2023/03/01

世界革命実践の書: 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)

世界革命実践の書: 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)

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QUINTA-FEIRA, 5 DE NOVEMBRO DE 2009

1.零位よりの理解を

私は今これについて、全貌を述べる時機ではないように思います
これは現在の社会機構や、観念・思想と甚だしく掛け離れ、覊絆を脱し、或いは逆調を呈し、政治・経済・法律・道徳・慣習等を根底から剔抉・改訂するもの であり、多くの学説・理論・実績を一応棚上げして、判断しなければ、不可解、又は危険視される部分が相当にありますから、主観を捨て切れない人や、曲げら れた間接的資料によるものや、真髄を究めないで、皮層・断片的観察から生ずる誤解をする人々よりの非難・攻撃、時には迫害の及ぶことさえ予想されるからで す。
そうした理由から、誤解・混乱・障碍を避けるためにも、叙述が相前後したり、主要な部分が抽象的になる場合があり、セッカチ(急進)な人には物足りない 憚いがありますが、状勢の展開につれて、機を見て断続的に、具体的に、解説しましょう。理解ある協賛により、実践し乍ら完結出来れば幸いとします。

ÀS 16:05 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: まえことば, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


2.宗教に非ず

山岸会の行為を、宗教だと早合点する人があります。会員中には宗教家や、神仏或いは何かを信仰している人が居ることと、本会の趣旨(山岸会趣旨参照)と、 それ等の目標と相一致する部分が多く、似ている点もあり、理想社会には精神的な面も大きな要素として、それに言及する関係から、文章や言葉のうちに、宗教 や修養会等にも多く用いる字句が、相当はいるために、先入主観から、宗教臭味を感ずる訳でしょうが、宗教に使っているからと言って、その字そのものは必ず しも宗教のものでも、修養会の専用語でもない筈です。
行為そのものも、よく似た処がありますが、真理を究め、間違いを正し、真の幸福社会を招来するものは、宗教や信仰の力のみに限らないでしょう。
そうした印象が影響すると、正しい解釈が出来なくなり、誤りへの出発になります。
本会では神仏や、宗教・思想・信仰等については、各々の自由にまかせ、そうした問題に関しての批判は、研鑽会等で採り上げることもありますし、私として は割り切って居るつもりですが、会としては、凡ての事柄について、衆知を集めて、よく検討し、最高・最善・最終的なものを見極めて、それを実践し、理想社 会の実現を期するもので、修養会や、宗教的なものではありません。教えるよりも、哲学的に、現実的に、真理と方法を探究し合って行動する、真理実践の社会 活動体です。

ÀS 16:00 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: まえことば, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


3.自己弁明 −人物を切り離した批判を−

 信仰生活に入り、神仏等を信奉している人の言行は、概ね正純で社会の浄化に役立ち、自他の幸福感を培っています。
 併し又一面観察が、善意的に傾きやすく、ために時折私迄も特別人間扱いされて身の置場に困り、挨拶の言葉に窮することがあります。
 本当は次に来る社会では、人並位の自信はありますが、到底尊敬に値しませんものですし、今迄の社会通念から観ると、脱線・反逆・恩師らずの不徳漢で、誇大妄想狂の食言屋として、ひとまえへ出られる資格なく、まして人に教え導く柄でない事を自認しています。
 私の場合、実質以下に、悪しざまに見られる事は、却って先の楽しみがある位で、襃貶を気にしませんが、神がかり的に見損ったり、よく見過ぎられると、ただの人間以下の現実に、期待外れの危なさがあり、物事の判断を誤る原因ともなります。
 私の言動や諸説や、このヤマギシズム社会構想に対しても、私は私なりの考え方から、確信を持って行なって居る迄ですから、これを以て最上決定的なものと思い込まずに、又貴方の今持って居られるものと、一致しないから駄目ともしないで、相体者と、条理とを、切り離して考察される事が大切で、人物を通さずに、盲信しないで、厳正な批判の眼で検討し、容赦なく叱正され度いです。好意や悪感情等、自己が混じると、純な結論が出ないです。
 私に対してインチキだとか、売名だとか、政治的或いは思想的か、何か奥に野心がありそうだとか、金儲け会だ等と云いふらす閑人があり、その宣伝効果から、会に関心を持って寄って来る人も、日に多くなりつつあります。会に来て実態を知って、宣伝した人の人柄や、程度の低い事や意図が初めて判り、ミイラ取りがミイラになったと、即時入会してかえって深入りする人が多いです。
 そう云う噂を吹聴する人の頭の程度や、人格の低い事は間違いはないが、中には私の深奥にあるものに対し、何かを、それとなく感じて怖れをなしているらしいのもあります。金儲けの会だとは、よく云いあてています。会そのものは一銭たり共儲けませんが、又会の何かの係役をしている人も、会から今迄に一銭も給料を貰っていませんが、会員には物心共に、大いに儲けて貰うための会に相違ありません。
 私は政治に対しては、内外共に重大なる関心を持っています。又自ら地球上に生存する一人としての政治意欲も、大いにありますが、政談やラジオを聞く暇が殆どなく、自慢にはならないが、三ヶ月間新聞を見なかった事もあり、見たり見なかったりの世間知らずで、貧乏人は麦を食えで名を成した池田蔵相が、疾くに罷めているのも知らずに、講演会で喋って笑われた程で、今の大臣でバカヤローで有名な吉田さん以外は、本当に知りません。
 そんな風で頭は悪く、今日足下の事では、時代にずれている上に、私には私の柄相応の仕事があって、政界等に一歩も出る自信も時間も持ち合わせていないのは事実で、野心があったら、十年前の機会に出た筈で、今の政治構想に期待して居りませんから、この点に関しては、やぶにらみでしょう。
 又私の思想について憶測される人もありますが、私として、青少年時代より一貫して持ち続けているものがあります。ハッキリした思想であり、時代に相容れかねるものがあることも、知っていますから、私はそれを強引に暴力で押し付けよう等、考えた事は一度だってありません。又それは暴力では絶対に成就しない事も、自覚して居りますし、今全部を発表する時機でもなく、時間的にも不可能な事で、歿後に気付いた人達によって、二百年以内には完成される予想の下に、余命のある間に書き綴っているのですが、たまたま私の稲作から養鶏を見付け出した人に引き出され、伝えられた稲作なり養鶏法そのものが、ヤマギシズム社会の縮図で、自然私の思想を感じとった人々の思想と、相一致する多くのものを見付け合い、相共鳴して出来たのが、山岸会なり山岸式養鶏会で、自然と人為の調和を基調とした思想です。
 私の書いたもの、言ったもの、これから出すものによって、危険な思想かどうかは、零位哲学的に、真理の究明が出来る人には、およそ見当がつくと思います。インチキ云々については、説明するさえ時間が惜しいです。そうかどうかは、各自の瞞されないよう警戒し乍らの観察に、一任しておきましょう。時が答を出しますから。人徳が無いからこんな無駄書きするのです。
 主観を捨てての一言で済まされないものを感じて、繰り返して置きましょう。
 私は私としての理想を描き、理想は必ず実現し得る信念の下に、その理想実現に生きがいを感じて、明け暮れる日夜は楽しみの連続です。家が傾こうが、債鬼に迫られようが、病気に取り付かれても、将来誤った観方をする人達から、白州に引き出されようとも、先ずこのよろこびは消えないで、終生打ち続く事でしょう。欠点や間違いに対しては、正面から指摘される事を待っています。

