2016/10/20

無教会&クエーカー|新時代のキリスト教

無教会&クエーカー|新時代のキリスト教


無教会&クエーカーの記事(10件)

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  • なぜ無教会?

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  • なぜ無教会?
    2011-10-13 13:25:50 
    テーマ:無教会&クエーカー
    --
    ★無教会主義の創始者「内村鑑三」はなぜ無教会でなければならなかったのか?
    キリスト教の神髄は聖書の中にこそあるとして、個人による聖書研究を重視し、教会、儀式、教義、神学、典礼といった制度、形式を退けたのです。
    --
    内村は次のように言ってます。

    「神の造られた宇宙自然が無教会信者の教会で、青空、星が天井で、青い野、色々の花は床、楽器は松の木、梢、楽人は森の小鳥、説教師は神様御自身である。僧侶・牧師・神父のごとき職業的宗教家を拒否、洗礼も聖餐式も拒否し教会をつくりませんでした。となればおのおのの信者が聖書によって直接に神から真理を学ぶことができ平信徒が伝道者となり万人祭司が実現します。」

    <わが宗教>(1908年9月 『聖書之研究』)(信8/248)

    神を愛し人を愛する事なり。
    わが礼拝はこれなり。わが信仰はこれなり。わが奉仕はこれなり。
    これを除きて、われに宗教なるものあるなし。
    教会何ものぞ。儀式何ものぞ。教義何ものぞ。神学何ものぞ。
    もしわれに愛なくんば、われは無神の徒なり。異端の魁(かしら)なり。
    われ、口と筆とをもってわが信仰を表白したればとて、われは信者にあらず。
    われは愛するだけ、それだけ、信者たるのみ。
    わが愛以上にわが信仰あるなく、またわが愛以下にわが宗教なるものあらざるなり。
    -----------
    無教会と一般的教会の関係①
    2011-10-17 13:31:53 
    テーマ:無教会&クエーカー
    無教会は、内村鑑三によって提唱された日本独特のキリスト教と思っている方が多いようです。
    しかし内村は次のように言ってます。



    ・無教会主義は不肖私が初めてこの国において唱えた主義ではありません。(教文館:内村鑑三信仰著作全集18, 
    105p)

    ・「預言者エリヤ、アモス、イザヤ、エレミヤも無教会主義者であり、宗教改革者として有名なルターも、最初は無教会主義でした」(教文館:内村鑑三信仰著作全集18, 89p, 
    104-5pより)



    熱心に聖書を読み神からの霊感により聖書解釈したクリスチャンにとっては牧師も神父も教会も必要なかったのです。



    【無教会と一般的教会の関係】

    内村鑑三日記から


    1924年10月22日(水)小雨
    近ごろ、ある親切なる教会の牧師が余に忠告してくれた、アナタはある時は単独で寂しく感ぜらるるだろうが、しかしアナタはそれを忍ばねばならぬ。アナタは神様に、単独であるように造られたのである。ゆえに成るべく教会の集会などへ出て来ない方がよろしい。私はアナタの後援者として、アナタが昔の預言者が立ったような地位に立って、神との直接の関係を維持して、ひとり学んで、ひとり教えんことを切望する」と。

    実にありがたい忠告である。教会内にもかかる親切なる兄弟の有るを知って、感謝に堪えなかった。実に兄弟の言うとおりである。余のごときは単独で神に仕えまつるべき人間である。人はすべて他と共同して働くべきであるとは決まって居ない。エリヤのごとき、アモスのごとき、バプテスマのヨハネのごとき、みな単独で一生を送り、善く神の御用を務めた者である。余は単独である時に最も幸福であり、また最も善き事を最も多くなすことができる。余が単独であるのは、気まま勝手であって人ぎらいをするからではない。単独は余の天性であって、余は単独である間に最も親しく天の父様と交わることができるからである。教会の人で、この事を知ってくれる者に、今日までかつて一回も会うたことはない。しかるにこのたび、この兄弟に会うて、実に心の底までうれしかった。余がもし今日まで単独の寂しみを忍び得たならば、余は人生の多くの失錯(しくじり)を避け得たのである。しかるに、忍び得ずして交際を求めて、数多(あまた)たび、苦き、つらき目に会うたのである。

    単独、しかり単独、これは余の宿るべき平安のホームである。

    --------
    無教会と一般的教会の関係 ②
    2011-10-21 20:21:50 
    テーマ:無教会&クエーカー
    $新時代のキリスト教$新時代のキリスト教

    内村鑑三の言葉
    ★<唯一の宗教>(1909年11月 『聖書之研究』)(信8/256)

    もし世に宗教てふものありとせんか、そは教職てふ僧侶的階級の手を借りて神を拝することにあらず。
    敬虔をもって日常の業を執ることなり。
    神聖に地を耕すことなり。神聖に物を商うことなり。神聖に物を作ることなり。
    人はすべて祭司にして、全地は神の神殿なり。
    このほか別に宗教あることなし。
    もしありとせんか、そは迷信なり。悪魔崇拝なり。
    何の惜し気なくして廃棄して不可なきものなり。

    ★<普遍的真理>(1928年10月 『聖書之研究』) (信22/147)
    私は普遍的真理を探る。
    これを私の家において、私の書斎において、私の霊魂の内に探る。
    私はこれを得んがために広く世界を遍歴(めぐ)るの必要はない。
    また大会と称して集合するにあらざれば知者たるあたわざる男女の集会に列するに及ばない。
    私は何びとも適合する真理を探る。すべての人を照らす真の光を求む。
    人種、民族、宗教、教派の差別なく、すべての人に当てはまる真理を探る。
    普遍的真理は、それが広くあるだけ、それだけ、深くある。
    実在の中心に達する人の霊魂だけ、それだけ深くある。
    まことに人生の価値はここにある。
    すなわち人の生命においてのみ宇宙の中心的真理が現わるるからである。
    そして人は、おのが内にこれを発見し、自身、宇宙人物となりて、自己ならびに世界に超越することができる。


    ★<「無教会主義」の否定>(1931年3月 『内村鑑三追憶文集』)(信18/131-)
    私は無教会主義を唱えた。今より三十年前、人がいまだこれを唱えざる時に唱えた。ことに教会が今のごとくに衰えず、教職と宣教師とが今よりはるかに強い時にこれを唱えた。当時無教会主義を唱うるは、あざけられ、そしられ、信者全体より仲間はずれにされることであった。私は当時この主義を唱えて、孤独は当然まぬかれ得なかった。まことに苦しい、幸いなる時であった。

     私の無教会主義は主義のための主義でなかった。信仰のための主義であった。人の救わるるはその行為によらず信仰によるとの信仰の帰結として唱えたものである。ゆえに罪の悔い改めの経験なき者はとうていこれを解し得なかった。されどもこの貴き経験を持たせられし者は喜んでこれを迎えた。教会攻撃のための主義でなかった。信仰唱道のための主義であった。まず第一に十字架主義の信仰、しかる後にその結論としての無教会主義。 十字架が第一主義であって、無教会主義は第二または第三主義であった。

