2016/09/23

第六期2回目の感想

第六期2回目の感想





1. 印象に残ったこと、理解が深まったこと、自分の中で起きた変化など



「自立した自分を取り戻す」

2日目の「私が話し合いができなくなるのは なぜか?」を通して、自分を観察していくうちに、人との関係の中で、むしろ私自身から自分の主体性を失っているのを発見しました。

朝の散歩で、今日のレポートのテーマについて考えていたら、若い頃の事を思い出しました。

一人旅が好きで、定期的に日常を離れて旅をしていました。今になって改めて、一人旅 をしていた理由が明らかになりました。人との関係を離れて『自分を取り戻すための旅』だったんだと。

いつの頃からか、人との関係の中では、自分の主体性を押し殺す事が良いとか、人の言う事は聞かなければならないとか、勝手に思い込んでいたんだと気づきました。

自分では、今まで、他の人に比べれば、自分らしく、生きていると思って生きてきましたが、人の中では、全く自分らしさを失っていました。

この自分らしさを、人との中で取り戻す事が、私が何でも話し合えるために、必要なことだと思います。 まずこの事を自分が感じている想いや、そこから来る考えを素直に表現する事なしには、

何でも話せるという状態にはなれないんだと・・・。本当の自立にはならないと、やっと気づく事ができたように思います。思い出すと、ずーと このメッセージを妻から言われていた様な気がします。その時には、素直に受け入れる事が出来なくて反発していたけど、ここから自由にならないと、僕の未来はないかもしれません。

僕がこんな状態になった原因を見つめてみると、父の存在が大きいかもしれません。おそらく仕事場で、自分の思いや考えを押し殺して働き、酒を飲んだ時、普段の人格とまるで違う人になり母にあたっていたのを、子供の頃、ずっと見て育ちました。

僕がそこから受け取ったメッセージは、こんな大人にはなりたくない、という反面教師的なものでしたが、見事にそっくりな大人になってしまった気がします。「人との関係の中では自分を押し殺すものだ」ということを、動かしがたい事実、常識のように考えていました。それは、仕方のないものだと・・・。

何でも話し合うという事は、自分の主体性を取り戻したところからでしか有り得ない。

相手の主体を受けとめて、自分の主体と交流するやり取りを生み、育むために、お互いの主体性を大事にすることから、それが実現してゆくのだと思います。

逆にいえば、相手の主体性を侵してしまうのは、自分の主体性を大事にしていないからだともいえるかもしれません。

(40代男性、S.K)



「愛されたくて、本心を隠してきた」

自分の気持ち、本心の見つめ方が、少しわかった様な気がします。自分の本心がどんなものに隠されているか?

事例を振り返ってみることで、観えてくる世界がありました。いい子でいたい、その事で愛を受けとりたいと、切実に求める気持ちから、本心を隠すようになったのかもしれません。こういう事が少し見えるようになったのは、今回の成果でした。

(40代男性、S.K)



「一方的な通達から、気持ちを聞き合う双方向に」

自分の今までのコミュニケーションの在り方を見直せた。自分なりに解決しようとして考えた結論を相手に伝えるという、一方的な方法しか知らないで、結論に重きを置いていた。

2日目に他の参加者の例を一緒に調べてみて、相手とコミュニケーションをとるとき、特にネガティブな感情が発生した時に、自分もそのストレスから解放されるために、その気持ちをないことにしたくなる。見ないようにする。何か理由を自分で作って自分を納得させて、解消できた、と思っていた。ただ、その方法でここまでやって来て、それは一時的な紛らわしで、いつか破たんする可能性が高いと思ってきた。

自分が何でも話せる状態にならないと、話し合うことは難しい。ではどうしたらよいか。話し合う事が、結論有りきではなく、相手、自分の感情を開いて見るということで、新しい関係を生むのかもしれないと思った。

①相手との関係を悪くしたくない、伝えたくない様な行き違い、感情や思いのずれ、

→ ②この人とはうまくいかないと確信する様なトラブルが起きる。

→ ③自分なりに結論や解決策を考えて相手に伝える。

この工程において、③だけを相手につきつけていると気づいた。そこを、①の自分の気持ちを相手にただ伝える、聞いてもらって自分が困っていることをシンプルに話して、相手の反応を見て、聞いて話をした時に、③の結論自体が変わることも十分ありえたし、①の自分が感じていたネガティブな感情さえも、自分の思い込みだったと気づくことも多いかと思った。

自分が話し合える関係を作るには、まず自分のネガティブな感情と向き合い、相手への遠慮を外し、相手を何とかしようと決めつけないで、現状を作りだした自分の状態を見てみる。そこからそのままの気持ちを伝えて、相手の話もよく聴く。

この気付きから、これまで関係に問題があった母親に対して、今までとは違った内容のメールを送ることができた。すると母親から、これまでとは全く違った反応が返ってきた。すれ違いから、相手の違いを 非難することばかりに目がいっていたと思う。

そして、相手が変化しない事は、自分が変化しない、という事だったのかもと考えた。

(30代女性、おやぢ)



「気持ちKIMOCHIはスパイスでしかなかった」

なぜ話し合えなくなるのか、それはKIMOCHIに直面するのを恐れるから。

キモチ、キモイ。

「~ベキ」という規範がそいつを覆い隠してくれている。

他者のあるべきイメージがあり、自分のあるべきイメージがあった。

罪悪感も、劣等感も、それと表裏一体だった。

ようはKIMOCHIが外から侵されるのを防ぐ壁だった。

KIMOCHIに外から侵されるのを防ぐ壁だった。

命令の「通達」がコミュニケーションのモデル。

だから話し合いは「ベキ」×「ベキ」だった。

やりたくないけど、やるべきだからやる。

なぜあいつはやるべきことをやっていないんだ。

KIMOCHIに反するベキが、またもう一つKIMOCHIに反するベキを生んで行く。

これまで僕の日常の足はTSUTATSU交通だったし、食べるのはMONOサンドやホームメード弁当だった。KIMOCHIはスパイスでしかなかった。

今回気づいたのは、KIMOCHI交通の大切さ。

KIMOCHI弁当。

KIMOCHI交通の駅弁。メインディッシュはキモチ。豚キムチもあるよ。

おそらく僕は「君のKIMOCHI弁当なんかに興味はないよ」というフリをしたかった。

独立した主体であるところの私は自分の弁当を持っているし、あなたの弁当などいらないよと。

なんで相手に興味がないフリをしたかったのか。

それもまたベキベキした自画像を維持するためであった。

ベキベキした包装紙を剝いで折り紙でも遊びながら、自分のKIMOCHIに深呼吸させる。

相手のKIMOCHIへの率直な食欲を受け入れて、KIMOCHI交通網の路線図を描いていきたい。

(30代男性、J.Y)



「最初から守りに入っていた」

今までは、話し合うということは、事業とか言葉のやり取りで、上辺のことばかりに捉われて、内面に触れることをしてこなかった。

自分が出来ていないと指摘されると心にゆとりがなくなり、話し合いのはずなのに、いつのまにか始点がずれていくことが多かったと思う。誰が言った、言わない、とか、自分の援護で話し合いにならないで終始してきた。中途半端で終わってしまって、いつも同じことを繰り返してきた気がする。

ここにきて皆さんの話を聴いているうちに、自分が何で守りに入るのか、また相手の言葉の背景を知ることで紐解いていかないと、何でも話し合える仲にはなれないことに気付かされました。

(70代女性、N.H)



◇印象に残ったこと。

今回の講座で少しずつ、みんなが心を開いていく様子が伺えた。そのことによって、親しさを感じていった。

自分事をあまり人に話してこなかった、私自身の変化に自分が一番驚いています。

◇理解が深まったこと。

なぜ、娘がカレッジへの参加を希望したのか分からないまま、また、何か自分たちの活動の参考になることがあればいいなと軽い気持ちで伺いました。

一回目の講座を受ける中で、娘の気持ちがコミュニケーションの下手な私自身の改善を願ってだと気付きました。

きっと、私が思っている以上に娘の方が深刻に悩んでいたと思います。

「なぜ、話し合いがうまくできないのか。」自分なりにあれこれ反省しながらも、娘に切りだす糸口が見つからないまま一か月が過ぎた感じでした。

今回、みんなで話し合い掘り下げていく中で、「娘さんは、お母さんが好きだよ」と、すーさんの一言にはっとしました。私の心の底に、無意識のうちに「娘は私が嫌いだ」と勝手に決めつけている事に気づきました。自分を振り出しに戻せるきっかけができたと思いました。まだ、娘とは話し合っていませんが、心穏やかな日々を過ごしています。

(70代女性、N.H)



「母親と娘の関係」

会議をしても会議じゃなく口論になってしまう。

何で素直にしゃべれないんだろう。

ごめんなさいの一言が娘に言えないもどかしさ

娘さんからは私のやっていること認めてほしい。

でもこれって愛情の裏返し

娘さんは母親の愛情が欲しい為に

自分の気持ちとは裏腹に

違うことを伝え続けていたのでは

かあちゃん。きづいて

(60代男性 鈴木)



第6期2回目の感想(2016/6/17-19)

2.    疑問に思ったこと、質問したいこと、これから理解していきたいこと



どのように恐れは無くなっていくのか? など (40代男性 R.Y)



実践方法、これから、模索していくのだと思う。対話を続けていく途中に、やはり、疲れる時があるかと思うが、そういう時はどうしたらいいのか?

