2022/12/15

放送一覧|ETV特集

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【CaNoW】認知症のお母様と思い出の地巡り~今も記憶の底に残る思い出~患者さんの願いを叶えるプロジェクト第2弾

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【CaNoW】ダイジェスト版~認知症のお母様と思い出の地巡り~今も記憶の底に残る思い出~患者さんの願いを叶えるプロジェクト第2弾

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【CaNoW】クリスマス企画~小児科病棟に突然サンタが来たら~入院中の子供たち大興奮!~患者さんの願いを叶えるプロジェクト

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【CaNoW】小児HUS後遺症の中学生の夢は~サッカー観戦に挑戦!患者さんの願いを叶えるプロジェクト

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【CaNoW】阿部選手の引退と奇跡の大勝~前立腺がんを経験した島さんと70年来の大親友の物語~患者さんの願いを叶えるプロジェクト第5弾

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【CaNoW】母娘の感動ストーリー~巨人の阿部選手の引退試合にもらった勇気~患者さんの願いを叶えるプロジェクト

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【CaNoW】感動の再会!『もう一度、大好きな職場で同僚と教え子に囲まれたい』◆末期がん大学教授の切なる願い◆患者さんの願いを叶えるプロジェクト第1弾

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【CaNoW】人生最後の涙の再会 10年ぶりに姉を訪ねて600km離れた福岡へ【泣ける】

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【CaNoW】脳梗塞不全麻痺からの回復!~水陸両用車椅子で悲願の八ヶ岳へ!~リハビリ支えた夫婦の絆と愛!

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【CaNoW】感動の実話~波乱万丈を乗り越えて!初恋の人と叶えた幸せな結婚~離婚・医療ミスによる下肢不全・車椅子の花嫁~

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【人工知能×医学】AI義手で叶えた長年の願い~失った左手でどこまでできるか挑戦【ジェンガ・ステーキ・コップにチャレンジ】最新筋電義手

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医療だけではない!心のケアを提供 ~乳がんと精神科医、母としての葛藤~

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医療だけではない!心のケアを提供 ~乳がんと精神科医、母としての葛藤~

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心臓病とともに生きる。母子の想いとは

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30代で末期すい臓がんが見つかった女性、最後に母と見たかった景色 ~医療者が繋いだ患者の想い~

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13歳から闘病~病状の悪化、成人式の延期で諦めかけてたコロナ禍での家族写真~

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お母さんは、がんステージ4 ~父との最後の約束~家族で大塚国際美術館に行きたい~

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「何があるかわからないから今を楽しみたい!」ムコ多糖症II型の少年

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강좌 안내 - 영적 케어 워커

강좌 안내 - 영적 케어 워커



특정 비영리 활동 법인(NPO) 
일본 영적 케어 워커 협회



공지
영적 케어 강좌
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강좌 안내



스피리츄얼 케어 워커 양성 강좌의 수업 내용이란?

 일본의 일류 강사진을 갖춘 커리큘럼입니다. 수강생은 의사·간호사·약제사 등 의료 관계자, 사회 복지사·개호사 등의 복지 관계자가 많습니다만, 암의 환자 분, 유족의 수강생도 계십니다. 또한 스님의 수강생이 많은 것도 본 협회의 특징입니다. 승려 자격을 가진 수강생은 임상 종교사의 수험 자격도 얻을 수 있습니다. 본 협회의 영적 케어 워커 프로그램의 특징은 좌학뿐만 아니라 실천을 통해 배우는 것에 특징이 있습니다.





영적 케어 워커 양성 기초 코스


2022년도 일본 스피리츄얼 케어 워커 협회 기초 코스 커리큘럼
스피리츄얼 케어 워커의 기초인 커뮤니케이션 능력의 향상을 위해, 또 대인 관계 능력의 향상을 목표로 한 임상 심리학적 훈련을 실시합니다. 본 코스 수료 후에는 심리 상담원(초급)의 자격이 인정됩니다만, 한층 더 통합 이론의 코스를 수료되면 심리 상담원(상급)의 자격이 인정 수여됩니다.
22년 강의 기초.docx
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스피리츄얼 케어 워커 양성 원조론 코스(1년째)


2022년 이론 코스는 다양한 영적 케어와 영성의 이론을 배웁니다.
본 협회는 불교 케어가 기반이지만 기독교, 신도, 유교 등의 다양한 이론을 배웁니다. 종교 이론뿐만 아니라 의료, 간호학, 철학, 복지학, 교육학, 심리학 등 다양한 학문에서 영적 케어에 대해 이론적으로 배웁니다.
22 년 강의 지원.xlsx
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스피리츄얼 케어 워커 양성 실천 코스(2년째)


2022년도 실천 코스에서는, 현장 경험이 풍부한 강사의 좌학 뿐만이 아니라, 스스로의 실천을 통해 배웁니다.
실천 코스에서는 호스피스, 치매 시설 등에서 실습을 실시합니다. 또 자원봉사도 필요합니다. 실습 후 사례의 기록을 정리하여 슈퍼바이즈를 받고, 클라이언트측으로부터, 또 다른 다른 수강생으로부터의 다양한 시점으로부터 스피리츄얼 케어를 이해하는 방법을 배웁니다.
22년 실라버스 실천.docx
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비탄 케어 코스


2022년도 비탄 코스의 커리큘럼 일람입니다. 소중한 사람을 잃고 유해한 사람의 슬픔의 여로에 다가가는 방법을 배웁니다.
슬픔의 모든 측면에 대해 배웁니다. 인간의 죽음 이후의 종교 의식이 단순화되는 반면 애완 동물이 가족의 일원으로 맹렬하게 장사된다는 현실이 있습니다. 그 배후에, 「정말로 필요한 비탄은 무엇인가?」라는 질문이 있는 것 같아요. 본 강좌에서는, 그러한 질문에 수강생과 함께 생각하는 강의를 준비하고 있습니다. 이 코스를 수료하면 「비탄 케어사」의 자격이 인정 수여됩니다.
22 년 강좌 비탄 모호함 포함.xlsx
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2022년도의 공개 강좌의 안내입니다.
신청은, 이 파일안의, 신청 폼을 이용해 신청해 주세요.
공개 강좌 안내.docx
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"앞으로의 영적 케어"
「앞으로의 스피리츄얼 케어」라는 제목에 대해 생각하는 것은, 「과거, 현재, 미래를 종합적으로 생각한다」를 요구하고 있다.
쿠보지 선생님 강연 레주메.docx
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케어하는 사람의 케어
사람을 케어하기 위해서는 특히 마음의 케어를 하는 사람은 자신의 마음의 케어를 유의하지 않으면 지속적인 케어는 어려울 때가 있습니다. 그러나, 일본인은 사람으로부터 케어를 받는 것에 독특한 무서움이 있는 것에 대해 생각합니다.
야마소에 강연 레즈메.pptx
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VIM 체조란 무엇인가?
VIM 체조의 기본 컨셉은
【세계 제일의 명의는 당신! 】
자신이 신체와 상담하면서, 기분 좋은 편, 편한 분을 사용해, 릴렉스 하는 것만으로, 신체의 부조나 아픔을 취해 가는 것입니다.
이 체조는 마츠에이 선생님이 담당하는 일류 선수들도 하고 있는 것입니다.
미야 선생님 레즈메.docx
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공개 강좌의 입금처 안내







공개 강좌 등 수강료의 송금 방법 – 우체국의 창구에서, 전신 지불 청구서 (현금의 분 5 만엔 미만 550 엔 5 만엔 이상 770 엔) ·전신 대체 청구서 (우저의 통장 가지고 계신 분 창구 146 엔 ATM100 엔)으로 지불해 주시도록 부탁드립니다.



수취인 계좌 기호 13340 

      번호 12947141

배달 특정 비영리 활동 법인 일본 영적 케어 워커 협회

CaNoW 願いカナウ 【患者さん・高齢者・障がいをお持ちの方の願いを叶えるエムスリー株式会社のプロジェクト】 伊東英明主演でドラマ化、医師の心も癒す臨床宗教師とは?

CaNoW 願いカナウ 【患者さん・高齢者・障がいをお持ちの方の願いを叶えるエムスリー株式会社のプロジェクト】 伊東英明主演でドラマ化、医師の心も癒す臨床宗教師とは?




伊東英明主演でドラマ化、医師の心も癒す臨床宗教師とは?

