2021/03/29
今年はご利益3倍 コロナ禍で激減も日本の再生願う「四国遍路」 (1/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
今年はご利益3倍 コロナ禍で激減も日本の再生願う「四国遍路」
島俊彰2020.6.9 17:00週刊朝日#新型コロナウイルス
遍路は春と秋が人気のシーズン。季節の花々に癒やされる=香川県観音寺市
杖や菅笠などの遍路装束を身につけた筆者=香川県観音寺市
あちこちにあるこけむした石仏が時の流れを物語る=高知県土佐清水市
道しるべに山道の木に時々かかっている短冊=愛媛県内
あれから13年になる。生き方に迷った私が四国遍路に飛び出してから。今、新聞社のデスクとして東京で紙面作りに追われつつ、思い出されるのは、あの旅路のことである。空と海の青に包まれ、寺から寺へ、思うままに歩いた。コロナ禍後の、往来復活を願わずにはいられない。行く人の心を開く、それぞれの道筋。
【四国遍路の写真をもっと見る】
「遍路」は春の季語。四国霊場八十八カ所をうるう年に反時計回りに回ったら、ご利益は「3倍」になる。そんないわれから今年はお遍路さんが多くなる、とみられていた。花咲く季節に人々はめいめいの祈りを届けるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でままならなくなった。
弘法大師・空海ゆかりの寺88カ所を巡るのが四国遍路。一周の距離は1200キロともいわれる。かつて寺を巡った証しに、参拝者が納札を柱に打ち付けていたことから、寺を「札所」といい、参ることを「打つ」という。時計回りに順番に回ったら「順打ち」。逆なら「逆打ち」。一度で一周するのを「通し打ち」、時々訪れて少しずつ進んでいくのを「区切り打ち」という。
年間10万から15万人ほどが巡礼に訪れているといわれ、近年はバスツアーが多い。特にうるう年の今年は旅行会社も「稼ぎ時」になるはずだったが、コロナ禍で、人気プランを手がける阪急交通社(本社・大阪市)は4月7日からしばらくの間、お遍路ツアーの中止を余儀なくされた。緊急事態宣言が全国に拡大され、四国八十八ケ所霊場会(香川県善通寺市)も5月10日まで、御朱印などを授ける納経所を閉鎖するよう各寺に求めた。
参拝客が「9割は減った」と話すのは、徳島県阿南市の四国霊場第22番札所、平等寺の住職、谷口真梁さん(41)。「このような中で宗教、仏教にできることは人々の心に静けさをもたらすよう、祈る、行動する、指導することしかない」。コロナ禍による犠牲者供養のため竹灯籠でできた巨大な曼荼羅を二つ建立するべく、竹の切り出し作業を始めている。
そもそも、うるう年に巡ると「ご利益が3倍」というのはこんな逸話からだ。
むかしむかし、伊予の国(愛媛県)に豪農の衛門三郎という人がいた。四国を巡り托鉢中の僧を門前で追い返す非礼を重ねた。
すると、その後自分の子どもらが次々と死んでいくではないか。その僧が弘法大師だったことを知った三郎は、わびるために後を追うが、何度巡っても会うことができない。そこで逆回りで歩いてみるのだが、12番札所の焼山寺のふもとで倒れてしまう。
そこへ弘法大師が現れる。わびる三郎から、生まれ変わりたい、という願いを聞き入れ、手に石を握らせる。三郎は人のために生きると誓って息を引き取る。後年、伊予の国の領主の家に、石を手にした子が生まれる。51番の石手寺(松山市)にはそれと伝わる石が残る。
三郎が遍路道を逆に回って、弘法大師に会えたのがうるう年だったとの説があり、その年の逆打ちはご利益が大きいというわけだ。
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コロナ禍で春の参拝はままならなくなったが、お遍路はそもそも病気や厄災と無縁ではない。
「衛門三郎の伝説は、生まれ変わるという『死と再生』の話でもある」
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愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター長の胡(えべす)光さん(54)はそう語る。いまの日本ではほぼ感染する人はいないハンセン病(らい病)に特効薬がなかった時代、集落内では生きられず、治癒を願いながら「職業遍路」として四国を巡り続けていた人たちもいた。太平洋戦争や東日本大震災の後に、故人をしのんで遍路をした人たちも少なからずいたという。
胡さんはさらに言う。
「コロナ禍が落ちつけば、遍路をする人は増えるのではないでしょうか。日本の再生を願って遍路をするのは意にかなっています」
愛媛大による札所での調査では、遍路をする理由について、親族の供養、自分探し、治癒など様々な目的が語られている。そこには自分を「再生」させようという共通の認識がみられるという。
『四国遍路』(中公新書)や『四国遍路の近現代』(創元社)の著書がある三重大学教授(地理学)の森正人さん(44)は、遍路は「伝統的な宗教」あるいは「既成宗教」の営みと見られがちだが、宗教的な教義は持っていない、と指摘する。礼拝の仕方、巡拝の仕方などもかつては規定されていなかったといい、「何にでも結びつくことができる」という。
近代では観光と積極的に結びついて愉楽や娯楽という意味を持ち、戦中はナショナリズムや国家政策と結びつき、衛生的な健康のためという意味も帯びた。
1990年代からの「失われた30年」や新自由主義の時代には、「自分探し」や「癒やし」と結びついた。社会のニーズの中で、社会のある特性と結びつき、新しい意味を持つ。つまり四国遍路は常に「新しい」と指摘する。
四国八十八ケ所霊場会の公認先達、奈良県大和郡山市在住の山下正樹さん(75)も、そんな遍路の“懐”の中に飛び込んだ一人。
