新渡戸稲造『武士道』について【脚注】
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2016/10/10
新渡戸稲造脚注
新渡戸稲造脚注
ヒューマニスト/その人の生き方考え方54/小泉文子
ヒューマニスト/その人の生き方考え方54/小泉文子
ほかに何ができたろう
―アルツハイマー患者の在宅看護日記
単行本 – 1994/10
小泉 文子 (著)
アルツハイマーの夫との10年にわたる在宅看護日記。「
老いる」ということ、「生命の尊厳」を問いかける。
登録情報
単行本: 298ページ
出版社: 日本看護協会出版会 (1994/10)
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5つ星のうち 3.0認知症家族を持つ娘として…。
投稿者 Amazon カスタマー 投稿日 2015/9/18
形式: 単行本 Amazonで購入
チョッとした欠乏症?物忘れ?初期の時点では認知症と判断できない…そのような異変から克明に日記に綴られ出版され、認知症家族を持ち始めたばかりの私には、勉強にもなりました。認知症を患っている本人にも何かしら意志があるから?行動を起こそうとする…負の予感を先回りして阻止するのも時として逆効果にもなりうる。認知症患者の脳はどうなっていくのか?介護する側として考えさせられた一冊でしたが、徘徊をする御主人の財布に20000円を常に入れておくとか、頻繁に外食するなど…ギリギリの生活をている家庭では不可能…余裕のある家庭だから可能なことだと思いました。著者の奥様の大層な御苦労は汲み取れましたが、自分に置き換えると、どこまで自分は介護が出来るのだろう?と…考えずにはいられません。
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5つ星のうち 3.0なんとも複雑でした。
投稿者 まいまい 投稿日 2013/12/28
形式: 単行本 Amazonで購入
私自身夫を介護中、時代が大分違っているなーと思いつつも、義務感のような気持ちで読みました。作者の気性・性格に何か違和感を感じてしまいましたが、なんとか読み終えました。
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もうひとつの横浜事件―浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』
記事をクリップするクリップ追加
2010/3/16(火) 午後 1:55 裁判・法律 事件
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横浜事件は、様々な青春をたいへん残酷な形で無為にしていった。未来を思ういたって真面目な魂も犠牲にした。
小泉文子は横浜事件で獄死した浅石晴世の婚約者として知られている。
しかし戦争は、もっと大きな影を落している。長兄は南太平洋で特攻死しているし、小学生の教え子の中には広島に租界したのち消息不明になっている者もいる。
小泉と浅石の母同士が同級生で、ごく自然に愛し合い婚約した。しかし、浅石は「幸福にすることができなくなった」という手紙によって一方的に7か月間続いた婚約を破棄する。その他の説明は全くされなかった。小泉の慟哭が伝わってくる。その婚約破棄は、本書により細川嘉六が逮捕された翌日だったことがわかる。
旧版は1992年に刊行され175ページであるが、この17年後に刊行された増補新版は335ページもある。この増ページは、あたかも亡くなった浅石が残したものとも思えるのだ。その奇縁、奇遇は横浜事件に関心がある者を多いに刺激する。
浅石の旧制高校で親友だったT氏(本書では実名)が同窓会誌で浅石に触れた文章を著しており、それを再審請求弁護団のU弁護士(同)が偶然手にするが、それは自宅近くの図書館の廃棄図書からの発見であった。
それが契機となり、小泉文子とT氏は会うことになる。小泉はT氏が持参したアルバムで浅石の写真を見たり、親友の思い出話しに浸る。
またU弁護士が浅石という同姓ということだけで、友人である青森のA弁護士(同)に書簡を送ったところ、浅石の親戚筋にあたることが判明する。元々浅石家は東京空襲で家を焼失し、弟の戦死と兄弟とも未婚で亡くなっているため親戚縁者を探すことは困難と思われていたのである。
そして、墓所が分かる。そして50年以上の時を経て墓参が実現する。
他に2000年に浅石と旧制中学で同級であり、浅石の父の教え子でもあったTN氏(同)から手紙が来る。TN氏は大和氏(A弁護士の父)の訃報記事を新聞で偶然目にし「青森、浅石」のキーワードだけでA弁護士に手紙を書き、TN氏はA弁護士から小泉文子の存在を知り、手紙を書いたのだ。
