2020/11/09
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2020/11/08
『入菩提行論』の大乗仏説論をめぐって 論争の争点と意義 櫻 井 智 浩
(櫻井)
『入菩提行論』の大乗仏説論をめぐって
論争の争点と意義 櫻 井 智 浩
( 0 )はじめに
「入菩提行論』dの)鹿砒雇4現行本(①)(召Cの第九章には, 42偈~ 44偈 (第一の論争) ,更に50偈~ 52偈(第二の論争)に,内容の異なる二つの大乗仏説論争が存在するが,後者について,プラジュニャーカラマティ (Prafiäkaramati)は,後からの挿入を疑い,注釈しない。さらにいわゆる初期本(召Sのとの内容比較によって,召の論争と第一の論争との内容的類似性,召に相当偈が見当たらない第二の論争の異質性が指摘され(④), 彼の見解を裏付けている。しかし,ソナム・ツェモ(bSod rnams rtse mo. 1142ー1182 ) ,プトン・リンチェンドウブ()u ston Rin chen grub.
1290-1364 ) ,タルマリンチェン(rGyal tshab rje Dar ma rin chen. 1364ー1432)によるチベット撰述注釈書では,その偽撰の指摘に否定的であり,当該部分にも注釈を与えている。この第二の論争に対する三者の注釈の共通点は, 50偈の「経に入っている言葉」と言う偈文を,『大般涅槃経』『大乗荘厳経論』第一章に見られる「経に入っており,律に示され,法性に矛盾しない(⑤)」と言う仏説の定義(【定義】)を意図したものと了解したうえで,そ
の【定義】をめぐっての議論として第二の論争を解釈することにある(⑥)。
本論では,この第二の論争をめぐる意見の相違に,第一の論争中の 召C幽3偈ab句の注釈内容に窺える,彼らの間の仏説観の相違が関係していることを明らかにし,この仏説論争の争点と意義を検討したい。
まず,召S瓦召Cの第一の論争の比較により,この論争の性格,当該偈句の解釈上での問題を確認し,各注釈書の当該偈句の注釈内容を検討する。
(櫻井) プ7
( 1 ) BSAとBOAの大乗仏説論争の比較
最初に,召の論争を取り上げる。 こまでの般若章の文脈を簡単に紹介すると,智慧の生起の必要性を説き,二諦説を提示した上で,幻の比喩と自己認識理論批判を通じて一切法無自性空性を論証し,その獲得のため空性の修習の必要性を説いている。この論争は,その修習の勧奨の部分に含まれ
(召S 30 =召Cみ55)
〔主張者アクシャヤマティ〕 klesa」fieyävrtitamahpratlpakso hi éünyatä / éighram sarva」fiatäkämo na bhävayati täm katham / / SAITO [ 1993] p. 11. nyon mongs pa dang shes bya'i sgrib / / mun pa 1 gnyen PO stong pa nyid / / myur du thams Chad mkhyen dod na / / de ni ci ste bsgom myi bya / /
SAITO [2000] p. 53. なぜなら空性は,煩悩と所知の障碍の闇に対する対治だからである。 一切智者性を望む者が,どうしてそれ(空性)を速やかに修習しないだろうか。
(召S 31ab召Cみ. missing. BSA31cd, cf. BCA41cd)
〔主張者毘婆沙師〕
lam di nyid kyis tshang rgya zhes / / brtsan pa'i* lung las byung ba yang / / yang dag man ngag brgyud pas shes / / khyod kyi gzhung gis ci Itar grub / / SAITO [2000] p. 53. *(sic. ) btsan; ädeya
「正にこの道によってこそ, 菩提がある」という,信受された
(*ädeya)経に言われているにしても,正しい教法の伝承によってである,と君の経論については, どうして証明されようか。
(BSA32.cf.BCA43)
asau siddhäé ca taträsthä mahäyäne 'pi tälll kuru / ubhaye$asya satyatve vedäder api satyatä // SAITO [1993] p. 13. de la yid ches de 'grub na // theg chen la yang yid ches kyis // gnyi ga 'dod pa bden na ni // rig byed rnam kyang bden par 'gyurd // SAITO [2000] p. 53.
-k*lc
(BSA33.cf.BCA44)
gal te phan tshund 'gal Zhe na // 'dul las stsogs pa 'ang dor dgos so
sems can myi mthun dga' bya'i phyir // gsungs pa de ci myi 'dod dam SAITO [2000] p. 53.
(BSA34=BCA54)
tad evani éünyatäpal€e clü#aparp nopapadyate / tasmän nirvicikitsena bhävaniyaiva éünyatä // 34 // SAITO [1993] p. 13.
de Itar stong pa nyid phyogs la // sun 'byin pa ni 'thad ma yin // de bas the tsom myed par ni // stong pa nyid la bsgom par gyis //
SAITO [2000] p. 53.
(櫻井)ルそのように空性の主張に対して論難することは論理的に正しくはない。
したがって,疑惑することなく空性を修習せよ。
召Sでの論争は,「正にこの道によって」云々の経が,「教法の伝承」に基づき,仏説として証明されうるのか,と言う点をめぐって開始されるが, 論争を通じての論者の主張は,小乗側に阿含に対する尊敬があるなら,大乗にもなすべきである,という32偈の内容に集約される。それに対して,小乗側からの提出される大乗非仏説の論拠によって小乗も非仏説となるという誤謬を指摘する。中でも,「内容の相互矛盾」については,衆生のため,多様な教説が容認されると,大乗仏説論の論拠として逆用している。この場合, 小乗についても経と律との矛盾を指摘しているから,仏説の定義としても「内容の相互矛盾」は双方に認められるものであり,大乗と小乗とを峻別するものではない。
以上,召Sみでは,小乗側の仏説の条件は大乗にもあり,大乗非仏説の論拠があるとすれば,小乗にもあてはまる,と言う論法をとる。そこには,仏説性について大乗と小乗とを峻別する意図は看取されない。この論法の性格は,現行西蔵大蔵経に編入された召注釈書における了解にも継承されて いる(⑦)。さらに, 32偈の注釈では,大乗に対する「尊敬」が成立する理由について,小乗と同じように「教法の相承」に基づくと解釈する(⑧)。
これに対して,召C.では,空性の修習の勧奨という主題のもと,その空性を説く大乗の仏説性が問われている点は同様であるが,召30 , 34偈が, 召C.では前後入れ替わった上で,結論として54 , 55偈に述べられていること, 召31偈に相当する箇所に空性の修習勧奨の導入・大乗仏説論争の導入の役割を担う41偈があること,比丘性と空性との関係を説く45-49偈,第二の論争,空性の修習の結果を説く53偈の存在など,構成は大きく異なる。
その中で,仏説論争については, 42偈の存在,偈文の相違等はあるが,論者の主張である召Sス32偈ab句は,召Cみ43偈ab句にほほ相当し,小乗が指摘する大乗非仏説の論拠を否定するという全体の論旨も同様である。その意味で,召C.み第一の論争でも,小乗と大乗の平等性に基づく論争の性格は保たれている(⑨)。
しかし,召&431偈にある「教法の相承」という仏説の定義が召C.盟にはなく,召s.ス32偈ab句「小乗の阿含に対する尊敬」という偈句が召c. 3偈ab
句では「ある条件(yat-pratyaya)を有するそれに対する尊敬」となってい
(BCA43. cf. BCAT32)
〔主張者シャーンテイデーヴァ〕
yatpratyayä ca taträsthä mahäyäne pi täm kuru / anyobhayestasatyatve vedäder api satyatä / / 43 / / V. ed.ゃ. 205. 14 , 127 ある条件を有する,それ(小乗)に対して尊敬がある〔ならば〕,その
〔同じ尊敬〕を大乗にもなせ。( cd句訳省略)
さらに,そのチベット訳をみると,
rkyen gang gis ⅲ der yid ches / / de ni theg Chen la yang mtshungs / / gzhan gnyis dod pas bden na ni / / rig byed sogs kyang bden par gyur / / Der. 32b1。Pek. 36b8ー37a1 ある条件によって,それ(小乗の阿含)に対してある,その尊敬は大乗にも等しい。( cd句訳省略)
と, yat-pratyayäをrkyen gang gisと具格で訳し,また命令法kuruを直訳せずに「大乗も小乗と等しく尊敬される」という内容を意訳している。この偈文の相違は,注釈家の了解を検討する上で重要な意味を持っと思われる。というのは,何れも小乗と同様に大乗にも尊敬をなすべきであるという論日 は一致するが,その尊敬の「条件」の具体的内容-注釈の内容から言えば, おそらく「教法の相承」一は問わない召s.みに対して,召Cの偈句では,
「尊敬」はともかく,小乗と大乗との間で「ある条件」が一致する必要はなく,新たな解釈を加えることが可能だからである。事実,「ある条件」の具体的内容について,各注釈者の見解は異なる。この相違が,第二の論争をめぐる,各注釈家間の了解の違いにも関係してくると考えられるのである。
( 2 )プラジュニャーカラマティ43偈ab句注釈
召。の) 4切-ゆ〃ⅶ (召Cでは,「ある条件」に関して,小乗,大乗でそれぞれ異なった仏説の定義が提示される。
その検討の前に,プラジュニャーカラマティが43偈ab句そのものをいかに語義解釈しているかを確認するため,梵本,チベット・訳の両者からの和訳
( >tLiJ Y
(ity aträha yat-pratyayetyädi— yatpratyayä ca taträsthä mahäyäne' pi tägl kuru / 43ab) yah pratyayo nibandhanam asyä asthäyäb, sä tathoktä / yatpratyayä yan-nibandhanä / ästhä ädeyatä ädarab / tatra svägame / tälll tat-pratyayäm ästhäm iha mahäyäne' pi kuru vidhehi /
(rkyen gang gis zhes pa la sogs pa gsungs so //
Crkyen gang gis ni der yid Ches // de ni theg Chen la yang mtshungs // 43ab)) kyen te rgyu mtshan gang gis 'di la yid Ches pa Yin pa de ni de skad du / gang gi [Der.gis] rkyen gyis yid Ches pa'i rgyu mtshan blang bar // bya zhing gus par bya bar brjod pa Yin no // der zhes pa ni rang gi lung la Yin la / re zhig Yin yid Ches pa de 'ba' zhig 'dir theg pa Chen po la yang byos Shig ces te /
70 0
yady api ubhaya-siddhatvam asiddham, iclalll tarhi sädhanam astu (a)yad guru-éi$ya-paramparayämnäyäyätam buddha-vacanatvena,
(b)yac ca sütre' vatarati, vinaye samdréyate, dharmatäm [pratityasamutpädam] ca na vilomayati tad buddha-vacanalll nänyat /
gal te gnyi ga la grub pa ma grub na / 'di Itar sgrub par byed pa di yod pa yin te / (a)sangs rgyas kyi gsung rab nyid du bla ma dang slob ma brgyud pa las byung ba yin la / (b)gang yang mdo sde la jug / / dul ba la snang ba'i rgyu mtshan blang bar bya zhing gus par bya bar brjod pa yin no / / der zhes pa ⅲ rang gi lung la yin la chos nyid dang mi gal ba de sangs rgyas kyi bka' yin te / gzhan Ⅱ1 ma Ylll no Zhe na /
たとえ,〔42偈で論証手段として否定されたように〕「両者による承認」が〔仏説の定義として〕不成立であるとしても,次のように論証手段があるだろう。(a)師資相承によって(guru-éiya-paramparayä, bla ma dang slob ma brgyud (a)仏説として伝承されたもの,そして, (b)
「経に入り,律に現れ,〔縁起である〕法性に矛盾しない」ものが,仏説であって,他はない。
このように,小乗側の「ある条件」は
(a)師資相承によって(guru-éi»ra-paramparayä)仏説として伝承
( b )経に入り,律に現れ,〔縁起である〕法性に矛盾しない=【定義】と言う定義にある。この内, (a)は,召S 31偈にあった,「正しい阿含の伝承」(yang dag man ngag brgyud pa)と,同内容であると考えられる。召S注釈書は,付法五師に言及してこの語に注釈するからである。また,
(b)は,召S瓦召C.ス共に偈文にはないが,召S注釈書には見られるものである。いずれも伝統的法義の分類の仕方であり,当時の一般的な理解を反映して,彼が「ある条件」の具体的内容として想定したものであろう。しか し,これらはシャーンテイデーヴァの意図を直接反映したものではない。
これに対して,プラジュニャーカラマティは,論者の主張としての「ある条件」を次のように解釈する。先ず,前述の小乗側の定義に対しては,
(tuft)
mahäyäne'pi uktasya ästhä-käraqasya vidyamänatvät theg pa chen po la yang brjod pa'i yid ches pa yod pa'i phyir ro //
(Eli,
sarvapravacanasädhärmam avyabhicäri sangs rgyas kyi bka' thams cad la thun mong ba'i mtshan nyid ma 'khrul ba
b C, Sikéäsanyuccaya l:
Adhyä'ayasanycodanasütra, ä b IZ Ratnagotravibhäga
70 0
api tu maitreya (Bl)caturbhil! käraqaih pratibhänal!l sarval!l buddha-
bhä}itaul veditavyam / kathamaié caturbhih ? iha maitreya pratibhänam arthopasamhitam bhavati nänarthopasamhitam / @ dharmopasamhitam bhavati nädharmopasaulhitam J klegaprahäyakarp bhavati na kleéa-vivardhakam / samdaréakam bhavati na satpsära-gul)änusarpsa-samdaréakam / etaié caturbhih /
byams pa gzhan yang (Bl) rgyu bzhis ni spobs ba thams cad ni sangs
rgyas kyis gsungs par rig par bya'o // bzhi gang Zhe na / byams pa 'di la spobs pa Odon dang Idan pa yin
gyi don dang mi Idan pa ma yin pa dang / @chos dang Idan pa yin
gyi / chos dang mi Idan pa ma yin pa dang / Onyon mongs pa zad
par byed pa yin gyi / nyon mongs pa 'phel bar byed pa ma yin pa
dang / @mya ngan las 'das pa'i yon tan dang / phan yon ston pa yin
gyi 'khor ba'i yon tan dang / phan yon ston par byed pa ma yin no //
byams pa rgyu bzhi PO di dag dang Idan na sngar bzhin du rig par bya 0 / /
『深心教誡経』では,以下に示す四つの理由(kärana)を伴う「弁才」 pratibhänaが仏説とされる。
①義(artha)を有し非義を有しない
②法を有し非法を有しない
③煩悩を断除するものであり,煩悩を増大するものでない ④涅槃の功徳の賞賛を示すものであり,輪廻の功徳の賞賛を顕示するものでないこれらについては,次に示すように,さらに同経の引用を終えた後に「法性と矛盾しないことが正に正しい定義」dharmatäyä avilomanam eva samyag-laksanamと言っているから, (b)の定義中の「法性」について, より具体化したものとも考えられるが,この4つの理由を満たすものを真の意味での仏説であると言うのである。
さらに この直後に引用される『宝性論」第五章18偈もほば同内容である。したがって,フラジュニャーカラマティは,これら4つの理由が仏説の定義であることを経証と理証によって示していることになる。
tad atra (B ) dharmatäyä avilomanam eva samyag laksanam uktam /
uktam ca yad ① artha-vad ② dharma-padopasamhitam ③ tridhätu-samkleéa-
nirbahanam vacah /
bhavec ca yac @) chänty-anusamsa-daréakam tad uktam
ärsal!l viparitam anyathä / / iti /
de la (B )chos nyid dang mi gal ba nyid ni yang dag pa i mtshan nyid
Yln no / /
gang Zhig ① do Idan ② chos dang nyer brel cing / / ③ khams
gsum kun nas nyon mongs spong byed gsung / /
@zhi ba'i phan yon ston par mdzad pa gang / / de ni drang srong
gsung Yin bzlog pa gzhan / /
)
Zhes gsungs so / /
①義を有するもの
②法の言葉を有するもの
③三界の煩悩を破する言葉
④寂滅の賞賛を示すもの
以上を踏まえれば,プラシュニャーカラマティは,小乗側の言う伝統的法義分類よりも,四つの理由を備えた「弁才」に由来する「法性」を定義として重視していると言える。換言すれば,仏説の定義として,前述の(a) ,
(b)は二義的なものであり,上記の四条件を満たさないのであれば,かえって認められないものであったと考えられる。召S瓦召C鳳に通底する大乗と小乗の平等性は,小乗側の提出する(a), (b)についてのみ言えるのであり,「ある条件」に大乗の優位性を示す仏説の定義を導入したことで,その論法上の性格からは逸脱したのである。
この「ある条件」に対する大乗固有の仏説の定義の導入は,第二の論争を偽撰とする主張にも関わる。44偈の注釈の後に,仏説論争を総括する次の言葉に,それが窺われる。
etena yad uktam¯guru-parva- ['isya] kramenämnäyäyätam buddhavacanam Ity-ädi tad anenaiva pratyäkhyätam drastavyam.