     私が時に強く教会を撃ったのは、その信仰において福音の真理に合わざるものがあったゆえである。私は傲慢無礼の米欧宣教師を憎んだが、いまだかつて教会そのものを憎んだことはないつもりである。その事は、私が無教会主義を唱えながらも、幾回となく彼らの要求に応じて彼らの援助におもむいた事によってわかる。教会は私を助けてくれなかったが、私は幾回か彼らを助けたと信ずる。けだし私は教会の悪い半面と共に善き半面のあることを知ったゆえである。腐っても鯛の骨である。教会は腐っても、聖霊はいまだ全くその内より去りたまわない。そして私はその内にとどまりたもう聖霊のゆえに、教会を尊敬せざるを得ないのである。

     私はかく唱えて、教会と和解せんと欲するのでない。私は教会や宣教師に好まれざることを好む。教会にきらわるるは、私の信仰の純真を守るがために必要である。私がもし今日まで教会と親しんだならば、私もまた彼らと共に信仰堕落の淵に沈んでいたであろう。教会に受けられんがためにあらず、私の立場を明らかにせんがために、私はこの事を言う、すなわち私は「今日流行の無教会主義者」にあらずと。私に、弱い今日の教会を攻むるの勇気はない。私は残る僅少の生涯において、いっそう高らかに十字架の福音を唱えるであろう。そしてこの福音が、教会をこぼつべきはこぼち、立て直すべきは立て直すであろう。私は教会問題には無頓着なる程度の無教会主義者である。教会という教会、主義という主義はことごとくこれを排斥する無教会主義たらんと欲する。

    そはわれ、イエス・キリストと彼の十字架につけられし事のほか、
    何をも知るまじと心を定めたればなり (コリントⅠ 2/2)
    ----
    無教会と一般的教会の関係 ③
    2011-10-23 22:24:10 
    テーマ:無教会&クエーカー
    $新時代のキリスト教 
    $新時代のキリスト教


    内村鑑三の言葉

    ★1919年6月16日(月)陰雨
    「教会の自己滅亡を憂う」
    午前、主婦を伴うて、京橋、古宇田病院を訪(おとな)うた、ある科学的新治療を受けんがためである。薬品を用いざる治療法は、これを歓迎せざるを得ない。医術は悪魔の発見であるというは、まちがいである。明日に天然の法則に合(かな)うと信ぜらるる治療は、感謝しかつ祈りて受くべきである。

     ○おもしろいうわさを聞いた。青年会をして余を断わらしめ、田島進氏が余の講演を助けたりとて彼を詰責せし(以上は確かなる事実である)教会は、さらに進んで警醒社書店をして余の著述の発行を止めしめんと試みつつあるとのことである。教会はかかる事をなして、よし余の事業を壊(こぼ)ち得るとするも、ついに自ら滅びざるを得ない。何ゆえに正々堂々と議論をもって戦わないのであるか。何ゆえに、婦女子がなすがごとくに、蔭に廻りて卑劣手段を弄するのであるか。余は彼らのために悲しまざるを得ない。余は元来、教会の人ではない。ゆえに、教会に憎まれたればとて、少しも痛痒を感ずるものではない。講堂は青年会館以外にもたくさんある。余の援助者は田島君一人に止まらない。また警醒社のみが唯一の書店ではない。余は教会信者を目的(めあて)に筆を執らない。少なくとも日本全国民が余の読者である。ああ、あわれむべき教会よ、なんじらは総掛かりとなりて、余一人を倒すことができない。ただ注意せよ、なんじら自身の倒れざらんことを。なんじらの多数は、外国の伝道会社が日本より手を引くことあれば、直ちに倒れる者ではないか。外国人の御慈悲によって存立するなんじらが、一人の独立信者を倒し得ざるはもちろんである。ああ教会よ、余は恐る、なんじらは自己の滅亡の時期の近づきつつあることを。余はなんじらを憎まない。なんじらが余に反対すると同じ熱心をもって、なんじら自身の異端と俗化とを改めんことを欲す。

    ★(1904年7月 『聖書之研究』) (信8/223)
    「アメリカ的キリスト教」
    成功を統計に徴す、これアメリカ主義なり。
    しかしてこの主義をキリスト教に応用せしもの、
    これ余輩の称してもってアメリカ的キリスト教となすものなり。
    アメリカ人は意を真理の探求に注がずして、ひとえにその応用を努む。
    しかしてたまたまその、大建築物または多数の帰依者となりて現わるるあれば、
    成功を歓呼して神に感謝す。
    彼らは物に現われざる純真理の美を認めず、
    また統計をもって表わすあたわざる霊的事実の成功を知らず。
    彼らは現実を愛すると称して、万事(すべてのこと)の機械的なるを欲す。
    余輩は多くの他の点において深くアメリカ人を尊敬す。
    されども宗教の一事においては彼らと趣好を同(とも)にするあたわず。
    ------






活動のご紹介 | PACT:Peacebuilders Across Cultures

活動のご紹介 | PACT:Peacebuilders Across Cultures



活動の三つの柱

当会は、当面の間、新渡戸稲造に焦点を当て、活動していきます。

❶「述べ伝える」活動:ピースビルダーにまつわる授業や講演を行います

内容
新渡戸稲造の思いや活動について、出前授業や講話をします。 さまざまな年齢層・興味・関心に合わせて、国際平和や国際理解などご希望のトピックで話をします。 半時間のトークから、数日にわたる連続講義まで、ご要望の形態で、引き受けます。 言語は、日本語または英語です。
対象
学校教育・企業内および行政機関の研修・サークル内の勉強会・教会行事・生涯学習などの企画者と参加者
最新実績
普連土学園中学校・高等学校生対象のヤングフレンズの集い(2013年8月)で、「新渡戸稲造のこころ」と題して、九十分の講演をさせていただきました。
プラン
(例)60分の講演「新渡戸稲造の足あと」
(例)45分の授業「新渡戸稲造が目指した国際平和」

❷「語り合う」活動:ピースビルダーにまつわる勉強会や交流会を企画します

内容
新渡戸稲造の思いや活動について、意見を交換しあうイベントやワークショップを企画します。 会合の目的や内容を相談の上、希望に沿って、計画から実施までを引き受けます。言語は、日本語または英語です。
対象
サークルやカルチャーセンターなどの運営者や参加者
予定
2013年10月16日に、新渡戸稲造の著書について語り合う読書会「新渡戸ナイト」の開催を計画しています。詳細は、追ってこのホームページ上でお知らせします。
プラン
(例)月1回開催の読書会「『武士道』を読み解く」
(例)4回シリーズの勉強会「新渡戸稲造の志」

❸「書き残す活動」:ピースビルダーにまつわる記事や論文を発表します

内容
新渡戸稲造の思いや活動について、文章を書きます。武士道や教育などのご希望のテーマで、読者層に合わせ、寄稿します。 紙媒体でも電子媒体でも、幅広く引き受けます。言語は、日本語または英語です。
対象
通信や雑誌の編集者
最新実績
家庭教育誌『ないおん』3月号(2013年3月1日発行)に、「国際人のこころ」を書かせていただきました。
プラン
(例)小学生の保護者向けの記事「新渡戸稲造の国際人としてのキャリア」(400字)
(例)(例)社会人向けの記事「新渡戸稲造に学ぶ世渡りのヒント」(1000字)

宇宙となかよし

宇宙となかよし

宇宙となかよし―天命につながる幸せ法則

宇宙となかよし―天命につながる幸せ法則 新書 – 2009/12/15




内容紹介
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛さん推薦!

