2016/10/21

武士道的日本人とキリスト

武士道的日本人とキリスト



武士道と宣教

―新渡戸稲造―
初出 2004/10/26
改訂 2014/11/21

  新渡戸稲造著、『武士道』

既成のキリスト教を厭(いと)いつつも、生けるキリスト、復活のキリストを慕ってやまない信仰者がいる。
3それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる。4しかし、彼に対する御告げはなんであったか、「バアルにひざをかがめなかった七千人を、わたしのために残しておいた」(ローマ人への手紙11章)
世に有名無名を問わず、このような、バアルに膝をかがめぬ神の民を、いつの時代にも、神様は遺しておられる、[主題「遺れる民」参照]。
百年前に英文で書かれた新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』(1899)が、日本国内で、最近急に出版され出した。邦訳は、大分前に出たものが、重版されている。新しいものもある。それに、邦訳を用いて、自分の意見を言う著書も出ている。現在日本の状況を憂うる著者らの、やむにやまれぬ行動である。
新渡戸先生は、武士道を日本の旧約として、その上に新約の生命を重ねようとなさった。本来の聖書的、ヘブライズムのキリスト教は、雄々しい信仰である。そこに、武士道に通じる門が開かれている。多くの宣教師が、日本のこの武士道精神を踏まえて宣教したのなら、日本のキリスト教は違うものになっていたと、先生は、事ごとに嘆息し批判しておられる。今からでも遅くないと、希望をもっておられたであろう。しかし、外国人宣教師からでなく、日本人キリスト者自身が目覚めるべきであろう。それは無でなかった。
新渡戸先生は、陰に陽に、武士道とキリストの信仰との関係を示しておられる。しかし、『武士道』をそのように解説している著作は、ほとんど無いに等しい。これを引出して、主題の主旨を述べたい。
引用する邦訳は、古くからのもので、最近も重版されたものである。
[矢内原忠雄訳、『新渡戸稲造著、武士道』、岩波文庫、1938初版、2004.380刷]、
[奈良本辰也訳、『新渡戸稲造著、武士道』、知的生きかた文庫、三笠書房、1993初版、2004.3第32刷]。
前者は、古文調でやや固いが、名文である。ここでは、前者を引用する。引用した頁を【】に入れて記す。2字分下げて、太字でしめす。なお、後者も並べて読まれると良い。後者は現代訳である。訳者註が充実している。
日本の現状を憂うる人々が、『武士道』を引用して、盛んに自説を述べている。武士道と表紙に記されてないものでも、これを引いて語っている。日本人の心に潜在している「武士道」を、顕在化することにより、日本人の魂に活を入れようとの努力である。台湾の李登輝元総統のものもある。「日本人よ大和魂を回復せよ」との祈りからである。
志村史夫著は矢内原訳を用い、一部は、著者の言葉で抄訳する。そして自説を加える。著者から筆者へのメール:
『生命之命』の御恵贈、恐縮です。ありがとうございます。先月末、[拙著、『いま「武士道」を読む』、三笠書房、「知的生き方文庫」]、が出ましたが、この本で小生が訴えたいことは、まさに、『生命の光』、「私たちの信条」の冒頭に書かれています、「日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う」ということであります。2003.7.2

  生きるのも主のために

人々が引用している武士道そのものに触れる前に、多くの『武士道』紹介者に、ほとんど無視されている内容に注目する。それは、内村鑑三先生(1861-1930)とともに、クラーク先生(1826-1886)の影響を受けたキリスト者としての新渡戸先生の、面目躍如たるキリスト教関係の言葉である。
百年前の『武士道』と現在のちょうど真中で、手島先生(1910-1973)は『聖霊の愛』を発表された、[手島郁郎著、『聖霊の愛』、キリスト聖書塾、1950初版、1979改訂5版]。その序説、「霊(みたま)の恩頼(ふゆ)」に、日本歴史を旧約とし、そこに原始福音的キリストを宿らせたいとの、熱願が秘められている。すなわち、お二人の明治人共通の思いである。
キリストにある者としての私たちは、新渡戸先生が述べる、『武士道』の中のこの点に、もっとも関心を持つ。そして、いちいち断らないが、手島先生が私たちに諭されたことに、いかによく似ているかを、悟るであろう。
手島先生は、[「武士道的な宗教」、『生命の光・364号、1981.9』、24頁]で、
7すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。8わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。(ローマ人への手紙14章)
を引いて言われる。
昔の武士は、“生きるも、死ぬも、すべては主君のために”と言って、烈々たる精神に貫かれて生きていまして、何だかコレは、武士道の精髄を述べているかのようにさえ思われます。内村鑑三や新渡戸稲造の信仰が、コレでした。

  グリッフィスの緒言

『武士道』第十版の序文の次に、W.E.グリッフィス(1843-1928)の緒言がある。彼は東京開成学校などで教鞭をとり、1874年に帰国している。日本と日本人を愛し、好意的に紹介している米国人である。そこに実によく、『武士道』の真髄を述べている。その最後に言う。
23頁】 聖霊の働く途、ならびに人の友たる絶対者(キリスト)によって人類の歴史が導かれることを知る学者は、(一方で)すべての宗教においてその創始者ならびに基礎的経典の教えと、(他方で)これに対する民族的、合理的、教会的なる追加添付との間に区別を立てざるをえぬではないか。著者が序言において暗示したところの、各国民それぞれの「旧約」をもつとの教義は、破壊するためではなく完成するために来たりたまいしキリストの教えである。日本においても、キリスト教はその外国的な型や包装を解いて、異国品たることを止め、武士道が成長したその土壌の中に深く根を張るであろう。締めつけている紐と外国的制服とを脱ぎ去りて、キリストの教会は大気のごとく国風と化するであろう。1905年5月
これは、矢内原訳にしかのってない。貴重な証言である。今回の主題も、この線に沿って述べる。
なお、「完成するため」との「キリストの教え」は、主イエスご自身の、次の御言葉を思い起こさせる。
39あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。(ヨハネによる福音書5章)

  各国民それぞれの「旧約」

新渡戸先生が、「第一版への序文」、1899年12月、で断っている。先生の、キリストを信ずる信仰告白でもある。
12頁】 宗教上の問題もしくは宣教師に説き及んだ私の言が万一侮辱的と思われるようなことがあっても、キリスト教そのものに対する私の態度が疑われることはないと信ずる。私があまり同情をもたないのは教会のやり方、ならびにキリストの教訓を暗くする諸形式であって、教訓そのものではない。私はキリストが教え、かつ『新約聖書』の中に伝えられている宗教、ならびに心に書(しる)されたる律法を信ずる。さらに私は、神がすべての民族および国民との間に――異邦人たるとユダヤ人たると、キリスト教徒たると異教徒たるとを問わず――「旧約」と呼ばるべき契約を結びたもうたことを信ずる。
この最後のところを、手島先生の言葉で敷衍する。[前掲、『聖霊の愛』、8頁]。
日本人の外側は変貌しても、日本人の実存は変わらないはずだ。日本の古典が現代のわれら日本人に、民族実存への回帰を大きく呼びかけてくるのは、私に大いなる驚きであり、強い霊感である。これこそ私たちの知らざる「旧約」であり、先祖の遺してくれた最大の遺産であろう。「旧約なければ新約なし」という。この貴重な民族の実存的霊性の上に、新約の聖霊とどまり給うとき、必ずや日本人は世界の光となるであろう。
私たちは、旧約聖書の中にすでに、新しい契約についての預言をみることができる。
31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。(エレミヤ書31章)
これはそのまま、ヘブル人への手紙8章8節に引用されている。こうして、新しい契約の中保者なるキリストを述べ伝える。

  霊魂に感激を覚ゆる時

武士道を説明するため、新渡戸先生は、古今東西の書を引用する。その中で、聖書は最大のものである。
その中で、先に示した序文もそうであったが、キリスト教とはっきり述べて、評論ともいえるものが、いくつかある。まず、ここから引きたい。
第十一章「克己」の中で、リバイバルやコンバージョンについて述べる。
93頁】 日本のキリスト教会において信仰熱復興(リバイバル)の頻々たらざることもまた、同じく自制の鍛錬によって説明せられる。男子でも女子でも己れの霊魂に感激を覚ゆる時 {筆者注:これは聖霊を受けての回心、コンバージョンである}、その最初の本能としてその外に顕わるることを静かに抑える。不可抗的の霊によって舌が自由にせられ、誠実と熱心との雄弁 {聖霊を受けたときの異言} をもつは稀なる例においてのみである。軽々しく霊的実験を語ることを奨励するは、第三戒――〔「汝の神エホバの名を妄(みだり)に口にあぐるべからず」〕――を破ることを教唆するものである。日本人の耳にとりては、最も神聖なる言葉、最も秘かなる心の実験を烏合の聴衆の中にて述ぶるは眞に耳ざわりである。「汝の霊魂の土壌が微妙なる思想をもって動くを感ずるか。それは種子の芽生える時である。言語をもってこれを妨ぐるな。静かに、秘やかに、これをして独り働かしめよ」と、ある青年武士は日記に書いた。
新渡戸先生も、霊的体験をしておられる。だからこそ、コンバージョンの細かい点について言える。上記の若いサムライとは、先生自身であろう。
旧約聖書に残されているものを、示す。それは、主の預言に満たされた状況である。聖霊を受けた魂が語らせてやまない時である。
9もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火の/わが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。(エレミヤ書20章)
一方、日本人が、それを顕わにしないのは、先祖代々、克己(自分の欲求も、あえて抑える心)の訓練のためであると言う。その日本人にして、私たちの聖霊体験は、あふれてしまうのを、おさえようとしても、おさえきれない強さで迫られるからではなかろうか。しかしまた、私たちも、聖霊によって与えられる異言の聖別には、心しなければならない。
内村先生が英文で書かれた有名な著書『予はいかにしてキリスト者となりしか』のように、新渡戸先生もまた、武士がキリスト者になった状況を語れる人である。それをせず、日本武士に名を借りて、『武士道』を記した。
だが、『武士道』を仔細に読んでみると、各所に、先生の信仰が表れている。そしてさらに、武士道に育てられた日本人が、どのようにキリスト教に接したかを述べる。その底には、武士道を持った日本人を、いかにしてキリストに出会わしめるかの、苦心がちりばめられている。どうぞ、一人ひとり、このことを覚えて、『武士道』そのものを読んでいただきたい。

  日本の歴史に無知な宣教師

新渡戸先生は、外国人宣教師の伝道方法に苦言を呈している。日本人の本質、とくに武士道をしつけられた日本人を知らずに、他の未開発部族と同じようにやっているのを、告発する。
第十六章「武士道はなお生くるか」
135頁】 近頃二、三の著者は新日本の建設に対しキリスト教宣教師が著大なる割合の貢献をなしたということを証明しようと試みた。…しかし、右の名誉はいまだ善良なる宣教師たちに授与せられ難きものである。……私一個としては、キリスト教宣教師は日本のために教育、ことに道徳教育の領域において偉大なる事業をなしつつあると信ずる――ただし聖霊の活動は確実であるが神秘的であって、なお神秘なる秘密の中に隠されている。宣教師等の事業はなお間接的効果あるに過ぎない。否、今日までのところキリスト教伝道が新日本の性格形成上貢献したるところはほとんど見られない。否、良かれ悪しかれ吾人を動かしたものは純粋無難の武士道であった。
少し前に、キリスト教宣教百年と言われた年があった。その初めすなわち百年前の著作において、すでに宣教師に対するこの批判である。私たちの伝道も、純粋にキリストの霊に導かれたものでありたいと、なお姿勢を正すものである。
同じ章の中で、追い討ちをかけるように、再び述べる。
139頁】 我が国におけるキリスト教伝道事業失敗の一原因は、宣教師の大半が我が国の歴史について全然無知なることにある。或る者は言う、「異教徒の記録などに頓着する必要があろうか」と――その結果として彼らの宗教をば、吾人ならびに吾人の祖先が過去数世紀にわたりて継承しきたれる思索の慣習から切り離してしまうのである。
このことは、キリストの時代から、そうであった。
52あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた(ルカによる福音書11章)。
百年前の新渡戸先生の原始福音的発言に快哉を叫ぶ我々も、その伝道方法について、ひとごとと笑ってはいられない。

  敬天愛人

これ以上『武士道』の各論に入らない。後は読者みずからが、『武士道』そのものに触れることに委ねる。
ただひとつ残したものを、以下に示す。
第8章「名誉」
75頁】 西郷(南洲)から引用しよう。曰く「道は天地自然のものにして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心をもって人を愛するなり。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」と。これらの言は、吾人をしてキリスト教の教訓を想起せしめ、しかして実践道徳においては自然宗教もいかに深く啓示宗教に接近しうるかを吾人に示すものである。以上の言はただに言葉に述べられたるに止まらず、現実の行為に具体化せられた。
ここまでが、新渡戸先生の言葉である。自然宗教は日本のもの、啓示宗教はキリスト教である。聖書を知らなかった日本人に、聖書にかぎりなく近い宗教心のあったことを、武士道の一つとして述べている。
すなわち、主イエスは語り給う。
36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。38これがいちばん大切な、第一のいましめである。39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。(マタイによる福音書22章)
西郷さん(1828-1877)は、ほんとうに聖書を読まなかったのだろうか。実は、二宮尊徳()をはじめ、多くの日本人に、聖書との関係を感じる。英文で書かれた内村鑑三著、『代表的日本人』のすべては、いわゆるキリスト者でない人々で埋められている。内村先生の反骨精神があえて、そうしたのではなかろうか。すなわち、西郷隆盛、上杉鷹山(1751-1822)、二宮尊徳(1787-1856)、中江藤樹(1608-1648)、日蓮上人(1222-1282)、[鈴木俊郎訳、岩波文庫、1941初版]。このうち藤樹は、いささか聖書に関係があるという。

