2016/11/13

2016年 キリスト友会 日本年会

2016年 キリスト友会日本年会 
総会プログラムテーマ「賜物を分かち合う」
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 (コリントの信徒への手紙 Ⅰ 121227

20161119日(土)第1日


受付 (鮎沢紀子・鯉淵晃) 9:301000 
開会礼拝   10001020
年会代表書記の挨拶  山本幸子外国からの出席者の紹介   代表書記)山本幸子
裵炫德(ペ・ヒョンドク) 韓国ソウル集会書記年会招待客
韓潔(ハン・ギョル)      韓国ソウル集会
朴世鎮(パク・セジン)   オーストラリア・アデレード月会

話し合い「海外のフレンドとの交流」
                               
司 会    川田敏子(土浦)
10301200
発 題    ㋐韓国大田の修養会に出席し
㋑韓国のクエーカーについて
ポール・バーニエ(東京)裵炫德 (ソウル)
㋒ペルー世界大会からの学び
記 録    亀山和郎(東京)
バッケス幸子(大阪)山田由香里(水戸)
[ 昼食 ]
12001250
事務会 [2016年宗教法人キリスト友会日本年会定期総会]
13101500
.成立事務
(1) 各月会出席者の確認  (総務書記)武田眞知子
(2) 総会運営委員の紹介  (代表書記)山本幸子
黒田秀郎(土浦) 鯉淵博子(土浦) 武田眞知子(総務) 鮎沢紀子(事務局)
(3) 記録者の指名 (代表書記)山本幸子
亀山和郎(東京) 南部雅美(水戸) 後藤久美子(水戸) 伊藤めぐみ(記録書記)武田眞知子(総務書記)
(4) 通訳者(翻訳者)の指名     キム カヨン
ポール・バーニエ(東京) 伊藤めぐみ(東京) 金嘉英(東京)上村尚美(大阪) ジェリー・ヨコタ(大阪)
(5) 一般書簡起草委員の指名 (代表書記)山本幸子ジェリー・ヨコタ(大阪) 浅野房雄(下妻) 鯉淵晃(土浦)ポール・バーニエ(東京) 井上典子(水戸)
.201510月~2016年9月の事業報告・決算報告及び承認
(1) 総務書記の年次報告
(2) 外国友会からの書簡の報告
(3) 委員会報告(教務、出版、国際、社会平和、財務、フレンズセンター)決算報告監査報告
(4) 特別委員会報告(下妻会堂検討委員会・フレンズセンター将来計画委員会)
(5) 月会報告(大阪、下妻、土浦、東京、水戸)
(6) 関係団体報告(愛友園、日本フレンズ奉仕団、しょうとも学園、少友学園、普連土学園)
[お茶の時間]            新会員の紹介                     1500
3.提案および協議                                15201720
(1) 201610月~2017年9月の事業計画及び会計予算案の説明と承認
(2) 2017年~2019年の年会総会開催場所について
20171119日(土)~20日(日)
東京月会
20181117日(土)~18日(日)
水戸月会
20191116日(土)~17日(日)
東京月会
(3) 冨士霊園墓所使用規定について(財務)
(4) 「新渡戸稲造記念講演会」「年会修養会」のありかたについて(教務)
(5) その他
[夕 食]                                         18001850
話し合い「ビジョンのわかちあい」    19002030 司 会      鯉淵博子(土浦)
                                発 題  ㋐フレンズセンター将来計画委員会 布川謙(東京)堤幸彬 (東京)
㋑ヤングフレンズ      山下美聡(東京YF)記 録 南部雅美(水戸)

20161120日(日) 第2日

事務会                                            9:001015
4.提案および協議 (前日の続き)
(5) 一般書簡の原案と承認
(6) その他
日曜礼拝

10301130
写真撮影
担当 鯉淵晃(土浦)

[昼食]

12001300
閉会礼拝

13101320
新渡戸稲造記念講演
日 時
20161120日(日) 14001600
場 所
キリスト友会土浦月会会堂
演 題
「平和の証~ネルソン・マンデラに学ぶ」
講演者
ジェリー・ヨコタ(大阪月会会員
司 会
上村尚美(大阪)