相手との関係が変化したい場合は、まだ、足りないものがあるのか、限界なのか、その見極めは、いつくだすのだろうか?  (30代女性、おやぢ)



一番身近であり、一番大事にしたい娘との関係を修復していきたいと思っています。

時間がかかるかもしれませんが、自分自身を磨くことによって会の運営に活かせると思っています。

(70代女性、N.H)



●その他、なんでも・・・



J君やおやぢさんなど一緒の地域から来ている人たちと場を共にでき、今後にも繋がりそうでありがたいです。

(40代男性、R.Y)

突然お金という制度がなくなったらどうする?|✳︎Open the Door✳︎

突然お金という制度がなくなったらどうする?|✳︎Open the Door✳︎



お兄ちゃん的に大好きな人から「突然お金という制度がなくなったらどうする?」と聞かれたことがあった。



私はあまり恐怖みたいなものは感じなくて、「みんなで持っているものを与え合ったら生きていけるんじゃないかな」というよくわからない自信みたいなものを感じたから、「特に何もしないかもしれない」と話した。「きっと、お金をたくさん貯めている人(囲い込もうとする人)はお金の制度がなくなったら怖いだろうね」と話していたのを覚えている。



彼はお金がなくなったらどうするか考えて、『汚い水もきれいにろ過して飲めるストロー的なサムシング』を買ったらしく、ドヤ顔で見せてくれたのがおもしろかった。今思うと、それは「そこらへんの水が飲めなくなったらどうする?」の答えなんじゃないかというツッコミが私の中から出てきて、新幹線の中で思い出し笑いをしてしまった。





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8/12~8/14、三重県の鈴鹿市にある少し珍しいコミュニティ『アズワンコミュニティ鈴鹿』にお邪魔してきた。







なぜ珍しいかというと、そのコミュニティの中では、



お金を介さずにいろんな営みが行われているのだ。



まさに冒頭の状態を実践しているコミュニティであると言える。



そのコミュニティ内の企業で働いても基本的には給料は発生せず、仕事とお金が完全に分離されている。また、コミュニティ内には無料で物をもらうことのできるコンビニのようなお店があったり、無料で泊めてくれるお家があったりする。(※コミュニティ外とのやりとりはお金を介している。)



「争いのない幸せな世界」を目指し2001年にコミュニティがつくられたのだそうで、現在は「親しさでつながる安心の中で、その人らしく暮らせるコミュニティ」として運営されており、「権力・多数決がない」とか「義務・責任がない」とか「教え・押付けがない」といった、コミュニティならではの考え方『as one style』が確立されている。







なぜそんなコミュニティが成り立つのか、不思議に思われる人も多いだろう。事実、私と同じタイミングでコミュニティを訪れていた人達は「わからないことだらけだ」と話していた。



まずお金という存在はなんなのか考えてみると、人間がつくりだした『制度』に過ぎないのだけれども、現状の世の中はお金ありきで全てのモノやサービスが動いているので、「お金がなければ生きていけない」と思いがちなのだと思う。しかし、よく考えてみると、縄文時代の人はお金がなくても生きていたのだから、本来ひとはお金がなくても生きていけるのだ。



「そうはいっても争いや奪い合いが起こるのではないだろうか」と疑問に思う人もいるだろう。私が考える、争いや奪い合いが起こらない主な理由は2つだ。



1.やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらないため。



2.自分の内面と向き合って、心の豊かさを追求しているため。





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1.やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらないため。



一般的には、「やりたくなくても仕事ならやらなければいけない」のが普通なのではないだろうか。しかし、このコミュニティ内の人たちは、やりたくない仕事はやらない。やりたいことだけ、やれる範囲でやっているのだ。だからこそ、ストレスはほぼたまらないし、給料という見返りも必要がない。むしろ、仕事をすることが趣味のような感覚で楽しいのだ。



ストレスがたまると、私は食欲が異常発生してジャンクフードや甘い高カロリーなスイーツなどを大量に食べたり、物欲が異常発生して服を大量買いしたりしていた。しかし、今はやりたいことだけやっているため、食欲も物欲も異常発生することはない。たぶん人によってストレスによる影響は様々なんだろうと思うのだけれど、過剰な欲求が現れるのは大抵ストレスが原因なんだろうなと思う。コミュニティの人達も、過剰な欲求を抱えておらず最低限で満足してしまうため、奪い合い・囲い込みといったことが起きないのだろう。





2.自分の内面と向き合って、心の豊かさを追求しているため。



浜松のトランジション・タウン(持続可能な街)の運営をしていたという私と同年代の男性が話してくれたことなのだけれど、トランジション・タウンでは運営がうまく行っているように感じていても、ある日突然運営のリーダーなどが「もうやってられない、疲れた!」と言い放ち、去って行ってしまうことがよくあるそうだ。あまりにもよく起こるために、このような現象のことを表す『バーンアウト』という言葉が生まれたほどだという。



バーンアウトが起こる原因として、彼は「持続可能な街のシステムをつくればそのように生きられると思って、システムをつくろうとしていたけれども、本当に必要なのはシステムではなくて人間の心の豊かさなんだと気づいたんだ。街が持続可能でも、人間が持続可能じゃないと成り立たないんだとわかって、今のコミュニティに学びに来たんだよ。」と話してくれた。



このコミュニティでは、心の豊かさを追求するために、自分の心と向き合う手段を学ぶことのできるスクールが開講されている。さらに心の研究所のようなものもあって、日々スクールを開講しながらひとの本質について研究しているのだという。







コミュニティ内の里山を案内してくれた男性がこんなことを話してくれた。

「『木を見て、森を見ず』という言葉があるけれども、僕は今の世の中を『森を見て、土を見ず』だと思っているよ。表面に現れているところだけを見てなんとかしようとしているけれども、本当に必要なことは土壌の豊かさであって、目に見えないところにいかに目を向けるかなんだと思うんだ。」



私は彼らの話を聞いて本当にそのとおりだと思ったし、私と同じように考えて実践している人に出会えたことが何より嬉しかった。私に昔「お前の考えは甘いんだ。そんなに社会は甘くない。」と言っていた父親に「どうだっ!ほら見ろ!」と言いたくなったのは言うまでもない。





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最終日、時間が空いたので、コミュニティ内のお家でお昼寝をさせてもらった。台所ではその日の夜ご飯の準備がされていて、包丁で野菜を切るサクサク、トコトコという音が聞こえてきた。おばあちゃん家に遊びに来ているような感覚がして、胸がじわーっとあたたかくなった。



気がついたら、涙が出ていた。





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7月のある日、そらべあ基金というNPO法人の人に、

「私はこれから仕事をしたとしても対価としてお金を受け取りたくなくて、与えきりたいんです。相手が私に何かをあげたいと思ったときに与えてくれれば良くて、それはお金でもいいし、お金じゃなくても良いと思ってるんです。」

と熱弁していたところ、このコミュニティを紹介してくれた。



このコミュニティの存在を聞いたとき、日本にそんなコミュニティがあるのかと本当に驚いて鳥肌が立ったし、同時にすごく興奮してワクワクした。きっとこれも前兆であり、私の人生の大きな流れの一つなんだろうなと思った。だから、これから私はこの生き方を実践したいし、必要な人に伝えていきたいと思っている。







やりたいことだけ、やれる範囲でやることができるお弁当屋さん。





毎日、農場で採れた野菜を使って作ってくださった家庭料理は最高においしかった。





里山の原風景。山の間に広がる田んぼの緑が美しい。





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麻友湯(まゆゆ)




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점화본능을 일깨우는 화덕의 귀환 - 개량화덕.로켓스토브.화목난로.벽난로.깡통난로구들 만들기

점화본능을 일깨우는 화덕의 귀환 - 개량화덕.로켓스토브.화목난로.벽난로.깡통난로구들 만들기





점화본능을 일깨우는 화덕의 귀환 - 개량화덕.로켓스토브.화목난로.벽난로.깡통난로구들 만들기

김성원 (지은이) | 소나무 | 2011-11-28

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각 나라의 화덕에 관한 역사.문화에 걸친 다양한 이야기와, 사라졌던 나무화덕에 대한 여러 사람들의 노력과 그 결과를 정리한 정보서이자 화덕 만들기 안내서이다. 저자 자신이 직접 만들어 보고, 또 카페의 회원들과 많은 정보를 나눈 후 쓴 글이기 때문에 직접 만들면서 느낀점과 개선해야 할 것들이 글에 자연스럽게 녹아 있다.



