2020/11/09

森田療法 - Wikipedia

森田療法 - Wikipedia

森田療法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動

森田療法(もりたりょうほう)とは、1919年大正8年)に森田正馬により創始された(森田)神経質に対する精神療法。(森田)神経質は神経衰弱[1]神経症[2]不安障害[2]と重なる部分が大きい。また近年はPTSDなどの誰にとっても耐え難い経験から急性ストレス反応に発展し、恐怖心や不安感、強迫観念が心身の症状として現れる際に心身症や不安神経症、うつ病、パニック障害などの疾患に対して適用されることもある[3]

なお森田正馬は薬を使わなかったが、現代ではうつ症状の改善などを図るためを併用することが多い[4][5][6]。自律神経失調症や疲れ切った心と身体のバランス機能を失っている状態において心身健康な状態にまで改善していく必要があり、加えて認知行動療法や心理療法といったカウンセリングや当事者研究も有効である。さらに元来入院が基本だったが、現代では通院が中心になりつつある[7]。そのため心身の状態が重度や治療が長期の人は入院、軽度で短期の人は通院が基本になっている[7]。時代と共に森田療法の在り方や捉え方は変わる。

またそれ以外に自助グループNPO法人 生活の発見会」や会員制掲示板「体験フォーラム」などの利用方法もある[7]。日本国内だけでなく、海外でも中国を中心に活動が展開されている[8]

森田学説[編集]

森田正馬は、病(神経質)=素質(ヒポコンドリー性基調)×機会×病因(精神交互作用)[9][10]と考えた。その後の慈恵医大の治療者は、森田神経質の発症機制=素質(神経質性格)×病因(精神交互作用)×病因(思想の矛盾)[11][12]と表現している。

  • ヒポコンドリー性基調:いたずらに病苦を気にする精神的基調のこと[13]
  • 神経質性格:弱力性(内向性・心配性・過敏症・心気症・受動的[14] )と強力性(完全欲・優越欲求・自尊欲求・健康欲求・支配欲求[14])を合わせ持つ性格[15]
  • 精神交互作用:ある「感覚」に対する「注意」が強くなるとその「感覚」が強くなり、「感覚」が強くなるとさらにまた「注意」が強くなること。注意と感覚の悪循環[16]
  • 思想の矛盾:かくあるべしと思う「思想」とそうではない「事実」が反対になり矛盾すること[17]。理想の自分と現実の自分のギャップ[18]
  • 生の欲望:向上・発展しようとする欲望[19]

あるがまま[編集]

森田療法では「あるがまま」という言葉を使われることが非常に多い。

"あるがまま"という言葉と共に、 「外装が整えば 内装自ずから熟す」という言葉があるがこれは万人に対しては不適切な場合もある。 内装、つまり心も身体も疲れ果て心身のバランスが乱れバラバラになった場合の人たちには外装を整える、見た目や行動のみを整えるという意味合いの場合は自身の中に摩擦が起きる。[内装を整える姿勢が出来て初めて自身の外装がつくられる]

森田正馬は著書で『治療の主眼については、言語ではいろいろと言い表し方もあるけれども、詮じつめれば「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」とかいうことになる[20]。』と述べている。また同じ著書では『ことさらに、そのままになろうとか、心頭滅却しようとかすれば、それはすでにそのままでもなく、心頭滅却でもない[21]。』『当然とも、不当然とも、また思い捨てるとも、捨てぬとも、何とも思わないからである。そのままである。あるがままである[22]。』とも述べている。

さらに晩年は、『理屈を言っても分からないから、ただ働きさえすればよい[23][24]』『暑さでも対人恐怖でも、皆受け入れるとか任せるとかあるがままとかいったら、その一言で苦しくなる[25]。』『強迫観念の本を読んで、「あるがまま」とか、「なりきる」とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、既に「あるがまま」ではない[26]。』などともいっている。

なお森田療法で使われる「あるがまま」という言葉は「治療過程」と「治療目標」の2つの意味で用いられ[27]、一般的な意味とは少し異なり[28]症状受容」と「生の欲望の発揮」の2つの側面があると考えられている[29][27][30]。また森田療法の治療を専門とする北西憲二は「あるがまま」という言葉がさまざまに解釈されたことによって、誤解や偏見が生じたことを指摘している[31]。さらに鈴木知準のように、「あるがまま」という言葉は使わない方が良いと考えている人もいた。また立松一徳のように、とらわれの強い患者に「あるがまま」という言葉を使うのは禁忌で、『不安をあるがままには受けいれられない方が健全』と考える人もいる[32]

治療方法[編集]

入院[編集]

  • 第一期 - 絶対臥褥(がじょく)期:約1週間。患者を個室に隔離し、食事・洗面・排泄など基本的な生活行動以外の活動をさせずにベッドに横たわる。この際に以前から抱き続けてきた不安が強く頭をもたげ、煩悶、葛藤に苦しむが2,3日を経て心身が安静の状態に入り、孤独な状態に置かれようと極限状態には立ち至らないことを悟る。5日くらい過ぎたころには、蓄えられたエネルギーと解放された不安状態と抑えられていた「生の欲望」が一体となり、日常生活に早く復したいという心境に至る[33]
  • 第二期 - 軽作業期:外界に触れさせ軽作業をさせたりする。臥褥期に起こった「生の欲望」をそのまま日常生活における作業に移し替えようとするもので、エネルギーを全部出しきらずに抑制させながらやや欲求不満の状態にしておくのが特徴。そのため、重い作業はさせず、他人との対話も制限し、庭の観察や簡単な身体運動など静かな生活を行う[33]。なおこの時期から主治医との「個人面談」と「日記指導」も行う[34]
  • 第三期 - 作業期:睡眠時間以外はほとんど何かの活動をしているという生活にする。台所仕事、配膳、拭き掃除などを行う。また、スポーツ、数人が集ってのゲームレクリエーション活動などを行う。通常この時期には逃避的欲望と、不安・葛藤があっても積極的に人と接し、生活をよくしたいという向上的欲求と2つの欲望の相克に直面するが、後者の欲望を生かしていけるよう設定することを骨子とする。この時期は1週間以上続き、その間に「生の欲望」を生かして生活することが習慣づけられ、知らぬ間に不安や葛藤が存在しても、以前とは違った健康な日常生活が維持できる態度が形成される[33]。なお現代では適時休憩をとるように指導するところもある。
  • 第四期 - 社会生活準備期:日常生活に戻れるよう社会生活の準備に当てられる。具体的には、病院から学校や会社へ通うなどする[33]

