2021/04/21

Amazon.co.jp:Customer Reviews: パチンコ 上

Amazon.co.jp:Customer Reviews: パチンコ 上

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パチンコ 上
パチンコ 上
byMin Jin Lee
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斉藤高史
TOP 100 REVIEWER
5.0 out of 5 starsこれからは旦那さんと住む家があなたの故郷になるの
Reviewed in Japan on August 4, 2020
 今、「パチンコ "Pachinko"(上・下)」(ミン・ジン・リー 文藝春秋)を読み終えました。表現が良いか悪いか悩むところですが、3世代に渡る「在日コリアン」家族を描き切った壮大で、鮮烈な物語がチャールズ・ディケンズの著作のようにある「公平性」と透徹した現実認識の下、過度に感傷に流されない文体によって描かれているように思えます。多くのテーマ性によって物語が彩られ、構築されているにも関わらず書き過ぎていないことは或る種の<奇跡>のようです。

 第一部、その物語は1910年(日韓併合条約締結時)に始まりますが、朝鮮、釜山、影島にて、勤勉に下宿屋を営む夫婦の間に生まれたソンジャが、16歳の時に出会った<男>コ・ハンスに誘惑され妊娠してしまいます。私にとっては、日本に妻子のいるハンスからの「結婚はできないが面倒はみる」という申し入れを決然と拒否しつつ、前を向くソンジャのその凛然とした姿からこの物語が怒涛のような感情のブレをもたらしながら始まったと言ってもいいと思います。
 その物語は、第二部、1939年の大阪・猪飼野での物語に引き継がれ、第三部、1982~1989年の東京、横浜へとうねりながら相伝していくわけですが、そのストーリーを詳述するつもりはありません。「在日コリアン」の視点から描かれる歴史認識、一致団結して世の中が何一つ変わらないようにしている「日本」というこの国、多くの差別、偏見に多くの憤りと人物たちへの共感、適度に訪れる違和感を感じながらの読書になりましたが、この物語を蕩蕩と流れ切る地下水脈のような<霊性>の透明度は、やはり計り知れないものがありました。何故なのでしょう?それは、ソンジャの夫になるプロテスタントの牧師イサクと「やくざ」でもあるコ・ハンスという二人の男の間で、世界中で居場所を無くしたはずの「在日コリアン」のひとりの女性・ソンジャが体現する「聖母」としての凛とした姿と、一人の男として成長し、何も変わらない「在日コリアン」という己がアイデンティティを確立させたソンジャの息子、モーゼスの姿に圧倒的な「よきもの」を浴びせられ、心の底から浄化された私自身を見つけることができたからなのでしょう。よって、この困難な時代にあってこの小説が読めたことを深く感謝したいと思います。
 反面、登場するすべての女性たちがある懐かしさをもたらし、豊満で懐深いその「母性」へと導く物語でありながら、コ・ハンスとその息子・ノアの生き方に戸惑いつつも、魅了されている自分がいることも認められるような気もしました。
 読み終えてみて、ある時、ある女性が私にこう言っていたことを即座に思い出しました。
 「子供の頃のわたしから見た時、40代、50代の大人と言われる人たちは、みんなしっかりしていて、立派に見えたものだったわ。でも、私も大人になって、この年になって言えることは、少し悔しいけれども、人は20歳でも清々しい、立派な人がいて、40、50になってもいつまでも愚かで、不出来で、どうしようもない大人がいることに気がついた。丁度、目の前の貴方や、わたしのような・・・」(目の前の貴方は、これを書いている私(笑))
 私は、第一部で描かれた「善き人々」を今でも、いつまでも思っていることでしょう。

 この小説において、遊技機<パチンコ>があたかも「在日コリアン」を表す一つのアイコンのように取り上げられています。<瑕疵>とは言えないとは思いますが、描かれている1962年のパチンコ・ホール、パチンコ台の遊戯性には<囚われ>のような違和感を抱いたことは記述しておきたいと思います。私が知っているその当時のホールは、この国の多くの繁華街で見受けられてはいましたが、遊戯者は立ちながら、買った玉を一発ずつ流し入れ、レバーを弾き、釘の間を通ってチューリップという当たりをひくことで出玉を得られるかなり<技術介入>の高い遊戯だったと思います。そういう意味では、「客」対「釘師」の時代と言ってもいい。この小説で描かれる<パチンコ>は、1980年以降、スタート・チャッカーに玉が入るとリールが回り、数字が揃うと出玉が獲得できる「フィーバー機」をイメージして描かれているような気がします。描かれるホール、パチンコ・チェーン?の様子などと含めて考えた時に、20年ぐらいの時間のずれが感じられるような気がしましたが、いかがでしょう。とは言え、そのことがこの壮大な物語の持つ<霊性>に何らかの影響をもたらすとも思えません。
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あかちょうちん
3.0 out of 5 stars在日コリアンを考える本としては良いですが、物語としては一本の筋が通っていず感動しませんでした
Reviewed in Japan on December 26, 2020
 本書は、全米および日本の読書好きの多くの人から好評を得ているようですが、私の素直な感想としては、それほど良い本だとは思いませんでした。
 この本の良いところ、いまひとつのところ(良くないところ)を箇条書きすると次の通りです。
◆良いところ
①在日コリアンのことを知り考えるのに、サラーッとですが満遍なく情報を与えてくれています。例えば、日韓併合、土地接収、コリアンの大阪鶴橋への移住、日本での困窮と被差別、北朝鮮への帰国問題、等々です。
②本書の至る所に、人生や社会についての名言・箴言が記されています。これはおそらく、著者の洞察から紡ぎ出されたものと、著者からインタビューをされた多くの人たちの経験から発せられたものなのでしょう。
③主人公の女性のソンジャが超美人でないところが良いです。普通の顔立ち、どちらかといえばガッチリした体型、まじめに粘り強く働く人、生活の知恵も持っているという造形は魅力的でした。本書の上巻の良さはこの人物像によるところが大きいように思います。
④簡潔な表現で人間の心情や状況変化を示していて、読み手が想像を膨らませて深く感じることが出来ます。
⑤家族の絆、喜怒哀楽はどこの民族でも同じだと教えられました。
◆いまひとつのところ(良くないところ)
①いろいろな話が「継ぎ接ぎ」されていて、著者の思いが一本の筋として通っていないように感じました。苦境にめげず逞しく生きた女性を描くのか、底辺に生きる人たちが努力しても努力しても生活が良くならない状況を示すのか、頑張って理想に向かいつつある人と種々の事情から努力できず転落する人を対称的に書くのか、著者の思想を明確にした方が物語として感動を与えるものになったと思います。
②主要な登場人物の名前として、イサク、ヨセプ、ノア、モーザスという旧約聖書に出てくる名前が使われているので、それらの人生に聖書の人物の寓意が込められているはずと思って読み進みました。しかし、私の感性が悪いのか、あまり寓意が感じられませんでした。寓意を感じるストーリー展開を見る前に、主要な人物やその伴侶が次々と死んでしまいます。人物一人ひとりを丹念に描くことが大切だと思いました。
③ソンジャを韓国での愛人にしようとし、その後日本で彼女を支援するコ・ハンスという人物は、捉えようによってはマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』のレット・バトラーを彷彿とさせて興味深いのですが、人物像が一定していません。最初は日本から韓国へやってきた仲買人、やがて鶴橋の高級焼肉店経営者、そして全国に調査網と人脈を持つやくざの後継者と描かれていきます。ノアに期待する立派な心情やセリフとやくざの生き方に、私は矛盾を感じ納得できませんでした。やくざな生き方をしている人は、多くの場合やくざな心情になりがちですから。
④下巻に出てくる同性愛者の野外セックス行為や性的な問題で一般社会から追いやられた女性のセックスシーン、および投資銀行関係者のギャンブルや不正行為などの話は、取って付けたような話で、無かった方が良いと思いました。
◆最後にまとめを言いますと、次の通りです。
①この本が全米で人気があったのは、米国人が、在日コリアンの苦労する姿に、米国へ移ってきた自分たちや親たちの苦労の姿を見、共感したからではないでしょうか。
②著者が多くの事実を調べ、大勢の人にインタビューして、本書を書き上げたことには敬意を表しますが、収集した情報を消化しきれていないと感じました。もっと、ソンジャやノアやモーゼスに的を絞って、その3人の苦労や心情や活躍に寄り添って物語を書いたら、非常に素晴らしいものになったように思います。
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斉藤高史
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5.0 out of 5 stars これからは旦那さんと住む家があなたの故郷になるの
Reviewed in Japan on August 4, 2020
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 今、「パチンコ "Pachinko"(上・下)」(ミン・ジン・リー 文藝春秋)を読み終えました。表現が良いか悪いか悩むところですが、3世代に渡る「在日コリアン」家族を描き切った壮大で、鮮烈な物語がチャールズ・ディケンズの著作のようにある「公平性」と透徹した現実認識の下、過度に感傷に流されない文体によって描かれているように思えます。多くのテーマ性によって物語が彩られ、構築されているにも関わらず書き過ぎていないことは或る種の<奇跡>のようです。