  武士の改革精神

なお、武士道には、封建制度と矛盾しているようであるが、改革精神が含まれているのではなかろうか。幕末・明治維新における武士の活動は、それを示す。
136頁】日本の変貌は全世界周知の事実である。かかる大規模の事業にはおのずから各種の動力が入りこんだが、しかしもしその主たるものを挙げんとせば、何人も武士道を挙ぐるに躊躇しないであろう。全国を外国貿易に開放した時、生活の各方面に最新の改良を輸入したる時、また西洋の政治および科学を学び始めた時において、吾人の指導的原動力は物質資源の開発や富の増加ではなかった。いわんや西洋の習慣の盲目的なる模倣ではなかったのである。……
タウンゼンド氏が、日本の変化を造り出したる原動力はまったく我が国民自身の中に存せしことを認識したのは、誠に卓見である。しかしてもし氏にしてさらに日本人の心理を精察したらば、氏の鋭き観察力は必ずやこの源泉の武士道に他ならぬことを容易に確認しえたであろう。劣等国と見下されることを忍びえずとする名誉の感覚――これが最も強き動機であった。殖産興業の考慮は、改革の過程において後より目覚めてきたのである。
一方、主イエス・キリストこそ、改革精神の持ち主であられた。キリスト者たるもの、主様の精神を継がねばならない。それは、自分の主義主張を押し通す精神の問題というより、父なる神が絶えず指し示しておられる導きに沿うからである。
36しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。(ヨハネによる福音書5章)

  自由の民、日本民族

なお、外国人が日本人の宗教心をどうみていたかのいくつかの例を示す。
戦国時代の終わり頃、日本にはじめてやってきた宣教師の、フランシスコ・ザビエル(1506-1552)は、はじめ上海を足がかりに、中国伝道を志していた。そこで、ある普通の日本人に会った。その品格をみて、日本人こそこの福音になじむ民族であると確信し、日本に来たという。さもありなんと思う。果たして、多くの日本人がキリストを信じるようになった。その中には、日本を動かすほどの人物も含まれていた。
しかしザビエルに続く宣教師の、福音宣教のあとに政治的占領の思惑をみて、秀吉らは、キリスト教を禁止した。鎖国を含め、それは、明治維新まで続く。これ以上ここで、歴史の批判は避ける。改めるべき点に対応するのは、私たちの責任である。
もうひとつ、
今から八十年以上も前に、あるユダヤ教のラビが日本人に聖書の信仰を伝道したいとの希望を抱き、ラビ・アブラハム・クック(1865-1935)(後のイスラエル国首長ラビ)に助言を求めている。
ラビ・クックの答えは、「日本民族は啓蒙された民であり、自由の民である。彼らはその長い眠りに終わりを告げ、みずみずしい生命をもって立ち上がった。この民は、他の民族よりも澄んだ目をもってイスラエルの光を見ることができる。だから注釈を加えずにオリジナルなものを与えたら、日本民族は洞察できる」というものだった。[『ユダヤに学ぶⅠ』、キリスト聖書塾、1988、221頁]
百余年前の日本人の中に、新渡戸稲造、内村鑑三、その他による外国語で日本を紹介した先達らがいる。ラビ・クックも、それらに目を通していたのであろう。彼らの働きがいかに大きかったかを垣間見る思いがする。
主イエスが今、日本に来られて、次のように感嘆される人が、どれほど存在するであろうか。
10イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。(マタイによる福音書8章)
十字架の御血を通して、聖霊の恩寵に浴した者の使命は大きい。

알라딘: 식민지 조선인을 논하다 (반양장)

알라딘: 식민지 조선인을 논하다 (반양장)
식민지 조선인을 논하다 (반양장) l 동국대학교 문화학술총서
다카하시 도루 (지은이) | 구인모 (옮긴이) | 동국대학교출판부 | 2010-08-20
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1921년에 조선총독부가 간행한 <조선인>을 번역하고 해제를 붙인 책. <조선인>이라는 책은 총독부 관리들이 일종의 대외비 식민통치지침서로서 숙독한 자료다. 이 책은 일본이 식민지 조선에 대해 구축한 앎의 실상을 어떻게 체계화하였고, 그 체계를 바탕으로 통치대상인 조선인을 어떻게 규정하고 있는지 드러낸다.

이 책을 읽다 보면 식민지 시대를 겪으면서 우리의 내면에 자연스럽게 형성된 어떤 고정관념과 의식을 불편하게 건드리는 부분이 있다. 조선인의 정체성을 본격적으로 논하고 있는 책으로 그 내용은 불편하고 불온하다. 그러나 우리의 내면화된 의식 속에서 아직 청산되지 못한 식민지 잔재를 씻어낼 수 있도록 할 것이다.

제1부 조선인

제1장 _ 총론
1. 지리적 고찰
2. 지질적 고찰
3. 인종적 고찰
4. 언어적 고찰
5. 사회적 고찰
6. 역사적 고찰
7. 정치적 고찰
8. 문학·예술의 고찰
9. 철학적 고찰
10. 종교적 고찰
11. 풍속·습속의 고찰

제2장 _ 각론各論
1. 사상의 고착固着
2. 사상의 종속
3. 형식주의
4. 당파심黨派心

이 책을 추천한 다른 분들 :
중앙일보
 - 중앙일보(조인스닷컴) 2010년 8월 28일자
동아일보
 - 동아일보 2010년 8월 26일자
한겨레 신문
 - 한겨레 신문 2010년 8월 28일 지성.출판 새책

저자 : 다카하시 도루 (高橋亨)

 최근작 :
<조선의 모노가타리>,<완역 조선이야기집과 속담>,<조선이야기집과 속담> … 총 9종 (모두보기)
 소개 :
도쿄東京제국대학 졸업. 조선총독부 학무국 촉탁으로서 구관제도조사사업舊慣制度調査事業에 참여하여 조선의 구술문화유산 수집, 고도서의 정리·해제를 담당했다. 경성京城제국대학 창립위원회 간사를 거쳐 법문학부 조선어조선문학전공 교수, 동국대학교의 전신 혜화惠化전문학교 교장을 역임했다. 이후 경성경학원經學院제학提學겸 명륜연성소明倫鍊成所소장과 조선유도儒道연합회 부회장을 역임했다. 1945년 패전 이후에는 일본에 귀국하여 텐리(天理) 대학 교수로 부임, 조선문학·조선사상사 등을 강의했고, 같은 학교에서 조선학회朝鮮學會를 창립했다. 주된 저서로는 ...
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역자 : 구인모
 최근작 :
<언어의 현장성과 복합지식>,<내러티브 연구의 현황과 전망>,<유성기의 시대, 유행시인의 탄생> … 총 9종 (모두보기)
 소개 :
2013년 현재 연세대학교 언어정보연구원 인문한국(HK) 교수이다. 동국대학교 학부 및 대학원 국어국문학과와 일본 도쿄(東京)대학 대학원 종합문화연구과에서 수학했다. 주로 한국 근대시의 형성 과정을 한일비교문학·비교문화론의 관점으로 조망해왔으며, 최근에는 유성기 음반을 매개로 근대기 한국의 문학사와 문화사를 잇는 시도를 하고 있다. 저서로서는 <한국근대 시의 이상과 허상>(2008)이 있고, 번역서로서는 <식민지 조선인을 논하다>(2010)가 있다. 그 외 몇 권의 공저와 다수의 논문을 발표했다.

이광수의 ‘민족개조론’과 이어령의 ‘한국인론’을 돌아본다

이광수는 『민족개조론』(1922)에서 조선인이 조선시대 형성한 허위, 나태, 이기심 등의 부정적인 민족성을 버리고, 고대로부터 유구한 관대함, 금욕, 예의와 같은 민족성을 지니도록 민족성을 개조하자고 했다.

이어령은 『흙 속에 저 바람 속에』(1972)에서 한국인의 상징인 흰옷을 통해 색채감의 결여를 지적하거나, 말과 글의 주어로 ‘나’와 ‘우리’를 혼동하는 현상을 통해 자아관념의 부재를, 한복의 평면성과 비기능성을 통해 허례허식을, 또 윷놀이를 통해 조선시대 당쟁을 읽어내고 비판했다.

일제강점기에 조선총독부가 발간한 『조선인』이라는 책에는 식민지 시기 ‘조선인’의 정체성에 대한 인식, 역사와 문화를 둘러싼 담론이 다음과 같이 집약되어 있다.

“조선인의 대표적인 심성인 ‘사상의 고착성’과 ‘사상의 종속성’은 앞으로도 변하지 않을 것이다.”

“조선인의 형식주의, 심미관념의 결핍, 문약함, 당파심 그리고 공사를 구분하지 못함과 같은 심성과 태도는, 앞으로 조선인이 근대적인 학문을 배우고 또 일본인의 통치를 통해서 개조해 갈 수 있다.”

이것은 민족(국민)성 담론을 고안해 낸 서구 제국의 눈이고, 또 한 세기 남짓한 예전에 일본인이 조선을 바라보던 눈이기도 하다. 그런데 아이러니하게도 이광수를 비롯한 1920년대 ‘조선’의 지식인들과 해방 후 이어령을 비롯한 한국 지식인들도 이러한 눈으로 민족개조론을 주장했고 한국인의 정체성을 논했다.


경술국치 100주년에 읽는 내면화된 식민지 잔재의식의 원형?

식민지와 분단을 겪으면서 형성된 한민족 또는 한국인의 정체성을 성찰해볼 수 있는 책, 『식민지 조선인을 논하다』(동국대학교출판부)가 출간됐다.

『식민지 조선인을 논하다』는 1921년에 조선총독부가 간행한 『조선인』을 번역하고 해제를 붙인 책이다. 『조선인』은 총독부 관리들이 일종의 대외비 식민통치지침서로서 숙독한 자료다.

『조선인』의 집필자인 다카하시 도루(高橋亨)는 경성제대 창립위원회 간사, 경성제대 법문학부 교수, 혜화전문학교 교장을 역임하였고, 해방 후 일본에서 조선학회를 창립한 자로서 우리 어문학, 역사학, 철학, 종교학에 끼친 영향이 지대한 일본학자이다. 국내학계에서 그는 대표적인 ‘일제 어용학자의 표본’으로 평가된다.

이 책은 일본이 식민지 조선에 대해 구축한 앎의 실상을 어떻게 체계화하였고, 그 체계를 바탕으로 통치대상인 조선인을 어떻게 규정하고 있는지 드러낸다. 가히 일본이 조선인의 정형(stereotype)을 형성하고 확립한 논리의 원천이라고 할 수 있다. 그래서 식민지를 겪으면서 우리의 내면에 자연스럽게 형성된 어떤 고정관념과 의식을 불편하게 건드린다.

경술국치 100년, 나는 누구이며, 우리는 무엇인가? 이러한 물음에 대한 답변이 민족성론이며 문화론이라고 한다. 이 책은 조선인의 정체성을 본격적으로 논하고 있다. 그 내용은 불편하고 불온하다. 그러나 우리의 내면화된 의식 속에서 아직 청산되지 못한 식민지 잔재를 씻어낼 수세미를 챙겨들게 하는 책이다.


*다카하시 도루의 <조선인> 원본(도쿄대 도서관 소장본)영인 수록

*학술적인 주석, 해제 논문 수록



총 : 1편

리뷰쓰기

 저자도 제국주의 시대의 불쌍한 희생자일 뿐이다. 새창으로 보기
북다이제스터  ㅣ 2015-11-17 ㅣ 공감(2) ㅣ 댓글 (2)

올해 읽은 책 중 가장 재미있었다. 장르는 코미디였다. 그것도 블랙 코미디였다. 저자가 학자로서 매우 불쌍하단 생각도 들었다. 저자는 진정 진심으로 제국주의 사상을 도덕적으로 열렬히 믿으며, 이 책 쓴 것 같다. “조선에 거주하는 일본인은 조선인을 선정(善政)과 우수한 일본 민족의 감화로 씻어내어 일본인에게 동화시키는 동시에, 조선 민족을 향상할 의무를 자각해야 한다. 만약 일본인이 이러한 마음가짐을 가지고 있지 않다면, 일본인은 식민지를 경영할 능력이 없다고 할 수밖에 없다.” 저자의 비장한 소명의식조차 느낄 수 있다.

이 책은 조선총독부가 활용한 조선인 사상개조 ‘가이드 북’이라는 것을 난 이미 알고 읽기 시작하여, 조선인 관련 상당한 왜곡과 날조가 난무할 것으로 예상했다. 하지만 저자의 무지과 잘못된 관점, 침소봉대로 이 책을 썼을 뿐이다. 저자도 제국주의 시대의 불쌍한 사상 희생자 중 한 명이었다.

1921년 발간된 이 책을 저자는 약 4년간 집필했다. 그러다 보니 책 앞과 뒷부분이 모순된 점이 많다. 책 앞부분에는 조선인의 열 가지 특징을 열거하며, 그중 순종(順從)의 특성을 언급한다. “(조선인의 순종은) 유교 교의로부터 비롯한, 사회 질서를 중시하는 사상이 사회 계급 상하 전반에 강하고 깊게 침윤한 데에서 비롯된다. 그래서 조선 시대 5백 년 동안 평민이 정부 압박에 대해 감히 반항의 기치를 들었던 사례는, 갑오년 동학 봉기 이외 찾아볼 수 없다. 이것도 단순한 평민의 발분 봉기는 아니고, 종교 박해에 대한 격렬한 순교 정신도 포함된 사건이었다.”