上記の課程を40日[35][36]~3ヶ月[37]程度行う。

通院[編集]

「個人面談」が中心だが「日記指導」を併用することもある[38]。なお入院までの準備期間や退院後のアフターケアとして行われることもある[39]。また並行して「生活の発見会」や「体験フォーラム」を利用することもある[40]

コミュニティ[編集]

  • 生活の発見会 - 森田療法を相互に学習する自助グループ[7]
  • 体験フォーラム - (財)メンタルヘルス岡本記念財団のホームページにあり、不安障害などに悩む人達のコミュニケーションの場[41]

全治と悟り[編集]

森田正馬は神経質が「全治」した状態に対して「悟り」という言葉を用いており、その体験者として釈迦や白隠の名前を挙げている[42]

また鈴木知準は神経質の「全治」と禅の「悟り」は同じ心理状態と考えており[43]、宇佐玄雄は近い状態と考えていた[44]。ただし森田正馬自身は神経質の「全治」と禅の「悟り」は全く違うと述べている[45]。さらに宇佐晋一のように、神経質の「全治」は不安がありながらも働いている姿で瞬間、瞬間にしかなく[46]、あるがままを「悟り」[47]と考える人もいる。

なお北西憲二のように、神経質の「全治」と「悟り」は無関係と考える人もいる[48]。また大原健士郎のように、神経質の「全治」と仏教の「悟り」は似て非なるものであり、治療者は森田療法を体験すると「悟り」を得られるなどという、おごった気持ちになるべきでないと考える人もいた[49]

治療結果[編集]

「全治」に到るまでの期間は数十日[35][36]から数年と個人差がある。なお治療結果で「全治」や「軽快」の率がかなり高い[50][51]が、「全治」や「軽快」の定義がさまざま[52][53][54][51]であるため注意が必要。また「治療結果がどのような方法で得られたものであるか」にも注意が必要[55][56]。なお森田正馬は薬を使わなかったが、現代では薬を併用することが多い[4][5][6]。しかし治療結果が「森田療法単独」のものか「森田療法+薬物療法」のものかを明記していないものがあるので注意が必要。

くさみ[編集]

森田療法で治った人の中には少数ではあるが、治ったことを自慢する一部の者の存在が指摘されている。このような「くさみ」のある治癒者は、森田療法特有の現象ではないかと考えられている。

ただし、現在も悩んでいる神経症者に対して、自身の治癒体験を開陳して活かし、予後の人生の生き方としても学び合う真摯な姿勢で、役立てようと行動的な人物やピア・サポーターもおり、医師たちとの連携を図る例も見られる。[57]

その他[編集]

森田正馬は自身の療法を「神経質療法」「神経質の特殊療法」「自覚療法」「自然療法」「体験療法」「体得療法」[58]「訓練療法」「鍛錬療法」[59]などと呼んでいた。また森田正馬は「神経質」を「病[10]」「病的気質[60]や変質者[61](現在のパーソナリティ障害)」「病ではない[62][1]」などと表現していた。さらに森田正馬は「治療」と言わず「修養」「教育」「訓練」「しつけ」などの言葉をよく使っていた[63]

なお森田正馬は患者に対して、医者には「治らない」とは言い難いから、「大分良くなった」と言えばいいと述べており、「少しも良くならない」と言う患者は、愛想をつかされると述べている[64]。また森田正馬の側近患者であった井上氏や山野井氏は、森田正馬の前では「治らない」と言い難かったと述べており[65]、山野井氏は「治らない」と森田正馬に言って、よく叱られたと述べている[66]

なお岩田真理は森田正馬が使う言葉の多義性や曖昧さを指摘しており、例として「ものそのものになる」「恐怖突入」「あるがまま」「自然服従」という言葉が同じ意味で使われている場合があると述べている[67]。また「なすべきをなす」ことがかえって悩みを深くする可能性を指摘しており、この言葉は恐怖で動けない人がそのまま実生活に取り組むための言葉であり、教条的でどんな状況でもやるべきことをやらなければならない、という押しつけの意味ではないと述べている[68]

なお立松一徳は「目的本位に」「なすべきことをなせ」「恐怖突入」という言葉を治療中に使うことは禁忌で、これらの言葉が患者の治療抵抗を強化したり副作用の原因になる可能性を指摘している[32]。また以前日本森田療法学会には、神経症を克服した体験を持つ者しか治療を理解できない、などのやや狂信的な考えを持つ者によって議論が困難になる場合あり、このような学会内の神経症的態度を克服できず自閉的な体質があったと指摘している。しかし最近はさまざまな分野の若い専門家の参加により、学会の雰囲気はかなり変化していると述べている[69]

また森田療法では患者が治らなかった時、原因が患者側にあると考える場合があり、田代信維のように森田療法で治らなかった場合は、明らかに患者の理解と実行の不完全さが原因と考える専門家もいる[70]。なお治療効果を得るには患者自身の「治したい」という意思が重要であり、このような心構えがないと治療の過程で脱落しやすい。他の療法と比べると厳しく感じられたり、「生き方」や「人生観」に関わってくる[71][72][73]治療法であるため、一部の患者には敬遠される場合もある。