ÀS 15:59 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: まえことば, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


4.技術出し惜しみの批難に対して

 私の構想している社会機構なり、真理と考えている事でも、前述の事情から、今全部を発表しかねていますが、技術や経営面についても、矢張り小出しにしなければならぬ事情があります。
 これについて随分批難がありますが、なぜそうするかについて、私の意図を述べましょう。
 技術や経営上の秘訣は、修得すればその人の心の善悪にかかわらず、一応は役立ちます。
 一挺の刃物に譬えますなれば、それの真当の使い方を知らない人にも使えます。子供や狂人や白痴の人が持つと、悪意はなくとも大切な樹を伐ってみたり、人を傷つける事や、自分で負傷することもあります。
 其の他、これも心の狂った人の部類にはいりますが、他人の迷惑は構わずに、自分の今日のみを考える人が持てば、他から刈り集めたり、脅迫したり、殺傷したり、又は怨念を晴らす道具にも用いましょうし、自殺にも使えます。
 又よく切れる刀は、よく人を殺し得ます。私共は争いのない、ひとと共に栄える幸福社会を目指していますのに、それをたたきこわし、自分のみの繁栄のために用い、社会に害毒を流し、当人も苦しむ結果になるような事をする人には、使って貰いたくないのです。
 他より先に抜け駈けで儲けようとしたり、他より多く技術を身に付けて、自分の地位を高め自慢の道具に使ったりする、われひとりの人に利用されたくないのです。自分が先取りしてからでなく、自分より遅れている人、弱い人の手を曵いて誘い合い、待ち合わして、同じ歩調で進み度いのです。
 技術・経営法を向上さすための研究は決行で、大いに進歩させねばなりませんが、それを実用に使う場合は、乏しき人を引き上げて、真の幸福目的(不幸な人の無い社会)のために利用したいのです。
 私としては出し惜しみと見られているよりも、又損を繰り返している人を見過ごす苦しさからも、早く一般に公開したいと思いますが、「理想郷実現のために」を思えば、口先でのみ、われ、ひとと共にを叫んでいる人や、(山岸会々旨参照)今はわれ、ひとと共にと思っていても豹変しそうな人には、先取りされ度くないのです。
 技術が向上し、物のみが如何に豊富になっても、真の幸福社会は到来しませんし、高い所の土持ちや、一部の人のみの物欲に加担する気になれないのです。
 この会は、自他及びその子孫が繁栄し、怒りや争いのない社会気風をつくる会ですから、この理が解り、自分も栄え、会に相寄って、拡充発展に協力する人々に活用され度いです。
 技術の一端を覚えて自分の利益のみ考え、幸福社会をつくる会に協力出来ない人や、会に反逆する人には、絶対に伝えない事にしているのです、初めは迎合して来て、会得しかけると理想社会も何もない、会が潰れようが、犠牲者が出ようが、かまわずに人を突き倒してでも、近欲に狂奔する人に対しては、口が堅くなるばかりです。
 これは一見狭量に見える行き方ですが、今の世相は、ここまでしなければならぬ有様で、汽車や電車の乗降・座席の争いや、商取引にも、共同事業にも、国際利害関係も、自分さえよかったらの、禽獣にも劣る浅ましい気風が瀰漫し、これを正すためにも、獣性の助長は絶対に出来ないです。
 私はそれ等の人や、甘い考え方の人達から、何と批難されよう共、社会人類を愛し、協力社会に尽す人達の繁栄に協力するつもりです。
 そうして親和・協力の人達が栄える事は、利己的な人が自滅・解消して、相共の人に更生することになり、親愛の情に充ちた幸福社会が訪れます。

ÀS 15:58 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: まえことば, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