 第一部、その物語は1910年(日韓併合条約締結時)に始まりますが、朝鮮、釜山、影島にて、勤勉に下宿屋を営む夫婦の間に生まれたソンジャが、16歳の時に出会った<男>コ・ハンスに誘惑され妊娠してしまいます。私にとっては、日本に妻子のいるハンスからの「結婚はできないが面倒はみる」という申し入れを決然と拒否しつつ、前を向くソンジャのその凛然とした姿からこの物語が怒涛のような感情のブレをもたらしながら始まったと言ってもいいと思います。
 その物語は、第二部、1939年の大阪・猪飼野での物語に引き継がれ、第三部、1982~1989年の東京、横浜へとうねりながら相伝していくわけですが、そのストーリーを詳述するつもりはありません。「在日コリアン」の視点から描かれる歴史認識、一致団結して世の中が何一つ変わらないようにしている「日本」というこの国、多くの差別、偏見に多くの憤りと人物たちへの共感、適度に訪れる違和感を感じながらの読書になりましたが、この物語を蕩蕩と流れ切る地下水脈のような<霊性>の透明度は、やはり計り知れないものがありました。何故なのでしょう?それは、ソンジャの夫になるプロテスタントの牧師イサクと「やくざ」でもあるコ・ハンスという二人の男の間で、世界中で居場所を無くしたはずの「在日コリアン」のひとりの女性・ソンジャが体現する「聖母」としての凛とした姿と、一人の男として成長し、何も変わらない「在日コリアン」という己がアイデンティティを確立させたソンジャの息子、モーゼスの姿に圧倒的な「よきもの」を浴びせられ、心の底から浄化された私自身を見つけることができたからなのでしょう。よって、この困難な時代にあってこの小説が読めたことを深く感謝したいと思います。
 反面、登場するすべての女性たちがある懐かしさをもたらし、豊満で懐深いその「母性」へと導く物語でありながら、コ・ハンスとその息子・ノアの生き方に戸惑いつつも、魅了されている自分がいることも認められるような気もしました。
 読み終えてみて、ある時、ある女性が私にこう言っていたことを即座に思い出しました。
 「子供の頃のわたしから見た時、40代、50代の大人と言われる人たちは、みんなしっかりしていて、立派に見えたものだったわ。でも、私も大人になって、この年になって言えることは、少し悔しいけれども、人は20歳でも清々しい、立派な人がいて、40、50になってもいつまでも愚かで、不出来で、どうしようもない大人がいることに気がついた。丁度、目の前の貴方や、わたしのような・・・」(目の前の貴方は、これを書いている私(笑))
 私は、第一部で描かれた「善き人々」を今でも、いつまでも思っていることでしょう。

 この小説において、遊技機<パチンコ>があたかも「在日コリアン」を表す一つのアイコンのように取り上げられています。<瑕疵>とは言えないとは思いますが、描かれている1962年のパチンコ・ホール、パチンコ台の遊戯性には<囚われ>のような違和感を抱いたことは記述しておきたいと思います。私が知っているその当時のホールは、この国の多くの繁華街で見受けられてはいましたが、遊戯者は立ちながら、買った玉を一発ずつ流し入れ、レバーを弾き、釘の間を通ってチューリップという当たりをひくことで出玉を得られるかなり<技術介入>の高い遊戯だったと思います。そういう意味では、「客」対「釘師」の時代と言ってもいい。この小説で描かれる<パチンコ>は、1980年以降、スタート・チャッカーに玉が入るとリールが回り、数字が揃うと出玉が獲得できる「フィーバー機」をイメージして描かれているような気がします。描かれるホール、パチンコ・チェーン?の様子などと含めて考えた時に、20年ぐらいの時間のずれが感じられるような気がしましたが、いかがでしょう。とは言え、そのことがこの壮大な物語の持つ<霊性>に何らかの影響をもたらすとも思えません。
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匿名
5.0 out of 5 stars 人種の問題ではなく、人類が持つ永遠のテーマを題材にした小説です
Reviewed in Japan on September 27, 2020
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在日コリアン3世です。
上巻を読み終えた時、他界した祖父母が語っていた祖国での貧しい生活や父母の子供の頃の苦労話などがリンクし、読んでいて何度も涙してしまいました。それと同時に、日本に対してのあまり読んでいて気持ちよくない表現が出てきたことや、そもそも日本人になじみの薄そうな話も多かったため、この小説は果たして日本で受け入れられるものなのだろうかと不安に思いました。
しかし下巻を読んでみてその心配は払拭されました。この小説の本質があるのは在日と日本人とかいった人種間に起こる事柄ではなくて、「女性と男性」、「母と娘」という人類が向き合ってきた実に壮大な課題にありました。
脚色された部分が少なく、事象が淡々と描かれています。プロットを読むようにパラパラと読み進めることができるため、あっと言う間に読めてしまうでしょう。
この小説は1989年で終わっていますが、それから31年が過ぎました。2020年の日本では、ジェンダー観、家族のあり方、パチンコ業界、日本、韓国、そして我々のような在日の立ち位置も随分変わりました。現在も物語は日本のどこかで続いているのでしょう。本当に素晴らしい小説でした。
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渡部行雄
5.0 out of 5 stars 読み応えのある小説。翻訳もいい。
Reviewed in Japan on August 26, 2020
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長編小説はちょっと・・・・と言っていたのに、大作と言える長編小説に手を出してしまった。上下で5000円を超える小説はこれまで読んだことはない(単行本があるのを知らず電子書籍で購入したが、それでも上下で4800円)。著者は韓国風に言えば、イ・ミンジン。
 日本が韓国を併合した1910年に始まり、1989年のバブルで終わる朝鮮半島出身の一族の4世代にわたる物語。朝鮮人、在日として生きる苦難の話ではあるが、これを反日プロパガンダとみる人がいれば、その人の人品骨柄が疑われるというものだ。この手の小説にありがちな、声高に日本を非難し糾弾することなく、冷静に淡々と語ることによって、むしろ日本人にしみてくるものがあるはずだ。
 今上巻を読み終えたところだが、ここでは戦後の朝鮮戦争あたりまでが描かれている。粗末な家屋での、豚などの家畜やキムチなどの強烈な臭いに包まれた生活。日本人の忌み嫌うこの悪臭は差別の対象となるともなるものだ。そんな中でも解放された半島に帰ることでなく、日本での生活を選択した人たち。
 またこの上巻では、韓国で多く日本人には比較的なじみの薄いキリスト教的世界観も語られる。主人公の連れ合いもその義兄も牧師であり、その故に二重の差別と抑圧にさらされる。偶像崇拝を禁ずるクリスチャンとしては、神社に動員され、現人神の天皇に崇敬の言葉を発することなどできないのだ。
 この小説は冒頭に「故郷とは、ものの名前、一つの語に過ぎないが、強い引力を持つ。その力は、かつて降霊術師が唱えた呪文、霊魂を呼び寄せるまじないの比ではない」(チャールズ・ディケンズ)の引用があり、終わりの方では主人公のソンジャに不義の子を産ませた実業家(ヤクザ)のハンスに「私たちのような人間にふるさとなど存在しない」と言わせる。
 記憶喪失、出生の秘密、交通事故、不治の病、財閥の御曹司等々の、おバカな韓ドラも悪くないが、時にこんな重厚長大な話に身を浸し背筋を伸ばしても罰は当たらない。
 アメリカでは、テレビドラマ化されるようだが、メィジャーな劇場映画にも必ずなるように思われる。キャストを考えてみると、主人公で平凡な容姿のソンジャは、シム・ウンギョン、その夫でイケメンの牧師イサクは、ソン・スンホン、義姉で美人のキョンヒは、ソン・ヘギョ、実業家ハンスは、イ・ソンミンなどどうだろう?
 