2003年にはキリスト友会会堂で川田定子の姪のTO(同)にも会う。
これは奇遇、奇縁なのであろうか…浅石晴世が現代に向けて語りかけているように思えてならない。
田畑書店2009年8月15日刊
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5つ星のうち 5.0喪うことで、見えてくるものがある。
投稿者 紫 麻乃 投稿日 2010/2/15
形式: 単行本
「横浜事件」は、第二次世界大戦中に起こった言論弾圧事件です。
詳しくは、ネットで検索してみてください。
小泉先生の本は、「人を喪(うしな)う」ことの痛切さを教えてくれます。
小泉先生は、「横浜事件」で婚約者を喪いました。
そして、この本を書いている最中に、配偶者を喪われています。
人を喪うことの痛みを通じて、ともすれば歴史の彼方(かなた)に忘れ去られてしまいそうになる事どもを、この世に留めておくことができるのです。
機会がありましたら、この本を手にとってみてください。
わたくしにこの本を与えてくださった方に、感謝しております。
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):1(2013年11月5日朝日新聞)
幼児教育者
■親の望みを詰め込みすぎてはダメ
――幼稚園の入園試験が開かれる季節です。水戸市の少友幼稚園の園長として先駆的な教育をされ、新渡戸稲造らの提案でできた「普連土(ふれんど)学園」(東京都港区、中学高校)の学園長もされました。昨今の幼稚園選びをどう思われますか。
幼児の魅力はすごいものです。精神の柔らかさというか、大人の想像を超えた可能性を、その子その子が持っている。これから芽を出す宝物です。ところが、私が園長を始めた1980年代にはすでに何でも早く教える風潮が広がり、入園前から塾やお稽古にお通いになるご家庭が出てきた。幼稚園も、通園バスに給食、延長保育、課外教育……とお母様の望むものを詰め込む。大人にも子どもにも、静かにじっくりと何かをする姿勢がなさすぎると感じます。
――園長になって一切の号令をやめたそうですね
「前にならえ」「気をつけ」のような号令で動く習慣はすべてやめました。号令をかけなくても、静かな音楽を流し先生がじっと座っていれば、子どもたちも静かに座ります。戦前、戦中を体験した私は、幼いころから号令で動くよう植え付けることに恐怖に近い感じを持ちます。並ぶ順序は自由、列が曲がってもいい。東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)で教わったフレーベル教育の倉橋惣三先生は「幼児の中の流れを止めてはならない」と言われてます。幼児期は自由に遊ぶことと、人の話を聞くことが大切なんです。
――名簿もいち早く男女混合にされました。男女同権や女性の社会進出を唱えられてきましたが、働く女性の子は幼稚園への入園は難しいのが現状です。
短くとも3年間、いや就学前まで、働く女性が育児に専念できる環境が必要です。企業や社会がそこを整えなければ、真の男女同権といえません。「預ける」のは教育ではないし、「イクメン」もよろしいですが、母親の愛情は何物にも代え難い。人間は生物です。おっぱいに触れて飲んで、その安心した感覚を土台に、あたたかい家庭の中で育ちます。仕事だけでなく、子育ても、あらゆることに女の人は賢くあってほしい。
女性が子育てをするのは、社会にとってもプラスですよ。子どもによって訓練された女性が、どれほど素晴らしい力を持つか。何より忍耐力がつくし、何事も即時即決で対応せざるを得ないので判断力もつきます。それを女性のキャリアとして認めてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)
◇
こいずみ・ふみこ 1922年、東京生まれ。東京女高師卒で高校教師に。婚約者が言論弾圧の「横浜事件」で獄死。アルツハイマーの夫を十余年、在宅看護しつつ、幼稚園長を務める。著書に「幼児はあらゆる種子の萌芽(ほうが)を孕(はら)む」「もうひとつの横浜事件」(いずれも田畑書店)など。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311050189.html?iref=comkiji_redirect
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311050189.html?iref=comkiji_redirect
(人生の贈りもの)小泉文子(91):2(2013年11月6日朝日新聞)
■戦中獄死した婚約者 50年経て消息を追う
――戦時下最大の言論弾圧「横浜事件」で婚約者の浅石晴世さんが拷問の末に獄死。中央公論や朝日新聞記者ら約60人が逮捕された事件は、その後も再審請求が続きます。なれそめは?