5.同調の人々と共に



この社会形態は、現在迄に唱え書かれている、理想社会と頗るよく似ている点と、ある点迄の半永久並行線と、全く正反対の部分があり、観方・行き方・言動に対し、一時は批難する人が現われるやも計られませんが、批難する前に、直接真相をよく検べてから、批判を加えられますなれば、私は如何なる批判をも、よろこんで聴き、誤りは速やかに正し度いと思うもので、既にこうした目的のために、幸福研鑽会と称する機会を設けて、それに力め各々の主張を話し合って、真実のものを見付け出し乍ら、同じ考え方で目標を等しくする人達と共に、相協力して実行しつつあります。

力を多く結集する程早く、立派な理想社会が実現しますから、同調の人々の参加活動を切望します。


ÀS 15:57 NENHUM COMENTÁRIO:

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6.山岸会と山岸式養鶏会との関連

(1955.8.25.山岸式養鶏会は山岸会の一部門として山岸会養鶏部と改称)

 山岸会と、山岸式養鶏会とは、混同され易いが、既に会の趣旨に明示されています如く、山岸会はその趣旨に掲げている、理想社会を目指すもので、いろいろの立場から、いろいろの方法手段を以て、実現を図っているのです。
 商業からも、工業からも、学園・教育・宗教からも、官庁・政治面からも、社会事業等も勿論であり、農工生産面・消費面及び凡ゆる側からも、勤労職員も経営者も、子供も老人も、男女の別なく生ける者皆関連あり、何からでも、誰からでも方法手段を以て、理想社会を実現することが出来ます。
 山岸式養鶏会も、そうした目的達成のための一環として、それを具現化する役割をなすもので、養鶏そのものは、全体経済面の一小部分に過ぎず、社会構成の上からも、一般から見て関心は薄いのですが、こうした省みられない一隅からでも、社会全体を動かす始動力となることが出来るのです。
 本養鶏会は、ただ鶏を飼って、経営経済を良くするばかりが目的でなく、社会機構を革新し、社会気風を改善して、物心共に豊かな理想社会を創り、人類の幸福を最終目標としておりますから、技術の向上・普及、経営の協力と相互援助、共栄精神の具体化等、行動方向が皆その目標に集注し邪道へ外れないよう心掛け、機構・制度もそれに合致し、養鶏法そのものが、及び会そのものが、既に理想社会の縮図に組み立てられてあります。
 この養鶏法を間違いなく行ない、会の真目的に副って活動することが、即ち山岸会の趣旨を実践することになり、世界人類に幸福社会を齎すことになります。
 山岸式養鶏会は、山岸会の一つの組織体で、密接不離の関係にあり、単に養鶏のみ切り離して経済行為に終ることなく、自他の物的、精神的、繁栄に資するものです。
 云う人はあっても、行なう人は稀で、云う人が如何に多くても、行なえる人が多くならねば、画餅・口頭禅に終ります。
 私は会に対して特別の何物でもありません。ただの一会員です。至らない点について叱咤矯正して下さる事は、本当の親切だと有難く思います。
 そして真に実行出来る人々よ、同僚横の人として、堅く両手を繋ぎあって、邁進しようではありませんか。
 全世界人類の永遠に揺るぎなき
           真の幸福のために。
             1954. 11. 22.

ÀS 15:56 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: まえことば, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


1.真実の世界

 ヤマギシズム社会を、最も正確に、簡明に、云い表わすものは「真実の世界」であります。
 幸福社会・理想郷・天国・極楽浄土等呼ばれるものも、言葉の上では、これと同じ意味を寓した場合が多いでしょうが、実態においては、他の云われる社会との相違は、極端なものがあると思います。
 併し又私も、真実の世界の謂として、便宜上それ等の言葉を用いますが、仮や、ごまかしや、空想的なものでなく、絶対変わらない一つ限りのものを目指しています。
 人間社会のあり方について、一つの理想を描き、それが実現した時、又その上に、次の理想が湧いて来るなれば、先のは真実の理想社会で無かったと云う事です。
 幸福についても、真の幸福と、幸福感とがあり、真の幸福は、何時になっても変らないものであるが、幸福感は、場合によりでありまして、或る人には、或る社会では如何にも幸福に思っていても、他が迷惑したり、中途から不幸に変るなれば、真実の幸福でなかった事になります。
 不幸な人が一人も居ない社会、何時迄も安定した幸福社会が本当のものです。
 誰の心のうちにも、社会組織にも、うそ、偽りや、瞞着の無い事が肝要で、判らない事を、架空的な、こじつけ理論で組み建てた社会等は、やがては崩壊する惧れがあり、真実の世界ではありません。
 物財を求めていたものが、財産を掴んだ時や、地位・名声を望んでいた人が、それを得た時、無上の幸福を感ずることがあったとしても、それが安定した真実の幸福と云い切る事は出来ないでしょう。
 又何一つ病気にもならない健康体で、働けてあることは、幸福条件の一つとは云えましょうが、これも場合によると、病身の人より不幸の事もありますから、真実の働きをしているかどうかを、知らないと意外の事もありましょう。
 農業者が真の農人でなかったり、商人が真の商人でなかったり、政治・教育・宗教家が真のそれでない事もよくある事です。工場等でも、組織そのものにも、間違ったものがありますが、各々の立場において、真実、それに自己を生かすことによって、闘争等絶対に起るものではなく、却って工場は繁栄し、自己を豊かにします。妻は妻、夫は夫、子に対しての親は親として、間違いない真の生き方があります。
 各々真実の自分を知り、それぞれが真実の生き方の出来る社会を、ヤマギシズム社会としているのです。

ÀS 15:55 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: 第一章 概要, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


