2021/01/24

Emerson and Quakerism: Irie, Yukio 1967 150 pages

Emerson and Quakerism: Irie, Yukio:入江勇起男
===
This is part of the first chapter of my paper Emerson and Quakerism (196o)
https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11073741_po_ART0009666585.pdf?contentNo=1&alternativeNo=

Emerson and Quakerism Jan 1, 1967
by Yukio Irie (Author)

====
Publisher ‏ : ‎ Kenkyusha (January 1, 1967)
Language ‏ : ‎ English
Unknown Binding ‏ : ‎ 150 pages
===
EMERSON AND QUAKERISM. By YuKIO IRIE. Kenkyusha,
Tokyo. 150 pages (in English). Pendle Hill, Wallingford, Pa.
Book Review by HOWARD H. BRINTON in February 15, 1968 FRIENDS JOURNAL
---

This is an important and remarkable book from which both Quakers and Emersonians have something to learn. Dr. Yukio lrie, professor of English at Tokyo University of Education, has a profopnd understanding of Quakerism, as was shown in his lecture on "The Centre of Quakerism" to the Friends World
Committee at its meeting in Ireland in 1964; he also has a wide knowledge of Emerson, gained through years of intensive research in America and England in Emerson's published and unpublished letters, essays, sermons, and lectures.

He finds that Emerson accepts the fundamental Quaker doctrine of the "universal and saving light" and its social implications. This comes out most clearly in Emerson's lecture on George Fox, whom he considers a great and revolutionary religious genius. But Emerson does not understand the silent meeting for worship. This is not surprising, since in his time the majority of New England Yearly Meeting was beginning to revert to a narrow pre-Quaker evangelicalism. Fortunately
Emerson was well read in Quaker literature and was acquainted with some outstanding contemporary Friends, among them Mary Roche and Edward Stabler. Yukio Irie records and answers Emerson's criticism of Quakerism and cites his agreements. Bradford Smith, in his Meditation, the Inward Art, says that Walt Whitman was half a Quaker and that Emerson said he was more a Quaker than anything else. We now need a book on the Quaker half of Whitman. Emerson was the first important person to discover Whitman, possibly because they
both shared this kernel of Quakerism.
Walt Whitman은 반은 퀘이커교도였고 Emerson은 자신이 무엇보다 퀘이커교도에 가깝다고 말했습니다. 우리는 이제 휘트먼의 퀘이커 반쪽에 관한 책이 필요합니다. 에머슨은 휘트먼을 발견한 최초의 중요한 사람이었습니다. 아마도 둘 다 이 퀘이커교의 핵심을 공유했기 때문일 것입니다.
===
Emerson and Quakerism. By Yukio Irie. Tokyo, Japan: Kenkyusha. 1967.
 150 pages. Pendle Hill, Wallingford, Pa.
==
 Book Review by Robert E. Spille University of Pennsylvania 
==
 Dr. Yukio Irie of Tokyo and of Pendle Hill has done a very great service
 both to Friends and to Emersonians by this study of the common ground of
 these two forms of religious experience. The advantage of his analysis over those
 of some other Quaker-Emersonian scholars lies in his thorough study of the
 unpublished manuscripts of many of the early sermons, in addition to the better
 known lecture on George Fox and the known facts of his reading of Quaker books
 and his friendships with New Bedford Quakers.

 Dr. Irie's main point is unassailable: that both Transcendentalism and
 Quakerism rest finally on the capacity of each human soul to enter into immediate
 communication with the Divine soul by calling upon the aid of the "Inner Light."

 This is a primary similarity, and it is not surprising that Emerson thought himself "more of a Quaker than anything else." But, as Dr. Irie also points out,
 Emerson could not be "anything else" (that is, commit himself exclusively to
 any sect) because with him this is an experience of the individual and can only
 be achieved in "solitude," whereas the Quaker thinks of it as a group experience
 which is intensified by being shared and which incites to group rather than
 individual action. 

 Dr. Irie traces the growth of this common emphasis on a self-reliance which
 is in effect a God-reliance from Emerson's earliest days at Harvard to the point
 of his purest transcendentalism, 1836-1838, and then argues that his position
 was very little if any changed between then and 1860 when he wrote his more
 complex and often apparently skeptical essays and lectures. He aims his attack
 mainly at Whicher, Carpenter, and others who have argued for a fundamental
 psychological and theological change in Emerson's position and personality during
 a major crisis between 1838 and 1844. Particularly telling are his point that
 Emerson experienced periods of acute self-distrust and despair at various times
 throughout his life and his argument that, whatever alternatives Emerson offered,
 he always returned finally to a monistic faith in the one moral law. But even
 when these arguments are admitted, Emerson's shift to a more dialectic and
 pragmatic method of presenting his ideas during these years, whatever the reasons, as argued and documented by Rusk, Lindeman, and many other Emerson
 students, remains to be explained. Dr. Irie does not undertake this much more
 complex task, but he need not fear to do so because practicality and pragmatism
 are also shared by Emerson with the Quakers.


= = = 
Yukio Irie: Emerson and Quakerism
研 究 社 昭 和 42 年 ¥ 1,800
---
こ の 書 は 学 問的探 究精神 や旺 盛 な知 的好奇心 だ けか ら生 ま れ た も の で は ない 。 著者の ク エ ー カ ー と して の 宗 教的 信 仰 と生 活信条の すべ て が 、 あ え て い え ば著 者の 存 在全体 が賭 け られ て い る 著書 で あ る。 しか しまた こ の 書 を 、 い わ ゆ る 「信 仰告 白の 書」 と呼 ぶ の は 正 し くな い 。 著者 は 、 三 年近 い 海外 留学 中 、 主 と して ア メ リ カ の Pendle Hil1と英 国 の Woodbrooke と い う、 ク エ ー ヵ一 の 二 つ の 研 究 セ ン タ ーに 住ん で 、 周到 な用 意 を も っ て ク エ ー カ リズ ム の 本質 を探 った ば か り で な く、ハ ー ヴ ァ ー ド大 学 のHoughton Library所蔵の エ マ ソ ン の 、 未発 表 の も の も含 む 尨 大 な説 教原 稿 を 丹 念 に調 査 して 、 ア メ リ カ の 研究者 た ち もま だ 触れ て い な い 貴 重な 幾 つ か の 資料 を と りあ げて 論究 の 根 拠 とす る な ど、 ほ とん ど可能 な限 りの 精到 な 学 問 的 努 力 を傾 け て い る か らで あ る 。
ク エ ー カ ー は 、17 世 紀 の な か ばに 英 国の 北部 に 起 っ た プ m テ ス タ ン トの 一派 で ある が、 そ の 信仰 内容 と生 き方 の 強 烈 な 独 自性 の 故 に 、 英 国国教 会 と清教 徒 の 双 方か ら迫 害 と論 難 の 十 字砲 火 を浴び て 、 社 会 的 勢カ と して は 取 る に 足 らぬ 存 在 だ っ た が 、 アメ リ カ で は 、 Williarn Penn を指 導者 と して 開拓 し た Pennsylvaniaを 中 心 と し てNew Jersey, Delaware な どの 中部 諸州 で 、一つ の 強 い 社 会 的 勢 力 を 形 成す る こ とが できた よ うに 思 わ れ る 。 そ の よ うな 社会 的背景か ら、Penn , Paine , Woolman , Brockden Brown , Cooper, Whitman , Emerson ,Whitder な ど、 ク ェ ー カ リズ ム の 影 響 を強く示 して い る 作家た ちが 現 わ れ た 。 HenrySeidelCandy の C 痂 ∬ ’‘ Aneericans(lg31 )は 、 お そ ら く、 こ の 事 実 に 最も早 く注 目 した 書物 で あ る が 、比 較 的 系統 的 に こ の 閥題を扱 っ た もの と して は 、 Howard W Hintzの The 2uaikerlny70sencein American Literature (lg40 )が あ っ た 。 が、 と くに エ マ ソ ンに 対 す る ク エ ー カ リズ ム の 影響 を論 じた もの と して は、 こ の 書 の な か で 著者 が しば しば 言 及 して い る 、Frederick B Tolles の‘‘ Emerson and Quakerism’ (ig38 ) とMafy C .Turpie の “ A Quaker source for Emerson ’s Sermon on the Lord ’s Supper”
(i944 )とい う二 つ の 論文 が あ る だ け で ある。 著 者 は こ の 書 の なか で 、 上 の 二 つ の 論文 を踏 ま え な が ら、 そ れ らをは る か に 凌 駕す る 、 精緻 で 説 得力 の あ る論述 を展 開 してい る 。 
Eveer∫on and 2uakeri∫ne と い う書 名か ら、読者は こ の 書 を エ マ ソ ン の 思想 の きわ め て限 られた一 面 を扱 っ た 特殊 研究 で あ る か のよ うに 誤 解す るか も知れ ない 。 しか し、 本書 の 第 三 章 以 下 の 四 章 は 、 そ れ ぞ れ 、