この記事は、2020年1月26日に、医療従事者向けWEBメディア「m3.com」内に、
「特集: 患者の願いを叶える『CaNoW』Vol. 11 伊藤英明主演でドラマ化、医師の心も癒す臨床宗教師とは?」のタイトルで掲載されたものです。


https://youtu.be/SOoLlC7EPe4


「臨床宗教師」とは、被災地や医療機関、福祉施設などで被災者や患者に心のケアを提供する“宗教者”のこと。布教や伝道を目的とせず、対象者の価値観を尊重しながら苦悩や悲嘆に寄り添う活動を続けています。欧米のチャプレンに相当するこの役割に「臨床宗教師」と名付けたのは、東北大学医学部で臨床教授を務め、緩和ケア医として活躍した故・岡部健先生。養成開始から9年を経た2020年、ドラマ「病室で念仏を唱えないでください」の監修にも関わるなど、注目度の高まる臨床宗教師の活動についてお話を伺いました。

【お話を伺った方】
東北大学大学院文学研究科
死生学・実践宗教学専攻分野
実践宗教学寄附講座 教授
高橋 原 先生

同 准教授
未来型医療創造卓越大学院プログラム
スマート・エイジング学際重点研究センター
谷山 洋三 先生
東北大岡部医師の考案でスタートの臨床宗教師、ドラマ化も

───臨床宗教師とは?

高橋先生
臨床宗教師は、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で、心のケアを提供する宗教者のことを指します。布教や営利は目的とせず、宗教者としての経験を活かし、対象者の苦悩や悲嘆に寄り添う役割を担っています。2011年に、東日本大震災で被災者のケアにあたった東北大学の医師 岡部健先生の考案で「臨床宗教師」と名付けられ、養成がはじまりました。2018年には日本臨床宗教師会による資格制度がスタート、全国で約200名の臨床宗教師が活動しています。

───どんな方が受講できるのですか?

高橋先生
臨床宗教師の認定には、大前提として宗教者である必要がありますが、一般の方が受講できるプログラムも開講しています。たとえば当研究室の「臨床宗教実践講座」は現在、3名の看護師が受講されています(2019年12月現在)。

───1月には僧侶 兼 医師を題材としたドラマ「病室で念仏を唱えないでください」もスタートし注目が集まっています。実際、医師は臨床宗教師になれるのですか?

谷山先生
じつは3名だけ 、医師免許を持った臨床宗教師が存在します。うち1名は現在も病院で勤務中です。ただ実際には、医師と宗教者、異なる役割を持つ仕事を両立することは難しいかと思われます。

じつは私も原作マンガを読み「このままではまずいな…」と考えていたのですが、プロデューサーさん(ドラマ『コウノドリ』『ブラックペアン』等を手掛ける)から連絡をもらいまして。「関係者からクレームがつかないようなドラマにしたい」とおっしゃるので、私も“チャプレン監修”として少しだけ設定に注文をさせていただきました。

───主人公(僧侶 兼 救命救急医)は、袈裟(けさ)で院内をうろつき、ときに患者さんを殴るような破天荒なキャラクターです。

谷山先生
ドラマが現実と異なるのは、皆さんも よくご存じでしょう。誤解を防ぐため、ドラマでは臨床宗教師という呼称は使用しないようお願いしましたが、基本的には原作を尊重しています。

臨床宗教師の背景は仏教・神教・キリスト教など様々です。病院を含む公共空間での活動にあたっては倫理綱領を遵守しており、袈裟を着用することもありませんし、読経やお祈りも依頼が無い限りはしません。宗教を忌避される方を訪問することもありません。あくまでもニーズに応じて活動しています。

───実際にはどのような活動を?

高橋先生
病院においては、病や死の不安を抱える患者さんやご家族の言葉を傾聴するとともに、患者さんを支える職員のストレス軽減への貢献を。また福祉施設や在宅ケアの部分では、高齢者の方々が充実した日々を生きられるようなお手伝いを。不安を抱えるご家族のご相談にも応じています。傾聴とスピリチュアルケアが活動の基本です。
看護師受講生が学んだ「どうしようもないことに向き合う」では、臨床宗教師が行う「傾聴とスピリチュアルケア」は医療現場でどう役立つのでしょうか。受講生の一人、グループホームで看護師として働くGさんにお話を聞きます。

───受講のきっかけを教えてください。

Gさん
この20年で医療の在り方や、命に対する考え方が変わってきました。患者さんの望む生活を最後まで支援するという方向性を掲げる一方、本人の意思決定が通らない場面もたくさん経験するうち、このまま看護師を続けてもいいものかと価値観が揺らぐ出来事に遭遇しました。そんなときに、宗教者とともに学ぶ中で何か気付きを得られないか、と受講を決めました。

───ここで学んだことは?

Gさん
看護師は「原因があって病気がある」という因果関係を重視しますが、ここでは 「どうしようもないことに向き合う」「どうにもならないことを受け入れる」 という考え方をします。終末期医療、緩和ケアの分野はもちろん、あらゆる患者さんに寄り添うことを意識したとき、この考え方は非常に重要ではないでしょうか。

受講以来、入居者さんから「ゆっくり話を聞いてくれる人」と認識してもらえるようになり、ホームで生活する苦悩や、幼いころのエピソードなど、ケアを行う上でも重要な話を聞かせてもらえるようになりました。 高齢者が増えてきたいま、スピリチュアルケアができる医療者は必要不可欠な存在になってくると思います。
傾聴とセルフケア、医師にできることは?

───臨床宗教師のおこなう傾聴について、医療者にヒントをいただけませんか?

谷山先生
医療者にも宗教者にも共通して言えることですが、まずは「自分が上」だという感覚を捨てることです。医療者は傾聴についてときに「引き出す」という言葉を使われます。しかし、人間は誰しも心にしまっておきたいことがあり、無理に引き出せば心が散らかってしまうでしょう。「こぼれたものを残さずに拾う」という考え方が大切です。

また傾聴では、相手の気持ちや心の動きに焦点を当てますが、この第一歩として、「自分の心の動き」を理解する訓練をします。日本人は感情を表に出さない風潮があるため、相手の感情も読み取りにくく、自分の感情にも気づきにくい。まずは「イライラしているな」「悲しいな」など、自分と向き合うことで、相手の感情も徐々に理解できるようになります。

人間は相手の話を聞くときにどうしても「自分」が出てしまいますが、自分の心の癖や傾向を知ると、相手の話から極力「自分」の影響を排除できるようになります。スピリチュアルケアは、相手の内面に触れること。触れる手は、できるだけまっさらな状態にしておきたいですよね。

───患者さんを受け止め続けて、自身の心が疲れたときはどうしたらいいでしょう?

谷山先生
セルフケアの意識づけが大切です。日常の、たとえば“チョコを食べる”という動作ひとつとっても「私は今からセルフケアをするのだ」という意識をもって食べる。3分間じっと目をつぶってみるなど、短時間でも仕事を忘れる瞬間を作りましょう。

───先のお話にもありましたが、臨床宗教師は医師や看護師のケアもしてくださるのですよね?

谷山先生
患者さんだけでなく、職員もそれぞれの葛藤を抱えています。その心を解きほぐし、思いを語っていただき、整理する。このお手伝いが私たちの役割です。

私たちは、病院の中でも外でもない中立的な立場。職場の悩み、人生相談、ちょっとした愚痴など様々なことを打ち明けていただきます。

患者さんやご家族のお話は共同守秘義務の元、医療チームにのみ共有しますが、職員の話は一切口外しません。「辞めたいな…」という愚痴も気軽にこぼせることが大切で、実際には医師・看護師含め職員の離職率を下げられる可能性があると考えております。

───臨床宗教師に医療機関へ来てほしい、話を聞いてほしいという場合はどうしたらいいのでしょうか?

