2022/07/28

井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 全7巻(全8冊)| 慶應義塾大学出版会

井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 全7巻(全8冊)| 慶應義塾大学出版会


慶應義塾大学出版会
Keio University Press

井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 全7巻(全8冊)MENU


井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 全7巻(全8冊)

■井筒俊彦英文著作翻訳コレクションのパンフレットはこちら

 
刊行にあたって

井筒俊彦(1914年―93年)の生誕100年を記念した『井筒俊彦全集』(全12巻・別巻、2013年-16年)の刊行によって、その思想の全体像が明らかになりつつあります。
しかし、井筒俊彦の生涯をひもとくと、1950年代半ばから約20年にわたって中近東、欧米で研究滞在し、日本語ではなく英文で多数の著作を発表した時代があります。この時期、井筒は日本語著作とは異なるアプローチでその思索を深化させ、構築していったのです。
本翻訳コレクションは、『井筒俊彦全集』と併せて、今日にいたるまで世界で読み続けられている井筒俊彦の英文代表著作を、本邦初訳で提供し、井筒哲学の全体像をより克明に明らかにするものです。

2017年4月

●『井筒俊彦全集』についてはこちらをご覧ください。

   
本コレクションの特色

◎思索の「中期」にあたる1950年代から80年代にかけて井筒俊彦が英文で著し、世界で高く評価された代表著作全七作を、本邦初訳で提供。
◎井筒哲学の中心テーマでありながら日本語では発表することがなかった唯一の「言語論」であり、幻の連続講義「言語学概論」を基にした英文処女著作『言語と呪術』を収録。
◎世界のイスラーム研究を牽引し、今なお各国語への翻訳が進む“イスラーム三部作”を初めてまとめて提示する。
◎名訳『老子道徳経』とイスラーム三部作の完成を経て、中国とイスラームの神秘主義を架橋する“最大の大著”『スーフィズムと老荘思想』待望の邦訳。
◎主著『意識と本質』への礎となり、海外のオーディエンス向けに東洋思想を平明に語った講演集『エラノス会議』を収録。
◎最新の研究に基づいた精緻な校訂作業を行ない、原文に忠実かつ読みやすい日本語に翻訳。
◎読者の理解を助ける解説、索引付き。


  


もう一人の井筒俊彦――英文著作をめぐって

安藤礼二
(文芸評論、多摩美術大学美術学部教授)

 井筒俊彦(1914―93年)は、1962年のマギル大学への赴任から、1979年のイラン革命による日本への帰還に至るまで、20年近くにわたり、活動の場を海外に移した。年齢でいうと40代の半ば過ぎから60代の半ばまでである。この間の主要著作は、そのほとんどが英文で著された。英文著作の井筒俊彦は、日本語著作の井筒俊彦とは大きく異なっている。
 なぜ、『コーラン』を選んだのか。井筒は英文著作で、明快に、こう答えてくれている。『コーラン』には、預言者を介して、人間の言葉でなく、神の言葉が記されていたからだ。預言者は、言葉の意味を変革できる特別な人間だった。なぜ、「東洋哲学」だったのか。エラノス会議に招かれ、そこで東洋をあらためて発見したからだ。エラノス会議で発表された井筒による英文の講演原稿(1967―82年)は、日本語による代表作『意識と本質』(1983年)の源泉となるとともに、それとは異なった東洋哲学へのもう一つのアプローチを示してくれている。そのはじまりにして帰結である、東洋の神秘主義思想たるタオイズムとイスラームの神秘主義思想たるスーフィズムを比較対照した英文による大著『スーフィズムと老荘思想』(初版1966―67年、改訂版1983年)がまとめられることになった。
 井筒がはじめて英文で書き上げた著作、『言語と呪術』(1956年)は、井筒が海外へ旅立つ前に完成された。そこでは、人類学と心理学が同時に論じられ、『鏡の国のアリス』の登場人物ハンプティ・ダンプティとアラビアの預言者ムハンマドが同時に論じられていた。「未開社会」を統治する呪術的な言語と、幼児が獲得する始原的な言語は同様の構造をもっている。そうした原初の言葉にして魔術の言葉を用いて、ハンプティ・ダンプティは虚構の世界に、ムハンマドは現実の世界に、意味の革命をもたらしたのだ。
 英文著作には、いまだ誰も見たことのない井筒俊彦が存在している。


   


推薦のことば 「世界に輝くイスラーム三部作」

小杉 泰
(イスラーム学・中東地域研究、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授)

井筒俊彦が英文で著したイスラーム三部作は、西洋的なイスラーム学の限界を超えて、真にグローバルな学知の時代を先導した名作である。アラビア語聖典の言語宇宙を内側から照射した『クルアーンにおける神と人間』、イスラーム独自の論理を解明し、東洋学に意味論的な大転換をもたらした『イスラーム神学における信の構造』、認識論を偏重する近代哲学に対して、存在論哲学の深淵を知らしめた『存在の概念と実在』。これらの名著によって巨星イヅツは世界に輝いた。さらに『スーフィズムと老荘思想』では、東洋の叡智・神秘哲学の神髄を比較考察するという難業で世界を驚嘆させた。
欧米のみならずイスラーム世界でも井筒イスラーム学は深甚な影響を与え、その名声によって日本がどれだけ恩恵を受けたか計り知れない。
本コレクションは、英文ゆえに日本発の世界的名著が日本の読者に届きにくいという逆説を解消するものであり、その意義は限りなく大きい。多言語の典拠と深い思索による原文を精確に日本語にした秀逸な訳業も、功績大である。イスラームの理解が喫緊の課題となっている今、二一世紀の吉報と言うべきであり、是非一読をお薦めしたい。




  


推薦のことば 「井筒俊彦――彫琢としての翻訳」
中島隆博
(中国哲学・比較哲学、東京大学東洋文化研究所教授)

 井筒俊彦は慶應義塾大学言語文化研究所の紀要において、1966年にスーフィズムを、1967年に老荘思想を論じる巻を刊行し、その改訂版が後に『スーフィズムと老荘思想』として書籍化された。
 なぜこの二つの思想が同時に一冊にまとめ上げられなければならなかったのか。それは、井筒と深い親交のあった、イスラーム神秘思想研究者のアンリ・コルバンの「メタ歴史における対話」を、イスラームと中国思想の間で実践することによって、「永遠の哲学」に触れるためであった。
 そのためには、老荘思想をイスラーム神秘思想であるスーフィズムに匹敵する神秘思想として彫琢する必要があった。井筒が『老子道徳経』の翻訳に取り組んだのはそのためであった。『老子道徳経』の第一章の井筒の翻訳を見ると「玄」を「神秘 mystery」そして「妙」を「驚異 wonder」と訳している。
 井筒が尊敬していた鈴木大拙の神秘解釈が翻訳を通じて深められていったように、井筒の神秘哲学の深い機微を理解するためには、その彫琢としての翻訳の手つきこそが重要である。そのためにも、井筒俊彦英文著作翻訳コレクションの刊行は重要な貢献となる。


   
井筒俊彦英文著作翻訳コレクション 概要
装丁 中垣信夫+中垣 呉[中垣デザイン事務所]
仕様 A5判上製
頁数 各巻約272~500頁


  


第1回配本 『老子道徳経』

[底本] Lao-tzŭ:The Way and Its Virtue
古勝隆一(中国古典学)訳



テヘラン滞在中、中国古典『老子道徳経』に注釈を施し英訳した遺稿の邦訳。井筒は伝統的な解釈に向き合い原典に忠実に言葉を選びながら、語り手の老子を、永遠なる「道」と一体化した一個の人格「私」として捉え、そこに流れる一貫した強力な思想を読みとる。井筒独自の解釈をもとに、これまでにない『老子道徳経』を読むことができる一冊。老子論としても秀逸な序文つき。

●256頁 本体3,800円

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第2回配本 『クルアーンにおける神と人間――クルアーンの世界観の意味論』

[底本] God and Man in the Koran: Semantics of the Koranic Weltanschauung
鎌田 繁(イスラーム神秘思想・シーア研究)監訳
仁子寿晴(イスラーム哲学・中国イスラーム思想)訳



日本人として初めてクルアーンを原典アラビア語から翻訳した井筒のクルアーン論。その聖典の中に示される「世界観」や、「創造主たる神」と「被造物たる人間」の関係を中心に、意味論的方法を用いて分析する。井筒が愛した無道時代の詩も満載された、イスラーム文化やクルアーンを理解するための最良の手引きとなる世界的名著。



●400頁 本体5,800円

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第3回配本 『存在の概念と実在性』

[底本] The Concept and Reality of Existence
鎌田 繁(イスラーム神秘思想・シーア研究)監訳
仁子寿晴(イスラーム哲学・中国イスラーム思想)訳



1971年、マギル大学時代に発表したイスラーム哲学に関する講演論文集。イスラーム形而上学的思惟の構造、東西の実存主義、存在一性論、さらにイラン哲学最大の思想家サブザワーリーの思想構造を、文献学的精密さと比較哲学的な方法論によって明快に分析する名論文四本を収録。井筒イスラーム論の真骨頂とも称される一冊。



●272頁 本体3,800円

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第4回配本 『イスラーム神学における信の構造――イーマーンとイスラームの意味論的分析』

[底本] The Concept of Belief in Islamic Theology:A Semantic Analysis of Iman and Islam
鎌田 繁(イスラーム神秘思想・シーア研究)監訳
仁子寿晴(イスラーム哲学・中国イスラーム思想)訳
橋爪 烈(カリフ制度史・イスラーム政治思想史研究)訳



初期イスラームの数世紀という思想史を考える上で最も興味深い時代に照明を当て、イスラームにとって最重要の概念「信仰」がいかに生まれ、発展し、理論的に完成していくのか歴史学的、文献学的に分析する。イスラーム神学とイスラームの基礎を知るために最適な一冊。



●440頁 本体5,800円

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第5回配本 『言語と呪術』

[底本] Language and Magic: Studies in the Magical Function of Speech
安藤礼二(文芸評論)訳
小野純一(イスラーム思想・哲学)



1956年に出版された英文処女著作。1949年から数年にわたり行われた伝説的な講義「言語学概論」唯一の成果であり、海外でも高い評価を得た。古今東西の古典に現れる言語の「呪術的」な機能を描き出し、それが今なお我々の中に息づくことを明らかにする。井筒言語哲学の出発点であり、後年の東洋哲学の構想へ向けて方法論的基盤となった名著。



●272頁 本体3,200円

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第6回配本 『東洋哲学の構造――エラノス会議講演集』

[底本] The Structure of Oriental Philosophy:Collected Papers of the Eranos Conference
澤井義次(宗教学・インド哲学)監訳
金子奈央(宗教学・東アジア仏教)訳
古勝隆一(中国古典学)訳
西村 玲(日本思想史・東アジア仏教思想)訳



思索の「中期」にあたる1967年から82年、井筒は日本と中国を中心とする東アジアの思想―禅、仏教、儒教、老荘思想など―を主題にエラノス会議で講演した。入念に準備された12回分の講演論文には、「東洋哲学」への一貫した思索が深まり、主著『意識と本質』へ成熟していく姿が見出せる。井筒読者必読の書。