V. ed.。p. 206 , Ⅱ . 18ー19. それ故,「師〔資〕相承の次第によって伝承されたものが仏説である」云々が〔小乗によって〕言われたことは,これによって論破された,と知るべきである。
この言及も,仏説の定義としての「師資相承」を全面的に否定するものではなく,その定義によって大乗を非仏説に貶めようとする小乗側の態度に批 判の矛先がある。しかし,プラジュニャーカラマティは,その批判のために 43偈ab句に見られる「ある条件」に,シャーンテイデーヴァの意図として, 伝統的法義の束縛を離れ,大乗の優越性を意味する四つの理由に裏付けられた仏説の定義を示した。これによって大乗の仏説性を確定したのであり,
れ以上,仏説の定義について議論する必要はない。彼自身は第二の論争に注
%
釈を与えていないから,それを【定義】をめぐる論争と見ていたのかは確認できないが,以上の第一の論争に対する彼の理解が,第二の論争を偽撰とす る背景と考えられる。
以上のように,大乗個有の定義の導入は彼の注釈の特徴である。と同時に 召&4以来の,小乗と大乗との平等性に基づくという大乗仏説論争の性格は, 彼の注釈では重視されていない。大乗を非仏説に貶めようとする小乗側の態度を批判するために上記の定義を導入したことは,結果的に,今度は大乗側から小乗を峻別することになっている。
( 3 )ソナム・ツェモ43偈ab句注釈
サキャ派第二祖ソナム・ツェモは, Ⅱ年間チャパ・チューキセンゲから中観学説を学んでいたことが知られる。彼の「入菩薩行注釈』g励立襯sゆ47 )0イ加gカ4 '乞/加では,次のように43偈ab句を注釈す こで注釈される召C本文は,以下に示すように現行チベット訳と一致する。
on te rigs pas 'thad pas khas blangs so Zhe na / rkyen gang gy1S ⅲ der yid ches / /
zhes smos te / o na bkar khas len pa i rgyu mtshan gang yin / gal te mdo sde la jug pa dang / dul ba la snang ba dang / chos nyid dang mi gal bas bka' yin no Zhe na / de ni theg Chen la yang mtshungs te / de la yang mdo sde la jug pa la sogs pa yod pa i phyir ro / /
召ッ4〃g z襯sゆ47 )0イカ4 gカ4 '乞ツ加(Toyo. ed. ) ca304b2-4
く43偈ab〉もし,「道理によって合理であることによって,〔我々小乗の阿含は〕承認されるのである」というならば, ある条件によって, それ (小乗の阿含) に対して尊敬がある , と言うのである。もし,〔小乗の阿含に対する尊敬の条件が〕「経に入り,律に見られ,法性と矛盾しないから仏説である。」と言うならば, それ 〔仏説の定義〕 は大乗にも等しい。 なぜなら,それ(大乗)にも「経に入り」等はあるからである。 ソナム・ツェモは,「師資相承」,プラシュニャーカラマティの挙げる定義
) には触れず,小乗,大乗とも【定義】を「ある条件」の内容とする。
第二の論争については,前述のように50偈の「経に入っている」という偈文を【定義】を意図したものと解釈する。そのうえで, BCAPの偽撰の指摘を批判的に紹介し,第二の論争を第一の論争の詳解と見ている。
以上の解釈には,【定義】が,二つの仏説論争を通じてのシャーンティデーヴァの一義的な意図である,というソナム・ツェモの理解が反映されていると考えられる。このように,小乗,大乗とも,尊敬の条件を【定義】と見ており,小乗と大乗との平等性という召S以来の仏説論争の性格に基づいて,彼は注釈を与えていると言える。
( 4 )プトン43偈ab句注釈
プトン造『入菩薩行論注釈「菩提心を照明する月光」」側g靨
加'乞)りイ24 /4 g '乞ツカ4田)のigじんルた立〃いgsal barカ4ヨ4 '乞 ぇグは,彼が召に相当する異本の存在を存知し,而もそれが召Cと同起源と考えた上で,おS注釈書を含む現行西蔵大蔵経に含まれる七つのインド撰述注釈書,さらにチベット学僧による注釈を参照しながらも, 召Cス梵本,並びに召C員尸に沿う形で注釈したものとされている。
しかし,召C尸が偽撰とする第二の論争には,プトンは注釈を与えている。しかも,本来の偈の配列に従わず, 42偈から44偈,召S 33偈への言及, 50偈から52偈, 45偈から49偈, 53偈以降という順で注釈し,二つの論争を一連の物として取り扱う。以上のようにBCAPと解釈が相違する理由は, 43 偈ab句の「ある条件」をめぐるプトンの見解に窺われる。
nged kyi lung Ⅱ1 / sangs rgyas kyis Od srung Chen PO la / des kun dga PO la / des sha na 1 gos can la / des nye sbas la / des dhi dhi ka la / des legs mthong chen po la sogs pa bla ma brgyud pa las byung ba i rkyen te / rgyu mtshan gang gis theg clman gyi lung der te / de la bkar yid ches so / /
Zhe na / rkyen gang gis bkar yid ches pa de ⅲ / theg Chun ba' zhig tu ma zad theg Chen la yang gyis shig / Yis ches pa i rgyu mtshan mtshungs pa i phyir te / theg Chen yang sangs rgyas nas byams pa dang jam dpal sogs rim par brgyud nas bshad par mtshungs pa'i phyir
ro / / 0 g / 174b1ー3
く43偈ab〉「私の阿含は,仏から聖マハーカーシャパMah颪k yapaに 彼からアーナンダAnandaに,彼からシャーナカヴァーシン Sänakaväsinに,彼からウバグプタUpaguptaに,彼からディーティカ Dhitikaに,彼からマハースダルシャナMahäsudaréanaを初めとする方〔に相承されたという〕,師資相承から生じるある条件,即ち,理由によって, その小乗の阿含に対する尊敬がある。」
と言うならば, ある条件によって 〔ある〕 仏説に対するその尊敬を , 小 乗だけに限らず大乗にもなせ。 〔大乗も小乗と〕尊敬の理由は等しいからである。大乗も,仏から,弥勒や文殊を初めとする〔菩薩方〕が,次第に相続して解説された(bshadpa)ということは等しいからである。
この注釈では, 43偈ab句について, yatを具格として了解している。 kuruについては,おそらく,梵本,召C Pの内容から,「大乗にもなせ」と梵本から偈文を直訳する一方,チベット訳の「等しい」という偈句も活かして注釈している。
その上で,プトンは「ある条件」の具体的内容について,【定義】,プラジュニャーカラマティの挙げる定義には触れず小乗,大乗と共に「師資相承」とする。ただし,小乗側では.付法第六祖までによる師資相承であるが, 大乗側は大乗の菩薩による相承とし,その担い手が異なっている点は,プト ンによる解釈の一つの特徴と言えよう。
プトンも, 50, 51偈を【定義】をめぐる議論と見るから,第一の論争と第二の論争とを,異なった定義をめぐる論争として注釈していることになる。 この点は,二つの論争を【定義】をめぐる議論と見るソナム・ツェモとは異 なるが,そうだからこそ,第二の論争に意義を認め,偽撰の指摘を退けているとも受け取れる。いずれにせよ,大乗にも独自の師資相承を主張しているから,プトンはそれに仏説の定義として一定の評価を与え,師資相承,【定義】を小乗,大乗ともに共通する仏説の定義として二つの論争を注釈している点で,大乗と小乗の平等性という,召S以来の仏説論争の性格に基づいて,彼も注釈を与えていると言える。
20
( 5 )タルマリンチェン43偈ab句注釈
タルマリンチェンの注釈『仏子渡岸』rのg〃g。gsは,この仏説論争のもつ意義について,特徴的な見方を示す。彼によれば,この論争は, 阿羅漢果を得る為に法無我を了解する必要はないと主張する声聞独覚に対し, 空性を了解する智慧こそが有趣から解脱する道であると証明するためのものと言う。さらに, 41偈cd句について,「この道以外に菩提はない」と言う経言を『般若経』の一節であると指摘した上で
この本文の二句は,「ある声聞部の者の心にとって,大乗〔経典〕が仏説として成立する。」と〔シャーンティテーヴァが〕主張して,この証明(sgrub byed)を設定するのである。
と言い,この論争が,むしろ小乗の者達に大乗仏教を理解させる為のものと見る。これに関連して, BCAPに引用される「般若経』にも言及し,それが声聞独覚の法無我理解を承認するというナーガールジュナ以来とされる理解を裏付ける経証であることを指摘しながらも,それ以外の数多の経証が引用されていないことを批判する。
以上の大乗仏説論争に対する理解を踏まえて, 43偈ab句を, 42偈cd句から連続した内容として注釈を与えている。ゴシック部分が43偈ab句の注釈部分に相当する。
khyod Skyes ma thag pa dang lung don rigs pas gtan la ma phebs pa i dang po khyod la yang dman pa'i scle snod di tshad mar ma grub la / dus phyis lung tshad mar khas len pa i rkyen te thabs dag gang dul pa la gnang / md0 scle la jug mngon pa i chos nyid dang mi gal bar 」ug pa 1 Chen PO bstan pa sogs lung don rigs pas gtan la bebs pa i thabs gang gis ⅲ lung tshad ma der yid ches par sgrub pa'i sgrub byed de ni theg chen gyi mdo sde la yang mtshungs par yod pa'i phyir ro / / G立jug ngogs [K. 128a2ー3]
〈42偈cd〉君が生まれてまもなく, また,阿含の意味を理証によって
確定していなかった最初は君においても, この小乗経典は量として成立していたのではない。 く43偈ab句〉後の時に,阿含が量として承認される条件, 即ち,およそ方便が「律に見られ,経に入り,論の法性と矛盾しない。」と入る偉大なこと('jug pa'ichen po)を説くことを初めとする経証を理証によって確定している〔が,その〕 何らかの方便によって, 正に阿含が量であるそれに対する尊敬において成立する,証明されるものであるそれは, 大乗経典にも等しいものとしてあるからである。
このように,小乗側にとっても阿含が学習を通じて量としての権威を持っのであって,初めから量として確定していたわけではないと指摘している。
こでの偈文は,現行チベット訳に一致するが,その中で,「師資相承」, プラジュニャーカラマティの仏説の定義ではなく,「条件」として【定義】が取り上げられている。
第二の仏説論争については,召c Pの指摘を紹介した上で,ソナム・ツェモと同様に,召C.の配列通りの位置で注釈を与え,なおかっ, 50偈の「経に入り」と言う言葉を【定義】を意味すると解釈する。しかし,タルマリンチェンの解釈は,小乗側が提出するその定義を「初めとして」と言っている点からも,条件の特定よりも経典が量となる経典理解の過程の平等性に重点を置く。いずれにせよ,彼も,小乗と大乗の平等性に基づく議論として解釈する点は同じである。小乗と大乗を峻別しないこの論法の性格が,シャーンテイデーヴァも声聞独覚の法無我理解を承認すると言う理解につながるものと予想される。
召,召C第一の論争とに通底する論法の性格は,小乗と大乗の平等性と言うことにあった。これに対して,プラジュニャーカラマティは, 召C幽3偈の「ある条件」の具体的内容である「仏説の定義」に,大乗に特有の定義を付加したことで,その召S以来の論法の性格から逸脱し,結果的に仏説の定義について大乗の優位性を説くことになった。このことが,
【定義】をめぐって論争を再開すると見られる第二の論争を,偽撰とする理由となっていると考えられる。
一方,大筋では彼の解釈に従うとされるチベット撰述諸注釈は,仏説論争
引の解釈をめぐっては意見が異なる。その理由は,召Cみ43偈の「ある条件」の具体的内容について,プラジュニャーカラマティの定義を採用せず,各論師で異なる仏説の定義を取り上げながらも,定義そのものについては,小乗, 大乗共にあてはまる,と言う各論師の理解にある。その点で,おS.以来の論法の性格を踏まえた解釈と言える。この論争の性格が,タルマリンチェンによる,声聞独覚にも空性の了解カ坏可欠であり,彼らにも「般若経」が仏説として成立するという,大乗に彼らを誘引するという解釈の素地になっていると考えられる。ただし,この解釈のためには,この仏説論争によって, 大乗経典の仏説性を証明するのみでは不十分である。これは大乗が.小乗と共に仏説であることを証明するのみで,大乗の説く空性の,声聞独覚にとっての必然性までは証明していないからである。この必然性の証明には,仏説論争以外の召C.=4の所説が関わっていることが予想される。
参照テキスト
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ngag gang mdo sde la 'jug de // gal te sangs rgyas gsungs 'dod na // theg chen phal cher khyed cag gi // mdo dang mtshungs 'dod min nam ci // Der. 32b5, Pek. 37a6-7
ekenägamyamänena sakalal!l yadi c10}avat / ekena sütratulyena killi na
引
sarvam jinoditam / / 51 / / V. ed. p. 210.