2.かつてない新しい社会

 過去より現在に至る、人類社会のあり方には、幾多の変遷があり、多くの先人達が、真理の探究に力め、之を唱導し、その普及を図り、自己を滅して途を拓き、世人の苦悩を救い、正浄の人生を得せしめようとし、又それの伝導に、一身を捧げた人々も限り無く、時には新旧思想・観念の対立から、暴力闘争等により、莫大なる犠牲を払った悲惨事も、度々繰り返されて来ました。
 併しその何れもが現在迄には、完成されて居らず、今日なお人類間の紛争が絶えず、希求する幸福社会が実現していません。
 こうした事実は、その何処かに必ずその原因があり、これを取り除く事が出来る筈です。
 私は少ない時間や、劣った知能の関係で、過去の主張や学問・理論については、深く究めて居りませんから、それ等を論じ、比較することが出来ませんが、未だ幸福社会が、この世に完成されていない事実を事実として、私は私の知っている範囲において、かつてない新しい社会のあり方を、組み立てたものです。
 私はこれなら、先ず真の人間には当て嵌まる真実社会であり、如何なる階層の人も、立場の人も、冷静な検討をされるなれば、正しい判断が下されて、闘争も犠牲も、他に迷惑も掛けずに、同じ考え方の人達と共に率先協力して、案外短期間に、実現する事を確信するものです。
 これは私として、未だ他に行なわれている事を知らない社会実態であり、現在私の周囲に行なわれている殆どの現実が、根本的に変ることで、人倫・道徳・経済・社会・政治機構等も形質共に大転換される事は当然で、今日の世界中の紛争等は、児戯に等しく、狂態そのもので、政治活動等も、注目に値しない無駄働きで、目に角たてて争ったこと等は、実に愚劣な行為であった事が判明します。
 国際会議の殆どは、我利我利の突っ張り合いで、大国の代表の言動でも、醜怪見るに耐えないものがあります。次に来るものは、かような見苦しい間違い事は根を絶ち、未だかつてない和気靄々の新しい社会です。

ÀS 15:54 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: 第一章 概要, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


3.法で縛らぬ社会

 宇宙自然には、人間の力で如何とも成し難い一線があります。それさえも何とかして取り除き度いと願う、自由欲求があります。それにもかかわらず、尚その上に人を束縛する法律を人間が設けて、狭い枠内で身動きも出来かねる不自由な環境を造って、殊更に面倒にしています、事毎に権利だ、義務だ、越権だと、囲いを厳重にし、重荷を負わす窮屈さは、自縄自縛で、自らを苦しめる人間の馬鹿さを暴露したものでしょう。余りにも法律が多過ぎ、縛る人も、縛られる人も、ますます忙しくなりそうです。
 法律は松明のようなものでしょうか。今の社会は悪事のわくのに都合のよい、暗黒状態にしておいて、タイマツ持ちにタイマツを翳さして、悪人を縛る手のこむ仕組みだと云えます。
 タイマツは消耗し、火傷もします。火災も起しましょう。タイマツ持ちや、捕縛人足の手当や、一方住宅難で困り乍ら、立派な鉄格子の鉄筋建物に獄卒迄付けて、租税を浪費する仕掛けになっているようです。
 かような仕組みは、根本的に間違っているもので、悪を矯め直そうとしても、今の社会に戻せば二度三度、悪が重なり、大きくなり、又次々と新しく発生します。蛆虫が生くようにしておいて、蝿を追うようなもので、次の世界では悪の起る原因を無くし、権利・義務のみで、凡てを片付けるハエタタキ法律書は空文になります。

ÀS 15:53 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: 第一章 概要, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


4.機構と人情社会に

 そうして、人を縛る法律万能主義は消えて無くなりますが、それかと云って、原始的無政府・無規範社会にしようと云うものではありません。
 水には水の、流れ、溢れぬ、水路を、人には人の、自由に安全に通れる大道を設け、自動的に円滑に、他に迷惑を与えないで、各自の自由意志と、能力に応じた行動が出来る仕掛けにします。無軌道では混乱し、事が運びませんから、真の人間向きの、間違いのない機構・制度を確立します。
 併しそうして立派な道路機構が出来ても、同じ道を行く人の間に、他の人を跳ねとばし、白眼で見交わす冷たい気分があれば、決して愉快な人生旅行は出来ません。又道を尋ねられても自分は自分、ひとはひとと、他に関せずの個人主義も、実は社会が自分一人限りのものでなく、必ず何かで他の人との関連があり、人間は相対的であって、吾一人行かんも程度の差こそあれ、帰結する処、他との保ち合いで人生が有意義になります。本当に人間は一人になり切れるものでなく、そこに人の情が自ずと湧いて来るものです。
 道連れ話相手があると、遠路も忘れて愉快に過ごし、汽車や船で長旅すると、未知の人とも何時か言葉を交わし親しくなり、路傍で見かけた丈の間柄でも、遠い他国で相会うと、近親感を覚え語り合うようになり、純な子供達が、特に早く馴染むのは自然の人の姿でしょう。世の鬼のように云われる冷血漢でも、家庭ではよき夫であったり、やさしい父として心中に涙することもあります。
 理想社会には、「親愛の情が絶対条件」であることは、会の趣旨として強調している如くです。
 即ち権利や、義務や、機構・制度や、身体の健康・物の豊満のみでは、解決出来ないものがあります。しかも幸福条件には、心の豊かさが主要部分を占め、幸福なる人生を理想とする社会構成は、人間愛の基調の上に組み建てねばならないです。
 こういう事は、今迄に云い尽されていましょうが、さて実現出来なかったのは、唱えるのみで、方法を持たなかったもの、又は消極微温的なものや、一般普遍性のなかった事等が原因だと思います。これに対し、この会が結成されて、愛と理知に立脚し、最も急速にそれを実現さすために、幸福条件の凡てに、積極具現方式を採用したのです。
 しかし余り人情が出過ぎて、盲愛になったり、譲り合いで事が運ばなくなっても不都合ですから、それを整頓するためにも、大綱的序列例を示す必要はあります。
 社会機構にも水路・道路に比すべきものを設け、何れを通るも各人の自由選択に委し、決してその人の意志を妨げないのです。そして先を争い妨害する人はなくなりますから罰する法律は要りませんが、譲り合いで交通が混雑しないよう、順位丈は定めて置きます。
 これも既成社会観念から見ると美し過ぎて、婦人会の乗車風景の外麗のみを見た、歯の浮くような幼稚な考え方に見えましょうが、案外近い足下に実践方法があり、やってみれば、事実は決してそんなに難しくもないでしょう。差し当り一つやって見せますかな、です。いや既にやりつつあります。