●552頁 本体6,800円

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第7回配本 『スーフィズムと老荘思想 上――比較哲学試論』

[底本] Sufism and Taoism: A Comparative Study of Key Philosophical Concepts
仁子寿晴(イスラーム哲学・中国イスラーム思想)訳



『老子道徳経』を英訳し、意味論的方法を援用して大きな成果をあげたイスラーム三部作の発表後、井筒は、中国哲学最高峰の老荘とイスラーム神秘主義者イブン・アラビーの思想の底流に、共通した基本構造を見出し比較する、という壮大な試みに取り組んだ。長年の思索を新たな次元へと押し上げた井筒思想の堂々たる集大成。



●416頁 本体5,400円

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第7回配本 『スーフィズムと老荘思想 下――比較哲学試論』

[底本] Sufism and Taoism: A Comparative Study of Key Philosophical Concepts
仁子寿晴(イスラーム哲学・中国イスラーム思想)訳



『老子道徳経』を英訳し、意味論的方法を援用して大きな成果をあげたイスラーム三部作の発表後、井筒は、中国哲学最高峰の老荘とイスラーム神秘主義者イブン・アラビーの思想の底流に、共通した基本構造を見出し比較する、という壮大な試みに取り組んだ。長年の思索を新たな次元へと押し上げた井筒思想の堂々たる集大成。



●368頁 本体5,400円

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井筒俊彦の生涯

 1914年5月4日、東京市四谷区に生まれる。
慶應義塾大学で西脇順三郎に師事し、言語学者として出発。ギリシア神秘思想史、ロシア文学などを講義するかたわら、1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』、50 年『アラビア語入門』、51年『露西亜文学』など初期代表著作を刊行。
 1949年から開始された連続講義「言語学概論」をもとに56年Language and Magic(『言語と呪術』)を発表。同書によりローマン・ヤコブソンの推薦を得てロックフェラー財団フェローとして59 年から中近東・欧米での研究生活に入る。59 年The Structure of the Ethical Terms in the Koran(『意味の構造』として『井筒俊彦全集』第11巻に収録)を刊行。
 1960年代からマギル大学やイラン王立哲学アカデミーを中心に研究や講演、執筆活動に従事、64年God and Man in the Koran(『クルアーンにおける神と人間』)、65年 The Concept of Belief in Islamic Theology(『イスラーム神学における信の構造』)、66年-67年 A Comparative Study of the Key Philosophical Concepts in Sufism and Taoism(『スーフィズムと老荘思想』上下巻。83年に改訂版)、71年 The Concept and Reality of Existence(『存在の概念と実在』)など英文著作を精力的に発表する。
 1967年から82年までほぼ毎年エラノス会議で、老荘思想や禅、儒教など東洋哲学についての講演を行ない、計12回の講演は歿後 The Structure of Oriental Philosophy: Collected Papers of the Eranos Conference (『エラノス講演―東洋哲学講演集』)としてまとめられた。
 また、テヘランでは『老子道徳経』を中国語から英語に翻訳し刊行する予定だったが、1979年2月イラン革命激化のため日本に帰国。歿後Lao-tzǔ: The Way and Its Virtue として刊行された。
 帰国後は、長年の海外での研究成果による独自の哲学を日本語で著述することを決意、83年『意識と本質』、85年『意味の深みへ』、89年『コスモスとアンチコスモス』、91年『超越のことば』、93年絶筆となった『意識の形而上学』などの代表著作を発表した。
 1982年日本学士院会員、毎日出版文化賞、83年朝日賞受賞。93年鎌倉の自宅で死去。



●「井筒俊彦」に関する情報や、「井筒俊彦入門」はこちら
 当コーナーは、哲学者、言語学者、イスラーム学者として知られる「井筒俊彦」の入門ページです。
 若松英輔氏による多角的な視点から井筒俊彦に関するエッセイをお届けします。


텐리 대학 | 이츠키 슌히코 데이터베이스

텐리 대학 | 종교 학과 | 연구실 소식 | 이츠키 슌히코 데이터베이스
2017년 04월 11일 【종교학과】

이츠키 슌히코 데이터베이스

“이통·동양철학의 구축과 그 사상구조에 관한 비교 종교학적 검토”


국내외에서 최근, 동양 사상·이슬람학의 세계적 귀학, 이츠쓰 슌히코(1914-1993)가 구상한 「동양 철학」에 대한 관심이 점점 높아지고 있다. 이통은 유대 사상이나 이슬람 사상뿐만 아니라 인도 철학, 불교 사상, 중국의 노장 사상, 일본의 사상 등의 광범위한 철학 사상에 정통하고 있었다. 또, 30개 이상의 언어에 통창하고 있던 것은 너무 유명하다.
이러한 이통의 「동양철학」에 대해서, 2014년도-2016년도의 3년간, 연구 프로젝트(과학 연구비 조성 사업·기반 연구(B)・・과제번호 JP26284013 연구대표자 사와이 요시지(千沢大学教授)가 행해졌다. 이 공동 연구의 프로젝트는, 이통이 구상한 「동양 철학」의 사상 구조를 하나의 유의미한 사상 공간으로서 파악해, 동양의 여러 종교 사상의 시점을 근거로 해, 이통・동양 철학을 비교 종교학적인 시좌로부터 검토하는 것을 목적으로 하는 것이었다.

「이통・동양철학의 구축과 그 사상구조에 관한 비교종교학적 검토」연구활동보고서(PDF)

「이통 슌히코 데이터베이스」

「이통 슌히코 데이터베이스」는, 이통·도요 철학에 관한 이러한 공동 연구의 일환으로서 나가오카 테츠로씨(교토대학 비상근 강사)가 작성한 것이다. 이 데이타베이스에는, 이츠키 슌히코에 관한 일본어 및 유럽문의 연구문헌이, 편 연체순, 집필자명순, 장르별순으로 수록되어 있다. 연구의 용도에 맞추어 이용해 주시면 다행이다.

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #4

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #4

井筒俊彦『神秘哲学』を読む #4
mk_sekibang 土曜日, 1月 15, 2011 , 連載記事0 件のコメント


神秘哲学―ギリシアの部
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井筒 俊彦
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 年が明けてからというもの連日残業が続き、大好きな勉強時間もなかなか取れない日々を過ごしており、いまにも地獄のミサワ的に「つれーわー」などとぼやきたくなるのですが、本日は第二章『プラトンの神秘哲学』に入っていきましょう(ディスプレイの前で読者の皆様が『おつとめごくろうさまです』と念じながらこれを読まれることで、TCP/IP通信とは別な精神的通信網によって私のもとにねぎらいの言葉が届く仕組みになっていたら、少し救われる気持ちになるのになぁ……!)。

 「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」というホワイトヘッドの言葉から察せられるとおり、プラトンという思想家の存在が、西洋哲学史の巨大なマイルストーンとなっていることはいうまでもありません。プラトンに重きを置くのは井筒の神秘哲学史においても同様であり、井筒はプラトンを西欧神秘主義の第一回の頂点とみなします。しかし、井筒が描くプラトンはしばしば言われる、イデア論のプラトンではありません。井筒はイデア論を「神秘主義的絶対体験のロゴス面」(神秘を言語化したもの)と位置づけ、また「形而上学説の各段階は深い超越体験のパトス的基体に裏付けられている」と言います(P.39)。このロゴスとパトスの合一を捉えなければ真にプラトンは理解できない、というのが井筒の見立てです。

 ともあれ、プラトンのイデア論がどういったものなのか、について井筒はみていきます。ただ、すんなりと「イデア論とはこういうものである」などと叙述されるのではありません。ここで最初に井筒が持ち出してくるのは、唯名論的な認識の世界についてです。

我々は具体的個人として目前に存在するこの人、或いはかの人を見ることはできぬが、この人にもかの人にもあらざる人間それ自体というが如き普遍者を見ることはできぬ。この馬あるいはかの馬に触れることはできるが、馬そのものには触れることができぬ。すなわち人間自体、馬自体等の一般者は、我々が具体的なる個々の人あるいは個々の馬を見て其等全てに通ずる共通要素を抽象し、頭の中で組立てた理性の産物であって、人間理性を離れた超越界に存在するものではないのである。(P.40)

 常人の感覚からすれば、プラトンがイデアと呼ぶものも唯名論で存在を否定された一般者・普遍者のように思われるだろう。なぜなら一般者・普遍者を捉えようとすると、個別的世界を認識に慣れた常人の目には、それらがとても抽象的に思われるからだ。これは、個物的なものを概念で捉え、その概念を大きくしていけばよくわかるかもしれません。私は人間だ → 人間は哺乳類である → 哺乳類は生物である……みたいな感じで。概念に含まれる範囲が広くなればなるほど、抽象的になっていく。しかし、井筒はこうした認識を「対象が抽象的なのではなくして、それを見る目が抽象的なのである」(P.41)と言います。そして、こうした一般者・普遍者を鮮明に捉えようとするならば、「対象の普遍性の度合に応じたレンズを用いなければならぬ」と。その「レンズ」を井筒は「存在的見地」というのですが、この立場からすれば、普遍的なものは抽象的なものとしてではなく具体的なものとなっていく、のだそうです。

 しかし、あくまでこの存在的見地と一般的な認識力とは相反するものであります。というか、その存在的見地の具体性は、常人にはほとんど想像がつかない(私にもよくわかりません)。その想像のつかなさを井筒はこんな風に表現します。「一葉一石はおろか塵埃の末に至るまで悉(ことごと)く異常なる鮮明度を以て映し出す彼の両眼も、ひとたび遥かなる地平の彼方に向って注がるる時は、全ては濛々たる雲にかすんで徒らに虚空の無を見るのみであろう」(P.42)。うーん、なんともポエジー溢れる感じですが、第一章で何度も見てきた「一者」・「存在」・「神」というものが、常人にはこうした「虚空の無」になってしまうということですね。存在的には有であり、有の究極的根源が、虚空の無となるこの矛盾。これをギリシャの思想家たちは解決しようと頑張ってきたわけです。プラトンもまた同様。彼が「善のイデア」「イデアのイデア」と呼んだものは、有の究極的根源として理解できますし、プラトンの思想もまた神秘道、なのです。そしてプラトンが偉大だったのは、こうした有の究極的根源を認識するための手段を最初にして最大に組織化・体系化したことでした。

 プラトンによって組織化された神秘道は、もう一点、先達とは異なる特徴を持っている、と井筒は強調します。それまでの神秘道は、「一者(存在・神)」を認識するための「向上道(アナバシス)」を説いたものでした。しかし、プラトンはそこでは終わらなかったのです。アナバシスの果てに超越を得るのが、彼にとっては途の半分。そこで道人は反転して「向下道(カタバシス)」を辿り、万人のために奉仕することで完結する、というのがプラトン神秘道の全貌なのです。プラトンがカタバシスを重要視したことは有名な『国家』に現れている、と井筒は指摘していますが、この記述を読んでいて私が真っ先に思い出したのは、ルドルフ・シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』でした。