하지만 1919년 독립운동 이후 쓴 책 뒷부분 내용은 바뀌었다. “어떤 이들은 독립운동 발발로 인해 조선인의 특성 가운데 ‘순종’ 항목은 사정이 달라졌다고 비난하기도 한다.” “어쨌든 독립운동은 특별히 조선인의 특성 가운데 순종성을 제외하기에 충분한 실증적인 사례로 간주해도 무방하다.” (아니, 생각해 보니 사례가 더 있는 거 같다.) “1907년 한일신협약에 분개하여 일어난 의병의 소요이다. 당시는 오늘날과 달리 세계 이목이 일본에 집중되지 못하였으므로 일본인들이 생명과 재산의 불안을 느꼈던 일이 잘 알려지지 못했다.”

오히려, 조선에 15년간 거주한 저자가 조선인에 감화된 것처럼 보인다. “조선인의 용모와 태도 가운데 일본인과 비교해서 관용과 위엄이 있는 것은 분명히 칭찬할 만한 특성이라 하겠다.” “그들은 기질적으로 일본인보다 두려워하고 다급하거나 신경질적인 태도와 용모를 드러내는 일은 매우 드물다. 도리어 거의 없다고 해도 과언이 아니다.”

조선인의 낙천성도 부러워한다. “근심 걱정을 모르는 사람은 행복하다는 말도 있다. 그런 의미에서 조선인은 분명히 행복한 사람들이다.” “조선인은 극빈한 처지로 끼니를 잇지 못하는 것을 다른 사람들에게 말하면서 부끄러워할 줄 모르는 습관이 있다. 이것은 일본인에게 도저히 이해가 되지 않는 심리상태다. 일본인은 가난을 감추고자 고심하므로 가난을 더욱 심각하게 느낀다고 하겠다.” “노엽더라도 노하지 않은 듯, 슬프더라도 슬프지 않은 듯 행동하는 것은 느긋한 사람의 특징이다. 자살하고 할복하는 것은 일본인의 특징이지, 조선인은 무슨 이유로 그렇게 해야 하는지 도저히 이해할 수 없을 것이다.”

저자는 조선 사회도 몹시 부러워한다. 가난은 했지만, 우리가 꿈꾸는 공동체 사회가 있었다. “상민은 굳이 돈을 남겨 부를 쌓고자 하지 않았는데, 그렇다고 제 배를 채우는 데에 방해될 것은 없었다. 향촌에는 향약이 있고, 친족끼리 서로 구제하는 법이 있어서 주변으로부터 개인의 생활을 부양하니 여유 있게 살 수 있었다.” “조선 향촌에는 돈이 없더라도 인정 넘치게 베풀기를 아까워하지 않는 풍속이 있다. 실제로 한 향촌에서 나고 자라서 상당한 나이에 이르면 향촌 사람들의 도움에 기대어 한 집안을 이룰 수도 있었다.”

하지만 식민시대 사상개조 잔재가 현재까지 많이 남아있어, 저자 모든 설명을 단지 코미디로 가볍게 치부하기는 어려워 보인다. 조선인이 사상적으로 완전히 황민화 되지 않은 것은 일본의 식민지 정책 실패가 아니라, 식민지배 기간이 단 한 세대였기 때문이다. 그 기간이 더 길었다면 우리는 정말 어찌 되었을지 알 수 없다.
하여튼, 중요한 것은 민족 혹은 국민 특성을 몇 개의 개념으로 정의할 수 있다고 믿는 파시즘이나 전체주의가 문제다. 이것에서 벗어나지 못한다면, 우리는 이를 획책하는 사람들에게 계속 놀아날 수밖에 없다.
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총 : 3편
 
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경성제국대학과 식민지 헤게모니 새창으로 보기
로쟈 ㅣ 2016-04-17 ㅣ 공감(34) ㅣ 댓글 (0)
한양대학교 비교역사문화연구소에서 기획한 '트랜스내셔널인문학총서' 가운데 <식민주의 역사학과 제국>(책과함께, 2016)을 훑어보다가 정준영 교수의 '경성제국대학 의학부, 식민지 의학 교육과 헤게모니 경쟁'이란 논문에 관심을 갖게 되었다. 아니, 정확하게는 관심을 상기하게 되었다. 경성제국대학에 대한 관심이다. 1926년에 설립된, 식민지 조선의 이 대표적 고등교육 기관이 어떤 의미를 지녔고, 어떤 역할을 수행했는지 관심을 갖는다는 게 이상할 건 없다. 식민지 조선시대애 관심을 갖는다면 말이다.

게다가, 아직 구하진 못했지만 기본 자료 구실을 해줄 만한 책으로 <식민권력과 근대지식: 경성제국대학 연구>(서울대출판문화원, 2011)가 나와 있다. 내가 몇년 전에 우연히 백화점 중고매장에서 <다시 보는 경성제국대학>(푸른사상, 2013)을 구한 것도 <식민권력과 근대지식>에 촉발된 관심 때문이었다. 알고 보니 공저자로 참여한 정준영 교수의 박사학위논문이 <경성제국대학과 식민지 헤게모니>(서울대, 2009)다. 단행본으로 나오면 좋겠다 싶다.

경성제국대학 관련서는 많지 않다. 정선이의 <경성제국대학 연구>(문음사, 2002)는 학위논문에 바탕한 걸로 보이는데, 일종의 개관이고, 경성제국대학 위생조사부에서 펴낸 <토막민의 생활과 위생>(민속원, 2010)이나 법문학부의 조선어조선문학전공 교수였던 다카하시 도루의 <식민지 조선인을 논하다>(동국대출판부, 2010) 등이 자료적 의미를 갖는 책들이다.

경성제국대학이란 무엇이었던가. 정준영 교수는 이렇게 정리한다. "근대적 지식 체계의 생산(연구)과 배분(교육)에서 독보적인 권위를 학보하고 이를 통해 식민지인들 사이에 식민 지배의 정당성을 납득시키고자 했다는 점을 주목한다면, 경성제대를 식민 당국의 헤게모니 프로젝트의 일종으로도 이해할 수 있지 않을까?"(<식민주의 역사학과 제국>, 296쪽)

물론 '있지 않을까?' 정도로는 부족하고, 좀더 구체적으로 그 의미와 역할이 규명되어야 한다. 아직은 초입 단계로 보이지만 경성제국대학과 식민지 지식장에 대한 연구가 의미 있는 성과로 이어지면 좋겠다. 언제든 읽을 준비가 돼 있다...

16. 04. 17.
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아주 기분 나쁜 책에 대하여 새창으로 보기
chika ㅣ 2015-08-07 ㅣ 공감(12) ㅣ 댓글 (0)

『식민지 조선인을 논하다』는 1921년에 조선총독부가 간행한 『조선인』을 번역하고 해제를 붙인 책이다. 『조선인』은 총독부 관리들이 일종의 대외비 식민통치지침서로서 숙독한 자료다.
한참을 졸다가 도저히 안되겠다 싶어서 옆에 놓여있던 시사인을 펼쳤다. 그리고 눈에 띄는 '아주 기분 나쁜 책에 대하여' 기자가 추천하는 책인 '식민지 조선인을 논하다'라는 책의 소개글이 잠을 깨운다.
"조선인은 대략 700년간 주자학의 이기이원론의 학설에만 만족하고 맹종하여 다른 합리적 철학은 없다고 믿었다. 조선의 철학은 진보도 없고 발전도 없이 처음부터 화석화되었다."
"과거제도는 이점과 폐해 모두 있지만 학문을 타락하게 하여 다만 명리를 위한 과업에 그치고 말아서 자유로운 연구를 일으키지 못하게 하고, 산업의 지위를 떨어뜨려, 부의 발달을 가로막는 것이 되고 말았다"
"조선인은 사무와 관직은 전혀 별개의 것으로 본다. 관리들은 관청의 사무를 아전이나 서리에게 떠맡기고 돌아보지도 않는다. 그 대신 밤낮으로 고심하는 일이란 정쟁에 쓸데없는 말이나 늘어 놓아 윗사람을 움직여 더 높은 품계로 승진하는 일뿐이다"

시사인 고재열 기자가 꼽아본 몇 문장을 읽고 있으면 기분이 나쁘지만 한번쯤 고찰해 볼 필요가 있다는 말에 동감하지 않을수가 없다.
엊그제 우연히 은행에 들렸다가 미친박씨에 대한 뉴스를 봤다. 천황까지는 그렇다 치더라도 노망이 나지 않은 이상 천황폐하 운운하면서 왜 자꾸 과거사를 들먹이냐는 말은 어디서 나오는건지. 도무지 인간의 두뇌라고는 생각할수가 없다. 게다가 비유할 것이 없어서 소신발언, 잔다르크에 비유하다니. 정말 그런 표현 하기 싫지만 쌍으로 미쳤구나, 라는 생각이.

비무장 지대의 자연환경과 생물, 각각의 장소에 얽힌 역사적 에피소드와 군생활의 애환등을 다루었다, 라고 하는데 역시 비무장 지대의 가장 핵심은 생태계의 보고. 고라니, 재두루미, 호사비오리 등의 철새와 멸종위기 동식물의 보금자리.
남북통일이 되면 비무장지대는 어떻게 될까?

세상을 향한 눈,의 만평중에서 베를린 장벽이 무너지고 독일의 흡수통합에 대한 만평을 보고 있으려니 그래도 한때나마 흡수통일에 대한 논의라도 했던 것이 나았으려나... 싶어진다. 요즘 아이들의 노래에는 '우리의 소원은 통일'이라는 것도 사라지고 없다는데.

뭐, 어쩌다보니 결론이 책값이 무지막지하게 비싼 책,이 기분 나쁜 책으로 분류되는건가 싶어지는 이야기로 끝이 나버릴지도 모르겠지만.
다른 상품들에 비하면 그리 비싼 건 아니라고 할지 모르겠지만 아무튼 내 수준에 책값이 갈수록 비싸지고 있는 것은 사실이다. 가만생각해보니 야채를 살때마다 나는 그냥 그 정도의 가격, 이라고 생각하는데 어머니는 항상 그 돈 주고 어떻게 사먹냐,라고 하시는 걸 보면. 예전에는 천원짜리 몇 장이면 풍족하게 야채를 사서 먹을 수 있고 그랬는데 이제는 그러지 못하다는 걸 생각하게 된다.

중세, 보다는 오히려 [세계 야채 여행기]가 더 재미있고 실감나게 다가올지도 모르지.

세계를 뒤흔든 야채의 역사. 어찌하여 야채가 세계에 보급됐고, 보급된 이후 어떻게 현지화됐는지, 또 어떤 요리로 완성됐는지 여러 가지 의문을 해소하면서 저자는 종횡무진 속도감 있는 문장으로 지식을 풀어낸다.

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한국사회의 유교적 변환과 조선유학사 새창으로 보기
로쟈 ㅣ 2013-01-13 ㅣ 공감(19) ㅣ 댓글 (0)
오랜만에 '사라진 책들' 카테고리의 페이퍼를 적는다. 조선 유학사 관련서를 검색하다가 다시 생각이 나서인데, 마르티나 도이힐러의 <한국사회의 유교적 변환>(아카넷, 2003)이 문제의 '사라진 책'이다. 작년에 원서까지 구해놓았지만 정작 번역본을 구할 수 없다.

품절인지 절판인지 모르겠지만, 여하튼 책은 시중에서 구할 수 없고 어지간한 도서관에도 구비가 돼 있지 않다. 대출해서 읽을 수는 있지만 나는 소장용 도서로 분류해놓고 있어서 가급적 재출간되기를 바라는 입장이다. 도이힐러 교수가 편저한 책으론 <후기 조선의 문화와 국가>(2002)란 책도 있다.

 조선 유학 얘기가 나온 김에 말하자면 재일 학자 강재언의 <선비의 나라 한국유학의 2천년>(한길사, 2003)도 품절이 아쉬운 책이다. 일본에서도 평판이 좋은 책으로 아는데, 정작 우리는 읽을 수 없다. 아니 시중에서 구할 수 없다. 책의 수명이 10년도 안 돼서야 문화국가라고 말하기 멋쩍은 것 아닌가.

거기에 덧붙이자면 일본 학자 다카하시 도루의 <조선유학사>(예문서원, 2001)도 읽어보고픈 책이다. <조선의 유학>(소나무, 1999)은 아직 절판되지 않았기에 대신 읽어볼 수 있긴 하지만(두 책이 대동소이해 보이는데, 어떤 차이가 있는지는 모르겠다). 다카하시는 경성제국대학 법문학부 조선어학과에서 문학 제1강좌를 담당했던 교수로 주로 문학사와 사상사를 강의했다. 소개에 따르면 "다카하시는 노골적으로 조선과 조선인을 멸시하는 등, 악질적인 식민지 관료이자 교수였다. 그럼에도 그는 근대적인 의미에서 조선의 유학을 연구한 최초의 학자라는 점에서 무시할 수 없는 존재이다. 특히 조선 유학의 학파와 지역별 분류를 넘어서 '주리.주기론'의 개념적 분류를 시도하여 조선유학을 근대적으로 재구성하려한 것은 크게 인정받고 있다." 조선 유학 연구의 기본틀을 만든 것이라고 할 텐데, 개인적으로는 그의 연구를 우리가 얼마나 넘어서고 있는지 궁금해졌다.

그런 맥락에서 궁금한 책은 현상윤의 <조선유학사>(심산, 2010)다. 소개에 따르면 "1953년 3월 25일 고려대학교 대구 임시교정 졸업식에서 '朝鮮儒學史'로 대학원 제1호 박사학위를 수여했다. 이것은 동시에 한국 최초의 박사학위 논문이다." 더 자세한 소개는 이렇다.
조선 유학사상의 큰 맥을 체계적으로 처음 정리한 책이 바로 고려대학교 초대 총장을 지낸 현상윤 선생의 <조선유학사>이다. 1949년에 첫 출간된 이래 한국유학을 연구하는 국내외 학자들에게는 반드시 열람(閱覽)해야 하는 필독서로서 자리매김하였다. 선생이 6.25전쟁 당시 납북된 후로도 여러 해를 거듭하는 가운데 몇 차례 중간되어 오던 것을, 교주자가 원저서에 인용된 한문 원전을 모두 한글로 풀어 옮기고 인용문과 설명문에 대하여 많은 교정과 상세한 주석을 가하여 교주본을 출간하고 이를 다시 수정 보완하여 <현상윤의 조선유학사>로 새롭게 태어났다.
다카하시 도루나 현상윤 선생의 책은 말하자면 기본서에 해당한다. 조선 유학에 교양 수준 이상의 깊은 관심을 갖고 있는 건 아니지만 적어도 전체적인 그림은 그려보고 싶다.