gal te ma rtogs* gclg gis ni / / thams cad skyon dang bcas gyur na / / mdo mtshungs gclg gis thams cad ni / / rgyal bas gsungs pa cis ma yin / / Der. 32b5-6 , Pek. 37a7 ( * Der. gtogs) 理解されない一部分によって,〔大乗〕全てが過失があるとするならば,〔大乗にも小乗と〕等しい経典の一部分があることから,全てを仏説であるとどうして〔考えられない〕のか。
mahäkäéyapamukhyaié ca yad väkyam nävagähyate / tat tvayänavabuddhatväd agrähyam kah karisyate / / 52 / /V. ed. p. 210.
ngag gang Od srungs Chen PO la / / sogs pas gting dpogs ma gyur pa //de ni khyod kyis ma rtogs pas / / gzung bya min par su zhig byed / / Der. 32b6
Pek. 37a7ー8 また,マハーカーシャパを初めとする方々によって理解されなかったそれ〔大乗〕が,あなたによっても理解されないから〔と言って〕,誰が〔その大乗を〕採用すべきでないだろうか。
なお, 52偈は「マハーカーシャパ」が後述する付法五師の第一祖であるから, 師資相承をめぐっての議論と考えることも出来ようが,インド,チベットを問わず,付法五師に言及してこの偈を注釈するものは現時点で確認できない。
③召ーアクシャヤマティ(Aksayamati)作九章立て約700偈敦煌蔵文資
本編そのものは所蔵されなかったが,二つの注釈書(ーっは第8章のみ)が西蔵大蔵経に所蔵。召C.言との対照により,この二本が同一起源のものであり,そのうち月S鳳が,より原型に近いものと考えられている。斎藤明「敦煌出土アクシャヤマティ作「入菩薩行論』とその周辺」「チベットの仏教と社会」(山口瑞鳳監修)春秋社, 1986 , pp. 79ー109をはじめとする博士の一連の論攷(同「プトウンと「入菩薩行論解説[細疏]」」「印度学仏教学研究」48ー2 , 2000, pp ( 118 )ー ( 123 )に 初期本に言及する論攷のビブリオグラフィーあり)を参照。初期本並びに注釈書八章の校訂テキストは, SAITOは993] ,注釈書を含む初期本八章の和訳にSAITO [2000]がある。また,その注釈書によると,召Sが経[量部] 中観,あるいは瑜伽行中観の思想的文脈でも読まれうることが,明らかとなった (同「「入菩薩行論解説細疏』のシャーンテイデーヴァ理解」『今西順吉教授還暦記念論集・インド思想と仏教文化」(藤井教公他編)春秋社, 1996 , pp. 257ー263 参照)。
④若原雄昭「「入菩提行論」の大乗仏説論」「龍谷大学仏教研究室年報」4 , 1990 , pp. 45ー54参昭
⑤) /S Levi. ed p 4. buddhavacanasyedam laksanam yat sutre vatarati Vlnaye samdréyate dharmatäm ca na vilomayati.
(櫻井)
「大乗荘厳経論」を含む,大乗論書におけるく大乗非仏説論争〉の概要については,高崎直道「大乗仏教のく周辺〉補論大乗非仏説の諸資料」「講座・大乗仏教10」春秋社, 1985 , pp. 18ー34 ,また「大乗涅槃経』における定義の問題と仏説 論争の理論については,本庄良文「阿毘達磨仏説論と大乗仏説論」「印度学仏教学研究」38ー1 , 1989 , pp (59)ー( 64) ,同「「釈軌論」第四章一世親の大乗仏説論ー」
「神戸女子大学紀要」Vol. 23-1未:イ・ツ昭い、0
⑥この三偈の,プラジュニャーカラマティの指摘,ソナム・ツェモ,プトンの解釈については櫻井智浩「「入菩提行論」第九章50 ~ 52偈の解釈をめぐって」「印仏研』第五十号第一巻, 2001, pp. (162 )ー(164)で触れている。併せて,参照された
⑦月)4〃g cん訪立襯sゆ4 sか,0イ加g加ラ翔襯カ房d加'乞がゑァ雇Der. No. 3873 , Pek. No. 5274.
ぉ川ろんツが乙Der. No. 3876 , pek. No. 5278.後者は,前者の般若章部分と同等である。cf. SAITOは993].
その中で,注釈者はda ni mtshung pa nyid du bsgrub pa'i phyir khyed kyi "hung gis Zhes bya ba la sogs pa gsungs te . SAITO卩993] p. 74.「今や,〔,小乗と大乗との仏説性について〕平等性に基づいて論証するために, 君の経論については云々〔の召S.ス31偈cd句〕を〔アクシャヤマティは〕おっしやるのである。」と,この論争の匪格を述べている。
$) theg pa chen po la yang sangs rgyas kyi bka nyid du yid ches pa man ngag brgyud pa las grub pa nyid shes par gyis shig.「大乗においても,仏説であると尊敬が,教法の相承によって成立すると知れ」. SAITOは993] p. 74
⑨ (BCA41ab, BSA, missing) 〔主張者毘婆沙師〕 satyadarsanato muktih éünyatädarsanena klm / V. ed. p. 202. 120 bden pa mthong bas grol gyur gyi / / stong nyid mthong bas ci zhig bya / / Der. 32a7, Pek. 36b7-8
〔四聖〕諦を見ることから〔こそ〕解脱があるが,空性を見ることに何の必要があろうか。
(BCA41cd, cf. BSA31ab)
〔主張者シャーンテイデーヴァ〕 na vinänena märgena bodhir ity ägamo yatah / / 41 / / V. ed. p. 203. 13 gang PhY1r lung las lam 'di ni / / med par byang chub med par gsungs / / Der.
32a7 , Pek. 36b7-8
「この道以外に菩提はない」 と言う経言があるから。
(BCA42 BSA. missing)
〔主張者シャーンテイデーヴァ〕
) 35
nanv asiddham mahäyänam katham siddhas tvadägamah// yasmäd ubhayasiddho 'sau na Siddho 'sau taväd itah / / 42 / / V. ed. P. 204.
117ー123 gal te theg chen ma grub na / / khyod kyi lung ni ji Itar grub / / gang Phyir gnyis ka la di grub / / dang PO khyod la di ma grub / / Der. 32a7ー32b1 , Pek. 36b8 大乗は決して証明されていないではないか。〔と言うならば,それなら〕どうしてあなたの阿含が〔仏説であることが〕証明されるのか?〔あなたが〕なぜなら, 両者にこれ〔小乗〕は成立するからである〔と言うならば,〕最初から〔あなたの〕これ(経言)は成立していなかったではないか。
(BCA43. cf. BSA32)
〔主張者シャーンテイデーヴァ〕 (梵本,チベット訳は本文に掲載) ある条件をする,それ(小乗)に対して,尊敬がある〔ならば〕,その〔同じ尊敬〕を大乗にもなせ。
〔もしもあなたが,我々〕以外の両者によって認められることが真理であるならば,ヴェーダ等も真理となるだろう。
(BCA44,矼BSA33)
〔主張者シャーンテイデーヴァ〕 savivädam mahäyänam iti ced ägamam tyaja/ tirthikaih savivädatvät svaih parais cägamäntaram / / 44 / / V. ed. p. 206. 11. 4-5 theg Chen rtsod bcas* phyir Zhe na / / lung la mu stegs pa* rnams dang / / lung gzhan la yang rang gzhan dag / / rtsod bcas yin Phyir dor byar gyur / / Der. 32b2 , Pek. 37a1ー2
*Pek. bcad *Pek. mu stegs can 大乗は論争がある,と言うならば,〔あなたの〕経言を捨てよ。
外道達と,また自分達と他者達とも論争があるから,他の経言も捨てよ。
BCA41偈ab句は,現行本独自の要素として見なしうるが, cd句は,その内 容をめぐって以下の偈で大乗仏説論が論証されると見られる点からも, BSA32 偈前半との関連が窺われる。42偈も内容的には小乗側の阿含も大乗同様に仏説であると証明できないと指摘し,両者の承認が仏説・非仏説のメルクマルであるのを否定する点では, BSA31偈および「入菩薩行解説細疏」におけるその注釈, BSA32偈後半に相応し, 44偈はBSA33偈前半に,内容的には相応するものと言んる
⑩以下引用する43偈ab句の注釈部分はV. ed. p. 205 , 11. 1ー22. Der. 218b5一219b2 , pek. 245b7ー246b5に相当するが,煩瑣になるのを避けるため,各々の場所は注
(櫻井)
記しない。
⑩ SAITO [ 1993 ] pp. 73ー74.
⑩ SAITO [ 1993 ] p. 75.
⑩ SS, Vaidya. ed. p. 12 , Ⅱ . 19ー27.「集菩薩学論」では,菩薩の二種の罪
(äpatti)に関連して,上記の弁才を誹謗した場合に,悪趣に落ちる,と言う後半の内容に焦点が当てられている。
⑩火G塚Jhonston. ed. p. 117 , Ⅱ . 13ー16. Ruegg .ん凜Tのga g“わ
Goケ4. Publications du l'école Francaise d'Extrame-Orient LXX Paris.
1969. p. 35 ,高崎直道「宝性論」(「インド古典叢書」)講談社1989 , p. 210参照。
⑩この語義については,前掲若原論文p. 47 ,注( 16 )参昭
⑩さらに彼は,先述の総括の最後でtat katham süträdisamsyandanam buddhavacanatve hetur uktam ? tasmäd yat kimcid etat / (). ed. p. 206 Ⅱ 21ー22)「どうして,経等の同一(samsyandana, mthun (a)が仏説であることについて理由であると言えようか。それ故,これはつまらない議論である」と述べており,あまりこの議論を重視していない。
⑩他のインド撰述注釈書でも,プラジュニャーカラマティの43偈ab句の注釈内容に見られたように, 43偈ab句の「ある条件」について具体的に何を想定するかが,各注釈書の内容の相違,さらに第二の仏説論争の偽撰問題への関わりの違いにも関係してくることが想像される。今回は,参考までに,それぞれの注釈書で, yat-pratyayäのチベット訳,小乗側,大乗側の見る条件,第二の仏説論争への対応との関係を簡単に次頁表にまとめておく。
各注釈書の概要については江島恵教「「入菩提行論』の註釈文献について」「印度学仏教学研究」14ー2 , 1966 , pp. 190-194 , 50偈~ 52偈の内容については,若原前掲論文p. 50, p. 46注(26 )~ ( 28 )参照
⑩ cf. David P. Jackson "Madhyamaka Studies Among the Early Sa-skya-pas THE TIBET〇しⅣムvol. X, Ⅱ 0. 2 , 1985 , pp. 20ー34.
⑩櫻井前掲「印仏研」論文参照。
⑩ 52偈には別の科文がたてられ,「(小乗によって)理解されないことによって
(大乗経典が)否定されることは誤った証因である」(Toyo. ed. ca306bl. )と述 べられるのみである。
詳細は,斉藤明「プトウンと「入菩薩行論解説[細疏]」」『印度学仏教学研究」 48ー2, 2000, pp. ( 118 )ー( 123 )参照。
@ ' g司173bb4ー175b2.櫻井前掲「印仏研」論文:彡昭・第い、0
「付法蔵因縁伝」「阿育王伝」大正蔵50巻にあげられるものとは,一部配列等か 異なる。
また,「蔵漢大辞典』によるとマハースダルシャナは付法第七祖となる。 櫻井前掲「印仏研」論文参照。
) 37
①「入菩薩行善会」 ②「入菩薩行細疏」 ③「般若章細疏」 ④「入菩提行論意趣細疏・殊勝解明」
Der. No. 3874., 73b3ー4. Pek. No. 5275. , a86a4ー5 Der. No. 5b., 144b5ー145a1.