母同士が師範学校の友人でした。母は小学校の先生。父は「ダイナマイト」と呼ばれる怖い高校の地理歴史の教師でしたが、亡くなった時には大勢の教え子が集まり、互いに「僕が一番愛されていた」と自慢し合うような人。上の兄は海軍兵学校、下の兄は横浜正金銀行ですから、左翼的な家庭ではありません。ただ母はロマンチストでしたから、浅石さんのような物静かで真っすぐな青年が気に入ったのではないでしょうか。
――婚約当時は東京女子高等師範学校で生物を学ぶ、元祖「リケジョ(理系女子)」でした
私は幼いころからおしゃべりが苦手で、数学が大好きだったんです。でも数学に進んで頭ばっかりになってはいけない、人間は生物だから生物学を選ぼうと。幼いころ、国内外の名作を集めた「小学生全集」を読むのが好きでしたから、その時の生命への感覚や感動が残っていたのかもしれません。ところが入学してエンドウ豆の根の生長点細胞を見るために、プレパラートを作っている時、突然、こんなことに時間をかけてはいられない、もっと人間の命そのものを考えなくては時間がもったいないと。許す限り読書しました。
――出版された「もうひとつの横浜事件」はラブストーリーで当時の矛盾を訴えています
婚約した半年後に突然、婚約破棄を告げられました。「いよいよ時局が切迫し、僕には君を幸福にすることができなくなった」「どうしても別れなければならない」と手紙に書かれていて。5カ月近くたって、今度は「僕とは何のかかわりもなかったことにしてほしい」と2通目が届いた。「昭和塾」に入ったことは聞いておりましたが、ほかは何も知りませんでしたし、ただふられたと。終戦後になって初めて、朝日新聞の記事で、彼が検挙され、獄中で拷問を受けて、亡くなっていたことを知りました。
――消息をたどり始めたのは1991年ごろからですね
事件の再審請求に対し、最高裁が事実を調べないまま棄却した判決の記事を見て、初めて怒りで体が震えました。おかしいですね。92年に私の本が出るとすぐ公安調査庁か警察かの方が2人、訪ねてきました。「この本書きましたね。これからも書きますか?」と尋ねられたので、「事実のことはすべて書きます」と申し上げました。失恋物語なのに。戦後50年近くたってもこういう時代なのだと驚きました。(聞き手・宮坂麻子)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311060323.html?iref=comkiji_redirect
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):3(2013年11月7日朝日新聞)
■夫の看護 10年たって懐かしむ気に
――英文学者で東大でも教えた小泉一郎・学習院大名誉教授と結婚されました。ところが一郎さんがアルツハイマーを発症し、十余年にわたる在宅看護が始まります。話題になった看護日記「ほかに何ができたろう」を読ませて頂きましたが、壮絶ですね
お読みになってくたびれませんでした? 夫とは、私が都立三田高校の教師をしていた1947年に、先輩の紹介で結婚しました。娘と息子に恵まれ、私も同じ宗派「クエーカー(キリスト友会)」に入会しました。子育てを終えた80年、一緒にスイス旅行に出かけた時、おかしなうそをつくな、と気付いたんです。行ってもいない場所を何度も訪れたように話して。思えば何年か前からうそが多くなった気もします。帰国後もお友達の家がわからなくなったり心房細動で苦しんだりしてました。
――その翌年、脳梗塞(こうそく)で倒れてしまいました
でもアルツハイマーとは診断されませんでしたが、幻聴、幻覚、失禁……の日々になりました。着替えをしようと言っても聞いてくれません。一番大変だったのは徘徊(はいかい)です。手足も言葉も不自由はありませんから、昼夜を問わず鍵を開けて出て行ってしまう。でも帰れない。止めれば杖を振り回して怒りますし。大の大人が内から開けられない鍵をつけるのは本当に難しかった。施設を訪ねたこともありますが、夜中に窓から出て行くので、3日目には「とてもお預かりできません」と帰されてしまいました。
――途中からは達観されたような感じを受けました
専門病院では手足をベッドに縛りつけると言われました。考えていることもわからないし、もう好きにさせてあげよう、と思ったんです。当時は園長でしたし大変で、午前と午後は他の方に来て頂き、夜は私が見ました。夜中にすごい数の本を2階から1階へ下ろしたり、本のページをすべて半分に折り曲げて分厚くしたり。戻してもきりがない。いろんな「オイタ(いたずら)」をするんです。深夜徘徊についていくのも疲れている時はやめました。私が留守の時は、息子夫婦に泊まってもらうこともしました。遠慮があるのか息子の時はおとなしかったとか。この前、認知症の夫が線路に入ってひかれ、その妻と長男に、列車が遅れた賠償を命じる判決が出ましたが、裁判官に私の本を読ませておけばよかったと思います。
――出版はレーガン元大統領が同じ病と発表した年。「励まされた」という声も多く届いたとか
夫の退職金を半分もらって離婚しようと思っていたけどやめました、という方もいましたね。お子さんがいじめを受けて統合失調症になった方からも「励まされました」と連絡がありました。どうにもできない病気を看護する家族は本当に追いつめられますから。
――91年10月に他界されます
ああ、解放された。それだけでした。夫がやり残していた翻訳を完訳して本にしたのはそれから10年近く後。ようやく懐かしむ気になれたんです。(聞き手・宮坂麻子)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311070247.html?iref=comkiji_redirect
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(人生の贈りもの)小泉文子(91):4(2013年11月8日)
■どう生きるか、本には発見がある
――いまも机の上に、何冊もの本がおありですね
東京女子高等師範学校の学生だった時にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読み、How to live? どう生きるかということに目覚めました。ソクラテスのような生き方ならできるかなあ、と。そう思ったのはなぜなのか。先日、「ソクラテスの弁明」を再び読んでみたんです。当時は岩波文庫だったので、今度は違う出版社の二冊を読みました。三冊読むといろんなことが見えてきます。「思いこみを捨てて現実を見る」とか「成り行きに任せて生きる」とか「魂に正直に」とか。「フランクリン自伝」も読んだら、そこにもどう生きたらいいか書いてあった。飽くほど食べてはいけない、沈黙、自他に益なきことを言わぬ……。その最後に「イエスとソクラテスを見習え」とあって、うれしくなりました。本にはいろんな発見があります。時間のある年寄りの特権ですね。
