2019/10/04

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日本語の「命」と「生命」の違いはなんでしょうか -日本語の「命」と「- 日本語 | 教えて!goo




日本語の「命」と「生命」の違いはなんでしょうか
質問日時:2017/11/29 08:41
回答数:3件


A 回答 (3件)

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No.3

回答者: OKAT
回答日時:2017/11/29 10:48

「命」と「生命」はほぼ同様の意味で使われるのがふつうです。「生命」を「いのち」と読むことさえあります。
 ところが、「命」はかなずしも「いのち」だけを表していませんでした。漢和辞典を引けば分かることですが、「命」はまず「みこと」と読んで、神や人の命令を表しました。「みことのり」という言葉もあります。「ノル」は言葉を口に出す意味で、「祝詞」(のりと)も関係があります。
 ということで、人は(人よりもむしろ天子)が「天命」(天帝の命令)によって、この世を治めるのが、人の世の姿であり、時には「革命」(天帝の命が変わること)も起きたわけです。
 「命」は本来こういう中国の思想(天命思想)から生まれたことばで、後に人間のいのちを表すことになり、「命令」と区別するため、「生命」という言葉が生まれたました。
 結果的に、そういう「天命思想」などが、忘れられたため、「命」は「生命」のことを表すことになったと言えます。



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No.2

回答者: fxq11011
回答日時:2017/11/29 10:38

命、私にととっては息子が命、芸人なら芸こそが命とか、生き物に限りません、人口衛星からの地上の写真、レンズの解像度が命。
その物にとって肝心かなめの存在=命



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No.1

回答者: merciusako
回答日時:2017/11/29 09:43

「生命」というと、生物学的な肉体です。

「命」というと、肉体と心、あるいは心だけの場合です。

    「生命」と「いのち」 を考える② - くわブロ

    「生命」と「いのち」 を考える② - くわブロ



    「生命」と「いのち」 を考える②

    お話は、緩和ケアについて。

    緩和ケアとは、
    苦痛を和らげることを目的に行われる医療的ケア
    なわけだけど、
    身体的な苦しみは緩和できるが、
    スピリチュアルな苦しみには
    医療だけでは限界がある
    DSC04587.jpg

    苦しみとは
    希望と現実のギャップ
    DSC04595.jpg

    そして
    スピリチュアルの苦しみとは
    存在と意味の消滅からくる苦しみ
    DSC04590.jpg

    生きるのに必要なのは、
    目標(夢)・支え・自由
    DSC04593_2015042521294222d.jpg

    ここで例に出されたのが、
    アニメアタックNO.1のテーマソング
    ♪苦しくったって~
    悲しくったって~
    チームの仲間がいるんだもん♪
    ・・・と、
    仲間という支えと、
    試合に勝つという目標をもっているから頑張れると謡っている

    スピリチュアルな苦しみは
    一人一人違うわけだけど、
    苦しんでいる時、
    わかろうとしてくれる人の存在が支えになる
    DSC04599.jpg
    普段のコミュニケーションでもそうだけど、
    やっぱり、相手をわかろうとする気持ちが大切なのだなぁ

    また支えとなった側も
    大切な人との死別
    スピリチュアルな苦しみが残る。

    その苦しみを緩和し、
    立ち直る支援を行うのがグリーフケアというもの。
    DSC04601.jpg
    これは、
    セミナー第二回目以降のテーマにもなってくる。

    では、
    「生命」と「いのち」の違いは何か。
    DSC04604.jpg

    生命とは、生き物の生命現象で、
    生物の死によってくなるもの。

    いのちは、生物個体の死によっても消えず、
    心にるもの。
    DSC04605.jpg

    例として紹介されたのは
    映画「ブタがいた教室
    20091022002451434.jpg
    大阪府の小学校で
    実際に900日間かけて行った授業を基にした映画。

    クラスで子豚を飼うこととなり、Pちゃんと名付け可愛がるうちに
    生徒たちは徐々に、
    家畜としてではなく、
    ペットとして愛着を抱くようになる

    が、
    卒業の時は迫り、
    Pちゃんをどうするかクラス皆で話し合い、
    意見は「食べる」「食べない」に二分される。
    泣き出す生徒も多く、
    その話し合いのシーンは、
    リアルにセリフなしのディベートになっているそう。

    人は生きるために
    生き物の死を犠牲にしているわけだけど、
    スーパーで買う豚肉は「生命」で、
    ここでいうPちゃんは「いのち

    心の中に残っていくいのち
    その死を通して、
    生きることの大切さや意義を考える機会となるのだ。


    最後にスクリーンには
    JUJUがカバーした
    MY LITTLE LOVERの
    Hello, Again~昔からある場所』の
    ミュージックビデオが流れる。
    51loEizTbLL.jpg

    ♪記憶の中でずっと二人は生きていける
    君の声が今も胸に響くよ♪


    会場の至る所からすすり泣く
    目頭を押さえるおじいちゃんおばあちゃん達。

    前から大好きな歌なのだけど、
    今日のいのちのお話を聞いてからだと、
    歌詞と映像によるストーリーが
    ダイレクトに胸に突き刺さり、号泣・・・

    先生、グッと纏めるわぁ~(ノД`)・゜・。

    本日の参加者は、
    ご高齢の世代が大半だったわけだけど、
    いのちを考える機会として、
    若者世代にも是非聞いてほしいと思う涙あり、笑いあり、学びありのご講話でした。

    第二回目は、5月17日(日)13:30~
    テーマは
    緩和ケア入門~地域を支える医療センターでの遺族の悲嘆のケアも含めて
    IMG_4212.jpg
    場所は同じく善西寺の本堂にて行われます。



    セミナー終了後、
    場所を本堂から集会場へと移し、
    有志の方々で山中先生を囲む。
    DSC04615.jpg
    質疑応答や、
    より具体的かつ個人的な話等、
    各々のお悩み相談

    参加者の方々にお茶をお淹れし、
    私もお話に参加させて頂く
    DSC04616.jpg

    和菓子屋和の最中
    やっぱり美味しい
    DSC04618.jpg
    挙げられた相談に、
    一人一人、丁寧に答えて下さる山中先生

    こうして、
    お医者さんとじっくり話せる機会は、
    診察以外では中々ないので、
    とても貴重な時間になりました

    【生命、命】 と 【人生】 はどう違いますか? | HiNative


    【生命、命】 と 【人生】 はどう違いますか? | HiNative

    Gotenks81
    2017年6月13日

    イタリア語

    日本語 英語 (イギリス) フランス語 (フランス)
    終了した質問
    日本語 に関する質問

    生命、命 と 人生 はどう違いますか?
    説明が難しい場合は、例文を教えて下さい。

    chappymonkey
    2017年6月13日

    最も役に立った回答

    日本語
    生命→地球上に存在するすべての生き物、生命体、地球上に生命が誕生した

    命→命を大切にしなさい、神様から命を貰った、かけがえのない命

    人生→すばらしい人生、一度きりの人生なんだから楽しもう

    いのち (NHK大河ドラマ) - Wikipedia



    いのち (NHK大河ドラマ) - Wikipedia



    いのち (NHK大河ドラマ)
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    この記事はプロジェクト:大河ドラマの編集方針を採用しています。編集される方はご一読下さい。

    いのち
    ジャンル テレビドラマ
    脚本 橋田壽賀子
    演出 伊豫田静弘 他
    出演者 三田佳子
    (以下五十音順)
    赤木春恵
    石野真子
    泉ピン子
    伊武雅刀
    宇津井健
    大坂志郎
    岸本加世子
    久我美子
    菅井きん
    新藤栄作
    高木美保
    丹波哲郎
    野際陽子
    柳生博
    役所広司
    山咲千里
    吉幾三
    渡辺徹
    ナレーター 奈良岡朋子
    音楽 坂田晃一
    オープニング NHK交響楽団
    (ピアノ・本荘玲子、ヴァイオリン・堀正文
    国・地域 日本
    言語 日本語
    時代設定 1945年 - 1986年
    製作
    制作統括 澁谷康生
    撮影監督 入倉道治、遠藤信明
    編集 高室晃三郎
    製作 日本放送協会(NHK)

    放送
    放送チャンネル NHK総合テレビジョン
    映像形式 4:3
    放送国・地域 日本
    放送期間 1986年1月5日 - 12月14日
    放送時間 日曜日20:00 - 20:45
    放送枠 大河ドラマ
    放送分 45分
    回数 全50回
    テンプレートを表示


    『いのち』は、1986年1月5日から12月14日NHKで放送された大河ドラマ第24作である。


    目次
    1概要
    2あらすじ
    3登場人物
    3.1主人公
    3.2高原家
    3.3岩田家
    3.4その他おもな登場人物
    4スタッフ
    5放送
    5.1通常放送時間
    5.2放送日程
    5.3総集編
    6関連商品
    6.1ソフトウェア
    6.2書籍
    7その他
    8脚注
    8.1注釈
    8.2出典
    9外部リンク