Emerson ’s Religious Philosophy ” {Emerson's Practice of Religion,“Emerson as a Poet,Emetson as a Monist ” と題 して 、
エ マ ソ ン に お け る 包括 的 な諸 問題 を論 じて い る こ とか ら も判 るよ うに、 エ マ ソ ン の 全 体 の 像 に 迫 ろ うと志して い る の は 明 らか で あ る 。 もち ろ ん 著 者の 基本 的立 場 は 、 第… 章 の “The Quake:Influeflce upon Emerson ”
と第 2 章 のEmerson ’s criticism of Quakerism ’ のな か で 明確に 述べ られ て お り、 こ の 基 本的な 立 場 と角度 か らエ マ ソ ン の 思 想 全体 を裁断 して 見 せ た も の で あ る が 、 そ の 裁 断 面は 、‘Ernersonianism ” と い わ れ て い る も
の の 最 も本 質的 な 部分 を明 らか に す る こ とに 成 功 して い る 。 著 者 が 述 べ て い る よ うに 、‘‘Self−Reliance ’”や‘‘The Ovcr −Soul ”な どに 見 られ る 、 人 聞 と神 に 関 す る エ マ ソン の 基本 的 な思 想 は 、 ク エ ー カ リズ ム に おけ る‘Seed of God ” や‘‘Inner Light’”の 理 念 と共 通 す る も の が非常 に 多 く、 両 者の 一 方 を 明 らか に す る こ と は 同時 に 他方 を明 らか に す る こ とに な る 場合 が 多 い か らで
あ る 。
著 者 は 、エ マ ソ ン が 聖餐式 に 関す る 最後の 説 教 を行 な っ て ボ ス トン 第二 教 会の 聖 職を辞 した r832 年 とい う、 彼 の 精 神史 に お け る 重 要な 時 点 を中心 と して 、 そ れ ま で の彼 の 多 くの 説教 の 内容 を精 密に辿 り、 こ の前 後 に 彼 が耽 読 した ク エ ー カ ー関係 の 文 献や、 彼 が親 し く交わ っ て 深 い 精神 的影 響を受 けた ニ ュ ー ・ベ ッ ドフ ォ ー ドの ク エ ー カ137 一の 女 性 Mary Rotch や Whittierな ど、 ク エ ー カ ー との 人 間 的接 触 を、 そ の 細部 に い た る ま で 実 証 的 に跡づ けて い て 、 た い へん興 味 深 い 。 しか し、 著者 が 、エ マ ソ ン とク エ ー カ リズ ム との 、 以 上 の よ うな 具体 的な接 触 の 事 実を跡づ け る こ とか らさ らに 一歩 を進 め て 、エ マ ソ ン の 超 絶主義 の 思想 的源 流 に ま で さか の ぼ り、 ま た ク エ ー カ リ ズム の キ リ ス ト教 的神 秘主 義 を、エ ッ ク ハ ルトや ヤ コ ブ ・べ 一 メな ど、そ の ヨ ー n ッ パに お け る源 流に ま で さか の ぼ っ て 、 両者 を比 較検 討 した な らば、 こ の 書 は さ らに 深 さと厚 み を加 えた に 違 い な い と思 わ れ る。
最 後 の“Emerson as a Monist ” と題 する 章 は 、エ マ ソ ン の 二 元 論 的 傾 向を 強 調 する 従 来 の 多 くの ア メ リ カ の 学 者 た ち の 立 場に 対 して 、 一 元論者 と して の エ マ ソ ン を 論証 し よ うとこ こ ろみ た 、 い ろ ん な 意味 で 著者そ の 人 の 個性 の に じ みで た 、 カ の こ も った 重 要 な 章 で あ るが 、 多分 多 くの 論議 を呼ぶ で あ ろ う。 す で に エ マ ソ ン の 存命 中に 、JamcsRussell Lowell は 、A Fav’le forCritics (1848 )に お V・ て 、“ A Greek head on right Yankee shoulders , whose range fHas Olympus for one pQle,for to the the Exchange  1APIotinus−Montaigne,where the Egyptian ’s gold mist !Andthe Gascon’s shrewd wit cheek −by−jowlcoexist ;
” と書 い て 、 エ マ ソ ン の 二 元 論 的傾 向 を指摘 し、 エ マ ソ ン 自身 も、
1835 年5 月 5 日の 日記 の な か で 、“1 am the practical Idealist.” と:書い て 自分 の 二 元 的傾向 を承 認 して い る 。 対 立 す る もの の 中間 に 立 つて 平 衡 感覚 をた の しん で い る か の よ うな 或る た くま しさ こ そ 、エ マ ソ ン の 思想 全体 を
つ ら ぬ くとこ ろ の 無視 し得な い 特質 で あ って 、 これ な くして エ マ ソ ン は 、 ア メ リ カ 思想 の 源 流 の 一 つ とな る 栄誉 は に な い 得 なかっ た に 違 い ない の で あ る 。

一一 小 泉 一 郎

Project MUSE - The History of Seventy Years of the Society of Friends in Japan (review)

Project MUSE - <i>The History of Seventy Years of the Society of Friends in Japan</i> (review)



Bulletin of Friends' Historical Association




The History of Seventy Years of the Society of Friends in Japan (review)
Yukio Irie
Bulletin of Friends' Historical Association
Friends Historical Association
Volume 47, Number 2, Autumn 1958
pp. 108-109
Review
View Citation
Additional Information
In lieu of an abstract, here is a brief excerpt of the content:

Book Reviews The History of Seventy Years of the Society of Friends in Japan. Edited by Kiyoshi Ukaji and Ichiro Koizumi. Published by Japan Yearly Meeting, 1957. In Japanese. 150 pages. Not for sale. 

This work consists of four parts. 1. The Origin and Development of the Society of Friends in the World. 2. The History of Seventy Years of the Society of Friends in Japan. 3. The State of Japan Yearly Meeting Today. 4. Organizations connected with the Society of Friends in Japan. Parts 1, 3 and 4 are introductions to Quakerism in the world and in Japan, chiefly for the convenience of those who are not Quakers. Part 2, of course, is the central part of the book, and is really for nobody else than the Japanese Quakers. It is a prayerful confession, searching selfexamination and challenge to themselves ! As a history it is not a well-knit one, especially in the first half of the period, 1885-1936. There are a number of things that have characterized Japan to which this book pays little attention, as if they had had nothing to do with Quakerism, such as Shintoistic nationalism and the Imperial Rescript on education, the social and racial segregations, the inequality of men and women, the Russo-Japanese War, and the First World War (during which the first Japanese Monthly Meeting and Japan Yearly Meeting were established). And yet, sketchy as it is, it is a valuable record of the continuous struggles and awakenings of Japanese Friends with the ever devoted service and encouragement of love from abroad, especially from Philadelphia Yearly Meeting ever since the Cosands landed at Yokohama in 1885. The latter half of the history, from 1937 on, gives us an exact and touching picture of the progress of the Society of Friends. Just before the outbreak of the Second World War, the Society of Friends in Japan was forced to join the nationalistic United Church, by which, as the writer says, the Society of Friends in Japan came to an end, except for two private groups: several people who looked after the "Bowies' Home," and the group of Young Friends, about twelve in number, who continued to have their meetings for worship in private homes. They proved to be "The atom nucleus stronger than all the oppressions from outside" that brought about in 1947 the second birth of the Society of Friends in Japan. A remarkable thing is that since the war Japanese Friends have come to be more and more firmly convinced that they must realize these three things as the vital principles of the re-born Society of Friends in Japan: (1) Non-programmed silent meetings for worship; (2) No paid workers for ministry; and (3) Financial independence. Virtually the same thing had been expressed as far back as the Society's anniversary in 1936. The 108 Book Reviews109 writer says that the failure to realize these principles must have been one of the causes which made the Society of Friends in Japan un-Quakerly for so long. Of course, the three things as mere rules do not make Quakerism. As for financial independence, for instance, in what spirit should Friends keep it? The Society of Friends in Japan will prove the importance of these principles in future years through its life under God's guidance. This history is a noble attempt to show what Quakerism has meant to the Japanese and how the Japanese Quakers have received God's guidance . It is a courageous social testimony of their faith. 

Tokyo, Japan 

Yukio Irie 

Ernest E. Taylor: Valiant for Truth. By J. Roland Whiting. London: Bannisdale Press. 1958. 135 pages. $2.50. 

The author of this book is possibly better known to Friends in the United States than is his subject, since Roland and Evelyn Whiting this year completed a term at Pendle Hill. Ernest E. Taylor, who was behind the scenes in much of the Quaker writing and publishing in England during the last half century, was a visitor at Pendle Hill for only five days in 1934. Quaker historians, however, should have a special interest in reading this life, for whilst Ernest Taylor published only two books, Cameos...




Access options available:
Download PDF

Share

Social Media



Recommend





Additional Information
ISSN
1934-1504
Print ISSN
0033-5053
Pages
pp. 108-109
Launched on MUSE
2012-04-04
Open Access
No

The Sound of Liberating Truth: Buddhist-Christian Dialogues in Honor of ... - Paul Ingram, Sallie B. King - Google Books

The Sound of Liberating Truth: Buddhist-Christian Dialogues in Honor of ... - Paul Ingram, Sallie B. King - Google Books

The Sound of Liberating Truth: Buddhist-Christian Dialogues in Honor of ...
By Paul Ingram, Sallie B. King
Irie Yukio Quaker
 
About this book

Project MUSE - Emerson and Quakerism (review)

Project MUSE - <i>Emerson and Quakerism</i> (review)


Quaker History




Emerson and Quakerism (review)
Robert E. Spiller
Quaker History
Friends Historical Association
Volume 57, Number 2, Autumn 1968
pp. 120-121
10.1353/qkh.1968.0022
Review
View Citation
Additional Information
In lieu of an abstract, here is a brief excerpt of the content:

120Quaker History Beamish seriously questions the direct influence of Continental Quietism as a cause of decline in Quaker ministry during the eighteenth century. She suggests many other causes, the most interesting of which is negative reaction to Methodist revivalism. George Whitehead had begun the century on a note of caution and a vision of smallness. Samuel Fothergill tended to throttle new ministry by his proselyting for strict discipline and supervision of ministers by elders. But Beamish suggests that the enthusiastic emotionalism of the Methodists and their resort to "creaturely" methods enhanced sharply the Quaker mistrust of both. Paradoxically, as the last appendix shows, while the fear of "creaturely appearances " in the ministry and the number of men ministers decreased during the century, the number of Quaker women in the ministry rose sharply! The nineteenth century saw evangelical Methodist influence break through the Quaker defenses by the convincement to Quakerism of outsiders who had been active in the revival, such as Mary Stokes Dudley, David Sands, and Thomas Shillitoe. Beamish is satisfied with none of these but makes a real hero of Stephen Grellet who in her judgment restored the apostolic vision, balance, and joy to Friends ministry which had been declining throughout the eighteenth century. Grellet's exuberance is expressed in his words to London Yearly Meetmg in 1834: "When some of us were fainting under the load of exercise and fear, trembling like Eli for the ark of the testimony of God, the shout of the King eternal and immortal was heard in our camp, and the name of the Lord was proclaimed." Lucia Beamish concludes by stoutly defending Fox's vision and concept of free gospel ministry under the immediate inspiration and guidance of the Spirit insisting that the eighteenth-century decline in Friends ministry was not due to any inherent weakness in the vision but to the lack of faithfulness by Friends in putting it into effect. If you are concerned about the recovery of an effective redemptive ministry among Friends, this book is a must. Wilmington CollegeT. Canbt Jones Emerson and Quakerism. By Yukio Irie. Tokyo, Japan: Kenkyusha. 1967. 150 pages. Copies can be obtained from Pendle Hill, Wallingford, Pa. Dr. Yukio Irie of Tokyo and of Pendle Hill has done a very great service both to Friends and to Emersonians by this study of the common ground of these two forms of religious experience. 