조선 유학과 관련하여 구비해놓고 있는 책은 한형조 교수의 <왜 조선유학인가>(문학동네, 2008)와 <조선유학의 거장들>(문학동네, 2008), 그리고 이승환 교수의 <횡설과 수설>(휴머니스트, 2012) 등이다. 거기까지가 내가 생각하는 교양이다...

13. 01. 13.

P.S. 도이힐러의 <한국사회의 유교적 전환>이 <한국의 유교화 과정>(너머북스, 2013)으로 제목을 바꿔 다시 출간됐다. 역자는 같다. 아쉬움을 표한 지 1년이 안 돼 책이 다시 나와서 퍽 반갑다...
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구안록 - 참 평안을 얻기까지

알라딘: 구안록 - 참 평안을 얻기까지





구안록 - 참 평안을 얻기까지

우치무라 간조 (지은이) | 양현혜 (옮긴이) | 포이에마 | 2016-04-07 | 원제 求安錄 (1893년)

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근대 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가인 우치무라 간조의 대표작이다. <기독신도의 위안>, <회심기>와 더불어 일반 독자들에게 가장 잘 알려진 <구안록>은 저자가 저술가로서 애착을 가졌던 대표적인 작품이자 그의 기독교 신앙과 사상의 기초가 되는 속죄론을 자세하게 논한 책이기도 하다.



인간은 죄로부터 자유로울 수 있는가? 만일 그럴 수 있다면 그 길은 어디에 있는가? 우치무라 간조는 극적인 부흥회나 학문, 자연 관찰, 자선사업, 심지어 신학마저 그 해답이 될 수 없으며, 행복한 가정이나 쾌락, 낙관적 세계관 역시 죄의 문제를 해결해줄 수 없음을 설득력 있게 보여준다. 19세기 말, 과도한 합리주의적 시대정신과 미신적이고 맹목적인 신앙 사이에서 균형을 잃지 않고 정통적 기독교의 입장을 대변한 그의 속죄론은 지금 읽어도 명쾌하며 여전히 유효하다.



서문을 대신하여



제1부

1. 비탄_ 산다는 것

2. 마음의 분리_ 밝음과 어둠

3. 탈죄술(脫罪術)_ 죄에서 벗어나는 법

4. 신학교_ 악마의 가장 좋은 표적

5. 망죄술(忘罪術)_ 죄를 잊는 법



제2부

6. 죄의 원리_ 하나님을 떠나는 것

7. 기쁜 소식_ 그리스도의 부활

8. 신앙 이해_ 온전한 믿음으로

9. 낙원 회복_ 그리스도의 재림으로

10. 속죄 원리_ 그리스도의 죽으심으로

11. 최종 문제_ 평안을 얻는 것



해제: 죄의 실재를 극복하는 법_양현혜 교수

우치무라 간조 연보

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P.13~14 : 인간은 저마다 불만을 가지고 있다. 사람은 부자가 되면 만족하리라 생각한다. 하지만 부유해져도 그는 평안을 얻지 못한다. 착한 아내와 살면 만족하리라 생각한다. 그러나 행복한 가정을 이루어도 그는 여전히 만족하지 못한다. 사람은 내면의 결핍을 인식하지...

P.23 : 나는 위선자다. 살인자다. 간음하는 자다. 도둑질하는 자다. 이렇게 성서라는 전등으로 내 마음을 샅샅이 비춰보면 나는 하나님을 모독하는 자요 사람을 속이는 자다. 아, 차라리 성서의 말씀이 잘못된 것이라고 하라. 나는 그처럼 밝은 빛을 견딜 수가 없다.

P.54 : 선행이 나를 교만하게 만들면 그 선행은 내 원수다. 추락하는 것에는 날개가 없다. 자선이라는 높은 곳에서 떨어지면 거의 회복 불가능이다. 근신하라. 너, 고아원을 세워 하나님과 사람에게 봉사하고자 하는 자여. 세상이 당신의 자애심을 알아주고 사심 없는 자선...



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자신의 유한성을 자각한 인간이 절대자 안에서 참 평안을 찾아가는 여정

- 무교회주의자 우치무라 간조의 영적 순례기

근대 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가인 우치무라 간조의 대표작. 《기독신도의 위안》, 《회심기》와 더불어 일반 독자들에게 가장 잘 알려진 《구안록》은 저자가 저술가로서 애착을 가졌던 대표적인 작품이자 그의 기독교 신앙과 사상의 기초가 되는 속죄론을 자세하게 논한 책이기도 하다. 인간은 죄로부터 자유로울 수 있는가? 만일 그럴 수 있다면 그 길은 어디에 있는가? 우치무라 간조는 극적인 부흥회나 학문, 자연 관찰, 자선사업, 심지어 신학마저 그 해답이 될 수 없으며, 행복한 가정이나 쾌락, 낙관적 세계관 역시 죄의 문제를 해결해줄 수 없음을 설득력 있게 보여준다. 19세기 말, 과도한 합리주의적 시대정신과 미신적이고 맹목적인 신앙 사이에서 균형을 잃지 않고 정통적 기독교의 입장을 대변한 그의 속죄론은 지금 읽어도 명쾌하며 여전히 유효하다.



인간은 죄로부터 자유로울 수 있는가?

만일 그럴 수 있다면 그 길은 어디에 있는가?

- 무교회주의자 우치무라 간조의 영적 순례기

메이지유신 100주년을 맞아 ‘일본 근대화에 기여한 20명’ 중 한 명으로 선정된 바 있는 우치무라 간조는 근대 일본 기독교의 대표적인 지도자로, 현대 일본 기독교계는 물론이고 일본 사회에도 큰 영향을 끼쳤으며, 나아가 김교신, 함석헌, 송두용 등 여러 기독교 지도자를 통해 우리 사회와 교계에 영향을 미쳤다. 특히 그의 무교회 운동과 비전(非戰) 평화 운동이 그러했다. 아직도 종종 그의 교회론에 대한 이해 부족으로 그를 기독교와 교회를 부정한 인물로 평가하는 경향이 있는데, 이는 사실과 다르다. 그는 교회라는 외형적 제도 때문에 초래될 수 있는 모순과 반기독교적 요소를 극복하고, 특별히 미국과 유럽 제국주의에 의해 변질된 기독교의 순수성을 회복하려고 노력한, 신실한 그리스도인이었다. 그의 무교회주의는 ‘무교파주의’ 또는 ‘무교단주의’에 가깝다 하겠다.

《구안록》은 《회심기How I Became Christian》(1895)와 더불어 우리에게 가장 익숙한 우치무라 간조의 대표 저작이자, 회심하기까지의 과정을 기록하고 있다는 공통점도 있다. 초판이 간행된 것은 1893년 8월, 그의 나이 32세 때였다. 나중에 이 책으로 회심한 한 중국인의 이야기와 관련해 우치무라는 집필 당시를 회상하며 다음과 같이 말했다고 한다.



"고베에 사는 광동 출신 중국인 모모 군은 일어에 능통한 사람이다. 그에 의하면, 지금부터 3년 전에 헌책방에서 《구안록》을 5전에 사서 읽고 난 후 자신의 죄를 깨닫고 기독교 신자가 되었다. 이후 같은 중국 동포들에게 전도하여 작은 교회를 하나 설립하기에 이르렀다고 한다. 나는 이러한 실험담을 듣고 생각했다. 신앙적 저술을 해야 한다고. 이 중국인과 같은 한 영혼을 구원할 수 있다면 내가 책을 쓸 때 기울인 노력은 다 보상받은 것이라고. 세상에서 열광적으로 환영받는 베스트셀러가 아니라, 이런 사람 하나를 얻는 것으로 충분하다고. … 지금부터 26년 전 구마모토 시 다쿠마바루의 전나무 아래에서 오래된 중국제 가방을 받침대로 하여 쓴 이 책이 오늘날 이러한 열매를 맺게 되니 참으로 은혜이다. 감사, 또 감사!(1919년 1월 14일 일기) " -201쪽, 해제



우치무라 자신의 감회에서도 엿볼 수 있듯이 《구안록》은 우치무라가 저술가로서 애착을 가졌던 대표적인 작품일 뿐만 아니라 그의 기독교 신앙과 사상의 기초가 되는 속죄 신앙을 논한 대표적인 신학 저술이다. 《구안록》은 1부와 2부로 구성되어 있다. 1부는 죄에서 벗어나 평안을 얻기까지 자기 인생 이야기를 중심으로, 2부는 ‘죄의 원리’, ‘기쁜 소식’, ‘신앙 이해’, ‘낙원 회복’, 속죄 원리’ 등 속죄론 설명으로 구성되어 있다. 끝으로, 우치무라 개인의 속죄 체험과 《구안록》의 내용, 그의 속죄론의 특징을 고찰한 양현혜 교수의 해제와 저자의 연보를 덧붙였다.



<구안록> 저술 배경

19세기 말 일본은 메이지유신과 함께 ‘기독교 금제(禁制)’가 풀리면서 수많은 해외 선교 단체와 다양한 교파의 기독교가 경쟁적으로 소개되었다. 그중에는 정통 기독교의 입장에서 볼 때 복음의 본질을 훼손하고 성서의 권위를 떨어뜨리는 것도 있었는데, 독일의 합리주의적 해석을 적극 도입한 자유주의 신학과 역사비평학 그리고 미국의 유니테리언교가 그랬다. 이들 신신학(新神學)은 그 시대를 관통하는 시대정신, 곧 인간 이성에 대한 절대적 신뢰에 근거한 합리주의를 바탕으로 하고 있었다. 구원론에 있어서도 인간 이성으로 설명할 수 없는 신적 초월성을 모두 제거하는 합리주의적 해석이 힘을 얻고 있었다. 이러한 경향에 맞서 정통적인 기독교 입장을 대변하는 목소리가 나오기 시작했고, 이것이 초기 일본 개신교사를 달군 ‘신신학 논쟁’이었다. 우치무라 간조 역시 그리스도의 신성과 인간의 원죄를 부인하고 정통적인 기독교의 속죄론을 부정하는 이들에 대응해 기독교에서 말하는 속죄란 무엇인가에 대해 분명히 하고자 했으며, 《구안록》은 그 결과물이다.



참 평안 찾아가는 여정

죄를 지어서는 안 되지만 죄를 짓는, 정결해야 하지만 그렇게 살지 못하는 인간의 한계. 무한한 영광과 무한한 타락 사이를 오가며 절망할 수밖에 없는 인간의 무능함. 과연 인간은 죄로부터 자유로울 수 있는가? 만일 그럴 수 있다면 그 길은 어디에 있는가? 우치무라 간조는 기적적이고 극적인 변화를 기대할 수 있는 부흥회로부터 시작해 학문에 몰두하거나 자연으로 눈을 돌려보지만 마음의 참 평안을 얻을 수 없었다. 목사도, 교회도, 학문도, 자연도 마음의 고통을 해결해주지 못하자 이타적인 사역을 통해 평안을 얻을 수 있는지 실험해보았다. 인간이 죄에 쫓기는 것은 자기중심적이고 이기적인 성향 때문이라고 본 것이다. 하지만 선한 일 또한 ‘마음의 평안을 얻는 기술(安心術)’로는 무익할 뿐만 아니라 도덕적 우월감을 갖게 하여 오히려 더 위험할 수도 있음을 절감한다. 끝까지 내려놓지 못했던 것, 곧 ‘목사만은 되지 않겠다’는 것 때문에 평안을 얻지 못하는 것은 아닌가 하여 신학교에 입학도 해보지만 더 절망하고 만다. 행복한 가정이나 쾌락, 낙관적 세계관 역시 우리의 죄 문제를 해결해주지 못한다는 것을 자기 삶을 통해 들려주면서(제1부) “우리는 하나님을 만날 때 비로소 안식을 얻을 수 있다”는 것을 설득력 있게 보여준다.



우치무라 간조 속죄론의 특징

《구안록》의 해제를 쓴 양현혜 교수는 우치무라 간조 속죄론의 특징을 네 가지로 설명한다. 그리스도의 십자가 죽음에 나타난 신의 정의와 사랑의 관계를 균형 있게 강조한다는 점, 구원에서 인간의 전적인 무자격성과 신의 절대적인 주권을 강조한다는 점, 그의 구원론은 ‘만인 구원론’ 입장에 서 있다는 점(《구안록》에서 이 주제를 다루지는 않았다), 그리고 신의 은총에 의한 구원으로서의 타율과 그 결과로서 도덕적 삶을 사는 자율이 균형을 이루고 있다는 점이다. 이러한 우치무라의 속죄론은 과도한 합리주의적 시대정신에 매몰되지 않으면서도 맹목적이고 미신적 신앙에 치우치지 않는 정통적 기독교의 속죄론을 분명히 한 것이다. 그리고 그리스도의 속죄 없이 그리스처럼 생각하고 행동할 수 있다고 생각하는 것은 비누 거품만으로 흑인이 백인이 될 수 있다고 주장하는 것만큼이나 허황된 믿음이라고 주장하며, 철저하게 그리스도의 '대속적 죽음'을 강조하는 것도 그의 속죄론이 가진 특징이다.