ÀS 15:52 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: 第一章 概要, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


5.悪平等を押し付けぬ社会

 自由・平等は、人間社会を組織する原則として、間違いないとするものですが、似而非自由や、悪平等が往々にして行なわれ、真の平等が曲げられ、真の自由から逸脱して居るようです。
 如何に自由と云っても暴逸ではなく、人間としての可能範囲の奔放で、堰堤をきったり、住家に火を放ち、人を傷つけあやめたりすることは、既に狂いから起る間違い事であり、日常の小事のうちにも、気付かぬまま誤った自由の云われ、行なわんとされつつある事が多々あります。
 行ける所へ、行き度い時に行く自由、寝たい時に寝られる自由、ある人は食べ、ある人は食べられない不都合や、食べたくないのに、食べさされる悪平等に妨げられない自由が、真の自由と云えましょうし、そうした自由の社会を目指しているのです。
 平等にしても、誰もが同じ大きさの家に住み、同じ衣服をまとい、同じ物を同じ量たべて、同じ作業をし、又は同一の考え方を押し付けたりするのは、悪平等で、誰でもが、どんな家にでも棲み得て、身に合う衣服を着、胃の欲求に応じて食を摂り、心身が充分に休まる丈眠って、起き度い時に起きる等の自由が、平等に得られる事が、真の平等だとします。或る人々に得られ、他の人に同じ機会を得られない仕掛けは、不平等で、今の社会機構には、こんな不平等が、甚だしく横行している模様です。
 感情を抑圧されたり、職業や、居住地を制限されたりする不平等や、悪平等も一掃して、誰にも同じ条件と、均しい機会によって、各々の個性に適合した環境に生活し、その要求が充たされる社会こそ、正しい社会です。ところが今日未だ、これさえ解決して居ず、大きな根本的欠陥や、不合理面が甚だしく、私共はこれの訂正に着手したのが、本会の組織及び活動となって、表面化して来たのです。
 口に自由・平等・人類の幸福を唱え乍ら、現状を肯定又は看過し、これを行ないに現わさねば、云わざるに如かずです。

ÀS 15:51 NENHUM COMENTÁRIO:

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6.差別待遇のない社会

 同じ太陽の下、この地上に生れた人の間には、本質的に差別があろう筈がありません。が現在も尚人種的、系統的、或いは宗教的偏見等から、甚だしい待遇上の差別、精神的侮辱が行なわれています。同種同民族が同じ地域に棲み乍ら、賎しめられている人が随分あります。
 成る程そうした事になる原因は、双方に相当あるのですが、その原因は取り除く事が出来ますし、検討すれば全面的に解消する方法があり、又そう難事ではありません。
 次の社会では、現在の不合理な国境線はなくなりますが、今の一小国内の同種族の裡にさえも、因習的差別が根強く、法律でも平等を定められて久しきに亘るも、融和は容易に到りそうもなく、厳然と水に油の弊風が残り、積極方法に出ない限り、何時迄この醜習慣が続けられるか、凡ゆる努力も無効に見える状態にあります。
 併し私共では、この問題も必ず解決し得る成案を持って居りますし、理想社会には、左様な不愉快の人を一人もなくし、世界中から劣等感や優越感、差別待遇等を無くします。

ÀS 15:50 NENHUM COMENTÁRIO:

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7.貧困者のない社会

 貧乏とは、金銭物財のみを指すものではなく、心の乏しい事をも意味し、心の貧乏人を、一人も無くすることに努力しなければなりません。即ち学問や、知恵等の無形財は、他に伝え与えても減耗しませんから、多く持っている人は、少ない人に大いに与え、高い豊かな心の持主は、充たされない心の人に、心の満悦を得て貰う事です。
 有形の物財となると、多く与えれば多く減りますから、奇特な人か、次の世界や、無形の大きさを悟った人等の他は、与えたくないのが普通の考え方でしょう。
 次の世界では、物財を個々に貯え護る必要がなくなり、通貨は余り持てなくしますし、持たなく共、豊かに生活が出来ますが、それまでの間、今の経済機構や社会心理では、与えなさい、下さいと云っても、それでは皆差し上げましょうと云えないです。
 併しこれでは貧富の差が甚だしく、物質面からでも、反目・闘争社会が続きそうです。
 それを激化しないように、社会主義社会政策を採ったり、高いものの引き均しや、共有経済組織を強行したりされつつあります。
 私は高いものを奪い取ったり、崩して引き均したり、伸びる者を抑制したりしないで、又納得もささずに暴力を行使して犠牲者を出したりし度くないのです。
 私は低い者を、引き上げる手段を採り、持たない人が持つようにします。これなら持っている人に頼まなく共、奪い取らなく共、承諾も、犠牲も、反対も、抵抗もなくして解決し、一人残らず皆富み豊かになりましょう。持てる人を泣かさずに、貧乏人を喜ばします。
 物欲の人は物を与えられると非常に喜びます。貧乏人のうちには、物を貰う癖が付く人があり、困ったら貰えるものと思うこと、救うて貰うことを、当たまえのように甘えてしまいます。私はこんな人に与えることは、依頼心を助長するのみで、その人のためにもなりませんし、与える方も続かないでしょうから、甘い親切は禁物だと思います。
 そこで私は目に見える有形物を与えるよりも、無形で、その人の自立に役立つ方法を授ける方式を採り、適材を適所で生かす事が、その人を豊かにし、幸福にするものだと考えて居ります。
 肉体労働の出来ない不具・病弱・老人・幼児を抱えた寡婦等に対しての、物心の保護は当然ですが、それと同時に、自分を支えられる方法を与えて、幸福な生活に、真の生き方を見付け出せるように仕向け、物心共に貧乏人を一人もなくします