Pek. No. 5277. , 170a3ー8 Der. No. 3876. , 166a2ー3
Pek. No. 5278. , 195aト3 Der. No. 3 0. , 266a4ー5
Pek. No. 5282. , 318a4ー7
rgyu gang glS gang Zhig rkyen rnams 1・kyen gang gis rkyen gang gis
小乗一定義なし
シャーンティテ・一ヴァ-定義なし 小乗ー「師資相承」
【定義】
シャーンアイア・一ヴ「宝性論」v. 18 小乗ー「師資相承」
シャーンテイデーヴ
師資相承によって,
小乗の阿含に尊敬が成立するならば,その尊敬を大乗にもなせ。 小乗ー「師資相承」「経に入り,律に見られ,論の法性と矛盾しない」シャーンティテーヴァー-言及なし。
50ー52偈に注釈 50 , 51偈のみ注釈 50ー52偈に注釈 50ー52偈を削除
プラジュニャーカラマティの偽撰の指摘を紹介し,シャーンテイデーヴァの著作に関する伝承に言及したうえで,偽撰を否定 フラジュニャーカラマティの指摘を紹介
52偈については, 「を初めとする」の語によって,マハーカートャーヤナが省略されていると言い,師資相承については触れていない( '〇イg / 175a7ー175b2)。
①だG /立jugれgog可K. 127b2] gzhung rkang pa gnyis PO di nyan thos scle pa ga Zhig gi blo ngor theg Chen po bkar bsgrub bzhed nas sgrub byed di bkod pa yin no / /
⑦櫻井智浩「「入菩提行論』第9章第41偈の注釈における引用経典プラジュニャーカラマティ造Bodhicaryävatärapafijikäからタルマリンチェン造rGyal sras 'jug ngogsまでの展開」(「平成十二年度特別研修員研究発表要旨」)「大谷学報」第八十巻第四号, 2001, pp. 43ー45未こイ・ハ昭、、0
K. ed 130b3ー131a3。なお,ツオンカバ全集にも〔召C.幻般若章注釈「明慧」 s?イg訪おわラわんo gSという般若章のみに対する注釈書があるが,そこでもタルマリンチェンと同等の定義が言及され,それが小乗と大乗に共通であると解釈されている(Pek. No. 6133 , 12b3ー4 )。
(元本学特別研修員仏教学)
シャーンティデーヴァ作『入菩薩行論』の伝承と変容
研究報告1
シャーンティデーヴァ作『入菩薩行論』の伝承と変容――初期本テクストの発見秘話
斎藤 明
東京大学大学院人文社会系研究科教授
はじめに
インド起源の仏典のなかでも,とくに大乗仏教系の経典や論書にとって,内容的に最も古い伝承を残すのは,多くのばあい漢訳仏典である(1)。
下の表は,文献の使用言語という視点からみた,大乗系仏典の一般的な伝承経路を略記したものである。中国で誕生した,いわゆる「偽経」のケースを除いていうなら,漢訳仏典の依拠した写本は,ほぼ例外なくサンスクリット語か,あるいはまたその一部なり全体が,広範囲の諸地方語をふくむ中期インド語(6C.B.
C.-11C.A.D.)によって伝承されていた。
[口誦伝承]→書写・執筆(パーリ語をふくむ諸地方語[中期インド語c.6C.B.C.-11C.A.D.],サンスクリット語)→[一部サンスクリット語化]→ 翻訳(漢訳,チベット語訳等)→重訳(日本語訳,モンゴル語訳等)
とはいえ,残念なことに,今日われわれが入手しうる写本の多くは,近年発見されたアフガニスタン出土の写本群(2)―その一部は2C.A.D.にも遡るという― のような例外的なケースを除くなら,漢訳仏典が成立した時代よりは,はるかに時代が下って筆写され,今に伝えられたものである。もっとも,そのようなばあいでも原典レヴェルの変容が小さければ,ことはおよそ翻訳の質という問題に絞られることになり,内容的にはそれほど大きな問題が生じるとも思われない。しかし,実際には,程度の差こそあれ,仏典の中身そのものの変容という問題は決して小さくはないのである。というのも,初期の経典や律典における口誦伝承の伝統や,部派間での伝承内容の相違,何らかの実践的ないし思想的な要請にもとづく増広や改編,伝承過程での諸地方語の使用,伝播した地域や国における人々の伝統的な思考法の影響,筆写上のミス等々の事情は,仏典の中身の変容をもたらす要因として,想像以上に大きく作用するからである。しかも,これはなにも経典や律典に限られていることではなく,著者名がはっきりした論書にあっても,ときに同様の事態は生じる。つまり,裏を返していうなら,多くの仏典はそのような変容をへて初めて,新しい時代に受け入れられ,新たな地域で受容され,そしてまたそこから新たな仏典の伝承が展開していったということである。
ここでは,そのような代表例の一つとして,後期中観思想を代表する論師の一人であるシャーンティデーヴァ(´Sa¯ntideva, c.690-750)の主著『入菩提(菩薩)行論』(3)の例を報告したい。
この文献のばあいのポイントは,以下の三つに要約されるであろう。
)その第一は,敦煌出土のチベット語写本の中に,内容において最も古いと推定される伝承が残されていたということである。つまり,現行のサンスクリット語写本や,漢訳,チベット語訳,およびチベット語訳からの重訳であるモンゴル語訳のいずれもが,後代の増広と改編をへた伝承にしたがうものと推定されたということである。
*また次に,敦煌出土のチベット語文献の伝承と現行本系のそれとでは,内容的な相違も大きく,しかも著者名さえも異なっているということ。そして,後述のように,実はこの2つの問題が,敦煌出土本を同定するうえで大きな障害となったのである。
+さらにまた,敦煌出土本は,シャーンティデーヴァの思想史的な位置づけの再考を促す重要な文献であったということ。この点は,当該の敦煌本そのものの重要性もさることながら,この発見により,現行のチベット大蔵経の中に,初期本系テクストに依拠する著者不明の注釈『入菩薩行論解説[細疏]』の存在が確認されたということのもつ意味が大きい。
この中の)と+のポイントについては,すでに論じていることもあり(4),ここでは主に*に関連して,初期本を同定するにいたった経緯と,その過程で確認されたいくつかの事実という点を中心にして簡潔に報告したい。
1. シャーンティデーヴァと『入菩薩行論』
[シャーンティデーヴァの伝記]
シャーンティデーヴァと『入菩薩行論』Bodhisattvacarya¯vata¯ra の伝承について,プトゥン『仏教史』(1322年)の伝える内容を略説すれば,以下のとおりである。
かれは,南インドの王族の出身で,幼名をシャーンティヴァルマン(*´Sa¯ntivarman)といった。父王が逝去したその晩,マンジュシュリー(文殊)菩薩の夢告があり,王位には菩薩が代わって就くと告げられたかれは即座にその趣旨をさとり,出家の道を選んで,ナーランダーに赴くことになった。ナーランダーでは戒師ジャヤデーヴァ(*Jaya -deva)のもとで具足戒を受け,以来シャーンティデーヴァの名を得た。かれは瞑想の中でマンジュシュリー菩薩の教えを聞き,それを深く考察しながら,独自の論を構成した。ただし,ナーランダー僧院におけるかれの外面的な振る舞いは顰蹙ものであったようで,周囲からはブ・ス・ク,つまり「食って」「寝て」「ほっつき歩く奴」(bhu-su
-ku)というあだ名で呼ばれた。
あるとき,周囲の僧たちは,暗誦経典を詠唱させるテストを行うことによって,シャーンティデーヴァの追放を企てる。既知の経典ではなく,未知の内容のものを念誦することで合意したかれは,
『入菩薩行論』という名の未知の論を,大衆を前にして朗誦する。「[心前に]有も無も[あらわれない]時には」(同論第9章・第35偈)云々と唱えると,かれの身体は空中高くに昇ってゆき見えなくなるが,論が終了するまで,その声だけは途絶えることがなかった。その後,記憶力のある者らが,聞いた通りにその論を[文字の形で]まとめようとしたとき,700,1000,1000以上のシュローカ(詩頌の一形式)のものがあって疑念が生じた。そこで,南インドに戻っていたシャーンティデーヴァのもとに二人の僧を遣わし,かれ自身の真意を尋ねさせたところ,かれは1000詩頌を完備したものが正しいと答えた,という。(5)
これに類する伝記は,ヴィブーティチャンドラの注釈『入菩薩行論意趣細疏』(12C.末-13C.初頭)の冒頭部(6),チベット大蔵経・デルゲ版の『テンギュル(論書部)目録』(7),ターラナータ『インド仏教史(』1608)(8)等に出る。上の伝記の中で注目されるのは,真偽はともかく,『入菩薩行論』が初めから文字によって書かれた論書ではなく,シャーンティデーヴァ自身はそれを朗誦したと伝えていること。さらに,それが口誦で広く伝承された後に,しばらくして文字に記そうとしたときには,すでに複数のヴァージョンがあったということ。そして,それらの複数の伝承の中で,シャーンティデーヴァ自身は,1000シュローカあるものが正しいと語ったと伝えること,これら三つの点であろう。
[『入菩提(菩薩)行論』の特色]
この問題に立ち入る前に,ここでいま,『入菩提(菩
薩)行論』の特色の一端にふれてみたい。
この論書は,菩提心(bodhicitta),六波羅蜜( satpa¯-
・・ ramita¯),廻向(parina¯mana¯)という大乗の菩薩のある
・べき振る舞いを,流麗な詩文にのせて謳いあげた後期インド仏教を代表する論書の一つである。ただし,論書とはいえこの作品は,ただ単に正しく読解するということのみを目的とするのではなく,むしろ700余り ―現行本では913―の詩頌からなる同本を,読誦し暗誦するなかで六波羅蜜等のあり方を身読するという実践的なネライを孕んでいる。その意味で同書は,後期大乗仏教における,一種の経典的な性格を帯びたユニークな論書であったといえるであろう。しかもその秀麗な文章は,随所に透徹した人間観察をうかがわせ,近年における研究の高まりもまた,本書のもつ現代的な価値の大きさを物語っている。
この論書が日常的に読誦されることを予想した論書であることは,1人称単数表現を多用することや(9),読誦する者が自らの心(citta)あるいは意(manas)に直接訴えかける表現をしばしば用いている点にもうかがえる。ここではその一例として,「自己と他者の平等性(para¯tmasamata¯)」に関する初期本第6章「精進の説示」(VI.34-39,66)(10),およびそれに相当する現行本第8章「禅定波羅蜜」(VIII.91-96,137)(11)内のいくつかの詩頌を一瞥したい。
「あたかも身体が,手[や足]などの区別によって多くの部分をもちながら,一体なものとして護られねばならないように,この[様々に]区別された世界(jagat)全体もまた,等しく苦・楽を本質としており,まさに同じよう[に,一体なものとして護られねばならないの]である。」(初期本
VI.34;現行サンスクリット本 VIII.91)
「たとえ私の苦は,他の人々の身体を苦しめないとしても,私にとってはそれは苦(duhkha)にほ
・かならない。自己を愛着する(a¯tmasneha)ゆえに耐えがたい[のであるから]。」(VI.35; VIII92)「同じように,たとえ私自身は他人の苦を知覚しないとしても,その人にとって,それは[まさに]苦である。自己を愛着するゆえに耐えがたい[のであるから]。」(VI.36; VIII.93)
「私は他人の苦を滅ぼさねばならない。自分自身の苦のように,苦なのであるから。私は,他の人々をも慈しまねばならない。自分自身が有情(sattva 「感覚をもつもの」)であるように,有情なのであるから。」(VI.37; VIII.94)
「私にとっても,他の人々にとっても,安楽(sukha)が好ましいのはまったく同じである。そのときに,いったいいかなる特別なことがあって,こ[の自分]についてだけ安楽であることに努めるのか。」
(VI.38; VIII.95)
「私にとっても,他の人々にとっても,恐れ(bhaya)と苦しみは好ましくない。そのときに,いったいいかなる特別なことがあって,私はこ[の私の分]は護るが,他[の人々の分]は護らないのか。」
(VI.39; VIII.96)
......「あゝ意(ココロ)よ,汝は『私は他[の人々]と結びついている』との決心をなせ。汝はいま,すべての有情の利益をのぞいて,他のことを考えてはならない。」(VI.66; VIII.137)
以上の「自己と他者の平等性(para¯tmasamata¯)」,あるいは「自己と他者の置換(para¯tma-parivartana)」というテーマは,シャーンティデーヴァによって,菩薩に課せられた重要な実践徳目の一つとされた。なお,ただしまたそれが菩薩ならではの努力(精進)の問題であるのか,あるいはまた禅定における洞察の問題と受けとめるべきかという点をめぐっては,初期本と現行本に依拠するそれぞれの注釈者間に意見の食い違いがあった。上に引用した関連詩頌が,両本において異なった章に配置されているのも,実はこの点に関係している。初期本系の注釈文献である著者不明の『入菩薩行論解説[細疏]』は,このテーマは声聞らとは異なる菩薩ならでは精進のあり方に関わる問題であると主張した。そして,現行本系の他の注釈者が,著者の真意も解さずに勝手に当該の詩頌を別な章(第8「禅定波羅蜜」章)に移して注釈を施していることを強く非難する(12)。
この論書の特色は,以上のような実践論的な観点からのそれに尽きるのではない。とくに第8章「智慧(般若)の説示」―現行本・第9章「智慧の完成(般若波羅蜜)」―におけるシャーンティデーヴァ独自の二真理説,対象認識に関する世人とヨーギンの差異をめぐる議論,我(a¯tman)批判の論理,有形象唯識派が説く知(心)の自己認識説に対する批判,大乗仏説論,独自の空性説にもとづく四念処観など,初期本と現行本とを対比するなかで,改めて考察が求められている思想史上の課題も少なくない。
2. 『入菩提(菩薩)行論』の受容
本書は,後期インド仏教(c.7C.以降)および後伝期(10C.後半以降)のチベットにおいて,同じ著者の『学処集成』´Siksa¯samuccaya とともに,上述のよ
・うな菩薩の実践徳目を読誦する中で身読させるという性格をもつことから,『菩薩地』「戒品」によるアサンガ流(=唯心流 sems tsam lugs)に対して,シャーンティデーヴァ流(=中観流 dbu ma lugs)の菩薩戒(菩薩律儀)を説く論書として,長く重んじられてきた(13)。
これと並行して,先にもふれたように,とくに第8章「智慧(般若)の説示」―現行本・第9章「智慧の完成(般若波羅蜜)」―の理解をめぐって,8世紀には,認識対象を外界の実在と理解する(経[量部]中観)か,あるいはそれを認識内部の形象と理解するか(瑜伽行中観)という思想史的な文脈で読まれていたことが,初期本に依拠する『入菩薩行論解説[細疏]』によって明らかとなった(14)。
ただし,10世紀後半以降は,プラジュニャーカラマティやアティシャ(982-1054)の影響もあって,同論は現行本系のヴァージョンが次第に主流となる。とともにまた,シャーンティデーヴァの思想解釈についても,「中観帰謬[論証]派」の事実上の祖と位置づけられたチャンドラキールティ(c.600-650)に引き寄せて理解される傾向が強まることになる。
一方,そのような中でまた,同じくヴィクラマシラー寺院を舞台に11世紀前半に活躍した有形象唯識論者のジュニャーナシュリーミトラ(c.980-1030)は,本書の現行本系のヴァージョンに依拠したうえで,シャーンティデーヴァを有形象論者と見なしている。かれは自著の『有形象証明論』Sa¯ka¯rasiddhisa¯stra´ の中で,シャーンティデーヴァが「見られたもの,聞かれたもの,知られたものは,ここにおいて決して否定されない。しかし,ここにおいて,[それらを]真実であると構想分別することは,苦悩の原因であって,斥けられる。」(現行本IX.26,本報告補遺参照)と語る点に注目した。かれの理解によれば,この詩頌の中の
「真実であると」と訳した satyatah は,むしろ前半の
・
一文に連結して読まれるべきで,このとき前半文は,「見られたもの」云々「は真実において決して否定されない」という内容になる。そのうえで,「見られたもの(」drsta)等を「形象」(a¯ka¯ra)と理解するなら,
・・・
シャーンティデーヴァは明らかにここにおいて有形象説を認めていることになる,というのがかれの解釈であった(15)。
後伝期のチベットにおいてはまた,とくにアティシャの系統を引くカダム派がこの論書を重んじ,「カダム六宗典」の一つと位置づけた。また,プトゥン(1290-1364)もこの論書を重要性を認め,同書に対する当時入手可能であったすべての―10を数える―注釈文献をチベット大蔵経・テンギュル(論書部)に自ら編入した。なおまた,同論は1312年にチベット語訳からモンゴル語に重訳されている(16)。
3. 新旧両本の伝承
現在入手できる『入菩提(菩薩)行論』の写本,あるいは翻訳の成立年代は以下のとおりである。
[サンスクリット諸写本] ネパール本 c.11C 以降
[漢訳]『菩提行経』(天息災 980-1000の間)
[チベット語訳]1 Sarvajña¯deva & dPal brtsegs, based on a ms. from Ka¯sm¯ıra(early 9C.).´
2 Dharmasr¯ıbhadra´ & Rin chen bzang po (958-1055) & Sha¯kya blo gros, based on a ms. from Madhyadesa “middle country” (from late´
10C. to early 11C.).