代表書記挨拶

代表書記 山本幸子

今年の年会総会のテーマは「賜物を分かち合う」ということです。それぞれの月会、一人ひとりの会員に賜った特質を、どのように分かち合い、どのようなものとして周囲の人々に伝えていくかが今こそ問われているのではないでしょうか。引用した聖句は「一つの体、多くの部分」という個所です。その中に、「神は見劣りのする部分を一層引き立たせて体を組み立てられました。それで、体に分裂がおこらず各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめばすべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれればすべての部分が共に喜ぶのです。」というところがあります。私たち友会もそのような一つの体として生き、次の世代にも引き継がれていくことを心から願っています。
この夏、私は韓国大田の修養会に行ってまいりました。短い期間でしたが、熱心な韓国のフレンズのお陰で深い話し合いができ、多くのことを学びました。そこで改めて考えさせられたことがあります。それは、英国発祥のクエーカリズムはアジアの地にどのように土着したかということです。そこで読み返したのが渡辺義雄さんの 1974 年新渡戸講演です。「クエーカー主義と土着性」という題です。その中でビアトリス・スネルの言葉を再発見しました。文献があるのはあり難いことです。次に彼女の言葉を一部引用します。
「フレンズはある実在を感得している。これを大抵の者は、その気質又は境遇によって『人格』または『霊』又『存在』と理解する。これは、力、愛、英知の実在であり、それは人間を対象とする伝達性のある実在である。人間においてこれは愛と力とになりまた導きを与えるのである。」「あらゆる人間には、神として知られる実在から出て、またそれに連なっている所のあるもの(something)がある。これにより人は、その力、愛、英知に応え得るのである。」
ここに述べられていることを、私は最近韓国や日本のフレンズたちに接していて強く感じています。私には、これがクエーカリズムの基本ではないかと思われます。この意味において、クエーカリズムには異なる文化圏にいる誰にでも受け入れられる普遍的要素があると認識しています
ややもすると、宗教が対立を呼び紛争の原因になると敬遠されがちな世相ですが、クエーカリズムは「神と人、人と人」を結び付け得るものであると確信します。普段はそれぞれ別の所で活動している私たちが、このように一堂に会して共に祈り、共に話し合うことによって、それぞれの賜物を分かち合うことが出来るのは幸いなことです。そこから私たちは新たなエネルギーを得、多くの問題を解決し、さらには、説得力のある力と愛と英知として、混迷する社会の中で均衡を失いがちな人間共同体に何かを発信していくことが出来るのではないかと思うからです。

報告事項1.総務書記の年次報告

総務書記 武田眞知子年会役員会 第1回2016年2月14日(日)東京月会第2回      6月12日(日) 〃第3回  9月11日(日) 〃
年会総会準備委員会2016年8月21日(日)土浦月会
今年度は役員改選を経て新しい顔ぶれでのスタートとなった。昨年の総会において、フレンズセンターについては年会全体で考えるべき問題であるとの皆さんの合意を得て、「フレンズセンター将来計画委員会」を立ち上げた。布川委員長を中心として6名の会員がフレンズセンター委員会と共にこの問題に取り組んでいる。今年の総会の話し合いの中で「フレンズセンターのビジョン」を年会全体のものとして共に考えていきたい。また、もう一つの特別委員会である「下妻会堂建築推進委員会」は名称を「下妻会堂検討委員会」と変更、新たに井坂雄を委員長として、今後は委員会を不定期開催とし存続することが決定した。
夏には、昨年実現できなかった韓国訪問を少人数ではあったが実行することができた。そのつながりで今年も3名の友をお招きできた。短い時間ではあるが互いの賜物を理解し分かち合うことのできる時間になることを期待したい。

2.書簡書記報告

委員長 ポール・バーニエ
以前は各外国年会より直接、日本年会に書簡が届けられたが、本年よりFWCCがまとめて送信されるようになった。日本年会は、そのリストから日本が所属するAWPS内の書簡と日本年会と関係のある外国年会の書簡を国際委員会が翻訳して、年会事務所を通じて、各月会に送っている。

3.各委員会報告

ア.教務委員会                               委員長 鯉淵博子
(1)        年会修養会
実施しなかった。
(2)        ヤングフレンズの育成
21回ヤングフレンズの集い(東京月会と共催)
開催日 3月12()13() 会 場 東京月会会堂
             テーマ   「フレンドの平和活動」
   46(中高生26、大学・社会人11、会友・会員9)
22回ヤングフレンズの集い(東京月会と共催)開催日     8月6日()~7() 会 場    東京月会会堂
             テーマ    「共に生きる」
              参 加    38(中高生17、大学生・社会人6、会友2、会員13)
(3)        ミドルフレンズの支援第9回ミドルフレンズ会開催日     7月23日(土)~24日(日)会 場 土浦月会
             テーマ    「心の庭」
   11人(大阪2、水戸3、土浦6)
(4)        ワイダークエーカーフェローシップ
第3回ワイダークェーカーの会(東京月会共催)
開 催 日
9月22()
   