ÀS 15:49 NENHUM COMENTÁRIO:

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8.幸福一色 快適社会

 ここに云う幸福の意味は、不幸に対しての対句ではなく、人生は快適であり、幸福一色であるべきを、真の人生のあり方とする、私共の人生観から云っているもので、万一不幸と感ずる事があるなれば、それは何処かに間違いがあり、その間違いの原因を探究し、取り除くことにより、正しい真の姿に立ち還えることが出来るのです。
 幸福が真実であり、人生はそれで当りまえの事であって、不幸は間違いです。私は幸福と云う言葉を、人生の真の姿であると云う意味に用いています。不愉快な人生は間違いで、人皆快適に暮らせる社会が本当です。うき世等と云って憂鬱は人の世の常とし、それから脱却し得ないかの如く観念づける事も、正しくありません。
 真の人間は、生命を宿して親から生れ、身体に生命が宿っている間が人生であり、やがては生命を失ない生活が止まるもので、その生存期間中に、いろいろな行為をします。
 この行為は、人によって皆同じでなく、自発的の場合と、他からの条件によって意識的に、或いは無意識的に進行します。その間の行為の結果が、一時的に終る事や、永く残るものもあり、役立つ事や、案外間違っている事もあり、残ったものが完全に消滅し終る迄は、その人は死んでも、その行為は生きている理になります。
 人間に限らず他の動物も、何かの行為をして、何かを残しますし、殆どよく似た生活環を営むものもあり、人間の持たないものを、他の動物が持っているように、人間も亦、他の動物の真似られない特徴を具えています。
 又人間のうちにも、それぞれ異った能力、特技があり、他の及ばぬ優れた働きが出来ます、何事によらず良く出来る人や、他の事は人に劣っているうちにも、ただ一二の点で最も鋭敏な人や、善良な資質を具えている人もあり、皆それぞれの持ち味によって、社会的持ち場や生き方も異う訳で、自分に最も適した、他に真似の出来ない生き方をすることが、一生を意義あらしめた事になります。
 先天性のもので、一応如何ともなし得ない点は別として、環境的に伸ばし得るものは、大いに伸ばし、一番必要とされる役割に就く事が本当です。
 力のないものが重荷を負うことや、物覚えのよくない人が、記憶力の要る持ち場に就けば、苦労が多くて効率が上がらず、快適とは云えないでしょう。男は男として生き、女は女に適した生き方こそ、幸福な人生です。
 それに、他の生物や、物品や、機械や、仕掛けをしておけば自動的に、或いは自然的に出来ることや、薬品で簡単に済まされる事を、人間がその代替的に働く事は、人間を人間として生かしたことにならないから、真の人生ではなく、人間でなければ出来ない事を成すことこそ、最も高い真実の人生であり、それを成し得る社会を、幸福社会と云います。
 又老人・子供にはそれぞれの生き方があり、病人も亦病人としての、最適な生き方があります。
 私は人が人を殺す行為は、絶対に否定するものですが、そうした場合や、病気等で死期を知り、又は老後になって初めて本当の人生を悟り、それからが、有意義な幸福な真の生き方に転換する人もあり、そうした人をも幸福にする社会が、幸福一色の快適社会であります。

ÀS 15:48 NENHUM COMENTÁRIO:

MARCADORES: 第一章 概要, 解説 ヤマギシズム社会の実態(一)