우리 생활에서 쉽게 제작하여 사용할 수 있는 실용적인 화덕들을, 100컷이 넘는 사진과 200컷이 넘는 다양한 삽화로 소개하며 화덕.난로의 구조도가 실려 있어 재미와 실용성을 동시에 느낄 수 있다.

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| 들어가는 말 | 점화본능을 일깨우는 화덕의 시대

| 제1장 | 세상에서 가장 오래된 기술, 화덕

화덕의 시대 | 좋은 화덕의 조건 | 나무 연소의 비밀

| 제2장 | 세계의 개량 화덕들

전통 화덕들 | 아프리카의 개량 화덕 | 중남미의 개량 화덕 | 아시아의 개량 화덕

| 제3장 | 숲과 사람을 생각하고 만든 화덕

밥할 나무도 귀하던 시절 | 삽 한 자루로 만드는 벵갈 구덩이화덕 | 거꾸로 타는 시멘트블록화덕 | 진흙반죽 단열화덕 | 초간단 단열깡통화덕 | 위나르스키 박사의 로켓화덕

| 제4장 | 땔감 걱정 없는 가마솥화덕

GTZ의 두 구멍 대형 화덕 | 무여농원의 부뚜막 아궁이 가마솥화덕 | 말라위의 희망화덕 | 산마을고교 학생들과 만든 가마솥화덕 | 스와질란드의 대형 사자화덕 | 열기고리를 장착한 가마솥화덕

| 제5장 | 연기 없는 조리용 화덕

솥자리가 여러 개인 다구 화덕 | 벽돌조적 다구 화덕 만들기 | 빵 굽는 함석오븐화덕 | 나무로 만든 가구형 화덕 | 싱거화덕 | 2차 공기주입구를 가진 포그비화덕 | 전국귀농운동본부 벽돌 철판화덕 | 막돌과 기와로 만든 철판화덕 | 자연과 건강을 돌보는 팟사리화덕 | 남미의 다양한 철판화덕들 | 부담 없는 드럼통 철판화덕 | 필립스 디자인의 조립 점토판화덕 | 전통 부뚜막과 아궁이

| 제6장 | 버너처럼 타오르는 나무가스풍로

나무는 가스가 되어야 불이 붙는다 | 나무가스풍로의 원리 | 깡통으로 만드는 나무가스풍로 | 강제 송풍식 나무가스풍로 | 단열 개량 화덕과 나무가스풍로의 만남 | 남아프리카의 조왕화덕 | 베트남의 TLUD 왕겨가스풍로 | 솜씨 좋게 나무가스풍로에 불 피우기 | 나무가스화 이론을 응용한 숯 만들기

| 제7장 | 화목난로를 손에 쥐다

철제난로의 기본 구조 | 오븐 장착 화목난로 | 거꾸로 타는 난로

| 제8장 | 화목난로의 3박자, 열복사·대류·열전도

열복사·대류·열전도 | 열복사·대류·열전도를 이용한 난로 만들기

| 제9장 | 알고 있던 벽난로 그 이상

커다란 몸체, 은근한 열기 | 벽난로 그 속을 들여다보면

| 제10장 | 장작꽂이 종탑형 벽난로

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 최근작 : <근질거리는 나의 손>,<화목난로의 시대>,<점화본능을 일깨우는 화덕의 귀환> … 총 5종 (모두보기)

 소개 :

20대부터 30대 초반까지 서울시철거민협의회, 노동정보화사업단, 노동정치연합, 구로와 울산 노동 현장에서 빈민·노동·진보정치 관련 단체의 활동가로 일했다. 이후로 30대 후반까지 IT분야 컨설턴트, 패션 마케터, 광고 전략가로 좌충우돌 직장생활을 했다. 마흔에 직장을 그만두고 뒤늦게 시민단체 ‘에너지전환’의 간사로 일하다 2007년 전남 장흥으로 귀촌했다.



국내 최초로 흙부대 집을 짓고 자신의 경험담을 담은 「이웃과 함께 짓는 흙부대 집」을 출간했다. ‘로켓스토브’와 ‘고효율 개량화덕’, ‘로켓매스히터’, ‘구들 개량법’을 세...





“불 지필 줄이나 알어?”



“석유문명 속에 사는 현대인들은 인류사 어느 시대의 사람들보다 불에 대해서 가장 무지한 사람들입니다. 사람들이 불을 사용하기 시작한 때는 200만 년 전 석기시대부터입니다. 인류가 화덕을 처음 사용한 때는 기원전 50만 년 전입니다. 석유 보일러와 가스레인지가 한국에서 널리 이용되기 시작한 때는 20년 전. 그 이전 도시지역은 석유곤로나 연탄보일러를 사용했고, 농촌은 여전히 대다수가 화목을 때는 아궁이와 화덕을 사용했습니다. 현재로부터 조금만 거슬러 올라가도 사람들은 최근까지 수백만 년 동안 장작을 직접 때며 불을 가까이 바라보고, 불을 직접 다루며 살아왔습니다. 그만큼 불에 대해서 잘 알고 있었습니다. 우리는 불에 대해 얼마나 알고 있습니까?”(본문 12쪽)



“화덕은 인류 문명과 불의 발견만큼이나 오래된 기술입니다. 가장 오래되었다고 알려진 화덕은 기원전 40만 년 전 중국 화덕과 50만 년 전의 유럽 화덕이죠. 석기시대 동굴에서 살았던 인류는 원시적인 돌화덕을 만들어 사용했고, 빙하기의 인류도 추위를 막기 위해 화덕을 사용했다고 합니다. 실제로 요리를 위해 불을 피우기 시작한 때는 50만 년 전이고, 기원전 10만 년 전쯤 인류는 본격적으로 요리에 불을 사용했습니다. 불을 다루고 이용하기 시작한 때부터 인류 문명은 시작되었다 해도 지나친 말이 아닙니다.”

“인류는 꽤 오랫동안 수많은 세대를 거쳐 누적된 불의 기억을 DNA 속에 담고 있는 셈입니다. 불의 유전자라고나 할까, 50만 년 동안 불을 지펴온 점화본능이랄까, 우리 속에 화인으로 각인되어 있는 게 분명합니다. 그렇기 때문에 화덕을 사용하다 보면 오래된 점화본능이 후끈후끈 살아납니다.”(본문 14쪽)



우리의 아궁이, 그들의 화덕



“선진국이라 불리는 서구 국가들과 일부 아시아, 남미 국가의 도시지역 중산층들에게 이제 나무화덕이나 오븐, 벽난로는 숯불구이, 바베큐 파티, 피자, 빵 등을 굽는 화려한 전원생활의 로망으로 여겨지고 있습니다.”

“일부 지역에서는 과학적 원리에 따라 적정기술에 기반해서 만든 효율 좋은 전통 화덕과 과학자들과 함께 개량한 화덕들을 이용하고 있습니다. 환경운동가들과 지역의 사회 운동가들은 이러한 화덕들을 발굴하고 개량해서 각 지역으로 보급하고 있습니다.”(본문 19쪽)



우리들은 구들을 자화자찬하면서도 세계의 화덕 전통과 소통하는 데 무관심했던 것은 아닐까요? 이 책은 우리 사회에, 전통적이며 동시에 현대적인 전 세계 화덕과 난방기술을 소개하는 첫 번째 시도일 것입니다.

1차 화덕 개량 사업은 정치적이고 인도주의적인 맥락에서 인도와 인도네시아에서 처음 시작되었습니다. 1970년대는 아프리카 사헬의 가뭄에 대한 원조사업으로 진행되었고, 1976년 과테말라 지진 이후 원조사업의 하나로 추가되기도 했습니다. 그러다가 2차 화덕 개량 원조사업은 주 원료인 나무 소비를 줄이고 열효율을 높일 수 있도록 기존 화덕의 문제점을 개선하는 데 초점을 두었습니다.

서구 선진국에 의해 주도되고 있는 최근의 3차 화덕 개량 원조사업은 에너지 위기, 기후변화, 탄소배출권, 청정개발체제 등과 연관되어 있습니다. 제작비가 적게 들고 누구나 쉽게 배워 만들 수 있는 ‘중간기술’과 환경에 영향을 덜 끼치는 ‘적정기술’이 적용된 대안 화덕들입니다.