――戦後、水戸市のクエーカー(キリスト友会)会堂で、茨城県東海村の原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の若い方々を交えて、英会話グループをされていた時期があったとか。原発について、どのようにお考えですか
日立製作所などいろんな若い方が集まっていました。原子力研究所ができたころは、私も素晴らしい施設だと友人を案内しましたし、今も原子力の研究自体はいいことだと思います。人への影響や害をきちんと研究し、公表することは大切です。でも、原発を持つのは反対。人間にコントロールできないことは、今回の事故でもチェルノブイリでもはっきりしているわけでしょ。それを閉じこめるのは人間のおごりです。
――幼児教育のお立場からはどうですか
茨城県産は子どもに一切食べさせないという方もいますね。風評被害の広がりは、それはそれで問題ですが、でも子を持つ親として神経質になるのは当然かもしれません。私も大好きな猫がいなくなり、次を飼いたいのですが、もし事故で逃げることになったら連れていけずかわいそうだから、飼えずにいます。放射能に関する公式発表がどこまで本当なのかも、なかなか信用できません。戦争中はみんなだまされましたから。
――子どもを守る責任はやはり親にありますか
もちろんです。家庭は基本的にプライベートなものです。「子ども手当」だなんだと言われ、子育ては国や社会が責任を負ってくれるもの、と勘違いしているのではないでしょうか。人間は社会生活をする動物として、国や社会の維持のために法律を作りました。しかし、戦前の日本のように徴兵制度ができると、いやでも戦うための兵隊にされるのです。愛する家族や隣人のためではなく。戦争経験者が次々亡くなる時代です。ご家庭でよく考えてみてほしいですね。(聞き手・宮坂麻子)=おわり
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311080246.html?iref=comkiji_redirect
http://digital.asahi.com/articles/TKY201311080246.html?iref=comkiji_redirect
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ほかに何ができたろう
―アルツハイマー患者の在宅看護日記
単行本 – 1994/10
小泉 文子 (著)
アルツハイマーの夫との10年にわたる在宅看護日記。「
老いる」ということ、「生命の尊厳」を問いかける。
登録情報
単行本: 298ページ
出版社: 日本看護協会出版会 (1994/10)
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5つ星のうち 3.0認知症家族を持つ娘として…。
投稿者 Amazon カスタマー 投稿日 2015/9/18
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チョッとした欠乏症?物忘れ?初期の時点では認知症と判断できない…そのような異変から克明に日記に綴られ出版され、認知症家族を持ち始めたばかりの私には、勉強にもなりました。認知症を患っている本人にも何かしら意志があるから?行動を起こそうとする…負の予感を先回りして阻止するのも時として逆効果にもなりうる。認知症患者の脳はどうなっていくのか?介護する側として考えさせられた一冊でしたが、徘徊をする御主人の財布に20000円を常に入れておくとか、頻繁に外食するなど…ギリギリの生活をている家庭では不可能…余裕のある家庭だから可能なことだと思いました。著者の奥様の大層な御苦労は汲み取れましたが、自分に置き換えると、どこまで自分は介護が出来るのだろう?と…考えずにはいられません。
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5つ星のうち 3.0なんとも複雑でした。
投稿者 まいまい 投稿日 2013/12/28
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私自身夫を介護中、時代が大分違っているなーと思いつつも、義務感のような気持ちで読みました。作者の気性・性格に何か違和感を感じてしまいましたが、なんとか読み終えました。
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もうひとつの横浜事件―浅石晴世をめぐる証言とレクイエム』
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2010/3/16(火) 午後 1:55 裁判・法律 事件
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横浜事件は、様々な青春をたいへん残酷な形で無為にしていった。未来を思ういたって真面目な魂も犠牲にした。
小泉文子は横浜事件で獄死した浅石晴世の婚約者として知られている。
しかし戦争は、もっと大きな影を落している。長兄は南太平洋で特攻死しているし、小学生の教え子の中には広島に租界したのち消息不明になっている者もいる。
小泉と浅石の母同士が同級生で、ごく自然に愛し合い婚約した。しかし、浅石は「幸福にすることができなくなった」という手紙によって一方的に7か月間続いた婚約を破棄する。その他の説明は全くされなかった。小泉の慟哭が伝わってくる。その婚約破棄は、本書により細川嘉六が逮捕された翌日だったことがわかる。
旧版は1992年に刊行され175ページであるが、この17年後に刊行された増補新版は335ページもある。この増ページは、あたかも亡くなった浅石が残したものとも思えるのだ。その奇縁、奇遇は横浜事件に関心がある者を多いに刺激する。
浅石の旧制高校で親友だったT氏(本書では実名)が同窓会誌で浅石に触れた文章を著しており、それを再審請求弁護団のU弁護士(同)が偶然手にするが、それは自宅近くの図書館の廃棄図書からの発見であった。
それが契機となり、小泉文子とT氏は会うことになる。小泉はT氏が持参したアルバムで浅石の写真を見たり、親友の思い出話しに浸る。