東京月会会堂
講演と歌
染谷西郷氏(ミュージシャン)
テ ー マ
「平和と平等をあきらめない」
   
28
() 教務委員会
1月31() 場所:東京月会
出席者:小林照穂、堤幸彬、ジェリー・ヨコタ・鯉淵博子
イ.出版委員会                             委員長 大久保齊子
(1) 「友」発行(年3回)
№300 201630      №301 2016年5月31        №302 2016年9月30
(2) 既刊出版物の扱いをどうするかについて、会員のご意見を参考に考えたい。
ウ.国際委員会                            委員長 バッケス幸子
1.年会総会の発題原稿を英訳した。
2.日本年会の書簡を英訳、年会事務局を通じて、FWCCおよびAWPSに送付した。
3.FWCCおよびAWPSの規約を翻訳した。
4.201610月2日が「世界クエーカーデー」に決まったので、この日の写真をメールでF
WCCと韓国にメールで送信した。
5.FWCCより世界各地の年会書簡がWebで検索出来るようになっている。その中で最近の書簡(レイク・エリ年会、南・中央アフリカ年会・オーストラリア年会)を翻訳した。
6.ペルー・ピサックにて世界フレンズ大会(2016119日~26日)が開催された。日本年会からの出席はなかったが、FWCCより届けられた書簡を翻訳して、日本年会および各月会に送付した。この資料から大会の要趣は理解出来たと思う。
7.AWPS総務書記・ロニス・チャップマンより日本年会・各月会の写真提供の依頼あり、写真と住所・電話等を添付して送信した。
8.翻訳資料が各月会で役立っているかどうか、アンケート調査をした結果、希望があったので翻訳を継続する。各月会で役立てて欲しい。
9.メールで届いたPendle Hill及び QUNOの資料は、日本年会に必要な箇所があれば、その都度委員会で検討、翻訳する。
10.AWPSの指名委員から上村尚美が委員に指名された。
役員会が1027日~30日、香港で開催されるが、上村尚美はSkypeで参加。
エ.社会平和委員会                           委員長 政池節子
1.年会社会平和委員会は下記のとおり3回開催した。
         1月24    4月24    7月24
社会平和委員会が年会として動くため各月会の委員にその地域での活動報告、意見の交換をした。各委員は年会として一致できることをさがした。
2.他団体との交流
4月11日(月)富阪キリスト教センターで平和を実現するキリスト者平和ネット運営委員会に参加した。
3.他集会への参加
3月6日(日)東京大空襲を語り継ぐ集会(於)テイアラこうとう
5月3日(火)憲法集会 (於)有明防災公園 に友会員が参加した。

4.声明書を参議院選挙前に各友会に配布した。

ヨコタ村上孝之 - Wikipedia

ヨコタ村上孝之 - Wikipedia

ヨコタ村上孝之

ヨコタ村上 孝之(ヨコタむらかみ たかゆき、1959年4月5日 - )は日本の比較文学者、ロシア語学者。大阪大学言語文化研究科言語文化国際関係論講座准教授。旧姓名は村上 孝之。自称Takman, Cool Dudeことカッチョマン孝之。

経歴[編集]

1978年六甲高等学校卒業。1982年東京大学教養学部教養学科ロシア分科卒業、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻修士課程入学1984年に修士課程修了。修士論文「ロマンティック・ラブの発見─二葉亭四迷の場合」で文学修士取得。博士課程に進学するが1988年博士課程単位取得退学、大阪大学言語文化部講師。
1990年9月から1992年9月まで日本学術研究会海外特別研究員として米国プリンストン大学比較文学科で研修。1994年、"Don Juan and Iro-otoko: On the Problematics of Comparative Literature"により プリンストン大学にてPh.D.(比較文学)を取得。同年から大阪大学言語文化部助教授、2007年同言語文化研究科准教授。
2007年、『色男の研究』によりサントリー学芸賞(風俗・社会部門)受賞。近代的な「恋愛」よりも、近世的な「色ごと」のほうが優れていると主張している。
ヨコタ村上という苗字は、日系アメリカ人女性ジェリー・ヨコタ(Gerry Yokota; 大阪大学言語文化研究科教授)と米国で結婚した際に創設した結合姓。日本に帰国してから家庭裁判所に申し立てを行い、正式の戸籍名をヨコタ村上と変更し、離婚後も使用している。
日本キリスト友会(クウェーカー教)の会員で、1999年から2009年には、モスクワの国際フレンド・センターの理事を務め、良心的兵役拒否者の支援をするなどの平和活動、孤児の支援などの福祉活動にも取り組んだ(モスクワ国際フレンド・センター「ニューズ」http://friendshousemoscow.org/?page_id=1259)。
2000年5月、当時大阪大学の院生だった女性が研究室でレイプされたとの申告を『週刊新潮』編集部に行い、『週刊新潮』は2008年11月17日号が"「研究室でレイプ」と告発された「阪大有名准教授」3度の結婚トラブル"と題して報道したため、ヨコタ村上は2009年4月19日、同誌に対し1200万円(うち訴訟費用200万円)の慰謝料と謝罪広告を求め、民事訴訟大阪地方裁判所に提起した。大阪大学の学内調査ではレイプの事実は確認されなかったが、「疑わしい状況をつくり出し、風紀を著しく害した」との理由により、2010年3月24日停職6ヶ月の懲戒処分を受けたことが公表された[1][2]。その後、ヨコタ村上は大阪大学に対しても民事訴訟を提起し、処分取り消しを求めていたが、2011年9月15日、大阪地裁はヨコタ村上に勝訴を言い渡した[3]。裁判の過程で、大阪大学言語文化研究科科長は尋問において、大学側は本件をレイプはおろかセクハラとも認定していないと明言している。にもかかわらず、その後、大学側が大阪高裁に控訴し、大阪大学の逆転勝訴となった。ヨコタ村上側は最高裁に上告したが、2013年1月31日付で却下され、これにより「停職6ヶ月」の処分が確定した。 新潮社(週刊新潮)との訴訟は、2012年1月、大阪地裁で「大学院生の意に反した性交渉があり、内容は真実」と認定されヨコタ村上が敗訴したが、大阪高裁に控訴。2012年7月27日には大阪高裁で、新潮社側がレイプの事実はないことを認め、下記の和解条項からも分かるように、ヨコタ村上側の事実上の勝訴となる和解が成立した[4]。和解条項の全文を挙げる。
1.被控訴人らは、控訴人に対し、本件記事の見出しに使われた「レイプ」が強姦の意味に理解されていることを認め、この点での事実はなかったことを認める。
2.被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して本件和解金として30万円の支払義務があることを認める。
3.控訴人は、本件記事の相手方に対し、配慮を欠いた言動があったことを認め、心から謝罪の意を表明する
4.控訴人は、その余の請求を放棄する。
.控訴人及び被控訴人らは、前記一項を除いて、本和解内容をみだりに口外しない。
週刊新潮編集部は「記事の誤りを認めたわけではなく、言葉の使い方の問題だ」とコメントしている[4]。ヨコタ村上側は、本件は当該女性が何らかの個人的な動機・事情によって誹謗・中傷を行い、それを『週刊新潮』がまともな検証もせず記事にしたことによって起こった名誉棄損・人権(プライバシー)侵害であると抗議している(「日々雑感」)。また、ヨコタ村上を支援する市民団体や人権保護団体は、新潮社による報道被害であると激しく批判している(『市民・メディア』133号。ヨコタ村上非公式ホームページ「日々雑感」に転載)。