    概要[編集]

    1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』、1985年(昭和60年)の『春の波涛』に続く「近代大河3部作」[1]の第3作。『山河燃ゆ』以降近代路線に転換してから視聴率的に苦戦していた大河ドラマの桿入れのため、『おんな太閤記』(1981年おしん』(1983年 - 1984年)で当時人気の実力派・橋田壽賀子を起用した。当初、NHKは司馬遼太郎原作の明治物の脚色を依頼していたが、オリジナルに拘る橋田が難色を示し、自らの戦後史に擬えての現代史となった。

    時代設定は、終戦直後の昭和20年(1945年)から「放送当時の『現代』」である昭和60年(1985年)前後で、2018年(平成30年)までの大河ドラマでは最も新しい時代を取り上げた作品[注 1][注 2]である。なお、昭和60年(1985年)の前作品『春の波涛』の最終話ラストのナレーションにおいて、主人公の貞奴について「戦後間もなく永眠した。」と語られており、時系列的にはそのまま前作から引き続く形になった[注 3]。主人公の岩田(旧姓:高原)未希は、作中のナレーション(昭和32年6月ごろに32歳の誕生日を迎えたなど)によると大正14年(1925年)の生まれであり、実在・架空の人物を問わない場合、これまでの大河ドラマの主人公(西暦2021年まで放送予定の作品も含む)としては最も新しい年代に生まれている。

    歴史的人物・事件を主要な題材とする大河ドラマとしてはかなりの異色作で、歴史上の人物が全く登場しない唯一の大河作品であり、歴史人物の名前が出るのはナレーションや登場人物の台詞でもマッカーサー池田勇人(内閣総理大臣)などごくわずかであるが、農地改革とこれに伴う地主の没落、高度経済成長下の農村、集団就職オイルショック、核家族化など昭和20-50年代の社会的事象や事件は多数描かれており、史実と無関係のドラマではない。

    配役としては映画『Wの悲劇』などで、当時注目されていたベテラン女優の三田佳子が橋田の希望で主演に迎えた。その他についても、庶民派大河を意識した地味なキャスティングとなった。制作費の面では、例年に比べて出演者が少なく、過去の局資産も流用できるため、思い切って本建築の高原家セットを組むなど、バランスのとれた予算配分となった。

    オープニング映像は水晶玉に光をあて光がうねるような描写と燃え盛るが交互に現れるという、物語を象徴するような激しくも幻想的な作りとなっている。そのバックには、ドラマ中の重要なシンボルである岩木山の眺望がかげろうのように浮かび上がる。

    音楽は坂田晃一が『おんな太閤記』以来の再タッグとなった。のちに同じ橋田作品の『春日局』も担当し、橋田脚本の大河作品すべてを担当したことになる。

    なお、全大河ドラマ中でタイトルが完全に平仮名で表記されているのは本作のみである。

    平均視聴率は29.3%、最高視聴率は36.7%[2]。1984年度の『山河燃ゆ』から続いた「近代大河3部作」中では平均視聴率が一番高かった。しかし「近代大河3部作」1作目の『山河燃ゆ』は評判が悪く、続く『春の波涛』では著作権侵害事件が起き、またいずれも視聴率が低かったため、今作はヒットしたものの5作連続する予定であった[要出典]近現代シリーズは打ち切られることになった。その後、大河ドラマで近現代、特に昭和以降が舞台となる作品は2019年に『いだてん〜東京オリムピック噺〜[3]が放送されるまで33年もの間途絶えることになる[4]

    2006年12月から1年間、CS放送「ホームドラマチャンネル」で再放送した[5]



    あらすじ[編集]

    1945年8月18日玉音放送から4日後)、弘前へ向かう汽車に東京の自宅を焼け出されて故郷へ向かう高原未希・佐智姉妹がいた。佐智は空襲で足が不自由になっており、この旅で弘前へ男を訪ねる妊娠中の村中ハル、高校生(旧制)の中川邦之と知り合う。

    故郷へ帰り、母の千恵、使用人の工藤清吉・イネ夫妻と再会したのも束の間であった。男に裏切られ、海に身を投げようとして、海軍予備学生から復員した浜村直彦に助けられたハルが連れて来られ、千恵、イネらの奮闘に関わらず流産する。一時は自殺すら考えたハルだったが、清吉らの説得により「男に頼らず一人で生きる」と実業家への道を志す。間もなく千恵が吐血して倒れ、医師・坂口一成の診察によりを宣告される。シベリアへ抑留された父正道と結婚式を挙げた神社へ未希とハルの助けで参拝して間もなく亡くなり、このことがきっかけで未希は医者を志し女子医専に進学。

    しかし高原家は農地改革の嵐に見舞われ、小作人で幼馴染の岩田剛造の努力も虚しく、父のシベリア抑留を理由に不在地主に認定された高原家は全ての土地を失ってしまう。

    東京で共に農村医療を志す直彦と未希は惹かれあい、医専を卒業した未希は故郷へ帰り念願の医者となる。佐智も姉の医療を補助していたが、無資格での行為が問題となって、看護婦を目指し、看護婦の資格を取った。シベリアから父・正道が帰って来るが、長い抑留生活のため、余命幾ばくもないことがわかり、弘前医大を出て医師となった中川邦之は正道が元気な内に佐智と結婚したいと申し出る。その結婚式の夜、妻・千恵の墓前で、正道は息を引き取った。

    その後も開業医としては順調な日々を送る未希だったが、妊娠中の剛造の妻初子の体調不良の訴えを妊娠中毒症と誤診、腎臓病で初子を胎児ともども亡くす結果となり、医者としての自信を失った未希はアメリカシアトルへ留学し、そこで直彦と再会する。留学も終わりに近付いた頃、一旦は直彦のプロポーズを受けた未希だったが、帰国後地域医療を捨て大学に戻る途を選んだ直彦と決裂する。帰国後、周囲の反対を押し切って剛造と結婚した未希は、姑のテルと激しい確執を演じるが、剛造と初子の娘・典子の病気を治療したことをきっかけに和解する。

    故郷が町村合併したことを契機に公立の診療所ができて、次第に経営が苦しくなった未希は東京でダンスホールの経営者として成功していたハルの勧めで、東京郊外の新興住宅地に1年間だけの予定で開業、故郷の医院は義弟の邦之に留守を託した。東京で開業した医院は急速に開発が進んだ結果医師不足となっていたため多忙となり、未希は自らが必要とされている地域があることを知った。約束の1年後、未希は、テルや清吉、佐智らに故郷への復帰を懇願され、邦之も交代を提案しながらも、未希の医師としての生きがいを見た剛造が東京での医院継続に賛成し、剛造の後ろ楯で本格的に移転を決める。しかしその過程で典子との確執を生むのだった。

    未希が東京での医院継続を決めた頃、故郷から集団就職で征子が上京した。しかし征子は、上京時に約束された定時制高校への通学もままならず惨状を見かねたハルは征子を引き取り、都内の難関全日制高校へ進学させ、大学まで出し医者にさせるほど征子に愛情を注いだ。同じ頃、剛造と初子の息子・竜男も継母の未希を頼って上京、竜男は都内の高校から大学の経済学部へ進学し、卒業後は未希の医院の事務を担当した。後に征子は竜男と結婚。その新婚旅行の最中、オイルショックが起こり、これに対応して乗り切った竜男は、やがて病院の実務を切り回していくことになる。一方、青森で父と暮らした典子との確執は収まらず、結婚式の日、典子は未希が用意した婚礼衣装に袖を通さず、初子の形見の着物を身につけて式に臨むが、テルが痴呆症にかかり、未希は彼女を東京に引き取り介護することで和解する。やがてテルは未希に看取られて死去。それから間もなく親友のハルの末期が発覚。ハルは弘前での最期を望み、親しい人たちに囲まれて高原家で息を引き取る。やがて、竜男による医療保険不正請求事件が発覚。竜男を問い詰め叱責する未希に対し、竜男は謝罪するが、病院の経営状況が火の車であり、やむなくしていたことを聞かされた未希は愕然とするのだった。

    剛造が長年のリンゴの品種改良の努力が実って、農業賞を受賞。喜びも束の間、剛造もまた病に冒される。意識不明になった剛造の自発呼吸がついに停止し、気管切開をしようとする医師とそれを望んだ家族に対し「もういい。お父さん頑張ったんだから」と未希は延命治療を拒み、安らかに旅立たせるのだった。それにより、典子は、剛造を殺したのはあんただ、それでも医者かと罵倒、激しい憎しみを燃やし、竜男や征子が説得しても剛造が建ててくれた家に未希が入ることを許さなかった。しかし、失意の未希に清吉は剛造が生前農業雑誌に寄稿していた記事(品種改良の結果できた新種のリンゴの名を未希にちなんでつけたことと未希への感謝の念が書かれていた)を見せてくれ、それを読んだ未希は喜びに涙する。その記事は典子も読むこととなり、剛造の未希への愛情を知り、典子が未希に土下座して謝罪、和解する。