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 この著作においてシュタイナーは超感覚的世界の認識を得る方法をHowTo本的にまとめていますが、超感覚的世界の認識を得た者に対してシュタイナーは、超感覚的世界にとどまるのではなく感覚的世界に立ち戻り、感覚的世界のいまだ目覚めざる人びとを目覚めさせるための手伝いをしなければならない、と課題を出すのです*1。こうしたシュタイナーの神秘主義に、カタバシスとアナバシス的な姿を認めるのは用意でしょう。シュタイナーの神秘主義に触れたとき、私はカルトの原型を見たような気になったのですが、ここでその原型のさらなる原型を見た気分になりました。冒頭のホワイトヘッドの言葉に戻るわけではないのですが……と話がわき道にそれたところで今回はおしまいです。本日は第二章の第一節を見ることができました。次回は第二節に入っていきます。第二節ではまず『国家』に登場する有名な「洞窟の比喩」について触れられます。それでは。


「井筒俊彦―叡知の哲学」書評 思想界の巨人、「神」への対話|好書好日

「井筒俊彦―叡知の哲学」書評 思想界の巨人、「神」への対話|好書好日

「井筒俊彦―叡知の哲学」書評 思想界の巨人、「神」への対話
評者: 中島岳志 / 朝⽇新聞掲載:2011年06月19日

井筒俊彦 叡知の哲学著者:若松 英輔出版社:慶應義塾大学出版会ジャンル:哲学・思想・宗教・心理


ISBN: 9784766418118
発売⽇:
サイズ: 20cm/453,15p

少年期の禅的修道を原点に、「東洋哲学」に新たな地平を拓いた井筒俊彦。イスラームとの邂逅、カトリシズム、「意識と本質」など、哲学者・井筒俊彦の境涯と思想潮流を、同時代人と交…
井筒俊彦―叡知の哲学 [著]若松英輔

井筒俊彦は世界的イスラーム学者として知られる。しかし、彼の射程は驚くほど広い。ギリシャ哲学、言語学、ロシア文学、神秘哲学、ユング心理学、老荘思想、仏教、インド哲学……。彼は30を超える言語を理解し、気になる本はすべて原書で読んだという。司馬遼太郎は、彼のことを「20人ぐらいの天才らが1人になっている」と評した。
 そんな思想界の巨人のことを、我々は思いのほか知らない。その壮大な思考の軌跡に、我々がまだ追いついていないのだ。本書は井筒の思想に挑み、その可能性を開闢(かいびゃく)する。
 一般に、井筒は孤立した思想家というイメージをもたれている。しかし、著者が徹底して描く井筒は、対話の人としての姿である。
 井筒の対話は、時間と空間を超えていた。そして、その出会いは、常に「事件」だった。なぜなら、それは思想が生成する瞬間だったからだ。
 大川周明、西田幾多郎、柳宗悦、吉満義彦、ジャック・デリダ、イブラヒム……。井筒は多くの人と出会った。時に実際に、時に書籍を通じて。その出会いは「コトバ」を通じて超越者へと接続した。彼の問いは常に「神」へとつながり、「コトバ」へと帰着した。著者曰(いわ)く、「『存在はコトバである』、この一節に井筒俊彦の哲学は収斂(しゅうれん)される」。
 井筒にとっての哲学とは、打ち消すことのできない「神」の体験に依拠していた。そして、その体験を実証する道こそ、彼の哲学そのものだった。
 井筒は、独創的な思想家が生まれる背後に「創造的『誤読』」の存在を見た。思想家の「読み」は時に強引で、不正確だ。しかし、その偶然的誤読こそが、意味の深みへと我々を導く。井筒は確信的に誤読を繰り返し、そこからオリジナルの哲学をつくりあげた。
 我々も「誤読」を恐れず、井筒と対峙(たいじ)すべき時を迎えているのではないか。本書は井筒再評価を促す快著である。
     ◇
 慶応義塾大学出版会・3570円/わかまつ・えいすけ 68年生まれ。批評家。井筒のエッセー集『読むと書く』編集。


中島岳志(ナカジマタケシ)東工大リベラルアーツ研究教育院教授=南アジア地域研究・政治思想史

1975年生まれ。著書に「中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義」「ヒンドゥー・ナショナリズム―印パ緊張の背景」「パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義」など。

井筒俊彦 叡知の哲学著者:若松 英輔出版社:慶應義塾大学出版会

이슬람 철학의 원상 : 이츠키 슌히코

이슬람 철학의 원상 : 이츠키 슌히코

지의 쾌락, 철학의 숲에서 노는
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이슬람 철학의 원상 : 이츠키 슌히코

이츠키 슌히코는 강연집 '이슬람 문화'에서 이슬람 문화를 특징짓는 것으로 세 가지를 들었다. 주류파로서의 수니파, 반주류파로서의 시어파, 그리고 이단 사상으로서의 수피즘이다. 그 중 승니파와 시아파의 기본적인 특징에 대해 '이슬람 문화'에서는 접하고 있었던 것이지만, 수피즘에 대해서는 그 이름을 주는 것만으로 자세한 언급은 하지 않았다. 그 수피즘에 대해서도 소개한 것이 이 '이슬람 철학의 원상'이다.

수니파는 아라비아인의 세계에서 지배적이었고, 시아파와 수피즘은 이란인의 세계에서 지배적이었다. 이통에 의하면, 아라비아인이란 기본적으로는 세속적인 생각을 하는 민족이며, 그것이 선니파 이슬람의 세속주의적 경향으로 이어지고 있다는 것 같지만, 그에 대해 이란 사람이라고 하는 것은, 매우 사색을 좋아하는 경향이 있어, 심원한 사상을 전개해 보였다. 그러한 이란인의 경향은, 한편으로 시어파와 같은 순수한 종교의 추궁에 향하게 하면서, 한편으로는 수피즘과 같은 신비주의적 경향을 조장했다고 하는 것 같다. 수니파로부터 보면, 시어파 자체가 이단적인 것이지만, 그 이단적인 시어파로부터 보아도, 수피즘은 더욱 이단적이라고 하게 된다.

왜 그렇게 생각되는가. 수피즘의 사상가에게는 순교하고 살해당한 자가 많지만, 그 이유는 대체로 하나님을 깨닫는 것이었다. 수피즘의 체현자라고 불리는 사람에게는, 「나는 하나님이다」라고 주장하는 것도 나타났다. 그런데 그것이 승니파는 물론 시아파에게도 하나님을 인간화한다는 의미에서 절대로 용납할 수 없는 이단의 사상에 비친 것이다.

수피즘은 신비주의라고 말했다. 신비주의라는 것은 인간의 이성적인 인식을 넘은 곳에 진실을 구하려고 하는 경향이다. 인간은 보통 이성적인 능력을 구사하여 세계의 인식에 노력하고 있다. 그 결과 얻어지는 것은 다양한 현상으로서 분절화된 세계상이다. 그런데 이렇게 얻어지는 세계상은 본래의 세계상의 일단에 불과하다. 본래의 세계상을 포착하기 위해서는 이성적인 인식을 넘어 의식의 심연에 도달해야 한다. 그 의식의 심연에 비친 세계는 존재 그 자체이다. 그 존재 그 자체가, 분절화되어 나타난 것이, 우리가 통상 이성에 의해 파악한 세계인 것이지만, 그것은 본래의 세계에 있어서의, 단지 표층을 이루는 부분에 지나지 않는다. 그렇게 생각하고, 인간의 의식의 심층에까지 도달해, 거기서 보인 것을 기준으로 하여 세계를 다시 파악하는 것이 그것이 신비주의의 목적이 된다.

이런 신비주의의 사고방식은, 이통에 의하면, 이슬람의 수피즘에 가장 전형적으로 나타나는 것이지만, 수피즘의 전매 특허는 아니다. 비슷한 생각은 불교나 도교, 혹은 송학 등에서도 볼 수 있다. 즉 동양사상에는 많거나 적거나 신비주의의 경향이 강하다는 것이다. 신비주의는, 이성에 의해 포착되는 것 같은 분절화된 세계상의 그분에게, 분절화되기 이전의 혼돈으로 한 것을 놓고, 그것을 절대 존재라든지 혹은 무라든지 부른다. 그리고 그 절대 존재라든지 무라는 것이 자기 분절화를 함으로써 구체적인 현상이 나타난다고 생각한다.

거기에 이통은, 동양 사상에 통하는 특징을 보는 것이지만, 그러한 견해는, 니시다 기타로 등에서도 볼 수 있다. 니시다도, 분절화되기 이전의 혼돈한 것을 절대무라는 말로 불러, 그 절대무가 자기 한정함으로써 현상적 세계가 성립한다고 생각했다. 니시다의 그러한 사고방식은 아마 불교에서 온 것이고 이슬람으로부터의 직접적인 영향은 없다고 생각되지만, 어쨌든 이슬람과 불교는 신비주의를 통해 연결되어 있기 때문에 그 신비주의적인 추세가 불교를 통해 니시다에서도 볼 수 있는 것은 이상하지 않다.

불교에서는 분절화되기 이전의 혼돈 상태를 미발이라 하고, 분절화된 상태를 번발이라고 한다. 이에 대해 수피즘에서는, 미발에 상당하는 것을 「존재」그 자체로 하고, 번발에 상당하는 것을 존재의 현현이라고 한다. 미발한 존재가 자기운동을 하여 현현함으로써 현발으로서의 현상적 세계가 나타난다고 생각한다. 이것은 인식 수준의 문제처럼 보이지만 인식의 문제인 동시에 세계의 존재 방식이기도 하다. 세계는 단순히 현상으로서(평판처럼) 존재할 뿐만 아니라, 모든 현상의 원인인 존재 그 자체가 자기현현하여 현상세계를 구성한다는 중층적인 구조로 되어 있다. 그 중층적인 세계의 본연의 방식에 대응하는 형태로, 우리의 의식도 현상을 인식하는 표층의 의식의 바닥에 존재 그 자체를 파악하는 심층 의식이 있다고 할 수 있다. 즉 수피즘은, 융을 상기시키는 형태로의 의식의 중층성을 주장하고 있는 것이며, 그 의식의 중층성을 의식적으로 컨트롤 하는 것으로, 세계의 올바른 파악을 하려고 하는 것이므로 있다.

여기서 수피즘이 말하는 하나님이 문제가 된다. 이슬람은 하나님께 궁극적인 원인을 찾는 종교로서 일신교의 특징을 가장 강하게 갖추고 있는 것이지만, 수피즘이 말하는 곳의 절대무라든지 궁극의 존재라고 하는 것과, 신과의 관계가 여기서 큰 문제가 되기 때문이다. 수피즘은 하나님보다 절대 존재를 상위에 둔다. 보통의 생각이라면, 최고의 존재로서의 절대 존재를 하나님과 등가로 해야 할 곳이지만, 수피즘에 있어서는, 하나님은 절대 존재가 최초로 자기현현한 것이다. 그렇다는 것은 하나님이 상대적인 존재에 불과하다는 것을 의미한다. 거기가 수피즘이 이단으로서 엄격히 탄압된 곳이기 때문에, 수니파나 시아파로부터 보면, 수피즘은 하나님을 칭찬하는 용서가 두드러진 이단으로 보인다.

어쨌든 이 책을 읽으면 이슬람의 철학적 전통의 흐름을 잘 이해할 수 있다. 꽤 뛰어난 책이다.