우리나라에선 무시되고 있는 간단한 나무화덕으로 제3세계 국가 곳곳에서 독일, 영국, 미국 등 유럽 선진국들은 명분은 명분대로 얻고 청정개발체제, 탄소배출권을 통한 경제적 이익은 이익대로 얻고 있습니다. 난방과 요리를 동시에 처리할 수 있는 세계 최고의 난방화덕기술 ‘부뚜막 아궁이 구들’을 자랑하는 우리는 무얼 하고 있는 걸까요? 우리의 전통 기술이 무조건 세계 최고일까요? 세계 최고를 알리기 위해 우린 무엇을 했나요? 다른 나라의 화덕이나 장작오븐, 벽난로에 대해 알면 알수록 그들의 전 세계적인 화덕 개량 산업을 살펴보면 볼수록 확신이 서지 않습니다. 혹시 각지의 문화조건 속에서 다양하게 발전한 결과인 ‘문화적 차이’를 ‘문화적 우열’로 잘못 이해하고 있었던 것은 아닐까요?



벽난로와 구들의 결합, 그 아름다운 만남



뜨끈하게 등을 지질 수 있는 구들 바닥,

이글거리는 불꽃 그림자가 포근한 벽난로,

이 둘은 집에 대해서 우리가 갖고 있는 세밀한 낭만적 욕망의 대상 가운데 결코 하나가 된 적이 없는 것들입니다. 하나는 바닥난방을 요구하는 우리의 좌식문화를 대표하고, 또 다른 하나는 서양의 입식 문화에서 발전된 공간난방에 걸맞기 때문입니다. 좌식문화 위에 그대로 누운 채 서양식 건축문화를 받아들인 우리들은 두 문화를 모두 욕망합니다. 그리고 집과 공간을 따뜻하게 하는 방식을 항상 생각하죠.

두 난방 방식을 어떻게 하나로 화해시킬 것인가? 1990년 대 초 위나르스키 박사는 대류, 축열, 열복사 방식을 종합해서 바닥난방과 공간난방을 동시에 해결할 수 있는 서양식 벽난로 구들을 개발했습니다. 일명 거꾸로 타는 난로구들(Rocket mass heater) 입니다. 우리나라에서도 이화종 선생의 산촌도드리벽난로 구들장 벽난로, 그 외 다양한 바닥 겸용 벽난로가 보급되고 있습니다. 이러한 복합 난방장치를 통해 우리는 그 오랜 숙원을 해결할 수 있게 됩니다.



이 책의 특징



‘화덕의 귀환’은 각 나라의 화덕에 관한 역사·문화에 걸친 다양한 이야기와, 사라졌던 나무화덕에 대한 여러 사람들의 노력과 그 결과를 정리한 정보서이자 화덕 만들기 안내서입니다. 저자 자신이 직접 만들어 보고, 또 카페의 회원들과 많은 정보를 나눈 후 쓴 글이기 때문에 직접 만들면서 느낀점과 개선해야 할 것들이 글에 자연스럽게 녹아 있어 독자들이 쉽게 이해할 수 있습니다.

우리 생활에서 쉽게 제작하여 사용할 수 있는 실용적인 화덕들을, 100컷이 넘는 사진과 200컷이 넘는 다양한 삽화로 소개하며 화덕·난로의 구조도가 실려 있어 재미와 실용성을 동시에 느낄 수 있습니다.



이 책을 읽다 보면 쌀쌀한 이 계절에 가족들과 함께 깡통난로 하나쯤 만들어보고 싶은 충동이 생깁니다.