またU弁護士が浅石という同姓ということだけで、友人である青森のA弁護士(同)に書簡を送ったところ、浅石の親戚筋にあたることが判明する。元々浅石家は東京空襲で家を焼失し、弟の戦死と兄弟とも未婚で亡くなっているため親戚縁者を探すことは困難と思われていたのである。
そして、墓所が分かる。そして50年以上の時を経て墓参が実現する。
他に2000年に浅石と旧制中学で同級であり、浅石の父の教え子でもあったTN氏(同)から手紙が来る。TN氏は大和氏(A弁護士の父)の訃報記事を新聞で偶然目にし「青森、浅石」のキーワードだけでA弁護士に手紙を書き、TN氏はA弁護士から小泉文子の存在を知り、手紙を書いたのだ。
2003年にはキリスト友会会堂で川田定子の姪のTO(同)にも会う。
これは奇遇、奇縁なのであろうか…浅石晴世が現代に向けて語りかけているように思えてならない。
田畑書店2009年8月15日刊
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5つ星のうち 5.0喪うことで、見えてくるものがある。
投稿者 紫 麻乃 投稿日 2010/2/15
形式: 単行本
「横浜事件」は、第二次世界大戦中に起こった言論弾圧事件です。
詳しくは、ネットで検索してみてください。
小泉先生の本は、「人を喪(うしな)う」ことの痛切さを教えてくれます。
小泉先生は、「横浜事件」で婚約者を喪いました。
そして、この本を書いている最中に、配偶者を喪われています。
人を喪うことの痛みを通じて、ともすれば歴史の彼方(かなた)に忘れ去られてしまいそうになる事どもを、この世に留めておくことができるのです。
機会がありましたら、この本を手にとってみてください。
わたくしにこの本を与えてくださった方に、感謝しております。
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Japan - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries
Japan - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries
Philadelphia Yearly Meeting Japan Committee
The Friends Yearly Meeting in Philadelphia began mission work in Japan in the 1880s, and materials in our collections cover through the 1970s. Philadelphia Quakers supported the creation of a Tokyo Friends Center (largely for visitation), Girls' School, several Monthly Meetings, and eventually the Japan Yearly Meeting. Activities in Japan were first overseen by the Women's Foreign Missionary Association, and many of the early missionaries and teachers were also women. Listings in the individual manuscripts section on the right include papers of those who worked at the Girls' School and Friends Center. The Japan Committee records include correspondence, meeting mintues, reports, statistics, financial records, work applications, and photographs.
- Stereoscopic Views of Japan, n.d.
Published in New York, these scenes from Japan were meant to be viewed through a scope which would allow the viewer to see them in 3-D. - Alice Mabel Bacon, Japanese Girls and Women, 1891
This book is a study of Japanese home life with particular focus on the lives of women; it was compiled from interviews with Japanese women. - Frank Brinkley, Japan: Described and Illustrated by the Japanese, 1897
Frank Brinkley lived in Japan for forty years as a British military attaché, foreign adviser to the Japanese government, and newspaper owner. These books describe all aspects of Japanese culture and society from religion to games to dress. Includes many illustrations and photographs. - Bayard Taylor, A Visit to India, China, and Japan, In the Year 1853, 1855
Bayard Taylor was an American poet and travel correspondent. This book contains his observations on the culture and geography of places he visited during a tour of Asia. Of particular interest is that Taylor’s trip to Japan was made with the expedition of Commodore Perry.