愚直なまでにひたむきな人生から生まれた
「石田流」幸せの法則
皆さんの心にどんな風に届くのでしょうか。

----------

人生にもがき苦しみながら逃げるように向かったインドで得たメッセージとは、、、
毎日更新される人気ブログ「宇宙となかよし」がそのエッセンスを凝縮した形で書籍化!

【物語編】

2005年5月。

それまで勤めていた会社を逃げるように辞めて向かった先はインド。
初日に悪徳旅行会社から所持金をすべて奪われ、カードに残った5,000円で、
北インドの辺境の地ラダックへと投げ出される。
高山病に苦しみながらも、そこで出会った一つ目のメッセージとは。

その後、デリー、バラナシと導かれるかのように進み、
2500年前にお釈迦様が悟りを啓いたブッダガヤにたどり着いた時、
運命を変える劇的な出会いを果たす主人公。

そこで出会った二つ目のメッセージが「宇宙となかよし」の教えだったのです。

主人公は帰国後、その教えを愚直に実践することで、
何もない状態から人生を切り開き、成功と幸せを獲得していきます。

【解説編】

〇「本当の自分」への目覚め

1.人には無限の可能性などない
2.「楽しい」は自分の中にある
3.人生とは自分を知るための「旅」
4.自分の正体
5.ピンチの連続だから成長する
6.なぜピンチはチャンスなのか

〇何があっても大丈夫

1.目覚めの時代
2.「目覚め」と「宇宙」の都合
3.私たちに最も身近な宇宙

〇愛と感謝の宇宙法則

1.シンクロと宇宙計画
2.今できること
3.おばあさんが教えてくれたこと
4.行動の大切さ
5.言葉の力
6.絶対的な愛と感謝

内容(「BOOK」データベースより)
人は誰もが、宇宙から与えられた「天命」を持って生きています。「天命」につながる、つまり「本当の自分」を知ることは、人生における最重要テーマであり、この物語には、そのきっかけとなるシンプルな法則が散りばめられています。物語は筆者の実体験をもとに再構成した一遍のストーリーであり、語られていることはすべて「実話」です。人は「本当の自分」、つまり「天命」に目覚めた瞬間から、劇的に人生が変わっていき、そして思い描いた通りの人生を歩み始めます。
----
5つ星のうち2.0二作目以降に期待か!?
投稿者Amazonのお客様2012年1月25日
形式: 新書
著者のブログの内容からするとパンチが効いてない印象。
処女出版ということで無難な仕上がりにしたのかもしれません。

スピ系、自己啓発系を読み込んでいる方にはすでに知っている内容ばかりだと思います。
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5つ星のうち1.0残念。。
投稿者ちびにゃん2010年5月23日
形式: 新書
ブログで著者のことを知り購入。
毎日更新されるブログではずいぶん小難しい感じで長文を書いているのですが、
本になったらまるでケータイ小説のような文章力、、。
まあ、作家ではなくブロガーの方の出された本ということなので、
しょうがないかもしれませんが、、。
内容についてもちょっと、心に響くところまではいかず、残念でした。
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5つ星のうち3.0いろいろ質問があるそうです。
投稿者玉鬘姫2013年8月8日
形式: 新書
知人から頂いた本で、ずっと大事にしまっておいたのを最近見つけて読んでみました。
インドは縁がある場所なので、いつか訪れたいと思っています。

夫にも私の後に読んで頂いたのですが、疑問をいくつか言われて答えられない自分がいました。
矛盾している文章があるとのこと。
作者が新しいキャラクターを作って自分の体験を(性別も:変えて)載せないでそのまま自分が体験した事を書いて欲しかったのこと。インドについてもっと細かく描写して欲しかったのこと。主人公がドン底にいたときに、そばにいた母親(恋人)の存在に感謝が足りないのでは?天命はひとつだけではないのでは?とか、いろいろ言われて書ききれません。

私はあまり疑問に思わず読んでたのですが、本の値段はちょっと高めだったのかな?とも思います。
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5つ星のうち4.0体験から吐き出された言の葉
投稿者のえる2009年12月18日
形式: 新書
以前から、著者のブログのファンで購入いたしました。
どん底から這い上がり、成功をつかむ。

よくある陳腐な自己啓発本と違い、
著者が実際に悩み、のたうちまわる中で発見した成功の法則。

スピリチュアル、オカルトよりな話に偏らず
冷静な目で文章をつづっているところも好感が持てます。

まずブログをのぞいてみる
といいかもしれません。
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5つ星のうち5.0刮目に値する書
投稿者アーサー2010年12月17日
形式: 新書
阿部敏郎さんの紹介で拝読する機会を頂きました。厳しい採点をする人がいるので平均点がさがっているのが残念です。前半の物語部分は単なる物語として読むと、大事なところが読み切れない人もまれには出てくるように思えますが、実に深い話が隠されているのです。隠されてなんかいませんね。きちんと読めば読みとれる筈です。何より後半の解説が圧巻。
こんなに素晴らしく分かりやすい生きる意味の解説は初めて読みました。人間の心理の機微を心得た説明です。個人的にはいい年をして、まだ天命が見つかりませんが、勇気を持って生きてシンクロニシティを楽しむことにします。お勧めのありがとうは何とか言えそうですが、アイシテルは難題です。そう力まずに、出来ることからやれば良さそうですけれど。本当に良い本に出会えて幸せです。どうもありがとう。アイシテマス。
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5つ星のうち5.0実話?
投稿者ワンネス3582009年12月22日
形式: 新書
著者は男性なのに主人公は女性。実話と書いているのに??と思ったけど、解説編で種明かしがしてあって、これはこれでいいと思った。前半が物語で後半に種明かしのブリッジが入って解説が続く。珍しい構成だけど読みやすかった。内容については大きくは自己啓発系になるのだろうが、五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の系統か。推薦文も書いてるし。おばあちゃんの話にはウルッときた。ちょっといい話。
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5つ星のうち5.0ホ・オポノポノの理解が進む
投稿者ありがとう2010年1月13日
形式: 新書
最初から最後まで感動しながら一気に読みました!
物語編ではインドの子どもたちの「ありがとう、あいしてる」の場面で涙が止まらなくなりました。
解説編では物語の意味を一つ一つ解説してくれるのですが、後半でホ・オポノポノの話が出てきて、ストンと腑に落ちました。
なぜ「ありがとう、あいしてる」などの言葉が人生を豊かにするのか。この本を読んで初めて理解できました。
ホ・オポノポノの実践をしているのだけど、どうもうまくいかない人にもおススメです!
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5つ星のうち4.0良い本だと思いました。
投稿者かよこ2013年4月2日
形式: 新書|Amazonで購入
読みやすい語り口で書かれており、また物語り調にはなっているものの、著者の経験を元に書かれたということで、信憑性があり、好感が持てました。1部で物語として語り、2部でそれを元にエッセイ調で見解を述べられている構成も新鮮で面白かったです。内容としては、ほかの方が詳細にレビューされていますので省きますが、自分のこんな風に自分の現在の状況に悩んだり、解答を探していた時期があったので、素直に共感することができました。ちょっと涙が出て来る部分もありました。人によって、好き嫌いがあるのかと思いますが、私は良い本だなあ、と思いました。
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5つ星のうち5.0一見するとピンチな出来事に、これまでと違う反応ができる。
投稿者よしやん992010年2月1日
形式: 新書
物語編と解説編で構成されており、この構成も、無意識化へ「ストーン」と理解を深める著者ならではの工夫なのか、自然に内容が染み入ってくるようだ。