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2016/09/22

[문명, 인간이 만드는 길 ‘마음’ - 전문가들과의 대화](9) 마루야마 겐지·소설가 - 경향신문

[문명, 인간이 만드는 길 ‘마음’ - 전문가들과의 대화](9) 마루야마 겐지·소설가 - 경향신문



배계급 위해 움직이는 국가를 대부분 ‘내 나라’로 착각
ㆍ집단에 눌려 잃어버린 ‘개인’ 되찾아주는 게 나의 문학
마루야마 겐지가 일본 나가노현 자택에서 인터뷰하고 있다. 그는 1968년 고향으로 돌아가 문단과 거리를 둔 채 집필과 정원 관리에 몰두해왔다.
마루야마 겐지가 일본 나가노현 자택에서 인터뷰하고 있다. 그는 1968년 고향으로 돌아가 문단과 거리를 둔 채 집필과 정원 관리에 몰두해왔다.
우리는 개인의 결정이 모여 전체의 입장을 정하는 민주주의 시스템 속에 있다. 그럼에도 불구하고, 지난 30년 동안 개인이 품어오는 희망의 무게는 바람빠진 풍선처럼 가벼워졌으며, 불안에 흔들려 왔다. 나의 선택이 나의 삶을 책임질 수 있을지 그 의심의 부피 역시 커져버렸다.
광복 70주년이다. 그 어느 때보다 공익캠페인에서는 국가를 위하는 마음, 국가를 위한 희생을 강조하고 있다. 문제는 어떤 국가를 추구하는가에 달려 있지 않을까? 서구를 중심으로 세계는 불평등이 도를 넘고 있으니 해결하자고 목소리를 높이고, 한국 역시 불평등의 가속화 속에서 더 많은 이들이 목숨을 버리고 있다.
역사, 문명의 진보는 순응하지 않는 개인의 결정에 의해 진전되어 왔다. 그렇지 않았으면 바뀌어지지 않았을 왕정이었고 정교일치였으며 봉건이었을 것이다. 지금, 우리는 과연 전체를 ‘나’의 뜻으로 진전시키고 있는지? 집단의 이데올로기에 의해 휘청이는 개인의 마음을 살펴보기로 했다. 동아시아를 대표하는 일본 작가 마루야마 겐지에게 그 현상을 물었다. 그는 파도처럼 밀려드는 조직, 사회, 국가의 이데올로기 공세에 실려 부표처럼 떠다니는 개인의 선택에 끓어오르는 안타까움을 토했다.
마루야마 겐지와의 대담은 지난달 6일 그의 자택에서 이뤄졌다. 도쿄에서 기차로 3시간 반 걸려 도착한 나가노현 시나노오오마치(信濃大町)역으로 그는 직접 마중을 나왔다. 트럭을 몰고 위아래 블랙진을 걸쳐 입은 풍모는 소설가라기보다는 시류에 안주하는 해무 같은 나른함을 거둬내려는 로커의 이미지였다.
▲ 국가가 가장 두려워하는 건
“잘못됐다”고 제동 거는 국민
국가가 추상적 대상이라지만
결국 인간, 한국에선 ‘자본가’
▲ 원전이 그렇게 안전하다면서
왜 도쿄에는 짓지 않나?
돈이 말라 있는 시골 사람들
국가가 나눠주는 ‘사탕’에
어쩔 수 없이 순응하는 것
▲ 작가들이 독자를 위로한다는 건
일시적 안심을 주는 값싼 위로
‘마음 연못’에 작은 돌 던져
조그만 파문이라도 낼 수 있다면
문학으로서 충분히 성공한 것
‘내가 절대 양보할 수 없는 것’
그게 뭔지 꾸준히 자문해야…
내가 지키고 바라봐야 할 한가지
‘권력과 권위에 굴복하지 않는 것’
안희경(이하 안) = 선생님의 작품에는 여러 유형의 인물이 나옵니다. 애달픈 이들이 주인공이고 가족, 생계, 이웃의 손가락질에 짓눌려 옴짝달싹 못하는 이들이 그 주변을 에워쌉니다.
마루야마 겐지(이하 마루야마) = 제 소설 속 인물들은 모두 세상에서 가장 약한 지위를 가진 사람들이에요. 대부분 주인공은 실재하는 인물입니다. <천일의 유리>는 스티븐 호킹과 같은 병을 앓는 소년이 천일 동안 겪는 이야기인데, 그 소년도 실존 인물이지요. 그 약한 위치에서 사람들을 바라봄으로써 인간과 인간이 어떻게 살아가야 하는지를 그립니다. 인간은 의외로 타인을 주시하지 않아요. 특히나 도시에 사는 사람은 자기도 모르는 사이 사람을 바라보지 않는 습관에 빠지죠. 하지만 이런 시골에 살다보면 인구가 적으니 자연스레 눈길이 사람을 쫓아요. 저 길에 어느 할머니가 혼자 지나가면 ‘저 할머니는 어디로 뭘 하러 가나’, 병을 지닌 소년이 비틀비틀 걸어오면 ‘가족들은 어떤 사람들일까’ 생각에 빠지죠. 인간의 부조리, 불합리한 입장이 머릿속에 떠오릅니다. 그럼에도 불구하고 살아가려 하는 이들에게서 큰 감동을 받습니다. 그 감동을 그려내는 게 문학이 추구하는 최대의 목적이 아닐까요. ‘이 세상을 살아가야 할 가치가 내게 있는가’라는 물음에 빠지게 되는 인물들을 통해서, 그래도 가치가 있다고 말하는 것, 그쪽을 향하는 것이 문학이겠죠.
안 = 소설 문장 한 줄 한 줄이 시각적으로 그려지며 전체가 하나의 시처럼 밀도가 높습니다. 그러면서도 사회구조의 모순을 갈고리로 찍어 올리듯 꿰고요. ‘전자기기를 사용하지 않으면 단 한 마리의 고기도 잡지 못하는 근대의 고기잡이법에 휘둘리고 있는 사나이들(어부)은 모두, 빚을 갚기 위해서 …(<물의 가족> 중)’와 같은 표현에는 왜 보통 사람들이 현대의 편리 속에서 계속 고통에 빠지는지 새겨져 있죠. 우리는 가난하거나 실패하면 ‘스스로 노력을 안 해서 그렇지’라고 위로하고, 다시 경쟁 속으로 들어갈 명분을 찾는데요. 구조의 부조리를 꺼내드는 시선의 배경은 무엇입니까?
마루야마 = 그걸 설명하려면 제 성장 과정을 이야기해야 해요. 소학교(초등학교) 3학년 때 특수학급이라고 해서 몸이 약한 아이나 정신장애를 가진 아이들을 모아놓은 학급에 들어가게 됐어요. 저는 건강한데 배정받았습니다. 나중에야 이유를 알았어요. 운동회 때 ‘유희’라고 학생들끼리 손 잡고 춤추는 시간이 있는데 바보같이 느껴져 집에 가버린 적이 있죠. 열 살짜리가 학교 말을 듣지 않은 거예요. 또 전쟁이 끝나고 황실 왕족이 죽었을 때 도쿄를 향해 머리를 숙이라고 했어요. 그 사람이 대체 누구냐 물으니 선생님께서 이러이러한 사람이다라고 설명해 줬는데, 저는 우리랑 무슨 상관이냐고 하곤 또 집에 가버렸죠(웃음). 결국 정신적으로 이상한 아이로 찍혀서 특수학급에 간 겁니다. 우리 학급 학생들은 모두 결핵을 앓거나 정신장애를 갖고 있었고, 담임선생님이 제가 건강하니까 급우들을 보살피는 의무를 줬습니다. 겨울에 석탄난로를 때잖아요. 당시 일본은 가난했어요. 석탄을 하루에 한 자루만 줬습니다. 금방 타버리죠. 그러면 선생님이 저를 불러요. 가서 훔쳐오라고(웃음). 석탄보다 목숨이 더 중요하다고요. 우리 급우들은 감기만 걸려도 목숨이 위태로우니까요. 그분에게 많은 걸 배웠습니다. 다른 반 학생들이 우리 친구를 괴롭히면 제가 막 때려줬어요. 선생님은 또 모른 척했고요. 얼마 후 아무도 괴롭히지 않았습니다. 그때부터 약한 존재를 감싸는 습관이 생겼나봐요. 내 몫은 잊더라도 다른 이에게 뭔가 주려는 습관 말이에요.
안 = 지금도 학교에서는 왕따와 폭력이 이어집니다. 빈부 차이가 확연한 구도시와 신도시 사이에 있는 학교들에는 또 다른 질서가 있기도 하죠. 가난과 결핍에 대한 분노가 오히려 만만해 보이는 약자에게 집단으로 향하는 질서 말이에요. 열등감과 자기 과시는 하나의 뿌리라고 하잖아요. 아이들도 약하면 밟힐까봐 폭력적인 자기 방어를 합니다. 인간의 본성, 어떻다고 여기세요?
마루야마 = 인간은 정말 비열해요. 인간은 동물로 태어납니다. 인간으로 죽을 수 있을지는 각자의 노력에 달렸고요. 대부분 동물로 태어나서 동물로 죽죠. 인간으로 살기 위해서는 교양을 갖춰야 합니다. 좋은 대학에 들어가고 좋은 데 취직하기 위해 머리에 지식을 쑤셔 넣는 일은 교양이 아니에요. 그 예를 관동대지진에서 볼 수 있어요. 그때 일본 정부는 대중의 분노가 국가로 향하면 난감하니까 다른 곳으로 돌렸죠. 조선인들을 제물로 던져줬습니다. 조선 사람들이 폭동을 일으켜 쳐들어 올 거라고 소문냈어요. 도쿄 사람들은 ‘조선인이 오면 다 죽여 버리겠다’고 했고, 대학 교수들도 나섰습니다. 그때 ‘그런 말도 안되는 일은 벌어지지 않는다’고 외쳤던 이는 생선가게 주인이었습니다. 대학 교수와 생선장수, 둘 중 누가 더 교양인일까요? 매우 상징적인 사건입니다. 요즘 인간이 되기 위한 지식, 인간이 되기 위한 교양은 사라졌어요. 국가가 교양과 지식을 강요하죠. 국가의 편의에 부합하는 지식, 국가의 편의에 부합하는 인간으로 만드는 교양입니다. 국가가 가장 두려워하는 건 ‘이거 잘못된 거 아닌가’라고 제동 거는 국민입니다. 그러고는 값싼 급여를 받아도, 해고당해도 불평하지 않는 노동자, 전쟁을 할 테니 목숨을 내놓으라 해도 ‘네’ 하는 순응형 국민을 양민이라고 합니다. 식자들은 국가를 추상적인 대상이라고 하는데요. 아닙니다. 매우 구체적이고 결국은 인간들이에요. 저 사람과 저 사람과 저 사람이 국가라고 손가락으로 가리킬 수 있습니다. 국가는 지배계급을 위해 움직입니다. 미국이든 북한이든 그 어떤 국가라도 지배계급 외의 국민은 부수적인 존재, 노예죠. 그런 국가를 대부분의 국민은 자신의 나라라고 착각하고 있죠. 또 국가가 착각하게 만들고요.
안 = 국가가 명확하게 보인다고 하셨는데, 우리가 볼 수 있는 국가는 누굴까요? 경찰? 공무원?
마루야마 = 자본가죠. 한국에서 보자면 재벌이죠. 정치가들도 자본가들에게 당하고 있을 뿐이에요. 일본에서도 그렇고 미국에서도 그래요.
안 = 현대를 움직이는 힘이네요. 이미 돈의 흐름, 돈의 주인들은 국경을 넘나들며 세계를 움켜쥐고 있으니 우리나라 상표, 우리나라 은행이라고 자긍심 경쟁을 하는 것도 부질없어 보입니다.
마루야마 = 물론이죠. 그 자본에 반하는 사람은 국적불문, 순식간에 말살될 수 있어요. 실제로 죽지 않아도 사회적으로 말살됩니다. 지배계급은 질서를 유지하기 위해 국가가 반드시 필요하다고 대의명분을 내세우죠. 국가를 없애면 무질서한 세계, 범죄 왕국이 될 거라고 협박합니다.
안 = 그래도 국가가 치안을 유지해주고 세금을 거둬 기간산업을 보완하잖아요. 그런 질서가 있으니 직장도 생기고, 장사도 하고, 또 농부들은 지원금도 받고 그러지 않습니까?
마루야마 = 그것은 국민의 분노를 피하려는 최소한의 사탕(이익) 나누기예요. 몽땅 빼앗으면 폭동이 일어나니까요. 원자력발전소가 그 예죠. 꼭 시골에 지으려 합니다. 도쿄 같은 도시에는 반대하는 사람이 많으니까요. 하지만 시골은 욕망과 감정으로 살아가는 사람들이 다수죠. 말하자면 나라가 돈 주면 무슨 일이든 순응하는 이들이 많다는 겁니다. 돈이 말라 있으니 넘어갈 수밖에요. ‘원자력발전소를 하면 지역에 이러한 점이 좋습니다’ ‘이런 것도 만들어 주겠습니다’라고 사탕을 줘요. 거기에 어용학자가 와서 안전하다고 보증하죠. 그렇게 안전한 것을 세우는데 국가가 왜 그렇게 많은 돈을 쓰겠습니까? 안전하다면 도쿄에 세워도 되잖아요. 시골 사람들도 눈치는 채지만 눈앞에 놓인 현금에 마음을 내주게 됩니다. 후쿠시마 사태로 방사능 오염이 발생하는 그런 일이 일어날 수밖에요.
장편소설 &lt;물의 가족&gt;을 비롯해 많은 작품이 국내에 번역돼 한국 독자들과 친숙한 마루야마 겐지는 “세상을 조망하고 그 모순을 드러내는 곳까지 스스로를 끌어올리는 것”을 작가의 사명으로 들었다.사진 크게보기
