戸女学院大学教授を退職[16]。同大学名誉教授[17]。同大学の合気道部顧問を継続して務める[18]。同年4月、第3回伊丹十三賞を受賞[19]。同年11月、神戸市東灘区住吉本町に道場能舞台の「凱風館」が完成[20][21][注 3]、館長を務める[22]。2015年4月、京都精華大学人文学部客員教授に就任[23][2]

思想[編集]

政治的な立場[編集]

自由民主党公明党による連立政権である安倍内閣に対して、独裁[24]という強い表現を使って反対の立場を表明している。『しんぶん赤旗』のインタビューで、「共産党に期待することは、マルクスの教えのもっとも本質的なところ、すなわち『ものごとを根底的にとらえる』という意味でラディカルな政党であってほしいということです」と述べている[25]

憲法観と自衛隊について[編集]

憲法9条の改訂には反対であるが、自身の憲法観と自衛隊についての考え方は「いわゆる『護憲派』のそれとはだいぶ違っている」という。憲法九条自衛隊を「双子的制度」と呼び、この2つは「アメリカのイニシアティヴのもとに戦後日本社会が狡知をこらして作り上げた『歴史上もっとも巧妙な政治的妥協』の一つである」、「憲法九条と自衛隊が『リアル』に拮抗している限り、日本は世界でも例外的に『安全な』国でいられると私は信じている」と述べている[26]。共著に『9条どうでしょう』(毎日新聞社)がある。
すばる』2007年1月号で高橋源一郎矢作俊彦と対談した際、矢作の「有事に現自衛隊法では自衛隊員は銃を撃つこともできない、こういった「あいまいさ」は関東軍と同様で危険だ」という意見に対し、「日本人は原理原則が行動原理ではないので、憲法もあいまいなままでよい」と主張した。

教育問題における立場[編集]

教育/学習については、その効果は予見的に測定不可能である、との立場をとっている。「事後的に有用性が明らかになるモノを先見的に拾っておく」感性について繰り返し述べており、「その教育/学習はどのような効果が見込まれるのか」という問いを厳しく批判している。この観点から、アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対している。[要出典]
教育行政については、一貫して[要出典]政治や政治家は教育に関わるべきではないとする立場をとっている。学校教育という制度が、非常に惰性の強い制度であって、急激な変更はなじまないと考えている。つまり、政治家が替わるごとに教育に急激な変化が起こるのは、決して良いものではないという考えである。たとえば、大阪市長特別顧問に就任した際の記者会見において、平松市長に対してこう述べている。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです」[27]。この“政治が教育行政に関わりすぎるべきではない”という点において、大阪維新の会の教育政策には批判的である[注 4]
公立中学校での武道の必修化について
公立中学校での武道必修化については反対の立場である[28]。なぜなら、その目的が礼節や愛国心を身につけるためという功利的なものだからである。礼儀正しく振る舞うのは、手段であり目的ではない。したがって、武道の必修化では手段と目的が逆転しており、武道に対する敬意を欠いている、と主張する。

「市民的成熟」と国民国家の関係について[編集]

内田は、国民国家は擬制であり本質的に恣意的な構築物であると考えているが、国民国家がきちんと機能するためには、「それがあたかも自然物であるかのように、天来のもの、神授のものであるかのように、ふるまってみせる必要」があり、それができることが市民的成熟の1つの条件であると思っているという。国旗国歌に対しても「適切にふるまう」ことができるのが成熟した国民国家成員の条件であるとしている。「国民国家とは何か」について各人が自己責任において思量することこそが国民国家成員にとっては不可避の義務であり、それは自分の代わりに他人に考えてもらうことではないし、他人に命令されることでもないと内田は考えているという。そして、「国民国家は擬制であり、私事である」ということをわきまえた上で、なおかつ国民国家以外の選択肢がないときに、「これをどのように気分のよいものにすべきか、とまずは手元足元の工夫から始める人」のことを内田は「成熟した市民」と呼んでおり、内田によればそれが「標準的な『市民的成熟』の階梯」であるという。「この健全な市民への成熟の行程」への妨げになるがゆえに、内田は国旗国歌に対する業務命令や法的強制に原則的につねに反対してきたのだという[29]

格差社会論批判[編集]

格差社会論を一貫して批判し続けている。格差社会は裏返せば拝金主義であり、金のことなど気にしなければ良い、と主張している[30][出典無効]
特に内田が問題視するのは朝日新聞の「ロスト・ジェネレーション」論を始めとする、「ロスト・ジェネレーション」と「団塊の世代」の世代間格差を問題視する論であり、内田は格差社会論は全てこのような「資源の不当な収奪への異議申し立て」であると定義し、こうした議論については徹底的な批判を加えている。その論法は教育論におけるそれと同様、「ロスト・ジェネレーション」の内面が「ロスト・ジェネレーション」の問題を創り出しているというものである[31][出典無効]

学力低下論[編集]

同学齢集団内の競争というシステムが、「他人のパフォーマンスを下げる」という相対優位の戦略を取らせると主張している。学力低下問題では、大学の入学定員の多さが学力低下の一因であるという指摘を認めず、逆に「大学教育によって高校までの教育の不完全さを補っているのだ」との論陣を張った[32][出典無効]教育問題については、以前は現場の教員の指導能力に教育問題の元凶を求める論調が強かった。しかし、講演会などを通して、現場の教員との交流が始まった後は、むしろ教育行政や保護者・児童・生徒の教育観を問題視する立場にシフトしている。[要出典]「勉強すれば、金になる」という利益誘導のロジックが学校教育を覆い尽くし、親・教師・メディア・政治家もそのロジックを主張したせいで、日本の子どもたちが学習意欲を失ったと主張している[33]安倍政権が成立させた教育関連三法案には、断固反対の態度を貫いた。また、中央教育審議会文部科学省の施策には、批判的ことが多い。[要出典]

地球温暖化問題について[編集]

温暖化二酸化炭素の間の因果関係はまだ科学的には証明されていない、と2007年に述べている。氷期間氷期を交互に経験する地球は現在は「間氷期」にあり、いずれは氷期が訪れて動植物が激減すると内田は考えているため、「温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないか」と考えているという[34]

「ナイアガラー」として[編集]

1976年3月に野沢温泉スキー場で「楽しい夜更かし」を聴いたのが、大瀧詠一の音楽を最初に経験した機会であったという。以後37年間、内田は忠実な「ナイアガラー」として過ごしたと2013年に述べている[35][36]
内田は「ナイアガラー」の語義を次のように説明している。「『ナイアガラー』というのは、大瀧詠一さんが実践してきた音楽活動(には限定されないもろもろの活動)をフォローすることを人生の一大欣快事とする人々の総称です。」「ナイアガラーは『日本のフリーメーソン』であるから、どこで知り合っても『私、ナイアガラーなんです』とカミングアウトすればたちまち百年来の知己となることができる。これは他のミュージシャンにはあまりないことである。」[37][38]
2005年8月19日に大瀧と初めて会う[35][注 5]。2007年から2013年までの間、「ラジオデイズ」のオーディオ・コンテンツとして大瀧との座談会を平川克美らと共に計6回行った[39]

ブログ[編集]

「内田樹の研究室」というブログを運営している[40]著書の多くは、このブログのテキストを編集者がテーマ別に編集したものである。[要出典]
ためらいの倫理学』など初期の著作は、ブログに移行する前にウェブサイト(1998年開設)に掲載された文章が収録されている。[要出典]『ためらいの倫理学』は、冬弓舎の内浦亨が内田のサイトのテキストを発見したことから刊行された[41]
かつてブログにはコメント機能が設けられていた。しばしば主張への批判や反論が書き込まれていたが、本人からの反批判や再反論は少なかった。これについて内田は、「どちらが正しいかは読んだ人の判断に任せる」との立場を取っていた[要出典][注 6]
「書くことの目的が生計を立てるではなく、一人でも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」との考えから、ネット上で公開した自身のテクストについては「著作権放棄」の考えを示しており、他人が剽窃によって収入を得ることも容認すると2009年に述べている[43]。一方、講演については謝礼が必要(ノーギャラは仕事のクオリティを認めていない)としている[44]

著書[編集]

単著[編集]

タイトル出版社出版年月ISBN備考
および文庫版
1ためらいの倫理学冬弓舎2001年3月ISBN 4925220020角川文庫 ISBN 4043707010
2『レヴィナスと愛の現象学』せりか書房2001年12月ISBN 4796702369文春文庫 ISBN 4167801485
3「おじさん」的思考晶文社2002年4月ISBN 4794965303角川文庫 ISBN 4043707053
4寝ながら学べる構造主義文春新書2002年6月ISBN 4166602519
5期間限定の思想―「おじさん」的思考2晶文社2002年11月ISBN 4794965494角川文庫 ISBN 4043707061
6『女は何を欲望するか?』径書房2002年11月ISBN 4770501803角川oneテーマ21 ISBN 4047100900
7『私の身体(からだ)は頭がいい』新曜社2003年5月ISBN 4788508478文春文庫 ISBN 4167717441
8『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川書店2003年5月ISBN 4048838199角川文庫 ISBN 4043707037
9映画の構造分析晶文社2003年6月ISBN 4794965753文春文庫 ISBN 4167801256
10子どもは判ってくれない洋泉社2003年9月ISBN 4896917596文春文庫 ISBN 978-4167679910
11『他者と死者』海鳥社2004年10月ISBN 4874154980文春文庫 ISBN 4167801493
12『死と身体』医学書院2004年10月ISBN 4260333666
13『街場の現代思想』NTT出版2004年7月ISBN 4757140754文春文庫 ISBN 4167717735
14先生はえらいちくまプリマー新書2005年1月ISBN 4480687025
15『街場のアメリカ論』NTT出版2005年10月ISBN 475714119X文春文庫 ISBN 4167773686
16『知に働けば蔵が建つ』文藝春秋2005年11月ISBN 4163677003文春文庫 ISBN 4167753138
17態度が悪くてすみません角川oneテーマ212006年4月ISBN 4047100323
18私家版・ユダヤ文化論文春新書2006年7月ISBN 4166605194第6回小林秀雄賞受賞
19『下流志向』講談社2007年1月ISBN 4062138271講談社文庫 ISBN 4062763990
20『狼少年のパラドクス』朝日新聞出版2007年2月ISBN 4023303771改題『街場の大学論』
角川文庫 2010年10月 ISBN 4043707045
21『街場の中国論』ミシマ社2007年6月ISBN 4903908003増補版 ミシマ社 2011年2月 ISBN 4903908259
22村上春樹にご用心アルテス
パブリッシング
2007年9月ISBN 4903951006
23『もういちど村上春樹にご用心』2010年11月ISBN 4903951375『村上春樹にご用心』の増補版(削除された文章もあり)
文春文庫 ISBN 4167902591
24『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文藝春秋2008年1月ISBN 4163696903文春文庫 ISBN 4167801159
25『こんな日本でよかったね』バジリコ2008年7月ISBN 4862380964文春文庫 ISBN 4167773074
26『街場の教育論』ミシマ社2008年11月ISBN 4903908100
27『昭和のエートス』バジリコ2008年12月ISBN 4862381189文春文庫 ISBN 4167838087
28『日本辺境論』新潮新書2009年11月ISBN 41061033622010年度新書大賞受賞
29『邪悪なものの鎮め方』バジリコ2010年1月ISBN 486238160X文春文庫 ISBN 4167900157
30『街場のマンガ論』小学館2010年4月ISBN 4778037170小学館文庫 ISBN 9784094060218
31『街場のメディア論』光文社新書2010年8月ISBN 4334035779
32『武道的思考』筑摩選書2010年10月ISBN 4480015078
33『最終講義』技術評論社2011年6月ISBN 4774147095
34うほほいシネクラブ―街場の映画論文春新書2011年10月ISBN 4166608266
35『呪いの時代』新潮社2011年11月ISBN 4103300116新潮文庫 ISBN 4101260613
36『街場の読書論』太田出版2012年4月ISBN 4778312880
37『僕の住まい論』新潮社2012年7月ISBN 4103300124新潮文庫 ISBN 4101260621
38街場の文体論ミシマ社2012年7月ISBN 4903908364
39『修業論』光文社新書2013年7月ISBN 4334037542
40『内田樹による内田樹』140B2013年9月ISBN 4903993183
41『街場の憂国論』晶文社2013年10月ISBN 4794968116
42『日本の身体』新潮社2014年5月ISBN 4103300132
43『街場の共同体論』潮出版社2014年6月ISBN 4267019800
44憲法の「空語」を充たすためにかもがわ出版2014年8月ISBN 4780307139
45街場の戦争論ミシマ社2014年10月ISBN 4903908577
46『内田樹の大市民講座』朝日新聞出版2014年11月ISBN 4022512342
47『もういちど村上春樹にご用心』文藝春秋2014年12月ISBN 4167902591
48『最終講義 生き延びるための七講』文藝春秋2015年6月ISBN 416790389X
49『困難な成熟』夜間飛行2015年9月ISBN 4906790208
50『街場の文体論』文藝春秋2016年3月ISBN 4167905809