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匿名希望
5.0 out of 5 stars 在日コリアン4世代のリアリティあふれる物語
Reviewed in Japan on August 26, 2020
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『パチンコ(上)(下)』読了。在日コリアン4世代の物語。淡々と書き綴られる中にも息を飲むような過酷さ、残酷さ、救いに何度も静かに涙した。着想から何十年越しの魂が籠った超大作。久しぶりに時間を忘れてあっという間に読み切った作品だった。読みながら、何度も自らの生き方、在り方を問うた。
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ゆうちん
5.0 out of 5 stars タイトルにとらわれないで読んだ方が良い。
Reviewed in Japan on November 12, 2020
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我々の身近にいても、よく分からなかった在日朝鮮人の話。被害者意識の強い、対立を煽る視点ではなく、パールバックの大地の様な視点、言うなればグローバルでキリスト教的な視点から書かれている。優秀なコリアン達は、どうやらpoorな日本人より先にこの視点を獲得していて、映画、スポーツ、芸能において世界レベルに到達している。小説として面白く、心に響き、残る。どうやら文学でも後塵を拝することになる様だ。最近の日本の小説は、残念だけれど響かない。つまらないことにこだわり、本質を見抜けず、日々の生活に追われる我々は、どんどん劣化してゆく。
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あかちょうちん
3.0 out of 5 stars 在日コリアンを考える本としては良いですが、物語としては一本の筋が通っていず感動しませんでした
Reviewed in Japan on December 26, 2020
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 本書は、全米および日本の読書好きの多くの人から好評を得ているようですが、私の素直な感想としては、それほど良い本だとは思いませんでした。
 この本の良いところ、いまひとつのところ(良くないところ)を箇条書きすると次の通りです。
◆良いところ
①在日コリアンのことを知り考えるのに、サラーッとですが満遍なく情報を与えてくれています。例えば、日韓併合、土地接収、コリアンの大阪鶴橋への移住、日本での困窮と被差別、北朝鮮への帰国問題、等々です。
②本書の至る所に、人生や社会についての名言・箴言が記されています。これはおそらく、著者の洞察から紡ぎ出されたものと、著者からインタビューをされた多くの人たちの経験から発せられたものなのでしょう。
③主人公の女性のソンジャが超美人でないところが良いです。普通の顔立ち、どちらかといえばガッチリした体型、まじめに粘り強く働く人、生活の知恵も持っているという造形は魅力的でした。本書の上巻の良さはこの人物像によるところが大きいように思います。
④簡潔な表現で人間の心情や状況変化を示していて、読み手が想像を膨らませて深く感じることが出来ます。
⑤家族の絆、喜怒哀楽はどこの民族でも同じだと教えられました。
◆いまひとつのところ(良くないところ)
①いろいろな話が「継ぎ接ぎ」されていて、著者の思いが一本の筋として通っていないように感じました。苦境にめげず逞しく生きた女性を描くのか、底辺に生きる人たちが努力しても努力しても生活が良くならない状況を示すのか、頑張って理想に向かいつつある人と種々の事情から努力できず転落する人を対称的に書くのか、著者の思想を明確にした方が物語として感動を与えるものになったと思います。
②主要な登場人物の名前として、イサク、ヨセプ、ノア、モーザスという旧約聖書に出てくる名前が使われているので、それらの人生に聖書の人物の寓意が込められているはずと思って読み進みました。しかし、私の感性が悪いのか、あまり寓意が感じられませんでした。寓意を感じるストーリー展開を見る前に、主要な人物やその伴侶が次々と死んでしまいます。人物一人ひとりを丹念に描くことが大切だと思いました。
③ソンジャを韓国での愛人にしようとし、その後日本で彼女を支援するコ・ハンスという人物は、捉えようによってはマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』のレット・バトラーを彷彿とさせて興味深いのですが、人物像が一定していません。最初は日本から韓国へやってきた仲買人、やがて鶴橋の高級焼肉店経営者、そして全国に調査網と人脈を持つやくざの後継者と描かれていきます。ノアに期待する立派な心情やセリフとやくざの生き方に、私は矛盾を感じ納得できませんでした。やくざな生き方をしている人は、多くの場合やくざな心情になりがちですから。
④下巻に出てくる同性愛者の野外セックス行為や性的な問題で一般社会から追いやられた女性のセックスシーン、および投資銀行関係者のギャンブルや不正行為などの話は、取って付けたような話で、無かった方が良いと思いました。
◆最後にまとめを言いますと、次の通りです。
①この本が全米で人気があったのは、米国人が、在日コリアンの苦労する姿に、米国へ移ってきた自分たちや親たちの苦労の姿を見、共感したからではないでしょうか。
②著者が多くの事実を調べ、大勢の人にインタビューして、本書を書き上げたことには敬意を表しますが、収集した情報を消化しきれていないと感じました。もっと、ソンジャやノアやモーゼスに的を絞って、その3人の苦労や心情や活躍に寄り添って物語を書いたら、非常に素晴らしいものになったように思います。
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Fidel
5.0 out of 5 stars 精緻な歴史考証に基づいた圧倒的な物語、息もつかせぬ展開
Reviewed in Japan on September 6, 2020
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パチンコ読了しました。圧倒的な物語、息もつかせぬ展開で感動と深い思索の世界に引き込まれました。加えて、翻訳が素晴らしい。登場人物の多くが使用する関西弁を見事に表現しており、後追いで英語版を読み進めていますが、英語版よりも臨場感を感じます、、、。

徹底した歴史考証で強制植民地化移行の朝鮮半島と帝国日本、引いては朝鮮半島の人々、在日コリアンが抱える苦悩・不条理を登場人物達の四世代に亘る生き様に投影した大作です。李恢成や金時鐘の作品をも凌駕する素晴らしい作品です。在日コリアンのみならず今を生きる日本人必読の書と言っても過言ではありません。
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タミーゴ
5.0 out of 5 stars 日本社会の歪みが苦甘の誘惑になる
Reviewed in Japan on February 19, 2021
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在日コリアンの苦難のサーガ、五世代にわたる家族の切ない物語だった。
・・・という簡潔なまとめだと誰も本書を手にしないだろうと危惧する、
僕の場合は毎日新聞の2020年 年間推薦書籍に複数挙げれれていたことから
最近手にした次第だった、識者の選択眼に狂いはなかった。

上下巻のボリュームではあるが物語の展開の引きこまれる魅力は近年記憶にないくらい、登場人物にこれほど感情移入できることも久しぶりだった。
本書は1910年(韓国併合)から始まり1989年のバブル真っ盛りまでの大きな時代の流れを在日コリアンの視点で描くが、その舞台は主人公ソンジャが日本に渡るまでの釜山、影島での生活以外は、すべて日本。
戦前、戦中、戦後、高度成長期、そして前述したバブル経済下の日本が舞台であり、この79年間の物語の39年を
僕も同じ空気を吸っていたことにちょっと感動する。
著者の綿密な取材の結果、この79年、少なくとも39年は見事に再現されている。
在日コリアンの苦しみを傍らからとはいえうすうす感じ取っていた僕の青春時代が蘇ってなにやら懐かしさまで感じた。