The advantage of his analysis over those of some other Quaker-Emersonian scholars lies in his thorough study of the unpublished manuscripts of many of the early sermons, in addition to the better known lecture on George Fox and the known facts of his reading of Quaker books and his friendships with New Bedford Quakers. Dr. Irie's main point is unassailable: that both Transcendentalism and Quakerism rest finally on the capacity of each human soul to enter into immediate communication with the Divine soul by calling upon the aid of the "Inner Light." This is a primary similarity, and it is not surprising that Emerson thought him- Book Reviews121 self "more of a Quaker than anything else." But, as Dr. Irie also points out, Emerson could not be "anything else" (that is, commit himself exclusively to any sect) because with him this is an experience of the individual and can only be achieved in "solitude," whereas the Quaker thinks of it as a group experience which is intensified by being shared and which incites to group rather than individual action. Dr. Irie traces the growth of this common emphasis on a self-reliance which is in effect a God-reliance from Emerson's earliest days at Harvard to the point of his purest transcendentalism, 1836-1838, and then argues that his position was very little if any changed between then and 1860 when he wrote his more complex and often apparently skeptical essays and lectures. He aims his attack mainly at Whicher, Carpenter, and others who have argued for a fundamental psychological and theological change in Emerson's position and personality during a major crisis between 1838 and 1844. Particularly telling are his point that Emerson experienced periods of acute self-distrust and despair at various times throughout his life...
pdf

Share

Additional Information

ISSN
1934-1504
Print ISSN
0033-5053
Pages
pp. 120-121
Launched on MUSE
2012-04-04
Open Access
No

알라딘: 신비주의와 퀘이커공동체 김영태

알라딘: 신비주의와 퀘이커공동체

신비주의와 퀘이커공동체   
김영태 (지은이)인간사랑2002-11-20





신비주의와 퀘이커공동체

목차
제1장 서론

제2장 신비주의의 구조와 역사
1. 신비주의의 구조
2. 신비주의의 역사

제3장 그리스도교 신비경험의 유형
1. 마이스터 에크하르트 형
2. 아빌라의 테레사 형
3. 죠지 폭스 형

제4장 퀘이커 공동체 경험의 사상적 토대
1. 철학과 신학의 기초
2. 공동체 경험의 토대
3. 역사적 전통

제5장 퀘이커의 공동체적 영성과 삶
1. 인간·죄·구원
2. 공동체 경험
3. 윤리적 삶

제6장 퀘이커 신비주의의 특성 이해방식
1. 존스의 해석
2. 브린튼의 해석
3. 퀘이커교에 대한 외부의 관점
4. 함석헌의 퀘이커적 이해와 실천

제7장 결론
1. 요약
2. 퀘이커 신비주의의 특징
3. 비판적 결론

------------------
저자 및 역자소개
김영태 (지은이) 

1944년 전북 고창군에서 태어나 광주(光州)에서 성장하였다. 서울신학대 신학과를 졸업한 뒤 전남대학교 교육대학원 영어교육전공(영어교육학석사), 전남대 일반대학원 철학과에서 서양철학(윤리학전공, 문학석사)을 공부하였다. 전북대학교 대학원 철학과 박사과정에서 칸트(Kant)의 종교철학을 전공하여 철학박사, 서울대학교 대학원 종교학과에서 퀘이커 공동체 신비주의로 종교학박사, 성공회(聖公會)대학교 신학전문대학원 신학과에서 함석헌의 종교사상과 그의 영성적 삶에 대한 연구로 신학(神學) 박사학위를 취득하였다. 대학에 재직하는 동안 안식년을 기하여 The Hebrew University of Jerusalem(Israel)에서 유대교, 그리스도교, 이슬람을 비교 연구하였고(1년간), Bethany Theological Seminary 및 Earlham School of Religion(U.S.A)에서는 Brethren Church(형제교회)와 Quakerism(퀘이커교)을 연구(1년간) 하였다.
경력으로는 국가공무원(법무부 산하) 2년 5개월, 중등학교 교사 9년, 전남대학교에서 29년간 윤리학과 종교학을 담당하였다. 정년퇴임 후 지금은 명예교수로서 자유롭게 연구와 강의활동을 계속하고 있다.
저서로는 『현대의 종교』(2인 공저), 『신비주의와 퀘이커공동체』, 『도덕신학과 도덕신앙』 등이 있으며 수십 편의 연구논문이 있다.
교수직을 수행하는 동안 한국종교간 대화학회 창설 및 공동대표, 한국윤리학회 회장, 문화체육관광부 공직자 종교차별(문제) 자문위원을 역임하였다. 접기
최근작 : <함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구>,<도덕신학과 도덕신앙>,<신비주의와 퀘이커공동체> … 총 7종 (모두보기)

알라딘: 함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구

알라딘: 함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구


알라딘 첫화면으로 가기
국내도서
검색상세검색
헤더배너
분야보기
추천마법사

새로나온 책

추천도서

    
   

맨위로
함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구 - 한국 인문학의 선구   
김영태 (지은이)전남대학교출판부2018-02-23




함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구

정가
20,000원
판매가
19,000원 (5%, 1,000원 할인)

책소개

신천옹(信天翁) 혹은 씨을로 불리우는 함석헌(1901~1989) 선생의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구서이다. 신천옹의 사상은 다분히 종교철학적이며 종교다원주의적이다. 왜냐하면 그의 사상은 유교ㆍ불교ㆍ도가사상ㆍ천도교ㆍ기독교(특히 프로테스탄트), 더 나아가서는 힌두교와 간디의 비폭력 사상ㆍ퀘이커교의 평화사상ㆍ한국사 및 세계사에 대한 성서적 역사관ㆍ실존철학 사상ㆍ현대적 과학정신ㆍ민주주의 이념 등으로 꽉 차있기 때문이다.
목차
머리말 / 5

제1장 서론 / 11
제2장 함석헌의 생애, 영적 순례 그리고 사상적 토대 / 20
제3장 이웃종교 섭렵과 원용 / 127
제4장 한국그리스도교 비판 / 178
제5장 새 종교론과 종교다원적 삶 / 268
제6장 평화사상 구현 노력 / 309
제7장 20세기 한국민주화의 창도자(唱導者) / 346
제8장 결론 / 376