장편소설 <물의 가족>을 비롯해 많은 작품이 국내에 번역돼 한국 독자들과 친숙한 마루야마 겐지는 “세상을 조망하고 그 모순을 드러내는 곳까지 스스로를 끌어올리는 것”을 작가의 사명으로 들었다.
안 = 다들 결정을 내릴 때는 각자의 의지로 했다고 생각합니다. 그러다 일이 터지면 국가나 조직, 아니면 동료의 생각에 휘둘렸구나라며 배신감에 사로잡히기도 하죠. 택시를 탈 때마다 당혹스러운 경우는 기사님들이 극단적인 정치 선동을 할 때입니다. 다들 개인적으로는 명민한데, 진영논리에 사로잡혀 세상을 편가르는 단순한 사고는 대체 어찌된 영문일까요?
마루야마 = 인간은 세뇌당하기 쉬워요. 특히 국가, 학자, 유명인의 말은 비판없이 받아들이죠. 방송에서 끊임없이 같은 말을 하면 모르는 사이에 마음이 침해당합니다. 일본어에 고코로구미(心組·마음가짐)라고 있어요. 스스로가 마음을 단단히 가지는 것. 반드시 누군가로부터 영향을 받게 되어 있지만 그래도 스스로에게 ‘이래도 괜찮은가’ ‘저 사람이 말하는 것은 진짜인가’ ‘국가가 말하는 것이 옳은 걸까’라고 질문하고 자기 답을 찾는 것을 ‘고코로구미를 단단히 한다’라고 하죠. 안 그러면 순식간에 당해요.
안 = 그러려면 전체 판을 봐야 하지 않을까요. 그러니까….
마루야마 = (질문을 자르며) 판이 아니에요. 한 점을 봐야 해요. 제가 오프로드 바이크를 타는데, 절벽으로 치달을 때 빠져나오는 법을 알려줄게요. 급커브를 틀어야 살아요. 아마추어는 무서우니까 이곳 저곳 둘러보며 상황을 잽니다. 하지만 프로는 출구 한 점만을 응시하죠. 전체를 본다고 두리번거리면 시선이 애매해져요. 낭떠러지로 곤두박질칩니다. 한 점이 왜 중요한가? 자신에게 가장 가까운, 가장 중요한 한 점으로부터 눈을 돌리지 않는 그 지점이 우리 마음을 단단히 다잡을 수 있는 곳이기 때문입니다. 일본의 지식인 중에 외국 신문, 일본 신문 이 잡듯 읽는 이들이 있어요. 뭔가 안다는 기분에 사로잡히겠죠. 그런데 실은 아무것도 모릅니다. 자기 자신에 대해서조차 몰라요. 우리는 스스로를 찬찬히 들여다볼 수만 있다면 세계를 읽어낼 수 있습니다. 철학자들이 잘못하는 것이 서재에 들어가 아무도 안 만나고 골똘히 ‘인생은 이렇다’ ‘인간은 저렇다’ 답을 내리는데, 그 과정에서 답은 왜곡됩니다. 풀 한 포기, 작은 나무 한 그루를 키우면서도 깨달을 수 있는 것을 평생 모르고 살아요. 아까 생선장수 이야기했죠? 아침부터 밤까지 생선만 팔았을 거예요. 신문도, 철학서도 안 읽고. 그래도 ‘조선인이 침략해 온다는 소리는 거짓이다’라고 단칼에 답을 내렸잖아요. 전체를 보는 것은 그런 것이에요. 전체를 보고 싶다면 전체를 보지 마라. 한 점을 봐라!
안 = 그 생선장수는 사람을 깊게 만남으로써 오히려 인간이 어떤 존재이고 무엇을 추구하는지 읽어냈다는 거죠?
마루야마 = 국가가 흘려보낸 데마고그에 휩쓸리지 않았던 거예요. 눈앞에 있는 사람들과 마음으로 사귄 겁니다.
안 = 한 점, 어디에 찍어야 할까요?
마루야마 = 모든 것을 희생하더라도 이것만은 지키겠다 하는 것. 그것이 무엇인지 자문해보고 ‘이것을 양보하면 나는 더 이상 내가 아니다’ 하는 것, 절대로 양보할 수 없는 것을 확보해야죠. 그것으로부터 눈을 돌리지 않는 겁니다.
안 = 선생님의 한 점은 어디인가요?
마루야마 = 권력과 권위에 굴복하지 않는 것, 그뿐입니다.
안 = 어떤 권력이죠?
마루야마 = 국가권력이죠. 그리고 국가가 초래하는 권위, 또 문학상 제도. 이 모두를 거부합니다. 소설가라는 존재는 그늘에서 자라는 식물이에요. 음지식물은 빛을 너무 많이 쪼이면 사그라집니다. 이때의 빛은 명예, 돈이고요. 그럼 음지식물은 단번에 말라요. 소설가 중에는 갑자기 책이 잘 팔리고, 또 여러 상을 받자마자 엉망이 된 경우가 셀 수 없이 많습니다.
안 = 그래도 어차피 우리는 서로 주고받으며 살 수밖에 없잖습니까?
마루야마 = 물론 인간은 사회적 동물이에요. 하지만 사회적인 동물이라는 것에 너무 의존한 나머지 개인을 잃어버리고 있어요. 회사, 국가와 같은 집단 속에 편입되어 자신을 잊고 개인을 버려요. 그러면 어떻게 살아야 할지 알 수 없게 되죠. ‘나’라는 개인으로 돌아올 필요가 있습니다. 개인을 되찾기 위한 문학이 바로 저의 문학입니다. ‘나는 누구인가’라는 것을 다시금 묻도록요. (잠시 침묵) 대개의 독자들은 스스로를 잊기 위해 소설을 읽습니다.
안 = 작가들은 독자를 위로할 수 있어 행복하고, 존재 의의를 느낀다고 말합니다. 저도 의미있는 일이라 생각하고요.
마루야마 = 매우 값싼 위로죠. 진정한 위로가 될 리 없어요. 일시적인 안심일 뿐이잖아요. 위로와 일시적인 안심은 전혀 다릅니다. 작가는 독자를 현실 그 자체 속으로 쑥 들이밀어야 해요.
안 = 현실은 버겁잖아요.
마루야마 = 그러니까 힘들 때 술 마시는 것처럼 문학에 손댑니다. 문학이 술 정도의 가치라는 거죠. 진보도 무엇도 사라지고 마지막에는 술을 많이 마신 것처럼 너덜너덜해지는. 무엇을 위해 살고, 무엇을 위해 책을 읽는지 알 수 없게 돼요. 문학이 그래도 되는 건지….
안 = 선생님의 소설에는 어망 속의 물방울이 자신을 비추고 세상을 비추고, 또 그 물방울이 다른 물방울을 비추는 양식이 있습니다. 소설이 그렇게 나와 세상 그리고 타인과의 연계를 비춰주는 매개가 되어야 한다는 건가요?
마루야마 = 오래전에 사르트르가 이런 이야기를 했어요. 정치 참여 문학이 유행할 때였죠. 사르트르는 ‘죽어가는 어린아이 앞에서 문학이 무엇을 할 수 있을까’라고 세상에 물었습니다. 작가로서 고백하자면 그 순간 문학이 할 수 있는 일은 아무것도 없어요. 뭔가 있다고 생각한다면, 그건 작가의 자만이죠. 그래도 문학은 마음이라는 연못에 작은 돌을 던져주는 작업입니다. 조그만 파문일지라도 일으킬 수 있다면 충분히 성공이라 생각해요. 그것이 작가의 역할이죠.
안 = 작가가 아니라도 각자의 공간에서 누구나 파문을 낼 수 있다면 다양하고 생명력 있는 사회가 되겠다는 생각이 듭니다. 그러면서도 세상살이에서 겁을 집어 먹어서인지 ‘모난 돌이 정 맞는다’는 한국어 표현이 떠오르네요.
마루야마 = 일본에서는 ‘튀어나온 말뚝은 맞는다’라고 합니다. 남과 다른 행동을 하면 비난을 받죠. 개인으로 돌아와 나 자신을 주장하기 시작하면 순식간에 사회적으로 말살당하는 분위기예요.
안 = 그런데도 왜 내 멋대로 살라 하세요(웃음).
마루야마 = 그래도 한번 해 봅시다. 내 인생 사는데 왜 남을 신경 써야 합니까?
안 = 그럼, 밥벌이하기 어렵잖아요.
마루야마 = 그래요. 밥이야 먹고 살아야죠. 그렇다고 영혼까지 팔면 서럽잖아요. 누군가가 내 가장 중요한 부분까지 흔들려고 한다면, 힘이 세건 돈이 많건 부모건 으랏차 밀쳐내야죠. 인간은 본능과 욕망의 노예로 태어나요. 지성, 이성은 원래 가지고 있지 않죠. 동물이야 못된 꾀 같은 걸 부릴 줄 모르니 인간처럼 야비한 짓은 안 합니다. 일은 남한테 시키고 이득은 가로채는 그런 짓 말이에요. 인간은 참 어중간한 만듦새로 나왔어요. 그게 인간의 비극입니다. 인간의 뇌를 설명하자면 세 개의 층으로 말할 수 있어요. 동족도 먹어치우는 파충류의 뇌, 거기에 제멋대로인 원숭이 뇌를 덧쓰고, 그 위에 매우 높은 고도의 지능을 가진 뇌가 놓였습니다. 그러니 그 세 개의 층이 조화를 못 찾죠. 대부분이 가장 위의 뇌는 쓰지 않고 가장 밑의 뇌와 두 번째의 원숭이의 뇌만을 쓰며 평생을 살아갑니다. 왜 그다지 필요하지도 않은 지능적인 뇌가 인간에게만 주어졌는지는 생물학적으로 여전히 수수께끼예요. 인간으로서 살아간다는 것은 바로 그 가장 위의 뇌를 최대한 쓰며 산다는 겁니다. 인간답다는 표현에는 두 측면이 있어요. 인간은 약하니까 흘러가는 대로 살아야 인간답다고 하는 사람과, 아니다, 인간은 약하지만 강하게 뚫고 나가야 인간다운 것이라고 하는 사람이 있죠. 제 생각은 이래요. 진정한 인간다움은 동물로서의 삶을 멈추고 인간이기 때문에 할 수 있는 높은 수준의 뇌를 한껏 쓰는 데 있습니다. 또 하나, 약자인 척하지 않는 것!
안 = 이성을 키우는 방법은요?
마루야마 = 자신이 이성을 가지고 있다는 것을 의식하는 것밖에 없어요. 책으로도, 누군가에게 물어서도 배울 수 없습니다. 나 자신을 스스로 소유하고 있는지. 타인의 앞에서 의식하는 자신이 아닌, 혼자가 되었을 때 ‘이것이 나구나’라는 것을 제대로 인식하는 것. 그로부터 이성은 길러집니다.
그와의 대화는 기차 시간에 맞춰 접을 수밖에 없었다. 그 조바심 나는 상황에서 한 가지 덧질문을 했다. “작품도 강렬하고 에세이에서도 모질 정도로 단언하는 말을 휘두르셨어요. 한국 독자들 가운데 선생은 만개했다 봉오리째 떨어지는 동백처럼 황혼이 오기 전 느닷없이 세상을 저버릴 거라 여겼던 이들이 있습니다. 선생의 늙은 몸이 당혹스럽다고 해요.”
선생의 얼굴에 등고선 같은 주름이 물결쳤다. 웃음을 물고 낮은 목소리로 답했다. “나는 너덜너덜해져서 죽을 거예요. 이 세상을 살아서 떠날 수 있는 사람은 아무도 없으니까요. 글 쓰다가 아니면 정원 손질하다 털썩 쓰러져 죽고 싶습니다.”
끝까지 맹렬히 살겠다는 선생의 기개다. 숲속 같은 그 집 마당에는 씨앗에서 나와 재목이 된 나무들과 그 둥치를 감고 오르는 음지 덩굴들로 싱싱한 기운이 가득했다. 땅에 붙을 듯 고개 숙였지만, 보라 물망초의 빛깔도 완숙하고.
■ 마루야마 겐지
▲ 66년 첫 작품으로
일 아쿠타가와상 수상
귀향 후 집필에 전념
마루야마 겐지(70)는 소설가로 일본 나가노현 시나노오오마치에 산다. 1963년 도쿄의 무역회사에서 일할 때 부인을 만났으며, 1966년 회사가 부도에 처하자 생계 대책으로 소설 <여름의 흐름>을 썼다. 그 첫 작품으로 ‘문학계’ 신인문학상을 수상했고, 아쿠타가와상을 받았다. 1968년 <정오이다>에서 귀향한 청년의 고독을 그려낸 후 본인도 귀향했다. 이후 문단과 선을 긋고 집필과 정원 관리에 전념한다.
대표작으로 장편소설 <천일의 유리> <물의 가족> <천년 동안에>, 소설집 <어두운 여울의 빛남> <달에 울다> 등이 있다. 그리고 에세이 <인생 따위 엿이나 먹어라> <그렇지 않으면 석양이 이토록 아름다울 리 없다> <소설가의 각오> <시골은 그런 것이 아니다> 등을 펴냈다.
마중 나온 마루야마 겐지와 그의 집으로 가는 차 안에서 그가 먼저 신경숙 작가의 표절 시비에 대해 말을 꺼냈다. 자신의 소설도 거론됐으니 입장을 밝혀달라면서 한국과 일본의 언론이 취재를 왔다고 한다. 한국 언론은 거절했고 일본 언론에는 그리 신경 쓰지 않는다는 입장을 밝혔다. 그는 일본 문단을 지적하며 작가들이 아름다운 문장, 이야기의 구조 등 너무 나르시시즘에 빠져 있다고 비판했다. 작가의 길은 세상을 조망하고 그 모순을 드러내는 곳까지 스스로를 끌어올려야 한다는 정신이다. 50여년 충실히 작가의 길을 걸어온 그에게서 사상가의 면모가 번졌다.