    その後、典子達の農作業を手伝おうとする未希だったが、慣れない農作業では却って足手まといとなり、自責の念にかられた未希は、全てを投げ出そうと家を出、青森県内のとある山奥の温泉宿に逗留する。そこで働いていた女性の難産を助け、自分にも役目があることを思い出した。東京の医院は征子に任せ、未希は離島の診療所へ赴く。そして「いのち」を守るため、今日も診療を続けるのであった。


    登場人物[編集]

    主人公[編集]岩田未希(高原未希→岩田未希)演:三田佳子結婚前の姓は高原。母の死をきっかけに医者を目指すようになる。
    高原家[編集]高原正道演:丹波哲郎未希の父。高原本家の当主であり、実業家。小作たちからは「高原のだんな」と呼ばれ慕われている。戦時中に満州に渡り事業を起こすも、終戦直前のソ連侵攻によりシベリアに抑留される。終戦後の正道の不在により農地改革の際に高原家は不在地主とみなされ、高原家の家屋敷を除いてすべての土地が小作にわたってしまう。数年後に帰国できるも、千恵は既に他界しており、自身も抑留中の極度の栄養失調と疲れから先は長くない状態であった。佐智と邦之の結婚を邦之の両親に納得させ、二人の結婚式を見届けた当夜、雪の降る中、千恵の墓前で一人祝い酒を飲みそのまま眠り、亡くなる。自分の死期を悟っていた正道にとって覚悟の死(自殺)だったとの描写がなされた。眠る直前、未希と浜村直彦の結婚を予感していたが、二人は最終的に破局となる。高原千恵演:久我美子未希の母。戦中、女学生だった未希と佐智を東京の家に残して、正道の代わりに津軽の高原家を清吉やイネと守っていた。終戦後に津軽に引き上げた娘たちとつかの間の親子の時間を過ごすも、末期の胃がんで余命わずかであると判明。無医村地区のため初期段階に医者にかかることができなかったからであった。死の床にあってようやく正道の消息が届けられるも、手紙と一緒に送られたオルゴールが奏でる千恵の好きな曲を聴きながら亡くなる。その死によって未希は医者を志し、特に母を死に追いやった無医村問題に目覚めていくことになる。台本では、まだ病名を告げられる前に自身の死を予感し、一人涙ぐむ描写もある。中川佐智(高原佐智→中川佐智)演:石野真子未希の妹。戦争が原因で足が不自由になるも、坂口の執刀で治癒。看護婦資格を取り、姉や夫を支える。邦之とはお互い一目ぼれに近い出会いだった。中川邦之演:渡辺徹未希姉妹とハルが故郷へ帰る列車の中で出会った旧制高校生。中川家の三男。跡取りでないため自由気ままな性格だが、一度決めたことは貫き通す意志の強さをもっており、それは未希や直彦に感化され、一から勉強し医者になったことにもあらわれている。またねぶたをこよなく愛しており、終戦後のねぶた復活に同郷の若者とともに奔走した。佐智との結婚を反対していた両親も正道のとりなしで納得し、りっぱな結婚式をあげることができる。未希が上京の後、津軽の高原家で医院を引き継ぐ。自称「水を飲んでも太る」とのことで、戦中後の食糧難にあってもりっぱな体格をしていた。高原弘道演:石田弦太郎正道の弟。高原家の分家の主。本家の問題に正枝ら妹たちと何かと首を突っ込み、未希や清吉につらくあたる。特に婿も迎えず医者にもなり、本家の跡取りとしての自覚を見いだせない未希と衝突することが多く、剛造との結婚に激怒し、半ば絶縁してしまう。工藤清吉演:大坂志郎高原家に仕える使用人。自殺未遂をし、自暴自棄のハルに生きる希望を諭す。農地改革の際に弘道の強い助言で高原家の財産を一部隠匿し過少申告したことが何者かに密告され、より多くの財産を接収されてしまったことを悔やみ刀で自殺しようとするも、駆けつけたハルに「あたしが死のうとした時、命を粗末にするなってひっぱたいたのはどこの誰なんだよ!」と叱咤され思いとどまる。以前、絶望の淵から救ったハルに今度は清吉が救われたのだった。その後は地主でなくなった高原家であっても、以前と同じように未希姉妹をお嬢様と敬い、時には私財をなげうって支えていく。工藤イネ演:赤木春恵清吉の妻。清吉と共に未希を支えていく。産婆でもあり、佐智の赤子も取り上げる。未希と剛造の結婚を最後まで反対し、未希と姑・テルとの仲を何かと案じていた。末期のがんで死にゆくハルに来世への希望を語り、安らかな最期をおくらせてやる。


    岩田家[編集]

    高原家の小作農家だった。岩田剛造演:伊武雅刀青森でのリンゴ農家を営む男。後に未希の夫になる。岩田テル演:菅井きん剛造の母。農地改革で高原家の小作という立場から離れても、未希のことは「お嬢様」として立てていたが、剛造との結婚後は姑として対立や和解を繰り返す。後に認知症(放送当時は『老人性痴呆症』)を患い、未希の介護を受けるが、最期は未希に「ありがとう、おら、幸せもんだ…」と言い残して息を引き取った。意外に新しもの好きで、発売されたばかりのスクーターを乗り回していたこともあった。岩田初子演:山咲千里剛造の最初の妻。未希の誤診によって亡くなってしまう。岩田竜夫演:小林大介加藤明人内田慎一新藤栄作剛造と初子の息子。大学卒業後は、医療機器や薬品の製造販売会社に就職。後に征子と結婚し、高原病院の事務局にはいる。岩田典子演:佐藤央望清水愛二階堂千寿高木美保剛造と初子の娘。剛造と未希が結婚した時は未希になついていたが、未希が東京に出たのをきっかけに「剛造を捨てた」未希との折り合いが悪くなる。その後未希がテルを引き取ったことで一時和解するが、剛造の死により亀裂は決定的となる。しかし剛造が書いた記事を読んで剛造の未希に対する思いを知り、未希と和解する。岩田征子(津田征子→岩田征子)演:高松涼子宮原永海小林綾子岸本加世子岩田豊演:草見潤平岩田久子演:菅原チネ子岩田真希演:島名美里
    その他おもな登場人物[編集]坂口一成演:宇津井健中川家に下宿しながら弘前の陸軍病院で働いていた外科の元軍医。除隊となり東京の女子医専に復帰。未希にとって生涯の師となる。坂口美代演:野際陽子一成の妻。未希やハル、直彦たちの面倒を何かと見る。村中ハル演:泉ピン子未希とは故郷へ帰る列車の中で出会い、生涯の友となっていく。東京大空襲では家族全員を失う。男に捨てられ入水自殺するも、直彦に助けられる。運び込まれた高原家で流産。東京の土地を売った金を元手に、金太と組んで津軽・東京間のりんごのヤミ売買を始め、りんご景気に乗じて財を成す。後に会社を経営するなどの実績をあげていく。浜村直彦演:役所広司戦死した兄たちと同じ海軍士官だったが、特攻間際に終戦を迎える。これからの人生に失望し自殺しようと立ち寄った海で、先に入水したハルを助ける。そのことで吹っ切れ、医者を志すようになる。未希の初恋の相手。浜村とも子演:小林千登勢直彦の母。夫と二人の子を戦争でなくす。もとは軍人一家の妻として親戚からも羨ましがられるような暮らしをしていた。終戦後は東京から津軽へ引き揚げ、実家の兄の海産物問屋を手伝っている。八木金太演:吉幾三津軽の運び屋。未希の友人。大場甚一郎演:柳生博未希が病院を立ち上げた時の副院長。水田教授演:内藤武敏直彦の母校の教授。浜村玲子(水田玲子→浜村玲子)演:手塚理美水田教授の娘。直彦の妻となる。中川忠之演:三上寛中川家の長男。中川圭子演:海老名美どり忠之の妻。八田修二演:渡辺裕之八田鶴松演:今福将雄正道のシベリア抑留仲間。花田健作演:藤堂新二津田平吉演:磯部勉津田浅子演:日下由美平吉の妻。征子の母。田所久治演:平泉成正道が社長を務める満州の会社の社員。終戦後満州を脱出し、正道から託された荷物を高原家に届ける。その中に千恵と正道の思い出の曲を奏でるオルゴールが入っていた。田所久子演:今出川西紀荒井壮太演:塩屋俊未希が不在中の高原医院に脚を骨折して運ばれてくる。留守を任されていた絹子と昭子が他の病院へ搬送し事なきを得た。料理屋に修行中の身で、板前になるのが夢。昭子と恋仲になり結婚。やがて自分の店を持つことになる。荒井昭子演:大平江利子鹿取洋子柴田勘助演:小野泰次郎直彦の叔父でとも子の兄。実家で肩身の狭い思いをしながら慣れない仕事をしている妹をなにかと面倒見ている。山内京子演:高崎晃子高原医院の看護婦。小松演:織本順吉信吉演:鈴木正幸松子演:上村香子信吉の妻。出産の際に出血が止まらず、同じ血液型の未希が自血を輸血。松子の命を救っている。平田演:奥村公延曾我演:早崎文司今井演:佐古正人草野演:山崎満文造演:今西正男正枝、君枝、時枝演:長内美那子(正枝)、左時枝(君枝)、浅利香津代(時枝)正道の妹たち。絹子演:川島千恵長島裕子征子や昭子とともに集団就職のため上京。昭子と同じ工場で働いていたが、過酷な労働条件に耐えられなくなり二人して辞めてしまう。見かねた未希によって高原医院で働くこととなり、後に看護婦資格を取得して昭子と共に高原医院や後の高原病院の看護婦として未希を支えていく。絹子の父演:堀内泰雄絹子の母演:盛岡節子スエ演:花原照子フキ演:小野敦子信吉の母。ハマ演:ふくまつみ