共著・編著[編集]

タイトル共著者出版社出版年月ISBN備考
および文庫版
1『映画は死んだ』松下正己いなほ書房1999年12月ISBN 479520599X新版 ISBN 4434034871
2『現代思想のパフォーマンス』難波江和英松柏社2000年4月ISBN 4881989324光文社新書 ISBN 433403277X
3『大人は愉しい』鈴木晶冬弓舎2002年6月ISBN 4925220063ちくま文庫 ISBN 4480423559
4『東京ファイテイングキッズ』平川克美柏書房2004年10月ISBN 4760126252朝日文庫 ISBN 4022615311
5『東京ファイティングキッズ・リターン』バジリコ2006年11月ISBN 4862380344文春文庫 ISBN 4167773376
6『いきなりはじめる浄土真宗
―インターネット持仏堂1』
釈徹宗本願寺出版社2005年3月ISBN 4894167778角川ソフィア文庫 ISBN 4044089043
7『はじめたばかりの浄土真宗
―インターネット持仏堂2』
ISBN 4894167786角川ソフィア文庫 ISBN 4044089051
8『14歳の子を持つ親たちへ』名越康文新潮新書2005年4月ISBN 4106101122
9『身体(からだ)の言い分』池上六朗毎日新聞社2005年7月ISBN 4620317314
10『健全な肉体に狂気は宿る』春日武彦角川oneテーマ212005年8月ISBN 4047100064
119条どうでしょう小田嶋隆
平川克美
町山智浩
毎日新聞社2006年3月ISBN 4620317608ちくま文庫 ISBN 4480429948
12身体知―身体が教えてくれること三砂ちづるバジリコ2006年4月ISBN 4862380050講談社プラスアルファ文庫
ISBN 4062813947
13『身体を通して時代を読む―武術的立場』甲野善紀バジリコ2006年6月ISBN 4862380034文春文庫 ISBN 4167773988
14『逆立ち日本論』養老孟司新潮選書2007年5月ISBN 4106035782
15『合気道とラグビーを貫くもの
次世代の身体論』
平尾剛朝日新書2007年9月ISBN 4022731648
16『大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた』鷲田清一プレジデント社2008年10月ISBN 4833418886文春文庫 ISBN 4167838540
17『橋本治と内田樹』橋本治筑摩書房2008年11月ISBN 4480814981ちくま文庫 ISBN 4480428488
18『現代霊性論』釈徹宗講談社2010年2月ISBN 4062159546講談社文庫 ISBN 4062775166
19『現代人の祈り―呪いと祝い』釈徹宗
名越康文
サンガ2010年ISBN 4904507592サンガ新書
ISBN 4904507975
20『おせっかい教育論』鷲田清一
釈徹宗
平松邦夫
140B2010年ISBN 4903993108
21『沈む日本を愛せますか』高橋源一郎ロッキング・オン2010年ISBN 4860520939文春文庫
ISBN 4167901102
22『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』2012年ISBN 4860521080
23『若者よ、マルクスを読もう』石川康宏かもがわ出版2010年6月ISBN 4780303605角川ソフィア文庫 ISBN 4044086125
24『若者よ、マルクスを読もうⅡ』2014年9月ISBN 4780307147
25『大津波と原発』中沢新一
平川克美
朝日新聞出版2011年5月ISBN 4022508744
26『身体で考える。』成瀬雅春マキノ出版2011年6月ISBN 4837671594
27『橋下主義(ハシズム)を許すな!』山口二郎
香山リカ
薬師院仁志
マキノ出版2011年11月ISBN 482841651X
28『原発と祈り』名越康文
橋口いくよ
メディアファクトリー2011年12月ISBN 4840143269
29『大人の作法』2013年3月ISBN 4840151261
30『本当の仕事の作法』2014年3月ISBN 4040663500
31『嘘みたいな本当の話
日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』
高橋源一郎共選
浅井愛
イースト・プレス2011年6月ISBN 4781606237文春文庫 ISBN 4167903229
32『嘘みたいな本当の話 みどり
日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』
2012年6月ISBN 4781608000
33『日本の文脈』中沢新一角川書店2012年1月ISBN 404110078X
34『辺境ラジオ』名越康文
西靖
140B2012年9月ISBN 4903993132
35『荒天の武学』光岡英稔集英社新書2012年12月ISBN 4087206718
36『評価と贈与の経済学』岡田斗司夫徳間書店2013年2月ISBN 4198635676徳間文庫カレッジ
ISBN 4199070265
37『脱グローバル論
―日本の未来のつくりかた』
中島岳志
小田嶋隆
他4名
講談社2013年6月ISBN 4062184273
38『聖地巡礼 ビギニング』釈徹宗東京書籍2013年8月ISBN 4487806380
39『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』2015年3月ISBN 4487806399
40『能はこんなに面白い!』観世清和小学館2013年9月ISBN 4093883114
41『一神教と国家
イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』
中田考集英社新書2014年2月ISBN 4087207250
42『街場の五輪論』小田嶋隆
平川克美
朝日新聞出版2014年2月ISBN 4022511486
43『街場の憂国会議』小田嶋隆
想田和弘
ほか7名
晶文社2014年5月ISBN 4794968140
44『日本霊性論』釈徹宗NHK出版新書2014年8月ISBN 4140884428
45竹と樹のマンガ文化論竹宮惠子小学館新書2014年12月ISBN 4098252228
46『日本戦後史論』白井聡徳間書店2015年2月ISBN 419863906X
47『慨世の遠吠え』鈴木邦男鹿砦社2015年3月ISBN 4846310388
48『日本の反知性主義』白井聡
高橋源一郎
ほか7名
晶文社2015年3月ISBN 4794968183
49『ぼくたち日本の味方です』高橋源一郎文藝春秋2015年11月ISBN 4167904934
50『「意地悪」化する日本』福島瑞穂岩波書店2015年12月ISBN 4000610988
51『生存教室 ディストピアを生き抜くために』光岡英稔集英社2016年1月ISBN 4087208168
52『転換期を生きるきみたちへ』岡田憲治他9名晶文社2016年7月ISBN 978-4794968258
インタビュー・その他
タイトル共著者出版社出版年月ISBN備考
および文庫版
1『生きる意味を教えてください
―命をめぐる対話』
田口ランディ
他8名
バジリコ2008年3月ISBN 4862380727
2『悪党の金言』足立倫行
他8名
集英社新書2009年1月ISBN 4087204758
3『この国はどこで間違えたのか
―沖縄と福島から見えた日本』
小熊英二
他6名
徳間書店2012年11月ISBN 4198635099
4『医療につける薬 内田樹・鷲田清一に聴く』岩田健太郎
鷲田清一
筑摩選書2014年6月ISBN 4480015965
5『学校英語教育は何のため?』江利川春雄
鳥飼玖美子
他2名
ひつじ書房2014年7月ISBN 4894767279

翻訳[編集]

  1. レヴィナス『困難な自由―ユダヤ教についての試論』(国文社 1985年、抄訳)ISBN 9784772000925
  2. レヴィナス『超越・外傷・神曲―存在論を超えて』合田正人共編訳(国文社 1986年)
  3. ノーマン・コーン『シオン賢者の議定書(プロトコール)―ユダヤ人世界征服陰謀の神話』(ダイナミックセラーズ 1986年)
  4. レヴィナス『タルムード四講話』(国文社 1987年)
  5. ジェフリー・メールマン『巨匠たちの聖痕―フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』(国文社 1987年)
  6. ベルナール=アンリ・レヴィ『フランス・イデオロギー』(国文社 1989年)
  7. レヴィナス『タルムード新五講話―神聖から聖潔へ』(国文社 1990年)
  8. レヴィナス『暴力と聖性―レヴィナスは語る』(国文社 1991年)
  9. レヴィナス『モーリス・ブランショ』(国文社 1992年)
  10. サロモン・マルカ『レヴィナスを読む』(国文社 1996年)
  11. レヴィナス『観念に到来する神について』(国文社 1997年)
  12. 『ユダヤ教―過去と未来』R.アロン,A.ネエール,V.マルカ(ヨルダン社 1998年)
  13. コリン・デイヴィス『レヴィナス序説』(国文社 2000年)
  14. 『ヒチコック×ジジェク』スラヴォイ・ジジェク編 鈴木晶共訳(河出書房新社 2005年)

ダウンロード・コンテンツ[編集]

USTREAMアーカイブ[編集]

  • 「内田樹・平川克美の、たぶん月刊『はなし半分』」 ラジオデイズ(2011.8.17配信)[47]
  • 「内田樹・中沢新一・平川克美『いま、日本に何が起きているのか』 ラジオデイズ(2011.4.5配信)[48]
後に『大津波と原発』内田樹,中沢新一,平川克美(朝日新聞出版 2011年)として出版された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 内田るんは2002年よりライブイベントを企画しており、その模様を「ラヴラヴ企画のブログ」に綴っている。
  2. ^ コラムニストの加藤嘉一によると、現代日本人を理解するテキストとして、中国の大学では、ルース・ベネディクト著『菊と刀』とともに『日本辺境論』が親しまれているという[13]。内田は、はじめから中国や韓国の読者に読まれることを前提として、本書を書いたと述べている。同書は2010年2月に第3回新書大賞を受賞し、1年弱の間に30万部を突破した[14]
  3. ^ 設計者の光嶋裕介が「建築家一年生の初仕事」として刊行している(ISBN 978-4903951560)。
  4. ^ 今日は、維新の会が提案した教育基本条例案の理論的な難点を指摘していきたいと思っていますが、最大の問題点は、この条例案は「学校教育というのは非常に惰性の強いシステムであって、頻繁な変更になじまない」という現場の人間にとっての常識を理解していないということです[27]
  5. ^ このとき行われた対談は『文藝別冊 KAWADE夢ムック 大瀧詠一』(河出書房新社、2005年11月)に収録された。
  6. ^ 内田は「言論の自由」がテーマのブログ記事で次のように述べた。「言論の自由とは、私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。ただそれだけのことである」[42]