원문보기: 
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201508212156105#csidxb84159c73ea20daaef4c52d1a0678c5 

Transforming polarized politics in the Minnesota state legislature

Transforming polarized politics  in the Minnesota state legislature

A Convergent Facilitation case study

Center for Efficient Collaboration

Collaborative leadership
Issue Date  August 2015

When statehouse adversaries began working together with a facilitator from the Center for Efficient Collaboration, a gridlocked political debate gave way to a remarkable shared win.
The Minnesota Child Custody Dialogue Group transcended deeply entrenched positions and a history of personal mistrust to resolve an issue that had seemed intractable for years. The one new factor was Convergent Facilitation, the CEC’s three-step framework for group decision-making.
·       First the dialogue group translated their differing views into deeper principles that all agreed on.
·       Then those principles inspired new proposals.
·       Finally, they used their newfound mutual understanding to craft a collaborative solution.
Like abortion and gay marriage, child custody is often a battleground in the culture wars of our time. Mutual accusations are rife in this territory, not only between couples in court but also in legislative debates across the U.S. The pressure of high “divorce rates intersects with passionate arguments about, the treatment of fathers, the handling of domestic abuse, and men’s and women’s evolving roles and rights.
          I wouldn’t have believed it was possible but we achieved more claims collaboratively than we were able to do as adversaries   ~ Rep. Tim Mahoney
In Minnesota, these struggles have gone on for more than a decade. Eventually, some weary opponents just avoided each.” other. Brian Ulrich, a divorced father and activist with the
          Center for Parental Responsibility, remembers spotting an opposing legislator through an opening elevator door at the capitol. “The legislator turned around and took the stairs instead of getting on the elevator with us,” he recalls. When Brian’s group was invited to join their adversaries for collaborative dialogues, he says he laughed. “I thought, you’re just wasting your time,” he explains.
“We were so entirely opposed. I had seen the lobbying. I had seen the emotions of the presentations at the committee hearings, the unpleasant glances, the unwillingness to sit down and talk before that. It was just a recipe for failure.”
Other stakeholders shared his pessimism. Rep. Tim Mahoney later told a House committee: “I really had no interest nor any belief that it would actually do anything. One of my opening statements was that I didn’t trust anybody in the room.”
Yet at their very first meeting in early 2013, advocates from all sides uncovered a wide swath of common ground. They used Convergent Facilitation, an approach developed at the Center for Efficient Collaboration to support collaborative decision-making even in conflict-prone settings. Guided by facilitator Miki Kashtan, the group drafted criteria for child custody reform that all could agree on.
Over the next two years they built on this foundation, eventually co-authoring legislation that the Minnesota Lawyer called “a complete overhaul of the custody and parenting time factors in Minnesota.” In May 2015 their package of bills, supported by each constituency involved, passed the House of Representatives 121-0 and the Senate 61-3.
 “The trust that this process built has been quite amazing to me,” says Rep. Tim Mahoney. “I wouldn’t have believed it was possible, but we achieved more collaboratively than we were able to do as adversaries.”
Road to consensus
The persistent battle around child custody had reached a head in 2012. “Shared parenting” advocates proposed a bill that would have judges presume a nearly equal split of parenting time, absent something serious like domestic abuse. The change would particularly help fathers, who ordinarily don’t get the largest share of parenting time.

Timeline of Minnesota child custody dialogues
May 2012: Governor Mark Dayton vetoes proposed child custody legislation, calling on opposing groups to work together.
November 2012: Judge Bruce Peterson convenes a dialogue group facilitated by the Center for Efficient Collaboration’s Miki Kashtan.
January 2013–May 2014: Phase 1. The group produces a set of 26 shared principles. Subcommittees operationalize the principles, leading to unanimous passage of preliminary legislation.
June 2014–May 2015: Phase 2. The group dramatically revises
“best interest of the child” laws and finds a solution to its core conflict over when and how to keep both parents in their children’s lives.
A second legislative package passes nearly unanimously, and the governor signs it within days.
June 2015 onward: Phase 3. Former opponents continue working together to educate lawyers and judges, ensuring their legislation is implemented in line with their intentions.