谷山先生
各エリアの臨床宗教師会にご相談ください。宗教者としての仕事と並行して活動しているので、常勤というのは少々難しく、週に数回のボランティアとして関わらせていただくことが多いです。

医師と宗教者の共通点として、周囲の持っているイメージとのギャップがあるのではないかと考えております。常に「先生」と言われ、ときに崇められ、過剰な期待をかけられ…なかなか弱みや悩みを打ち明けられないこともあるでしょう。けれど実際には医師も宗教者も、普通の人間です。患者さんのケアはもちろん、医師を含めた職員のケアについてもご相談いただければと思います。
ドラマ「病室で念仏を唱えないでください」の放送がスタートし、注目の集まる臨床宗教師。患者さん・職員のケアやサポートの担い手として、そして悩みを抱えているという医療従事者の相談相手として、頼れるパートナーになってくれるかもしれません。次回は、患者支援プロジェクトCaNoW※を通じ、がん闘病中の精神科医師が、臨床宗教師にその思いの丈を打ち明けます。



また、東北大学では現在、令和2年度 「臨床宗教教養講座」の受講者を募集しています。応募〆切は2月7日(金)。
詳細はこちらをご覧ください。


※患者支援プロジェクトCaNoWとは

人生100年時代、2025年には全人口の約18%にあたる2179万人が後期高齢者に。さらに医療の発達により、さまざまな疾患を持ちながらも、その病と共生する人々が年々増加しています。

「CaNoW」は、病気や加齢などを理由に叶えられなかった「やりたいこと」の実現をサポート。これまでにも先行モニター企画として、「大好きなサッカーチームをスタジアムで応援したい」「病に倒れてから一度も行けていない職場へ、もう一度行きたい」「生まれ育った土地をもう一度観に行きたい 」などの願いを叶えてきました。

詳細はCaNoW公式ホームページをご覧ください。


情報公開日: 2020.02.05
掲載元媒体:m3.com
掲載日:2020.01.26
掲載元URL:https://www.m3.com/lifestyle/720617

현대일본 공공철학 담론의 의의 - 김태창을 중심으로 - - earticle

현대일본 공공철학 담론의 의의 - 김태창을 중심으로 - - earticle

현대일본 공공철학 담론의 의의 - 김태창을 중심으로 -
The Meaning of Public Philosophy in Contemporary Japan : Focusing on Kim Taechang

박규태

한양대학교 일본학국제비교연구소  비교일본학  제31집  2014.09 pp.37-79 KCI 등재


초록
The purpose of this paper is to examine the cultural meaning of Public Philosophy in contemporary Japan. In so doing, I will pay special attention to Kim Taechang, who has been leading the various discourses on Public Philosophy since inauguration of “Kyoto Forum” with Sasaki Takeshi, ex-president of Tokyo University in 1998. Kim Taechang maintains “empowering public minds and actions of peoples by animating each individual”(活私開公), “bridging public and private”(公私共媒), and “making happiness together”(幸福共創) as the three ideals of East-Asian Public Philosophy. As a result, this paper will analyze Kim Taechang's discourses on Public Philosophy from the standpoints of “Nihonjinron”, “Korean Wave”, and “East-Asia”, noticing the so-called “thought of parallel” which may seek for the ultimate harmony among the opposite.

본고는 2천년대 초입을 전후로 하여 일본에 일기 시작한 공공철학 붐의 문화론적 의의를 고찰하는 글이다. 이때 본고는 특히 998년 4월 사사키 다케시(佐々木毅) 전 동경 대총장 및 주식회사 펠리시모의 대표 야자키 카츠히코(矢崎勝彦)와 함께 <공공철학 교 토포럼>을 창시하여 현재까지 일본 국내외의 2천여 명이 넘는 일급 전문학자들을 끌어 들여 공공철학 붐을 불러일으킨 김태창이라는 인물에 주목하고자 한다. 그는 <교토포럼>을 통해 지금까지 사상사뿐만 아니라, 시민사회, 국가, 경제, 중간집단, 과학기술, 지 구환경, 자치, 법률, 도시, 리더십론, 종교, 지식인, 조직, 경영, 건강, 의료, 세대간 관계, 자기론, 매스미디어, 언어, 교육, 비교사상, 각 나라별 공사문제, 고도정보화사회, 세대계 승 문제, 성차 문제 등 모든 분야에 걸쳐 동아시아발 공공철학과 관련하여 학제간 토론 을 주도해 오면서, 그 세 가지 이념형적 목표로 활사개공(活私開公), 공사공매(公私共 媒), 행복공창(幸福共創)을 주창하고 있다. 본고는 이와 같은 김태창의 공공철학 담론에 대해 일본문화론으로서의 공공철학, 한류로서의 공공철학, 동아시아 담론으로서의 공공 철학이라는 관점에서 분석하면서 궁극적으로 그것이 “무한의 저쪽에서 일치하는 평행선의 사유”를 지향한다는 점에 주목하고 있다.

목차

 들어가는 말 : 김태창은 누구인가
 Ⅰ. <공공철학 교토포럼> : 왜 일본인가?
 Ⅱ. 김태창의 공공철학 비전
 Ⅲ. 공공철학 담론의 일본적 의의
  1. 영성적 지식인으로서의 김태창 : 스피리추얼리티 담론
  2. 일본 담론 : 부정적 일본문화론의 전략적 복권
  3. 한국 담론 : 한류로서의 공공철학
  4. 동아시아 담론으로서의 공공철학
 나오는 말 : 무한한 평행선 너머


 <참고문헌>
 <국문요지>
키워드
공공철학 김태창 활사개공 일본문화론 한류 동아시아 담론 Public Philosophy Kim Taechang Nihonjinron Korean Wave Discourse on East Asia


저자정보
박규태
Park Kyutae. 한양대학교 교수


참고문헌

김봉진(2013_12), "김태창의 공공하는 철학과 일본", <공공철학> 36, 2013.12.
김봉진(2013_11), "동아시아에서의 생명공동태와 공공하는 철학", <공공철학> 35, 2013. 11.
김봉진(2007), "공공철학의 지평", 철학문화연구소,『철학과 현실』 74.
김태창(2013_10), "기타가와 사키코 교수의 서거를 애도함",『공공철학』 34, 2013.10.
김태창(2013_8), "공공하는 철학을 통해서 한살림운동의 뜻을 생각한다", <공공철학> 32, 2013.8.
김태창(2013_7), "한국에서 공공하는 철학을 함께 이야기하다", <공공철학> 31, 2013.7.
김태창(2013_6), "공공하는 철학과 사회관계자본", <공공철학> 30, 2013.6.
김태창(2013_5), "실천적 공공지(公共知=良識)를 지향하여: 동아시아로부터 시동하는 공공철학으로의 전환시도", <공공철학> 29, 2013.5.
김태창(2012),『(일본에서 일본인들에게 들려준 한삶과 한마음과 한얼의) 공공철학 이야기』, 야규 마코토 기록, 정지욱 옮김, 도서출판 모시는사람들.
김태창(2012_11a), "'生命'과 '立志'를 주축으로 경영을 다시 생각한다(Ⅱ)", <공공철학>23, 2012.11.
김태창(2012_11b), "'포스트 경제국가'를 지향하는 구조개혁을 새로운 공공성의 시점에서 생각한다", <공공철학> 23, 2012.11.
김태창(2012_10), "'生命'과 '立志'를 주축으로 경영을 다시 생각한다", <공공철학> 22호, 2012.10.
김태창(2012_5), "'한'과 '야마토': 그 사이의 상극 상반 상척에서 상화 상생 상복으로", <공공철학> 17, 2012.5
김태창(2011a), "韓사상 韓철학과 공공윤리(학 교육)", 한국윤리교육학회,『윤리교육연구』 26.
김태창(2011b), "공공하는 철학으로서의 한사상: 원효 최제우 김범부를 생각한다", 위덕대아시아 태평양연구소,『아태연구』 10.
김태창 편저(2010),『상생과 화해의 공공철학: 중국과의 對話共働開新』, 조성환 옮김, 도서출판 동방의빛.
김태창(2007), "공공철학이란 무엇인가?", 철학문화연구소,『철학과 현실』 74.
모리오카 마사요시(2013_12), "김태창 선생을 이야기하다: 타자와의 사이(間)를 연 사람",<공공철학> 36, 2013.12.
박규태(2011a), "고대 오사카의 백제계 신사와 사원연구", 종교문화비평학회,『종교문화비평』20, 청년사.
박규태(2011b), "'일본교'와 '스피리추얼리티': 현대일본인의 '정신'세계를 종교의 저울에 담아본다", 서울대학교 일본연구소,『일본비평』 5, 그린비.

이 땅에서 공공철학하기(1) – 다시개벽 한국인이 추구한 공공성은?

이 땅에서 공공철학하기(1) – 다시개벽



이 땅에서 공공철학하기(1)




-‘공공’이란 무엇인가?