    スタッフ[編集]
    作:橋田壽賀子
    音楽:坂田晃一
    語り:奈良岡朋子
    演奏:新室内楽協会(現・新音楽協会)
    テーマ音楽演奏:NHK交響楽団(ピアノ・本荘玲子、ヴァイオリン・堀正文
    テーマ音楽指揮:小松一彦
    監修:小木新造小舘衷三
    医事監修:行天良雄白石幸治郎
    衣装考証:小泉清子鈴木紀男
    方言指導:津島康一相沢ケイコ
    制作:澁谷康生
    美術:川口直次、蒔田穣
    効果:広瀬洋方、中村真一、米本満
    技術:大沼伸吉、田村久男
    撮影:入倉道治、遠藤信明
    照明:増山実、久保富雄
    音声:岩崎延雄、仲野次郎
    記録・編集:高室晃三郎
    演出:伊豫田静弘富沢正幸布施実金沢宏次枡田豊小見山佳典阿部康彦
    放送[編集]

    特記が無い限りNHKクロニクルのNHK番組表ヒストリーで確認。
    通常放送時間[編集]
    NHK総合テレビジョン衛星第1放送:毎週日曜 20時00分 - 20時45分
    (再放送)NHK総合テレビジョン、衛星第1放送:毎週土曜 13時25分 - 14時10分[注 4]
    放送日程[編集]
    第1回、最終回は4分拡大で放送。
    放送回放送日題演出視聴率[6]
    第1回 1月5日 帰郷 伊豫田静弘 26.6%
    第2回 1月12日 母と娘 28.2%
    第3回 1月19日 母よ! 富沢正幸 26.6%
    第4回 1月26日 旅立ち 布施実 26.5%
    第5回 2月2日 めぐり逢い 伊豫田静弘 28.0%
    第6回 2月9日 落日の家 富沢正幸 25.8%
    第7回 2月16日 いとしき大地 布施実 25.9%
    第8回 2月23日 姉妹 伊豫田静弘 27.2%
    第9回 3月2日 若者たち 富沢正幸 26.1%
    第10回 3月9日 ひとすじの道 金沢宏次 30.2%
    第11回 3月16日 卒業 布施実 29.0%
    第12回 3月23日 故郷へ 伊豫田静弘 30.7%
    第13回 3月30日 希望 金沢宏次 27.0%
    第14回 4月6日 父と娘 富沢正幸 23.9%
    第15回 4月13日 花嫁の父 布施実 27.8%
    第16回 4月20日 嵐の青春 金沢宏次 23.7%
    第17回 4月27日 わかれ道 富沢正幸 25.5%
    第18回 5月4日 友情 布施実 28.9%
    第19回 5月11日 再会 伊豫田静弘 26.5%
    第20回 5月18日 愛の別れ 27.6%
    第21回 5月25日 新たなる旅立ち 枡田豊 27.8%
    第22回 6月1日 ふれあい 富沢正幸 29.3%
    第23回 6月8日 愛あればこそ 布施実 29.6%
    第24回 6月15日 結婚式 伊豫田静弘 29.3%
    第25回 6月22日 嫁の座 富沢正幸 29.4%
    第26回 6月29日 嫁姑 布施実 31.1%
    第27回 7月6日 母を待つ子 小見山佳典 31.7%
    第28回 7月13日 輝けるとき 伊豫田静弘 30.4%
    第29回 7月20日 走れ妹よ! 富沢正幸 28.5%
    第30回 7月27日 津軽の少女たち 布施実 28.5%
    第31回 8月3日 かあさんの味 伊豫田静弘 24.7%
    第32回 8月10日 東京へ 富沢正幸 26.1%
    第33回 8月17日 生きがい 金沢宏次 28.3%
    第34回 8月24日 いとしき妻 布施実 28.5%
    第35回 8月31日 さらば津軽よ 伊豫田静弘 27.8%
    第36回 9月7日 光さす道 富沢正幸 29.0%
    第37回 9月14日 女のしあわせ 阿部康彦 27.0%
    第38回 9月21日 女ふたり 布施実 30.6%
    第39回 9月28日 花嫁衣裳 伊豫田静弘 30.6%
    第40回 10月5日 愛の賛歌 富沢正幸 33.1%
    第41回 10月12日 津軽のおんな 布施実 30.9%
    第42回 10月19日 嫁のつとめ 金沢宏次 34.1%
    第43回 10月26日 望郷 伊豫田静弘 35.0%
    第44回 11月2日 あしたこそ 富沢正幸 31.8%
    第45回 11月9日 新しき家族 布施実 34.9%
    第46回 11月16日 ガン告知 伊豫田静弘 32.7%
    第47回 11月23日 さらば友よ 富沢正幸 33.7%
    第48回 11月30日 帰りなんいざ 布施実 36.2%
    第49回 12月7日 永遠のわかれ 伊豫田静弘 36.2%
    最終回 12月14日 いのちふたたび 36.7%
    平均視聴率 29.3%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[2]

    総集編[編集]
    放送回放送日題放送時間
    第1部 12月27日 帰郷 19:20-20:45
    第2部 希望 21:00-22:30
    第3部 12月28日 生きがい 19:20-20:45
    第4部 いのちふたたび 21:00-22:30

    関連商品[編集]
    ソフトウェア[編集]

    2016年に完全版、総集編DVDが発売されている。
    書籍[編集]
    いのち : NHKテレビ・シナリオ 上 ISBN 4-14-005123-X(1986年3月発売、NHK出版
    いのち : NHKテレビ・シナリオ 中 ISBN 4-14-005124-8(1986年7月発売、NHK出版)
    いのち : NHKテレビ・シナリオ 下 ISBN 4-14-005125-6(1986年11月発売、NHK出版)
    その他[編集]
    この番組の放送を記念して弘前市に拠点を構える菓子メーカー・ラグノオささきが、「いのち」というスポンジケーキを発売した。放送終了から30年以上経った2019年現在でも発売しているため、命名の理由を知らない消費者も増えている[7]
    林檎の新種「未希ライフ」はこのドラマにちなんでつけられた。このドラマの林檎農家の描写を開発者が指導したためである。
    これでもか、これでもかと主人公にふりかかる不運の連続に相当の批判の投書がNHKに寄せられた。ただし本作の脚本家である橋田壽賀子のいわゆる「橋田節」に対する支持も同等以上あったことは視聴率が証明している。
    後年、中南米の国キューバで放映され視聴率が80%を記録した。
    脚注[編集]
    注釈[編集]
    ^ 2018年(平成30年)の『西郷どん』まで放送終了となったNHK大河ドラマの中では扱った時代が最も新しい。
    ^ 平成31年・令和元年(2019年)放送の『いだてん〜東京オリムピック噺〜』は明治後半から1964年(昭和39年)の東京オリンピック前後までの時代を扱うため、『いのち』の舞台となった時期と一部が重なり、金栗四三1983年(昭和58年)に92歳、田畑政治1984年(昭和59年)に85歳(金栗と田畑はともに『いだてん〜東京オリムピック噺〜』の主役)で他界しているものの、平成以降も開催され続けているオリンピックをメインテーマとして扱っているため、『いのち』の放送終了後の1987年(昭和62年)以降が描かれる可能性がある。
    ^ ただし、「春の波涛」のストーリー自体は大正期までしか描かれていない。
    ^ 一部放送日時の変更あり
    出典[編集]

    ^ 大原, 誠. 舞台裏インタビュー ディレクター編:大原 誠さん(元・NHKディレクター). (インタビュー). NHKアーカイブス日本放送協会). 2019年3月6日閲覧。
    ^ a b ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
    ^ 2019年 大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」主演は中村勘九郎さん、阿部サダヲさん!。NHKドラマトピックス、2017年4月3日閲覧。
    ^ 2019年の大河ドラマは「オリンピック×宮藤官九郎」!(2016年11月16日)
    ^ 歴代NHK大河ドラマの思い出(2007年3月24日)
    ^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。
    ^ふるさとのお菓子”. ラグノオささき. 2019年2月12日閲覧。 “いのち”
    外部リンク[編集]
    大河ドラマ いのち - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
    NHK 大河ドラマ
    前番組番組名次番組

