2022/12/17

ダライ・ラマ14世 - J Wikipedia

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ダライ・ラマ14世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンジン・ギャツォ
ダライ・ラマ14世
Dalailama1 20121014 4639.jpg
ダライ・ラマ14世(2012年10月)
在位1940年 - 在位中
前任トゥプテン・ギャツォ
チベット語བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ
ワイリーbstan 'dzin rgya mtsho
転写
(PRC)
Dainzin Gyaco
THDLTenzin Gyatso
漢字丹增嘉措
生誕1935年7月6日(87歳)
中華民国の旗 中華民国青海省同仁県タクツェル村英語版
チベット(ガンデンポタン)の旗 チベット アムド地方)
署名ダライ・ラマ14世の署名
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称号:ダライ・ラマ法王
Emblem of Tibet.svg
敬称猊下
His Holiness
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1989年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:非暴力によるチベット解放闘争と、チベットの歴史と文化遺産の保存のための、寛容と相互尊重に基づく平和的解決の提唱

ダライ・ラマ14世1935年7月6日チベット暦5月6日〉- )は、第14代ダライ・ラマ(在位:1940年 - )[1]。法名はテンジン・ギャツォチベット文字བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་ワイリー方式bstan 'dzin rgya mtsho)。

人物[編集]

1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベット君主の座に就いていたが、1959年にインド亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている[2]。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった[3]。2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。これを承けた亡命チベット人憲章改定案では「チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され[4]、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統[注 1]を終わらせることになった[注 2]

世界的に著名な仏教指導者の一人であり、チベット仏教のゲルク派において最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な長ではなく[7]、ゲルク派の教勢が伸長して他派との摩擦が生じた時代に事実上の最高指導者となった学僧ゲンドゥン・ギャムツォ、そしてその転生者に認定されたスーナム・ギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転生系譜であった[8][9][注 3]が、1642年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響力をもつ宗教的権威とチベットを統べる政治的権威とを兼ね備えた地位となった[10][11]。一方、現在のダライ・ラマである14世は亡命後にチベット人全体の政教両面の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれまでのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意見もある(#チベット仏教内の関係参照)。また、本人は「自分は一介の比丘にすぎない」と語ることが多い[12]。世俗的な称号としては、パリ市名誉市民[13]名誉博士ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。

来歴[編集]

生い立ち - 少年期[編集]

幼年時代のダライ・ラマ14世

1935年7月6日、当時の中華民国青海省内のチベット北部アムド(現在の青海省海東市平安区)に属するタクツェル英語版の小さな農家にて、9番目の子供[注 4]として生まれた。なお、生家は小農ではあったが、地主に従属する小作人というわけでもなかった。貴族階級でもない。わずかな土地を人に貸し、自分たちでも大麦、ソバ、トウモロコシなどを栽培しており、ゾモというヤクと牝牛の雑種を5〜6頭、80頭あまりの羊やヤギ、2〜3頭の馬、2頭のヤクを飼っていたという[16]。生家はチベットならどこにでもあるなんの変哲もないありふれた民家だったという[14]

幼名はラモ・ドンドゥプLha-mo Don-'grub[注 5])と名づけられた。これは「願いを叶えてくれる女神」という意味である[17]。長男のトゥブテン・ジグメ・ノルブはすでに高僧タクツェル・リンポチェの化身として認められていて、有名な僧院クムブムで修行をしていた[18]。他にも18歳年上の姉としてチェリン・ドルマなどがいた[19]。見知らぬ人を少しも怖がらぬ子だったと、母親は後に語ったという[20]

3歳になるかならないかという頃、ダライ・ラマの化身を見つけるためにチベットの政府が派遣した捜索隊が、さまざまなお告げに導かれてクムブム僧院にやってきた。お告げのひとつは、1933年に死去したダライ・ラマ13世の遺体が埋葬前の安置期間中に頭の向きを北東に変えたこと。他には、高僧が聖なる湖で湖面にAh、Ka、Maのチベット文字が浮かび上がるのを「視た」、続いて、青色と金色の屋根の3階建ての僧院とそこから一本の道が丘につづいている映像を「視た」、そして最後に変な形をした「樋」のある小さな家を「視た」ことだ、という。僧は"Ah"は地名アムドのアだと確信して捜索隊をそこへ派遣したという。

"Ka"の文字はクムブムのKに違いないと思ってクムブムにやってきた捜索隊は、クムブムの僧院が青くて3階建てであることを発見しその読みが正しかったと確信したという。捜索隊は付近の村を探し回り、やがて屋根にこぶだらけの杜松が走っている民家を見つけた[21]

捜索隊は身分を隠していたのにそこに含まれていたセラ僧院の僧を「セラ・ラマ」と呼んだという。また、ダライ・ラマ13世の遺品とそれそっくりの偽物をいくつかその子供に見せたところ、いずれも正しい遺品のほうを選び「それ、ボクのだ」と言ったという[21]。上にあげたようないくつかの確認の手続を経てさらに他の捜索結果も含めて政府が厳密に審査した結果、この子は3歳の時に真正ダライ・ラマの化身第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォ転生と認定され、ジェツン・ジャンペル・ガワン・ロサン・イシ・テンジン・ギャツォ[注 6](聖主、穏やかな栄光、憐れみ深い、信仰の護持者、智慧の大海)と名付けられた。

UNESCOに登録されたラサのポタラ宮殿

1939年の夏、ラサに向けてチベット政府の捜索隊らおよび両親や兄弟らとともに3ヶ月かけて移動。ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ(宝石の庭園の意)に入った[22]1940年冬、ポタラ宮殿に移動し、チベットの精神的指導者の座に正式に就任、ラサのジョカン寺で剃髪式、見習い僧の式が行われ、ダライ・ラマとしての手ほどきを受け始めた[23][注 7]。ロブサン・サムテン(1つ上の兄)とともに読み書きの勉強から開始。お経の授業も開始[注 8][注 9][注 10][注 11]。さらに、精神的(宗教的な)指導者としての教育と同時に、世俗的(一般社会の)指導者としての教育も受け始めた[注 12]。そういった時間以外はその年齢の子供らしく活発に遊んで過ごした[注 13]。8歳の時には兄ロブサンは私立学校に行き、ダライ・ラマは一人で教育を受けるようになった。姉と一緒に過ごし、ロブサンや母が時々通ってくる、という生活を送る。毎年春先にノルブリンカに移り、半年後の冬の始まりとともにポタラ宮殿に戻る、という生活を20歳まで繰り返した[31]。少年時代にラサには10人ほどのヨーロッパ人が住んでいて、その中の一人ハインリヒ・ハラーを兄ロブサンが連れてきたことで、互いに知り合うことになった。

チベット亡命政府の長として[編集]

チベット亡命政府の旗「雪山獅子旗
1954年、全人代出席のため訪れた北京で歓迎されるダライ・ラマ14世

1950年中華人民共和国人民解放軍がチベット東部を制圧(チャムドの戦い)、1951年十七か条協定により全域を自国に併合。1953年中国仏教協会の名誉会長となり、1954年全国人民代表大会チベット民族の代表として常務委員会副委員長[32][33]に就任する。1956年には西蔵地方政府西藏自治区籌備委員会初代主任委員に選ばれ、周恩来総理インド訪問に同行する外交活動[34]などを行うも、1959年にラサで中国に対する大規模なデモが発生し(1959年のチベット蜂起)、その対応に苦慮して[注 14]、インド北部ダラムサラに亡命した。そこでガンデンポタン(チベット亡命政府)を樹立した後は、同政府の長としてチベットの高度な自治権の存在を訴える活動を行っている。

また、ガンデンポタンの長としてだけでなくチベット仏教の指導者としても、アメリカヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地をたびたび訪れ、仏教の智慧に関する講演、宗教的な対話に関する講演も活発に行っている。

現在はガンデンポタンの政治的な指導者からは引退し、その地位と権限はシキョン(政治最高指導者)が担っている。

ノーベル平和賞受賞[編集]

ノーベル平和賞のメダル

1989年には、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞した[36]

カナダ名誉市民[編集]

2006年9月9日にカナダ名誉市民の称号を得た[37]。なお、カナダの名誉市民の称号を受けるのは、南アフリカ共和国ネルソン・マンデラ前大統領に続いて2人目だった[38]

パリ市名誉市民[編集]

2009年6月7日パリベルトラン・ドラノエ市長はダライ・ラマ14世にパリ市名誉市民の称号を授与した[13][39]

中華人民共和国との関係[編集]

中華人民共和国政府の外交との関係[編集]

ダライ・ラマ14世の訪問先が中華人民共和国と国交がある国の場合、訪問先の政府に対して、"一つの中国"を掲げている中華人民共和国国務院(=中華人民共和国政府)から外交ルートを通じて抗議が入るのが通例である[40]。そのため、外交的配慮からダライ・ラマ14世に対する査証発給を拒否したり、もしくは発給に際して滞在中に一切の政治活動を行わない等の条件が付される場合がある。また、中華人民共和国国内でのダライ・ラマ14世の著書や写真の保有・持込は、治安当局の取締対象になる可能性が高い。

中華人民共和国国務院は、ダライ・ラマ14世が2008年開催の北京オリンピックを妨害しようとしていると非難した[41]。中華人民共和国国務院の懸念する通り、ダライ・ラマ14世に追随する亡命チベット人による北京オリンピックへの6ヶ月間抗議運動がインドで発生したり[42]、ダライ・ラマ14世を支持する組織の要請を受けてイギリスチャールズ3世(当時皇太子)が北京オリンピックの開幕式を欠席する[43]などの事態が実際に起きている。

2012年1月7日、インド新聞ザ・タイムズ・オブ・インディアは、西部ムンバイの警察が、中国から6人のスパイがチベット自治区からインド国内に侵入してダライ・ラマ14世を暗殺するという情報を入手、インド亡命中のダライ・ラマ14世の警備体制を強化する方針を決定したと報じた[44]

中国は、ダライ・ラマ14世と政治家が会見を行った国に対して、報復的な処置を取ることがある。ダライ・ラマ14世と首脳が会見した国は、その後、対中輸出が2年間にわたり平均8.1%減少することを論証した研究がある。これを「ダライ・ラマ効果」と呼ぶ[45]

2008年の動乱[編集]

2008年3月15日、中華人民共和国チベット自治区ラサ市でチベット族漢族を襲撃し、暴徒化したチベット族が商店を略奪・放火する暴動が発生[46]、治安当局が催涙弾等で制圧した。

第6代国務院総理温家宝は、「暴動はダライ・ラマ14世の組織的な煽動によるものだ」と非難し[47]、ダライ・ラマ14世に対して「チベット独立を放棄し、台湾中華民国)を不可分の中華人民共和国の領土と認めること」を条件に中華人民共和国国務院とダライ・ラマ14世との平和的な対話を呼びかけた[48]

これに対してダライ・ラマ14世は、暴動が自身の策動によるとの国務院の見解を否定し[49]、事態を収拾できなくなった場合はガンデンポタン(チベット亡命政府)の最高指導者の地位を辞任することも表明する[50]とともに、中華人民共和国国務院との平和的な対話再開に前向きな姿勢を示している[51]

この動乱における中国共産党によるチベットでの処置について、ダライ・ラマ14世は「文化の大虐殺(en:cultural genocide)に等しい」と述べた[52]

インターネットでの規制対象[編集]

中華人民共和国国内では、中華人民共和国国務院のフィルタリング技術により、インターネット上でのダライ・ラマ14世に関する議論が制限、統制されている[53]

2009年2月に、Twitterに、ダライ・ラマ法王事務所を称するOHHDL(Office of His Holiness the Dalai Lama)名のtwitterアカウントが作られ、2万人ものフォロワーを集めたが、偽物と判明し、利用規約への違反としてtwitterよりアカウントが停止となる規制対象となった[54]

現在は、OHHDLの情報リンクページとしてOHHDLInfo [2] が復活しており、6万人(2009年7月)以上のフォロワーに対して、関連情報を提供している。同様にOHHDLInfoは、6万人以上のフォローをすることにより、ダライ・ラマ関連情報を求める人同士が相互参照できるようになっている。

2010年2月には、ダライ・ラマ14世本人が正式にTwitterのアカウントを取得したと報道された[55]

2018年2月、ドイツ自動車大手ダイムラー傘下のメルセデス・ベンツインスタグラムの公式アカウントに英語で「あらゆる角度から状況を見よ、そうすればもっとオープンになれる」というダライ・ラマ14世の言葉を引用し、さらに「ダライ・ラマによる、人生への新鮮な視点で新しい週を始めよう」というキャッチコピーを浜辺に停まる白ベンツの広告に掲載したところ、中国人のインターネットユーザーから批判が殺到し、謝罪に追い込まれた[56][57]

チベット独立を巡って[編集]

2007年10月17日に行われたアメリカ合衆国議会黄金勲章授章式のスピーチで、「チベット自治区は中華人民共和国の一部であり、あくまでも高度な自治を求めているのであってチベット独立の考えはない」ことを表明した[58]。また、日本での講演の際は過去に毛沢東主席から「チベットの旗を私たちの赤旗の隣にいつも維持するべき」と言われたとしてその言葉をチベット支援者にも伝えたいと発言している[59]

交流関係[編集]

左から周恩来パンチェン・ラマ10世毛沢東、ダライ・ラマ14世、劉少奇(1955年)

中国共産党中央委員会総書記である習近平の父習仲勲と親交が深く、腕時計を贈ったことがあった[60]。習近平に対しても腐敗撲滅や反貧困などの姿勢を評価しており[61]、習近平は一時はチベット亡命政府に中国との和解を打診したと報じられ[62]、ダライ・ラマ14世はチベットに高度な自治権を与えようとする習近平を中国国内の強硬派が阻んでいるとする見解を示している[63]。2014年に訪印した習近平がダライ・ラマ14世との面会を快諾するも対中関係を重視するインドのナレンドラ・モディ首相によって中止されたとする本がインドで出版された際は中国が提案に応じなかったとしてこれを否定した[64]

毛沢東を「革命の真の偉大な指導者であり、度々会見して様々なことを学んだ」とする一方で一般的に毛沢東より評価が高い周恩来は「非常にずる賢いと思った。第一印象からして大嘘つきだった」と証言している[65]

中華民国(台湾)との関係[編集]

2008年12月4日、ダライ・ラマ14世の訪台を中国への配慮から拒否した馬英九中華民国総統に対し、王金平立法院長は「(ダライ ・ラマ14世の訪台を)宗教的な角度から見れば、台湾にとってよい事であると信じる。ダライ・ラマ14世は人々から信頼、尊敬される宗教指導者であることからも、台湾はこの問題を再考すべきだ」とダライ・ラマ14世の訪台の再検討を要望し、民主進歩党邱議瑩中国語版立法委員は「馬英九が政権を握っている間はずっと、ダライ・ラマ14世訪台は『タイミング的に悪い』。なぜなら馬さんは中国の台湾区長に過ぎないからだ」などと馬英九中華民国総統を揶揄した[66]

2009年8月30日、ダライ・ラマ14世は、台風第8号の被災者を慰問するために訪台した[67]。その際、「(訪台は)極めて非政治的なもの」として、台湾の独立問題は「われわれは台湾の分離を求めているわけではないが、台湾の運命は2000万人以上の住民の手に掛かっている」「台湾は民主主義を享受しており、わたし自身も民主主義の推進に力を注ぎたい」と語った[67]

ダライ・ラマ14世はこれまで1997年2001年2009年の3度訪台しており、「大変楽しかった台湾の旅を忘れたことはない」と4度目の訪問に意欲を示している[68]

2019年8月、ダライ・ラマ14世は、台湾の客家テレビ中国語版の取材に応じ、台湾に対する中国からの圧力が強まっていることを「くじけてはいけない。情熱を持ち続けなさい」「民主主義自由をもって最終的に全体主義に勝つことができる」などと述べた[68]

台湾の国会には、2016年に発足したチベット支援の議員連盟「台湾国会チベット連線」があり、議連の会長をフレディ・リムが務めており、その他にも民主進歩党中国国民党台湾基進時代力量の議員が多数加わっている[69]。「台湾国会チベット連線」は、ダライ・ラマ14世の訪台を目指しており、2020年7月8日の「台湾国会チベット連線」の記者会見で、民主進歩党洪申翰中国語版立法委員は、近年、中国共産党チベット香港新疆への弾圧を強めており、台湾は圧迫される民族の側に立つと述べ、チベットが一日も早く自由を取り戻すことを願うと述べ、記者会見に招かれたチベット亡命政府の駐台代表は、威圧や脅しをかける中国に一丸となって立ち向かわなければならないと訴えた[69]

2020年7月6日、ダライ・ラマ14世は85歳の誕生日を迎えるにあたり、台湾の支持者に宛てたビデオメッセージで「政治的状況の変化に伴い、再び台湾を訪問することができるかもしれない。何が起ころうとも、私の心はあなた方と共にある」と台湾訪問への意欲を示し、これに対して外交部は、ダライ・ラマ14世が台湾を訪問する場合は歓迎すると述べた[70]

2021年7月6日蔡英文中華民国総統は、ダライ・ラマ14世の86歳の誕生日にあたり、SNSを通じて誕生日を祝し「(新型コロナウイルス感染症の)大流行が続く中、互いに助け合うため活動することがなぜ重要かを教えてくれたことに感謝したい」と伝えた[71]

アメリカ合衆国との関係[編集]

ダライ・ラマ14世とアメリカのジョージ・ブッシュ大統領(2001年)

米国議会との関係[編集]

2007年10月17日米国議会から議会名誉黄金勲章を授与された。ジョージ・ウォーカー・ブッシュ第43代大統領も授章式に同席した[72]。中華人民共和国政府はこれに対し、米中関係に悪影響を及ぼすとして強く反発した[73]

2008年3月21日には、米国議会下院議長のナンシー・ペロシが他の下院議員9名を伴ってインドのダラムサラを訪問し、ダライ・ラマ14世と会談した。米国議会黄金勲章授与でも大きな役割を果たしたペロシは、同月に発生したチベット自治区での暴動と中国政府の治安当局による催涙弾や銃火器による暴徒制圧への国際調査団への派遣、ならびに中華人民共和国政府との平和的対話の再開に関して、ダライ・ラマ14世への支持を表明した[74]

CIAとの関係[編集]

1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てられた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[75]

バラク・オバマとの関係[編集]

2010年2月18日バラク・オバマ米大統領と会談した(同日、ヒラリー・クリントン国務長官とも会談)。会談でオバマは、「チベットの宗教や文化、言語のアイデンティティーを守ることを強く支持する」と表明、両者は「前向きで協調的な米中関係が重要である」との認識で一致した[76]。会談の翌日、ダライ・ラマは、自身が少年時代にフランクリン・ルーズベルト大統領から受け取り紛失していた書簡の複製を、前日の会談の際に贈呈されていたことを公表した[77]

ドナルド・トランプ政権[編集]

2019年11月、ドナルド・トランプ政権で国際的な信教の自由問題を担当するサム・ブラウンバック特使と会談。ダライ・ラマ後継者の問題について長時間話し合った。アメリカ側は、次期指導者は中国政府ではなくチベット仏教徒らが選ぶことを根本として、世界的な支持を取り付ける方法を探っていると伝えた。ブラウンバックは、帰国後、国連がこの問題に対処してくれることを願うと語っている[78]

2020年12月27日、アメリカ議会は「チベット政策支援法」を可決。14世の後継者の擁立に介入する中国政府や共産党幹部に対し、制裁や「適切な措置」を取ることを定めた。成立時期は2020年アメリカ合衆国大統領選挙が終わり、次期大統領としてジョー・バイデンが就任することが確定した時期ではあったが、超党派の賛成により可決された[79]