사상가 소개 이츠쓰 토시히코 «교토 대학 대학원 문학 연구과 · 문학부 (2022)

사상가 소개 이츠쓰  토시히코 «교토 대학 대학원 문학 연구과 · 문학부 (2022)

사상가 소개 이츠쓰 토시히코 «교토 대학 대학원 문학 연구과 · 문학부 (2022)

이즈쓰 토시히코 1914-1993(다이쇼 3-헤이세이 5)

약력
언어학자, 철학자, 이슬람학자. 도쿄 출생. 어린 시절부터 재가의 선 수행자였던 아버지에게 독자적인 내관법을 교수받아 선서에도 친해지고 있었다. 게이오 기주쿠 대학 문학부 영문과를 졸업. 뛰어난 어학력으로 당초는 그리스 신비 사상, 이슬람 사상, 꾸란의 언어 철학적 연구에 전념. 1957년부터 1958년, 일본어로 처음의 「꾸란」의 원전으로부터의 번역이 이와나미 문고로부터 간행되었다. 다만, 이통 자신은, 이 번역에는 만족하지 않고, 「가장 소중한 문제인 문체를, 구어의 테두리내에서 철저하게」바꾸는 등해, 「사상을 새롭게 해 전부 번역해 다시 했다」 개역 코란을 1961년부터 1964년에 걸쳐 발표(「『꾸란』 개역의 서」). 엄격한 언어학적 연구를 기초로 하는 번역은 현재에 이르기까지 높게 평가되고 있다. 또 '꾸란'에 대한 의미론적 연구서, '의미의 구조'(원저는 영어에 의한)의 평가도 높다.
 이통은 한층 더 페르시아·이슬람 철학의 연구로 진행해, 그 성과가 일본의 이슬람 연구의 수준을 비약적으로 끌어올렸다. 그 후 불교사상·노장사상·주자학 등을 시야에 담은 독자적인 동양철학의 구축을 시도했다. 게이오 대학, 캐나다 맥길 대학, 이란 왕립 철학 연구소의 교수를 역임. 1967년 이후에는 엘라노스 학회에서 주로 동아시아 사상에 관한 강연을 계속했다. 이통 독자적인 철학적 의미론에 기초한 다수의 영어 논문과 저작은 일본뿐만 아니라 해외에서도 높은 평가를 받고 있다. 일본 국내에서는, 이통 탄생 백주년을 맞이한 2013년 전후부터, 모교 게이오 기학 대학의 「미타 문학」에서 두번의 이통 특집(2009년・2014년)이 간행된 것 외에, 다양한 잡지나 학회에서 이통의 사상이 다루어졌다.
 평생 연구의 집대성으로서 『이통 슌히코 전집』(2013-2016년) 및 『이통 슌히코 영문 저작 번역 컬렉션』(2016-2019년)이 게이오기학대학 출판회에서 간행되었다.

생각

이통은 다양한 언어로 집필된 사상의 문헌을 읽고, 거기에 표현된 세계관을 석출하는 것을, 자신의 저술의 기본적인 방법으로 했다. 사고와 언어를 자르고, 인류에는 공통 보편적인 것이 있다는 것을 확신, 그 체계화를 시도했다고 할 수 있다. 만년에는 동아시아, 인도, 이슬람, 유대의 신비사상을 각각의 역사적 차이를 넘은 차원에서 유형론적으로 파악하여 <동양철학>으로서 구조화하는 것을 목표로 했다. 이통은, 불교의 유식론에 있어서의 아요야키(아라야시키)——우리가 의식하지 않는 최심층에 정위하는 식——를, 언어 의미론에 응용해 「언어 아라야식」이라고 명명했다 . 다양한 언어의 수만큼 사상, 의미, 세계관·가치관이 있다고도 생각되지만, 인류에 공통 보편적인 의미가능체의 저장소 혹은 「종자」로서 언어 아라야식이 있어 다양한 형태와 이미지는 거기에서 언어나 풍토·민족성을 매개하여 결정하는 의미 구조체라고 파악했다(「이통 슌히코~어학의 천재 알려지지 않은 귀학~」).
(동영상) 나카지마 타카히로 "아시아를 가로지르는 지식[JP]"
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주요 도서

가. 
  • 책『이통 슌히코 저작집』전 11권・별권 1권, 중앙공론사, 1991년~1993년
  • 『이통 슌히코 전집』전 12권・별권, 게이오 요시카쿠대학 출판회, 2013년-2016년
  • 『이통 슌히코 영문 저작 번역 컬렉션』 전 7권(전 8권), 게이오 기학 대학 출판회, 2016년-2019년

B. 문고 혹은 신서

  • 『마호멧』 아테네 문고, 히로후미도, 1952년 / 코단샤 학술 문고, 1989년
  • 『이슬람 철학의 원상』 이와나미 신서, 1980년
  • 「코란 개판」상・중・하권, 이와나미 문고, 1985년
  • 『러시아적 인간』중공문고, 1989년
  • 『이슬람 탄생』중 공문고, 1990년
  • "이슬람 사상사"중공 문고, 1991년 / "이슬람 사상사 개판"중공 문고, 2005년
  • 『이슬람 문화――그 근저에 있는 것』 이와나미 문고, 1991년
  • 『의식과 본질――정신적 동양을 색해』 이와나미 문고, 1991년
  • 『동양철학각서 의식의 형이상학-『대승기신론』의 철학』중공문고, 2001년
  • 「코란」을 읽는다 이와나미 현대 문고, 2013년
  • 「의미의 깊이에」 이와나미 문고, 2019년
  • 『코스모스와 안티 코스모스』 이와나미 문고, 2019년
  • 『신비철학』 이와나미 문고, 2019년

C. 단행본

  • 『아라비아 사상사――회교신학과 회교철학』 오쿠보 유키지 감수, 하쿠분칸, 1941년
  • 『동인도에 있어서 회교법제(개설)』 동아연구소, 1942년
  • 『신비철학(그리스의 부)』빛의 서방, 1949년
  • "루시 A 문학" (1) (2) 게이오 통신, 1951
  • 『러시아적 인간――근대 러시아 문학사』 홍문당, 1953년
  • 「의미의 구조――코란에 있어서의 종교도덕 개념의 분석」마키노 신야역, 신센샤, 1972년
  • 『이슬람 사상사』 이와나미 서점, 1975년
  • 『러시아적 인간』북양사, 1978년
  • 『신비철학』전2권, 인문서원, 1978년
  • 『이슬람 탄생』인문서원, 1979년
  • 『이슬람 문화――그 뿌리에 있는 것』 이와나미 서점, 1981년
  • 『의식과 본질――정신적 동양을 물색해』 이와나미 서점, 1983년
  • 「이와나미 세미나 북스 1 코란을 읽는다」이와나미 서점, 1983년
  • 『의미의 깊이에――동양철학의 수위』 이와나미 서점, 1985년
  • 『지치의 받침대――이통 슌히코 대담집』 이와나미 서점, 1986년
  • "코스모스와 안티 코스모스 - 동양 철학을 위해"이와나미 서점, 1989 년
  • 『초월의 말씀――이슬람 유대 철학의 신과 사람』 이와나미 서점, 1991년
  • 「의미의 구조――코란에 있어서의 종교도덕 개념의 분석」마키노 신야역, 신센샤, 1992년
  • 『동양철학각서 의식의 형이상학――『대승기신론』의 철학』 중앙공론사, 1993년
  • 『노자』 게이오 요시카쿠대학 출판회, 2001년
  • 『읽으면 쓴다――이통 슌히코 에세이집』
  • 『신비철학 그리스의 부』 게이오 대학교 출판회, 2010
  • 『아라비아 철학――회교 철학』 게이오 기학 대학 출판회, 2011년
  • 『노서아문학』 게이오 기주쿠대학 출판회, 2011년
  • 『선불교의 철학을 향해』 노헤이 종홍역, 푸네우마사, 2014년
  • 『이통 슌히코 잔마이』와카마츠 에이스케편, 게이오 요시카쿠대학 출판회, 2019년

D. 주요 영문 저작
(※각 저작에 대해서, 최신판의 출전만 기재)

  • 선불교의 철학을 향하여. 볼더: Prajñā Press, 1982.
  • 수피즘과 도교 : 수피즘과 도교의 주요 철학적 개념에 대한 비교 연구. 버클리: 캘리포니아 대학 출판부, 1984.
  • 창조와 사물의 영원한 질서: 이슬람 신비철학의 수필. William C. Chittick 편집. Ashland: White Cloud Press, 1997.
  • 노자: 도(道)와 덕(德). 동양철학에 관한 이즈츠 도서관 시리즈 제1권. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2001.
  • 꾸란의 윤리-종교적 개념. 몬트리올: McGill-Queen's University Press, 2002.

  • 동양철학의 구조: 에라노스학술회의 수집논문 vol.Ⅰ. 동양철학에 관한 이즈츠 도서관 시리즈 Vol.4. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2008.
  • 동양철학의 구조: 에라노스학술회의 수집논문 vol.Ⅱ. 동양철학에 관한 이즈츠 도서관 시리즈 Vol.4. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2008.
  • 언어 철학에 관한 Kukai, 동양 철학에 관한 Izutsu 도서관 시리즈 Vol.5. 다카기 신겐, 토마스 에이조 드레이틀라인 옮김. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2005.

  • 언어와 마술: 언어의 마술적 기능에 관한 연구. 이즈츠 도시히코의 집집 Vol.1. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2011.
  • 코란의 신과 인간: 코란의 의미론. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2015.
  • 이슬람 신학에 대한 믿음의 개념: 이만과 이슬람의 의미론적 분석. 도쿄: 게이오 대학 출판부, 2016.
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주요 이차 문헌

A. 단행본안도 레지・와카마츠 에이스케편 「증보 신판

  • 이츠쓰 토요코 『이즈쓰 토시히코의 학문 순례:동행 2인반』 게이오 요시카쿠대학 출판회, 2017년
  • 사이토 케이전 『「동양」철학의 근본 문제:혹은 이즈쓰 토시히코』 코단샤 선서 메티에, 2018년
  • 사카모토 공부·마츠바라 슈이치편 “이즈쓰 토시히코와 이슬람: 회상과 서평” 게이오 기학 대학 출판회, 2012년
  • 사와이 요시지 · 가마타 시게루 『이즈쓰 토시히코의 동양 철학』 게이오 요시카쿠 대학 출판회, 2018년
  • 버프만 자키푸르 『이즈쓰 토시히코의 비교철학: 선적인 것과 사회적인 것의 싸움』 치센서관
  • 와카마츠 에이스케 『이즈쓰 토시히코: 지치의 철학』 게이오 요시카쿠대학 출판회, 2011년
  • 와카마츠 에이스케 『지치의 시학 고바야시 영웅과 이즈쓰 토시히코』

B. 홈페이지(이즈쓰 토시히코에 관한 정보가 정리된 것)

또한 보십시오

게이오 기학 대학 출판회가 제공하는 이 사이트로부터, 이통의 저술, 사상, 인물에 관한 유익한 정보를 얻을 수 있다.
전집 및 번역 컬렉션의 특설 사이트에서는, 각 권의 목차나 간단한 내용 소개도 제공되고 있다.
또, 와카마츠 에이스케씨에 의한, 테마별 「이통 슌히코」 입문은, 질, 양 모두 충실하고 있다.