元銀行員で、現役時代は朝から晩まで働いて出世競争をした。45歳のある日、系列会社への出向を命じられた。敗北感を感じつつも、何か前向きになれるものを探していた。50歳のとき、尿管結石で1カ月入院。そのとき偶然、遍路の体験が書かれた本を手にした。子育てや家のローンが一段落して、57歳で早期退職。初めて歩き遍路の旅に出た。「人生を切り替えるため」だった。
四国にはお遍路さんへの「お接待」という文化がある。水や茶を差し入れたり、ミカンを手に持たせたり。そんな優しさに心打たれ、山下さんは遍路道を13回も歩いて巡った。今では88歳までは歩き遍路をするのが目標になった。
逆打ちはこれまで4回した。順打ちの場合は、遍路道の木の枝に協力会が下げた札や、道順を示す看板、「道しるべ石」と呼ばれる石柱などが所々にあるが、逆打ちではそれらが背を向けていて、すぐ迷子になる。いきおい地元の人に話しかける機会が多くなる。
「逆打ちは苦労して行くからありがたみがあると言われてきた。人に道を尋ねて進むことが遍路の本来の姿ともいわれる。だから人の優しさに出会えるのです」
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13年前の秋、香川県の高松総局に勤務していた記者は一念発起して、歩いて通し打ちをした。振り返ると、人生の谷間にいたり、区切りを迎えたりした人々が多くいた。道中に何かを見いだしたい、という祈りを持っていたように思う。
そのときに出会った人たちとかわした何げない会話が深く心に染みこんでいる。
妻を亡くした60代の歩き遍路の男性と、大雨で駆け込んだ高知の民宿で出会った。喪失感にさいなまれていたというが、歩くうちにこう思い至ったそうだ。
「自分が健康に暮らし、少しでも妻との思い出を生きて守る。それが、この世と妻の縁を長くつなげる自分の役目だ」
カバンに妻の写真を入れ足首にテーピングをして、しっかりと歩いていた。
60代のある夫婦の遍路とは愛媛の札所で会った。家の中をすっかり片付けて覚悟を決めた。
「二人で体の限界を感じながら、同じ苦労を改めてしたかった。不測の事態で戻れなくなってもいい」
夫は糖尿病で、道中苦しくなることも。急な坂道を歩いているとき、見ず知らずの人に車の「お接待」に誘われた。乗せてもらったのに「乗ってくれてありがとう」と言われた。
「逃げずに進めば、誰かが見てくれている」
と妻は思った。印刷所の営業マンの夫は、
「真心があれば裏切られることはない」
と、長年仕事をしてようやく知ったことが再確認できた気がしたという。
山河を巡る遍路道。先を急げば足を痛める。路傍のこけむした石仏、行き倒れて死んだ遍路の古い墓が見つめている。野宿をして星空を眺め、虫や動物の亡骸をみて生命のはかなさを知った。
こうした出会いを重ね、
「人生で何が大切なのか」
と、私は確かめていたのかもしれない。
当時35歳で、それまでの記者生活の半分以上が事件・事故担当だった。6年いた大阪社会部では汚職や詐欺、金融犯罪、調査報道の取材などに時間を費やした。激しい時期は、事件関係者に取材するため日付が変わるまで夜回りをし、午前3時すぎに他社の朝刊で特ダネを抜かれていないかを確認。朝6時には、出勤する捜査員らへの接触を狙ってタクシーに乗り込むという日々。
協力するようなふりをして事件関係者に接近しては「取材にこう話した」と記事を書いて「背中から斬る」ようなこともした。もちろん家事や子育ては任せきり。何度取材してもうまく行かず、記事も載らず、ストレスで飲み続けて愚痴をこぼす日々もあった。
すべて、社会に潜む「構造的不正の追及」のためと自分なりに思い込んだゆえだった。
地方都市の高松へ異動して、そんな目標を見失っていた。時間に余裕はできたが、家族への接し方も不器用なままで、不摂生も続いていた。四国はそのとき、うどんブーム。映画「UDON」が公開されてまもない頃で、朝うどん、昼うどん、夜うどん。飲んだ後には締めうどん、という炭水化物天国。心も体もだぶついた。
そのせいだろう。杖を片手に歩く菅笠姿の歩き遍路の姿を見て、「行かなくては」とひかれた。
体験記事を書きながら遍路に出ることを許され、1番霊山寺で初めて白装束に袖を通した。住職にこう言われ、送り出されたのを思い出す。
「『私の毎日は人のためになっているのか』ということを見つめたいのではないかな」
2日目に山のふもとの駐車場にあったベンチで夜を明かし、満天の星空を見たとき、なるべく野宿をすることを決めた。室戸岬への海沿いの道は長かったが、どこまでも広く、青い海に何かが洗われる気分だった。汗だくになって登った山の上の空気はどこよりも澄んでいた。
出会った市井の人々が、ふと語りだす。
一緒に坂道を上がった遍路の女性が「自分のためではなく、他人のため、ほかのもののために祈ることができなくなったらだめだと思うの」とつぶやく。境内にいた老女は「自分を押し上げてくれるものがあるやろう。それが『おかげ』なんよ」と教えてくれた。
なまりきった体で連日歩くのはきつい。リュックは12キロほどで筋肉痛、それから関節痛。足裏が腫れ、眠れぬ日も続いた。
すると、「修行とはこつこつと積み重ねることです。草木も水を毎日きちんとあげなければ花は咲かないでしょう」という僧侶の言葉が腑に落ちた。
愛媛まで来たとき、ある寺の法主に「遍路で何か変わりましたか」と尋ねられた。「焦りが薄れ、親切を感じたときに合掌することが増えたような気がする」と言うと、「心とは命です。心が備わって命が存在するのです」と説かれた。そのころには山登りもそれほど苦痛ではなくなっていた。体も軽くなり、少しずつだが自信を取り戻しつつあったのだろうと思う。
香川県の88番大窪寺から1番へ戻って1周し、和歌山県の高野山へお礼参りをするまで1カ月半。がらにもないことだが、心から思った。
「生きていることはありがたい」
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それから愛媛県出身の早坂暁さん(故人)に取材する機会があった。テレビドラマ「夢千代日記」「花へんろ」や映画「空海」の脚本で知られる作家だ。
「遍路をすると、向日性の人間になる。いい方向へ考える精神状態になる」