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 우치무라의 속죄신앙이 남긴 결과물을 떠나 그가 그렇게 깊이 묵상하고, 고뇌했다는 점을 높이 사고 싶습니다.  새창으로 보기

파워리뷰어 ㅣ 2016-04-30 l 공감(1) ㅣ 댓글(0) Thanksto  공감



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 구안록  새창으로 보기

라떼 ㅣ 2016-05-03 ㅣ 공감(1) ㅣ 댓글 (0)





연약하기에 인간은 견뎌내기 힘든 고난과 부딪히면 자신도 모르게 신을 찾는다. 특정 종교의 신이 아니더라도 자신이 믿는 신을 찾는 것이 인간이다. 끊임없이 자신안의 번민으로 인해 고통 받는 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가인 우치무라 간조는 '구안록'을 통해 마음의 평안을 발견하는 과정을 그려내고 있다.

 

누구나 살아가는 목적이 있다. 하나님을 곁에 두며 신앙심을 키우고 있는 우치무라 간조도 자신의 목적으로 인해 심적 고통을 겪는다. 평안을 얻고 싶지만 늘 어렵기에 신학교에 들어가며 느끼는 안락함이 얻는다. 허나 하나님의 통해 평안하고 온전한 삶을 살기 위해 노력하여도 시간이 흐를수록 그의 마음은 고통스럽다. 끊임없이 하느님의 교리를 제대로 이행하지 못하는 것이란 죄의식에서 벗어나지 못한다.

 

자신이 느끼는 고통을 저자는 다른 인물들이 신앙과 선을 통해 변화하는 모습을 알려주며 그 역시도 자신이 행할 길이 선... 자선사업이며 이는 그리스도를 기쁘게 하는 일임을 인식한다. 더불어 교만이 함께한 선은 올바르지 못하며 진정한 선은 자신이 죄인임을 결코 잊지 않고 올바른 삶을 살도록 노력하는 길이란 것을 알려준다. 하느님의 충실한 일꾼으로 사는 것이 자신의 일이란 것을....



인류의 역사가 욕망의 역사가 아니고 무엇이겠는가. 전쟁은 욕망의 충돌이고 정치는 욕망의 절충이다. -토머스 베빙턴 매콜리 p75-



선량한 사람들이 고통 받는다. 전쟁으로 인해 고통받는 잔인하고 비정한 세상처럼 저자는 늘 고통스런 운명 앞에 좌절한다.

 

세상은 분명 예전보다 풍요롭고 여유로워졌지만 사람들의 삶은 훨씬 더 팍팍하고 이기적으로 변화한다. 정의로운 사회, 정의로운 사람들이 많은 사회는 진정 힘든 것인지... 멸망의 날이 멀지 않았다는 사람들이 꽤 있다. 그만큼 우리 사회, 우리들의 모습은 정의롭지 못하다. 한 사람의 뛰어난 책사보다는 다수의 의로움을 움직이는 사람들이 필요하다는 것을 새삼 느끼게 된다.



사람이 가진 속죄의 힘은 그의 품성의 높고 낮음, 그리고 그가 받은 고통의 크기에 비례한다.     -p177-



저자는 그리스도를 믿는 신앙을 통해 평안을 얻는 길을 얻는다. 자신이 가진 죄의 실재를 인식하고 이를 벗어나기 위해 질문하고 해결점을 찾아가는 저자를 통해 우리도 자신을 구원할 방법이 무엇인지 생각해 보게 된다. 그것이 꼭 기독교를 믿는 것이 아니어도 된다. 자신이 믿는 종교에서 선함을 찾는 것이 중요하다. 솔직히 기독교를 믿지 않는다. 아니 종교 자체를 갖고 있지 않다. 나이를 먹어갈수록 마음이 어지럽고 힘들 때 누군가를 찾고 싶을 때가 종종 있다. 특정한 대상을 정한 것이 아니라 늘 허공을 향하고 있었는데 이제는 특정한 대상을 믿고 그 선함에 나를 두는 것도 괜찮다는 생각이 든다. 근본적인 죄에 대해 생각하고 자신이 믿는 신앙 안에서 선을 행할 방법을 찾고 따름을 통해 평온함을 얻을 수 있음을 다시 한 번 깨닫게 된다.

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 참 평안을 얻기 위한 여정  새창으로 보기

파워리뷰어 ㅣ 2016-04-30 ㅣ 공감(4) ㅣ 댓글 (0)



쎄인트의 冊이야기 2016-076

   

【 구안록(求安錄) 】    우치무라 간조 / 포이에마



 사람에게 신앙은, 믿음은 평안함을 주어야 마땅합니다. 그러나 제대로 한번 신앙생활을 해보려고 마음먹으면, 평안함보다 갈등이 더 많습니다. 왜 나의 믿음 생활은 나의 일상과 따로 살림인가? 왜 나는 교회 안에서의 나 자신과 교회 밖 나 자신이 전혀 별개의 존재가 되는가? 아니 교회 안에서 조차도 교회 밖 일상의 모습이 그대로 나타나는가? 뒤집어 나타날 바엔 차라리 교회 안의 모습이 세상 속에서 나타나는 것이 낫지 않을까? 나 자신도 때로 어떤 모습이 진짜인지 혼란스러운 때가 매우 자주 있습니다.





“자신의 적이 실은 자기 자신인데. 이를 알지 못하고 내면의 고통의 원인을 외부에서 찾는다. 내 안의 싸움과 갈등은 어디에서 오는가. 내 육신의 욕심에서 비롯된 것이다.” 이 책의 지은이 우치무라 간조는 참된 믿음의 길을 찾기 위해 그야말로 피눈물 나는 노력을 했습니다. 우치무라 간조는 근대 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가입니다. 일본에서 메이지유신 100주년을 맞아 ‘일본 근대화에 기여한 20명 중’ 중 한 명으로 선정되기도 했습니다. 그러나 생전에는 그의 믿음의 여정만큼이나 삶의 굴곡도 심했군요. 그가 받아들인 기독교적 세계관에 근거해 예리한 사회 비평 활동과 비전(非戰) 평화 운동을 전개하여 근대 일본의 천황제 중심 군국주의적 제국주의의 흐름을 비판했습니다. 그 여파로 매우 힘든 상황에 처하게 됩니다.

 

우치무라는 처음 기독교를 접하고 난 후, 그 도덕이 고결하고 위엄 있음에 감복합니다. 따라서 자신의 불결함과 불완전함을 깨닫게 됩니다. “성서의 이상에 내 언행을 비추어보니 참으로 견딜 수 없이 더러웠다. 진흙탕에서 나뒹굴고 있는 나를 발견한 것이다.” 그러면서 그는 전면적인 자신의 개혁을 선언합니다. 혼자 결심하는 것으로 부족하다고 느낀 그는 친구들에게 선언하고 하늘과 땅에 맹세하고 회중들에게 약속합니다. 흠 없는 온전한 삶을 살기로 결단하게 됩니다. 한두 달간은 그 결심을 잘 지켰지만, 그리 오래 가지 못했다고 합니다. 일상생활 속에서 언행을 극도로 줄이면서 그야말로 묵언 수도사의 삶처럼 살아봤으나, 자신의 근신이 친구들의 혐오의 대상이 됩니다. 그 자신도 얼마 지나지 않아 부자연스럽고 고통스러웠다고 고백합니다. 침묵이 우울증으로 바뀌려 할 무렵, 결단하기 전의 그 자신으로 돌아가게 됩니다. 그러나 그의 믿음이 약해진 것은 아닙니다. 죄(罪)에 대해서 깊은 생각을 하게 됩니다.

 

“나는 죄라는 이 엄청난 문제를 누군가에게 의지해 해결할 수 있는 것이 아님을 알았다. 나는 이 문제를 혼자서 풀어보려고 결심했다. 사람은 죄로부터 벗어날 수 있을까. 만일 벗어날 수 있다면 그 방법은 무엇일까?” 일단 이 생각이 마음에 들어앉기 시작하자 그는 부흥회에도 참석하고, 학문에도 몰두해보고, 자연의 삶도 생각해보고, 자선사업도 염두에 두기 시작합니다. 이 모든 방법에서도 마음의 평안을 얻지 못하자, 실질적인 전도자가 되어 하나님의 축복을 받기로 결단합니다. 마음에 많은 갈등이 있었지만, 신학교에 들어갑니다.



 이 책 《구안록》은 1부와 2부로 구성되어 있습니다. 1부는 죄에서 벗어나려는 우치무라 본인의 경험을 기록했습니다. 2부는 ‘죄의 원리’, ‘기쁜 소식’, ‘신앙 이해’. ‘낙원 회복’, ‘속죄 원리’ 등의 내용으로 구성되어 그의 속죄론이 펼쳐집니다. 우치무라가 애쓰며 구하려했던 죄의 관념은 ‘죄 자체’와 ‘죄의 결과’를 구별해야 한다는 것을 깨닫는 단계까지 가게 됩니다. 그는 하나님은 선(善)자체이고, 악(=죄)은 인간이 하나님으로부터 벗어나 독립하려는 것이라고 인식하게 됩니다. 그러므로 살인, 절도, 간음 등 보통 우리가 말하는 ‘죄’는 인간이 신으로부터 분리 된 죄의 결과라는 것이지요. 그러한 행위 자체가 바로 죄의 전부가 아니라는 이야깁니다.

 

크리스천이라면 우치무라의 속죄신앙에 대해서 함께 깊이 생각하고 고민해볼 문제라고 여겨집니다. 우치무라의 속죄신앙이 남긴 결과물을 떠나 그가 그렇게 깊이 묵상하고, 고뇌했다는 점을 높이 사고 싶습니다. 어떻게든 하나님께 더 가까이, 하나님 품안에서 그분이 원하는 삶을 살기 위한 애씀의 과정이었기 때문입니다. “나는 평안을 얻는 길을 알았다. 그러나 길을 안다고 반드시 그 길에 들어선 것은 아니다. 그리스도를 믿는 신앙은 나를 죄에서 구원한다. 그러나 신앙 또한 하나님의 선물이다.”

 

“너희가 그 은혜를 인하여 믿음으로 말미암아 구원(救援)을 얻었나니 이것이 너희에게서 난 것이 아니요 하나님의 선물이라.” (에베소서 2장 8절)

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 [구안록] 무교회주의자 우치무라 간조의 영적 순례기  새창으로 보기

카일라스 ㅣ 2016-04-30 ㅣ 공감(5) ㅣ 댓글 (0)

어느 한 종교에 얽매여있는 것은 아니지만 신이 없다고 생각하지는 않는다. 요즘들어 종교 관련 서적에 눈길이 가는 것은 특정 종교를 선택하려는 것이 아니라, 다양한 모습으로 진리의 길로 안내해주는 신을 만나보기 위함이다. 어떤 신이든 상관 없다고 생각했다. 깨달음을 얻고 마음을 흔들어 놓을 무언가를 알기 위해서 굳이 세속적인 틀로 한정지어놓은 종교가 필요한 것은 아니다. 이번에는 이 책을 읽으며 모르던 사실을 알아가고 싶었다. 무교회주의 기독교 사상가 우치무라 간조의《구안록》을 통해 절대자 안에서 새로운 희망을 찾아가는 여정에 함께 한다.



이 책의 저자는 우치무라 간조(1861-1930). 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가이다. 메이지유신 100주년을 맞아 '일본 근대화에 기여한 20명' 중 한 명으로 선정된 바 있다. "기독교 신앙의 유일한 근거는 성서일 뿐이며, 교회와 그 관습은 기독교를 담아내는 껍데기"라고 보았던 그는 무교회주의 기독교 사상가를 많이 길러내어 현대 일본 문화에 큰 영향을 끼쳤고 김교신, 함석헌, 송두용, 최태용 등에게도 사상적 영향을 미쳤다.



《구안록 求安錄》은《기독교 신도의 위안》《회심기》(홍성사)와 더불어 우치무라 간조의 대표 저작이다. 초판이 간행된 것은 1893년 8월이었고, 집필 시기는 1893년 4월에서 6월 하순경이었을 것이다. 그의 나이 32세 때였다. (200쪽_해제 中)

이 책의 17판이 1920년에 발행되었고, 지금껏 사람들에게 읽히고 있다. 많은 사람들이 함께 고민하며 우치무라 간조의 경험과 속죄론에 공감할 것이다. 기독교인이든 아니든 그의 영적 순례에 동참하는 시간을 보내게 될 것이다.



이 책은 2부로 구성된다. 제1부에서는 비탄, 마음의 분리, 탈죄술, 신학교, 망죄술에 대해 이야기하고, 제2부에서는 죄의 원리, 기쁜 소식, 신앙 이해, 낙원 회복, 속죄 원리, 최종 문제를 논한다. 1부에서는 죄에서 벗어나려는 본인의 경험을 기술하고 있고, 2부에서는 그의 속죄론을 서술한다. 이 책을 읽다보니 그의 처절한 고민과 방황에 함께 할 수 있었다. 우치무라 간조의 영적 순례기에 동참하며, 예전의 시간을 떠올린다. 나는 왜 그런 의문이 들었을 때, 누군가의 말도 안되는 이야기에 실망하며 그 종교마저 외면하고 말았을까. 좀더 치열하게 고민하고 처절하게 방황하며 집요하게 의심의 끈을 놓지 말고 고뇌할 것을. 지금에라도 우치무라 간조의 글을 읽으며 마음의 여행을 떠나는 것으로 일단락 짓는다. 그 시절의 나는 누군가에게 질문하고 그 답변에 실망할 것이 아니라, 탐구하는 마음으로 책을 찾아보는 것이 더 나았을 것이다. 후회가 아니라 나의 무지에 대한 반성이다.