    春の波涛
    いのち
    独眼竜政宗

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    生命と命は違う、生きる力と生きて行く力は違う

    生命と命は違う、生きる力と生きて行く力は違う
    2016.11.27
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    コメント: 0
    投稿者: kando-m

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    森ノ宮医療大学 10周年記念式典で淀川キリスト教病院 理事長 柏木哲夫先生のご講演を聴くことができました。

    私は存じ上げていなかったのですが、医療業界では超有名な方らしく、満席でした。

    穏やかでユーモアを交えながら、言葉の一つひとつが心にしみいる話し方をされ、ネッツトヨタ南国の横田英毅氏様の様な話され方です。なんとなく風貌も似ているような気がします。



    今回の講演テーマは「終末期医療を考える~いのちに寄りそう~」でしたが、「寄り添い方心構え」といった内容で、言葉の持つ意味を深く考えることが大事というお話しでした。

    このブログにおいて何度かに分け、ご講演内容をお伝えしたいと思います。

    第1回目は・・・

    生命と命は違う
    生きる力と生きて行く力は違う



    大阪大学名誉教授だった中川米造氏(医学哲学)が残されたお言葉を引用されて、「生命と命」の違いをご説明いただきました。

    「私の生命は間もなく終焉を迎えます。しかし、私のいのち、すなわち私の存在の意味、私の価値観は永遠に生き続けます。ですから、私は死が怖くありません。これまでの医学は、生命は診てきましたが、いのちは診てこなかった。これからの医学は、いのちも診ていく必要があります」

    生命には「有限性」「閉鎖性」「客観性」があり、いのちには「無限性」「開放性」「主観性」がある

    人に限らず「生命」には限界があります。また、生命は事故や事件以外では他人がどうこうできるものではなく、基本的に自分の支配下にあるので、閉鎖性があると言えます。また、生き死には第三者が客観的に判断できます。

    ところが、「いのち」は存在の意味や価値観ですから、キリスト、吉田松陰などの様に、亡くなられてから年月や地域の限りなく、永遠に人々にその考え方が伝えられ(開放され)、その人々一人ひとりが主観的に感じ取ることができます。

    このように考えると私の周囲には「生命」よりも「いのち」に重きを置く人が多い様に思います。そんな方々とのご縁に私は幸せを感じます。

    逆にごく一部ですが、いろんな場面で、論点や感性がズレ、まともに話にならない人もいます。この方々を客観的に見ると「どう生きるか?」「どう生きてきたか?」よりも「安心、安全に生きる(生命)」事を選択されている様に思います。


    柏木先生は

    生きる力は生命力、生きていく力はいのちの力

    と言われました。

    ホスピスという終末期ケアを行う病棟では、患者さんが「痛くて、辛くて、もう生きる力がありません」とよく口にされ、精神科の外来では「もう生きていく力がありません」と言われるそうです。

    もっと生きたいのに自分の生命が終焉を迎えている人の「生命」の感じ方。
    生命的にはもっと生きれるのに精神がもう生きたくないと思っている人の「生命」の感じ方。

    「生命」と「いのち」

    奥深いです。

    命 - Wikipedia



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    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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    この項目では、あらゆるものの根源を表す概念について説明しています。その他の用法については「命 (曖昧さ回避)」をご覧ください。


    「いのち」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「命 (曖昧さ回避)」をご覧ください。



    この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
    出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年4月)


    命(いのち)とは、多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力や期間、生きていく大もとの外に現れる働きのもと。
    「唯一のよりどころとなる、最も大切なもの」という象徴的な意味もある(例:このラーメンはスープが命だ)。人間の命は特に人命と呼ばれることがあり、人命は第一に守られるべき(最も尊ばれるべき)であるという社会的通念がある。

    命(めい)は、命を賭けて果たすべきことであり、命令は「命じる」こと、厳密には命を賭けて果たすべきのことである。[要出典]しかし、現代の日本では、単なる指令・指示等と同義で用いられることが多い。


    目次
    1概要
    2旧約聖書における命
    3関連語
    4関連項目
    概要[編集]

    あらゆるものに命は宿っており、使命を持っているとする考え方であり、寿命が尽きても新たな命を育むと考えられている。この様な場合には、「」と同様に用いられている。狭義には、生物の根源である生命と同義である。命あるものとないものの境界は必ずしも明確ではなく、例えば、ウイルスが生命体であるか否かは諸説ある。

    「命」は2006年の「今年の漢字」に選ばれた。
    旧約聖書における命[編集]
    キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命はと同義である。
    創世記 9章4節(新共同訳聖書)ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
    創世記 9章5節(新共同訳聖書)また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
    キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書創世記において、命は、必ずしも人ひとりの寿命の限りではない。「あなた(אותך)をますます増やす」という記述のとおり、子孫が繋がっている間は命が継続していて断たれていないという概念である。
    創世記 17章2節(新共同訳聖書)わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
    Genesis(創世記)17:2(欽定訳聖書)And I will make my covenant between me and thee, and will multiply thee exceedingly.
    キリスト教旧約聖書として翻訳されたモーセ五書レビ記において、命であるの源は、女性の月経であると考えられている。
    レビ記 20章18節(新共同訳聖書)生理期間中の女と寝て、これを犯した者は、女の血の源をあらわにし、女は自分の血の源をあらわにしたのであって、両者共に民の中から断たれる。
    Leviticus(レビ記)20:18(欽定訳聖書)And if a man shall lie with a woman having her sickness, and shall uncover her nakedness; he hath discovered her fountain, and she hath uncovered the fountain of her blood: and both of them shall be cut off from among their people.
    関連語[編集]
    使命 - あるものに命を使わす目的と役割のことを指す。
    寿命 - 使命を果たし命が尽きることを指す。
    生命 - 生まれいづる命のことを指す。
    宿命 - 最初からその命に宿っていたと考えられているもの・運命を指す。
    運命 - 命が運んでくるもので、定まっていたものを指す。
    天命 - が授けた命のことを指す。「五十にして天命を知る。」(孔子論語』)
    余命 - 余った命のことを指す。
    五術の命(めい) - 天命、運命、宿命、などのように、生まれつき決められた定めを表す概念。五術には命・卜・相という五項目があり、なかでも命は命理ともいい、自分の天命や運命を知る方法という意味。

    保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」 - 保坂展人|論座 - 朝日新聞社の言論サイト



    保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」 - 保坂展人|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

    保坂展人×若松英輔「いのちの政治学」
    原発、いじめ、街並み、認知症……すべてを「いのち」の視点から見る

    保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト
    2019年09月08日
    --------------
    いのちの政治学|ローマ教皇|世田谷区|保坂展人|若松英輔
    ------

    拡大世田谷区長の保坂展人さん(左)と批評家の若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下

     世田谷区長就任から8年半。保坂展人の世田谷改革は顕著な実績を上げ、全国から注目を集める。近年は中央政界からも熱い視線を送られ、野党再編のキーマンとしても名前が上がる。保坂とは、一体いかなる政治家なのか。気鋭の批評家・若松英輔が、その根っこにある思想と世界観に迫る。

    保坂展人(ほさか・のぶと) 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

    教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、衆議院議員を3期11年務める。2011年4月より世田谷区長(現在3期目)

    若松英輔(わかまつ・えいすけ) 批評家 随筆家

    東京工業大学リベラルアーツ教育研究院教授。主な著作『井筒俊彦』、『イエス伝』、『詩集 見えない涙』など

    原点は「いのち」を守ること

     若松 今回お会いするにあたって、保坂さんがこれまでに書かれた本――政治家になる以前のものを含んで――を何冊か読ませていただいたのですが、読みながら自然と「いのち」という言葉が思い浮かんできました。




     人間には体と心、そして「いのち」があると思うのです。むしろ、「いのち」が体と心を包んでいる、という方がよいのかもしれません。漢字の「命」ですと身体的な意味での生命現象を感じます。それですと体との区別がうまくいきません。




     ここでの「いのち」は、もう少し働きが大きく、豊かなものです。多くの人は体のこと、心のことは考えても、「いのち」のことにまでは考えが及ばない。体と心をつないでいる何かを見逃している。




     保坂さんは、政治家になる以前から、原発のことにしても、いじめ問題にしても、体や心を超えた「いのちの次元」のことをずっとおやりになってきた気がするのです。




     ご自身が本の中で「いのち」という言葉を使われているわけではないのですが、保坂さんの実践を一言でいうとしたら「いのちの政治学」といえるのではないかと思ったのです。




     保坂 「いのち」という言葉で思い出すのは、教育ジャーナリストとして活動していたときのことです。







    拡大高校受験の内申書に「全共闘」と書かれたため不合格となったとして、東京都千代田区立麹町中学の卒業生の保坂展人さんが、東京都と千代田区に損害賠償を求めた裁判で、東京高裁は「内申書に何をどの程度記載するかは中学校校長の裁量」と、校長の裁量権を広く認めて原告勝訴の一審判決を取り消し、請求を棄却する判決を言い渡した。写真は、判決後の支援集会で語る保坂さん=1982年5月19日、東京・霞が関