ジョー・バイデン政権[編集]

2021年7月6日アントニー・ブリンケン国務長官は、ダライ・ラマ14世の86歳の誕生日にあたり、「6日ダライ・ラマ聖下(His Holiness)が86回目の誕生日に迎えるに際し、ご多幸を祈り、謹んで喜びを申し上げる」「ダライ・ラマの謙虚・慈悲理解に対するメッセージは世界の人々へのインスピレーションになる」という声明を発表した[80]

インドとの関係[編集]

1959年3月31日に、ジャワハルラール・ネルー初代首相はダライ・ラマ14世のインドへの亡命を受け入れた。1959年10月20日に開始された中印国境戦争以後もダライ・ラマ14世を保護し続け、インド北部のダラムサラにガンデンポタン(チベット亡命政府)と多数の亡命チベット人を今日まで受け入れてきた。

2004年10月20日マンモハン・シン第13代首相は、会談の際インド国内でのダライ・ラマ14世の政治活動を認めないと表明した[81]。さらに、2008年にシブシャンカール・メノン外務次官は、ダライ・ラマ14世はインドを拠点に反中華人民共和国活動をしないことを約束している客人であると述べている[82]

2021年7月6日ナレンドラ・モディ首相は、ダライ・ラマ14世の86歳の誕生日にあたり、誕生日を祝う電話をかけたことを公表した[83]。モディは、SNSを通じて「ダライ・ラマ14世の86歳の誕生日を祝うため彼と電話で話した」として、「今後も末永く健康でいられるよう祈願したい」と伝えたことを明かした[83]2020年、インドと中国の係争地域で死者の出る衝突が起こった際、ダライ・ラマ14世の誕生日にメッセージを送らなかったことを野党から「中国の顔色をうかがい過ぎている」と批判されており、今回の交流を誇示したのは、中国に対する国内の強硬世論を意識したものとみられる[71]

欧州諸国との関係[編集]

コローニョ・モンツェーゼ滞在中のダライ・ラマ14世(2007年12月、イタリア)

2006年5月30日に、欧州連合本部(当時:ブリュッセル)で開催された宗教指導者を集めた基本権と相互尊重に関する会議に参加した[84]

イギリス政府は、中華人民共和国との国交関係を元に、同国が掲げる"一つの中国"の政策を掲げており、ゴードン・ブラウン第74代首相が対中関係強化を図っている一方で、王室のチャールズ3世は、ダライ・ラマ14世と長年にわたる親交で知られている[85]

2007年9月に、ダライ・ラマ14世はドイツ連邦共和国アンゲラ・メルケル第8代首相と会談した。しかし、中華人民共和国政府が抗議したため2008年2月15日温家宝第10代国務院総理とメルケル首相との間で関係修復が図られ、メルケル首相は、中華人民共和国の掲げる"一つの中国"の外交政策を堅持するとともにチベット独立不支持を言明するに至った[86]

国際連合との関係[編集]

ダライ・ラマ14世が率いるガンデンポタン(チベット亡命政府)は、現在に至るまで国際連合の加盟国ではない。国際連合は、2000年8月28日から8月30日にかけて開催した「宗教・精神指導者のミレニアム世界平和サミット」に世界の宗教指導者を1000人以上も招聘したが、ダライ・ラマ14世は招聘しなかった[87]。しかし国際連合人権高等弁務官事務所の設立の根拠であるウィーン宣言及び行動計画を採択した世界人権会議には出席し「人権と普遍的責任」と題した演説を行った[88]

ローマ教皇庁との関係[編集]

1975年には、第262代ローマ教皇パウロ6世と会談した。2007年12月には、第265代ローマ教皇ベネディクト16世と会談予定だったが、ローマ教皇庁は会談を中止した[89]

なお、2018年時点でバチカン市国と中華人民共和国に国交は無い。

日本との関係[編集]

日本政府との関係[編集]

一つの中国』を掲げる中華人民共和国はダライ・ラマが訪日や、日本国内において講演などを行うたびに日本政府に対し抗議を行っている。日本は1972年の日中共同声明に基づき、『一つの中国』を尊重する立場をとっているが、中華人民共和国への配慮としてダライ・ラマに対し日本国内で政治活動をしない等の条件を課すものの、入国許可は何度も行っている[90]

2008年4月、訪米の途上で成田空港へ立ち寄った際、安倍晋三前首相(当時)の妻・昭恵夫人と会談を行った。

また、日本の議員連盟であるチベット問題を考える議員連盟とも交流があり2005年のダライ・ラマ法王の来日時は、第44回衆議院議員総選挙の選挙期間中だったが、当時衆議院議員であった牧野聖修は議員連盟を代表して法王の送迎、東京での歓迎パーティ-出席、伊勢神宮参拝などのアテンド役を務め、2009年11月1日、牧野、五十嵐文彦らが東京のホテルでダライ・ラマ14世と会談した。鳩山由紀夫首相はスケジュール上の都合を理由として同席しなかったが、「(ダライ・ラマに)再びお会いできることを願っている」とするメッセージを贈った。ダライ・ラマ14世はこのメッセージに謝意を表し、鳩山の首相就任を祝すとともに、鳩山が提唱する「東アジア共同体」構想に賛意を示した[91]

日本の宗教との関係[編集]

オウム真理教麻原彰晃とは亡命先のインドで 1987年2月24日1988年7月6日に会談した。またダライ・ラマ14世は、オウム真理教から布施の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都宗教法人格を取得した際には、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援した[92]

なお、麻原をインドに最初に紹介したのはペマ・ギャルポであるが、数カ月もしないうちに麻原の問題点に気づき、麻原とはかかわらないようにとダライ・ラマ法王庁に上申している。これに怒った麻原は雑誌や本などでペマを批判した。後に麻原はオウム事件を起こすに至るが、ペマは大阪国際宗教同志会平成11年度総会記念講演にて「幸いにして、麻原さんが怒って、私のことを悪く書いて下さったもんですから、助かりました。本当のことを言って……」と回想している[93]

1984年5月に日本武道館にてオーラの祭典として阿含宗桐山靖雄と共に護摩法要を行った。

1998年4月に京都で念仏宗無量寿寺が主催した「第1回全世界佛教興隆会議」に参加した。また、念佛宗無量寿寺は布施として2億円をダライ・ラマ14世へ寄付したと『週刊朝日』が報じた[94]

2008年11月、東京都内で善光寺の若麻績信昭寺務総長らと面会。善光寺がチベット問題への憂慮などを理由として、北京オリンピックの聖火リレーの出発地を辞退したことについて「チベットを代表してお礼を申し上げる」と述べ、感謝の印として、高さ約21センチの金銅製の仏像「釈迦如来坐像」を贈った。善光寺は2009年3月6日、この仏像を翌3月7日から一般公開することを発表した[95][96]

四国地区仏教会連合の招きで来日中の2009年11月2日愛媛県新居浜市萩生寺において、ガンデンポタン(チベット亡命政府)樹立50周年およびノーベル平和賞受賞20周年を記念して日本で初めて建立されたナムゲル・チュールテン(チベット式仏塔)の開眼法要に参加した。また同年10月31日には東京都千代田区日本外国特派員協会で在日外国人記者を相手に記者会見を行った。

東日本大震災の供養のため、2011年4月29日護国寺(東京都文京区)にて四十九日特別慰霊法要を行った[97][98]。また、同年10月30日舞洲アリーナ大阪府大阪市)、10月31日11月3日高野山大学松下講堂黎明館(和歌山県高野町)、11月5日西光寺宮城県石巻市)および孝勝寺(宮城県仙台市)、11月6日聖和学園高等学校(宮城県仙台市)および日本大学工学部体育館(福島県郡山市)にて講演(石巻では慰霊供養と挨拶)を行った[99][100][101]2014年4月8日東京エレクトロンホール宮城(宮城県仙台市)で開催された「東日本大震災および原発事故被災者のための 神道 復興祈願慰霊の会」にも参列して冥福を祈った[102]

その他[編集]

来日した際にコンビニエンスストアを訪れ、好物の紅茶花伝を飲んでくつろぐ姿が何度も撮影されている[103]

チベット仏教内の関係[編集]

ダライ・ラマはチベット仏教の中の一宗派であるゲルク派の事実上の領袖であり、チベット仏教にはゲルク派以外にもいくつかの宗派があるが、現在、ダライ・ラマはゲルク派の最高指導者ではなくチベット仏教の最高指導者であると言われ[104]、チベット仏教の法王であるとも言われている[105]。現に全宗派の管長はダライ・ラマ14世によって認定されている。ゲルク派以外でも、亡命チベット人のソギャル・リンポチェ英語版ニンマ派)は現在のダライ・ラマである14世をチベット仏教の最高の長とみなしている[106]。ただし、近代以前のチベットの宗教と社会を研究している社会人類学ジェフリー・サミュエルは、歴史的にはチベット仏教のいずれの宗派も、ゲルク派を除けば統一的な組織構造をもつ教団があったとは言い難く、ゲルク派にしても、代表者たるダライ・ラマと諸寺院の力関係は時期によって異なり、完全にダライ・ラマによって統率された組織ではなかったとして、ダライ・ラマ14世が亡命後に得たチベット人全体の政治的・宗教的指導者としての立場はそれまでのダライ・ラマとは異なるとしている[107]

また、14世はゲルク派の教えのみならず、チベット仏教の超宗派運動の精神を20世紀前半に体現したジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥー英語版の直弟子などからニンマ派やカギュ派の教えも受け継いでおり、ジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥーの弟子であるソギャル・リンポチェは、ダライ・ラマ14世はチベット仏教の全宗派のさまざまな領域において権威者であるとして敬意を表している[106]。このように多分に超宗派的な活動を行っているダライ・ラマ14世は、亡命チベット人をまとめ上げる結節点となっており、さまざまな宗派に属する亡命チベット人が政治的な観点から14世の地位を認め、その下に結集している[108]。しかしその超宗派的姿勢がゲルク派内の一部の保守層の反発を招いた[要出典]ことに加えて、ゲルク派の護法尊ドルジェ・シュクデンを祀ることに公然と反対したことから、ゲルクの主流派から分離したシュクデン派による争議が起こった(シュクデンおよびシュクデン問題英語版を参照)[109]

パンチェン・ラマ10世との関係[編集]

北京週報の李栄霞は、ダライ・ラマ14世の故郷タクツェル村への訪問記の中で、以下のように報道した[110]

1989年1月28日、パンチェン・ラマ10世が円寂した。この時、中国仏教協会は追悼式への出席をダライ・ラマ14世に特別要請したものの、ダライ・ラマ14世はこれを拒絶した。

カルマパ17世の保護[編集]

2000年にチベット自治区からインドに逃亡したカギュ派の活仏カルマパ17世を保護した[111]

後継者に関する論議[編集]

ダライ・ラマ14世が高齢になったことから後継者について論議がある。本来ならばダライ・ラマ14世が承認したパンチェン・ラマ11世が転生者を認定するのだが、中華人民共和国当局により連行されて行方不明のために、指名もしくは選挙によってゲルク派のしかるべき高位の僧に次期指導者の地位を委ねる旨を示唆している[112]

ダライ・ラマ14世は自らは生身の一人の人間であり、そして仏教の一僧侶であって、もし「あなたは仏(some Buddha)のような何かしらの高次の存在(some higher being)の生まれ変わり(reincarnation)か」と問われれば、自分はそれに「いいえ(No)と答える」 と、CNN の Christiane Amanpourとのインタビューの中で述べている[113]

また、中華人民共和国国務院2007年9月1日転生を届出ならびに許可制とする「チベット仏教活仏転生管理弁法」を施行し、活仏の「転生霊童」の認定にあたっては国家宗教事務局への事前申請ならびに許可を必要とすると定めた[114]。すなわち、中華人民共和国国務院の許可がない活仏は違法で無効とされるとしている。

科学との関係[編集]

ダライ・ラマ14世は1983年の国際会議で神経科学者フランシスコ・バレーラと出会い、“科学と宗教の対話”という共通の関心事に基づいて1986年から「精神と生命会議」を共同で始めた[115]。以後、同会議は2010年までに18回を数え、脳科学・生命科学から量子力学、宇宙物理学など幅広いジャンルの科学者200人以上と対話が続けられている[116]。この会議を母体に「精神と生命研究所」(Mind&Life Institute)が設立され[117]、ここからダライ・ラマ14世と科学者との対話なども出版されている[118]

映画[編集]

ダライ・ラマ14世(1994年)

いずれもダライ・ラマ14世の側から描かれているため、中華人民共和国支配下のチベットでの撮影が行えず国外で撮影されている。

マーティン・スコセッシが、映画史上初めてダライ・ラマ14世の半生を描いた作品。ダライ・ラマの転生者である少年(後の14世)の発見、彼の成長とチベットを脱出してインドへ亡命するまでの22年間を、歴史的事実に即して描く。
若き日のダライ・ラマ14世と登山家ハインリヒ・ハラーとの交流を描いた。
来日時、質問者に真剣にそしてユーモアを交えて答えるダライ・ラマ14世の姿と、チベット文化チベット仏教の根付いた地、インドダラムサララダックの取材を通して、ダライ・ラマ14世の素顔、そしてチベット問題の本質に迫っていくドキュメンタリー。監督は光石富士朗、ナレーションを柄本佑。EEDとして映画監督の山谷亨が参加している。

マルクス主義について[編集]

若い頃にはチベットの経典やナショナル ジオグラフィックなどの歴史や天文学の本の他にマルクスレーニンの本も読み、中国共産党への入党を希望[61]していた時期もあったことを明かしている。マルクス主義の「平等な分配」の考えに同意しているが、マルクス主義の極めて物質主義的な観点から人の生存をとらえるという部分は唯一の欠点であるとし、その点については同意していない。自分を「マルクス主義者」[120][121]とし、「半・マルクス主義者」[122]と呼んでも構わないと語っており、仏教と純粋なマルクス主義が融合した場合には、それが有効な施政方法となることを確信していると述べている[123]

受賞等[編集]

  • 名誉博士号(2018年、麗澤大学[124])
  • 名誉博士号(2006年、ニューヨーク州立大学バッファロー校)[125]
  • 議会名誉黄金勲章2007年10月17日アメリカ合衆国議会
  • Honorary Doctorate in chemistry and pharmacy from University of Münster on 20 September, 2007
  • Honorary Doctorate from Southern Cross University on 8 June, 2007
  • Presidential Distinguished Professorship from Emory University in February 2007.
  • Honorary Doctorate in Doctor of Humane Letters|Humane Letters conferred by the State University of New York at Buffalo in September 2006.
  • Honorary citizenship of Canada in 2006.
  • Honorary citizenship of Ukraine, during the anniversary of the Nobel Prize on 9 December, 2006 in Mc Leod Ganj.
  • United States Congressional Gold Medal on 27 September 2006
  • Key to New York City from Mayor Michael Bloomberg|Bloomberg on 25 September, 2005
  • Jaime Brunet Prize for Human Rights on 9 October, 2003
  • Hilton Humanitarian Award on 24 September, 2003
  • International League for Human Rights Award on 19 September, 2003
  • Life Achievement Award from Hadassah Women's Zionist Organization on 24 November, 1999
  • Roosevelt Four Freedoms Award from the Franklin and Eleanor Roosevelt Institute on 4 June, 1994
  • World Security Annual Peace Award from the New York Lawyer's Alliance on 27 April, 1994
  • Berkeley Medal from University of California, Berkeley, on 20 April, 1994
  • Peace and Unity Awards from the National Peace conference on 23 August, 1991
  • Earth Prize from the United Earth and U.N. Environmental Program on 5 June, 1991
  • Advancing Human Liberty from the Freedom House on 17 April, 1991
  • Le Prix de la Memoire from the Fondation Danielle Mitterrand on 4 December, 1989
  • Raoul Wallenberg Human Rights Award from the Congressional Rights Caucus Human Rights on 21 July, 1989
  • Key to the city|Key to Los Angeles from Mayor Tom Bradley|Bradley in September 1979.
  • Key to San Francisco from Mayor Dianne Feinstein|Feinstein on 27 September, 1979

著書[編集]