인간은 죄로부터 자유로울 수 있을까? 저자의 이야기에 함께 고뇌하며 여정에 동참한다. 저자는 탈죄술, 즉 죄에서 벗어나는 법을 찾으며 부흥회, 학문, 자연 연구, 자선사업, 신학연구의 과정을 거쳐 신학교에 들어갔다. 그런데 그 신학교가 '악마의 가장 좋은 표적'이란다. 신성한 신학교의 공기도 죄를 벗어나게 하지는 못했다며, 두 겹 세 겹의 벽도 악마의 침입을 막을 수 없음을 알았다고. 신학교 또한 죄에서 벗어난 장소가 아니다. 밑에 보니 신학교는 애머스트 대학교를 졸업하고 들어갔으나 한 학기만 공부하고 자퇴했다고 쓰여있다. 그곳또한 죄에서 벗어난 장소가 아니라는 것을 깨닫는 데에는 한 학기면 충분했던 것이다. 고통을 벗어날 길이 없다면 잊어버리는 수밖에 없다. 그래서 망죄술로 가정을 이루는 것, 쾌락주의, 낙천주의를 생각해본다. 하지만 모두 그다지 큰 효력은 없었다. 죄의 원리에 대해 생각하고 신앙을 이해하며 끊임없이 사색하는 것으로 평안을 얻는 길까지 이어진다.



《구안록》은 우치무라가 저술가로서 애착을 가지는 대표적인 작품일 뿐 아니라 그의 기독교 신앙과 사상의 기초가 되는 속죄 신앙을 논한 대표적인 신학 저술이다.

_양현혜 이화여대 기독교학부 교수

참 평안을 얻기 까지의 과정을 이 책을 읽으며 함께 할 수 있다. 물론 이 책을 읽는 사람이 기독교 신자가 아니라면 결론은 그와 다를 수도 있을 것이다. 다만 치열한 과정을 함께 하며 평안을 얻는 길을 찾기 위한 도구로서도 이 책은 도움을 줄 것이다. 이 책을 읽으며 무교회주의자 우치무라 간조의 영적 순례기에 동참해본다.

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크렘벨 ㅣ 2016-04-25 ㅣ 공감(1) ㅣ 댓글 (0)

책을 통해 알게된 우치무라 간조는 일본의 대표적인 기독교 사상가이자 사회 사상가이다. 일본은 그 어느 나라보다 기독교의 전파가 어려운 나라였다. 선교사님들이 말하는 일본에서의 전도활동은 늘 쉽지 않았고, 교회의 부흥을 꾀하는 일도 어려웠다. 그런 환경을 가진 일본인이 쓴 기독서적이라 궁금했다. 어떤 이야기를 신앙이라는 관점으로 풀어낼까?



무교회주의자 우치무라 간조는 참 평안을 얻기까지 본인이 겪었던 여러 이야기들을 책을 통해 이야기하며 그럼으로 인해 더욱 더 하나님께 의지하고 만나야만 하며 그때서야 비로소 참 안식을 얻을 수 있다고 한다.

그는 누구보다 하나님을 잘 믿고 신앙으로 바로서고 싶어했다. 많은 기독교인들이 바라고 원하는 모습이다. 그러나 삶은 쉽게 그런 자세와 염원하는 마음이 이뤄지도록 허락하지 않는다. 하루에도 몇 번씩 무너지고 넘어지며 좌절을 맛본다.



"자신의 적은 실은 자기 자신인데, 이를 알지 못하고 내면의 고통의 원인을 외부에서 찾는다.(p14)"

남을 탓하는 태도 역시 인간의 내면의 결핍이라고 말하는 그는 고통의 원인은 결국 나라는 것을 강조한다.



그는 누구보다 인위적 거룩함으로 하나님께 가까이 가려고 했다. 많은 크리스챤들이 그러한 과오를 범한다. 교회를 열심히 다니며 예배를 드리고, 기도하고, 헌금하며 선행을 쌓는 것이 하나님께 가까이 가는 길로 여긴다. 물론 다 틀린 말은 아니다. 그러나 저자가 경험했고 나 역시 경험했듯이 '인위적 거룩함'은 오래가지 않는다는 것이다. 그러므로 신앙으로 바로서서 살아간다는 것은 끊임없는 노력을 수반하는 여정이다.

죄에 대한 이야기를 나누는 부분에서는 너무 많은 죄에 대한 억눌림을 느꼈다. 성경을 보고 나의 삶을 되돌아보면 어느 것 하나 죄가 아닌 것이 없었다.

"하늘이 사람을 심판할 때는 죄의 결과가 아니라 그 결과를 낳은 동기를 본다.(p20)"

기독교는 마음에 품은 죄까지도 행동으로 옮기지 않아도 죄가 된다. 그러므로 마음으로 그 사람을 미워하고 죽이고 싶어하는 감정을 품었다면 그 역시 살인죄가 되는 것이다.



그는 그리스도를 믿어 세상에서 가장 만만한 호구가 되었다고 고백한다. 그의 말에 나도 동의한다. 많은 사람들이 그리스도를 믿는 크리스챤은 양보해야 하고, 손해봐야 하며, 늘 선행을 베풀어야 한다고 당연시 여긴다.

그러나 중요한 것은 선을 의무로 여기고 행하는 것이 아닌 그냥 마음에서 우러나서 해야 한다는 것이다. 동기를 보고 마음의 중심을 보시는 하나님을 믿는다면 더욱 이해가 되는 부분이다.



우치무라는 그의 속죄 체험을 기반으로 [구안록]을 집필했고, 1부와 2부로 나뉘어  죄에서 벗어났던 본인의 경험과 이론적인 속죄론에 대해 설명한다. 그가 원했던 '완전무결한 생애'는 도덕적 우월감으로 오히려 교만과 자만으로 빠지게 하는 것을 경험했기에 속죄론으로 다시 우리를 깨우치며 하나님께 다가가는 삶을 살라고 조언하는 것이다.



속죄 신앙을 받아들여 구원을 경험한 사람이 누리는 도덕적 삶은 선물과도 같은 것이고 진심으로 다른 이를 포용하고 용서하는 법을 배우게 된다. 속죄론은 지나치면 독이 된다. 그러나 그는 선을 잘 그으며 우리에게 설명을 해주었다. 오랜만에 읽었던 종교 서적이라 인상에 많이 남았다. 죄에서 자유롭고 참 평안을 간구하는 크리스챤들에게 소개하고 싶다.

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 구안록

star4es ㅣ 2016-04-20 ㅣ 공감(2) ㅣ 댓글 (0)



하루하루 살아가면서 힘겨울 때 마다 나 혼자 스스로 해결하려하고 애쓰다 지치고 결국에는 포기하게 되는 안쓰러운 날들을 살아가고 있는 요즘입니다. 이렇게 힘든 나의 삶에 있어서 곁에서 도와줄 친구를 늘 주변에서 찾곤 하지만 그때마다 제 곁에는 아무도 없다는 것을 알게 됩니다. 하지만, 또한 가까이 있을 가족에게도 눈을 돌려보지만 그 또한 쉽지 않다는 것을 새삼 느낄때 왜 내가 지금 이렇게 존재하고 있는 것인가에 대한 생각에 잠겨볼 때마다 그 옆에는 바로 하나님이 내 옆에 계시고, 또한 나에게 위로를 해주고 있는데 내가 자꾸 거부하고 눈을 주변으로 돌리고 있다는 것을 알았을 때 내가 어리 섞었다는 것을 꺠닫게 되었습니다. 이 도서의 제목 <구안록>을 보자마자 나에게 정말로 곁에 있어 줄 친구이자 동료, 그리고 보호자가 될 하나님을 만나 볼 수 있는 정말로 귀한 시간이 될 꺼 같은 기대감에 일게 되었습니다.

 

"?죄가 심령의 병이라면, 이를 고치는 것은 심령의 힘이 아니고서는 안 된다.?"



몸이 아프거나 상처가 난다면 자연치유가 되어 건강한 쪽으로 자연스럽게 흘러가기 마련이지만, 생명이 지장을 줄 정도의 상처나 상하게 된다면 자연 치유로는 불가능하여 죽음에 이를 수있음을 알게 된다면 우리의 마음이 병들고 죄를 짓게 되는 것은 중대한 사항으로 자연스럽게 치유가 되길 기다리는 것은 마찬가지로 불가능하다는 것을 알아야 겠습니다. 이는 치유하기 위해서는 심령의 힘이 절대적으로 도움을 주어야지만 우리의 병든 마음이 치유가 됨을 뜻하는 것일 것입니다.



"?우리는 사람의 힘으로 할 수 없는 엄청난 변화가 내 몸에서 일어나기를 바라는 자들이다.?"



기독교는 애초에 사랑이라는 덕목을 추구하면서 선한 세상을 더불어 살아가는 것을 추구하고 있습니다. 이것은 사람은 혼자서는 할 수있는 일들이 없기에 서로 사랑하고 이해하면서 뭉쳐서 함께 도우면서 살아간다면 그만큼 혼자서 못하는 일들을 해결하고 잘 할 수 있음을 설명하고 있지만, 그래도 인간의 힘으로는 도저히 헤쳐나가지 못하는 것이 인간의 불완전성이기에 그럴 수 밖에 없음에 포기하지말고 하나님의 도움을 받고 스스로의 변화를 느끼면서 헤쳐나가는 것을 몸소 느껴야 함을 깨닫게 됩니다.



"?사람은 믿음으로만 의롭게 될 수 있다.?"



 인간은 우리가 바라보기에 개미가 엄청나게 작은 존재로 보이듯이 그저 한 우주의 한 작은 존재로 밖에 보이지 않기에 우리는 아직도 엄청나게 많은 부분에 있어서 딱 떨어지는 정답을 가지고 있지 않습니다. 많은 발전을 이뤘다고 하지만, 그저 우주의 한 작은 존재로 밖에 안된다는 것을 깨달았을 때 이를 극복 할 수 있는 것은 믿음으로 나아가는 수 밖에 없습니다. 이 믿음을 가지고 살아간다면 우리는 하나님께서 말씀하고 있는 바대로 의롭게 살아가는 것이고, 예수님의 보혈로 우리를 구원하셨다는 것을 믿는 것만으로도 이 힘든 정욕으로 물든 세상을 이겨나가는 길이라는 것일 깨닫게 됩니다.



무도교로써 그간 자신의 경험과 신념을 확고히 가지고 있었지만, 그동안 자신이 힘들 때마다 하나님의 음성을 무시한 채로 힘겹게 살아왔지만, 어느 순간 하나님의 임재를 경험하면서 힘들었던 자신이 그 동안 자신의 힘만을 의지하면서 살아가고자 했기에 힘들었지만, 하나님을 믿고 의지하면서 그 동안 자신이 살아왔던 방식들이 그저 허물없었던 일들이었음을 고백하면서 우리가 더 하나님께 가까이 가야만 하는 이유들과 동기들을 통해 설득하고, 하나님과 동행하는 삶을 살아갈 것을 강조하고 있습니다.

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Uchimura Kanzō - Wikipedia

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Representative men of Japan; essays : Uchimura, Kanzo, 1861-1930 : Free Download & Streaming : Internet Archive

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2016/10/20

日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」 : 大津留公彦のブログ2

日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」 : 大津留公彦のブログ2



2012年7月 2日 (月)

日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」

日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」 を見た。
札幌農学校で学び、キリスト教に入信した内村鑑三と新渡戸稲造。2人は日本文化を広く西洋に紹介、平和を模索していく。アメリカ人研究者がその軌跡を欧米や韓国に訪ねる。
新渡戸の『武士道』、内村の『代表的日本人』が著された背景をキリスト教世界に飛び込んだパイオニアだからこそ客観的に日本を見ることができたという視点から描いた。