3 (Rev.) Sumatik¯ırti & Blo ldan shes rab (1059-1109) (from late 11C. to early 12C.).
[モンゴル語訳]Chos kyi ’od zer (1312)
この表からも明らかなように,同論はシャーンティデーヴァ(c.690-750)によって8世紀前半に著され,早くも9世紀初頭にはチベット語訳が現れている。敦煌出土のチベット語文献の中に発見されたのが,実はこのときの翻訳である(ここでは初期本あるいは旧本と名づける)。漢訳でなく,チベット語訳が最も古い伝承を残しているという珍しいケースの一つであるが,これは著作年代が,チベットにおける前伝期―9世紀前半以前―の国家的規模で遂行された翻訳活動の時期に近接していたという事情も与っている。これに対して,現在サンスクリット語写本として伝承されるテクストは,宋代の天息災の漢訳,現行のチベット語大蔵経に伝わるロデン・シェーラプ校訂本,さらにその重訳であるモンゴル語訳とともに,結果として増広された新本に相当する。いま,新旧両本の章立てと各章内の偈頌数を比較すると,
同偈頌数
章番 新本章名 (Tib., Mon.偈頌数) 旧本章番同偈頌数
1 Bodhicitta¯nusamsa´ ・ 36( 36) 1 36
2 Papadesana¯´ 66( 65)
3 Bodhicatta¯parigraha 33( 33.5) 2 98
4 Bodhicattaprama¯da 48( 48) 3 48
5 Samprajanyaraksana・ ・・ 109(109) 4 94
6 Ksa¯ntipa¯ramita¯・ 134(134) 5 127
7 V¯ıryapa¯ramita¯ 75( 76) 6 84
8 Dhya¯napa¯ramita¯ 186(187) 7 59
9 Prajña¯pa¯ramita¯ 168(167) 8 90.5
10 Parina¯mana¯・ 58( 57.5[Mon.58]) 9 66
Total 913(913[Mon.913.5]) 702.5
となる。旧本では,新本の第2,第3両章が合体されているため,全体で9章立てである。総偈頌数は,旧本が702.5偈であるのに対して,新本は913偈(モンゴル語訳は913.5偈)に結果として増広されている。偈頌総数もそうであるが,両者の間の内容的な相違は,後半第5章(旧本第4章)以降に集中している。また増広とはいえ,これはあくまでも総数のうえでの増広を意味するのであって,実際には両者の間にはかなりの出入りがある。両者の間の内容的な相違については,すでに一部論じたが(17),ここでは,新旧両本の相違を端的に示す一例として,本報告の補遺のかたちで,第9章(旧本第8章)内の「自己認識説批判」をめぐる論議の異同を挙げることにする。自己認識(svasam-
・ vitti, -vedana)説とは,知は知自身[の形象]を認識するという,ディグナーガ(470-540頃)が経量部説等をふまえて確立したとされる理論で,シャーンティデーヴァは新旧両本においてこの説を批判する。新旧両本の出入りとともに,新本には偈頌の構成上の問題があることは,この例からもうかがえるのである。
4. 初期本テクストの発見秘話
ここで最後に,敦煌出土本がなぜ旧本であることが判明したのか,また従来の研究ではなにゆえその点を解明するに至らなかったのかという問題を考えてみたい。
いま敦煌出土本というのは,スタイン収集本(St.)(ドゥ・ラ・ヴァレ・プサン目録Nos.628,629,630-I)およびペリオ収集本(Pt.)(ラルー目録No.794)の総数4点をさす。この中のPt.No.794は,実は本来St. No.628の23葉に連続する最後の一葉であり,両者を合わせるとほぼ完本となる。
スタイン収集の敦煌チベット語写本は,今世紀初め,王道士の手により莫高窟千仏洞において偶然発見された諸写本の一部で,A.スタインが,第2次中央アジア探検の途次1907年にそれを入手し,最終的にロンドンのインド省図書館に収蔵されたものである。そして,このスタイン卿の招聘により,ベルギーの仏教学の泰斗L.ドゥ・ラ・ヴァレ・プサン氏が当該目録の作成に心血を注いだのは,第一次大戦もさなか(1914-18)のことである。ただし残念ながら,この目録は彼が逝去した1938年までに完成を見ることはなかった。それが現在のよう形で最終的に目録として完成し,1962年に公刊されたことについては,長い間インド省図書館において司書を務めたF.W.トーマス氏の功績も忘れてはならない(18)。
さて,このドゥ・ラ・ヴァレ・プサン目録は,敦煌本の性格のいくつかを的確に紹介している。すなわち,タイトルこそ『入菩薩行論』であるが,現行本と相違する箇所が少なくないこと。現行のチベット大蔵経には収められていないこと。St.629の奥書には著者名がアクシャヤマティ師であると記されていること。訳者はペルツェク他であること。St.628の冒頭には『中論』の八不偈が導入偈として採用されていること等である。いずれも,簡潔ながら正鵠を射た紹介である。とくに,訳者がペルツェクである点にも言及しているのであるから,目録作者が,もしもこの時点で後述のプトゥン『仏教史』内の関連記述か,あるいはまたせめて現行のチベット語訳の奥書と対照してさえいれば,この敦煌出土本こそは,その奥書のいうペルツェク訳の第1次翻訳に相当するのではないか,という推測をもつことは十分に可能であったように思われる。それにも関わらず,結果としてこのような推測に至らなかったのは,やはり,論書でありながら現行のシャーンティデーヴァに帰せられる『入菩薩行論』との内容的な相違が大きく,しかも著者名さえも異なっていることがネ
ックになっていたものと考えられる。
その後1975年には,オーストラリア国立大学のJ.W. ドゥ・ヨング氏が,先にもふれたヴィブーティチャンドラの注釈『入菩薩行論意趣細疏』(12C.末-13C.初頭)の冒頭部に置かれたシャーンティデーヴァの伝記をサンスクリット文とチベット語訳とを対照させながら詳細に検討し,併せて現行チベット語訳本の奥書,プトゥンの『仏教史』,およびターラナータ『インド仏教史』の関連記述を分析した(19)。この研究は,1968年に公刊されたA.ペッツァリ氏による包括的なシャーンティデーヴァ研究(20)に対する批評論文であるが,実はこの中で,ドゥ・ヨング氏は,プトゥンのある重要な指摘に着目した。すなわち,プトゥン『仏教史』最終章の訳経論目録の中の,『入菩薩行論』の項目下に置かれた『入菩薩行論』のヴァージョンの相違と,アクシャヤマティという著者名に関する以下のような記述である。(21)
「『入菩薩行論』:シャーンティデーヴァ作,Dク[・ロデン・シェーラプ 1059-1109]訳。これは三大目録には確かに600シュローカ・2巻と出るのであるが,
[現行のヴァージョンは]1000シュローカとして知られている。かの,アクシャヤマティ著といわれる9章から成る『入菩薩行論』とこれ[つまり,10章から成る現行本]は同一でないとの説が多いのであるが(sPyod ’jug le’u dgu pa Blo gros mi zad pas mdzad zer ba de dang ’di mi gcig ces smra ba mang yang),「罪業懺悔」の章[=第2章]を別に設ける設けないという相違と,翻訳の先後の相違とを除いて,同一であると私は述べる。」
これは,決定的ともいえる重要な記述で,ワシントン大学(後にハンブルク大学)のD.セイフォート・ルエッグ氏もまた1981年,プトゥンによるこの記述に言及している(22)。しかし残念ながら,両者ともに,ドゥ・ラ・ヴァレ・プサン目録を介して敦煌出土チベット語写本の中に9章立ての初期本が現存する事実を知るには至らなかったのである。そのためもあって,ドゥ・ヨング,セイフォート・ルエッグ両碩学にして,上の下線部の記述は,「『入菩薩行論』の第9章がアクシャヤマティによって著され,それ(600シュローカ本?)とこれ(1000シュローカ本?)は同一でないという説が多いでのあるが」(23)と誤読される結果となった。敦煌本に照らすことができたなら,容易に回避されえた問題であった。
かくして,これら先学による諸研究の蓄積のうえに,筆者が幸運にも敦煌本に巡りあったのは,オーストラリア国立大学の先のドゥ・ヨング教授の下に留学中の1982年のことである。その少し以前から東洋文庫チベット研究委員会(山口瑞鳳代表)による『スタイン蒐集チベット語文献解題目録』の作成にたずさわり,また『講座敦煌6・敦煌胡語文献』(同編)所収論文の執筆締め切りも迫っていたことから,Ph.D.論文作成の合間を縫って,中観思想関連のいくつかのスタイン収集写本を現行本と対照しならがら読んでいたある日,上述のSt.628,629,630-Iに遭遇した。とはいえ不明なことに,筆者もまたこれらが『入菩薩行論』の初期本に相当する文献であることを即座に理解したわけではなかった。偈頌の出入りも多く,論の後半にかなりの相違があり,著者名も相違するとするなら,これは関連する疑似論書の一つというべきではないかという疑念をどうしても拭えなかったのである。
これらの問題が氷解し,ペルツェク訳と明記される敦煌出土本こそは紛れもなく『入菩薩行論』の原形に近い内容を伝承するという推定を得るにいたるまで,その後数年を要した。敦煌本を同定するに際しては,この間に以下のような事実を目の当たりにしたことが大きな意味をもったのである。
8ロデン・シェーラプによって訳文が改められたはずの現行本の偈頌訳に,どういうわけか旧訳(初期本のペルツェク訳)が半偈分だけ消去されずに残されてしまっている例(第3章・第1偈)が確認されたこと。したがって,この偈頌は,通例4詩節であるはずの訳文が,後半偈に新旧の訳が混在しているため,6詩節をもつ(24)。
8プトゥン『仏教史』最終章の訳経論目録における関連記述を,西岡校訂本で知り(25),敦煌出土本は,600シュローカのアクシャヤマティ作と伝承されるヴァージョンに当たるに違いないとの確信をえたこと。600シュローカは,『デンカルマ目録』(824[/836]年)も同論を「600シュローカ・2巻」と記すように,当該文献の大きさを示す概数で,実際の偈頌数は702.5偈である。(それゆえまた913偈からなる現行本もまた,1000という概数で記されている。)
8現行のチベット大蔵経の中に,初期本の訳本は収められていないが,初期本系の注釈文献『入菩薩行論解説[細疏]』が存在することを確認したこと。(その註釈内でも『入菩薩行論』の著者名はアクシャヤマティと言及される。)
8なお,著者名アクシャヤマティについては,アティシャ(982-1054)の『入菩薩行論注』も言及するが(26),それにもまして興味深い記述が『デルゲ版・テンギュル目録』の中に確認された。同目録の記述の多くは,ヴィブーティチャンドラの注釈『入菩薩行論意趣細疏』の冒頭に置かれたシャーンティデーヴァの伝記,およびプトゥン『仏教史』の関連記述に負っているが,『入菩薩行論』を朗誦したシャーンティデーヴァがアクシャヤマティと呼ばれた経緯に関する以下の記述は,他の関連する諸伝記の中に確認されておらず,実に注目に値するものであった。
「[シャーンティデーヴァは]『入菩薩行論』という大論を説かれた。「[心前に]有も無も[あらわれない]時には」(初期本VIII.26;現行本IX.35)云々と[説かれた]時,[かれは]四諦の法性を現前に観察され,聖者文殊師利もまた目前の空中にましました。[このことを]目のあたりにした大衆は,信心を生じ,
「この勝れたお方こそはアクシャヤマティ(Aksayamati・ )である」と声を一つにして呼びあったのである(skyes bu dam pa ’di ni Blo gros mi zad pa’o zhes mgrin gcig tu sgrogs so//)。そして[最終の]「廻向」章を説かれた時,文殊師利を懐ける空界に昇ってゆき,ついには[その姿が]見えなくなってしまった。しかしながら,清浄な響きをもつ[その]法音は,論の終了するまで途絶えることがなかったのである。......。その後,ナーランダーの学者たちがその論を文字に記そうとした時,カシュミールの者たちは700シュローカあるものを記憶しており,また中部地方の者たちは1000シュローカあるものを記憶していた。」(27)
この記述によれば,アクシャヤマティという呼称は,シャーンティデーヴァが『入菩薩行論』をナーランダーにおいて大衆の面前で朗誦した際に与えられたもので,これが正しければ,アクシャヤマティ(無尽意)菩薩にイメージをダブらせた別称ということになるであろう。
むすび
以上のような経緯のなかで,またその後に遂行された各論的な諸研究をとおして,敦煌出土本は,紛れもなくシャーンティデーヴァ作『入菩薩行論』の最初期の形態を伝えるものであることが明らかとなった。同論には,とくに後半の内容に大きな相違のある複数の伝承があったことは,プトゥン『仏教史』等のいくつかの伝記の記すとおりであることが確認された。しかしながら,先にみたような,複数の伝承の中で1000シュローカあるもの,つまり現行本系のヴァージョンが正しいとシャーンティデーヴァ自身がお墨付きを与えたという話しは,現行本系のヴァージョンを正当化するための,むしろ後代―10世紀後半以降―の創作であると理解するのが相応しいものと考えられる。ただし,それにしても,はたしていつ,いかなる背景のもとでそれぞれの伝承が成立したのか,―この点はいまだに謎として残されているのである。
ささやかな一例ではあるが,古典学においては一次資料の発掘や発見がどれほど貴重なものであり,またそれらを基礎にした先人の諸研究の蓄積がいかに不可欠なものであるかということ,そして同時にまた,それらの既存の研究を踏まえながらも,積極的な批判や論争をとおしてはじめて,次のステップにつながる興味深い発見もあり得ることを,『入菩提(菩薩)行論』の事例は端的に示しているといえるであろう。
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注)
1.ここでは,大乗仏教の代表的な経典と論書の一つである『法華経』と『中論』の例をあげる。以下は,それぞれの文献に関する,サンスクリット語写本,漢訳,チベット語訳の順に成立年代を示したもので,いずれも漢訳が最古の伝承を残す典型的な例である。
8『法華経』Saddharmapundar¯ıkasu・・ ¯tra(c.1C.A.D.)