遍路道を歩いている人は悩みと正面から向かい合う。ふてくされても、誰も返事はしてくれない。夕方に寺に着いて拝んでいたら、ふと涙が出てきて、自分が悪かったと慟哭し、心のしこりが浄化されるのだ、と。
空海は、民衆が何に悩み、迷っているか、その痛みや苦しさをどう和らげるのかということを考えていたという。
「まるで臨床医のような僧侶だった。歩きなさい、歩いて歩いて、祈りながら歩けば、あなたは悩みから解放される」と教えたそうだ。早坂さんは歩くことの自由を説き、こう語った。
「日本人は千年以上、この道を歩いて悩みを解消してきた。どの宗教も行き着くところは一緒だ」
その話に強く共感した。「遍路に行く」と言うと、いぶかる人もあるかもしれないが、決してそれは現実逃避の場ではない。道中はまさに自問自答の繰り返しで、自分と向き合い続けるからだ。自然に身を委ね、汗をかき、偽りのない自分を見つめられる。
人をあやめたり、だましたり。傷つけられたり、損をしたり。取材で接してきたそんな現実も森羅万象の一端であり、自分もまたそんな広大な世界の網目の小さな小さな一つでしかない。暴風雨の石鎚山で山頂近くの岩にしがみついていたとき、そうとしか思えなかった。眉をひそめるようなことが起きない世界を希求しながら、自分ができることは限られている。
ただ、そうであっても自分は歩いていく。それでいいのだ、と。
記者はまた、数年に一回、区切り打ちをしに四国へ出かけている。次回は高知市の31番札所・竹林寺からだ。このウイルス禍が落ちついたら、その次の社会で自分のすべき役割を、遍路の中に確かめに行きたい、と思っている。みなさんも疲れ果てた心を、四国で開放しませんか。(朝日新聞社会部・島俊彰)
※週刊朝日 2020年6月12日号
「癒しブーム」で“誤解”拡大 帯津医師が語る癒しの本質 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
「癒しブーム」で“誤解”拡大 帯津医師が語る癒しの本質
連載「ナイス・エイジングのすすめ」
帯津良一2020.10.19 07:00週刊朝日#帯津良一
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
山折哲雄さん (c)朝日新聞社
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「癒(いや)しについて」。
【写真】帯津さんが敬愛する宗教学者の山折哲雄さん
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【癒し】ポイント
(1)癒しほど誤解されやすい言葉はない
(2)癒しがいつの間にか受け身になってしまった
(3)自然治癒力を原点に自らが癒すことを忘れずに
皆さんは「癒し」という言葉にどういうイメージを持っていますか。実は、癒しほど誤解されやすい言葉はないと私は思っています。
私が提唱するホリスティック医学では、癒しが中心的な役割を担っています。1987年に日本ホリスティック医学協会が設立されたときに、ホリスティック医学の定義を掲げました。そこに次の2行があります。
「自然治癒力を癒しの原点におく」
「患者が自ら癒し、治療者は援助する」
人間をまるごととらえようとするホリスティック医学では、人間を「からだ」「こころ」「いのち」の側面から見ていきます。このうち「からだ」については、西洋医学の<治し>の方法が有効です。しかし、「こころ」については、西洋医学的なアプローチでは不十分。「いのち」にいたっては、西洋医学は対象にすらしていないような状態です。この「こころ」「いのち」を中心にアプローチするのが<癒し>の方法なのです。
ところが癒しと言ったときに、前述した「患者が自ら癒し、治療者は援助する」といったことが忘れられがちです。
癒しという考え方を世の中に広めるにあたって、大きな功績があるのが、文化人類学者の上田紀行さんです。『覚醒のネットワーク』(89年、河出文庫)、『スリランカの悪魔祓い』(90年、講談社文庫)、『癒しの時代をひらく』(97年、法蔵館)といった著書を通じて、癒しの重要性を語り続けました。
上田さんが癒しの中心に据えたのも、自然治癒力であり、自ら癒すということです。『覚醒のネットワーク』の第6章のタイトルは「私と地球の病気を癒す」というもので、「『自然治癒力』を取り戻す」「からだの中の声が聞こえてくる」「『おすがり』を超え、『自分が主役』になっていく」という内容が続きます。
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ところが、世の中に癒しという言葉が広がり、いわゆる「癒しブーム」が起きると、癒しが本来持っていた主体性が失われてしまいました。癒しがいつの間にか、受け身で使われるようになり、「癒し=癒される」となってしまったのです。
私が敬愛する宗教学者の山折哲雄さんは、その風潮に警鐘を鳴らすために「『癒し』は『卑しい言葉』だ!」という論を展開し、こう言いました。
「いま『癒されたい、癒されたい』と叫んでいる人々には、あまり生命力を感じられません。(中略)本当に傷を治そうとするならば、『癒し、癒し』と叫ぶことなしに、自分の生命力を軸にして、それを治すべきでしょう」(『本当の「癒し」って何!?』、共著、2000年、ビジネス社)
癒しは受け身のものではないのです。「自然治癒力を原点に、自らが癒す」ということを忘れないでください。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2020年10月23日号
健康に欠かせない3要素の1つ「霊性」とは? 帯津医師が解説 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
健康に欠かせない3要素の1つ「霊性」とは? 帯津医師が解説
連載「ナイス・エイジングのすすめ」