상기 홈페이지에는, 천리대학의 사와이 요시카즈 교수를 연구 대표자로 하는 연구 프로젝트 “이통·동양 철학의 구축과 그 사상 구조에 관한 비교 종교학적 검토”(과제 번호 JP26284013 과학 연구비 조성 사업·기반 연구 (B)의 성과가 게재되고 있다.

동 프로젝트의 공동 연구의 일환으로서 나가오카 테츠로씨(교토대학 비상근 강사)에 의해 작성된 「이통 슌히코 데이터베이스」(이통 슌히코에 관한 일본어 및 유럽문의 연구 문헌이, 편 연체순, 집필자명순, 장르별순으로 수록되어 있다)의 다운로드, 열람이 가능하다.
(구마가야 시이치로 기, 2006년 11월
)
Copyright © 2004 교토대학 문학연구과 일본철학사연구과

이즈쓰 토시히코와 신비주의 - 공空이라는 체험

신비주의와 이즈쓰토시히코 - 안쪽의 길을 찾아

안쪽의 길을 찾아
부처를 찾는 여행


신비주의와 이즈쓰 토시히코
2020/10/25 




내가 자유롭게 사용할 수 있는 말은 일본어밖에 없다. 하지만 세계에는 말의 천재라고 불리는 사람들이 많다. 그 한 사람이 '꾸란'을 일본어로 번역한 이즈쓰 토시히코라는 사람이다. 세계적으로 유명한 철학자이자 종교학자이기도 하다. 30개국어를 자유롭게 사용할 수 있었던 것 같다. 아주 믿을 수 없는 이야기다.

소문에서는 각국의 대사관원을 집에 불러 가르쳐 주었는데, 라고 하는 사람도 있지만, 본인은 사람에게 의지해 말을 배운 적은 없다고 말하고 있으므로, 아마 직접 가르쳐 주었을 것 타노는 학생 시절과 아랍어 선생님의 몇 명 정도이고 나머지는 독학일 것이다. 그 저서의 대부분을 영어로 썼기 때문에, 당초는 일본보다 서양에서의 평가가 높았다. 이 점은 스즈키 오오츠키와 비슷하다.

저는 물론 그런 천재가 아니고, 게다가 게으르니까, 모처럼 인도에 있다는데 언제까지나 영어 일상회화조차 만족스럽게 말할 수 없지만.

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그런데, 이즈쓰 토시히코가 쓴 많은 책은 전세계 종교의 신비주의를 주제로 하고 있다. 신비주의는 많은 종교에 있으며 이슬람교에서는 주류는 아니지만 수피즘이라는 종파가 그렇다. 인도의 바라몬교에는 그것과는 달리 주류의 하나인 가이일여를 주창한 베단타 학파가 있고, 중국에도 도교라는 이것도 주류의 노장 사상이 있다. 기독교에서는 이 사상은 하나님의 절대성을 침해하는 것으로서 이단 취급되는 것 같지만, 전통적 신학에서도 사람인 그리스도와 하나님은 일체라고 인정하기 때문에, 역시 그것을 안에 포함하고 있는 것은 아니다 있을까.

그럼 불교는 어떨까. 불교는 신비주의?

일반적으로는 밀교가 불교에 있어서의 신비주의라고 말해지겠지만, 이 문제를 논하기 전에 우선 신비주의라는 사상을 명확하게 정의해 두어야 한다. 
광사원에 의하면, “신·절대자·존재 그 자체 등 궁극의 실재에 어떠한 방식으로 귀일융합할 수 있다는 철학·종교상의 입장”이라고 정의되고 있다. 

불교는 일반적으로 그러한 "궁극의 실재"를 인정하지 않기 때문에, 이 정의로부터 하면 불교는 신비주의가 아니라고 말할 것이다. 하지만 과연 그럴까. 나는 그렇게 생각하지 않는다. 
대승불교의 기둥 중 하나인 <공>이라는 체험〈空〉という体験은 신비주의라고 나는 생각하고 있다. 
왜냐하면 은 일상의 현실을 변용시키는 체험이기 때문이다.

 Kojien 사전의 정의의 실수는, 신비주의의 본질을
  • 궁극의 실재에 귀일융합한다」라고 파악한 점에 있다. 
  • 그것은 "궁극의 체험에 귀일융합하는 것"이라고 정의해야 했다.

이즈쓰 토시히코는 이와나미 신서의 '이슬람 철학의 원상'이라는 책 속에서 
신비주의를 엄밀히 정의하는 것은 불가능하다고 말하고 있지만, 
통속적인 심령 현상이나 오컬티즘과 구별하기 위해 10 페이지 정도를 나누어 수피즘의 측에서 그것에 대해 면밀히 말하고 있다. 그것을 조금 난폭하게 나 나름대로 요약하면,

1. 소위 현실 또는 현실은 다층 구조를 가지고 있습니다. 존재세계가 다층적이라는 것은 우리 평소의 경험세계는 현실의 표층밖에 지나지 않기 때문에 그 안에 다른 현실이 숨어 있다는 것이다. 그리고 그것을 포착하는 의식도 다층적이며, 현실과 의식의 층은 일대일에 대응하고 있다. 하지만 현실과 의식은 별개의 것이 아니다.

2. 그리고 의식과 현실이 다른 것이 아니라 일대일 대응 관계를 가진 하나의 다층/복합적 구조체라면, 우선 의식이 깊은 층을 열지 않으면 현실의 깊은 층도 나타나지 않는다. 하지만 일상의 의식은 계속 변화하는 일상의 표층적 현실을 쫓는 만큼 바쁘다.

3. 그러므로 그를 위해서는 조직적 방법적인 특별한 수행에 의해 의식의 방식을 바꿔야 한다. 선종의 좌선, 힌두교의 요가, 송대 유자의 조용한 좌, '장자'의 좌망 등, 이들은 모두 세부 사항에서 다르나 그 본질은 모두 의식의 심층을 여는 방법이다. 이러한 방법론을 가지고 있는 종교/철학적 입장을 <신비주의>라고 부른다.


그리고 나는 해석한다. 그렇다면, 대승불교의 근본인 <공>도 大乗仏教の根本である〈空〉も보다 깊은 체험으로서의 의식의 변경이기 때문에, 불교의 본질도 이즈쓰토시히코가 말하는 의미에서의 신비주의의 하나인 것은 분명할 것이다.

하지만 대승불교에서는 일반적으로 공이라는 체험 空という体験을 체계화해 말하지는 않는다. 특히 선종에서는 “공은 언어화할 수 없기 때문에 그것을 직접 체험할 수 밖에 방법은 없다”고 한다. 원래 용수도 <공>이라는 개념을 일정한 범주를 가진 <진리>로 적극적으로 주장한 것은 아니고, 절대적 진리가 실재한다고 주장하는 타학파를 논박하기 위한 방법론으로 사용하고, 그 과정에서 임시 소메의 존재를 의미로서 고정화해 버리는 말도 부정했기 때문에, 그 해석도 말할 수 없는 것은 아니다. 하지만 선종이 주장하는 그 사고방식으로는, 하늘과 인기는 어디까지나 다른 것이 되어 버려 정말로 하나의 것이 될 수 없다, 라고 생각하고 있다. 용수가 『중론』을 말로 쓴 것처럼, 나도 하<공>을 언어화해 보고 싶다.私も空を言語化してみたい。

===
では仏教はどうだろう。仏教は神秘主義か。

一般的には、密教が仏教における神秘主義だと言われるだろうけど、この問題を論じる前にまず神秘主義という思想を明確に定義しておかなくてはいけない。広辞苑によれば、「神・絶対者・存在そのものなど究極の実在になんらかの仕方で帰一融合できるという哲学・宗教上の立場」と定義されている。仏教は一般にそのような「究極の実在」を認めないので、この定義からすれば仏教は神秘主義ではないと言われるだろう。でもはたしてそうだろうか。私はそうは思わない。大乗仏教の柱の一つである〈空〉という体験は神秘主義だと私は考えている。なぜなら、空は日常の現実を変容させる体験であるからだ。広辞苑の定義の間違いは、神秘主義の本質を「究極の実在に帰一融合する」と捉えた点にある。それは「究極の体験に帰一融合すること」と定義しなければいけなかった。

井筒俊彦は岩波新書の『イスラーム哲学の原像』という本の中で、神秘主義を厳密に定義することは不可能だと言っているけど、通俗的な心霊現象やオカルティズムと区別するために10ページくらいを割いてスーフィズムの側からそれについて綿密に述べている。それを少し乱暴に私なりに要約すると、



1.いわゆる現実、あるいはリアリティは多層的構造を持っている。存在世界が多層的であるということは、私たちの普段の経験世界は現実の表層にしか過ぎないのであって、その奥に別の現実が潜んでいる、ということだ。そしてそれを捉える意識もまた多層的であり、現実と意識の層は1対1に対応している。とは言え、現実と意識は別なものではない。

2.そして意識と現実とが別のものではなく、1対1の対応関係を持つ1つの多層/複合的構造体であるなら、まず意識の深い層を開かなければ現実の深い層も現れない。でも日常の意識は変化し続ける日常の表層的現実を追いかけるだけに忙しい。

3.なのでそのためには、組織的方法的な特別な修行によって意識のあり方を変えなくてはいけない。禅宗の座禅、ヒンドゥー教のヨーガ、宋代儒者の静坐、『荘子』の坐忘など、これらは皆細部において違っているだけで、その本質はすべて意識の深層を開くための方法である。そしてこのような方法論を持っている宗教/哲学的立場を〈神秘主義〉と呼ぶ。



と私は解釈する。そうであるなら、大乗仏教の根本である〈空〉もまた、より深い体験としての意識の改変のことなのだから、仏教の本質も井筒俊彦の言う意味での神秘主義の一つであることは明らかだろう。

でも大乗仏教では一般的に、空という体験を体系化して述べることはしない。特に禅宗では「空は言語化できないのでそれを直接体験するしか方法はない」としている。もともと、龍樹も空という概念を一定のカテゴリーを持った〈真理〉として積極的に主張したわけではなく、絶対的真理が実在すると主張する他学派を論駁するための方法論として使い、その過程で仮そめの存在を意味として固定化してしまう言葉も否定したので、その解釈もいわれのないものではない。でも禅宗が主張するその考え方では私は、空と縁起はあくまでも違ったものになってしまいほんとうに一つのものにすることはできない、だろうと思っている。龍樹が『中論』を言葉で書いたように、私も空を言語化してみたい。

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Mysticism: Christian and Buddhist (Routledge Classics) - Kindle edition by Suzuki, D.T.. Religion & Spirituality Kindle eBooks @ Amazon.com.