사진출처 / 382
참고문헌 / 384
영문초록 / 397
찾아보기 / 402

책속에서
제1장 서 론

신천옹(信天翁, Albatross, 바보새) 함석헌은 1901년에 평안북도에서 태어나 1989년에 서울에서 서거하였다. 그는 한반도에서 온전히 20세기를 살다 간 사람이다. 민족사와 세계사를 통틀어 20세기만큼 크고 놀라운 변화의 시대는 없었다. 한국의 20세기는 제국주의와 국가주의로 치닫는 강대국들의 틈바구니에서 민(民)의 주체적 자각이 이루어지고 세계화가 일어난 시대였다. 그러나 역사의 전환은 서세동점(西勢東漸)의 방식으로 이루어졌던 바, 서양의 산업과 군사, 과학기술과 학문, 정치와 종교가 일방적으로 동양에까지 깊이 들어온 것이다. 이런 와중에서 한국 사회는 짧은 기간에 낡은 봉건사회로부터 산업 문명의 새 세상으로 들어섰다. 그리고 해방 후 70여 년 동안에 이른바 산업화와 민주화를 이루어냈다. 그러나 이러한 과정에서 전통적인 가치와 문화, 생활양식과 사고방식이 크게 흔들리고 무너졌으므로, 새로운 변화가 획기적으로 요구되었다. 이러한 와중에서 함석헌은 낡은 관습과 전통에서 벗어나 과학과 기술, 민주주의, 그리고 당시의 새 종교인 기독교를 받아들였다. 한반도는 동양과 서양이라는 두 개의 큰 강물이 만나서 하나로 합류하는 지점이었고, 함석헌은 이러한 지점에서 시대정신에 충실하려고 최선을 다한 큰 인물이라고 볼 수 있다.
한민족의 사상과 문화는 수천 년 동안 중국사상과 문화의 영향 아래 있었고, 지배층과 학자들은 중국에 대한 사대주의에 빠져 있었다. 거기에 일제의 식민 통치 시기와 해방 후 군사독재시기를 거치면서 한국의 정신과 문화는 많이 위축되고 유린되었다. 군사정부가 한국적 민주주의를 말하면서 한국정신과 문화를 내세우기는 했으나, 군과 정보기관을 앞세운 폭력적 지배 속에서 박제된 민족 문화와 새로운 한국을 어설프게 제시했을 뿐이다. 따라서 식민 사관과 서양의 문화가 지배한 지난 100여년의 한국 현대사 속에서는, 겨레의 얼과 혼이 살아 있는 주체적인 한국 사상과 철학이 나오기 힘들었다. 그렇다면 왜 한국 철학자들은 동서 정신문화를 아우르고 민중의 각성을 촉구하는 주체적이고 세계적인 한국철학을 발전시키지 못했을까? 이는 동서 문명을 그들의 정신 안에서 통합하지 못했기 때문이라고 볼 수 있다. 이에 반해 함석헌은 주체성을 지키면서 기독교와 서양 문명을 깊이 받아들여 동서 문명을 아우르는 철학을 이룩하려고 각고의 노력을 기울였다.
함석헌은 일제 강점기부터 해방 이후 자유당 정권, 군사 독재, 민주화 시대에 이르기까지 한국 근현대사의 격랑 속에서 종교인으로서, 민주화 운동가로서 독보적인 위치를 차지해 왔다. 그는 일제하 식민지 시대에 서구종교인 기독교를 받아들였고, 이를 한국의 종교 문화적 감수성과 사회 역사적 경험 속에서 창조적이고도 주체적인 한국 기독교 사상으로 발전시키기 위해 심혈을 기울였다. 나아가서 그는 고난과 위기로 점철되었던 한국 근현대사 속에서 기독교 실천가로서, 예언자적인 사회운동가로서도 대중들의 마음속에 자리를 잡았다. 한국 근현대의 다른 어떤 인물보다 그를 돋보이게 만든 점은 그가 자신의 사회적ㆍ역사적 실천을 사상적ㆍ종교적ㆍ신학적 진술의 형태로 표현할 수 있었다는 점일 것이다. 그는 자신의 신앙적ㆍ사회적 실천 속에서 깨달은 깊은 영적 통찰을 시적이고도 감수성 넘치는 글로 담아 낼 줄 알았고, 인격적이고도 역사적인 성서적 기독교 신앙과 마음을 중시하며 신인합일(神人合一)적인 동양 종교적 감수성을 결합해 창의적으로 기독교 사상을 펼쳤다. 그에게는 신앙적이고도 대중적인 실천과 창조적인 기독교 사상이 떼려야 뗄 수 없이 결합되어 있다. 아마도 함석헌은 한국 종교사에서도 사회 변혁과 독창적 사상 형성이라는 양 측면 모두에서 발군의 업적을 쌓은 인물로서 한국 불교사의 원효와 근세의 다산 정약용 그리고 동학의 최제우에 비교될 수 있지 않을까 생각한다.
그러나 함석헌이라는 인물의 깊이와 넓이에 비해 실제 그에 대한 연구와 이해의 정도는 아직 미진한 상태라고 해도 과언이 아닐 것이다. 사회운동가, 사회사상가로서의 그의 면모도 중요하겠지만, 무엇보다도 그의 사상과 활동의 중심에는 기독교 신앙과 체험이 자리 잡고 있기 때문에, 기독교 신학적 접근이 반드시 필요하다고 하겠다. 그의 삶의 깊이와 넓이, 그리고 무엇보다도 생동하는 그의 종교 체험의 떨림과 울림을 알기 위해서는 그가 어떻게 기독교 신앙을 수용했고 그것을 어떻게 주체적으로 변용시켰는지, 더 나아가 그러한 변화의 동기와 동력은 무엇인지 탐구해야 할 것이다.
함석헌은 정통 신학자나 목회자는 아니었다. ‘이단자’라는 이름이 붙은 한낱 평신도 기독교인이었을 뿐이다. 그가 맞서 싸웠고 정화하려 했던 것은 부패하고 부도덕한 권력자들과 그들이 만들어 놓은 사회 구조였고, 그들이 발휘하는 영향력 아래서 폐습과 독단에 물든 한국 기독교였다. 그는 빗나간 한국 기독교를 각성시키는 ‘등에’(gadfly)나 다름없었다. 아울러 함석헌은 기독교 사상과 동양 사상의 융합, 보편주의적 종교관, 기독교에 대한 동아시아적 입장에서의 재해석 등을 통해 한국 기독교의 지평을 넓히고 그것을 심화하려 했다. 그뿐만 아니라 함석헌은 기독교 진리에 입각해서 비민주적인 근대한국의 정치 및 사회적 풍토를 쇄신하려고 혼신을 다해 싸웠다. 한국의 민주화, 즉 평화로운 한국을 만들기 위해 그의 생을 바쳤다고 해도 과언이 아니다. 궁극적으로 함석헌의 진의는 대승적 차원에서, 인류가 전쟁으로 공멸할지도 모르는 위험에서 벗어나 스스로 살길을 찾자는 것이었다. 그 점에서 함석헌에게 평화는 하느님과 역사의 ‘절대적 명령’이었다. 평화는 할 수 있으면 하고 할 수 없으면 하지 않아도 될 문제가 아니라 가능해도 가고 불가능해도 가야 하는 길이었다.
그렇다면 평화의 길을 열기 위해서는 무엇을 해야 했던가? 함석헌은 무엇보다 인류에게 새로운 문명의 사상적 안내가 될 수 있는 철학이 필요하다고 생각했다. 하지만 그는 서양의 고전철학에 대해서는 큰 기대를 걸지 않고 동양의 고전 철학, 특히 노ㆍ장 사상에 기대를 걸었던 것이다. 국가주의와 제국주의의 시대를 뒷받침하는 힘의 숭배, 폭력과 전쟁과 탐욕의 논리 반대편에서 노ㆍ장 사상이 제시하는 것은 ‘평화’의 논리였다고 본 것이다. 노자의 평화주의는 『도덕경』에서 명백히 드러난 바, ‘어린 아이’, ‘여성’, ‘물’로 대표될 수 있는 부드러움과 유약함, 겸손, 마음의 평정 같은 높은 가치들이 그것이다.
현대 한국은 놀랍게도 다종교(多宗敎)국가이다. 서구 선교사들의 열렬한 선교 역사에도 불구하고 일반적으로 아시아 국가들에서는 힌두교, 불교, 이슬람, 신도(神道)같은 동양 전래의 종교들이 여전히 국가적 종교로 자리 잡고 있다. 그런가 하면 서구 나라들은 기독교를 압도적으로 국가적 종교로 고수하고 있다. 그러나 한국은 이런 면에서 좀 특이한 경우이다. 불교, 유교, 그리스도교, 토속신앙, 그리고 신흥종교들이 두루 공존하는 가운데 어느 하나가 배타적으로 독점권을 누리고 있지 않은 가운데 한국은 동양종교와 서양종교가 혼재하는 나라이다. 한국은 조선시대의 숭유억불 정책과 대원군의 천주교 탄압정책이라는 종교 차별정책의 역사를 갖고 있음에도 불구하고 오늘날 한국에서 불교와 천주교는 강력한 세력으로 살아남아있고 양자 간에는 대화가 잘 이루어지고 있는 현실이다.
이와 같은 상황에서 함석헌은 동양의 고전 사상을 서구 기독교와의 관련 속에서 재조명하려 했고 현대를 살아가는 한국인들에게 들어맞도록 재해석하는 노력을 기울였다. 특히 권위에 맹목적으로 순응하는 유교적 가치관과 개인 각자의 책임의식을 회피하는 기독교의 대속론을 신랄하게 비판하였다. 그 대신 그는 종교적 관용주의의 입장을 취한 기독교의 퀘이커교도로서 한국의 기독교 풍토를 유연한 것으로 변화시키고자 힘썼다. 더 나아가 그는 서구 기독교에 상대적으로 우세한 사회 정의, 인권, 저항의식 등의 요소를 동양 사상이 강조하는 초월의식, 관용성, 포괄성과 결합시키려 했다. 구리와 아연으로 황동을 만들듯이, 함석헌은 동서의 장점을 융합한 사상이 문명에 새로운 길을 제시하고 장차 인류가 보다 높은 영적 단계에 도달하도록 이끌 것이라고 예견한 것이다. 마치 인간의 두 다리나 남녀, 혹은 음양의 원리가 서로 협동하듯이 이 융합된 사상이 인류를 앞으로 밀고 나가는 근원적이고도 역동적인 힘이 될 것으로 믿었던 것이다.
함석헌의 원대한 포부와 추동력은 결국 무엇보다도 그의 폭넓은 종교적 신념에 있었다고 볼 수 있기 때문에 본서에서는 그의 종교사상의 씨줄과 날줄이 과연 어떠한 구조와 특성을 가지고 짜여져 있으며 그 이상(理想)은 무엇인가에 대하여 초점을 맞추어 보려고 하였다. 퇴계와 율곡은 유학에 기초해서 그들의 독특한 사상을 펼쳤고, 다산(정약용)은 유학과 천주교에 토대하여 그의 실학사상을 전개했다면, 현대 한국의 사상가 함석헌은 서양에서 전개된 기독교(개신교)에 기초하여 유ㆍ불ㆍ도, 인도사상까지 포괄해서 동ㆍ서양의 사상을 아우르는 다원적 사상의 토대 위에서 부조리한 현실을 극복하기 위해 몸소 행동으로 실천한 지행합일(知行合一)의 철학자라고 평가할 수 있을 것이다. 현대 산업사회는 주로 과학ㆍ기술ㆍ자본ㆍ다원성을 중시하는 경향이 있는데 사실은 이와 같은 역동적 현대 사회에서도 깊은 인문학적 성찰과 철학을 가지고 살아온 분들이 한국 사회에 적지 않은 가운데, 함석헌은 마치 평지의 고봉처럼 돋보이는 현대 한국이 낳은 자랑스러운 사상가(철학자)일 뿐만 아니라 세계적인 현대 사상가의 반열에 내어 놓아도 전혀 손색이 없는 특출한 철학자라고 볼 수 있을 것으로 생각한다. 지금까지 그가 세계 철학계에 알려지지 않은 까닭은 그의 저작들이 오로지 한글로만 되어 있을 뿐 국제 언어로 번역되지 않았고 또 한국 기독교 주류가 그를 이단시하여 그의 성장을 막았었고, 정치적으로는 북한의 공산주의 정부와 남한의 자유당 정권 및 군사정권이 그를 억눌렀기 때문이다.
그러나 지금은 함석헌에 대한 평가가 적극적이고 다양하다 : 예언자, 인권운동가, 민주주의 신봉자, 평화주의자, 종교사상가, 다원주의자 등. 덴마크가 낳은 실존주의 철학자 키에르케고르의 진가는 그의 사후 100년 만에 인정받았는데 그 이유는 우선 덴마크의 국교인 루터교를 신랄히 비판함으로써 국교로부터 배척당한 점과 그의 저작들이 단지 덴마크어에 갇혀 있었다가 보다 폭넓게 사용되는 독일어로 그의 저작이 번역되고, 이어서 영어로 번역되면서 그의 사상의 진가가 인정받았기 때문이다. 이와 마찬가지로 우선 함석헌에 대한 국내 보수 기독교인들의 인식전환이 있어야 하겠고 또 함석헌에 대한 연구의 붐이 일어나야 하겠으며 게다가 그의 저작들이 외국어로 번역되어 그의 생동력있는 사상이 국제사회에 널리 알려져야 할 것이다.
이런 관점에서 본다면 2008년 서울대학교에서 개최된 ‘세계 철학자 대회’에서 함석헌을 논의했던 것은 아주 커다란 의미가 있다고 본다. 그의 글과 외침은 그의 생존시에는 외로운 광야의 외침이었으나 지금에 와서 보니 그의 주장과 외침은 하나도 버릴 것 없이 그대로 우리의 현실에 적중한, 앞을 내다 본 예언자적 외침이었다. 그는 강단 철학자가 아니라 실존과 현실 및 상황 철학자이기에 그의 주장은 결코 현학적이지 않은 구체적인 삶의 철학이었다. 다시 말해서 그의 삶 자체가 생동하는 철학이었다. 이렇듯 사ㆍ언ㆍ행(思ㆍ言ㆍ行)이 일치했던 함석헌 같은 철학자는 세계철학사에서도 그 유례를 찾기가 쉽지 않을 것이다. 다소 늦은 감이 있지만 지금부터라도 한국의 현대 실천적 사상가 함석헌을 탐구하는 것은 큰 의미가 있고 그 연구물들은 국내ㆍ외에 크게 기여할 것으로 본다. 특히 가치관의 혼란에 빠져있는 21세기 한국 사회의 치유에 그의 사상은 크게 보탬이 되리라 확신한다.
이와 같은 탐구를 위해서는 주로 문헌적 연구를 시도하지 않을 수 없었다. 주지하는 바와 같이 그의 문헌은 《사상계》, 《씨알의 소리》, 《기독교 사상》 등에 산재되어 있으며, 함석헌에 관해서는 그의 주변 인물들의 글과 증언, 그리고 그의 생애와 사상에 관한 여러 논문들을 통해서 추적할 수 있다. 그러나 무엇보다 중요한 자료는 『함석헌 전집』 20권과 그의 『저작집』 30권이다. 게다가 최근에는 씨알사상 연구원과 함석헌 기념사업회, 함석헌 학회, 함석헌 평화포럼 등을 통해 새로운 자료들이 제법 제공되고 있는 추세이다.
이러한 자료들을 토대로 하여 그의 기독교 사상, 그의 역사관과 윤리관, 기독교 외에 그가 관심을 가졌던 여러 종교들에 대한 그의 이해와 관점, 더 나아가 그가 실현하고자 하는 꿈과 이상, 그리고 그의 공헌과 영향력이 무엇인지를 탐구 하고자 하였다. 그런데 그의 종교사상을 탐구하기 위해서는 다양한 접근이 필요하다고 생각된다. 즉 역사적 접근, 전기(傳記)적 접근, 종교학적 접근, 신학적 접근, 실존철학적 접근, 신비주의적 접근, 종교신학적 접근, 정치-사회적 접근, 동양종교적 접근 등이 동원되어야 할 것이다. 특히 신학과 관련하여 그의 공적(功績)으로 민중신학의 토대마련을 들 수 있는데 그의 사상 중 ‘씨알’사상은 한국 민주화와 한국 민중신학에 지대한 영향을 끼쳤다. 특히 민중신학의 창시자 중 한 사람인 안병무에게 끼친 영향은 심대하다고 본다. 아울러 송기득, 김경재, 박재순에게 미친 영향 또한 대단히 크다고 생각된다. 이 세 학자들은 탄탄한 철학적 지식의 기반 위에서 함석헌의 사상을 정리해 보려는 노력을 기울여 왔다. 정지석, 김성수 등은 해외에서 함석헌을 연구하여 외국어로 논문들을 발표하여 한국 현대철학자 함석헌을 부각시키는데 크게 공헌하고 있다. 함석헌에 대한 깊은 연구는 결국 미약한 한국의 인문학을 부흥시키는데도 크게 기여할 것으로 생각한다.  접기