特に、感銘をうけたのは、「ピンチはチャンス」の解釈。ピンチの人は、「おめでとうございます」には思わず笑ってしまった。ピンチと著者のいう「本当の自分」の関係にはなるほど!とうなってしまった。本書の影響かな、ちょっとだけ、心構えの中に、「ピンチよ来い!来い!」と思う自分がいるのがうれしい。

・ちょっとした嫌なことに不平や不満として反応してしまう人には、違う反応の仕方もあるよ!とやさしく諭してくれるような一冊です。ぜひ、ご一読を!!
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5つ星のうち4.0自己啓発系?の非常に読みやすい本
投稿者フリマスキー2010年1月2日
形式: 新書
ブログのファンで、書籍が出版されるとのことで
迷わず購入しました。

ブログタイトルも「宇宙となかよし」で、
その意味合いと深さ、根底の想いがよくわかり、
文章は非常に読みやすく、あっという間に
読み終わってしまいました。

ブログからの情報で予備知識があったからかも
しれませんが、非常に読みやすくなっているからか、
内容も究極のシンプルさもあいまって、
具体的に「使える」というような、実用的な感じは
ありませんでした。
しかし、読み終わった後の後味の良さは格別で、
「理解」すると言うよりも、「感じる」本だと思いました。

「天命」につながっている際の心的感覚など、
体験談として、読み手への参考知として、
もう少し記述があると、読み手の状況にも
よりフィットするのかなと思いましたが、

・やりたいことをやれていないと思う人
・困難や問題に直面して疲れ気味の人

には、確実にオススメの本です。
コメント|
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宇宙となかよし―天命につながる幸せ法則

宇宙となかよし―天命につながる幸せ法則 新書 – 2009/12/15




内容紹介
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の五日市剛さん推薦!

愚直なまでにひたむきな人生から生まれた
「石田流」幸せの法則
皆さんの心にどんな風に届くのでしょうか。

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人生にもがき苦しみながら逃げるように向かったインドで得たメッセージとは、、、
毎日更新される人気ブログ「宇宙となかよし」がそのエッセンスを凝縮した形で書籍化!

【物語編】

2005年5月。

それまで勤めていた会社を逃げるように辞めて向かった先はインド。
初日に悪徳旅行会社から所持金をすべて奪われ、カードに残った5,000円で、
北インドの辺境の地ラダックへと投げ出される。
高山病に苦しみながらも、そこで出会った一つ目のメッセージとは。

その後、デリー、バラナシと導かれるかのように進み、
2500年前にお釈迦様が悟りを啓いたブッダガヤにたどり着いた時、
運命を変える劇的な出会いを果たす主人公。

そこで出会った二つ目のメッセージが「宇宙となかよし」の教えだったのです。

主人公は帰国後、その教えを愚直に実践することで、
何もない状態から人生を切り開き、成功と幸せを獲得していきます。

【解説編】

〇「本当の自分」への目覚め

1.人には無限の可能性などない
2.「楽しい」は自分の中にある
3.人生とは自分を知るための「旅」
4.自分の正体
5.ピンチの連続だから成長する
6.なぜピンチはチャンスなのか

〇何があっても大丈夫

1.目覚めの時代
2.「目覚め」と「宇宙」の都合
3.私たちに最も身近な宇宙

〇愛と感謝の宇宙法則

1.シンクロと宇宙計画
2.今できること
3.おばあさんが教えてくれたこと
4.行動の大切さ
5.言葉の力
6.絶対的な愛と感謝

内容(「BOOK」データベースより)
人は誰もが、宇宙から与えられた「天命」を持って生きています。「天命」につながる、つまり「本当の自分」を知ることは、人生における最重要テーマであり、この物語には、そのきっかけとなるシンプルな法則が散りばめられています。物語は筆者の実体験をもとに再構成した一遍のストーリーであり、語られていることはすべて「実話」です。人は「本当の自分」、つまり「天命」に目覚めた瞬間から、劇的に人生が変わっていき、そして思い描いた通りの人生を歩み始めます。
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5つ星のうち2.0二作目以降に期待か!?
投稿者Amazonのお客様2012年1月25日
形式: 新書
著者のブログの内容からするとパンチが効いてない印象。
処女出版ということで無難な仕上がりにしたのかもしれません。

スピ系、自己啓発系を読み込んでいる方にはすでに知っている内容ばかりだと思います。
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5つ星のうち1.0残念。。
投稿者ちびにゃん2010年5月23日
形式: 新書
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本になったらまるでケータイ小説のような文章力、、。
まあ、作家ではなくブロガーの方の出された本ということなので、
しょうがないかもしれませんが、、。
内容についてもちょっと、心に響くところまではいかず、残念でした。
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5つ星のうち3.0いろいろ質問があるそうです。
投稿者玉鬘姫2013年8月8日
形式: 新書
知人から頂いた本で、ずっと大事にしまっておいたのを最近見つけて読んでみました。
インドは縁がある場所なので、いつか訪れたいと思っています。

夫にも私の後に読んで頂いたのですが、疑問をいくつか言われて答えられない自分がいました。
矛盾している文章があるとのこと。
作者が新しいキャラクターを作って自分の体験を(性別も:変えて)載せないでそのまま自分が体験した事を書いて欲しかったのこと。インドについてもっと細かく描写して欲しかったのこと。主人公がドン底にいたときに、そばにいた母親(恋人)の存在に感謝が足りないのでは?天命はひとつだけではないのでは?とか、いろいろ言われて書ききれません。

私はあまり疑問に思わず読んでたのですが、本の値段はちょっと高めだったのかな?とも思います。
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5つ星のうち4.0体験から吐き出された言の葉
投稿者のえる2009年12月18日
形式: 新書
以前から、著者のブログのファンで購入いたしました。
どん底から這い上がり、成功をつかむ。