9.陽的社会 暗黒の夜から昼の世界へ

 暗い夜の世界では不自由で、方向を誤り易く、その生活行動は不便不都合です。いろいろの間違いの起る今の世界は、闇夜のようなもので、闇夜には灯火をたよりに道を歩み、作業を行ないます。それでも道は遠く、足は疲れます。視界が狭くて能率が上がりません。松明や、堤灯や電灯位の姑息な措置では、仲々正しい明るい、住みよい世界には変りません。
 私共では、根本的に行き方を変えて、明朗な、暖かい昼の社会に転換する設計の下に、活動をしているのです。消極的でなく積極的に、陰的でなく陽的に、静止沈滞でなくて自由活動的に、諦め的に物事を観ないで、夢を描き向上進歩を策します。狭い間道を細々と行かずに、大道を力強く活発に前進する社会設計です。枝葉・末節・表層のみに捉われないで、根源本質的なものに重点をおき、百鬼夜行の陰惨な、混濁世界に黎明の陽光が射し込み、全体総てを明るい真昼の状態にします。
 悪事の多くは夜に行なわれますが、それは悪事のしやすい状態になってあるからで、如何に取り締っても次々と発生し、猜疑・憎しみ・怒り・争奪・殺傷等が絶えないでしょう。
 この昼の世界にはそんな間違い事は起らないから、人を縛る法律等も自然消滅となり、厳めしい警備も牆壁もない、快適な人生があります。
 矛盾不透明な社会が幾世紀か続いて、人々は諦めに似た先入感から、間違いを間違いと思わず、途を行くには灯が要るもの、世の中は暗いこんなものと観念しているものか、一向に無関心に過ごし、或いはそれに気付いて改変を唱導し、又は強行したこともありましたが、最上の結論の出ないまま、揉み合う事久しく、今ではかような説明をしましても、目を注ごうとする人は少なく、余程進歩的な人か、飛躍的な若い感覚の人でなければ、直ぐには理解されないでしょう。
 金銭物質を、これ人生の凡てと思いこんでいる人達には、閑人の夢物語として邪魔・迷惑に過ぎないでしょうし、その道にある人でも、トテも叶わぬ空言に聞こえるでしょう。
 併し私共は、今迄出来なかったから出来ないとか、出来もしない事を出来るが如く見せかけるものでなく、実現し得る設計と、方法と、確信を持って居まして、この間違いの多い夜の世界に終止符を打ち、人類ある限り、永遠に揺ぎない真の幸福のみ溢ぎる、理想郷の門戸を開き、昼の世界を迎えようとするのです。
 そこには陽光燦やき、清澄・明朗の大気の裡に、花園が展開して馥郁と香り、美果が甘露を湛えて人を待ち、観るもの聞く声皆楽しく、美しく、飽くるを知らず、和楽協調のうちに、各々が持てる特技を練り、知性は知性を培い育て、高きが上に高きを、良きが上に尚良きを希う、崇高本能の伸びるが儘にまかせ、深奥を探ねて真理を究め、全人類一人残らず、真の人生を満喫謳歌することが出来るのです。
 浦島の行った竜宮城か、仏の国の来世極楽浄土が、この世に実現します。政治・経済・社会・家庭等人類のあり方凡てに亘り、現状その儘で陽的に、愉快に、案外容易に、恰も暁に陽光が及ぶが如く照らし出されて、明るい昼の世界が実現します。破壊や、撤去がありませんから、損失や犠牲者や、爆薬も要りません、夜の世界では、なくては働けない松明にも譬えた法律も、変更する迄もなく無用になりますから、そのまま放任しておけば、消えてなくなります。
 考えてみましょう。国境が無くなれば、国と国との紛糾がなくなり、戦争も起らず、国際公法や、国境を護る兵隊や、武器が不要で、兵器を造る工場や資材や、工員や、兵隊が、平和産業に当てられます。軍需が無いと不景気になるように錯覚する者があり、失業者の心配や、食糧過剰を云う人がありますが、労働時間を短縮したり、基本産業や治水・交通道路の完備工事もあり、なるべく働かないで衣食住が安定し、戦争の恐怖から免れます。
 こんな事今更聞かなく共、決り切った事だが、それがどうにもならないじゃないか。敵が侵して来るから、仕方なくそれ以上の軍備をしなければならぬよ、と頭の悪いことを公開されます。併し方法は手近にあるのですがね、と云い度くなります。
 現在の国境は夜の囲いであり、あまりにも厳めしく、やがては唯の地域名程度の昼の画線になり、今の経済機構も、政治及び社会組織も、人の心も皆、明るい昼の姿に変ります。政庁・官職にあるもの、手掛けている学問・芸術・職業も、法律・財産もそのままで、益々伸展合適する自由があり、自動的に少しも波乱なしに、理想社会に生長します。
 唯夜の世界で必要とした財産も、名誉も、地位も、昼の世界では身に付けているさえ荷厄介になり、身軽になり度くなります。そうでしょう、終生の衣食住が安定し、老後の心配なく、子孫の養育が確保され、病気が殆どなくなり、病気に罹っても、立派なベッドで最高の治療が無料で受けられ、天寿が近づく程待遇がよくなり、柔軟な寝具に身を浮かせ、甘い音楽に恍惚と夢を見ながら、自然に還る社会に、財産を個々に貯える要はないでしょう。
 死んでからの極楽よりも、死の瞬間を、一生を通じての最大の極楽境にします。
 人皆身軽い姿でいるのに、名誉と云う重い暑い窮屈な金欄の装束をつけて、地位と云う転びそうな高い木履を穿って、おまけに頭に長と云う冠を載せて、得意顔で勤まるのは、食故の道化役者か、島原の太夫か、大僧正のお練り位なもので、大抵の者は馬鹿げて、正気でやって居れなくなりましょう。
 農業にしても、利潤よりも興味本意となり、稲作りも、菊や盆栽作りのように楽しみ乍ら、一粒の種籾から百本の穂を出し、一穂に数百粒の籾を着け、雀の卵程大きな米を稔らす競技会をしたり、春秋のシーズンにトラクターを駆って、ドライブ気分で耕作しておけば、家族揃って夏は海へ山への行楽避暑に、冬は温泉・映画・音楽会や各自の好きな趣味三昧、花を眺め月下に踊る、人生これ快適なりです。
 健康のための運動として働き、職場も、芸術的なものだけ人間が造り、他はスイッチ一つで機械が働きますから、特技を高めるもの、学理の究明に没頭するもの、皆その途に専念して、他の煩わしさに捉われることなく、宗教家も、自分にさえも解らぬ伝導やお説教で、自責の苦悩にさいなまれずに、先ず自らの悟りのために瞑想に耽っていても、食は目前に積まれましょうし、住衣に事欠かず、真の導師として天国極楽への先達になれましょう。
 そう云う社会になった方がよくはないでしょうか。割合簡単になりますが、いかがでしょうか。実に華やかなお伽の国のような、しかも真実の世界があり、人はもともと罪など犯しているものではなく、懺悔も謝罪もする必要はありません。罪と云う言葉さえもなくなりますから、人を縛る何物も無用になります。
 昼の世界には、牆壁が無い方が広濶として見晴らしもよくなり、旅行券や通貨交換の面倒さもなくなり、航行も自由になり、自由をお題目に唱えている国の人々も、嘘から出たまこととなりましょうし、双方が便利になります。