글: 조성환


이 글은 개벽신문에 게재되었습니다




‘공공성’의 유행


언제부터인가 한국 사회에서는 ‘공공성’이라는 말이 인구에 회자되고 있다. 가령 구글에서 ‘공공성’으로 검색해 보면, ‘법률의 공공성’이나 ‘의료의 공공성’또는 ‘교육의 공공성’이나 ‘건축의 공공성’, ‘금융의 공공성’과 같은 용례가 나오는데, 이에 의하면 ‘공공성’은 모든 분야에 적용할 수 있는 ‘만능어’처럼 보인다.
마치 조선시대에 성리학에서 ‘리(理)’라는 말이, ‘사랑[愛]의 리’, ‘효도[孝]의 리’, ‘마음[心]의 리’, ‘사물[物]의 리’와 같이, 어디에도 적용할 수 있었던 것과 유사하다. 성리학에서 ‘리’는 모든 존재에게 적용되는, 그러나 그 내용은 조금씩 다른, 당위적 ‘가치’를 의미하였다. 모든 사물에는, 그중에서도 특히 인간에게는, ‘그렇게 있어야 할 모습’이 있는데, 그것이 바로 ‘리’라는 말로 표현되었다.
마찬가지로 ‘공공성’은 오늘날 한국 사회에서 누구나 지켜야 하는, 어떤 분야에도 두루 적용되는, 공통의 덕목을 가리키는 말로 쓰이는 것 같다. 그런데 문제는 그 덕목이 모종의 이유에서 잘 지켜지지 않고 있고, 그래서 ‘공공성’이라는 말이 일종의 화두처럼 쓰이는 느낌이다. 가령 세월호 사태가 있은 지 얼마 후, 〈공공성 꼴찌 국가 한국…세월호와 ‘공공성’〉이라는 제목의 뉴스가 보도되었는데(2014.11.7. SBS 인터넷판 뉴스 「취재파일」). 이 보도에 의하면, SBS와 서울대학교 사회발전연구소가 1년 동안 공동 연구한 결과, 세월호 사태의 원인은 한국 사회의 공공성이 낮은 데에 있었고, 실제로 OECD 국가들의 순위를 매겨 본 결과 한국의 공공성은 꼴찌였다는 것이다. 이것은 사회적 문제의 원인을 ‘공공성’에서 찾은 대표적인 예이다.

“공공성이란 무엇인가?”라는 물음

‘공공성’이라는 말의 유행과 더불어 “공공성이란 무엇인가?”와 같은 원초적인 질문도 자주 등장하고 있다. 가령 조원희 「공공성이란 무엇인가」(《매일노동뉴스》 2006.08.20.), 조한상 『공공성이란 무엇인가』(책세상, 2009), 이노우에 타츠오 「공공성이란 무엇인가」(부산대 한국민족문화연구소 초청강연회, 2010.11.05.), 정태인 「공공성이란 무엇인가」(《공무원U신문》 2014.11.17) 등이 그것이다.
이 공통된 물음이 말해주는 것은 ‘공공성’이 사람들의 중요한 관심사이기는 하지만 그 의미가 잘 파악되지 않는다는 것이다. 즉 공공성이 중요한지는 알겠지만 그것이 정확히 무엇인지는 잘 모르겠고, 그래서 “공공성이란 무엇인가”라는 질문이 계속해서 던져지고 있는 것이다. 그리고 한 걸음 더 들어가서 생각해 보면, 어쩌면 여기에는 우리가 의식하고 있는 것보다 더 깊은 철학적 의미가 깔려 있는지도 모른다. 즉 ‘공공성’이라는 말 속에는 ‘한국인’들이 생각하는 ‘민주주의’의 핵심, 더 나아가서는 ‘정치’나 ‘경제’의 핵심이 담겨 있는지도 모른다.
그런데 이들 논의에서 공통된 것은 ‘공공성’ 개념을 논하는 데 있어 하나같이 서양의 ‘public’ 개념을 출발로 삼고 있다는 점이다. 다시 말하면 ‘공공성’을 ‘publicity’나 ‘publicness’의 번역어로만 이해하지, 원래 동아시아사상에서 논의되어 온 ‘공공성’ 개념은 전혀 고려의 대상으로 삼고 있지 않다는 사실이다. 이러한 현상은 실은 ‘공공성’ 개념뿐만 아니라 한국의 대부분의 인문학적 논의에서 보이는 공통된 현상이기도 하다.
그렇다면 동아시아에는 서양의 ‘publicity’에 해당하는 개념이 없었을까? 다시 말하면 ‘publicity’의 번역어로서의 ‘공공성’ 개념은 어떻게 해서 탄생한 것일까? 그것은 원래부터 한자문화권에 있던 말일까? 아니면 번역을 위해서 만들어진 말일까? 이하에서는 이러한 물음에 대한 답의 일환으로 동아시아 고전에 나오는 ‘공공’ 개념을 추적하고자 한다. 그리고 이것을 한국에서의 “공공성이란 무엇인가”라는 물음, 즉 한국 사회에서의 공공성 문제를 생각하는데 있어 첫걸음으로 삼고자 한다.

‘공공성(公共性)’ 개념의 기원

먼저 ‘공공성’이라는 말을 분석해 보면 ‘공공’+‘성’으로 나눌 수 있는데, 여기서 ‘성(性)’이란 ‘인간성’, ‘특수성’, ‘형평성’과 같이 명사 뒤에 붙어서 ‘어떠한 성질’을 나타내는 말이다. 따라서 ‘공공성’이라는 말도 일단 ‘공공의 성질’로 이해할 수 있을 것이다. 그렇다면 문제는 ‘공공’이란 무엇인가라는 물음으로 귀착된다. 즉 “공공성이란 무엇인가?”라는 질문에 답하기 위해서는 먼저 “공공이란 무엇인가?”라는 질문에 답하지 않으면 안 된다.
동아시아사상사에서의 ‘공공’ 개념에 주목한 학자는 일본에서 활동한 공공철학자 김태창이다. 그는 동아시아 고전에 나오는 ‘公共’ 개념을 바탕으로 ‘동아시아의 공공철학’을 건립하고자 하였다. 김태창의 『상생과 화해의 공공철학』(동방의 빛, 2010)에 의하면, 한자어 ‘公共’은, 지금으로부터 약 2000년 전에 사마천이 쓴 『사기(史記)』에 처음 등장한다. 구체적으로는 『사기』에 수록된 「장석지(張釋之) 열전」에 처음 나오는데, 장석지는 한나라 문제 때에 법을 총괄하는 직책을 맡고 있던 고위 관리였다. ‘공공(公共)’ 개념이 최초로 나오는 문맥은 다음과 같다.
어느 날 한나라 문제(B.C.202~B.C.157)가 궁궐 밖을 행차하다가 마침 다리를 건너려고 하는데 갑자기 다리 밑에서 한 사람이 뛰쳐나오는 바람에 문제가 타고 있던 말이 하마터면 넘어질 뻔했다. 다행히 문제는 무사했지만 자칫 잘못했다가는 황제가 말에서 떨어져 큰일이 날 수도 있는 상황이었다. 이에 문제는 즉시 장석지에게 다리 밑에서 뛰쳐나온 사람을 심문하라고 명령했다.
장석지가 자초지종을 묻자 그 사람은 이렇게 대답했다. “다리를 건너고 있는데 황제의 행차가 지나간다는 소리를 듣고 황급히 다리 밑에 숨었습니다. 한참을 있다가 행렬이 다 지나간 줄 알고 나왔는데 아직 행렬이 다리를 건너고 있던 중이었습니다.” 이에 장석지는 황제의 행차를 방해했으므로 법률에 따라 벌금 죄에 해당한다는 판결을 내렸다. 그러자 문제는 황제의 목숨을 위태롭게 한 죄에 비하면 형벌이 너무 가볍다면서 크게 화를 냈다. 이에 대해 장석지는 다음과 같이 대답했다: “법이란 천자가 천하와 함께 공공(公共)하는 바입니다.”
이 말은 문맥상으로 볼 때 제아무리 천자라 할지라도 법은 보통 사람들과 마찬가지로 공평하게 지켜야 한다는 뜻임을 추측할 수 있다. 여기에서 ‘공공’이라는 말이 처음 나오는데, 그 의미는, 앞의 ‘공公’은 ‘모두’ 또는 ‘공평하게’를 뜻하고, 뒤의 ‘공共’은 ‘함께한다’는 말이기 때문에, 전체적으로 “모두와 공평하게 함께한다”는 정도의 뜻이 된다. 그런데 여기에서 핵심은 뒤의 ‘함께한다(共)’에 있다고 보아야 할 것이다. 왜냐하면 앞의 ‘공(公)’은 ‘함께한다’를 수식하는 부사 정도에 해당하기 때문이다.
이렇게 분석해 보면, ‘공공’이 명사가 아니라 동사로 쓰이고 있다는 사실을 알 수 있다. 즉 ‘함께한다’는 행위를 나타내는 말이다. 그런데 ‘공공’이 동사로 쓰였다면 여기에 ‘성’이 붙는 것은 조금 이상하다. 왜냐하면 ‘성’이란 말은, 앞에서도 살펴보았듯이, 대개 명사에 붙어서 추상명사를 만드는 어미이기 때문이다. 하지만 그렇다고 해서 말이 전혀 안 되는 것은 아니다. ‘공공성’이란 ‘공공하는 성질’, 다시 말하면 ‘모두와 함께하는 성질’이라고 이해하면 되기 때문이다. 그래서 이 고전적인 의미의 ‘공공’에서 보면, “한국이 공공성이 낮다”고 한다면 “한국인들은 모두와 함께하는 성향이 부족하다”는 의미가 된다. 뒤집어 말하면 ‘모두’가 아닌 ‘일부’하고만 함께하거나, 아니면 ‘자기’만 생각하는 경향이 강하다는 뜻이다.