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「霊性について」。
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【WHO】ポイント
(1)WHO憲章の健康の定義を改定する動きがあった
(2)改定案には霊的という言葉が加わった
(3)健康は身体性・精神性・霊性すべてにかかわる
1948年のWHO(世界保健機関)設立のもととなるWHO憲章に健康の定義が定められています。それは以下のようなものです。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます」(日本WHO協会訳)
98年にこの定義を改定しようという動きがありました。改定の準備段階での協議会に出席した山口昌哉さんの報告(「『霊性』ととりくみはじめたWHO」季刊仏教98年10月発行)によりますと、新しい定義として考えられたのは次のようなものでした。
「健康とは身体的精神的社会的かつ、霊的(スピリチュアル)に完全に一つの幸福のダイナミカルな状態を意味し、決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない」
つまり、これまでの定義にスピリチュアルとダイナミカルという言葉が加わったというのです。私はこの報告のコピーを見せられたとき、感動して身体が震えました。
これまでも述べてきましたが、私が提唱するホリスティック医学では人間を「からだ」「こころ」「いのち」の側面からとらえます。
英訳すると「BODY」「MIND」「SPIRIT」です。つまり「いのち」の本質とは霊性(スピリチュアリティー、spirituality)にあると言っていいのです。
しかし、98年当時、日本の医学界で霊性とか霊的などと言おうものなら、爪弾(つまはじ)きにあうか、白眼視されました。ですから、WHOという国際機関で霊性について真正面から議論していると知って、心から感動したのです。
創価学会とキリスト教に共通点? 「世界宗教化のプロセスが似ている」と佐藤優氏 (1/5) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
創価学会とキリスト教に共通点? 「世界宗教化のプロセスが似ている」と佐藤優氏
2020.11.12 08:02AERA
佐藤優(さとう・まさる)/作家・元外務省主任分析官。『創価学会と平和主義』『危機の正体』『ウイルスと内向の時代』『世界宗教の条件とは何か』など著書多数。2020年の菊池寛賞を受賞(撮影/楠本涼)
澤田瞳子(さわだ・とうこ)/作家。2010年、『孤鷹の天』でデビュー。『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞受賞。『若冲』『火定』『落花』『能楽ものがたり 稚児桜』で4度の直木賞候補に(撮影/楠本涼)
池田大作研究 世界宗教への道を追う
佐藤 優
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作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏の、AERAでの連載を完全収録した書籍「池田大作研究 世界宗教への道を追う」が発売された。連載を振り返り、筆者の佐藤氏と作家の澤田瞳子氏が語り合った。AERA 2020年11月16日号の記事を紹介する。
【写真】作家の澤田瞳子氏はこちら
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佐藤:こんな長い本を読んでいただきまして、ありがとうございます。
澤田:知らないことだらけでした。読ませていただき、このテーマにずっと関心をお持ちだったんだなと感じました。
佐藤:結構長いんです。本格的にこのテーマに取り組んでから10年くらいになります。
澤田:池田大作氏の著作、多いじゃないですか。それを把握するだけでも大変でしょうに。
佐藤:そう。でもね、全集があるんですよ。『池田大作全集』全150巻。全集に収まっていないもので重要なのは、『新・人間革命』。これが30巻31冊。そのテキストをベースにすれば、大体のことはわかるんじゃないか、と。
澤田:なるほど。
佐藤:創価学会のことを書こうとなると、だいたいみなさんは、取材を中心にやっていこうとするんですね。そうすると、学会の中の人は話せることに限界があるし、やめた人の中には「恨み骨髄」みたいな感じの人もいる。だから、こういうときには大量の公式の文書をもとにしようと。私が外務省時代、ソ連やロシアの情勢を分析するときは、公開情報を中心に読んでいく「オープンソースインテリジェンス(公開情報諜報)」というやり方を使いました。それでやってみようと思ったんです。
澤田:歴史学においては、遠い時代ほどちゃんとしたテキストから分析でき、近い時代になればなるほど、いろんなことにゆがみが生じるのですが、それと一緒ですね。
佐藤:似ています。私の指導教授の一人で、藤代泰三先生(故人/歴史神学)という方がおられたんですけどね。この先生は、私がチェコスロバキアの社会主義国家と教会の関係を研究すると言ったら、「やめたほうがいい」と言うんです。新しすぎる、歴史記述というのは50年前でやめないといけない、本当は100年ぐらい前でやめたほうがいいかもしれない、と。そうじゃないと、その関係者が生存してるから、と言うんですね。
澤田:わかります。
佐藤:藤代先生は、お弟子さん、あるいは子どもとか孫とかが生存していると、そこへの配慮とかそこから入ってくる情報でゆがむんだとおっしゃるんですよね。しかし、私は言い返した。先生の本って10年前のことぐらいまで書いてあるじゃないですか、と。すると、「僕が現実への関心が強いので、それは僕の限界なんです」って、藤代先生はおっしゃられた。
澤田:なるほど。でも、人とか社会とか、すごく身近なものをやりたいと思えば思うほど、ちょっと遠い話に焦点を合わせたほうがいいというのは、逆説的ですけど、面白いですね。