     私は中学時代、政治的な主張を込めた新聞を発刊したりしていたことを学校に問題視され、それを内申書に書かれたことで全日制の高校をすべて不合格になりました。後に東京都などを相手取って「学習権が侵害された」ことに対する損害賠償請求の裁判も起こしています。内申書裁判と呼ばれ、憲法判例として司法試験にも出題されました。

     10代のときに、いわば学校からの圧力に相当に揺さぶられたわけですが、それが後になって思わぬ形でいきてくることになりました。




     というのは、1980年前後に中学校や高校での校内暴力が社会問題化したとき、子どもたちはなぜ反抗するのか、暴れるのかといったことを論じた本がたくさん出版されたんですね。しかしそれは親や教師の側から書かれたものばかりで、当の子どもたちがどう考えているのかを取材したジャーナリストは、まったくいなかった。




     その中で私は、校内暴力事件を起こした子や、暴走族文化に影響を受けて突っ張っているような子たちのところへ行って、徹夜で話を聞いたりして、ルポを書くようになります。理由は違えど、学校からつまみ出され、排除されたという経験が共通しているからか、あまり反発されることはなかったし、私自身も抵抗なく話を聞くことができました。




     そうして子どもたちの目線で書いたレポートや記事は雑誌に掲載され、10代の子たちの大きな共感を呼びました。読者の99%が10代という、「ジュニアジャーナリズム」ともいえる新しい分野を切り開くことになったのです。




     さらに、1986年の2月には鹿川裕史くん事件が起こります。




     若松 東京都中野区の中学2年生だった鹿川裕史くんが、学校で「お葬式ごっこ」などの壮絶ないじめを受けた末に、自殺してしまった事件ですね。







    拡大鹿川裕史君のいじめによる自殺で開かれた緊急父母会で父母にわびる校長=1986年2月3日、東京都中野区の中野富士見中

     保坂 彼は亡くなる直前に書店で3冊の本を買っていて、実はそのうちの1冊が僕の著書だったのです。それを報道で知って、衝撃と共に悔しい思いがしました。なぜなら、彼が最後に買って持っていた本に私が書いたのは、「学校に行くのがつらかったら、休んでいいんだよ、逃げていいんだよ」ということだったから。今では文部科学省ですらそういうことを言うようになりましたが、当時は誰も言っていなかった。「いのちを学校に行くことと引き替えにしないで」という思いで書いた本だったのです。




     でも、鹿川くんがその本を買ったのは亡くなる1時間前だったので、おそらくは読む時間はなかっただろうと思います。それがとても悔しかったし、彼が何かを私に訴えかけてきたような気がして仕方なかった。




     それで、鹿川くんの遺族を訪ねてお話を聞き、当時180万部の部数を誇っていた雑誌『明星』の付録という形で、改めて「死んではいけない」というメッセージを込めたハンドブックをつくりました。




     それを機に、いじめなどで苦しんでいる子どもたちからたくさんの手紙をもらうようになりました。後で、たまたま街で会った若い人に「あのハンドブックのおかげで死ぬのを思いとどまりました」と声をかけられたことも何度もあります。




     その後も、いじめによる自殺などの事件について執筆や講演を続けるとともに、イギリスの「いじめホットライン」である「チャイルドライン」を取材して日本に紹介したりもしました。




     そうした、まさに「いのち」を守ろうと奔走した経験が、私の一番の原点になっています。「いのちの政治学」を感じていただけたとしたら、だからかもしれません。
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    自分の内側から表出してくる言葉を探したかった

     若松 「いのちの政治学」と感じたのは、もちろん内容もそうなのですが、それを語る保坂さんの言葉の一つひとつが、「いのち」から発せられる言葉だと感じました。

     頭から発した言葉は相手の頭に届きます。心から出た言葉は心に、そして「いのち」から出た言葉は、「いのち」に届くと思うのです。「いのち」から言葉を発したことのない人は、人が「いのち」から発した言葉を受け取ることがむずかしいかもしれない。

     世田谷区長としての日々を綴った本『88万人のコミュニティデザイン』の中に、「言葉」について書かれたこんな一節がありました。
    (10代の終わりごろ)喫茶店の片隅に座っては、2時間も3時間もかけて、なんとか数行の文章をつづるということを繰り返していました。安物のボールペンを握りしめ、筆圧の強い文字を刻みつけるようにノートに書きつけていたのです。私が探していたのは、誰からの借り物でもない自分の「言葉」であり、「文章」でした。「何とか自分のものにしたい」と追っても追っても、手の中につかむことは至難の業でした。

     何気なく書かれていますが、誰にでもできることではないと思います。まさに「いのち」の言葉に出会おうとする現場です。当時、どのような思いがあったのでしょうか。

     保坂 私は、全共闘世代より少し下の、いわゆる「遅れてきた世代」です。同世代の中では少数派だったと思いますが、政治的なことに関心をもって、中学生のころから社会運動に参加したりしていました。

     しかし1970年代半ばになると、上の世代が中心となった学生運動は急速に終焉に向かっていきます。一部では連合赤軍事件のようなリンチ殺人やセクト間の内ゲバも起こり、学生たちは多くが運動を離れてサラリーマンになっていきました。
    拡大連合赤軍のリンチ殺人事件で榛名山と妙義山の中間地点の群馬県倉淵村水沼で遺体が発見された=1972年3月12日


     今ある日常をよりよくするために社会運動という波に乗ったつもりが、実はそれが、仲間同士で殺し合うという悪しき結果を生んでしまった。この運動の延長に開けてくる未来は何もないと分かって、出口のない暗闇にいるような気持ちになったのです。

     そのときに、借り物ではない自分の「言葉」が欲しいと強く感じたのは、中国の作家・魯迅の雑感文(随筆)を読んだことが大きなきっかけでした。

     中でも衝撃的だったのが「厦門にて」という雑感文です。魯迅が欄干にもたれて、「暗澹たる中国の未来」を思案していると、ブーンと一匹の蚊が飛んでくる。この蚊を手で払っているうちに「中国の未来」よりも、「蚊の行方」の方が重大な関心事になっていた……という内容なのですが、「身体と思想が同居している人間」を感じて、非常に心に刺さりました。

     私も、自分の内側から表出してくる「言葉」を探したい。そう思ったのです。

     若松 そして、先ほど引用した「喫茶店の片隅に……」ということをされるわけですね。

     保坂 喫茶店でボールペンを握ってはみるものの、2~3行書いては「これはダメだ」と消す、その繰り返しでした。新聞やミニコミづくりで文章を書くのは慣れていたけれど、改めて書こうとすると、自分で考えたと思っていたこともみんな、人からの借り物に過ぎなかったことに気づかされる。その中で、何時間もかけてやっと数行、「これは自分の言葉ではないか」と思えるフレーズが見えてくるんです。

     その後、21歳のときに月刊『宝島』という雑誌でミュージシャンの喜納昌吉さんに関する特集記事を任され、それがジャーナリストとしての最初の本格的な仕事になりました。喜納さんと3ヵ月くらい行動をともにして、そこで起こったことを100ページくらいのレポートにまとめたのですが、このときは面白いようにペンが動いて、1週間くらいで書けてしまった。それは、「書けない」自分と向き合って、格闘した経験があったからこそだと思います。
    次は→土地は誰のものなのか

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    土地は誰のものなのか

     若松 一方で、「いのち」から発せられる言葉は、しばしば言語にならない、叫びやうめきであったり、涙であったりすることもしばしばある。そして、そういうもう一つの「言葉」を今の社会は無視し続けてきた。保坂さんは、そこに向き合い、すくい上げるということを、ぶれずに続けておられるように思います。
    拡大
     昨年に出版された『〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ』(岩波書店)も、大変心打たれました。アメリカ・オレゴン州のポートランドを訪れたレポートなのですが、単なるまちづくりについての本というよりは、実はこれもまた「いのち」について書かれた本なのではないかと感じたんです。いかに「いのち」を守ることができるか、という実践の本です。



     たとえば、「環境都市」と呼ばれるポートランドの環境政策と重ねて、ご自身が掲げてこられた「脱原発」についてふれられたくだりがあります。原発事故というのはまさに人の「いのち」を脅かすものでした。


     ですから「放射線量がこのくらいだから大丈夫ですよ」と数値を出されただけでは安心できない。それだけだと心理的な問題を解決したに過ぎません。生活全体と未来を見据えた言葉と態度で、「いのち」を守る、という姿勢を示さなくてはならないのだと思うんです。

     保坂さんは脱原発だけではなくさまざまな場面で、共同体のリーダーとして身体、心はもちろん、「いのち」を守る。誰も見捨てない、と態度を示してこられた。これは、類例が決して多くない政治的実践だと感じています。