よくある陳腐な自己啓発本と違い、
著者が実際に悩み、のたうちまわる中で発見した成功の法則。

スピリチュアル、オカルトよりな話に偏らず
冷静な目で文章をつづっているところも好感が持てます。

まずブログをのぞいてみる
といいかもしれません。
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5つ星のうち5.0刮目に値する書
投稿者アーサー2010年12月17日
形式: 新書
阿部敏郎さんの紹介で拝読する機会を頂きました。厳しい採点をする人がいるので平均点がさがっているのが残念です。前半の物語部分は単なる物語として読むと、大事なところが読み切れない人もまれには出てくるように思えますが、実に深い話が隠されているのです。隠されてなんかいませんね。きちんと読めば読みとれる筈です。何より後半の解説が圧巻。
こんなに素晴らしく分かりやすい生きる意味の解説は初めて読みました。人間の心理の機微を心得た説明です。個人的にはいい年をして、まだ天命が見つかりませんが、勇気を持って生きてシンクロニシティを楽しむことにします。お勧めのありがとうは何とか言えそうですが、アイシテルは難題です。そう力まずに、出来ることからやれば良さそうですけれど。本当に良い本に出会えて幸せです。どうもありがとう。アイシテマス。
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5つ星のうち5.0実話?
投稿者ワンネス3582009年12月22日
形式: 新書
著者は男性なのに主人公は女性。実話と書いているのに??と思ったけど、解説編で種明かしがしてあって、これはこれでいいと思った。前半が物語で後半に種明かしのブリッジが入って解説が続く。珍しい構成だけど読みやすかった。内容については大きくは自己啓発系になるのだろうが、五日市剛さんの「ツキを呼ぶ魔法の言葉」の系統か。推薦文も書いてるし。おばあちゃんの話にはウルッときた。ちょっといい話。
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5つ星のうち5.0ホ・オポノポノの理解が進む
投稿者ありがとう2010年1月13日
形式: 新書
最初から最後まで感動しながら一気に読みました!
物語編ではインドの子どもたちの「ありがとう、あいしてる」の場面で涙が止まらなくなりました。
解説編では物語の意味を一つ一つ解説してくれるのですが、後半でホ・オポノポノの話が出てきて、ストンと腑に落ちました。
なぜ「ありがとう、あいしてる」などの言葉が人生を豊かにするのか。この本を読んで初めて理解できました。
ホ・オポノポノの実践をしているのだけど、どうもうまくいかない人にもおススメです!
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5つ星のうち4.0良い本だと思いました。
投稿者かよこ2013年4月2日
形式: 新書|Amazonで購入
読みやすい語り口で書かれており、また物語り調にはなっているものの、著者の経験を元に書かれたということで、信憑性があり、好感が持てました。1部で物語として語り、2部でそれを元にエッセイ調で見解を述べられている構成も新鮮で面白かったです。内容としては、ほかの方が詳細にレビューされていますので省きますが、自分のこんな風に自分の現在の状況に悩んだり、解答を探していた時期があったので、素直に共感することができました。ちょっと涙が出て来る部分もありました。人によって、好き嫌いがあるのかと思いますが、私は良い本だなあ、と思いました。
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5つ星のうち5.0一見するとピンチな出来事に、これまでと違う反応ができる。
投稿者よしやん992010年2月1日
形式: 新書
物語編と解説編で構成されており、この構成も、無意識化へ「ストーン」と理解を深める著者ならではの工夫なのか、自然に内容が染み入ってくるようだ。

特に、感銘をうけたのは、「ピンチはチャンス」の解釈。ピンチの人は、「おめでとうございます」には思わず笑ってしまった。ピンチと著者のいう「本当の自分」の関係にはなるほど!とうなってしまった。本書の影響かな、ちょっとだけ、心構えの中に、「ピンチよ来い!来い!」と思う自分がいるのがうれしい。

・ちょっとした嫌なことに不平や不満として反応してしまう人には、違う反応の仕方もあるよ!とやさしく諭してくれるような一冊です。ぜひ、ご一読を!!
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5つ星のうち4.0自己啓発系?の非常に読みやすい本
投稿者フリマスキー2010年1月2日
形式: 新書
ブログのファンで、書籍が出版されるとのことで
迷わず購入しました。

ブログタイトルも「宇宙となかよし」で、
その意味合いと深さ、根底の想いがよくわかり、
文章は非常に読みやすく、あっという間に
読み終わってしまいました。

ブログからの情報で予備知識があったからかも
しれませんが、非常に読みやすくなっているからか、
内容も究極のシンプルさもあいまって、
具体的に「使える」というような、実用的な感じは
ありませんでした。
しかし、読み終わった後の後味の良さは格別で、
「理解」すると言うよりも、「感じる」本だと思いました。

「天命」につながっている際の心的感覚など、
体験談として、読み手への参考知として、
もう少し記述があると、読み手の状況にも
よりフィットするのかなと思いましたが、

・やりたいことをやれていないと思う人
・困難や問題に直面して疲れ気味の人

には、確実にオススメの本です。
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大東亜戦争肯定論 - Wikipedia

大東亜戦争肯定論 - Wikipedia

大東亜戦争肯定論

大東亜戦争肯定論(だいとうあせんそうこうていろん)は、林房雄の著作の題名。
より一般的に、文字通り“大東亜戦争日中戦争太平洋戦争)はアジア解放のための戦争で侵略戦争ではなかった”という主張の意味に用いられることもある。 ただし、敗戦後の日本はポツダム宣言を受託しており、国連(連合国側 )を正史としている。

林房雄の著作[編集]

作家・林房雄は、『中央公論』に1963年から65年にかけて、16回にわたりこの題名の論考を連載した。その後、1964-65年に番町書房で正続2冊が刊行(のち全1巻)、他社でも四度にわたり新装再刊した。長らく絶版だったが、2001年に夏目書房から復刊された(ただし2007年倒産した)。なお続編的著作に東京新聞で長期連載された『緑の日本列島-激動の明治百年』(文藝春秋、1966年)がある。
林は本書で、従来「太平洋戦争」と称された「大東亜戦争」の名称を、あえて用い、これは「東亜百年戦争」とも呼ぶべき、欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦いであった、と述べた。しかし同時に林は、その理念が捻じ曲げられ、「アジア相戦う」ことになったことを悲劇と見て、「歴史の非情」を感じると述べている。
後半は、幕末維新期の歴史に説き及び、西洋の衝撃に対して維新の志士たちがどれほど誠実に対処したかを論じるなど、話題は多岐に及ぶが、戦争協力作家と見なされ長らく文壇から干されていた林が、長年の鬱積した想い(憤懣-ふんまん)をぶち上げた著作とも言える。左翼・戦後民主主義勢力(進歩的文化人)からの批判は浴びたが、林はこの連載が始まってから、「朝日新聞」で文芸時評を担当している。
しかし上に見る通り、題名から想像されるような全面肯定論ではなく、また「東京裁判史観」とは別の意味で、天皇(昭和天皇)に戦争責任はあると述べている。

日本基督教団[編集]

国策遂行のため建設された日本基督教団は、1944年復活祭に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して、大東亜戦争は白人種の優越性という聖書にもとる思想によって人種差別と搾取を行う米英から、大東亜を開放するための聖戦であるとした。戦後も日本基督教団の手束正昭牧師は、2007年 - 2009年に連載されたキリスト教系月刊誌『ハーザー』の記事で、大東亜戦争肯定論を唱えている。

一般論[編集]