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■世界宗教化のプロセス キリスト教と似ている
佐藤:この『池田大作研究』を出したことで、誰と対談をやりたいかとなったときに、僕は一番に澤田さんにお願いしたいと思ったんです。文学を専門とする人と対談したかった。創価学会が支持母体となっている公明党は与党の一角を握っているから、政治的な立場が濃厚な人だと、無意識的であれ意識的であれ、その立場が出ちゃうから、「テキスト」として読んでもらえないと思ったんです。
澤田:確かに。私は100%「テキスト」だと思って読みました。
佐藤:「テキスト外」のところで評価されてしまうと、創価学会におもねっているんじゃないかとか、逆に学会の外の人間である者がなんでこんなものを書くのかとか、いろんな意見が出てくると思う。そのときに、「テキスト」をしっかり読んでくれる人と話をしたいと、こう思ったんです。
澤田:佐藤さんは、本当に宗教的に興味があって、これを書かれたんだなというのが、よくよくわかりました。
佐藤:そうなんですよ。僕はキリスト教徒で宗教が違うがゆえに、創価学会員にとって大切なものがわかるわけです。我々、キリスト教徒にとっても大切なものがあり、そこを侮辱されるのは嫌です。それと同じことだなと。
創価学会が世界宗教化しているというのは本物なんだということも描きたかった。壁を破壊して、社会革命や政治革命を行うということじゃなくて、人間は変化する可能性があるから、壁の向こう側に価値観を共有する人材を作って送り出していく。そのプロセスが面白かったんですよ。キリスト教が世界宗教化していくときのプロセスに似てるなと思って。
澤田:そのお話、非常に興味深かったです。ある意味、ここで創価学会について述べ尽くされた感があるのかなと思ったのですが、明治前後に生まれたほかの日本の宗教、例えば大本(おおもと)や天理教には、関心は持たれないんですか。
佐藤:大本に関しては、高橋和巳さんがこの教団をモデルにして『邪宗門』という大きな古典的な作品を作られているから、たぶんそれを超えるような仕事ってできないと思うんですよ。そして、天理教も大本も、世界宗教的かどうかというところで、創価学会とは違いますね。その広がりがあるかどうかということ
澤田:第2次世界大戦までは、これらの宗教はよく似た場所に立っていたけれど、そのあとが随分変わってきたなというふうに思いました。
佐藤:そうなんですよね。創価学会は、池田大作という人が、牧口常三郎(まきぐち つねさぶろう)と戸田城聖(とだ じょうせい)の遺産を継承して、解釈し、行動していく過程で変わっていったと思います。そして、本来は出身母体であったはずの日蓮正宗とも大戦争になった。世界宗教になる上で、自分たちの母体から抜け出していかないといけないというのは、私には、ユダヤ教からスタートして、ユダヤ教から抜け出していかざるを得なくなったキリスト教と酷似していると思いました。ただ、論壇にはある種の創価学会タブーがあるでしょう?
澤田:まず、宗教団体として大きく、そして政治に結び付いているように見える。この2点でほかの宗教団体と違うのかもしれません。
佐藤:ただ、神社本庁だって、政治と結び付いているわけですよね。
澤田:ええ。個人的な感覚でいうと、池田大作さんというご存命の方と、宗教、その信仰的なことが結び付いているという点が、特別に見えるのかもしれません。
佐藤:なるほど。僕は既成宗教と新宗教を分けて、新宗教だからいかがわしいみたいに思うっていうのは嫌いなんです。キリスト教も、スタートは新宗教ですから。そういうところに偏見を持ってはいけないと思うんですよね。
ただ、なぜここまでの力が創価学会にあるのかというところに関心が強かった。戦時下の創価教育学会(創価学会の前身)っていうのは、国と非常に距離があって、弾圧された。その結果、創価学会初代会長の牧口常三郎は獄中死しています。そこからのスタートだから、「おのれ権力」という発想になるはずで、ある時期まではそうだった。それが途中からは、ただ反体制ではなく、むしろ体制化していく。ただし、体制に取り込まれてしまったわけではない。その部分が面白かったんです。キリスト教に似ています。
■発展して変化しよう その意思が内側にある
澤田:そういうところも含めて、実は創価学会って非常にフラットだと、この本を拝読して知りました。いつまでも恨むとか、そういうことを引きずらないというのを、まさに体現しているのかなとも思いました。
佐藤:僕もそう思うんですよね。今回の組閣で考えてみても、(小選挙区で2度も公明党の山口那津男氏を破った)平沢勝栄さんが自公連立政権の閣僚で入ってるっていうのは、ある意味びっくりしました。別に、まあ過去は過去だと。本人もまずかったなと思ってるんだから、いいんじゃないでしょうかぐらいの感じですからね。
それから、この本で扱った中で面白かったと思うのが、藤原弘達さんです。藤原弘達という人が、創価学会や田中角栄の圧力に屈せず、言論を守った人だって言われてきたんだけれども、実は去年出版された志垣民郎さんの『内閣調査室秘録』の中において、藤原さんが内調との関係が非常に密接だったということが出てきました。
私自身、過去にやってきた仕事と合わせて、皮膚感覚でわかるんですよ。なるほど、こういうことって国家ってやるからな、と。だから、あのときの創価学会の力は国家にとって相当の脅威だったわけですね。
澤田:国家にとって創価学会は、あんまり経験したことのない団体だと思うんですよね。
佐藤:そう思います。創価学会の面白さや謎というのはそこなんです。今でも創価学会って、国家もよくわからないところがあると思う。それはやっぱり、宗教と政治っていうものが重なるところもあれば、重ならないところもあるということ。