[サンスクリット写本]
ネパール本 c.11C.以降の書写
ギルギット本 c.7C.(?)以降の書写
中央アジア本 c.9C.以降の書写(ただし,大谷探検隊将来・旅順博物館蔵本は c.5-6C.)
[漢訳]『正法華経』(竺法護 A.D.286)
『妙法蓮華経』(鳩摩羅什 A.D.406)
『添品妙法蓮華経』(闍那崛多等 A.D.601)
「二訳を考験するに,定めて一本に非ず。護[訳]は多羅の葉に似たり。什[訳]は亀茲の文に似たり。」(『添品法華』序文,大正蔵 vol.9,134c4-5)
[チベット語訳] Surendrabodhi & Ye shes sde(early 9C.).
8『中論』Madhyamakasa¯stra´ (by Na¯ga¯rjuna [c.150-250])
[サンスクリット写本] チャンドラキールティ注『プラサンナパダー(明句論)』(c.7C.)所引テクスト c.11C.以降の書写
[漢訳] 青目注『中論』所引テクスト(鳩摩羅什 A.D.409)
[チベット語訳]『「般若」という名の根本中論』
Prajña¯-na¯ma-mu¯lamadhyamakaka¯rika¯:
Maha¯sumati, Kanaka (Rev.) &Nyi ma grags (late 11C.)
2.See R. Salomon, “A Preliminary Survey of Some Early Buddhist Manuscripts Recently Acquired by the British Library”, Journal of the American Oriental Society 117.2, 1997, pp.353-
358; 松田和信「バーミヤン渓谷から現れた仏教写本の諸相」『古典学の再構築』7(特集・「文明と古典」第3回公開シンポジウム報告),2000.7, pp.32-35.
3.『入菩提行論』Bodhicarya¯vata¯ra は現行のサンスクリット本,プラジュナーカラマティの『同論細疏』(Skt.,Tib.),ヴィブーティチャンドラの『同論意趣細疏』(Tib.)に出る論名で比較的新しい呼称。これに対して,同論の Tib. 訳をふくめ,Tib. 訳に残る他のすべての註釈文献は『入菩薩行論』Bodhisattvacarya¯vata¯ra である。漢訳(『菩提行経』)は前者の系統。拙稿「Aksayamati・ 作・異本 Bodhisattvacarya¯vata¯ra について」『日本西蔵学会々報』32,pp. 1-7(esp.p.6,n.1)参照。
4.斎藤明「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」『チベットの仏教と社会』(山口瑞鳳監修)春秋社
1986, pp.79-109;同「『入菩薩行論解説細疏』のシャーンティデーヴァ理解」『今西順吉教授還暦記念論集・インド思想と仏教文化』(藤井教公他編)春秋社 1996, pp.257-263;同「『入菩薩行論解説細疏』の思想的立場とめぐって」『印度学仏教学研究』45‐2, 1997, pp.422-428他。なお,敦煌出土本と,それに依拠する『入菩薩行論解説[細疏]』に関する文献一覧については,A. Saito, A Study of the Dun-huang
Recension of the Bodhisattvacarya¯vata¯ra (A Report of Grant-in -Aid for Scientific Research (C)), 2000.3, Mie University, pp.105-108参照。
5.See The Collected Works of Bu-ston 24 (´Satapitaka Series
・
vol.64), Ya 114a3-115a1.
6.See J.W. de Jong, ”La légende de Sa¯ntideva”,´ Indo-Iranian Journal 16-3, 1975, pp.161-182.
7.前掲拙論「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」pp.100-101参照。
8.See A. Schiefner, Ta¯rana¯thae de doctrinae buddhicae in india propagatione, Petropoli, 1868 (repr. Tokyo: Suzuki Research Foundation, 1963), p.125.16-p.128.2.
9.梶原三恵子「Bodhicarya¯vata¯ra の基本性格―一人称の意味するもの―」『待兼山論叢』(哲学篇)25, 1991, pp.25-38参照。
10.A.Saito, op.cit., pp.33,34,37.
11.I.P. Minayev, “Bodhicarya¯vata¯ra”, Zapiski Vostochnago Otdeleniya Imperatorskago Russkago Arkheologicheskago Obshchestva 4, St. Petersbourg, 1890, pp.200,201,204.
12.前掲拙論「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」p.100;同「『入菩薩行論解説細疏』のシャーンティデーヴァ理解」pp.592-593参照。
13.小玉大圓「チベットにおける戒律の傳統について―序説―」
『仏教大学研究紀要』53, 1969, pp.79-120;同「『瑜伽論』戒品のチベット文註釈書類に見られる諸問題」『同』54, 1970, pp.117-129;藤田光寛「〈菩薩地戒品〉所説の菩薩戒の一考察」『印度学仏教学研究』34‐2, 1986, 867-874;同「チベットにおける菩薩戒受容の一断面」『同』36‐2, 1988, pp.871877;石田智宏「Bodhicarya¯vata¯ra における波羅提木叉と懺悔法―改編と改訳の証跡―」36‐2, 1993, pp.1-27;藤田光寛「瑜伽戒における不善の肯定」『日本仏教学会年報』65, 2000, pp.107-125;宮崎泉「菩薩戒受戒儀式の一断面―アティシャの『儀軌次第』―」『同』65, 2000, pp.93-106他参照。
14.前掲拙論「『入菩薩行論解説細疏』のシャーンティデーヴァ理解」pp.586-591;拙稿「中観思想史におけるシャーンティデーヴァの位置をめぐって」『宗教研究』69‐4, 1996, pp.173-175参照。
15.この点は,本科研費による研究成果として先の第36回国際アジア・北アフリカ研究議(於モントリオール 2000.8.27-
9.2)において”Jña¯nasr¯ımitra’s Understanding of Sa´ ´¯ntideva as a
Sa¯ka¯rava¯din”と題して口頭発表を行った。
16.I. de Rachewiltz, The Mongolian Tanjur Version of the Bodhicarya¯vata¯ra, Wiesbaden: Harrassowitz Verlag, 1996.
17.拙論「『入菩薩行論』の謎と諸問題―現行本第九「智慧の完成(般若波羅蜜)」章を中心として―」『東方学』87, 1994, pp.136-147;同「『入菩薩行論』新旧両本における自我批判」『日本仏教学会年報』62, 1997, pp.49-62.
18.L. de la Vallée Poussin, Catalogue of the Tibetan Manuscripts from Tun-huang in the India Office Library, Oxford University Press, 1962.
19.De Jong, op.cit., ”Lé legende de Sa¯ntideva”, pp.161´ -182.
20.A. Pezzali, ´Sa¯ntideva, mystique bouddhiste des VIIe et VIIIe siècles, Firenze: Vallecchi Editore, 1968.
21.前掲拙論「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」pp.80-82参照。
22.D. Seyfort Ruegg, The Literature of the Madhyamaka School of Philosophy in India (A History of Indian Literature 7-1), Wiesbaden: Otto Harrassowits, 1981, p.82,n.267.
23.De Jong, op,cit., p,182, 3-6; see also n.22.
24.前掲拙論「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」pp.90-91.
25.西岡祖秀「『プトゥン仏教史』目録部索引4」『東京大学文学部・文化交流研究施設研究紀要』5, 1982, pp.43-95 (esp.
p.53).
26.前掲拙論「敦煌出土アクシャヤマティ作『入菩薩行論』とその周辺」p.100.
27.sDe dge ed., Shr¯ı 79a3-6.
補遺:『入菩提(菩薩)行論』旧本第8章・新本第9章における自己認識(svasamvitti,・ -vedana)説批判をめぐる内容異同について
A 新旧対照表(*はテクストの一部に内容的な相違が推
定される偈頌であることを,また は対応する偈頌が
欠落していることを示す)
旧
14 15
16
17
18
19
20 21 22 新
15cd+*16ab
*17ab+ 18ab
*18cd+ 19ab *19cd+*21cd
*25
22
*23
24ab+
*26 新
15cd
16
17
18 19 20
21
22
23 24 25
26
27-30 旧
14ab
*14cd+
*15ab+
15cd+*16ab
16cd+*17ab
+*17cd
19
*20
21ab+
*18
*22
B 新旧両本和訳(旧本は,Saito, op.cit., A Study of the Dun
9-huang Recension of the Bodhisattvacarya¯vata¯ra,pp.50-51を,新本は Minayev,op.cit., “Bodhicarya¯vata¯ra”, pp.209-210をテクストとして使用)
[旧本 第14-22偈]
14 [瑜伽行派] 迷乱[心]さえ存在しないときには,幻は何によって知覚されるのか。
[論者] 君にとっては幻さえも存在していないとき,何が知覚されることになるのか。
15 [瑜伽行派] 心がまさに幻であるとき,そのときには何が何によって知覚されようか。
[論者] あたかも刀の刃が自らを切りはしないように,意(ココロ)もまた同様である。
16 [瑜伽行派] もしも灯火のように,自己と他のものとを照明するのである,というなら,
[論者] 灯火は照明されない。なぜなら,[もともと灯火自身は]闇に覆われていることはないのであるから。
17 [同] 青は,水晶のように,青のための原因に関係しない。青い状態にあるものが,自分で自分自身を青くしているのである。
18 [瑜伽行派] 知は他の縁を伴って[自己を]照明する
(*praka¯sayati´ ),というなら,
[論者] [自己認識論を説く者にとっては]色形や眼薬なども知のなかに含まれているのではないのか。
19 [論者] 「灯火は照明する」と,知によって知ったうえで語られる。「知(buddhi)は照明する」というのは,何によって知ったうえでそのように語られるのか。
20 [同] 照明するにせよ,あるいは照明しないにせよ,誰によっても見られないのであるから,不妊女性(石女)の子[について云々すること]のように,語るのも無意味なのである。
21 [瑜伽行派] もしも自己認識が存在しないなら,[眼識や耳識等の]識はどうして記憶されるのであろうか。
[論者] ほかならぬ記憶された対象によって,考察されるまでもなく,そ[の識]は記憶されるのである。
22 [同] なぜなら(yatha¯),見られたもの,あるいは聞かれたものすべては,ここにおいて否定されない。しかし,ここにおいて,
[それらを]真実であると構想分別することは,苦悩の原因であって,斥けられる。
[新本 第15cd-26偈]
15cd[瑜伽行派] 迷乱[心]さえ存在しないときには,幻は何によって知覚されるのか。
16ab[論者] 君にとっては,ほかならぬ幻が存在していないとき,そのときには何が知覚されるのか。
cd[瑜伽行派] もしも,ほかならぬ心の形象(a¯ka¯ra)が,真実において,[心そのものとは]別なものとして存在する,というなら,
17ab[論者] 心がまさに幻であるとき,そのときには何が何によって見られようか。
cd[同] 世間の主[=ブッダ]によって,心は心を見ない,と語られている。
18ab[同] あたかも刀の刃が自らを切りはしないよ
うに,意(ココロ)もまた同様である。
cd[瑜伽行派] もしも,灯火のように自分自体を照明するのである,というなら,
19ab[論者] 灯火は照明されない。なぜなら,[もともと灯火自身は]闇に覆われていることはないのであるから。
cd[瑜伽行派] 青は青であるために,水晶のように,他のものに関係しないからである。
20ab[同] それと同様に,あるものは他に関係し,また[あるものは]関係しないということが見られる。
cd 省略(プラジュニャーカラマティの『同論細疏』にナシ)
21ab[論者] いったい何が,青であるそれ自身を,それ自身で青くするであろうか。(同細疏にナシ)
cd[同] 青でないばあいには,それはそれ自身を,それ自身で青くすることはない。[因と縁によって青くなるのである。]
22 [論者] 「灯火は照明する」と,知によって知ったうえで語られる。「知(buddhi)は照明する」というのは,何によって知ったうえでそのように語られるのか。
23 [同] [知が]照明するのか,あるいは照明し
ないのかは誰によっても見られない。そのときには,不妊女性(石女)の子の美しさ[を語ること]のように,それを語るのも無意味なのである。
24ab[瑜伽行派] もしも自己認識が存在しないなら,[眼識や耳識等の]識はどうして記憶されるであろうか。
cd[論者] 他のものを知覚したときに,[それとの]結合関係にもとづいて想起がある。あたかも鼠の毒[が,毒を活性化させる雷鳴などを契機に効果を生じること]のように。
25ab[瑜伽行派] 他の[,例えば占い師による呪文や他人の心を知る神通力等の]縁と結合した者に,[他人の心が]見られるのであるから,[心は]自己を照明する。
cd[論者] 魔法の膏薬を[目に]塗ることによって見られた[隠れた]瓶は,膏薬そのものとはなりえない。
26 [同] 見られたとおりのもの,聞かれたとおりのもの,知られたとおりのものは,ここにおいて決して否定されない。しかし,ここにおいて,[それらを]真実であると構想分別することは,苦悩の原因であって,斥けられる。
内容的にみれば,新本は以下のような詩頌構成が求められるであろうか。
1: 15cd+16ab
2: 16cd+17ab
3: 17cd+18ab
4: 18cd+19ab
5: 19cd+20ab
20cd (不要偈)
6: 21
7: 22
8: 23
9: 24 10: 25 11: 26
(B01「伝承と受容(世界)」班・公募研究)
게셰 텐진 남카 중관 해석
대자대비하신 석가모니 부처님과 법에 대해 능통하신 역대 스승들과 특히 반야의 의미에 대해 설법하신 은혜로운 스승들께 절하여 귀의합니다. 중관에 대해 할 수 있을 만큼 해석하겠습니다.
