南原繁
年譜形式の経歴は推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2015年7月) |
人物情報 | |
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全名 | 南原 繁 (なんばら しげる) |
生誕 | 1889年9月5日 大日本帝国 香川県大内郡 (現:東かがわ市) |
死没 | 1974年5月19日(満84歳没) |
学問 | |
時代 | 20世紀(大正 - 昭和) |
研究分野 | 政治学 |
研究機関 | 東京帝国大学 |
影響を 与えた人物 | 丸山眞男 福田歓一 |
日本独自の教会主義 |
無教会主義 |
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関連記事 |
人物 |
関根正雄・星野鉄男 |
歴史 |
札幌バンド(1877-1881)・不敬事件(1891) 再臨運動(1918-1919)・洗足会(1923-)東京独立雑誌(1898-1900)・夏期講談会(1900-1902) 聖書之研究(1900-1930)・モアブ婦人会(1913-) 角筈聖書研究会(1902-1930)・教友会(1905-1918) 今井館(1906-)・柏会(1909-1916) 白雨会(1911-1918)柏木兄弟団(1918-1921) |
著作 |
余は如何にして基督信徒となりし乎(1895) |
その他 |
基督教独立学園高等学校 |
キリスト教 ポータル |
略年譜[ソースを編集]
- 9月5日 - 香川県大内郡南野村(現在の東かがわ市南野)に婿養子の父・三好貞吉、母・南原きくの次男として生まれる。南原家は母・きくの何代か前の甚左衛門が同村南野小井楠家から分家、屋号岸野屋と称し製糖業を営む。祖父・松蔵は組頭役を務めたが、母・きくの幼時にいたり家運傾き和裁の師匠をして生計を立てる。明治の初めまで姓を楠と称したが本家とともに南原(訓はみなみはら。のち、なんばらとなる)と改め、婿養子を迎えた。しかし、繁の幼少時に最初の婿養子であった実父が出奔、母は2歳の繁を戸主として届け出る。
- 1895年(明治28年)
- - 広瀬藤太郎、養父としてきくと結婚。
- 1901年(明治34年)
- 4月 - 香川県大川郡教員養成所に入所。
- 1907年(明治40年)
- 3月 - 香川県立大川中学(現・香川県立三本松高等学校)卒業。
- 1910年(明治43年)
- 6月 - 第一高等学校卒業。
- 7月 - 東京帝国大学法学部政治学科に入学する。入学後、内村鑑三の弟子となり、生涯を通じて無教会主義キリスト教の熱心な信者であった。一高に入学したときの校長は新渡戸稲造であり、影響を受けた。
- 7月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業後内務省入省。
- 1917年(大正6年)
- 1919年(大正8年)
- 1921年(大正10年)
- 1925年(大正14年)
- 8月 - 教授となり、政治学史を担当。西欧の政治哲学とキリスト教をバックボーンに共同体論を深め、その研究は、1942年(昭和17年)『国家と宗教――ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年)、『フィヒテの政治哲学』(1959年、岩波書店)に結実する。福田歓一(政治学史)、丸山眞男(日本政治思想史)は彼の教え子である。
- 1946年(昭和21年)
- 2月11日 - 紀元節には日の丸をかかげ、日本精神そのものの革命を通じての「新日本文化の創造」を説く。
- 3月 - 貴族院議員に勅撰( - 1947年5月)。単独講和を主張した当時の内閣総理大臣・吉田茂に対し全面講和論を掲げ、論争となった。このことで、南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と名指しで批判された。
- 12月 - 貴族院において、象徴天皇制への移行へ伴う皇室典範改正にともない、「天皇の自発的退位」の規定を設けることを主張。これは南原が昭和天皇の退位を望んでいたためだが、反対多数で否決された。
- 1950年(昭和25年)
- 1974年(昭和49年)
- 5月19日 - 死去。
著作[ソースを編集]
- 『国家と宗教 ヨーロッパ精神史の研究』(岩波書店、1942年/改訂版・岩波文庫、2014年9月)