Manuscript Materials
- Iwao Frederick Ayusawa. Papers, 1918-1964
Written by a graduate of Haverford College, the papers concern his work as Director of the National Labor Board of Japan, as professor at International Christian University, Tokyo, and as Japanese National Chairman of the Union for World Federated Government. - Esther A. and Lloyd Balderston papers
The collection includes letters of Esther Balderston Jones, a Quaker missionary, primarily written from Japan in 1914-1916 to the Mission Board, to her future husband, and to friends. These describe Japanese life, people, and culture; the school where she teaches and its students; Tokyo's appearance and available goods; and the coronation of Emperor Yoshihito. - Lewis Benson papers, 1932-1986
Lewis Benson was a Quaker missionary in Japan, and the collection includes material from his time there. - Gilbert and Minnie Pickett Bowles family papers, 1896-1974
Gilbert Bowles arrived in Japan in 1901, where he taught English at a Friends school. He was a founder of the Japan Peace Society. The Bowles moved to Hawaii in 1941, where they worked at Japanese internment camps. - Howard Haines Brinton and Anna Shipley Cox Brinton papers, 1859-2005
The Brintons worked at the Friends Center in Tokyo from 1952-1954. The collection includes their diaries and correspondence from that time in addition to photographs and glass slides. - Collins Family papers, 1945-1952
The collection includes journals written by middle-class women from the United States on their travels to Japan. - Margaret Mary Clark Haines papers, 1913-1946
This collection includes papers of the Mission Board of the Philadelphia Yearly Meeting, which oversaw missionary work in Japan and China. - J. Passmore Elkinton Papers
Three letters, written in 1936, tell of 50 years of Friends work in Japan. - Hartshorne Family papers, 1797-1957
The collection includes the correspondence of Anna C. Hartshorne covering her missionary work in Japan, and Henry Hartshorne's "Letters from Japan." - Jones-Cadbury Family papers, ca. 1770-1994
Elizabeth B. Jones was the wife of Rufus Jones. This collection includes a diary she kept during a trip to Japan. - Naomi and Rayner Kelsey papers, 1803-1852.
Naomi Kelsey (1875/6-1967) was a member of Haverford Monthly Meeting and president of the Haverford College Women's Faculty Club. Included in the collection is a diary she kept, probably in 1936, during a leg of a world cruise, recording events in China, Japan, Hong Kong and Hawaii and discussing people with whom she visits. - Lewis Family papers, 1853-1960
This collection includes the correspondence of Alice Lewis Pearson, who taught in Japan from 1905-1923. - Inazo Nitobé. Papers. Edith Forsythe Sharpless, collector
Letters of Nitobé to Anna Hartshorne giving news of daily activities in Japan including the split in Tokyo Monthly Meeting over peace testimony, 1894. - Photographs taken in Japan, 1893-1896, PYM Japan Committee
Photographs are primarily of groups in Japan, including school groups, while other photographs are of Japanese life and customs. - Edith Forsyth Sharpless papers, 1910-1952
Sharpless was a missionary in Japan from 1910 to 1942. Her letters describe her daily life and experiences there. - Esther Rhoads was the head of the Friends Girls' School in Tokyo for more than fifty years and worked with the Licensed Agencies for Relief in Asia. Included in the collection are many letters on Japanese education, relief efforts after World War II, and information on Quakerism in Japan.
- Sarah Anne Green Smith taught at the Friends Girls' School in Japan from 1933-1935, and the collection contains her diary, correspondence, and photographs from that time.
- William Swift papers
Letters describe cities and life within them and Swift's visits with other officials to various high-ranking people, including the Emperor and Empress of Japan; describes a grand dinner at the Maple Club in Tokyo. - Elizabeth Grey Vining papers
Elizabeth Grey Vining was a children's author and librarian. From 1946 until 1950 she served as tutor to Crown Prince Akihito of Japan. Materials in the collection include letters, clippings, diaries, and scrapbooks. Please note that some of the materials in the collection are restricted; be sure to consult a librarian before making requests. Also, be sure to check the Germantown Monthly Meeting Newsletters which published letters from Vining to her American meeting while she was working in Japan. (SG1) - Morris Wistar Wood Papers, 1 letterbook, 2 diaries
The Morris Wistar Wood collection includes a letterbook of a few hundred typed pages written by Wood, with many photos pasted in, detailing his experiences in China and at Lingnan University from 1921-1923. The collection also includes diaries of Wood and his wife covering this period in China.