出典[編集]

^ 第1回 矛盾の中へ|かんかん! -看護師のためのwebマガジン by 医学書院-
^ a b 内田 樹 | 京都精華大学
^街場の戦争論ミシマ社、2014年10月、89頁。
^https://twitter.com/levinassien/status/768705484165480448
^ a b c d e f g 内田樹「おもいつき的研究史」2000年4月。(2013年7月9日時点のアーカイブ
^ 内田樹の研究室: 吉田城君追悼文脱稿
^ a b教育学術新聞 : 教育学術オンライン 第2420号」 日本私立大学協会、2010年11月。
^ リナックスカフェ:スタッフ紹介(2016年5月13日時点のアーカイブ
^ 内田樹氏 女性と付き合う時は「ボーっとしているのが一番」│NEWSポストセブン(『週刊ポスト』2012年3月2日号、小学館)
^ 内田るん | アーティストプロフィール | ラジオデイズ
^ 内田樹「凱風館日乗」第5回、ミシマ社、2013年に5月
^ just married (内田樹の研究室)
^ 加藤嘉一の「だったら、お前がやれ!Ⅱ」思考停止のニッポンをぶった切る
^ 内田樹『日本辺境論』|特設サイト|新潮社
^ 内田 樹氏を市長特別顧問に委嘱します(2011年11月29日時点のアーカイブ) 大阪市公式ホームページ
^ 年末吉例・2011年の重大ニュース (内田樹の研究室)
^ 思考も組織も「株式会社化」 神戸女学院大名誉教授・内田樹さんに聞く|高知新聞
^ 「旬な人」に密着【第3回】内田樹(思想家) – FRIDAYデジタル
^ 伊丹十三記念館 伊丹十三賞 第3回受賞者(2011年)
^ 凱風館 - アクセス
^ ほぼ日刊イトイ新聞 - みんなの家。(「凱風館」建設の記録)
^資本主義末期の国民国家のかたち (内田樹の研究室)”. 内田樹. 2016年7月25日閲覧。
^ 京都精華大学人文学部客員教授に養老孟司氏と内田 樹氏の就任が新たに決定 | 京都精華大学人文学部
^ “神戸女学院大学名誉教授 内田樹さん これを「独裁」と呼ぶのです”. しんぶん赤旗日曜版. (2014年3月16日) 2015年7月14日閲覧。
^ “「無国籍企業」のために国民に犠牲強いるのは筋違いです”. しんぶん赤旗. (2013年5月31日)2015年7月14日閲覧。
^夜霧よ今夜もクロコダイル-2001年5月”. 内田樹. 2016年7月25日閲覧。
^ a b 平松さんの支援集会で話したこと (内田樹の研究室 2011年11月24日)
^ 「親と子の居場所はどこにあるのか」 『潮』2013年2月号、潮出版社、84頁。
^「リアリスト」に未来はあるか? (内田樹の研究室)”. 内田樹. 2016年7月25日閲覧。
^ 格差社会って何だろう (内田樹の研究室 2007年7月24日)
^ 東京でお仕事 (内田樹の研究室 2007年5月1日)
^ 一億総学力低下時代 (内田樹の研究室 2006年11月22日)
^ 利益誘導教育の蹉跌 (内田樹の研究室 2012年5月11日)
^地球温暖化で何か問題でも? (内田樹の研究室)”. 内田樹. 2016年7月26日閲覧。
^ a b大瀧詠一の系譜学 (内田樹の研究室)”. 内田樹. 2016年7月26日閲覧。
^ 「楽しい夜更し」は1975年5月発売のアルバム『NIAGARA MOON』に収録された楽曲
^ 内田樹『態度が悪くてすみません角川oneテーマ21、角川書店、2006年4月、202頁。
^ Back to 1960s (内田樹の研究室 2008年1月14日)
^シリーズ一覧”. 株式会社ラジオカフェ. 2016年7月26日閲覧。
^内田樹の研究室”. 内田樹. 2016年7月31日閲覧。
^とほほの日々-2000年8月”. 2016年7月31日閲覧。
^ 言論の自由について再論 (内田樹の研究室 2015年7月1日)
^ 書物について (内田樹の研究室 2009年4月5日)
^ 配偶者の条件 (内田樹の研究室 2009年10月18日)
^ イー・エー・ユー株式会社
^ 内田樹 | アーティストプロフィール | ラジオデイズ
^ 内田樹・平川克美の、たぶん月刊「はなし半分」
^ 内田樹・中沢新一・平川克美「いま、日本に何が起きているのか」
外部リンク[編集]
内田樹の研究室
内田樹の研究室 旧ホームページ - ウェイバックマシン(2014年7月6日アーカイブ分)
内田樹 (@levinassien) - Twitter
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内田樹&名越康文の辺境ラジオ
ラジオデイズ「内田樹」

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2016/10/30

2011 <함석헌과 한국 기독교①>한국교회는 왜 ‘함석헌’을 배척했나 - 시사ON

<함석헌과 한국 기독교①>한국교회는 왜 ‘함석헌’을 배척했나 - 시사ON



<함석헌과 한국 기독교①>한국교회는 왜 ‘함석헌’을 배척했나
비폭력 평화주의자 함석헌의 근본정신은 ‘예수정신’
함석헌 교권교리 거부하자 보수교단 이단으로 치부
퀘이커에서 노자까지…종교다원주의·상대주의 정립
함석헌 영원한 자유인…‘생명평화공동체’ 구현이 꿈
2011년 06월 20일 (월)최신형 기자  ceo707@sisaon.co.kr
(시사오늘, 시사ON, 시사온=최신형 기자)

‘파란 눈의 오똑한 코, 금발 머리를 한 백인의 남성….’ 우리들의 머릿속에 그려지는 예수의 모습이다. 누가 강요한 것은 아니지만, 이 같은 형상이 그동안 우리의 의식을 지배한 것도 사실이다.

그러나 팔레스타인 지방에서 태어난 예수는 결코 파란 눈의 오똑한 코, 금발 머리를 한 백인의 모습과는 거리가 멀다. 오히려 전형적인 셈족의 모습인 담황갈색의 피부와 검은 머리, 검은 눈에 더 가깝다.

물론 그 누구도 실제 예수의 상(像)을 알지 못한다. 다만 이런 의문을 통해 그간 사실이라고 여겼던 내적 기억을 밖으로 끄집어 내보자는 것이다. 진리의 발견은 우리가 사실이라고 믿었던 것을 의심하는 데서 시작하기 때문이다.

함석헌(1901∼1989)에 대한 재평가 작업이 필요한 이유도 이 때문이다. 비폭력 평화주의자로 알려진 함석헌 선생 앞에는 민주화운동가 독립운동가 종교사상가 언론인 등의 수식어가 따라다니지만, 함석헌의 이 모든 사상을 포괄하는 핵심정신은 ‘예수 그리스도’다.

그러나 과거에도 주류는 아니었고 지금도 마찬가지다. 함석헌은 기성 교단의 교리와 전통을 거부한 채 교회 밖에서 개개인의 인격의 변화를 꾀하는 자속(自贖)신앙을 주창했다.

비주류를 자처했던 그는 1950년대부터 예수의 정신이 결여된 한국교회를 신랄하게 비판했다. 함석헌은 지난 1956년 장준하가 발행하던 <사상계>에 ‘한국 기독교 무엇을 하려는가’라는 기고문을 통해 정통 기독교를 권력만 쫓은 채 윤리의식이 결여된 종교라고, 또 1971년 <씨알의 소리>에서는 교회가 샤머니즘적이며 교파의 분열을 꾀한다고 맹비난했다.

2011년 보수 대형교회가 안고 있는 정교유착, 패권주의, 양적성장주의, 기복주의, 엘리트주의, 신비주의 등을 이미 60여년 전에 간파한 셈이다. 때문에 정통 교단은 함석헌을 불편하게 여겼다. 결국 함석헌은 ‘이단’의 낙인이 찍혀버린 채 대다수 교단으로부터 배척당했다.

  
▲ 1977년 3월 22일 3·1 민주구국 선언 후 침묵하며 행진하는 함석헌 선생(앞줄 오른쪽에서 두 번째).<이하 사진제공=(사)함석헌 기념사업회>

‘퀘이커’ 함석헌, 그가 꿈꾸던 것은? 

“함석헌 선생이 당시 보수 교단으로부터 인정받지 못했던 이유는 무교회주의를 추구했기 때문입니다. 일본의 우치무라 간조의 영향은 받은 함석헌은 무교회주의를 통해 교회의 제도와 교권, 예배의 형식 등을 거부했습니다. 표피적인 껍데기를 버리고 예수의 근본정신으로 돌아가자는 것이죠. 제도를 중시하는 교권주의자들은 참된 예수의 정신을 늘 등한시하지 않습니까.(김경재 한신대 명예교수)”

함석헌이 처음부터 무교회주의를 추구한 것은 아니었다. 함석헌은 1924년 동경고등사범학교에 입학하기 전까지는 장로교 집안에서 자랐고 세례까지 받았다. 그러던 중 그는 일본의 무교회주의를 창시한 우치무라 간조를 만나면서 신앙의 전환점을 갖게 된다.

함석헌은 교회 밖에서 예수의 진리를 추구하는 무교회를 접한 뒤 1927년 7월 김교신 송두용 정상훈 양인성 류석동 등과 함께 <성서조선>이라는 동인지를 창간하는데, 함석헌이 ‘성서적 입장에서 본 조선역사’를 쓴 것도 이 무렵이다.

하지만 일본제국은 1942년 김교신의 ‘조와(弔蛙)’라는 글이 개구리의 죽음을 통해 조선민족의 소생을 표현했다는 이유로 <성서조선>을 폐간시켰고, 함석헌 김교신 유달영 등 18명은 서대문형무소에 1년간 투옥된다. 

흥미로운 대목은 함석헌이 무교회주의를 넘어 또 다른 예수의 정신을 찾기 위해 길을 떠났다는 사실이다. 그는 1953년 7월 4일 ‘대선언’이라는 시를 통해 “나는 더 이상 무교회에 머무를 수 없다. 우치무라 간조의 하나님이 아니라 내 하나님을 찾아야 하는 게 아니냐”며 신앙적 변화를 꾀한다. 이 때문에 기존의 무교회주의자도 함석헌을 멀리했고, 이후 그는 한국의 퀘이커(Quaker)를 만난다. 

한명숙 전 국무총리의 남편인 박성준 성공회대학교 교수의 종교로 널리 알려진 퀘이커는 형식을 배격하는 측면에서 무교회주의와 비슷하지만, 그 신앙의 출발점은 다른 것으로 알려져 있다.

정현필 (사)함석헌기념사업회 사무국장은  <시사오늘>과의 인터뷰에서 양자의 차이에 대해



무교회주의는 일본에서 시작됐기 때문에 사무라이 정신이 남아있는, 어떻게 하면 철저하게 구원의 길로 갈 수 있느냐에 초점이 맞춰져 있는데 반해, 



퀘이커는 루터가 종교개혁을 할 당시 개신교의 한 종파로 나왔다. 퀘이커들은 각각의 사람에게 내재돼 있는 내면의 빛을 통해 하나님과의 교감을 추구한다”고 말했다.