[공공철학을 다룬 도서들: 왼쪽부터 『상생과 화해의 공공철학』(김태창 저 / 조성환 역, 도서출판 동방의빛, 2010), 『세월호가 우리에게 묻다』(서울대학교 사회발전연구소 기획, 조병희, 이재열, 구혜란, 김지영 저, 한울아카데미, 2015), 『공공성이란 무엇인가』(조한상 저, 책세상, 2009), 『일본에서 일본인에게 들려준 한삶과 한마음과 한얼의 공공철학 이야기』(김태창 구술/야규 마코토 기록, 정지욱 역, 도서출판 모시는사람들, 2012)]


우주론적 차원의 ‘공공’

‘공공’ 개념이 본격적으로 쓰이기 시작한 것은 『사기』로부터 약 1000년 뒤인 성리학에서의 일이다. 성리학에서는, 『사기』에서와 같이 “법을 공공한다”는 용례 이외에도, “리를 공공한다”는 의미에서의 ‘公共之理(공공지리)’라는 말을 쓰고 있다. 여기에서 ‘리’는 앞에서 말한 우주에 존재하는 모든 사물에 대해 쓰는 말이다. 즉 법과 같이 단지 인간 사회에만 국한된 개념이 아니라, 자연에 존재하는 모든 대상에 대해 쓰이는 개념이다.
그래서 ‘공공지리’란 “모든[公] 존재가 공유하는[共] 리”를 말한다. 이것을 줄여서 ‘공리(公理)’라고도 한다. ‘공리’는 근대에 서양문물을 받아들일 때 ‘axiom’의 번역어로 채택된 말이기도 하다. 수학에서 axiom이 “어디에나 두루 적용되는 증명이 불필요한 자명한 진리”를 의미하듯이, 전통시대에 ‘공리’ 역시 모든 존재에게 적용되는 존재원리 같은 것을 가리키는 개념이었다.
그러나 그렇다고 해서 그것이 오늘날 수학이나 물리학에서 말하는 것과 같은 가치중립적인 법칙이나 원리를 말하였던 것은 아니다. 즉 뉴턴 물리학에서의 ‘만유인력의 법칙’이나 유클리드 기학학에서의 ‘평행선 공리’ 같은 것을 말하는 것은 아니었다. 성리학에서 강조하는 ‘리’에는 무엇보다도 가치 개념이 포함되어 있다. 즉 그것을 실천하면 우주의 조화를 가져올 수 있을 경우에 한해서 ‘리’라고 한 것이다(Brook Ziporyn 참조).
대표적인 예가 불교에서 말하는 ‘공(空)’이다. ‘공’은 그 원리를 체득하면 해탈을 이룰 수 있고 다른 존재와 조화롭게 살 수 있다는 점에서 ‘리’이다. 그리고 ‘공’이라는 ‘리’는 우주에 존재하는 모든 사물에게 적용된다는 점에서 ‘공공지리’, 즉 ‘공리’이다. 붓다는 이 ‘공리’를 몸소 깨닫고 중생을 위해 설파했기 때문에 중국의 성인으로 받아들여질 수 있었다. 아울러 인도의 ‘불도(佛道)’가 유교와 같은 중국의 공식적인 ‘가르침’, 즉 ‘불교(佛敎)’로 격상될 수 있었다.
이러한 흐름에 자극을 받아 성립한 성리학에서는 고대 유학의 ‘인(仁)’을 ‘리(理)’로 격상시켰다. 즉 맹자에서는 ‘인(仁)’이 타자의 아픔을 ‘측은히 여기는 마음’[惻隱之心]이라고 하는 인간의 심리현상으로 이해되었는데, 12세기의 주자에 가면 그것이 “우주가 만물을 생성하는 마음”[天地生物之心]이라고 하는 우주론적 원리, 즉 ‘공리’로까지 확장된 것이다. 즉 인간의 마음이 우주의 마음으로 확대된 것이다. “인(仁)은 사랑의 리(理)이다”[仁者愛之理]라고 하는 주자의 말은 이러한 변화를 말하고 있다.

‘공공’의 세속화

그런데 오늘날 우리가 쓰는 ‘공공성’이란 개념은, 앞에서 소개한 용례에서도 알 수 있듯이, 우주론적 차원에서의 ‘공공’이 인간사회의 영역으로 한정됨과 동시에 동사에서 명사로 그 쓰임이 변질되어 탄생한 말이다. 이와 같이 ‘공공’ 개념에 변화가 생긴 것은 20세기 초의 일본에서의 일이다. 야마와키 나오시에 의하면, 일본의 윤리학자 와츠지 테츠로(和辻哲郎)는 1930년대에 『윤리학』이라는 저서에서 ‘公共性’이라는 개념을 처음 썼다고 한다.
그런데 와츠지는 ‘공공’을 추상명사화함과 동시에 그것이 적용되는 영역을 ‘국가’로 제한시켰다. 즉 공공성이 궁극적으로 실현되는 장을 ‘국가’로 한정시킨 것이다. 그리고 그 내용도 ‘윤리’적 차원으로 축소시켰다. 주지하다시피 1930년대는 일본이 중일전쟁을 전후로 이른바 ‘전시체제’에 돌입한 시기이다. 즉 국가주의가 절정에 달한 시점이었다. 이때 탄생한 ‘공공성’ 개념이 ‘국가’를 핵심으로 하는 것은 어쩌면 당연할지도 모른다. 그 결과 전통시대의 ‘리(理)’의 자리에 ‘국(國)’이 들어가게 된다.
이때 생겨난 말이 “멸사봉공(滅私奉公)” 즉 “사(私)를 멸하고 공(公)을 받든다”는 개념이다. 다시 말하면 “공(公)을 위해서 사(私)는 희생되어도 된다”는 뜻이다. 그리고 이때의 ‘공’은 이제 ‘리’가 아닌 ‘국’으로 제한된다. 그래서 ‘멸사봉공’은 달리 말하면 국가를 위해서라면 개인은 희생되어도 된다고 하는 국가지상주의적인 표어를 의미한다.
당시에 일본은 젊은 학생들을 중심으로 자살 특공대를 만들어 미국과 싸우게 했는데, ‘멸사봉공’은 이들을 설득시키기 위해서 사용된 일종의 슬로건이었다. 또한 ‘멸사봉공’은 일제시대에 우리나라를 다스렸던 일본 총독의 연설 속에 나오는 말로도 유명하다(〈이순신 장군이 ‘멸사봉공’? 뜻이나 알고 쓰나〉, 인터넷판 《오마이뉴스》 2012년 12월 5일자). 이 연설은 일본이라는 나라[公]에 대한 봉사[奉]만이 최고의 가치라는 내용이 핵심이다. 이후에 이런 생각은 우리나라에도 전해지게 되는데, 특히 근대화 과정에서 나라를 위해서, 또는 회사를 위해서, 또는 조직을 위해서라면 개인은 희생되어도 된다는 논리로 사용되었다.
그리고 이때부터 ‘공(公)’은 주로 ‘정부’나 ‘관청’ 등을 나타내는 말로 제한적으로 사용되게 된다. ‘공직자’, ‘공무원’, ‘관공서’, ‘공기업’, ‘공익’과 같은 말이 대표적인 예이다. 반면에 국가나 사회를 뛰어넘어서 모두가 함께하는 것에 대해서 ‘공(公)’을 쓰는 일은 급격하게 줄어들게 된다. 오늘날 우리가 ‘공(公)’ 하면 곧바로 국가나 정부를 떠올리는 것은 바로 이러한 이유에서이다. 아울러 이때부터 ‘공공’이라는 말도, ‘공공 기관’이나 ‘공공 정책’과 같이, 국가로서의 ‘공(公)’을 나타내는 말로 의미가 한정된다.