脚注・出典[編集]

  1. a b 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 神経質とはどんなものか?
  2. a b 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 森田療法とは?
  3. ^ 中村敬「森田療法の適用拡大と技法の修正」『臨床精神医学』第32巻第10号、2003年、 1153-1159頁、 NAID 50000325675
  4. a b 『こころの臨床アラカルト1995年3月』森田療法と薬物療法(中山和彦,臼井樹子)P.24-28
  5. a b 『新時代の森田療法』(慈恵医大森田療法センター編,2007)P.56
  6. a b 『新版森田療法入門』(田代信維,2005)P.154
  7. a b c d 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 森田療法の治療方法
  8. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 海外活動
  9. ^ 『臨床精神医学 第38巻 第3号』森田療法理論による疾病と診断の考え方(森温理,2009)P.289
  10. a b 『森田正馬全集 第3巻』(高良武久ほか編,1974)P.45-48
  11. ^ 『臨床精神医学 第38巻 第3号』森田療法理論による疾病と診断の考え方(森温理,2009)P.291
  12. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 神経症を発症する背景
  13. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.22
  14. a b 弱力性と強力性の5項目中それぞれ1項目以上を満たす時
  15. ^ 『臨床精神医学 第38巻 第3号』森田療法理論による疾病と診断の考え方(森温理,2009)P.293
  16. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 精神交互作用とは
  17. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.113
  18. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 思想の矛盾
  19. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 生の欲望
  20. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.34
  21. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.194
  22. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.124
  23. ^ 『自覚と悟りへの道』(森田正馬著,水谷啓二編,白揚社,1959/1997)P.111
  24. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.35
  25. ^ 『対人恐怖の治し方』(森田正馬著,高良武久編,白揚社,1935/1998)P.187
  26. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.710
  27. a b 『森田療法の研究』Ⅳ森田療法における治療論(北西憲二,1989)P.169,170
  28. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 あるがまま(自然服従)とは
  29. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 森田療法の基本概念
  30. ^ 『心理療法プリマーズ森田療法』2森田療法の基本理論(北西憲二,2005)P.37-39
  31. ^ 『森田療法の研究』Ⅳ森田療法における治療論(北西憲二,1989)P.168
  32. a b 『心理療法プリマーズ森田療法』(北西憲二,中村敬編,2005)P.121,122
  33. a b c d 岩井寛『森田療法』(講談社現代新書、1986年8月20日発刊)
  34. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 2.第2期(軽作業期)
  35. a b 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.36,37
  36. a b 『臨床精神医学 第38巻 第3号』森田療法の実際:入院治療の方法・技術(宇佐晋一,2009)P.277,278
  37. ^ 『東京慈恵会医科大学 森田療法センター』 【入院治療が基本です】
  38. ^ 『心理療法プリマーズ森田療法』7外来治療(立松一徳,2005)P.99
  39. ^ 『新時代の森田療法』(慈恵医大森田療法センター編,白揚社,2007)P.53
  40. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 2.自助グループや体験フォーラムの活用
  41. ^ 『神経症(不安障害)と森田療法 (財)メンタルヘルス岡本記念財団』 体験フォーラム(会員制掲示板)
  42. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.165,166
  43. ^ 『神経症はこんな風に全治する』(鈴木知準,1986)P.57,58
  44. ^ 『とらわれからの解脱』(宇佐晋一,木下勇作,1991)P.19,20
  45. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.170
  46. ^ 『とらわれからの解脱』(宇佐晋一,木下勇作,1991)P.234
  47. ^ 『とらわれからの解脱』(宇佐晋一,木下勇作,1991)P.70
  48. ^ 『臨床精神医学 第38巻 第3号』創始90周年を迎えた森田療法(北西憲二,2009)P.295
  49. ^ 『日々是好日』(大原健士郎,2003)P.114,116
  50. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.300-309
  51. a b 『異常心理学講座 第三巻 心理療法』(五)森田療法(新福尚武,1968)P.218
  52. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.64,65,310
  53. ^ 『自覚と悟りへの道』(森田正馬著,水谷啓二編,白揚社,1959/1997) P.172
  54. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.97,183,448,590,636,695
  55. ^ 『看護ネット 聖路加看護大学』 「エビデンス」があるとはどういうことか?
  56. ^ 『看護ネット 聖路加看護大学』 誤ったエビデンス
  57. ^ 『大原健士郎選集①神経質性格、その正常と異常』(2007)P.157-160
  58. ^ 『森田正馬全集 第2巻』(高良武久ほか編,1974)P.445
  59. ^ 『大原健士郎選集①神経質性格、その正常と異常』(2007)P.43
  60. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.39,40
  61. ^ 『森田正馬全集 第3巻』(高良武久ほか編,1974)P.424,425
  62. ^ 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,1926/1995)P.21,81
  63. ^ 『大原健士郎選集①神経質性格、その正常と異常』(2007)P.44
  64. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.766
  65. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.590
  66. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)P.636
  67. ^ 『流れと動きの森田療法』(岩田真理,2012)P.81,82
  68. ^ 『流れと動きの森田療法』(岩田真理,2012)P.232,233
  69. ^ 『精神療法 第36巻第3号』 森田療法家の訓練(立松一徳,2010)P.40,41
  70. ^ 『新版森田療法入門』(田代信維,2005)P.51
  71. ^ 『自覚と悟りへの道』(森田正馬著,水谷啓二編,白揚社,1959/1997)
  72. ^ 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)
  73. ^ 『新時代の森田療法』(慈恵医大森田療法センター編,白揚社,2007)P.106

参考文献[編集]