이어 “퀘이커는 전쟁에 반대하는 비폭력주의를 주장하는 등 세계평화운동을 중시하는데, 함석헌 선생이 이런 부분에 많이 끌린 거 같다. 신앙의 현실에 안주하지 않고 끊임없이 예수를 향해 정진하는 것, 그것이 함석헌 정신”이라고 말했다.

김경재 한신대학교 명예교수도 <시사오늘>과의 전화통화에서 함석헌 정신과 관련, “함석헌은 교권과 교리, 교회 건물의 크기, 교인 수 등을 신앙의 비본질적 요소로 규정한 채 다원주의를 통해 열린 종교의 자세를 취했다”면서 “요한복음에 나오는 사마리아 여인이 예수를 만난 뒤 동네 사람들한테 달려가 이 같은 사실을 알렸듯이 함석헌도 삶의 현장에서 예수의 영성과 생명을 전하며 권위의 껍데기를 던져 버렸다”고 밝혔다.

그러나 지금도 퀘이커에 대한 정통 보수교단의 시선은 곱지 않은 것으로 전해졌다. 남오성 교회개혁실천 연대 사무국장은 기자와의 전화통화에서“기성 보수 개신교는 퀘이커 자체를 모를 것”이라며 “보수정서라는 게 일단 거부하고 보지 않느냐. 그들은 포용의 입장에서 사안을 보지 않는다”고 꼬집었다.

  
▲ 왼쪽부터 유달영, 함석헌, 다석 유영모 선생.<사진제공=(사)함석헌 기념사업회>

종교다원주의에 쏠린 두 개의 시선

“구원의 길은 오직 예수, 한분 밖에 없습니다. 여러분 믿으시면 ‘아멘’하시기 바랍니다. 오늘따라 왜 목소리가 작습니까. ‘아멘’이라고 하는 자에게 복이 있을지어다.” 매주일 개신교에서 행해지는 설교의 풍경이다.

기독교는 유일신 사상이다. 때문에 요한복음 4장 12절을 강조한다. “다른이로서는 구원을 얻을 수 없나니 천하 인간에 구원을 얻을만한 다른 이름을 우리에게 주신 일이 없음이니라 하였더라.”

종교다원주의에 대한 보수 교단의 금기, 그것은 어제오늘의 일은 아니다. 지난 1991년 변선환 감리교신학대학 학장이 “교회 밖에도 구원이 있다”고 말하자, 감리교는 금란교회(김홍도 목사)에서 교단 법정최고형인 출교 처분을 내렸다. 또 변 학장은 동시에 목사직은 물론, 감리교인의 자격도 박탈당했다. 그로부터 4년 후인 1995년 8월 8일 변 학장은 이단이라는 멍에를 벗어내지 못한 채 세상을 떠났다.

조용기 여의도순복음교회 원로목사도 2004년 5월 12일 동국대학교 불교대학원 최고위과정의 특강에서 “불교는 불교만의 메시지가 있고, 기독교는 기독교만의 메시지가 있다”고 말해 논란을 일으켰다. 언론은 즉각 “조용기 목사가 다원주의 종교관을 피력했다”며 그의 발언을 주목했다. 논란이 일파만파로 퍼지자 조 목사는 그 주 설교시간에 “자신은 그런 취지로 말한 게 아니다. 구원은 오직 예수밖에 없다”고 해명한 바 있다.

그만큼 종교다원주의는 보수 개신교의 뜨거운 감자다. 종교다원주의에 대한 일부 신학자들의 긍정적인 평가에도 불구하고, 지금도 미국의 복음주의 신학을 받아들인 보수 교단에서는 이단의 첫 번째 구별방법으로 종교다원주의를 꺼낸다. ‘구원의 길이 예수밖에 없는가, 아니면 다른 종교에도 있는가’ 라는 기독교 순혈주의의 문제는 여전히 평형선을 달리는 논쟁거리인 셈이다. 

이 같은 논란과는 별개로 함석헌은 퀘이커에서 그치지 않고 동양의 노자, 공자, 석가 등을 끌어안으며 종교다원주의를 추구했다. 한마디로 동서양을 아우르는 종교사상가의 삶을 걸었다는 얘기다.

함석헌은 종교다원주의를 통해 타종교와 상생할 수 있는 ‘상대적 종교관’을 전했지만, 보수 교단은 여전히 종교다원주의를 배척하고 있다. 보수 교단에서 함석헌을 목회자로 인정하지 않는 이유도 이 때문이다.

김경재 한신대 명예교수는 기성 교단이 종교다원주의를 배척한 이유에 대해 “보수 기독교는 종교다원주의라는 말만 들어도 자기 방어적인 본능이 발동하고 있다. 기독교만이 계시종교라고 주장한 채 나머지 종교를 무시하는 것은 시대착오적인 독선과 독단”이라며 “이슬람, 불교 등 타종교에도 문명과 선함, 양심, 예술 등이 각각 들어있지 않느냐. 종교가 진리에 이르는 길은 문화적 다양성을 추구할 때만 가능하다. 지금은 서구문화제국주의 시대가 아니다”고 일침을 놓았다.

정현필 (사)함석헌기념사업회 사무국장은 “함석헌 선생은 노자 공자 석가 등의 사상을 받아들이는 등 계속 진보해 나갔다. 배타성을 가지고 구분 짓는 것을 거부한 것”이라며 “예수의 사상과 타종교 간의 진정한 대화를 통해 신앙과 삶의 혼연일체를 꿈꾸는, 교권에 대한 속박이 아닌 진리와 자유를 향한 생명평화공동체의 구현을 시작한 것”이라고 말했다.

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<함석헌과 한국 기독교②>한국교회의 위기…다시 ‘함석헌’을 생각한다
개신교, ‘대형화·기복주의·엘리트주의’…물신주의 총집합
한국교회와는 반대길 걸은 ‘함석헌’ 주목…‘생명평화사상’
김경재 교수 “대형교회, 권력화위해 예수이름 팔고 있다”
함석헌 저항에 담긴 의미…“자유와 민중 사랑했기 때문”
2011년 06월 21일 (화)최신형 기자  ceo707@sisaon.co.kr
(시사오늘, 시사ON, 시사온=최신형 기자)

한국교회의 위기론이 대두되고 있다. 2000억 원대의 예배당 신축을 둘러싼 사랑의교회 특혜 의혹, 삼일교회 청년부흥을 이끌었던 전병욱 목사의 성추행, 여의도순복음교회 조용기 원로목사의 교회 사유화 논란, 한국기독교총연합회(한기총)의 금권선거 의혹, 사찰 땅밟기 등이 잇따라 불거지자 위기론이 더욱 증폭될 태세다.

이 같은 교회의 공공성 실추는 기독교만이 절대 진리라는 ‘절대주의’, 모든 일은 하나님의 개입이라며 비판을 막아버리는 ‘신비주의’, 복의 근원을 강조한 나머지 교회의 양적성장과 엘리트주의에 끊임없이 정당성을 부여하는 ‘기복주의’와 맞물려 반(反)기독교 정서에 불을 지피고 있다.

한마디로 얘기하면, 한국교회가 물신주의에 지배당하고 있다는 얘기다. 지금의 개신교와는 반대의 길을 걸었던 함석헌 선생을, 그의 씨알(민중)사상과 생명평화사상을 주목해야하는 이유도 이 때문이다.

  
▲ 지난 1950년 군산에서 퀘이커 봉사단과 함께 봉사를 하고 있는 함석헌 선생의 모습.<사진제공=(사)함석헌 기념사업회>

대형교회와 기복신앙, 그리고 함석헌


“함석헌 선생이 양적성장에 골몰된 오늘날의 대형교회를 본다면, 과연 어떤 말을 했을까요. 마음 아파했을 테지요. 함 선생은 평생 조직에 속해있지 않았습니다. 모든 인간은 조직에서 소속감을 느껴야 더 안정감을 갖잖아요. 근데 함 선생은 조직보다 사람의 원초적인 자유를 사랑하고 추구했습니다. 스스로 뻗어나가는 자유를 소중히 여긴 거죠.(정현필 (사)함석헌기념사업회 사무국장)”

대형교회의 신축건물을 바라보는 시선은 두 가지다. “뭐가 어때. 그게 문제가 되는 거야. 남의 집 짓는데 웬 참견이야. 기도하자, 원래 방해세력들이 많은 법이거든.” vs “무엇을 위해서 수천억 원씩 돈을 써가며 건물을 짓느냐. 세금이나 내라.” 이쯤 되면 같은 사안을 놓고 평행선을 달리고 있는 셈이다.

대형교회 논란에 불을 지른 것은 사랑의교회’ 신축을 둘러싼 특혜 의혹이다. 사랑의교회는 1978년 창립된 이래 평신도훈련에 집중하며 타교회의 모범으로 자리 잡았다. 한국교회가 부자세습 논란에 직격탄을 맞았을 당시인 2003년에도 옥한흠 목사는 오정현 목사에게 담임목사 자리를 넘겼다. 적어도 지난해 12월 신축건물 특혜 의혹이 불거지기 전까지 사랑의교회는 가장 모범적인 교회 중 하나였다.

김경재 한신대 명예교수는 <시사오늘>과의 인터뷰에서 교회의 대형화와 관련, “신도들의 전도를 통해 교회가 양적성장을 이룬 것을 누가 뭐라고 하겠나. 문제는 그리스도인들이 의무를 도외시한 채 ‘양적성장이 축복’이라는 생각에 사로잡혀 있다는 것”이라며 “대형교회들은 신축하기 전, 사회적 약자들을 위해 무엇을 했는가 되돌아봐야 한다. 지금의 대형교회들은 자신들의 권력화를 위해 예수의 이름을 팔고 있다”고 직격탄을 날렸다.

남오성 교회개혁실천연대 사무국장도 본지와의 전화통화에서 “더 큰 교회, 더 커지고 싶은 교회에 대한 선호현상이 교회 대형화로 이어지고 있다”면서 “신자유주의의 이념이 신앙을 먹어 삼켰기 때문에 한국교회가 물신주의로 질주하고 있다. 거기서 개신교의 많은 문제가 촉발된다”고 꼬집었다.

초호화판 건물 짓기에 혈안이 되는 것도 문제지만, 더 큰 문제는 교회들 역시 공사의 속도전을 위해 법집행 과정을 무시한다는 데 있다. ‘교회=정치권력’, ‘교회=재벌’이라는 비판이 나오는 이유다.

사랑의교회 역시 특혜 논란에서 자유롭지 못하다. 출석교인 4만 5000명(등록교인 9만 명)에 달하는 사랑의교회는 2009년 대법원 맞은편에 위치한 부지(2025평)를 대림산업으로부터 1100억 원에 매입, 이듬해 6월 20일 기공식을 가졌다.

하지만 지난 3월 사랑의교회가 서초구의 공공도로인 참나리길 지하를 점유해 예배당 용도로 사용하고 있다는 사실이 드러났고, 교회건축을 위해 공공도로의 지하점유를 허용한 선례를 남기게 돼 향후 대형교회들의 신축과정에서 공공재산 침해가 반복될 가능성도 배제할 수 없다.