Mysticism: Christian and Buddhist (Routledge Classics) 2nd Edition, Kindle Edition
by D.T. Suzuki (Author) Format: Kindle Edition
4.6 out of 5 stars 15 ratings

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Hardcover$99.33

If the Western world knows anything about Zen Buddhism, it is down to the efforts of one remarkable man, D.T. Suzuki. The twenty-seven year-old Japanese scholar first visited the West in 1897, and over the course of the next seventy years became the world's leading authority on Zen. His radical and penetrating insights earned him many disciples, from Carl Jung to Allen Ginsberg, from Thomas Merton to John Cage. In Mysticism: Christian and Buddhist Suzuki compares the teachings of the great Christian mystic Meister Eckhart with the spiritual wisdom of Shin and Zen Buddhism. By juxtaposing cultures that seem to be radically opposed, Suzuki raises one of the fundamental questions of human experience: at the limits of our understanding is there an experience that is universal to all humanity? Mysticism: Christian and Buddhist is a book that challenges and inspires; it will benefit readers of all religions who seek to understand something of the nature of spiritual life.
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Editorial Reviews

Review

'Read the books of D.T. Suzuki.' - Jack Kerouac --This text refers to an alternate kindle_edition edition.

About the Author
Daisetz Teitaro Suzuki (1870-1966). The most influential Zen teacher of modern times, credited with bringing Zen to millions outside the Far East. --This text refers to an alternate kindle_edition edition.

Publisher ‏ : ‎ Routledge; 2nd edition (October 24, 2018)
Publication date ‏ : ‎ October 24, 2018
Language ‏ : ‎ English
File size ‏ : ‎ 335 KB

Print length ‏ : ‎ 204 pages
4.6 out of 5 stars 15 ratings


Top reviews from other countries

Benjamin Smith
3.0 out of 5 stars Not as good as I'd hopedReviewed in the United Kingdom on December 5, 2008
Verified Purchase

I was rather disappointed with this book, for a number of reasons.

Firstly, it is rather partisan. The treatment of Christianity really does betray a very superficial knowledge of it on the part of the author. He is prone to massive generalisations about the "East" and the "West" (Buddhism and Christianity), which are both hard to understand (because they're so broad) and condescending in tone. For the most part (not quite all of the time), Christian authors and doctrines are mentioned only in order to agree with them insofar as Suzuki thinks they are in line with Buddhism, and then to disagree with them insofar as they differ. While this sort of comparative exercise is definitely interesting, it was not as deep or as open-minded as I would have hoped (and I say this as someone who considers themselves to be a Buddhist).

Secondly - and this is a connected point - I felt that the book was far too rambly in style. I appreciate that it was not intended to be an academic work, but I don't think not being academic should give the author license to just ramble on inchoately. Zen is not academic, but the words of the Masters are not rambling but on the contrary, they are sharp.

However, saying all that the book does get 3 stars because the subject matter is so interesting, and because Dr. Suzuki evidently does have a very good knowledge of Zen Buddhism.
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신비 철학: 그리스의 부 (이와나미 문고) Paperback Bunko – February 16, 2019
by 이츠키 슌히코 (작가)
별 5개 중 4.2개 27 등급



동양사상의 개념·틀을 크게 바꿔 일본, 세계의 사상계에 반향을 일으킨 이통 슌히코(1914-93)의 초기 대표작이다. 소크라테스 이전의 철인들로부터, 플라톤, 아리스토텔레스, 프로티노스로 이어지는 그리스의 정신사를, 인지를 넘은 절대적 진리 「자연 신비주의」의 전개로서 파악한다. 그리스를 통해 동양 사상의 심층으로 밟는다. (해설 = 납부 신류)


652페이지
언어 일본어

序 文

第一部 ギリシア神秘哲学

第一章 ソクラテス以前の神秘哲学
 (1)ディオニュソス神
 (2)クセノファネス Xenophanēs
 (3)ヘラクレイトス Hērakleitos
 (4)パルメニデス Parmenidēs

第二章 プラトンの神秘哲学
 (1)序
 (2)洞窟の譬喩
 (3)弁証法の道
 (4)イデア観照
 (5)愛(エロース)の道
 (6)死の道

第三章 アリストテレスの神秘哲学
 (1)アリストテレスの神秘主義
 (2)イデア的神秘主義の否定
 (3)アリストテレスの神
 (4)能動的知性

第四章 プロティノスの神秘哲学
 (1)プロティノスの位置
 (2)プロティノスの存在論体系
 (3)一 者
 (4)「流出」
 (5)神への思慕


〔附録〕ギリシアの自然神秘主義――希臘哲学の誕生
 覚書
 第一章 自然神秘主義の主体
 第二章 自然神秘主義的体験――絶対否定的肯定
 第三章 オリュンポスの春翳
 第四章 知性の黎明
 第五章 虚妄の神々
 第六章 新しき世紀――個人的我の自覚
 第七章 生の悲愁――抒情詩的世界観
 第八章 ディオニュソスの狂乱
 第九章 ピンダロスの世界――国民伝統と新思想
 第十章 二つの霊魂観
 第十一章 新しき神を求めて――形而上学への道
 第十二章 輪廻転生より純粋持続へ


解説……………納富信留

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신비주의 기독교와 불교 (이와나미 문고)
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별 5개 중 3.8개 15


제품 설명

내용(「BOOK」데이터베이스에서)
동양철학의 틀을 크게 바꿔 세계의 사상계에 반향을 일으킨 저자 자신이 '내 무구한 원점'으로 하는 초기 대표작. 디오뉴소스 신으로부터, 소크라테스 이전의 철인들, 플라톤, 아리스토텔레스, 프로티노스로 이어지는 그리스의 정신사를, 인지를 넘은 「자연 신비주의」의 전개로서 열성을 담아 설명한다.
발행일 ‏ : ‎ 2019년 2월 16일
언어 ‏ : ‎ 일본어



이통 슌히코


1914년 도쿄 요츠야 출생.

1937년 게이오 기주쿠대학 영어영문학과 졸업, 동대학문학부 조수.

1941년 『아라비아 사상사』, 49년 『신비철학』.

1959년부터 2년간에 걸쳐 중근동·구미에서 이라즘 연구에 종사.

1961년 마길 대학 객원 교수, 69년 동 대학 이슬람학 연구소 테헤란 지부 교수, 75년 이란 왕립 연구소 교수.

1979년 이란 혁명 격화를 위해 테헤란에서 일본으로 귀국. 「의식과 본질」(1980-82년), 「의미의 깊이에」(1985년), 「코스모스와 안티 코스모스」(1989년), 「초월의 말」(1991년), 절필 「의식의 형이상학」 (1993년) 등 대표 저작을 발표.

1993년 키타카마쿠라의 자택에서 체거(78세).

사용자 리뷰
별 5개 중 4.2개
5점 만점에 4.2점
27개의 글로벌 등급




후쿠짱

별 5개 중 4.0개 철학의 기원은 신인가.2021년 12월 9일에 일본에서 작성함

철학의 기원은 신의 증거로 사상의 기원은 삶의 방법일까.


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검지문고

별점 5점 만점에 5.0점 신비 철학자 소크라테스의 잔영2019년 6월 6일에 일본에서 작성함
확인된 구매
그리스 철학은 유대교 이상으로 신비에 대해 하나님에 대해 연면이라고 생각하고 계속 생각하고자 했던 행위였다. 반신비주의적 성격의 지식이 난숙해 신비주의를 구가하고 타락해 끝났다는 단순한 것이 아니다.
소크라테스가 제일로 생각하고 있던 것은, 그냥 단순한 무지가 아니다. 신에 대한 무지, 근본적인 지의 구조였을 것이다. 그것을 더 이상 알지 못하게 한 것은 아마 재판 이후에 중요한 대화편이 焚書가 되어 소실되었기 때문일 것이다.

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아이다 승 / Aida Noboru

별점 5점 만점에 5.0점 '참으로 아름다운 것'이 아름다운 말로 표현됩니다.2017년 6월 18일에 일본에서 작성함
확인된 구매
'신비철학'이라는 매력적인 제목이 먼저 눈길을 끈다.
이어 "그리스의 부"라는 부제에 넘어집니다.
나는 신비주의에 관심이 있었기 때문에 이 제목에 끌렸다. 그러나 철학에는 희소하고, 부제에 넘어졌습니다.

앞으로 이 책을 읽을지 어떨지 결정하기 힘든 분들에게…
만약 제목의 「신비철학」이라는 말에 매력을 느끼면 꼭 읽을 수 있는 것을 추천합니다. 그리스 철학을 배운 적이 없어도 그런 것은 문제가 아닙니다. 오히려 그리스 철학에 대해 무지한 쪽이 이 책을 즐겁게 마음껏 춤추면서 읽게 되는 것이 아닐까 생각합니다. 제가 그러니까.

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Amazon 고객

별점 5점 만점에 5.0점 압도적인 어학력을 구사한 고지마 무쌍의 고대 그리스 철학사의 명저2019년 6월 20일에 일본에서 작성함

단순한 '어학상'이 아닌 천재의 젊은이지만 성숙한 명저. 니시다 기타로를 방불케 하는 독특한 문체는, 분명히, 일의 본질을 자가 약초로 한 사람에게만 허락되는 늘어난 문체. 플라톤, 아리스토텔레스를, 신비철학으로서 파악하는 탁발한 로드. 다만, 여기서 말하는 「신비」란, 근대에 오염된 사람들이 보통으로 생각하는 「신비」가 아니기 때문에, 일종의 아이러니이기도 하다.
병설의 '그리스 자연 신비주의'의 멋진 문체도 본질에 다가온다. 우에다 토시 이후의 외국시가의 번역력도 경탄한다. 예를 들어,
봄에 서면 큐도니아의 링고
수 님프들의 놀이에 놀는
깨끗한 원생을 흘러 오는 물에
관개 해

달리 어떻게 근간을 억제하고 그 '가능성'을 육성하는지에 달려 있다. 그러한 의미에서는, 본서는 틀림없이 「명저」라고 생각한다.

그렇다고는 해도, 버크슨을 괴롭히는 나로서는, 저자의 프로티노스를 들어 올리는 방법에는 약간 의심이 남는다.

철학은 Collingwood가 말한 것처럼 "수학과 시 사이에있다".

수학도 시도, 현실? 의 「사상」으로서의 위상에 있다고 생각한다. 철학도 그렇다고 생각한다. 그런데 베르크손이나 프로티노스의 철학은 어딘가 매우 안이하게 현실·실재와의 「대응 관계」를 요구하고 있다고 생각한다. 이런 철학은 ‘이야기’에 지나지 않게 느낀다.