アジア学者・中島岳志は、2007年に上梓した『パール判事』で、東京裁判の裁判官でインド出身のラダ・ビノード・パールの「全員無罪」の個別意見・判決書を根拠に「大東亜戦争肯定論」を唱える右派の論客がいることは看過できないとして、パールが平和主義者であったと主張したが、小林よしのりを批判したため小林の反論を呼び、論争となり、小林は『パール真論』を上梓した。
しかし中島は、小谷野敦が、大東亜戦争肯定論とはどのように定義されるのか問うたのに対しても、小林の問いに対しても正面から答えようとはしなかった[要出典]
なお「アジア相戦う悲劇」としても認めずこれを日本の正当な戦争と見るのは、渡部昇一谷沢永一らがおり、ために彼らは「新しい歴史教科書をつくる会」の発足の時点で排除されていた。

参考文献[編集]

キリスト者の戦争論 [ 富岡 幸一郎 岡山 英雄 (著)


キリスト者の戦争論 [地引網新書] (地引網新書 1) 新書 – 2006/8/1
富岡 幸一郎 岡山 英雄 (著)
5つ星のうち 5.0    1 件のカスタマーレビュー
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新書
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商品の説明
著者からのコメント
「戦争」と「平和」の彼方へ
富岡幸一郎

 岡山英雄氏と「リバイバル新聞」で対談したのは、昨年の八月十五日のことであった。戦後六十年の夏、戦争と平和をめぐって、さまざまな議論がなされていたが、折りしも日本の敗戦の記念日に、このような対談の機会が与えられたことは意味深いものがあった。

 対談のひとつの中心は、現代において非戦論をキリスト教の信仰から、改めて考えてみることであった。二〇〇四年の九月に、『非戦論』という著書を書き下ろしで刊行したが、これは内村鑑三の非戦論を、現代の地平から積極的に考え直してみたいという意図によるものであった。その内容については岡山氏との対談でも触れたのでここでは繰り返さないが、二〇〇一年の九月十一日、アメリカで起こった同時多発テロと、その後のアフガニスタン、イラク戦争という二十一世紀の今日の現実にどう向き合うかという課題が当然あった。

 平和の祈りで幕を開けたはずの新しい世紀が、テロと戦争の応酬という「新しい戦争」の時代であることを、われわれは否応なく眼前にしている。パレスチナ問題が、その中心にあるのは言うまでもない。

 しかし、国際政治や地政学などの視点ではなく、キリスト教信仰の立場に立つ者として、この現実にいかに対峙するかが問われているのであり、これは教会・教派を超えた事柄であると思われる。そのようなときに、日本福音キリスト教会連合の教会の牧師であり、黙示録研究の第一人者である岡山氏と長時間にわたり、忌憚のない意見を交わし得たことは、まことに幸運であった。改革派の教会に属する私は、福音派の信仰について知るところが少なく、無知による誤解もあったので、非戦論と終末論をめぐって極めて根本的な話ができたのは大変ありがたかった。また、戦後六十年という歴史的場面を背景に、アメリカと日本の関係、国家と宗教などの社会的テーマにも自由に言及できたのはよかったと思う。 (提言の一部)

出版社からのコメント
 米国の強大な軍事力に守られつつ「平和憲法」を唱えてきた戦後の日本にあって、日本人キリスト者は「戦争」と「平和」へのメッセージを持ち得ているのか—。
 著書『小羊の王国』(いのちのことば社)で米国のキリスト教原理主義への痛烈な批判を加えた岡山英雄氏と、話題作『非戦論』(NTT出版)で内村鑑三やカール・バルトの信仰から現代における非戦を論じた富岡幸一郎氏が、聖書を基盤として「戦争」を語り合った。
 両者は、ローマ帝国の皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を国教と定めて以降、キリスト教の戦争観が変わったとの共通認識を持つ。一方、靖国神社に関しては意見の相違が見えた。96頁と薄い本だが深い内容がある。

商品の説明をすべて表示する
登録情報
新書: 96ページ
出版社: 地引網出版 (2006/8/1)
ISBN-10: 4901634135
ISBN-13: 978-4901634137
発売日: 2006/8/1
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5つ星のうち 5.0キリスト教的戦争論
投稿者 akirapeach 投稿日 2006/8/27
形式: 新書
「朝まで生テレビ」で最近お目にかかるようになった富岡幸一郎氏。今、中東問題や靖国問題、アジアとの関係など日本も複雑な国際問題の中に置かれています。では、実際日本人でキリスト教徒の人はどのような意識でこれらの問題を考えているのか、1つの考え方としてとても興味深い本です。マスコミでは、アメリカのキリスト教保守派についてはよく報道されます。はたして、日本のキリスト教保守派はどのような考えなのか。国際問題などを考えるうえで1つの引き出しとして勉強になります。1つ、戦争中に起こった靖国神社強制参拝問題などを考えると、靖国神社の問題に関しては、同意しかねる部分もあります。また、対談ですので、同意するだけではなくしっかりと反論する部分も欲しかったです。
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スピリチュアルの冒険 (講談社現代新書)富岡 幸一郎

スピリチュアルの冒険 (講談社現代新書)富岡 幸一郎
形式: 新書|変更
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5つ星のうち5.0宗教源泉に立ち戻り、未来への冒険に押される。
投稿者ビブリオンVINEメンバー2007年9月17日
形式: 新書
スピリチュアルを売りにしたテレビ番組が、受けています。人みな魂が枯渇し、生命力の衰えを感じているのです。著者は、先人のスピリチュアリストの生き様と言葉とを辿り、真のスピリチュアルを明らかにし、読者が聖霊の生命力豊かな風に直にあたるように、彼らの著作に誘っています。選らばれたのは「宗教改革者」「精神改革者」。幻視や召命などで聖霊の力を信じ、既存の宗教体制に抗し、自由を求めて新たに社会で活動を始めた人達です。

○前二千年頃に、多神教の町ウルから、「唯一神」の声を信じ約束の地に旅立った人類初の宗教改革者アブラハム。○旧教に対してロシア神秘思想に近い生命の霊性を幻視したドストエフスキー。○恋愛と深い信仰の中で霊性を観た北村透谷。○旧約の預言書の中に己の人生を見出だし預言者の生涯を完遂した内村鑑三。○終戦後に荒廃した霊性の救済を考えた鈴木大拙。○敗戦を宗教上の敗北と考え、より古い神への回帰を考えた折口信夫。多様な彼らの生涯と霊性のありかたとが共響して、スピリチュアルの本質が明らかにされます。

戦後作家を、スピリチュアルの目から紹介した章が魅力的です。埴谷雄高、椎名麟三、三島由紀夫、田中小実昌の各人なりのスピリチュアルな部分が、的確な引用で語られています。同時に、前ノ陛下の人間宣言という神蒸発問題、排他的な原理主義問題などをも言及されていて、面白く読めます。

恐らくは新教徒と思われる真面目な著者のカール・バルトの紹介があり、難しい「ローマ書」のやさしい解説、対ナチズム闘争で、彼が起草した告白教会の「バルメン宣言」にも触れています。最後に、ユダヤ思想家A.J.ヘッシェルが紹介され、パレスティナ問題解決への希望が引用されています。