특히 시민사회단체는 사랑의교회 건축허가 사전승인과정에 서울시와 시의회, 서초구, 한나라당 L의원 등이 개입했다며 의심의 눈초리를 거두지 못하고 있다.

  
▲ 효봉스님과 함석헌 선생(오른쪽).<사진제공=(사)함석헌 기념사업회>

교회개혁, 함석헌의 ‘씨알정신’으로 


교회의 ‘묻지마식 신축’은 개신교에 대한 신뢰하락과 교인수의 감소로 이어졌다. 기독교윤리실천운동(기윤실)이 지난해 12월 14일 공개한 ‘2010 한국교회의 사회적 신뢰도 조사’ 결과를 보면, ‘한국교회를 신뢰하지 않는다’라고 답한 층이 무려 48.4%였다. 이는 전년대비 14.9%가 증가한 수치다.

반면, 신뢰한다고 답한 층은 17.6%(2009년 19.1%), 보통은 33.8%(2009년 47.4%)로 조사됐다. 또 가장 신뢰하는 종교기관을 묻는 질문에서도 개신교는 20.0%로, 가톨릭(41.4%)-불교(33.5%)에 미치지 못했다. 종교별 호감도 역시 가톨릭 35.5%-불교 32.5%-개신교 22.4% 순이었다.

뿐만 아니라 개신교인도 감소하고 있다. 통계청이 2005년 발표한 ‘인구총주택조사’에 따르면(2010년 종교인구 미조사)개신교 인구는 862만 명(18.3%)으로, 10년 전에 비해 14만 명이 감소했다. 반면 불교는 22.8%, 천주교는 10.9%였는데, 두 종교 모두 상승 추세를 보였다.

흥미로운 대목은 개신교에 다니는 국회의원들의 비율이 일반 인구대비 2배가 넘는다는 점이다. 18대 총선이 끝난 직후 한기총은 299명의 여야의원들 중 개신교인이 119명(약40%)에 달한다고 밝혔다. 정치권을 보는 일반국민들의 시선은 부정적이다. 신뢰받지 못하고 있는 개신교와 정치가 결합한 결과, “종교와 정치가 유착할 수밖에 없지 않느냐”는 일종의 냉소가 우리 사회를 지배하고 있다는 얘기다.

김경재 한신대 명예교수는 이와 관련, “교회의 대형화, 물신주의, 기복주의 등은 교회의 본래적인 역할이 아니다. 교회가 예수의 본래 정신에서 탈선하다보니까 자꾸 권력을 쫓는 것”이라며 “대형교회들이 비판받는 이유는 이런 물신에 사로잡혀있는 신앙 때문이다. 뒤에선 정치적, 사회적 힘과 재력을 이용하고, 앞에선 진리를 설교하면 설득력이 있겠는가. 종교지도자들은 일반인들보다 청빈해야 하고, 교인들은 교회의 근본적인 변화를 위해 비판할 수 있어야 한다”고 꼬집었다.

일각에서는 교회에 세금을 부과해 사회적 책임을 강화해야 한다고 주장한다. 실제로 세법에는 종교단체와 종교인에 대한 과세 규정이 없다. 하지만 2011년 현재까지 그간의 관행대로 비과세다. “소득 있는 곳에 세금 있다”라는 조세의 원칙도 적용되지 않는 셈이다.

남오성 교회개혁실천연대 사무국장은 종교과세와 관련해 “교회 등 종교단체는 이익을 추구하는 집단이 아니기 때문에 세금을 낼 필요가 없다”면서도 “목회자 등 종교인들은 당연히 세금을 내야한다”고 말했다.

김경재 한신대 명예교수는 부패한 한국교회의 총체적인 원인으로 ‘함석헌 정신’의 결여를 꼽았다. 김 교수는 “기존의 한국 기독교는 예수의 본래적 정신과 영성, 그리고 복음에서 이탈했다”면서 “예수의 참된 영성보다는 물질적인 것에 집착하는 것이 문제다. 예수의 근본정신으로 돌아갈 것을 주장했던 함석헌 선생의 정신이 필요한 시점”이라고 말했다.

“함석헌 정신의 핵심은 생명평화와 씨알사상입니다. 함석헌 선생이 이승만 박정희 전두환 등 독재정권에 저항했던 것도 평화와 생명, 그리고 민중을 사랑했기 때문입니다. 씨알은 스스로가 역사의 주체임을 믿기 때문에 인간 내면의 자유를 탄압하는 모든 악과 싸우지만, 비폭력 저항을 추구합니다. 또한 씨알은 선을 혼자서 행하지  않고, 같이 살기운동을 추구합니다. 그것이 함석헌 정신입니다. (정현필 (사)함석헌기념사업회 사무국장)”

"'좋은 책방' 해도 굶지 않는다는 것 보여주겠다"

"'좋은 책방' 해도 굶지 않는다는 것 보여주겠다"



"'좋은 책방' 해도 굶지 않는다는 것 보여주겠다"

2008.02.28
"'좋은 책방' 해도 굶지 않는다는 것 보여주겠다"
성현석 기자


[인터뷰] '길담서원' 연 박성준 성공회대 교수

인왕산이 보이는 서울 통인동 거리에는 큰 건물이 없다. 오종종한 건물들이 들어찬 거리를 지나다보면, 이곳이 청와대에서 가깝다는 점을 떠올리기가 쉽지 않다. 하지만 슬슬 걷다 보면 툭툭 마주치곤 하는 굳은 표정의 전경들이 가까이서 뿜어져 나오는 권력의 기운을 문득 깨닫게 한다.

오후 내내 날리던 눈발 사이로 비친 전경들의 눈빛이 유독 삼엄하던 25일, 청와대의 주인이 바뀌었다. 경제 살리기를 내세워 당선된 기업인 출신 대통령이 그 자리를 차지하게 됐다.


그리고 같은 날, 통인동 골목에서 작은 책방이 문을 열었다. 물론 이 두 사건은 아무런 관계가 없다.

드디어 '바깥사람'이 되다

다만 공통점이 있다면, 책방 주인 역시 청와대의 새 주인만큼이나 이날을 기다렸다는 점이다. 선한 눈빛을 가진 예순 아홉 살 책방 주인은 "올해부터 '바깥사람'이 돼 보려고 한다"고 말했다.

오랫동안 그는 '안사람'이었다. 부인인 한명숙 전 총리의 대외활동을 가정에서 돕는다는 뜻에서 '안사람'이지만, 그것만으로는 '바깥사람'이라는 낱말과 함께 그의 입가에 번지던 미소를 온전히 설명하지 못한다.

40년 전인 1968년, 이십대의 끝자락에 서 있던 그는 통혁당 사건으로 투옥됐다. 대학 연합 동아리의 동료였던 한명숙 전 총리와 갓 결혼해 한창 신혼의 단꿈에 젖어 있을 때였다. 그리고 13년이 넘는 세월 동안 감옥 안에 갇혀 지냈다. 이런 뜻에서도 그는 오랫동안 '안사람'이었다.

'바깥'에 대한 동경이 그의 내면에 얼마나 깊숙이 자리하고 있을지 짐작하는 게 어렵지 않다.

언론 보도를 꾸준히 접했던 독자라면, 이쯤에서 책방 주인의 이름을 떠올릴 수 있다. 그는 박성준 성공회대 NGO대학원 교수다. 그의 존재는 정치인 한명숙에게 꼬리표처럼 따라다녔다. 서로를 존중하는 평등한 부부의 표상으로, 오랜 수감생활 속에서도 변하지 않는 굳은 신뢰와 사랑의 표본으로 이들 부부는 종종 언론의 주목을 받았다.

하지만 이처럼 따뜻한 눈길만 있었던 것은 아니다. 40년 전, 이들 부부를 갈라놓았던 통혁당 사건은 보수 언론이 색깔 공세를 펴기 위해 종종 들먹인 소재였다.

길에서 툭툭 마주치는 사람들, 그들이 '시대의 주인'이다


▲ 길담서원을 연 박성준 성공회대 교수. ⓒ프레시안

그래서인지 개업 준비로 분주하던 22일, 책방에서 만난 그는 무척 조심스러웠다. 낱말 하나하나를 신중하게 골라서 쓰는 티가 역력했다. 우선 책방 이름에 대해 물었다. "왜 '길담서원'이죠?"

"친한 후배 부부가 제안한 것입니다. 우리 아이 이름이 '길'입니다. 후배 부부 아이 이름이 '담'이고요. 이 두 글자를 합쳐서 책방 이름을 짓자는 제안이었죠. '길담서원'이라는 이름을 불러보니, 울림이 참 좋았습니다. 그래서 그렇게 정했습니다."

한곳에 뿌리내지 않고 '길'만 따라 걷는 삶이 가볍고 얇다면, '담' 안에서만 머무른 삶은 좁고 무겁다. 통인동 골목을 걷다보면, 간혹 '담'이 '길'을 막고 있거나 '길'이 '담'을 뚫고 지나는 경우를 보게 되지만, '길'과 '담'이 꼭 서로 맞서기만 하는 것은 아닐 게다.

한명숙 전 총리를 '바깥사람'이라 부르는 그에겐 '안과 바깥'의 구분도 이와 비슷하다.

"사람에게 안과 바깥의 역할이 기계적으로 나뉘는 것은 아니라고 봅니다. 안과 바깥을 수시로 넘나들면서 서로 잘 할 수 있는 일을 해야죠. 올해가 제게는 60대의 마지막 해입니다. 동양 사람들은 열자리씩 끊어서 나이를 구분하는데 익숙하죠. 60대는 바깥에서 새로운 일을 도모할 수 있는 나이입니다. 이제 저도 세상에 대해 조금씩 이야기를 해볼까 합니다.

게다가 올해는 민주 정부 10년 역사가 막을 내린 시점이기도 합니다. 그리고 그동안 쌓인 지혜는 이미 많이 소모돼 버렸습니다. 그래서 앞으로 다가올 시대에 대해서는 누구도 쉽게 전망하지 못합니다.

새로운 시대에 성격을 부여하고, 방향성을 만들어 가는 게 누구일까요? 흔히 권력을 가진 이들이 시대를 만들어 간다고 합니다. 하지만 저는 그렇게 보지 않습니다. 국민이 권력자를 올려다보면서, 불가항력적으로 끌려가는 시대는 지나갔다고 봅니다.

평범한 시민 한 사람, 한 사람이 '시대의 주인'이 될 수 있습니다. 이 시대를 살아가는 사람 하나하나가 스스로 주인이 돼서, 방향을 찾아가야 합니다. 어떤 훌륭한 사람이 갑자기 나타나기를 기다리거나, 어디선가 좋은 게 뚝 떨어지길 기다려서는 안 됩니다. 시민 스스로가 시대를 만들어 가야지요."

"정말 책 읽을 겨를이 없습니까?"

주로 담 안에 머물던 그가 이제 길에 나서겠다는 뜻으로 들렸다. 길에서 만나는 평범한 사람들, 그들에게 이야기를 건네겠다는 뜻으로도 들렸다.

하지만 바깥에서 나눈 대화는 종종 바람결에 흩어진다. 안과 바깥을 수시로 넘나들겠다고 한 이유도 그래서일 게다. 길을 걸으며, 보고 들은 것들은 담장 안에서의 사색을 통해서만 숙성된다. 그리고 이런 숙성의 결과는 다시 길을 따라 걷는 여행을 풍요롭게 한다. 물론 이런 숙성을 돕는 재료는 책이다.