物語りの概略をここに述べることは無思慮であると同時に、この大河物語を一言で括ることはできない。
在日コリアンの代名詞として掲げられたタイトル「パチンコ」を中心に多様なエピソードが五世代にわたって展開する。
小説としての面白さと日本社会の歪みが苦甘の誘惑で次の頁へと読み進ませる。
多くの日本に住む人々に読んでもらいたいと切に思った。

巻末の解説に【まるで「おしん」のような話】とあったが、僕には「風と共に去りぬ」のときのような楽しい読書経験になった、
ちなみに「風と共に去りぬ」は16歳の時の衝撃だった。
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amazon customer
2.0 out of 5 stars テーマは上手いが中身がボロボロ
Reviewed in Japan on October 12, 2020
なんでこんなに評価高いの?在日コリアンの近代史をちゃんと書いた小説がなかったから?作者はよく取材したのかもしれないけど、日本国内で育った我々からすると家族がみんなパチンコビジネスに落ち着く時点ですごい無理筋。在日コリアンが何人くらいいるかは調べて数字でわかっていても、住んで肌感覚で知っているのとは違うんだろうね。差別もされているけど普通に学校にも会社にもたくさんいて、野球選手にもアイドルにもいるし、こんなパチンコ屋とかじゃなく普通の会社社長もいるし、富士フイルムやソニー社員なんかにはいくらでもいるわ。「日本にいるのは金持ちのコリアンか貧乏なコリアンのどっちか」ってこんな、無知丸出しの記述がまかり通るなんて読む気なくすわ。アップルTVでドラマ化されたと聞いて納得。確かに太平洋戦争や朝鮮分断という激動の歴史の流れに翻弄される家族のドラマだもん。しかもかなり昼メロ。女は頭の良さとかも含め完全にイロモノだよね。
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nikataro
4.0 out of 5 stars 小説として贅沢にもすべての要素が盛り込まれています
Reviewed in Japan on January 28, 2021
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個人ではどうすることもできない大きな歴史のうねり、釜山から大阪、疎開先、そしてまた大阪というロードムービー的展開、善意と信仰に生きることの意味、勤勉によって貧窮を乗り越えて成り上がろうとする市井の人々、反抗しながらも魅かれてしまう恋愛、悪漢ながら男の魅力を漂わせる人物、爆発しそうな邪な感情、永遠に受け継がれる家族愛などもう小説としては「ビビンパ」状態だと思います。

そして、作者はこれらを上手に操って、いっさい破綻させることなく語り継いでいきます。太平洋戦争が終結してようやく安定しかけたと思う暇もなく朝鮮戦争を迎え、不幸にも南北分断に向かったあたりまでが上巻になります。今からすぐに下巻を読み始めます。
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Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars 人間の愛情と尊厳がテーマの米ベストセラーの傑作
Reviewed in Japan on August 16, 2020
懸命に生きる移民の家族を4世代に渡って描き切った壮大な物語である。アメリカでベストセラーになったが、移民の置かれる境遇の普遍性が全世界の共感を呼ぶのだろう。在日コリアンという日本における近世最初の移民の存在を通して日本社会を再考するきっかけともなって欲しいが、この物語が日本社会に広く共感を持って読まれるにはそれへの理解がまだ日本社会には足りないかもしれない。時代背景や社会描写に綿密な研究をしたのが感じ取れる。作者に敬意を表したい。単に差別や日韓の歴史を背景にした軽薄な物語ではなく、人間への深い愛情と尊厳がテーマの深淵な物語である。
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Amazon カスタマー
5.0 out of 5 stars 読みごたえ!
Reviewed in Japan on October 1, 2020
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刺激的で、理不尽で、興味深くて、読みごたえがあります。タイトルの「パチンコ」は上巻にはいっさい出てきませんが、上巻を読み終えるころには、「パチンコ」というタイトルの理由が、何となくわかりました。そして、下巻で登場人物によって、その理由が語られます。
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ふゆ
5.0 out of 5 stars 素晴らしい作品
Reviewed in Japan on February 14, 2021
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登場人物が素敵な人が多く、とても魅了された。貧しさが半端ないけど、今後も貧しいながらもなんとかやっていく逞しさがとても心強かった。イサクとソンジャが幸せになってほしいけど、下巻も辛いんだろうなと考えると苦しい。
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may
5.0 out of 5 stars おもしろかっあです。
Reviewed in Japan on January 18, 2021
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発送も早かったです。
おもしろかった
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ドリルさん
5.0 out of 5 stars 高いけど、大傑作!
Reviewed in Japan on August 18, 2020
レビューを何度も書き直ししながら、評論めいた事は評論家に任せて、率直に感想を述べたいと思いました。
まず、この本に出会えた事に感謝します。
それと、この本を自信を持って人に薦められる事にも感謝、アーメン!
一つ、ケチをつけます。2冊で5000円です。これは高い。こんな高い本がアメリカで100万部も売れたってすごい。わからんけど、アメリカでは5000円もしない?
オバマ前大統領が推薦といっても、オバマは本の値段を見ないでしょ。一般的に、5000円は法外でしょ。その価値はあると思いますが、この素晴らしい本が、この小説の舞台である日本でさっぱり売れなくてもそれは価格のせいです。

それと、翻訳者の文章は最高に読みやすくイライラさせません。
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みち
5.0 out of 5 stars 力強い作品。出会えたことに感謝。
Reviewed in Japan on March 19, 2021
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時代や背景を超えて、人間の強さ、弱さ、愛や苦しみなど、根っこの部分に訴える、力強い小説です。良い作品に出会えて幸せです。
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step23
5.0 out of 5 stars 読み応えのある小説
Reviewed in Japan on January 26, 2021
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3代にわたる在日コリアンの家族の生き様を描いた骨太の移民小説。3日ほどで一気に読めました。
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こううううたろううう
5.0 out of 5 stars 是非読んで欲しい一冊
Reviewed in Japan on March 29, 2021
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久しぶりに、こんなに読み応えがある本に出会えた。続きが気になり、夜通し読んでしまった。
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MM
3.0 out of 5 stars 残念
Reviewed in Japan on February 26, 2021
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展開が雑であまり面白くなかったです。
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ぽっぽ
5.0 out of 5 stars 日本の中の知らない世界
Reviewed in Japan on August 15, 2020
すごく読み応えのあるいい小説で、ここ数年で一番面白かった。
題材が「在日」であり、歴史なのでその歴史観から賛否はあるだろうし、日本で教育を受けて育った「日本人」からすると正直「ん?」と思う部分は少なからずあった。
だけど、そこ含めて在日コリアン側からの日本の見え方であり、日本の中の知らなかった世界を疑似体験することができた。

在日コリアンの方の感想もぜひ聞いてみたいですね。
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2021/04/20

[김조년] 단순함

[김조년의 맑고 낮은 목소리] 단순함 < 칼럼 < 오피니언 < 기사본문 - 금강일보

단순함
기자명 금강일보   
입력 2021.04.19

한남대 명예교수

[금강일보] 어떻게 사는 것이 잘 사는 것일까를 끊임없이 생각해 본다. 

물론 어려서부터 지금까지 맘이나 생각에서 떠나지 않고 항상 내 삶과 함께 따라다니는 질문은 어떻게 사는 것이 잘 사는 것일까 하는 점이다. 청소년 때, 장년 때, 노년 때도 각각 어떻게 사는 것이 잘 사는 것인가를 늘 고민하면서 살았던 것 같다. 그런데도 아직까지도 쌈박한 답을 스스로 얻지 못하고 있다. 설령 막연하게 이러한 것이 잘 사는 것이 아닐까 하면서도 그것을 실천하기에는 너무 멀게 산다.