著書[編集]

  • 『性のプロトコル―欲望はどこから来るのか』新曜社1997年
  • Don Juan East/West: On the Problematics of Comparative Literature.Albany, NY: SUNY P, 1998.
  • 『マンガは欲望する』筑摩書房2006年
  • 『色男の研究』角川選書、2007年
  • 『ロシア語を学んで、ロシアを知ろう 初級』大阪大学出版会、2008  
  • 『金髪神話の研究 男はなぜ、ブロンド女に憧れるのか』平凡社新書、2011 
  • 二葉亭四迷 くたばってしまえ』ミネルヴァ書房・日本評伝選、2014 
  • 『世界のしゃがみ方: 和式/洋式トイレの謎を探る』平凡社新書、2015

翻訳[編集]

  • ギャリー・マーヴィン『闘牛 スペイン文化の華』村上孝之訳 平凡社, 1990
  • カマール アブドゥッラ『魔術師の谷』未知谷、2013 

脚注[編集]


^ 准教授を停職6カ月=「性的暴行」女性が訴え-大阪大 時事ドットコム(2010/03/24-19:11)
^ 阪大准教授に停職6カ月処分 深夜の研究室で女子院生と2人きり 産経ニュース 2010.3.24 20:59
^ ヨコタ村上孝之 日々雑感
^ a b 「強姦なかった」と新潮社認める 「大学院生レイプ告発」記事訴訟、阪大准教授と和解成立産経 2012年8月8日11:28
外部リンク[編集]
WELCOME TO TAKMAN'S WORLD

やしの実通信 『日本型「教養」の運命』筒井清忠著

やしの実通信

『日本型「教養」の運命』筒井清忠著、岩波書店2009年 [2016年08月27日(Sat)]
九鬼周造も和辻哲郎も新渡戸信者であった。
新渡戸は台湾植民運営、国際連盟の創設と言った実務家以外にも教育者として日本社会を形成した面を持っている。
私が新渡戸を植民研究者、アダム・スミス研究者として認識したのも、新渡戸の生徒であった矢内原を通してであった。

筒井清忠著『日本型「教養」の運命』(岩波書店)は、日本が日清、日露戦争に勝利し、アノミー状態にあった日本社会、特に青年、一高のエリート達に個人主義的教養主義を教えたのが新渡戸であったことが議論されている。しかも新渡戸はこの教養主義と修養主義を大衆にも説いた事により、日本社会の一種独特なエリートと大衆の関係ができた。(筒井はフランス社会のエリート集団との比較を書いている)

筒井先生のこの本は大変面白いのだがとても複雑で私の頭ではまとめられない。しかし新渡戸の大衆とエリートを同時に対象とした修養主義は次の文章が一番わかるような気がする。

「彼(新渡戸)には同一の内容を対象に応じて説きわける力があったわけである。明治末期の新渡戸稲造の裡には「修養」の名の下に教養主義(一高生)と修養主義(「山深き寒村の少女」)とが同居していたのであった。」(37頁)

「山深き寒村の少女」は新渡戸稲造の生い立ちを見れば理解できる。
1862年生まれの稲造は盛岡藩の幕臣として敗者の立場となり、幼くして父を失い叔父の家で育てられる。養父の支援が得られず奨学金のある北海道の農学校へ行く。二十歳前に母も亡くし、カーライルの『衣装哲学』に出会い人生が変わったようだ。猛烈に勉強し、東大に行くがその内容に失望し、叔父が残した財産で食べるものも削って米、独と留学している。
新渡戸を育てたのは生まれながらに背負った逆境のような気もする。「山深き寒村の少女、少年」は「稲造」自身でもあったのだ。