"작은 책방 하나를 제대로 만들어가는 것은 매우 의미 있는 일이라고 봅니다. 작지만, 좋은 책방을 곳곳에서 만날 수 있는 사회가 갖고 있는 문화의 힘은 간단치 않습니다. 언제부터인가 평범한 시민이 좋은 책을 읽는 모습을 찾기 힘들어졌습니다. 아예 이런 가능성 자체를 잊어버린 듯합니다. 좋은 책을 읽는 것은 아주 특수한 부류만 하는 일처럼 돼 버렸습니다. 심지어 시민운동가들조차 책을 읽지 않습니다. 책 읽을 겨를이 없다고 하지요.

그런데 정말 겨를이 없을까요. 그렇지 않다고 봅니다. 책 읽을 겨를이 있다는 생각을 못할 뿐입니다. 저부터가 그렇습니다. 하지만 이제 바뀌어야 합니다. 물론 혼자서는 못 바꾸지요. 그러나 함께하면 됩니다. 좋은 책을 함께 읽는 운동을 벌이고 싶습니다."

대학가에 책방을 내지 않은 이유


▲ 서울 통인동에 있는 길담서원 입구. (02-730-9949) ⓒ프레시안

'길담서원'은 인문학 서점이다. 그리고 무턱대고 많은 책을 팔기 위한 곳이 아니라, '좋은 책'을 골라서 권하는 곳이 되려 한다.

그런데 이와 비슷한 사례가 없었던 것은 아니다. 대학가 사회과학 서점이 대개 그랬다. 하지만 1980년대에 융성했던 대학가 사회과학 서점은 이제 거의 몰락했다. 몇 곳만 간신히 살아남아 명맥을 유지하고 있을 뿐이다.

"대학가에 책방을 낼 생각을 해 본 적은 한 번도 없습니다. 지금도 전혀 없어요. 책방에 드나드는 사람이 대학생으로 한정돼서는 안 된다는 생각 때문입니다. 평범한 시민들이 들르는 책방을 만들고 싶었습니다. 대학가가 아니라 통인동에 자리 잡은 것도 그래서이지요.

왜 하필 통인동이냐고요? 처음부터 이곳을 고른 것은 아니었습니다. 제가 동원할 수 있는 자본금의 한계를 벗어나는 후보지를 하나씩 지워가다보니, 결국 통인동만 남더군요. 이곳은 개발제한지역이라 임대료가 싸거든요.

결과적으로 보면, 아주 잘 한 결정이라고 생각합니다. 이 동네에는 시민단체도 많고, 정부 기관이나 연구소, 언론사도 있습니다. 그밖에도 아주 다양한 사람들이 지나다니지요. 게다가 경치도 좋고요. 생활인에게 다가가는 책방을 열겠다는 원래 생각에 잘 어울리는 곳이라고 봅니다.

물론 이런 곳에 책방을 세우면, 망하지 않겠느냐라고 걱정하는 분들도 계십니다. 하지만 저는 '혼자서가 아니라 사람들이 함께하니까 책방이 잘 되는구나'라고 여길 수 있는 사례를 만들고 싶습니다. 그리고 '이런 것 해도 굶어죽지 않는구나'라는 생각을 할 수 있게 하고 싶습니다. '인문학 책방 열어도, 굶지 않는다'라는 생각이 퍼져간다면, 굉장한 결과가 나올 것이라고 봅니다."

"지금, 왜 인문학인가?" 

'인문학'이라는 낱말은 언제부터인가 '굶는다'라는 낱말과 짝을 이뤄 쓰이는 게 됐다. '실용'을 전면에 내세운 현 정권에서라면, 이런 경향이 더 심화될지도 모를 일이다. 하지만 인문학이 홀대받는 것이 새삼스런 일은 아니다. 가난한 시절에는 당장의 밥벌이가 안 된다는 이유로, 먹고살만해졌을 때는 다른 재미있는 게 많다는 이유로, 체제가 불안정할 때는 인문학에 섞이기 마련인 '불온한 상상력'이 거슬린다는 이유로, 늘 외면당했다.

물론 여기에는 인문학자들의 책임이 더 크다. 물질적 생산 활동에 직접 기여하지 않는 인문학이 굳이 필요한 이유를 스스로 설명하지 못하는 경우가 많았기 때문이다. 권력에 기생하는 이데올로그 역할을 하거나, 상아탑의 권위를 빌어 자신들의 작업을 신비화하는 방식으로 비판과 검증에서 도망치기 일쑤였다. 

그래서 인문학은 여유 있는 이들을 위한 '악세사리' 역할에 그치곤 했다. 여유 시간이 넉넉한 대학생이 아니면 쳐다보지 않는 경우가 많았다. 

삶을 근본적으로 되돌아보게 하는 인문학 고유의 역할을 제대로 수행하지 못하고 있는 셈. 그래서 물었다. "지금, 왜 인문학인가?" 

인문학은 배고픈 자들에게 더 절실하다

"우리 사회에서 인문학이 생활인과 동떨어져 있는 게 사실입니다. 사회과학의 경우, 1980년대에 우리에게 큰 영향을 끼쳤습니다. 하지만 인문학은 최근까지도 제대로 주목받지 못했습니다. '인문학의 위기'라는 표현을 통해 오히려 관심을 끌게 됐죠. 인문학이라는 말 자체가 낯설지는 않았지만, 아무래도 우리의 삶과는 동떨어진 것으로 여겨졌지요.

인문학은 말 그대로 인간을 다루는 학문입니다. 그리고 인문학은 우리의 삶이 던지는 물음에 대해 생각하게 하는 것입니다. 우리가 길을 찾도록 돕는 것이지요.

이처럼 인문학의 원래 의미대로라면, 인문학은 평범한 생활인과도 뗄 수 없는 관계를 맺고 있습니다. 누구나 살아가면서, 인문학적인 질문을 품게 되니까요. 다만 우리가 인문학의 존재와 역할에 대해 잊고 지냈을 따름이지요.

그런데 최근, 인문학에 대해 새로운 생각을 하게 됐습니다. 미국의 작가이자 교육자인 얼 쇼리스가 시도한 클레멘트 코스에 대해 알게 되면서이지요. 국내에는 <희망의 인문학>이라는 제목의 책으로 소개된 내용입니다.

얼 쇼리스의 클레멘트 코스는 가난한 이들에게 인문학을 가르치기 위한 것입니다. 가벼운 교양강좌 수준이 아닙니다. 대학 정규 과정 수준의 인문학 고전 교육입니다. 정규 교육을 제대로 받지 못한 빈민들에게 고급 인문학 교육을 한 결과는 놀라운 것이었습니다. 흔히 하는 예상과 달리, 빈민들은 내용을 충분히 소화했습니다. 그리고 더 놀라운 것은 이들이 인문학 교육을 통해 자아에 눈 뜨면서, 가난을 딛고 일어날 힘을 얻었다는 점입니다. 밥벌이와 전혀 무관한 인문학을 통해서 말입니다.

인문학 고전 독서를 통해 의식이 깨어난 그들은 가난에서 벗어났을 뿐 아니라 정치적 주체로 거듭나는데도 성공했습니다. 저는 이런 사례가 빈민들에게만 적용될 수 있다고 보지 않습니다. 평범한 생활인들에게 두루 해당되는 이야기라고 봅니다.

'길담서원'은 책방인 동시에 공부방이 되고자 합니다. 좋은 책을 만날 수 있는 곳이면서, 좋은 책을 함께 읽는 곳이라는 뜻입니다. 이곳에서 인문학 고전을 함께 읽는다면, 얼 쇼리스가 시도한 것과 마찬가지의 결과를 얻을 수 있다고 봅니다. 이런 시도 속에서 위기에 처한 인문학 역시 새로운 길을 찾을 수 있겠지요.

흑인 노예들에게는 성서가 해방의 무기였다

<희망의 인문학>을 읽으며, 가장 인상적인 대목은 성서에 관한 것이었습니다. 미국에서 노예 해방이 이뤄지기 전에, 미국 흑인들에게 단 한 권의 책만 주어졌다고 합니다. 킹 제임스 판 성서입니다. 이 책은 성서의 여러 판본 중에서 대체로 보수적인 언어로 쓰여졌다는 평가를 받습니다. 그런데 이 책을 읽으며, 흑인 노예들이 정치적 각성을 하게 됐다는 것입니다.

성서는 인문학 책이거든요. 아주 인문학적인 책입니다. 그 책 안에 문학, 수사학, 인식론 등 인문학의 거의 모든 게 담겨 있지요. 그런데 이런 인문학적인 독서를 통해 노예들이 스스로의 해방을 향한 정치적 각성을 하게 됐다는 것은 제겐 큰 놀라움 이었습니다.

제게도 비슷한 경험이 있거든요. 수감 생활을 하던 때입니다. 감옥 안으로 들여올 수 있는 책은 무척 제한돼 있습니다. 정치적 성격을 띤 책은 접하기 힘들지요. 그곳에서 읽은 성서는 강렬한 정치적 메시지를 전하는 책이었습니다. 아울러 깊은 인문학적 성찰을 하게 하는 책이기도 했습니다. 시편에 담긴 구절이, 열왕기에 적힌 이스라엘 민족의 역사가 어찌나 강렬하게 다가오던지요. 물론 당시 권력을 장악하고 있던 이들은 전혀 예상할 수 없었던 결과였겠지만요.

보수적 언어로 쓰인 성서가 노예 해방의 정치적 무기가 됐다는 것은 한국 사회에도 시사하는 바가 큽니다. 우리 역사에서도 1919년 3·1운동 이전에는 성서와 기독교가 이런 역할을 했거든요. 성서를 읽으면서, 많은 이들이 '의식의 깨어남'을 경험했습니다. 하지만 그 이후에는 이런 경험이 잘 이뤄지지 않았지요.

한국의 교회가 경직됐기 때문입니다. 성직자들은 특정한 방식으로만 성서를 읽도록 강요합니다. 이래서는 성서의 깊은 뜻을 받아들일 수 없습니다. 신자들은 성서를 달달 외우기만 할 뿐이죠. 오히려 그 과정에서 세뇌를 당하고 있습니다. 의식이 완전히 마비돼 버리는 것입니다.

흑인 노예들이 성서를 읽으며 깨어난 것과 정반대의 상황입니다. 저는 이런 상황이 다시 뒤집어 질 수 있다고 봅니다. 다시 성서가 의식을 깨어나게 하는 책이 될 수 있다고 봅니다.

물론 혼자 힘으로는 불가능하죠. 함께 책을 읽는 것을 통해서 가능하다고 봅니다."

성서를 이데올로기적 수단으로 이용하는 교회

그가 성공회대에서 가르치는 것은 평화학이다. 이는 그가 퀘이커교도라는 사실과 무관하지 않다. 퀘이커교도들은 교회를 짓지 않는다. 성직자를 따로 두지도 않는다. 그리고 다른 사람의 믿음도 존중한다. 자신의 진실만 옳다고 주장하지 않으며, 모든 사람의 내면에는 빛이 있다고 믿는다. 그래서 그들은 독선과 증오 대신 평화를 심으려 한다.