職業宗教家でも、超能力者でもない。しかし文学的なまた宗教的な感受性豊かな著者。彼が、文学批評の形を取って、語りかけが難しい霊性を扱う試みは、成功したようです。
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5つ星のうち4.0霊性(スピリチュアリティ)の歴史と直観の彼方に
投稿者保武佳吾ベスト500レビュアー2007年8月13日
形式: 新書
 矮小化され硬直した現代日本人の心を解きほぐし魂の霊性(「スピリチュアリティ」)を感受することができる極限までそれを切り開こうという広範かつ深遠な射程をもった果敢な試みである。
 ドストエフスキー晩年に構想されていた未刊の書、鈴木大拙の霊性再建論、折口信夫の敗戦論から、椎名麟三、田中小実昌の文学作品まで、文芸評論家らしい文学というものに霊性を読み込む一貫した姿勢は、重すぎる歴史を背負い込むことも、安易に反文学的直観に奔ることも敢えて避けた上で、飽くまで肯定的な霊性の回復があり得ることを「冒険」として読者に親和的に示そうとしている、スリリングで友愛なエンターテイメント足らんとしている初めての書で、著者初の新書でもあり、処女作と言ってもいいのではないだろうか。
 勿論、新書という体裁からは、スピリチュアリティの逆の危険について、悪魔について、ナチズムに留まらず、古代預言者の闘っていたものから、現代の人々がイスラムの間隙に見出さざるを得ないそれらについてまでが十分触れられる訳ではない。日本人の精神が霊性に単に開かれればよいという単純なものではなく、本書の対極にある歴史と直観の双方が包含されるところまでが実は遠望されてもいることも読者はよく読み取らねばならないだろう。現代において霊性を回復することの必要を明確に再認識し、その方途が戦争とテロリズムを超えた文学という開かれた物語空間の次元において闘われ最後には勝ち獲られねばならないことを敢えて展望した闘争の書として読み切れるかどうか、それはひとえに読者自身にかかっているとも言えよう。
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5つ星のうち4.0精神探求の歴史を学ぶ
投稿者ようよう2011年11月27日
形式: 新書
ラテン語のスピリトゥスに由来するスピリチュアリティが持つ意味には「息」と「霊感」がある。
私たちが呼吸する大気は物理的に実在するものだが見えない。
大気がなければ生きていくことはできないため「息(スピリット)」によって支えられている。
最初の人間であるアダムには命の息を吹きいれられて人間となった。
精神探求の歴史を学ぶことができる。
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5つ星のうち4.0スピ本?
投稿者ソコツベスト500レビュアーVINEメンバー2007年8月2日
形式: 新書
「スピリチュアル」とタイトルにあるが、オーラとか癒しとかヨガとか守護霊とかの現代的な話題とは基本的に関係がない。テーマ批評的な文芸評論である。むしろ、やたらめったら「神」がどうのこうのと述べているので、「宗教」からは一定程度の距離をとるのが通常のスピ系の文化とは一線を画すといってよい。ユーザー(=読者)は重ならないはずである。
いちおう「スピリチュアル」の語源を分析してから、そのあとユダヤ教の発生にその歴史的あらわれの始原を見出し、キリスト教に強く関連した宗教者や作家の創造した「文芸」に関する解釈を行いながら、この霊的現象の真価を問うていく。論じる対象の選択が恣意的であり、要は著者のお気に入りの文章を遺した人びとの仕事をほめたたえたいだけなのではないか、と最後まで思ったし、また私は一神教徒ではないので著者の「神」を信じる者たち対する熱意には全く共感できなかったが、引用される文章はどれもそこそこいいので、それなりに楽しめた。
が、この「スピリチュアル」というこなれていないハヤリ言葉を無批判的に使いまくって「文芸」を論じることに対する羞恥心はこの中年の評論家にはないのかと、割と文芸評論の好きな読者の一人としては、疑問に感じた。
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5つ星のうち4.0それをどう呼ぶにせよ
投稿者よれよれのオヤジ2007年8月15日
形式: 新書
富岡さんとおっしゃるこの本の著者の書かれるものは、共感できることが多くて好きです。で、話をスピリチュアルなことに絞ると、それがどういうものか実感として少しは知っています。こういうのは自己申告であって、全く実証できないし、ひとに見せることもできないのですごくやっかいです。「おまえの言っているスピリチュアルなんて本当のスピリチュアルと違う」と言われた場合、返す言葉なんてないのです。ああ、面倒くさい。だから、どうしてもそれがどういうものか知りたい人には、次のことをお勧めします。1)うんと高い木の上のツリーハウスを見つける(日本でも探すと色々な場所にあります)2)一晩そこで過ごす3)夜中にふと目覚めて空の星の多さにびっくりする ここまで簡単にたどりつける人は、よい友達とよい人生にすでに出会っているでしょうから、本はもう読まなくていいです。
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非戦論 | 富岡 幸一郎 |本 | 通販 | Amazon

非戦論 | 富岡 幸一郎 |本 | 通販 | Amazon

非戦論 単行本 – 2004/9

富岡 幸一郎  (著)

5つ星のうち 3.7    3件のカスタマーレビュー

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内容(「BOOK」データベースより)

内村鑑三とカール・バルト。キリスト者でありながらキリスト教を最も厳しく批判した二人の思想を継承し、聖書の終末論を徹底して読み解き、西欧近代主義、宗教原理主義を超えた21世紀の「非戦論」構築に挑む、俊英の根源的思索。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

富岡/幸一郎

1957年東京生まれ。中央大学仏文科卒業。在学中の79年(21歳)「意識の暗室―埴谷雄高と三島由紀夫」で、『群像』新人賞評論優秀作を受賞。文芸評論家。関東学院大学文学部比較文化学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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登録情報

単行本: 285ページ

出版社: NTT出版 (2004/09)

言語: 日本語

ISBN-10: 4757140835

ISBN-13: 978-4757140837

発売日: 2004/09

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5つ星のうち 5.0左翼とも右翼ともちがう

投稿者 Yuichiro 投稿日 2004/11/8

形式: 単行本

 著者は敬虔なキリスト教徒ですが、本書は単純な「キリスト教徒の平和論」としてのみ読まれるべきものではないでしょう。

 第一章では、戦後日本の平和主義が「戦争の無い状態」という消極的な意味に留まる不毛なものであったことを批判します。つづく第二章ではキリスト再臨によって、つまり神の御手によって「救済」として実現される「平和」を待ち望むというかたちの(内村鑑三の)非戦論を紹介。第三章では神学と自然科学が手を結んで現代の「生態論的危機」に立ち向かっていくというビジョンが示され、第四章では保田與重郎を引いて、近代が破壊してきた理想的な「家郷」の生活を実現しようと努力するならば平和主義にしかなり得ないという論が展開されます。第五章ではカール・バルトの思想に基づいて、近代において宗教(神学)が堕落し、それがナチズムやブッシュのイラク侵略などをもたらしたこと、さらに貨幣や物質をフェティッシュとして崇めるかのような、「神の絶対性」を忘却した社会となってしまったことを批判。そして最後の第六章では、パレスチナ問題について、「政治学的」な論理ではなく「神学的」な論理によってこそ、「ユダヤ人とパレスチナ人の“共存”」への道筋が描かれうるのだと主張されます。