ÀS 15:47 NENHUM COMENTÁRIO:

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10.物は飽く程豊満な世界

 物欲には際限なしと云われますが、併し限界ありとも云えます。
 欲するものが、欲しい時に、欲しいだけ、自由に、労せずして得られる仕組みを理想とし、生存に最も必要な空気や、水に近い程度にし度いものです。
 しかし、現在ではそうした環境の人は極く小数に限られ、大部分の人々は、
絶えず手足や頭脳を働かしていてさえも、殆ど充たされていないようです。
 これに就いては、いろいろの観方があり、標準を一にして論じ得ないものがあります。
 肉体の要求と、観念的な相違により、大差がありますから、特定の人に厚く、他の人に得られない機構には、相当不合理性があり、不満感の根源ともなっています。
 これ等は、誰でも得られる量と機構を整える事によって解決します。即ち豊富な物資と、自由なる使用の機会を、万人洩れなく行き渡る機構とします。かような世界が実現すれば、幸せに成れると思う人が、現在のところ随分あります。
 物が豊富になって幸福になれる人は、誠にめぐまれた人で、既に心が豊かな人であって、物のみ欠けていた人には、実に完全な幸福が訪れた事と云えましょう。
 唯私共では物のみで得た一時的満足感を、真の幸福と間違え度くありません。
 よく検べて見ますと、物が豊かになって幸せになれる時と、そうでなくて、全く関係の無い場合と、時には不幸の前兆となる事さえあることに気付きます。
 そこで考えられることは、物を豊富に生産し、公平な配分・所得共有の社会には、未だ足りない空虚な部分があることを知ります。しかもそれが物の分野とは比較にはならぬ程、幸福条件には大きな部分を占めている事が判るのです。
 如何に物資が豊富に自由に得られても、心の世界に真に充ち足りたものが無ければ、絶対に真の幸福はあり得ないのです。又そうした心理的条件を欠いて組織した社会は、真の理想社会ではありません。
 物が泉の如く無限に出来て、水のように低い欲しい所へ自然に流れて来る仕掛けにし、心の面でも、安定と満足に暮らせる社会を目指しているのです。
 屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等のない社会になりますし、健康・生命・感情の問題等も、昼の世界での考え方、あり方について判然としますが、後章にて詳しく述べるつもりです。

ÀS 15:46 NENHUM COMENTÁRIO:

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2009 (73)▼ novembro (73)1.零位よりの理解を
2.宗教に非ず
3.自己弁明 −人物を切り離した批判を−
4.技術出し惜しみの批難に対して
5.同調の人々と共に
6.山岸会と山岸式養鶏会との関連
第一章 概 要
1.真実の世界
2.かつてない新しい社会
3.法で縛らぬ社会
4.機構と人情社会に
5.悪平等を押し付けぬ社会
6.差別待遇のない社会
7.貧困者のない社会
8.幸福一色 快適社会
9.陽的社会 暗黒の夜から昼の世界へ
10.物は飽く程豊満な世界
第二章 構成
一 幸福研鑽会 1.幸福研鑽会とは
一 幸福研鑽会 2.出席者は
一 幸福研鑽会 3.研鑽事項は
一 幸福研鑽会 4.感情を害しないこと
一 幸福研鑽会 5.命令者は居ない
一 幸福研鑽会 6.たやすく寄り会える場所で
一 幸福研鑽会 7.日と時間は
二 専門研鑽会
三 構成員 1.幸福会員(物心幸福会員の略称)
四 要約
三 構成員 2.十人のメンバー
知的革命私案(一)山岸 巳
一 正しきに戻す
01.世はまさに逆手なり
02.アメリカに日本の心が掴めたら
3.ああ、チャンスは彼方へ
4.わがために乞うにあらず
5.正か逆か
6.ヤマギシズム社会に
7.革命提案の弁
8.知的革命の呼称と性格
9.何故幸福社会が実現しなかったか
10.「具現方式」によって
11.具現方式は何にでも
12.人間の知能
13.不幸の原因
14.人情社会組織に改造
15.人種改良と体質改造を
16.百万人のエジソンを
17.女性は300人近くの直子を遺す
18.体質改造
二 先ず日本から
1.日本なる呼称
2.乏しき日本
3.日本人の反省
4.日本を豊かに
知的革命の端緒 一卵革命を提唱す /山岸 巳
一 前説
1.日本の鶏と農
2.働き過ぎる
3.日本農民の仕事
4.卵を5円に引き下げましょう
5.私は秘密を堅持している
6.養鶏技術について
7.云いかけて云わないことと後編発行を遅らせている理由は
8.一卵革命具現方式の要約
二 本旨 心あらば愛児に楽園を
1.源泉の涵養
2.鶏を飼う身で協力
3.学者に一卵を
4.疎遠の会員の質問に応えて会の実情を
5.学問・頭脳を優待しましょう
6.主として種鶏家に提案
7.一卵革命の弁
8.万金積んでも買えない卵を2007 (3)

知的革命私案(一) (24)
一 正しきに戻す (18)
知的革命の端緒 一卵革命を提唱す (17)
解説 ヤマギシズム社会の実態(一) (16)
第二章 構成 (11)
第一章 概要 (10)
一 前説 (8)
二 本旨 心あらば愛児に楽園を (8)
幸福研鑽会 (7)
まえことば (6)
二 先ず日本から (5)
三 構成員 (2)
専門研鑽会 (1)
幸福会員 (1)