  • 木村肥佐生訳 『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』亜細亜大学アジア研究所 1986、中公文庫 1989・改版2001・新版2015
  • 山際素男訳 『ダライ・ラマ自伝』文藝春秋、1992、文春文庫 1996
  • 『チベット仏教の概要』日高一輝訳 チベット文化研究会 1978
  • 『この悲劇の国、わがチベット ダライ・ラマ自伝』日高一輝訳 蒼洋社 1979
  • 『仏教のこころ ダライ・ラマ法話集』ペマ・ギャルポ・椎名潤訳 講談社 1984
  • 『智慧の眼』菅沼晃訳 けいせい出版 1988
  • 『愛と非暴力 ダライ・ラマ仏教講演集』三浦順子訳 春秋社 1990
  • 『ダライ・ラマ 平和の哲学』斎藤巌, 斎藤保高訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1992
  • 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く 輪廻転生-生命の不可思議』大谷幸三編訳 クレスト社 1994、徳間文庫 1999、角川ソフィア文庫 2008
  • 『ダライ・ラマ 慈悲の教え』山際素男訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1994
  • 『空と縁起 人間はひとりでは生きられない』大谷幸三訳 同朋舎出版 1995 のち学研M文庫
  • 『心と生命 <心の諸科学>をめぐるダライ・ラマとの対話 徹底討議』フランシスコ・J.ヴァレーラ,ジェレミー・W.ヘイワード編著 山口泰司,山口菜生子訳 青土社 1995
  • 『ダライ・ラマの仏教入門 心は死を超えて存続する』石浜裕美子訳 光文社 1995、同知恵の森文庫 2000
  • 『ダライ・ラマの密教入門 秘密の時輪タントラ灌頂を公開する』石浜裕美子訳 光文社 1995、同知恵の森文庫 2001
  • 『私たちのゆくえ 心のはしらを探して』ペマ・ギャルポ監訳 ベストセラーズ ワニの選書 1995
  • 『宇宙のダルマ』永沢哲訳 角川書店 1996
  • 『ダライ・ラマの仏教哲学講義 苦しみから菩提へ』福田洋一訳 大東出版社 1996
  • 『ダライ・ラマ生き方の探究』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ,藤田省吾共訳 春秋社 1997
  • 『ダライ・ラマ瞑想入門 至福への道』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳 鈴木樹代子訳 春秋社 1997
  • 『瞑想と悟り チベット仏教の教え』柴田裕之訳 日本放送出版協会 1997
  • 『ダライ・ラマ、イエスを語る』中沢新一訳 角川書店 1998
  • 『ダライ・ラマ死をみつめる心』ハーディング祥子訳 春秋社 1999
  • 『ダライ・ラマ他者と共に生きる』田崎國彦,渡邉郁子訳 春秋社 1999
  • 『ダライ・ラマ日々の瞑想』三浦順子訳 講談社 1999
  • 『幸福論』塩原通緒訳 角川春樹事務所 2000   原題『Ethics for the New Millennium』
  • 『ダライ・ラマが語る 母なる地球の子どもたちへ』ジャン=クロード・カリエール共著 新谷淳一訳 紀伊國屋書店 2000
  • 『ダライ・ラマこころの育て方』ハワード・C.カトラー共著 今井幹晴訳 求龍堂 2000
  • 『ダライ・ラマ智慧と慈悲 来日講演集』マリア・リンチェン訳 春秋社 2000
  • 『ダライ・ラマ365日を生きる智慧』レーヌカ・シン編 谷口富士夫訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ幸福になる心』山際素男訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ至高なる道』谷口富士夫訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ智慧の眼をひらく』菅沼晃訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ〈心〉の修行』マリア・リンチェン訳 春秋社 2002
  • 『幸福と平和への助言』今枝由郎訳 トランスビュー 2003
  • 『幸せに生きるために ダライ・ラマが語る15の教え』塩原通緒訳 角川春樹事務所 2003 「世界平和のために」文庫
  • 『ダライ・ラマ14世法王の政治哲学 スピーチ・著作集より 第1巻』A.A.シロマニー編 ペマ・ギャルポ監訳 山本長一 [ほか]訳 万葉舎 2003
  • 『ダライ・ラマ怒りを癒す』三浦順子訳 講談社 2003
  • 『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』ファビアン・ウァキ共著 中沢新一,鷲尾翠訳 角川書店 2003
  • 『ダライ・ラマゾクチェン入門』宮坂宥洪訳 春秋社 2003
  • 『ダライ・ラマ大乗の瞑想法』クンチョック・シタル監訳 鈴木樹代子訳 齋藤保高原典訳 春秋社 2003
  • 『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』ダニエル・ゴールマン共著 加藤洋子訳 アーティストハウスパブリッシャーズ 2003
  • 『Love?愛ってなんだろう』マリア・リンチェン同時通訳 マーブルトロン 2004
  • 『ダライ・ラマ死と向きあう智慧』ジェフリー・ホプキンス編 ハーディング祥子訳 地湧社 2004
  • 『ダライ・ラマ慈悲の力 来日講演集』マリア・リンチェン訳 春秋社 2004
  • 『ダライ・ラマ般若心経入門』トゥプテン・ジンパ編 宮坂宥洪訳 春秋社 2004
  • 『ダライ・ラマ法王の実践幸福論』ロスアルトス・スタディー・グループ編著 ペマ・ギャルポ訳 あ・うん 2005
  • 『抱くことば』グレート・ザ・歌舞伎町写真 イースト・プレス 2006
  • 『思いやり』マリア・リンチェン訳 サンマーク出版 2006
  • 『思いやりのある生活』沼尻由起子訳 光文社知恵の森文庫 2006
  • 『素顔のダライ・ラマ』ビクター・チャン共著 牧内玲子訳 春秋社 2006
  • 『ダライ・ラマが語る般若心経』大谷幸三文 角川学芸出版 2006
  • 『ダライ・ラマ科学への旅 原子の中の宇宙』伊藤真訳 サンガ 2007 のち新書
  • 『ダライ・ラマハートフル・メッセージ』鈴木樹代子訳 春秋社 2007
  • 『ヒューマン・バリュー 人間の本当の値打ちとは』宮坂宥洪編訳 マリア・リンツェン原訳 四季社 2007
  • 『ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!』ローレンス・ファン・デン・ムイゼンバーグ共著 岩木貴子訳 マガジンハウス 2008
  • 『ダライ・ラマ平和のために今できること』北川知子訳 ダイヤモンド社 2008
  • 『ダライ・ラマ未来への希望 来日講演集』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2008
  • 『ゆるす言葉』野町和嘉写真 イースト・プレス 2008
  • 『環境について語る』ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 2009
  • 『心の平和』マリア・リンチェン訳 サンマーク出版 2009
  • 『ダライ・ラマこころを導く言葉365』瀧川郁久訳 春秋社 2009
  • 『ダライラマ真実の肖像』クロディーヌ・ベルニエ=パリエス文 神田順子訳 二玄社 2009
  • 『ダライ・ラマ実践の書』ジェフリー・ホプキンズ編 宮坂宥洪訳 春秋社 2010
  • 『ダライ・ラマ スピリチュアル・メッセージ』クンチョック・シタル, 阿門朋子訳 春秋社 2010
  • 『ダライ・ラマの「中論」講義第18・24・26章』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2010
  • 『いのちの言葉 3・11後の日本へ-』写真:篠山紀信 世界文化社 2011
  • 『ダライ・ラマ希望のことば フォト・メッセージ』薄井大還写真 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマこころの自伝』ソフィア・ストリル=ルヴェ編 ルトランジェ治美訳 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマ宗教を語る』三浦順子訳 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマの般若心経 日々の実践』マリア・リンチェン訳 三和書籍 2011
  • 『夜明けの言葉』三浦順子訳 松尾純写真 大和書房 2011
  • 『傷ついた日本人へ』新潮新書 2012
  • 『ダライ・ラマ宗教を越えて 世界倫理への新たなヴィジョン』三浦順子訳 サンガ 2012
  • 『ダライ・ラマ珠玉のことば108 心の平安を得るための仏教の知恵』カトリーヌ・バリ編 前沢敬訳 福田洋一監修 武田ランダムハウスジャパン 2012
  • 『ダライ・ラマ法王、フクシマで語る 苦しみを乗り越え、困難に打ち勝つ力』下村満子企画・監修 大和出版 2012
  • 『ダライ・ラマ法話 文殊の智慧による救い』クンチョック・シタル,阿門朋子訳 薄井大還撮影 春秋社 2012
  • 『ダライ・ラマ誰もが聞きたい216の質問』ラジーヴ・メロートラ編 瀧川郁久訳 春秋社 2013
  • 『ダライ・ラマ般若心経を語る』大谷幸三取材・構成 角川ソフィア文庫 2013
  • 『思いやること こころを育てるための小さなコツ』ジェフリー・ホプキンス編 長澤あかね訳 東洋出版 2014
  • 『心を見つめる言葉』黒輪篤嗣訳 飛鳥新社 2014
  • 『ダライ・ラマ『菩提心の解説』』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2015

日本人との共著[編集]

雑誌掲載の文章[編集]

  • 「成田会見全文掲載」季刊誌『ジッポウ』6号(2008夏号)特集「平和なれチベット」ダイヤモンド社、2008年
    • 2008年4月にアメリカ渡航の際の経由地成田空港での記者会見の内容。

歌詞[編集]

関連文献[編集]

文献資料 (仏教解説書)[編集]

哲学書、人生論 等々(共著形式も含む)

報道資料[編集]

  • 『朝日新聞』2008年4月22日夕刊

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ ダライ・ラマ5世の時代に(一部を除く)全チベットの再統一が果たされ、ダライ・ラマ5世はその政教両面の最高権威として君臨したとされるが、その後の歴代ダライ・ラマがつねにチベット全体の支配者であったわけではない。その支配権の及んだ範囲は時期によって異なり、7世の代にはその権勢は全盛期と比較して非常に限定的になった。9世から12世までのダライ・ラマはいずれも夭折したため実権を行使する機会がなく、この時期のダライ・ラマは権威の象徴にすぎなかったとの見方もある。ダライ・ラマ政権の直轄地域も長らく中央チベットのウーに限られていた。ラサから遠い地方では世俗の領主や各宗派の大ラマがダライ・ラマの権威を認めながらもそれぞれの領地を支配して割拠しており、東チベットのカムでは清朝に服属する在地の諸侯が事実上の独立状態にあった。再びダライ・ラマ自身が名実ともにチベットに君臨したのは20世紀に入ってからのことである[5]
  2. ^ 2011年3月、ダライ・ラマ14世は政治的立場からの引退を表明し、それに伴って亡命チベット人憲章が改訂され、憲章上はいまだ元首であると考えられるが、ダライ・ラマの位置づけは政治的指導者から精神的指導者に変更された[6]
  3. ^ 最初にダライ・ラマの称号を授かったのはスーナムギャムツォ。
  4. ^ 「それまでに8人の子供が生まれていた」とある[14]。なお、「子供7人のうちの5番目の生まれ」という説もある[15]
  5. ^ チベット語表記:ལྷ་མོ་ཌོན་འགྲུབ་
  6. ^ チベット語表記:རྗེ་བཅུན་ངག་དབང་བློ་བཟང་ཡེ་ཤེས་བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་
  7. ^ 教師としてついたのはレティン・リンポチェ(当初上級教師、後に教師からはずれる)、タタ・リンポチェ(当初下級教師、後に上級教師に昇格)、キゥツァン・リンポチェ(非公式の個人教師、元捜索隊長)、リン・リンポチェ(タタ・リンポチェのかわりに下級教師となった)。リン・リンポチェとは親友となった[23]
  8. ^ チベット語にはウ・チェンとウ・メという2種類の筆記形態があり、一方は私的な書き物、もう一方は公文書や書簡用となっている[24]
  9. ^ 少年のダライ・ラマの生活スケジュールについては次の通り。朝6時起床、着替えて1時間ほど祈祷と瞑想。7時に朝食を摂り、それから授業の開始。12時ちょうどに鐘が鳴り、昼休みとなり、子供らしく遊ぶ。1時に軽い昼食。食後すぐに授業が再開。一般教育。午後4時にお茶。その後2人のチェンシャプが来て、抽象的な論題(たとえば「心」の本性とは何か?)といった質問との格闘。午後5時半頃にようやく1日の試練から開放される。7時頃まで絵を描いたりして過ごし、夕食。夕食後は宮殿の内庭を散歩をしながら経典を暗誦したり祈祷をする決まりになっていたが、実際は子供らしく物語を考え出したりして時を過ごしたという[25]
  10. ^ 少年期のダライ・ラマ14世が受けた一般教育のカリキュラムの内容は仏教学で学位取得を目指す他の僧たちと同じで、主要科目・副科目に分かれ、次のような内容。主要科目:「論理学」「チベット芸術文化」「サンスクリット」「医術」「仏教哲学」。この中でも「仏教哲学」が一番深遠で、5つに分類されていて、「プラジュニャーパーラミター般若波羅蜜=智慧の完成)」「マディヤミカ中観=中庸の道)」「アビダルマ(=形而上学)」「ヴィナヤ(=僧院生活の戒律)」「プラマーナ(=論理学認識論)」。副科目:詩歌、音楽・ドラマ、占星学、韻律・表現法・同義語研究[26]
  11. ^ 10歳の時から、チベットの僧院教育で基本とされている弁証法討論技術を熱心に学んだ。ダライ・ラマとして仏教哲学を知っているだけでなく、討論にも熟達している必要があったためである[27]
  12. ^ 政府の会議のある時には、授業は朝10時に中断し、その会議に出席した[28]
  13. ^ 金属製の組み立て式玩具「メカーノ」で遊んだり、ぜんまい仕掛けの汽車のセットなどがお気に入りだったという。また、他にも板を駆け上ってそこからジャンプするなど、腕白な遊びも大好きだった、という[29]。色々な物をばらして組み立てるのが好きだったという[30]
  14. ^ ダライ・ラマは説得を試みたが、群衆の怒りは止まるところを知らず、中国軍の実力行使で大勢の人々の命が奪われると予想された。自伝によれば、同年3月17日、託宣僧に伺いを立てると脱出を教示され、まもなく市街戦が始まり、もはや自分が宮殿からいなくなること以外に事態を沈静化する手立てはないと覚悟したという[35]

出典[編集]

  1. ^ "The Institution of the Dalai Lama" by R. N. Rahul Sheel in The Tibet Journal, Vol. XIV No. 3. Autumn 1989, pp. 19-32 says on pp. 31-32, n. 1: "The word Dalai is Mongolian for "ocean", used mainly by the Chinese, the Mongols, and foreigners. Rgya mtsho, the corresponding Tibetan word, always has formed the last part of the religious name of the Dalai Lama since Dalai Lama II [sic – should read Dalai Lama III]. The expression Lama (Bla ma) means the "superior one". Western usage has taken it to mean the "priest" of the Buddhism of Tibet. The term Dalai Lama, therefore, means the Lama whose wisdom is as deep, as vast and as embracing as the ocean."(和訳:「ダライ」という言葉はモンゴル語で「海」を意味し、主に中国人、モンゴル人、外国人が用いているものである。これに対応するチベット語の「ギャムツォ」はダライ・ラマ2世以来、つねにダライ・ラマの法名の末尾を構成するものとなっている〔原文ママ - ダライ・ラマ3世を参照せよ〕。ラマという表現は「上人」を意味する。今までの西洋の用法では、ラマをチベット仏教の「聖職者」を意味するものとして捉えている。したがってダライ・ラマという言葉は、海のように深く広大な、包括的な智慧を有するラマを意味している。)
  2. ^ Mark Sappenfield and Peter Ford (March 24, 2008).Dalai Lama must balance politics, spiritual roleThe Christian Science Monitor Retrieved on: May 9, 2008
  3. ^ ポマレ 2003, p. 123.
  4. ^ Tibetan Charter Drafting Committee Issues Draft Preamble 2013年5月27日閲覧。
  5. ^ Sam van Schaik. “chap.7”. Tibet: A History[要文献特定詳細情報]デイヴィッド・スネルグローヴ、ヒュー・リチャードソン 著、奥山直司 訳「第8章」 『チベット文化史』春秋社。[要文献特定詳細情報]
  6. ^ A Brief Biography”. The Office of His Holiness the Dalai Lama. 2009年11月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月14日閲覧。
  7. ^ ロラン・デエ 著、今枝由郎 訳 『チベット史』春秋社、2005年10月、135頁。ISBN 4393118030
  8. ^ 田中 2000, pp. 97–100.
  9. ^ 田中公明『図説 チベット密教』 春秋社、2012年4月、55・57頁。
  10. ^ 河口慧海 『チベット旅行記』〈講談社学術文庫〉 3巻、講談社、1978年。[要ページ番号]多田等観 『チベット』〈岩波新書〉岩波書店、1942年、9,13-14,14-16,41-45頁。青木文教 『西蔵遊記 : 秘密の国』〈中公文庫〉中央公論新社、1990年、284頁。ISBN 4122016835
  11. ^ 田中 2000, pp. 113–114.
  12. ^ 田中 2000, p. 150.
  13. a b 「ダライラマ14世を名誉市民に」『朝日新聞』2008年4月22日夕刊2頁参照。
  14. a b ダライ・ラマ 2001, p. 33.
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参考文献[編集]

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  • フランソワーズ・ポマレ 著、後藤淳一 訳 『チベット』今枝由郎監修、創元社、2003年12月。ISBN 4422211722

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

** 알라딘: 달라이 라마 오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라 - 요약

알라딘: 오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라

오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라
 
달라이 라마 (지은이)
,
도솔 (옮긴이)
나무심는사람(이레)2002-01-10
Ethics for the New Millennium






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245쪽

책소개

일반적인 윤리원칙에서부터 매스미디어, 교육, 환경, 군축 문제에 이르기까지 실로 광범위한 문제를 언급하고 그 해결책('자비심')을 제시했다. 달라이 라마는 인간은 누구나 고통을 피하고 행복할 권리가 있으며 우리 모두가 그러한 권리를 존중해야 한다고 말한다.

또, 종교나 이념을 초월해 보편적 책임감을 가질 때 영적 혁명을 이룰 수 있다고 전했다. 티베트 말 '션 펜 키 셈  Shen pen kyi sem'('다른 사람들을 도와주려는 생각'이라는 뜻)을 인용해, 영적인 특성에 대해서 설명한 것은 그 때문이다. 
영적인 수행타인의 행복에 관심을 가지고 행동하는 것으로 자비를 베풀고, 사랑하고 용서하는 일련의 행동이 이에 속한다.

결론적으로 그는 각자가 '원초적인 순수성'을 깨닫고 행동할 때, 모두가 사랑과 자비로 충만한 사회에 살 수 있다고 정리했다. 자상하고 정열적인 목소리의 달라이 라마와 만날 수 있는 책이다.


목차


책머리에

제1부 행복의 근원

행복을 원하는 사람들
영적 혁명을 이루는 길
서로 의존하는 관계에 있다
지속적인 행복을 얻는 방법
인간의 가장 소중한 감정

제2부 행복한 삶의 조건

자제력의 가치
공덕을 쌓는 법
고귀한 자비심
고통과 마주할 때
올바른 분별력

제3부 행복한 사회를 만들기 위하여

보편적 책임감이 깃들인 사회
지혜로운 실천
건강한 사회
비폭력은 결코 나약하지 않다
현대 사회에서 종교의 역할
오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라

옮긴이의 말
접기



저자 및 역자소개
달라이 라마 (Tenzin Gyatso) (지은이)


제14대 달라이 라마 땐진 갸초(Bstan ’dzin rgya mtsho, Dalai Lama XIV)는 1935년 티베트 암도 지방에서 태어났다. 1937년 제13대 달라이 라마의 환생자로 지목된 이후 공식 절차를 거쳐 1940년 제14대 달라이 라마로 즉위하였다. 훌륭한 스승들의 지도 아래 현교와 밀교의 핵심을 모두 섭렵한 달라이 라마는 티벳의 정신적 지주이다. 1959년 중국이 티벳을 침략하면서 인도로 망명해야 했던 달라이 라마는 북인도 다람살라에 정착한 이후 망명 정부를 수립하고 무종파적 화합 정신인 리메(Ri-med, 無山... 더보기

최근작 : <달라이 라마, 깨달음을 말하다>,<로사르믹제>,<행복한 삶 그리고 고요한 죽음> … 총 464종 (모두보기)

도솔 (옮긴이)

서울대학교 외교학과와 동 대학원을 졸업했다. 전문 번역가로 활동하고 있으며, 옮긴 책으로는 『마음의 기적』, 『영혼의 비행』, 『세상에서 가장 아름다운 여행』, 『내 안의 빛나는 1%를 믿어준 사람』 등이 있다.

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마이리뷰
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사랑, 자비심이라는 선이 몸과 마음에 온전히 녹아들듯이.... 

2003년의 첫걸음에 어떤 마음가짐으로 시작하려는지 고민하는 사람들에게 권할만한 책이 있다. 인도의 다람살라에서 티베트의 망명정부를 이끌고 있는 14대 달라이라마 텐진 가쵸의 전세계인에게 전하는 행복의 메세지가 바로 그것이다. 1989년 노벨평화상을 수상한 소감문에서 그는 '오른 손이 하는 일을 오른 손도 모르게 하라'라고 말하였다. 자신의 행동 속에 자리한 선한 마음이 온전히 몸과 마음에 녹아들듯이 행하라는 그의 메세지에는 우리 지구별이 나아가야 할 아름답고 평화로운 미래에 대한 갈망이 담겨 있다.

그는 인간은 성별, 종교, 민족, 신분, 사회적 계급에 관계없이 누구나 행복하고자 하고 그럴 권리를 가지고 있다고 한다. 자신도 그 중 하나라고 함으로써 우리들 속에 그 중 하나로 존 재함을 보여준다. 그런데 이러한 행복의 원인은 부를 축적하는데 있지도 않고 사회적 지위를 획득하는 데 있지도 않다고 한다. 그것은 오로지 마음의 평화를 얻을 수 있을 때 가능하다고 한다. 따라서 우리의 행복을 위해 밖으로만 돌리고 있던 우리의 관심을 우리의 내부로 돌릴 것을 그는 제안한다.

마음의 평화를 갖기 위해선 우리 마음 속의 긍정적인 면들을 키워나가고 부정적인 면들을 극복해가야 한다. 다른 사람과 생명에 대한 감정이입과 깊은 사랑, 자비심은 바로 우리의 마음을 평화롭고 행복하게 하는 긍정적인 것들이라고 한다. 
우리 각 개인은 스스로의 노력만으로 진정한 마음의 평화를 온전히 누릴 수 없다. 그 이유는 우리는 다른 사람들의 존재에 의존하고 있다는 사실 때문이다. 그래서 달라이 라마는 윤리적인 훈련이 필요하다고 한다. 이것은 사람들이 타인과 더불어 행복하게 사는 방법이라고 그는 말한다.