     保坂 ポートランドへの旅では、本当にさまざまなことを考えさせられました。

     ポートランドの環境政策を主導したのは、1966年にオレゴン州知事になった元ジャーナリスト、トム・マッコール氏です。彼は就任後、オレゴン州の海岸線をすべて州有化するという驚くべき政策実行に乗り出しました。

     きっかけは、ある民間ディベロッパーがオレゴン州の海岸線をプライベートビーチにするため柵で囲ってしまったことに対し、住民から抗議の声が上がったことです。海岸は誰のものなのか。私たちみんなのものではないのか──それに対してマッコール知事は、「そのとおりだ」と応え、翌年には海岸線を開発から守る「オレゴン州海岸保護法」という州法を成立させてしまうのです。

     さらにマッコール知事は、やはり住民の働きかけを受け、ポートランドの街の中心を流れるウィラメット川沿いにあった高速道路の撤去計画も進めました。本来なら街でもっとも心地よい場所であるはずのウォーターフロントは、市民が自由に使える場でなくてはならないと考えたからです。現在、その高速道路の跡地はとても気持ちのいい公園になっています。

     海岸線やウォーターフロントといった土地や自然は、私有されたり、一部の使用者に独占されるべきではなく、公共の財産として確保されるべき。そうしたマッコール知事の考え方は、自然に対する強い畏敬の念を抱くアメリカ先住民の信仰や文化と重なるもののように思います。

     1980年代後半に、喜納昌吉さんのご縁で、アイヌの人々を沖縄の万座毛(恩納村)に招いて、金環日食を見ながらともに平和を祈るというイベントをプロデュースしたことがあるのですが、アイヌの人々や沖縄の人々の自然観にも、やはり共通するものを感じたことを思い出しました。

     若松 「土地は、自然は、誰のものなのか」──。この問いかけとまったく同じことをローマ教皇フランシスコが『回勅 ラウダート・シ』で問題にしています。

     「回勅」とは、ローマ教皇が全世界のカトリック教会全体にむけて発せられる最も重要な公文書です。自然との共生、そして「いのち」を守るということは、最重要の課題の一つとして認識しています。

     この回勅に、現代がこれほど困難な時代になってしまったのは、人間が土地を自分たちの専有物だと考えたからだ、という話が出てくるのです。

     土地の問題は人間だけでなく、あらゆる生き物と深く関係している。しかし、あるときから人間は──それも、きわめて少数の人々が自分の「所有物」だと考え、経済価値に交換しはじめた。その矛盾が、環境問題や経済格差など、今世界を苦しめている様々な問題の原点にあるのではないか、というわけです。

     教皇は「大地に対する(人間の)責任」を考え直さなくてはならないと述べています。非常に重要な考え方だと思います。




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    都市も、人も、よみがえっていける

     若松 もう一つ、『〈暮らしやすさ〉の都市戦略』の中で印象的だったのが、ポートランドの中心市街地の「再生」について書かれたくだりです。かつて産業の中心だった重工業が衰退し、ゴーストタウンのようになっていたエリアが、建物のリノベーションや公園・交通機関の整備などの取り組みの末に、見事に「再生」していった。むしろ「新生」というべきかもしれません。

     今、日本の都市もさまざまな問題に直面していますが、どんなに荒廃した場所でもよみがえっていける、単なる「改善」ではなくて「新生」できる、という指摘はとても新鮮でした。



    保坂展人さん=2019年8月22日、東京・九段下 保坂 たとえば東京の街並みも、高いビルが無秩序に密集していて、ごちゃごちゃして美しくないとよく言われますが、多くの人は、それをいまさら変えるなんてことはできないと思いがちです。でも、人がつくったものは、やっぱり人によって変えることができるものだと思うんですよ。



     都市だけではありません。学校や企業や役所などについても、私たちは既存の組織が硬直化してうまく機能しなくなっていると思いながらも、どこかでそれは変えられないと思っているのではないでしょうか。

     でも、たとえば世田谷区では今年、不登校になった子どもたちなどを受け入れる公設民営のフリースクールをスタートさせました。まだ開設から半年ほどですが、すでに「通いはじめて、うちの子どもが見違えるように変わりました」と何度も声をかけてもらっています。変えようとすれば、変えることは可能なのです。

     特に1990年代以降、この国でずっと続いてきたのは「欲望の解放」だったと思います。弱いところからできるだけ搾り取って儲けるために、人は使い捨て、持続可能性や他人に対する思いやりなんてことは考えず、ただこの瞬間だけがよければいいという風潮が広がり続けてきた。その結果として、日本社会はここまで落ちてきてしまったんだと思うのです。

     それに対して危機感を抱きながらも、もう無理なのかなという絶望を感じている人も少なくないでしょう。しかし、行政の立場になってみて、ほんの少し何か仕組みを変えるだけでも、人の毎日は大きく変わってくるんだということを実感しています。

     若松 外見上は、「ほんの少し」のことなんですよね。ただ、それはおそらく、ただ体だけ、心だけではない「いのち」の次元にふれる本質的な変化だからこそ、何かを大きく動かすことができた、ということだと思うのです。

     保坂 今、世田谷で取り組もうとしている「変化」として、認知症についての条例づくりがあります。世田谷区民90万人の中には、認知症の方が2万3000人いると判定されているんです。

     認知症というのは、至近の記憶はすぐ飛んでしまうけれど、中長期的な記憶は非常にしっかりしていて、会話もちゃんと成り立つという人も多い。その人が病気になるまでに築いてきた生き方や人格、それに基づくプライドややさしさといったものは、当然ながら変わらず存在しているわけです。

     それなのに、かつて「痴呆症」といわれたことからも分かるように、「何を言ってもどうせ分からないから」というような、差別的な扱いを受ける患者さんも少なくなかった。そこをきっちり、行政の名において切り替える人権宣言のような条例をつくりたいと考えているんです。実際に家族を介護してきた人、訪問介護の仕事をしている人、そして認知症の当事者など、さまざまな立場の人が集まって話し合っているところです。

     認知症などの病気だけではなく、たとえば不登校や引きこもりといった苦しみもまた、紛れもなく人の生きざまの一部です。けれどこれまでの社会は、そういう「見たくない部分」を、まるでホッチキスで封印し「なかったこと」にしてきたようなところがあったのではないでしょうか。

     認知症になったら人生は終わり、引きこもりの人はきっと何か事件を起こすに違いない……そんなふうに決めつけて排除していく社会が、多くの人の生きづらさをつくり出している。先ほどの言葉でいうならば、どうやって人の再生の回路、よみがえりの回路をつくっていくかというのが、今後一番力を入れていきたい部分ですね。

     若松 一度社会生活のレールを外れてしまったら、もうよみがえることはできない。むしろ、社会の負担にすらなる、という考え方が、これまで私たちの社会を覆ってきました。

     それを「仕方ないことだ」と考える世界観と、「変えることできる」また、どんな状態であれ、誰かを社会から押しだすようなことはあってはならない、という世界観には、絶対的な隔たりがあります。

     保坂さんのお話からは、人間は変わっていける、よみがえっていけると、いう世界観を強く感じるのですが、それはいじめに苦しむ子どもたちなど、「弱い」「生きづらい」人たちとずっと接してこられた経験があるからなのではないかと感じました。
    次は→行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために



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    行きすぎた分業化、細分化を乗り越えるために

     保坂 以前、長崎県の佐世保市で、小学生の女の子が給食時間中に、カッターナイフで同級生を殺害するという、非常に痛ましい事件がありました(2004年佐世保女児殺人事件)。そこの小学校を訪ねて教員たちの話を聞いたことがあるのですが、一つ違和感があったのが「事件後、専門家であるスクールカウンセラーを置き、心の問題はそのカウンセラーに任せています」と言っていたことでした。

     だって、子どものことを一番よく知っているのは教員のはずでしょう。いくら専門家と言っても、それまでの子どもたちのことを何も知らない人に「任せた」としてしまっていいのでしょうか。ここでもまた、見たくないことをホッチキスでとめて「なかったこと」にしてしまうような姿勢を感じました。

     若松 子どもの体を「見る」専門家、心を「見る」専門家がいるだけでは不十分です。もし、誰も「いのち」を見ていなければ、結果的に「いのち」が失われることになってしまうかもしれない。「いのち」に危機を抱えた子どもがいる。「いのち」の感覚がないと、彼、彼女らの行き場もなくなっていることに、大人も気がつくことができなくなってしまうように思うのです。

     保坂 学校のみならず、今の社会はさまざまな場面で分業化、細分化が進みすぎて、その人のことをまるごと受け止めてコミュニケーションすることが難しくなっている気がします。人間同士の関係でも、同じ専門分野、同じ考え方の人とだけつながっているということが増えているのではないでしょうか。