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토토로

별 5개 만점에 1.0 추천하지 않는다. 이유를 쓴다.2019년 4월 7일에 일본에서 작성함

 1. 이 책의 간행을 명중한 이와나미의 편집자는 이 원고의 끔찍함에 절구한 것을 알 수 있다. 우선, 어리석은 한어, 그리고 사어…… 그중에서 읽을 수 없고, 광사원에조차 나오지 않는 것이 우에 백을 넘어, 저자 개인의 조어, 당자에 이르러는 그 몇 배에 오르고, 거의 해독 불능이다. 너무 심하게 폐구한 이와나미의 편집자가 그 「당자」를 부득이히 히라가나로 옮겨놓고 있는 부분까지 볼 수 있다. 특히 누스, 모양, 아이디어, 파토스, 로고스라는 철학 용어가 알려진 단어로 전개되어, 이것에 파르메니데스, 프로티노스의 궤변이 겹쳐지기 때문에, 철학서에 그다지 익숙하지 않은 분들은 거의 모를 것이다.
 그럼에도 불구하고 일단 철학의 용어를 모두 숙지하고 있고 플라톤, 아리스토텔레스의 개념을 알고 있다고 하는 분이라면, 거의 한마디 한마디에 집착하지 않고 읽는 것은 가능하다. 이 '당첨자'는 그 자면을 보는 것 어느 정도 의미내용은 파악할 수 있고, 게다가 호메로스에 영향을 받고 있는 저자의 기술의 대부분은 노래하는 이중화 수식어로 묻혀 있는 만큼, 주어 라고 술어만을 파악하는 것으로 본서의 개요는 파악할 수 있다. 수식어를 삭제한 실질적인 내용은 200페이지에 못 미친다. 거의 얻는 것은 아무것도 없을 것이다.
 2. '신비철학'이라는 제목이지만, 이것은 저자 자신도 쓴 대로 '종교서'이다. 종교자의 눈에서 본 그리스 철학으로 파악하고 싶다. 저자는 “탈자경험이 없는 것에는 신비주의는 이해할 수 없다”고 집요하게 반복한다. "일반 인간에게 초월적 진리를 가르치는 것도 무익하다."라는 것이 저자의 본심이다. 그 주제, 그 「탈자」의 「선」적, 혹은 「수피적」의 구별에 대해서는 일절 말하지 않는다. 그래서 경험주의적 자연주의의 아리스토텔레스가 '자연신비주의'로 분류되어 있다. 이것은 이슬람 성립 당초의 이슬람 철학자의 범한 실수를 그대로 이어가고 있는 것으로, 그 위화감은 심상이 아니다. 그러나, 후년, 저자 자신의 생각도 바뀐 것 같고, 399페이지 이후의 「부록」에서는 아리스토텔레스에 대한 견해에 변화가 있지만, 본편에 변경은 가해지고 있지 않다. 주장의 기둥이 사라져 버리기 때문이다.
 3. "Cogito ergo sum은 인간의 의식이 아니며 하나님의 의식이다."라고 저자는 말한다. 데카르트에는 개인의 '사유'도 저자와 같은 종교자에게는 '신의 의식'이 된다. 원래 cogito의 사유의 기초가 되는 정보의 입구는 인간의 감각 「오감」이다. 오감의 정보가 고성을 거쳐 사유가 되는 것을 이해하고, 그것을 카테고리화해 정리한 것은 아리스토텔레스였다. 이 저자는 철학상의이 아리스토텔레스의 성과조차 전혀 인식하지 못했습니다. 이 저자에게 '사유'는 하나님의 속성이며 인간과는 '하키로 살아있다'만의 질료에 불과하다. 지혜는 하나님으로부터 '유출'해 오는 것뿐이다. 이러한 신령적 신비주의의 신과 사변철학으로서의 형이상학적 신이 고차 섞여 있다. 그 결과, 저자가 도착한 것은 아폴리아였다. 그러므로 이 책은 '그리스의 부'만이 있고, 이에 이어지는 책은 나오지 않았다.
 4. 수의 개념과 신의 개념을 구별하지 않고 논하는 파르메니데스나 프로티노스의 궤변법은 원래 증명하지 않는다고 전제로 말할 수 있기 때문에 신비 종교와의 궁합이 좋고, 이 책은 두 사람의 궤변의 해설에 종시해 있다. 그리고 후반 「부록」에서는 본편의 시작 부분에서 주장한 동양의 「밀의 종교의 궁극의 원성이 즉 철학의 시작인 것이다」라고 하는 신설(진설?)에 대한 세평이 신경이 쓰인 것 같고, 이것의 해명에 종이 폭을 찢어진다 (철학이 퓨타고라스에서 시작되는 것은 라엘티오스에 의해 알려진다). 그런데 종교관의 변화를 조사하기 위해 샘플 추출된 것이 문학서·시이며, 전편의 3분의 1을 차지하는 「부록」은 물론 「그리스 문학 평론」에 빠져 있어 초점을 벗어나는 끔찍한 해설에 독자는 닫히게 된다.
 한편, 같은 시기, 비록 적국 페르시아라든지 조로아스타교가 세위를 체포하고 있었던 것을 고려하면, 동양 종교가 왜 지리적으로 페르시아를 우회해 그리스에 도달했는지, 그 그리스에서, 왜 이 마이너 한 동양의 밀의종교가 철학을 낳고 사람들의 마음을 지배할 정도의 힘을 가졌다고 주장하는지 설득력 있는 설명이 없다. 원래 문학자가 쓴 시나 극이 그대로 저자의 사상으로 파악하는 것은 문학의 사도이다.

<추기>
나중에 알았는데, 이통은 이 책의 재간시에 붙은 「신판 전서」(1978년)에 이렇게 쓰고 있다고 한다.
하지만 그때는 나도 젊었다. [… 의 요한에 있어서 발전의 절정에 이르는, 라고 하는, 매우 편한 상념에 빙빙 되어 있었던 것이었다.따라서 신비주의 일반에 대한 나의 이해의 방법도, [……]지금부터 기억하면, 인격신적 일신교적으로 너무 기울어졌다”(이통 1978:4-5).
(“신플라톤주의를 배우는 사람을 위해서” 세계사상사간 p.356)
하지만, 이 후년의 서두를 읽은 뒤로, 이 630페이지에 이르는 장대한 논문을 읽는 사람은 곧. 이와나미가 감히 초판의 머리를 붙인 것도 수긍한다.

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히카루

별점 5점 만점에 5.0점 인류사에 남는 책2020년 3월 17일에 일본에서 작성함

 오늘은 「신비 철학」은 우에다 미츠오가 주재하는 철학도 교단·신비도 「철학 수도원 로고스 자유 대학」의 교재로서 사용되고 있었다고 생각되고 있다 의 동양 철학소 수). 그 내용도 「그리스의 부」에 이어 「히브리의 부」 「기독교의 부」의 3부 구성이 예정되어 있었다. 그것이 실현되지 않았던 이유에 대해 이통 자신은 많이 말하고 있지 않지만, 1978년판의 전서에서 「극히 편한 사상에 빙빙 되어 있었다」 「지금부터 생각하면 인격 일신교에 너무 기울어지고 있었다」(시마다 카츠미 「 신비철학에서 동양철학으로 '동)이라고 말하고 있다. 그것이 스스로가 관련된 교단을 가리키는 것인지, 사색의 변화를 가리키는 것인지는 모르지만, 이통의 평생을 통람하면 후자라고 생각하는 것이 자연스럽다.
 그리스 신도 히브리 기독교 신도 인격신이다. 이통은 인격신을 받아들이는 것이 아무래도 할 수 없었다. 그렇다면 비판적인 고찰을 향하는 일이야말로 연구자의 역할이지만, 그것도 하고 있지 않다. 왜냐하면 이통은 연구자 이전에 신비도의 탐구자이자 실천자였기 때문일 것이다. 이 책에 자주 나오는 "경험한 자에게만 알 수 있다"는 말이 그것을 나타내고 있다. 그리고 이통 자신은 본서 이후 프로티노스적 일자에게 통하는 이븐 아라비의 존재 일성론이나 프로티노스에 강한 영향을 주었다고 하는 화엄경(나카무라 전의 설)에 경도해 간다.
 신비도의 관점에 서었을 때, 이통이 서양 철학에서 인정할 수 있는 것은 프로티노스까지였다고 할 수 있을지도 모른다. 그러나 이 책에서도 데카르트의 Cogito ergo sum을 에크하르트에 준하여 Cogito(우리 생각한다)는 초월적인 절대자의 의식과 일체화한 나이며, 사람이 걸리는 의식의 경지로 존재할 때, 하나님의 sum (우리 있음)이 실현된다는 사상을 전개하고 있다(본서 P.35). 이것은 헤겔에 통하는 사상이다. 이통이 데카르트 이후의 근대관념론철학에까지 걸음을 진행하고 있으면・・・. 혹은 포이엘바흐의 유물론적 신관을 진지하게 고찰하고 있으면···. 그와 같은 위대한 지성이 서양 근대 철학을 통해 버린 것은 계속되는 유감이다.
 이 책을 철학적으로 말도 안되는 사상과 정리하는 것은 간단하고, 앵무새 진리교 사건으로 대표되는 신비주의의 구조적 문제를 등반에 붙여 있던 일 이었지만, 이통 존명시의 구미에서는 신비주의적 컬트가 문제시되고 있었다)도 비판되고 있어야 할 것이다. 그러나 20세기에 살았던 한 사람이 자기의 한계까지 신비주의를 탐구한 통절한 기록으로서, 본서의 가치는 인류의 역사가 계속되는 한 불멸의 가치를 갖는다고 확실히 말할 수 있을 것이다.

부기 본서 집필 등 당시, 이통은 무거운 병에 복하고 있어, 피를 토하며 집필했다. 이 책에는 죽음의 초월이라는 인류 고지의 희귀가 맡겨져 있다. 그것이 본서에 감도는 강한 긴장감의 이유다. 본서에 의해 독자는 자신과 마주하게 될 것이다. 자신이 쓰레기라면 본서의 평가도 낮아지고, 진지하게 인생과 마주보고 살고 있다면 본서는 급히도 다할 수 없는 지혜의 샘이 될 것이다. 독자에게는 그만큼의 각오가 요구되는 것이다.

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파도바

별점 5점 만점에 5.0점 이통 슌히코의 원점2011년 4월 27일에 일본에서 검토함

이츠키 슌히코 자신이, 후년 「무구한 원점」이라고 부른 「신비 철학」(1949)의 오리지날판이다.
저작집판에 비해 술어, 문체 모두 젊은 이츠키 슌히코 독특한 감촉을 갖추고 있다.
이 책을 한 번에 이해하고 싶은 독특한 독자에게는 저작집판이 좋다.
그러나 이츠키 슌히코의 사상적 편력을 엿볼 수 있는 독자에게는 꼭 본서를 추천하고 싶다.

이 책의 서문은 저작집판에는 없는 집필 당시 이통이 직면했던 실존적 위기와
그것을 깨뜨리려는 열정으로 가득 차 있다. 서문을 읽는 것만으로도 책을 사는 의미는 있다.

이러한 책은 수년에 걸쳐 읽을 수 있습니다.
『의식과 본질』 그리고, 이 초판 『신비철학』을 반복해서 읽는 것만으로,
다른 저작을 손에 넣지 않았다고 해도, 이츠키 슌히코를 오인하는 일은 없을 것이다.

또, 그리스 신비사상사를 논한 저작으로서도 뛰어나 일본은 이 저작을 넘는
동질의 논고를 가지고 있지 않다.

통독할 시간적 여유를 갖지 않는 독자는 색인을 의지하고 관심있는 곳만 만져도
지금까지 본 적도 없는 사상세계로 막힐 수 있을 것이다.