그래서 그는 우리 사회의 정치, 경제, 군사, 환경 등의 여러 제도적인 면에 있어서의 자비심이 깃들인 정책이 필요함을 강조한다. 비록 결과적으로 같은 정책이라도 정책입안자의 마음에 자비심이 있고 없음은 근본적으로 다른 의미를 가진다고 한다. 
우리에게 진정으로 필요한 것은 사회, 정치적 제도적 혁명이 아니라 각 개인의 내적인 혁명, 영적인 혁명이다. 

새해의 아침무렵 여러분은 이 책을 통해 그가 우리들 속으로 친밀하게 다가온 이유를 알게 될 것이고 그것은 바로 지금 우리 인류가 직면한 문제들을 가장 지혜롭게 풀어나가는 열쇠라는 것 또한 알게 될 것이다.

달팽이 2003-01-15 공감(0) 댓글(0)



종교가 없는 사람도 이해할 수 있는 달라이라마의 가르침 

이전에 <달라이라마의 행복론>을 읽으면서 느겼던 감동이 이책을 읽으면서 다시한번 느끼게 되었다. 달라이라마는 독자가 불교신자가 아니더라도, 충분히 이해할 수 있는 평이한 언어로 마음의 평화, 자비심, 인내, 사랑, 관용에 대해서 이야기한다. 단지, 도덕교과서 같은 이야기를 하는 것이 아니라, 논리와 감성을 골고루 섞어서 정확하게 이야기한다.

달라이라마의 글은 변죽을 울리지 않고, 바로 핵심으로 들어가 그의 글의 읽는 사람과 영적인 대화를 나누듯이 질문을 던지고, 더 깊은 생각을 하게 만들고, 더 따뜻하게 고민하게 만든다.

진정한 행복은 나자신에 대한 지나친 관심에서 벗어나, 다른 사람의 행복에 관심을 갖는 것, 자비심을 가지고, 관대한 마음을 갖는 것에서 시작하여, 진정한 마음의 평화를 가지는 것이라는 달라이라마의 가르침은 가슴깊이 다가온다.

목표지향적인 자본주의 사회에서 돈을 보는 목표외에 자비로운 마음을 가지는 것이 목표가 될 수 있고, 그런 영적인 수양이 필요함을 달라이라마는 논리적으로도 설명하고, 직접 자신의 체험을 바탕으로 이야기를 해주고 있다.

이 책을 읽으면서 나는 어떻게 살아가야겠다는 아주 중요한 지침을 얻은것 같아 기뻤다.

꼭 읽어보시라고 추천하고 싶습니다.

제이슨 2003-12-27 공감(0) 댓글(0)

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#책장파먹기 
공부하는 중인 책을 수박 겉핥듯 
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오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라 
#Ethics for the new millenium
/ #달라이_라마 / 도솔 옮김 / 나무심는사람
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<뉴욕타임스> 선정 베스트셀러
1999 by Tenzin Gyatso, the fourteenth Dalai Lama of Tibet
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책머리에
열여섯 살에 나라를 잃고 스물넷의 나이에 망명객이 된 나는 살면서 많은 어려움을 겪었다. 
일반적으로 윤리에 따라 행동하는 사람들이 그렇지 않은 사람들보다 더욱 행복하고 만족스러운 삶을 살아간다고 나는 생각한다. 따라서 우리의 생각과 감정을 새롭게 바꾸고 그것에 따라 행동할 수 있다면 고통에 더욱 쉽게 대처할 수 있을 뿐 아니라 고통이 생기는 것을 처음부터 막을 수 있다. 
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제1부 행복의 근원 / the foundation of ethics
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1장 행복을 원하는 사람들 / modern society and the quest for human happiness
산업사회에서는 더러운 물이 아니라 스트레스 때문에 질병이 생긴다.
도시화와 함께 조화로운 삶도 사라졌다.
우리가 해야 할 일은 전통적인 <공동체의 조화와 평화>를 누리는 동시에 오늘날 우리들이 누리는 <물질적인 발전>을 충분히 받아들이는 방법을 찾는 것이다.  
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2장 영적 혁명을 이루는 길 / no magic, no mystery
사람들이 종교를 믿든 믿지 않든 큰 문제가 안된다는 결론을 내렸다. 그보다 중요한 것은 사람들 각자가 좋은 인간이 되는 것이다. 
<Shen pen kyi sem: 다른 사람들을 도와주려는 생각> 영적인 수행은 타인의 행복에 관심을 가지고 행동하는 것이다. 또한 더욱 쉽게 타인을 위해 행동할 수 있도록 자기 자신을 변화시키는 것이다. 이것이 바로 영적인 수행의 의미이며, 더이상이 설명을 덧붙이는 것은 쓸데없는 짓이다.
<kun long : 깊은 곳으로부터>  쿤 롱은 우리의 행동을 일으키는 것, 우리가 직접 의도한 행동과 무의식적인 행동이 모두 포함된다. 그것은 개인의 전반적이 <마음의 상태>를 의미한다. 영적인 수행의 목적은 개인의 쿤 롱을 바꾸어 완전하게 만드는 것이다. 너그러움이 넘쳐나는 상태, 잃어도 고통스럽지 않은 상태로.
3장 서로 의존하는 관계에 있다 / dependent origination(因緣)  and the nature of reality
<Ten del : 서로 의존하는 관계>
우리는 습관적으로 자아를 다른 사람들과 구별하지만 그것은 사실 과장된 생각이다. 
자신과 타인은 오직 관계의 관점에서만 이해할 수 있기 때문에 자아의 관심과 타인이 관심은 가까운 관계에 있다. 
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4장 지속적인 행복을 얻는 방법 / refinding the goal
감각을 영원히 만족시킬 수는 없다. 내면의 고통은 대부분 충동적으로 행복을 추구하기 때문에 생긴다.
내가 말하는 마음의 평화는 다른 사람들에 대한 관심에 바탕을 두고 있으며 상당히 민감한 느낌을 갖고 있는 상태를 말한다. 
윤리적 행동은 다른 사람의 행복을 방해하지 않는 행동이고, 영적인 행동은 다른 사람의 행복에 대한 관심이 바탕에 깔려 있는 사랑, 자비심, 인내, 용서, 겸손, 관용 같은 마음을 갖는 것이다. 영적인 행동은 자신에게 이득이 되고 우리의 삶을 의미있게 만든다. 
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5장 인간의 가장 소중한 감정 / the supreme emotion
<shen dug ngal wa la mi so pa : 다른 사람의 고통을 참고 볼 수 없다>
<nying je : 자비, 사랑, 애정, 친절, 다정함, 관대하고 따뜻한 마음, 연민, 친밀감 /= 겸손, 동정>
행복한 엄마는 행복한 아이를 낳는다. 우리는 다른 사람들의 감정을 고려해야 한다. 이런 자세를 바탕으로 인간은 감정이입compassion이라는 타고난 능력을 발휘할 수 있다.
제2부 행복한 삶의 조건 / ethics and the individual
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6장 자제력의 가치 / the ethic of restraint
훈련이 안 된 마음은 코끼리와 같다. 
<nyung mong : 내면으로부터 오는 고통, 고통을 주는 감정 affective emotion 煩惱, 貪瞋癡> 고통을 주는 감정은 우리에게 대담성과 힘을 주는 것처럼 가장하고 다가오지만 그것은 본질적으로 맹목적인 에너지다. 대체로 분노는 사람의 대담성보다는 나약함을 보여준다. 
우리가 평화로운 마음을 갖고 행복해지려면 부정적인 생각과 감정에 대해 이성적이고 냉철하게 생각할 뿐 아니라 그런 감정에 빠지려는 마음을 억제하는 습관을 길러야 한다. 마음의 평화는 행복한 사람의 중요한 특징이다. 이런 의미에서 나는 거친 코끼리처럼 훈련되지 않은 마음을 길들이라고 말하는 것이다. 
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7장 공덕을 쌓는 법 / the ethic of virtue
<so pa : 인내, 결단, 부정적인 생각과 감정이 생길 때 신중하게 대응하는 것, 부정적인 충동에 굴복하지 않는 것> 로퐁 라는 감옥에서, 간수들에 대해 자비심을 잃을 것 같아 두려웠다고 말했다.  소 파는 침착하고 평화로운 마음을 균형있게 발전시키게 하고 사람들을 증오하는 일이 줄어들고 더욱 즐거운 마음으로 인간 관계를 맺게 한다. 그 결과 사람들이 호의적인 느낌을 갖고서 더욱 쉽게 자신에게 다가오게 된다. 
사람을 절망감에 빠뜨리는 것은 대부분 그가 직면한 실제 상황이 아니라 상황에 대한 그의 생각이다. 그런 감정에 대응하는 긍정적인 성격만이 우리의 마음을 보호할 수 있다.  
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8장 고귀한 자비심 / the ethic of compassion
진정한 자비는 자신을 해치는 사람을 포함해서 모든 생명을 가진 존재에게 친밀감을 느끼는 것이다. 그들이 행복해지도록 도와주면 우리도 행복해질 수 있다.
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9장 고통과 마주할 때 / ethics and suffering
고통은 본질적으로 피할 수 없으며 사실 모든 존재에게 일어나는 자연스러운 일들이다. 
고통은 <카르마 : 행동, 업보>의 결과다. 고통에 대해 어떤 자세를 갖느냐에 따라 우리는 고통을 매우 다르게 경험한다. 
문제를 무시하거나 술이나 마약에 빠지고 문제에서 도망치는 수단으로 명상이나 기도를 할 수 있다. 그렇게 행동한다면 잠시 마음의 안정을 얻을 수 있겠지만 문제는 그대로 남을 것이다. 
문제를 해결할 방법이 없음을 알게 된다면 그것 또한 걱정할 필요가 없다. 어떻게 해도 상황을 바꿀 수 없다면 걱정해도 소용없기 때문이다. (산티데바, 인도의 성자)
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10장 올바른 분별력 / the need for discernment
행복에 대해 내가 주장하는 권리와 다른 사람이 주장하는 권리가 부딪칠 때 그것을 조정하는 수단이 윤리다. 
일반적으로 우리는 자신의 마음을 통제할 수 있기 때문에 마음(쿤 롱, 전체적인 마음의 상태)은 행동의 윤리성을 판단하는 데 가장 중요한 요소다. 핵심 원칙은 자비심(compassion)과 통찰력(insight)을 갖는 것이다. 윤리의 영역에서 분별력(critical faculties)을 갖는다는 것인 자신의 행동과 동기에 책임을 진다는 의미다. 
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제3부 행복한 사회를 만들기 위하여 / ethics and society
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11장 보편적 책임감이 깃들인 사회 / universal responsibility
<chi sem : 보편적인 의식, 보편적인 책임감, 타인의 행복에 대한 관심
행복을 바라는 다른 이들의 권리를 존중하는 방향으로 나의 행동을 바꾸지 않는다면 오래지 않아 부정적인 결과에 부딪힐 것이다. 
인간의 의식 곧 마음이 역동적으로 움직이며 다양한 역할을 한다.  
환경문제는 개인이나 한 나라의 힘으로 해결할 수 없기 때문에 서로 도와야 한다는 생각도 커지고 있다. 
화해의 정신을 통해 비폭력적으로 분쟁을 해결해야 한다는 인식도 확산되고 있다. 
인간의 보편적인 권리를 인정하고, 인간의 다양성에 대해 보다 폭넓은 시각으로 바라볼 필요가 있다. 
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12장 지혜로운 실천 / levels of commitment
보편적인 책임감을 키우는 것과 더불어 우리는 구체적인 일에서 책임감을 갖는 사람이 되어야 한다. 실천으로 옮기기 전에 원칙은 원칙으로 남아 있을 뿐이다. 일상생활 속에서 자비를 베풀려고 노력하라. '대단한 일이 아니라 자신이 할 수 있는 일을 하자.'
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13장 건강한 사회 / ethics in society
진정으로 윤리적인 생활은 다른 사람의 소망을 먼저 생각하고 그들의 행복을 고려하는 것이다. 
부정적인 생각과 감정에 건설적으로 대처하여 평화로운 마음을 갖는다면 우리는 말 그대로 세상을 바꿀 수 있다. 

교육은 아이들이 다른 사람들의 삶과 권리에 눈을 뜨게 해주는 것이다.
궁극적으로 타인에 대한 관심은 말이 아니라 행동으로 배우는 것이므로 어른들의 모범이 되어야 한다. 

교육에 대한 제안. 
  • 첫째, 청소년들에게 사회문제를 순전히 윤리적 또는 종교적 문제로 말하지 않는 것이 좋다. 그 문제가 우리의 생존을 위협하고 있다고 강조해야 한다. 
  • 둘째, 학생들은 수업시간에 대화하는 법을 배워야 한다. 논쟁이 될 만한 주제를 주고 토론하게 하는 것은 문제를 비폭력적으로 해결할 수 있다는 생각을 심어주는 훌륭한 방법이다. 
  • 셋째, 아이들의 교과서에서 다른 사람들을 부정적으로 묘사하는 내용을 반드시 빼야 한다. 

아이들이 자신의 문화에 뿌리를 두는 것은 중요하다. 그러나 편협한 민족주의나 자기 집단 중심주의, 종교적 배타성으로 발전한다면 위험한 일이다. 

자연은 우리의 집이다. 어린 아이 같은 인간이 무슨 짓을 해도 어머니 지구는 인간의 행동을 묵묵히 참아주었다. 이제 어머니 지구는 참는 데도 한계가 있다고 우리에게 경고하고 있다. 인간은 지구를 파괴할 힘을 가진 유일한 종이다. 인간이 지구를 파괴할 능력을 갖고 있다면 지구를 보호할 능력 또한 갖고 있을 것이다. 자연환경은 고칠 필요가 없다. 
고쳐야 하는 것은 자연에 대한 우리의 행동이다. 

그들은 하늘에서 떨어진 사람들이 아니다. 
어느 나라의 정치인들이 부패했다면 그것은 그 사회에 도덕성이 없고 사회 구성원들이 비윤리적으로 살고 있음을 보여준다. 
이런 경우 유권자가 정치인을 비난하는 것은 공정하지 않다. [?]
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14장 비폭력은 결코 나약하지 않다 / peace and disarmament

폭력을 행사하면 반드시 고통이 따른다. 
오늘날 인간이 서로 의지하면서 살아간다는 것은 너무나 분명한 사실이다. 따라서 우리에게 의미가 있는 평화는 오로지 세계 평화이다. 
진정한 평화는 단지 전쟁이 없는 상태가 아니다. 진정한 평화는 서로에 대한 이해해서 생기는 <안정감>, 다른 사람의 입장에 서는 <관대함> 그리고 타인의 권리에 대한 <존중>에 토대를 두고 있다. 
진정한 평화는 서로를 적대하는 가운데 유지되는 위태로운 균형보다 
심오하며 궁극적으로는 <내면의 갈등을 어떻게 해결하는가>에 달려 있다. 

세계평화를 이루려면 군대를 폐지해야 한다. 
우리 모두가 내면으로부터 무장을 해제할 때, 즉 부정적인 생각을 물리치고 긍정적인 생각을 키울 때, 외부의 군비 축소를 위한 조건을 만들 수 있다. 
우리들 각자가 자신의 내면을 바꾸려고 노력할 때 지속적이고 진정한 세계평화가 가능할 것이다. 고통을 주는 감정은 분쟁을 일으키는 촉매제다. 
다른 사람들에게 깊은 관심을 갖고 그들이 자신과 마찬가지로 행복할 권리를 갖고 있음을 깨닫고 그들에게 고통을 주는 행동을 하지 말아야 한다. 

국제연합의 약점은, 국가들이 모이는 회담은 있지만 일반 시민들의 목소리, 다시 말해 자기 정부에 반대하는 사람들의 주장을 들을 수 있는 구조가 없다는 것이다. 윤리적 입장에서 이를 감시하는 단체로 <세계시민위원회, World Council of the People>를 제안한다. 그 협의 결과는 세계의 의식(the conscience of the world)을 나타내며 어떤 이데올로기도 신봉하지 않으므로 도덕적인 권위를 갖게 될 것이다. 
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15장 현대 사회에서 종교의 역할 / the role of religion in modern society

철학이나 형이상학적인 이유로 어떤 종교가 다른 종교보다 낫다고 주장하는 것은 의미가 없다. 정말 중요한 것은 그 종교가 어떤 개인에게 적합한가 하는 것이다. 

개인의 경우에는 유일한 진리와 유일한 종교가 있을 수 있다. 
하지만 전체적인 인간 사회의 관점에서는 다양한 진리와 다양한 종교를 받아들여야 한다

스스로에게 이렇게 물어야 한다. 단순히 그 종교의 문화적 의식적인 면에 호감을 갖는 것은 아닐까? 아니면 근본적인 가르침에 끌리는 것일까? 
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16장 오른손이 하는 일을 오른손도 모르게 하라 / an appeal

당신 스스로를 여행자라고 상각하라. 우주 공간에서 지구를 본다고 생각해 보라. 지구는 아주 작고 하찮게 보이겠지만 너무나 아릅답다. 
우리가 지구에 머무는 동안 다른 사람을 해치면서 진정 무엇을 얻을 수 있겠는가? 
마치 이웃집을 방문한 것처럼 조용히 쉬면서 즐기는 것이 바람직하고 합리적이지 않는가? 
그러므로 지구에서 쉬는 동안 잠시 시간이 난다면 아무리 작은 일이라도 고난받는 사람들을 도우려고 노력하라. 
무덤에서는 당신도 그와 똑같은 모습일 것이다. 
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Ethics for the New Millennium

2022/12/16

일본적인 종말기 시설을 목표로 하는, 아소카 비하라·클리닉

영화 『좋은』 시리즈



【취재】일본적인 종말기 시설을 목표로 하는, 아소카 비하라·클리닉
2012.11.29 | 댓글(0)  | 트랙백(0)




"비하라"라는 말을 들었습니까?

사람이 최후를 맞이하는 장소로서,
「호스피스」라고 하는 말은 (들)물은 적이 있는 분은 많다고 생각합니다만,
「호스피스」가 원래는 그리스도교 정신에 의해 만들어진 종말기 시설이라고 정의한다면 예,

【「비하라」는 「불교판 호스피스」】됩니다.

"비하라 (vihāra)"는
산스크리트어로 스님, 사원 또는 안주 · 휴양 장소를 의미하며,
현대에서는

【말기 환자에 대한 불교 호스피스, 또는 고통 완화와 치유의 지원 활동】

합니다.



'호스피스'는 1973년 일본에 처음 도입된 이래
서서히 확대해 현재는 200곳 이상으로 늘어나고 있는 반면,

「비하라」는 현재,
국내에서는 니가타현 나가오카시와 교토부 성양시의 2곳만이 됩니다.


【불교의 목적은, 「생로병사의 고통을 극복하는 것」】

에 있다고 되어 있습니다만(간략화해 죄송합니다),
현대에서는, 불교적 활동이 거의 「장례」에 한정되어 버리고 있다,
라고 하는 반성으로부터,

「비하라」라고 하는 시설을 개입시켜, 사람이 최후의 때를 맞이할 때에,
[불의 길에 할 수 있는 것은 무엇인가],를 탐험되고 있는 것 같습니다.

요 전날, 교토에 있는 「아소카 비하라・클리닉」에 방문해,
훌륭한 경험을 했으므로, 여러분에게 보고하고 싶습니다.



※ 최후를 맞이하는 분들이 살고, 여행하는 병실입니다. 매우 아름답습니다.

교토역에서 남쪽으로 약 1시간.

성양시에 자리한 「아소카 비하라 클리닉」은,
정토진종 본원사파에 의해, 2008년에 설립되었습니다.