  • 『神経衰弱と強迫観念の根治法』(森田正馬,白揚社,1926/1995)
  • 『自覚と悟りへの道』(森田正馬著,水谷啓二編,白揚社,1959/1997)
  • 『森田正馬全集 第5巻』(高良武久ほか編,1975)
  • 『森田療法』(岩井寛,講談社現代新書,1986)
  • 『新時代の森田療法』(慈恵医大森田療法センター編,白揚社,2007)
  • 『新版森田療法入門』(田代信維,創元社,2005)
  • 『とらわれからの解脱』(宇佐晋一,木下勇作,白樹社,1991)
  • 『神経症はこんな風に全治する』(鈴木知準,誠信書房,1986)
  • 森温理「森田療法理論による疾病と診断の考え方 (特集 森田療法の発展と課題)」『臨床精神医学』第38巻第3号、アークメディア、2009年3月、 289-296頁、 ISSN 0300032X、 NAID 40016553684
  • 森田正馬「神経衰弱及強迫観念の根治法」『森田正馬全集』第2巻、白揚社、1974年、 149頁、 NAID 10017225386
  • 北西憲二編著『心理療法プリマーズ 森田療法』、ミネルバ書房、2005年、 NAID 10029728925
  • 立松一徳『心理療法プリマーズ, 森田療法』、ミネルヴァ書房、2005年、 99-126頁、 NAID 10029729254

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

仏教心理学 - Wikipedia

仏教心理学 - Wikipedia:
仏教心理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ナビゲーションに移動検索に移動



この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年2月)

心理学


概要


仏教心理学(ぶっきょうしんりがく、英:Buddhist Psychology)は、仏教の教義を西洋心理学の立場から解釈、或いは心理療法に、仏教における心の捉え方を活用させる学問分野。応用仏教学の1つ。


目次
1経緯
1.1鈴木大拙以後
1.2日本の状況
1.3仏教関係心理療法
2脚注
3関係文献
3.1関係雑誌
3.2関係博士論文
4参考文献
5関連項目
6外部リンク
経緯[編集]

そもそも仏教はを観察(心念処)し、集中した平安な状態(禅定)を継続させることを目的の1つとする。

釈尊滅後は、アビダルマとして、解釈が為され高度体系化し、大乗仏教でも唯識として体系化された。

また、中国で発達した禅は、己の心を見つめることに専心し、士大夫や日本の武士階級を中心に実践された。

近代になると、井上円了哲学館(現、東洋大学)で仏教心理学を講義したほか、森田正馬森田療法を、吉本伊信浄土真宗身調べを基に内観療法を創始した。
鈴木大拙以後[編集]

20世紀初頭、釈宗演鈴木大拙が欧米でを紹介。知識人を中心に反響を得、行き詰まりを感じていた心理療法界に東洋思想を導入する動きが見られるようになった。

カール・グスタフ・ユングは鈴木の著作に序文を寄せ、フロイト派のエーリヒ・フロムは、鈴木と共に国際会議を開いて1959年に『禅と精神分析』を刊行、その翌年にアラン・ワッツが『心理療法東と西』を刊行し、当領域の基礎的著作として位置づけられた。

同時に、鈴木俊隆らによる禅の布教、ベトナム僧の亡命、チベット僧の亡命、ケネディ東南アジアに派遣した平和部隊の隊員が現地で身に付けたヴィパッサナー瞑想など、これら様々な仏教瞑想が伝わり、心理療法への応用が試みられた。

1977年には、アメリカ精神医学協会が、瞑想の精神医学的治療の代用の可能性を認め、1979年には、韓国の禅僧に師事したジョン・カバット・ジンがヴィパッサナー瞑想とハタ・ヨーガを組み合わせたマインドフルネスストレス低減法の治療センターを、マサチューセッツ医学大学院に設置、後にマインドフルネス認知療法として発展した。
日本の状況[編集]

日本では、これらの動きに呼応し、仏教教義を心理学として捉え直す活動が起き、1962年には大谷大学佐々木現順がアビダルマを対象に、初めて「仏教心理学」で博士論文を執筆、河合隼雄曹洞宗寺院の出身である秋山さと子がユングと禅の関係について日本に紹介、龍谷大学教授の西光義敞真宗カウンセリングを創始したほか、坐禅や瞑想が脳や身体にもたらす影響についての医学面から見た実験が盛んに行われた[1][2]

その後、ヴィパッサナーサマタの瞑想を行う上座部仏教チベット仏教の瞑想指導者が日本国内でも、布教を始めたことにより、これら南方上座部瞑想に親しむグループが誕生し、日本でも瞑想を受け入れる余地が出来つつあった。

しかし、1995年に起こった一連のオウム真理教事件により、宗教全般がタブーとなり、これらの瞑想ブームは下火になった。

その後、徐々に宗教忌避感が薄れ、1998年には『季刊仏教』で仏教心理学が特集され、2006年には、高野山大学スピリチュアルケア学科が、2008年には、日本仏教心理学会が創設、2013年にはマインドフルネス学会が創設された。
仏教関係心理療法[編集]
内観療法
森田療法
真宗カウンセリング
マインドフルネスストレス低減法
マインドフルネス認知療法
アクセプタンス&コミットメント・セラピー
脚注[編集]