▲ 길담서원이 문을 열던 날, 박성준 교수가 손님들을 보며 웃고 있다. ⓒ프레시안

그는 오랜 수감 생활을 하며, 신학에 눈을 떴다. 철학, 역사 등 인문학의 여러 분야에 대한 치열한 독서의 결과였다. 출소한 뒤, 그는 일본에서 신학으로 박사 학위를 받았다. 이어 그는 미국으로 건너가 퀘이커공동체에서 생활하며 평화에 대해 공부했다. 이런 그가 예수와 성서에 대해 할 말이 많은 것은 당연하다. 하지만 그는 말을 아꼈다.

성서와 기독교에 대한 질문을 거듭 던졌지만, 그는 "다음 기회에"라며 사양했다. 그래도 묻고 싶었다. 출세하려면, 특정 교회를 다녀야 한다는 말이 별 부끄러운 기색 없이 나오는 시대에, 교회가 자녀의 입시 성공과 가장의 승진을 기원하는 곳이 돼 버린 시대에, 성서가 갖는 의미에 대한 질문을 어떻게 빠뜨릴 수 있겠는가.

"성서는 특정한 시대적 상황에서는 흔히 생각하는 것과 다른 기능을 할 수 있습니다. 노예 해방 전에, 흑인 노예들이 성서를 통해 정치적으로 깨어날 수 있었던 것도 이런 맥락에서입니다. 같은 텍스트라도, 누가 어떻게 읽느냐에 따라 전혀 다른 정치적 성격을 가질 수 있습니다.

성서를 읽을 때는, 이런 다양한 가능성을 열어 놓아야 합니다. 그런데 많은 교회에서는 성서를 교리에 맞춰서만 읽습니다. 이렇게 하면, 성서가 가진 풍부한 메시지가 다 죽어버립니다. 신자들에게 성서를 이런 식으로 읽도록 하는 것은 목회자가 갖고 있는 이데올로기를 주입하기 위해 성서에서 억지로 증거를 끌어내려 하는 것과 다를 바 없습니다. 성서를 수단으로 이용하는 것이지요. 아주 잘못된 태도라고 봅니다."

"이곳을 찾는 이는 누구나 주인입니다"

대략 이쯤에서 그는 대답을 멈췄다. 조심스러운 태도로 이야기를 이어가던 그였지만, 특정한 방식으로만 책을 읽도록 하는 태도에 대해서는 몹시 단호하게 거부했다. 이런 입장은 굳이 성서에만 적용되는 게 아니었다. 누군가가 다른 사람들의 생각을 이끌려하면 안 된다는 것이다. 이런 입장은 이야기를 나누는 내내, 견고하게 지켜졌다.

"시민단체가 그동안 많이 발전했습니다만, 여전히 한계가 있다고 봅니다. 지도자 역할을 하는 사람이 있고, 그가 없으면 일이 제대로 되지 않도록 틀 지워져 있습니다. 그리고 대개의 경우, 지도자 역할을 하는 사람의 생각이 조직의 입장으로 관철됩니다. 이는 잘못입니다.

'길담서원'은 특정한 사람의 생각이 우위에 놓이는 곳이 되지 않을 것입니다. 누구나 참여할 수 있고, 어떤 생각이든 존중받는 곳이 될 것입니다."

그래서 그는 앞으로의 계획을 묻는 질문에 대해서도 대답을 아꼈다. 단지 혼자만의 생각이므로, 계획이라고 할 수 없다는 것이다. '길담서원'에 모이는 이들과 함께 결정해야 계획이 될 수 있다는 것.

"'좋은 책 100권 읽기', '아주 좋은 책 100번 읽기'를 '길담서원'에서 하고 싶습니다. 물론 함께하는 것이지요. 하지만 이는 계획이 아니라 제 바람일 뿐입니다. 이곳을 찾는 이들과 토론하고, 이야기를 나누며 계획을 세워가야겠지요. 무슨 일이든, 혼자 하려고 해서는 안 됩니다. 저는 아직 충분한 준비가 안 된 채로 책방을 열려 합니다. 빈자리는 여러 사람이 함께 채워가는 것이지요. 이곳을 찾는 이는 누구나 주인이 될 수 있습니다."

조심스러운 대답이지만, 그가 앞으로 하고 싶어 하는 일에 대한 생각은 엿볼 수 있다. '아이디어' 수준이라고 못 박은 뒤, 그는 더 자세한 이야기를 들려줬다.

"외로운 책읽기, 함께하면 달라요"

"책읽기는 사실 외로운 일입니다. 그리고 지루한 일이도 하죠. 이를 극복할 수 있게 해주는 게 '함께 읽기'입니다.

그런데 책을 함께 읽으려면, 좋은 책을 골라야 합니다. 그리고 사람마다 생각이 다르므로, 단 한 권, 혹은 몇 권만 고르는 것은 무리입니다.

함께 읽으려면 100권 정도를 고르는 게 적당합니다. 하지만 좋은 책 100권을 고르는 일은 결코 간단한 일이 아닙니다. 함께 책을 읽으면서, 목록을 계속 수정해 가야겠지요. 추천도서 목록이라는 게 종종 떠돌지만, 무리의 독서 생활 속에서 검증된 목록은 흔치 않습니다. 여럿이 함께 읽은 결과, 좋은 책이라고 두루 합의된 책 100권을 고르는 일은 그 자체만으로도 큰 의미가 있다고 봅니다.

아주 좋은 책을 여러 번 읽는 일도 큰 의미가 있습니다. 옛말에, 책을 백 번 읽으면 뜻을 저절로 깨우치게 된다고 했습니다.

우리는 책을 대충 읽은 버릇에 이미 깊숙이 젖어 있습니다. 이렇게 '수박 겉 핧기' 식으로 읽어서는 책에 담긴 뜻을 제대로 이해할 수 없습니다. 옛사람들의 독서 습관 중에서도 배울 점이 많습니다. 아주 좋은 책을 신중하게 골라서, 여러 번 읽는 것도 그 중 하나라고 봅니다."

소리를 내고, 몸을 흔들며 책을 읽자

책방 점원 출신 작가인 알베르토 망구엘은 <독서의 역사>라는 책에서 독서 방식의 변화에 대해 자세히 설명했다. 소리 내서 책을 읽는 방식에서 소리 없이 읽는 방식, 이른바 묵독으로 바뀐 게 갖는 의미에 대해서다.

옛 사람들이 책을 읽는 방식에 대해 관심이 많은 그는 소리를 내며 책을 읽는 행위가 갖는 의미를 되살리고 싶어 했다.

"'길담서원' 한 귀퉁이에는 작은 서당이 마련될 것입니다. 그곳에서 함께 소리를 내며 책을 읽기도 하고, 또 누군가가 낭랑한 목소리로 낭독하는 것을 함께 듣기도 할 것입니다.

흔히 생각하는 것과 달리, 책 읽기는 매우 역동적인 행위입니다. 소리를 내고, 몸을 흔들며 책을 읽는 방식은 책에 담긴 뜻을 보다 깊이 이해하게 해줍니다."

이처럼 소리를 내서 책을 읽는 일에 대한 관심은 그가 생각하는 '좋은 책'의 기준과도 관계가 있다. 그가 생각하기에, 좋은 책은 단지 좋은 뜻을 담고 있는 것만으로는 부족하다.

"고전에는 음악이 담겨있습니다"

"좋은 책은 좋은 소리를 담고 있습니다. 좋은 책은 그 자체로 음악입니다. 좋은 문장에는 고유한 리듬이 있기 때문이지요. 책을 눈으로만 읽어서는 이런 리듬을 느낄 수 없습니다. 좋은 소리를 맛볼 수 없습니다.

최근에는 고전을 읽는 사람이 많이 줄었습니다. 책을 꽤 읽는 사람조차 고전을 직접 읽는 것은 부담스러워 하는 경우가 많지요. 대신 해설서나 요약본을 읽곤 합니다. 하지만 이래서는 고전의 맛을 제대로 느낄 수가 없습니다.

고전에 담긴 '좋은 소리'를 맛볼 수 없는 것이지요. 고전은 되도록 원전으로 읽어야 합니다. 그리고 소리를 내서 천천히 읽어가야 합니다. 그래야 문장에서 리듬을 느낄 수 있습니다.

물론 여기서 말하는 고전은 단지 옛날에 나온 책만을 가리키는 게 아닙니다. '고전적 가치'가 있는 책을 뜻합니다. 최근에 나온 책 중에도 '고전적 가치'가 있는 책이 있습니다.

'고전적 가치'가 뭐냐고요? 시대와 장소를 뛰어넘어 인간의 보편적인 물음에 답하고자 하는 책이지요. 이런 책들은 대개 눈으로만 읽어서는 느끼기 힘든 고유한 음악을 담고 있기 마련입니다."

그는 거듭해서 '좋은 책'이라는 표현을 썼다. 그래서 물었다. 간단치 않은 인생 역정을 거치며 만난 '좋은 책' 가운데 어떤 것을 소개하고 싶은지에 대해.

"쉽지 않은 질문입니다. 어느 것을 딱 짚어 이야기하는 것은 무리인 듯합니다. 

우선 꼽자면 역시 성서를 꼽고 싶습니다. 성서를 단지 종교적으로만 이해하는 것은 잘못입니다. 고전으로서의 가치를 듬뿍 담고 있는 책입니다. 저는 젊은 시절, 성서를 만난 것에 대해 아주 감사하고 있습니다. 

그밖에는 역시 젊은 시절, 접했던 마르크스주의 계열의 사회과학 서적들을 꼽고 싶습니다. 이런 책들을 통해, 사회의 구조적인 문제에 대해 고민할 수 있었습니다.

그리고 그 이후는 인간의 내면을 다룬 책들을 주로 읽었는데, 이런 책들도 꼽고 싶습니다."

'잘 팔리는 책'이 아니라 '좋은 책'을 권하는 책방

문득 그가 "최근에 서점에 간 적이 있느냐, 어떤 서점을 자주 이용하느냐"라는 질문을 던졌다. "직장에서 가까운 광화문이나 종로의 대형서점을 종종 들른다"라고 대답했다. "대형서점에 가면 어떻던 가요"라는 물음이 다시 돌아왔다.

"공기가 탁하고, 지나다니는 사람들로 혼잡스러워서 책을 읽거나 구경하기에 썩 좋은 환경은 아닌 듯하다"라고 답했다. 이어 "잘 팔리는 책이 주로 눈에 띄도록 진열해 놓은 것도 좋은 책을 고르고 싶은 입장에선 약간 못마땅하다"라고 덧붙였다. 그의 생각은 비슷하면서, 조금 더 강했다.

"잘 팔리는 책, 이른바 베스트셀러는 좋은 책과 거리가 아주 멉니다. 책방 개업을 준비하면서, 절실하게 느꼈습니다. 출판 도매상으로부터 베스트셀러 목록을 건네받아 살펴봤지만, 대부분 상업적으로 기획한 결과물이라는 생각이 들었습니다. 책을 아끼고 많이 읽는 이들에게서 검증된 좋은 책이 아니라는 것이지요.

실제로 '길담서원'이 닮고 싶은 좋은 책방인 부산의 인디고 서원이나, 서울 대학로의 이음 아트도서에서 추천한 책이 이른바 베스트셀러 목록에 포함된 경우를 거의 찾기 힘들었습니다.