니가타현에 있는 「나가오카니시병원 비하라병동」에 이어,
국내에서는 2번째의 비하라 시설이 됩니다.

맨 위의 사진을 보시고 아시다시피,
외관에서는 「절」이라는 분위기는 없고, 어느 쪽이라든가,
「예술적인 구조를 한 병원」이라는 인상입니다.

만 19 층으로 직원은 약 25 명.

닥터, 간호사, 스님, 소셜 워커, 영양사 등
다양한 스킬을 가진 분들에 의해
완화 케어를 중심으로 한 팀 의료가 진행되고 있습니다.

비하라는 종말기 시설이기 때문에,
치료를 하는 「큐어」라고 하는 것보다, 완화 의료에 의해 통증을 완화시키는 것으로,
보다 인간적인 생활을 영위하면서 마지막을 맞이하기 위한 「케어」에 중점이 놓여져 있다 합니다.

불교 시설이지만, 종교의 차이는 전혀 묻지 않고,
원장은 불교도가 아니고, 당연히, 권유되는 일도 없습니다(웃음).



※ 신호리 사장과. 매우 밝고 건강하고 개방적인 여성!



비하라는 사람의 여정을 배웅하는 시설이기 때문에,
의료 종사자 분들에게의 정신적인 부담은, 때로는 큰 것이 됩니다.

보통, 죽음과 마주하는 일이 많은 의료 종사자는,
환자와는 적절한 거리를 유지한 후에,
감정적인 깊숙이를 지나치지 않게, 대처할 수 있다고 (듣)묻습니다.

매일의 생활 속에서, 당연히, 환자분과 마음을 통하게 하는 일도 많아지고,
만약 죽거나, 병상이 악화하거나 하면,

당연히 슬프고 괴롭고 고통스럽다.

이러한 상황 속에서 프로로서 지장없이 업무를 해내고
환자의 지원을 계속하기 위해서는
그러한 대응도 필요한 것은 잘 알 수 있습니다.

이것은 좋은 나쁘지 않습니다.
의료 종사자 분들도 인간입니다.




그러나 내가 "아소카 비하라"에서 놀란 일 중 하나는

======================================
의료 종사자도 눈물을 흘리는 일을 주저없이,
울고 싶을 때는 울자는 자세를 관통하고 있다
==================================== ==

일입니다.

시설에 있던 분이 돌아가시면, 모두로 울고,
고인의 가족을 초대해 이별회를 합니다.

죽은 후는, 통상, 시신은 장례가에 의해 옮겨져,
통야, 장례식으로 운영되기 때문에,
의료 시설에서 이별회를 하는 것은, 우선, 없을까라고 생각합니다.

이것도 "아소카 비하라"의 특징 중 하나입니다.

※ 이별회가 행해지는, 비하라·홀

이와 같이 감정에 솔직하게 마주하면서도
지속적으로 그리고 긍정적으로 일을 계속해가는 것은 힘든 일이 아닐까 생각합니다만,

「아소카 비하라 클리닉」에서는 스탭 간의 서포트 매우 중요했습니다.


경애하는 재택 호스피스 의사의 오자와 타케 슌 선생님이

「누군가를 지지하고자 하는 사람이야말로,
제일, 지지를 필요로 한다」



그리고 평소부터 말씀 드리고 있습니다 만,

======================================
최고의 서비스를 제공하기 위해서도
의료 종사 사람 사이에서 지지하는 자세는 매우 중요하다
====================================

같아요.


※ 스탭이 혼자 될 수 있는 방도 준비되어 있습니다.

이것은 의료 종사자 뿐만이 아니라,
영상을 만드는 우리들도 같고, 가족도 그렇고,
어떤 일에도 공통된다고 생각했습니다.

※ 아소카 비하라 클리닉에 관한 블로그

【취재】일본적인 종말기 시설을 목표로 하는, 아소카 비하라・클리닉


【취재】의료자와 종교자가 협업하는 날

【취재】비하라 승려에 의한 일본적 종말기 시설의 「미의식」

【취재】「싫은 날은 매우 많았지만 필요없는 날은 하루도 없었다」

【취재】「죽는 모습을 보이는 것은, 부모가 할 수 있는 마지막 육아」

감독·아버지
호다 토모

카테고리 : 호스피스, 완화 케어, 간호 ,
영화 『계속, 함께. 』
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영적 케어의 케어 모델의 검토 - 심리 요법 · 정신 요법의 지견으로부터

영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


요코야마 유키


1. 소개


"근대 호스피스의 어머니"라고도 불리는 영국의 의사 C. 송더스에 의하면, 생명을 위협하는 질환에 직면하면 "많은 환자가 자책이나 죄의 감정을 가지고, 자신의 존재에 가치가 없어졌다고 느낀다 , 때로는 깊은 고통 속에 빠진다고 한다(1). 송더스는 그러한 환자의 고뇌를 영적 창고라고 명명하고, 현대 의료의 틀 안에서 선구적으로 영적 케어를 실천한다. 우리나라에서도 1980년대 이후, 송더스의 활동을 모델로 영적 케어가 시도되게 되어, 호스피스나 완화 케어 병동을 중심으로 영적 위상에 대한 눈빛이 침투해 간다(2). 현재는 영적 케어의 사상적 기반의 정비나 영적 케어 전문직의 양성, 또한 평가 툴의 개발 등도 진행되고 있다.


본 논문에서는 이러한 정신 케어의 케어 모델에 대해서, 그 임상적인 타당성을 심리 요법·정신 요법의 지견으로부터 검토한다. 여기서 말하는 심리요법·정신요법이란 임상심리학이나 정신병리학, 정신분석학 등의 틀에 준거한 대인원조활동 전반을 말한다. 관견에서는 일본의 영적 케어 케어 모델은 주로 미국의 임상 목회 교육과 개별 논자의 철학적 견해에 따라 구축되어 있으며, 심리 요법 · 정신 요법의 원조 스타일과 이론은 반드시 참조됩니다. 그렇지 않다(3). 그러나 심리치료·정신요법에는 수많은 케어모델이 축적되어 있는데다, 스피리츄얼케어와 마찬가지로 종말기 환자를 대상으로 한 사례도 볼 수 있다. 그러므로 심리치료·정신요법의 지견을 참조하는 것이 영적 케어의 케어 모델 구축에 도움이 될 것으로 생각된다.


그런데, 정신 케어의 케어 모델에 대한 종래의 비판은 의료화의 문제를 향한 것이 주였다. 의료화란 「다른 사회 영역(종교, 가족, 법 등)에 속한다고 여겨지고 있던 사건이 의학의 관할하에 놓여져 가는 것」을 의미하지만(4), 영적 문제조차도 의학의 관할하에 놓여 의학적 치료의 대상으로 되어 버리는 것이 많이 우려되어 왔다(5). 특히 의료화의 경향의 현저한 예로서 종종 지적되는 것이 통증이 없는 편이 좋다고 하는 발상, 즉, 「스피리츄얼 페인은 해소해야 한다」라는 발상이다. 예를 들어, 안도 타이지는 원래 영적 창은 신체적, 사회적, 심리적 통증처럼 "그 원인을 제거함으로써 해소되는 통증"이 아니라 "원래 인간 존재 자체에 본질적입니다. 에 포함되어 있는 것”이라고 하고(6), 그것을 다른 통증과 마찬가지로 해소하려고 하는 것은 영적 차원의 “왜소화”라고 비판한다(7). 안도에 의하면, 영적 차원에는 「『생의 건너편』으로부터의 시선」이라고 하는 초월적 요소나(8), 「보다 깊게 병, 아픈 사람이야말로 구제나 해탈에 가깝다」라고 한다 역설도 제기되고 있기 때문에(9), 영적 페인은 없는 편이 좋다.


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종교 학년보 XXXIV


확실히 우리나라의 임상 현장에서 중심적으로 참조되고 있는 케어 모델은 영적 페이인의 해소를 주장하는 것이며, 그 한계에서는 의료화의 흐름이 영적 케어를 둘러싸고 있다고도 말할 수 있다(11). 그럼에도 불구하고 영적 창고를 제거하는 치료의 목적은 어디까지나 "자율성의 회복"과 "살아있는 의미의 회복"과 같은 상위 목적에 따라, 또는 그들과의 밀접한 상호 연관 우리가 조치를 취하고 결코 단독으로 영적 치료를 향한 것은 아닙니다. 영적 케어의 케어 모델을 검토하기 위해서는 당연히 그러한 모든 목적을 시야에 포함시켜 영적 케어를 포착해야합니다. 반대로 말하자면, 정신 창의 해소라는 목적만을 추출하고 반박했다고 해도, 반드시 정신 관리의 기본적인 방향성에 재고를 촉구하기에는 이르지 않을 것으로 생각된다.


이상의 점을 감안하여, 본 논문에서는 우리나라에서 전개되고 있는 영적 케어 이론 중에서, 영적 케어의 목적으로 내거지고 있는 내용을 망라적으로 정리하고, 그 임상적인 타당성을 마음 이치료·정신요법의 지견으로부터 검토한다. 케어의 목적이 케어 모델 전체의 방향성이나 틀을 규정하는 것이며, 그러므로 최초로 검토해야 할 사항이라고 할 수 있다.


유, 본 논문에서는 임상적 타당성을 검토하는 것이지만, 원래 무엇을 보다 임상적으로 타당하다고 본 것인가, 하는 판단 기준을 정하고 있지 않다. 그렇다고 하는 것도, 그러한 판단 기준은 구체적인 임상 장면에 따라서 변하지 않을 수 없고, 게다가 그러한 개별의 장면에 대해서도, 결국 무엇이 맞았는지, 라고 하는 최종적인 판단은 다루기 어렵다고 생각된다 에서이다. 그 의미에서 임상적 타당성이라는 개념의 내실은 정확히 무엇이 임상적으로 타당한지를 반성적으로 계속 음미하는 것이라고 해도 말할 수밖에 없다. 본 논문의 과제인 영적 케어의 케어 모델의 검토도 심리치료·정신요법의 지견을 끌어내는 것으로 “무엇이 임상적으로 타당한가”라는 질문을 보다 다각적으로 파종하려는 시도 그리고 결코 영적 케어와 심리요법·정신요법 중 어느 것을 보다 타당하다고 판단하는 것은 아니다, 라고 하는 것을 부언해 두고 싶다.


2. 영적 케어는 무엇을 목적으로 하는가


본 절에서는 우리나라에서의 영적 케어론 중 대표적인 것을 다루고, 그들이 영적 케어의 목적으로 내걸고 있는 내용을 정리한다. 유, 여기서 다루는 것은, 스피리츄얼 페인이나 스피리츄얼 케어라고 하는 용어에 대해서 독자적인 정의를 실시하고 있어, 의약·간호의 임상 현장에서 사용되고 있는 이론에 한정한다. 구체적으로는, 쿠보지 토시유키, 타니야마 요조, 무라타 히사유키, 오시타 다이고, 오카모토 타쿠야, 타니다 겐토시, 코니시 타츠야, 이토 타카아키, 후지이 미와의 9명의 스피리츄얼론으로부터 케어의 목적에 관한 서술을 추출해 , 순차적으로 간결하게 살펴보기로 한다.


<쿠보지 슌지> 쿠보지에 의하면, 스피리츄얼 케어는 “특히 죽음의 위기에 직면해 인생의 의미, 고난의 의미,


사후의 문제등이 묻기 시작했을 때, 그 해결을 인간을 넘은 초월자나, 내면의 궁극적 자기를 만나는 중에 찾아낼 수 있도록 하는 케어」이며, 또 「보이지 않는 세계나 정서 적·신앙적 영역 안에서 인간을 넘어선 새로운 의미를 찾아 새로운 '존재의 틀', '자기 동일성'을 깨닫는다'(12). 게다가 쿠보지는 “스피리츄얼 케어에서는 신불과의 관계를 각성하고 강화하는 것이 중요하다”고 하며(13) 초월적 존재와의 연결을 반복하여 강조하고 있다. 그러한 연결의 구축이 “위기에 직면하여 흔들리는 자신”을 받아들이고(14), 자기 동일성을 회복하는데 기여한다


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


라고 생각되고 있는 것이다(15). <다니야마 요조>


타니야마는 스피리츄얼 케어를 “인간을 통해 느낄 수 있고 표현되는, 불가시·불가지한 기능에 초점을 맞추면서, 상호 내면의 역동성에 의해 자신다움의 안정·회복이나 성장을 지원하는 것”이라고 정의하고 (16) 그 다음에 현실적 차원, 내적 차원, 초월적 차원의 3개의 영역에 걸쳐 케어 대상자의 자기를 둘러싼 요소를 세고 있다(17). 타니야마에 의하면, 그 여러 요소야말로 「자신의 안정·회복이나 성장」을 위한 원천이며, 그 원천으로부터 지지를 얻으려고 하는 「스피리츄어리티의 번개」를 감득하면서 「대상 자의 생각을 지지·명확화·대치하는 것이 스피리츄얼 케어라고 한다(18).


<무라타 히사유키>


무라타는 종말기 환자의 영적 창을 시간성, 관계성, 자율성의 3 차원으로 설명


하고있다. 즉, 종말기 환자는 「죽음의 접근에 의해 장래를 잃는다. 또한 “죽음의 접근으로 타인과의 관계를 잃는다”는 이유로 “아이덴티티의 상실, 외로움, 삶의 무의미함이라는 영적 창을 체험한다”(20). 그리고 “죽음의 접근에 의해… 21). 무라타는 이러한 영적 창작이 창출되는 구절에 근거하여 “그 고통을 완화시키는 케어의 지침”을 제시한다(22). 즉, 첫째로 「환자 자신이 원조자와의 대화로부터 『죽음을 넘은 장래를 발견한다』가 가능하다면, 그 장래를 목적으로 하는 새로운 현재의 의미가 회복될 것임에 틀림없다. ". 둘째, “환자 자신이 원조자와의 대화에서 “죽음을 넘은 타인을 찾아내”는 것이 가능하다면, 다른 사람과의 관계로부터 새롭게 자기 존재의 의미가 주어질 것이다 ". 셋째, 환자가 원조자와의 대화에서… 감을 회복할 수 있을 것임에 틀림없다”(23). 따라서 무라타에게 있어서의 영적 케어란, 관계성·자율성·장래성의 상실을 동정하고, 그 상실된 것을 재획득시킴으로써 “자기의 존재와 사는 의미의 회복”을 시도하는 것으로 있다고 말할 수 있다(24).


<오시타 다이코> 오시타는 스피리츄얼 페인을 “살아가는 의미를 잃고, 절망, 비관, 고독감 등에 괴롭혀


분의 생명의 행방에 시달리거나, 가족이나 친한 사람과의 관계성에 과제를 안거나 하는 고뇌」라고 해, 스피리츄얼 케어를 「스피리츄얼 페인을 내재하거나 혹은 호소하려고 하는 클라이언트(케어의 대상 자)에 대해, 케어를 제공하는 측(원조자, 영적 케어 워커, 테라피스트 등)이 함께 그 실태를, 자연, 타연, 법연의 통합적인 영역으로부터 밝히고, 고뇌로부터의 해방 , 해탈에 이르는 영업”이라고 한다(25). 게다가, 아래는 "정신 창 (통증 · 고뇌)을 가진 클라이언트의 영적 케어는 자연 (자기의 존엄성)을 인식하고 자신을 지원 해주는 타연 (인연이있는 타인의 힘)과 “자신을 큰 삶에서 포섭하고 있는 법연의 힘에 의해 희망과 사는 힘을 증대시켜 나가는 것”이라고도 말한다(26).


〈오카모토 타쿠야〉 오카모토는, 스피리츄얼 페인을 “개인에 있어서, 그/그녀가 놓여 있는 상태와


가 안고 있는 신념체계와의 조화가 무너져서 생기는 괴로움”이라고 정의하고(27), 영적 - 179 -




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케어는 "그 부조화가 해소·예방되는 방향으로 일하는 행동"이라고 말하고 있다(28). 또한 그 일은 “그 사람이 자신의 현실을 받아들일 수 있을 만큼의 힘을 가진 신념체계로 그 사람의 신념체계의 변용을 촉구하거나 신념체계를 강인화하거나 하는 방향에서의 관계”라고 한다(29).


〈다니타 헌슌〉 타니다는, 스피리츄얼 페인에는 「『인생의 의미 짓기』의 붕괴 혹은 재구축을 강요받을 것


'에 대한 고통'과 ''주위와의 연결'이 단절되는 것으로부터 생기는 고통'을 들 수 있다고 하는데(30), 이들에 대한 영적 케어의 방법으로서, 「인생의 의미」에 대해서는 이야기 요법은 “주위와의 연결”에 대해서는 커뮤니케이션을 중시한다고 말한다(31). <코니시 타츠야>


코니시는 영적 케어를 “영적 클라이시스시의 주체적 삶의 지원”이라고 정의하고 있다(32). '스피리츄얼 크라이시스'란 '인생의 시련에 직면하여 자신이 살아가는 의미나 존재가치를 발견할 수 없게 된 상태'이며, 보다 구체적으로는 세계관과 가치관, 살아있는 보람 을 지원하는 기초적인 '빌리프'(=신념이나 가정)가 어떤 이유로 기능부전에 빠져 있는 상태를 가리킨다(33). 그러므로 영적 케어에서는 이 기능부전에 빠진 빌리프를 「재구축」하는 것이 요구된다고 한다. 즉, 케어 대상자의 기분이나 생각을 정리하는 것을 서포트해, 「라이프・히스토리」등의 인생의 되돌아 가는 것으로, 빌리프를 「의식화」해 나간다. 이에 따라 기존 빌리프가 재검토되고 새로운 빌리프가 재구축된다고 한다(34).


<이토 타카 쵸> 이토는 영적 치료를 "초월성"과의 관계 패턴이 불안정해질 때


어떤 방식으로 그 불안정에 대처하는 방법”이라고 정의하고(35), 그리고 그 대처하는 방법의 내실은 “환자 자신이 그 창을 받아들여 고민 고통, 극복하거나 받아들이는 혹은 거부하는 과정을 지원하는 것이라고 말한다(36).


또한 이토는 케어 실천자가 케어 대상자를 객관적으로 관찰하고 일방적으로 개입하는 자연 과학적 방법에 근거한 「진단형 케어」와 케어 실천자와 케어 대상자의 상호 관계에 기초하여, “그 순간 그 자리에서의 관계의 질”을 추구하는 “대화형 케어”를 구별한 후(37), 영적 케어의 본령은 “다른 인식론적 지평에 사는 두 사람이 관계 속에서 자기 의 지평과 상대의 지평과의 차이를 의식하면서, 그 차이를 풍부하게 경험하는 것을 통해, 어느 쪽의 지평도 아닌 새로운 장소를 창출한다” 대화형 케어에 있다고 한다(38). 스피리츄얼 케어의 목적은 2인칭적 관계의 창출·실현이며, 상대의 이야기를 듣는 것으로 「케어 실천자의 마음이 흔들리는 것」 자체에 있다는 것이다(39). 또한 이토는 “마음이 흔들리는 것”을 상대의 이야기가 “기억과 마음에 새겨져, 청취자의 마음의 혈육이 된다”라고 바꿔 말하고(40), 그것을 케어 제공자가 케어 대상자의 「증인」이 되는 것으로 자리 매김하고 있다(41).