저자 및 역자소개
김영태 (지은이) 
1944년 전북 고창군에서 태어나 광주(光州)에서 성장하였다. 서울신학대 신학과를 졸업한 뒤 전남대학교 교육대학원 영어교육전공(영어교육학석사), 전남대 일반대학원 철학과에서 서양철학(윤리학전공, 문학석사)을 공부하였다. 전북대학교 대학원 철학과 박사과정에서 칸트(Kant)의 종교철학을 전공하여 철학박사, 서울대학교 대학원 종교학과에서 퀘이커 공동체 신비주의로 종교학박사, 성공회(聖公會)대학교 신학전문대학원 신학과에서 함석헌의 종교사상과 그의 영성적 삶에 대한 연구로 신학(神學) 박사학위를 취득하였다. 대학에 재직하는 동안 안식년을 기하여 The Hebrew University of Jerusalem(Israel)에서 유대교, 그리스도교, 이슬람을 비교 연구하였고(1년간), Bethany Theological Seminary 및 Earlham School of Religion(U.S.A)에서는 Brethren Church(형제교회)와 Quakerism(퀘이커교)을 연구(1년간) 하였다.


경력으로는 국가공무원(법무부 산하) 2년 5개월, 중등학교 교사 9년, 전남대학교에서 29년간 윤리학과 종교학을 담당하였다. 정년퇴임 후 지금은 명예교수로서 자유롭게 연구와 강의활동을 계속하고 있다.

저서로는 『현대의 종교』(2인 공저), 『신비주의와 퀘이커공동체』, 『도덕신학과 도덕신앙』 등이 있으며 수십 편의 연구논문이 있다.
교수직을 수행하는 동안 한국종교간 대화학회 창설 및 공동대표, 한국윤리학회 회장, 문화체육관광부 공직자 종교차별(문제) 자문위원을 역임하였다. 접기
최근작 : <함석헌의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구>,<도덕신학과 도덕신앙>,<신비주의와 퀘이커공동체> … 총 7종 (모두보기)
---
출판사 제공 책소개

이 책은 신천옹(信天翁) 혹은 씨을로 불리우는 함석헌(1901~1989) 선생의 사상과 삶에 대한 종교철학적 탐구서이다. 신천옹의 사상은 다분히 종교철학적이며 종교다원주의적이다. 왜냐하면 그의 사상은 유교ㆍ불교ㆍ도가사상ㆍ천도교ㆍ기독교(특히 프로테스탄트), 더 나아가서는 힌두교와 간디의 비폭력 사상ㆍ퀘이커교의 평화사상ㆍ한국사 및 세계사에 대한 성서적 역사관ㆍ실존철학 사상ㆍ현대적 과학정신ㆍ민주주의 이념 등으로 꽉 차있기 때문이다. 그의 삶 역시 다차원적 면모를 지니고 있는 바, 풍류도적ㆍ신비주의적ㆍ영성적 특성을 갖추고 있을 뿐만 아니라 불의(不義)에 대해서는 신랄한 비판을 아끼지 않음으로써 정의(正義)실현에 앞장섰기 때문이다.

이와 같은 사상과 삶의 기반 위에서 그가 궁극적으로 추구한 것은 암울했던 20세기 한반도의 민중(民衆)들이 보다 나은 인간적 삶을 영위할 수 있도록 첩경을 마련했다는 사실이다. 고향땅 북한에 있을 적(1947년 이전)에는 김일성 공산정권에 저항하고, 월남한 이후에는 부패한 이승만 정권과 부당한 박정희 군사정권에 대듦으로써 고초(옥고 일곱번)를 당하면서까지 한반도의 민주화와 평화를 위해 투쟁했었다. 그리고 마침내는 민중신학의 기초를 제공함으로써 향후 한반도의 영구적 평화실현의 길까지 마련해 놓았다. 접기

함석헌의 퀘이커적 삶- 평화를 위한 삶 :: 함석헌평화연구소

함석헌의 퀘이커적 삶- 평화를 위한 삶 :: 함석헌평화연구소

함석헌평화연구소/함석헌 사상
함석헌의 퀘이커적 삶- 평화를 위한 삶
by 관리자 anarchopists 2019. 12. 23.
* 함석헌평화포럼 블로그에서 [2011/05/05 06:30]에 발행한 글입니다.

[함석헌학회 2011년 춘계학술발표 발제문-김영태 교수]


信天雄 함석헌의 윤리사상 검토

1. 들어가는 말
2. 함석헌의 윤리관
가. 사회분석
나 새윤리관 확립의 필요성
다. 새윤리의 목표
라. 새윤리 사상- 민의 사상
3. 윤리- 종교의 삶
가. 진보하는 종교적 삶

나, 퀘이커적 삶-평화를 위한 삶
----

3-나. 퀘이커적 삶: 평화를 위한 삶
퀘이커교는 영국과 미국 중심의 기독교 종파이지만 그것이 한국에까지 전해졌다. 장로교와 감리교가 우세한 한국의 상황에서는 여타의 군소교파가 착근하기 어려운 것이 사실이다. 그럼에도 불구하고 현대 한국의 대표적 지성인이라 할 수 있는 함석헌이 퀘이커교를 만나 그것을 깊이 이해하고 몸소 실천하였다는 것은 매우 주목할 만한 일이다.
함석헌 자신은 퀘이커교에 대하여 흥미를 갖게 된 것이 1947년부터라고 말하지만 사실은 그 이전 일본에 있을 적에 퀘이커와 접촉한 사실이 있다. 그는 이 사실을 이렇게 말하고 있다.

나는 그 때부터 퀘이커를 다 알게 됐지요. 그 때 나는 우찌무라와 니도베와 함께 퀘이커 모임에 갔었는데 우찌무라는 무교회주의자가 되었고 니도베는 퀘이커가 되었어요. 함석헌, “퀘이커와 평화사상
”,『함석헌 전집』3, 서울: 한길사, 1983, p. 168.

어떻든 함석헌은 1947년부터 퀘이커에 대해 관심을 갖고, 1960년부터 퀘이커 모임에 참석하다가, 1962년 미국에 건너가 퀘이커교의 성인(成人) 교육 기관인 필라델피아의 펜들 힐(Pendle Hill)에서 7개월 동안 명상과 퀘이커에 대한 연구를 하는 등 퀘이커와 밀접한 관련을 가져오던 중 제 4차 세계 퀘이커대회가 개최된 1967년에는 정식으로 회원이 되었다. 회원이 된 데에는 여러 가지 이유가 있겠지만 함석헌에게 비친 퀘이커의 매력은 브린튼이 지적한 세 가지, 즉 보편성, 단순성, 평화주의였을 것이다. 브린튼의 말을 직접 음미해보자.

퀘이커교가 마음을 끄는 것은 모든 사람이 다 어느 정도 종교적 도덕적 진리를 알고 있다고 주장하는 그 보편성 때문이요, 또 그 평화주의 때문입니다. Howard H. Brinton, Friends for 300 Years ; 함석헌 역, “퀘이커 300년”,『함석헌 전집』15, 서울: 한길사, 1986, p. 94. 한국판 서문.


김경재도 브린튼과 흡사한 서술을 하고 있다.

"함석헌이 퀘이커에 들어가게 된 까닭은 퀘이커 사상은 모든 인간 속에 하느님의 거룩한 빛의 씨앗을 가지고 있다는 인간의 존엄성과 가능성을 강조하는 점, 그리고 모든 허례허식과 신학적인 추상론을 배제하는 신앙과 삶의 단순성과 간결성, 평등, 박애사상과 평화사상 등이 그가 일생 추구해 왔던 신앙의 유형과 체질에 가장 알맞았기 때문이었다. 김경재, “함석헌의 종교사상과 역사관”,『씨알들의 믿음과 삶』, 서울: 나눔사, 1990, pp. 80~81


그러면 좀 더 구체적으로 말해서 함석헌은 퀘이커로부터 어떤 사상을 영향 받았을까? 함석헌은 펜들 힐에 머물면서 브린튼의 『퀘이커 300년』(Friends for 300 Years, 1964)을 번역하는 과정에서 얻은 것 중의 가장 큰 것을 공동체에 관한 이론이라고 말한다.