1. 삼전법륜
석가모니 부처님께서는 이 지구상에서 세 번의 법륜을 굴리셨다. 이를 삼전법륜이 라고 한다. 첫 번째는 부처님께서 성불하신 그 해에 사성제에 대해 설법하신 사성 제 법륜이고, 두 번째는 그 다음해에 굴리신 무상법륜, 세 번째는 바이샬리 지역 등에서 굴리신 선변법륜(분별법륜)이다.
삼전법륜을 설함에 따라서 대승과 소승불교의 사대학파가 생겨났다. 첫번째 법륜을 굴림에 따라서 유부와 경량부가 생겨났고, 두 번째 법륜을 굴림에 따라서 중관학파 가 생겼으며, 마지막 법륜을 굴림에 따라서 유식학파가 생겨났다.
석가모니 부처님의 이러한 설법을 모두 통칭하여 팔만대장경이라고 한다. 팔만대장 경을 핵심요약하면 반야경이라 할 수 있고, 이를 더 요약하면 반야심경이다. 그 중 에서도 핵심은 보리심과 공성, 이 두 가지라 할 수 있다.
첫째는, 한국 큰스님들 말씀에 “상구보리 하화중생”이라고 하여 “위로는 보리를 구 하고 아래로는 중생을 교화한다”라는 말이 있는데, 이것이 바로 보리심의 마음이 다. 즉 중생을 돕고자 깨달음을 추구하는 마음이다. 그렇기에 보리심은 뿌리는 바 로 자비심이다. 둘째, 공성에 대한 것은 입중론을 통해서 말하겠다.
2. 입중론에 대해
반야경의 직접적 주제는 공성이며, 간접적 주제는 도의 체계이다. 그 중 공함의 체 계는 석가모니 부처님께서 예언하신대로 용수논사께서 해석하셨다. 용수논사께서는 중관이취육론을 저술함으로써 심오한 공성에 대해 상세하게 밝히셨다.
그 중 하나인 『중론』은 중도의 심오한 의미를 논리로써 확립한 논서이다. 이 논서 에서는 실유론자들이 증익한 ‘아’와 ‘법’의 자성을 부정하여 유무의 두 가지 극단을 제거한 실상을 확립했다.
『중론』의 주석인 『입중론』은 인도어로 ‘마드야마까와따라(Madhyamakāvatāra)’, 티벳어로는 ‘우말라죽빠’라고 하며, 그의 의미는 ‘『중론中論』에 들어간다(入)’라는 것 이다.
사실 『중론』에 대한 다양한 해석이 있는데, 그 가운데 월칭논사께서는 중론의 의미 를 중점적으로 해석한 『입중론』과 그의 게송을 중점적으로 해석하신 『명구론』을 저 술하여, 용수논사의 의도를 자립논증학파와 공통되지 않으며 유식학파와도 차별화 된 귀류논증학파의 방식으로 풀어내셨다.
월칭논사께서 쓰신 중론의 주석서를 『입중론』이라고 하는데에는 두 가지 이유가 있 다. 첫째는 심오한 공성의 의미를 설하고, 둘째는 광대한 도의 체계를 설하기 때문 이다.
첫째, 『입중론』이 심오한 공성을 설함으로써 『중론』에 들어간다고 하는 방식은, 유 식학파와 달리 외경外境과 식識 둘 모두 언설로 성립한다고 주장하며, 자립논증학파 와 달리 자성自性으로 성립하는 것이 언설로도 존재하지 않음을 밝힘으로써 『중론』 의 의도를 분명하게 해석한다는 것이다.
둘째, 『입중론』이 광대한 도의 체계을 설함으로써 『중론』에 들어간다고 하는 방식 은, 광대한 도道의 차제를 기술함으로써 『중론』을 해석한다는 것이다. 『중론』 자체 에서는 광대한 도의 차제를 설하지 않았지만, 『입중론』은 용수 논사의 또 다른 논 서인 『보만론』에 나타난 가르침으로 보완하여 범부지에서 무학도無學道까지의 수행 체계를 설명하고 있기 때문이다.
3. 성불하기 위해 두 가지 자량이 필요함 입중론에서는 다음과 같이 설한다.
세속과 승의의 광대한 하얀 두 날개로 백조 왕은 많은 백조들을 앞서 가서 선행의 바람의 힘으로써 승자의 공덕 바다로 건너갔다. ) 육지보살六地菩薩인 백조 왕은 광대한 도의 체계와 심오한 도의 체계, 즉 이 제二諦의 도道인 ‘광대한 하얀 두 날개’로 오랫동안 쌓아온 자량이라는 ‘바람 의 힘’을 받아 ‘승자의 공덕 바다’로 건너갔다.
일체지의 경지를 얻길 원한다면 육지보살이 행하는 것을 배워서 방편인 보리 심과 지혜인 공성에 대한 인식, 이 두 가지 날개로써 정진해야 한다. 지혜와 방편이 부족하여 단편적인 도를 수습한다면 그 어디에도 가지 못한다. 육십송여리론에서 다음과 같이 설한다.
이 선근으로 모든 중생이 복덕과 지혜자량을 쌓아
복덕과 지혜자량으로 생긴 색신과 법신을 얻게 하소서.2)
보만론에서는
왕이여, 붓다들의 색신은 공덕자량에서 생긴 것이며 법신은 지혜자량에서 생긴 것이네.3) 그러므로 이 두 가지 자량은 부처를 얻는 원인이니 요약하면, 이러한 공덕과 지혜에 항상 의지하소서.4)
라고 설하였다.
위 게송의 의미처럼 부처의 색신과 법신을 얻기 위해서는 두 자량을 함께 닦 으며 실천해야 한다. 왜냐하면 결과인 법신과 색신 역시 각각 단편單片적인 것이 아니기 때문이다. 이처럼 원인인 방편과 지혜를 함께 닦지 않으면 원인이 분리되기 때문에 그 결과로 또한 색신과 법신의 쌍수雙修를 성취하지 못하게 된다. 그러므로 결과에 색신과 법신 두 가지가 있으며, 원인에 지혜와 방편 두 가지가 있어야 하고, 따라서 그것의 대상인 두 가지 진리가 있어야 한다.
대승보요의론에서
보살은 능숙한 방편에서 벗어난 심오한 법성을 행하지 말아야 한다. 방편과 지혜가 쌍수하는 것이 보살들의 올바른 행위이다.
2) 육십송여리론, 61게송.
3) 보만론 3장 13게송. 4) 보만론 3장 14게송.
라고 설하였다.
4. 인무아人無我와 법무아法無我
입중론에서 다음과 같이 설하였다.
무아無我는 중생들을 해탈시키기 위해서 법法과 인人 두 가지로 구분하여 설해졌다.5)
사백론석에서 다음과 같이 설한다.
소위 ‘아我’라고 하는 것은, ‘타에 의존하지 않는 사물들의 성품’이다. 그것이 없다는 것이 ‘무아’이다. 이것을 법法과 인人의 구분으로 두 가지로 이해해야 한다. 그것이 법무아와 인무아이다.6)
입중론석에서는 유신견은 아我와 아소我所의 상相을 가진 염오혜染汚慧이다.7)
라고 하였다.
상기 인용문에서는 부정대상인 아가 무엇인지, 이에 대해 두 가지로 구별하는 방식, 이로 인해 두 가지 무아를 분류하는 방식에 대한 귀류논증학파의 주장이 다른 학파들과 다르다는 것을 매우 분명하게 나타내고 있다.
월칭보살께서 입중론과 입중론석 등에서 이와 같이 주장하는 근거는 여러 경經과 용수보살의 논서에서 찾아볼 수 있다.
반야심경에서
세존의 위신력으로 장로 사리불이 관자재보살 마하살에게 이렇게 말했다. "어떤 선남자 가 반야바라밀의 깊은 행을 닦기를 원한다면 어떻게 배워야 합니까?" 이렇게 물었을 때 관자재보살 마하살이 장로 사리불에게 이렇게 말하였다. "사리불이여! 어떤 선남자와
5) 입중론 6지 149게송.
6) 사백론석, 중관부中觀部, 논장論藏(bstan 'gyur), 데게판(sDe dge), 1733. ba, 190쪽. 3줄. 7) 입중론석, 중관부中觀部, 논장論藏(bstan 'gyur), 데게판(sDe dge), 'ai, 292쪽, na, 7줄.
선여인 누구든 반야바라밀의 깊은 행을 닦기를 원하는 자는 이와 같이 명확히 알아야 하느니라. 오온조차도 자성이 공함을 보아야 한다.
라고 설하였다.
삼매왕경에서는 다음과 같이 설한다.
그대가 자아를 인식하는 것처럼 모든 것에 그와 같이 적용해야 한다. )
성대집경聖大集經에서는 다음과 같이 설한다.
아我를 어떻게 보는가 그대로 일체중생들을 보아야 하고 일체중생들을 보는 그대로 모든 법을 알아야 한다. )
보만론에서 다음과 같이 기술하고 있다.
자아는 지地가 아니고 수水가 아니며 화火가 아니고 풍風이 아니며 허공(空)이 아니며 식識이 아니니, 모두가 아니라면 그 외에 무엇을 자아라 하겠는가? )
자아는 육계六界의 취합이기 때문에 진실한 것이 아니다. 그와 같이 각각의 계 또한
취합이기 때문에 진실한 것이 아니다. )
앞 게송의 “자아는”부터 “진실한 것이 아니다”까지는 자아에 대한 아를 부정 하기 때문에 아공을 가리키며, 나머지의 게송은 오온에 대한 아를 부정하기 때 문에 법공을 가리킨다.
자아는 자신이 이름 붙이는 대상인 사대四大, 허공空, 식識 등 육계六界 중 그 어느 것도 아니다. ‘이 모두가 아니라면’이라는 것은 그러한 계界의 취합이 자 아임을 부정하는 것이다. 즉, 자아는 육계에 의존하여 가설되기 때문에 진실하 지 않다는 것이 인무아이다. 또한 자아가 오온의 각각의 일부가 아니며 그것의 취합도 아니며, 또한 각각의 일부와 그것의 취합과 별도로 존재하지 않는 것이 아공의 의미이다.
뒤 게송의 ‘그와 같이’부터 ‘아니다’까지는 자아가 공한 것처럼 오온 또한 각각 의 부분과 부분의 취합에 가설되기 때문에 진실하지 않다는 것이며, 이것이 법 무아이다.
부정적으로 표현하면 자성으로 성립된 자체가 아我이며, 이것이 자아에 성립하 는 것이 인아人我이며, 오온에 성립하는 것이 법아法我가 된다. 그렇기 때문에 긍정적으로 표현하면 자아가 자성으로 공한 것이 인무아이고, 오온이 자성으로 공한 것이 법무아이다.
귀류논증학파는 두 아가 요점이 같다고 보기 때문에 부정대상의 아에 대해 두 가지로 분류하여 그것을 분류한 측면에서 두 가지 무아로 구별하는 것이 아니
다. 공함의 토대인 논제에 대해 두 가지로 분류하여 그것의 측면에서 두 아로 구별하는 점이 유식과 자립논증학파와도 다르다.
자아라고 이름을 붙이는 대상인 육계도 자아가 아니고, 오온도 자아가 아니라 면, ‘나’는 없는 것인가? 나는 고통과 행복을 경험하기 때문에 존재하며, 밥을 먹는 등 행동을 하기 때문에 존재한다. 그렇다면 ‘나’의 존재 방식은 무엇인 가? ‘나’는 오온에 의지하여 가설할 뿐이다.
자아와 오온이 공한 것과 같이 일체제법 또한 그와 같다고 앞에서 말한 삼매 왕경에서 설하였다. 제법이 자성으로 성립되지 않는 것이 제법의 궁극적 실상 이며, 제법의 법성이며, 승의제이기도 하다. 자성으로 성립되지 않은 방식은 어떤 법이든 이름만으로 가설하여 존재할 뿐이며, 그것에 만족하지 않고 가설 된 의미와 대상의 각 부분에서 찾으면 발견되는 것이 없다. 이에 대해 자세한 내용은 지혜의 등불을 참고해야 한다.
5. 예시로써 공성을 설명 입중론에서 다음과 같이 설한다.
이것(마차)이 승의나 세간으로 7가지 측면에서 성립되는 것이 아니지만 분석 없이 오직 세속에만 알려진 것과 같이 여기서 자신의 가지를 의존하여 가립한 것이다.12)
입중론에서는
마차의 부분들의 취합이 마차가 아니며
마차와 아我는 같으니.13) 경에서 아는 오온에 의존한다고 말씀하시니 그러므로 오온의 취합은 자아가 아니네.14)
예를 들어 마차는 마차의 바퀴 등 부분의 취합에 가설할 뿐, 마차의 바퀴 등 각각의 부분과 그것들의 결합, 그의 형태나 색깔 등은 마차가 아니기 때문에 마차는 그 부분 가운데서 찾으면 발견되는 것이 없다.