<후지이 미와> 후지이는 스피리츄얼 페인을 “살아가는 의미를 발견할 수 없는 고통이며, 또 자기, 타자,


자기를 넘어서는 어떤 관계와 속에서 자기 존재를 발견할 수 없는 고통”이라고 정의하면서(42), 동시에 그러한 영적 창은 고통받는 사람 자신의 “주관적 의미”의 문제이다


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


그러므로 “다른 사람의 개입”에 의해서 해결을 보는 것은 없다고 주장한다(43). 후지이에 의하면, 타인의 영적 창에 대답을 낼 수 없는 이상, 할 수 있는 일은 「고대함」뿐이며(44), 할 수 있는가 하는 질문을 받는 것, 즉 자신의 가치관을 다시 묻는 것에 의해 가능해진다”고 한다(45). 또 후지이는, 「「할 수 있는」전문직자로서는 아니고」 「『할 수 없는』 한 사람으로서 그 사람 앞에 서 있다」 이것이 아무것도 할 수 없는 자기에게 직면하고 있는 케어 대상자에게 다가가는 것이라고 말한다(46). 스피리츄얼 케어의 목적은, 상대방 앞에서 스스로가 「아무것도 할 수 없는 것을 받아들이는 것」 그 자체에 있다는 것이 후지이의 소론이다(47). 영적 케어의 목적


이상, 쿠보지, 다니야마, 무라타, 오시타, 오카모토, 타니다, 코니시, 이토, 후지이의 9명의 영적 케어론을 개관해 왔다. 다시 각 논자가 영적 케어의 목적으로 내걸고 있는 내용을 정리해 보면,


○ 타인과의 연결의 회복 (다니야마, 무라타, 오시타, 타니다) , 타니다, 코니시) ○ 초월적 존재 · 궁극적 차원과의 연결 회복 (쿠보지, 오시타) ○ 세계관 · 가치관 · 신념 체계의 조정 · 재구성 (오카모토, 코니시)


○자율성이나 장래성의 회복(무라타)


○희망이나 사는 힘의 증대(대하)


○고뇌로부터의 해방(대하)


○대화(이토)


○ 다가오는(후지이)라는 점을 들 수 있다. 언뜻 보면, 영적 창고의 해소에 머무르지 않는 다양한 적극적 요소가 포함되어 있음을 알 수 있다. 또한, 이들 중에서도 '대화'와 '접착'이라는 두 가지 목적은 다른 목적과 비교하여 이질적이라고 할 수 있다. 그 이유는 다른 목적이 모두 케어 대상자에 관한 서술이 되고 있는 것에 비해, 이 2개의 목적은 오히려 케어 제공자측의 태도·자세에 중점을 두었기 때문이다. 그러므로 이하에서는 이 2개의 목적을 다른 목적과 편의적으로 구별하고, 우선 다른 8개의 목적으로부터 검토해 나가기로 한다.


3. 영적 케어 목적의 임상적 타당성 1


본 절에서는 심리치료·정신요법의 지견에서 전절에서 본 정신케어의 목적의 임상적 타당성을 묻는 것을 시도한다.


자기 동일성의 안정화, 신념 체계의 조화


우선 「자신다움이나 자기 동일성의 회복・성장・안정화」와「세계관・가치관・신념체계의 조정・재구축」이라는 2개의 목적을 다루고 싶다. 이들이 케어에서 목표로 하는 경우, 거기에는 당연히 '나'는 '보다 안정적인 것', '더 성장하고 있는 것', '보다 현실적으로 적응적인 세계관을 가지고 있는 것 "갈등이나 분열이 없는 신념체계를 가지고 있는 것"이 ​​바람직하다는 상정이 인정된다. 이러한 상정에 대해 정신분석학이나 융파심리학에서는 다양한 이론이 주창되어


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왔다. 예를 들어 정신분석가인 DW 위니콧은 CG 융의 '자기'와 그 상징으로서의 '만다라'의 관념에 다음과 같은 의의를 제기하고 있다(48). “만다라는 나[위니콧]에게는 정말 무서운 것 같다. 그것은 파괴성이나 혼돈이나 무통합 disintegration이나, 그 밖의 여러가지 광기와 협조를 붙이는 것에 실패하고 있다. 그것은 무통합으로부터의 강박적 도망이다”([] 안은 필자에 의한다. 이하 동일)(49). 즉, 융은 혼돈과 분열에 대해 지나치게 방어적이며 '자기'='만다라'에 대한 그 고집도 혼돈이나 분열에 대한 방위에 다름없다는 것이다. 그러나 위니콧에 의하면, “인생은 살 가치가 있다고 느끼게 한다”는 것은 통합된 자기가 아니라 창단성이다(50). 그리고 창의성은 "놀이", 즉 "주관적인 것과 객관적으로 인식되는 것 사이의 중간 영역"에서 "착각 illusion"을 확장함으로써 활성화되기 때문입니다 (51 ), 본질적으로 "불확실한" 성격을 가진다(52). 따라서 위니콧이 말하는 '살아가는 가치'는 통합성이나 질서와는 대조적으로 착각과 불확실성의 영역에 요구된다.


또, 원형적 심리학의 창시자 J. 힐만은, 인격의 통합성이라는 관념에 차이를 주장하고 있다. 힐맨에 의하면 융은 '자기'라는 통합된 전체성을 우선하기 위해 마음의 복수성·다원성을 멸시해 버리고 있다. 융에 한정되지 않고, 서양의 심리학은 통합성이나 전체성에의 직선적인 발달 단계를 조치하는 「일신교적 심리학」이며, 「단편화나 자기 분열」에 강한 편견을 안고 있기 때문에 있다 (53). 그러나 '혼'에는 '다중심성'이 갖추어져 있으며(54), '어떤 인격도 본질적으로 다수적이다'(55). 그러므로 힐만은 중심성과 통합성을 요구하는 일신교적 심리학에 대치하는 형태로 다신교적 심리학으로서의 원형적 심리학을 조치한다. 원형적 심리학에서는 영혼에 존재하는 모든 원형적 이미지가 자율적으로 전개되고 깊어지는 것에 가치가 놓여지는 것이며, 그 전개를 특정의 중심으로 수렴시켜 버리지 않는 것이야말로 가 영혼에 대한 배려라고 생각되는 것이다(56).


혹은, 융파의 분석가 A. 구겐부르=크레이그도, 안정성이나 통합성이라고 하는 관념의 허구성을 지적하고 있다. 구겐부헬에 의하면, 현대의 많은 「신화」는 「모순의 없음」에 달라붙고 있다. 예를 들어, 인간은 의식화를 통해 스스로의 「살인적·자살적 측면」을 약화시킬 수 있고, 「보다 높은 것, 보다 선한 것」에 접근해 갈 수 있다고 하는 「진보 신화」가 있지만 (57) 실제로는 개성화라든지 의식화하든 직선적으로 진보하는 것이 아니라 「중심에 가까워졌을까 생각하면 다시 거기에서 멀어질까」하는 「중심을 둘러싼 무용」에 불과하다( 58). 마찬가지로 사람은 나이가 들면서 성숙한다는 '노현자' 신화도 허구하다. 실제 노인은 "결핍, 쇠퇴, 질병, 치매, 집합적 무의식과의 접촉의 상실, 그리고 마지막으로는 죽음에 의해 특징지어진다"라는 매우 불안정한 존재이다. 그럼에도 불구하고, “우리는 노인의 심리요법과 돌보는 일에... 우리는 항상 모든 것에 관심이 있고 많은 것에 참여하고 싶어합니다.” 구겐뷰르는 이러한 '노현자' 신화에 의한 전제를 '노후자' 신화로 보상할 것을 제안한다. 즉, 노인에게 “이런 노인”이 되는 자유를 주는 것, “병, 노쇠, 마침내 죽음이 그들을 공포로 채울 수 있다”는 축복을 주는 것이 노인을 “생의 싸움” 부터 멀리서 내적으로 자유롭게 살 수 있게 한다는 것이다. “노련자는 바로 기분에 따라 웃거나 울거나 해서 좋다. .


이러한 논자들은 어떤 의미에서 "나"는 안정적인 것이 바람직하다는 규범적 인식의 자명


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


성을 탈구시키려 하고 있다. 즉, "나"는 결코 안정적 일 필요는 없으며 일관된 신념 체계를 가질 필요도 없다. 오히려 '나'나 세계관은 본래 다수적이고 분열된 것이다. 이러한 주장으로부터 들여다 보면, 「자신다움이나 자기 동일성의 회복・성장・안정화」나 「세계관・가치관・신념 체계의 조화・재구축」이라고 하는 목적은, 케어 대상자의 본연의 자세를 안정 성이나 무결성 안에 둘러싸여 버리는 위험성을 망치고 있다고는 말할 수 없을까. 인생의 의미와 생명의 재건


「인생의 의미나 생명의 재구축」이 케어의 목적으로 되는 경우, 거기에서는 역시, 「인생의 의미·생명을 찾아내는 것이 바람직하다」라고 하는 규범적 인식이 전제로 되어 있을 것. 실제로 쿠보지는 "살아 있는 의미는 곤란이나 고난 중에서도 찾아낼 수 있는 것이다. 환자가 어려움이나 고난이 있기 때문에 사는 의미가 없다고 해도 그것을 정면에서 받을 필요는 없다"고 말하고 있다 (60). 관견에서는 심리요법·정신요법의 영야에서도 이러한 인식에 대한 직접적인 비판이 이루어지고 있는 것은 아니다. 그러나 임상 사례를 살펴보면 환자는 반드시 생명을 찾는 데 이르지 못하고(61) 오히려 인생의 의미 등 모르고 끝난 것이 더 자연스럽다고 생각할 여지도 없는가? . 특히 인생의 의미가 언어적·지적으로 탐구되는 것으로 상정된다고 하면, 트랜스퍼소널 심리학자의 S. 그로프가 말하는 바와 같이, 그것이야말로 “원시 프로세스의 역동적인 흐름이 방해 되어 저지되고 있는 것을 가리키는 징후”라고도 할 수 있다. 그로프에 의하면, (언어적·지적인 의미의 탐구에 의하지 않고) 정서적·생물학적 체험을 통해서만 사람은 “인생을 정당화”할 수 없는 것이다(62).


혹은 힐만은 “거기[정신병원]에서는 생명을 보호하고 자살을 예방할 목적으로 모든 종류의 심한 심리적 모욕이 병든 영혼을 '정상화'하기 위해 사용된다'고 적고 있다 (63). '사는 의미와 생명의 재구성'은 이 '심리적 모욕'으로서의 '정상화'라고도 할 수 있다. 덧붙여서 힐맨은 “문제는 자살에 찬성하거나 반대가 아니며, 그것은 마음에 있어서 무엇을 의미하는가”라고도 말한다(64). 이에 따라 '인생의 의미와 생명의 재구성'이 목적화될 때, 케어 대상자가 느끼고 있는 살아 있는 의미가 없는 것이 케어 대상자의 마음에 있어서 무엇을 의미하는가, 라는 질문 가 등한으로 되어 버리는 것이다.


타인과의 연결 회복 영적 케어 론에서는 종종 다른 사람들과의 연결이 실질적으로 도덕적 가치를 지닌다.


하고 칭양되고 있다. 특히 타니야마나 오시타의 케어 이론에서는, 타인과의 연결은 「인연」으로서 이해되고, 「궁극적으로는 모든 존재가 「나」와 일체」라고도 주장되고 있다(65). 다른 사람들과의 관계에 대한 이러한 긍정적, 도덕적 인식은 케어의 방식에 어떤 영향을 미칠 것인가?


후지이는 자기 존재의 의미가 2인칭 관계에서 발견된다고 한다. '어머니가 필요하다'는 것은 딸에게 '당신'이라는 관계성을 가진 어머니의 존재가 살기에 필요하다는 것을 의미한다.”라고 말한다(66). 그러나 확실히 그러한 2인칭 관계가 부정적 양상을 띤 가능성은 충분히 생각된다. 정신분석가인 M. 르노는 “상애의 슬픔”에서의 무의식적 죄책감에 대해 다음과 같이 설명하고 있다. 즉, “우리가 가장 사랑한 사람은 또한 우리의 자유를 침해하고 우리의 나르시시즘에 제한을 가함으로써 우리가 미워한 사람”이다. 게다가 그러한 "인간의 영혼의 깊은 양가성"이 분명해지는 것은 "죽음에 가까워질 때"뿐 아니라 "많은


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애정이나 만족을 준 사람이 죽고 그 사람의 죽음을 견딜 수 없는 경우, 동시에 그 사람은 무의식에 있어서 자주 '그 사람 뭔가 없어지면 좋다'고 바라던 사람이기도 하다” 이다 (67). 따라서 배려와 부드러움으로 가득한 헌신적 행위 뒤에 공격성 억압과 무의식적 죄책감에 대한 방어가 있다는 것이 충분히 예상된다(68). 또한 이러한 정신분석적 해석가설에 의하지 않고도 양가성이나 이율배반은 심리치료 일반에 있어서 인간의 경험을 특징짓는 것으로 중시되고 있다(69). 구겐 뷰르(Gugenbuil)는 “가장 고귀한 행위도 사심 없는 맑은 동기와 이기적인 어두운 동기 모두에 근거한다”(70). 연결을 사랑이나 자비로만 해석하는 언설에는 그러한 모순이나 양가성에 대한 인식이 부족하고, 모든 음성 감정을 양성 감정 뒤에 은폐해 버리는 위험성이 있다.


자율성이나 장래성의 회복, 희망이나 살아가는 힘의 증대 「자율성이나 장래성의 회복」이나 「희망이나 살아가는 힘의 증대」라고 하는 목적하에서는, 상실이나 절망은


기본적으로 부정적인 것·극복해야 할 것으로 간주되고 있다. 예를 들면 무라타 이론에서는 '죽음의 접근'에 의해 잃어버린 것을 되찾는 것, 혹은 그 상실의 정도를 '최소화'하는 것이 케어의 목적으로 되어 있다(71). 대부분의 이론에서도, 영적 케어에 의해 환자는 「보다 크게 고차적인 의식 상태를 획득」하고, 「존엄성」이나 「희망」의 방향으로 성장해 가는 것으로 생각되고 있다(72).


하지만 자율성, 미래성, 희망의 회복에 가치를 두는 것이 진료의 본질로서 정말로 적절한가? 심리학자의 야 아직 환영은 '능동성'과 '획득 과정'을 중시하는 심리학 이론(발달 이론)은 현대적인 산업화와 생산 우선에 강하게 연동한 가치로 규정되어 있다고 지적하고 하지만 (73), 영적 케어도 비슷한 규정을 받지 않았을까? 정신분석가의 키타야마 슈는 “포기”라는 심성에 관해 다음과 같이 말하고 있다. "그들 [서양인]은이 "포기"를 부정적으로 파악하고 있으며, 큐블러 - 로스의 "죽는 순간"에서도 사람이 죽을 때의 "포기"에 부정적이다. 그려지는 죽음의 임상 모델에서는 '포기'는 패배이며 '수용'이라는 지침으로 주체성의 발휘가 나타난다'(74). 기타야마는 '우울한'이나 '하카나사'에 대한 일본적 미의식과의 관계에서 '포기'에는 '패배' 이상의 긍정적 뉘앙스가 포함되어 있음을 시사하고 있지만 자율 성과 장래성의 회복이라는 목적은 이러한 "포기"라고 길항하는 것처럼 보인다. 즉, 영적 케어론에서는 어디까지나 주체성이나 획득 과정에 일의적인 가치가 놓여 있는 것 같다. 그렇다면 카미야 미에코의 다음과 같은 술회에 대해, 영적 케어론은 어떻게 대답할 것인가――「원래 인간은 사회에 도움이 되지 않으면 살고 있는 의의가 없는 것일까. 『자립』이나 생명을 느끼는 것, 타인으로부터 인간으로 인정받는 것이, 인간이 살아가는 의의에 절대적으로 빠뜨릴 수 없는 조건일까? 심지어 몸을 앓고 있는 사람들과, 태어난 성격이나 나쁜 환경 때문에 살아 있는 의미를 자신도 느끼지 못하고, 타인도 인정하기 어려운 사람들이라고 하는 것은 적지 않은 것이다」(75). 자율성에 고유한 가치를 두고 회복 가능성을 원리적으로 전제하는 케어 모델에서는 이러한 사람들의 '살아 있는 의의'를 찾아내는 것은 곤란할 것이다.


또한 힐맨은 “개인이 '아래로 내려가는' 것을 허용하지 않는 사회는 자신의 깊이를 발견할 수 없기 때문에 '성장'이라는 표정으로 눈을 돌리고 있는 조적인 기분장해라는 자아비대한 상태로 언제나 머무를 수 없다”고 말했지만 (76), 희망의 증가에는이 "조잡한 기분 장애"가 포함됩니다.


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


드물지 않은가? 힐맨에 의하면, 디프레션, 즉 범죄 희망과는 대성적인 「힘의 없음」이나 「무게」의 심적 상태야말로, 「깊이」에 이르고 영혼을 찾아내는 통로이다. 희망에 초점을 맞추는 것은이 통로를 닫는 것과 같습니다.


고뇌에서 해방


“고뇌로부터의 해방”이라는 목적에 관해서는 항상 그 정도가 문제가 될 것이다. VE 프랭클은 “만약 철저하게 불편이 줄어들거나 철저하게 고통이 제압되는 일이 있다면 고통까지도 제압된다면 그것은 자기 자신을 포기하는 것과 같습니다. 아니. 예를 들어, 융파 분석가 W. 기게리히는 “심리요법의 과제는 어려움의 제거를 요구하는 것에 존재하지 않는다. 하지만 반대로 어떻게 해서 본래적으로 진정으로 어려운 상황에 들어가는가가 과제가 된다”고 말하고 있다(78). 또한 완화 케어를 전문으로 하는 심리치료가인 키시모토 히로시는 다양한 환자와의 만남을 회고하여 “고통을 없애는 것이 아니라 고통이 가득한 곳에 행복감이 찾아온다”고 가르쳤다. 이렇게 생각한다”고 말하고, “『행복감』을 목표나 목적으로 설정하는 것이 아니라, 고통을 함께 한다는 것을 오로지 행해 가는 것이, 역설적이면서, 병과 「행복감」을 연결하는 길이 되지 않을까?”라고 적고 있다(79). 두 가지 주장 모두 고뇌로부터의 해방이라는 목적을 상대화하는 시점이 될 수 있다. 초월적 존재 · 궁극적 차원과의 연결 회복


과연 “초월적 존재·궁극적 차원과의 연결의 회복”은 영적 케어의 목적으로 타당한가? 정신과 의사의 H. 코닉은 영성 (및 종교)이 환자와 그 가족의 웰빙에 미치는 부정적인 영향으로 믿음을 공유하지 않는 다른 사람들 사이에 긴장과 부조화가 발생하거나 신앙에서 요구되는 미덕을 충분히 고치지 못하고 자기 책책이나 낙담이 생기는 등을 들고 있다(80). 후지이도 그리스도인인 딸이 아픈 어머니에게 “예수 그리스도를 믿고 천국에 가길 바란다” “믿으면 더 편해질 수 있다”라는 말을 걸어 신앙을 확립할 수 없는 어머니를 정신적으로 쫓아버린다는 사례를 보고하고 있지만(81), 초월적 타자와의 관계성은 쿠보지나 오시타가 상정하도록 독점적으로 치유나 지지가 되는 것은 아니다. 또한 초월적·궁극적 관심이 강화됨으로써 일상적이고 현실적인 일에 대한 눈빛이 희미해지는 사태도 생각할 수 있다. 힐만의 영향을 강하게 받고 있는 호스피스 의사 M. 카니는 표층 surface 즉 신체적·심리적·사회적인 증상에 관련된 일과 심층 depth 즉 영혼의 차원에 관련된 일과의 관계에 대해 표층이야말로 심층에 이런 길이며, 영혼 차원의 경험이란 사실, 표층적인 케어에 의해 초래되는 매우 단순하고 일상적인 생활과의 연결이 다름없다고 말하고 있다(82). 궁극적 차원과의 연결의 강조는 그렇게 말하자면 표층적 차원과의 연결의 중요성을 경시하게 될 위험성을 지니고 있다고도 말할 수 있다. 영적 치료의 목적에 포함 된 임상 적 문제


이상과 같이, 심리요법·정신요법의 지견을 참조하면, 거기에는 영적 케어에서 내거는 목적(규범적 인식)과는 대조적인 목적(규범적 인식)이 산견된다. 여기에 (전통적인 영적 케어 이론과 같이) 케어 대상자가 어떤 상태에있는 것이 바람직한지를 유일하게 정하는 위험과 그 위험을 피하기 위해 유용한 시점이 부상하는 것이다. 그리고


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이 시점에서 '대화'와 '접착'이라는 두 가지 목적은 케어 대상자에 관해 어떤 상태가 바람직한가 하는 판단을 보류하고 있는 것으로 보인다. 적어도 "대화"와 "접착"에는 2자 심리학적 상호작용에 대한 시점이 포함되어 있으며, 일방향적인 규범적 인식을 통해 케어 대상자의 상태를 문제화하는 것으로부터는 면제 있기 때문이다. 그 대신에, 케어 제공자의 존재 방식에 관해 명확한 바람이 말해지고 있다. 그러므로 그 희망의 임상적 타당성을 묻는다.