     若松 この問題は、子どもの周辺だけではなく、あらゆる人が直面している問題ですね。

     保坂 それを乗り越えるためには、身近な生活エリアの中にさまざまな機能を集中させていくことが必要だと感じています。

     社会福祉においても、通常の福祉保健行政では、次のように分かれています。知的障害、身体障害、発達障害、高齢介護、精神障害など、それぞれ専門のチームがあって、どのチームも専門業務として成立して、他の領域のことにはほとんどタッチしないという仕組みになっているんですね。

     たとえば今、一番ニーズが高いのは高齢介護なんですが、あるおじいさんが腰が痛くて動けないというので、行政から委託を受けた地域包括センターの担当職員が、必要な介護を相談するために家庭訪問したとします。おばあさんとの打ち合わせを終えて帰ろうとしたときに、ちらっと息子さんの姿を見かけた。どうやら仕事も何もしていないようだし、ちょっと精神的に疲れている感じもする……。

     しかし、息子さんのことは「高齢介護」の範疇からは外れているので、職員はそれ以上、立ち入ることもなく、そのことを報告書には書きません。センターに戻ってからも誰に連絡するでもなく、そのまま忘れられて終わりになってしまうんです。

     そこで世田谷区では、28地区の区の「まちづくりセンター」に高齢介護の窓口となる「あんしんすこやかセンター」(地域包括支援センター)と社会福祉協議会の事務局を一か所に集めて「福祉の相談窓口」を設け、そこに介護関係だけではないさまざまな情報が集約されてくる仕組みをつくりました。

     それによって、最初に訪問したケアマネジャーが息子さんの存在に気づいたら、とりあえずおばあさんに話を聞いてみる。そうしたら、「息子が時々怒鳴ったりして怖い、精神科にかかったほうがいいとも思うけれど、怖くて言い出せない」という。それをセンターに戻って報告・共有したら、今度は保健師が息子さんのことについて相談するために改めて訪問する。そういう流れができてきたんです。
    居場所をつくる、生きがいを咲かせる

     保坂 「福祉の相談窓口」への情報集約を進めたことで、他にもいい変化が起こってきました。

     地域には、以前は大企業の重役だったとか国家公務員だったとか、いわば「功成り名を遂げた」後にリタイアされた方がたくさんいらっしゃいます。その中には、仕事以外に何をしていいのか分からないというので、時間をもてあましている方も少なくありません。

     特に男性が多いのですが、まだ身体もお元気だし、スキルや経験もたっぷりある、この「社会資源」を地域に引っ張りだそうということで、社会福祉協議会のコーディネーターが「郷土史研究会」や「映画会」、「地区活動入門講座」など年配の男性が参加しやすいイベントをいろいろ企画した。そして、1回でも参加してくれた方にはさらに声をかけて、「チーム」化して次の企画や取り組みにかかわってもらえるようにしていったんです。

     結果、さまざまな方がステーションに出入りしてくれるようになっていて、現役時代は外交官だったという方が、地域の英語教室の先生を務めてくれていたりする。子どもたち向けの企画にもどんどん参加してくれています。そんなふうにいろんなことをやれる力のある人たちを、退屈で不機嫌な顔にさせておくのは、もったいないじゃないですか。


    若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下 若松 「生きがい」という問題ですね。「生きがい」の発見とは居場所の発見であると、お話を聞いていて思いました。これはきわめて重要な発見だと思います。どんなに才能や経験があっても、居場所がなければその人の「生きがい」は花開かない。



     最近、ヘイトスピーチや歴史修正主義的な言説をネット上に書き込んだりする、いわゆる「ネトウヨ」に高齢者が増えていることが指摘されています。こうした現象も、日常の中の「居場所のなさ」が、遠因になっているのではないかと思うのです。

     「ヘイト」に関する書き込みの底には、やり場のない怒りがあります。怒りは、刹那的な活力になる。これを「よい」ことだと思い込むことができれば、世の中に居場所がなくても、自分の存在意義を感じることができるかもしれない。

     それに対して「あなたたちは間違っているから改めてください」と言うだけでは変わらない。人は、変われと言われても変われない。

     変わるには「場」が必要です。おっしゃるように本当の意味での「居場所」をつくっていくことが、非常に大切になっていると思います。
    次は→人が「幸せそうな表情で歩ける街」に

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    人が「幸せそうな表情で歩ける街」に

     若松 ご著書を読んでいて、政治家の本としては希有なほど、「やりたいこと」だけではなく「やってきたこと」が多く記されているのも印象に残りました。世田谷区の人口は90万人強。もっと人口の少ない県もあります。そうした規模で、こうした具体的な変化が起こせることをとても心強く感じました。

     保坂 その一つが、2015年11月に開始した、同性カップルのパートナーシップ制度ですね。

     よく「パートナーシップ証明書」といわれるのですが、正確には世田谷区が出しているのは「証明書」ではありません。最初に制度をつくろうとして法務担当の部門に相談すると、そもそも「パートナーシップを証明する」ための法律がないので、その証明書を行政が出すことはできないといわれたんです。

     一方で、同性カップルの方たちからは、形にはこだわらず何でもいいのでとにかく区としての証明書を出してほしい、という声をたくさん聞いていました。

     そこで、その両方をすりあわせて、カップルのお2人に「私たちは愛し合っていて、ともに人生を分かち合っていきます」という宣誓書を書いて区に提出してもらい、それを「たしかに受け取りました」という受領証明証を出すことにしたわけです。

     法的にはそんなものに何の価値があるんだということになるのかもしれませんが、実際に変化は起こっていて、この制度を利用した第一号の女性カップルのお1人が重い病気で入院されたとき、パートナーの方は、それまで「家族以外はダメ」といわれて病室に入れなかったのが、制度ができてからは付き添いが認められるようになった。しかも、証明証を示すまでもなく「どうぞ」と入れてもらえたそうで、大きな変化だと思います。携帯電話や旅行会社の「家族割」も適用されるようになった。

     さらに、スタート時点では他に同じような制度を設けているのは世田谷区と同じ日に認証制度を始めた渋谷区だけだったのですが、4年近く経った今は全国で20以上の自治体に広がっていて、それらの自治体の人口を合計すると1783万人となりました。つまり、日本の人口の1割以上にまでこの制度が広がったわけで、社会全体を変えていくきっかけをつくれたと、十分にいえるのではないかと思っています。
    拡大世田谷区長の保坂展人さん(左)と批評家の若松英輔さん=2019年8月22日、東京・九段下


     若松 キリスト教徒にとっては――私もカトリックですが――戸籍がどうであれ、教会で挙式することが「結婚」です。法的、一般社会的には通用しなかったとしても、キリスト教徒の間では挙式さえ済んでいれば、正式な「結婚」として扱われる。パートナーシップ制度の話を聞いたとき、それと同じようなことが宗教ではなく、行政を通じて実現できるんだと驚きました。

     今、日本という国の政治は、本当の意味での「人間の生活」を見失っている気がしています。一人ひとりの生活を見ないままさまざまなことが決められている。人々が抱える苦しみも悲しみも、まったく顧みられることはない。

     一方で、世田谷区のように地域レベルでは、「人間の生活」と向き合った政治が、たしかに動きはじめている。このことの意味を、もっと真摯に見ていく必要があると思います。たしかに実践することの意味、実践されたことの意味です。

     保坂 まちづくりにおいてもっとも重要なのは、「どんな街の姿を到達点にしたいのか」ということだと思います。高層ビルがたくさん建って、どんどんお金が入ってくるような街にしたいのか、それとは違うところに価値を見出すのか。

     私は、道を歩いている人がみんな幸せそうな表情でいて、誰かが誰かに道を尋ねたらそこからおしゃべりが始まるような雰囲気の街が「住みやすい」街だと思っているし、そういう街をつくりたいと考えています。かつては日本の多くの街にそうした住みやすさがあったはずなのに、経済指数では表れてこない部分だけに、時代とともにどんどん失われていってしまった。それを取り戻したいと考えています。

     若松 現代社会は、すべての結果を数値で表現することが当たり前になっているし、私たちもそれに慣れてしまっています。正しいということは、数値化できると考えている人もいるかもしれません。

     本来、人の生活の中には、数値化できない、量ではなくて質を見るべき大切なものもあるはずなのに、その部分はずっと見捨てられてきました。「量的」なものには代わりがあります。しかし、「質的」であるとは世界に一つだけしかないものということです。そのもっとも典型的なものが、人の「いのち」です。これが見捨てられてきたということだと思います。

     そろそろ私たちは、体や心のことだけでなく、「いのち」の次元を見つめる姿勢を取り戻さなくてはならない。そうでなければ、この社会が根底から壊れていってしまうところまで来ている気がします。その意味で、保坂さんが実践されている「いのちの政治学」は、今、本当にこの国に必要なものだと思うのです。
    「論座」で執筆中の保坂展人さんのtwitterフォロワーが8万人を超えようとしています。10月8日19時から「LOFT9 Shibuya」(渋谷駅徒歩3分)で記念イベントを開催します。「論座」で執筆中の政治学者・中島岳志さんもゲストで登壇します。主催・問い合わせは「保坂展人と元気印の会」(03-6379-2107)へ。
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