Secondary Sources - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries
Secondary Sources - HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014] - Research Guides at Tri-College Libraries
HIST 347: Quakers in East Asia (HC) [Fall 2014]: Secondary Sources
Publications about Quakers in China
- Adcock, Cynthia, Revolutionary Faithfulness: The Quaker Search for a Peaceable Kingdom in China, 1939-1951Dissertation presented to Bryn Mawr College, 1974
- Hood, George A., Neither Bang Nor Whimper : The End of a Missionary Era in ChinaPresbyterian Church in Singapore in association with the Friends of the Church in
China, 1991
Publications about Quaker Missions in Japan
- American Friends Board of Foreign Missions, Annual reports, publications, 1895-1923Provides potential for comparative studies
- The Friend, Philadelphia, 1828 – 1955Orthodox Quaker weekly newspaper including reports from Asia
- Friends' intelligencer. Philadelphia, 1853 – 1955Hicksite Quaker weekly newspaper including reports from Asia
- Friends Oriental NewsPublished quarterly in the interest of American Friends Missions in Asia
- Kawahara, Tetsuko, Friends Mission in Japan 1885-1947A chronological history of the Friends mission in Japan. Useful bibliography
Publications about Quakers in Japan
- Fifty Years of Quakerism in Japan, Seiju Hirakawa, ed. Tokyo: Japan Yearly Meeting, 1937Japanese text with an English introduction
- Friends in the Delaware Valley: Philadelphia Yearly Meeting, 1681-1981The chapter by Elizabeth Gray Vining, "The Yearly Meeting and Japan" relates directly to the Quaker Collection manuscripts holdings.
- History of Friends Girls School, 1887-1937, Toki Tomiyama, ed. Tokyo: Friends Girls School, 1937Text in Japanese and preface in English
- Kinuhata, Hitomi, Hugh Borton : his role in American-Japanese relationsHugh Borton was Haverford College President, 1957-1967, and Haverford Class of 1926.
つのぶえ 書名別(に:日本)
キリスト教書専門店 (キリスト教書, 一般書) http://www.tsunobue.jp/ |
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つのぶえ 書名別(に:日本)
607-49395 | 日本友会の歴史 (宣教七十年後から) | 編集委員会編 | キリスト友会日本年会 | 1997 | ¥2000 | A5,245p (写真8p) |
quaker-japan.sakura.ne.jp/book.html
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日本年会の出版物書名著者(訳者)発行日定価
クエーカー三百年史 ~その信仰の本質と実践~ハワード・ブリントン(高橋幸子訳)
1988.01.31 (第4刷)1,000
クエーカーの信仰に生きた人々エルフリダ・バイポンド(鞍馬菊枝訳)1976.12.25
(再版2001.06)1,000
クエーカーの宗教哲学ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1985.08.20 1,500
私の信仰小泉一郎1956.11.10 100
基督友会七十年史基督友会日本年会1957.11.05基督友会の実践ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1955.08.0 1500
日本友会の歴史~宣教七十年後から~編集委員1997.11.01 1,000
永遠なる泉を汲みてワイダー・クエーカー、フェロシップ、アメリカフレンズ奉仕団
(石谷行、渡辺昭雄・宣子共訳)1999.07.0 1300
日本年会の出版物書名著者(訳者)発行日定価
クエーカー三百年史 ~その信仰の本質と実践~ハワード・ブリントン(高橋幸子訳)