이번 코로나19 바이러스 감염 확산 사태로 관행으로 살아왔던 모든 것들이 다 흩어지고 새로 정립되어야 하는 것을 느낀다. 많은 이들이 말하고 나 자신도 막연히 생각하는 것이지만, 분명히 코로나19는 인류의 삶의 방향을 바꿀 것이라고 느낀다. 그러나 어떻게 달라질 것인가에 대한 대응은 전혀 나에겐 없다. 물론 이 때에도 내 맘 속에서는 도대체 어떻게 사는 것이 잘 사는 것인가를 끊임없이 묻고 또 묻는다. 그런데도 어떤 뾰족한 대답이 찾아진 것 같지가 않다. 이제까지 살아왔던 삶의 형태를 그대로 유지하고 있다. 다만 빈번하게 여러 사람들이 만나던 것이 줄어들었고, 집단으로 하던 것들이 줄어들었을 뿐 나머지는 별로 달라진 것 같지가 않다. 그 결과로 사회 전체의 경제활동이나 일상생활이 크게 손실을 보게 되었다고 걱정하는 것을 많이 보고 듣는다.

굉장히 힘들다고 하는 이 때에 오래 전에는 어떻게 살았을까를 생각하여 본다. 그리고는 순간 아찔한 느낌이 드는 것을 발견했다. 특히 내가 어려서 살던 시골의 모습을 떠올렸다. 그 때 삶은 참 단순했다. 아이들뿐만 아니라 어른들의 삶도 많이 단순했다. 문명의 이기가 지금처럼 좋게 발달하지 못하던 때다.

내가 살던 마을에는 내가 고등학교를 졸업할 때까지 전기가 들어오지 않았다. 다니던 학교들도 교무실이나 다른 특수하게 중요한 곳에만 전기가 들어올 뿐 교실에는 전기가 없었다. 그래서 저녁에 하는 수업이란 것을 생각할 수도 없었다. 그러고보니 그 때 나는 전기없는 세상에서 살았다. 전기 있는 것보다 불편했겠지만, 그런대로 잘 살았다. 그냥 그러려니 하면서 살았다. 삶의 기구들도 복잡하지가 않았다. 추위나 더위를 피하는 방법도 유치하지만 단순했다. 나무를 때서 방을 덥히거나 문을 활짝 열어서 식히는 것이 전부였다. 옷과 신발도 무척 열악했다.

그런데 지금은 전기 없는 세상을 꿈에서도 생각하지 못하게 되었다. 우선 당장 지금 내가 사는 아파트에 전기가 끊어졌다고 생각하여 본다. 내가 안에 있다면 밖으로 나갈 수가 없을 것이고, 내가 밖에 있다면 우리 집으로 들어갈 수가 없을 것 같다. 우선 출입문이 열리지 않을 것이다. 승강기는 멈추어서 높은 계단을 힘겹게 오르내려야 할 것이다. 수돗물이 올라오지 않아 밥을 지을 수도 없고, 세수를 하거나 몸을 씻을 수가 없을 것이다. 화장실에서 일을 보고 물을 내릴 수도 없다. 냉장고도 가동이 되지 않을 것이고, 전화도 안 되고, 컴퓨터사용도 불가능할 것이다. 음악도 들을 수 없고, 뉴스도 듣고 볼 수가 없을 것이다. 여름이라면 무척 더운 상태에서 살게 될 것이고, 겨울이라면 전혀 난방이 되지 않는 무척 추운 상태에서 살게 될 것이다. 지금 노트북으로 쓰는 이 글도 쓰지 못할 것이고, 이 글을 신문사 편집국장에게 보낼 수도 없을 것이다.


 
지금 만약 전기가 끊어져서 얼마동안 지속된다면 사람이 사람다운 삶을 살 수 있을 것 같지가 않다. 아니, 나는 도대체 어떻게 살게 될까를 상상할 수가 없다. 약간 다르긴 하지만, 내가 살던 시골농촌에서도 지금은 전기 없이는 살 수가 없을 것이다. 그러니 고도로 문명한 시대라는 지금은 완전히 전기에 종속된 때다. 그런데 불과 60년 또는 70년 전만 하여도 완전히 다른 세상에서 우리가 살았던 것을 잊고 산다. 그렇다고 그 때로 되돌아가자는 말은 결코 아니다. 어떻게 하면 잘 살 수 있을까를 고민한다는 말이다.

언젠가부터 나는 잘 사는 것은 단순하게 사는 것이라고 스스로 확정하고 있다. 단순, 소박하게 사는 것이 곧 모든 삶의 근본되는 것이라고 생각하게 되었다. 내 가정생활도, 친구관계도, 사회생활도, 국가의 재정이나 정치도, 국제관계도 단순한 것이 바닥을 이루어야 한다고 본다. 생각도, 사상도, 그것들을 펼치는 것도 단순하고 소박한 것이 매우 중요한 것이라고 본다. 너무 생각이 탁월하게 예민하니까 복잡하다.

물론 이미 복잡하게 얽힌 것이기 때문에 자연스럽게 복잡하게 생각하고 따라가는 것이지만, 일단 맘을, 생각을 단순하게 하자고 하고 나서면 무엇인가 단순하게 되는 길로 가지 않을까? 단순하게는 일단 자기 맘 속에 처음 떠오르는 것, 어떤 잡다한 계산들이 세워지기 전에 떠오른 그 생각을 따르면 될까? 집이라면 살아야 하는 것, 옷이라면 입어야 하는 것, 밥이라면 먹어야 하는 것처럼 다른 어떤 가치나 수식어를 붙이지 않고 가장 단순한 기본 가치만을 생각하는 것에서 시작하면 단순하게 살 수 있을까? 어떤 정책, 어떤 정부가 들어서도 해결할 수 없다고 보여지는 아파트라면, 전망 값, 고요함 값, 편리한 생활권 값, 좋은 학교가 가까이 있다는 값, 시장이 가깝고 교통이 편리하다는 값, 주변이 개발될 것이라는 값이 따로 붙지 않는 단순함을 생각할 수는 없는 것일까?

거기다가 일단 하나만 더, 플라스틱 제품이 없는 삶은 어떨까를 생각해 본다. 무척 불편하고, 지금 쓰고 있는 모든 물건을 다 버려야 할 처지가 되겠지만, 그 플라스틱의 편리함이 가져다주는 어마어마한 폐해를 벗어나는 어떤 단순한 삶은 어떤 것인가를 생각하는 것은 망상일까? 어찌 되었든 나는 단순함이 곧 모든 행복과 평화로운 삶의 기초를 이룬다고 본다. 그 생각에서 앞으로 내 삶을 이끌어 나가면 좋겠다.

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2021/04/19

Harvard Prof. Ramseyer criticized for poorly-researched revisionist articles on Japan’s WWII “Comfort Women” sexual slavery. Actually, Ramseyer’s shoddy and intemperate research is within character, based on my experience. | debito.org

Harvard Prof. Ramseyer criticized for poorly-researched revisionist articles on Japan’s WWII “Comfort Women” sexual slavery. Actually, Ramseyer’s shoddy and intemperate research is within character, based on my experience. | debito.org

Meister Eckhart - Wikipedia

Meister Eckhart - Wikipedia



Eckhart as a mystic

Since the 1960s debate has been going on in Germany whether Eckhart should be called a "mystic".[43] The philosopher Karl Albert had already argued that Eckhart had to be placed in the tradition of philosophical mysticism of Parmenides, Plato, Plotinus, Porphyry, Proclus and other neo-Platonistic thinkers.[44] Heribert Fischer argued in the 1960s that Eckhart was a mediaeval theologian.[44]

Kurt Flasch, a member of the so-called Bochum-school of mediaeval philosophy,[44] strongly reacted against the influence of New Age mysticism and "all kinds of emotional subjective mysticism", arguing for the need to free Eckhart from "the Mystical Flood".[44] He sees Eckhart strictly as a philosopher. Flasch argues that the opposition between "mystic" and "scholastic" is not relevant because this mysticism (in Eckhart's context) is penetrated by the spirit of the University, in which it occurred.[citation needed]