^ 1961年、文部省「禅の医学的心理学的研究」(佐久間鼎代表)
^ 1969年、文部省「禅の心理学的医学的研究」(秋重義治代表)
関係文献[編集]
『仏教心理学講義』(井上円了著、哲学館、1898年[1]
『禅と精神分析』(鈴木大拙・エーリッヒ・フロム・リチャード・デマルティーノの共著、小堀宗柏ほか訳、東京創元社、1960年)
『心理療法 東と西 - 道の遊び』(アラン・ワッツ著、滝野功訳、誠信書房1985年
『生命力がよみがえる瞑想健康法 - “こころ"と“からだ"のリフレッシュ』(ジョン・カバット・ジン著、春木豊訳、実務教育出版、1993年)→『マインドフルネスストレス低減法』(北大路書房、2007年)
『心理療法としての仏教 -禅・瞑想・仏教への心理学的アプローチ』(安藤治著、法蔵館、2003年)
『マインドフルネス・瞑想・坐禅の脳科学と精神療法』(貝谷久宣熊野宏昭編、新興医学出版社、2007年)
『仏教心理学キーワード事典』(井上ウィマラ葛西賢太加藤博己共編、春秋社、2012年)
関係雑誌[編集]
『季刊 仏教』45号「特集:仏教心理学」(法藏館、1998年)
『日本仏教心理学会誌』1号-(日本仏教心理学会、2010年)
関係博士論文[編集]
『仏教心理学の研究』(佐々木現順著、大谷大学、1962年)
『精神統御に対する調息の効果についての心理学的研究』(安東末廣著、駒澤大学、1978年)
『カウンセリングにおける禅心理学的研究-韓国人の心理学的構造の見地から-』(李光濬著、駒澤大学、1991年)
『禅瞑想の生理心理学的考察』(谷口泰富著、駒澤大学、1996年)
『禅暝想と時間体験に関する心理学的研究』(茅原正、駒澤大学、1998年)
参考文献[編集]
『心理療法としての仏教 -禅・瞑想・仏教への心理学的アプローチ』(安藤治著、法蔵館、2003年)
『ZEN心理療法』(安藤治著、駿河台出版社、2005年)
『自己牢獄を超えて - 仏教心理学入門』(キャロライン・ブレイジャー著、コスモス・ライブラリー、2006年)
「マインドフルネス心理療法と仏教心理学」(菅村玄二著、『マインドフルネス認知療法』、北大路書房、2007年)
関連項目[編集]
自律訓練法
トランスパーソナル心理学
健康心理学
マインドフルネス
外部リンク[編集]
日本仏教心理学会
真宗カウンセリング研究会

[表示]




仏教


カテゴリ:
仏教学
心理学の分野
マインドフルネス
宗教の心理学

알라딘: 깨달음의 재발견 - 불교 사상의 제로포인트 우오가와 유지 (지은이),이광준 (옮긴이)

알라딘: 깨달음의 재발견

깨달음의 재발견 - 불교 사상의 제로포인트   
우오가와 유지 (지은이),이광준 (옮긴이)조계종출판사2017-03-27



깨달음의 재발견









 미리보기
정가
15,000원
판매가
13,500원 (10%, 1,500원 할인)
마일리지
750원(5%) + 멤버십(3~1%)
+ 5만원이상 구매시 2,000원
세액절감액
610원 (도서구입비 소득공제 대상 및 조건 충족 시) 
배송료
무료 
수령예상일
지금 택배로 주문하면 내일 수령 
최근 1주 92.3%(중구 중림동 기준) 지역변경
Sales Point : 431 
 8.0 100자평(1)리뷰(0)
이 책 어때요?
카드/간편결제 할인무이자 할부
수량
1
 
장바구니 담기
바로구매
선물하기
보관함 +
전자책 출간알림 신청중고 등록알림 신청중고로 팔기 


기본정보
288쪽140*200mm374gISBN : 9791155800867
주제 분류 
신간알림 신청
국내도서 > 종교/역학 > 불교 > 불교명상/수행
이벤트

2020 올해의 책! 투표에 참여해주시는 분께 적립금 1천원!

11월 특별선물! 레트로 달력, 피너츠 일력(이벤트 도서 포함, 국내서.외서 5만원 이상)

이 시간, 알라딘 굿즈 총집합!
책소개깨달음의 정의와 깨달음에 도달했을 때의 상태를 일반인의 눈높이에서 하나하나 설명한다. 특히 깨달음을 설명하기 위해 무상, 고, 무아라는 테마에서 시작해 연기까지 이어지는 저자의 설명은 이의가 있을 수 없어 보인다. 그 명징한 설명으로 이 책은 일본 불교학계에서 일가를 이뤘다는 수많은 학자들로부터 추천사를 받기도 했다.
목차
제1장
절대로 얼버무려서는 안 되는 것
: 불교의 ‘방향’

불교는 ‘올바르게 사는 길’?
밭을 가는 바라드바자
노동(production)의 부정
마간디야의 딸
생식(生殖, reproduction)의 부정
흐름에 거스르는 것
재가자(在家者)에 대한 가르침의 성질
절대로 얼버무려서는 안 되는 것
이 책의 입장과 목적
다음 장으로의 이행

제2장
불교의 기본 구조
: 연기(緣起)와 사제(四諦)

‘전미개오(轉迷開悟)’의 한 가지 의미
유루(有漏)와 무루(無漏)
맹목적인 버릇을 멈추게 하는 것이 ‘깨달음’
의지해서 생기는 것
기본적인 큰 줄기
고(苦)와 무상(無常)
무아(無我)
가면(假面)의 예속(?屬)
혹업고(惑業苦)
사제(四諦)
불설(佛說)의 매력
다음 장으로의 이행

제3장
‘탈선악(脫善惡)’의 윤리
: 불교에서의 선과 악

명상으로 인격이 좋아지지는 않는다?
선(善)도 악(惡)도 버리기
명상은 도움이 되지 않는다
십선십악(十善十惡)
선인낙과(善因樂果) 악인고과(惡因苦果)
소박한 공리주의(公利主義)
유루선(有漏善)과 무루선(無漏善)
사회와 대립하지 않기 위한 ‘율(律)’
‘탈선악(脫善惡)’의 윤리
다음 장으로의 이행