同書は次の五章からなる。
第一章 近代日本における教養主義の成立
第二章 学歴エリート文化としての教養主義の展開
第三章 近代日本における「教養」の帰結
第四章 企業経営文化としての「修養」と教養」
第五章 現代日本の教養

新渡戸を取り上げているのは第一章であるが、第四章に九鬼周造、和辻哲郎と共に新渡戸の生徒であった三村起一が取り上げられる。三村は新渡戸に薦められて住友に入社したのだ。そして住友の「経営家族主義」を作りあげたのだそうである。筒井は三村が人生の岐路の要所要所に新渡戸のアドバイスを仰いでおり、新渡戸の修養主義が三村のエートスにあった(161頁)としている。
日本企業の独特な経営哲学にも新渡戸が影響していたのか、と知って驚くばかりである。


しかし、新渡戸校長の一高の生徒の中には軍閥を、共産主義を、翼賛体制を主導した、近衛文麿、後藤隆之助等々もいるのだ。次は新渡戸のこの人材育成を批判した鶴見俊輔の「日本の折衷主義 ー 新渡戸稲造論 ー」をまとめたい。

やしの実通信 「満州国建国」は正当である

やしの実通信



『日本-その問題と発展の諸局面』(21) [2016年07月15日(Fri)]
『日本-その問題と発展の諸局面』の第三章は前回で終了するつもりだったが、下記の新刊が紹介されていたので、同じ事を1931年のこの本で明確に述べている事だけメモしておきたい。

「満州国建国」は正当である 単行本 – 2016/7/23
ジョージ・ブロンソン・レー (著), 竹田 恒泰 (監修), 吉重 丈夫 (翻訳)
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本の紹介に「日露戦争時、実はロシアと清国は「露清密約」を結んでおり、“連合軍"として日本と戦ったのであるが、このことは日本人には教えられていない。」とあるが、新渡戸の本には明記していあるのだ。

『日本-その問題と発展の諸局面』の三章、16節「内外の難問」に 「しかしながら、一つの驚くようなことが明るみに出た」と新渡戸は始める。
日露戦争8年前の1896年に中露の秘密条約が締結されていた。
この条約には中露が「それぞれの活用できる陸海全軍の力を用いて、日本がアジアのロシア領土、中国、朝鮮に対して行ういかなる攻撃にも援助し合うこと」が保障されていた。
「軍事作戦中は、中国の全港湾はロシア艦船に開放される。満州を貫く鉄道の施設権は、”ロシア中国銀行”に許可される。この条約の効力は鉄道契約が締結されてのち15年間にわたる。」

新渡戸は「こんな条約の存在が知られさえしていたら、今日喧しく論じられている満州問題など、決して起りもしなかったろう。」(174頁)満州事変はこの本(英文)が出された2週間後に勃発。

そして新渡戸は中国を「日本はその隣国に、秘密においても宣伝においても、とうていかなわないことを、改めて教えられた。」と批判する。
今の状況と全く同じではないか!

The case for Manchoukuo | by George Bronson Rea.

Catalog Record: The case for Manchoukuo | Hathi Trust Digital Library



The case for Manchoukuo, by George Bronson Rea.

Main Author:Rea, George Bronson, 1869-1936.
Language(s):English
Published:New York, Appleton-Century, 1935.
Subjects:Eastern question (Far East) 
Japan > Foreign relations > United States 
United States > Foreign relations > Japan 
China > Foreign relations > United States. 
United States > Foreign relations > China. 
Manchuria (China) 
Physical Description:xi, 425 p. illus. 21 cm. 
Locate a Print Version:Find in a library

やしの実通信 「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」伊藤敏子

やしの実通信

「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」伊藤敏子2015 [2016年07月15日(Fri)]
新渡戸研究、結構あります。
昨年の論文。新渡戸の教養主義とはなんぞや?と気になっていた。
この教養主義が、近衛文麿始め、軍国主義、ファシズムを先導する人材を作っていったように見えるからだ。
下記の論文をサラッと拝読。

「新渡戸稲造における修養論の位相 : 包摂と排除の視点から」
Inazo Nitobe and character development : A Luhmannite analysis
伊藤, 敏子 ITO, Toshiko
三重大学教育学部研究紀要, 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学. 2015, 66, p. 325-341.
http://hdl.handle.net/…/bitstream/10076/14460/1/20C17359.pdf
http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/14460/1/20C17359.pdf


戦後新渡戸が忘れられた存在であったが、5千円札をきっかけに注目されるようになった。
1981年に新渡戸が5千円札に現れる前は年間1、2件の論文が1982年以降増加し1990年以降は年間数十本の論文が出ているという。

伊藤氏の論文に下記の記述を見つけた時は心臓が止まった。ヤッパリ!