Opponents argued that the rule was too broad for complex family conflicts, and the Minnesota Senate lowered the default split to 35/65. But when the compromise bill passed, the governor declined to sign the legislation, citing compelling arguments on both sides and calling on the factions to break their impasse.
It was a former family court judge, Bruce Peterson, who first convened a meeting with a prospective facilitator. A few years before, Bruce had watched the state tackle child custody by creating a task force. “There was a very nice report, but it didn’t produce any resolution,” he says. “I was very distressed about all the energy that was poured into this issue year after year. I thought the veto was an opportunity to do something more productive.”
Bruce invited legislators representing both parties and opposing positions, lawyers, judges, domestic violence workers, and parent activists, among others. In the initial phone calls, facilitator Miki Kashtan recalls,
“We were going back and forth and round and round … with people being, at best, lukewarm about the prospect of sitting in a meeting for a day with other on some stakeholders. The tension, and the mistrust that gave rise to it, were high.”
Finally a lawyer threw down the gauntlet. “There’s a philosophical difference here, and there’s no point in dialogue,” he stated flatly. “Some of us think that a presumption of joint custody is just not a wise thing to do, and that’s all there is to it.” This was an opening for one of the central tools of Convergent Facilitation: identifying the “non- controversial essence” behind a contentious claim. Miki describes probing for the principle underlying the lawyer’s position – he wished for each family to be handled according to its specific circumstances.
When his opponents also affirmed this principle, the unexpected glimpse of a shared purpose carried the group into face-to-face talks. They spent one day converting their arguments into shared principles that ranged from reducing familial conflict to developing evidence-based solutions. After some feedback and tinkering, their diverse constituents all endorsed the principles. The dialogue group now had a common set of benchmarks for the laws they would be writing.
Convergent Facilitation step 1: Translate each argument into a “noncontroversial essence” and collect these as decision-making criteria.
Early success
Finding agreement on common aspirations transformed the atmosphere in the group. “We started with deeply entrenched views and distrust, and ended up with friendships and understanding,” says Rep. Carolyn Laine. Many participants became actively interested in finding solutions that truly attended to everyone’s needs and hopes.
The next step was for subcommittees to put the principles into practice. One committee developed legislation that passed unopposed in mid-2014. “The legislative changes were not earth-shattering, but they were confidence-builders,” says Mike Dittberner, an attorney representing the American Academy of Matrimonial Lawyers. “I knew the process was working when I was part of this small group with perhaps the most avid advocates of equal parenting time” – the policy the Academy had been fighting – “and we started coming up with baby steps that we could agree on.” When some constituencies challenged one provision of the proposed legislation, the group stuck to its commitment to only go as far as they could go together, and submitted a smaller package.
Whenever the larger group convened, Mike noticed that Miki’s facilitation kept them moving forward.
          She wouldn’t allow somebody to go off tangent, and if they were reacting negatively she’d try to probe why,” he says. “She’s trying to get that person to come up with a solution rather than leaving a problem out there festering. And she’s not just working with that person – she’s causing everybody else to be more solution-oriented.” Brian Ulrich says these moments seemed downright magical. “I don’t know what kind of pixie dust she threw in the room,” he says. “At times where it appeared we were heading into a nose dive, her process allowed us to pull out of it and reach even greater heights than before.”
When talks did get rough, the group’s shared principles served as an anchor. “We had the most common ground when we would center on the benefits to kids. And we had the principles to come back to and point to,” says Brian.
Convergent Facilitation step 2: Develop new  proposals that aim to satisfy the shared criteria.
Converging on a solution
Buoyed by progress, the group invited state custody evaluators and family therapists into the dialogues. They set their sights on broader issues like child support and the legal definition of a child’s best interest, as well as non-legislative goals like improving access to family mediators.
But they had yet to resolve the stickiest problem, the one that caused legislative breakdown in 2012. Brian recalls, “Despite the trust and the goodwill that clearly existed by that point, in December 2014 I thought it might all still collapse, because we still hadn’t gotten to the core issue of parenting time.” More parenting time was what Brian’s group had come to the table for. But the first round of legislation sidestepped it, instructing judges not to presume either joint custody or sole custody. Opponents still did not want to predetermine family court rulings.
Nonetheless, some opponents now began advocating for legislative language to address the concerns of people like Brian. While revising the list of factors used by judges and custody evaluators to determine the “best interest of the child,” the group reached a breakthrough. At the suggestion of a participant who had always resisted 50/50 parenting-time prescriptions, they added a new factor: “The benefit to the child in maximizing time with both parents and the detriment to the child in limiting time with either parent.”
“That is probably the only language that we all could have found good agreement on,” says Brian. “And ironically, someone who stood so adamantly opposed to our thinking was the one who put it out there.”
Mike Dittberner explains, “Part of the reason the group was able to reach consensus is because that type of problem-solving was really facilitated by Miki. It occurred as a result of a cooperative group effort, -thinking and problem-solving right there on the spot.” Judge Bruce Peterson says this kind of cooperation was the.” most memorable part of the process: “It was so apparent ,  to me when people became solvers rather than position-staters
Convergent Facilitation step 3: Problem-solve until the group reaches an agreement that  everyone can wholeheartedly support.
 Ripple effects
The revised best interest factors form the heart of the legislation that passed nearly unanimously in 2015. They aim to move courts from a parent- centered to a child-centered view: for example, the former first factor,
“The wishes of the parents,” is replaced with “a child’s physical, emotional, cultural, spiritual, and other needs.”
The Minnesota Lawyer commented that the new law “is catching up with the last 40 years worth of social science, in focusing on child development, conflict resolution, and the importance of both parents in the life of a child.”

When do we reach consensus?
For the Minnesota dialogue group, consensus came to mean more than agreeing on specific proposals. At the outset of Phase 2 in mid-2014, they established this definition.
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The group will reach consensus on an issue when it agrees upon a single proposal and each member can honestly say:
•        I believe that other members understand what is important to me and my constituency.
•        I believe I understand what is important to other members and their constituencies.
•        I believe the process as a whole has allowed for all needs and concerns to surface and be included in the development of this proposal.
•        Whether or not I prefer this decision, I support it because it attends to more needs and concerns than any other proposal we explored, and because I trust the process that brought us to this point.
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Andrea Niemi, a family mediator, says the legislation will change how she thinks about her cases. “I’ve never been able to truly understand the old best interest factors,” she says. “Every time I had to apply them I would go, ‘What does that really mean?’ Now it’s much clearer that we’re looking at what’s best for the children. And absent something pretty severe, I think we need to make sure that both parents are substantially in the children’s lives.”
This clarity is possible even though the dialogue group never went in the direction of a legal presumption about parenting time. The beauty of the group’s solution is that it does not focus on how much parenting time will actually be awarded – that’s left to the family court system to decide. Instead, the new law focuses on helping the courts work with each case to maximize the possible benefit to a child of a relationship with each parent, as circumstances allow.
I went in thinking it was going to be a disaster and came out with hope.”
~ Brian Ulrich, parent advocate
Dialogue participants are continuing work on goals beyond the statehouse. Brian Ulrich heads a subcommittee on “cultural change,” tasked with educating lawyers and judges about the new law. He says the relationships built through the process support ongoing collaboration across the former political divide: “Miki’s process not only makes it possible to find solutions – the doors have been opened wide enough, and we’ve even developed enough friendship, to allow us to accomplish these other items together.”
The legislators involved see potential to tackle other divisive debates with a more collaborative approach.
“We discovered that if we take an issue we’re fighting over and dig deeper, we find a way to say things that can work for everyone,” says Rep. Peggy Scott.
Advice to others
Warring groups who want dialogue-based solutions should seek out a patient, focused facilitator, advises Mike Dittberner: “Somebody who puts in the effort to make people feel heard, and who has an outlook towards problem solving. Often what that means, at least at first, is allowing people to vent a little bit, where they are able to voice their frustrations with each other but do it in a way that’s civil. You want a facilitator who has mastered that.”
Brian Ulrich says the one thing he would tell other frustrated groups is “the importance of trying this process in scenarios that look otherwise hopeless to solve.”
“I know there are other very emotionally charged issues out there,” he adds, “but this one had plenty of emotion and demonstrated that it’s possible. I went in thinking it was going to be a disaster and came out with hope.”

 In summary, Convergent Facilitation brought four key practices to this group that moved them from “impossible” to “milestone achievement”:
•        Searching for the noncontroversial principles underlying people’s preferred solutions instead of arguing with positions.
•        Pragmatically seeking language that integrates without ever trying to convince anyone.
Participants could maintain their opinions and still achieve a breakthrough legislative package.
•        Moving beyond “sides” to look out for each other’s interests. More than once, people pointed out that a proposal they themselves favored would not address the concerns of another party.

•        Overall commitment to a solution that works for everyone, and nothing less.