나는 이것을 ‘공공의 세속화’라고 부른다. 국가를 넘어선 우주론적 차원의 ‘공공’이 국가적 영역으로 전락하게 된 것이다. 그 결과 국가와 국가를 잇는 사상적 고리는 끊어지게 되고, 인간의 문제를 우주의 차원으로까지 확장시켜 생각하는 사고는 소멸하게 되었다. 흔히 근대의 폐단으로 지적되는 인간중심주의, 생태문제, 국가주의 등은 모두 공공의 세속화와 떼려야 뗄 수 없는 관계에 있다. 따라서 오늘날의 과제는 이 세속화된 ‘공공’을 어떻게 하면 다시 자연의 영역, 우주의 영역으로까지 확장시킬 수 있는가에 달려 있다고 생각한다.

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한국인이 추구한 공공성은?




-하늘은 모든 종교를 받아들이면서도 그것에 동화되지 않는 한국적 영성을 대변한다


글: 조성환


이 글은 개벽신문에 게재되었습니다





시대의 키워드 생명과 소통

지난 학기에 대학에서 “한국철학사” 수업을 막 시작했을 때의 일이다. 어떤 외국인 여학생으로부터 내 수업을 청강하고 싶다는 메일이 왔다. 나중에 자초지종을 알고 보니, 현대 한국사회를 연구하는 한국계 미국인 학생으로, 다년간 한국을 필드워크면서 제일 많이 접한 단어가 ‘생명’과 ‘공공성’인데, 내 수업계획서에 “생명과 공공성 그리고 하늘이라는 키워드를 중심으로 한국철학사에 접근한다”고 되어 있어서 청강을 신청하게 되었다는 것이다.
우리 사회에서 ‘공공성’은 대개 공개성, 공정성, 공평성, 공익성 등을 포괄하는 말로 쓰이고 있다. 이러한 규정은 어원적으로는 서양어의 ‘public’에 기원하고 있고, 정치적으로는 근대 시민사회의 핵심 “가치에 기인하고 있다. 그런데 이 외국인 학생의 한국 사회 분석은, 한국인들에게 있어 공공성은 무엇보다도 ‘생명’을 소중히 여기는 것으로 이해되고 있음을 암시하고 있다. 실제로 우리가 세월호 사태를 분석하면서 ‘공공성’이라는 말이 화두로 등장한 것도(가령 2014년 11월 9일 sbs 뉴스 “공공성 꼴찌 국가 한국 – 세월호와 공공성”), 일차적으로는 어린 ‘생명’들이 무참히 죽어 가는 사태의 원인을 찾는 과정에서 시작된 것이었다.
한편 ‘생명’과 더불어 최근에 우리 사회에서 화두가 되고 있는 또 다른 말은 ‘소통’이다. ‘소통’은 특히 정치인들에 대해 요구되는 덕목이기도 하다. 현 대통령의 가장 큰 단점으로 ‘불통’이 지적되고 있다는 사실은, 뒤집어 말하면 ‘소통’이야말로 한국인들이 생각한 공공성의 핵심 가치 중의 하나임을 말해준다. 그렇다면 우리는 ‘생명’과 더불어 ‘소통’을 한국인이 추구한 공공성의 핵심 가치라고 볼 수 있지 않을까? 그리고 생명과 소통, 이 두 가지 가치를 상징적으로 표현하고 있는 개념이 바로 ‘하늘’이라고 생각한다. 이 글은 생명과 소통 그리고 하늘 개념을 바탕으로 한국인이 추구한 공공성을 탐색해 보고자 하는 시론이다.

생명과 공공성

태종실록이나 세종실록을 읽다보면 “호생지덕”(好生之德)이라는 말을 종종 접하게 된다. “호생지덕”이란 말 그대로 “생명을 좋아하는 덕”이라는 뜻이다. 이 말이 자주 반복되는 이유는 왕의 최고 덕목이 ‘생명존중’–우리말로 하면 ‘살림’–이라고 생각했기 때문이리라. 실제로 세종실록에 따르면, 세종은 한 고을에 굶어죽는 자가 발생하자 그 고을 수령에게 곤장 100대라의 형벌을 내렸다고 한다.
이것은 위정자의 가장 큰 임무를 백성들의 생명을 보호하는 것으로 인식했음을 말해준다. 세종실록에 유독 ‘안민’(安民=백성을 편안하게 한다)이라는 말이 자주 보이는 것도 이러한 이유에서이리라. 작년에 송파 세모녀 자살사건이 발생했을 때에 그 어떤 공직자도 책임졌다는 말을 들어본 적이 없는 것을 보면, 공공성의 의미가 얼마나 달라졌는지를 단적으로 알 수 있다. 근대 사회에서 개인의 생명보호는 1차적으로 개인의 몫인 것이다.
조선시대에 ‘병원’이라는 말 대신에 ‘활민원’(活民院)이나 ‘제생원’(濟生院)이라는 말이 쓰였다는 사실도 공공성의 핵심에 ‘생명’이 놓여 있음을 엿보게 한다. ‘병원’은 말 그대로 “병을 다루는 곳”이라는 지극히 기능적이고 가치중립적인 어휘이다. 이에 반해 ‘활민’이나 ‘제생’은 “생명을 살린다”는 가치적인 의미를 나타내고 있다.
이러한 생명존중사상이 드라마틱하게 장면이 바로 퇴계이다. 퇴계는 말년에 증손자 창양을 보았는데, 불행히도 손자며느리의 젖이 부족하여 창양은 영양실조 증세를 보였다. 그때 마침 퇴계가 데리고 있던 여종 학덕이 아이를 낳았다. 이 소식을 들은 손자 안도(=창양의 아버지)가 퇴계에게 여종 학덕을 보내달라고 부탁을 하였다. 엄마 대신 여종의 젖을 창양에게 먹이게 하기 위해서였다. 이에 퇴계는 <근사록>이라는 유교 경전의 구절을 인용하면서 “내 자식을 살리기 위해서 남의 자식을 죽일 수 없다”며 여종 학덕을 보내지 않았다. 결국 창양은 영양실조로 죽고 말았다. 퇴계는 증손자의 얼굴을 보지도 못한 채 떠나보내야 했다.
우리는 흔히 ‘퇴계학’하면 ‘경학’(敬學)을 떠올린다. 여기서 ‘경학’이란 하늘이나 천리(天理)를 의식하면서 자신의 몸과 마음을 경건히 하는 것을 말한다. 그런데 여기서 퇴계의 ‘경’은 타인을 향한다. 그것도 신분이 미천한 노비를 대상으로 한다. 여기서 우리는 퇴계의 경학이 수기(修己=자기 수양)를 넘어서 경인(敬人=타인에 대한 공경)의 차원으로까지 나아가고, 그 바탕에는 생명 존중 사상이 깔려 있음을 알 수 있다.
한국철학사에서 ‘경인’ 사상은 19세기 동학에서야 비로소 뚜렷하게 제기된다. 동학을 창시한 수운 최제우는 “시천주”(侍天主), 즉 “모든 존재는 다 하늘님을 모시고 있다”고 하였고, 그 뒤를 이은 해월 최시형은 “어린 아이를 때리는 것은 하늘님을 때리는 것이다”라고 설파하였다. 여기서 우리는 동학에서 말하는 ‘하늘님’은 곧 ‘생명력’ 그 자체를 말함을 알 수 있다. 하늘님은 우주적 생명력을 인격적으로 표현한 것이고, 그 우주적 생명력이 개별적 존재 안에 들어와 있는 것을 “시천주”라고 말한 것이다. 동학에서 타인에 대한 존중은 이 우주적 생명력에 대한 존중에 근거하고 있다.
이렇게 보면 우리는 동학의 ‘경인’ 사상의 단초가 이미 퇴계에게서 배태되어 있었음을 알 수 있다. 다시 말하면 동학의 생명 존중 사상은 퇴계사상을 잇고 있는 것이다. 그리고 퇴계의 신분을 뛰어 넘은 생명사상은 더 거슬러 올라가면 “노비도 천민(天民=하늘의 백성)이니 함부로 죽여서는 안 된다”고 한 세종의 말(26년 윤7월 24일)과도 상통한다. 유학과 동학, 임금과 백성이라는 이념적, 신분적 차이를 뛰어 넘어 이것들을 이어주는 개념이 바로 ‘생명’인 것이다. 그리고 그 바탕에는, 세종의 ‘천민’(天民)이나 퇴계나 동학의 ‘경천’(敬天)이라는 말에서 알 수 있듯이 ‘하늘’에 대한 외경이 깔려 있다.