「新渡戸が教育者として生きた時代は、ひとつには開国の帰結としての近代化の過程で日本の教育が従来の価値体系の根本的な見直しを迫られた時代であり、いまひとつには世界規模で展開した新教育運動が一世を風靡した時代である。

20世紀への世紀転換期に生起した新教育運動は、今日的な見方からは、改革の観点が教育方法論にとどまり教育目的論や教育内容論に及ばなかったこと、ファシズムの揺籃として機能する側面をもっていたこと、さらに教育の対象として想定されていたのが新中間層(ブルジョア)であり一般的広がりをもたなかったこと(堀松 1987、8頁 参照)、といった時代的限界が指摘されるが、そこで掲げられた理念のなかには今日にいたるまで継承されているものも多い。」(上記論文328頁 下線は当方)

笹川良一氏のご両親が息子の良一氏を進学させなかった理由は、勉強させるとアカになる、と先生かお坊さんに言われたからだったと記憶している。当方の祖母はまさに大正の自由教育(日本初)を受けアカになった、と本人から聞きました。商家のお嬢さんだった栄さんは、自分の家で働く「奉公人」と自分の身分の違いに疑問を持ったらしい。

伊藤氏の論文は新渡戸の修養論と教養論を対比し、エリートとそうでない人々を結ぼうとした新渡戸を、また東西を結ぼうとした新渡戸の試みは裏目に出て、「「忘れられた偉人」という歴史的事実は、架橋の破綻と無関係ではないと思われる。」と結んでいる。


こういった新渡戸を批判しているのが鶴見俊輔らしい。
「国家批判・社会批判の欠如、その帰結としての階層の温存という支配者理論という観点から新渡戸の「修養」を考察した研究者としてはさらに鶴見俊輔があげられる。(中略)鶴見は新渡戸の高等教育論が同時に「支配階級の美化」すなわち「日本の支配階級の道徳観がそのまま被支配階級におこなわれることをよしとする前提」に貫かれるものであったことを糾弾する。」(336頁)

伊藤氏は鶴見をさらに引用し、
「鶴見俊輔は新渡戸の「修養」がキリスト教に基づくものであったことを認めながらも、新渡戸の「修養」がその先に国家主義を措定しており、したがって新渡戸の「修養」は階層に架橋することにつながらなかったと断じる(鶴見 1960、188頁 参照)。新渡戸の多くの弟子は官僚として時代の舵をとるが、これは―鶴見の解釈では―新渡戸の思想が「国家体制の奉仕者のみ」を生み出す「日本の官僚の思想のもっともすぐれた範型の一つ」(鶴見 1960、186頁)として機能したことの証左であり、「青年時代に新渡戸思想で訓練されたものは、年齢と地位の上昇に応じて普遍宗教から現存政府の立場へとアクセントをおきかえて、何の違和感もなしに壮年時代以降には日本国家の体制の中心の位置にすすむことができ」(鶴見 1960、188頁)たということであり、その先には「新渡戸ゆずりのおだやかな趣味をそのままひきつぎながら、穏健な超国家主義、軍国主義、全体主義」(同書、211頁)への道が開けていたとする。」(339頁、下線は当方)



確かに新渡戸には何か今に続くエリート主義が感じられる。同時に私費で夜間学校を開設するなど、社会の弱者への支援活動もある。伊藤氏の文献にある下記の本は読んで見たい。

鶴見俊輔(1960):日本の折衷主義.新渡戸稲造論.〔近代日本思想史講座 3 発想の諸様式 1960 筑摩書房所収 183-222頁〕

筒井清忠(1995):日本型「教養」の運命.歴史社会学的考察.岩波書店

やしの実通信

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『日本-その問題と発展の諸局面』(18) [2016年07月14日(Thu)]
新渡戸著『日本-その問題と発展の諸局面』の第三章「新日本の出現」を5回に分けてなぞってきた。天皇制を中心にまとめるはずが、日清、日露、第一次世界大戦の日本の正義について新渡戸がどう言ってるのか関心がある。
一般的に日本に正義は無い事になってるのだ。

今回は三章の中の 12.日露戦争とその結果、13.日本の世界大戦参加、についてまとめたい。

新渡戸は、日露間の緊張は何十年も続いており、「両国は心で武装してきた。」(152頁)と始める。
何故武装したのか?

「ロシア人は地中海に出口を見つけるのを阻まれて、その欲深い眼を極東に向けたのであった。」1860年ロシアは中国からアムール河東岸領土を獲得。1891年には大連と旅順まで繋がるシベリア横断鉄道の建設が開始。
日本は和平を望んだがロシアの傲慢な振る舞いに対し、残された唯一の道を取らざるを得なかった。ロシアはフランスとドイツの直接的支援を受けていた。「カイゼル・ヴィルヘルム二世こそ、道徳的には、その戦争の発起人だとさえいわれた。(中略)カイゼルはツアーに陰険な策略を用いて、むりやり戦争をさせたという。」(154頁)
新渡戸は、日本の勝利は軍事力だけでなく、赤十字の衛生処置、捕虜の人道的待遇、交通の輸送体系が最後の成功となった事を主張する。ロシアが日本を脅迫して得た中国の全権益を獲得し、ドイツが得た山東は日本軍が取り返し、中国に返還した。
そしてさらなる成功は1905年日英同盟の更新である。今度は10年という期間で下記目的を持っていた。
a) 東亜とインド地域における平和の維持
b) 中国のおける万国通称権益の保持
c) 調印国の東亜及びインドのおける郎度権の維持及び特殊権益の防護。
さらに改定条約には防禦同盟も盛り込まれた。これが第一次世界大戦に繋がる。