内村鑑三は予算の7-8割を投じた日露戦争に反対した。
内村鑑三 非戦論 「麦のかわりに硝煙を食い、稲のかわりにサーベルを獲(か)るであろう」
「余は日露戦争の反対者だけでなく、よは戦争の絶対的反対論者である。戦争は人を殺すことである。人を殺すことは大罪悪である。大罪悪をおかし国家や個人がよくなるはずがない。」
新渡戸稲造は国際連盟事務次長として活躍し平和への貢献をアインシュタインやキューリー夫人にも声をかけ賛同してもらった。
一番びっくりしたのは最後のこの話
内村鑑三は「デンマルク国の話」でエネルギーは太陽の光線にも、海の波濤にも、吹く風にもあるので、これを利用することで小さなデンマークでも十分に国としてやっていけると説いたことであった。
新渡戸稲造やや内村鑑三の読みたいです。
以下つぶやきです。
RT @kiefer0127: 教育テレビでやってる「日本人は何を考えてきたのか」も面白い。今週は新渡戸稲造と内村鑑三。
posted at 22:17:52
RT @TekuradaHazure: 内村鑑三の父上は儒学者だったのかー。それはきついな…そして顔がとても似ている@Eテレ/日本人は何を考えてきたのか⑤
posted at 22:18:03
RT @shoheisato: 日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」 札幌農学校で学び、キリスト教に入信した内村鑑三と新渡戸稲造。2人は日本文化を広く西洋に紹介、平和を模索していく。アメリカ人研究者がその軌跡を欧米や韓国に訪ねる。 http://t.co/M8ZQcTv6
posted at 22:19:12
RT @arg: 見てる。>日本人は何を考えてきたのか 第5回「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」 http://t.co/zV77mmW3 ちなみに私が大学時代に勉強していたのは、こういうの。思想史ですな。
posted at 22:19:42
RT @nomonomonomonom: 新渡戸稲造と内村鑑三は札幌農学校で同期だったんだぁ!(◎o◎)シラナカッタ
posted at 22:20:07
RT @koto528: へー、内村鑑三と新渡戸稲造って札幌農学校に入っていたんだ。
posted at 22:20:59
RT @chaaa310fkbnb28: 札幌農学校時代の成績は内村鑑三が上だったらしい! けど英語だけは新渡戸稲造がTOPらしい!
posted at 22:21:36
RT @nomerio#ETV 新渡戸稲造 クエーカー
posted at 22:26:17
RT @Hisa_Arakawa: あれ、新渡戸稲造の『武士道』の正義って「righteousness」なんだ、、、「justice」じゃないんだ。
posted at 22:29:50
RT @shonenwho: そしてEテレ「日本人は何を考えてきたのか」の5回目は新渡戸稲造と内村鑑三。近代以降にキリスト教の世界観に触れた日本人。新渡戸の『武士道』、内村の『代表的日本人』が著された背景をキリスト教世界に飛び込んだパイオニアだからこそ客観的に日本を見ることができたという視点から。
posted at 22:30:21
RT @delight_bank: とかく物事には明暗の両方面がある。 私は光明の方面から見たい。 そうすれば、自ずから愉快な念が湧いてくる。 by 新渡戸 稲造
posted at 22:30:44
RT @sachicomcom: Eテレを見ながら、内村鑑三と新渡戸稲造…二人の人生をもっと深く知りたくなった。ちょっと見ただけで、なんだか泣きたいような、不思議な気分を味わっている。。
posted at 22:31:04
RT @ishidafine: 新渡戸稲造と内村鑑三をNHKでしている。内村鑑三の息子が日本の精神科の父(東大教授)。
posted at 22:32:07
RT @watanabenaika: <新渡戸稲造『武士道』> 特に大事なものは、義と勇であり、流されずに正義を守る勇気を持つ者こそが、真の武士。http://t.co/nQA63sCQ
posted at 22:43:54
内村鑑三は予算の7-8割を投じた日露戦争に反対した。 #etv
posted at 22:51:51
RT @nomerio: 内村鑑三 非戦論 「麦のかわりに硝煙を食い、稲のかわりにサーベルを獲(か)るであろう」 日清戦争 #ETV
posted at 22:58:10
RT @komakusaryama: 【日本人は何を考えてきたのか】「余は日露戦争の反対者だけでなく、よは戦争の絶対的反対論者である。戦争は人を殺すことである。人を殺すことは大罪悪である。大罪悪をおかし国家や個人がよくなるはずがない。」 #etv
posted at 23:00:08
内村鑑三や新渡戸稲造を読もうよ! RT @natsume_yuuki: 良くある非戦論。こういう問いで反証しよう。太平洋戦争をもし戦わなかったら、今の日本は果たしてあったかな? #etv
posted at 23:02:40
RT @komakusaryama: 【日本人は何を考えてきたのか】内村「小国論。日本の役割は経済でも軍事でもなく、文化と文化をつなくこと」 #etv
posted at 23:03:45
RT @komakusaryama: たぶん「保守」の方がは、「形式的」なんだと思う。。「様式美」というか、内容まで見てないだと思う。。 RT @my_tsurigitsune 所謂、保守と呼ばれる方々は、内村鑑三のことを評価しないであろう。 #etv 
posted at 23:04:24
RT @emico_k: Eテレの、内村鑑三と新渡戸稲造の軌跡が興味深い。そして、彼らが海外から吸収すると同時に、日本文化を丁寧に紹介し続けた事が、文化と理解の融合を生んだ。世界と交流するんだと云いながら、自国の文化一つ語れない人間を、海外エリートは軽蔑するだけだからして。#nhk #Eテレ
posted at 23:06:23
#Eテレ #etv 新渡戸稲造は国際連盟事務次長として活躍し平和への貢献をアインシュタインやキューリー夫人にも声をかけ賛同してもらった。
posted at 23:12:33
#Eテレ #etv 松山でのオフレコ前提の懇談会で「軍閥が一番悪い」と話したのが記事になり軍部に非国民と睨まれる。 アメリカに渡り戦争を阻止するために日本に関する講演会を数多く行った。カナダで71で亡くなった。戦争は起こった。
posted at 23:20:47
RT @stillkakato: 新渡戸稲造のお孫さんが出ています。ご存命です。#NHK #Eテレ
posted at 23:21:03
RT @yukatorawman: 新渡戸稲造のEテレ。戦争に突き進む日本に異議をとなえ、非国民とされる稲造。原発に突き進む今の日本と重なってしまう。
posted at 23:22:02
RT @RealityKicks: 新渡戸稲造、軍閥批判:当時も新聞紙上で炎上があったって事w あんまり今と変わらないんじゃ? #ETV #NHK
posted at 23:23:06
RT @Finsceal_Beo: やはり、教育が大切。新渡戸稲造ってかっこいい。
posted at 23:25:43
RT @maru_eonta: 私の夢のことで私を嘲らないでほしい。夢こそ来たるべき時代のさきがけだからである。 【新渡戸稲造】
posted at 23:26:30
RT @thiougi: 相互理解による世界、新渡戸稲造の理想。女性の教育の重要性。共感するものがある。
posted at 23:26:58
RT @kinntuba61: いかに苦しいことがあってもヤケになるのは短慮の極みである。逆境にある人は常にもう少しだと思って進むがよい。いずれの日か前途に光明を望むことを疑わない / by 新渡戸稲造
posted at 23:27:25
RT @UkeyT: NHKが今、このタイミングで新渡戸稲造と内村鑑三の特集するのは、凄いメッセージ性があると思う。国際関係が相変わらず良くならない現在と、軍国主義に走る昭和の日本をダブらせているんだな。
posted at 23:28:27
RT @LuciusModestos: ユネスコ憲章・・・「心の中に平和のとりでを築かなければならない」。新渡戸稲造のことをEテレで放送中。
posted at 23:28:40
内村鑑三は「デンマルク国の話」でエネルギーは太陽の光線にも、海の波濤にも、吹く風にもあるので、これを利用することで小さなデンマークでも十分に国としてやっていけると説いたことであった。[NHK教育]「東と西をつなぐ~内村鑑三と新渡戸稲造~」]
posted at 23:33:44
 この自然エネルギーの利用は、内村鑑三が「デンマルク国の話」でエネルギーは太陽の光線にも、海の波濤にも、吹く風にもあるので、これを利用することで小さなデンマークでも十分に国としてやっていけると説いたことであった。

「日本社会とクエーカー」について学ぶ会 : 時のしるし会・・・Justice and Peace blog.net.

「日本社会とクエーカー」について学ぶ会 : 時のしるし会・・・Justice and Peace blog.net.



「日本社会とクエーカー」について学ぶ会

e0077133_216245.gif「キリスト者平和ネット」からのメール情報

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「日本社会とクエーカー」について学ぶ会
第1回会合のお知らせ

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日時:2005年10月28日(金) 17時30分~19時30分

場所:早稲田奉仕園セミナーハウス 1階 102号室         
  【営団地下鉄東西線 早稲田駅より徒歩5分】         
   東京都新宿区西早稲田2-3-1              

予約・問合せ先(準備の都合上、下記まで必ずご予約下さい):
03-3818-6041 茨木(いばらぎ)

参加費用: 500円

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 クエーカー(キリスト友会=Religious Society of Friends)は、17世紀半ばの英国でジョージ・フォックス(1621~1691)により創始されたプロテスタントの一教派ですが、日本には1886年にアメリカ・フイラデルフィア・フレンド婦人外国伝道協会により伝えられました。
 クエーカーの信仰にとって重要なのは、万人に「内なる光」「内なるキリスト」が宿り、神と人との間には何も介在する必要はないということです。このことから、形式的な制度を遠ざけた、クエーカー独自の無形式・無牧師の「沈黙の礼拝」が生まれました。こうした「内なる光は全ての人にある」という考え方に基づいて、クエーカーは一切の差別を排除し、非暴力・非戦の平和主義に徹し、良心的兵役拒否でも知られています。
 戦後60年を迎えた今の日本社会は、残念ながら、「平和を望み、平和に備える」社会ではなく、「平和を望むなら戦争に備えよ」とする社会になりつつあります。この「『日本社会とクエーカー』について考える会」は、クエーカー(の存在やその活動・考え方等)について知り学び、それらとの関わりから日本社会を見つめてみようという会です。

 クエーカーに関心がある方、新渡戸稲造に関心がある方、クエーカーの平和主義思想が戦後日本社会にどのように影響を与えたか等に関心がある方には、ぜひご参加頂きたいと思います。また、「平和」をつくる者として共に歩んできた、他のキリスト教派の方々のご参加もお待ちしております。 

美化されすぎている武士道精神(武士道の欠陥): キヴィタス日記

美化されすぎている武士道精神(武士道の欠陥): キヴィタス日記



2014年2月 9日 (日)

美化されすぎている武士道精神(武士道の欠陥)

新渡戸稲造の著書「武士道」によって世界的に有名になったのが日本の武士道精神である。原題は、“Bushido,The Soul of Japan”、副題が「日本の魂」となっている。新渡戸は、自身が家庭で受けた質素で座禅に通じる武士道的な教育がクエーカー教徒(プロテスタントの一宗派)の簡素素朴な生活、瞑想による「内なる光」との対話に通じるということを体感して、自分が受けてきた道徳教育の原点は祖父から受けた武士道であることに気づいたのがきっかけであった。序文に「私が少年時代に学んだ道徳の教えは、学校で教えられたものではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であることをようやく見出したのである(矢内原忠雄訳)」。
新渡戸は、次のようにいう。「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代の徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史のさく【月に昔】葉(押し花)集中に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。・・・・道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なお力強き支配のもとにあると自覚せしめる。それを生みかつ育てた社会状態は消えうせて既に久しい。しかし昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。(矢内原忠雄訳)。」
ユダヤの民が神から与えられた律法のように、武士道精神は日本人の精神に刷り込まれた歴史的遺産である。自分の生命を投げ打ってでも義と徳に生きようとする精神は、利己的な精神を乗り越える高貴な精神である。
しかし、武士道精神は大きな弱点を持っている。武士道の始まりは、江戸時代の儒教思想に始まるのではない。もともとは、主君に家来が恩賞と引き換えに主君に忠勤することが出発である。典型的な武士道の逸話は、「七生報国」として知られる楠木正成の最期の場面である。
太平記の楠木正成の最期を描いた有名な場面は次のようなものである。
「手の者60余人、六間の客殿に二行に並び居て、念仏十遍ばかり同音に唱へて、一度に腹をぞ切ったりける。正成座上に居つつ、舎弟の正季に向ひて、そもそも最後の一念に依って、善悪の生を引くといへり、九界の間、何か御辺の望みなると問ひければ、正季あらからと打ち笑ひて、七生まで只同じ人間に生まれて、朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へと申しければ、正成世にうれしげなる気色にて、罪業深き悪念なれども、我も斯様に思ふなり。いざさらば同じく生を替えて、この本懐を達せんと契りて、兄弟とも刺し違へて、同じ枕に伏しにけり。」
湊川の合戦に敗れて追いつめられた正成の一党は、腹を切って自害した。その際、次生にはどの世界に生まれたいかという正成の問いに対して、弟の正季は「七世までただ同じ人間界に生まれて、朝敵を滅ぼしたいものだ」と答える。これに対して正成も、「罪深き悪念」ではあるが、自分もまったく同感だと述べている。
正成一党は、生まれ変わってまでも「罪深き悪念」と知りつつも、忠義に励むという姿勢をとっているのである。主君に忠誠を誓うという姿勢に突出しており、主君が対外的にとった行動については黙している。武士道精神は主君にはつながっているが、絶対善である天には直接はつながっていない。主君が善なる行為をなすときは天とつながり、主君が問題ある行為をなすときは天から離反するという性格を有しているのである。
武士の倫理・道徳として忠義を重んじる儒教思想が江戸時代受容されたのは、それ以前からあった武士道の思想(主君への死すとも恨まぬ献身奉公、身は「恩」のため、「義」のために命をも軽んじるという武士の道義)の影響が大きく、日本独特の儒教精神となった。岡山藩の池田光政候は、儒教を学ぶ中で、「民は天から預かっているものであるから丁重にしなければならない」と君主としての心得を書いているが、「君主」、現代でいえば「人の上に立つ人」はこのような姿勢が不可欠である。しかし、君主の姿勢を正した人は名君とされた一部の君主だけで、多くの場合臣下の従属だけが強要された。
日本儒教は、礼を守るという姿勢だけが極端に強調されて国や君主のために死ぬのは当然だという江戸時代の武士道の儒教(武士は君主のためなら自己犠牲をいとわない)とか国粋主義(国のためなら家族を犠牲にすべきだ)という倫理になった。日露戦争時、広瀬中佐は、「七生報国」を最後の言葉にして旅順の閉塞船に上り殉死した。この行為は美化され、第二次世界大戦時軍神として祀られるにいたる。広瀬中佐のように忠義だけが求められる風潮が作られるのである。
最後にもう一度いっておこう。武士道精神は主君にはつながっているが、絶対善である天には直接はつながっていない、と

上代タノー女子高等教育平和運動のパイオニア

mcm-www.jwu.ac.jp/~sogoken/kankojoseimokuji8.html



 上代タノー女子高等教育平和運動のパイオニア-』









まえがき 島田法子
 第一部 上代タノと女子教育者への道                    島田法子 
  
第一章 若き日の上代タノ-出雲の国から日本女子大学校へ
 
 はじめに  p.17
  1 われ故郷を愛す p.17
  2 松江市高等女学校時代-外国との出会い p.23
  3 日本女子大学校時代-英文学とキリスト教受洗 p.29
  4 日本女子大学校の教壇に立つ p.33
  おわりに p.35
  