それから、創価学会もいま過渡期にきている。2014年という年が、実は創価学会にとってすごく大きい年だったと僕は思うんですよ。一つは、公明党の結党50年で、再び池田大作氏の名前と顔が出てきた。これ、唐突なんです。それまで出てこなくて。公明党の50年党史で突然出てくるんです。
それと同時に、教義条項の改正というのがあって、大石寺(たいせきじ)にある本尊との関係を断ち切るということをやったんですよね。翌年に、この教義条項をどういうふうに読むかっていうことで、江戸時代に日寛という非常に重要な指導者がいたんですが、この「日寛教学」の見直しに入る。それから「勤行要典(ごんぎょうようてん)」という、彼らが朝晩祈念する文章の中に、牧口常三郎、戸田城聖、池田大作っていう3人の名前が入った。そしてそのあと、創価学会の憲法に相当する「会憲」を作り、創価学会インタナショナル(SGI)のネットワークとしての位置付けを整備する。その基点が2014年だと私は見ています。
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それとともに、公明党の人が創価学会の話をするようになってきた。創価学会の人も、政治の話をストレートにするようになりました。それまでは、公明党の会合に行くと創価学会のことは言わない。池田大作氏のことは言わない。政教分離を徹底するんだっていうのがありました。実は、政教分離というのは、国家が特定の宗教を優遇したり忌避したりすることを禁じるもので、宗教の側から政治に関与することは構わないんだけれども、創価学会も、言論問題以降、過剰に抑制しているところがあった。それがオープンになってきたっていうのも面白いなと。
澤田:確固たる宗教を持たない一般的日本人からすると、宗教とは既にでき上がっているもので、教義も今から変わるものではないと感じがちなのですが、今のお話を伺うと、いまだに変わり続けて、発展して変化していこうという意思が内側にある。面白いですね。
佐藤:面白いと思います。変わらないために変わるというところがあるわけですよね。この本の最後は会憲でまとめたんですけれど、その意味において、この会憲で創価学会は宗教として完成したと僕は見てるんですよ。
澤田:私、最初に面白いと思った歴史小説ってヘンリク・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』なんです。宗教が人間の歴史の中で変化していって、今につながっていくという点が、読んでいてすごく面白かったんですけれど、そういった視点でもこの『池田大作研究』を読みました。まさにキリスト教がずっとやってきたことが、第2次世界大戦中から今までの間に、ぐっとまとまって、この一冊に詰まっている。人間の歴史は幾度も幾度も同じことが重なっていくものです。だからこの先も、またどういうふうに変わっていくのかなと思いました。創価学会は完成したとおっしゃいましたけれど、キリスト教だって、いつでも改革はあります。
佐藤:それは変わっていきます。一つのベースができて、その土俵の上で変わっていくということです。
(構成/編集部・木村恵子)
佐藤優(さとう・まさる)/作家・元外務省主任分析官。『創価学会と平和主義』『危機の正体』『ウイルスと内向の時代』『世界宗教の条件とは何か』など著書多数。2020年の菊池寛賞を受賞。
澤田瞳子(さわだ・とうこ)/作家。2010年、『孤鷹の天』でデビュー。『満つる月の如し 仏師・定朝』で新田次郎文学賞受賞。『若冲』『火定』『落花』『能楽ものがたり 稚児桜』で4度の直木賞候補に。
※AERA 2020年11月16日号より抜粋
宗教嫌いの帯津医師 30年以上観音さまを崇める深い理由 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
宗教嫌いの帯津医師 30年以上観音さまを崇める深い理由
連載「ナイス・エイジングのすすめ」
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「観音さまとのつきあい」。
【講談師の田辺鶴瑛さんの写真はこちら】
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【宗教】ポイント
(1)宗教にあまり関心がない、というより好きではない
(2)一方で、長らく観音さまとつきあっている
(3)私にとって、観音さまは虚空を体現するもの
私は宗教には、あまり関心がありません。というよりも、好きではないのです。
前回も登場した統合医学のオピニオンリーダー、アンドルー・ワイル博士はこう言っています。
「宗教は霊性を制度化しようとする。宗教の名においておこなわれていることの多くは、個人の安寧というよりは制度の永続化にかかわるものである。宗教的であろうとなかろうと、人は霊的な生活をいとなみ、霊性の健康におよぼす影響を探究することができるのだ」(『心身自在』上野圭一訳、角川文庫)Andrew Weil
まさにその通りだと思います。ところが、その考え方と矛盾するようですが、私は長らく観音さまとつきあっています。
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30年ほど前から病院の自室の棚には観音像が3体鎮座しているのです。いずれも座位で15~20センチぐらいの丈。中国の方のお土産です。その3体の後ろには亡き家内の写真を飾っています。生前、十分なことをしてやれなかった家内も観音さまとして崇(あが)めることにしているのです。
自宅の机の上にも観音さまの絵が額に入って鎮座しています。やはり30年くらい前に、講談師の田辺鶴瑛さんにいただきました。左に微笑(ほほえ)んだ観音さまの顔が描かれ、右に「きっと、うまくいく」と書かれています。