According to Hackett, Eckhart is to be understood as an "original hermeneutical thinker in the Latin tradition".[44] To understand Eckhart, he has to be properly placed within the western philosophical tradition of which he was a part. [45]

Josiah Royce, an objective idealist, saw Eckhart as a representative example of 13th and 14th century Catholic mystics "on the verge of pronounced heresy" but without original philosophical opinions. Royce attributes Eckhart's reputation for originality to the fact that he translated scholastic philosophy from Latin into German, and that Eckhart wrote about his speculations in German instead of Latin.[46](pp262, 265–266) Eckhart generally followed Thomas Aquinas's doctrine of the Trinity, but Eckhart exaggerated the scholastic distinction between the divine essence and the divine persons. The very heart of Eckhart's speculative mysticism, according to Royce, is that if, through what is called in Christian terminology the procession of the Son, the divine omniscience gets a complete expression in eternal terms, still there is even at the centre of this omniscience the necessary mystery of the divine essence itself, which neither generates nor is generated, and which is yet the source and fountain of all the divine. The Trinity is, for Eckhart, the revealed God and the mysterious origin of the Trinity is the Godhead, the absolute God.[46](pp279–282)

Modern popularisation
Theology
Matthew Fox

Matthew Fox (born 1940) is an American theologian.[47] Formerly a priest and a member of the Dominican Order within the Roman Catholic Church, Fox was an early and influential exponent of a movement that came to be known as Creation Spirituality. The movement draws inspiration from the wisdom traditions of Christian scriptures and from the philosophies of such medieval Catholic visionaries as Hildegard of Bingen, Thomas Aquinas, Saint Francis of Assisi, Julian of Norwich, Dante Alighieri, Meister Eckhart and Nicholas of Cusa, and others. Fox has written a number of articles on Eckhart[citation needed] and a book titled Breakthrough: Meister Eckhart's Creation Spirituality in New Translation.[48]

Modern philosophy
The French philosopher Jacques Derrida distinguishes Eckhart's Negative Theology from his own concept of différance although John D. Caputo in his influential The Tears and Prayers of Jacques Derrida emphasises the importance of that tradition for this thought.[49]

Modern spirituality
See also: Nondualism
Meister Eckhart has become one of the timeless heroes of modern spirituality, which thrives on an all-inclusive syncretism.[50] This syncretism started with the colonisation of Asia, and the search of similarities between Eastern and Western religions.[51] Western monotheism was projected onto Eastern religiosity by Western orientalists, trying to accommodate Eastern religiosity to a Western understanding, whereafter Asian intellectuals used these projections as a starting point to propose the superiority of those Eastern religions.[51] Early on, the figure of Meister Eckhart has played a role in these developments and exchanges.[51]

Renewed academic attention to Eckhart has attracted favorable attention to his work from contemporary non-Christian mystics. Eckhart's most famous single quote, "The Eye with which I see God is the same Eye with which God sees me", is commonly cited by thinkers within neopaganism and ultimatist Buddhism as a point of contact between these traditions and Christian mysticism.

Schopenhauer
The first translation of Upanishads appeared in two parts in 1801 and 1802.[51] The 19th-century philosopher Schopenhauer was influenced by the early translations of the Upanishads, which he called "the consolation of my life".[52][g] Schopenhauer compared Eckhart's views to the teachings of Indian, Christian and Islamic mystics and ascetics:

If we turn from the forms, produced by external circumstances, and go to the root of things, we shall find that Sakyamuni and Meister Eckhart teach the same thing; only that the former dared to express his ideas plainly and positively, whereas Eckhart is obliged to clothe them in the garment of the Christian myth, and to adapt his expressions thereto.[53]

Schopenhauer also stated:

Buddha, Eckhart, and I all teach essentially the same.[54]

Theosophical Society
A major force in the mutual influence of Eastern and Western ideas and religiosity was the Theosophical Society,[55][56] which also incorporated Eckhart in its notion of Theosophy.[57] It searched for ancient wisdom in the East, spreading Eastern religious ideas in the West.[58] One of its salient features was the belief in "Masters of Wisdom",[59][h] "beings, human or once human, who have transcended the normal frontiers of knowledge, and who make their wisdom available to others".[59] The Theosophical Society also spread Western ideas in the East, aiding a modernisation of Eastern traditions, and contributing to a growing nationalism in the Asian colonies.[60]

Neo-Vedanta
Main article: Neo-Vedanta
The Theosophical Society had a major influence on Hindu reform movements.[56][i] A major proponent of this "neo-Hinduism", also called "neo-Vedanta",[62] was Vivekananda[63][64] (1863–1902) who popularised his modernised interpretation[65] of Advaita Vedanta in the 19th and early 20th century in both India and the West,[64] emphasising anubhava ("personal experience"[66]) over scriptural authority.[66] Vivekananda's teachings have been compared to Eckhart's teachings.[67][68]

In the 20th century, Eckhart's thoughts were also compared to Shankara's Advaita Vedanta by Rudolf Otto in his Mysticism East and West.[69] According to King, the aim of this work was to redeem Eckhart's mysticism in Protestant circles,[70] attempting "to establish the superiority of the German mysticism of Eckhart over the Indian mysticism of Sankara".[54]

Buddhist modernism
Main article: Buddhist modernism
The Theosophical Society also had a major influence on Buddhist modernism,[60] and the spread of this modernised Buddhism in the West.[60] Along with H. S. Olcott and Anagarika Dharmapala, Helena P. Blavatsky was instrumental in the Western transmission and revival of Theravada Buddhism.[71][72][73]

In 1891, Karl Eugen Neumann, who translated large parts of the Tripitaka, found parallels between Eckhart and Buddhism,[74] which he published in Zwei buddhistische Suttas und ein Traktat Meister Eckharts (Two Buddhist Suttas and a treatise of Meister Eckhart). D.T. Suzuki, who joined the Theosophical Society Adyar and was an active Theosophist,[75][76][77] discerned parallels between Eckhart's teachings and Zen Buddhism in his Mysticism: Christian and Buddhist,[78] drawing similarities between Eckhart's "pure nothingness" (ein bloss nicht) and sunyata.[79] Shizuteru Ueda, a third generation Kyoto School philosopher and scholar in medieval philosophy showed similarities between Eckhart's soteriology and Zen Buddhism in an article.[80]

Reiner Schurmann, a Professor of Philosophy, while agreeing with Daisetz T. Suzuki that there exist certain similarities between Zen Buddhism and Meister Eckhart's teaching, also disputed Suzuki's contention that the ideas expounded in Eckhart's sermons closely approach Buddhist thought, "so closely indeed, that one could stamp them almost definitely as coming out of Buddhist speculations".[78] Schurmann's several clarifications included:

On the question of "Time" and Eckhart's view (claimed as parallel to Buddhism in reducing awakening to instantaneity) that the birth of the Word in the ground of the mind must accomplish itself in an instant, in "the eternal now", that in fact Eckhart in this respect is rooted directly in the catechisis of the Fathers of the Church rather than merely derived from Buddhism;[78]
On the question of "Isness" and Suzuki's contention that the "Christian experiences are not after all different from those of the Buddhist; terminology is all that divides us", that in Eckhart "the Godhead's istigkeit [translated as "isness" by Suzuki] is a negation of all quiddities; it says that God, rather than non-being, is at the heart of all things" thereby demonstrating with Eckhart's theocentrism that "the istigkeit of the Godhead and the isness of a thing then refer to two opposite experiences in Meister Eckhart and Suzuki: in the former, to God, and in the latter, to `our ordinary state of the mind'" and Buddhism's attempts to think "pure nothingness";[81]
On the question of "Emptiness" and Eckhart's view (claimed as parallel to Buddhist emphasis "on the emptiness of all 'composite things'") that only a perfectly released person, devoid of all, comprehends, "seizes", God, that the Buddhist "emptiness" seems to concern man's relation to things while Eckhart's concern is with what is "at the end of the road opened by detachment [which is] the mind espouses the very movement of the divine dehiscence; it does what the Godhead does: it lets all things be; not only must God also abandon all of his own – names and attributes if he is to reach into the ground of the mind (this is already a step beyond the recognition of the emptiness of all composite things), but God's essential being – releasement – becomes the being of a released man."[82]
Psychology and psychoanalysis
Erich Fromm
The notable humanistic psychoanalyst and philosopher Erich Fromm was another scholar who brought renewed attention in the West to Eckhart's writings, drawing upon many of the latter's themes in his large corpus of work. Eckhart was a significant influence in developing United Nations Secretary General Dag Hammarskjöld's conception of spiritual growth through selfless service to humanity, as detailed in his book of contemplations called Vägmärken ("Markings").[j]