제4장
‘있다’고도 ‘없다’고도 말하지 않고
: ‘무아(無我)’와 윤회

‘무아(無我)’라고 말은 하지만
‘무아(無我)’의 ‘아(我)’는 ‘상일주재(常一主宰)’
단견(斷見)도 아니고 상견(常見)도 아니고
붓다의 ‘무기(無記)’
‘엄격한 무아(無我)’도 ‘비아(非我)’도 아니다
무상의 경험아(經驗我)는 부정되지 않는다
무아(無我)이기 때문에 윤회한다
‘무엇’이 윤회하는 것인가
현상의 계기(繼起)가 윤회이다
붓다는 윤회를 설하셨다
윤회는 불교 사상의 암이 아니다
‘무아(無我)’와 ‘자유(自由)’
다음 장으로의 이행

제5장
‘세계’의 끝장
: 현법열반(現法涅槃)과 그곳으로 가는 길(道)

아집이 형이상학적인 인식으로 이어진다?
‘세계’란 무엇인가
오온(五蘊), 십이처(十二處), 십팔계(十八界)
‘세계’의 끝장이 고(苦)의 끝장
집착에 의한 고(苦)와 ‘세계’의 형성
희론적멸(戱論寂滅)
나[我]가 ‘세계’상(像)의 초점이 된다
왜 ‘무기(無記)’였던 것인가
염리(厭離)하고 이탐(離貪)하여 해탈하다
마음챙김(sati)의 실천
현법열반(現法涅槃)
다음 장으로의 이행

제6장
불교사상의 제로포인트
: 해탈.열반이란 무엇인가

열반이란 결정적인 것
이르는 길은 어렵지 않다(至道無難)
지혜는 사고(思考)의 결과가 아니다
직각지(直覺知)
불생(不生)이 열반이다
세간과 열반은 다른 것
적멸위락(寂滅爲樂)
불교의 실제
‘실제로 증명되는 것’
불교사상의 제로포인트
다음 장으로의 이행

제7장
지혜와 자비
: 왜 죽지 않았던 것인가

성인(聖人)은 어질지 않다
자비와 친절
범천권청(梵天勸請)
의미와 무의미
‘유희’
이타행은 선택하는 것
다양성을 생각한 인간
불교의 본질
다음 장으로의 이행

제8장
‘본래성(本來性)’과 ‘현실성(現實性)’
사이에서
: 그 후의 이야기

하나의 참고 의견
‘대승’의 기묘함
‘본래성’과 ‘현실성’
무엇이 ‘본래성’인가
중국선(中國禪)의 경우
미얀마불교와 태국불교
‘불교로 산다’는 것

마치면서
후기
미주

접기
책속에서
P. 41 오늘날의 테라와다 불교에서도 수행자가 아라한이 되면 설사 그 사람이 재가자였다 하더라도 그 후의 인생은 죽거나 출가하는 것 이외에는 다른 선택의 여지가 없다고 한다. 그 안에 담긴 사정도 위의 이야기와 같다.
고따마 붓다의 불교는 그와 같은 성질을 가지고 있었기 때문에 종종 ‘염세주의’라거나 ‘허무주의’ 혹은 ‘생(生)의 부정’이라고 평가되어 왔다.
뒤에 가서 이야기하겠지만 나는 고따마 붓다의 불교가 ‘생’ 그 자체를 철두철미하게 부정하였다고 단언할 수는 없다고 본다. 그러나 그 가르침에는 ‘범부(깨닫지 못한 중생)가 생(生)의 내용이라 생각하는 것들’을 적어도 일단은 부정하고, ‘해탈’로 나아가게 하려는 의도가 확실히 있었다. 그러므로 고따마 붓다의 불교는 평범한 현대인들이 생각하듯 ‘인간으로서 바르게 살아가는 길’을 설한 것이 아니라, 오히려 그와 같은 관념의 전제로 되어 있는 ‘인간’이나 ‘올바르다’라고 하는 이야깃거리[物語]들을 부셔 버리는 작용을 하는 것이다.  접기
P. 88 불교의 본질은 ‘탈선악’이지, ‘반선악’이 아니라는 점이 불교 윤리관을 이해하는 데 있어서 매우 중요한 포인트다. 선악을 부정하는(이 또한 구애받음의 일종이다) 것이 아니라, 거기에서 초탈 (超脫)한 경지를 지향하는 이상 수행자가 일상의(즉 ‘세간(世間)’의 범위 내에서의) 행동에서 선을 행하는 것을 부정할 이유는 없다. 하지만 ‘자업자득’이라고 하는 불교의 세계관에 따라 보면 악한 행위는 수행자에게 고통의 결과를 뒤따르게 하므로 고통으로부터의 해탈을 구하는 불교인이라면 악한 행위를 피할 이유는 있다.  접기
P. 121~122 “무엇이 윤회하는 것인가?”라는 문제는 불교의 문맥에서 보면 애초부터 분류 오류(category error)인 문제이다. 존재하고 있는 것은 업에 의한 현상의 계기(繼起)뿐이고 그 과정, 프로세스가 ‘윤회’(돌아 흐르는 것)라고 불리고 있는 것이지, 거기에 ‘주체’라고 말할 수 있는 고정적인 실체는 내포되어 있지 않기 때문이다.
따라서 ‘윤회’라고 하면 우리들은 일반적으로 어떤 ‘사람’이 죽어서 다른 존재로서 다시 태어나는 ‘전생(轉生)’이라는 이야깃거리만을 생각하기 쉽지만, 실제로 윤회라는 건 전생의 순간에만 일어나는 것이 아니라, 지금 이 순간의 당신에게도 (불교의 입장에서 보면) 현상의 계기(繼起)라는 프로세스로 계속해서 생기(生起)한다. 전생이라고 하는 말은 이를 알기 쉽게 표현한 것에 지나지 않는다.  접기
저자 및 역자소개
우오가와 유지 (魚川祐司) (지은이) 
저자파일
 