나는 이날까지 대체로 자유주의 속에서 살았으니만큼 개인주의적인 생각을 면치 못했습니다. 그래서 어리석고 교만하게도 세상이 다 없어져도 나 혼자만으로도 기독교는 있을 수 있다 했습니다. 못할 말이었습니다. 이제 전체를 떠난 개인이란 있을 수 없습니다. 천재, 영웅, 이상, 로맨티시즘, 개인, 예언자의 시대는 지나갔습니다. 이제는 아무리 잘났어도, 아무리 못났어도 개인의 뒤에는 늘 전체가 있어서 그 하나하나의 행동과 사상을 규정하고 있는 것을 과학적으로 밝히고 있습니다. 나만 아니라 넓게 말하면 오늘날 되어 있는 종교가 다 개인주의적인 사고방식을 벗어나지 못하고 있습니다. 그런 의미에서 퀘이커들이 말하는 단체적 신비주의는 깊이 들을 필요가 있습니다
. Howard H. Brinton, Friends for 300 Years ; 함석헌 역, “퀘이커 300년,”『함석헌 전집』15, 서울: 한길사, 1986, p. 357, 역자의 말


함석헌은 동양의 신비주의와 서양의 신비주의(퀘이커 신비주의)의 명상법이 개인이냐 단체냐에 따라 상이하다는 것도 밝히고 있다.

퀘이커들은 하느님의 임재를 느끼기 위해 명상을 한다고 그러지요. 그들의 명상은 동양 것과 다릅니다. 개인적인 명상이 아니고 단체적인 명상이니까 2~3명에서부터 수백명에 이르기까지 단체로 명상할 때 하느님이 임재하신다는 것인데, 현대적으로 볼 때 대단히 중요한 의미를 갖지요. 개인주의가 아니니까. 동양의 명상은 옆 사람이 참석을 해도 나는 내 참선이고 저 사람은 저 사람 참선이기 때문에 모래알처럼 되는 것이지요. 함석헌, “퀘이커와 평화사상”,『함석헌 전집』3, 서울: 한길사, 1983, p. 162.


여기에서 한 걸음 더 나아가 함석헌이 공감했던 것은 단체적 신비주의 뿐만 아니라 윤리적 신비주의(ethical mysticism)였다. 윤리적 신비주의란 신비체험이 하느님과 사람 사이의 수직적인 관계에서 그치지 않고 사람과 사람 사이인 수평적인 윤리관계 속에서 지속적으로 현시되는 신비주의를 말한다.

함석헌이 윤리적 신비주의에 대하여 지대한 관심을 가지고 그것을 실œ실œ옮기려고 노력한 것은 명약관화한 일이지만 그것을 학문적으로 체계화한 지대같지는 않다. 그러나 퀘이커교가 어디까지나 신비주의라는 것을 강조했으며, 그 신비주의는 타신비주의와는 다르게 상식주의가 가미된 것이라는 것을 다음짼대같이 환기하였다.

퀘이커는 신비주의와 상식주의를 둘 다 경험해 가지고 있습니다. 현대에 있어서 종교에서 문제되는 것의 하나는 신비주의입니다. 퀘이커 발생초기에 있어서는 신비주의가 상당히 강했다면 강했던 듯합니다. 함석헌, “예배모임의 뜻”, 함석헌 외(外),『현대의 선(禪)과 퀘이커 신앙』, 서울: 삼민사, 1985, p. 61.

함석헌은 퀘이커교의 신비주의적 성격에 매료되었으며, 그 다음으로는 평화사상에 공감하여 그것에 적극 가담하였다고 볼 수 있을 것이다. 신비주의가 이론적인 것이라면 평화사상은 실천적인 문제로서 함석헌은 이 양자를 불가분리의 관계로 설정했다고 생각할 수 있을 것이다. 함석헌은 가톨릭과 개신교가 전쟁을 묵인하는 데 반해 퀘이커는 그것을 적극반대하고, 심지어 적국이라 할지라도 그 적국이 어려움에 직면할 경우 적극적으로 후원하는 넋을 매우 자랑스럽게 여기고 있다. 따라서 함석헌이 평화를 위해 몸소 헌신한 것은 주지의 사실이다. 함석헌은 한국인의 심성을 계몽하기 위해 많은 글을 썼고 강연을 했으며 민주화를 위해 독재 군부에 맞서 싸웠다. 예컨대 함석헌의 씨알사상(민중사상)은 이미 퀘이커교에서 가르쳐 온 “모든 사람 속에 들어 있는 하느님의 것”(that of God in every man)으로부터 비롯된 것이 아닐까 하는 생각을 충분히 갖게 한다.

안병무는 함석헌의 평화사상을 네 가지로 특징짓고 있다. 첫째, 그의 평화 의식의 출발은 전체의식에 있으며; 둘째, 그의 평화사상은 종교적 신념의 성향을 가지고 있으며; 셋째, 한국의 평화는 곧 세계 평화에 직결된다고 보아서 평화사상의 한국적 이해를 도모하며; 넷째, 평화운동의 주역은 유약하고 무능하며 이름 없이 음지에서 고난받는 민중이라는 것이 그것이다. 안병무, “함석헌의 평화사상”, 『과학기술혁명과 한국사회 갈등』, 서울: 한길사, 1991, p. 5.

퀘이커 사상이 함석헌에게 매력으로 비치는 것 한 가지를 더 부연한다면 아마 그들의 관용성 내지는 다원주의적 사고방식일 것이다. 다음의 내용은 함석헌이 바라본 퀘이커 교도들에 대한 시각의 일면이다.

그들은 아주 넓은 마음으로 누구나 용납한다. 퀘이커교 안에는 별별 사람이 다 있다. 기본 신앙의 극단적인 보수주의로부터 유니테리언, 불교도에 이르기까지 갖가지 생각을 하는 사람이 다 있다. Howard H. Brinton, Friends for 300 Years ; 함석헌 역, “퀘이커 300년”,『함석헌 전집』15, 서울: 한길사, 1986, p. 354, 역자의 말

퀘이커교가 정작 이런 것이라면 퀘이커교는 최근 논의가 활발하게 이루어지고 있는 종교다원주의적 성격을 지닌 것으로서 배타주의나 포괄주의와 차별성을 갖게 되며, 어떤 특정 교의에 얽매이지 않고 항상 열려 있는 점은 현대 철학에서 각광을 받고 있는 과정 철학(process philosophy)이나 과정 신학(process theology)의 선구라고 볼 수도 있을 것이다.

이렇게 본다면 종교의 역사를 3기로 보는 함석헌의 종교사관에 비추어 볼 때 퀘이커는 분명히 제3기에 속하는 현대적 종교로 분류할 수 있을 것이다. 왜냐하면, 제1기는 맹목적 의지의 종교시대, 제2기는 감정의 종교시대, 제3기는 이지(理智)의 종교시대로 구분하기 때문이다. 그렇다면 함석헌은 퀘이커교를 최종적 현대 종교로 보고 거기에 만족하는가? 결코 그렇지 않다. “Pendle Hill의 명상”에 나타난 그의 고백은 퀘이커를 넘어서려는 의지를 내포하고 있다.

나는 사마리아 여인입니다. 내 임이 다섯입니다. 고유종교, 유교, 불교, 장로교, 또 무교회교, 그러나 그 어느 것도 내 영혼의 주인일 수는 없습니다. 지금 내가 같이 있는 퀘이커도 내 영혼의 주는 아닙니다. 함석헌, “펜들 힐의 명상”,『함석헌 전집』3, 서울: 한길사, 1983, p. 318.

함석헌이 ‘새 종교론’을
 언급하고 있는 것을 보면 이미 퀘이커를 넘어섰거나 극복하지 않았는가 하는 생각을 하게 된다. 다소 막연하긴 하지만 그가 기대하는 ‘새 종교’의 세 가지 요건은 첫째, 하나 되는 종교; 둘째, 합리적인 종교; 셋째, 뚫려 비치는 종교이다. 이와 같은 관점에 비추어 함석헌의 종교사상의 발전과정을 살펴보면 장로교에서 시작하여 무교회 신앙으로, 무교회 신앙에서 퀘이커 신앙으로 무한히 뻗어 나가는 것을 느낄 수 있다. 그렇다면 함석헌에게는 정녕 퀘이커도 마지막이 아니었을 것이다. 따라서 그는 퀘이커에서 다른 그 무엇을 지향하다가 유명을 달리했다. 아무튼 함석헌에게서는 종교적 천재성이 엿보인다. 김경재는 종교 사상가로서의 함석헌의 위대성을 다음과 같이 묘사하고 있다.

개신교 역사 100년 만에 함석헌이라는 정신의 최고봉에 도달한 종교사상가를 한국 근대사는 배출하였다. 그는 한국 개신교 100년이 낳은 최고의 종교사상가일 뿐만 아니라 동양 종교사상을 한 몸 안에 융섭한 위대한 혼의 모습은 어떤 것일까 하고 궁금해 할 온 세계 종교학자들과 사상가들이 연구해 볼 하나의 진주와 같다. 왜냐하면 함석헌이라는 한 큰 마음 안에서 동과 서가 만나고, 불교와 기독교가 만나고, 노장의 자연주의와 성서적 자연주의가 만나고, 종교적 신비주의와 합리적 과학주의가 만나고 있는데 단순한 병존이나 갈등이나 천박한 습합(習合)이 아니라 인류 미래 종교의 어떤 방향을 암시하는 실증적 범례를 만나 볼 수 있기 때문이다. 김경재, “함석헌의 종교 사상”, 『씨의 소리』100호(1989. 4), p. 58.

이처럼 함석헌은 인간혼의 깊이와 인간 내면성의 영성결을 누구보다도 깊이 인지하였음에도 불구하고 신비주의자는 아니라는 것이 김경재의 주장이다. 함석헌을 신비주의자가 아니라고 갑작스럽게 국면 전환을 하고 있는 김경재의 주장이 궁금하다.(2011. 4.30, 김영태, 내일 계속)

김영태 교수는
종교윤리 전공하였으며 종교분야 연구자임. 전남대 사범대학 윤리교육과 재직(1981~2010), 현재 함석헌학회 이사이며, 한국윤리학회 회장을 맡고 있음. 그 동안 한국종교문화학회 공동대표, 종교문화연구소장 등을 지내면서 윤리학 연구 및 종교간 대화 운동을 적극적으로 펼쳐왔음.