 この僕の拙い要約から読み取るのは難しいのでしょうが(笑)、本書が注目に値するのは、「戦争はイヤだ」「とにかく命が大切だ」という戦後左翼の安直なヒューマニズムを批判していると同時に、イラク戦争というアメリカの暴挙を支持して恥じるところの無い日本の保守派への批判ともなっているからです。

 いってみれば本書は、“戦争を否定するため”の「消極的平和論」ではなく、是が非でも肯定しなければならないような“理想(幸福な家郷や、神の絶対性)を肯定するため”の、「積極的平和論」。

 左翼の平和主義は内実が空疎であり、右翼(保守派)の現実主義は――不義の侵略たるイラク戦争を平気で支持するのですから――非道徳的である。こんな時代に我々日本人が必要としているのは、本書のような「積極的平和論」なのではないでしょうか。

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5つ星のうち 3.0面白いけど、画竜点睛を欠く。

投稿者 カスタマー 投稿日 2004/11/17

形式: 単行本

 キリスト者である富岡幸一郎氏が、内村鑑三をライフワークにするのは分かる。しかしながら、本書で一章を費やしながら、内村鑑三のライフワークである「キリストの再臨」について書き、再臨による平和こそ絶対平和であると述べている。そうであれば、富岡幸一郎氏自身の再臨についての考えを書かないというのは、やはり納得がいかない。

 絶対平和は、キリストの再臨によってしか起こりえないのだと信じるなら、富岡氏もそう書くべきである。

 それは勇気のいる仕事だが、それを書かずしては、「非戦論」はもう一つの「反戦論」でしかない。

 孤立を恐れずが、内村鑑三の精神ですよ。

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5つ星のうち 3.0著者の危ういスタンス

投稿者 asatobon 投稿日 2005/10/29

形式: 単行本

内村鑑三の非戦論を今一度現代に呼び起こそうとしている点は評価したい。しかし、著者は内村鑑三に「酔っている」だけではないだろうか、というのが私の読後感である。

内村鑑三はなるほど偉大な思想家でありキリスト教徒であった。しかし、彼の弟子たちを眺めてみると、内村鑑三に酔ってしまった人間は怪しい方向に迷い込んでいることに気が付く。内村鑑三から多くを学びつつも、彼の「気概」に酔って気持ちよくなることは危険であると思う。

内村鑑三を師と仰ぎ多くを学ぶことは正しい。しかし彼個人だけを見つめて彼に惚れ込んではいけない。内村鑑三から独立して初めて内村の思想を獲得したと言えるであろう。

そのような視点から考える時、富岡幸一郎氏は未だ内村鑑三に陶酔している段階であり、内村から独立して内村を自分の内に取り込んではいないように見受けられる。そういう意味では著者はまだ未熟であると言えよう。そういう著者がこのような本を出版することに、ある種の危うさを感じるのは私だけであろうか。

なお、富岡幸一郎氏は三島由紀夫の死を記念し、賛美する「憂国忌」の発起人として名前を連ねていること、そして首相の靖国神社公式参拝にも肯定的な発言をし、御自身でもクリスチャンでありかつ靖国神社を礼拝している方であることを、申し添えておきたい。

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富岡幸一郎の「新大東亜戦争肯定論」に見る百年戦争史観: 書店主義

富岡幸一郎の「新大東亜戦争肯定論」に見る百年戦争史観: 書店主義

富岡幸一郎の「新大東亜戦争肯定論」に見る百年戦争史観

Shindaitoa 今回のブログは、飛鳥新社から発売中の「新大東亜戦争肯定論」(富岡幸一郎著)についてです。



 大東亜戦争というのは太平洋戦争のこと、またタイトル中に含まれる「大東亜戦争肯定論」は、1964年に刊行された、林房雄氏(1903~1975)の著書です。今回の「新~」は、この本を受け継ぐ形で書かれたものです。



 そもそもの「大東亜戦争肯定論」は、先の戦争は西暦1941年の真珠湾攻撃から始まる「太平洋戦争」ではなく、また1931年の満州事変に始まる「15年戦争」でもなく、もっとずっと遡った江戸時代、外国の艦船が現れる1840年代に始まった「東亜百年戦争」であり、それが西暦1945年8月15日に終わったのだとしています。



 西欧列強の圧力に抵抗した「戦わなければならなかった戦争」だったというものです。



 今回、富岡氏は、その「大東亜戦争肯定論」の文脈を受けて、様々なキーマンの発言を、注意深く採取していきます。



 英国の歴史学者ソーン、東京裁判のインド代表判事のパール、マッカーサー、江藤淳、三島由紀夫、吉田満、丸山真男、特攻隊員などなど。そして昭和天皇の発言もです。



 ただ、このテーマはどの立場で考え、発言を採取するかで180度評価が変わります。

太平洋戦争否定派は、吉田満の作品「戦艦大和ノ最期」も否定するでしょうし、

太平洋戦争肯定派は、三島作品の特攻隊隊員の亡霊のメッセージも肯定するでしょう。



 しからば「大東亜戦争肯定派」の富岡氏の立場は?

富岡氏は、絶対平和の「非戦論」を書き、「内村鑑三」や「使徒的人間 カール・バルト」などでキリスト教に深く関わってきた文芸評論家です。「非戦論」では、あらゆる戦争を否定し、「内村鑑三」などでは骨太の宗教改革者に共鳴してきたキリスト者。



 そんな立場の日本人が、日本の西欧文明に対して取った百年戦争を「肯定」したこの本は、あいまいだった日本の中心、否定と肯定の真ん中の位置を覆う霧を晴らそうという試みかもしれません。中心が右に寄ったわけではない。中心を明らかにする試みです。

ま、肯定派も否定派も自分が真ん中だと言うでしょうから、言い方を変えましょう。



 戦勝国アメリカの司令官も

「東京裁判の一年半後にマッカーサーは、トルーマン大統領にこの裁判(東京裁判)は間違いであったといい、さらに後にアメリカの上院外交委員会において、日本はあの戦争を安全保障の必要に迫られて行ったのであり、侵略ではなかった」と認めざるを得なかったように、

「非戦論」を書いたキリスト者も、百年戦争としての戦いを「肯定」せざるを得なかった、少なくとも「肯定」せざるを得ない大きな何かがある、ということでしょうか。

 またその何かを、見たくないからという理由で避けているのは日本人だとも富岡氏は言っています。



 少なくとも「太平洋戦争」と言っている間は、私たち日本人の立場は、不思議なことに戦勝国アメリカの立場であり、だからアメリカ映画でゼロ戦が打ち落とされて(あるいはゼロ戦を打ち落として)喝采する人もいるのでしょう。

 ジーサンみたいにそれを嘆かわしい、とは言いません。触りたくないのは、たしかに私も含めた日本人ですから・・・。



 いーじゃないですか。触ろうとすれば中韓が軍国化だと大騒ぎをするし、私たち自身もコトが大きすぎて自信がないんですから。触るのをやめましょう。

いや、それではダメだ。触ろう。

いや、やめておこう。

いや触ろう。

いややめておこう・・・。



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