4. 영적 케어 목적의 임상적 타당성 2


우선 '대화'와 '모습'으로 어떠한 케어의 본연의 방법이 상정되고 있는지를 다시 그려내고 싶다. 첫째, 「대화」이지만, 이토에 의하면, 스피리츄얼 케어는 「대화형 케어」이다. 거기에서는 케어 제공자로부터 케어 대상자에게의 「진단」이나 「치료」가 행해지는 것이 아니고, 어디까지나 「존재론적으로는 등가」인 둘이 대화를 통해 「새로운 장소」를 창출하는 것 가 시도된다(83). “기타자[케어 제공자]와의 관계성 속에서 대화를 통해 스스로의 이야기를 '지금'으로 끌어내는 것이 현대인의 영성의 표현'이며, '이야기를 살아가는 주인공으로서 이야기자와 그 이야기에 의해 자신의 인생이 흔들리는 청취자와의 관계에는 케어의 힘이 있다.”(84) 따라서, 케어 대상자뿐만 아니라 케어 제공자 자신도 대화 속에서 크게 영향을 받는 것이며, 바로 그 「자신을 이야기하는 것」에 의해 「청취자가 마음을 흔들어 준다」라는 경험에, 영적 케어의 본령이 있다고 여겨진다(85).


한편, 후지이가 말하는 '대결'에 있어서는, 케어 제공자가 케어 대상자에게 「무언가를 한다」는 발상이 철저히 척척된다. 「무언가를 한다」, 혹은 「무언가를 할 수 있다」라고 하는 자세로 케어 대상자에게 임하는 것은, 「아무것도 할 수 없는 자신에게, 여전히 존재 의미를 찾아내는 무거운 과제에 마주하고 있다」케어 대상자와 사이에 분리를 낳기만 하기 때문이다(86). 케어 제공자는 오히려 자신의 한계를 받아들이고 '할 수 없는' 한 사람으로서 케어 대상자 앞에 서야 한다. 「고대하는」이란 「자신의 가치관을 묻고, 눈앞의 사람을 있는 그대로 받아들이고, 아무것도 할 수 없는 것을 양해한 뒤에, 거기에 있는 것」이며, 「전문직자 는 아니고, 한 사람의 인간으로서의 과제”이다(87). 후지이에 의하면, 그러한 사람이 함께 해주는 것으로, 살아가는 의미나 존재가치에 관한 「주관적 의미화」의 「큰 도움이 된다」라고 한다(88).


어떠한 목적에 있어서도, 케어 제공자 자신이 자신의 마음을 흔드는, 자신의 가치관을 재검토되는, 스스로의 한계에 직면하게 된다고 하는 경험에 열려 있는 것, 바꾸어 말하면, 전문직 사람으로서의 진단적·분석적인 태도를 괄호에 넣어 가능한 한 생신의 인간으로서 상대를 만나는 것이 중시되고 있다고 말할 수 있다. 케어 대상자의 자기 이야기의 창출이나 「주관적 의미」라고 하는 작업도, 생신의 인간으로서의 만남(관계성)을 조건으로, 또 그러한 만남을 통해서 촉진될 것으로 생각되고 있다.


그런데 이러한 케어 모델은 C. 로저스가 그려내는 대인원조 관계에 가깝게 보인다. 로저스는 그 논문 「테라피에 의한 퍼스널리티 변화를 필요로 하여 충분한 조건」에 있어서 건설적인 퍼스널리티 변화가 일어나는 6개의 심리학적 조건을 내걸고 있지만, 그 중에서도 테라피스트의 태도에 관하여 는 「일치 congruence」 「무조건의 긍정적 관심


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


없는(89). 실제로 정신분석에서 핵심 치료의 계기로 간주되는 전이에 대해서도 로저스는 “클라이언트 중심 심리 임상가의 전이에 대한 반응은 그 클라이언트의 다른 모든 태도에 대한 반응과 동일하다. 심리 임상가는 이해하고 받아들이려고 노력하는 것이다”라고 말하고 분석적 해석의 필요성을 부정하고 있다(90). 로저스에 의하면, “세라피스트가 직업상의 건설이나 개인적인 가면을 모르고 그 관계 속에서 자신이 있을수록 그만큼 클라이언트가 건설적으로 변화하고 성장할 가능성이 있다 높아진다”이고, 심지어 그렇게 자기의 내면에 접근한 치료사가 “거기에 존재하고 있는 presence”라고 하는 것만으로, “클라이언트에 있어서 해방적이고, 원조적이 되고 있다”라고 하기 때문에 있다 (91). 이것은 "대화"와 "접착"이 지향하는 케어 모델과 매우 유사하다고 할 수 있다.


그러나 우리나라에서의 심리요법·정신요법의 역사를 되돌아볼 때, 거기에는 로저스파의 현저한 퇴조가 보인다. 안무라 나오미에 따르면, 로저스파는 “정신 발달이나 증상 형성, 정신 병리의 메커니즘 등을 역동적으로 설명하는 것을 거의”하지 않고, 또 “테라피스트가 자신을 무시하고 클라이언트의 말을 단지 오로지 받아들이고, 앵무새 반환을 반복하고 있으면 된다는, 극단적으로 수동적이고, 아마추어라도 할 수 있는 테라피라고 하는 비판을 초대했기 때문에, 「자신은 로저스파라고 전문가의 모임의 그 안에서 공언하는 것이 터무니없는 분위기까지 '생산한 것이다(92). 이 치료사 (케어 제공자)의 수동성 및 아마추어 성에 대한 비판을 더 자세히 살펴보면, 예를 들면, 미하라 히로시는 로저스 카운슬러가 클라이언트를 "있는 그대로" 이해하려고 시도하고, 클라이언트에 영감을 준다. 그러므로 고객의 승인과 호의로 이어지는 답만을 할 수 없는 경향이 있다고 지적하고 있다(93). 또, 카와이 하야오는 로저스파의 수용이라는 말에 대해, 서양에서는 「카운셀러의 자아를 무너뜨리지 않는 것을 자명한 것으로 하고 있다」에 대해, 일본에서는 「카운셀러의 자아를 무너뜨릴 때까지」클라이엔 극단화된 이상적 수용의 어려움을 앞두고, 결국은 앵무새 반환과 같은 형식적 수용에 빠지게 되는 치료사가 많다고 적고 있다. 94). 혹은 기무라 토시는 로저스파(인간학파)에 있어서의 진단의 경시는 「기본적으로 잘못」이라고 하고, 「치료가 표면적인 대증 요법의 한계를 다소라도 넘어, 병든 인생 그 자체에 눈을 향하고자 한다면, 그 병태의 본질이 어디에 있는지에 대한 통찰과 거기에서 필연적으로 나오는 진단 행위는 불가피한 의학적 영업이 된다”고 주장하고 있다(95). ). 이러한 비판을 요약하면 로저스 케어 모델은 케어 대상자와 케어 상황을 이해 (진단)하는 이론적 틀이 없으며 로저스 카운슬러


심리요법·정신요법의 영야에서는 이러한 로저스 비판을 거쳐 진단 및 그 틀 = 이론의 중요성이 다시 한번 설득된다. 그 중에서도 토이 켄로에 의한 「견해」론은, 그 후의 심리치료·정신요법의 진단관에 가장 영향을 미친 것의 하나이다. 토이에 의하면, 본래, 진단이란 치료 행위와 지속일 것인데, 실태로서는 단순한 병적 현상의 분류나 레텔 붙이기에 빠지고 있다. 그러한 상황을 벗어나기 위해서는 진단과 치료를 연결하는 개념적 틀 = '견해'가 상정되어야 한다. 토지의 정의에 따르면, 「평가」에는 다음의 4개의 특징이 인정된다. 첫째, '견해'는 진단인 동시에 치료적 작용을 가져야 한다. 둘째, 「평론」의 「가장 본질적인 부분」으로서 환자에 대해 「무엇을 알고 있어 무엇을 모르는가」


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의 구별을 붙인다는 행위가 있다. 셋째, “평가”하는 것에는 전문가와 환자의 관계 평가가 필연적으로 포함된다. 넷째, "평가"는 "시작하지 않고"계속적으로 이루어져야한다 (96).


여기서 유의해야 할 것은 이러한 '견해'의 여러 특징 중 '가장 본질적인 부분'은 '알고 있는 것과 모르는 것의 구별'이라고 여겨지고 있는 점이다. 토지는 다음과 같이 말한다. “자연적으로 일어나는 ‘모르는’ 감각뿐만 아니라 면접에 있어서는 더욱 판단을 적극적으로 정지함으로써 ‘모른다’ 감각을 풍양하는 것도 필요하다”(97), 혹은 “정신과적 면접 의 감옥은 어떻게 이 '모른다'라는 감각을 획득할 수 있는지에 달려 있다.” (98). 즉, 「평론」이란 「아는」영업이 아니라, 어디까지나 케어 대상자를 어떻게 「모르는」가를 의식화하는 역설적인 영업인 것이다.


또한 카와이는 "평가"에서 전문가와 환자 간의 관계 평가에 대해 다음과 같이 논의했다. 즉, "평가"는 항상 "치료자와 클라이언트 간의 인간 관계"를 그 안에 포함하고 "치료자의 주관적 관여"를 통해 이루어진다. 그러므로 “평가를 하기 위해서는 과학적 진단과 달리 치료자가 자기 자신을 얼마나 알고 있는가가 큰 요인이 된다”(99). 또한, 카와이는 "심리 요법을 수행한다는 것은 자신이 관여함으로써 어떤 의미있는 결과를 얻을 수 있다는 "평가"가 있었으며, 거기에 자신이 커밋합니다. 그렇다고 하는 결의가 있을 것이다”라고 말하고 있다(100). 이와 같이 씨하라도 「평가에는 이 사람을 클라이언트로서 맡는 것에 의미가 있는가」라는 카운슬러의 주관적인 음미가 포함되어 있다고 하며 「진단적으로는 절망적인 사람」 역시 “일할 가능성”을 보려고 하는 것, 궁극적으로는 “내일이 없어진 사람들과 만나는 것”에 의미를 찾아내려는 것이 “평가”라고 말한다(101 ). 즉, 「평가」란 케어 제공자의 주관적인 의미나 주체적인 참여를 필수로 하는 것이다.


게다가, "평가"에 대해 종종 지적되는 것은 그 모습의 양방향성을 포함한다. 여기서 말하는 양방향성이란, 「평가」가 케어 제공자의 측으로부터 뿐만이 아니라, 케어 대상자의 측으로부터도 행해지고 있는 것을 가리킨다(102). 예를 들어, 키시모토는 "단방향, 즉 치료자가 환자를 찾는 관계가 아니라 '상호 견해'의 관계에 있음을 인식해야한다"고 주장한다. 103). 아오키 세이 역시 ("평가"라는 용어를 사용하지는 않았지만) "클라이언트는 항상 치료자를보고 치료자라는 인간이 어떤 사람인지 평가하려고합니다. 잊어서는 안 된다. …… 그 때의 클라이언트의 관찰력과 평가 능력은 종종 치료자를 올라갈 수 있다”고 적고 있다(104).


이상과 같이, 심리요법·정신요법에 있어서는, 「모르는」의 의식화나 케어 제공자의 주체적 의미화, 혹은 눈부신 양방향성 등의 여러가지 요소를 「평가」 개념에 편입하는 것으로 그러나 진단적인 영업이 단순한 분류나 레텔 붙이에 빠지는 위험성을 회피하려는 노력이 이루어지고 있다. 그것은 다른 한편으로 진단적 영업을 배제하고 독점적으로 실존적 만남을 지향하는 로저스파의 진단 불요론의 극복이라고도 할 수 있다. 이러한 일련의 논의를 근거로 한다면, '대화'와 '고대감'은 로저스 비판이나 '견해'론의 전개를 고민하지 않은 채, 어느 정도 소박하게 로저스 회귀를 목표로 하고 있는 것처럼 보인다. 물론, 이토에 있어도 후지이에 있어, 어디까지나 스피리츄얼 케어의 일의적인 역할로서 로저스적인 대인원조 관계를 조치하고 있는 것이며, 결코 진단 불요론을


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


주창하는 것은 아니다. 그러나 후지이가 "궁극적인 고통을 마주할 때 전문직자에게 요구되는 것은 전문직자로서 자신을 놓아 혼자 인간으로서 그저 옆에 다가가는 것"이라고 말했다(105). ), 이토가 「진단형 케어」와 「대화형 케어」를 「전혀 차원이 다른 케어」로 위치시킬 때(106), 거기에서는 진단적 눈빛과 실존적 만남이 분리되어, 보기 상반되는 양자 을 어떻게 연결하는가 하는 '견해'론적인 시좌가 버려지고 있다. 즉, 이토와 후지이의 논의에서는, 영적 케어에서의 실존적 만남의 우위성이 강조될 뿐, 진단적 눈빛과 실존적 만남과의 밀접 불가분한 「얽힘」(나리타 요시히로)에 대해서는 언급이 없기 때문이다(107). 그러면 여기에 다시 로저스 비판과 같은 비판 - 진단적 눈부심이 부족하면 케어 대상자를 이해하는데 부족이 생기고, 케어 제공자가 스스로의 주체성을 발휘하는 것이 곤란해진다 그가 아닌가, 라고의 비판――이 부상하지 않을 수 없다. 인감, '대화', '고대'를 목적으로 하는 케어 모델은 진단적 눈빛과 실존적 만남의 상호 내재적인 관계, 혹은 진단적 눈부심의 ("견해"론적) 재검토에 의해 보상되지 않는다. 그러므로 반드시 임상적 타당성을 담보할 수 없다고 생각된다.


본절의 끝에 정신분석가인 마츠키 쿠니히로의 다음 지적을 그려두고 싶다. 마츠키에 의하면, 정신분석에 있어서의 여러가지의 전문적 기법은 “약간에 만능감이나 인간다움, 인간성이라고 하는 편리한 말로 처리하고 싶어지는 대인원조직에 있는 우리의 무의식의 소망충충적 발상, 예를 들어, 불행으로부터 구출하고 싶은 좋은 경험을 하고 싶은 좋은 임상가로 생각되고 싶고, 빨리 치료하고 싶은 등을 계명하는 것이기도 하다”(108). 영적 케어에서의 실존적 만남의 탐구에 얼마나 케어 제공자 측의 「무의식의 욕망 충족적 발상」이 포함되어 있는지는 확실하지 않다. 그러나 적어도 그 가능성을 계속 우려하는 것이 필요하다('계명'이 되는 여러가지 기법이 존재하지 않는 한 한층 더) 아닐까?


5. 끝에


지금까지 본 논문에서는 심리요법·정신요법의 지견을 끌어내면서 영적 케어의 목적의 임상적 타당성을 검토해 왔다. 그 결과, 스피리츄얼 케어의 케어 모델의 많지만 일의적인 「바람직한 상태」의 실현을 목적으로 내걸고 있으며, 또한 그 소망을 자명화해 버리는 경향이 있는 것이 인정되었다. 또한 '대화'와 '접착'이라는 목적에 관해서는 실존적 만남과 진단적 눈빛의 연속성·상보성에 관한 이론이 결여되어 있다는 점이 밝혀졌다.


그러나 이러한 문제점을 없애고 규범적 인식의 상대성과 실존적 만남과 진단적 눈빛의 연속성·상보성을 통합한 케어의 목적을 내걸려고 하는 것은 영적 케어의 영업을 갈등 가득한 상황에 몰두하는 것 같습니다. 왜냐하면 케어 대상자에게 있어서 무엇이 바람직한가를 일의적으로 정할 수 없다면, 케어 제공자 자신, 자신의 관계방식을 방향 붙이고 평가하는 기준이나 지표를 정할 수 없기 때문이다. . 또한, 「대화」와 「진단」, 「한 사람」과 「전문직자」의 쌍방의 역할을 동시적으로 맡으려고 하는 것은, 코고기 케이고가 말하는 「프로이트적 태도」와 「페렌치적 태도 '사이에 찢어져 있는 것과 같다(109). 그러면 케어의 존재 방식이 극단적으로 소극적인 것으로 되거나 한없이 미묘하고 언어화 불가능한 행위로서 신성화될 가능성도 부상한다. 그러므로 영적 케어의 임상적 역할을 가시화하는 케어 모델의 구축이 필요하다고 할 수 있지만, 어쨌든, 여기서는 상기 문제가 현재의 케어 모델


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에는 인정된다는 것을 지적하는데 둔다. 또는, 1 케어 대상자를 특정의 바람직한 상태에 둘러싸려고 하지 않고, 2 케어 제공자가 각종의 규범적 태도(실존적 만남과 진단적 모습) 사이에서 찢어지는 것을 회피하려고 하지 않는다 라는 부정적인 요건을 충족하는 것이 보다 임상적으로 타당한 케어 모델(케어의 목적)의 본질일지도 모른다. 그러나이 점은 사례 연구와 다른 다양한 케어 모델의 참조를 바탕으로 한보다 면밀한 고증이 요구될 것이다.



(1) C. 송더스, M. 베인즈(다케다 문화역) 『죽음을 향해 사는――말기암 환자의 케어 프로그램』의학서원, 1990년, 59쪽.


(2) 일본에서는 1980년대에 전국 각지에 시설 호스피스가 설립되어 1990년대에 완화 케어 병동이 의료보험제도에 통합되어 있다. 또한 2006 년 암 대책 기본법 제정 이후 완화 케어의 급격한 확충이 이루어지고있다. 또한 2012년에는 일본 스피리츄얼 케어 학회에 의해 「스피리츄얼 케어사」자격이 창설되어, 스피리츄얼 케어 자체의 제도화도 추진되고 있다.


(3) 실제로 임상 영양 케어 협회와 일본 영적 케어 학회는 모두 임상 목회 교육위원회 (Association for Clinical Pastoral Education)가 제공하는 프로그램에 준거하여 영적 케어 전문직을 양성하고 있습니다.


(4) 이치노가와 요시타카 『신체/생명』 이와나미 서점, 2000년, 47쪽.