소통과 공공성

신라시대의 사상가 최치원은 화랑정신으로 ‘풍류’를 제시한 것으로 유명하다: “나라에 현묘한 도가 있으니 ‘풍류’라 한다. (중국의 유교·불교·도교의) 삼교를 포함하고(包含三敎) 뭇 생명들과 직접 접하며 교화한다(接化群生).” 여기서 ‘포함’의 의미에 대해서 김동리의 형인 범부 김정설은, 단순히 삼교를 조화시키거나 절충한 결과가 풍류도라는 뜻이 아니라, 신라 고유정신인 풍류가 먼저 있고 그 안에 이미 중국의 삼교가 들어 있다는 의미로 해석해야 한다고 주장하였다(김범부 <풍류정신과 신라문화>). 한편 신학자 이정배 교수는 ‘포함’을 한국인들이 외래문명을 받아들이는 방식이라고 해석하였다. 달리 말하면 배제를 거부하고 조화를 추구한다는 것이다.
이 두 견해는 우리가 한국의 독특한 사상들을 구조적으로 이해하는 데 중요한 통찰을 던져준다. 즉 ‘포함’이라는 말은 한 사람에게서 복수의 종교적 아이덴티티가 있을 수 있고, 그런 종교적 다원성을 가능하게 하는 사상적 풍토가 바로 ‘풍류’라는 것이다. 이 풍류는 우리 말로 하면 ‘멋’의 다른 말이고, ‘멋’의 의미는, ‘포함’이라는 말을 염두에 두면, 서로 다른 것들이 조화를 이룬 상태이다.
이 이질적인 것들의 조화로서의 풍류정신을 멋있게 실현시킨 인물이 바로 조선후기의 실학자 다산 정약용이다. 오늘날의 한국학계는 다산의 사상 체계를 어떻게 이해할 것인가를 놓고 크게 두 가지로 입장이 갈리고 있다. 하나는 그가 완전히 서학(=천주교)에 경도되었다는 입장이고, 다른 하나는 근본적으로 유학의 테두리를 벗어나지 않았다는 입장이다. 즉 다산이 천주교에 더 경도되어 있었느냐, 아니면 유교에 더 가까웠는가를 두고 치열하게 논쟁이 벌어지고 있는 셈이다. 그리고 이러한 논쟁의 핵심에는 ‘상제’(上帝) 개념이 있다.
‘상제’는 지금식으로 말하면 ‘인격적인 신’으로, 공자 이전의 문헌인 『시경』이나 『서경』에서 자주 나오는 개념이고, 이후에는 16세기의 선교사 마테오 리치가 중국에 천주교를 전파시키기 위해서 쓴 한문교리서인 『천주실의(天主實義)』에 ‘God’의 번역어로 채택된 개념이기도 하다. 그래서 다산이 『논어』에서 강조되는 ‘천(天)’이나 주자학의 핵심 개념인 ‘리(理)’에 비해 상대적으로 ‘상제(上帝)’를 선호한 것을 두고 두 가지 해석이 가능하게 된다. 하나는 원시유학으로 돌아가고자 했기 때문이라는 해석이고, 다른 하나는 천주교에서 완전히 벗어나지 못했기 때문이라는 해석이다.
그런데 여기에서 잠깐 기존의 관점에서 벗어나서, 즉 다산은 “유학자인가? 서학자인가?”라는 양자택일식의 물음에서 벗어나서, 최치원의 ‘포함’ 개념을 적용해 보면 어떨까? 그렇게 되면 다산은 유학과 서학을 아우르고자 한, 즉 어느 한쪽을 버리지 않고 서로 소통시키고자 한 사상가였다고 평가할 수 있지 않을까? 달리 말하면 다산에게는 처음부터 종교적 아이덴티티가 하나로만 고정되어 있었던 것이 아니라 복수로 존재하였던 것이다. 이것은 마치 화랑들에게는 최소한 유교와 불교 그리고 도교라는 세 개의 종교적 아이덴티티가 포함되어 있었던 것과 유사하다.
이러한 사상이 단적으로 드러난 것이 일제시대의 종교사가인 이능화의 『백교회통』(1912년)이다. “백교회통”이란 말 그대로 “모든 종교가 장애 없이 서로 통한다”는 뜻으로, 화엄불교식으로 말하면 “백교무애”(百敎無碍) 또는 “교교무애”(敎敎無碍=종교와 종교 사이에 장애가 없다)라고 할 수 있다. 그런데 흥미로운 점은 이능화가 종교 간의 회통의 가능성을 ‘하늘’ 개념에서 찾고 있다는 점이다. 그는 “세계의 모든 민족종교는 다 하늘을 그 중심에 두고 있다”(悉皆以天爲主)고 하면서 종교 간의 회통 가능성을 설파하고 있다. 여기서 우리는 ‘하늘’이 종교 간의 소통을 가능하게 해 주는 일종의 ‘마당’ 역할을 하고 있음을 알 수 있다.
그렇다면 우리는 다음과 같은 가설을 세워 볼 수 있을 것이다. 혹시 정약용에게 있어 유학과 서학의 조화를 가능하게 했던 것도 전통적인 ‘하늘’ 개념이 아니었을까? 다시 말하면, 다산은 유학의 ‘天’이나 서학의 ‘God’, 혹은 양자에 결쳐있는 ‘上帝’ 개념을 한국인의 ‘하늘’ 개념으로 회통시킨 것이 아닐까?
이러한 추측은, 한반도에 관한 최초의 공식적인 기록이 고대 부족국가들의 전국적 규모의 제천행사, 즉 모든 백성들이 한 자리에 모여서 하늘에 제사지내는 의식이었다는 점과 결부시켜서 이해하면 한층 설득력이 더할지도 모른다. 여기서 하늘은, 황제나 천자와 같은 한 사람이 독점하는 하늘이 아니라, 모든 이가 공유하는 가치이자 동시에 모든 이를 하나로 묶어 주는 구심점 역할을 하고 있다. 뿐만 아니라 유학이라는 중국적 사상이 힘을 잃어가던 19세기에 “사람이 곧 하늘이다”는 사상을 기치로 내건 동학이 “서학과 동학은 모두 천도(天道)라는 점에서는 같다”면서 천주교와의 회통을 ‘하늘’ 개념에서 찾고 있는 것도 이러한 맥락에서 이해할 수 있을 것이다.
한편 이능화가 종교사가의 입장에서 종교 간의 회통을 말하였다고 한다면, 바로 뒤에 나온 원불교는 실제로 종교 당사자의 입장에서 종교간의 융통을 실천하였다고 할 수 있다. 이러한 사실은 원불교 재단인 원광대학교의 한복판에 인류의 4대 성인의 동상이 세워져 있는 것으로부터 추측할 수 있다. 더 흥미로운 것은 정작 원불교의 창시자는 이 안에 들어가 있지 않다는 사실이다. 그렇다면 원불교를 상징하는 ‘원’의 이미지는 이러한 서로 다른 종교들을 ‘포함’하는, 혹은 서로 소통하게 하는 하나의 ‘마당’ 역할을 한다고 볼 수 있을 것이다. 그렇다면 그 ‘원’은, 이능화식으로 말하면 ‘하늘’의 다른 표현이라고 할 수 있으리라.
이러한 사상 하에서 원불교의 창시자인 소태산은 동학의 창시자인 최제우와 증산도의 창시자인 강증산을 모두 ‘개벽’을 설파한 선지자로 극찬하였다. 여기서 ‘개벽’이란, 글자 그대로는 “하늘과 땅이 열린다”는 뜻인데, 동학의 창시자인 최제우는 “새로운 세상을 연다”는 뜻으로 재해석하였다. 오늘날 한국 사회에서 원불교가 종교 간의 대화에 가장 적극적인 자세를 보이고 있는 것은 바로 이러한 한국사상사적 배경에서이리라.