日露戦争の不幸な結果はヴィルヘルム二世が”横禍論”を「卑劣な資金」(どのように卑劣なのか気になる)を使ってアメリカに向けて宣伝した事である。新渡戸は「人類の半分以上は「白禍」の犠牲者となっていたことなど、白人のあたまには絶対浮かんでこなかった。」(157頁)と書いている。

さらに日露戦争の勝利は、日本国民の道義崩壊にある、と新渡戸は指摘する。「軍国思想が国民生活のあらゆる水路に流れ込む。」子供たちは兵隊ごっこ、青年大尉は恋愛対象に、老将軍は政府の政策を決定する。
新渡戸はここでバークを引用している。
「戦争は道徳的義務の規則を棚上げにする、そして久しく棚上げにされたものは、すっかり廃棄される危険がある。」


長くなったので 13.日本の世界大戦参加、は次回。

やしの実通信 新渡戸稲造の天皇論。

やしの実通信



『日本-その問題と発展の諸局面』(17) [2016年07月05日(Tue)]
新渡戸稲造の天皇論。
もしも現憲法の「象徴」の箇所を新渡戸に依拠しているのであれば、それは「武士道」の下記の部分と『日本-その問題と発展の諸局面』の下記の部分である。

「神道の自然崇拝は国土をば我々の奥深きたましひに親しきものをたらしめ、その祖先崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖と為した。我々に取りて国土は、金鉱を採掘したり穀物を収穫したりする土地以外の意味を有する ー それは神々、即ち我々の祖先の霊の神聖なる棲所である。又我々にとりて天皇は、『法律国家』[Rechtsstaat]の警察の長ではなく、『文化国家』[Kulturstaat]の保護者でもなく、地上に於いて肉身を有ち給う天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備し給うのである。ブルートミー氏が英国の王室について「それは権威の像たるのみではなく、国民的統一の創造者であり象徴である、」と言ひしことが真であるとすれば、(而して私はその真なることを信ずるものであるが)、この事は日本の皇室に就いては二倍にも三倍にも強調せらるべき事柄である。」(「武士道」新渡戸稲造全集第一巻 2001年 36-37頁より。下線は当方)

「してみるとコクタイは、最も単純な言葉に戻してみると、この国を従え、我国の歴史の始めからそれを統合してきた”家系”の長による、最高の社会的権威と政治権力の保持を意味する。この家系は国民全体を包括すると考えられる ー というのは、初代の統治者はそお親類縁者を伴って来たし、現在人口の大部分を形成しているのは、それらの人々の子孫だからである。狭義においては、その”家系”は統治者のより直系の親族を含む。こうして天皇は国民の代表であり、国民統合の象徴である。こうして人々を統治と服従において統一している絆の真の性質は、第一には、神話的血縁関係であり、第二には道徳的紐帯であり、第三には法的義務である。」(『日本ーその問題と発展の諸局面』183-184頁,新渡戸稲造全集第18巻、2001年、教文館)

後者の『日本-その問題と発展の諸局面』はイギリスの文部大臣を勤めた、オックスフォード大学歴史学者フィッシャー教授の求めに応じて、国際連盟を退任した新渡戸が書いたものである。この本が出版された2週間後に満州事変が、半年後の1932年2月には新渡戸が「日本を滅ぼすのは軍閥か共産主義」と言って暗殺されそうになる。翌年1933年IPR-太平洋問題調査会のカナダ会議で客死するのだ。
『日本-その問題と発展の諸局面』は日本を紹介する内容だが、新渡戸の天皇論がまとめられているようにも見える。それは現憲法から感じられる表層的な天皇の存在ではなく、日本という国家が形成されてきた2千年の歴史を背負ったものである。

この事は余り知られていないようなので、非力ながらもまとめてきた。

前置きが長くなったが、今回は天皇論ではなく日本が行った3つの戦争の「正義」についてである。
恥ずかしながら「三国干渉」というのを小学校の歴史で習って以来その中身については一切関心がなかったが、日本の歴史を学ぶ愚夫が「日本はトリプルインターベンシにョンされていたのか!なんて事だ!」と驚愕していたのを見て、その意味を始めて知り驚愕した次第。

新渡戸は「三国干渉」という項目をもうけてそれがいかに日本人を怒らせたかを赤裸々に書いている。
そういえば、日清、日露、第一次世界大戦後の欧米諸国の日本への対応はそれは正義とは正反対のもので、当時いかに新聞が、民衆が怒り狂ったかを当方が知ったのはここ数年である。

日清戦争の結果をみたロシアは極東の海軍力を倍増した。ロシアに巨額の蓄積投資をしていたフランスはロシアを支持した。よって、干渉が仏露であれば日本は驚かなかったであろうが、「ドイツの裏切り行為は日本人から絶望の言葉(中略)を引き出しただけだった。」(141頁)とある。1894年はビスマルクが去って、「あの」ヴィルヘルム二世の時世だ。
国際社会に正義は無い事を日本人は学んだのである。以下長くなるがいか日本人が怒ったのか引用したい。