그의 저서로는 「John Hick의 종교철학」, 「퀘이커 신비주의에 관한 연구」, 「미국 실용주의의 종교관」, 「칸트의 도덕종교론에 대한 신학적 고찰」 등이 있음. /함석헌평화포럼


[2021 성도재일맞이 특별 법문]-불교의 최초원형은 '깨달음 이후 붓다의 삶',벗들에게 띄우는 도법스님의 편지#신신명,#실상사,...



기타법문 | [성도재일] 불교의 최초원형은 '깨달음 이후 붓다의 삶'
작성자 실상사 21-01-20 07:25 조회222회 댓글0건


목록




성도재일 법문은 '인드라망생명공동체'에서 발행하는 잡지 <인드라망> 신년호에

회주스님께서 쓰신 글을 직접 읽어주시면서 설명하는 방식으로 진행되었습니다.

……………




신축년 새해, 성도재일을 맞이하여

인드라망 벗님들에게 띄우는 도법스님의 편지

………………………………



불교의 최초원형은 '깨달음 이후 붓다의 삶'

불교수행자 1호, 붓다의 불교수행



………

붓다가 깨달은 것은 ‘중도의 팔정도행’

불교수행은 깨달음을 추구하는 것이 아니라 깨달음을 실천하는 것.

‘중도의 팔정도행’을 계승한 것이 본래붓다의 계·정·혜(戒定慧) 삼학수행

………





벗이여, 흰소의 새해가 밝았네.

무소식이 희소식이란 말처럼 잘 지내리라 믿네.

올 한 해 내내 청안청락하시길 손 모으네.



요즈음 코로나 이후를 어떻게 살아야 하느냐?는 질문을 많이 받네. 그 과정에서 ‘당신은 불교수행을 어떻게 하느냐?’는 질문도 받네. 사실 내 삶으로 와보면 두 가지 물음이 ‘인생이 뭐야? 어떻게 살아야 돼?’ 하는 하나의 물음으로 모아지네. 엄밀하게 보면 내가 불교수행자로 살아가는 이유가 그 질문에 대한 답을 찾고, 그 답을 삶으로 살아가기 위함인 셈이네. 병이 생기면 약을 찾듯이 질문이 생겼으니 그에 답을 하는 차원에서 편지를 쓰네. 스스로의 삶을 정리도 할겸.



“참된 진리는 어려울 것이 없네.

오로지 분리시켜 취하고 버리는 것을 꺼려할 뿐

다만 ‘좋네, 싫네’ 하고 판단하는 마음만 조작하지 말게

구름 한 점 없는 하늘처럼 무사태평할 터이네.”

- 《신심명》



벗이여, 뜬금없이 《신심명》을 들고 나오는 이유를 눈치챘는가?

잘 알고 있듯이 《신심명》은 선불교 사상의 백미로 평가받는 책이네. 마침 대중들과 함께 《신심명》을 공부하게 됐네. ‘잘됐다’ 하는 생각으로 공부하는 것을 자랑하려고 첫 구절을 내놓았네.



《신심명》을 쓴 승찬스님은 한센병 환자로 알려져 있네. 그런데 혜가스님을 만나 깨달음을 얻은 다음 내놓은 위풍당당한 깃발이 ‘불교수행, 어려울 것 없다’이네.



내가 불교수행자로 살아온 세월이 55년이네. 불교공부와 수행이 너무 복잡하고 혼란스럽고 어려웠네. 기분을 따른다면 집어치우고 싶을 정도였네. 그런데 승찬스님이 보내눈 ‘어려울 것 없다’는 소식은 나에겐 너무나 놀랍고 반가운 소식이었네. 그대는 어떤가? 이번 기회에 ‘어려울 것이 없네. 왜 그런가? 매우 인간적이고 전인적이고 상식적이므로’라는 관점에서 내가 정리해온 불교수행 이야기를 해보려고 하네.





불교의 최초 원형은 ‘깨달음 이후 붓다의 삶’



요즈음 초기불교에 대한 관심들이 많은데, 내가 생각할 때 불교의 최초 원형은 교리가 아니고 깨달음 이후 붓다의 삶 자체라고 보네. 붓다의 일생 삶은 당신이 깨달은 내용인 ‘중도의 팔정도행’이었네. 중도의 팔정도행을 기본으로 사람들이 갖고 있는 병에 따라 약처방으로 내놓은 것이 어마어마하게 양이 많고 복잡하고 혼란스럽고 어렵게 된 불교교리이네.



붓다께서 전인적 삶으로 살기도 하고, 가르치기도 한 ‘중도의 팔정도’를 갈래쳐서 정리한 것이 ‘계·정·혜 삼학’이네. 실상사에서는 그 내용을 사부대중의 일상생활에 녹아들도록 하려고 한글예불에 담았네.



“언제 어디에서나

뭇생명 두루 이익케 하는 큰 자비계의 향

한결같이 흔들림 없는 큰 선정의 향

자신의 참모습이 본래붓다임을 참되게 아는 큰 지혜의 향을

저희 지금 정성 모아 마음의 향로에 사르오니

삼학의 청정한 향기 온 실상사에 가득하사……”



세세하게 풀기 전에 먼저 정리할 것이 있네.

깨달음을 실천하는 불교수행자 1호는 붓다이시네. 그의 일생은 깨달음의 실천인 중도의 팔정도행으로 일관되어 있네. 더 일반화시키면 자신의 참모습인 인생을 참되게 알고, 그 참된 앎을 온전하게 일상의 삶으로 사셨네. 그리고 전심전력으로 그 길을 사람들에게 안내했네. 그러므로 붓다를 인생교사라고 하고, 불교를 ‘깨달음의 종교’라고 했네.



그 말은 깨달음을 실천하는 것이 불교수행이지 깨달음이 없는 수행은 불교수행이 아니라는 뜻이네. 그러니까 깨달음을 추구하는 것이 아니라 깨달음을 실천하는 것이 불교수행이라는 말이네. 여래가 뜻하신 깨달음이 종교인 불교를 녹이고 또 녹이고, 응축하고 또 응축하여 한 마디로 드러낸 것이 ‘본래붓다’이네. 이제 그 본래붓다의 정신으로 본래붓다의 삼학 수행을 설명하려고 하네.





본래붓다의 계정혜 삼학(戒定慧 三學) 수행



첫째, 본래붓다의 지혜수행이네.

‘전식득지(轉識得智), 양변에 빠진 지식과 믿음의 삶을 전환하여 중도에 의한 지혜와 확신의 삶을 이룸’



붓다가 깨달은 내용을 온전하게 드러낸 중도의 한 마디가 ‘본래붓다’이네. ‘사람은 본래업보중생’이라고 하는 양변의 지식과 믿음이 판치고 있을 때, 그 지식을 전환하여 ‘사람은 본래붓다’라고 중도에 의한 지혜와 확신의 말씀을 하셨네. 그 뜻에 따라 자신의 참모습, 존재의 참모습이 본래붓다임을 잘 이해하여 참되게 알고 그 앎을 온전하게 삶으로 살아가는 것을 의미하네. 그렇게 되도록 기꺼이 최선을 다해 줄기차게 학습하고 탁마하는 것이 본래붓다의 지혜수행이네. 그것이 붓다의 삶이었네. 내가 살아가야 할 삶이기도 하네. 살아서도 죽어서도. 금생에도 내생에도.



둘째, 본래붓다의 선정수행이네.

‘이고득락(離苦得樂), 괴로운 삶을 벗어나 안락한 삶을 이룸’



자신의 참모습인 본래붓다가 현재에 온전히 존재하도록 하는 실천이네. 노는 입에 염불하듯이 언제 어디에서나 기꺼이 최선을 다해 매 순간 화두를 들고 또 들면, 삶을 고통스럽게 하는 분노, 증오, 원한 또는 소유욕, 승리욕, 지배욕 따위의 번뇌들이 바로바로 떨어져 나가네. 발을 붙이지 못하네. 초기경전식으로는 제2의 화살을 쏘고 맞고 하지 않게 되네. 그렇게 되도록 하는 것이 본래붓다의 선정수행이네. 그것이 붓다의 삶이었네. 내가 살아야 할 삶이기도 하네.



셋째, 본래붓다의 계율수행이네.

‘혁범성성(革凡成聖), 범속한 삶을 혁신하여 성스러운 삶을 이룸’




자신의 참모습인 본래붓다가 현재에서 온전하게 살아가도록 하는 실천이네. 가능한한 매 순간순간 기꺼이 최선을 다해 지극한 자비심으로 생각하고 말하고 행동하고 생활하고 활동하는 것이네.



언제 어디에서나 깨달음의 내용인 대비원력의 마음으로 아궁이의 나무가 잘 타도록 하는 부지깽이처럼 뭇생명들을 두루 이익케 하는 것이 본래붓다의 계율수행이네. 그것이 붓다의 삶이었네. 내가 살아야 할 삶이기도 하네. 살아서도 죽어서도, 금생에도 내생에도.



붓다가 뜻한 바를 종합적으로 정리하네.



깨달음의 내용인 본래붓다의 ‘계정혜 삼학(戒定慧 三學)’이 전인적인 일상의 삶으로 무르익어 물 흐르듯이 펼쳐지는 상태를 붓다는 무상정등각의 삶이라고 했네. 그 전형을 구체적인 삶으로 직접 보여준 사람이 바로 우리의 스승 붓다이시네. 드디어 대혜스님이 ‘익숙한 것은 생소한 것으로, 생소한 것은 익숙한 것으로 전환하는 것이 불교수행’이라고 하신 말씀이 격하게 공감되네.



‘사람은 본래업보중생이야. 어쩔 수 없어’ 하는 것이 대단히 익숙하지만, 반드시 버려야 할 양변에 빠진 우리의 지식과 믿음이네. ‘사람은 본래붓다야. 본인의 삶은 주인인 본인이 창조하는 거야’ 하는 것이 매우 생소하지만, 반드시 삶으로 살아내야 할 중도에 의한 우리의 지혜와 확신이네. 깨달음의 실천자인 붓다의 삶을 잘 파악하고 이해하면 불교의 참모습이 환하게 드러나네. 따라서 불교수행은 매우 인간적이고 상식적이고 전인적임을 알 수 있네.



인드라망공동체 식구들이 걸어가야 할 길도 이 길이라고 보네. 서로에 대한 신뢰와 애정으로 거듭거듭 학습하고 탁마하는 수밖에 무슨 다른 길이 있겠는가. ‘나는 한 그루의 사과나무를 심겠다’고 한 어느 서양 도인처럼, 너도나도 그렇게 알고 살면 코로나 이후에도 희망찰 것이네.