観音さまは正式には観音菩薩(ぼさつ)と言います。菩薩とは悟りをひらくために修行中の人を言うのですが、観音菩薩はすでに悟りをひらいていながら、我々のところに降りてきて、救いを求める人たちを救済してくださるありがたい存在です。三十三身に姿を変えて、私たちを救うのですが、その威力は絶大です。法華経の第二十五章「観世音菩薩普門品」には「大火の中に突き落とされても、観音菩薩のことを忘れなければ、焼かれることはない」「大洪水にのみ込まれても、観音菩薩の名を称(とな)えれば、たちまち浅いところにのがれることができる」とあります。
私は朝5時ぐらいに病院に着くと、自室の観音さまの前で「延命十句観音経」を唱えます。短いお経なので、あっという間に終わります。このお経は私が尊敬する白隠禅師が広めたものです。そこで唱えることにしたのですが、私は観音さまに願い事をしているわけではありません。
白隠禅師は弟子たちに「虚空と一体になれ」と言い続けました。虚空とは私たちの霊性の源です。私たちの霊性つまり「いのち(SPIRIT)」は虚空から来て虚空に帰るのだと思います。
実は私にとって、観音さまは虚空を体現するものなのです。観音さまの前で「延命十句観音経」を唱えることで虚空とつながることができます。ワイル博士が言うように、宗教的であるかないかは問題ではありません。いずれ虚空と一体になれるのではと期待しています。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2020年11月20日号
「宗教がかっている」と言われ…帯津医師が自分の「信仰心」を明かす (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
「宗教がかっている」と言われ…帯津医師が自分の「信仰心」を明かす
連載「ナイス・エイジングのすすめ」
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「私の信仰心」。
【折口信夫さんの写真はこちら】
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【古代人】ポイント
(1)「帯津先生は宗教がかっている」と言われることが
(2)私は宇宙の真理を翻訳者なしで読んでいる
(3)私の信仰心は古代人のレベルなのかもしれない
以前にも書きましたが、私は宗教にあまり関心がありません。ところが一方で、「霊性」とか「あの世」とかについてよく語るので「帯津先生は宗教がかっているのではないか」と言われてしまうことがあります。
駿台予備学校で医学部志望の学生を前に講演したときにも、そういうことがありました。真面目そうな学生さんが質問に立ち上がり、「先生の言っていることは、宗教ではありませんか」と問いただしたのです。私は一瞬たじろぎましたが、とっさにこう答えました。
「いえ、私は宇宙の真理を解き明かそうとしているだけで、それは宗教ではありません。宇宙の真理を上手に翻訳した天才の思考や行動に感動し、共鳴した人々が集まって教団をつくるのが宗教です。つまり宗教の教祖は名翻訳者です。私は翻訳者になろうとは思わないし、翻訳者に対する興味もありません。私は宇宙の真理を原書で読んで、それを私が求める医療につなげたいと思っているだけなのです」。学生さんたちの前で、ずいぶん偉そうなことを言ってしまったものです。
こういう私も信仰心といったものがないわけではありません。毎朝、観音さまを拝んで、大きな声で「延命十句観音経」を唱えています。
私の生家は浄土宗のお寺の門前にありました。ですからお寺の境内が遊び場だったのです。そして毎月8日の縁日には、身を正してご本尊さまを拝みました。4月8日の灌仏会(かんぶつえ)には庫裏に安置された釈尊像に甘茶を注ぎました。こうしたことを思い出すと当時の敬虔(けいけん)な気持ちが蘇(よみがえ)ってきます。しかし、その信仰心とは神仏に対する畏怖(いふ)の念ではなかったと思います。
コロナ禍のストレス軽減で注目の“瞑想” グーグルでは専用の部屋も (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
コロナ禍のストレス軽減で注目の“瞑想” グーグルでは専用の部屋も
コロナ禍の今、ついイライラして悪態をついたり、悩み悔やんだりすることはないだろうか。そうした心のストレスを減らす効果があるという「マインドフルネス」が注目を集めている。仏教に由来し、宗教色を取り除いた瞑想(めいそう)法だ。社員のために取り入れる企業も増えてきている。
【写真】車座になってマインドフルネスを実践する様子
「マインドフルネスを通じて、物事への反応や捉え方、ストレスの感じ方が変わります。心と体にゆとりを持った生活が期待されます」
そう語るのは「にこフル」代表の中村悟さん。ヤフーやカルビーなどの企業を含め、これまで5千人以上に講師としてマインドフルネスを伝えてきた。
「日本では2016年くらいから広まり始め、ここ数年はメンタルヘルス対策として研修などで導入・検討する企業が増えてきています。特にこの1年間はコロナ禍もあって、世の中全体が『散らかっている』状態。マルチタスク(同時に複数の仕事をこなすこと)やリモートワーク(在宅勤務)が求められ、家と会社のオン・オフの切り替えがうまくできないという人が多い。それが注目される理由ではないでしょうか」
中村さんの導きで、記者も実際に体験してみた。
「まずは1分間、ぼーっとしてみてください」
雑念はよくないだろうと思い、無心になろうとする。だが、環境音や仕事の進捗(しんちょく)の不安など、いろんなことが頭をよぎった。
「無心になれなかったという『評価』はする必要がありません。無になることが目的ではなく、いろんなことを考えていたなと、俯瞰(ふかん)的に観察できていればいいんです。自分はこういう状態であるということに気づいていることが、マインドフルネスにおいては重要です」
次に、ひたすら呼吸に注意を向ける3分間のマインドフルワークを試みる。椅子に座ってする場合は、両足を地面につけ、臀部(でんぶ)は座面にぴったりとつける。下半身をどっしりとさせて座るイメージだ。上半身は背筋を伸ばしてリラックスさせる。