최고의 작품 투표
 
신간알림 신청
1979년 출생. 도쿄대학교 문학부에서 서양철학을 전공했고 같은 대학에서 인도철학?불교학을 전공으로 박사과정을 마쳤다. 2009년 미얀마로 건너가 현재까지 테라와다 불교의 교리를 배우고 수행하면서 불교, 가치, 자유 등을 주제로 한 연구를 진행하고 있다.
2015년 첫 선을 보인 이 책(원제 『불교 사상의 제로포인트』)은 일본에서 깨달음에 대한 격렬한 논쟁을 촉발시키며 단숨에 베스트셀러에 올랐다.
최근작 : <깨달음의 재발견>
이광준 (옮긴이) 
저자파일
 
최고의 작품 투표
 
신간알림 신청
심리학 박사. 동국대학교를 졸업하고, 고려대학교 석사를 거쳐 일본 고마자와대학(駒澤大學)에서 박사학위를 취득했으며, 카운슬링, 치료심리학, 선심리학 등을 전공했다. 백상창신경정신과 임상심리실장, 한림성심대학 교수, 일본 고마자와대학(駒澤大學) 심리학연구실 연구원, 일본 국제일본문화연구센터(?際日本文化硏究センタ?) 국제선학연구소 연구원, 일본 류코쿠대학(龍谷大學) 비상근 강사 등을 역임했다. 현재 동서심리학연구소 소장, 일본 류코쿠대학(龍谷大學) 세계불교문화연구센터 객원연구원으로 있으면서 불교심리학과 태아학 연구에 전념하고 있다. 저... 더보기
최근작 : <붓다의 법담학 연구>,<정토불교의 참회사상>,<법화사상사> … 총 11종 (모두보기)
출판사 소개
조계종출판사 
출판사 페이지
  
신간알림 신청

최근작 : <북한불교 백서>,<발길닿는 그곳에서 부처님을 친견하리>,<몽유록 夢遊錄>등 총 163종
대표분야 : 불교 6위 (브랜드 지수 100,174점) 
출판사 제공 책소개


불교를 수행하는 목적, ‘착하게 사는 길?’

‘행복에 이르는 길’, ‘인간으로서 바르게 사는 길’ …
명상을 비롯해 불교 수행을 하는 이들의 목표를 물으면 자주 듣게 되는 이야기다.
하지만 적어도 불교의 개조(開祖)인 고따마 붓다에게는 그런 게 아니었다. 붓다 그리고 그의 제자들의 수행 목적은 ‘해탈(解脫)’이며 또 그것을 달성한 경지인 ‘열반(涅槃)’이었다. 통상 ‘깨달음’이라고 표현한다.
하지만 최근 들어와서 유달리 명상의 ‘효과’들이 강조되면서 불교 수행의 목적이 무엇인지 그것을 달성하면 어떻게 되는지에 대한 담론은 먼 나라 이야기다. 심지어 ‘과학적’이고 ‘합리적’이라는 이유로 불교는 자기계발이나 처세에 동원되기도 한다. 나름의 이유는 있겠지만 본래 목적인 깨달음이라는 목표와는 궤를 달리한다.
그러나 저자가 말하듯 애당초 ‘과학성’과 ‘합리성’을 바란다면 불교 관련 책보다는 자연과학 관련 책을 읽으면 되고, ‘처세술’을 알고 싶다면 2,500년 전의 인도인이 현대인의 상황에 딱 맞게 말하는 자기계발서를 읽는 게 훨씬 참고가 될 것이다. 속세의 처세가 불교의 문제였다면 수천 년의 시간과 수천 킬로미터의 거리를 넘어서 우리에게까지 전해져 왔을 리가 없으며, 과학성과 합리성이 불교의 특장(特長)이라고 한다면 그 점에 관해서는 근대과학 쪽이 훨씬 뛰어나기 때문에 구태여 불교를 배워야 할 필요는 없다.
그래서 이 책의 저자는 다시 질문한다. 불교 사상의 제로포인트인 ‘깨달음’이란 도대체 무엇인가? 그리고 해탈- 열반을 증득하게 된다면 어떻게 된다는 것인가?


깨달음이란 무엇인가? - 맹목적인 버릇을 멈추는 것

사실 해탈-열반의 경지가 애매한 형태로밖에 묘사되지 못하는 이유는 그 경지가 언어를 넘어선 그 이상의 것이라고 하기 때문이다. 그러나 해탈-열반 그 자체에 대해서 언어로 완전하게 묘사하는 것은 불가능하다고 하더라도 그 성질이나 그 경지를 달성한 결과에 대해서는 조금 더 자세한 해명이 이루어져도 좋지 않겠는가, 라고 저자는 반문한다. 또한 언어로는 충분히 묘사하기가 불가능하다 하더라도 그 경험이 실천자에게 어떠한 영향을 미치고, 그 결과로서 그들이 어떻게 변화하는가에 대해서는 이야기할 수 있다. 저자는 빨리어 경전과 아함경전 등 비교적 초기에 쓰였다고 전해지는 경전들에서 그 깨달음의 전제와 과정 그리고 그 경지에 대한 단초들을 찾아내고 또 현대 실천자들의 증언으로부터 유추해 그 대강을 찾아간다.
그렇다면 저자가 말하는 깨달음이란 무엇일까? 저자는 한마디로 “중생이 자신의 버릇 때문에 맹목적으로 계속하는 행위를 끊는 것이다.”라고 정의한다. 불교에서는 전통적으로 마음에 번뇌가 있어서 더렵혀진 상태를 ‘유루(有漏)’라고 불러왔는데 이런 루의 영향 아래 있는 중생의 행동 양식을 다른 말로 바꾸면 ‘나쁜 버릇’이라고 할 수 있다. 이는 습관적이고 맹목적인 행위로서 ‘이건 나쁜 짓이다. 무의미한 일이다’라고 머리로는 알고 있어도 정신이 들면 어느새 또 저지르고 마는 행위이다. 불교에서 ‘수행’이 필요하다고 하는 이유 중 하나가 바로 이것이다. 머리로는 제대로 이치를 깨달았다고 해도 습관적인 행위를 끊을 수가 없는 한 달성되었다고 말할 수 없는 게 ‘깨달음’이라는 것의 성질이라고 저자는 말한다.
‘깨달음’을 지향한다는 것을 현상의 측면에서 구체적으로 말하자면, 그 맹목적이고 습관적인 행위, 즉 버릇(漏와 비슷한 것, 번뇌)을 영원히 정지시키는 것이다. 그러므로 간단히 설명하면 ‘중생이 버릇에 의해서 맹목적으로 행위를 계속하는 상태’가 ‘미혹[迷]’이고, ‘이것이 끊어진 상태’가 ‘깨달음’이다. 특히 남방불교에서 강조하고, 최근 대승의 승려들도 채용해서 흔히 사용하는 ‘마음챙김(sati)’이 이를 위한 실천이다.