(5) 카미야 아야코 「스피리츄얼 케어라고 하는 것」(칼·베커 편저 “생과 죽음의 케어를 생각


루」법장관, 2000년), 243쪽. 츠지우치 아야야 “스피리츄어리티의 잔조”(유아사 야스오·하루키 토요·타나카 아스미 감수 “과학과 스피리츄어리티의 시대――신체·기·스피리츄어리티” 빙·넷·프레스, 2005년), 53페이지.


(6) 안도 태지 「『병의 지식』의 가능성――프로페셔널리즘을 넘어」(『의학철학의학윤리』 제23권, 2005년), 76-79쪽.


(7) 안도 태지 「현대의 의료와 영성――생의 전체성에의 지향과 생의 단편화에의 흐르는 것과의 낡음까지」(국제 종교 연구소편 「현대 종교 2003」도쿄도 출판 , 2003년), 75쪽.


(8) 동상, 78쪽.


(9) 안도 타이지 "현대 의료 문화에서의 영성의 위상 영성의 의료


화를 비판하면서」(카루오 나오키편 『문화와 영성』 게이오 기학 대학 출판회, 2012년), 71쪽.


(10) 동상, 75쪽.


(11) 이러한 상황은, 스피리츄얼 케어의 담당자의 대부분이 의료 종사자인 것 2008년), 112쪽) 및 무라타 히사유키의 케어 모델이 의료 종사자들 사이에서 널리 받아들여지고 있는 것 ), 755쪽)에 의해 온다. 이 논문에서 자세히 설명했듯이, 무라타의 이론은 영적 창을 제거하는 데 중점을 둡니다.


(12) 쿠보지 슌유키 「스피리츄얼 케어학 개설」삼륜서점, 2008년, 58쪽. - 190 -




영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


(13) 쿠보지 토시유키 「스피리츄얼 케어」(이시이 기부편 저 『스피리츄얼 페인과 그 케어』 키리스트 신문사, 2015년), 99쪽.


(14) 쿠보지 슌유키 「스피리츄얼 케어학 개설」삼륜서점, 2008년, 62쪽.


(15) 쿠보지에 의하면, 초월적 존재와의 관계야말로 “나의 인생의 토대가 되어 나를 지지하고 만들기


하고 있다”라고 한다(동상, 23쪽).


(16) 다니야마 요조 "불교를 기조로 한 일본적 영적 케어 이론"(다니야마 요조 편 : "불교와 스피리


츄얼케어』 동방출판, 2008년), 23쪽.


(17) 구체적으로, 1명: 가족, 친척, 친구, 2거: 과거의 자신, 삶의 결과, 3 지금: 현재의 자신,


진정한 자신, 4: 미래의 자신, 삶의 과제, 5: 환경, 예술, 활동, 6: 우주의 진리, 자연의 섭리, 7 하나: 신, 불, 영, 내세, 8 조: 조상 , 죽은 가족·근친자·친구라는 8가지 요소를 들 수 있다(동일, 25-26쪽).


(18) 동상, 24쪽.


(19) 무라타 히사유키 "종말기 환자의 영적 창구 구분 해명에 대한 현상 학적 접근"( "교토


노트르담 여자대학 연구기요' 35권, 2005년), 128-129쪽.


(20) 동상, 129쪽.


(21) 동상, 129쪽.


(22) 무라타 히사유키 「종말기 환자의 스피리츄얼 페인과 그 케어――현상학적 접근에 의한


해명」(『완화 케어』 제15권 제5호, 2005년), 389쪽.


(23) 같은 쪽, 389-390면.


(24) 동상, 390쪽.


(25) 오시타 다이묘 편 저 『실천적 스피리츄얼 케어―― 간호사의 삶을 바꾸는 “자리 이타” 톱


롤러 간호사의 잠재력을 높인다/간호 케어에 활용할 수 있다」(일본 간호 협회 출판회, 2014년),


14 페이지.


(26) 동상, 57쪽.


(27) 오카모토 타쿠야 『아무도 가르쳐주지 않았던 스피리츄얼 케어』의학서원, 2014년, 153쪽.


(28) 동상, 177쪽.


(29) 동상, 177쪽.


(30) 타니다 겐슌 · 오시타 다이고 · 이토 타카 쇼 편 : 대화 · 커뮤니케이션에서 배운 영적


아――말과 이야기로부터의 실천』진단과 치료사, 2011년, 5페이지.


(31) 동상, 9 페이지.


(32) 코니시 타츠야 「그리프 케어의 기반으로서의 스피리츄얼 케어」(타카기 케이코 편저 「그리프 케어 입문――비탄의 어딘가에 있는 사람을 지지한다」 교초 서방, 2012년), 94쪽.


(33) 같은 쪽, 94-98쪽.


(34) 동상, 101-110쪽.


(35) 이토 타카 쵸 「영적과 종교의 관계


심볼의 역할」(다니야마 요조, 이토 타카아키, 쿠보지 토시유키 「스피리츄얼 케어를 말한다――호스피스, 비하라의 임상으로부터」간사이 학원 대학 출판회, 2004년), 50-53쪽.


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(36) 이토 고장 「팀 의료에 있어서의 스피리츄얼 케어」(쿠보지 토시유키·히라바야시 타카히로 편저 “스피리츄얼 케어를 말한다 계속--의료·간호·개호·복지에의 새로운 시점”간사이 학원 대학 출판회, 2009년), 51 페이지.


(37) 이토 타카히데 「스피리츄얼 케어의 3차원적 구축」(가마타 히가시니 기획·편 「강좌 스피리츄얼 학 제1권 스피리츄얼 케어」비잉·넷·프레스, 2014년), 20-21페이지.


(38) 동상, 34쪽.


(39) 동상, 35쪽.


(40) 동상, 36쪽.


(41) 타니다 겐슌 · 오시타 다이고 · 이토 타카 쇼 편 "대화 · 커뮤니케이션에서 배운 영적


아――말과 이야기로부터의 실천』진단과 치료사, 2011년, 31쪽.


(42) 후지이 미와 『사생학과 QOL』 간사이학원대학 출판회, 2015년, 189쪽.


(43) 동상, 190쪽.


(44) 동상, 191쪽.


(45) 동상, 192쪽.


(46) 동상, 193쪽.


(47) 동상, 193쪽.


(48) 윤에게 '자기'란 의식과 무의식의 양자를 포함한 마음의 전주, 즉 결코 십전에


의식화하는 것은 이루어지지 않는 '인생의 목표'로서의 완전성·통합성을 가리킨다(CG 융저·A. 야페 편 추억·꿈·사상 2』 미스즈 서방, 1973년, 271-272쪽).


(49) DW 위니콧(우시마 정신감역·쿠라히로자역) 『위니콧저작집 8 정신분석적 탐구 3 (어린이와 청소년기의 치료상담)』 이와사키학술출판사, 1998년, 186-187쪽.


(50) DW 위니콧(하시모토 마사오 번역) 『놀이와 현실』 이와사키 학술 출판사, 1979년, 91쪽. 여기서 말하는 창성성은 유아가 안고 있는 만능감에 유래하는 보편적인 감각을 가리킨다. 특히 유아는 유방을 원하면 어머니가 욕구를 느끼고 유방을 내보냅니다. 유아는 바로 지금 갖고 싶다고 하는 상태로 유방을 주어지므로 스스로 그것을 창조했다고 착각한다. 즉, 「어머니의 공감적 반응이 유아에게 만능감을 체험하게 한다」, 「유아는 만족의 체험을 창조하는 마술적 능력을 느끼는 것」(SA 글로르닉 ) 『위니콧 저작집 별권 2 위니콧 입문』 이와사키 학술 출판사, 1998년, 90쪽). 이윽고 외적 현실과 내적 현실의 구별이 이루어지면서, 유아는 이 만능감이 착각임을 깨닫게 되는 것이지만, 어쨌든 위니콧이 말하는 창성성이란 “빨간 "짱의 체험에 귀속하는 생활을 통해 유지되는 것" 감수·이와라 나리오·가미벳푸 케이코·사이토 카즈에역) “위니콧 저작권 3 가정에서 사회로” 이와사키 학술 출판사, 1999년, 28쪽).


(51) DW 위니콧(하시모토 마사오 번역) '놀이와 현실' 이와사키 학술 출판사, 1979년, 4쪽.


(52) 동상, 66쪽.


(53) J. 힐만(이리에 료헤이역) 『혼의 심리학』 청도사, 1997년, 318-319쪽.


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영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


(54) 동상, 318쪽.


(55) J. 힐만(가와이 슌오역) 『원형적 심리학』 청토사, 1993년, 92쪽.


(56) 영혼을 특정 중심으로 수렴시키지 않는다는 것은 다시 말하면 영혼에 대한 발달 단계를 생각한다.


결정하지 않는다는 것이다. 가와이 슌오에 의하면 “힐맨은 심리요법과 종교의 차이를 영혼(soul)과 정신(spirit)의 구별로 파악해 간다. 하지만 정신은 초월을 추구하여 높은 춤을 추고 목표를 목표로 한다. 하지만 영혼의 입장에서 보면 궁극의 목표는 없기 때문에 발달의 단계라는 것도 존재하지 않는다. 그러므로 원형적 심리학은 발달적 견해에 반대한다.”


(57) A. 구겐부에르 크레이그(야마나카 야스히로 감역) 『노우자 고――현대의 신화에 대한 고찰』 신요샤, 2007년, 78-82쪽.


(58) 동상, 105쪽.


(59) 동상, 109-127면.


(60) 쿠보지 슌유키 「스피리츄얼 케어학 개설」삼륜서점, 2008년, 62쪽.


(61) 예를 들면 오카베 켄은 다음과 같은 사례를 보고하고 있다. "T는 당시 결핵 수술 후 만성 호흡


부전 속에서 폐렴을 앓고 있었다. 나 [오카베]는 가래를 내기 위해 기관을 절개하고 인공호흡기관을 삽입한 상태로 집에서도 가래를 흡인할 수 있도록 했다. ......그러나 2년 남은 어느 날, T씨는 '이제 좋다'고 말했다. 젊고 열심히 하는 너를 보고 참으면서 치료를 받았다. 그러나 더 이상 치료는 바람직하지 않습니다. 자신의 결핵은 시베리아 억류 시대 이후로, 친구는 모두 시베리아에서 죽었다. 친구들과는 그 세상에 가지 않으면 만날 수 없다. 그걸 알아. 이 상태에서는 가족에게 폐를 끼치는 것만으로 자신에게 살고 있는 의미는 없다. 그러나 자살은 저항이 있다. 그러니까 삽입한 관을 떼어내 자연스럽게 체재해 줘. T씨는 그렇게 나에게 호소했다”(오카베 켄·타케노우치 유후미편·시미즈 테츠로 감수 “어떻게 살아 어떻게 죽는가--현장에서 생각하는 사생학” 궁전 서원, 2009년, 18페이지). 사는 의미는 반드시 죽는 의미와 다르지 않을까 하는 질문조차도 환기되는 국면이다.


(62) S. 그로프(요시후쿠 신이치, 호시카와 아츠시, 스가야스히코역) 『뇌를 넘어』춘추사, 1988년, 242쪽.


(63) J. 힐만(히구치 카즈히코·다케다 헌도역) 『자살과 영혼』 창원사, 1982년, 16쪽.


(64) 동상, 34쪽.


(65) 타니야마 요조 「스피리츄얼 케어의 구절 쿠보지 이론에 일본 불교자의 시점을 더한다」(쿠보지 슌


유키 · 히라바야시 타카히로 편 저 「스피리츄얼 케어를 말한다. 또, 이노우에 위말라는, 스피리츄얼 케어를 받으면 「자신을 용서해, 타자를 용서한다」 「『고마워요』와 감사의 말을 전한다」 (이노우에 위말라 「종말 의료에서의 「스피리츄얼 케어」의 가능성」) ), 92-93쪽). 어느 '사업'도 겉보기에 현저하게 도덕주의적이다.


(66) 후지이 미와 "생명 윤리와 영성 사생학의 관점에서"




종교 학년보 XXXIV


理의 종교와 영성』晃洋書房(2010년), 19쪽.


(67) M. 르노(카토 마코토) 「완화 케어――정신 분석에 무엇을 할 수 있을까」 이와나미 서점, 2004년, 26-


27 페이지.


(68) 똑같이, 27-28면.


(69)쿠와하라 토모코 「카운셀링으로 무엇이 일어나고 있는가――동사로 끈적끈적 심리 임상」일본평


논사, 2010년, 5페이지.


(70) A. 구겐빌=크레이그(히구치 카즈히코·안계 신이치역)


집의 <힘> 창조사, 1981년, 17쪽.


(71) 타무라 케이코 · 카와 마사코 · 모리타 타츠야 편 "간호에 살리는 영적 케어 가이드"아오카이 사, 2012


년, 41-42면.


(72) 오시타 다이묘 편 저 『실천적 스피리츄얼 케어―― 간호사의 삶의 방식을 바꾸는 “자리 이타” 톱


롤러 간호사의 잠재력을 높인다/간호 케어에 활용할 수 있다』일본 간호 협회 출판회, 2014년, 57


페이지.


(73) 야마토 요코 「평생 발달을 파악할 수있는 모델」(무토 타카시 · 야마토 요코 편


학 1 평생 발달 심리학이란 무엇인가――이론과 방법』 가네코 서방, 1995년), 74-91쪽.


(74) 기타야마 슈 “환멸론” 미스즈 서방, 2012년, 142쪽.


(75) 가미야 미에코 「케어에의 눈빛」 미스즈 서방, 2013년, 76-77쪽.


(76) J. 힐만(가와이 슌오역) 『원형적 심리학』 청토사, 1993년, 77쪽.


(77) VE 프랑크르(야마다 쿠니오·마츠다 미카역) 『고뇌하는 인간』 춘추사, 2004년, 24쪽.


(78) W. 기게리히(가와이 슌오역)


"("사상" 제759호, 1987년), 32쪽.


(79) 기시모토 히로시 『완화 케어라는 이야기――올바른 설명이라는 폭력』 창원사, 2015년, 139쪽.


(80) Harold G. Koenig, Spirituality in Patient Care: Why, How, When, and What (West


Conshohocken, Templeton Press, 2002), pp. 136-137.


(81) 후지이 리에·후지이 미와 『잘생긴 케어――병을 앓는 사람의 모습에』 생명의 말사, 2000


년, 58-59면.


(82) Michael Kearney, Mortally Wounded: Stories of Soul Pain, Death and Healing (New


Orleans, Spring Journal, 2007), p. 48.


(83) 타니다 겐슌 · 오시타 다이고 · 이토 타카 쇼 편 : 대화 · 커뮤니케이션에서 배운 영적


아――말과 이야기로부터의 실천』진단과 치료사, 2011년, 31쪽.


(84) 이토 타카히데 「스피리츄얼 케어의 3차원적 구축」


학 제1권 스피리츄얼 케어』비잉·넷·프레스, 2014년), 35페이지.


(85) 동상, 37쪽.


(86) 후지이 미와 『사생학과 QOL』 간사이학원대학 출판회, 2015년, 190쪽.


(87) 동상, 193-194면.


(88) 동상, 194쪽.


(89) Rogers, H. Karschenbaum, VL Henderson Hen (이토 히로시, 무라야마 마사하루 감독)


저즈 선집――카운셀러라면 한 번은 읽어 두고 싶은 엄선 33 논문상』성신서방, -




영적 케어의 케어 모델의 검토 -심리 요법·정신 요법의 지견으로부터-


2001년, 267쪽. 일치란 "자유롭고 깊게 자기 자신이며, 현실에 경험하고 있는 것이 자기 자신의 인식으로 정확하게 표현되어 있어야 한다"는 의미이며, 무조건의 긍정적 관심이란 "테라피스트가 클라이언트가 경험하고 있는 모든 국면을 그 클라이언트의 일부로서 따뜻하게 수용하고 있다는 경험을 하고 있다"는 것이다. 또한 공감이란 “클라이언트의 사적 세계를 그것이 자신의 세계인 것처럼 느끼고, 게다가 '마치......같이'라는 성질('as if” quality) 잃지 않는다”는 것이다(동일, 270-274쪽).


(90) C. 로저스(호사카 료, 모토미 쇼히코, 스에타케 야스히로 공역) 『클라이언트 중심 요법』 이와사키 학술 출판사, 2005년, 200쪽.


(91) 로저스 저·H. 카셴바움, VL 헨더슨편(이토히로·무라야마 마사하루 감역) “로저스 선집――카운슬러라면 한번은 읽어 두고 싶은 엄선 33 논문상”성신서방, 2001년, 165쪽 .


(92) 안무라 나오미 「공감과 자기 사랑의 심리 임상――코푸트 이론으로부터 현대 자기 심리학까지」창원사, 2016년, 88쪽.


(93) 씨하라 히로시 「카운슬러는 무엇을 하는 것인가――그 능동성과 수동성」창원사, 2002년, 133-137쪽.


(94) 가와이 하야오 「일본에서의 심리 요법의 발전과 로저즈 이론의 의의」(『현대의 에스프리』374호, 1998년), 183-184쪽.


(95) 기무라 토시 『기무라 토시 저작집 5 정신의학 논문집』 히로후미도, 2001년, 342-343쪽.


(96) 도이 켄로 ''응석'이론과 정신분석요법' 금강출판, 1997년, 174-176쪽.


(97) 도이 켄로 「신정 방법으로서의 면접――임상가를 위해서」의학서원, 1992년, 35쪽.


(98) 동상, 29쪽.


(99) 가와이 하야오 「임상 심리학 노트」금강 출판, 2003년, 17-19쪽.


(100) 동상, 18쪽.


(101)씨하라 히로시 「심리 임상의 입장에서」(씨하라 히로시·나리타 요시히로 공편 “임상 심리학 2


심리 평가; 배풍관, 2000), 18-19 페이지.


(102) 리 토시코 「퍼스트 스텝 심리적 원조――아이의 플레이 테라피로부터 사춘기의 면접


에서』창원사, 2011년, 30쪽.


(103) 기시모토 히로시 『완화의 마음――암 환자에 대한 심리적 원조를 위해』성신서방, 2004년, 113쪽.


(104) 아오키성 3「첫회 면접에서 필요한 정신의학적 지식」(『임상 심리학』 제1권 제3호, 2001년),


309 페이지.


(105) 후지이 미와 『사생학과 QOL』 간사이학원대학 출판회, 2015년, 191쪽.


(106) 이토 타카 쵸 "팀 의료에서의 영적 케어"


듀얼케어를 말한다.


2009년), 55쪽.


(107) 정신 요법가의 나리타 요시히로는 ​​경계 성 인성 장애가있는 환자와의 인터뷰를 통해 환자가 요구합니다.


'인간과 인간으로서의 관계'(실존적 만남)와 '의사와 환자의 관계'(진단적 눈빛)와의 '이중 관계'의 얽힘을 살아남는 것이 치료자의 역할인 것은 그렇지 않습니까?


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종교 학년보 XXXIV


고찰을 전개하고 있다(나리타 요시히로 『정신 요법의 깊이――나리타 요시히로 셀렉션』 금강 출판,


2012년, 114-117면).


(108) 마츠키 쿠니히로 『정신분석 임상가의 유의』 금강출판, 2010년, 23-24쪽.


(109) 코고기에 의하면, 프로이트적 태도란 「금욕 규칙 abstinence rule」 「분석의 숨어 analytic


incognito''중립성''수신성''의사로서의 분별' 등에 의거하는 지성 우위·합리주의적인 태도이며 페렌치적 태도란 '유연성' '인간적인 정서 교류' '애정의 '작은 일' 등을 중시하는 정서적이고 인간적인 태도이다(코이츠키 계고「프로이트 대 페렌치의 흐름」(『정신 분석 연구』 제44권 제1호, 2000년), 28-29 페이지).


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