1988.01.31 (第4刷)1,000
クエーカーの信仰に生きた人々エルフリダ・バイポンド(鞍馬菊枝訳)1976.12.25
(再版2001.06)1,000
クエーカーの宗教哲学ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1985.08.20 1,500
私の信仰小泉一郎1956.11.10 100
基督友会七十年史基督友会日本年会1957.11.05基督友会の実践ハワード・ブリントン(鞍馬菊枝訳)1955.08.0 1500
日本友会の歴史~宣教七十年後から~編集委員1997.11.01 1,000
永遠なる泉を汲みてワイダー・クエーカー、フェロシップ、アメリカフレンズ奉仕団
(石谷行、渡辺昭雄・宣子共訳)1999.07.0 1300
小泉一郎 - Wikipedia
小泉一郎 - Wikipedia
小泉一郎
小泉一郎(こいずみ いちろう、1912年-1991年10月21日)は、英文学者。 茨城県水戸市生まれ。1937年東京帝国大学文学部英文科卒、41年同大学院(旧制)満期修了、副手、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、東京女子大学教授、学習院大学文学部教授。1983年定年退任、名誉教授。
著書[ソースを編集]
- 『英文の読み方 現代英文についての演習』培風館 1960
- 『神と人とのあいだ 近代日本文学試論』笠間書院 笠間選書 1975
翻訳[ソースを編集]
- エリザベス・グレイ・ヴァイニング『皇太子の窓』文芸春秋新社 1953
- キャスリン・レイン『ブレイク』英文学ハンドブックー「作家と作品」シリーズ 研究社出版 1957
- 『エマソン選集 第3 生活について』日本教文社 1961
- 『エマソン選集 第7 たましいの記録』日本教文社 1961
- 『ポオ全集 第1巻』ハンス・プファアルの無類の冒険 約束ごと メッツェンガーシュタイン 東京創元新社 1963
- 『ポオ全集 第2巻』催眠術の啓示 ミイラとの論争 ヴァルドマアル氏の病症の真相 フォン・ケンペレンと彼の発見 東京創元新社 1963
- 『世界文学全集 第14 (ポオ,ホーソン)「アッシャー家の崩 大渦の底へ 黒猫」講談社 1969
- トマス・ケリー『内なる光 信仰の遺言』小泉文子共訳 教文館 1999
参考[ソースを編集]
- 『神と人とのあいだ』著者紹介
- 朝日新聞訃報
キリスト教 教派 文献リスト
キリスト教 教派 文献リスト
■クエーカー |
- 岩橋武夫『クェーカーの思想と実践』同文舘・1949 ※国会
- ヴァイニング夫人『ウィリアム・ペン 民主主義の先駆者』高橋たね訳/岩波新書・1950 ※皇太子(現天皇)の家庭教師を勤めたヴァイニング夫人の著
- ハワード・ブリントン『創造的礼拜』岩橋武夫訳/フレンド・センター・1953
- *小泉一郎編『私の信仰』基督友会日本年会・1956◇
- ハワード・H・ブリントン『基督友會の實踐』鞍馬菊枝訳/基督友會日本年會・1955◇
- ハワード・H・ブリントン『クェーカー三百年史――その信仰の本質と実践』高橋雪子訳/基督友会日本年会・1961◇◆
- 石橋義彦『あるクエーカーの生涯』精興社・1975
- エルフリダ・ヴィポイント『クエーカーの信仰に生きた人々』鞍馬菊枝訳/基督友会日本年会・1976◇
- エスター・B・ローズ記念出版委員会編『一クエーカーの足跡――エスター・B・ローズを偲んで』キリスト友会日本年会・1980 ※LALA物資救援活動の代表者の一人で皇太子(現天皇)の二代目家庭教師を務めたクエーカー女性
- ハワード・H・ブリントン『クエーカーの宗教哲学』鞍馬菊枝訳/キリスト友会日本年会・1985◇
- ルファス・M・ジョンズ『真実に生きるジョージ・フォックス物語』佐久間寅之助訳/平井眞美館・1991
- マーガレット・ホープ・ベイコン『フェミニズムの母たち――アメリカのクエーカー女性の物語』岩田澄江訳/未來社・1993 ※Margaret Hope Bacon, Mothers of Feminism: The Story of Quaker Woman in America, Harper & Row, 1986
- エリザベス・グレイ・ヴァイニング『皇太子の窓』小泉一郎訳/文藝春秋・1952/1989 ※Elizabeth Gray Vining, Windows for the Crown Prince, 1952
- 村田邦子『アメリカ教育理念の形成――植民期ペンシルヴェニア・クエーカー研究』亜紀書房・1993 ※筑波大学教育学博士論文。日本語書誌が詳しい◆
- ルイス・ベンスン『クエーカー信仰の本質――創始者ジョージ・フォックスのメッセージ』小泉文子訳/教文館・1994
- 山本 通『近代英国実業家たちの世界――資本主義とクエイカー派』同文舘出版・1994 ※英国経済とクエーカー◆
- トマス・ファーカー『愛の共同体を――クエーカーの家族、ミーティング、フレンズスクールに求められるもの』キリスト友会日本年会・1997◇
- 西村裕美『小羊の戦い――17世紀クェイカー運動の宗教思想』未來社・1998
- *『日本友会の歴史――宣教七十年後から』キリスト友会日本年会・1997◇
- ワイダー・クエーカー・フェロシップおよびアメリカン・フレンズ奉仕団共編『永遠なる泉を汲みて』渡辺昭雄、渡辺宣子共訳/キリスト友会日本年会・1999◇
- トマス・ケリー『内なる光――信仰の遺言』小泉文子訳/教文館・1999
- *小泉一郎『友会徒 小泉一郎の残した預言』小泉文子編・2000◇
- 『友(THE FRIEND)』キリスト友会日本年会機関誌◇◆
- Friends World Committee for Consultation(フレンズ世界協議委員会 http://www.fwccworld.org/)
■ 自伝 - ハーバート・V・ニコルソン『やぎのおじさん行状記――キリストの愛の軌跡』湖浜 馨訳/暮しの光社/伝道文書販売センター(発売)・1974 ※Herbert Victor Nicholson, 1892-1983
- ハーバート・ニコルソン『やぎの大使――悲しむ者みなに慰めを』瀬谷広一訳/木魂社・1990
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