좋은 책방은 백화점이어서는 안 됩니다. 그저 많은 책을 쌓아둔다고 좋은 책방이 되는 게 아니라는 것이지요. '정화점'이 돼야 합니다. 정선된 상품이 전시되는 가게가 돼야 한다는 뜻입니다. 책방을 드나드는 이들이 고르고, 고른 책, 정말 좋다고 인정받은 책이 눈에 잘 띄도록 배치돼야 한다는 것이지요.

그래서 책방을 찾는 이가 책방을 드나드는 이들의 안목과 생각을 느낄 수 있어야 합니다. 책방의 진열대를 보며, '아, 이 책방은 이런 책을 추천 하는구나', '이 책방을 드나드는 사람들은 이런 생각을 갖고 있구나' 하는 생각을 할 수 있어야 합니다.


▲ 길담서원에서 책을 고르는 사람들. ⓒ프레시안

"좋은 책방에는 좋은 사람이 모인다"

좋은 책방은 '잘 팔리는 책'이 아니라 '좋은 책'을 만나게 해주는 곳입니다. '그 책방에 들르면, 좋은 책을 만날 수 있다'라는 기대를 품게 해 주는 곳입니다.

그리고 이런 기대를 품고 있는 이들이 드나드는 책방은 자연스레 '좋은 사람들을 만나는 곳'이 됩니다. 이런 만남이 쌓이면, '좋은 사람들이 모이는 곳'이 되겠지요.

1980년대 말까지만해도, 책을 함께 읽기 위한 모임들이 대학뿐 아니라 사회 곳곳에 꽤 있었습니다. 그런데 언제부터인가 이런 모임들이 확 줄었습니다. 좋은 책과 좋은 사람들을 만날 수 있는 좋은 책방이 줄어든 것도 한 원인이 아닐까 싶습니다.

그리고 좋은 책을 함께 읽기 위한 모임이 곳곳에 생겨난다면, 이는 작가들에게도 훌륭한 자극이 되리라고 봅니다. 소리 내서 읽을 만한 음악성이 담긴, 좋은 글을 쓰는 작가들이 많이 생겨나는 계기가 되리라는 것입니다."

좋은 책을 읽는 모임이 세상을 바꾼다

그는 좋은 책이 있는 곳에 좋은 사람들이 모인다고 말했다. 그리고 '길담서원'이 좋은 책을 함께 읽기 위한 모임이 활성화되는 촉매가 되길 바란다고 덧붙였다.

좋은 책을 함께 읽는 것은 좋은 노래를 함께 부르는 것과 같다. 길 위에서 함께 노래하고, 담장 안에서 함께 책을 읽는 좋은 사람들의 모임들이 철옹성 같던 군사정권에 균열을 냈던 역사가 우리에게는 있다.

힘이 세거나 돈이 많은 사람들이 내는 소리에 질린 이들이라면, 좋은 소리가 있는 책을 만날 수 있는 책방으로 향할 일이다.
성현석 기자

[110] '퀘이커 평화 운동가’ 박성준씨 (read)





[110] '퀘이커 평화 운동가’ 박성준씨 (read)

'퀘이커 평화 운동가’ 박성준씨





[한겨레신문] [기획] 2003년 3월 25일


우리 안위위해 남의 피눈물 어찌 강요하나


박성준(63) 씨는 ‘평화를 외치는 자’라기 보다는 ‘평화로운 자’였다. 조용조용한 음성, 수줍은 듯 따뜻하게 짓는 미소에서 그의 내면이 느껴진다. 퀘이커교도의 영성인 듯싶다. 함석헌 선생 등으로 대표되는 무교회주의인 퀘이커교는 미국과 유럽에서 인종·성 평등과 비폭력 평화운동에 앞장서온 교파다.

그는 성공회대 엔지오대학원에서 평화학을 가르치는 교수, ‘비폭력 평화연대’와 ‘아름다운 가게’의 공동대표, 목사 등 여러 직함이 있지만 ‘퀘이커교도 평화운동가’가 가장 적절한 표현인 듯 싶다.

퀘이커교도는 ‘나 아닌 남에게도 진실이 있다’는 것을 믿는 사람들이며, 다른 사람을 내 신념이나 주장쪽으로 변화시키지 않고, 상대에게서 진리와 아름다움을 발견하려고 애쓴다고 한다.

함께 하나님을 믿으면서도, 자신과 다르면 ‘악’으로 규정짓는 기독교 원리주의자 부시 미국 대통령과는 전혀 다른 삶의 태도인 셈이다.

서울 양천구 신정2동 자택에서 그를 만났다.

그는 미국 퀘이커공동체에서 살고 돌아온 뒤 ‘움직이는 학교’ 활동을 벌이고 있다. 이는 보통의 학교가 아니라 사람이 모인 곳이면 어디서나 할 수 있는 동아리 활동이다. 상대의 말에 온전히 마음을 기울여 듣도록 하는 ‘경청 학교’다. ‘경청’이야말로 갈등과 전쟁을 막을 방법이라고 여기는 그다. 따라서 그는 말하기보다는 경청하길 즐겨한다. 그러나 그가 평화를 원하는 간절함을 담아 모처럼 입을 열었다.

-미국이 이라크를 공격하고 있다. 이 전쟁을 어떻게 보는가.

=‘전쟁’이 아니다. 침략이다. 미국은 유엔의 무기사찰도 무산시키고, 국제사회의 평화적 해결 노력도 허물어버렸다. 국제법상으로도 분명히 불법인 침략이다.

-미국은 이라크가 대량살상무기를 가졌다고 주장하며 침략을 정당화하고 있다.

=이 지구상에서 미국만큼 대량살상무기를 많이 가지고 있는 나라가 있는가. 미국은 이라크를 최첨단 무기 성능시험장으로 만들고 있다. 군수산업의 이익을 도모하고, 석유 이권과 중동에서 패권을 노려 무고한 사람들의 목숨을 제물로 삼고 있다.

-그런 침략을 노무현 대통령이 지지하고, 지원부대를 파견하겠다고 하지 않는가.

=부끄러운 일이다. 이라크전을 지지하는 대신 북한 핵문제의 평화적 해결을 미국으로부터 약속받으려고 하는데, 우리의 안위를 위해 어찌 남에게 피눈물을 강요할 수 있단 말인가. 이런 살육에 참여해놓고 한반도가 위험에 처했을 때 어떻게 국제사회의 도움을 호소할 수 있겠는가. 미국이 국익만을 위해 저렇게 무도한 짓을 하는데, 우리도 국익만을 생각해야 하는가. 어떤 이익도 ‘생명’보다 가치 있는 것은 없다.

-전쟁을 막는 반전운동가가 아닌가. 이번 침략을 막을 방법은 없었을까.

=영국만이라도 주저앉혔어야 했다. 실제 이라크 공격에 참가한 나라는 미국과 영국뿐이다. 만약 영국 국민의 반전 열기가 더욱 거세 국민과 의회 차원에서 불참 결정이 내려졌다면, 미국 홀로 침략을 결행하는 것이 쉽지 않았을 것이다.

-미국민의 70% 이상이 이라크전을 지지하는 여론조사 결과가 보도됐다.

=물음에 따라 조사 결과는 달라질 수 있다. 미국에도 전쟁 반대자들이 적지 않다. 이들이 미국 사회를 바꾸도록 도와야 한다. 미국의 문제는 먼저 그 내부에서 해결해야 한다.


이라크전 남의집일 아닙니다. 힘의논리 패배주의 젖지말고 붉은 함성처럼 떨쳐 일어나야


-‘이라크 다음은 북한’이라는 얘기가 파다하다.

=그렇다. ‘강 건너 불 구경’할 때가 아니다. 설마 설마 하다가 남북한 민중이 떼죽음을 당할 수도 있다. 일본에선 이미 북한이 핵 원자로를 가동하면 미국이 바로 북한을 공격하고, 북한은 미사일로 일본을 공격할 것이라고 믿고 있다. 전쟁이 나면 한·미·일 동맹체제에 따라 일본도 전쟁에 참여할 채비를 하고 있다. 그런데도 우리의 상황 인식은 안이하기 그지없다. 목숨이 경각에 달려있는데도 말이다. 휴전선에서 30~40분 거리에 2천만 명이 밀집해 있다. 전쟁이 나면 원치않아도 우리 모두가 ‘인간 방패’가 될 수밖에 없다.

-한반도에서 전쟁을 막을 방도가 없겠는가. 이라크전에서 이미 봤듯이 미국은 막무가내 아닌가.

=(목소리 톤이 높아지며) 숙명론은 안된다. 우리의 목숨이 달렸고, 한반도의 운명이 걸린 문제다. ‘우리가’ 결정해야 한다.

-부시가 하겠다고 하는 것을 누가 막을 수 있겠는가.

=패배주의는 안된다. 이라크전은 이미 되돌이키기 어렵지만, 한반도 전쟁은 아직 시작되지 않았다. 우리가 어떻게 하느냐에 따라 상황은 달라진다. 국민 절대 다수가 ‘한반도에 전쟁은 없다’는 결론을 내리고, 그 결론을 현실로 만들기 위해 어떻게 해야 할 지를 결정해야 한다.

-전세계의 반전 여론에도 기어코 침공하는 부시가 아닌가.

=월드컵 때 보인 열기라면 부시라도 어쩌지 못할 것이다. 축구를 즐기는데도 그렇게 열을 냈는데, 생사문제에 그보다 힘을 모으지 않는다는 게 될 법이나 한 얘긴가.

-그러나 반전 평화시위가 월드컵 열기에 훨씬 미치지 못하는 게 현실 아닌가.

=(잠시 한 숨을 쉬며) 내놓고 말하기 어렵지만, 말하지 않을 수 없는 게 있다. 운동가들의 운동 방식이다. 문제가 심각하다. 사람들은 소수 운동가들만이 단상에 오르고 카메라 앞에 얼굴을 내밀며 자신을 과시하려는 방식에 더 이상 호응하지 않는다. 소수를 위해 다수가 들러리를 서지 않을 만큼 대중은 이미 달라져 있지만 운동가들은 옛 관성에서 벗어나지 못하고 있다. 이 운동은 이회창이 되느냐, 누무현이 되느냐의 운동 정도가 아니다. 이것은 한민족이 결딴나느냐 사느냐의 문제다. 운동가들이 뼈를 깎는 자기 반성으로 다시 태어나야 한다.

-그러면 어떻게 해야 한다는 말인가.

=월드컵 때 붉은악마 응원과 미군 장갑차 사고 때 촛불시위를 보지 않았는가. 운동가는 뒤에 숨고, 참가자들이 주인이 되게 했다. 그들은 단상과 단하를 구분하지 않았다. 모두 하나 되게 했다. 소수가 마이크를 잡고 다수를 가르치려고 하는 방식이 아니었다. 참여자가 주인이 되어 현장에서 분위기를 자신이 만들어 가니 흥이 날 수밖에 없었다.

-국민의 안일도 큰 문제 아닌가.

=미국 탓만 하고 있을 때가 아니다. 한반도 전쟁은 남의 집 이야기가 아니다. 바로 내 문제다. 그러니 국민 한 사람 한 사람이 자기가 들 촛불 정도는 스스로 들고 거리로 나와야 자신의 생명을 지킬 수 있다. 그리고 이제 미국의 매스컴만이 지배하는 세상이 아니다. 국민도 인터넷을 통해 직접 미국민들에게 우리의 메시지를 전할 수 있다.




글 조연현 기자 cho@hani.co.kr,사진 탁기형 기자 khtak@hani.co.kr