「ほとんどの人が、始めて数秒後に気がそれます。大切なのは注意がそれたことに気づけるかどうか。気づいたら再び呼吸に注意を戻します。その繰り返しです。この反復練習がトレーニングになります」
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3分間を終えて感じたのは、1回目より集中し、気持ちの切り替えがうまくいったようだということだ。
マインドフルネスによって、心理的ストレスの低減や作業効率の上昇、免疫機能の向上などが期待できるという。その理由はどこにあるのか。
『高齢者のマインドフルネス認知療法』の共編著があり、米ミシガン大の老年医学センターでソーシャルワーカーを務めるフォーク阿部まり子さんが解説する。
「元はお釈迦様が教えられていたもので、2500年前から伝わる原始仏教が由来です。その教えは漢語では『念』。文字からもわかるとおり、“今の心”に気づくことをマインドフルネスと言います」
念の教えが西洋に渡った際に、宗教を離れてヘルスケアに役立つように応用されたのがマインドフルネスだ。1970年代に米国の研究者によって開発された。
「医学ではどうにもできないような疼痛(とうつう)などの慢性疾患を対象として始まったトレーニングが、今のマインドフルネスの広がりのきっかけです。一般の人たちに広く知られるようになってきたのは、ここ10年ほどのことです」
契機になったのは、2007年に巨大IT企業の米グーグル社が企業研修に導入したことだ。社内には専用の瞑想室が設けられ、社員に人気だという。阿部さんによれば、米国では州によって、学校教育の中でマインドフルスクールとして教えるところもあるうえ、高齢者にも人気が高いという。
「自分の心の状態に気づくというのは、うつや不安症の予防にも役立ちます。私は主に高齢者を対象にカウンセリングをしていますが、この10年くらいで心理療法として使うようになりました。エビデンス(根拠)に基づいた科学的研究が多く発表されていて、高血圧、摂食障害にも効果があります。精神科医からの依頼も増えていて、需要の高まりを感じています」
“今の心に気づく”とは具体的にどういうことなのか。マインドフルネスに詳しい琉球大学の伊藤義徳教授が説明する。
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他国より来世を信じない日本人 「死への不安」も強い傾向と帯津医師が解説 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)
他国より来世を信じない日本人 「死への不安」も強い傾向と帯津医師が解説
連載「ナイス・エイジングのすすめ」
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「来世と死の不安の関係」。
【教職員にアドバイスする京都大学のカール・ベッカー教授の写真はこちら】
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【死後】ポイント
(1)他国より来世を信じない日本人は死への不安も強い
(2)来世を信じても死の不安のすべてはなくならない
(3)スピリチュアリティーに対して謙虚に心を開こう
ターミナルケアや死生学を専門分野にしている宗教学者のカール・ベッカーさんとは古いつきあいです。そのカールさんの教え子がうちの病院で臨床心理士として働いていたことがあります。
藤田みさおさんというとても優秀な方でした。その後、京都大学の博士課程に進学され、現在は同大iPS細胞研究所で特定教授をされています。
その藤田さんが病院にいた時に書いた原稿が「来世を信じることは死の不安をやわらげるか──がん医療の現場から」というものでした。とても興味深いテーマです。カールさんが編者をした『生と死のケアを考える』(法藏館)という論考集に収録されています。
藤田さんは国別の死の不安の強さについて、様々な文献によって考察しています。死の不安を心理テストで数量化すると、そういう比較が可能になるのです。その結果、東南アジア人が死を最も恐れない民族であり、欧米人は中くらい、一番死を恐れるのは日本人であることがわかりました。
なぜそうなるのか。ギャラップ社が行った国際的な世論調査によると(藤田さんが原稿を書いたのが2000年ですから、かなり古い調査です)、死後の世界を信じる人が米国で67%、豪州で43%を占めるのに対し、日本では18%しかいないのです。つまり、来世を信じない日本人は死への不安も強いと考えられます。
藤田さんによると、来世を信じることで、死が怖くなくなるという調査結果はいくつもあるとのことですが、興味深いのは臨死体験者40人へのインタビューです。臨死体験の前後で、死後の世界があると信じる人は47%から100%に増加し、死への恐怖があるという人は78%から0%に減少したというのです。臨死体験は来世の存在の証明にはなりませんが、体験者にとっては実にリアルなものなのでしょう。
藤田さんは死の不安の内容についても踏み込んでいます。死の不安とは、自己の存在が消滅することへの恐怖感のほかに、苦痛のなかで死んでいく不安、家族や友人と別れてしまう不安、自分が死体になったり埋葬されたりする不安など様々あります。藤田さんは病院での臨床体験を踏まえて、来世を信じることで死の不安がすべてなくなるわけではないと語り、そういう実例を紹介しています。その上でこう結論づけています。
「(来世といった)目にみえないもの、科学で明らかにされていないものによって、患者だけでなく、家族や知人、医療スタッフも癒(いや)されることがある。(中略)こうしたスピリチュアリティーに対して謙虚に心を開いていくところに、終末期医療の内容を豊かにしていく可能性が秘められているのではないか」(同書)
私もまさに、その通りだと思っています。
帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中
※週刊朝日 2021年1月22日号