친구여, 그대의 생각은 어떤가. 좋은 소식 기다리겠네.



................................................................................

※ 2021년 1월 19일 성도재일맞이 철야정진법회에서

2021/01/23

First Nations | Australia Yearly Meeting

First Nations | Australia Yearly Meeting



First Nations




Image: J Webb


Our Quaker testimonies call us to actively be in right relationship with all peoples. In harmony with our testimonies, Quakers are committed to bearing witness to ensure fairness and equality for First Nations People for so long as they choose this course. As Quakers we are learning how to uphold First Nations’ Peoples and their descendants in Australia, in our joint ongoing journey towards justice.

A testimony to social justice and racial equality has been part of the Quaker witness to the world since the inception of our Religious Society of Friends in Britain in the 17th century. In 1691 William Penn signed a treaty of friendship with the Delaware tribes of First Nations American Peoples, arranging for fair payments for lands taken. John Woolman, in 1756 persuaded Quakers in Philadelphia to pay for land stolen from the First Nations American Peoples by others.

In the 19th century, two British Friends, James Backhouse and George Washington Walker travelled through the Australian colonies and were forthright in their statements to influential figures in Australia and Britain concerning the cruelty and injustice meted to the Australian Aboriginal People, especially urging payment for land taken from them. (From paragraph 5.22 of this we can say; Australian Quaker life, faith and thought, 2003.)

Today, we long for and are working towards a reconciled Australia, believing that the coming into right relationship between First Peoples, the original custodians of the land, and other Australians is fundamental to an inclusive non-violent, Australian society.
Public Statements 2020

Australian Quakers write to politicians expressing their support for First Nations Peoples and concern about Governmetn action and policies. Read our most recent statments below, or follow this link for public statements from previous years.
Destruction of the significant rock shelters located in Juukan Gorge, Hammersley Ranges - July 2020 - to Western Australian Premier Mark McGowan, Foreign Minister Marise Payne
Concern over police practice of transporting children, unrestrained, in police cages - June 2020 - to Northern Territory's Chief Minister
First Nations Peoples Concerns Plenary Session at Yearly Meeting 2020

There were 100 participants in this session. Dave Johnston, an Aboriginal archaeologist from the Australian National University, spoke about ‘Australia’s Greatest Unrealised Asset: Australia’s Indigenous Heritage’. He explained that the protection of heritage had been adopted in policies of Australian governments in conformity with international standards, but that over the past thirty years or so there has been a ‘dumbing down’ of the protection of Aboriginal culture, sites and language. This has resulted largely from the unwillingness of the Commonwealth Government to enforce national guidelines in the face of pressures from the States to bow to the pressures of mining companies. Legislative reform is essential, along with thorough auditing of heritage sites and customs.

Indigenous heritage is vital to the identity and wellbeing of Indigenous peoples, and is something of which all Australians should be proud. It is time to stop the current trends and to insist on ‘free, prior and informed consent’ by Indigenous people to any proposal to overrule heritage requirements. Australians can help this by seeking out their local elders and finding out about the heritage in their area, and supporting the conservation of those items.

Dave showed a short film – Millpost: The Quarry - about cooperation between a farming family in the Canberra/Queanbeyan region and Aboriginal elders to preserve a heritage site available on YouTube: He drew attention to another film ‘Gollion Ochre Quarry’ that tells a similar story.
Friends involvement in the reconciliation process
Contact our First Nations Peoples Concerns Committee to find out more about their work
Quaker Service Australia
QSA assists Aboriginal and Torres Strait Islander communities in Australia to implement projects that are endorsed by and will benefit their local community. Funding is possible through the Quaker Service Australia Aboriginal Concerns Fund
Vigil for Aboriginal Justice: 12.00pm - 1.00pm, every Monday on the steps of the GPO on the corner of Bourke and Elizabeth Streets, Melbourne, Victoria.
Friends resources for the reconciliation process
Statement on the 50th Anniversary of the Referendum
Accepted by Yearly Meeting 2017 this Statement encourages Friends to bring these words to life and to share it with all we meet.
Ways Foward for Quakers and Other Concerned Australians to Support First Nations Peoples
​Adopted by Australian Quakers at Yearly Meeting 2015
Coming Right Way: 'doing justly, loving mercy and walking humbly' in Australia by Susannah Brindle (Published in 2002 as part of the Emu Feathers Series.) 'Anyone, anywhere can "Come Right Way". If "Reconciliation" is about coming into right relationship with Aboriginal Peoples, "Coming Right Way" is an important pre-condition of this process.
Backhouse Lectures related to First Nations Peoples Concerns

The 2017 Backhouse Lecture, Reflections on the 50th anniversary of the 1967 Referendum in the context of two Aboriginal life stories, was delivered by two Indigenous Australians: Friend David Carline, supported by Cheryl Buchanan. You can watch a video of the lecture, and read more about the lecture.

2000 Lecture - To Learn A New Song: A Quaker Contribution Towards Real Reconciliation with the Earth and its Peoples - by Susannah Kay Brindle - MP3 available here (5.34MB)

1991 Lecture - Loving the Distances Between: Racism, Culture and Spirituality - by David James and Jillian Wychel

Earthcare | Australia Yearly Meeting

Earthcare | Australia Yearly Meeting



Earthcare




Image: Julie Webb
Earthcare Statements

At Yearly Meeting 2007, Quakers took a first step towards outlining an Australian Quaker commitment to 'walking softly over the Earth'. This was further discussed at Standing Committee in July 2007, and the authors were asked to bring a Statement on Earthcare which was accepted at Yearly Meeting 2008, as a statement of a Quaker commitment to caring for the Earth.

In 2019 the Australian Quaker Earthcare Committee issued the Quaker Earthcare Climate Emergency and Species Extinction Epistle.
Backhouse Lectures Related to Earthcare

2011 Lecture - A demanding and uncertain adventure: Exploration of a concern for Earth restoration and how we must live to pass on to our children - and their children, and all living things - an Earth restored - by Rosemary (Rowe) Morrow

2000 Lecture - To Learn A New Song: A Quaker Contribution Towards Real Reconciliation with the Earth and its Peoples - by Susannah Kay Brindle - MP3 available here (5.34MB)
Other Resources

Earthcare Committee - The Australian Quaker Earthcare Committee currently publishes a quarterly newsletter inviting us all to pray, read, act, and celebrate Earthcare.

Earth Discussion Papers - These Discussion Papers were published by the Quaker Earthcare Committee in 2013 as part of a series exploring contemporary Quaker thinking on a range of critical environmental issues. The papers were written by a range of authors with expertise in the relevant area.

Australian Religious Response to Climate Change (ARRCC) - A multi-faith network taking action on the most pressing issue of our time. In the face of ecological damage and social injustices, we affirm our love for this planet and its inhabitants and our deep reverence for life.

Friends in the UK - Are working on sutainability issues around climate justice, fracking and sustainability. read more on their website.

Quaker United Nations Office (QUNO) - work in a number of realted areas such as HUman Impacts of Climate Change and Sustainable & Just economic Systems

Refugees and Asylum Seekers | Australia Yearly Meeting

Refugees and Asylum Seekers | Australia Yearly Meeting

Refugees and Asylum Seekers

Image: Julie Webb

New QPLC Action Alert: Refugees and Asylum Seekers - September 2020

Public Statements & Letters 2020

Australian Quakers write to politicians expressing their conern and desire for justice for refugees. Read our most recent statments below, or follow this link for public statements from previous years

  • Letter to Prime Minister re: Concern for the wellbeing of Asylum Seekers - October 2020
  • People in immigration centre falling through the safety net during COVID-19 - September 2020
  • Climate Justice, in association with ARRCC - February 2020
  • International Court of Justice ruling re: Rohingya people in Myanmar - January 2020

Friends and Refugees

We believe that Australia can do much better in its response to asylum seekers.

We regard Australians as capable of more compassion and support for people who have been through trauma and danger. Our political leaders should be willing to reinforce this with policies that are just and fair.

The fact that the UNHCR and many human rights groups have spoken out about Australia's approach as in conflict with our obligations under the Refugee Convention is a further cause for concern. As a member of the UN Security Council, Australia should be upholding international standards of conduct rather than adopting a narrow interpretation of its responsibilities.

We support the ongoing concern of the Australian Churches Refugee Taskforce to “commit to care for, walk with and speak out for those who come in need”.

We will continue to offer practical assistance to asylum seekers and refugees. At the same time we call upon the Government and Opposition to reconsider their policies with a view to ensuring fair and humane treatment for vulnerable people seeking our help.

We support moves within the United Nations and in our region to address the causes of the flow of people seeking safety and refuge when their lives are at risk.

In 2018, Australian Quakers remain deeply concerned about the safety, health and welfare of asylum seekers and refugees located on Manus Island. The movement of the refugees from the Australian Government’s Regional Processing Centre to other facilities near Lorengau continues to expose them to the threat of violence from the local community. The Lorengau facilities offer less protection for the refugees than previously, where several detainees were attacked and assaulted by PNG locals. At Lorengau, the detainees are subject to further psychological trauma, living with the constant fear of violent attack or robbery.

We urge the Australian Government to give effect to its obligations under the Refugee Convention. While approximately 80 eligible asylum seekers have so far been resettled in the United States, the Government should take greater steps to speed up this process, and to reconsider the resettlement offer recently renewed by New Zealand. Australia’s response should end the dehumanising and cruel treatment of the Manus Island refugees and asylum seekers. We call for the implementation of humane solutions, informed by compassion.

Friends involvement in refugee action

We have always welcomed refugees to our Meetings and have recently been joined by Quakers from Africa. Several of our Regional Meetings have support programs for refugees and some joined the recent Sanctuary program to provide protection for asylum seekers.

  • The Quaker Shop
    The Quaker Shop in Adelaide raises significant amounts of money each year to assist refugees in Australia and overseas. 
  • Friends Committee on National Legislation
    The Friends Committee on National Legislation is a lobbying organization in the public interest founded in 1943 by members of the Religious Society of Friends. FCNL works for social and economic justice, peace, stewardship of the environment, and good government.
  • Quaker United Nations Office
    The Quaker United Nations Office is a non-governmental organisation representing the Religious Society of Friends at the United Nations. Parent bodies of QUNO are the Friends World Committee for Consultation, American Friends Service Committee and Quaker Peace and Social Witness. FWCC holds consultative status with the United Nations Economic and Social Council, and has offices in Geneva and New York City.