Carl G. Jung
In Aion, Researches Into the Phenomenology of Self[83] Carl G. Jung cites Eckhart approvingly in his discussion of Christ as a symbol of the archetypal self. Jung sees Eckhart as a Christian Gnostic:

Meister Eckhart's theology knows a "Godhead" of which no qualities, except unity and being, can be predicated; it "is becoming," it is not yet Lord of itself, and it represents an absolute coincidence of opposites: "But its simple nature is of forms formless; of becoming becomingless; of beings beingless; of things thingless," etc. Union of opposites is equivalent to unconsciousness, so far as human logic goes, for consciousness presupposes a differentiation into subject and object and a relation between them. (Page 193.)

As the Godhead is essentially unconscious, so too is the man who lives in God. In his sermon on "The Poor in Spirit" (Matt. 5 : 3), the Meister says: "The man who has this poverty has everything he was when he lived not in any wise, neither in himself, nor in truth, nor in God. He is so quit and empty of all knowing that no knowledge of God is alive in him; for while he stood in the eternal nature of god, there lived in him not another: what lived there was himself. And so we say this man is as empty of his own knowledge as he was when he was not anything; he lets God work with what he will, and he stands empty as when he came from God." Therefore he should love God in the following way: "Love him as he is; a not-God, a not-spirit, a not-person, a not-image; as a sheer, pure, clear One, which he is, sundered from all secondness; and in this One let us sink eternally, from nothing to nothing. So help us God. Amen." (Page 193.)

Jung summed up his view of Eckhart saying:

The world-embracing spirit of Meister Eckhart knew, without discursive knowledge, the primordial mystical experience of India as well as of the Gnostics, and was itself the finest flower on the tree of the "Free Spirit" that flourished at the beginning of the eleventh century. Well might the writings of this Master be buried for six hundred years, for "his time was not yet come." Only in the nineteenth century did he find a public at all capable of appreciating the grandeur of his mind. (Page 194.)

[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (1)(2)(3)

(2) Facebook






[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (1)

- 함석헌을 공부하는데 그를 퀘이커로 이해하기 보다, 그렇게 하지않는 것이 더 좋다는 것을 알게 되었다.
- 이대 신약전공 박경미 교수의 글 덕분이다. 45쪽의 이 글을 읽는데 몇일이 걸렸다. 이해하는데 몇번 읽어야 했다. 앞으로도 몇번은 더 읽어야 하겠다. 덕분에 기독교인이 아닌 나의 성경 공부에도 도움이 되었다. 박경미 교수에 대하여도 관심을 가지게 되어 그녀가 쓰거나 번역한 책들을 모두 찾아 보게 되었다.
- 그런데 함석헌에 관한 책이나 글이 많은데 불구하고, 박경미 교수가 함석헌 연구는 “아직 불모의 상태”라고 말하는데는 놀랐다. 왜 그렇게 말하는가는 더 공부를 해 보아야 알겠지만 나에게는 흥미진진하다.

박경미:
“함석헌의 글들은 마치 광산에서 막 채굴해 낸 원광석과도 같다. 그것을 제련하고 연마해서 아름다운 금강석으로 빛을 발하게 하는 것은 후학들의 몫일 것이다.”


- 왜 후학들의 몫이라고 할까? 나도 하고 싶은데.
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[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (2)
https://www.facebook.com/sejin.pak8/posts/10156225288827296
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[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (3) - 속죄론
https://www.facebook.com/sejin.pak8/posts/10156225494437296










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[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (2)

- 기독교에서의 예수 이해의 두가지 방식:
(1) 위로 부터의 그리스도론 - 하나님의 아들로서의 예수, 그리스도의 신성 강조
(2) 밑으로 부터의 그리스도론 - 역사적 인간예수에서 출발.
- 물론 신성과 인성 두면이 있으나 강조나 출발점이 다름.
- 이렇게 구분하면, 함석헌의 예수론은 위로 부터의 론. 그러나 전통적 이해와는 다름.
- 우선 예수 자신은 자신을 하나님의 아들로 보았고, 성령경험에서 부터 말하는데 ...
- 함석헌에 의하면 그 이해가 전통론적 이원론적 시각이 아니었다는 것이다. 하나님은 우주이고, 자연이고, 생명같은 것 ...
- 박경미에 의하면 에크하르트의 신 이해, 인간이해와 일맥상통한다고.
- “예수가 하나님의 아들이 된 것은 우리가 다 하나님의 아들이기 때문”

세진: 결국 퀘이커의 신성-인성 이해와 비슷한 곳에 도달했다. 예수는 인간이다. 인간은 신성. 그러므로 (?) 예수도 신성. 예수는 이걸 알고 있었다 (?).
















[한국의 사상가][함석헌] 함석헌의 예수 이해 (3) - 속죄론
- "나"없이 예수가 다 해주려니 하는 거지 근성의 "무력한 믿음"은 필요없다.
- 개인의 구원에 머믈러서는 않되고.."세계 전체, 우주전체"의 구원을 생각해야 된다.
- "함석헌은 하나님을 우주 속에 흐르는 내적 관련성, 우주의 정신적 의미로 본다." ... "하나님은 우주의 마음이다."
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세진:
- 동양 사상에서 보는 신론이 들어간 것이 바로 동양적 기독교, 한국적 기독교가 된 것 같은데... 한국교회에선 이단이 되는 소리이다. "우주의 마음"! 나같은 사람에게는 좋다.
- 박영미는 "이러한 발언이 가능했던 것은 동양적인 수덕전통과 그 근거에 있는 천인 합일, 천리관이 그의 동양적 종교문화적 전통안에 내재해 있았기 때문일 것이다."라고 썼다.
- 그런데 "수덕 전통"의 수덕이란 말을 모르겠어서 백과사전에 찾아보아도 나오질 않는다. 한글사전에 찾아보니, 다섯 가지가 나온다. 어떤 의미일까? 4번이 아닐까 생각해 본다.
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수덕2 (水德)
[명사] 오행 가운데 물에 상응하는 왕자의 덕.
수덕1 (手德)
[명사] [같은 말] 손속(노름할 때에, 힘들이지 아니하여도 손대는 대로 잘 맞아 나오는 운수).
수덕3 (修德)
[명사] 덕을 닦음.
수덕4 (酬德)
[명사] 은덕에 보답함.
수덕5 (樹德)
[명사] 덕을 세움.
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Namgok Lee ⌈공자(孔子)의 변명(辨明)⌋ 가운데서

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Namgok Lee
10 h  · 
⌈공자(孔子)의 변명(辨明)⌋ 가운데서