왜 일본에서는 이 책 때문에 뜨거운 논쟁이 벌어졌나?

이 책은 깨달음의 정의와 깨달음에 도달했을 때의 상태를 일반인의 눈높이에서 하나하나 설명한다. 특히 깨달음을 설명하기 위해 무상, 고, 무아라는 테마에서 시작해 연기까지 이어지는 저자의 설명은 이의가 있을 수 없어 보인다. 그 명징한 설명으로 이 책은 일본 불교학계에서 일가를 이뤘다는 수많은 학자들로부터 추천사를 받기도 했다. 하지만 깨달음에 대해 다양한 견지를 갖고 있는 일본 학계는 들썩였다. 심지어 논쟁은 물론 이 책을 비판하는 단행본까지 쏟아졌다. 저자가 던진 도발적인 질문 혹은 신선한 논쟁 중에 수행자와 학계가 가장 불편해 했던 것은 다음과 같은 대목이다.
△ 붓다는 깨달은 다음에 왜 죽지 않았나?
이 도발적인 질문을 던진 후 저자는 “진리를 체득한 다음에 하는 모든 ‘행위’는 순수한 ‘유희’임을 고려”해야 한다며 붓다의 이타행은 ‘선택된 것’이라고 주장했다.(제7장 「지혜와 자비」 부분)
△ 붓다는 인간으로서 바르게 사는 길을 설한 게 아니다.
저자는 붓다의 말씀은 오히려 사회 유지에 없어서는 안 될 노동과 생식을 부정하고, 애초부터 그 전제가 되는 ‘인간’이라든가 ‘올바르다’든가 하는 이야기들을 파괴하는 작용을 한다고 봤다. 그래서 불교는 반선악(反善惡)이 아니라 탈선악(脫善惡)이라는 주장이다.(제3장 「‘탈선악’의 윤리」)
반면 불교를 말하면서 아직도 윤회를 부정하는 사람들에 대한 통렬한 비판과 논증(127쪽 이하 내용), 무아이기 때문에 윤회한다(115쪽 이하 내용)는 논지와 증명은 불교를 더 불교답게 했다는 높은 평가를 일본 최고의 불교학자들로부터 받기도 했다. 물론 아직도 윤회를 부정하는 일부 학자들과 윤회의 주체가 없을 수 없다는 견해를 가진 사람들에게는 또 하나의 비판거리가 되기도 했다.


절대로 얼버무려서는 안 되는 것

저자는 현재 일본 불교학계에서 가장 주목받는 ‘젊은 피’다. 아직 마흔도 안 된 젊은 나이라는 것 외에도 학계와 수행자 사이에 여전히 만연한 윤회 부정과 윤회의 주체를 설정하는 문제에 대해 과감하게 비판한다. 이런 비판에는 일본 불교학계의 거장인 나카무라 하지메(비아설)나 와츠지 테츠로(윤회와 불교 세계관의 분리) 등도 포함되어 있다.
저자는 이런 거장들의 불교 논지 전개가 경전에서 자신이 필요한 부분만 솎아 내거나 때론 ‘절대로 얼버무리지 말아야 할 것’에 대해 애써 무시하는 태도라도 통렬하게 비판한다. 여기서 더 나아가 ‘명상으로 인격이 좋아지지 않는다’거나 ‘불교는 착하게 살기 위한 가르침이 아니다’, ‘붓다가 깨달은 후 바로 열반에 들지 않고 법을 설했던 것은 유희다’라는 등의 도발적인 주장과 논지가 합쳐져 그 ‘젊은 피’는 논쟁의 한가운데 서고 말았다.
하지만 ‘깨달음’이라는 불교의 애초 목적을 찾아가는 그의 진지한 여정은 어쩌면 ‘(나의 가르침은) 흐름을 거스르는 것’이라고 얘기했던 붓다의 태도와 일맥상통하는 바가 없지 않다. 접기
북플 bookple
이 책의 마니아가 남긴 글
친구가 남긴 글
내가 남긴 글
친구가 남긴 글이 아직 없습니다.
마니아 읽고 싶어요 (2) 읽고 있어요 (0) 읽었어요 (3) 
이 책 어때요?
구매자
분포
0% 10대 0%
2.2% 20대 3.2%
5.9% 30대 4.8%
8.1% 40대 22.6%
7.5% 50대 27.4%
1.1% 60대 17.2%
여성 남성
100자평
    
 
등록
카테고리
스포일러 포함 글 작성 유의사항 
구매자 (1)
전체 (1)
공감순 
     
해탈과 열반을 이해하는데는 많은 도움을 주나, 저자가 교리적으로 인정하는 무아윤회에서는 주체성이 없는 이유에 대한 납득할만 한 세밀한 언급이 없어 많이 아쉽다.. 다음 저작에서는 그러한 부분을 자세히 꼭 다뤄줬으면 좋겠다. 논리적인 추리가 돋보이는 연구서 같은 불교책이라 신선했다.  구매
케이팩스 2017-06-12 공감 (0) 댓글 (0)
Thanks to
 
공감