二章 新渡戸稲造との出会い-新しい世界への歩み  はじめに p.42
  1 新渡戸稲造との出会いとアメリカ留学への道 p.43
  2 ウェルズ女子大学の四年間 p.47
  3 新渡戸稲造と東京女子大学創立 p.51
  4 新渡戸稲造の国際問題研究会と国際連盟事務次長就任 p.53
  5 ミシガン大学とケンブリッジ大学への留学 p.56
  6 世界平和への理解の深まり p.59
  7 新渡戸稲造との別れ p.62
  おわりに p.63
  第三章 アメリカ・イギリスへの留学-教育者としての基礎を築く  はじめに p.67
  1 ウェルズ女子大学への留学 p.68
  2 カリキュラムの変革 p.71
  3 新しい女性像 p.73
  4 日本女子大学校の国際化と姉妹校 p.74
  5 ミシガン大学への留学とバーバー奨学金 p.77
  6 ミシガン大学における研究 p.82
  7 学位より学生、研究より教育の選択 p.84
  8 ケンブリッジ大学留学 p.87
  9 帰国後の上代と日本女子大学校 p.88
  10 『リー・ハント』の出版 p.92
  11 戦火の中での教育者としての上代タノ p.94

  
おわりに p.97

 第二部 上代タノと戦後の日本女子大学時代              中嶌邦
  第一章 師成瀬仁蔵と上代タノ
  1 成瀬仁蔵と日本近代の教育 p.113
  2 上代タノと師成瀬仁蔵との出会い p.116

  第二章 戦後の教育改革と女子大学の成立
  
はじめに p.124
  1 戦後の女性解放と教育 p.125
      戦後の日本と女性
      女子教育政策の変化
  2 戦後の女子高等教育と女子大学の成立 p.127
      戦前の女子高等教育から戦後へ
      女子高等教育機関の活動
      新制女子大学の誕生
  3 学長就任まで p.132
      戦後の上代タノ
      新制日本女子大学の発足と上代

  第三章 日本女子大学学長としての活動
  
はじめに p.137
  
1 学長就任と学内制度の改革 p.137
  
    学長就任
      学園の制度改革
  2 教育改革の取り組み p.141
      女子高等教育をめぐる状況
      学生とともに
  3 創立六〇周年を契機に p.147
      記念式に 
      主な記念事業
  おわりに p.155

 第三部 上代タノと平和運動                        杉森長子

   p.169

  第一章 平和運動のパイオニア、上代タノ-第二次世界大戦前の時期
  はじめに p.173
  1 成瀬仁蔵の理想「世界平和」と女性への期待 p.174
  2 国際問題研究会の創設-新渡戸稲造の成瀬への協力 p.177
  3 「地球世界」の実感-上代タノと「世界平和」への道 p.182
  4 婦人平和協会の結成-上代タノ、女性平和運動への参画 p.186
  5 WILPF国際会長、ジェーン・アダムズと上代タノ p.190
      ジェーン・アダムズの来日
      上代タノとジェーン・アダムズ-初めての対面
      ジェーン・アダムズの訪日効果-WILPFへの加盟
  6 WILPF第五回国際総会と上代タノ p.200
  7 婦人平和協会の活動展開 p.209
      難民、避難民支援活動の展開
      軍縮書名運動の展開
  8 満州事変と上代タノの決断-初めての試練 p.216
  おわりに p.222

  第二章 国際理解を求めて、上代タノの活躍-第二次世界大戦中の時期

  はじめに p.231
  1 上代タノと中国の人々 p.232
  2 盧溝橋事件への対峙 p.234
  3 「時局下、吾等何をなすべきか」-上代タノの英知 p.238
  4 「コンピエーニュの森」-『婦人平和協会会報』最終号巻頭言 p.241
  5 上代タノの回顧「戦時中の婦人平和協会」-ガントレット恒会長と河井道会長の勇気 p.243
  6 戦中期における平和主義者、上代タノの勇気と決断 p245
  おわりに p.248

  第三章 平和運動の新たな地平を拓く上代タノー第二次世界大戦後の時期
  はじめに p.251
  1 上代タノと婦人平和協会の再建 p.252
      「日本婦人平和協会」への改名
     WILPF会員の友情
  2 日本婦人平和協会会長、上代タノの抱負 p.256
  3 戦後の新たな活動展開 p.260
      全面講和を求めて
      平和憲法護持と再軍備回避の努力 p.262
      WILPFへの復帰 p.267
  4 WILPF第一三回国際総会と上代タノ p.269
  5 原水爆禁止運動への参画 p.273
      原水爆実験禁止署名運動
      原水爆禁止世界大会への参画
  6 世界平和アピール七人委員会の結成と上代タノ p.283
  7 WILPF第二〇回国際総会と上代タノ p.286
  8 人権主義とクエーカー主義-上代タノの平和運動を支えた基本思想 p.292
  おわりに p.298

  結語 p.304

  上代タノ略年譜 p.316
  あとがき p.323

机の上の空 大沼安史の個人新聞: 〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた!

机の上の空 大沼安史の個人新聞: 〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた!



2010-08-13

〔いんさいど世界〕 「平和なお盆」をよみがえらせ、「平和な日本」をうみだしたアメリカのボートン博士は、戦前、松島の灯篭流しを観ていた! 

 1945年(昭和20年)8月の「お盆」は、灯火管制の下、迎え火も焚けない状況で、盆の入りを迎えたはずだ。
 戦死者は「軍神・英霊」として、帝都(東京)の「靖国」に収用され、遺族たちは愛する死者たちを親しき「霊」として迎え入れることを憚った。
 けれど、お盆の中日、「15日」の「終戦」が全てを変えた。
 日本の民衆はようやく戻った平和の中で、昔の平和なお盆を思い出し、慌しく迎えれた死者たちの霊と親しみながら、その死を(「喜ぶ」のではなく)悲しみ、平和な日常を噛みしめる中で、死者たちを送り返したはずだ。
 戦争が終結した「8月」は久しぶりに日本にお盆がよみがえった夏だった。
 * * *
  米国のジャパノロジスト(日本研究家)、ヒュー・ボートン(Hugh Borton)博士〔1902~1995年〕をご存知だろうか?
 あのライシャワー博士の友人で、同じ時期、日本研究を始めた、草分けの学者である。
 やがて米国務省の日本部長などの立場で、戦争終結に、戦後日本の設計に主導的な役割を果たすことになるボートンさんがエリザベス夫人と2人の子どもを連れ、東大大学院(文学部)留学のため、日本を訪れたのは、日本敗戦の10年前、1935年(昭和10年)2月のことだった。
 1928年(昭和3年)に初来日し、3年ほど東京で暮らして以来、2度目の来日。
 5月の東大への入学手続きを済ませたボートンさんが蒸し暑い東京を逃れ、家族とともにひと夏を過ごしたのは、宮城県の景勝の地、松島(湾)を一望の下に見下ろす「高山外国人避暑地」だった。
 そこでボートンさんは初めて、松島湾の灯篭流しを観る。
 送り盆の「満月の夜」、「……しばらく地上の家族と過ごしてから天国に戻っていく先祖の霊を表す、明るい蝋燭をのせた小さな舟の大群が松島湾に浮かぶ灯篭流しを、沈黙のうちに見物した」(自伝『戦後日本の設計者 ボートン回想録』より)のだ。
 平和な日本の――松島の盆の灯篭流し。
 * * *
 平和な日本のお盆の夏を松島で過ごしたボートンさん(当時、23歳)は、「すべての人の中に神はいる」と信じる、絶対平和主義のクエーカー教徒(フレンド)だった。奥さんのエリザベスさんもまたクエーカーの信者。
 ボートン夫妻の1928年の初来日も、実はアメリカ・フレンド奉仕団からの派遣。ボートンさんは奉仕団の活動の合間に、東京日本語学校で日本語を勉強、奥さんのエリザベスさんは三田の普連土学園で教壇に立っていた。
 2度目の来日で東大で2年間、勉強し、最初の来日を含め、通算5年の日本滞在を終えたボートンさんは、「徳川時代の農民一揆の研究」でオランダのライデン大学から博士号を取得、米コロンビア大学で研究者生活に入ることになるが、時代は暗転し、世界は一気に「戦争の時代」へと進んで行く。
 クエーカー教徒として「良心的兵役拒否者」の立場を貫くボートンさんに待っていたのは、米国務省で対日政策を立案・勧告する調査アナリストの任務だった。
 * * *
 ルーズベルト・トルーマン政権の国務省で、ボートンさんは実は、大変なことをした!
 日本で暮らし、日本を愛していたボートン博士は、平和を愛するクエーカー教徒としての良心に従い、国務省の日本部長、極東局局長特別補佐などの立場で、戦争を早期に終結させ、平和憲法など戦後日本をつくりあがる仕事に心血を注いだのだ。
 その詳細は、博士の自伝、『戦後日本の設計者 ボートン回想録』(五百旗頭真監修・五味俊樹訳、朝日新聞社)や、五百旗頭真著『米国の日本占領政策  戦後日本の設計図』(上下2巻、中央公論社)に詳しいので、ここでは簡単に紹介するに留めるが、
 戦争早期終結では、「戦争を早期に終結するためには大統領ないし他の政府高官から日本の将来の処遇に関する声明を発表し、無条件降伏は日本民族の絶滅や隷属化を意味するものではないと日本国民に保証すべきである」との「覚書」をまとめ、国務省、およびトルーマン政権内の説得につとめ、
 戦後日本の構想では、後にマッカーサーが、立憲君主制・平和主義を柱とした新憲法の草案づくりをする際、ガイドラインにすることになる、「日本統治制度の改革」なる報告書(SWVCC228)をまとめた。
 そう、日本が世界に誇る「平和憲法」の産みの親は、知日家で絶対平和主義のクエーカー教徒、ボートン博士だった!
 * * *
 早期戦争終結では、残念でたまらない、こんな出来事があった。1945年5月29日のこと、ワシントンの陸軍省のスティムソン長官の執務室で、重要な集まりがあった。
 ボートン博士の勧告に従い、2日後の戦没者追悼記念日(5月31日)に、トルーマン大統領が「対日声明」を発表することを承認する重要会議だった。
 「声明」の草案は「無条件降伏は日本の全ての軍隊の降伏と武装放棄を意味するが、必ずしも天皇と皇室の排除を意味するものではない」というもの。
 会議は、このきわめて重要な「声明」草案をいったんは了承したものの……最後の最後に、マーシャル陸軍参謀総長が「時期尚早」を言い出し、見送られることになった。
 なぜ、マーシャル参謀総長は「声明」つぶしに動いたか?
 たぶん、そこには、日本に早期降伏されてはならない事情があったからだ。
 その事情とは、もちろん、その時点ですでに最終段階にあった、あの「マンハッタン計画」の原爆開発である。
 この時、トルーマンがボートン博士の勧告に従い、「対日声明」を実際に発していたなら、ヒロシマ・ナガサキの悲劇は回避できたかも知れないのに……。
 * * *
 ボートン博士は1948年に国務省を辞し、コロンビア大学の教授を経て、1957年、母校のクエーカーの大学、フィラデルフィア郊外にある、バヴァフォード大学の学長に就任する
 ボートン博士はハヴァフォードでもベトナム反戦運動の学生を守り抜くなど、平和主義を貫き通すが、ここで注目しておかねばならないことは、ボートン博士らクエーカー(フレンド)の人々と日本との、「平和」で結ばれた絆である。
 ボートンさんが初来日した際、東京で食事に呼ばれ、励ましを受けた新渡戸稲造博士のメアリー夫人は、クエーカー教徒。
 ボートン博士がハヴァフォード大学の学長として名誉博士号を授与することになる、あの、現天皇が皇太子だった頃、英語教育に力を注いだヴァイニング夫人もクエーカー教徒。
 帰国したヴァイニング夫人のあとを受け、皇太子の英語教師となったのアスター・B・ローズさん(普連土学園園長)もクエーカー教徒。
 立憲君主制のデモクラシーとして再出発した戦後日本の平和の流れの中で、クエーカーの平和主義が実質的に大きな役割を果たして来たことは、忘れてはならない歴史的な事実である。
 * * *
 さて、この17日は、恒例の「松島灯籠流し花火大会」。
 75年前、若き日のボートン博士が七ヶ浜の高山避暑地で観た、送り盆の行事である。
 そしてことしは、くしくも博士が83歳でお亡くなりになって15年(命日は8月2日)……。日本式に言えば16回忌だ。
 もしかしたら博士の霊も、松島を懐かしがって、高山避暑地あたりに、そろそろもう、いらしているのかも知れない。
 博士のクエーカーの信仰に敬意を表しながら、わたしたちは日本人として作法で、博士のみ霊をお迎えし、お送りすることで、戦後の平和・日本を生み出してくれた博士の功績に感謝することにしよう。   
〔参考〕
 ヒュー・ボートン博士
  Wiki ⇒ http://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Borton
 (このニューヨーク・タイムズ記事を見てもわかる通り、ボートン博士の対日政策づくりにおける重要な役割は、米国でもあまり知られていない。ボートン博士の功績を発掘し、自伝の執筆を励ましたのは、東大の五百旗頭真教授である)
  英文原書 Spanning Japan's Modern Century: The Memoirs of Hugh Borton
  アマゾン(カバーの写真にボートンさんの写真があしらわれています) ⇒ http://www.amazon.co.jp/Spanning-Japans-Modern-Century-Memoirs/dp/073910392X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1281653082&sr=8-1
 「米国の日本占領政策 戦後日本の設計図」(上下2巻、五百旗頭真著、中央公論) 同 
 ⇒ http://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc/srh_detail
   http://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc/srh_detail
 松島灯籠流し花火大会  ⇒ http://www.jalan.net/jalan/doc/theme/hanabi/04_hanabi20.html
 エスター・B・ローズさん〔1893~1979年〕
  写真と言葉 ⇒ http://www.friends.ac.jp/our/our.html
 クエーカー(フレンド)について ⇒ http://www2.gol.com/users/quakers/who_areJ.htm
 フレンド・オブ・ジャパンの紹介 ⇒ http://www2.gol.com/users/quakers/borton.htm
 普連土学園について ⇒ http://www.friends.ac.jp/our/our.html
Posted by 大沼安史 at 08:11 午後 1.いんさいど世界 | 

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