논어 이인(里仁) 편에 나오는 문장이다.
<공자께서 말씀하시기를 “증삼이여, 나의 도는 한 가지 이치로 일관되게 꿰뚫는 것이다.” 하시자 증자께서 “예” 하고 대답하였다. 공자께서 나가시자, 문인들이 “무슨 말씀인가?” 하고 물으니, 증자께서 대답하셨다. “선생님의 도는 충(忠)과 서(恕)일 뿐입니다.” 子曰 參乎 吾道一以貫之 曾子曰 唯 子出 門人問曰 何謂也 曾子曰 夫子之道 忠恕而已矣>
이 충서(忠恕)의 ‘충(忠)’을 수식어로 보아 ‘진실한 서(恕)’로 해석하여 ‘서(恕)’ 하나로 일관했다는 견해도 있지만, 충(忠)은 자기의 최선을 다하는 마음의 상태를 말하는 것이고, 서(恕)는 다른 사람을 받아들이는 마음의 상태로서 이 둘이 보합하여 자타(自他)의 생명력을 최대로 살리는 것으로 나에게는 보인다.
서(恕)에 대해서는 “기소불욕물시어인(己所不欲勿施於人)‘이라는 그 나름의 설명을 했지만 오히려 예외적인 것이고, 충(忠)에 대해서는 그런 설명이 없다.
이것은 공자 사상의 핵심으로 이야기되는 ‘인의예지(仁義禮智)’ 어느 것에 대해서도 단정적이거나 고정된 설명을 하지 않는 공자의 태도다.
그는 결코 ‘이름’을 고정되게 정의(定義)하지 않는다.
노자의 ‘명가명 비상명(名可名 非常名)’과 대비하여 공자를 비판하는 사람들도 있지만, 내가 보기에는 적어도 공자의 정명(正名)은 노자의 그것을 포함하고 있다.(이것은 중요한 테마라서 다음에 따로 이야기하려 한다.)
그러다보니 충(忠)이 국가나 군주에 대한 충성이라는 의미로 받아들여져 현대인들에게는 거부감을 불러 일으키기도 하지만, 그것은 충(忠)의 대상에 대한 시대적 사회적 한계에 불과한 것이다.
충(忠)은 자발적 의지로 어떤 일에 최선을 다하는 마음의 상태를 의미하는 것으로 본다. 나는 이 자발성과 전념(또는 盡力)에 더하여 ‘기쁨’을 충(忠)의 가장 결정적 요소로 말하고 싶다.
충(忠)은 결코 도덕 관념 등에 의해서 강요될 수 있는 성질의 것이 아니다.
충(忠)은 나라나 공동체를 위하여 불의를 막고 정의를 실현하기 위하여 목숨까지도 바치는 헌신을 의미하는 말로 쓰여 왔지만, 이제 자아(自我)를 최고로 실현하는 기쁨으로 말할 수 있는 시대가 되었다는 것이 나에게는 인류가 진보한다는 가장 큰 징표로 다가온다.
일터에서 사람들 간의 관계에 서(恕)의 문화가 자리잡는다면, 각자는 자기를 최고로 실현할 수 있는 환경을 만나게 된다. 또 자기실현의 기쁨을 충분히 발휘(忠)하게 되는 만큼 다른 사람을 받아들이는 것도 더 쉬어진다. 이 둘 즉 서(恕)와 충(忠)이 서로 시너지를 발휘하는 것이 새로운 세상을 만들어가는 주체의 생명력이라고 생각한다.
국가나 국경 그리고 자본주의를 넘어서는 어떤 이상(理想)도 이런 속살을 갖추지 못한다면 뿌리 없는 나무를 키우려는 것 밖에 되지는 않을 것이다.

Namgok Lee ‘협동사회운동 연찬모임’

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Namgok Lee
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요며칠 이런 저런 생각에 잠을 잘 못이루었습니다.
다음은 나도 제안자의 한 사람으로 참여하고 있는 ‘협동사회운동 연찬모임’ 카톡방에 연 이틀 올린 글입니다.
오늘 새벽 1시경 올린 글과 이어지는 것 같아 공유합니다.


특히 협동운동이 거품과 왜곡과 실망과 체념에서 벗어나 건강하게 뿌리내리기를 바라는 많은 분들과 공유하고  싶습니다.

“어느새 세 번째 모임이 다가왔군요.

처음 모임에서도 말씀드렸지만, 저는 75세의 노인입니다.

제안자의 한 사람으로서 이번 모임까지는 참여하고,  다음 모임부터는 참여여부를 자유롭게 하려고 합니다.
다만 제안자의 한 사람으로서 부탁드리고 싶은 간절한 마음이 있습니다.
대한민국은 여러 면에서 대단히 어려운 과제들을 안고 있습니다.


비판하고 비난하는 것은 쉽지만, 대안을 준비하고 실천하는 것은 쉬운 일이 아닙니다.
협동(조합)운동은 대단히 중요한 운동입니다.
경제적•사회적•정신적 진보의 핵심운동의 하나라고 생각합니다.

협동운동 주체 간의 협동, 협동운동이 뿌리내리게 하는 방도의 모색, 미래형 협동운동가를 양성하기 위한 여러 프로그램들의 준비 및 운영을 위한 협의체로서 이 모임이 발전할 수 있기를 간절히 부탁드립니다.
저도 제가 할 수 있는 일이라면 건강이 허락하는 한 기꺼이 하겠습니다.”

“어제 글을 올렸던 노인(老人)입니다.
늙으면 가능한 한 입은 닫고, 주머니는 열라는 말이 있습니다. 저는 가진 게 별로 없어 주머니는 열어봐야 별 것이 없어, 입만 닫으면 되겠다고 생각하고 있답니다.

너무 노인티 낸다고 흉보지 마시기 바랍니다. 요즘 노인 자각(自覺) 중입니다. 너무 없었거든요. ㅎㅎ
저는 젊어서 한 때 사회주의 혁명을 꿈꾸었습니다. 당시에 협동조합운동은 혁명을 방해하는 개량주의라고 비판 비난했습니다.

계급혁명을 통해 자본주의를 전복(顚覆) 폐기(廢棄)한다는 것은 몽상에 불과하다고 생각합니다.
어제 협동(조합)운동은 경제적•사회적•정신적 진보의 핵심운동의 하나라는 말씀을 드렸습니다.
즉 종합운동이라는 말씀입니다. 
즐거운 자기실현으로 이루어지는 생산성, 동료나 이웃들과의 사이좋음, 개인적 수행(형태와 관계없이 내면의 자유를 위한)이 어울려야 성공할 수 있기 때문입니다.
4차산업혁명을 이런 종합운동의 좋은 배경으로 만드는 것이야말로 우리가 추구해야할 목표가 아닌가 생각합니다.
저는 중견기업이나 나아가 대기업도 전환할 수 있는 비전과 계획을 가질 수 있다고 생각합니다.
말이 길어졌습니다. 입을 닫으라니까 글로 대신한다고 흉보셔도 할 수 없습니다.
새벽에 잠 깨는 노인(老人)의 기호(嗜好)라고 이해해 주십시오. ㅎㅎ“

천인 합일 수덕 - Google 검색

천인 합일 수덕 - Google 검색

2016. 3. 13. — 천인합일의 제(祭=심고, 식고, 기도)를 드림은. 한울님을 ... 오직 수덕(修德)의 길을 가도록(去) 더욱 더 심하게 자기 자신을 다그치는 것은(去去益甚).
키워드 보기. 유학 원시유학 신유학 성인 수기안인 천인합일 맹자 주자 Confucianism Neo-Confucianism a Saint Mencius Chu-Hsi ...
저자의 연구 키워드: #“사폐이병”설: #“four cons and two weaknesses of ancient Chinese historiography”: #도통: #선성진화론: #수덕: #신사학: #천인합일: #핵심 ...
21) 유혼우, 「화엄의 사사무애와 성리학의 천인합일 비교 연구」, 불교학보 49집(서 ... 선원으로 옮겨 다시 가행 정진하였으며, 다음 해에는 다시 예산 수덕.
물론 고려시대의 재난에 대한 인식이 천인합일사상에만 입각한 것은 아. 니었다. ... 서 중생을 구제하는 지장보살신앙의 수용 양상,51) 군주의 수덕(修德)이 재.
2019. 12. 1. — 신인합일 또는 천인합일 (0), 2018.10.06 ... 양심성찰을 하고 덕을 닦아가는 요령은 그리스도교 수덕체계에도 풍부하게 기술되어 있습니다. 불교와 ...