「その恨みは、言葉でも涙でも尽くせぬ程深かった。国民は外国に聞こえるようなわめき声を決してたてなかったし、どんな形でも、外国の援助を求めもしなかった。落胆は苦いものであったが、その「友誼ある勧告」には、それなりの教訓がないではなかった。それは、将来の敵はどこにひそんでいるかをはっきりと示した。これら「友誼ある」勧告者たちは、日本に、安全はただ武器のみにあることを教えた。」(『日本-その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、141頁)

新渡戸は日本は勝利の果実を奪われただけだが、中国はこれら列強に切り刻まれていく様子を示し、「可哀想な中国」と書いている。

さらに新渡戸は日清戦争の道義的意味を伊東司令長官と大山軍司令官が、中国海軍丁提督にあてた手紙を引用して説明している。
少なくとも当時の日本の考えは中国を沈滞破滅から救い、近代の進歩の道に就かせることであった。
そして日清戦争の付随的成果として賠償金のおかげで国家財政は1897年に金本位体制を始める事ができた。さらに日清戦争は多くの中国の知識人たちが日本に西洋文明を学びに来る機会を与えた。さらに1902年には日英同盟が締結された。これは英国の「光輝ある孤立」の記録破り、ロシアドイツの台頭に日英が手を組むことになったのである。これにより日本は威信を得て、英国銀行家の財政支援を確保し、ロシアの味方を減らし、後の大戦に参加する日本にの決意を強くした事である。(『日本-その問題と発展の諸局面』新渡戸稲造全集第18巻、2001、149-152頁)


追記 伊東司令長官と中国海軍丁提督の事が下記のサイトに書かれています。
二人は友人であった。伊東司令長官は手紙と共に葡萄酒も送った。丁提督は服毒自殺をするが伊東司令長官がその遺体を清国まで輸送した。
http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15444211

やしの実通信

やしの実通信

『日本-その問題と発展の諸局面』(16) [2016年06月17日(Fri)]
最近佐藤健志さんの言論を追っている。といっても出版物は手に取っておらず、現時点ではウェッブ上の情報だけである。『笹川良一研究』を書かれた佐藤誠三郎氏のあとがきに同書をご子息の協力を得て書いた、とあったからだ。
佐藤氏の言論の中で東京裁判の事が触れられており、日本に正義はない事が前提になっている事を指摘されていた。
あの大戦で日本に正義はなかったのか?そしてあの大戦に続く、第一次世界大戦、日露戦争、日清戦争、そして日本の開国。「義」のない行動、決断であったのか?
まさか!
セイギのセの字もなかったのは西洋諸国でしょ!
新渡戸はまさに、日本にあった「正義」を『日本-その問題と発展の諸局面』の中で強調しているのだ。

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アレクサンドル三世


日本は古代から朝鮮との関係を維持していた。それは日本の安全保障でもあった。
しかし、朝鮮は中国の勢力に屈し、19世紀の終わりにはロシアの餌食となった。ツァーの代表機関が金を自由に使用し、朝鮮はロシアの手に落ちる寸前だったのである。これは日本にとって積極的脅威でった。日本は中国朝鮮との交渉を重ね、1876年に通商条約を署名。条約は阿片を朝鮮に輸入することを禁じ、1882年イギリスもそれに従った。新渡戸はここまで書いていないが、阿片で成り立っていたイギリスに署名させた意味、即ち阿片で成り立っていたイギリスの貿易経済に日本が示した行動は正義ではなかったのか?と当方は思う。
しかし、朝鮮内の政情は悪化するのみで、中国か日本が指導しなければロシアが入ってくることは明らかだった。1885年天津条約が締結。
日本国民の生命と財産をロシアから守り、阿片の弊害から朝鮮を守った日本に正義はなかったのか?



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ジョージ・ナザニエル・カーゾン卿


日本国内に武力で朝鮮問題を解決させようという挑発はあったが、日本は忍耐し続けた。
朝鮮の腐敗を新渡戸はイギリスの政治家ジョージ・ナザニエル・カーゾン卿のコメントを引用して説明する。以下孫引きになるがそのまま引用する。
「日本が自由に半島を併合し、それを日本自身の政府機関で日本流に扱っていたとすれば、朝鮮は早晩現在の混沌から脱して新しい秩序を展開していたかもしれない。しかし日本は、自身の言質もあり、また他国に対する恐れもあって、これを行うことができないで来た。狂った小さな舟が、極東の錨地に危なっかしくも碇泊しているたった一本の錨綱を、日本は切ってしまったのだ。そしてその小舟を、舵取りもおらず、舵もないまま、荒れ狂う海上に漂うにまかせてしまったのだ。」(『日本-その問題と発展の諸局面』、新渡戸稲造全集第18巻、2001、138頁)
日本が錨綱を切った朝鮮で起った動乱を鎮めようと「朝鮮は中国の属国である」と宣言し李鴻章が派兵。日清戦争につながる。

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李鴻章


イギリス外相も憂う朝鮮問題。日本に正義はなかったのか?



第一次世界大戦前まで一気にまとめようと思いましたが、ここは日本の正義について確認する重要な点なので、やはり丁寧に2、3回に分けて書いて行きます。