- 『學問・教養・信仰』(近藤書店、1946年)
- 『歌集 形相』(創元社、1948年/岩波文庫、1984年7月、解説氷上英廣) ISBN 4003316711
- 復刻版 (図書月販、1968年/ほるぷ出版、1975年)
- 『日本とアメリカ』(朝日新聞社、1950年)
- 『人間と政治』(岩波新書、1953年)
- 『フィヒテの政治哲学』(岩波書店、1959年)
- 『自由と国家の理念―政治哲学論文集』(青林書院、1959年、新版1965年)
- 『政治理論史』(東京大学出版会、1962年/新装版2007年) ISBN 4130301454
- 『現代の政治と思想 新しい歴史の転機に立って』(東京大学出版会、1963年)
- 『日本の理想』(岩波書店、1964年)
- 『文化と国家』 (東京大学出版会、〈上・下〉 1968年/新装版〈全1冊〉 2007年) ISBN 4130010050
- 『歴史をつくるもの』(東京大学出版会、1969年)
- 『南原繁書簡集 付・南原繁宛書簡』(岩波書店、1987年) ISBN 4000015354
- 『政治哲学序説』(岩波書店、1988年、復刊1993年) ISBN 4000011855-著作集「第5巻」
- 『聞き書 南原繁回顧録』 (丸山真男・福田歓一編、東京大学出版会、1989年) ISBN 413033039X
- 『日本平和論大系13 南原繁』 (家永三郎責任編集、日本図書センター、1994年) ISBN 4820571540
- 『人間の記録70 南原繁 ふるさと』 (日本図書センター、1998年) ISBN 4820543156
- 『南原繁対話 民族と教育』 (東京大学出版会、2001年) ISBN 4130030043
- 『わが歩みし道 南原繁 ふるさとに語る』(同刊行委員会編、東京大学出版会、2004年) ISBN 4130330497
著作集[ソースを編集]
- 『南原繁著作集 (全10巻)』 (丸山真男・福田歓一編、岩波書店、1972-73年、復刊1984年、2006年)
- 『国家と宗教』
- 『フィヒテの政治哲学』
- 『自由と国家の理念』
- 『政治理論史』
- 『政治哲学序説』
- 『学問・教養・信仰、歌集形相』
- 『文化と国家』
- 『現代の政治と思想-新しい歴史の転機に立って、小野塚喜平次-総長時代と晩年』
- 『日本の理想』
- 『歴史をつくるもの』
栄典[ソースを編集]
関連項目[ソースを編集]
- 教育刷新委員会
- 南原實 - 南原の長男でドイツ文学者。父と同じく東京大学教授を務めた。
- 氷上英廣 - 長女、待子の夫。ニーチェの研究者。東京大学教授を務めた。
- 丸山眞男 - 南原が助手に採用。後に東京大学教授となった。
- 南原晃 - 次男。東京大学法学部卒。日本銀行理事、日本輸出入銀行副総裁、日本大学野球協会副会長。
- 東京大学南原繁記念出版賞
新渡戸稲造は私も好きで、日本のために働いた逸材と思っております。(五千円札も樋口一葉より新渡戸稲造のほうがよかった・・)
武士道を書きルーズベルトの心を動かし日露戦争に大きな役割をはたした。ウィットもあり、ある会合の帰り帰り、雨が降っていたのでキューリー婦人が「国際連盟の力で雨を止めさせられませんか」といわれ、「国際連盟は馬鹿者を相手に血の雨を止めるだけはしますが、空の雨は科学の力を待たねばなりません」と述べた。婦人は「本当にそうだ。戦争ほど愚かなことはない」といい平和論をのべだしたという。(東西相触れて)私はキューリー夫人とのそこはかとないやり取りのこの話が好きですが、そのような人を、自分の信条を述べるために公の前で利用するのはいただけないと思います。
「愛国心」の対極は「好戦的愛国心」との話、同感です。今更軍国主義に行こうとする人が実際問題として誰がいましょうか。平和が一番と皆思っています。「国を愛すること」を右翼主義的な狭義なまたは軍国主義的な考えである、という何となくの漠然とした見方で見るのではなく、正面から向き合ってもらいたいと思います。
学者は、人の役に立たない机上の研究ではなく、人の役に立つ実学こそすべきであると思います。でなければ、何のための学問なのかと私は思います。何の研究もして良いでしょうが、世のため人のためにこれがどう役立つかを考えること、この一点は絶対欠くべからざる教職者の要件と存じます。
今後とも先生が日本のためにご活躍されることをお祈りいたします。
日本論史研究家 波田野 毅
(日本の息吹に連載・妻も済々黌高校出身)