또한 염주는 108개의 염주 알로 구성되어 있지만, 염주의 각각의 부분들과 부 분의 조합, 그것의 모양, 색깔 등 어느 것도 염주라 할 수 없으며, 염주 또한 그 부분들이 아니다. 108개의 알로 구성되며, 그 염주에서 알을 하나씩 빼내면 염주는 사라져버릴 것이다. 즉 염주는 가립된 부분의 측면에서 발견되는 것이 없다. 그러나 염주는 많은 부분에 의지하기 때문에 이러한 부분이 없이 존재하 는 방식 또한 없으며, 이 부분들로 인해 ‘염주’라고 가설될 뿐이다.
만일 염주가 자신의 부분의 측면에서 성립되거나 염주의 부분 가운데 찾아서 발견되는 것이 있다면 염주가 자성으로 성립되며, 자신의 측면에서 성립되고, 실제로 성립되는 것이다. 이와 같이 제법은 자신의 부분에 의존하여 가립될 뿐
12) 입중론 6지, 158게송.
13) 입중론, 6지, 135게송.
14) 오온의결합을인정하는그때, 마차의바퀴등마차의부분들의모임이마차가되는허물이생긴다. 왜냐하면 마차와아는자신의부분의결합에가립되는것이같기때문이다.
이며 가립된 토대의 측면에서 성립되는 것은 없고, 가립된 토대의 부분 가운데 서 찾아도 발견되는 것이 없다.
6. 참나를 찾는 방식
그와 같이 ‘나’는 오온에 의지하여 가설될 뿐이며 오온에서 ‘나’가 성립되는 것 은 조금도 존재하지 않는다. ‘나’가 오온의 측면에서 발견되지 않는다는 의미 역시 이와 같다. ‘나’는 온 등에 가설하지만 오온 가운데 색色도 ‘나’가 아니고 수受도 ‘나’가 아니며 상想, 행行, 식識도 마찬가지로 ‘나’ 아니다. 오온의 다 른 본질이 ‘나’의 사례가 될 수 없다.
홍길동의 오온과 그 부분의 조합을 홍길동이라고 가립하지만, 이 홍길동은 가 립된 토대 가운데 찾으려 하면 그 부분의 가운데서 발견되는 것이 없다. 그러 므로 홍길동은 가립된 토대의 측면에서 성립되는 것이 아니며, 마음으로 가립 될 뿐이다.
자아가 오온에 의지하기 때문에 공하다는 것처럼 오온자체도 각각의 부분에 의지하 기 때문에 공하다. 이와 같이 일체법들이 각각 자신의 부분으로 인해 가립될 뿐이며 가립된 토대의 측면에서 성립되는 것은 존재하지 않는다. 또한 어떠한 유분도 그의 부분의 측면에서 성립되는 것이 존재하지 않는다. 왜냐하면 가립된 토대의 부분 가운 데 찾으려 해도 발견되는 것이 없는 까닭이다.
그러면 법성 또한 자신의 부분에 의존하여 가립되기 때문에 승의로 존재하지 않는가? 또는 가립된 의미를 찾아서 발견되는 것이 없는가? 이 또한 그렇다고 주장한다. 경에서도 다음과 같이 말한다.
수보리가 말하길 “천신들이여, 열반 또한 환과 같고 꿈과 같다고 말하면 다른 법들은 말할 필요가 있겠는가?” 천신들이 말하길 “성자 수보리시여, 열반 또한 환과 같고 꿈과 같다고 말하는가?” 수보리가 말하길 “천신들이여, 나는 만일 열반보다 더 수승한 법이 있더라도 우리는 그것 역시 환과 같고 꿈과 같다고 말한다.”
귀류논증학파는 식과 그의 대상 둘은 분석한 끝에 발견되는 것이 없다는 점에 서 같고, 분석한 끝에 발견되는 것이 없지만 전혀 없는 것이 아니라고 인정한
다. 또한 일체법은 명칭으로 가설하여 정립하는 것만으로 존재하며, 마음으로 가설해서 존재하는 것을 건립한 정도에 허물이 없다고 인정한다.
그러므로 귀류논증학파의 특별한 특징은 아와 아소의 법들이 자신의 측면에서 성립되지 않고 명칭으로 가립될 뿐이지만 행위의 체계는 매우 타당하다. 왜냐 하면 일체법은 의존하여 가립된 연기이기 때문이라고 주장하는 것이다. 이것이 월칭 논사를 비롯한 용수논사의 다섯 부자의 의도이다.
7. 유·무의 두 가지 ‘아’
그러므로 많은 경과 논서에서 ‘아’에 대해 기술한 내용은 두 가지로 구분되어 야 한다. 언설로 존재하는 ‘아’와 언설로 존재하지 않는 ‘아’이다. 전자의 ‘아’ 는 윤회와 열반의 토대가 된 ‘아’로서 반드시 존재해야 한다. 왜냐하면 이러한
‘아’가 없으면 업과業果가 소비되어 정진하는 것이 무의미하게 될 것이기 때문 이다.
내가 고통을 겪으면 이것이 내가 전에 지었던 업의 결과이며, 내가 행복을 겪 으면 이것이 내가 전에 지었던 선업의 결과이다. 선악의 업을 짓는 자인 나와 결과인 고락을 경험한 내가 있어야 하기 때문이다.
보통 언설로 ‘나’와 ‘너’라고 분별하는 마음은 언제나 생기고, ‘내가 고통을 원 하지 않고 행복을 원하는 마음’ 역시 저절로 생긴다. 행복을 원하고 고통을 원 하지 않는 것은 배우지 않아도 중생들 마음속에 본래부터 가지고 있는 구생俱生이다. 이러한 행복을 원하는 자, 고통을 경험하는 자는 존재해야 한다. 고통 이 존재하기 때문에 그 고통에서 벗어나고자 하는 마음을 일으켜 해탈을 원하 는 것이 아닌가? 그러므로 업을 짓는 자, 과보를 경험하는 자, 윤회하는 자, 해탈에 다가가는 자가 존재한다는 것은 불교의 사대학파 모두가 인정하는 사 실이다.
후자의 ‘아’는 인아의 ‘아’와 법아의 ‘아’이자 공성 또는 무아를 확립할 때 부 정해야 함으로 존재하지 않는 ‘아’이다. 이에 대해서는 위에서 설명하였고, 아 래에서도 다시 설명할 것이다.
8. 상견과 단견
경론에서 공성을 중관이라 표현한다. 중관의 의미는 상견과 단견 두 가지를 여 읨을 의미한다. 이 또한 제법이 연기이기 때문에 공하다고 확립할 때 자성으로 공하다는 것으로 상견을 제거하고, 연기이므로 전혀 없는 것이 아니며, 이로써 단견을 제거한다.
예를 들면 걸음을 잘못 디디면 떨어져서 사고가 생기는 곳을 절벽의 끝이라고 하며, 절벽의 양쪽 끝에서 벗어난 안쪽 가운데가 중간이라고 세간에는 알려져 있다. 그와 같이 여기서도 어떤 것을 취하면 악견의 절벽에 떨어져 파멸되는 곳을 극단이라고 한다. 이에 대해 두 가지가 있다. 상견常見과 단견斷見이다. 첫째, 외도들이 주, 시바신, 하느님 등이 영원하다고 보는 것 등은 거친 상견 이다. 자립논증학파 이하의 학파들이 ‘제법이 자성으로 존재한다’고 보는 것과, 실유론자들이 ‘제법이 진실로 존재한다’고 보는 것들은 미세한 상견이다.
중론에서 어떤 것이 자성으로 존재하는 한 이것은 비존재가 아니기 때문에 항상한 것이다.15) 라고 설하였고, 명구론에서는
어떤 것이 자성으로 존재한다고 말하는 것은 자성을 부정하지 않기 때문에 언제나 비존재가 아니다. 그렇다면 자성이 존재함을 인정하기 때문에 항상한 것(상견)으로 보게 될 것이다.16)
라고 설하였다.
둘째, 외도들이 업과 과보, 삼보 등이 없다고 인식하거나, 사성제와 전생·후생 이 없다고 인식하거나, 해탈과 일체지가 없다고 인식하는 것 등은 거친 단견이 다. 그와 같이 자립논증학파 이하의 학파들이 ‘제법이 자성으로 존재하지 않는 다면 존재하지 않아야 한다’고 인식하는 것 등은 미세한 단견이다. 이러한 견 해들을 가진 자를 단견에 머문다고 표현한다.
15) 중론 15품, 11게송.
16) 명구론 15장 243 페이지 5줄, 바라나시티벳불교대학, 2009.
중론에서
전에 생겨난 것이 현재 없다고 말하는 것 이것으로 단견에 빠지게 될 것이다.17) 라고 설하였다. 명구론에서는
왜 사물과 비사물을 보는 것이 있으면 상과 단을 보는 것인가?18) 어떤 것이 자성으로 존재한다면 이것은 비존재함이 불가능하기에 상견이다. 전에 생긴 것이 현재 없다는 것, 이것으로 단견이 되는 것이다. 어떤 것이 자성으로 존재함을 말하는 것이 자성이 없는 것이 아니기 때문에 언제나 없는 것이 아니다. 그러나 자성이 존재함을 인정하기 때문에 상견이 될 것이다. 예전에 머물던 시점에 사물의 자성을 인정하고, 현재 그것이 멸하기에 없다고 인정하면 단견이 되는 것이다.19) 라고 하였다. 또한 명구론에서
만일 모든 것이 공하다는 것을, 즉 모든 것이 없는 것이라고 이해하면, 그때는 이것이 전도된 분별이다.20)
라고 말하였다. 앞의 말씀은 일체법이 공하다는 의미를 일반적으로 없거나, 있 지 않음의 의미로 이해하는 것이 전도된 견해라 설하는 것이다.
유와 유변, 무와 무변을 구별해야 한다. 예를 들면 악도의 고통이 있다고 보면 상견에 빠지는 것이 아니며, 불지에 허물이 없다고 보면 단견에 빠지는 것도 아니다. 그러므로 있다는 것이 상견이 아니며, 없다는 것도 단견이 아님을 알 아야 한다.
이러한 구별을 하지 못해서 있다고 인식하면 상견에 빠지고, 없다고 인식하면 단견에 빠지게 된다고 주장한 사견으로 인해 아무것도 작의하지 않는 것이 공 성을 수습하는 것이라는 말이 생겼다.
부정대상 또한 아무 때나 파악하여 그것을 부정해서 수습할 때 아무거나 부정 하면 아집에 아무런 해를 끼칠 수 없는데다가 상견·단견에 빠지는 허물이 생긴
17) 중론 15품 11게송.
18) 중론을인용함.
19) 명구론 15장, 242쪽, 20줄, 바라나시티벳불교대학책, 2009. 20) 명구론 15품.
다.
요약하면, 앞에서 부정대상을 파악할 때 설한 공성의 부정대상이 무엇인지 먼 저 잘 이해하고, 그 다음 공성을 수습할 때도 그 부정대상을 부정한 자체 그것 을 수습해야 한다. 그러면 상견과 단견에 떨어지는 허물이 생기지 않는다. 상 견과 단견을 잘 파악하면 이러한 착란이 생길 이유가 없다.
9. 두 가지 장애
보통 장애라는 것은 어떤 법을 증득하거나 그 상황을 관하는 데 방해가 되기 때문에 장애라고 한다. 어떠한 대상을 보는 것을 방해하여 그것의 실상을 여실 하게 보는 식이 생기는 것을 방해하는 것이다.
중변분별론(中邊分別論, Madhyāntavibhāga, dbus mtha' rnam 'byed)에 서 다음과 같이 설한다.
번뇌의 장애와 소지의 장애를 말한다. 이것이 모든 장애이다. 그것을 멸하면 해탈할 것이다.21)
라고 말씀하신 대로 장애에는 두 가지가 있다. 번뇌장과 소지장이다. 장애를 둘로 분류하는 것은 얻어야 하는 궁극적인 대상이 해탈과 일체지 두 가지이기 때문에 이를 장애하는 것에도 두 가지가 있는 것이다. 여기서 주로 해탈에 장 애가 되는 것이 번뇌장의 정의이고, 주로 성불하는 데 장애가 되는 것이 소지 장의 정의이다. 또한 식 하나가 이제를 동시에 보는 데 장애가 되는 것이 소지 장의 정의이다. 수다원 등 성문·독각의 학인들이 공성을 수습하는 것이 해탈을 위한 것이며 그의 방편은 출리심이다. 보살들이 공성을 수습하는 것이 성불하 기 위해서이며 그의 방편은 보리심이다. 요약하면 공성을 수습하는 것이 성문· 독각의 해탈과 성불 3가지의 공통된 원인이다. 이에 대해 자세한 내용은 지혜 의 등불을 참고해야 한다.
수다원 등 성문·독각 학인들이 공성을 수습함으로써 번뇌를 대치하여 해탈로 가고, 보살들은 공성을 수습함으로써 소지장을 대치하여 깨달음에 간다.
21) 중변분별론, 유식부, 논장論藏(bstan 'gyur), 데게판(sDe dge), 42쪽, na, 2줄.
10. 회향
불법의 핵심적 내용인 보리심과 특히 공성에 대해 스승의 은혜로 조금이나마 해석한 것으로써 관심을 가지는 불자님들께 이해를 주고 이를 통해 생기는 공 덕이 조금이라도 있으면 이 지구상 곳곳에서 고통 받고 있는 모든 생명과 이 를 돕기 위해 고생하시는 의료진과 봉사자들이 하루 빨리 고통과 고행에서 벗 어나고 지구가 행복과 평화의 원천이 되며, 대한민국의 이 땅에 부처님의 위대 한 가르침이 성장하고 지속되기에 회향합니다. 이번 불교박람회를 준비하신 모 든 분들 인연으로 이 글을 쓰게 되니 관계된 모든 분들께서 세세생생 부처님 의 가르침을 받아 성불의 길을 가기를 기원합니다.
2020국제불교박람회 - 불교수행프로그램을 위해 입중론의 해석을 삼학사에서 마무리함
게셰 텐진 남카 합장