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철학

별점 5점 만점에 5.0점 이슬람 신비주의로가는 길2019년 3월 18일에 일본에서 작성함
확인된 구매

저자의 젊을 때의 작품 때문인지, 저자의 열정이 전해지는 책입니다. 저자의 신비주의 체험의 깊이는 진짜 평범한 나 등에는 흉내낼 수 없습니다. 현대에서는 통용하지 않는 견해가 있는 것 같습니다만 저자의 열의가 한결같이 전해져 옵니다. 이 이후의 이슬람 사상의 책에 통저하는 것이 있는 것 같습니다. 저자의 젊은 때의 작품 고에 이르지 않는 처가 있어도 전부정하는 것은 암페어라고 생각합니다. 부진한 면에서 일했다면 토끼도 뿔, 저자도 굉장히 일에 맞았다고 생각하기 때문입니다. 어떤 인간이라도 슈퍼맨인 것은 불가능합니다.

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大絶画
5.0 out of 5 stars ギリシア神秘哲学の系譜
Reviewed in Japan on December 29, 2009
Verified Purchase
 著者は仏教やイスラーム哲学などの東洋哲学の研究で有名であるが、西洋神秘主義の研究が発展して東洋哲学に移行したことはあまり知られていない。そして晩年にいたっても西洋神秘主義への関心は衰えておらず著作も検討されていたという。

 さて本作は井筒氏の初期の研究の集大成ともいうべき作品である。ソクラテス以後・以前を境に第一部・第二部と区分してギリシア神秘哲学の発展を追っている。とくに第二部ではプラトン、アリストテレス、プロティノスの神秘哲学が解説されており、3者の哲学に親しんだ方でも新しい発見があるのではないかと思う。
 ところで井筒氏が存命であったならギリシア神秘哲学からキリスト教神秘主義への移行をテーマにした著作が書かれたと思われるが(本作の序文でもその点について言及している)、表れることなく生涯を閉じられ残念である。
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귀농명문코스 여름생태귀농학교에 가볼까

귀농명문코스 여름생태귀농학교에 가볼까 : 네이버 블로그


귀농명문코스 여름생태귀농학교에 가볼까

풀농부

2022. 7. 8.

귀농명문코스 여름생태귀농학교에 가볼까

​대학생 때 친구들과 텃밭농사를 짓는 동아리 활동을 하였다. 친구는 내가 시골에서 태어나고 자랐으니 농사에 대해 잘 알 것이라 생각했을테지만 나는 내 힘으로 온전히 농사를 지어 본적이 한번도 없었다. 식구들이 다함께 밭에가고 논에 갔지만 부모님이 하라고 정해준 일만 했고 분업이 되어있어서 딱 그 일만 알 뿐이었다.

약간의 책임을 가지고 학교 텃밭을 돌봐야 겠다는 생각이 들었다. 30초 이상 전화통화를 한 적이 없는 아부지와 농사에 대한 질문으로 1분 이상 이야기를 나누기도 했고 그러던 중 귀농운동본부라는 시민단체가 있다는 것을 알게되었다. 여기에 가면 농사를 배울 수 있을 것 같아서 무작정 금호동에 있던 사무실을 찾아 간 것이 우리의 시작이 되었다.





어릴 때부터 농삿일을 많이 거들었지만 내가 주도적으로 한 것이 아니라 전체적인 과정을 몰랐다. 언제 씨앗을 뿌리고 모종을 키우고 밭에 심고 어떻게 돌보고 등등.. 그때그때 주어진 일들만 했고 일한 다음 받는 용돈이 좋았다. ^^ 전국귀농운동본부 사무실은 군포 속달동으로 이사를 오기 전에 서울 금호동에 있었는데 자취방에서 한번에 가는 버스가 있었고 젊은 여자 대학생이 농사가 궁금하다고 찾아오니 사무실에 계신 분들의 관심이 많았었다. 하하^^ 그 당시 귀농본부에서는 도시농부학교라는 교육과정을 운영중이었고 우리나라에서 도시농업을 가장 먼저 알린 곳이기도 하다. 도시농부학교 학생들의 현장 실습장으로 서울 근교에 주말농장을 운영하고 있었고 농장의 선생님들이 현장 멘토가 되어 농사를 지도해주셨다. 나는 남양주에 있는 사릉텃밭의 안익준 선생님께 배웠는데 선생님께서 '쓰레기 만드는 사람이 아니라 거름만드는 사람이 되자' 라는 말씀이 지금 내가 이곳에 있는 한가지의 이유이기도 하다.

전국귀농운동본부는 1996년 귀농이라는 말이 생소할 때 환경생태계 위기와 산업문명의 한계에 따른 위기를 귀농운동으로 풀어가고자 만들어진 단체다.





다양한 교육 프로그램이 운영되고 있는데 된장만들기 같은 살림밀착형 교육도 있고 산나물을 알아가는 교육도 있고 1년 과정으로 운영되는 자립하는 소농학교와 생태귀농학교가 있는데 이번달엔 충북 괴산과 제천에서 여름생태귀농학교가 열린다고 한다. 여름에 열리는 생태귀농학교는 귀농에 관심이 있는, 특히 직장을 다니는 분들이 아이들과 휴가삼아 오면 좋은 프로그램이다. 참고로 나는 서울생태귀농학교 48기다. ^^

3박 4일 아침부터 저녁까지 꽉찬 일정으로 진행되는데 그 중에 지역귀농인의 일터에서 현장의 소리를 적나라하게 들을 수 있는 기회가 있고 바쁜 때에 일손을 거들 수 있는 시간도 주어진다. 귀농학교 수료생들은 정말 끈끈하다고 밖에 말 할 수 없는데 시골에 내려와 살면서 선배라도 만나면 동아줄을 잡은 심정이다.

우리가 아무도 모르는 영덕에 내려올 수 있었던 것도 이곳에 귀농본부에 매달 후원을 하고 있는 분이 있어서 연락을 드렸는데 우리를 후배로 생각하며 지금도 도움을 주고 받으며 잘 지내고 있다. 도시에서 귀농과 귀촌을 생각하면 막연해지는데 이곳에서 이야기를 듣고 보면 뿌옇던 앞이 조금은 걷히는 기분이 들기도 한다. 간혹 너무나 현실적인 이야기에 더 머뭇거리게 되기도 하지만 말이다. 하하







뜨끈한 이 여름에 단란한 휴가대신 수업을 받겠다는 이상한 사람들이 모이는 곳. 처음보는 사람들이

무장해제하고 형님동생, 언니가 되는 곳. 도시에서 각기 다른 삶을 살아가지만 귀농귀촌이라는

닮은 미래를 생각하다보니 이상한 사람들이 끈끈해지는건 너무나 당연한 결과이다. 그리고 매일

정규 수업이 끝난 다음 두런두런 모이는 자유시간으로 평생가는 벨트를 채우게 되는 것 같다.

셋째날 저녁에는 팀별로 준비한 프로젝트를 발표하는 시간이 있는데 이상한(?) 사람들이 참으로

기발하다는 생각이 절로 든다. 시골에 살면서 귀농교육 이수 시간이 꽤나 중요하게 사용되고

있다. 귀농본부에서 진행하는 대부분의 교육을 받아두어서 100시간이 넘는 교육시간을 채울 수

있었는데 그덕에 농지은행에서 복숭아밭을 임대하는데 큰 도움이 되었다. 3박4일 간 진행되는

여름생태귀농학교를 수료하면 교육시간을 32시간 인정받을 수 있다.













여름밭에 있는 사람들 얼굴이 참으로 밝다. 표정이 덜 환해보이는 분들이 있는데 들은 말로는

제일 환했던 표정이라고.. ㅋㅋ 공부도 같이 하고 일도 같이 하면 힘이 절반이 줄어드는 것 같다.

특히나 시골살이는 최소 두사람이 있을 때 삶의 질이 높아지는데 가족 중에 시골로 내려오는 걸

반대하는 분들이 계시다면 강력하게 주장만 할 것이 아니라, 힘겹게 설득을 할 것이 아니라

여름생태귀농학교에 놀러를 가자고 해서 승낙하면 앞날이 훤할 가능성이 높다. 경험상으로^^


엄마아빠가 공부를 할 때 아이들은 뭐하고 있냐면.. 아주 신나게 논다. 공부욕심이 나서 아이들을

데리고 모임에 참여하면 집중하기가 어려운데(아이들도 재미가 없다) 이곳에서는 아침을 먹고 나면

아이들은 어린이생태놀이터에서 담당선생님과 놀고 농사체험도 하고 마지막 날 밤에 공연도 발표한다.

선생님이 있긴 하지만 6살 이하 어린이는 안되고 7살~13세 어린이가 참여할 수 있다.


애들은 그냥 있어도 귀하다. 십년 전인가 홍성에서 교육을 진행할 때 담당자가 일이 생겨 전날 갑자기

어린이생태놀이터 담당자가 되었는데 그때 너무 재밌어서 다음해 봉화에서 할 때 쟁쟁한 팀을 꾸려

내 기억 속 역대급 놀이터를 운영하기도 했다. 그때 만난 선미, 재필이, 성인아 잘 있니?




귀농학교는 누구에게나 열려있다. 괴산이나 제천의 농사 현장에서 어렵지만 생태를 지키며 소농을

실천하는 삶을 몸소 겪으면서 배우고 싶은 분, 지역의 자연환경과 농사의 특성을 이해하고 싶은 분,

지역의 교육과 문화를 일구는 사람들이 아이들과 청소년들의 미래를 위해 일하는 모습을 배우고

싶은 분, 화석연료를 덜 쓰고 생활에 필요한 기술을 배우고 싶은 분, 이론보다 귀농 현장중심과

사람과 사람의 만남을 소중하게 생각하는 분, 수도권의 예비 귀농인과 지역의 귀농인이 서로 만나

귀농에 도움을 받고 싶으신 분들은 더 관심을 가지면 좋을 것 같다.














예전엔 여름에 한군데서만 진행했었는데 올해는 7월 23일~26일은 충북 괴산에서 열리고

7월 30일~8월 3일은 충북 제천에서 열린다. 수강료는 성인이 13만원인데 전국귀농운동본부

후원회원이 되면 10만원으로 할인되고 시민단체활동가는 7만원, 청년은 5만원이고 부모와

함께 참여하는 어린이는 2만원이다. 물가는 올랐는데 어찌 수강료가 10년 전보다 적어졌다.

본부 활동가들이 일을 열심히 하고 있나보다. ^^ 후원회원이 되면 다양한 교육에 할인혜택이

있고 계절별로 나오는 귀농통문이라는 잡지를 볼 수 있다. 귀농통문이 좋아서 이것만 정기구독

하시는 분들도 있다. 인터넷에 <전국귀농운동본부>라고 검색하면 나오는데 나의 첫 직장이었고

나와 신랑이 만났던 이곳을 바쁘다고 자주 들여다보지 못했는데 여름생태귀농학교를 한다고 하니

가만히 있을 수가 없다. 관심있는 분들이 꼭 힘을 받고 오면 좋겠다.


전국귀농운동본부

경기도 군포시 속달로110번길 38




#전국귀농운동본부
#괴산여름생태귀농학교
#제천여름생태귀농학교
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풀농부일상·생각

주왕산 자락 영덕 골짜기에 사는 아라와 검재, 태검이네입니다. 우주를 품은 충분한 가족농, FULL스런 농부 입니다.

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