하늘에 주목해야 할 때

이상에서 본 바와 같이 한국사상사에서 ‘하늘’은 때로는 생명존중의 근거로 제시되기도 하고, 때로는 소통을 가능하게 하는 바탕으로 작동하기도 한다. 전자의 예는 세종이나 동학에서 찾아볼 수 있고, 후자의 예는 동학이나 원불교 등에서 확인할 수 있다. 그렇다면 동학의 ‘하늘’ 개념은 양자가 접해 있는 접점이라고 할 수 있을 것이다.
또한 중국의 사상 형태가 기본적으로 공자나 노자 혹은 붓다로 대변되는 ‘성교’(聖敎=성인의 가르침), 혹은 이러한 성인이 설파한 ‘도교’(道敎=도의 가르침)의 형태를 띠고 있다고 한다면, 한국의 경우에는 ‘천교’(天敎=하늘의 가르침)의 형태를 띠고 있다고 할 수 있을 것이다. 건국신화인 단군이 천신의 아들이고, 동학의 다른 말이 ‘천도’이며, 동학을 비롯하여 일제시대에 탄생한 민족종교들, 가령 대종교나 증산교 혹은 원불교 등에서 모두 ‘천제’(天祭=하늘에 대한 제사)를 지냈다는 사실은 ‘하늘’에 대한 한국인의 외경을 단적으로 말해준다.
뿐만 아니라 중국의 대표적인 유교경전인 『중용』 제1장에서 “도라는 것은 잠시도 떠날 수 없다”면서 도의 불가분리성을 강조하고, 서양의 대표적인 근대사상가인 파스칼이 『팡세』에서 “신과 함께하지 않는 비참함과 신과 함께하는 최고의 행복”을 논하면서 신과의 불가분리성을 설파하였다고 한다면, 한국의 퇴계는 “상제(=하느님)는 잠시도 떠날 수 없다”고 하였고, 동학의 최시형은 “하늘과 인간이 함께 하는 구조는 잠시도 떠날 수 없다”고 하면서 하늘과의 불가분리성을 설파하는 점은, 각 문명권 간의 좋은 대비를 보여주고 있다.
여기서 중국의 ‘도’가 질서나 지침을 상징한다면 한국의 ‘하늘’은 생명과 포용을 의미한다. 하늘이 주는 애매모호함은 일신교처럼 배타적이지도 않고 유학처럼 위계적이지도 않으며 성리학처럼 이성 중심도 아니다. 하늘은 모든 종교를 받아들이면서도 그것에 동화되지 않는 한국적 영성을 대변하는 말이다. 그것은 한국인이 추구한 공공성의 최종적인 근거이자 목표였다. 한국을 대표하는 시인인 윤동주의 『서시』가 “하늘을 우러러 한 점 부끄럼이 없기를”이라고 시작하고 있는 것은 결코 우연이 아니다. 그리고 이 ‘하늘’에 해당하는 일본어나 영어가 부재한다는 사실은 외래사상으로는 다 설명되지 않는 한국사상의 독특성을 말해준다.
해월 최시형 선생이 이 시대를 살았다면 세월호 사태를 보고서 “하늘님을 죽였다”고 개탄을 했을 것이고, 이능화가 이 시대를 살았다면 타 종교를 거부하는 배타적인 종교인들에 대해서 ‘하늘의 상실’을 느꼈을 것이다. 사회 각층에서 공공성의 상실이 우려되는 오늘날, 우리 전통사상에서의 ‘하늘’의 의미를 다시 한 번 음미해 보면 어떨까?

* 이 글은 『월간공공정책』 119호(2015년 9월호), 한국자치학회, <공공단상> 78~82쪽에도 게재되었다.

관련









「死生学」を構想しつつ、構築する

「死生学」を構想しつつ、構築する

21世紀COEプログラム
生命の文化・価値をめぐる「死生学」の構築
Construction of Death and Life Studies concerning Culture and Value of Life 2003年12月1日
目 次
「死生学 Death and Life Studies」にプライオリティはあるか
小佐野重利
林雅彦編『生と死の図像学 アジアにおける生と死のコスモロジー』
長島弘明
研究会案内・報告
シンポジウム「関東大震災と記録映画~都市の死と再生」報告
高野光平
シンポジウム「死生観と心理学」報告
秋山茂幸・横澤一彦
Hugh Mellor 教授講演研究会「意思決定理論は何を語るのか」報告
一ノ瀬正樹
鈴木岩弓教授講演研究会「『あの世』からの眼差し―遺影を飾る死生観―」報告
前川健一・島薗進
ワークショップ「生命科学とスピリチュアリティ」報告
島薗進
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/shiseigaku

心理療法における宗教性について

HKB0022L001.pdf

心理療法における宗教性について
(要約版)
鈴木 康広
Suzuki Yasuhiro
1
心理療法における宗教性について
第一部
宗教と心理学
 宗教的啓示と心理学的洞察の対話
第二部
心理療法における宗教性について
 事例研究を中心にして
鈴木康広
Suzuki Yasuhiro
2
スイス留学中に死去した亡き母に本論文を捧げます。
3
謝辞
スイスのユング研究所への留学を助言下さり、本論文のテーマを考えるきっかけを頂い
た故加藤清先生に感謝します。
日頃から薫陶、ご指導を頂いている故樋口和彦先生と論文主査の東山弘子先生、副査の
石原宏先生に感謝します。
最後に、留学中の心身ともにハードな生活を、共有し支えてくれた、妻・美奈と息子・
康太郎に何より感謝したいと思います。
4
 目次
謝辞 3
まえがき 7
はじめに 12
第一部
 宗教と心理学:宗教的啓示と心理学的洞察の対話
第一章 宗教における啓示
1 インドの宗教 33
2 イランの宗教 40
3 アイオーン像 53
4 禅 60
5 この問題に関するユングのコメント 64
第二章 心理学における洞察
1 なぜ悟りは啓蒙的なのか 78
2 悟りは“目覚め”や否や 80
3 “涅槃”に対するユングの立ち位置 82
4 悟後の長養 84
5 宗教と心理学 86
6 一なる宇宙/中心力/仏性 90
7 日本人は悟り体験が好きなのか?なぜ?この関心を心理療法とどう結びつけたらい
いのか? 96
8 洞察の諸相 102
9 カイロスの意味 107
10 共時性の実践的意味 112
11 傷ついた治療者 117
12 自我(エゴ)は必要なのか 122
第三章 結論 126
おわりに 136
5
第二部
 心理療法における宗教性について:事例研究を中心にして
第一章 事例研究
事例一 137
 夢分析と箱庭療法を併用して、個性化のプロセスを歩むことで抑鬱状態より回復した
中年女性
事例二 151
 夢分析と描画療法を併用して、欝病より回復した30歳代女性
 ~描画でたどる癒しの過程~
事例三 162
 抑鬱を主訴に来談された中年女性の箱庭療法におけるイニシエーション過程
 ~出会いと別れ、そして再出発~
事例四 164
 不登校を機に事例化した14歳の統合失調症のケース~MSSM(相互ぐるぐる描き物
語統合 Mutual Scribble Story Making)法[山中 1984]を通して~
事例五 172
 回復しナラティヴに自らを振り返った境界性人格障害のケース
 ~魂の「カルテ」~
第二章 結語 181

あとがき 184
文献 186
6
心理療法における宗教性について
第一部
 宗教と心理学
 宗教的啓示と心理学的洞察の対話
第二部
 心理療法における宗教性について
 事例研究を中心にして
7
まえがき
私は「宗教と心理学」というテーマを「宗教的啓示と心理学的洞察の対話」という副題
のもとに第一部で考察していきたい。